詩(し)に曰く、
百歳(ひゃくさい)の光陰(こういん)は水(みず)の流(なが)るるが似(ごと)し、
一生(いっしょう)の事業(じぎょう)は浮漚(ふこう=水泡)に等(ひと)し。
昨朝(さくちょう)は面(おもて)の上(うえ)に桃花(とうか)の色(いろ)、
今日(こんにち)は頭(かしら)の辺(ほとり)に雪片(せっぺん)浮(う)かぶ。
白蟻(はくぎ)の陣(じん)残(のこ)りて方(はじ)めてこれ幻(まぼろし)、
子規(しき)の声(こえ)切(せつ)にして頭(こうべ)を回(めぐ)らさんとす。
古来(こらい)陰騭(いんしつ)は能(よ)く寿(じゅ)を延(の)べし、
善(ぜん)は憐(あわ)れみを求(もと)めずして天(てん)自(おの)ずから周(あまね)し。
と。
話(かたり)に表(あらわ)す、かの太宗(たいそう)、渺渺茫茫(びょうびょうぼうぼう=茫漠として果てなきさま)として、魂霊(こんれい=霊魂)径(ただ)ちに五鳳楼(ごほうろう)の前(まえ)を出(い)づ。ただ見れば、かの御林軍馬(ごりんぐんば)、大駕(たいが)を請(しょう)じて朝(ちょう)を出(い)で、采猟(さいりょう=狩り)に赴(おもむ)かんとす。太宗(たいそう)、欣然(きんぜん)としてこれに従(したが)い、縹緲(ひょうびょう=かすか)として去(さ)る。行(ゆ)くこと多時(たじ)にして、人馬(じんば)俱(とも)に無(な)し。独(ひと)り箇(ひとり)のみ、荒郊(こうこう)・草野(そうや)の間(あいだ)に散歩(さんぽ)す。正(まさ)に驚惶(きょうこう)して道路(どうろ)を尋(たず)ね難(がた)きに、ただ見よ、かの一辺(いっぺん=彼方)に、一人(ひとり)有りて声を高(たか)うし大(おお)いに叫(さけ)んで曰く、「大唐(だいとう)の皇帝(こうてい)、此処(ここ)へ来(きた)れ!此処(ここ)へ来(きた)れ!」と。太宗(たいそう)、言(げん)を聞(き)きて頭(こうべ)を挙(あ)げ観(み)れば、ただ見よ、かの人(ひと):
頭(かしら)に烏紗(うしゃ)を頂(いただ)き、腰(こし)に犀角(さいかく)を囲(めぐ)らす。
頭に烏紗(うしゃ)を頂(いただ)きて軟帯(なんたい)飄(ひるがえ)り、
腰に犀角(さいかく)を囲(めぐ)らして金廂(きんしょう)顕(あら)わる。
手(て)に牙笏(がこつ)を擎(ささ)げて祥靄(しょうあい=瑞雲)凝(こ)り、
身(み)に羅袍(らほう)を着(つ)けて瑞光(ずいこう=瑞の光)隠(かく)る。
脚(あし)に一双(いっそう)の粉底靴(ふんていか)を踏(ふ)み、雲(くも)に登(のぼ)り霧(きり)を促(うなが)し、
懐(ふところ)に一本(いっぽん)の生死簿(せいしぼ)を揣(いだ)き、存亡(そんぼう)を注定(ちゅうじょう)。
鬢髪(びんぱつ=鬢の髪)蓬松(ほうしょう=乱れ蓬)として耳(みみ)の上(うえ)に飄(ひるがえ)り、
胡鬚(こしゅ=髭)飛舞(ひぶ)して腮(あご)の旁(かたわら)を繞(めぐ)る。
昔日(せきじつ=むかし)は曾(かつ)て唐国(とうこく)の相(しょう=宰相)たりしも、
如今(にょこん=いま)は案(あん)を掌(つかさど)りて閻王(えんおう)に侍(じ)す。
太宗(たいそう)、彼方(かなた)に行(ゆ)き到(いた)れば、ただ見よ、かれ路傍(ろぼう)に跪拝(きはい)して、口(くち)に「陛下(へいか)、臣(しん)が失誤(しつご=手違い)遠迎(えんげい)の罪(つみ)を赦(ゆる)されよ!」と称(しょう)す。太宗(たいそう)問(と)うて曰く、「汝(なんじ)はこれ何人(なんぴと)ぞ。何(なん)の事(こと)に因(よ)りて前(まえ)に来(きた)り接拝(せっぱい)するや」と。かの人(ひと)曰く、「微臣(びしん=拙者)は半月前(はんげつまえ)に、森羅殿(しんらでん)の上(うえ)に在(あ)りて、涇河(けいが)の鬼龍(きりゅう)の、陛下(へいか)の許救(きょきゅう)反誅(はんちゅう)の故(ゆえ)を告(つ)ぐるを見(み)たり。第一殿(だいいちでん)の秦広大王(しんこうだいおう)、即(すなわ)ち鬼使(きし)を差(さ)し向(む)けて陛下(へいか)を催請(さいせい)し、三曹(さんそう=天・地・人の三つの官署)の対案(たいあん)を要(よう)す。臣(しん)は既にこれを知(し)れり、故(ゆえ)に此間(ここ)に来(きた)りて候接(こうせつ)。期(き)せざりき、今日来(きた)ること遅(おそ)きとは。願(ねが)わくは乞(こ)う、罪(つみ)を恕(ゆる)されよ、罪(つみ)を恕(ゆる)されよ」と。太宗(たいそう)曰く、「汝(なんじ)が姓(せい)は甚(なん)と名(な)づけ、誰(たれ)ぞ。これ何(なん)の官職(かんしょく)ぞ」と。かの人(ひと)曰く、「微臣(びしん)の存日(ぞんじつ)には、陽曹(ようそう=この世)に在(あ)りて先君(せんくん=先の君)の駕前(がぜん=御前)に侍(じ)し、茲州(じしゅう)の令(れい=長官)と為(な)り、後(のち)に礼部侍郎(れいぶじろう)を拝(はい=拝命)せられき。姓(せい)は崔(さい)、名(な)は珏(かく)。今(いま)陰司(いんし=冥府)に在(あ)りて、酆都(ほうと)の掌案判官(しょうあんはんがん=書類を掌る判官)を受(う)けたり」と。太宗(たいそう)大いに喜(よろこ)び、即(すなわ)ち近(ちか)づき御手(おんて=帝の手)を以(もっ)て忙(いそ)ぎて攙(たす)け起(おこ)して曰く、「先生(せんせい)、遠労(えんろう)なり。朕(ちん)が駕前(がぜん)の魏徴(ぎちょう)に、書(ふみ)一封(いっぷう)有り、正(まさ)に先生(せんせい)に寄(よ)せんとせしに、却(かえっ)て好(よ)く相(あい)遇(あ)えり」と。判官(はんがん)、恩(おん)を謝(しゃ)して、書(ふみ)の何処(いずく)に在(あ)るやを問(と)う。太宗(たいそう)即(すなわ)ち袖中(しゅうちゅう=袖の中)より取(と)り出(いだ)して渡(わた)し与(あた)う。崔珏(さいかく)、拝(はい)して接(う)け了(おわ)り、封(ふう)を拆(ひら)きて看(み)る。其(そ)の書(ふみ)に曰く:
「辱(かたじけな)き愛弟(あいでい)魏徴(ぎちょう)、頓首(とんしゅ)し書(しょ)を拝(はい)して、大都案(だいとあん)契兄(けいけい)崔老先生(さいろうせんせい)の台下(たいか=尊前)に奉(ほう)ず:
憶(おも)えば昔(むかし)の交遊(こうゆう=交わり)、音容(おんよう=声と姿)なお在(あ)るが如(ごと)し。
倏爾(しゅくじ)として数載(すうさい=幾年)、清教(せいきょう)を聞(き)かず。
常(つね)にただこれ節令(せつれい=節句)に遇(あ)う毎(ごと)に蔬品(そひん)を設(もう)けて祭(まつ)りを奉(ほう)ずるのみ、未(いま)だ享(う)くるや否(いな)やを卜(ぼく)せず。
また棄(す)てられざるを承(う)け、夢中(むちゅう)に臨示(りんじ)ありて、始(はじ)めて我(わ)が兄長(けいちょう)大人(たいじん)の高遷(こうせん=栄転)を知(し)れり。
奈何(いかん)せん、陰陽(いんよう=冥と現)両(ふたつ)ながら隔(へだ)たり、天各(おのおの)一方(いっぽう)、面覿(めんてき)すること能(あた)わず。
今我(わ)が太宗文皇帝(たいそうぶんこうてい)の倏然(しゅくぜん=にわか)として故(ゆえ)ありしに因(よ)り、料(はか)るにこれ三曹(さんそう)に対案(たいあん)し、必然(ひつぜん)ず兄長(けいちょう)と相(あい)会(かい)するを得(う)べし。
万(よろず)祈(いの)らくは生日(せいじつ)の交情(こうじょう)を俯念(ふねん)し、方便(ほうべん=便宜)一二(いちに)を図(はか)り、我(わ)が陛下(へいか)をして陽(よう=この世)に回(かえ)らしめ給(たま)わば、殊(こと)に愛(め)でたきかな。
容(ゆる)して再(ふたた)び修謝(しゅうしゃ)せん。不尽(ふじん)。」
と。
かの判官(はんがん)、書(ふみ)を看(み)て了(おわ)り、満心(まんしん)歓喜(かんき)して曰く、「人曹官魏徴(じんそうかんぎちょう=人間界の役人たる魏徴)の、前日(ぜんじつ)夢中(むちゅう)に老龍(ろうりゅう)を斬(き)りし一事(いちじ)は、臣既に早(はや)くこれを知(し)り、甚(はなは)だこれ誇奬(こしょう)して尽(つ)きざるところなり。またかれが早晚(ちょうばん)臣が子孫(しそん)を看顧(かんこ=顧みる)するを蒙(こうむ)れり。今日既(すで)に書(ふみ)の来(きた)る有れば、陛下(へいか)は心(こころ)を寛(くつろ)げさせられよ、微臣(びしん)は管(かなら)ず陛下(へいか)を送(おく)りて陽(よう)に還(かえ)し、重(かさ)ねて玉闕(ぎょっけつ)に登(のぼ)らしめん」と。太宗(たいそう)、称謝(しょうしゃ)し了(おわ)る。
二人(ふたり)正(まさ)に説(と)き語(かた)る間に、ただ見よ、かの彼方(かなた)に一対(いっつい)の青衣童子(せいいどうじ)有り、幢幡(どうばん=幢と幡)・宝蓋(ほうがい)を執(と)り、高(たか)く叫んで曰く、「閻王(えんおう)の請(しょう)あり、請(しょう)あり」と。太宗(たいそう)遂(つい)に崔判官(さいはんがん)と並(なら)びて二童子(どうじ)と共(とも)に歩(あゆみ)を挙げて前進(ぜんしん)す。忽(たちま)ち一座(ひとつ)の城(しろ)を見(み)る、城門(じょうもん)の上(うえ)に一面(いちめん)の大牌(だいはい)を掛(か)け、上(うえ)に「幽冥地府鬼門関(ゆうめいちふきもんかん)」の七箇(ななつ)の大金字(だいきんじ)を写(うつ)せり。かの青衣(せいい)、幢幡(どうばん)をもって揺(ゆ)り動(うご)かし、太宗(たいそう)を引(ひ)きて径(ただ)ちに城中(じょうちゅう)に入(い)らしめ、街(まち)に順(したが)いて走(はし)る。ただ見よ、かの街(まち)の旁(かたわら)に先主李淵(せんしゅりえん)・先兄建成(せんけいけんせい)・故弟元吉(こていげんきつ)有りて、上(すす)み前(まえ)に出(い)でて曰く、「世民(せいみん)来(きた)れり!世民(せいみん)来(きた)れり!」と。かの建成(けんせい)・元吉(げんきつ)は即(すなわ)ち来(きた)りて揪(ひっつか)み打(う)ちて命(いのち)を索(もと)む。太宗(たいそう)、避(さ)けんと欲(ほっ)するも及(およ)ばず、かれに扯(ひ)き住(とど)めらる。幸(さいわ)いに崔判官(さいはんがん)の、一(ひとり)の青面獠牙(せいめんろうが=青い顔に牙むき出し)の鬼使(きし)を喚(よ)び、建成(けんせい)・元吉(げんきつ)を喝退(かったい)せしむる有りて、太宗(たいそう)方(はじ)めて身(み)を脱(のが)れて去(さ)るを得(え)たり。行(ゆ)くこと数里(すうり)ならずして、一座(ひとつ)の碧瓦楼台(へきがろうだい)を見(み)る、真箇(まこと)に壮麗(そうれい)たり。但(た)だ見よ:
飄飄(ひょうひょう)として万迭(ばんじょう)彩霞(さいか)堆(つみ)かさなり、
隠隠(いんいん)として千条(せんじょう=千筋)紅霧(こうむ=赤い霧)現(あら)わる。
耿耿(こうこう)として檐(のき)は獣頭(じゅうとう=獣の頭)を飛(とば)し、
輝輝(きき)として瓦(かわら)は鴛鴦片(えんおうへん)を迭(かさ)ぬ。
門(もん)には幾路(いくすじ)かの赤金釘(せっきんてい)を鑽(うが)ち、
檻(てすり)には一横(ひとよこ)の白玉段(はくぎょくだん)を設(もう)く。
窗牖(そうゆう=窓)は光(ひかり)に近(ちか)づきて暁烟(ぎょうえん=朝もや)を放(はな)ち、
簾櫳(れんろう=すだれ)は幌亮(こうりょう)きて紅電(こうでん=赤い光)を穿(うが)つ。
楼台(ろうだい)高く聳(そび)えて青霄(せいしょう=青空)に接(せっ)し、
廊廡(ろうぶ=廊下)平(たい)らかに排(なら)びて宝院(ほういん=宝の院)に連(つら)なる。
獣鼎(じゅうてい)の香雲(こううん)は御衣(ぎょい=帝の衣)を襲(おそ)い、
絳紗(こうしゃ=紅の紗)の灯火(とうか)は宮扇(きゅうせん)を明(てら)す。
左辺(さへん)には猛烈(もうれつ)として牛頭(ごず)を擺(なら)べ、
右下(みぎした)には崢嶸(そうこう)として馬面(めず)を羅(つら)ぬ。
亡(ぼう)を接(むか)え鬼(おに)を送(おく)りて金牌(きんぱい=金の札)を転(めぐ)らし、
魄(たま)を引(ひ)き魂(たましい)を招(まね)いて素練(それん=白き絹)を垂(た)る。
喚(よ)んで陰司(いんし)総会門(そうかいもん=すべての集まる門)と作(な)し、
下方(かほう=下界)の閻老(えんろう=閻魔)の森羅殿(しんらでん)なり。
太宗(たいそう)正(まさ)に外面(がいめん=外の方)に在(あ)りて観(み)る処(ところ)に、ただ見よ、かの壁廂(へきしょう)に環珮(かんぱい)叮当(ていとう)、仙香(せんこう)奇異(きい)として、外(そと)に両対(りょうつい)の提燭(ていしょく)有り、後面(うしろ)には却(かえっ)てこれ十代閻王(じゅうだいえんおう=十代の冥王)の階(きざはし)を降(くだ)りて至(いた)るなり。かの十王(じゅうおう)はこれ秦広王(しんこうおう)・初江王(しょこうおう)・宋帝王(そうていおう)・仵官王(ごかんおう)・閻羅王(えんらおう)・平等王(びょうどうおう)・泰山王(たいざんおう)・都市王(としおう)・卞城王(べんじょうおう)・転輪王(てんりんおう)なり。十王(じゅうおう)、森羅宝殿(しんらほうでん)に出(い)で在(あ)りて、控背(こうはい)躬身(きゅうしん)、太宗(たいそう)を迎迓(げいが=迎える)す。太宗(たいそう)謙下(けんか)り、敢(あえ)て前(すす)み行(ゆ)かず。十王(じゅうおう)曰く、「陛下(へいか)はこれ陽間(ようかん=この世)の人王(にんのう=人の王)、我(われ)らはこれ陰間(いんかん=冥土)の鬼王(きおう=鬼の王)、分(ぶん)の当(あた)りて然(しか)る所(ところ)、何(なん)ぞ過(す)ぎて譲(ゆず)るを須(もち)いんや」と。太宗(たいそう)曰く、「朕(ちん)は麾下(きか)に罪を得(え)たり、豈(あ)に敢(あえ)て陰陽(いんよう)人鬼(じんき)の道(みち)を論(ろん)ぜんや」と。これを遜(ゆず)ること已(や)まず。太宗(たいそう)前(すす)みて行(ゆ)き、径(ただ)ちに森羅殿の上(うえ)に入(い)り、十王(じゅうおう)と礼(れい)を畢(おわ)り、賓主(ひんしゅ)を分(わか)ちて坐(ざ)し定(さだ)まる。
約(およ)そ片時(へんじ)有りて、秦広王(しんこうおう)手(て)を拱(こまね)きて進(すす)み言(げん)して曰く、「涇河(けいが)の鬼龍(きりゅう)、陛下(へいか)の救(すく)いを許(ゆる)しながら反(かえ)ってこれを殺(ころ)せしことを告(つ)ぐ、何(なん)ぞや」と。太宗(たいそう)曰く、「朕(ちん)は曾(かつ)て夜(よる)夢(ゆめ)に老龍(ろうりゅう)の救(すくい)を求(もと)むるに遇(あ)い、実(じつ)にこれかれに事(こと)無(な)からんことを允(ゆる)したり。期(き)せざりき、かれが罪を犯(おか)して刑(けい)に当(あた)り、我(わ)がかの人曹官魏徴(じんそうかんぎちょう)の処斬(しょざん=斬る)すべきに該(あた)れるを。朕(ちん)は魏徴(ぎちょう)を殿(でん)に宣(せん)して棋(ご)を着(う)たしむるも、かれが一夢(いちむ)にして斬(き)りしを知(し)らざりき。これかの人曹官(じんそうかん)の神機(しんき)を出没(しゅつぼつ=めぐら)せしなり、またこれかの龍王(りゅうおう)の罪を犯(おか)して死(し)に当(あた)れるなり、豈(あ)にこれ朕(ちん)が過(あやまち)ならんや」と。十王(じゅうおう)言(げん)を聞(き)き、伏礼(ふくれい)て曰く、「かの龍(りゅう)の未(いま)だ生(うま)れざる前(さき)より、南斗星(なんとせい)の死簿(しぼ)の上(うえ)に既に、人曹(じんそう)の手に遭(あ)い殺(ころ)さるべく注定(ちゅうじょう=定め記)されたり、我(われ)ら早(はや)く既にこれを知(し)れり。但(た)だただこれかれ此処(ここ)に在(あ)りて折弁(せつべん)、定(かなら)ず陛下(へいか)の此処に来(きた)るを要(よう)し、三曹(さんそう)対案(たいあん)せんとす。これ我(われ)らかれを輪蔵(りんぞう)に送(おく)り入れ、転生(てんしょう)して去(さ)らしめたり。今また陛下降臨(へいかこうりん)の労(ろう)有り、願(ねが)わくは乞(こ)う、我(われ)が催促(さいそく)の罪を恕(ゆる)されよ」と。
言(げん)畢(おわ)り、生死簿(せいしぼ)を掌(つかさど)る判官(はんがん)に命(めい)じて曰く、「急(いそ)ぎ簿子(ぼし=帳簿)を取(と)り来(きた)り、陛下(へいか)の陽寿(ようじゅ)・天禄(てんろく=天の禄)の該(あ)たる幾何(いくばく)なるかを看(み)よ」と。崔判官(さいはんがん)急(いそ)ぎ司房(しぼう)に転(うつ)り、天下万国(てんかばんこく)の国王(こくおう)の天禄総簿(てんろくそうぼ)をもって、先(ま)ず逐一(ちくいち)検閲(けんえつ)す。ただ見よ、南贍部洲(なんせんぶしゅう)大唐(だいとう)太宗皇帝(たいそうこうてい)の、貞観(じょうかん)一十三年(じゅうさんねん)と注定(ちゅうじょう)せるを。崔判官(さいはんがん)一驚(いっきょう)を吃(きっ)し、急ぎ濃墨(のうぼく)の大筆(だいひつ)を取り、「一(いち)」の字(じ)の上(うえ)に両画(りょうかく=二画)を添(そ)え、却(かえっ)て簿子(ぼし)をもって呈上(ていじょう)す。十王(じゅうおう)頭より一(ひと)とおり看(み)るに、太宗(たいそう)の名下(みょうか=名の下)に三十三年(さんじゅうさんねん)と注定(ちゅうじょう)せるを見(み)る。閻王(えんおう)驚(おどろ)き問(と)う、「陛下(へいか)の登基(とうき=即位)より幾(いく)年(とし)なりや」と。太宗(たいそう)曰く、「朕(ちん)位(くらい)に即(つ)きて、今一十三年(じゅうさんねん)なり」と。閻王曰く、「陛下(へいか)は心(こころ)を寛(くつろ)げ慮(おもんばか)る勿(な)かれ、なお二十年(にじゅうねん)の陽寿(ようじゅ)有り。この一(ひとたび)来(きた)れるは既に対案(たいあん)明白(めいはく)なり、請(こ)う、本(もと)に返(かえ)り陽(よう)に還(かえ)られよ」と。太宗(たいそう)言を聞き、躬身(きゅうしん)して称謝(しょうしゃ)す。十閻王(じゅうえんおう)、崔判官・朱太尉(しゅたいい)の二人(ふたり)を差(さ)し、太宗(たいそう)を送(おく)りて還魂(かんこん)せしむ。太宗(たいそう)、森羅殿を出(い)ずるに、また手を起して十王に問うて曰く、「朕(ちん)が宮中(きゅうちゅう)の老少(ろうしょう)は安否(あんぴ)如何(いかん)」と。十王曰く、「俱(とも)に安(やす)し。但(た)だ恐(おそ)らくは御妹(ぎょまい=帝の妹)、寿(じゅ)は永(なが)からざるに似(に)たり」と。太宗また再拝(さいはい)して啓謝(けいしゃ)、「朕(ちん)陽世(ようせ=この世)に回(かえ)らば、物(もの)の酬謝(しゅうしゃ)すべき無(な)し、惟(た)だ瓜果(かか)を答(こた)うるのみ」と。十王喜んで曰く、「我(わ)が処(ところ)に頗(すこぶ)る東瓜(とうか=冬瓜)・西瓜(せいか=すいか)有れど、ただ南瓜(なんか)を少(すくな)しとす」と。太宗曰く、「朕(ちん)回(かえ)り去(さ)れば即(すなわ)ち送(おく)り来(きた)らん、即(すなわ)ち送り来(きた)らん」と。此処より遂(つい)に相(あい)揖(ゆう)して別(わか)る。
かの太尉(たいい)一首(いっしゅ)の引魂幡(いんこんばん)を執り、前(まえ)に在(あ)りて路(みち)を引く。崔判官後(うしろ)に従(したが)いて太宗を保(ほ=守)し、径(ただ)ちに幽司(ゆうし=冥府)を出(い)づ。太宗目(め)を挙げて看(み)るに、旧路(きゅうろ)ならず、判官(はんがん)に問うて曰く、「この路(みち)は差(たが)えりや」と。判官(はんがん)曰く、「差(たが)えず。陰司(いんし)の裡(うち)はこの般(ごと)く、去(ゆ)く路有りて、来る路無(な)し。如今(にょこん=いま)陛下(へいか)を送りて『転輪蔵(てんりんぞう)』より出身(しゅっしん)せしむ、一(ひとつ)には請(こ)うて陛下(へいか)に地府(ちふ)を游観(ゆうかん=巡り見)せしめ、一(ひとつ)には陛下(へいか)をして転託(てんたく)超生(ちょうしょう)せしめんと教(おし)うればなり」と。太宗ただかれ両箇(ふたり)の、路を引きて前(まえ)に来るに随(したが)うを得(う)。
径(ただ)ちに数里(すうり)を行(ゆ)き、忽(たちま)ち一座(ひとつ)の高山(こうざん)を見(み)る、陰雲(いんうん)地(ち)に垂(た)れ、黒霧(こくむ)空(そら)を迷(まよ)わす。太宗曰く、「崔先生(さいせんせい)、かの廂(ほとり)はこれ什(なん)の山(やま)ぞ」と。判官(はんがん)曰く、「乃(すなわ)ち幽冥背陰山(ゆうめいはいいんざん=冥界の日の当たらぬ山)なり」と。太宗悚懼(しょうく)て曰く、「朕(ちん)如何(いか)にか去くを得(う)べき」と。判官(はんがん)曰く、「陛下は心(こころ)を寛げよ、臣等(しんら)の引率(いんそつ)有り」と。太宗戦戦兢兢(せんせんきょうきょう=おののき恐れ)として、二人(ふたり)に相(あい)随(したが)い、山岩(さんがん=岩山)の上に得(た)り登り、頭を挙げて観(み)る。ただ見よ:
形(かたち)多(おお)く凸凹(とつおう)、
勢(いきおい)更(さら)に崎嶇(きく=けわし)。
峻(けわ)しきこと蜀嶺(しょくれい=蜀の嶺)の如(ごと)く、
高きこと廬岩(ろがん)に似(に)たり。
陽世(ようせ)の名山(めいざん)に非(あら)ず、
実(じつ)に陰司(いんし)の険地(けんち)なり。
荊棘(けいきょく=いばら)叢叢(そうそう)て鬼怪(きかい)を蔵(かく)し、
石崖(せきがい=岩がけ)磷磷(りんりん)として邪魔(じゃま)を隠(かく)す。
耳畔(じばん)には獣鳥(じゅうちょう)の噪(さわ)ぐを聞かず、
眼前(がんぜん)には惟(た)だ鬼妖(きよう=鬼と妖)の行くを見(み)る。
陰風(いんぷう)颯颯(さつさつ)たり、黒霧(こくむ)漫漫(まんまん)たり。
陰風(いんぷう)颯颯(さつさつ)たるは、これ神兵(しんぺい)の口内(こうない)より哨(ふ)き来る烟(けむり)なり、
黒霧漫漫(まんまん)たるは、これ鬼祟(きすい)の暗中(あんちゅう)に噴(ふ)き出(いだ)す気(いき)なり。
一望(いちぼう)高低(こうてい)景色(けいしょく)無(な)く、
相(あい)看(み)る左右(さゆう)尽く猖亡(しょうぼう)。
彼処(そこ)には山もまた有り、峰(みね)もまた有り、嶺(みね)もまた有り、洞(ほら)もまた有り、澗(たに)もまた有るも、
ただこれ山は草(くさ)を生(しょう)ぜず、峰(みね)は天に插(さ)さず、嶺(みね)は客(かく)を行かしめず、洞(ほら)は雲を納(い)れず、澗(たに)は水(みず)を流(なが)さず。
岸前(がんぜん=岸の前)皆(みな)魍魎(もうりょう=山の精)、
嶺下(れいか=嶺の下)尽く神魔(しんま=神と魔)。
洞中(どうちゅう)には野鬼(やき)を収(おさ)め、
澗底(かんてい=谷底)には邪魂(じゃこん)を隠(かく)す。
山前山後(さんぜんさんご)、牛頭(ごず)・馬面(めず)乱(みだ)れて喧呼(けんこ)、
半掩半蔵(はんえんはんぞう=半ば隠れ半ば潜み)、餓鬼(がき)・窮魂(きゅうこん)時(とき)に対(むか)いて泣(な)く。
催命(さいめい)の判官(はんがん)、急急忙忙(きゅうきゅうぼうぼう)として信票(しんぴょう=召喚状)を伝(つた)え、
追魂(ついこん)の太尉(たいい)、吆吆喝喝(ようようかつかつ)て公文(こうぶん)を趲(はや)む。
急脚子(きゅうきゃくし)は、旋風(せんぷう)滾滾(こんこん)たり、
勾司人(こうしじん)は、黒霧紛紛(ふんぷん)たり。
太宗全(まった)くかの判官(はんがん)の保護(ほご)に靠(よ)り、陰山(いんざん)を過(す)ぐ。
前進(ぜんしん)して、また許多(あまた)の衙門(がもん=役所)を歴(へ)るに、一処一処(ひとところひとところ)俱にこれ悲声(ひせい)の耳(みみ)を振(ふる)わし、悪怪(あっかい)の心(こころ)を驚かす。太宗また曰く、「これはこれ何処(いずこ)ぞ」と。判官(はんがん)曰く、「これはこれ陰山(いんざん)の背後(はいご)の十八層地獄(じゅうはっそうじごく)なり」と。太宗曰く、「これ那(いず)れの十八層(じゅうはっそう)ぞ」と。判官曰く、「汝(なんじ)我が説(と)くを聴(き)け:
吊筋獄(ちょうきんごく)、幽枉獄(ゆうおうごく)、火坑獄(かこうごく)、
寂寂寥寥(せきせきりょうりょう)、煩煩悩悩(はんはんのうのう)、
尽く皆(みな)これ生前(せいぜん)に千般(せんぱん)の業(ごう)を作(な)し下(おろ)し、
死後(しご)通(み)な来りて罪名(ざいみょう)を受(う)くるなり。
酆都獄(ほうとごく)、抜舌獄(ばつぜつごく)、剥皮獄(はくひごく)、
哭哭啼啼(こくこくていてい)、凄凄惨惨(せいせいさんさん)、
ただ不忠不孝(ふちゅうふこう)天理(てんり)を傷(そこな)い、仏口蛇心(ぶっくじゃしん=仏の口に蛇の心)にてこの門に堕(お)つるに因(よ)る。
磨挨獄(まあいごく)、碓搗獄(たいとうごく)、車崩獄(しゃほうごく)、
皮開肉綻(ひかいにくたん)、抹嘴咨牙(まっししが)、
乃(すなわ)ちこれ心(こころ)を瞞(あざむ)き己(おのれ)を昧(くら)まして公道(こうどう)ならず、
巧語花言(こうごかげん)暗(あん)に人(ひと)を損(そこな)うなり。
寒氷獄(かんひょうごく)、脱殻獄(だっかくごく)、抽腸獄(ちゅうちょうごく)、
垢面蓬頭(こうめんほうとう=汚れし面に乱れ髪)、愁眉皺眼(しゅうびしゅうがん=愁いし眉に皺よる目)、
都(すべ)てこれ大斗小秤(だいとしょうしょう=大きます小さはかり)にて痴蠢(ちしゅん)を欺(あざむ)き、
災屯(さいてん=災難)をして累(るい=累禍)を自身(じしん)に致(いた)さしむるなり。
油鍋獄(ゆかごく)、黑暗獄(こくあんごく)、刀山獄(とうざんごく)、
戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)、悲悲切切(ひひせつせつ)、
皆(みな)強暴(きょうぼう=暴虐)の良善(りょうぜん=善き者)を欺(あざむ)くに因(よ)り、
頭を蔵(かく)し頸(くび)を縮(ちぢ)めて苦(くる)しく伶仃(れいてい)なるなり。
血池獄(けっちごく)、阿鼻獄(あびごく)、秤杆獄(しょうかんごく)、
脱皮露骨(だっぴろこつ)、折臂断筋(せっぴだんきん)、
またただ財(たから)を謀(はか)り命(いのち)を害(そこな)い、畜(ちく)を宰(ほふ)り生(いのち)を屠(ほふ)るが為(ため)のみ、
堕落(だらく)すること千年(せんねん)も釈(と)き解(あか)し難(がた)く、沈淪(ちんりん)すること永世(えいせい)に身(み)を翻(かえ)さず。
一箇一箇(ひとりひとり)緊縛牢拴(きんばくろうせん=きつく縛られ)られ、縄(なわ)に纏(まと)われ索(つな)に綁(しば)られ、
些(ちっと)の赤髪鬼(せきはつき)・黒臉鬼(こくれんき)を差(さ)し向け、長槍短剣(ちょうそうたんけん)を執らしめ、
牛頭鬼(ごずき)・馬面鬼(めずき)には、鉄簡(てっかん=鉄の笏)・銅錘(どうすい=銅の槌)を持(た)しめ、
ただ打(う)ちて皺眉苦面(しゅうびくめん=眉を寄せ苦しき面)血(ち)淋淋(りんりん)たらしめ、
地を叫(よ)び天を叫ぶも救応(きゅうおう)無(な)からしむ。
正(まさ)にこれ人生(じんせい)却(かえっ)て心(こころ)を把(と)りて欺(あざむ)く莫(な)かれ、
神鬼(しんき)昭彰(しょうしょう=明らか)にして誰(たれ)か過(ゆる)されん。
善悪(ぜんあく)到頭(とうとう)終(つい)に報(むくい)有り、
ただ来るの早(はや)き与(と)遅きを争(あらそ)うのみ。」
と。
太宗説(と)くを聴(き)き了(おわ)り、心中(しんちゅう)驚惨(きょうさん)。
進(すす)み前(まえ)にまた走ること多時(たじ)ならず、一伙(ひとくみ=一群)の鬼卒(きそつ=鬼の卒)の、各(おのおの)幢幡(どうばん)を執り、路傍(ろぼう)に跪(ひざまず)き下(くだ)りて曰く、「橋梁使者(きょうりょうししゃ)来り接(むか)う」と。判官喝令(かつれい)して起(た)ち去(さ)らしめ、上(すす)み前に出(い)でて太宗を引き、金橋(きんきょう=金の橋)より過(わた)る。太宗また見よ、かの一辺(いっぺん)に一座(ひとつ)の銀橋(ぎんきょう=銀の橋)有り、橋(はし)の上に幾箇(いくたり)かの忠孝賢良(ちゅうこうけんりょう=忠孝・賢良)の輩(ともがら)・公平正大(こうへいせいだい)の人行(ゆ)き、亦(ま)た幢幡(どうばん)の接引(せついん)する有り。かの壁廂(へきしょう)にまた一橋(ひとつばし)有り、寒風(かんぷう)滾滾(こんこん)として、血浪(けつろう)滔滔(とうとう)として、号泣(ごうきゅう)の声絶(た)えず。太宗問うて曰く、「那(か)の座(ひとつ)の橋(はし)はこれ何の名色(みょうしょく=名)ぞ」と。判官曰く、「陛下、那(か)れを喚(よ)んで奈河橋(なかばし)と作(な)す。若(も)し陽間(ようかん)に到(いた)らば、切(きっ)し須(かなら)ず伝記(でんき=記し伝う)せられよ。那(か)の橋の下(した)は都てこれ些(これら)の:
奔流(ほんりゅう)浩浩(こうこう)の水、
険峻(けんしゅん)窄窄(さくさく=狭々)の路。
儼(げん)として匹練(ひつれん)の長江(ちょうこう)に搭(わた)せるが如く、
却(かえっ)て火坑(かこう=火の穴)の上界(じょうかい)に浮(うか)べるに似(に)たり。
陰気(いんき)人(ひと)に逼(せま)りて寒(かん)骨(ほね)に透(とお)り、
腥風(せいふう)鼻(はな)を撲(う)ちて味(あじ)心(こころ)に鑽(きりとお)る。
波(なみ)翻(ひるがえ)り浪(なみ)滚(まろ)ぶも、往来(おうらい)に并(あわ)せて渡人船(わたりぶね)没(な)し、
赤脚(せききゃく=裸足)蓬頭(ほうとう=乱れ髪)として、出入(しゅつにゅう)尽く皆(みな)作業鬼(さぎょうき)なり。
橋長(なが)さ数里(すうり)、闊(ひろ)さただ三皻(さんさ)。
高さ百尺(ひゃくしゃく)有り、深(ふか)さ却(かえっ)て千重(せんじゅう=幾重)なり。
上に扶手欄杆(ふしゅらんかん=手すり)無(な)く、
下に人(ひと)を搶(かす)めとる悪怪(あっかい)有り。
枷杻(かちゅう)身(み)に纏(まと)われ、奈河(なか)の険路(けんろ)に打(う)ち上(あ)げらる。
汝(なんじ)看(み)よ、那(か)の橋辺(きょうへん)の神将(しんしょう)の甚(はなは)だ凶頑(きょうがん)なるを、
河内(かない)の孽魂(げっこん)の真(まこと)に苦悩(くのう)なるを。
丫杈樹(あさじゅ)の上に、掛(か)くるはこれ青紅黄紫(せいこうおうし)の色(いろ)の絲衣(しい=絹の衣)、
壁斗崖(へきとがい)の前に、蹲(うずくま)るはこれ公婆(こうば=舅姑)を毀罵(きば=罵る)せし淫潑婦(いんはつふ)なり。
銅蛇(どうじゃ)・鉄狗(てっく)任(まま)に争(あらそ)い餐(くら)い、
永(なが)く奈河(なか)に堕(お)ちて出路(しゅつろ=出る道)無(な)し。」
と。
詩(し)に曰く、
時(とき)に鬼哭(きこく)与(と)神号(しんごう)を聞き、
血水(けっすい)渾波(こんぱ=濁る波)万丈(ばんじょう)高し。
無数(むすう)の牛頭(ごず)并(なら)びに馬面(めず)、
獰獰(どうどう)として奈河橋(なかばし)を把守(はしゅ=守)る。
と。
正に説(と)き語(かた)る間に、那(か)の幾箇(いくたり)かの橋梁使者(きょうりょうししゃ)は、早く既に回り去(さ)りぬ。太宗心また驚惶(きょうこう)して、頭を点(うなず)かせ暗に嘆(たん)じ、黙黙(もくもく)として悲傷(ひしょう)し、判官・太尉(たいい)に相(あい)随(したが)い、早くも奈河(なか)の悪水(あくすい)・血盆(けつぼん=血の池)の苦界(くかい)を過(す)ぎたり。前にまた枉死城(おうしじょう=無実の死を遂げし者の城)に到(いた)るに、ただ哄哄(こうこう)と人(ひと)の嚷(わめ)くを聴(き)く、分明(ぶんめい)と「李世民(りせいみん)来れり!李世民(りせいみん)来れり!」と説(い)う。太宗叫ぶを聴き、心驚き胆(きも)戦(おのの)く。一伙(ひとくみ)の腰を拖(ひ)き臂(うで)を折(お)りし、足(あし)有りて頭無(な)き鬼魅(きみ=鬼の類)の、進み前(まえ)に出(い)でて攔(さえぎ)り住(とど)むるを見(み)る。都(みな)叫んで曰く、「我が命(いのち)を還(かえ)せ!我が命(いのち)を還(かえ)せ!」と。慌(あわ)てさせらるるかの太宗、隠(かく)れ隠(かく)れし、ただ「崔先生(さいせんせい)我(われ)を救(すく)え!崔先生(さいせんせい)我(われ)を救(すく)え!」と叫ぶ。判官曰く、「陛下、那(か)の些(これら)の人(ひと)は都(みな)これ那(か)の六十四処(ろくじゅうよんしょ=六十四箇所)の烟塵(えんじん)・七十二処(しちじゅうにしょ)の草寇(そうこう=野盗)、衆王子(しゅうおうじ)・衆頭目(しゅうとうもく)の鬼魂(きこん=鬼の魂)なり。尽くこれ枉死(おうし)の冤業(えんごう)にして、収(おさ)むる無(な)く管(つかさど)る無く、超生(ちょうしょう)を得(え)ず、また銭鈔(せんしょう=金銭)の盤纏(ばんてん=路銀)無く、都(みな)これ孤寒(こかん)の餓鬼(がき)なり。陛下些(いささ)かの銭鈔(せんしょう)を得(え)てかれらに与(あた)え給(たま)わば、我(われ)方(はじ)めて救(すく)い得るなり」と。太宗曰く、「寡人(かじん=われ)は空身(くうしん=手ぶら)にて此処に到(いた)れり、却(かえっ)て那辺(いずく)にか銭鈔(せんしょう)を得べき」と。判官曰く、「陛下、陽間(ようかん)に一人(ひとり)有りて、金銀(きんぎん)若干(じゃっかん)か、我がこの陰司(いんし)の裡(うち)に在りて寄放(きほう)。陛下名を出(いだ)して一約(いちやく=証文)を立(た)てらるべく、小判(しょうはん=小職)は保(ほ=保証)と作(な)るべし、且(しばら)くかれが一庫(いっこ=一蔵)を借(か)り、これらの餓鬼(がき)に給散(きゅうさん)すれば、方(はじ)めて過(す)ぎ去るを得べし」と。太宗問うて曰く、「この人はこれ誰(たれ)ぞ」と。判官曰く、「かれはこれ河南(かなん)開封府(かいほうふ)の人氏(じんし=者)、姓(せい)は相(そう)、名は良(りょう)と曰(い)う。かれが十三庫(じゅうさんこ)の金銀(きんぎん)此処に在り。陛下若(も)し借用(しゃくよう)し過(す)ごされば、陽間に到(いた)りてかれに還(かえ)し給(たま)えば便(すなわ)ち了(おわ)らん」と。太宗甚(はなは)だ喜び、情願(ねが)って名を出し借用(しゃくよう)す。遂(つい)に文書(ぶんしょ=証文)を立てて判官に与(あた)え、かれが金銀一庫(いっこ)を借(か)り、太尉をして尽く行(おこな)い給散(きゅうさん)せしむ。判官復(また)吩咐(ふんふ)して曰く、「これらの金銀は、汝等(なんじら)均(ひと)しく分(わか)ちて用度(ようど=入用)に充(あ)て、汝らの大唐(だいとう)の爺爺(おやかた=お上)を放(はな)ちて過(す)ぎ去らしめよ。かれの陽寿(ようじゅ)はなお早きなり。我は十王の鈞語(きんご=仰せ)を領(う)けたり、かれを送りて還魂(かんこん)し、かれをして陽間に到りて一箇(ひとつ)の『水陸大会(すいりくだいえ)』を做(な)し、汝等(なんじら)を度(ど=救い)して超生(ちょうしょう)せしめんと教(おし)うればなり。再(ふたた)び事を生ずること休(や)めよ」と。衆鬼(しゅうき=鬼ども)言を聞き、金銀を得て、俱に唯唯(いい)として退(しりぞ)く。判官太尉に令(れい)して引魂幡(いんこんばん)を揺(ゆ)り動(うご)かしめ、太宗を領(ひき)いて枉死城(おうしじょう)の中(うち)を出で離(はな)れしめ、平陽大路(へいようたいろ)の上に奔(はし)り登り、飄飄蕩蕩(ひょうひょうとうとう=ふわりふわり)として去る。
前進(ぜんしん)すること多時(たじ)にして、却(かえっ)て「六道輪廻(ろくどうりんね=六つの道の輪廻)」の所に来り到る。また見よ、かの雲に騰(のぼ)るは身(み)に霞帔(かひ)を披(はお)り、籙(ろく=道籙)を受(う)くるは腰に金魚(きんぎょ)を掛(か)け、僧尼道俗(そうにどうぞく=僧・尼・道士・俗人)、走獣飛禽(そうじゅうひきん=獣と鳥)、魑魅魍魎(ちみもうりょう)、滔滔(とうとう)として都かの輪廻(りんね)の下に奔(はし)り走り、各(おのおの)其(そ)の道(みち)に進(すす)む。唐王(とうおう)問うて曰く、「この意(こころ)は如何(いかん)」と。判官曰く、「陛下は心を明(あき)らかにし性(せい=本性)を見(み)るべし、これ必(かなら)ず記(き)し了(おわ)り、陽間の人に伝(つた)えて知(し)らしめられよ。これを喚(よ)んで『六道輪廻(ろくどうりんね)』と作(な)す。善(ぜん)を行う者(もの)は、仙道(せんどう=仙の道)に升化(しょうけ)、忠(ちゅう)を尽(つく)す者(もの)は、貴道(きどう=貴き道)に超生(ちょうしょう)し、孝(こう)を行う者(もの)は、福道(ふくどう=福の道)に再生(さいせい)し、公平(こうへい)なる者(もの)は、人道(じんどう=人の道)に還生(かんせい)し、徳(とく)を積(つ)む者(もの)は、富道(ふどう=富の道)に転生(てんしょう)し、悪毒(あくどく)なる者(もの)は、鬼道(きどう=鬼の道)に沈淪(ちんりん)す」と。唐王(とうおう)説くを聴き、頭を点(うなず)かせ嘆(たん)じて曰く:
「善(ぜん)なる哉(かな)真(まこと)に善なる哉(かな)!
善を作(な)せば果(はた)して災(わざわい)無し!
善心(ぜんしん)常(つね)に切切(せつせつ=切実)たり、
善道(ぜんどう)大いに開開(かいかい)。
悪念(あくねん)を興(おこ)さしむる莫(な)かれ、
これ必(かなら)ず刁乖(ちょうかい=悪賢さ)少かれ。
報応(ほうおう=報い)不(ず)と休(い)う莫(な)かれ、
神鬼(しんき)に安排(あんばい=手配)有るなり。」
と。
判官唐王(とうおう)を送りて直(ただ)ちに那(か)の「超生貴道門(ちょうしょうきどうもん)」に至(いた)り、唐王(とうおう)を拝(はい)し呼(よ)んで曰く、「陛下よ、此間(ここ)は乃(すなわ)ち出頭(しゅっとう)の処(ところ)なり、小判(しょうはん)は告回(こっかい)し、朱太尉(しゅたいい)をして再(ふたた)び一程(ひとみち)を送らしめん」と。唐王(とうおう)謝(しゃ)して曰く、「先生(せんせい)の遠踄(えんぽ)の労(ろう)有り」と。判官曰く、「陛下陽間に到らば、千万(よろず)に一箇(ひとつ)の『水陸大会(すいりくだいえ)』を做(な)し、那(か)の主(あるじ)無き冤魂(えんこん)を超度(ちょうど)し給(たま)え、切(きっ)し忘(わす)るること勿(な)かれ。若(も)し陰司の裡(うち)に報怨(ほうえん)の声無からんに於(おい)ては、陽世間(ようせかん)の方(はじ)めて太平(たいへい)の慶(よろこび)を享(う)くるを得べし。凡百(ぼんぴゃく=すべて)不善(ふぜん)の処は、倶(とも)に一一(いちいち)に改(あらた)め過(あやま)つべし。普(あまね)く世人(せじん)に諭(さと)して善を為(な)さしめば、管(かなら)ず汝(なんじ)が後代(こうだい=後の代)を綿長(めんちょう=長く続く)ならしめ、江山(こうざん=国)をして永(なが)く固(かた)からしめん」と。唐王(とうおう)一一(いちいち)准奏(じゅんそう)し、崔判官に辞(じ)し、朱太尉に随(したが)いて、同(とも)に門に入り来る。かの太尉門の裡(うち)に一匹(いっぴき)の海騮馬(かいりゅうば)の、鞍韂(あんぜん)斉(ととの)い備(そなわ)れるを見るや、急ぎ唐王(とうおう)に請(こ)うて馬(うま)に上(のぼ)らせ、太尉左右(さゆう)より扶(たす)け持(も)つ。馬(うま)行くこと箭(や)の如く、早くも渭水河(いすいが)の辺(ほとり)に到り着(つ)く。ただ見よ、かの水面(すいめん)の上に一対(いっつい)の金色(こんじき)の鯉魚(りぎょ=鯉)の、河(かわ)の裡(うち)に在りて波(なみ)を翻(ひるがえ)し跳(おど)り闘(たたか)うを。唐王(とうおう)見て心喜び、馬を兜(たぐ)り寄(よ)せて貪(むさぼ)り看て舎(す)て難し。太尉曰く、「陛下、些(いささ)か趱(はや)め動(うご)かせられよ、早きに趁(お)い時辰(じしん=刻限)を趕(お)って城に入り去らんとす」と。かの唐王ただ管(ひたす)ら貪(むさぼ)り看て、肯(あえ)て前進(ぜんしん)せず、太尉に脚(あし)を撮(つま)み挙げられ、高く呼ばれて曰く、「なおも走らずして、何をか等(ま)つ!」と。ぽんと一声(ひとこえ)、那(か)の渭河(いが)に望(むか)いて馬より推(お)し下(くだ)され、却(かえっ)て就(すなわ)ち陰司を脱れ、径(ただ)ちに陽世(ようせ=この世)に回れり。
さて、かの唐王の駕下(がか=御側)に徐茂功(じょもこう)・秦叔宝(しんしゅくほう)・胡敬徳(こけいとく)・段志賢(だんしけん)・馬三宝(ばさんぽう)・程咬金(ていこうきん)・高士廉(こうしれん)・李世勣(りせいせき)・房玄齢(ぼうげんれい)・杜如晦(とじょかい)・蕭瑀(しょうう)・傅奕(ふえき)・張道源(ちょうどうげん)・張士衡(ちょうしこう)・王珪(おうけい)等の両班(りょうはん)の文武(ぶんぶ)有りて、倶(とも)に那(か)の東宮太子(とうぐうたいし=皇太子)与皇后(こうごう)・嬪妃(ひんひ=妃)・宮娥(きゅうが=宮女)・侍長(じちょう=女官長)を保(ほ)し、都那(か)の白虎殿(びゃっこでん)の上に在りて挙哀(きょあい)す。一壁廂(ひとまず)は哀詔(あいしょう=喪の詔)を伝(つた)うるを議(ぎ)し、天下(てんか)に暁諭(ぎょうゆ)し、太子(たいし)を扶(たす)けて登基(とうき=即位)せんと欲(ほっ)す。時(とき)に魏徴(ぎちょう)傍(かたわら)に在りて曰(いわ)く、「列位(れっい=皆々)且(しばら)く住(とど)まれ。不可(ふか=いけぬ)なり!不可(ふか)なり!假若(もし)州県(しゅうけん=地方)を驚動(きょうどう)さば、恐らくは不測(ふそく)を生ぜん。且(しばら)く再(ふたた)び一日(いちじつ)を按候(あんこう)せよ、我が主(しゅ)は必(かなら)ず還魂(かんこん)するなり」と。下辺(した)より許敬宗(きょけいそう)閃(ひらめ)き上りて曰く、「魏丞相(ぎじょうしょう)の言甚(はなは)だ謬(あやま)れり。古(いにしえ)より云(い)う、『潑水(はすい)は収(おさ)め難く、人逝(ゆ)きて返(かえ)らず』と。汝如何(いか)にして還(な)おこの等(ごとき)の虚言(きょげん=偽り)を説き、人心(じんしん)を惑乱(わくらん=乱す)するは、これ何の道理(どうり)ぞ!」と。魏徴曰く、「許先生(きょせんせい)に瞞(あざむ)かずして言(い)わば、下官(かかん=拙者)は幼(おさな)きより仙術(せんじゅつ)を授(さず)かり得て、推算(すいさん)最(もっと)も明らかなり、管(かなら)ず陛下の死(し)せざるを取りき」と。
正に講(こう)ずる処に、ただ棺中(かんちゅう)より声を連(つら)ねて大いに叫ぶを聴く、「淹(おぼ)れ殺(ころ)さるるかな我よ!淹(おぼ)れ殺(ころ)さるるかな我よ!」と。唬(おど)ろかさるる文官武将(ぶんかんぶしょう)は心慌(あわ)て、皇后(こうごう)嬪妃(ひんひ)は胆(きも)戦(おのの)く。一箇一箇(ひとりひとり):
面(おもて)は秋後(しゅうご=秋の後)の黄桑葉(おうそうよう)の如く、
腰は春前(しゅんぜん=春の前)の嫩柳条(どんりゅうじょう)に似(に)たり。
儲君(ちょくん=皇太子)は脚軟(やわ)らぎ、喪杖(そうじょう=喪の杖)を扶けて哀儀(あいぎ=喪の儀)を尽(つく)し難く、
侍長(じちょう)は魂飛(と)び、怎(いか)でか梁冠(りょうかん=喪の冠)を戴(いただ)きて孝礼(こうれい=喪の礼)に遵(したが)わん。
嬪妃(ひんひ)は打跌(だてつ)、彩女(さいじょ)は欹斜(きしゃ)。
嬪妃(ひんひ)の打跌(だてつ)するは、却(かえっ)て狂風(きょうふう)の敗芙蓉(はいふよう)を吹(ふ)き倒(たお)すが如く、
彩女(さいじょ)の欹斜(きしゃ)するは、好(よ)く驟雨(しゅうう)の嬌菡萏(きょうかんたん)を衝(う)ち歪(ゆが)むるに似(に)たり。
衆臣(しゅうしん)悚懼(しょうく)、骨(ほね)軟(やわ)らぎ筋(すじ)麻(しび)る。
戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)、痴痴瘂瘂(ちちああ)。
一座(ひとつ)の白虎殿(びゃっこでん)を把(と)りて却(かえっ)て断梁橋(だんりょうきょう=梁の折れし橋)に像(に)せしめ、
鬧喪台(どうそうだい)は就(すなわ)ち倒塌寺(とうとうじ)の如し。
この時(とき)衆宮人(しゅうきゅうじん)走りて精光(せいこう)と去り、那箇(たれ)か敢(あえ)て霊(れい=霊柩)に近(ちか)づき柩(ひつぎ)を扶けん。多(おお)くは正直(しょうじき)なる徐茂功(じょもこう)、理烈(りれつ)の魏丞相(ぎじょうしょう)、胆量(たんりょう=度胸)有る秦瓊(しんけい)、忒(い)た猛撞(もうとう)の敬徳(けいとく)に頼(よ)り、進み前(まえ)に来(きた)りて棺材(かんざい=棺)を扶け持(も)ち、叫んで曰く、「陛下に何の心に放ち下(おろ)し難き処か有りて、我らに説き与(あた)えられよ、鬼を弄(ろう)びて眷族(けんぞく=一族)を驚駭(きょうがい=驚かす)こと莫(な)かれ」と。魏徴曰く、「鬼を弄(ろう)ずるには非ず、これ乃(すなわ)ち陛下の還魂(かんこん)なり。快(すみ)やかに器械(きかい=道具)を取り来れ!」と。棺蓋(かんがい)を打(う)ち開(あ)くれば、果(はた)して太宗の裏面(うち)に坐せるを見る。還(な)お「淹(おぼ)れ死(し)にたり我よ!これ誰(たれ)か救(すく)い撈(すく)い上ぐる」と叫ぶ。茂功(もこう)等(ら)進み前(まえ)に出でて扶(たす)け起(おこ)して曰く、「陛下蘇醒(そせい=目覚め)して怕(おそ)るる莫(な)かれ、臣等(しんら)都此処に在りて護駕(ごが)するなり」と。唐王方(はじ)めて纔(ようや)く眼(まなこ)を開(ひら)いて曰く、「朕(ちん)適(さっ)きまで好(よ)く苦(くる)しみたりしは:陰司の悪鬼(あっき)の難(なん)を避(さ)け過ぎしとおもえば、また水面(すいめん)の喪身(そうしん)の災(わざわい)に遭(あ)えり」と。衆臣曰く、「陛下は心を寛げ懼(おそ)るる勿(な)かれ、何の水災(すいさい)か来れる有るや」と。唐王曰く、「朕馬に騎(の)りて、正に渭水河(いすいが)の辺に行き至(いた)りしに、双頭魚(そうとうぎょ)の戯(たわむ)るるを見たり。朱太尉の心を欺(あざむ)くに被(こうむ)り、朕をもって馬より推(お)し下され、河の中(うち)に跌落(てつらく=落ち込)み、殆(ほと)んど淹(おぼ)れ死(し)にしぬ」と。魏徴曰く、「陛下は鬼気(きき=鬼の気)なお未(いま)だ解(と)けず」と。急ぎ太医院(たいいいん=御医局)に命(めい)じて安神定魄(あんじんていはく=魂を鎮め安んずる)の湯薬(とうやく=煎じ薬)を進(すす)ましめ、また粥膳(しゅくぜん=粥の膳)を安排(あんばい=整う)す。連(つづ)けて一二(いちに)次(じ=度)服(ふく)して、方(はじ)めて本(もと)に反(かえ)り原(げん)に還(かえ)り、人事(じんじ=人の事)を知(し)り得。—計(かぞ)うれば唐王の死し去りしは、既に三昼夜(さんちゅうや)にして、復(ま)た陽間に回りて君(きみ)と為(な)れり。詩(し)の証(あかし)と為(な)る有り:
万古(ばんこ)の江山(こうざん)幾(いく)たびか変(へん)じ更(あらた)まる、
歴来(れきらい)数代(すうだい)の敗(やぶれ)与成(なる)あり。
周秦漢晋(しゅうしんかんしん)に奇事(きじ)多しと雖(いえど)も、
誰(たれ)か唐王の死して復(ま)た生(い)くるに似(に)たる。
当(まさ)に其(そ)の日(ひ)、天色(てんしょく=空模様)既に晩(く)れたれば、衆臣王(おう)に請(こ)うて寝(しん=寝所)に帰(かえ)らせ、各各(おのおの)散(さん)じ訖(おわ)る。次早(あくるあさ)、孝衣(こうい=喪服)を脱(ぬ)ぎ却(す)て、彩服(さいふく)に換(か)え、一箇一箇(ひとりひとり)紅袍(こうほう=赤き袍)・烏帽(うぼう=黒き帽)、一箇一箇(ひとりひとり)紫綬(しじゅ=紫の綬)・金章(きんしょう=金の印)、那(か)の朝門(ちょうもん=宮門)の外に在りて宣召(せんしょう)を候(うかが)う。
さて太宗は安神定魄(あんじんていはく)の剤(ざい=薬)を服(ふく)しより、連(つづ)けて数次(すうじ=幾度)の粥湯(しゅくとう=粥の汁)を進み、衆臣に扶けられて寝室(しんしつ)に入り、一夜(いちや)穏(やすら)かに睡(ねむ)り、精神(せいしん)を保養(ほよう)し、天明(てんめい=夜明け)に至(いた)りて方(はじ)めて起ち、威儀(いぎ=威容)を抖擻(とそう)す。汝看よ、かれ怎(いか)に打扮(だはん=身支度)せるを:
一頂(いっちょう)の沖天冠(ちゅうてんかん)を戴(いただ)き、
一領(いちりょう)の赭黄袍(しゃこうほう)を穿(き)る。
一条(いちじょう)の藍田碧玉帯(らんでんへきぎょくたい=藍田の碧玉の帯)を系(むす)び、
一対(いっつい)の創業無憂履(そうぎょうむゆうり=国を興し憂い無き沓)を踏(ふ)む。
貌(かたち)堂堂(どうどう)として、当朝(とうちょう)に賽(まさ)り過ぎ、
威(い)烈烈(れつれつ)として、今日を重ねて興(おこ)す。
好(よ)き一箇(ひとり)の清平(せいへい)有道(ゆうどう=道有る)の大唐王(だいとうおう)、
起死回生(きしかいせい)の李陛下(りへいか)なるかな!
唐王金鑾宝殿(きんらんほうでん=金鑾殿)に上り、両班(りょうはん)の文武(ぶんぶ)を聚(あつ)め、山呼(さんこ)既に畢(おわ)り、品(ひん=位階)に依(したが)いて班(はん=列)を分(わか)つ。ただ旨(むね)を伝(つた)うるを聴く、「事有らば班(はん)を出で来り奏(そう)せよ、事無くんば退朝(たいちょう)せよ」と。かの東廂(とうしょう=東の廊)より徐茂功(じょもこう)・魏徴・王珪(おうけい)・杜如晦(とじょかい)・房玄齢(ぼうげんれい)・袁天罡(えんてんこう)・李淳風(りじゅんぷう)・許敬宗(きょけいそう)等(ら)閃(ひらめ)き過ぎ、西廂(せいしょう=西の廊)より殷開山(いんかいざん)・劉洪基(りゅうこうき)・馬三宝(ばさんぽう)・段志賢(だんしけん)・程咬金(ていこうきん)・秦叔宝(しんしゅくほう)・胡敬徳(こけいとく)・薛仁貴(せつじんき)等(ら)閃(ひらめ)き過ぎ、一斉(いっせい)に進み前(まえ)に出で、白玉階(はくぎょくかい)の前に在りて、俯伏(ふふく=平伏)し啓奏(けいそう)して曰く、「陛下の前朝(ぜんちょう=先の朝)の一夢(いちむ=ひと夢)は、如何(いか)にして許久(あまた=久しく)して方(はじ)めて覚(さ)め給(たま)いし」と。太宗曰く:
「日前(このごろ)魏徴が書(ふみ)を接(う)け得しより、朕は神魂(しんこん=霊魂)の殿を出づるを覚(さと)れり。ただ羽林軍(うりんぐん)の朕を請(しょう)じて猟(かり)に出でしむるを見たり。正に行く時、人馬(じんば)踪(あと)無く、また那(か)の先君父王(せんくんふおう)与先兄弟(せんきょうだい)の争(あらそ)い嚷(わめ)くを見たり。正に解(と)き難き処に、一人の烏帽(うぼう)・皂袍(そうほう=黒き袍)なるを見る、乃(すなわ)ちこれ判官崔珏(はんがんさいかく)にして、先兄弟(せんきょうだい)を喝退(かったい)せり。朕魏徴が書(ふみ)をもってかれに伝(つた)え渡(わた)せり。正に看る時、また青衣(せいい)の幢幡(どうばん)を執り、朕を引きて内(うち)に入り、森羅殿の上に到り、十代閻王(じゅうだいえんおう)与叙坐(じょざ)せるを見る。かれは那(か)の涇河龍(けいがりゅう)の我が救(すくい)を許(ゆる)しながら反(かえっ)て殺(ころ)せしと誣告(ぶこく)せし事を説く。これに於(おい)て朕前言(ぜんげん)をもって一遍(いっぺん)を陳具(ちんぐ)せり。かれは既に三曹(さんそう)に対(たい)し案(あん)を過ごし了(おわ)れりと説き、急ぎ生死文簿(せいしぶんぼ)を取りて我が陽寿(ようじゅ)を検(けん)し看るを命(めい)ず。時に崔判官の簿子(ぼし)を伝え上ぐる有り、閻王看て、寡人(かじん)に三十三年(さんじゅうさんねん)の天禄(てんろく)有り、纔(わず)かに一十三年(じゅうさんねん)を過ぎたれば、還(な)お我に二十年(にじゅうねん)の陽寿(ようじゅ)該(あた)ると道(い)い、即(すなわ)ち朱太尉・崔判官を着(つ)けて、朕を送りて回らしめたり。朕十王与作別(さくべつ)し、かれに瓜果(かか)を送りて恩(おん)を謝(しゃ)せんことを允(ゆる)せり。森羅殿を自(より)出でしより、那(か)の陰司の裡(うち)に、不忠不孝(ふちゅうふこう)、非礼非義(ひれいひぎ)、五穀(ごこく)を作践(さくせん)、明(あからさま)に欺(あざむ)き暗に騙(だま)し、大斗小秤(だいとしょうしょう)、姦盗詐偽(かんとうさぎ)、淫邪(いんじゃ)欺罔(ぎもう=欺く)の徒(ともがら)の、那(か)の些(これら)の磨(ま)し焼(や)き舂(うすつ)き鑢(やすりがけ)するの苦(くるしみ)、煎熬(せんごう)・吊剥(ちょうはく)の刑(けい)を受(う)くる、千千万万(せんせんばんばん)有りて、之(これ)を看るに足(た)らず。また枉死城(おうしじょう)の中を過ぎ着(つ)くに、無数(むすう)の冤魂(えんこん)有り、尽く都これ六十四処(ろくじゅうよんしょ)の烟塵(えんじん)の草寇(そうこう)、七十二処(しちじゅうにしょ)の叛賊(はんぞく)の魂霊(こんれい)にして、朕(ちん)が来路(らいろ=来し道)を遮(さえぎ)り住(とど)めたり。幸(さいわ)いに崔判官の保(ほ=保証)と作(な)りしに虧(よ)り、河南(かなん)の相老児(そうろうじ)の金銀一庫(いっこ)を借(か)り得、鬼魂(きこん)を買(か)い転(てん)じて、方(はじ)めて前進(ぜんしん)するを得(え)たり。崔判官は朕に陽世(ようせ)に回らば、千万(よろず)に一場(ひとくさり)の『水陸大会(すいりくだいえ)』を作(な)し、那(か)の主無き孤魂(ここん)を超度(ちょうど)すべきを教(おし)え、この言を叮嚀(ていねい=念押し)して分別(ぶんべつ=別れ)せり。那(か)の『六道輪廻(ろくどうりんね)』の下を出づるに、朱太尉の朕に請(こ)うて馬に上らしむる有り。飛ぶにも相似(に)たり、渭水河(いすいが)の辺に行き到りしに、我那(か)の水面(すいめん)の上に双頭魚(そうとうぎょ)の戯(たわむ)るる有るを見たり。正に歓喜(かんき)の処に、かれ我が脚をもって撮(つま)み、水の中に推(お)し下し、朕方(はじ)めて還魂(かんこん)するを得たり」と。
衆臣この言を聞き、称賀(しょうが)せざるは無く、此処に遂(つい)に編行(へんこう)伝報(でんぽう=知らせ)し、天下(てんか)の各(おのおの)の府県(ふけん)の官員(かんいん=役人)の、表(ひょう)を上(たてまつ)りて慶(よろこび)を称(しょう)することは不題(ふだい=措く)。
さて太宗また旨(むね)を伝えて天下(てんか)の罪人(ざいにん)を赦(ゆる)し、また獄中(ごくちゅう)の重犯(じゅうはん)を査(さぐ)らしむ。時に審官(しんかん)の刑部(けいぶ)の絞斬(こうざん)の罪人(ざいにん)をもって、査(しら)ぶるに四百余名(よんひゃくよめい)有りて呈上(ていじょう=差し出)す。太宗放ち赦(ゆる)して家(いえ)に帰(かえ)り、父母(ふぼ)兄弟(きょうだい)に拝辞(はいじ)、産(さん=財産)を親戚(しんせき)・子姪(してつ=甥ら)に託(たく)し、明年(みょうねん)の今日(こんにち)、曹(そう=役所)に赴(おもむ)き、仍(な)お応(あた)るべきの罪を領(う)けしむ。衆犯(しゅうはん)恩を謝(しゃ)して退(しりぞ)く。また恤孤(じゅっこ)の榜文(ぼうぶん=掲示)を出し、また宮中(きゅうちゅう)の老幼(ろうよう)の彩女(さいじょ)の共(あわ)せて三千人(さんぜんにん)有るを査(しら)べ、旨(むね)を出して軍(ぐん=兵士)に配(はい=嫁が)す。此処自(よ)り、内外(ないがい)倶(とも)に善(よ)し。詩(し)の証(あかし)と為(な)る有り:
大国(たいこく)唐王の恩徳(おんとく)洪(おお)いなり、
道(みち)は堯舜(ぎょうしゅん)を過ぎて万民(ばんみん)豊(ゆた)かなり。
死囚(ししゅう)四百(よんひゃく)皆(みな)獄(ひとや)を離(はな)れ、
怨女(えんじょ)三千(さんぜん)宮(きゅう)を放たる。
天下(てんか)の多くの官(かん)は上寿(じょうじゅ)を称(しょう)し、
朝中(ちょうちゅう)の衆宰(しゅうさい=大臣ら)は元龍(げんりゅう=天子)を賀(が)す。
善心(ぜんしん)一念(いちねん)なれば天応(こた)えて佑(たす)け、
福蔭(ふくいん)応(まさ)に十七宗(じゅうしちそう=十七代)に伝うべし。
太宗既(すで)に宮女(きゅうじょ)を放ち、死囚(ししゅう)を出し畢(おわ)り、また御製(ぎょせい)の榜文(ぼうぶん)を出し、遍(あまね)く天下(てんか)に伝う。榜(ぼう)に曰く:
「乾坤(けんこん=天地)浩大(こうだい)にして、日月(じつげつ)照鑒(しょうかん)分明(ぶんめい)なり、
宇宙(うちゅう)寛洪(かんこう)にして、天地(てんち)奸党(かんとう=悪党)を容(い)れず。
心を使(つか)い術(じゅつ)を用(もち)うれば、果報(かほう=報い)ただ今生(こんじょう)に在り、
善を布(し)き浅(あさ)く求(もと)むれば、福(ふく)を獲(う)ることは後世(ごせ)を言(い)うを休(や)めよ。
千般(せんぱん)の巧計(こうけい)も、本分(ほんぶん)に人と為(な)るに如(し)かず、
万種(ばんしゅ)の強徒(きょうと=強き徒)も、怎(いか)でか縁(えん)に随(したが)い節倹(せっけん=倹しく)するに似(に)たる。
心に慈善(じぜん)を行わば、何ぞ努(つと)めて経(きょう)を看るを須(もち)いんや、
意(こころ)に人を損(そこな)わんと欲(ほっ)せば、如来(にょらい)の一蔵(いちぞう=一切経)を空(むな)しく読(よ)むのみ!」
と。
この時自(よ)り、蓋(けだ)し天下(てんか)に善を行わざる者(もの)一人も無し。一壁廂(かたわら)にはまた招賢(しょうけん)の榜(ぼう)を出し、人を招(まね)いて瓜果(かか)を陰司の裡(うち)に進め到らしむ。一壁廂(かたわら)には宝蔵庫(ほうぞうこ=宝物蔵)の金銀一庫(いっこ)をもって、鄂国公(がくこくこう)胡敬徳(こけいとく)を差(さ)し向けて河南(かなん)開封府(かいほうふ)に上らせ、相良(そうりょう)を訪(たず)ねて債(しゃく=借り)を還(かえ)さしむ。
榜(ぼう)を張(は)ること数日(すうじつ)、一(ひとり)の命(めい)に赴き瓜果を進めんとする賢者(けんじゃ)有り、本(もと)これ均州(きんしゅう)の人なり。姓(せい)は劉(りゅう)、名は全(ぜん)と曰(い)い、家に万貫(ばんがん=莫大)の資(し=財)有り。ただ妻(つま)の李翠蓮(りすいれん)が門首(もんしゅ=門の前)に在りて金釵(きんさ)を抜(ぬ)きて僧(そう)に斎(とき=施し)せしに因(よ)り、劉全(りゅうぜん)かれを幾句(いくく)罵(ののし)り、かれが婦道(ふどう=妻の道)に遵(したが)わず、擅(ほしいまま)に閨門(けいもん=奥の門)を出づると説きしかば、李氏(りし)気(き)を忍(しの)ぶに過ぎず、自(みずか)ら縊(くび)れて死ぬ。一双(いっそう)の児女(じじょ=児と女)を撇(す)て下し、年幼くして昼夜(ちゅうや)悲啼(ひてい)。劉全(りゅうぜん)また見るに忍(しの)びず、奈何(いかん)ともすべくなく、遂(つい)に性命(せいめい=命)を舎(す)て、家縁(かえん=家財)を棄(す)て、児女(じじょ)を撇(す)て、情願(ねが)って死を以(もっ)て瓜(うり)を進めんとし、皇榜(こうぼう)をもって掲(はが)し了(おわ)り、来りて唐王に見(まみ)ゆ。王旨意(しい=仰せ)を伝え、かれをして金亭館(きんていかん)の裡(うち)に赴(おもむ)かしめ、一対(いっつい)の南瓜(なんか)を頭に頂(いただ)き、黄銭(こうせん=紙銭)を袖(そで)に帯(お)び、薬物(やくぶつ=毒薬)を口(くち)に噙(ふく)ましむ。
かの劉全(りゅうぜん)果(はた)して毒(どく)を服(ふく)して死し、一点(いってん)の魂霊(こんれい=霊魂)は、瓜果を頂(いただ)き、早くも鬼門関(きもんかん)の上に到り着(つ)く。門を把(と)る鬼使喝(かつ=叱り)して曰く、「汝はこれ甚(なん)の人ぞ、敢(あえ)てこの処に来るか」と。劉全(りゅうぜん)曰く、「我は大唐(だいとう)太宗皇帝(たいそうこうてい)の欽差(きんさ=勅命)を奉(ほう)じ、特に瓜果を十代閻王(じゅうだいえんおう)に進めて用(もち)いられんとす」と。かの鬼使(きし)欣然(きんぜん)として接引(せついん)す。劉全(りゅうぜん)径(ただ)ちに森羅宝殿(しんらほうでん)に至(いた)り、閻王に見(まみ)え、瓜果をもって進め上りて曰く、「唐王の旨意(しい=仰せ)を奉(ほう)じ、遠(とお)く瓜果を進め、以(もっ)て十王の寛宥(かんゆう)の恩を謝(しゃ)せんとす」と。閻王大いに喜んで曰く、「好(よ)き一箇(ひとり)の信(しん)有り徳(とく)有る太宗皇帝(たいそうこうてい)なるかな!」と。此処に遂(つい)に瓜果を収(おさ)め了(おわ)る。便(すなわ)ち那(か)の瓜(うり)を進むる人の姓名(せいめい)、那方(いずかた)の人氏(じんし=者)なるかを問う。劉全(りゅうぜん)曰く、「小人(しょうじん)はこれ均州城(きんしゅうじょう)の民籍(みんせき=戸籍)の者(もの)なり。姓(せい)は劉(りゅう)、名は全(ぜん)と曰(い)う。妻(つま)の李氏(りし)の縊(くび)れ死にし、児女(じじょ=児と女)を撇(す)て下し、人の看管(かんかん)する無きに因(よ)り、小人(しょうじん)は情願(ねが)って家を舎(す)て子(こ)を棄(す)て、躯(み=身)を捐(す)てて国(くに)に報(むく)い、特に我が王の為(ため)に瓜果を進貢(しんこう)し、衆大王(しゅうだいおう)の厚恩(こうおん=厚き恩)を謝(しゃ)せんとす」と。十王言を聞き、即(すなわ)ち劉全(りゅうぜん)が妻(つま)の李氏(りし)を査勘(さかん)することを命(めい)ず。かの鬼使速(すみ)やかに取り来りて森羅殿の下に在らしめ、劉全(りゅうぜん)と夫妻(ふさい=夫婦)相(あい)会(かい)せしむ。前言(ぜんげん)を訴(うった)え畢(おわ)り、十王の恩宥(おんゆう)を回謝(かいしゃ)す。かの閻王却(かえっ)て生死簿子(せいしぼし)を検(けん=繰り)て看る時、かれ夫妻(ふさい)等(ども)は都登仙(とうせん)の寿(じゅ=寿命)有り、急ぎ鬼使を差(さ)し送り回さしむ。鬼使啓(けい)し上って曰く、「李翠蓮(りすいれん)の陰(いん=冥土)に帰(かえ)ること日久(ひさ)しく、尸首(ししゅ)存(そん)する無し、魂将(まさ)に何(なに)にか附(つ)かん」と。閻王曰く、「唐(とう)の御妹(ぎょまい)李玉英(りぎょくえい)は、今該(あた)って促死(そくし)すべし、汝かれが尸首(ししゅ)を借(か)り、かれをして還魂(かんこん)して去らしむべし」と。かの鬼使命(めい)を領(う)け、即(すなわ)ち将(まさ)に劉全(りゅうぜん)夫妻(ふさい)の二人(ふたり)を還魂(かんこん)せしめ、同に陰司を出でて去らんとす。
と。畢竟(ひっきょう)夫妻(ふさい)二人(ふたり)の如何(いか)にして還魂(かんこん)するかは、また下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴かれよ。