且(しばら)く彼(かれ)が四衆(ししゅ)の身(み)を脱(ぬ)け、金剛(こんごう)に随(したが)いて風(かぜ)に駕(が)して起(た)つを言(い)わず。さて陳家荘(ちんかそう)の救生寺(きゅうせいじ)の内(うち)の多(おお)くの人(ひと)を説(い)わん。天(てん)暁(あ)けて起(お)き来(きた)り、なお果肴(かこう)を治(ととの)えて献(けん)ぜんとし、楼(ろう)の下(もと)に至(いた)るに、唐僧(とうそう)の見(み)えざるを覚(おぼ)ゆ。この者(もの)もまた来(きた)りて問(と)い、かの者(もの)もまた来りて尋(たず)ね、倶(みな)慌慌張張(こうこうちょうちょう)、所措(おくところ)を知(し)らず、苦(くるしみ)を天(てん)に叫(よばわ)り連(つら)ねて道(いわ)く、
「清清(せいせい)と箇(ひとり)の活仏(かつぶつ=生き仏)を把(と)りて放(はな)ち去(さ)りたるかな!」
と。一会(ひととき)家(のあいだ)計(はかりごと)無(な)く、弁(そな)え来れる品物(しなもの)を将(も)ちて、倶(ことごと)く楼(ろう)の上(うえ)に挙(あ)げ上(あ)げ、祭祀(さいし)し紙(かみ)を焼(た)く。以後(いご)每年(まいねん)四大祭(しだいさい)、二十四小祭(にじゅうししょうさい)有(あ)り。また那(かの)病(やまい)を告(つ)ぐる者、安(やすらぎ)を保(ほ)する者、親(みより)を求(もと)め願(ねがい)を許(ゆる)し、財(たから)を求(もと)め子(こ)を求むる者、時(とき)無(な)く日(ひ)無く来りて香(こう)を焼(た)き祭賽(さいさい)せざるは無し。真(まこと)にこれ
金炉(きんろ=金の香炉)に千年(せんねん)の火(ひ)絶(た)えず、玉盞(ぎょくさん=玉の盃)常(つね)に明(あき)らかにして万載(ばんさい)の灯(ともしび)なり。
と。題(だい)せず。
さて八大金剛(はちだいこんごう)第二陣(だいにじん)の香風(こうふう)を使(つか)い、彼(かれ)が四衆(ししゅ)を把(と)りて、一日(いちじつ)ならずして東土(とうど)に送(おく)り至(いた)り、漸漸(ようやく)く長安(ちょうあん)の望(のぞ)み見(み)ゆるに到(いた)る。
元来(もと)かの太宗(たいそう)、貞観十三年(じょうがんじゅうさんねん)九月(くがつ)望前(ぼうぜん)の三日(みっか)に唐僧(とうそう)を送(おく)りて城(しろ)を出(いだ)されしより、十六年(じゅうろくねん)に至り、すなわち工部(こうぶ)の官(かん)を差(つかわ)して西安関(せいあんかん)の外(そと)に望経楼(ぼうきょうろう)を起建(きけん)して経(きょう)を接(う)けしめ、太宗(たいそう)年年(ねんねん)親(みずか)らその地(ち)に至らせられたり。恰好(あたか)もその一日(いちじつ)出駕(しゅつが=行幸)して復(ま)た楼の上(うえ)に到(いた)らせられしに、忽(たちま)ち正西方(しょうせいほう)に満天(まんてん)の瑞靄(ずいあい)、陣陣(じんじん)の香風(こうふう)の見ゆるを覚(おぼ)えたもう。金剛(こんごう)空(くう)の中(うち)に停(とど)まりて叫(よばわ)りて道(いわ)く、
「聖僧(せいそう)、この間(ほとり)は乃(すなわ)ち長安城(ちょうあんじょう)なり。我ら下(お)り去(ゆ)くを好(よ)しまず。ここの人(ひと)は伶俐(りょうり=利口)にして、吾(わ)が像(すがた)の泄漏(せつろう)を恐(おそ)る。孫大聖(そんたいせい)の三位(さんみ)もまた去(ゆ)くを須(もち)いず。汝(なんじ)自(みずか)ら去きて経(きょう)を汝(なんじ)が主(あるじ)に伝(つた)え、すなわち回(かえ)り来(こ)よ。我(われ)霄漢(しょうかん=大空)の中(うち)に在りて汝を等(ま)ち、汝と同(とも)に旨(むね)を繳(かえ)さん」
と。大聖(たいせい)道(いわ)く、
「尊者(そんじゃ)の言(げん)当(とう)なれりといえど、但(た)だ吾(わ)が師(し)如何(いか)でか経担(きょうたん)を担(にな)い得(え)ん。如何(いか)でかこの馬(うま)を牽(ひ)き得(え)ん。須(かなら)ず我等(われら)の同(とも)に去きて一(ひと)と送るを得んことを得(う)るを。煩(わずら)わしきかな、汝空(くう)に在りて少(しばら)く等(ま)て。諒(おもんばか)るに敢(あえ)て誤(あやま)たじ」
と。金剛道(いわ)く、「先日(せんじつ)観音菩薩(かんのんぼさつ)如来(にょらい)に啓(けい)し過(お)えたるに、往来(おうらい)只(た)だ八日(ようか)に在(あ)りて、方(はじ)めて蔵数(ぞうすう)を完(まっと)うす。今(いま)すでに四日(よっか)有餘(あまり)を経(へ)たり。只(た)だ怕(おそ)らくは八戒(はっかい)の富貴(ふうき)を貪図(どんと)て期限(きげん)を誤(あやま)らんことを」と。八戒笑って道(いわ)く、「師父(しふ)仏(ほとけ)と成(な)りたもう、我(われ)もまた仏(ほとけ)と成らんことを望(のぞ)む。豈(あ)に貪図(どんと)の理(ことわり)有(あ)らんや!この大粗人(だいそじん=荒くれ者)め!都(みな)ここに在りて我を等て、経を交(わた)し了(おわ)らば、すなわち来りて汝と回向(えこう)せん」と。
呆子(あほう)担(に)を担(にな)い、沙僧(さそう)馬(うま)を牽(ひ)き、行者(ぎょうじゃ)聖僧(せいそう)を領(ひき)い、都(みな)雲頭(うんとう)を按(おろ)し下(おろ)し、望経楼(ぼうきょうろう)の辺(ほとり)に落(お)つ。太宗多官(たかん)と一斉(いっせい)にこれを見、すなわち楼を下(お)りて相迎(むか)えて道(いわ)く、「御弟(おてい)来れるか」と。唐僧すなわち身(み)を倒(さかしま)にして下拝(げはい)す。太宗攙(たす)け起(おこ)して、また問(と)いて道(いわ)く、「この三者(みたり)は何(なん)の者ぞ」と。唐僧道(いわ)く、「是(こ)れ途中(とちゅう)に収(おさ)めたる徒弟(でし)なり」と。太宗大(おお)いに喜(よろこ)び、すなわち侍官(じかん)に命(めい)じて道(いわ)く、「朕(ちん)が御車馬(ぎょしゃば)の背(せ)を叩(たた)きて、御弟(おてい)を請(しょう)じて馬に上(のぼ)らしめ、朕(ちん)と同に朝(ちょう)に回らん」と。
唐僧恩(おん)を謝(しゃ)し、馬に騎(の)り上(あ)がる。大聖(たいせい)金箍棒(きんこぼう)を輪(めぐ)らして緊(した)しく随(したが)い、八戒(はっかい)・沙僧(さそう)倶(みな)馬を扶(たす)け担(に)を担い、駕(が)の後(うしろ)に随いて共(とも)に長安(ちょうあん)に入(い)る。真(まこと)にこれ
当年(とうねん)清宴(せいえん)に升平(しょうへい=泰平)を楽(たの)しみ、文武(ぶんぶ)安然(あんぜん)として俊英(しゅんえい)を顕(あらわ)す。
水陸場(すいりくじょう)の中に僧(そう)法(ほう)を演(の)べ、金鑾殿(きんらんでん)の上に主(しゅ)卿(けい)を差(つかわ)す。
関文(かんぶん)敕(みことのり)として唐三蔵(とうさんぞう)に賜(たま)い、経巻(きょうかん)原因(げんいん)として五行(ごぎょう)に配(はい)す。
凶魔(きょうま)を苦(くるし)み煉(ね)りて種種(しゅじゅ)滅(ほろ)び、功(こう)成りて今(いま)朝(ちょう)に上(のぼ)るを喜(よろこ)ぶ。
と。
唐僧の四衆、駕に随いて朝に入(い)る。満城(まんじょう)の中に取経(しゅきょう)の人の来れるを知(し)らざるは一(ひとり)も無し。
さてかの長安の唐僧が旧(もと)住(す)みし洪福寺(こうふくじ)の大小(だいしょう)の僧人(そうにん)を説(い)わん。幾株(いくしゅ)かの松樹(しょうじゅ)の、一顆一顆(ひとつひとつ)頭(こうべ)の倶(みな)東(ひがし)に向(むか)えるを見、驚(おどろ)き訝(いぶか)って道(いわ)く、「怪(あや)しきかな!怪しきかな!今夜(こんや)いまだ曽(かつ)て風(かぜ)の刮(ふ)くに遭(あ)わざるに、如何してかこの樹(き)の頭(こうべ)都扭(ね)じ過(よ)ぎりたる」と。内(うち)に三蔵(さんぞう)の旧徒(きゅうと=古い弟子)有りて道(いわ)く、「疾(と)く衣服(いふく)を拿(と)り来(こ)よ!経を取りし老師父(ろうしふ)の来れるぞ!」と。衆僧(しゅそう)問いて道(いわ)く、「汝何(なん)を以(も)ってかこれを知る」と。旧徒(きゅうと)曰(いわ)く、
「当年(とうねん)師父(しふ)去(さ)りたもう時(おり)、曾(かつ)て言(げん)有りて道(いわ)れたり、『我去りし後(のち)、或(あるい)は三、五年(さんごねん)、或(あるい)は六、七年(ろくしちねん)ならん。ただ松樹(しょうじゅ)の枝頭(しとう)の若(も)し東(ひがし)に向(むか)わば、我すなわち回らん』と。我が師父は仏口(ぶっこう=仏の口)聖言(せいげん)なれば、ここを以(も)ってこれを知るなり」
と。急(いそ)ぎ衣(ころも)を披(き)て出(い)で、西街(せいがい)に至る時(おり)、すでに早(はや)く人の伝(つた)え播(し)きて説う有り、「経を取(と)る人の适才(いましがた)方(まさ)に到り、万歳爺(ばんぜいや=天子)の城(しろ)に接(むか)え入れたもう」と。衆僧(しゅそう)説うを聞(き)き、また急急(いそぎ)跑(はし)り来り、却(かえ)ってすなわちこれに遇(あ)い、大駕(たいが)を見るや敢(あえ)て近(ちか)づき前(まえ)に進(すす)まず、随いて後(うしろ)より朝門(ちょうもん)の外(そと)に従(したが)い至る。唐僧馬を下り、衆(しゅう)と同に朝に入る。唐僧龍馬(りゅうば)と経担(きょうたん)を将(も)ち、行者(ぎょうじゃ)・八戒・沙僧と同に、玉階(ぎょくかい=玉の階)の下(もと)に立(た)たしむ。太宗伝宣(でんせん)して道(いわ)く、
「御弟殿(でん)に上れ」
と。坐(ざ)を賜(たま)わる。唐僧また恩(おん)を謝(しゃ)して坐(ざ)し、経巻(きょうかん)を把(と)りて挙(あ)げ来らしむ。行者等(ら)取(と)り出(いだ)し、近侍官(きんじかん)伝えて上(たてまつ)る。
太宗(たいそう)また問(と)いて道(いわ)く、「多少(いくばく)の経数(きょうすう)ぞ。怎(いか)にしてか取(と)り来(きた)れる」と。三蔵(さんぞう)道(いわ)く、
「臣僧(しんそう)霊山(れいざん)に到(いた)り、仏祖(ぶっそ)に参見(さんけん)し、阿難(あなん)・迦葉(かしょう)の二尊者(にそんじゃ)を差(つかわ)され、先(ま)ず珍楼(ちんろう)の内(うち)に引(ひ)かれて斎(とき)を賜(たま)わり、次(つぎ)に宝閣(ほうかく)の内(うち)に到(いた)りて経(きょう)を伝(つた)えられしを蒙(こうむ)れり。かの尊者(そんじゃ)人事(じんじ)を需索(じゅさく)めしに、曾(かつ)て備(そな)え得(え)ざるに因(よ)り、曾(かつ)て彼(かれ)に送(おく)らざりしかば、彼(かれ)遂(つい)に経(きょう)を以(も)って我らに与(あた)えたり。仏祖(ぶっそ)の恩(おん)を謝(しゃ)して東(ひがし)へ行(ゆ)かんとせしに、忽(たちまち)妖風(ようふう)に経を搶(うば)われ去(さ)られしが、幸(さいわ)いに小徒(しょうと)些(いささ)かの神通(じんつう)有(あ)りて趕(お)い奪(うば)いしかど、却(かえ)って倶(みな)抛擲(ほうてき=投げ捨て)られて散漫(さんまん)たり。展(ひろ)げ看(み)るに因(よ)りて、皆(みな)これ無字(むじ)の空本(くうほん)なり。
臣等(しんら)著(おどろ)き驚(おどろ)き、復(ま)た去(ゆ)きて拝(おが)み告(うった)えて懇(ねんごろ)に求(もと)めしに、仏祖道(いわ)れたり、『この経の成就(じょうじゅ)せし時(おり)、比丘聖僧(びくしょうそう)の山(やま)を下(お)りて舎衛国(しゃえいこく)の趙長者(ちょうちょうじゃ)の家(いえ)に与(あた)えて一遍(ひとまわり)看誦(かんじゅ=読誦)せしこと有(あ)り。彼が家(いえ)の生者(しょうじゃ)の安全(あんぜん)、亡者(もうじゃ)の超脱(ちょうだつ)を保祐(ほゆう=加護)し、ただ彼が三斗三升(さんとさんしょう)の米粒黄金(べいりゅうおうごん)を討(と)り得(え)たるのみ。意思(こころ)はなお売(う)り賤(やす)しと嫌(いや)がりて、後来(こうらい)子孫(しそん)の使用(しよう)の銭(ぜに)無(な)からんことを説(い)えり』と。我等(われら)二尊者(にそんじゃ)の人事(じんじ)を需索(じゅさく)するを仏祖明知(めいち)したもうを知(し)り、ただ欽賜(きんし=勅賜)の紫金鉢盂(しきんはつう)を将(も)ちて彼に送(おく)りてこそ、方(はじ)めて有字(うじ)の真経(しんきょう)を伝(つた)えられたり。この経三十五部(さんじゅうごぶ)有り、各部(かくぶ)の中(うち)より幾巻(いくかん)かを検(えら)びて伝え来(きた)れるが、共計(あわせ)て五千四十八巻(ごせんよんじゅうはちかん)なり。この数(かず)はけだし一蔵(いちぞう)に合(がっ)するなり」
と。太宗(たいそう)更(さら)に喜(よろこ)び、教(おお)せて道(いわ)く、「光禄寺(こうろくじ)に宴(えん)を設(もう)け、東閣(とうかく)を開(ひら)いて酬謝(しゅうしゃ)せよ」と。
忽(たちま)ち彼が三徒(さんと)の階下(かいか)に立(た)ちて容貌(ようぼう)の異常(いじょう)なるを見(み)、すなわち問(と)いて道(いわ)く、「高徒(こうと)は果(は)たして外国人(がいこくじん)なるか」と。長老(ちょうろう)俯伏(ふふく)して道(いわ)く、
「大徒弟(だいとてい)は姓(せい)を孫(そん)、法名(ほうみょう)を悟空(ごくう)と曰(い)い、臣(しん)また彼を孫行者(そんぎょうじゃ)と呼(よ)べり。彼が出身(しゅっしん)は元(もと)これ東勝神洲(とうしょうしんしゅう)傲来国(ごうらいこく)花果山(かかざん)水簾洞(すいれんどう)の人氏(ひと)なり。五百年前(ごひゃくねんまえ)に天宮(てんきゅう)を大(おお)いに闘(たたか)いて、仏祖に困(くるし)め圧(おさ)えられて西番(せいばん)両界山(りょうかいざん)の石匣(せっこう=石の箱)の内に在(あ)りしに、観音菩薩(かんのんぼさつ)の善(ぜん)に勧(すす)めらるるを蒙(こうむ)り、願(ねが)って皈依(きえ)せり。臣(しん)彼が処(ところ)に到りて救(すく)い出(いだ)し、甚(はなは)だこの徒(でし)の保護(ほご)に虧(よ)れり。
二徒弟(にとてい)は姓(せい)を猪(ちょ)、法名(ほうみょう)を悟能(ごのう)と曰(い)い、臣また彼を猪八戒(ちょはっかい)と呼(よ)べり。彼が出身(しゅっしん)は元(もと)これ福陵山(ふくりょうざん)雲棧洞(うんさんどう)の人氏(ひと)なり。烏斯蔵(うすぞう)高老荘(こうろうそう)の上(かみ)に在りて怪(かい)を作(な)しおるに因り、すなわち菩薩(ぼさつ)の善(ぜん)に勧(すす)めらるるを蒙り、行者(ぎょうじゃ)のこれを収(おさ)むるに虧(よ)れり。一路(いちろ)担(に)を担(にな)いて力(ちから)有り、水(みず)を渉(わた)りて功(こう)有り。
三徒弟(さんとてい)は姓を沙(さ)、法名を悟浄(ごじょう)と曰い、臣また彼を沙和尚(さおしょう)と呼べり。彼が出身は元これ流沙河(るさが)に怪(かい)を作(な)せし者(もの)なるが、また菩薩(ぼさつ)の善に勧めらるるを蒙り、教(きょう)を秉(と)りて沙門(しゃもん)に入(い)れり。
那(かの)一匹(ひとつ)の馬(うま)は是(こ)れ主公(しゅこう)の賜(たま)わりしところに非(あら)ざるなり」
と。太宗道(いわ)く、「毛片(もうへん=毛並み)相同(あいおな)じきに、如何(いか)してか非(ひ)なる」と。三蔵(さんぞう)道(いわ)く、
「臣蛇盤山(じゃばんざん)鷹愁澗(おうしゅうかん)に到りて水(みず)を渉(わた)りしに、原(もと)の馬(うま)この馬に吞(の)まれたり。行者(ぎょうじゃ)の菩薩を請(しょう)じてこの馬の来歴(らいれき)を問わしむるに虧り、元これ西海龍王(せいかいりゅうおう)の子(こ)なるが、罪(つみ)有るに因りて、また菩薩の救(すく)い解(と)かるるを蒙り、彼をして臣が脚力(きゃくりき=乗り物)と作らしめられたり。当時(そのかみ)原(もと)の馬に変作(へんさ=化し)たれば、毛片(もうへん)相同(あいおな)じ。幸(さいわ)いに彼が山(やま)に登(のぼ)り嶺(みね)を越(こ)え、崎嶇(きくう=険しさ)を跋渉(ばっしょう)するに虧り、去(ゆ)く時(おり)は騎坐(きざ=乗り)し、来(く)る時は経を載(の)せり。また甚(はなは)だその力(ちから)に頼(よ)れるなり」
と。太宗言(げん)を聞(き)き、称賛(しょうさん)して已(や)まず、また問いて道(いわ)く、「遠(とお)く西方(せいほう)を渉りしに、端的(つまり)路程(ろてい)多少(いかほど)ぞ」と。三蔵道(いわ)く、
「総(すべ)て菩薩の言(げん)を記(しる)すに、十万八千里(じゅうまんはっせんり)の遠(とお)さ有り。途中(とちゅう)曾て数(かず)を記(しる)せざりき。ただ一十四遍(じゅうよへん)の寒暑(かんしょ)を経(へ)しことを知(し)るのみ。日日(ひび)に山、日日に嶺(みね)、林(はやし)に逢(あ)えば小(ちいさ)からず、水に逢(あ)えば寛洪(かんこう=広く大き)し。また幾座(いくつ)かの国王(こくおう)を経(へ)たるに、倶(みな)照験(しょうけん=照合)の印信(いんしん=印)有り」
と。叫(よばわ)りて道(いわ)く、「徒弟(でし)、通関文牒(つうかんぶんじょう)を将(も)ちて取(と)り上(あ)げ来り、主公(しゅこう)に対(むか)いて繳納(きょうのう=納め返す)せよ」と。当時(そのとき)遞(てい)し上(たてまつ)る。太宗看(み)るに、乃(すなわ)ち貞観一十三年(じょうがんいっじゅうさんねん)九月(くがつ)望前(ぼうぜん)の三日(みっか)に給(たま)われり。太宗笑って道(いわ)く、「久(ひさ)しく遠きを労(ろう)せしに、今(いま)すでに貞観二十七年(じょうがんにじゅうしちねん)なり」と。
牒文(じょうぶん)の上(うえ)に宝象国(ほうぞうこく)の印(いん)、烏鶏国(うけいこく)の印、車遅国(しゃちこく)の印、西梁女国(せいりょうじょこく)の印、祭賽国(さいさいこく)の印、朱紫国(しゅしこく)の印、獅駝国(しだこく)の印、比丘国(びくこく)の印、滅法国(めっぽうこく)の印有(あ)り。また鳳仙郡(ほうせんぐん)の印、玉華州(ぎょっかしゅう)の印、金平府(きんぺいふ)の印有(あ)り。太宗覧(み)畢(おわ)り、これを収(おさ)む。
早(はや)くも当駕官(とうがかん)有りて宴(えん)を請(しょう)ず。すなわち殿(でん)を下(お)りて手(て)を携(たずさ)えて行(ゆ)き、また問いて道(いわ)く、「高徒(こうと)能(よ)く礼貌(れいぼう=礼儀)するか」と。三蔵道(いわ)く、
「小徒(しょうと)は倶(みな)これ山村曠野(さんそんこうや)の妖身(ようしん=妖の身)にして、いまだ中華聖朝(ちゅうかせいちょう)の礼数(れいすう=礼儀)を諳(そら)んぜず。万(よろず)主公の罪(つみ)を赦(ゆる)されんことを望(のぞ)む」
と。太宗笑って道(いわ)く、「彼を罪せず、彼を罪せず。都(みな)同(とも)に請じて東閣(とうかく)に赴(おもむ)きて宴に赴(おもむ)かん」と。三蔵また恩(おん)を謝(しゃ)し、彼が三衆(さんしゅ)を招呼(しょうこ)し、都(みな)閣(かく)の内に到りて観看(みわた)す。果(は)たしてこれ中華大国(ちゅうかたいこく)、尋常(よのつね)と同(おな)じからず。汝(なんじ)看(み)よ、かの
門(もん)に彩繍(さいしゅう)を懸(か)け、地(ち)に紅氈(こうせん=赤い氈)を襯(し)く。
異香(いこう)馥郁(ふくいく=芳し)として、奇品(きひん)新鮮(しんせん)なり。
琥珀杯(こはくはい)、玻璃盞(はりさん=硝子の盃)、金(きん)を鑲(ちりば)め翠(みどり)を点(てん)じ、
黄金盤(おうごんばん)、白玉碗(はくぎょくわん)、錦(にしき)を嵌(は)め花(はな)を纏(まと)う。
爛(したたか)に蔓菁(まんせい=蕪)を煮(に)、糖(とう)もて香芋(こうう=里芋)に注(そそ)ぐ。
蘑菇(まこ=茸)甜美(てんび)にして、海菜(かいさい)清奇(せいき)なり。
幾次(いくたび)も添(そ)え来る姜辣筍(きょうらつじゅん)、
数番(すうばん)も弁(もう)け上(あ)ぐる蜜調葵(みっちょうき)。
面筋(めんきん=麩)・椿樹葉(ちんじゅよう=椿の葉)、木耳(もくじ=木の茸)・豆腐皮(とうふひ)。
石花仙菜(せっかせんさい)、蕨粉(けっぷん=蕨の粉)・乾薇(かんび=干し薇)。
花椒(かしょう)もて莱菔(らいふく=大根)を煮(に)、芥末(がいまつ)もて瓜絲(かし=瓜の糸)を拌(あ)う。
幾盤(いくばん)かの素品(そひん)は還(な)お猶(な)お可(よ)し、数種(すうしゅ)の奇稀(きき=珍奇)の果(くだもの)魁(かい=首位)を奪(うば)う。
核桃(かくとう=くるみ)・柿餅(しへい=干し柿)、竜眼(りゅうがん)・荔枝(れいし)。
宣州(せんしゅう)の繭栗(けんりつ)、山東(さんとう)の棗(なつめ)、江南(こうなん)の銀杏(ぎんあん)・兎頭梨(ととうり)。
榛(はしばみ)・松(まつ)・蓮肉(れんにく)、葡萄(ぶどう)大(おお)いなり、榧子(ひし)・瓜仁(かりん=瓜の種)・菱米(りょうまい=菱の実)斉(ひとし)し。
橄欖(かんらん)・林檎(りんご)、苹婆(へいば)・沙果(さか)。
慈菇(じこ=クワイ)・嫩藕(どんぐう)、脆李(ぜいり)・楊梅(ようばい)。
般(くさぐさ)として備(そな)わらずは無(な)く、件(くだり)として斉(ととの)わざるは無し。
還(ま)た些(いささ)かの蒸酥(じょうそ)・蜜食(みっしょく)兼(か)ねて嘉饌(かせん=佳き饌)有り、
更(さら)に那(かの)美酒(びしゅ)・香茶(こうちゃ)と異奇(いき)有り。
説(い)い尽(つく)さず百味(ひゃくみ)の珍饈(ちんしゅう)の真(しん)の上品(じょうひん)、
果たしてこれ中華大国(ちゅうかたいこく)の西夷(せいい)に異(こと)なるなり。
と。
師徒(してい)四衆(ししゅ)と文武(ぶんぶ)の多官(たかん)倶(みな)左右(そうゆう)に侍列(じれつ)し、太宗皇帝(たいそうこうてい)なお正(しょう)に当(まさ)ん中(なか)に坐(ざ)し、歌舞(かぶ)吹弾(すいだん)整斉(せいせい)厳粛(げんしゅく)として、遂(つい)に一日(いちじつ)を尽(ことごと)く楽(たの)しむ。正(まさ)にこれ
君王(くんおう)の嘉会(かかい=佳き宴)唐虞(とうぐ)に賽(まさ)り、真経(しんきょう)を取り得て福(ふく)余(あまり)有り。
千古(せんこ)に流伝(るでん)して千古(せんこ)に盛(さか)ん、仏光(ぶっこう)普(あまね)く帝王居(ていおうきょ)を照(てら)す。
と。当日(とうじつ)天(てん)晩(くら)れて、恩を謝し宴散(さん)ず。太宗宮(きゅう)に回(かえ)り、多官(たかん)宅(たく)に回(かえ)り、唐僧(とうそう)等(ら)洪福寺(こうふくじ)に帰(かえ)れば、只(た)だ見(み)る、寺僧(じそう)磕頭(かいとう=額づき)して迎(むか)うるを。方(はじ)めて山門(さんもん)に入(い)るに、衆僧(しゅそう)報(ほう)じて道(いわ)く、「師父(しふ)、この樹(き)の頭児(こうべ)今朝(けさ)倶(みな)忽然(たちまち)として東(ひがし)に向(むか)えり。我ら師父(しふ)の言を記し、遂に城(しろ)を出(い)でて来りて接(むか)えしに、果たして到られたり!」と。長老(ちょうろう)喜(よろこ)ぶこと勝(た)うる莫(な)し。
遂に方丈(ほうじょう)に入る。この時(とき)八戒(はっかい)もまた茶飯(さはん)を嚷(わめ)かず、また喧頭(けんとう=高声)を弄(ろう)さず、行者・沙僧(さそう)箇箇(おのおの)穩重(おんちょう=穏やか)なり。只(た)だ道果(どうか)の完成(かんせい)するに因りて、自然(おのずか)ら安静(あんせい)なるのみ。当晩(とうばん)睡(ねむ)れり。
次(つぎ)の早(あさ)、太宗(たいそう)朝(ちょう)に昇(のぼ)り、群臣(ぐんしん)に対(むか)いて言(い)わく、
「朕(ちん)思(おも)うに御弟(おてい)の功(こう)の至(いた)りて深(ふか)く至りて大(おお)いなる、以(も)って酬(むく)いるを為(な)す無(な)し。一夜(いちや)寐(ねむ)ること無(な)く、口(くち)に幾句(いくく)の俚談(りだん=鄙びた話)を占(せん)じて、権(かり)に謝意(しゃい)を表(あらわ)さんとせしが、いまだ曾(かつ)て写(うつ)し出(いだ)さざりき」
と。叫(よばわ)りて道(いわ)く、「中書官(ちゅうしょかん)来(きた)れ。朕(ちん)汝(なんじ)に念(よ)まん、汝(なんじ)一一(ひとつひとつ)これを写(うつ)せ」と。その文(ぶん)に云(いわ)く、
「聞(き)くならく、二儀(にぎ=天地)は象(かたち)有(あ)りて、覆載(ふくさい)を顕(あらわ)して以(も)って生(せい)を含(ふく)み、四時(しじ=四季)は形(かたち)無くして、寒暑(かんしょ)を潜(ひそ)めて以って物(もの)を化(か)すと。ここを以って天(てん)を窺(うかが)い地(ち)を鑑(かんが)みるに、庸愚(ようぐ=凡愚)も皆(みな)その端(たん=はじめ)を識(し)り、陰(いん)を明(あきら)かにし陽(よう)を洞(とお)すに、賢哲(けんてつ=賢者)も罕(まれ)にその数(かず)を窮(きわ)む。然(しか)れども天地(てんち)は陰陽(いんよう)を包(つつ)めども、その識(し)り易(やす)きは象(かたち)有(あ)るを以ってなり。陰陽(いんよう)は天地(てんち)に処(お)れども、その窮(きわ)め難(がた)きは形(かたち)無きを以ってなり。故(ゆえ)に知(し)る、象の顕(あらわ)るるは征(あか)すべく、愚(おろか)なりといえども惑(まど)わず、形の潜(ひそ)むは睹(み)ること莫(な)く、智(ち)に在(あ)りてなお迷(まよ)うを。況(いわ)んや仏道(ぶつどう)の虚(きょ)を崇(たっと)び、幽(ゆう)に乗(じょう)じて寂(じゃく)を控(ひ)くにおいてや。万品(ばんぴん=万のもの)を弘済(こうさい=広く済い)し、十方(じっぽう)を典御(てんぎょ=統べ治む)す。威霊(いれい)を挙(あ)ぐれば而(すなわ)ち上(うえ)無く、神力(しんりき)を抑(おさ)うれば而ち下(した)無し。これを大(おお)きくすればすなわち宇宙(うちゅう)に弥(あまね)く、これを細(こまか)にすればすなわち毫厘(ごうり=毫と厘)に摂(おさ)まる。滅(めつ)無く生(しょう)無くして、千劫(せんごう)を歴(へ)て而(すなわ)ち古(いにしえ)に亘(わた)り、若(も)し隠(かく)れ若し顕れて、百福(ひゃくふく)を運(めぐ)らして而ち今(いま)に長(とこしなえ)なり。妙道(みょうどう)玄(げん)を凝(こ)らせば、これに遵(したが)うもその際(きわ=極み)を知(し)る莫(な)く、法流(ほうりゅう)湛寂(たんじゃく=深く静か)なれば、これを挹(く)むもその源(みなもと)を測(はか)る莫(な)し。故(ゆえ)に知る、蠢蠢(しゅんしゅん=うごめく)たる凡愚(ぼんぐ)、区区(くく)たる庸鄙(ようひ=凡鄙)の、その旨趣(ししゅ=趣き)に投(とう)じて、能(よ)く疑惑(ぎわく)無からんや!
然(しか)ればすなわち大教(たいきょう)の興(おこ)るは、西土(せいど)に基(もとづ)く。漢庭(かんてい)に騰(のぼ)りて皎(あき)らかなる夢(ゆめ)を顕し、東域(とういき)を照(てら)して慈(じ)を流(なが)す。古(いにしえ)形を分(わ)ち迹(あと)を分かちし時(とき)、言(げん)いまだ馳(は)せずして而ち化(け)を成(な)し、常(つね)に見(み)え常に隠(かく)るるの世(よ)、民(たみ)徳(とく)を仰(あお)ぎて遵(したが)うを知れり。晦影(かいえい=暗き影)帰真(きしん=真に帰る)に及(およ)び、世(よ)を遷(うつ)し越(こ)えて、金容(こんよう=金色の姿)色(いろ)を掩(おお)いて、三千(さんぜん)の光(ひかり)を鏡(てら)さず、麗象(れいぞう=美しき象)図(ず)を開(ひら)けども、空(むな)しく四八(しはち=三十二相)の相(そう)を端(ただ)す。ここにおいて微言(びげん)広(ひろ)く被(こうむ)り、禽類(きんるい=鳥獣)を三途(さんず)より拯(すく)い、遺訓(いくん)遐(とお)く宣(の)べて、群生(ぐんしょう=衆生)を十地(じゅうじ)に導(みちび)く。仏(ほとけ)に経(きょう)有りて、能(よ)く大小(だいしょう)の乗(じょう)を分(わ)かち、更(さら)に法(ほう)有りて、訛邪正(かじゃしょう)の術(じゅつ)を伝(つた)う。
我(わ)が僧玄奘法師(げんじょうほっし)なる者(もの)は、法門(ほうもん)の領袖(りょうしゅう=首領)なり。幼(おさな)くして慎敏(しんびん)を懐(いだ)き、早(はや)く三空(さんくう)の功(こう)を悟(さと)り、長(おとな)じて神清(しんせい=心清き)に契(ちぎ)り、先(ま)ず四忍(しにん)の行(ぎょう)を包(つつ)む。松風(しょうふう)水月(すいげつ)も、いまだその清華(せいか)に比(くら)ぶるに足(た)らず、仙露(せんろ)明珠(めいじゅ=真珠)も、詎(なん)ぞ能くその朗潤(ろうじゅん)に方(くら)べんや!故に以って智(ち)通(つう)じて累(るい=煩い)無く、神(しん)未形(みけい)を測(はか)る。六塵(ろくじん)を超(こ)えて迥(はるか)に出(い)で、千古(せんこ)をして而ち芳(かんばしき)を伝(つた)えしむ。心(こころ)を内境(ないきょう)に凝(こ)らして、正法(しょうぼう)の陵遅(りょうち=衰え)なるを悲(かな)しみ、慮(おもんばかり)を玄門(げんもん)に栖(す)ませて、深文(しんぶん=深遠な文)の訛謬(かびゅう=誤り)なるを慨(なげ)く。思(おも)うに条(じょう)を分ち理(り)を振(ふる)いて、彼(か)の前聞(ぜんぶん=先人の聞)を広(ひろ)め、偽(いつわり)を截(き)り真(しん)を続(つ)いで、この後学(こうがく)を開(ひら)かんと欲(ほっ)す。ここを以って心(こころ)を浄土(じょうど)に翹(あ)げ、法(のり)として西域(せいいき)に遊(ゆ)く。危(あやうき)に乗じて遠(とお)く邁(ゆ)き、杖(つえ)を策(むち)いて孤(ひと)り征(ゆ)く。雪(ゆき)を積(つ)みて晨(あした)に飛(と)び、途間(とけん=道すがら)に地(ち)を失(うしな)い、沙(すな)驚(おどろ)いて夕(ゆうべ)に起(おこ)り、空外(くうがい=空の外)に天(てん)に迷(まよ)う。万里(ばんり)の山川(さんせん)、烟霞(えんか)を撥(はら)いて步(あゆみ)を進(すす)め、百重(ひゃくじゅう)の寒暑(かんしょ)、霜雨(そうう)を蹑(ふ)みて前踪(ぜんしょう=前の跡)を追(お)う。誠(まこと)重(おも)くして労(ろう)軽(かろ)く、深(ふか)きを求(もと)めて達(たっ)せんと欲(ほっ)す。西宇(せいう=西の国)を周遊(しゅうゆう)すること十(じゅう)に四(よ)年(ねん)有り。異邦(いほう)を窮め歴(へ)て、正教(しょうきょう)を詢(と)い求(もと)む。双林(そうりん)八水(はっすい)、道(どう)を味(あじ)わい風(かぜ)を餐(くら)い、鹿苑(ろくおん)鷲峰(じゅほう)、奇(き)を瞻(み)り異(い)を仰(あお)ぐ。至言(しげん=至れる言)を先聖(せんせい)に承(う)け、真教(しんきょう)を上賢(じょうけん)に受(う)く。妙門(みょうもん)を探賾(たんさく=探り究め)、奥業(おうごう=奥深き業)を精窮(せいきゅう=窮め尽く)す。三乗(さんじょう)六律(ろくりつ)の道(どう)、心田(しんでん=心の田)に馳驟(ちしゅう=駆け巡)り、一蔵(いちぞう)百篋(ひゃくきょう=百の箱)の文(ぶん)、海口(かいこう)に波濤(はとう)す。爰(ここ)に自(よ)り歴ししところの国(くに)涯(かぎり)無く、求め取(と)りし経(きょう)数(かず)有り。総(すべ)て大乗(だいじょう)の要文(ようぶん)を得(う)。凡(およ)そ三十五部(さんじゅうごぶ)、計(し)めて五千四十八巻(ごせんよんじゅうはちかん)、中華(ちゅうか)に訳布(やくふ=訳し広め)して、勝業(しょうごう=勝れた業)を宣揚(せんよう)す。慈雲(じうん)を西極(せいきょく=西の果て)に引(ひ)き、法雨(ほうう)を東陲(とうすい=東のほとり)に注(そそ)ぐ。聖教(しょうきょう)欠(か)けて復(ま)た全(まった)く、蒼生(そうせい=民)罪(つみ)ありて還(かえ)って福(ふく)を得(う)。火宅(かたく=燃える家)の乾焰(かんえん=乾ける焔)を湿(うるお)して、共(とも)に迷途(めいと)を抜(ぬ)かんとし、金水(こんすい)の昏波(こんぱ=昏き波)を朗(あきらか)にして、同(とも)に彼岸(ひがん)に臻(いた)らんとす。ここを以って知る、悪(あく)は因(いん)に因(よ)りて墜(お)ち、善(ぜん)は縁(えん)を以って升(のぼ)る。升墜(しょうつい)の端(たん)、ただ人(ひと)の自(みずか)ら作(な)すのみ。これを譬(たと)うるに桂(かつら)の高嶺(こうれい)に生(しょう)じて、雲露(うんろ)方(はじ)めてその花(はな)を泫(ただよわ)すがごとく、蓮(はす)の緑波(りょくは)より出(い)でて、飛塵(ひじん=舞う塵)その葉(は)を染(そ)むること能(あた)わず。これ蓮(はす)の性(しょう)自(おのずか)ら潔(いさぎよ)く、桂(かつら)の質(しつ)本(もと)より貞(てい)なるには非(あら)ざるなり。良(まこと)に由(よ)る、附(ふ)する所(ところ)のもの高(たか)ければ、すなわち微物(びぶつ=小さきもの)も累(わずら)わすこと能(あた)わず、憑(よ)る所(ところ)のもの浄(きよ)ければ、すなわち濁類(だくるい=濁れる類)も沾(そ)むること能わず。夫(そ)れ卉木(きぼく=草木)の無知(むち)なるも、なお善(ぜん)に資(と)りて善を成(な)す。矧(いわ)んや人倫(じんりん)の有識(ゆうしき)なるにおいてや。寧(なん)ぞ慶(よろこび)に縁(よ)りて慶(よろこび)を成さざらんや。方(まさ)に冀(こいねが)わくは真経(しんきょう)の伝布(でんぷ)して、日月(じつげつ)と並(なら)びて窮まり無く、景福(けいふく)遐(とお)く敷(し)かれて、乾坤(けんこん)と与(とも)に永(なが)く大いならんことを」
と。
写し畢(おわ)り、すなわち聖僧(せいそう)を召(め)す。この時(とき)長老(ちょうろう)すでに朝門(ちょうもん)の外(そと)に在りて謝(しゃ)を候(ま)ちたりしが、宣(せん)を聞(き)きて急(いそ)ぎ入(い)り、俯伏(ふふく)の礼(れい)を行(おこな)う。太宗(たいそう)請(しょう)じて殿(でん)に上(のぼ)らしめ、文字(もんじ)を将(も)ちて長老(ちょうろう)に遞(わた)して覧(み)しめ遍(あまね)くす。復(ま)た下(お)りて恩(おん)を謝(しゃ)し、奏(そう)して道(いわ)く、
「主公(しゅこう)の文辞(ぶんじ)高古(こうこ)にして、理趣(りしゅ=理の趣)淵微(えんび=深く微細)なり。ただ何(なん)の名目(めいもく)なるかを知らず」
と。太宗道(いわ)く、「朕夜(よる)口占(こうせん=口ずさみ)して御弟(おてい)の意(こころ)に答(こた)え謝するものなり。名(な)づけて聖教序(しょうきょうじょ)と曰(い)う。好(よ)きか否(いな)かを知らず」と。長老叩頭(こうとう)し、称謝(しょうしゃ)して已(や)まず。太宗また曰(いわ)く、
「朕才(さい)圭璋(けいしょう=玉)に愧(は)じ、言(げん)金石(きんせき)に慚(は)ず。内典(ないてん=仏典)に至(いた)りては、殊(こと)にいまだ聞かざる所なり。口(くち)に叙文(じょぶん)を占(せん)じたるは、誠(まこと)に鄙拙(ひせつ=鄙拙)を為(な)す。翰墨(かんぼく=筆墨)を金簡(きんかん=金の簡)に穢(けが)し、瓦礫(がれき)を珠林(しゅりん=珠の林)に標(しる)す。躬(み)を循(めぐ)り慮(おもんばかり)を省(かえり)みて、面(おもて)を腼(て)れ恧(は)ず。甚(はなは)だ称(しょう)するに足(た)らざるに、虚(むな)しく労(ろう)して致謝(ちしゃ)せらるるなり」
と。当時(そのとき)多官(たかん)斉(ひとし)く賀(が)し、聖教(しょうきょう)の御文(ぎょぶん)を頂礼(ちょうらい)して、遍(あまね)く内外(ないがい)に伝う。
太宗道(いわ)く、「御弟真経(しんきょう)を将(も)ちて一遍(ひとまわり)演誦(えんじゅ=唱え誦す)せんは如何(いかん)」と。長老道(いわ)く、「主公(しゅこう)、もし真経を演(の)べば、須(かなら)ず仏地(ぶっち)を尋(たず)ぬべし。宝殿(ほうでん)は誦(ず)すべきの処(ところ)に非(あら)ざるなり」と。太宗甚(はなは)だ喜(よろこ)び、すなわち当駕官(とうがかん)に問(と)いて道(いわ)く、「長安城(ちょうあんじょう)の寺(てら)に、那(いずれ)の座(ひとつ)の寺院(じいん)か潔浄(けつじょう=清浄)なる」と。班(つら)の中(うち)より大学士(だいがくし)蕭瑀(しょうう)閃(ひらめ)き出でて奏(そう)して道(いわ)く、「城(まち)の中(うち)に一(ひとつ)の雁塔寺(がんとうじ)の潔浄(けつじょう)なる有り」と。太宗すなわち多官(たかん)に令(れい)して道(いわ)く、「真経を把(と)りて各(おのおの)虔(つつし)みて幾巻(いくかん)かを捧(ささ)げ、朕と同(とも)に雁塔寺(がんとうじ)に到(いた)り、御弟を請(しょう)じて経を談(だん)ぜしめん」と。
多官遂(つい)に各各(おのおの)捧(ささ)げて、太宗の駕(が)に随(したが)いて寺(てら)の中に幸(みゆき)し、高台(こうだい)を設(もう)け起(おこ)し、鋪設(ほせつ=設え)すること斉整(せいせい=整い)なり。長老なお命(めい)じて道(いわ)く、「八戒(はっかい)・沙僧(さそう)龍馬(りゅうば)を牽(ひ)き、行嚢(こうのう=旅の嚢)を理(おさ)めよ。行者(ぎょうじゃ)は我(わ)が左右(そうゆう)に在(あ)れ」と。また太宗に向(むか)いて道(いわ)く、
「主公真経を将(も)ちて天下(てんか)に伝流(でんる)せんと欲せば、須(かなら)ず当(まさ)に副本(ふくほん)を謄録(とうろく=書き写)して、方(はじ)めて布散(ふさん)すべし。原本(げんぽん)は還(かえ)って当(まさ)に珍蔵(ちんぞう)すべく、軽(かる)がるしく褻(けが)すべからず」
と。太宗また笑って道(いわ)く、「御弟の言甚(はなは)だ当(とう)なれり!甚だ当なれり!」と。随(したが)いて翰林院(かんりんいん)及び中書科(ちゅうしょか)の各官(かくかん)を召(め)して真経を謄写(とうしゃ=書き写)せしむ。また一(ひとつ)の寺を城(しろ)の東(ひがし)に建(た)て、名(な)づけて謄黄寺(とうこうじ)と曰(い)う。
長老幾巻(いくかん)かを捧げて台(だい)に登(のぼ)り、方(まさ)に諷誦(ふじゅ=唱え誦す)せんと欲するに、忽(たちま)ち香風(こうふう)の繚繞(りょうじょう=立ち込む)を聞く。半空(なかぞら)の中に八大金剛(はちだいこんごう)の身(み)を現(あらわ)し高(たか)く叫(よばわ)る有り、「経を誦(ず)する者(もの)、経巻(きょうかん)を放下(おろ)し、我に従(したが)いて西(にし)に回(かえ)らん」と。この底(した)に行者(ぎょうじゃ)三人(みたり)、白馬(はくば)と連(つら)なりて平地(へいち)より起(た)ち、長老また経巻(きょうかん)を将(も)ちて投(な)げうち下(おろ)し、また台(だい)の上(うえ)従(よ)り九霄(きゅうしょう=大空)に起(た)ち、相随(あいしたが)いて騰空(とうくう)して去(さ)る。慌てたるかなかの太宗と多官空(くう)を望(のぞ)んで下拝(げはい)す。これ正(まさ)に
聖僧(せいそう)努力(どりょく)して経編(きょうへん=経の巻)を取り、西宇(せいう)を周流(しゅうる)すること十四年(じゅうよねん)。
苦(くるし)みて程途(ていと=道程)を歴て患難(かんなん)に遭(あ)い、多く山水(さんすい)を経(へ)て迍邅(ちゅんてん=難渋)を受(う)く。
功八九(はちく)を完(まっと)うして還(ま)た九(きゅう)を加(くわ)え、行(ぎょう)三千(さんぜん)を満(み)ちて大千(だいせん)に及(およ)ぶ。
大覚(だいかく)の妙文(みょうぶん)上国(じょうこく)に回(かえ)り、今(いま)に至るまで東土(とうど)に永(なが)く留(とど)め伝う。
と。太宗と多官拝(おが)み畢(おわ)り、すなわち高僧(こうそう)を選(えら)び、すなわち雁塔寺の裡(うち)に于(おい)て、水陸大会(すいりくだいえ)を修建(しゅうけん)し、『大蔵真経(だいぞうしんきょう)』を看誦(かんじゅ)して、幽冥(ゆうめい)の孽鬼(げきき=罪ある鬼)を超脱(ちょうだつ)し、普(あまね)く善慶(ぜんけい=善き慶び)を施(ほどこ)し、謄録(とうろく)し過(お)えし経文(きょうぶん)を将(も)ちて、天下(てんか)に伝布(でんぷ)するは題(だい)せず。
さて八大金剛(はちだいこんごう)を説(い)わん。香風(こうふう)に駕(が)し、長老(ちょうろう)の四衆(ししゅ)を引(ひ)き、馬(うま)を連(つら)ねて五口(ごこう=五つ)、復(ま)た霊山(れいざん)に転(てん)じ回(かえ)る。連(つら)なり去(ゆ)き連なり来(きた)るに、适(たまたま)八日(ようか)の内(うち)に在(あ)り。この時(とき)霊山(れいざん)の諸神(しょしん)は、都(みな)仏(ほとけ)の前(まえ)に在りて講(こう)を聴(き)く。
八金剛(はちこんごう)彼(かれ)が師徒(してい)を引(ひ)きて進(い)り入(い)り、如来(にょらい)に対(むか)いて道(いわ)く、「弟子(でし)先(さき)に金旨(きんし)を奉(ほう)じ、聖僧(せいそう)等(ら)を駕送(がそう)して、すでに唐国(とうこく)に到(いた)り、経(きょう)を将(も)ちて交納(こうのう)し了(おわ)れり。今(いま)特に旨(むね)を繳(かえ)さん」と。遂(つい)に唐僧(とうそう)等(ら)を叫(よ)び近(ちか)づき前(まえ)に至(いた)らしめて職(しょく)を受(う)けしむ。如来(にょらい)道(いわ)く、
「聖僧(せいそう)、汝(なんじ)前世(ぜんせ)は元(もと)これ我(わ)が二(に)の徒(でし)にして、名(な)を金蝉子(きんせんじ)と喚(よ)べり。汝(なんじ)説法(せっぽう)を聴(き)かず、我(わ)が大教(たいきょう)を軽(かる)んじ慢(あなど)るに因(よ)り、故(ゆえ)に汝が真霊(しんれい=真の霊)を貶(へん)して、東土(とうど)に転生(てんしょう)せしめたり。今(いま)喜(よろこ)ぶべきかな皈依(きえ)して、我が迦持(かじ=加持)を秉(と)り、また吾(わ)が教(きょう)に乗(じょう)じて、真経(しんきょう)を取り去(さ)らるることを。甚(はなは)だ功果(こうか=功徳の果)有(あ)り。大職正果(だいしょくしょうか)に加升(かしょう)す。汝は旃檀功徳仏(せんだんくどくぶつ)と為(な)れ。
孫悟空(そんごくう)、汝天宮(てんきゅう)を大(おお)いに闘(たたか)いしに因(よ)り、吾(われ)甚深(じんじん)の法力(ほうりき)を以(も)って、五行山(ごぎょうざん)の下(もと)に圧(おさ)え置(お)けり。幸(さいわ)いに天災(てんさい)の満(み)つることを得(え)て、釈教(しゃくきょう)に帰(き)し、かつ喜(よろこ)ぶべきかな汝の悪(あく)を隠(かく)し善(ぜん)を揚(あ)げ、途中(とちゅう)に魔(ま)を煉(ね)り怪(かい)を降(くだ)して功(こう)有(あ)り、終(おわり)を全(まっと)うし始(はじめ)を全うす。大職正果(だいしょくしょうか)に加升(かしょう)す。汝は闘戦勝仏(とうせんしょうぶつ)と為(な)れ。
猪悟能(ちょごのう)、汝本(もと)これ天河水神(てんかすいしん)、天蓬元帥(てんぽうげんすい)なりしが、汝蟠桃会(ばんとうえ)の上(うえ)に在りて酒(さけ)に酗(あか)れ仙娥(せんが=仙女)を戯(たわむ)れしに因り、汝を下界(げかい)に貶(へん)して胎(たい)に投(とう)ぜしめ、身(み)畜類(ちくるい)の如(ごと)くならしめたり。幸(さいわ)いに汝人身(じんしん)を記(しる)し愛(あい)し、福陵山(ふくりょうざん)雲棧洞(うんさんどう)に在りて孽(げき=罪業)を造(つく)りしが、喜ぶべきかな大教(たいきょう)に帰(き)し、吾(わ)が沙門(しゃもん)に入(い)るを。聖僧を路(みち)に保(ほ)せしといえど、却(かえ)ってまた頑心(がんしん=頑な心)有り、色情(しきじょう)いまだ泯(ほろ)びず。汝担(に)を担(にな)いて功(こう)有るに因り、汝が職(しょく)を加升して正果(しょうか)と做(な)す。浄壇使者(じょうだんししゃ)と做(な)れ」
と。八戒(はっかい)口(くち)の中(うち)に嚷(わめ)いて道(いわ)く、「彼(かれ)ら都(みな)仏(ほとけ)と成(な)るに、如何(いか)してか我(われ)を把(と)りて箇(ひとつ)の浄壇使者(じょうだんししゃ)と做すや」と。如来道(いわ)く、
「汝が口(くち)壮(さかん)に身(み)慵(ものう)く、食腸(しょくちょう)寛大(かんだい)なるに因る。けだし天下(てんか)四大部洲(しだいぶしゅう)に、吾が教(きょう)を瞻仰(せんぎょう)する者(もの)甚(はなは)だ多(おお)し。凡(およ)そ諸(もろもろ)の仏事(ぶつじ)に、汝に浄壇(じょうだん)を教(おし)うるは、乃(すなわ)ちこれ箇(ひとつ)の受用(じゅよう=享け得)の有る品級(ひんきゅう=位階)なり。如何(いか)でか好(よ)からざらんや!
沙悟浄(さごじょう)、汝本(もと)これ巻簾大将(けんれんだいしょう)なりしが、先(ま)ず蟠桃会(ばんとうえ)の上(うえ)に在りて玻璃盞(はりさん)を打(う)ち砕(くだ)きしに因り、汝を下界(げかい)に貶せしに、汝流沙河(るさが)に落(お)ち、生(いのち)を傷(そこな)い人(ひと)を食(くら)いて孽(げき)を造(つく)れり。幸いに吾が教(きょう)に皈(き)し、誠(まこと)に敬(けい)して迦持(かじ)し、聖僧を保護(ほご)し、山(やま)に登(のぼ)り馬(うま)を牽(ひ)くの功有るに因り、大職正果(だいしょくしょうか)に加升す。金身羅漢(こんしんらかん)と為れ」
と。また那(かの)白馬(はくば)を叫(よ)んで道(いわ)く、
「汝本これ西洋大海(せいようたいかい)広晋龍王(こうしんりゅうおう)の子(こ)なり。汝父命(ふめい)に違逆(いぎゃく)して、不孝(ふこう)の罪(つみ)を犯(おか)すに因り、幸いに皈身(きしん)皈法(きほう)を得(え)て、我が沙門(しゃもん)に皈(き)せり。毎日家(ひごろ)汝の聖僧を載(の)し負(お)いて西(にし)に来(きた)るに虧(よ)り、また汝の聖経(せいきょう)を馱し負いて東(ひがし)に去(ゆ)くに虧(よ)れり。また功有る者(もの)なれば、汝が職を加升して正果(しょうか)と做す。八部天龍馬(はちぶてんりゅうば)と為れ」
と。長老(ちょうろう)四衆(ししゅ)倶(みな)各(おのおの)叩頭(こうとう)して恩(おん)を謝(しゃ)す。馬また恩(おん)を謝(しゃ)し訖(おわ)り、なお掲諦(かいたい)に命(めい)じて馬を引いて霊山の後崖(こうがい=裏の崖)の化龍池(かりゅうち)の辺(ほとり)に下(お)らしめ、馬を将(も)ちて池(いけ)の中(うち)に推(お)し入らしむ。須臾(しばらく)の間(あいだ)に、かの馬一箇(ひとつ)の展身(てんしん)を打(う)つや、すなわち毛皮(もうひ)を退(しりぞ)け、頭角(とうかく=頭と角)を換(か)え、渾身(こんしん=全身)の上に金鱗(きんりん=金の鱗)を長(お)い起(おこ)し、腮頷(さいがん=頬と顎)の下(もと)に銀鬚(ぎんしゅ=銀の髯)を生(しょう)じ出(いだ)し、一身(いっしん)の瑞気(ずいき)、四爪(しそう)の祥雲(しょううん)、化龍池(かりゅうち)を飛(と)び出(い)で、山門(さんもん)の裡(うち)の擎天華表柱(けいてんかひょうちゅう)の上を盤繞(ばんじょう)る。諸仏(しょぶつ)如来の大法(だいほう)を讃揚(さんよう)す。
孫行者(そんぎょうじゃ)却(かえ)ってまた唐僧(とうそう)に対(むか)いて道(いわ)く、
「師父(しふ)、この時(とき)我(われ)すでに仏と成(な)り、汝と一般(おなじ)し。莫成(まさか)なお金箍児(きんこじ=金の箍)を戴(いただ)き、汝なお甚(なん)の『緊箍呪(きんこじゅ)』をか念(ねん)じて我を掯勒(こうろく=苦しめ縛)ること有らんや。早(はや)きに趁(じゅん)じて箇の松箍児呪(しょうこじゅ)を念(ねん)じて、脱(ぬ)ぎ下(おろ)して、打ちて粉碎(ふんさい)と為し、切(きっ)と那(かの)甚(なん)の菩薩(ぼさつ)をしてまた去きて他人(たにん)を捉弄(とらわれあそ)ばしむるを叫(よ)ぶ莫(な)かれ」
と。唐僧道(いわ)く、「当時(そのかみ)ただ汝の管(かん)し難(がた)きが為(ため)にのみ、故(ゆえ)にこの法(ほう)を以(も)ってこれを制(せい)せり。今すでに仏と成れば、自然(おのずか)ら去(さ)れり。豈(あ)になお汝が頭(こうべ)の上に在(あ)るの理(ことわり)有らんや!汝試(こころ)みに摸(さす)りて看(み)よ」と。行者(ぎょうじゃ)手(て)を挙(あ)げて去きて一(ひと)と摸(さす)るに、果(は)たしてこれ無(な)し。
この時旃檀仏(せんだんぶつ)・闘戦仏(とうせんぶつ)・浄壇使者・金身羅漢(こんしんらかん)倶(みな)正果して本位(ほんい)に就(つ)き、天龍馬(てんりゅうば)また自(おのずか)ら真(しん)に帰(かえ)る。詩(し)有りて証(あかし)と為す。詩(し)に曰(いわ)く、
一体(いったい)の真如(しんにょ)転(てん)じて塵(じん)に落(お)ち、四相(しそう)を合和(ごうわ)して復(ま)た身を修(おさ)む。
五行(ごぎょう)色(しき)を論(ろん)じて空(くう)に還(かえ)り寂(じゃく)なり、百怪(ひゃっかい)の虚名(きょめい)は総(すべ)て論(ろん)ずる莫(な)かれ。
正果の旃檀(せんだん)は大覚(だいかく)に皈し、品職(ひんしょく)を完成(かんせい)して沈淪(ちんりん=沈み溺れ)を脱(だっ)す。
経(きょう)天下(てんか)に伝(つた)わりて恩光(おんこう)闊(ひろ)く、五聖(ごせい)高(たか)く不二門(ふにもん)に居(きょ)す。
と。
五聖(ごせい)の果位(かい)に就(つ)くの時、諸衆(しょしゅう)の仏祖(ぶっそ)・菩薩(ぼさつ)・聖僧(しょうそう)・羅漢(らかん)・掲諦(かいたい)・比丘(びく)・優婆夷塞(うばいそく)、各山各洞(かくざんかくどう)の神仙(しんせん)・大神(だいしん)・丁甲(ていこう)・功曹(こうそう)・伽藍(がらん)・土地(どじ)、一切(いっさい)の道(どう)を得たる師仙(しせん)、始(はじ)め倶(みな)来りて講(こう)を聴きしが、ここに至(いた)りて各(おのおの)方位(ほうい)に帰(かえ)る。汝看(み)よ、かの
霊鷲峰(りょうじゅほう)の頭(いただき)に霞彩(かさい=霞の彩)聚(あつま)り、極楽世界(ごくらくせかい)に祥雲(しょううん)集(つど)う。
金龍(きんりゅう)穩(やすらか)に臥(ふ)し、玉虎(ぎょくこ)安然(あんぜん)たり。
烏兔(うと=烏と兎)任随(にんずい=随に任)せて来往(らいおう)し、亀蛇(きだ)汝の盤旋(ばんせん=巡り)るに任(まか)す。
丹鳳(たんぽう)・青鸞(せいらん)情(じょう)爽爽(そうそう)として、玄猿(げんえん)・白鹿(はくろく)意(い)怡怡(いい)たり。
八節(はっせつ)の奇花(きか)、四時(しじ)の仙果(せんか)。
喬松(きょうしょう)・古檜(こかい)、翠柏(すいはく)・修篁(しゅうこう)。
五色梅(ごしきばい)時に開(ひら)き時に結(むす)び、万年桃(まんねんとう)時に熟(じゅく)し時に新(あらた)なり。
千果千花(せんかせんか)秀(ひいで)を争(あらそ)い、一天(いってん)の瑞靄(ずいあい)紛紜(ふんうん)たり。
と。大衆(だいしゅ)掌(て)を合(あ)わせて皈依(きえ)し、都念ず、
「南無燃灯上古仏(なむねんとうじょうこぶつ)。
南無薬師瑠璃光王仏(なむやくしるりこうおうぶつ)。
南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)。
南無過去未来現在仏(なむかこみらいげんざいぶつ)。
南無清浄喜仏(なむしょうじょうきぶつ)。
南無毗盧尸仏(なむびるしぶつ)。
南無宝幢王仏(なむほうどうおうぶつ)。
南無弥勒尊仏(なむみろくそんぶつ)。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。
南無無量寿仏(なむむりょうじゅぶつ)。
南無接引帰真仏(なむせついんきしんぶつ)。
南無金剛不壊仏(なむこんごうふえぶつ)。
南無宝光仏(なむほうこうぶつ)。
南無龍尊王仏(なむりゅうそんのうぶつ)。
南無精進善仏(なむしょうじんぜんぶつ)。
南無宝月光仏(なむほうげっこうぶつ)。
南無現無愚仏(なむげんむぐぶつ)。
南無婆留那仏(なむばるなぶつ)。
南無那羅延仏(なむならえんぶつ)。
南無功徳華仏(なむくどくけぶつ)。
南無才功徳仏(なむざいくどくぶつ)。
南無善遊步仏(なむぜんゆうほぶつ)。
南無旃檀光仏(なむせんだんこうぶつ)。
南無摩尼幢仏(なむまにどうぶつ)。
南無慧炬照仏(なむえこしょうぶつ)。
南無海徳光明仏(なむかいとくこうみょうぶつ)。
南無大慈光仏(なむだいじこうぶつ)。
南無慈力王仏(なむじりきおうぶつ)。
南無賢善首仏(なむけんぜんしゅぶつ)。
南無広主厳仏(なむこうしゅごんぶつ)。
南無金華光仏(なむこんかこうぶつ)。
南無才光明仏(なむざいこうみょうぶつ)。
南無智慧勝仏(なむちえしょうぶつ)。
南無世静光仏(なむせいじょうこうぶつ)。
南無日月光仏(なむにちげっこうぶつ)。
南無日月珠光仏(なむにちげっしゅこうぶつ)。
南無慧幢勝王仏(なむえとうしょうおうぶつ)。
南無妙音声仏(なむみょうおんじょうぶつ)。
南無常光幢仏(なむじょうこうどうぶつ)。
南無観世灯仏(なむかんぜいとうぶつ)。
南無法勝王仏(なむほっしょうおうぶつ)。
南無須弥光仏(なむしゅみこうぶつ)。
南無大慧力王仏(なむだいえりきおうぶつ)。
南無金海光仏(なむこんかいこうぶつ)。
南無大通光仏(なむだいつうこうぶつ)。
南無才光仏(なむざいこうぶつ)。
南無旃檀功徳仏(なむせんだんくどくぶつ)。
南無闘戦勝仏(なむとうせんしょうぶつ)。
南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)。
南無大勢至菩薩(なむだいせいしぼさつ)。
南無文殊菩薩(なむもんじゅぼさつ)。
南無普賢菩薩(なむふげんぼさつ)。
南無清浄大海衆菩薩(なむしょうじょうだいかいしゅぼさつ)。
南無蓮池海会仏菩薩(なむれんちかいえぶつぼさつ)。
南無西天極楽諸菩薩(なむせいてんごくらくしょぼさつ)。
南無三千掲諦大菩薩(なむさんぜんかいたいだいぼさつ)。
南無五百阿羅大菩薩(なむごひゃくあらだいぼさつ)。
南無比丘夷塞尼菩薩(なむびくいそくにぼさつ)。
南無無辺無量法菩薩(なむむへんむりょうほうぼさつ)。
南無金剛大士聖菩薩(なむこんごうだいししょうぼさつ)。
南無浄壇使者菩薩(なむじょうだんししゃぼさつ)。
南無八宝金身羅漢菩薩(なむはっぽうこんしんらかんぼさつ)。
南無八部天龍広力菩薩(なむはちぶてんりゅうこうりきぼさつ)」
と。
是(かく)の如(ごと)き等の一切世界(いっさいせかい)の諸仏(しょぶつ)、願(ねが)わくはこの功徳(くどく)を以って、仏浄土(ぶつじょうど)を荘厳(しょうごん)せん。上(かみ)は四重(しじゅう)の恩を報(ほう)じ、下(しも)は三途(さんず)の苦(くるしみ)を済(すく)わん。
もし見聞(けんもん)する者有らば、悉(ことごと)く菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)さん。同(とも)に極楽国(ごくらくこく)に生(しょう)じて、尽(ことごと)くこの一身(いっしん)を報(ほう)ぜん。
十方三世(じっぽうさんぜ)の一切仏(いっさいぶつ)、諸尊菩薩摩訶薩(しょそんぼさつまかさつ)、摩訶般若波羅密(まかはんにゃはらみつ)。
と。
『西遊記(さいゆうき)』ここに至りて終(おわ)る。