話(かたり)に表(あらわ)す、かの鬼使(きし)、劉全夫妻(ふさい)の二人(ふたり)と同じく陰司(いんし)を出でしに、かの陰風(いんぷう)繞繞(じょうじょう=まとわりつくさま)として、径(ただ)ちに長安(ちょうあん)の大国(たいこく)に到れり。すなわち劉全が魂霊(こんれい=霊魂)をば金亭館(きんていかん)の裡へ推(お)し入れ、翠蓮(すいれん)が魂霊(こんれい)をば皇宮(こうぐう)の内院(ないいん)へ帯(たい)し入れたり。
ただ見よ、かの玉英宮主(ぎょくえいきゅうしゅ=玉英の姫宮)、正に花陰(かいん)の下(もと)に在りて、徐歩(じょほ)して緑苔(りょくたい)を行(ゆ)く処(ところ)なるに、鬼使(きし)に満懐(まんかい)に撲(う)たれ、地(ち)に推(お)し倒(たお)されて、活(い)きながらかれが魂(たましい)を捉(とら)えらる。しかして翠蓮(すいれん)が魂霊(こんれい)をば玉英(ぎょくえい)の身内(みうち=体内)へ推(お)し入れたり。鬼使(きし)の陰司(いんし)に回(まわ)り転(てん)ずることは、ここには題(だい)せず。
さて、宮院(きゅういん=御殿)のうちの大小(だいしょう)の侍婢(じひ)、玉英(ぎょくえい)の跌死(てっし)するを見て、急(いそ)ぎ金鑾殿(きんらんでん)に走(は)せ行(ゆ)き、三宮(さんぐう)の皇后(こうごう)に報(ほう)じて言う、「宮主(きゅうしゅ)娘娘(にゃんにゃん)、跌(つまず)きて死(し)にたり!」と。皇后(こうごう)大いに驚(おどろ)き、随(したが)いて太宗(たいそう)に報(ほう)ず。太宗(たいそう)言を聞き、頭(こうべ)を点(うなず)かして嘆(たん)じて曰(のたま)わく、「この事(こと)、信(しん)にこれ有るかな。朕、曾(かつ)て十代(じゅうだい)の閻君(えんくん)に『老幼(ろうよう)は安(やす)きか』と問いしに、かれ曰く、『俱に安(やす)し。但だ恐(おそ)らくは御妹の寿(じゅ=命)の促(みじか)からんことを』と。果(はた)してその言に中(あた)れり」と。
合宮(ごうきゅう)の人皆(みな)来りて悲切(ひせつ)き、尽(ことごと)く花陰(かいん)の下(もと)に到りて看る時(とき)、ただ見よ、かの宮主(きゅうしゅ)には微微(びび)に気(いき)有り。唐王(とうおう)曰く、「哭(な)く莫(な)かれ!哭く莫かれ!かれを驚(おどろ)かすこと休(や)めよ」と。すなわち前に進みて御手(おんて)もて頭(かしら)を扶(たす)け起(おこ)して、叫(よ)んで曰く、「御妹よ、蘇醒(そせい)け、蘇醒け」と。
かの宮主(きゅうしゅ)、忽(たちまち)翻身(ほんしん)して叫んで曰く、「丈夫(おっと)よ、慢行(ゆっくり)せよ、我を一等(ひととき)待(ま)て!」と。太宗(たいそう)曰く、「御妹よ、これ我等(ら)此処(ここ)に在り」と。宮主(きゅうしゅ)頭を挙(あ)げ眼(め)を睜(ひら)きて観(み)て曰く、「汝はこれ誰人(たれ)ぞ、敢(あえ)て来りて我を扯(ひ)くや」と。太宗曰く、「これ汝が皇兄(こうけい=兄君)・皇嫂(こうそう=兄嫁)なり」と。宮主(きゅうしゅ)曰く、「我は那(いず)くにか箇(ひとつ)の什(なん)の皇兄・皇嫂を得んや!我が娘家(じょうか=実家)は李(り)を姓(せい)とし、我が乳名(にゅうめい=幼名)をば李翠蓮(りすいれん)と喚(よ)び做(な)す。我が丈夫(おっと)は劉(りゅう)を姓とし名(な)を全(ぜん)と曰う。両口児(ふたり)は都(みな)これ均州(きんしゅう)の人氏(じんし=者)なり。我は三箇月(みつき)前に、金釵(きんさ)を抜(ぬ)きて門首(もんしゅ)に在りて僧に斎(とき=施し)せしを因(もっ)て、我が丈夫(おっと)は我の擅(ほしいまま)に内門(ないもん)を出で、婦道(ふどう)に遵(したが)わざるを怪(あや)しみ、我を幾句(いくこえ)か罵(ののし)りたり。これ我気(き)胸膛(きょうどう)に塞(ふさ)がり、白綾帯(はくりょうたい)もて梁(はり)に懸(か)けて縊死(いし)し、一双(ひとつがい)の児女(じじょ)を撇(さ)て下(おろ)して、昼夜(ちゅうや)悲啼(ひてい)ましめたり。今(いま)我が丈夫(おっと)の唐王(とうおう)の欽差(きんさ)として陰司(いんし)に赴(おもむ)き瓜果(かか)を進むるに因(よ)り、閻王(えんおう)憐憫(れんびん)みて、我が夫妻(ふさい)の回り来るを放(ゆる)せり。かれは前に在りて走(はし)る。我の来ること遅(おそ)きに因(よ)り、かれに赶(おいつ)き上(あ)がらず、我一跌(ひとたびつまず)きて絆(つまず)けり。汝等(なんじら)無礼(ぶれい)なり!姓名(せいめい)を知(し)らずして、怎(いか)でか敢えて我を扯(ひ)くや!」と。
太宗(たいそう)言を聞き、衆の宮人(きゅうじん)に曰く、「想(おも)うにこれ御妹は跌(つまず)きて昏(くら)み、胡説(こせつ)うなるべし」と。旨(し=勅旨)を伝(つた)えて太医院(たいいいん)に湯薬(とうやく)を進めしめ、玉英(ぎょくえい)を扶(たす)けて宮中(きゅうちゅう)に入らしむ。
唐王(とうおう)殿(でん)に当(あた)りしに、忽(たちまち)当駕官(とうがかん)有りて奏(そう)して言(まお)す、「万歳(ばんぜい)、今(いま)瓜果(かか)を進むる人の劉全還魂(かんこん=蘇生)し、朝門(ちょうもん=宮門)の外(そと)に在りて旨(し)を等(ま)てり」と。唐王大いに驚き、急(いそ)ぎ旨を伝えて、劉全を召(め)し進(い)らしむれば、丹墀(たんち)に俯伏(ふふく)す。太宗(たいそう)問うて曰く、「瓜果(かか)を進むるの事(こと)は如何(いかん)」と。劉全曰く、「臣、瓜果を頂(いただ)き、径(ただ)ちに鬼門関(きもんかん)に至り、森羅殿(しんらでん)に引(ひ)き上(あ)げられ、かの十代(じゅうだい)の閻君(えんくん)に見(まみ)え、瓜果を奉上(ほうじょう)り、我が王(おう)の殷勤(いんきん)に致謝(ししゃ)するの意(こころ)を備言(びげん)せり。閻君(えんくん)甚(はなは)だ喜び、多(あま)た我が王(おう)に拝上(はいじょう)げて曰く、『真(まこと)に箇(これ)信(しん)有り徳(とく)有る太宗皇帝(たいそうこうてい)なり!』と」と。唐王曰く、「汝は陰司(いんし)に在りて什(なに)を見し来れるや」と。劉全曰く、「臣は曾(かつ)て遠行(えんこう)かず、甚(なん)の見し所(ところ)も無し。只だ聞くを得たるは、閻王(えんおう)の臣に郷貫(きょうかん=郷里)・姓名(せいめい)を問えるのみ。臣は家(いえ)を棄(す)て子(こ)を捨(す)て、妻(つま)の縊死(いし)せるに因(よ)り、願って来りて瓜(か)を進めんとせるの事(こと)を説(と)き一遍(ひととおり)せり。かれ急(いそ)ぎ鬼使(きし)を差(さ)し向(む)けて、我が妻(つま)を引(ひ)き過(わた)らしめ、すなわち森羅殿(しんらでん)の下(もと)に在りて相会(しょうかい)わしめたり。一壁廂(ひとまず)また死生文簿(しせいぶんぼ)を検看(けんかん)して、我が夫妻(ふさい)は都(みな)登仙(とうせん)の寿(じゅ)有りと曰(のたま)い、すなわち鬼使(きし)を差(さ)し向けて送り回さしめたり。臣は前に在りて走(はし)り、我が妻(つま)は後(うしろ)に行(ゆ)きしが、幸(さいわ)いに還魂(かんこん)するを得たり。但だ妻(つま)の何所(いずこ)に投(とう)せしを知(し)らず」と。
唐王(とうおう)驚(おどろ)き問うて曰く、「かの閻王(えんおう)は曾(かつ)て汝が妻(つま)の什(なに)をか曰えるや」と。劉全曰く、「閻王(えんおう)は曾て什(なに)をも曰わず、只だ鬼使(きし)の曰えるを聞くを得たるのみ。曰く、『李翠蓮(りすいれん)は陰(かげ)に帰(かえ)りし日(ひ)久(ひさ)しく、屍首(ししゅ)存(そん)する無し』と。閻王(えんおう)曰く、『唐(とう)の御妹の李玉英(りぎょくえい)は今(いま)当(まさ)に促死(そくし=早死)すべし、翠蓮(すいれん)をしてすなわち玉英(ぎょくえい)の屍(しかばね)を借(か)りて還魂(かんこん)し去かしめよ』と。臣は『唐御妹(とうぎょまい)』のこれ甚(なん)の地方(ところ)なる、家(いえ)の居(お)る何処(いずこ)なるを知(し)らず、我は未(いま)だ曾(かつ)て得て去きて找尋(そうじん)めざるなり」と。
唐王(とうおう)奏(そう)を聞き、満心(まんしん)に歓喜(かんぎ)し、当(まさ)に多官(たかん=諸臣)に対(たい)して曰く、「朕は閻君(えんくん)に別(わか)れし時(とき)、曾(かつ)て宮中(きゅうちゅう)の事(こと)を問いしに、かれは老幼(ろうよう)俱に安(やす)しと曰えるも、但だ恐(おそ)らくは御妹の寿(じゅ)の促(みじか)からんことを。しかるに才(ただいま)御妹の玉英(ぎょくえい)は花陰(かいん)の下(もと)に跌(つまず)き死(し)し、朕急(いそ)ぎ扶(たす)けて看しに、須臾(しゅゆ)にして蘇醒(そせい)し、口(くち)に『丈夫(おっと)よ、慢行(ゆっくり)せよ、我を一等(ひととき)待(ま)て!』と叫(よ)べり。朕は只だこれかれ跌(つまず)き昏(くら)みて胡言(こげん)うなるべしと道(おも)えり。またかれに詳細(しょうさい)を問いしに、かれが説(と)く言(ことば)は、劉全と一般(ひとおなじ)なり」と。
魏徴(ぎちょう)奏(そう)して曰く、「御妹は偶爾(ぐうじ=偶然)に寿(じゅ)促(みじか)く、少(すこ)しく蘇醒(そせい)して即(すなわ)ちこの話(ことば)を説(と)く。これこれ劉全が妻(つま)の屍(しかばね)を借(か)りて還魂(かんこん)するの事(こと)なり。この事(こと)もまた有るべし。請(こ)う、宮主(きゅうしゅ)を出だして、かれに甚(なん)の言(ことば)を説(と)く有るかを看られよ」と。唐王(とうおう)曰く、「朕才(ただいま)太医院(たいいいん)に命(めい)じて薬(くすり)を進めしめしが、如何(いかん)なるを知(し)らず」と。すなわち妃嬪(ひひん)に教(おし)えて宮(きゅう)に入りて請(しょう=招)かしむ。
かの宮主(きゅうしゅ)は裡に在りて乱(みだ)りに嚷(わめ)いて曰く、「我は什(なに)の薬(くすり)をか喫(くら)わんや!此処(ここ)は那(いず)くにかこれ我が家(いえ)ならん!我が家(いえ)はこれ清涼(せいりょう)の瓦屋(がおく)、この害黄病(おうびょう=黄疸)の房子(ぼうし=建物)のごときには似(に)ず、花裡狐哨(かりこうしょう)の門扇(もんせん=扉)よ!我を出(いだ)せ!我を出せ!」と。
正に嚷(わめ)く処(ところ)に、ただ見よ、四(よ)つ五(いつ)つの女官(にょかん)、両(ふた)つ三(み)つの太監(たいかん=宦官)、かれを扶(たす)けて、直(ただ)ちに殿上(でんじょう)に至る。唐王(とうおう)曰く、「汝は汝が丈夫(おっと)を認(みし)る得(う)るか」と。玉英(ぎょくえい)曰く、「那(いず)くんの話(ことば)を説(と)くや、我ら両箇(ふたり)は小児(しょうじ)よりの結髪(けっぱつ)の夫妻(ふさい)、かれと男(おのこ)を生(う)み女(おんな)を育(はぐく)めり、怎(いか)でか認(みし)らざるを得んや」と。唐王(とうおう)内官(ないかん=宦官)を叫(よ)んでかれを攙(たす)けて下(くだ)らしむ。かの宮主(きゅうしゅ)宝殿(ほうでん)を下(くだ)り、直(ただ)ちに白玉階(はくぎょくかい)の前に至り、劉全を見るや、一把(ひとつかみ)に扯(ひ)き捉(とら)えて曰く、「丈夫(おっと)よ、汝は那(いず)くへ往(ゆ)かんとする、すなわち我を一等(ひととき)等(ま)たざるか!我は一跌(ひとたびつまず)き、かの些(これら)の道理(どうり)無き人どもに囲(かこ)まれて我に嚷(わめ)かる。これこれ怎(いか)なる説(こと)ぞ!」と。
かの劉全は、かれが説(と)く話(ことば)のこれ妻(つま)の言(ことば)なるを聴(き)けども、その人を観(み)れば妻(つま)の面(おもて)に非(あら)ざれば、敢えて相認(みし)らず。唐王(とうおう)曰く、「これ正に『山(やま)崩(くず)れ地(ち)裂(さ)くるは人の見る有るも、生(い)き捉(とら)えて死(し)に替(か)うるは却(かえっ)て難逢(なんぽう)』なり!」と。好きかな、一箇(ひとり)の道(みち)有る君王(くんのう=君主)かな、すなわち御妹の妝奩(しょうれん)・衣物(いぶく=衣服)・首飾(しゅしょく)を、尽(ことごと)く劉全に賞賜(しょうし)し、就(すなわ)ち陪嫁(ばいか)の一般(ごとく)なり。またかれに永(なが)く差徭(さよう)を免(まぬか)るるの御旨(ぎょし=勅旨)を賜(たま)い、かれをして御妹を帯領(たいりょう)れて回り去(さ)らしむ。かれ夫妻(ふさい)両箇(ふたり)は、すなわち階前(かいぜん)に在りて恩を謝(しゃ)し、歓歓喜喜(かんかんきき)して郷(さと)に還(かえ)る。詩(し)有りて証(あかし)と做(な)す。曰く、
人生(じんせい)人死(じんし)はこれ前縁(ぜんえん)、
短短長長(たんたんちょうちょう)各(おのおの)年(とし)有り。
劉全は瓜(か)を進めて陽世(ようせ)に回り、
屍(しかばね)を借(か)りて魂(たましい)を還(かえ)す李翠蓮(りすいれん)。
と。
かれ両箇(ふたり)は君王(くんのう)に辞(じ)し、径(ただ)ちに均州(きんしゅう)の城里(じょうり)に来るに、旧(もと)の家業(かぎょう=家産)・児女(じじょ)の俱に好きを見る。両口児(ふたり)は善果(ぜんか)を宣揚(せんよう)することは題(だい)せず。
さて、かの尉遅公(いちこう)、金銀(きんぎん)一庫(ひとくら)を将(ひっさ)げ、河南(かなん)の開封府(かいほうふ)に上りて相良(そうりょう)を訪看(ほうかん)るに、原(もと)来(もと)は水(みず)を売(う)って活(わざ)と為し、妻(つま)の張氏(ちょうし)と同(とも)に門首(もんしゅ)に在りて烏盆(うぼん)・瓦器(がき=陶器)を販売(はんばい)して営生(えいせい)てり。但だ些(いささ)かの錢児(せんじ=銭)を赚(もう)くるを得れば、只だ盤纏(ばんてん=路銀)を以て足(た)れりと為し、その多少(たしょう)は斎僧(さいそう)・布施(ふせ=喜捨)し、金銀紙錠(きんぎんしてい)を買(か)いて、記庫(きこ)して焚焼(ふんしょう=焼く)せり。故(ゆえ)にこの善果(ぜんか)の身(み)に臻(いた)る有るなり。陽世間(ようせかん)にはこれ一条(ひとすじ)の善(ぜん)を好(この)む窮漢(きゅうかん)なるも、那世裡(かしょ)には却(かえっ)てこれ積玉堆金(せきぎょくたいきん)の長者(ちょうじゃ=富豪)なり。
尉遅公(いちこう)金銀(きんぎん)を将(ひっさ)げてかれが門(かど)に送り上(あ)ぐれば、唬(おどろ)かされてかの相公(そうこう)・相婆(そうば)は魂飛魄散(こんひはくさん=魂も飛び魄も散る)す。また兼(か)ねて本府(ほんふ)の官員(かんいん=役人)有りて、茅舎(ぼうしゃ)の外(そと)に車馬(しゃば)の駢集(べんしゅう)するを、かの老(おい)たる両口子(ふたり)は痴(おろか)なるが如(ごと)く唖(おし)なるが如く、地(ち)に跪(ひざまず)きて、只だ磕頭(かいとう)し礼拝(らいはい=拝む)するのみ。尉遅公(いちこう)曰く、「老人家(ろうじんか)、請(こ)う起(た)てよ。我はこれ欽差官(きんさかん=勅使)なるも、却(かえっ)て我が王(おう)の金銀(きんぎん)を賚(も)ち来りて汝に送り還(かえ)すなり」と。
かれ戦戦兢兢(せんせんきょうきょう=おののき恐れ)として答(こた)えて曰く、「小的(せがれ)には甚(なん)の金銀(きんぎん)の放債(ほうさい)せるも無し、如何(いか)でか敢えてこの明(あき)らかならざるの財(たから)を受けんや」と。尉遅公(いちこう)曰く、「我もまた汝のこれ箇(ひとり)の窮漢(きゅうかん)なるを訪(たず)ね得たり。ただ汝の斎僧布施(さいそうふせ)して、その用(よう)を尽(つく)し、すなわち金銀紙錠(きんぎんしてい)を買弁(ばいべん)え、陰司(いんし)に焼(や)き記(しる)せしをもって、陰司(いんし)の裡には汝が積(つ)み下(おろ)せる錢鈔(せんしょう=紙銭)有るなり。これ我が太宗皇帝(たいそうこうてい)の死(し)して三日(みっか)にして、還魂(かんこん)して復(また)生(い)き、曾(かつ)てかの陰司(いんし)の裡に在りて汝が金銀(きんぎん)一庫(ひとくら)を借(か)りしを、今(いま)これ数(かず)に照(しょう)らして送り還(かえ)すなり。汝一一(いちいち)収(おさ)め下(くだ)せ、我の好く去きて旨(し=勅旨)を回すを等(ま)てよ」と。
かの相良(そうりょう)両口児(ふたり)は只だ朝天(ちょうてん)礼拝(らいはい)して、那(いず)くんぞ敢えて受けん。曰く、「小的(せがれ)若(も)しこれらの金銀(きんぎん)を受けば、すなわち死(し)の快(はや)からん。是(か)くのごとく紙(かみ)を焼(や)きて庫(くら)に記(しる)すといえども、これ乃(すなわ)ち冥冥(めいめい)の事(こと)なり、況(いわ)んや万歳(ばんぜい)爺爺(やや=帝)の那世裡(かしょ)に金銀(きんぎん)を借(か)りしに、何(なん)の証拠(しょうこ)か有らん。我は決(けっ)して敢えて受けず」と。尉遅公(いちこう)曰く、「陛下(へいか)の曰(おお)せらく、汝が物(もの)を借(か)りしは、崔判官(さいはんがん)の作保(さくほ)有りて証(あかし)と為すべしと。汝収(おさ)め下(くだ)せ」と。相良(そうりょう)曰く、「死(し)するもまたこれ敢えて受けざる所(ところ)なり」と。
尉遅公(いちこう)かれが苦苦(くく)推辞(すいじ=辞退)するを見て、只得(やむなく)本(ほん)を具(つぶさ)にし人を差(さ)し啓奏(けいそう)ぐ。太宗(たいそう)本(ほん)を見て、相良(そうりょう)の金銀(きんぎん)を受けざるを知(し)り、曰く、「これ誠(まこと)に善良(ぜんりょう)の長者(ちょうじゃ)と為るかな!」と。すなわち旨(し)を伝(つた)えて胡敬徳(こけいとく)に教(おし)え、金銀(きんぎん)を以てかれが為(ため)に寺院(じいん)を修理(しゅうり=修繕)し、生祠(せいし)を起盖(きがい)し、僧を請(しょう)じて善(ぜん)を做(な)さしめ、就(すなわ)ちかれに還(かえ)すの一般(ごとく)と為せと。旨意(しい=勅意)の到る日(ひ)、敬徳(けいとく)闕(けつ=宮門)を望(のぞ)んで恩を謝(しゃ)し、旨(し)を宣(せん)じて衆皆(みな)これを知(し)る。すなわち金銀(きんぎん)を将(もっ)て城里(じょうり)の軍民(ぐんみん)の無礙(むげ)の地基(ちき=土地)一段(ひとくぎり)、周囲(しゅうい)五十畝(ごじっぽ)の広闊(こうかつ=広さ)有るを買(か)い得、その上に在りて工(こう)を興(おこ)し、寺院(じいん)を起盖(きがい)して、名(な)を「敕建相国寺(ちょくけんしょうこくじ=勅建の相国寺)」と曰う。左(ひだり)には相公(そうこう)・相婆(そうば)の生祠(せいし)有り、碑(いしぶみ)を鐫(きざ)み石(いし)に刻(きざ)み、上に「尉遅公監造(いちこうかんぞう)」と写(うつ)せり。すなわち今(いま)の大相国寺(だいしょうこくじ)はこれなり。
工(こう)完(おわ)りて回奏(かいそう)するに、太宗(たいそう)甚(はなは)だ喜ぶ。
しかしてまた多官(たかん=諸臣)を聚集(しゅうしゅう=集め)し、榜(ほう)を出(いだ)して僧を招(まね)き、「水陸大会(すいりくだいえ=水陸道場の大法会)」を修建(しゅうけん)て、冥府(めいふ=冥界)の孤魂(こごん)を超度(ちょうど)さんとす。榜(ほう)を天下(てんか)に行(おこな)い、各処(かくしょ=各地)の官員(かんいん)に着(つ)けて道(みち)有るの高僧(こうそう)を推選(すいせん)し、長安(ちょうあん)に上りて会(え=法会)を做(な)さしむ。那(いず)くんぞ一箇月(ひとつき)の期(き)を消(へ)さん、天下(てんか)の多(おお)くの僧俱に到れり。
唐王(とうおう)旨(し=勅旨)を伝(つた)え、太史丞(たいしじょう)の傅奕(ふえき)に着(つ)けて高僧(こうそう)を選挙(せんきょ)げ、仏事(ぶつじ)を修建(しゅうけん)せしむ。傅奕(ふえき)旨(し)を聞くや、すなわち疏(そ)を上(たてまつ)りて浮屠(ふと=仏教)を止(とど)め、言を以て仏無しと為す。表(ひょう)に曰く、
「西域(せいいき)の法(ほう)は、君臣(くんしん)父子(ふし)無く、三途(さんず)六道(ろくどう)を以て、愚蠢(ぐどん)を蒙誘(もうゆう)く。既往(きおう)の罪(つみ)を追(お)い、将来(しょうらい)の福(ふく)を窺(うかが)い、口(くち)に梵言(ぼんごん=サンスクリットの経文)を誦(とな)えて、以て偷免(とうめん)を図(はか)る。且(か)つ生死(しょうじ)寿夭(じゅよう)は、本(もと)これ自然(しぜん)よりし、刑徳(けいとく)威福(いふく)は、これ人主(じんしゅ=君主)に系(かか)る。今(いま)聞くならく、俗徒(ぞくと)の矯托(きょうたく)して、皆(みな)仏に由(よ)ると云(い)うと。五帝(ごてい)・三王(さんおう)自(よ)り、未(いま)だ仏法(ぶっぽう)有らざりき、君(きみ)明(あき)らかに臣忠(ちゅう)にして、年祚(ねんそ)長久(ちょうきゅう)なり。漢明帝(かんめいてい)に至りて始(はじ)めて胡神(こしん)を立(た)つるも、然(しか)れども惟(た)だ西域(せいいき)の桑門(そうもん)のみ、自(みずか)らその教(おしえ)を伝(つた)う。実(じつ)に乃(すなわ)ち夷(い)の中国(ちゅうごく)を犯(おか)すなり、信(しん)と為すに足(た)らず」
と。
太宗(たいそう)言を聞き、すなわちこの表(ひょう)を擲(なげう)ちて群臣(ぐんしん)に付(ふ)してこれを議(ぎ)せしむ。
時(とき)に宰相(さいしょう)の蕭瑀有り、班(つらね)を出で俯伏(ふふく)して奏(そう)して曰く、「仏法(ぶっぽう)は屡朝(るちょう)より興(おこ)り、善(ぜん)を弘(ひろ)め悪(あく)を遏(とど)め、冥(くら)きに国家(こっか)を助(たす)け、理(ことわり)として廃棄(はいき)する無きなり。仏は聖人(せいじん)なり。聖(せい)に非(あら)ざる者は法(ほう)無し、請(こ)う、厳刑(げんけい)に置(お)かれよ」と。
傅奕(ふえき)と蕭瑀と論弁(ろんべん)う。傅奕言(い)う、礼(れい)は本(もと)親(おや)に事(つか)え君(きみ)に事(つか)うるよりし、而(しか)るに仏は親(おや)に背(そむ)きて出家(しゅっけ)し、匹夫(ひっぷ)を以て天子(てんし)に抗(あらが)い、継体(けいたい)を以て所親(しょしん)に悖(もと)ると。蕭瑀は空桑(くうそう)より生(うま)れず、乃(すなわ)ち無父(むふ)の教(おしえ)に遵(したが)う。正に所謂(いわゆる)「孝(こう)に非(あら)ざる者は親(おや)無し」なりと。蕭瑀但だ掌(て)を合(がっ)して曰く、「地獄(じごく)の設(もう)くるは、正にこれこの人の為(ため)なり」と。
太宗(たいそう)太僕卿(たいぼくけい)の張道源(ちょうどうげん)、中書令(ちゅうしょれい)の張士衡(ちょうしこう)を召(め)し、仏事(ぶつじ)の福(ふく)を営(いとな)むは、その応(おう=効験)如何(いかん)と問う。二臣(にしん)対(こた)えて曰く、「仏は清浄(しょうじょう)仁恕(じんじょ)に在り、果(か)は正(ただ)しく仏は空(くう)なり。周武帝(しゅうぶてい)は三教(さんきょう)を以て分次(ぶんじ=序列)せり。大慧禅師(だいえぜんじ)は讃(さん)の幽遠(ゆうえん)有り、衆を歴(へ)て供養(くよう)するも而(しか)も顕(あらわ)れざるは無く、五祖(ごそ)は投胎(とうたい=受胎)し、達摩(だるま)は現像(げんぞう)せり。古(いにしえ)自(よ)り、皆(みな)三教(さんきょう)の至尊(しそん)にして毀(やぶ)るべからず、廃(はい)すべからずと云(い)う。伏(ふ)して乞(こ)う、陛下(へいか)の聖鑒(せいかん)明裁(めいさい)あれ」と。
太宗(たいそう)甚(はなは)だ喜んで曰く、「卿(けい)が言は理(ことわり)に合(かな)えり。再(ふたた)び陳(のべ)る所(ところ)有る者は、これを罪(つみ)せん」と。すなわち魏徴(ぎちょう)と蕭瑀・張道源(ちょうどうげん)に着(つ)け、諸仏(しょぶつ)を邀請(ようせい)じ、一(ひとり)の大徳行(だいとくぎょう)有る者を選挙(せんきょ)して壇主(だんしゅ)と做(な)し、道場(どうじょう)を設建(せっけん)てしむ。衆は皆(みな)頓首(とんしゅ)して恩を謝(しゃ)して退(しりぞ)く。
この時(とき)自(よ)り法律(ほうりつ=法令)を出(いだ)せり。但だ僧を毀(そし)り仏を謗(そし)る者有れば、その臂(ひじ)を断(た)つと。
次日(よくじつ)、三位(さんい=三人)の朝臣(ちょうしん)、衆僧(しゅうそう)を聚(あつ)め、かの山川壇(さんせんだん)の裡に在りて、逐一(ちくいち)頭(かしら)より従(よ)りて査選(させん)ぶ。内(うち)一(ひとり)の徳行(とくぎょう)有るの高僧(こうそう)を選(えら)び得たり。
汝はかれのこれ誰人(たれ)なるを道(い)わんや。
霊通(れいつう)本諱(ほんき)号(ごう)して金蝉(きんせん)と曰う、
只だ無心(むしん)に仏の講(こう=説法)を聴(き)くに因(よ)り、
転託(てんたく)して塵凡(じんぼん)に苦(くる)しみ磨(ま=苦難)を受け、
世俗(せぞく)に降生(こうしょう)りて羅網(らもう=網)に遭(あ)う。
投胎(とうたい)し落地(らくち)してすなわち凶(きょう=凶事)に逢(あ)い、
未(いま)だ出でざるの前(さき)に悪党(あくとう)に臨(のぞ)む。
父(ちち)はこれ海州(かいしゅう)の陳状元(ちんじょうがん)、
外公(がいこう)は総管(そうかん)当朝(とうちょう)の長(ちょう)なり。
出身(しゅっしん)命(めい)落江星(らくこうせい)を犯(おか)し、
水(みず)に順(したが)い波(なみ)に随(したが)いて浪(ろう=波)を泱(ただよ)う。
海島(かいとう)金山(きんざん)に大縁(たいえん)有り、
遷安(せんあん)和尚(おしょう)かれを将(ひきう)けて養(やしな)う。
年(とし)方(まさ)に十八(じゅうはち)にして親娘(しんじょう)を認(みし)り、
特(こと)に京都(けいと=都)に赴(おもむ)きて外長(がいちょう)を求(もと)む。
総管(そうかん)は山(やま)を開(ひら)き大軍(たいぐん)を調(ちょう=動員)し、
洪州(こうしゅう)に寇(こう=賊)を剿(せいばい)し凶党(きょうとう)を誅(ちゅう=討)す。
状元(じょうがん)の光蕊(こうずい)は天羅(てんら)を脱(のが)れ、
子父(しふ)相逢(あいあ)いて賀奨(がしょう)に堪(た)えたり。
復(ま)た当今(とうこん)に謁(えっし)て主恩(しゅおん)を受け、
凌煙閣(りょうえんかく)の上に賢名(けんめい)響(ひび)く。
恩官(おんかん)を受けず願って僧と為り、
洪福(こうふく)沙門(しゃもん=仏門)に将(まさ)に道(みち)を訪(と)わんとす。
小字(しょうじ=幼名)を江流(こうりゅう)と曰い古仏(こぶつ)の児(こ)なり、
法名(ほうみょう=戒名)を喚(よ)んで陳玄奘(ちんげんじょう)と做(な)す。
と。
当日(そのひ)衆に対(たい)して玄奘法師(げんじょうほうし)を挙(あ)げ出(いだ)す。この人は幼(おさな)き自(よ)り僧と為り、娘胎(じょうたい)を出づるや、すなわち斎(とき=精進)を持(たも)ち戒(かい)を受く。かれが外公(がいこう)は当朝(とうちょう)一路(いちろ)の総管(そうかん)の殷開山(いんかいざん)なり。かれが父(ちち)の陳光蕊(ちんこうずい)は状元(じょうがん)に中(あた)り、官(かん)は文淵殿大学士(ぶんえんでんだいがくし)に拝(はい)せらる。一心(いっしん)に栄華(えいが)を愛(あい)せず、只だ修持(しゅじ=修行)寂滅(じゃくめつ=涅槃)を喜ぶ。
査(しら)ぶるに、かれが根源(こんげん=素姓)また好く、徳行(とくぎょう)また高(たか)し。千経万典(せんきょうばんてん=あらゆる経典)に通(つう)ぜざるは無く、仏号仙音(ぶつごうせんのん=仏の名号と仙の音声)に会(え=会得)せざるは般(たぐい=類)無し。当時(そのとき)三位(さんい)は御前(ごぜん)に引(ひ)き至れば、塵(ちり)を揚(あ)げ舞蹈(ぶとう)す。拝(はい)し罷(おわ)りて奏(そう)して曰く、「臣瑀(う)等(ら)、聖旨(せいし)を蒙(こうむ)り、高僧(こうそう)一名(ひとり)の陳玄奘(ちんげんじょう)を選(えら)び得たり」と。
太宗(たいそう)その名(な)を聞き、良久(りょうきゅう)沈思(ちんし)んで曰く、「これ学士(がくし)の陳光蕊(ちんこうずい)が児(こ)の玄奘(げんじょう)なるか」と。江流児(こうりゅうじ)叩頭(こうとう)して曰く、「臣は正にこれなり」と。太宗(たいそう)喜んで曰く、「果(はた)してこれを挙(あ)ぐるに錯(あやま)ち無し。誠(まこと)に徳行(とくぎょう)有り禅心(ぜんしん)有るの和尚(おしょう)と為るかな。朕は汝に左僧綱(さそうごう)・右僧綱(うそうごう)・天下大闡都僧綱(てんかだいせんとそうごう)の職(しょく)を賜(たま)わん」と。玄奘(げんじょう)頓首(とんしゅ)して恩を謝(しゃ)し、大闡(だいせん)の官爵(かんしゃく)を受く。また五彩織金袈裟(ごさいしょくきんけさ)一件(ひとえ)、毗盧帽(びるぼう)一頂(ひとつ)を賜(たま)う。かれに教(おし)えて心(こころ)を用(もち)いて再(ふたた)び明僧(みょうそう)を拝(はい)し、闍黎(じゃり)班首(はんしゅ)に排次(はいじ)べ、旨意(しい=勅意)を書弁(しょべん)え、化生寺(けしょうじ)に前赴(のぼむ)き、吉日良時(きちじつりょうじ=佳き日と佳き刻)を擇(えら)び定(さだ)め、経法(きょうほう)を開演(かいえん)かしむ。
玄奘(げんじょう)再拝(さいはい)して旨(し)を領(う)けて出づ。すなわち化生寺(けしょうじ)の裡に到り、多僧(たそう)を聚集(しゅうしゅう)し、禅榻(ぜんとう)を打造(だぞう)り、功徳(くどく)を装修(しゅうしゅう)え、音楽(おんがく=仏楽)を整理(せいり)う。選(えら)び得たる大小(だいしょう)の明僧(めいそう)計(あまた)一千二百名(いっせんにひゃくめい)、上中下(じょうちゅうげ)の三堂(さんどう)に分派(ぶんぱ)す。諸所(しょしょ)の仏前(ぶつぜん)の物件(ぶっけん=仏具)皆(みな)斉(ととの)い、頭頭(ずず)次(ついで=順序)有り。
選(えら)ぶに本年(ほんねん)九月(くがつ)初三日(みっか=三日)に到る。黄道良辰(こうどうりょうしん)に、七七四十九日(しちしちしじゅうくにち)の「水陸大会(すいりくだいえ)」を開啟(かいけい)す。すなわち表(ひょう)を具(つぶさ)にして申奏(しんそう)ぐれば、太宗(たいそう)及び文武(ぶんぶ)・国戚(こくせき=外戚)・皇親(こうしん=皇族)は、俱に期(き)に至りて会(え=法会)に赴(おもむ)き、香(こう)を拈(ひね)りて講(こう=説法)を聴(き)く。詩(し)有りて証(あかし)と做(な)す。詩に曰く、
龍集(りゅうしゅう=龍の年次、歳をいう)貞観(じょうかん)正に十三(じゅうさん)、
王(おう)大衆(だいしゅ=多衆)を宣(せん)して把(もっ)て経(きょう)を談(だん)ず。
道場(どうじょう)開演(かいえん)して無量法(むりょうほう)、
雲霧(うんむ)光(ひかり)を乗(じょう)じて大願龕(たいがんがん)に至る。
御敕(ぎょちょく=勅命)恩を垂(た)れて上刹(じょうさつ)を修(おさ)め、
金蝉(きんせん)殻(から)を脱(だっ)して西涵(せいかん)を化(け)す。
普(あまね)く善果(ぜんか)を施(ほどこ)して沈設(ちんせつ)を超(こ)え、
教(おしえ)を秉(と)りて宣揚(せんよう)し前後(ぜんご)三(みたび)なり。
と。
貞観(じょうかん)十三年(じゅうさんねん)、歳(とし)己巳(きし)に次(つ)ぐ。九月(くがつ)甲戌(こうじゅつ)、初三日(みっか)、癸卯(きぼう)の良辰(りょうしん)なり。陳玄奘(ちんげんじょう)大闡法師(だいせんほうし)、一千二百名(いっせんにひゃくめい)の高僧(こうそう)を聚集(しゅうしゅう)し、都(すべ)て長安城(ちょうあんじょう)の化生寺(けしょうじ)に在りて諸品(しょほん=諸々)の妙経(みょうきょう)を開演(かいえん)す。
かの皇帝(こうてい)、早朝(そうちょう)已(すで)に畢(おわ)り、文武(ぶんぶ)の多官(たかん)を帥(ひき)い、鳳輦龍車(ほうれんりゅうしゃ=鳳の輦と龍の車)に乗(じょう)じ、金鑾宝殿(きんらんほうでん)を出で離(はな)れ、径(ただ)ちに寺(てら)に上りて香(こう)を拈(ひね)る。
怎(いか)でかかの鑾駕(らんが)を見んや。真箇(まこと)にこれ:
一天(いってん)の瑞気(ずいき)、
万道(ばんどう)の祥光(しょうこう)。
仁風(じんぷう)軽(かる)く淡蕩(たんとう)、
化日(かにち)麗(うるわ)しく非常(ひじょう)。
千官(せんかん)の環珮(かんぱい)前後(ぜんご)を分(わか)ち、
五衛(ごえい)の旌旗(せいき=旗幟)両旁(りょうぼう=両側)に列(つら)ぬ。
金瓜(きんか)を執(と)り、斧鉞(ふえつ)を擎(ささ)ぐ、双双対対(そうそうついつい=二つ並び二つ対し)。
絳紗燭(こうしゃしょく)、御炉香(ぎょろこう)、靄靄堂堂(あいあいどうどう)。
龍飛(りゅうひ)し鳳舞(ほうぶ)し、鶚薦(がくせん)鷹揚(おうよう)。
聖明(せいめい)の天子(てんし)正(ただ)しく、忠義(ちゅうぎ)の大臣(だいじん)良(よ)し。
介福(かいふく)千年(せんねん)舜禹(しゅんう)を過(す)ぎ、
昇平(しょうへい=泰平)万代(ばんだい)堯湯(ぎょうとう)を賽(こ)う。
また見よ、かの曲柄傘(きょくへいさん)、滾龍袍(こんりゅうほう)、輝光(きこう)相(あい)射(さ)し、
玉連環(ぎょくれんかん)、彩鳳扇(さいほうせん)、瑞靄(ずいあい)飄揚(ひょうよう)。
珠冠(しゅかん)玉帯(ぎょくたい)、紫綬(しじゅ)金章(きんしょう)。
護駕軍(ごがぐん)千隊(せんたい)、
扶輿将(ふよしょう)両行(りょうこう=二列)。
この皇帝(こうてい)沐浴(もくよく)して虔誠(けんせい=篤く)に仏を尊敬(そんけい)し、
善果(ぜんか)に皈依(きえ=帰依)して喜んで香(こう)を拈(ひね)る。
と。
唐王(とうおう)の大駕(たいが)、早(はや)くも寺前(じぜん)に到る。吩咐(いいつけ)て音楽(おんがく)響器(きょうき)を住(とど)めしめ、車輦(しゃれん=車)を下(おり)り、多官(たかん)を引(ひ)きて、仏を拝(はい)し香(こう)を拈(ひね)る。三匝(さんそう)已(すで)に畢(おわ)り、頭(こうべ)を挙(あ)げて観(み)れば、果(はた)して好き一座(ひとつ)の道場(どうじょう)なり。但だ見よ:
幢幡(どうばん)飄舞(ひょうぶ)、宝蓋(ほうがい)飛輝(ひき)。
幢幡(どうばん)飄舞(ひょうぶ)して、空(そら)に凝(こ)る道道(どうどう)の彩霞(さいか)を揺(ゆ)らし、
宝蓋(ほうがい)飛輝(ひき)して、日(ひ)に映(えい)ずる翩翩(へんへん)の紅電(こうでん)を徹(とお)す。
世尊(せそん=釈迦)の金像(きんぞう)貌(ぼう=姿)臻臻(しんしん)、
羅漢(らかん)の玉容(ぎょくよう)威烈烈(いれつれつ)。
瓶(へい=花瓶)には仙花(せんか)を插(さ)し、炉(ろ)には檀降(だんこう)を焚(た)く。
瓶に仙花を插して、錦樹(きんじゅ)輝輝(きき)として宝刹(ほうさつ=仏寺)に漫(あまね)く、
炉に檀降を焚いて、香雲(こううん)靄靄(あいあい)として清霄(せいしょう)に透(とお)る。
時新(じしん)の果品(かひん=果物)朱盤(しゅばん)に砌(つ)み、
奇様(きよう)の糖酥(とうそ)彩案(さいあん)に堆(つ)む。
高僧(こうそう)羅列(られつ)ねて真経(しんきょう)を誦(とな)え、
願わくは孤魂(こごん)を抜(すく)いて苦難(くなん)を離(はな)れしめんとす。
と。
太宗(たいそう)文武(ぶんぶ)は俱に各(おのおの)香(こう)を拈(ひね)り、仏祖(ぶっそ)の金身(こんしん)を拝(はい)し、羅漢(らかん)に参(さん=参拝)す。また見よ、かの大闡都綱(だいせんとこう)の陳玄奘法師(ちんげんじょうほうし)の、衆僧(しゅうそう)を引(ひ)きて唐王(とうおう)に羅拝(らはい)せるを。礼(れい)畢(おわ)り、班(つらね)を分(わか)ちて各(おのおの)禅位(ぜんい=座)に安(やす)んず。法師は済孤榜文(さいこぼうぶん=孤魂を済う榜文)を献上(けんじょう)して太宗(たいそう)に看しむ。榜(ぼう)に曰く、
「至徳(しとく)渺茫(びょうぼう)、禅宗(ぜんしゅう)寂滅(じゃくめつ=涅槃)なり。清浄霊通(しょうじょうれいつう)、三界(さんがい)に周流(しゅうりゅう)る。千変万化(せんぺんばんか)、陰陽(いんよう)を統摂(とうせつ)む。体用(たいゆう)真常(しんじょう)、窮極(きゅうきょく)無きのみ。彼(か)の孤魂(こごん)を観(み)るに、深(ふか)く宜(よろ)しく哀愍(あいみん)むべし。これ太宗(たいそう)の聖命(せいめい)を奉(ほう)じ、諸僧(しょそう)を選集(せんしゅう)し、禅(ぜん)に参(さん)じ法(ほう)を講(こう)ず。大いに方便門庭(ほうべんもんてい=便宜の門と庭)を開(ひら)き、広(ひろ)く慈悲舟楫(じひしゅうしゅう=慈悲の船と櫂)を運(めぐ)らし、普(あまね)く苦海(くかい)の群生(ぐんしょう)を済(すく)い、沈痾(ちんあ)六趣(ろくしゅ=六道)を脱免(だつめん)せしむ。真路(しんろ)に引(ひ)き帰(かえ)し、普(あまね)く鴻濛(こうもう)を玩(もてあそ)ばしむ。動止(どうし)無為(むい)にして、純素(じゅんそ=純朴)を混成(こんせい)す。この良因(りょういん)を仗(たの)みて、清都絳闕(せいとこうけつ)に邀賞(ようしょう)られんことを、我が勝会(しょうえ)に乗(じょう)じて、地獄(じごく)の樊籠(はんろう)を脱離(だつり)し、早(はや)く極楽(ごくらく)に登(のぼ)りて任(まま)に逍遥(しょうよう)み、西方(さいほう)に来往(らいおう)して随(まか)せ自在(じざい)ならんことを」
と。
詩(し)に曰く、
一炉(いろ)の永寿香(えいじゅこう)、
幾巻(すこしのまき)の超生籙(ちょうしょうろく)。
無辺(むへん)の妙法(みょうほう)宣(の)べ、
無際(むさい)の天恩(てんおん)沐(こうむ)る。
冤孽(えんごう)尽(ことごと)く消除(しょうじょ)かれ、
孤魂(こごん)皆(みな)獄(ごく)を出づ。
願わくは我が邦家(ほうか)を保(たも)ち、
清平(せいへい)に万年(まんねん)の福(ふく)あれ。
と。
太宗(たいそう)看て、満心(まんしん)に歓喜(かんぎ)す。衆僧(しゅうそう)に曰く、「汝等(なんじら)丹衷(たんちゅう=真心)を秉(と)り立(た)て、切(せつ)に仏事(ぶつじ)を怠慢(たいまん)ること休(や)めよ。後(のち)功(こう)の成(な)り完備(かんび=整)うを待(ま)ちて、各各(おのおの)福(ふく)の帰(き)する有るべし。朕当(まさ)に重(おも)く賞(しょう)し、決(けっ)して空(むな)しく労(ろう)せしめじ」と。
かの一千二百(いっせんにひゃく)の僧、一斉(いっせい)に頓首(とんしゅ)して称謝(しょうしゃ=感謝)す。当日(そのひ)三斎(さんさい)已(すで)に畢(おわ)り、唐王(とうおう)駕(が=車駕)を回す。七日(なのか)の正会(しょうえ)を待(ま)ちて、復(ま)た拈香(ねんこう)を請(こ)わんとす。
時(とき)に天色(てんしょく)将(まさ)に晚(く)れんとす。各官(かっかん=諸官)は俱に退(しりぞ)く。怎(いか)でか好き晚(くれ)なるを見んや。汝看よ、かの:
万里(ばんり)の長空(ちょうくう=大空)淡(あわ)く輝(かがやき)を落(おと)し、
帰鴉(きあ)数点(すうてん)下(くだ)りて栖(すみか)に遅(おそ)し。
満城(まんじょう)の灯火(とうか)人烟(じんえん)静(しず)かに、
正にこれ禅僧(ぜんそう)の入定(にゅうじょう)の時(とき)なり。
と。
一宿(いっしゅく=一夜)の晩景(ばんけい)は題(だい)し過(す)ぐ。次早(よくあさ)、法師また座(ざ)に升(のぼ)り、衆を聚(あつ)めて経(きょう)を誦(とな)うることは題(だい)せず。
さて、南海(なんかい)普陀山(ふださん)の観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)は、如来(にょらい)の仏旨(ぶっし)を領(う)けし自(よ)り、長安城(ちょうあんじょう)に在りて取経(しゅきょう)の善人(ぜんにん)を訪察(ほうさつ)するに、日久(ひひさ)未(いま)だ真実(しんじつ=真の)徳行(とくぎょう)有る者に逢(あ)わず。
忽(たちまち)聞くならく、太宗(たいそう)は善果(ぜんか)を宣揚(せんよう)し、高僧(こうそう)を選挙(せんきょ)し、大会(だいえ)を開建(かいけん)むと。また見るならく、法師壇主(だんしゅ)たるは乃(すなわ)ち江流児(こうりゅうじ)和尚(おしょう)にして、正にこれ極楽(ごくらく)中(ちゅう)より降(くだ)り来れる仏子(ぶっし)なり、またこれかれが原(もと)引(ひ)き送りて投胎(とうたい=受胎)せし長老(ちょうろう)なりと。菩薩(ぼさつ)十分(じゅうぶん)に歓喜(かんぎ)し、すなわち仏の賜(たま)える宝貝(ほうばい=宝物)を将(ひっさ)げて長街(ちょうがい)に捧(ささ)げ上し、木叉(もくしゃ)と貨売(かばい)く。
汝はかれがこれ何(なん)の宝貝(ほうばい)なるを道(い)わんや。一件(ひとつ)の錦襴異宝袈裟(きんらんいほうけさ)、九環錫杖(きゅうかんしゃくじょう)有り。また那(か)の金(きん)・緊(きん)・禁(きん)の三箇(みつ)の箍児(こじ)有りて、密密(みつみつ)蔵(かく)し収(おさ)め、以て後(のち)の用(よう)を俟(ま)つ。只だ袈裟(けさ)・錫杖を将(もっ)て出売(しゅつばい)すのみ。
長安城(ちょうあんじょう)の裡に、かの選(えら)び中(あた)らざる愚僧(ぐそう)有りて、倒(かえっ)て幾貫(いくかん)の村鈔(そんしょう)有り。菩薩(ぼさつ)の変化(へんげ)じて箇(ひとつ)の疥癩(かいらい)の形容(けいよう=姿)と為り、身(み)には破衲(はのう)を穿(き)、赤脚(せききゃく=裸足)光頭(こうとう)なるを見て、袈裟(けさ)を捧(ささ)げ定(さだ)めて艶艶(えんえん)に生光(せいこう)ずるを、かれ前に進みて問うて曰く、「那(そ)の癩和尚(らいおしょう)よ、汝が袈裟(けさ)は多少(いくら)の価錢(あたい)を売(う)らんと要(もと)むるや」と。菩薩(ぼさつ)曰く、「袈裟(けさ)の価値(あたい)は五千両(ごせんりょう)、錫杖の価値は二千両(にせんりょう)なり」と。
かの愚僧(ぐそう)笑(わら)って曰く、「この両箇(ふたり)の癩和尚(らいおしょう)はこれ瘋子(ふうし)なり!これ傻子(ばか)なり!この両件(ふたつ)の粗物(そぶつ)が、すなわち七千両(ななせんりょう)の銀子(ぎんし=銀)に売(う)るるを得(う)るは、只だ身(み)に穿(き)て上へ長生不老(ちょうせいふろう=長生きして老いず)ならんことを除(のぞ)き、就(すなわ)ち仏と成(な)り祖(そ=祖師)と作(な)るを得るとも、またこれ許多(あまた)に値(あたい)するを得ず!拿(と)って去(さ)れ!売(う)り成(な)らず!」と。
かの菩薩(ぼさつ)は更(さら)に争(あらそ)い吵(さわ)がず、木叉(もくしゃ)と前へ向(むか)いてまた走(ゆ)く。行(ゆ)くこと多時(たじ)に勾(わた)り、東華門(とうかもん)の前に来り到るに、正に宰相(さいしょう)の蕭瑀の朝(ちょう)を散(さん)じて回るに撞(ぶつ)かれり。衆の頭踏(とうとう)は街道(かいどう=通り)を喝開(かつかい)く。
かの菩薩(ぼさつ)は公然(こうぜん)避(さ)けず、当街(とうがい)に在りて袈裟(けさ)を拿(と)り、径(ただ)ちに宰相(さいしょう)を迎(むか)う。宰相(さいしょう)馬(うま)を勒(たづなをひ)きて観(み)るに、袈裟(けさ)の艶艶(えんえん)として生光(せいこう)するを見、手(て)の下(もと)の者を着(つ)けて那(そ)の袈裟(けさ)を売(う)る者に価(あたい)の幾何(いくばく)なるを問わしむ。菩薩(ぼさつ)曰く、「袈裟(けさ)は五千両(ごせんりょう)を要(もと)め、錫杖は二千両(にせんりょう)を要む」と。
蕭瑀曰く、「何(なん)の好処(こうしょ)有りて、この般(ほど)の高価(こうか)に値(あたい)するや」と。菩薩(ぼさつ)曰く、「袈裟(けさ)には好処(こうしょ)有り、不好処(ふこうしょ)有り。錢(ぜに)を要(もと)むる処(ところ)有り、錢を要(い)らざる処有り」と。蕭瑀曰く、「何(なに)をか好しと為し、何をか不好(あ)しと為すや」と。
菩薩(ぼさつ)曰く、「我が袈裟(けさ)を着(き)れば、沈淪(ちんりん)に入らず、地獄(じごく)に堕(お)ちず、悪毒(あくどく=邪悪)の難(なん)に遭(あ)わず、虎狼(ころう)の災(わざわい)に遇(あ)わざるは、すなわちこれ好処(こうしょ)なり。若(も)し淫(いん)を貪(むさぼ)り禍(わざわい)を楽(たの)しむの愚僧(ぐそう)、斎(とき)せず戒(かい)ざるの和尚(おしょう)、経(きょう)を毀(やぶ)り仏を謗(そし)るの凡夫(ぼんぶ=凡俗)は、我が袈裟(けさ)の面(おもて)を見ること難(かた)し、これすなわち不好処(ふこうしょ)なり」と。
また問うて曰く、「何(なに)をか錢(ぜに)を要(もと)むると為し、錢を要(い)らずとは」と。菩薩(ぼさつ)曰く、「仏法(ぶっぽう)に遵(したが)わず、三宝(さんぼう)を敬(うやま)わず、強(し)いて袈裟(けさ)・錫杖を買(か)わんとし、定(かなら)ずかれに七千両(ななせんりょう)を売(う)らんと要(もと)むるは、これすなわち錢を要むるなり。若(も)し三宝(さんぽう)を敬重(けいちょう)し、善(ぜん)を見て随喜(ずいき)し、我が仏に皈依(きえ)し、承(う)け受くるに堪(た)えたらば、我袈裟(けさ)・錫杖を将(もっ)て、願ってかれに送り、我と箇(ひとつ)の善縁(ぜんえん)を結(むす)ばんとす、これすなわち錢を要(い)らざるなり」と。
蕭瑀言を聞き、倍(ますます)春色(しゅんしょく=春めいた喜びの色)を添(そ)え、かれのこれ箇(ひとり)の好人(こうにん)なるを知(し)る。すなわち下馬(げば)し、菩薩(ぼさつ)と礼(れい)を以て相見(しょうけん=面会)す。口(くち)に「大法長老(だいほうちょうろう=大法の長老)」と称(しょう)して曰く、「我が蕭瑀が罪(つみ)を恕(ゆる)されよ。我が大唐(だいとう)の皇帝(こうてい)は十分(じゅうぶん)に善(ぜん)を好(この)み、満朝(まんちょう)の文武(ぶんぶ)は、これを行(おこな)わざるは無し。即今(ただいま)『水陸大会(すいりくだいえ)』を起建(きけん)せり。この袈裟(けさ)は正に好く大都闡(だいとせん)の陳玄奘法師(ちんげんじょうほうし)に与(あた)えて穿用(せんよう=着用)せしむべし。我汝と入朝(にゅうちょう)して駕(が=天子)に見(まみ)えんに去かん」と。
菩薩(ぼさつ)欣然(きんぜん)でこれに従(したが)い、歩(あゆみ)を転(てん)じ回(まわ)し、径(ただ)ちに東華門(とうかもん)の裡に進む。黄門官(こうもんかん)転奏(てんそう)し、旨(し)を蒙(こうむ)って宝殿(ほうでん)に宣(せん)じ至らる。蕭瑀の両箇(ふたり)の疥癩(かいらい)の僧人(そうにん)を引(ひ)きて、階下(かいか)に立(た)てるを見る。唐王(とうおう)問うて曰く、「蕭瑀は来りて何事(なにごと)をか奏(そう)するや」と。
蕭瑀階前(かいぜん)に俯伏(ふふく)して曰く、「臣東華門(とうかもん)の前を出でしに、偶(たまたま)二僧(にそう)に遇(あ)えり、乃(すなわ)ち袈裟(けさ)と錫杖とを売(う)る者なり。臣思(おも)うに法師の玄奘(げんじょう)はこの服(ふく)を着(き)るべし、故(ゆえ)に僧人(そうにん)を領(ひき)いて啓見(けいけん)せり」と。太宗(たいそう)大いに喜び、すなわち那(そ)の袈裟(けさ)の価値(あたい)の幾何(いくばく)なるを問う。
菩薩(ぼさつ)と木叉(もくしゃ)は階下(かいか)に侍立(じりつ)ち、更(さら)に礼(れい)を行(おこな)わず。袈裟(けさ)の価(あたい)を問わるるに因(よ)り、答(こた)えて曰く、「袈裟(けさ)は五千両(ごせんりょう)、錫杖は二千両(にせんりょう)なり」と。太宗(たいそう)曰く、「那(そ)の袈裟(けさ)に何(なん)の好処(こうしょ)有りて、すなわち許多(あまた)に値(あたい)するや」と。菩薩(ぼさつ)曰く、
「この袈裟(けさ)は、龍(りゅう)一縷(ひとすじ)を披(き)れば、大鵬(たいほう)の吞噬(どんぜい)の災(わざわい)を免(まぬか)れ、鶴(つる)一絲(いと)を掛(か)くれば、超凡入聖(ちょうぼんにゅうしょう)の妙(みょう)を得(う)。但だ坐(ざ)する処(ところ)には、万神(ばんしん)の朝礼(ちょうらい)有り。凡(およ)そ挙動(きょどう)には、七仏(しちぶつ)の随身(ずいしん)有り。
この袈裟(けさ)はこれ冰蚕(ひょうさん)の造練(ぞうれん)の抽絲(ちゅうし)にして、巧匠(こうしょう)が翻騰(ほんとう)て線(いと)と為す。仙娥(せんが=仙女)織(お)り就(な)し、神女(しんにょ)機(はた)に成(な)し、方方(ほうほう)簇幅(ぞくふく)に花(はな)を繍(ぬ)い縫(ぬ)い、片片(へんぺん)相(あい)帮(たす)けて錦簆(きんこう)を堆(つ)む。玲瓏(れいろう)散砕(さんさい)て妝花(しょうか)を闘(あらそ)わせ、色(いろ)亮(あき)らかに光(ひかり)を飄(ひるがえ)して宝艶(ほうえん)を噴(ふ)く。穿(き)てば満身(まんしん)に紅霧(こうむ)繞(まと)い、脱(ぬ)ぎ来れば一段(ひときれ)の彩雲(さいうん)飛(と)ぶ。三天門(さんてんもん)の外(そと)に元光(げんこう)を透(とお)し、五岳山(ごがくさん)の前に宝気(ほうき)を生(しょう)ず。重重(じゅうじゅう)嵌(かん)め就(な)せる西番蓮(せいばんれん)、灼灼(しゃくしゃく)として珠(たま)を懸(か)けて星斗(せいと=星々)に象(かたど)る。四角(よすみ)の上には夜明珠(やめいしゅ)有り、頂間(ちょうかん)に一顆(ひとつ)の祖母緑(そぼりょく)有り。全(まった)く本(もと)の体(からだ)を照(てら)すこと無きも、また生光(せいこう)の八宝(はっぽう)の集(あつ)まり有り。
この袈裟(けさ)は、閑(ひま)なる時(とき)は折迭(せつてつ)み、聖(ひじり)に遇(あ)いて才(はじ)めて穿(き)る。閑なる時折迭(おりたた)みて、千層(せんそう)の包裹(ほうか=包み)虹霓(こうげい=虹)を透(とお)し、聖に遇いて才めて穿れば、諸天(しょてん)の神鬼(しんき)を驚(おどろ)かし動(うご)かして怕(おそ)る。上辺(うえべり)には如意珠(にょいじゅ)・摩尼珠(まにじゅ)・辟塵珠(へきじんじゅ)・定風珠(じょうふうじゅ)有り。また那(か)の紅瑪瑙(こうめのう)・紫珊瑚(しさんご)・夜明珠(やめいしゅ)・舎利子(しゃりし)有り。月(つき)を偸(ぬす)んで白(しろ)く沁(し)み、日(ひ)と紅(あか)さを争(あらそ)う。条条(じょうじょう)の仙気(せんき)空(そら)に盈(み)ち、朵朵(だだ)の祥光(しょうこう)聖(ひじり)を捧(ささ)ぐ。条条の仙気空に盈(み)ちて、天関(てんかん)を照(てら)し徹(とお)し、朵朵の祥光聖を捧(ささ)げて、影(かげ)世界(せかい)に遍(あまね)し。山川(さんせん)を照(て)らして、虎豹(こひょう)を驚(おどろ)かし、海島(かいとう)に影(かげ)して、魚龍(ぎょりゅう)を動(うご)かす。沿辺(えんぺん)両道(ふたすじ)の銷金鎖(しょうきんさ)有り、叩領(こうれい)に白玉琮(はくぎょくそう)を連環(れんかん)ぬ。
詩(し)に曰く、
三宝(さんぽう)巍巍(ぎぎ)として道(みち)尊(たっと)ぶべし、
四生(ししょう)六道(ろくどう)尽(ことごと)く評論(ひょうろん)す。
心(こころ)を明(あき)らかにして人天法(にんでんほう)を解養(げよう)て、
性(しょう)を見て能(よ)く智慧灯(ちえとう)を伝(つた)う。
護体(ごたい)荘厳(そうごん)にして金世界(きんせかい)、
身心(しんしん)清浄(しょうじょう)にして玉壺冰(ぎょっこひょう)。
仏の袈裟(けさ)を制(さだ)めし自(よ)り、万劫(まんごう)誰(たれ)か能(よ)く敢えて僧を断(た)たんや」
と。
唐王(とうおう)かの宝殿(ほうでん)の上に在りて言を聞き、十分(じゅうぶん)に歓喜(かんぎ)す。また問うて曰く、「那(そ)の和尚(おしょう)よ、九環杖(きゅうかんじょう=九つの環ある杖)に甚(なん)の好処(こうしょ)か有る」と。菩薩(ぼさつ)曰く、「我がこの錫杖は、これ那(か)の:
銅(どう)を鑲(ちりば)め鉄(てつ)に造(つく)れる九連環(きゅうれんかん=九つの連なる環)、
九節(きゅうせつ)の仙藤(せんとう)永(なが)く顔(かんばせ)を駐(とど)む。
手(て)に入れて厭(あ)きて看れば青骨(せいこつ)瘦(や)せたり、
山(やま)を下(くだ)れば軽(かる)く白雲(はくうん)を帯(たい)して還(かえ)る。
摩訶(まか)五祖(ごそ)は天闕(てんけつ)に游(あそ)び、
羅卜(らぼく)は娘(はは)を尋(たず)ねて地関(ちかん)を破(やぶ)る。
紅塵(こうじん)の些子(しゃし)の穢(けが)れをも染(し)みず、
喜んで神僧(しんそう)に伴(ともな)いて玉山(ぎょくざん)に上る」
と。
唐王(とうおう)言を聞き、すなわち袈裟(けさ)を展開(てんかい)かしめ、頭(かしら)より従(よ)りて細(こま)かに看るに、果(はた)してこれ件(ひとつ)の好物(こうぶつ)なり。曰く、「大法長老(だいほうちょうろう)よ、実(じつ)に汝を瞞(あざむ)かず。朕今(いま)大いに善教(ぜんきょう)を開(ひら)き、広(ひろ)く福田(ふくでん)を種(う)え、見在(ただいま)かの化生寺(けしょうじ)に在りて多僧(たそう)を聚集(しゅうしゅう)し、経法(きょうほう)を敷演(ふえん)かしむ。内(うち)に一箇(ひとり)の大いに徳行(とくぎょう)有る者有り、法名(ほうみょう)を玄奘(げんじょう)と曰う。朕汝がこの両件(ふたつ)の宝物(ほうぶつ)を買(か)いて、かれに賜(たま)いて受用(じゅよう)せしめんとす。汝端的(いったい)に価(あたい)幾何(いくばく)をか要(もと)むるや」と。
菩薩(ぼさつ)言を聞き、木叉(もくしゃ)と掌(て)を合(がっ)して皈依(きえ)し、仏号(ぶつごう)を一声(ひとこえ)道(い)い、躬身(きゅうしん)して上に啓(けい)して曰く、「既(すで)に徳行(とくぎょう)有れば、貧僧(ひんそう=拙僧)願ってかれに送らん、決(けっ)して錢(ぜに)を要(い)らず」と。説(と)き罷(おわ)り、身(み)を抽(ぬ)きんで便(すなわ)ち走(さ)る。
唐王(とうおう)急(いそ)ぎ蕭瑀を着(つ)けて扯(ひ)き住(とど)めしめ、身(み)を欠(かが)めて殿上(でんじょう)に立(た)てり。問うて曰く、「汝は原(もと)袈裟(けさ)は五千両(ごせんりょう)、錫杖は二千両(にせんりょう)と曰えり。汝朕の買(か)わんと要(もと)むるを見て、すなわち錢(ぜに)を要(い)らずとは、敢えて朕の心(こころ)の君位(くんい)に倚恃(いじ)り、強(し)いて汝が物件(ぶっけん=品々)を要(もと)むると曰うか。—更(さら)にこの理(ことわり)無し。朕汝が原価(げんか)に照(しょう)らして奉償(ほうしょう)らん、却(かえっ)て推避(すいひ)るべからず」と。
菩薩(ぼさつ)手(て)を起(おこ)して曰く、「貧僧(ひんそう)に願(がん)の前(さき)に在る有り。原(もと)曰えるは、果(はた)して三宝(さんぽう)を敬重(けいちょう)し、善(ぜん)を見て随喜(ずいき)し、我が仏に皈依(きえ)する者有らば、錢(ぜに)を要(い)らず、願ってかれに送らんと。今(いま)陛下(へいか)の明徳止善(めいとくしぜん)にして、我が仏門(ぶつもん)を敬(うやま)うを見る。況(いわ)んやまた高僧(こうそう)の徳(とく)有り行(ぎょう)有りて、大法(だいほう)を宣揚(せんよう)するをや。理(ことわり)として当(まさ)に奉上(ほうじょう)るべし、決(けっ)して錢(ぜに)を要(い)らず。貧僧(ひんそう)願わくはこの物(もの)を留(とど)め置(お)きて告回(こっかい)せん」と。
唐王(とうおう)かれがこの等(よう)に勤懇(きんこん)なるを見て、甚(はなは)だ喜ぶ。随(したが)いて光禄寺(こうろくじ=宮中の供饌を司る署)に命(めい)じ、大いに素宴(すえん)を排(はい)して酬謝(しゅうしゃ)す。菩薩(ぼさつ)また堅(かた)く辞(じ)して受けず、暢然(ちょうぜん)として去(さ)る。依(よ)り旧(もと)のごとく都土地廟(ととちびょう)の中(うち)を望(さ)し、隠避(いんぴ)すことは題(だい)せず。
さて、太宗(たいそう)午朝(ごちょう)を設(もう)け、魏徴(ぎちょう)を着(つ)けて旨(し=勅旨)を賚(も)たしめ、玄奘(げんじょう)を宣(せん)じて朝(ちょう)に入らしむ。かの法師は正に衆を聚(あつ)めて壇(だん)に登(のぼ)り、経(きょう)を諷(ふん=誦)し偈(げ)を誦(とな)うる処(ところ)なるに、旨(し)有るを一聞(いちぶん)くや、随(したが)いて壇(だん)を下(くだ)り衣(い)を整(ととの)え、魏徴(ぎちょう)と同(とも)に往(ゆ)きて駕(が=天子)に見(まみ)ゆ。
太宗(たいそう)曰く、「善事(ぜんじ)を求証(ぐしょう)せんとするに、法師を労(ろう)せり、物(もの)の酬謝(しゅうしゃ)すべき無し。早間(そうかん=今朝)蕭瑀が二僧(にそう)を迎(むか)えしに、願って錦襴異宝袈裟(きんらんいほうけさ)一件(ひとえ)、九環錫杖(きゅうかんしゃくじょう)一条(ひとつ)を送らんとせり。今(いま)特(こと)に法師を召(め)して領(う)け去きて受用(じゅよう)せしむ」と。玄奘(げんじょう)叩頭(こうとう)して恩を謝(しゃ)す。
太宗(たいそう)曰く、「法師若(も)し棄(す)てずんば、穿(き)て上へ朕に看せよ」と。長老(ちょうろう)すなわち袈裟(けさ)を将(もっ)て抖(はら)い開(ひら)き、身(み)に披(き)て、手(て)に錫杖を持(じ)ち、階前(かいぜん)に侍立(じりつ)す。君臣(くんしん)箇箇(おのおの)欣然(きんぜん)で、誠(まこと)に如来(にょらい)の仏子(ぶっし)と為す。汝看よ、かれが:
凛凛(りんりん)たる威顔(いがん)に雅秀(がしゅう)多(おお)し、
仏衣(ぶつえ)体(からだ)に可(かな)いて裁(た)ち就(な)せるが如(ごと)し。
輝光(きこう)艶艶(えんえん)として乾坤(けんこん=天地)に満(み)ち、
結彩(けっさい)紛紛(ふんぷん)として宇宙(うちゅう)に凝(こ)る。
朗朗(ろうろう)たる明珠(めいしゅ)上下(じょうげ)に排(なら)び、
層層(そうそう)の金線(きんせん)前後(ぜんご)を穿(うが)つ。
兜羅(とら)四面(しめん)に錦(にしき)を沿辺(えんぺん=縁)にし、
万様(ばんよう)の稀奇(きき)綺繍(きしゅう)を鋪(し)く。
八宝(はっぽう)妝花(しょうか)鈕絲(ちゅうし)を縛(しば)り、
金環(きんかん)領(えり)を束(つか)ねて絨扣(じゅうこう)を攀(か)く。
仏天(ぶってん)大小(だいしょう)高低(こうてい)を列(つら)ね、
星象(せいぞう)尊卑(そんぴ)左右(さゆう)を分(わか)つ。
玄奘法師(げんじょうほうし)大いに縁(えん)有り、
現前(げんぜん)この物(もの)承(う)け受くるに堪(た)えたり。
渾(すべ)て極楽(ごくらく)の活(いき)たる阿羅(あら)の如(ごと)く、
西方(さいほう)の真覚(しんかく)の秀(ひいでる)に賽(まさ)る。
錫杖叮当(ていとう)として九環(きゅうかん)を闘(あらそ)わせ、
毗盧帽(びるぼう)映(えい)じて多(おお)く豊厚(ほうこう)し。
誠(まこと)に仏子(ぶっし)の虚伝(きょでん)ならざるを為し、
菩提(ぼだい)の詐謬(さびゅう)無きに勝(まさ)る。
と。
当時(そのとき)文武(ぶんぶ)階前(かいぜん)に在りて喝采(かっさい)び、太宗(たいそう)喜ぶことこれに勝(まさ)る無し。すなわち法師を着(つ)けて袈裟(けさ)を穿(き)、宝杖(ほうじょう)を持(じ)たしめ、また両隊(りょうたい=二組)の儀従(ぎじゅう)を賜(たま)い、多官(たかん)を着(つ)けて朝門(ちょうもん)の外(そと)に送り出(いだ)さしめ、かれに教(おし)えて大通り(おおどおり)に上り道(みち)を行(ゆ)かしめ、寺(てら)の裡へ往(ゆ)かしむ。就(すなわ)ち中状元(じゅうじょうがん=状元に当たる)の官(かん)を誇(ほこ)るの一般(ごとく)なり。
この去くに玄奘(げんじょう)再拝(さいはい)して恩を謝(しゃ)し、かの大通り(おおどおり)に在りて、烈烈轟轟(れつれつごうごう=いさましく轟き)と、揺揺擺擺(ようようはいばい=ゆらゆらと揺れ)る。汝看よ、かの長安城(ちょうあんじょう)の裡の、行商坐賈(こうしょうざこ=行商と店の商人)・公子王孫(こうしおうそん)・墨客文人(ぼっかくぶんじん)・大男小女(だいなんしょうじょ)の、争(あらそ)いて看て誇奨(こしょう)えずんば無く、俱に曰く、「好き箇(ひとり)の法師かな!真箇(まこと)にこれ箇(ひとり)の活(いき)たる羅漢(らかん)の下降(げこう)、活(いき)たる菩薩(ぼさつ)の臨凡(りんぼん)なり」と。
玄奘(げんじょう)直(ただ)ちに寺(てら)の裡に至れば、僧人(そうにん)榻(とう=寝台)を下(おり)りて迎(むか)う。一(ひとた)びかれがこの袈裟(けさ)を披(き)、この錫杖を執(と)るを見て、都(みな)地蔵王(じぞうおう)の来れるかと道(い)い、各各(おのおの)帰依(きえ)して、左右(さゆう)に侍(じ)す。玄奘(げんじょう)殿(でん)に上り、香(こう)を炷(た)きて仏を礼(らい)し、また衆に対(たい)して聖恩(せいおん)を感述(かんじゅつ)し已(おわ)り、各(おのおの)禅座(ぜんざ)に帰(かえ)る。また覚(おぼ)えず紅輪(こうりん)の西(にし)に墜(お)つるを。正にこれ那(か)の:
日(ひ)落(お)ち烟(けむり)草樹(そうじゅ)を迷(まよ)わせ、
帝都(ていと=都)の鐘鼓(しょうこ)初(はじ)めて鳴(な)る。
叮叮(ていてい)三響(さんきょう)人行(じんこう)を断(た)ち、
前後(ぜんご)街前(がいぜん)寂静(じゃくじょう)たり。
上刹(じょうさつ)輝煌(きこう)として灯火(とうか)、
孤村(こそん)冷落(れいらく)て声(こえ)無し。
禅僧(ぜんそう)入定(にゅうじょう)して残経(ざんきょう)を理(ととの)え、
正に好し魔(ま)を煉(ね)り性(しょう=心性)を養(やしな)うに。
と。
光陰(こういん=月日)拈指(ねんし)にして、却(かえっ)て七日(なのか)の正会(しょうえ)に当(あた)る。玄奘(げんじょう)また表(ひょう)を具(つぶさ)にし、唐王(とうおう)を請(こ)うて香(こう)を拈(ひね)らしむ。この時(とき)善声(ぜんせい)天下(てんか)に遍(あまね)く満(み)つ。太宗(たいそう)すなわち駕(が)を排(はい=並べ)し、文武(ぶんぶ)の多官(たかん)・后妃(こうひ)・国戚(こくせき=外戚)を率(ひき)いて、早(はや)く寺(てら)の裡に赴(おもむ)く。かの一城(いちじょう=城中)の人は、大小(だいしょう)尊卑(そんぴ)を論(ろん)ぜず、俱に寺(てら)に詣(もう)でて講(こう=説法)を聴(き)く。
当時(そのとき)菩薩(ぼさつ)と木叉(もくしゃ)とに曰く、「今日(こんにち)はこれ水陸(すいりく)の正会(しょうえ)なり。一七(いっしち)を以て七七(しちしち=七週)を継(つ)ぐに、可(よ)し了(おわ)れり。我と汝衆人(しゅうじん)の叢(むらがり)の中(うち)に雑(まじ)りて、一(ひとつ)にはかの会(え)の如何(いかん)なるを看んとし、二(ふたつ)には金蝉子(きんせんし)に我が宝貝(ほうばい)を穿(き)るの福(ふく)有るかを看んとし、三(みっつ)にはまたかれが講(こう)ずるのこれ那(いず)れの一門(いちもん)の経法(きょうほう)なるを聴(き)かんとす」と。両人(ふたり)随(したが)いて寺(てら)の裡に投(とう=入)ず。正にこれ「縁(えん)有りて旧(ふる)き相識(そうしき)に遇(あ)うを得、般若(はんにゃ)また本(もと)の道場(どうじょう)に還(かえ)る」なり。寺(てら)の裡に入りて観(み)るに、真箇(まこと)にこれ天朝(てんちょう)の大国(たいこく)にして、果(はた)して裟婆(しゃば=娑婆)に勝(まさ)り、祇園(ぎおん)舎衛(しゃえい)に賽(まさ)り、また上刹(じょうさつ)招提(しょうだい)に亜(つ)がざるなり。かの一派(いっぱ=一面)の仙音(せんのん)響(ひび)き亮(あき)らかに、仏号(ぶつごう)喧嘩(けんか)たり。この菩薩(ぼさつ)直(ただ)ちに多宝台(たほうだい)の辺(ほとり)に至るに、果(はた)してこれ明智(めいち)の金蝉(きんせん)の相(そう=姿)なり。
詩(し)に曰く、
万象(ばんしょう)澄明(ちょうめい)として点埃(てんあい)を絶(た)ち、
大典(たいてん)の玄奘(げんじょう)高台(こうだい)に坐(ざ)す。
孤魂(こごん)を超生(ちょうしょう)して暗(あん)き中(うち)に到り、
法(ほう)を聴(き)く高流(こうりゅう)市(いち)の上より来る。
物(もの)を施(ほどこ)して機(き)に応(おう)じて心路(しんろ)遠(とお)く、
出生(しゅっしょう)意(い)に随(したが)いて蔵門(ぞうもん)開(ひら)く。
対(むか)い看て無量法(むりょうほう)を講(こう)じ出(いだ)し、
老幼(ろうよう)人人(ひとびと)喜懐(きかい)を放(はな)つ。
と。
また詩(し)に曰く、
法界(ほっかい)の講堂(こうどう)の中(うち)を游(あそ)ぶに因(よ)り、
相知(そうち)の俗(ぞく)に同じからざるに逢見(ほうけん)う。
尽(ことごと)く目前(もくぜん)の千万(せんまん)の事(こと)を説(と)き、
また塵劫(じんごう)の許多(あまた)の功(こう)を談(だん)ず。
法雲(ほううん)容曳(ようえい)として群岳(ぐんがく)に舒(の)べ、
教網(きょうもう)張羅(ちょうら)して太空(たいくう=大空)に満(み)つ。
人生(じんせい)を検点(けんてん=点検)して善念(ぜんねん)に帰(き)せしむれば、
紛紛(ふんぷん)として天雨(てんう)花紅(かこう)を落(おと)す。
と。
かの法師は台(だい)の上に在りて、一会(ひとしきり)『受生度亡経(じゅしょうどもうきょう)』を念(とな)え、一会『安邦天宝篆(あんぽうてんぽうてん)』を談(だん)じ、また一会『勧修功巻(かんしゅこうかん)』を宣(せん)ず。
この菩薩(ぼさつ)近(ちか)く前に来り、宝台(ほうだい)を拍(う)ちて、声(こえ)を厲(はげま)して高(たか)う叫(さけ)んで曰く、「那(そ)の和尚(おしょう)よ、汝は只だ小乗教法(しょうじょうきょうほう=小乗の教え)を談(だん)ずるを得(う)るのみ、大乗(だいじょう)を談(だん)ずるを得(う)るか」と。
玄奘(げんじょう)言を聞き、心中(しんちゅう)大いに喜び、身(み)を翻(ひるがえ)して台(だい)を跳(と)び下(くだ)り来り、菩薩(ぼさつ)に対(たい)して手(て)を起(おこ)して曰く、「老師父(ろうしふ=老師)よ、弟子(でし)は失瞻(しっせん)して、罪(つみ)多(おお)し。見前(ただいま)の蓋(けだ)し衆僧(しゅうそう)の都(みな)講(こう)ずるは小乗教法(しょうじょうきょうほう)なるも、却(かえっ)て大乗教法(だいじょうきょうほう)の如何(いかん)なるを知(し)らず」と。
菩薩(ぼさつ)曰く、「汝がこの小乗教法(しょうじょうきょうほう)は、亡者(もうじゃ)の超昇(ちょうしょう)を度(ど)し得ず、只だ可(よ)く俗(ぞく)に渾(まじ)り光(ひかり)を和(わ)ぐるのみ。我に大乗仏法三蔵(だいじょうぶっぽうさんぞう)有り、能(よ)く亡者(もうじゃ)の天(てん)に升(のぼ)るを超(こ)えしめ、能(よ)く難人(なんにん)の苦(く)を脱(のが)るるを度(ど)し、能(よ)く無量寿身(むりょうじゅしん=限りなき寿の身)を修(しゅ)し、能(よ)く無来無去(むらいむこ)を作(な)す」と。
正に講(こう)ずる処(ところ)に、かの司香巡堂官(じこうじゅんどうかん)有りて、急(いそ)ぎ唐王(とうおう)に奏(そう)して言(まお)す、「法師正に妙法(みょうほう)を講談(こうだん)せるを、両箇(ふたり)の疥癩(かいらい)の遊僧(ゆうそう)に扯(ひ)き下(おろ)され、乱(みだ)りに胡話(こわ)を説(と)かれたり」と。王(おう)令(めい)じて擒(とら)え来らしむれば、ただ見よ、許多(あまた)の人の二僧(にそう)を将(もっ)て推(お)し擁(かこ)んで後法堂(ごほうどう)に進(い)るるを。
太宗(たいそう)に見(まみ)ゆるに、かの僧人(そうにん)は手(て)をも起(おこ)さず、拝(はい)をもせず、面(おもて)を仰(あお)ぎて曰く、「陛下(へいか)は我に何事(なにごと)をか問わるるや」と。唐王(とうおう)却(かえっ)てかれを認(みし)りて曰く、「汝はこれ先日(せんじつ)袈裟(けさ)を送りし和尚(おしょう)なるか」と。菩薩(ぼさつ)曰く、「正にこれなり」と。太宗(たいそう)曰く、「汝既(すで)に此処(ここ)に来りて講(こう)を聴(き)かば、只だ些(いささ)かの斎(とき=施食)を喫(くら)うべきのみ。何(なん)ぞ我が法師と乱(みだ)りに講(こう)じ、経堂(きょうどう)を擾乱(じょうらん)し、我が仏事(ぶつじ)を誤(あやま)るや」と。
菩薩(ぼさつ)曰く、「汝が那(そ)の法師の講(こう)ずるは小乗教法(しょうじょうきょうほう)にして、亡者(もうじゃ)の天(てん)に升(のぼ)るを度(ど)し得ず。我に大乗仏法(だいじょうぶっぽう)三蔵(さんぞう)有り、以て亡(ぼう)を度(ど)し苦(く)を脱(のが)れしめ、寿身(じゅしん)壊(やぶ)るる無からしむべし」と。
太宗(たいそう)色(しょく)を正(ただ)して喜び問うて曰く、「汝が那(そ)の大乗仏法(だいじょうぶっぽう)は、何処(いずこ)に在るや」と。菩薩(ぼさつ)曰く、「大西天(だいさいてん)・天竺国(てんじくこく)・大雷音寺(だいらいおんじ)の我が仏如来(にょらい)の処(ところ)に在り。能(よ)く百冤(ひゃくえん)の結(むすび)を解(と)き、能(よ)く無妄(むぼう)の災(わざわい)を消(け)す」と。
太宗(たいそう)曰く、「汝は記(おぼ)うるを得(う)るや」と。菩薩(ぼさつ)曰く、「我記(おぼ)えり」と。太宗(たいそう)大いに喜んで曰く、「法師を教(おし)えて引(ひ)き去かせ、台(だい)に上りて開講(かいこう)くを請(こ)わしめよ」と。
かの菩薩(ぼさつ)は木叉(もくしゃ)を帯(たい)し、高台(こうだい)に飛(と)び上り、すなわち祥雲(しょううん)を踏(ふ)みて、直(ただ)ちに九霄(きゅうしょう=九つの霄、天の最上)に至り、救苦(くく)の原身(げんしん)を現(あらわ)し、浄瓶(じょうへい)・楊柳(ようりゅう)を托(たく=捧)ぐ。左辺(さへん=左側)にはこれ木叉(もくしゃ)恵岸(えがん)、棍(こん=棒)を執(と)りて、精神(せいしん=気力)を抖擻(とそう)す。
喜べるかな、箇(ひとり)の唐王(とうおう)は朝天(ちょうてん)礼拝(らいはい)し、衆の文武(ぶんぶ)は地(ち)に跪(ひざまず)きて香(こう)を焚(た)く。満寺(まんじ)中の僧尼(そうに)・道俗(どうぞく)・士人(しじん)・工賈(こうこ)の、一人(ひとり)として拝祷(はいとう)して曰わざるは無く、「好き菩薩(ぼさつ)かな!好き菩薩(ぼさつ)かな!」と。調(し=詞曲)有りて証(あかし)と做(な)す。但だ見よ、かの:
瑞靄(ずいあい)散(さん)じて繽紛(ひんぷん)、
祥光(しょうこう)法身(ほっしん)を護(まも)る。
九霄(きゅうしょう)華漢(かかん)の裡に、
女真人(にょしんにん)を現(あらわ)し出(いだ)す。
かの菩薩(ぼさつ)は、
頭(かしら)の上には一頂(ひとつ)の、金葉紐(きんようひも)、翠花(すいか)を鋪(し)き、金光(きんこう)を放(はな)ち、鋭気(えいき)を生(しょう)ずるの垂珠纓絡(すいしゅようらく=垂れ珠の首飾り)を戴(いただ)き、
身(み)の上には一領(ひとえ)の、淡淡(たんたん)たる色(いろ)、浅浅(せんせん)たる妝(よそおい)、金龍(きんりゅう)を盤(めぐ)らし、彩鳳(さいほう)を飛(と)ばするの結素藍袍(けっそらんぽう=結び素の藍の袍)を穿(き)、
胸(むね)の前には一面(ひとつ)の、月(つき)に明(あき)らかに向(むか)い、清風(せいふう)に舞(ま)い、宝珠(ほうじゅ)を雑(ま)じ、翠玉(すいぎょく)を集(あつ)むるの砌香環珮(せいこうかんぱい)を掛(か)け、
腰間(ようかん)には一条(ひとすじ)の、冰蚕絲(ひょうさんし)、金辺(きんぺん)を織(お)り、彩雲(さいうん)に登(のぼ)り、瑶海(ようかい)を促(せま)るの錦繍絨裙(きんしゅうじゅんくん)を系(むす)び、
面前(めんぜん)にはまた一箇(ひとつ)の、東洋(とうよう)を飛(と)び、普世(ふせ)に游(あそ)び、恩を感(かん)じ行(こう)を孝(こう)ずる、黄毛(こうもう)紅嘴(こうし)の白鸚哥(はくおうか)を領(ひき)い、
手(て)の内(うち)には一箇(ひとつ)の、恩を施(ほどこ)し世(よ)を済(すく)うの宝瓶(ほうへい)を托(たく)し、瓶(へい)の内(うち)には一枝(ひとえだ)の、青霄(せいしょう)に洒(そそ)ぎ、大悪(だいあく)を撒(さん)じ、残霧(ざんむ)を掃(はら)い開(ひら)くの垂楊柳(すいようりゅう)を插(さ)す。
玉環(ぎょくかん)繍扣(しゅうこう)を穿(うが)ち、金蓮(きんれん)足下(そっか)深(ふか)し。
三天(さんてん)に出入(しゅつにゅう)を許(ゆる)さる、これ才(はじ)めてこれ救苦救難(くくくなん)の観世音(かんぜおん)なり。
と。
喜べるかな、箇(ひとり)の唐太宗(とうたいそう)は、江山(こうざん)を忘(わす)れ、愛(め)でたるかな、那(か)の文武官(ぶんぶかん)は、朝礼(ちょうらい)を失却(しっきゃく)う。蓋(けだ)し衆多(しゅうた)の人は、都(みな)「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」と念(とな)う。
太宗(たいそう)すなわち旨(し=勅旨)を伝(つた)え、巧手(こうしゅ)の丹青(たんせい=絵師)に教(おし)え、菩薩(ぼさつ)の真像(しんぞう)を描(えが)き下(おろ)さしむ。旨意(しい=勅意)一声(ひとこえ)にして、箇(ひとり)の図神写聖(としんしゃせい=神を図し聖を写す)・遠見高明(えんけんこうめい=見識遠く高明)の呉道子(ごどうし)を選(えら)び出(いだ)す。この人はすなわち後(のち)に功臣(こうしん)を凌煙閣(りょうえんかく)に図(えが)きし者なり。—当時(そのとき)妙筆(みょうひつ)を展開(てんかい)して、真形(しんけい)を図写(としゃ)す。
かの菩薩(ぼさつ)の祥雲(しょううん)漸(ようや)く遠(とお)ざかり、霎時間(しょうじかん)に金光(きんこう)の見えざるに至る。ただ見よ、かの半空(はんくう=中空)の中(うち)に、滴溜溜(てきりゅうりゅう)一張(ひとまい)の簡帖(かんじょう)の落(お)ち下(くだ)るに、上に幾句(いくく)の頌子(じゅす=偈頌)有り、写(うつ)して明白(めいはく)なり。頌(しょう)に曰く、
「大唐(だいとう)の君(きみ)に礼上(れいじょう)ぐ、西方(さいほう)に妙文(みょうぶん)有り。
程途(ていと)十万八千里(じゅうまんはっせんり)、
大乗(だいじょう)殷勤(いんきん)に進む。
この経(きょう)上国(じょうこく)に回れば、能(よ)く鬼(おに)を超(こ)えて群(ぐん)を出(いだ)さん。
若(も)し肯(あえ)て去く者有らば、正果(しょうか)金身(こんしん)を求(もと)めん」
と。
太宗(たいそう)頌子(じゅす)を見て、すなわち衆僧(しゅうそう)に命(めい)じて曰く、「且(しばら)く勝会(しょうえ)を収(おさ)めよ。我人を差(さ)し大乗経(だいじょうきょう)を取得(しゅとく)し来らしめ、再(ふたた)び丹誠(たんせい=真心)を秉(と)り、重(かさ)ねて善果(ぜんか)を修(おさ)めんと待(ま)て」と。衆官(しゅうかん=諸官)遵依(じゅんい)せざるは無し。
当時(そのとき)寺(てら)の中(うち)に在りて問うて曰く、「誰(たれ)か肯(あえ)て朕が旨意(しい)を領(う)け、西天(さいてん)に上りて仏を拝(はい)し経(きょう)を求(もと)めんや」と。問い了(おわ)らざるに、旁辺(かたわら)より法師の閃(ひらり)と過(す)ぎ出づる有り、帝前(ていぜん)に礼(れい)を施(ほどこ)して曰く、「貧僧(ひんそう=拙僧)は不才(ふさい=非才)なるも、願わくは犬馬(けんば)の労(ろう)を効(きわ)めし、陛下(へいか)が為(ため)に真経(しんきょう)を求(もと)め取(と)り、祈(いの)って我が王(おう)が江山(こうざん)の永(なが)く固(かた)からんことを保(たも)たん」と。
唐王(とうおう)大いに喜び、前に進みて御手(おんて)を将(もっ)て扶(たす)け起(おこ)して曰く、「法師果(はた)して能(よ)くこの忠賢(ちゅうけん)を尽(つく)し、程途(ていと)の遥遠(ようえん=遠き)を怕(おそ)れず、山川(さんせん)を跋渉(ばっしょう)せば、朕願って汝と拝(はい)して兄弟(けいてい)と為らん」と。玄奘(げんじょう)頓首(とんしゅ)して恩を謝(しゃ)す。
唐王(とうおう)果(はた)してこれ十分(じゅうぶん)の賢徳(けんとく)にして、すなわちかの寺(てら)の裡の仏前(ぶつぜん)に去き、玄奘(げんじょう)と四拝(しはい)し、口(くち)に「御弟聖僧(ぎょていしょうそう=義弟の聖僧)」と称(しょう)す。玄奘(げんじょう)感謝(かんしゃ)して尽(つく)きずして曰く、「陛下(へいか)、貧僧(ひんそう)に何(なん)の徳(とく)か有り何(なん)の能(のう)か有らん、敢えて天恩(てんおん)の此(ここ)に眷顧(けんこ)まるるを蒙(こうむ)らんや。我この一去(ひとたびゆ)きて、定(かなら)ず身(み)を捐(す)てて努(ゆ)め力(つと)め、直(ただ)ちに西天(さいてん)に至らん。若(も)し西天(さいてん)に到らず、真経(しんきょう)を得ざれば、すなわち死(し)するもまた敢えて国(くに)に回らず、永(なが)く沈淪(ちんりん)地獄(じごく)に堕(お)たん」と。随(したが)いて仏前(ぶつぜん)に在りて香(こう)を拈(ひね)り、これを以て誓(ちかい)と為す。
唐王(とうおう)甚(はなは)だ喜び、すなわち鑾(らん)を回さんことを命(めい)じ、良(よ)き利(り=吉)の日辰(にっしん)を選(えら)びて、牒(ちょう=文牒)を発(はっ)して行(ゆ)かしめんことを待(ま)ち、これに遂(つい)に駕(が)は回り各(おのおの)散(さん)ず。
玄奘(げんじょう)また洪福寺(こうふくじ)の裡に回る。かの本寺(ほんじ)の多僧(たそう)と幾箇(いくたり)かの徒弟(とてい=弟子)とは、早(はや)くも取経(しゅきょう)の事(こと)を聞きて、都(みな)来りて相見(しょうけん=面会)す。因(よ)って問うて曰く、「誓(ちかい)を発(おこ)し願(がん)して西天(さいてん)に上ると、実(じつ)なるか」と。玄奘(げんじょう)曰く、「これ実(まこと)なり」と。
かれが徒弟(とてい)曰く、「師父(しふ)よ、嘗(かつ)て人の言の、西天(さいてん)は路(みち)遠(とお)く、更(さら)に虎豹(こひょう)妖魔(ようま)多(おお)しと曰うを聞けり。只だ恐(おそ)らくは去く有りて回る無く、身命(しんめい)を保(たも)ち難(がた)からん」と。
玄奘(げんじょう)曰く、「我は已(すで)に弘誓大願(ぐぜいたいがん=広大な誓いと大願)を発(おこ)せり。真経(しんきょう)を取(と)らずんば、永(なが)く沈淪(ちんりん)地獄(じごく)に堕(お)たん。大抵(おおよそ)これ王恩(おうおん)の寵(ちょう=寵愛)を受け、忠(ちゅう)を尽(つく)して以て国(くに)に報(ほう)ぜざるを得ざるのみ。我がこの去くは真(まこと)に渺渺茫茫(びょうびょうぼうぼう)として、吉凶(きっきょう)定(さだ)め難(がた)し」と。
また曰く、「徒弟(とてい)たちよ、我の去きし後(のち)、或(あるい)は三二(さんに)年(ねん)、或は五七(ごしち)年(ねん)なるに、但だかの山門(さんもん)の裡の松枝頭(しょうしとう)の東(ひがし)に向(むか)うを看ば、我すなわち回り来らん。然(しか)らずんば、断(たえ)じて回らじ」と。衆徒(しゅうと)この言を将(もっ)て切切(せつせつ)として記(しる)す。
次早(よくあさ)、太宗(たいそう)朝(ちょう)を設(もう)け、文武(ぶんぶ)を聚集(しゅうしゅう)し、取経(しゅきょう)の文牒(ぶんちょう)を写(うつ)し、通行宝印(つうこうほういん)を用(もち)う。欽天監(きんてんかん)有りて奏(そう)して曰く、「今日(こんにち)はこれ人専吉星(じんせんきっせい=人を専らにする吉星)、堪(た)えて宜(よろ)しく遠路(えんろ)に出行(しゅっこう)すべし」と。唐王(とうおう)大いに喜ぶ。
また黄門官(こうもんかん)の奏(そう)して言(まお)す、「御弟(ぎょてい)法師、朝門(ちょうもん)の外(そと)に在りて旨(し)を候(うかが)えり」と。随(したが)いて宝殿(ほうでん)に宣(せん)じ上せて曰く、「御弟(ぎょてい)よ、今日(こんにち)はこれ出行(しゅっこう)の吉日(きちじつ)なり。これこれ通関文牒(つうかんぶんちょう=関所を通る証書)なり。朕また一箇(ひとつ)の紫金鉢盂(しきんはつう)有り、汝に送りて途(みち)中(ちゅう)に斎(とき=施し)を化(か=募)るに用(もち)いしめん。再(ま)た両箇(ふたり)の長行(ちょうこう=長旅)の従者(じゅうしゃ)を選(えら)び、また銀(ぎん)の駿馬(しゅんめ)一匹(いっぴき)を送りて、遠行(えんこう)の脚力(きゃくりき)と為さん。汝これに就(つ)いて行程(こうてい=旅路)すべし」と。
玄奘(げんじょう)大いに喜び、すなわち恩を謝(しゃ)し、物事(ぶつじ=品々)を領(う)けて、更(さら)に留滞(りゅうたい)の意(こころ)無し。
唐王(とうおう)駕(が=車駕)を排(はい)し、多官(たかん)と同(とも)に送りて関外(かんがい)に至る。ただ見よ、かの洪福寺(こうふくじ)の僧と諸徒(しょと)の、玄奘(げんじょう)が冬夏(とうか)の衣服(いふく)を将(もっ)て、俱に関外(かんがい)に送り在りて相等(まちもう)けるを。
唐王(とうおう)これを見て、先(ま)ず行嚢(こうのう)・馬匹(ばひつ=馬)を収拾(しゅうしゅう)めしめ、然(しか)る後(のち)に官人(かんじん=役人)を着(つ)けて壺(つぼ=酒器)を執(と)り酒(さけ)を酌(く)ましむ。太宗(たいそう)爵(しゃく=酒器)を挙(あ)げて、また問うて曰く、「御弟(ぎょてい)の雅号(がごう)は甚(なん)と称(しょう)するや」と。
玄奘(げんじょう)曰く、「貧僧(ひんそう)は出家人(しゅっけにん)、未(いま)だ敢えて号(ごう)を称(しょう)せず」と。太宗(たいそう)曰く、「当時(そのとき)菩薩(ぼさつ)の曰えるは、西天(さいてん)に経(きょう)三蔵(さんぞう)有りと。御弟(ぎょてい)は経(きょう)を指(さ)して号(ごう)を取(と)るべし、号(な)づけて『三蔵(さんぞう)』と做(な)さば如何(いかん)」と。
玄奘(げんじょう)また恩を謝(しゃ)し、御酒(ぎょしゅ)を接(う)けて曰く、「陛下(へいか)、酒(さけ)は乃(すなわ)ち僧家(そうか)の頭一(かしらひとつ=第一)の戒(かい)なり。貧僧(ひんそう)人と為りし自(よ)り、酒(さけ)を飲(の)むことを会(え)せず」と。
太宗(たいそう)曰く、「今日(こんにち)の行(おこない)は、他事(たじ)に比(くら)べて同じからず。これ乃(すなわ)ち素酒(すしゅ)なり。只だこの一杯(いっぱい)を飲(の)みて、以て朕が奉餞(ほうせん)の意(こころ)を尽(つく)せよ」と。
三蔵(さんぞう)敢えて受けざるを得ず。酒(さけ)を接(う)け、方(まさ)に飲(の)まんと待(ま)つ処(ところ)に、ただ見よ、太宗(たいそう)の頭(こうべ)を低(た)れ、御指(おんゆび)を将(もっ)て一撮(ひとつまみ)の塵土(じんど)を拾(ひろ)い、弾(はじ)きて酒(さけ)の中(うち)に入るるを。三蔵(さんぞう)その意(こころ)を解(げ)せず。太宗(たいそう)笑(わら)って曰く、「御弟(ぎょてい)よ、この一去(ひとたびゆ)きて、西天(さいてん)に到らば、幾時(いつ)か回る可(べ)きか」と。
三蔵(さんぞう)曰く、「只だ三年(さんねん)に在りて、径(ただ)ちに上国(じょうこく)に回らん」と。太宗(たいそう)曰く、「日久(ひひさ)しく年深(としふか)く、山遥(やまとお)く路遠(みちとお)し。御弟(ぎょてい)この酒(さけ)を進むべし。寧(むし)ろ本郷(ほんごう=故郷)の一捻土(いちねんど)を恋(こ)うとも、他郷(たきょう)の万両金(まんりょうきん)を愛(あい)する莫(な)かれ」と。
三蔵(さんぞう)方(はじ)めて土(つち)を捻(ひね)るの意(こころ)を悟(さと)り、復(ま)た恩を謝(しゃ)して飲(の)み尽(つく)し、辞謝(じしゃ)して関(かん=関所)を出でて去(さ)る。唐王(とうおう)駕(が)を回す。
畢竟(ひっきょう)この去きて如何(いかん)なるを知(し)らず、且(しばら)くまた下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)かれよ。