卻説(さて)かの師徒(しと=師と弟子)二(ふた)人(り)、馬(うま)に策(むち)打(う)ちて前(すす)み來(きた)り、直(ただ)ちに山門(さんもん)の首(ほとり=ほとり)に至(いた)りて觀看(みわた)せば、果(はた)して是(こ)れ一(ひと)つの寺院(じいん)なり。但(ただ)見(み)よ那(そ)の:
層層(そうそう=幾重にも)の殿閣(でんかく=宮殿と楼閣)、迭迭(てつてつ=重なり合う)の廊房(ろうぼう=回廊と房室)。三山門(さんざんもん)の外(そと)には、巍巍(ぎぎ=高くそびえるさま)として萬道(ばんどう=幾万条)の彩雲(さいうん=色とりどりの雲)遮(おお)い;五福堂(ごふくどう)の前(まえ)には、艶艶(えんえん=あでやかに)として千條(せんじょう=幾千筋)の紅霧(こうむ=赤い霧)繞(めぐ)る。兩路(りょうろ=両側)の松篁(しょうこう=松と竹)、一林(いちりん=ひとむら)の檜柏(かいはく=ヒノキとコノテガシワ)。兩路(りょうろ)の松篁(しょうこう)は、年(とし)無(な)く紀(のり)無(な)くして自(おの)ずから清幽(せいゆう=清らかに幽玄);一林(いちりん)の檜柏(かいはく)は、色(いろ)有(あ)り顏(かんばせ)有(あ)りて隨(したが)いて傲麗(ごうれい=誇らかに艶やか)。又(また)見(み)る那(そ)の鐘鼓楼(しょうろう=鐘楼と鼓楼)は高(たか)く、浮屠塔(ふととう=仏塔)は峻(たか)し。安禪(あんぜん=座禅)の僧(そう)は性(しょう=心)を定(さだ)め、啼樹(ていじゅ=木に啼く)の鳥(とり)は音(おと)閑(しず)かなり。寂寞(じゃくまく=しんと静まる)として塵(ちり)無(な)きは真(しん)の寂寞(じゃくまく)、清虛(せいきょ=清らかに虚ろ)として道(みち)有(あ)るは果(はた)して清虛(せいきょ)なり。
詩(し)に曰(いわ)く:
「上刹(じょうさつ=高名な寺)祇園(ぎおん=祇樹給孤独園)は翠窩(すいか=緑の巣)に隱(かく)れ、
招提(しょうだい=寺院)の勝景(しょうけい=勝れた景)は娑婆(しゃば=この世)に賽(まさ)る。
果(はた)して淨土(じょうど)は人間(にんげん=人の世)に少(すくな)く、
天下(てんか)の名山(めいざん)は僧(そう)の占(し)むること多(おお)し。」
長老(ちょうろう=三蔵)は馬(うま)を下(お)り、行者(ぎょうじゃ=悟空)は担(に=荷物)を歇(やす)め、正(まさ)に門(もん)に入(い)らんと欲(ほっ)するに、只(ただ)見(み)る那(そ)の門(もん)の内(うち)より一衆(いっしゅう=一群)の僧(そう)の走(はし)り出(い)づるを。你(なんじ)看(み)よ他(かれ)が怎生(いか)なる模様(すがた)なるを:
「頭(かしら)には左笄帽(さけいぼう=左に笄を挿した帽)を戴(いただ)き、身(み)には無垢衣(むくえ=汚れなき衣)を穿(き)る。
銅環(どうかん=銅の輪)雙(ふた)つ耳(みみ)に墜(さが)り、絹帶(けんたい=絹の帯)腰圍(こしい=腰回り)を束(たば)ねる。
草履(そうり=わらじ)行(ゆ)き來(きた)りて穩(やす)らかに、木魚(もくぎょ)手(て)の内(うち)に提(さ)げたり。
口(くち)中(なか)常(つね)に念(ねん=念仏)を作(な)し、般若(はんにゃ)總(すべ)て皈依(きえ=帰依)せり。」
三藏(さんぞう)は見(み)て、門旁(もんぼう=門の脇)に侍立(じりつ=控え立ち)し、一個(ひとつ)の問訊(もんじん=合掌の挨拶)を道(い)へば、那(そ)の和尚(おしょう)は連(つづ)け様(ざま)に答禮(とうれい=返礼)し、笑(わら)って道(い)う:「失瞻(しっせん=お見逸れしました)。」と。問(と)う:「是(こ)れ那裏(どこ)より來(きた)れる?請(こ)う方丈(ほうじょう=住職の間)に入(い)りて茶(ちゃ)を獻(けん=献)ぜん。」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「我(わ)が弟子(でし)は乃(すなわ)ち東土(とうど=唐土)の欽差(きんさ=勅使)にして、雷音寺(らいおんじ)に上(のぼ)りて佛(ほとけ)を拜(おが)み經(きょう)を求(もと)む。此處(ここ)に至(いた)りて天色(てんしょく=空模様)將(まさ)に晩(くれ)なんとす、上刹(じょうさつ)に一宵(いっしょう=一夜)を借(か)らんと欲(ほっ)す。」那(そ)の和尚(おしょう)道(いわ)く:「請(こ)う裏(うち)に入(い)りて坐(ざ)せ、請(こ)う裏(うち)に入(い)りて坐(ざ)せ。」三藏(さんぞう)方(はじ)めて行者(ぎょうじゃ)を喚(よ)びて馬(うま)を牽(ひ)きて進(い)らしむ。那(そ)の和尚(おしょう)忽(たちま)ち行者(ぎょうじゃ)の相貌(そうぼう=容貌)を見(み)て、些(すこ)し害怕(おそれ=怖がり)を生(しょう)じ、便(すなわ)ち問(と)う:「那(あ)の馬(うま)を牽(ひ)くは是(こ)れ個(いったい)什麼(なに)の東西(もの)ぞ?」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「悄言(しょうげん=静かに)!悄言(しょうげん)!他(かれ)の性(せい=気性)は急(せ)かなり、若(も)し聽(き)かば你(なんじ)が什麼(なに)の東西(もの)と說(い)うを、他(かれ)は便(すなわ)ち惱(おこ)らん。—他(かれ)は是(こ)れ我(わ)が徒弟(とてい=弟子)なり。」那(そ)の和尚(おしょう)は一個(ひとつ)の寒噤(かんきん=身震い)を打(う)ち、指頭(ゆび)を咬(か)みて道(いわ)く:「這般(これほど)の一個(ひとり)の醜頭怪惱(しゅうとうけのう=醜い面の怪)を、好(よ)く他(かれ)を招(まね)きて徒弟(とてい)と做(な)すとは!」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「你(なんじ)看出來(みぬ)ざるかな、醜(みにく)きは醜(みにく)きながら、甚(はなは)だ是(こ)れ有用(ゆうよう=役に立つ)。」
那(そ)の和尚(おしょう)は只(ただ)已(や)むを得(え)ず三藏(さんぞう)と行者(ぎょうじゃ)と同(とも)に山門(さんもん)に入(い)る。山門(さんもん)の裏(うち)に、又(また)見(み)る那(そ)の正殿(せいでん)の上(うえ)に四個(よつ)の大字(たいじ=大きな字)を書(か)けるは、是(こ)れ「觀音禪院(かんのんぜんいん)」なり。三藏(さんぞう)又(また)大喜(たいき=大いに喜び)して道(いわ)く:「弟子(でし)は屢(しばしば)菩薩(ぼさつ)の聖恩(せいおん)を感(かん)じながら、未(いま)だ叩謝(こうしゃ=礼拝して謝す)に及(およ)ばず;今(いま)禪院(ぜんいん)に遇(あ)うは、就(すなわ)ち菩薩(ぼさつ)に見(まみ)ゆるが如(ごと)く、甚(はなは)だ好(よ)く拜謝(はいしゃ)すべきかな。」那(そ)の和尚(おしょう)は言(げん)を聞(き)きて、即(すなわ)ち道人(どうにん=寺男)に命(めい)じて殿門(でんもん)を開(ひら)かしめ、三藏(さんぞう)を請(しょう)じて朝拜(ちょうはい=参拝)せしむ。那(そ)の行者(ぎょうじゃ)は馬(うま)を拴(つな)ぎ、行李(こうり=荷物)を投(なげう)ちて、三藏(さんぞう)と同(とも)に殿(でん)に上(のぼ)る。三藏(さんぞう)は背(せ)を展(の)べ身(み)を舒(の)べ、胸(むね)を鋪(し)き地(ち)に納(い)れ、金像(こんぞう=金の仏像)を望(のぞ)みて叩頭(こうとう=礼拝)す。那(そ)の和尚(おしょう)は便(すなわ)ち去(ゆ)きて鼓(つづみ)を打(う)ち、行者(ぎょうじゃ)は去(ゆ)きて鐘(かね)を撞(つ)く。三藏(さんぞう)は臺前(だいぜん=台の前)に俯伏(ふふく=ひれ伏し)、傾心(けいしん=心を傾け)て禱祝(とうしゅく=祈念)す。祝拜(しゅくはい)已(おわ)るに、那(そ)の和尚(おしょう)は鼓(つづみ)を住(や)めたれど、行者(ぎょうじゃ)は還(な)お只管(ひたすら)鐘(かね)を撞(つ)きて歇(や)めず、或(あるい)は緊(きゅう=急)に或(あるい)は慢(まん=緩)に、撞(つ)くこと許久(かなり=長いこと)なり。那(そ)の道人(どうにん)道(いわ)く:「拜(おがみ)は已(すで)に畢(おわ)れるに、還(な)お鐘(かね)を撞(つ)きて怎麼(どう)するぞ?」行者(ぎょうじゃ)方(はじ)めて鐘杵(しょうしょ=撞木)を投(なげう)ち、笑(わら)って道(いわ)く:「你(なんじ)那裏(どう)で曉(さと)らん!我(わ)が是(こ)れは『一日(いちにち)の和尚(おしょう)と做(な)れば一日(いちにち)の鐘(かね)を撞(つ)く』のをするまでじゃ。」
此(こ)の時(とき)卻(かえ)って那(そ)の寺(てら)の裏(うち)の大小(だいしょう=大小さまざま)の僧人(そうにん)、上下房(じょうげぼう=上下の寮)の長老(ちょうろう)を驚動(おどろか)し、鐘聲(しょうせい=鐘の音)の亂響(らんきょう=乱れ響く)を聽(き)きて、一齊(いっせい)に擁(おし)出(い)でて道(いわ)く:「那(いず)れの野人(やじん=野蛮人)か此處(ここ)に在(あ)りて亂(みだ)りに鐘鼓(しょうこ=鐘と太鼓)を敲(たた)く?」行者(ぎょうじゃ)は跳(おど)り將(た)ち出(い)で、咄(とつ=叱る声)の一声(ひとこえ)に道(いわ)く:「是(こ)れ你(おまえ)らの孫外公(そんがいこう=母方の祖父)の撞(つ)いて耍子(あそ)んだのじゃ!」那些(これら)の和尚(おしょう)は一目(ひとめ)見(み)るや、唬(おどろ)かされて跌跌滾滾(てってつころころ=よろよろ転がり)、都(みな)地(ち)に爬(は)いつくばりて道(いわ)く:「雷公爺爺(らいこうやや=雷神さま)!」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「雷公(らいこう)は是(こ)れ我(わ)が重孫兒(ひまご=曾孫)よ!起(お)きよ、起(お)きよ、怕(おそ)るるな、我(われ)らは是(こ)れ東土(とうど)大唐(だいとう)より來(きた)れる老爺(ろうや=旦那)じゃ。」衆僧(しゅうそう)方(はじ)めて禮拜(らいはい)し;三藏(さんぞう)を見(み)て、都(みな)乃(ようや)く心(こころ)を放(ゆる)めて怕(おそ)れず。内(うち)に本寺(ほんじ)の院主(いんしゅ=寺の主)の請(しょう)じて道(いわ)く:「老爺(ろうや)方(がた)、後(うしろ)の方丈(ほうじょう)の中(なか)に到(いた)りて茶(ちゃ)を奉(ほう=献)ぜん。」遂(つい)に而(て)繮(たづな)を解(と)き馬(うま)を牽(ひ)き、行李(こうり)を抬(かつ)ぎて、正殿(せいでん)を轉(まわ)り過(す)ぎ、徑(ただ)ちに後房(ごぼう=裏の房)に入(い)り、坐次(ざじ=座席の順序)を序(つい)でたり。
那(そ)の院主(いんしゅ)は茶(ちゃ)を獻(けん)じ、又(また)齋供(さいく=供養の食事)を安排(あんぱい=用意)す。天光(てんこう=空の光)は尚(な)お早(はや)し。三藏(さんぞう)の稱謝(しょうしゃ=礼を述べる)未(いま)だ畢(おわ)らざるに、只(ただ)見(み)る那(そ)の後面(うしろ)に二個(ふたり)の小童(しょうどう=小僧)の、一個(ひとり)の老僧(ろうそう)を攙(ささ)えて出(い)づるを。他(かれ)が怎生(いか)なる打扮(いでたち)なるを看(み)よ:
「頭上(かしら)には一頂(ひとつ)の毗盧方帽(びるほうぼう=毘盧遮那の方形帽)を戴(いただ)き、貓睛石(びょうせいせき=猫目石)の寶頂(ほうちょう=帽の頂の宝飾)光輝(こうき=光り輝く);
身上(み)には一領(ひとえ)の錦絨褊衫(きんじゅへんさん=錦のびろうどの衣)を穿(き)て、翡翠毛(ひすいもう=翡翠の羽)の金邊(きんぺん=金の縁)晃亮(こうりょう=きらめく)。
一對(ひとくみ)の僧鞋(そうあし=僧の履き物)には八寶(はっぽう=八種の宝)を集(あつ)め、一根(ひとつ)の拄杖(じゅじょう=杖)には雲星(うんせい=雲や星)を嵌(は)めたり。
滿面(めんめん=顔一面)の皺痕(しゅうこん=皺の跡)、好(よ)く似(に)たり驪山老母(りざんろうぼ=驪山の老母);
一雙(ふたつ)の昏眼(こんがん=かすみ目)、卻(かえ)って如(ごと)し東海龍君(とうかいりゅうくん=東海の竜王)。
口(くち)は風(かぜ)を關(とざ)さず齒(は)の落(お)つるに因(よ)り、腰(こし)は駝(かが)み背(せ)は屈(かが)むは筋攣(きんれん=筋の攣り)の為(ため)なり。」
衆僧(しゅうそう)道(いわ)く:「師祖(しそ=大師匠)が來(こ)られた。」三藏(さんぞう)は躬身(きゅうしん=身をかがめ)施禮(せれい=礼をなし)して迎接(げいせつ=迎え)えて道(いわ)く:「老院主(ろういんしゅ=老師)、弟子(でし)が拜揖(はいゆう=拝礼)す。」那(そ)の老僧(ろうそう)は禮(れい)を還(かえ)し、又(また)各々(おのおの)坐(ざ)を敘(つい)でたり。老僧(ろうそう)道(いわ)く:「適間(さっき=先ほど)小(ちいさ)き者(もの)どもが、東土(とうど)唐朝(とうちょう)より來(きた)れる老爺(ろうや)と說(い)うを、我(われ)は才(いま)出(い)でて奉見(ほうけん=お目通り)する。」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「輕(かる)く寶山(ほうざん=貴寺)を造(おとず)れ、好歹(よしあし=心得)を知(し)らず、恕罪(しょざい=お許し)を!恕罪(しょざい)を!」老僧(ろうそう)道(いわ)く:「不敢(いたりません)!不敢(いたりません)!」因(よ)りて問(と)う:「老爺(ろうや)、東土(とうど)より此(ここ)に到(いた)る、多少(どれほど)の路程(ろてい=道のり)有(あ)るか?」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「長安(ちょうあん)の邊界(へんかい=境)を出(い)づれば、五千余里(ごせんより=五千里余り)有(あ)り;兩界山(りょうかいざん)を過(す)ぎて、一衆(ひとむれ)の小徒(しょうと=弟子)を收(おさ)め、一路(いちろ=道すがら)來(きた)りて、西番哈咇國(さいばんこうひこく)を行(ゆ)き過(す)ぎ、經(へ)ること二個月(にかげつ)、又(また)五六千里(ごろくせんり)有(あ)りて、才(ようや)く貴處(きしょ=貴地)に到(いた)れり。」老僧(ろうそう)道(いわ)く:「也(ま)た萬里(ばんり)之遙(のとおさ=万里の遠さ)が有(あ)るか。我(わ)が弟子(でし)は一生(いっしょう)を虛度(きょど=空しく過ご)し、山門(さんもん)をも曾(かつ)て出(い)でず、誠(まこと)に所謂(いわゆる)『井(い)に坐(ざ)して天(てん)を觀(み)る』、樗朽(ちょきゅう=役立たずの朽木)之輩(はい=やから)なり。」三藏(さんぞう)又(また)問(と)う:「老院主(ろういんしゅ)の高壽(こうじゅ=御年)は幾何(いくばく)か?」老僧(ろうそう)道(いわ)く:「痴(おろか)にして二百七十歳(にひゃくななじっさい)を長(としと)れり。」行者(ぎょうじゃ)は聽(き)きて道(いわ)く:「這(こ)れは還是(ま)た我(わ)が萬代(ばんだい=一万代)の孫兒(まご=孫)よ!」三藏(さんぞう)は他(かれ)を瞅(にら)みて一眼(ひとめ)を道(いわ)く:「謹言(きんげん=慎んで言え)!高低(たかひく=分をわきまえること)を識(し)らずして、人(ひと)を沖撞(しょうとう=ぶつかり傷つけ)るな。」那(そ)の和尚(おしょう)便(すなわ)ち問(と)う:「老爺(ろうや)、你(なんじ)は多少(いくつ)の年紀(とし)が有(あ)るか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「敢(あえ)て說(い)わず。」那(そ)の老僧(ろうそう)も也(ま)た只(た)だ一句(ひとこと)の瘋話(ふうわ=気違い言葉)と當(あて)なし、便(すなわ)ち介意(かいい=気に掛け)ず、也(ま)た再(ふたた)び問(と)わず、只(た)だ茶(ちゃ)を獻(けん)ぜよと叫(よ)ぶ。
一個(ひとり)の小幸童(しょうこうどう=かわいがりの小僧)有(あ)り、一個(ひとつ)の羊脂玉(ようしぎょく=羊脂のような白玉)の盤兒(ばん=盆)を拿(と)り出(い)だし、三個(みっつ)の法藍鑲金(ほうらんそうきん=七宝焼きに金を象嵌)の茶鐘(ちゃしょう=茶碗)が有(あ)り;又(また)一童(いちどう=もう一人の小僧)、一把(ひとつ)の白銅壺(はくどうこ=白銅の急須)を提(さ)げ、三杯(さんぱい)の香茶(こうちゃ=香り高い茶)を斟(つ)いだり。真個(まこと)に是(こ)れ色(いろ)は榴蕊(りゅうずい=柘榴の花芯)の艶(あでやか)を欺(あざむ)き、味(あじ)は桂花(けいか=金木犀)の香(かおり)に勝(まさ)る。三藏(さんぞう)は見(み)て、夸愛(かあい=ほめ愛でる)して尽(つ)きずして道(いわ)く:「好物件(けっこうなお品)!好物件(けっこうなお品)!真(まこと)に是(こ)れ美食美器(びしょくびき=美味と美器)なり!」那(そ)の老僧(ろうそう)道(いわ)く:「汚眼(おがん=目の汚れ)!汚眼(おがん)!老爺(ろうや)は乃(すなわ)ち天朝上國(てんちょうじょうこく=天子の国)にして、廣(ひろ)く奇珍(きちん=珍奇なもの)を覽(み)るに、似(か)くの般(ごと)き器具(きぐ=器物)、何(なん)ぞ過獎(かしょう=過分なお褒め)に足(た)らん?老爺(ろうや)は上邦(じょうほう=大国)より來(きた)れる、什麼(なに)か寶貝(ほうばい=宝物)の有(あ)ること有(あ)るや、弟子(でし)に借(か)し與(あた)えて一觀(いっかん=ひと目見)せしめよか?」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「可憐(あわれ=お恥ずかしい)!我(わ)が那(そ)の東土(とうど)には、甚(はなは)だしき寶貝(ほうばい)無(な)し;就(たと)い有(あ)る時(とき)も、路程(ろてい)遙遠(ようえん=遠く離れ)にして、也(ま)た帶(たい=持参)ぶる能(あた)わず。」
行者(ぎょうじゃ)は旁(かたわら)に在(あ)りて道(いわ)く:「師父(しふ=師匠)、我(われ)は前日(せんじつ=先日)包袱(ほうふく=風呂敷包み)の裏(うち)に、曾(かつ)て那(あ)の領(ひとえ)の袈裟(けさ)を見(み)たるが、是(こ)れ件(ひとつ)の寶貝(ほうばい)に非(あら)ずや?拿(と)り出(い)だして他(かれ)に看(み)せて何如(いかん=どうか)。」衆僧(しゅうそう)は袈裟(けさ)と聽(き)きて、一個個(めいめい)冷笑(れいしょう=あざわらい)す。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)ら笑(わら)うは怎(どう)した?」院主(いんしゅ)道(いわ)く:「老爺(ろうや)は才(いま)袈裟(けさ)を件(ひとつ)の寶貝(ほうばい)と說(い)われたるが、言(げん)の実(じつ)に笑(わら)うべきかな。若(も)し袈裟(けさ)を說(い)わば、我(われ)等(ら)が輩(ともがら)の如(ごと)き者(もの)に似(に)たるは、二三十件(にさんじゅうけん)に止(とど)まらず;若(も)し我(わ)が師祖(しそ)を論(ろん)ぜば、此處(ここ)に在(あ)りて和尚(おしょう)と做(な)ること二百五六十年(にひゃくごろくじゅうねん)、足(たっ)するに七八百件(ななはっぴゃっけん)有(あ)り!」叫(よば)わる:「拿(と)り出(い)だして看看(みてみ)よ。」那(そ)の老和尚(ろうおしょう)は、也(ま)た是(こ)れ他(かれ)が一時(いっとき=つい)の賣弄(まいろう=見せびらかし)にて、便(すなわ)ち道人(どうにん)を叫(よ)びて庫房(こぼう=倉庫)を開(ひら)かしめ、頭陀(ずだ=寺の下働き)に櫃子(ひつ=長持)を抬(かつ)がしめ、就(すなわ)ち十二櫃(じゅうにひつ)を抬(かつ)ぎ出(い)だして、天井(てんじょう=中庭)の中(なか)に放(お)き、鎖(じょう=錠)を開(あ)けて、兩邊(りょうほう=両側)に衣架(いか=衣掛け)を設(もう)け、四圍(しゅうい=周囲)に繩子(なわ=綱)を牽(は)りて、袈裟(けさ)を一件件(ひとつひとつ)抖(はら)い開(ひら)きて掛(か)け起(あ)げ、三藏(さんぞう)を請(しょう)じて觀看(みわた)せしむ。果(はた)して是(こ)れ滿堂(まんどう=堂いっぱい)の綺繡(きしゅう=美しい刺繍)、四壁(しへき=四方の壁)の綾羅(りょうら=綾と羅)!
行者(ぎょうじゃ)は一一(いちいち=一つ一つ)之(これ)を觀(み)るに、都(みな)是(こ)れ些(いささ)かの穿花納錦(せんかなきん=花を縫い錦を納れ)、刺繡銷金(ししゅうしょうきん=刺繍に金を銷す)の物(もの)なり。笑(わら)って道(いわ)く:「好(よ)し、好(よ)し、好(よ)し!收(おさ)め起(あ)げよ!收(おさ)め起(あ)げよ!我(われ)らのも也(ま)た取(と)り出(い)だして看看(みてみ)よ。」三藏(さんぞう)は行者(ぎょうじゃ)を扯(ひ)き住(と)め、悄悄(しのび=ひそか)に道(いわ)く:「徒弟(とてい=弟子)よ、人(ひと)と富(とみ)を鬥(たたか)わすこと莫(なか)れ。你(なんじ)と我(われ)は是(こ)れ單身(たんしん=身一つ)にて外(そと)に在(あ)り、只(た)だ恐(おそ)らくは錯(あやまり=過ち)有(あ)らん。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「袈裟(けさ)を看看(みる)に、何(なん)の差錯(ささく=間違い)か有(あ)らん?」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「你(なんじ)は曾(かつ)て理會(りかい=理解)せず。古人(こじん)に云(い)える有(あ)り:『珍奇玩好(ちんきがんこう=珍しく奇なる玩賞の物)の物(もの)は、貪婪奸偽(どんらんかんぎ=貪欲で偽り)の人の見(み)るべきに使(つか)うべからず。』倘若(もし)一經(ひとたび)目(め)に入(い)らば、必(かなら)ず其(そ)の心(こころ)を動(うご)かさん;既(すで)に其(そ)の心(こころ)を動(うご)かせば、必(かなら)ず其(そ)の計(はかりごと)を生(しょう)ぜん。汝(なんじ)は是(こ)れ個(ひとり)の禍(わざわい)を畏(おそ)るる者(もの)なれば、之(これ)を索(もと)められて必(かなら)ず其(そ)の求(もとめ)に應(おう)ずるは、可(よ)し;然(しか)らずんば、則(すなわ)ち身(み)を殞(おと)し命(いのち)を滅(ほろぼ)すは、皆(みな)此(ここ)より起(お)こる、事(こと)小(ちいさ)からず。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「放心(ほうしん=心安かれ)!放心(ほうしん)!都(みな)老孫(ろうそん=この孫)が身(み)の上(うえ)に在(あ)り!」你(なんじ)看(み)よ他(かれ)は分(わけ)を說(と)かず、急急(いそぎ=大急ぎ)に走(はし)り去(ゆ)きて、個(ひとつ)の包袱(ほうふく)を解(と)き開(あ)くれば、早(はや)くも霞光(かこう=霞のような光)迸迸(ほうほう=ほとばしる)こと有(あ)り;尚(な)お兩層(にそう=二重)の油紙(ゆし=油紙)の裹(つつ)み定(さだ)める有(あ)りて、紙(かみ)を去(のぞ)きて、袈裟(けさ)を取(と)り出(い)だし、抖(はら)い開(ひら)く時(とき)、紅光(こうこう=赤い光)室(しつ=部屋)に満(み)ち、彩氣(さいき=彩りの気)庭(にわ)に盈(み)つ。衆僧(しゅうそう)は見(み)て、一個(ひとり)として心(こころ)に歡(よろこ)び口(くち)に贊(ほ)めざるは無(な)し。真個(まこと)に好(よ)き袈裟(けさ)!上頭(うえ)に有(あ)るは:
「千般(せんばん=千通り)の巧妙(こうみょう)なる明珠墜(めいじゅつい=真珠の飾り)、萬樣(ばんよう=万通り)の稀奇(きき=珍しい)なる佛寶聚(ぶっぽうさん=仏宝の集まり)。
上下(じょうげ)の龍須(りゅうしゅ=竜の髭)に彩綺(さいき=色鮮やかな綾)を鋪(し)き、兜羅(とら=兜羅綿)四面(しめん)に錦(にしき)の沿邊(えんぺん=縁取り)。
體(たい=身)に掛(か)けば魍魎(もうりょう=山の妖怪)此(ここ)より滅(ほろ)び、身(み)に披(まと)えば魑魅(ちみ=妖怪)黄泉(こうせん=黄泉の国)に入(い)る。
托化(たくけ=姿を現した)の天仙(てんせん=天の仙人)手(て)ずから制(つく)りし、是(こ)れ真僧(しんそう=まことの僧)に非(あら)ざれば敢(あえ)て穿(き)ず。」
那(そ)の老和尚(ろうおしょう)は這般(これほど)の寶貝(ほうばい)を見(み)て、果(はた)して奸心(かんしん=邪な心)を動(うご)かし、上(かみ)に走(はし)り前(すす)み、三藏(さんぞう)に對(むか)いて跪(ひざまず)き、眼(めん=目ん玉)の中(なか)に淚(なみだ)を垂(た)れて道(いわ)く:「我(わ)が弟子(でし)は真(まこと)に是(こ)れ緣(えん=縁)が無(な)い!」三藏(さんぞう)は攙(たす)け起(お)こして道(いわ)く:「老院師(ろういんし=老師)、何(なん)の話(はな)し說(い)うこと有(あ)るや?」他(かれ)道(いわ)く:「老爺(ろうや)の此(こ)の件(ひとつ)の寶貝(ほうばい)は、方才(さっき=今しがた)展開(ひろげ=広げ)られたれど、天色(てんしょく=空模様)は晩(くれ)てしまい、奈何(いかん=どうしよう)、眼目(がんもく=目)は昏花(こんか=かすみ)て、看(み)ること明白(めいはく=はっきり)を得(え)ず、豈(あに=どうして)是(こ)れ緣(えん)が無(な)きに非(あら)ずや!」三藏(さんぞう)は教(さと)す:「燈(あかり)を掌上(てに=手に)して來(きた)らせ、你(なんじ)に再(ふたた)び看(み)させん。」那(そ)の老僧(ろうそう)道(いわ)く:「爺爺(おじいさま)の寶貝(ほうばい)は、已(すで)に是(こ)れ光亮(こうりょう=光り輝く)なり;再(ふたた)び燈(あかり)を点(てん=つけ)ば、一發(いっそう)眼(め)を晃(くらま)して、看(み)ること仔細(しさい=細かく)なるを想(おも)う莫(なか)れ。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(なんじ)は怎(どう)するが看(み)て才(はじ)めて好(よ)きか?」老僧(ろうそう)道(いわ)く:「老爺(ろうや)若(も)し是(こ)れ寬恩(かんおん=寛大な恵み)にして心(こころ)を放(ゆる)め、弟子(でし)に後房(ごぼう=奥の間)に拿(と)り到(いた)らしめ、細細(こまごま=細かく)と一夜(ひとよ)看(み)し、明早(あした=明朝)に老爺(ろうや)に送(おく)り還(かえ)して西(にし)に去(ゆ)かしめば、尊意(そんい=お考え)の何如(いかん)を知(し)らず。」
三藏(さんぞう)は聽(き)きて、吃(きっ=はっ)と一驚(いちきょう)し、行者(ぎょうじゃ)を埋怨(まいえん=恨み言)して道(いわ)く:「都(みな)你(おまえ)じゃ!都(みな)你(おまえ)じゃ!」行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って道(いわ)く:「他(かれ)を怕(おそ)れて怎(どう)する?我(われ)に包(くる)み起(あ)げさしめ、他(かれ)に拿(と)らせて去(ゆ)きて看(み)させん。但(ただ)疏虞(そぐ=手抜かり)有(あ)らば、尽(ことごと)く是(こ)れ老孫(ろうそん)が管整(かんせい=始末)する所(ところ)じゃ。」那(そ)の三藏(さんぞう)の阻當(そせい=阻止)するに住(とど)まらず、他(かれ)は袈裟(けさ)を老僧(ろうそう)に遞(わた)して道(いわ)く:「凭(まか)せて看(み)るがいい;只(ただ)是(こ)れ明早(あした)に照舊(もとのまま)我(われ)に還(かえ)し、些須(すこし=少し)も損汚(そこなけが=損ない汚し)するを得(え)ず。」老僧(ろうそう)は喜喜歡歡(ききかんかん=大喜び)して、幸童(こうどう=小僧)をして袈裟(けさ)を拿(と)りて進(い)らしめ、卻(かえ)って衆僧(しゅうそう)に吩咐(いいつけ=申しつけ)て、前面(ぜんめん=手前)の禪堂(ぜんどう=座禅堂)を掃(は)き淨(きよ)め、兩張(ふたつ)の藤床(とうしょう=藤の寝台)を取(と)り、鋪蓋(ほがい=寝具)を安設(あんせつ=用意)し、二位(ふたり)の老爺(ろうや)を請(しょう)じて安歇(あんけつ=休まれ)しめ;一壁廂(かたわら=一方)に又(また)明早(あした)の齋(とき=食事)を安排(あんぱい)して送行(そうこう=見送り)するを教(さと)し、遂(つい)に而(て)各々(おのおの)散(さん=散会)ず。師徒(しと)たちは禪堂(ぜんどう)を關(とざ)し、睡(ね)り下(お)りては題(だい=話題)せず。
卻説(さて)那(そ)の和尚(おしょう)は袈裟(けさ)を騙(だま)して手(て)に到(と)れ、後房(ごぼう)の燈下(とうか=明かりの下)に拿(と)りて、袈裟(けさ)に對(むか)いて號咷(ごうとう=大声を上げ)痛哭(つうこく=激しく泣く)すれば、慌(あわて)てる那(そ)の本寺(ほんじ)の僧(そう)は、敢(あえ)て先(さき)に睡(ね)る能(あた)わず。小幸童(しょうこうどう)も也(ま)た何故(なにゆえ=なぜ)を知(し)らず、卻(かえ)って去(ゆ)きて衆僧(しゅうそう)に報(ほう=知らせ)じて道(いわ)く:「公公(こうこう=おじいさま)は二更(にこう=午後十時頃)の時候(じこう=頃)まで哭(な)きて、還(な)お声(こえ)を歇(や)めず。」二個(ふたり)の徒孫(とそん=弟子の弟子)有(あ)り、是(こ)れ他(かれ)が心愛(しんあい=かわいがり)之人(もの)にして、上(かみ)に前(すす)みて問(と)う:「師公(しこう=大師匠)、你(なんじ)哭(な)くは怎(どう)した?」老僧(ろうそう)道(いわ)く:「我(われ)は緣(えん)の無(な)きを哭(な)く、唐僧(とうそう)の寶貝(ほうばい)を見(み)ること得(え)ざるを!」小和尚(こおしょう)道(いわ)く:「公公(こうこう)は年紀(とし)高大(こうだい=大変高く)、發(すぎ=過ぎ)たれり。他(かれ)の袈裟(けさ)は、你(なんじ)の面前(めんぜん=目の前)に放(お)かるるに、你(なんじ)は只(た)だ消(よう)す解(と)き開(あ)けて看(み)れば便(すなわ)ち罷(や)むべきに、何(なん)ぞ痛哭(つうこく)を須(もち)いんや?」老僧(ろうそう)道(いわ)く:「看(み)ること長久(ちょうきゅう=長く続く)ならず。我(われ)は今年(ことし)二百七十歳(にひゃくななじっさい)、空(むな)しく幾百件(いくひゃっけん)の袈裟(けさ)を掙(もう=稼)ぎたり。怎麼(どう)して他(かれ)が此(こ)の一(ひと)つの件(けさ)を得(え)ん?怎麼(どう)して個(ひとり)の唐僧(とうそう)と做(な)るを得(え)ん?」小和尚(こおしょう)道(いわ)く:「師公(しこう)は差(ちが)えり。唐僧(とうそう)は乃(すなわ)ち郷(さと)を離(はな)れ井(いど)を背(せお)う一個(ひとり)の行腳僧(あんぎゃそう=行脚の僧)なり。你(なんじ)は這等(これほど)年高(としたか=高齢)く、享用(きょうよう=享楽)も也(ま)た足(た)れり、倒(かえ)って他(かれ)に像(に)て行腳僧(あんぎゃそう)と做(な)らんと欲(ほっ)す、何(なん)故(ゆえ)ぞや?」老僧(ろうそう)道(いわ)く:「我(われ)は坐家(ざか=家に居座る)にして自在(じざい=気まま)なれど、樂(たのし)むは晩景(ばんけい=晚年の暮らし)なれど、卻(かえ)って他(かれ)が這(こ)の袈裟(けさ)の穿穿(きること)を得(え)ず。若(も)し我(われ)に一日兒(いちにち=一日)も穿(き)ることを教(さと)さば、就(すなわ)ち死(し)するも也(ま)た眼(め)を閉(と)じん、—也(ま)た是(こ)れ我(われ)が陽世間(ようせけん=この世)に來(きた)りて僧(そう)と為(な)ること一場(ひととき)じゃ!」
衆僧(しゅうそう)道(いわ)く:「好(なんと)沒正經(ふまじめ=不真面目)な!你(なんじ)他(かれ)のを穿(き)らんと欲(ほっ)せば、何(なん)の難處(なんじょ=難しいこと)か有(あ)らん?我(われ)ら明日(あす)他(かれ)を留(とど)めて一日(いちにち)住(じゅう=滞在)させれば、你(なんじ)は就(すなわ)ち他(かれ)を一日(いちにち)穿(き)り;十日(とおか)留(とど)めれば、你(なんじ)は就(すなわ)ち十日(とおか)穿(き)る、便(すなわ)ち罷(や)むのみ。何(なん)ぞ苦(くる)しんで這般(これほど)痛哭(つうこく)せん?」老僧(ろうそう)道(いわ)く:「縱然(たとえ)他(かれ)を留(とど)めて半載(はんとし=半年)住(じゅう)せしむるも、也(ま)た只(た)だ半載(はんとし)穿(き)るを得(え)るのみ、到底(とどのつまり)も也(ま)た氣長(きなが=長続き)を得(え)ず。他(かれ)が去(ゆ)かんと欲(ほっ)する時(とき)は、只(た)だ他(かれ)に與(あた)えて去(ゆ)かしむるのみ、怎生(どう)して留(とど)めて長遠(ちょうえん=永く)ならしめん?」
正(まさ)に說話(せつわ=話)する處(ところ)に、一個(ひとり)の小和尚(こおしょう)有(あ)り、名(な)を廣智(こうち)と喚(よ)ばれ、出頭(しゅっとう=進み出)て道(いわ)く:「公公(こうこう)、長遠(ちょうえん)を得(え)んと欲(ほっ)せば、也(ま)た容易(ようい=たやすい)。」老僧(ろうそう)は言(げん)を聞(き)きて、就(すなわ)ち歡喜(かんぎ=喜び)起(おこ)りて道(いわ)く:「我(わ)が兒(こ=子よ)、你(なんじ)は什麼(なに)の高見(こうけん=名案)が有(あ)るか?」廣智(こうち)道(いわ)く:「那(そ)の唐僧(とうそう)二(ふた)人(り)は是(こ)れ走路(あるく=歩く)之人(ひと)にして、辛苦(しんく=労苦)之甚(はなはだ)し、如今(いま)已(すで)に睡(ね)りてしまえり。我(われ)ら數個(すうにん)の力量(ちから=力)有(あ)る者(もの)を想(おも)い、槍刀(そうとう=槍と刀)を拿(と)りて、禪堂(ぜんどう)を打(うち)開(あ)け、他(かれ)を將(も)って殺(ころ)し、尸首(しかばね=死体)を後園(こうえん=裏の庭)に埋(う)めば、只(た)だ我(わ)が一家(いっか=この寺)のみ知(し)るも、卻(かえ)って他(かれ)の白馬(はくば=白い馬)、行囊(こうのう=荷物)を謀(はか)り、卻(かえ)って那(あ)の袈裟(けさ)を留(とど)めて、以(もっ)て傳家(でんか=家に伝う)之寶(ほう=宝)と為(な)せば、豈(あに)子孫(しそん)の長久(ちょうきゅう)之計(けい)に非(あら)ずや?」老和尚(ろうおしょう)は說(と)くを聞(き)きて、滿心(まんしん=心いっぱい)歡喜(かんぎ)し、卻(かえ)って才(ようや)く眼淚(なみだ)を揩(ぬぐ)いて道(いわ)く:「好(よ)し!好(よ)し!好(よ)し!此(こ)の計(けい)は絕妙(ぜつみょう=極めて妙)なり!」即(すなわ)ち便(すぐ)に槍刀(そうとう)を收拾(しゅうしゅう=用意)す。
内中(なか=その中)に又(また)一個(ひとり)の小和尚(こおしょう)有(あ)り、名(な)を廣謀(こうぼう)と喚(よ)ばれ、就(すなわ)ち是(こ)れ那(そ)の廣智(こうち)の師弟(してい=弟弟子)にして、上前(すす)み來(きた)りて道(いわ)く:「此(こ)の計(けい)は妙(みょう=よい)ならず。若(も)し他(かれ)を殺(ころ)さんと欲(ほっ)せば、須(すべから)く動靜(どうせい=様子)を看看(みる)べし。那(あ)の白臉(しろいかお=色白の顔)のは易(やす)きに似(に)て、那(あ)の毛臉(けがお=毛だらけの顔)のは難(むずか)しきに似(に)たり;萬一(まんがいち)他(かれ)を殺(ころ)すを得(え)ずんば、卻(かえ)って己(おのれ)の禍(わざわい)を招(まね)かずや?我(われ)に一個(ひとつ)の刀槍(とうそう)を動(うご)かさざる之法(ほう=方法)有(あ)り、你(なんじ)が尊意(そんい)の如何(いかん)を知(し)らず。」老僧(ろうそう)道(いわ)く:「我(わ)が兒(こ)、你(なんじ)は何(なん)の法(ほう)が有(あ)るか?」廣謀(こうぼう)道(いわ)く:「小孫(しょうそん=この孫)之見(けん=考え)に依(よ)れば、如今(いま)東山(とうざん=東の山)の大小(だいしょう)の房頭(ぼうとう=寮の者)を喚(よ)び聚(あつ)め、每人(めいじん=めいめい)に乾柴(かんさい=乾いた薪)一束(いっそく=ひと束)を要(もと)め、那(あ)の三間(さんげん)の禪堂(ぜんどう)を捨(す)てて、火(ひ)を放(はな)ち來(きた)らせ、他(かれ)をして走(に)げんと欲(ほっ)するも門(もん)無(な)からしめ、馬(うま)まで一火(ひとかど=ひと火)に之(これ)を焚(や)かん。就(すなわ)ち是(こ)れ山前山後(やまのあちこち)の人(ひと)の看(み)るも、只(た)だ他(かれ)が自(みずか)ら小心(ちゅうい=注意)せず、火(ひ)を走(はし)らせて、我(わ)が禪堂(ぜんどう)を將(も)って都(みな)燒(や)きてしまいたると說(い)わん。那(そ)の二個(ふたり)の和尚(おしょう)は、卻(かえ)って都(みな)燒(や)き死(し)ねずや?又(また)好(よ)く人(ひと)の耳目(じもく=目と耳)を掩(おお)わん。袈裟(けさ)は豈(あに)我(われ)らの傳家(でんか)之寶(ほう)に非(あら)ずや?」
那些(これら)の和尚(おしょう)は言(げん)を聞(き)きて、歡喜(かんぎ)せざるは無(な)し。都(みな)道(いわ)く:「強(すぐれ)たり!強(すぐれ)たり!強(すぐれ)たり!此(こ)の計(けい)は更(さら)に妙(みょう)なり!更(さら)に妙(みょう)なり!」遂(つい)に各房頭(かくぼうとう=各寮)に柴(たきぎ)を搬(はこ)び來(きた)らしむ。唉(ああ)!這(こ)の一計(いっけい)は、正(まさ)に是(こ)れ個(ひとり)の高壽(こうじゅ=長寿)の老僧(ろうそう)をして命(いのち)を盡(つ)くすべくし、觀音禪院(かんのんぜんいん)をして化(か)して塵(ちり)と為(な)らしむるものなり!原來(もともと)他(かれ)が那(そ)の寺(てら)の裏(うち)には、七八十個(ななはちじっこ)の房頭(ぼうとう)が有(あ)り、大小(だいしょう)二百余衆(にひゃくよしゅう=二百余人)有(あ)り。當夜(その夜)一擁(いっよう=どっと)して柴(たきぎ)を搬(はこ)び、個(ひとつ)の禪堂(ぜんどう)を將(も)って、前前後後(まえうしろ)四面(しめん)に圍繞(いにょう=取り巻き)て通(つう=通り道)ぜず、火(ひ)を放(はな)つを安排(あんぱい=手配)しては題(だい)せず。
卻説(さて)三藏(さんぞう)師徒(しと)は、安歇(あんけつ=休む)已(すで)に定(さだ)まれり。那(そ)の行者(ぎょうじゃ)は卻(かえ)って是(こ)れ個(ひとり)の靈猴(れいこう=霊妙な猿)にして、睡(ね)り下(お)りたれど、只(た)だ是(こ)れ神(しん)を存(ぞん=保ち)氣(き)を煉(ね)り、朦朧(もうろう=うつらうつら)として醒眼(せいがん=覚めた目)なり。忽(たちま)ち外面(そと)の不住(ひっきりなし=絶え間なく)に人(ひと)の走(はし)り、揸揸(ささ=がさごそ)と柴(たきぎ)の響(ひび)き風(かぜ)を生(しょう)ずるを聽(き)く。他(かれ)が心(こころ)疑(うたが)いて道(いわ)く:「此(こ)の時(とき)夜(よる)は靜(しず)かなり、如何(どう)して人(ひと)の行(ある)く脚步(あしおと)之聲(こえ)有(あ)る?莫敢(もしか)して是(こ)れ賊盜(ぞくとう=盗賊)の、我(われ)らを謀害(ぼうがい=危害)するか?……」他(かれ)は就(すなわ)ち一骨魯(いちころ=くるり)と跳(おど)り起(お)きんと欲(ほっ)し、門(もん)を開(あ)けて出(い)でて看(み)んと欲(ほっ)するも、又(また)恐(おそ)らくは師父(しふ)を驚醒(おどろか=起こし)さん。你(なんじ)看(み)よ他(かれ)は個(ひとつ)の精神(せいしん=霊気)を弄(ろう=使い)、身(み)を搖(ゆ)り一變(いっぺん=ひと変わり)して、變(へん)じて一個(ひとつ)の蜜蜂兒(みつばち)と做(な)る。真個(まこと)に是(こ)れ:
「口(くち)は甜(あま)く尾(お)は毒(どく)、腰(こし)は細(ほそ)く身(み)は輕(かる)し。
花(はな)を穿(つらぬ)き柳(やなぎ)を度(わた)りて飛(と)ぶこと箭(や=矢)の如(ごと)く、絮(わた=柳の綿)に粘(ねば)り香(かおり)を尋(たず)ぬること落星(らくせい=降る星)に似(に)たり。
小小(ちいさ)なる微軀(びく=小さな体)も能(よ)く重(おもい)を負(お)い、囂囂(ごうごう=ひらひら)たる薄翅(はくし=薄い羽)は會(よ)く風(かぜ)に乘(じょう=乗)ず。
卻(かえ)って自(おの)ずから椽棱(てんりょう=垂木の角)の下(した)より、鑽(もぐ)り出(い)でて分明(ぶんめい=はっきり)に看(み)る。」
只(ただ)見(み)る那(そ)の衆僧(しゅうそう)たちは、柴(たきぎ)を搬(はこ)び草(くさ)を運(はこ)びて、已(すで)に禪堂(ぜんどう)を圍(かこ)み住(つ)めて火(ひ)を放(はな)つところなり。行者(ぎょうじゃ)は暗(あん=ひそか)に笑(わら)って道(いわ)く:「果(はた)して我(わ)が師父(しふ)之言(げん)に依(よ)れり!他(かれ)らは我(われ)らの性命(いのち)を害(そこな)い、我(わ)が袈裟(けさ)を謀(はか)らんとし、故(ゆえ)に這等(このよう)なる毒心(どくしん=毒のある心)を起(おこ)す。我(われ)待(ま)たんと欲(ほっ)するは棍(こん=棒)を拿(と)りて他(かれ)を打(う)たんか、可憐(あわれ=気の毒)に也(ま)た打(う)つに禁(た)えず、一頓(ひとたび)の棍(こん)にて都(みな)打(う)ち死(し)ねば、師父(しふ)は又(また)我(われ)が行凶(ぎょうきょう=乱暴)を怪(あや)しむ。—罷(やめ)、罷(やめ)、罷(やめ)!他(かれ)らに個(ひとつ)の『手(て)に順(したが)いて羊(ひつじ)を牽(ひ)く、計(けい)に將(したが)って計(けい)に就(つ)く』を與(あた)え、他(かれ)らをして住(じゅう=留ま)ること成(な)らざらしめん!」
好(よ)き行者(ぎょうじゃ)、一筋斗(ひととんぼ=ひと跳び)にて南天門(なんてんもん)の裏(うち)に跳(と)び上(あ)がれば、唬(おどろ)かす個(ひとり)の龐(ほう)、劉(りゅう)、苟(こう)、畢(ひつ)をして躬身(きゅうしん=身をかがめ)し、馬(ば)、趙(ちょう)、溫(おん)、關(かん)をして控背(こうはい=背をかがめ)しめ、俱(みな)道(いわ)く:「不好了(たいへんだ)!不好了(たいへんだ)!那(あ)の天宮(てんぐう)を鬧(さわ)がせし主子(あるじ=主)が又(また)來(き)た!」行者(ぎょうじゃ)は手(て)を搖(ゆ)りて道(いわ)く:「列位(みなさん)は免禮(めんれい=無礼を許せ)、休(な)かれ驚(おどろ)く。我(われ)は來(きた)りて廣目天王(こうもくてんのう)を尋(たず)ぬるなり。」說(と)き了(おわ)らざるに、卻(かえ)って天王(てんのう)の早(はや)く到(いた)るに遇(あ)い、行者(ぎょうじゃ)を迎(むか)えて道(いわ)く:「久闊(きゅうかつ=久しぶり)、久闊(きゅうかつ)。前(さき)に觀音菩薩(かんのんぼさつ)の來(きた)りて玉帝(ぎょくてい)に見(まみ)え、四值功曹(しちょくこうそう)、六丁六甲(りくていりっこう)并(ならびに)揭諦(かいだい)等(ら)を借(か)りて、唐僧(とうそう)の西天(さいてん)に往(ゆ)きて經(きょう)を取(と)るを保護(ほご)せしむと聞(き)きたり、說(いわ)く你(なんじ)は他(かれ)と徒弟(とてい)と做(な)れると、今日(こんにち)怎麼(どう)して閒(ひま)を得(え)て此(ここ)に到(いた)れるか?」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「且(しばら)く闊(きゅうかつ=久闊)を敘(の)ぶるを休(や)めよ。唐僧(とうそう)は路(みち)に歹人(あくにん=悪人)に遇(あ)い、火(ひ)を放(はな)ちて他(かれ)を燒(や)く、事(こと)は萬分緊急(まんぶんきんきゅう=極めて緊急)に在(あ)り、特(とく)に來(きた)りて你(なんじ)に『辟火罩兒(へきかこうじ=火除けの覆い)』を借(か)り、他(かれ)を一救(ひとたすけ=救う)せんとす。快(すみや)かに些(これ)を拿(と)り來(きた)りて使(つか)わせ、即刻(そくこく=すぐに)返(かえ)り上(のぼ)らん。」天王(てんのう)道(いわ)く:「你(なんじ)は差(ちが)えり;既(すで)に是(こ)れ歹人(あくにん)の火(ひ)を放(はな)つならば、只(た)だ該(まさ)に水(みず)を借(か)りて他(かれ)を救(たす)くべし、如何(どう)して辟火罩(へきかこう)を要(もと)めんや?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(なんじ)那裏(どう)で就裏(うちわけ=内情)を曉(さと)らん。水(みず)を借(か)りて之(これ)を救(たす)くれば、卻(かえ)って燒(や)き起(お)こらず、倒(かえ)って他(かれ)に相應(ふさわ=都合よく)し;只(た)だ此(こ)の罩(こう=覆い)を借(か)りて、唐僧(とうそう)を護(まも)り住(つ)めて傷(きず)無(な)からしめ、其餘(そのほか)は他(かれ)に管(かん=構)うことなく、尽(ことごと)く他(かれ)に燒(や)き去(さ)らしむるのみ。快(すみや)か!快(すみや)か!此(こ)の時(とき)恐(おそ)らくは已(すで)に及(およ)ぶこと無(な)からん。我(わ)が下邊(しも=下)の幹事(かんじ=用事)を誤(あやま)ること莫(なか)れ!」
那(そ)の天王(てんのう)は笑(わら)って道(いわ)く:「這(こ)の猴(さる)は還是(やはり)這等(このよう)不善(ふぜん=不善)之心(しん)を起(おこ)し、只(た)だ自家(じか=自分)を顧(かえり)みて、就(すなわ)ち別人(たにん=他人)を管(かん=構)わず。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「快(すみや)か!快(すみや)か!嘴(くち)を調(ととの)えること莫(なか)れ、大事(だいじ=一大事)を害(そこな)わんとす!」那(そ)の天王(てんのう)は敢(あえ)て借(か)さざるを得(え)ず、遂(つい)に罩兒(こうじ=覆い)を將(も)って行者(ぎょうじゃ)に遞(わた)せり。
行者(ぎょうじゃ)は拿(と)りて、雲頭(うんとう=雲の端)を按(おさ)えて、徑(ただ)ちに禪堂(ぜんどう)の房脊(ぼうせき=棟)の上(うえ)に到(いた)り、唐僧(とうそう)と白馬(はくば)と行李(こうり)とを罩(おお)い住(つ)めたり。他(かれ)は卻(かえ)って那(あ)の後面(うしろ)の老和尚(ろうおしょう)の住(す)む方丈(ほうじょう)の房(ぼう=屋根)の上頭(うえ)に去(ゆ)きて坐(ざ)し、著意(ちゃくい=心を注ぎ)て那(あ)の袈裟(けさ)を保護(ほご)す。那些(これら)の人(ひと)の火(ひ)を放(はな)ち起(お)こるを看(み)て、他(かれ)は轉(う)じて訣(けつ=印)を捻(ねん=結び)呪(じゅ=呪文)を念(ねん=唱え)、巽地(そんち=巽の方角)の上(うえ)を望(のぞ)みて一口(ひとくち)の氣(いき)を吸(す)い將(た)ち去(ゆ)きて吹(ふ)きて、一陣(ひとむれ)の風(かぜ)起(おこ)り、那(あ)の火(ひ)を將(も)って轉(う)じて刮(ふ)きて烘烘(こうこう=ぼうぼう)として亂(みだ)れ著(も)えしむ。好(よ)き火(ひ)!好(よ)き火(ひ)!但(ただ)見(み)よ:
「黑煙(こくえん=黒い煙)漠漠(ばくばく=立ちこもり)、紅焰(こうえん=赤い炎)騰騰(とうとう=燃え上がる)。
黑煙(こくえん)漠漠(ばくばく)として、長空(ちょうくう=大空)に一天(いってん=空いっぱい)の星(ほし)も見(み)えず;
紅焰(こうえん)騰騰(とうとう)として、大地(だいち)に光(ひかり)有(あ)りて千里(せんり)まで赤(あか)し。
起初(はじめ)の時(とき)は、灼灼(しゃくしゃく=きらきら)たる金蛇(きんだ=金の蛇);
次後(そののち)に來(きた)りては、威威(いび=いかめしい)たる血馬(けつば=血のように赤い馬)。
南方(なんぽう)の三炁(さんき=三つの気)英雄(えいゆう=勇ましさ)を逞(たくま)しくし、回祿大神(かいろくたいじん=火の神)法力(ほうりき=法力)を施(ほどこ)す。
燥(かわ)ける乾柴(かんさい=乾いた薪)は烈火(れっか)の性(しょう)を燒(や)き、什麼(なん)の燧人(すいじん=火を発明した人)の木(き)を鑽(もみ=きりもみ)すると說(い)わん;
熟油(じゅくゆ=熱した油)の門前(もんぜん)に彩焰(さいえん=彩りの炎)を飄(ひるがえ)し、賽過(まさ=勝る)たり老祖(ろうそ=太上老君)の爐(ろ=炉)を開(ひら)くに。
正(まさ)に是(こ)れ那(そ)の無情(むじょう=情け無き)の火(ひ)の發(おこ)るに、怎(どう)か這(こ)の有意(うい=意図ある)の行凶(ぎょうきょう=乱暴)を禁(きん=禁じ)ぜん;
災(わざわい)を弭(とど=鎮め)ずに、反(かえ)って虐(しいたげ=暴虐)を行(おこな)うを助(たす)く。
風(かぜ)は火勢(かせい=火の勢い)に隨(したが)い、焰(ほのお)飛(と)んで千丈(せんじょう)余(あまり)の高(たか)さ有(あ)り;
火(ひ)は風威(ふうい=風の勢い)に趁(じょう=乗)じ、灰(はい)迸(ほとばし)って九霄雲外(きゅうしょううんがい=大空の彼方)に上(のぼ)る。
乒乒乓乓(ひんぽんぽん=パンパン)、好(よ)く便(すなわ)ち似(に)たり残年(ざんねん=年の暮れ)の爆竹(ばくちく)に;
潑潑喇喇(はつはつらつらつ=めらめら)、卻(かえ)って就(すなわ)ち如(ごと)し軍中(ぐんちゅう=陣中)の炮響(ほうきょう=大砲の音)に。
燒(や)くこと那(そ)の當場(とうじょう=その場)の佛像(ぶつぞう)をして逃(のが)るること能(あた)わず、東院(とういん=東の院)の伽藍(がらん=伽藍)をして匿(かく)るる處(ところ)無(な)からしむ。
赤壁(せきへき)の夜(よる)の鏖兵(おうへい=激戦)に勝(まさ)り、阿房宮(あぼうきゅう)の内(うち)の火(ひ)に賽過(まさ)れり!」
這(こ)れ正(まさ)に是(こ)れ星星(せいせい=小さな)之火(ひ)も、能(よ)く万頃(ばんけい=広大)之田(た=田畑)を燒(や)く。須臾(しゅゆ=しばらく)の間(あいだ)に、風(かぜ)狂(くる)い火(ひ)盛(さか)んなりて、一座(ひとつ)の觀音院(かんのんいん)を將(も)って、處處(いたるところ=至る所)通紅(つうこう=真っ赤)ならしむ。你(なんじ)看(み)よ那(あ)の衆和尚(しゅうおしょう)は、箱(はこ)を搬(はこ)び籠(かご)を抬(かつ)ぎ、桌(つくえ)を搶(と)り鍋(なべ)を端(ささ)げ、満院(いっぱい=庭いっぱい)の裏(うち)に苦(くるしみ)を叫(よ)びて天(てん)に連(つら)なる。
孫行者(そんぎょうじゃ)は後邊(うしろ)の方丈(ほうじょう)を護(まも)り住(つ)め、辟火罩(へきかこう)は前面(ぜんめん)の禪堂(ぜんどう)を罩(おお)い住(つ)め、其餘(そのほか)の前後(まえうしろ)は火光(かこう=火の光)大(おお)いに發(おこ)り、真個(まこと)に是(こ)れ天(てん)を照(て)らす紅焰(こうえん)輝煌(きこう=きらびやか)、壁(かべ)を透(とお)る金光(きんこう=金色の光)照耀(しょうよう=照り輝く)!
不期(おもいがけず)火(ひ)の起(お)こる之時(とき)、一山(ひとやま)の獸怪(じゅうかい=獣の妖怪)を驚動(おどろか)せり。這(こ)の觀音院(かんのんいん)の正南(せいなん=真南)二十里(にじゅうり)遠近(あたり=ほど)に、一座(ひとつ)の黑風山(こくふうざん)有(あ)り、山中(さんちゅう)に一個(ひとつ)の黑風洞(こくふうどう)有(あ)り、洞中(どうちゅう)に一個(ひとり)の妖精(ようせい)有(あ)り、正(まさ)に睡(ねむ)り醒(さ)めて身(み)を翻(ひるがえ)すところなり。只(ただ)見(み)る那(そ)の窗門(そうもん=窓)の透(す)き亮(あか)るきを、只(た)だ是(こ)れ天明(てんめい=夜明け)と道(い)う。起(お)きて看(み)る時(とき)に、卻(かえ)って是(こ)れ正北(せいほく=真北)の下(ほとり)の火光(かこう)晃亮(こうりょう=ぎらぎら)なるに、妖精(ようせい)大(おお)いに驚(おどろ)きて道(いわ)く:「呀(おお)!這(こ)れは必(かなら)ず是(こ)れ觀音院(かんのんいん)の裏(うち)にて火(ひ)を失(うしな)えるぞ!這些(これら)の和尚(おしょう)は好(なんと)小心(ちゅうい)ならざるかな!我(われ)看(み)る時(とき)に、他(かれ)と一救(ひとたすけ=救い)を與(あた)えて來(こ)ん。」好(よ)き妖精(ようせい)、雲頭(うんとう=雲)を縱(はな)ち起(お)こし、即(すなわ)ち烟火(えんか=煙と火)の下(した)に至(いた)れば、果(はた)して衝天(しょうてん=天を衝く)之火(ひ)にして、前面(ぜんめん)の殿宇(でんう=殿堂)は皆(みな)空(むな)しく、兩廊(りょうろう=両側の廊)の烟火(えんか)は方(まさ)に灼(も)ゆるところなり。他(かれ)は大(おお)きく步(あゆみ)を曳(ひ)き開(あ)き、撞(つ)き將(た)ち進(い)りて、正(まさ)に呼喚(よばわ=呼び)て水(みず)を取(と)り來(きた)れと叫(さけ)ばんとするに、只(ただ)見(み)る那(あ)の後房(ごぼう=奥の房)には火(ひ)無(な)く、房脊(ぼうせき=棟)の上(うえ)に一人(ひとり)の風(かぜ)を放(はな)つ者有(あ)り。他(かれ)は卻(かえ)って情(じょう=事情)の如此(かくのごとき)なるを知(し)り、急(いそ)ぎて裏面(うち)に入(い)りて看(み)る時(とき)、那(あ)の方丈(ほうじょう)の中間(なかほど)に些(いささ)かの霞光彩氣(かこうさいき=霞のような彩りの気)有(あ)り、臺案(だいあん=台と机)の上(うえ)に一個(ひとつ)の青氈(せいせん=青い毛氈)の包袱(ほうふく)有(あ)るを見(み)る。他(かれ)は解(と)き開(あ)けて一看(ひとめ=ひと目見)れば、是(こ)れ一領(ひとえ)の錦襴袈裟(きんらんけさ=錦の袈裟)にして、乃(すなわ)ち佛門(ぶつもん=仏門)之異寶(いほう=珍しい宝)なり。正(まさ)に是(こ)れ財(ざい=財宝)は人心(にんしん=人の心)を動(うご)かすに、他(かれ)は也(ま)た火(ひ)を救(たす)けず、他(かれ)は也(ま)た水(みず)を叫(よ)ばず、那(あ)の袈裟(けさ)を拿(と)りて、哄(わいわい=騒ぎ)に趁(じょう=乗)じて打劫(だごう=強奪)し、雲步(うんぽ=雲の歩み)を曳(ひ)き回(めぐ)らし、徑(ただ)ちに東山(とうざん=東の山)の洞(どう)に轉(めぐ)りて去(ゆ)けり。
那(そ)の場(ひとしきり=一場)の火(ひ)は只(た)だ五更(ごこう=明け方)の天明(てんめい)に燒(や)き到(いた)りて、方(ようや)く滅息(めっそく=消え鎮まる)。你(なんじ)看(み)よ那(あ)の衆僧(しゅうそう)たちは、赤赤精精(せきせきせいせい=裸同然)、啼啼哭哭(ていていこくこく=泣き悲しみ)、都(みな)去(ゆ)きて那(あ)の灰(はい)の内(うち)に銅鐵(どうてつ=銅や鉄)を尋(たず)ね、腐炭(ふたん=燃えさし)を撥(かきわけ=かき分け)、金銀(きんぎん)を撲(はた=はたき出)す。有(ある)者(もの)は墻筐(しょうきょう=塀のくぼみ)の裏(うち)に在(あ)りて、苫(とばり=むしろ)を搭(わた)して窩棚(かほう=掘っ建て小屋)を作(つく)り;有(ある)者(もの)は赤壁(せきへき=赤い壁)の根頭(ねもと=根元)に在(あ)りて、鍋(なべ)を支(ささ)えて飯(めし)を造(つく)り;冤(えん=無念)を叫(よ)び屈(くつ=不満)を叫(よ)び、亂(みだ)りに嚷(わめ)き亂(みだ)りに鬧(さわ)ぎては題(だい=話題)せず。
卻説(さて)行者(ぎょうじゃ)は辟火罩(へきかこう)を取(と)りて、一筋斗(ひととんぼ)にて南天門(なんてんもん)に送(おく)り上(あ)げ、廣目天王(こうもくてんのう)に交(わた)して道(いわ)く:「謝借(しゃしゃく=お借りしました)!謝借(しゃしゃく)!」天王(てんのう)は收(おさ)めて道(いわ)く:「大聖(たいせい)は至誠(しせい=誠実)なり。我(われ)は正(まさ)に你(なんじ)の我(わ)が寶貝(ほうばい)を還(かえ)さざるを愁(うれ)い、尋討(じんとう=探し求む)る處(ところ)無(な)からんことを、且喜(かつき=幸い)にも就(すなわ)ち送(おく)り來(きた)れるかな。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「老孫(ろうそん=この孫)は那(あ)の面(めん)に當(あた)って物(もの)を騙(だま)す之人(ひと)ならんや?這(こ)れを『好(よ)く借(か)り好(よ)く還(かえ)せば、再(ふたた)び借(か)るに難(かた)からず』と做(い)うのじゃ。」天王(てんのう)道(いわ)く:「許久(きゅうきょ=久しく)面(まみ)えず、宮(きゅう=宮殿)に請(しょう)じて少(しばら)く一時(いっとき)坐(ざ)するは何如(いかん=どうか)?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「老孫(ろうそん)は前(さき)に比(くら)ぶるに不同(こと=同じでなく)、『爛板凳(らんばんとう=腐れ腰掛け)、高談闊論(こうだんかつろん=大いに語り合う)』したり;如今(いま)は唐僧(とうそう)を保(ほ=守)り、身(み)の閒(ひま)を得(え)ず。容敘(ようじょ=また語ろう)!容敘(ようじょ)!」急(いそ)ぎて辭別(じべつ=別れを告げ)して雲(くも)を墜(おと)し、又(また)那(あ)の太陽星(たいようせい=太陽)の上(のぼ)るを見(み)る。徑(ただ)ちに禪堂(ぜんどう)の前(まえ)に來(きた)りて、身(み)を搖(ゆ)り一變(いっぺん)し、變(へん)じて個(ひとつ)の蜜蜂兒(みつばち)と做(な)り、飛(と)び將(た)ち進(い)りて、本像(ほんぞう=元の姿)を現(あらわ)して看(み)る時(とき)、那(そ)の師父(しふ)は還(な)お深(ふか)く睡(ねむ)れるところなり。
行者(ぎょうじゃ)は叫(よ)んで道(いわ)く:「師父(しふ)、天(そら)が亮(あか)るうなった、起(お)きよ罷(や)め。」三藏(さんぞう)は才(ようや)く醒覺(せいかく=目覚め)、身(み)を翻(ひるがえ)して道(いわ)く:「正(まさ)に是(こ)れ。」衣服(いふく=衣)を穿(き)て、門(もん)を開(あ)けて出(い)づるに、忽(たちま)ち頭(こうべ)を抬(あ)げて、只(ただ)見(み)る些(いささ)かの倒壁紅墻(とうへきこうしょう=崩れた壁と赤い塀)なるを、樓臺殿宇(ろうだいでんう=楼閣や殿堂)は見(み)えず。大(おお)いに驚(おどろ)きて道(いわ)く:「呀(おお)!怎麼(どう)して這(こ)の殿宇(でんう)は俱(みな)無(な)きか?都(みな)是(こ)れ紅墻(こうしょう=赤い塀)、何(なん)故(ゆえ)ぞや?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(なんじ)は還(な)お夢(ゆめ)を做(み)ておる!今夜(こんや)火(ひ)を走(はし)らせたのじゃ。」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「我(われ)は怎(どう)して知(し)らざるか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「是(こ)れ老孫(ろうそん)が禪堂(ぜんどう)を護(まも)り、師父(しふ)の濃睡(のうすい=深い眠り)を見(み)て、曾(かつ)て驚動(おどろか)さざりき。」
三藏(さんぞう)道(いわ)く:「你(なんじ)に本事(ほんじ=腕)有(あ)りて禪堂(ぜんどう)を護(まも)りたるが、如何(どう)して就(すなわ)ち別房(べつぼう=他の房)之火(ひ)を救(たす)けざるか?」行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って道(いわ)く:「好(よ)く師父(しふ)に教(おし)え知(し)らしめん。果(はた)して你(なんじ)が昨日(きのう)之言(げん)に依(よ)れり、他(かれ)らは我(われ)らの袈裟(けさ)を愛(あい=好み)し、算計(さんけい=企み)て我(われ)らを燒(や)き殺(ころ)さんとせしなり。若(も)し是(こ)れ老孫(ろうそん)の知覺(ちかく=気づく)に非(あら)ずんば、今(いま)に到(いた)るまで皆(みな)灰骨(かいこつ=灰と骨)と成(な)れり!」三藏(さんぞう)は言(げん)を聞(き)きて、害怕(おそれ=恐れ)して道(いわ)く:「是(こ)れ他(かれ)らの放(はな)てる火(ひ)か?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「他(かれ)に非(あら)ずして誰(たれ)か是(こ)れならん?」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「莫(もしか)して是(こ)れ你(なんじ)を怠慢(たいまん=粗略)にしたれば、你(なんじ)が幹(や)りたる這個(こ)の勾當(こうとう=仕業)か?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「老孫(ろうそん)は是(こ)れ這等(このよう)なる憊懶(はいらん=不埒)之人(ひと)にして、這等(このよう)なる不良(ふりょう=悪い)之事(こと)を幹(や)るか?実実(じつじつ=まことに)に是(こ)れ他(かれ)が家(いえ=寺)の放(はな)てるなり。老孫(ろうそん)は他(かれ)が心(こころ)の毒(どく=毒)なるを見(み)て、果(はた)して是(こ)れ曾(かつ)て他(かれ)と火(ひ)を救(たす)けず、只(た)だ他(かれ)と略略(ほんの)些(すこし)風(かぜ)を助(たす)けたり。」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「天那(ああ)!天那(ああ)!火(ひ)の起(お)こる時(とき)は、只(た)だ該(まさ)に水(みず)を助(たす)くべし、怎(どう)して轉(う)じて風(かぜ)を助(たす)く?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(なんじ)は古人(こじん)の云(い)えるを知(し)るか:『人(ひと)に虎(とら)を傷(そこな)う心(こころ)無(な)ければ、虎(とら)に人(ひと)を傷(そこな)う意(い)も無(な)し。』你(なんじ)が火(ひ)を弄(ろう=弄)せざれば、我(われ)怎(どう)して肯(あえ)て風(かぜ)を弄(ろう)せん?」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「袈裟(けさ)は何處(どこ)に在(あ)るか?敢(あえ)て莫(もしか)して是(こ)れ燒(や)き壞(こわ)れたるか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「沒事(だいじょうぶ)!沒事(だいじょうぶ)!燒(や)き壞(こわ)さず!那(あ)の袈裟(けさ)を放(お)きし方丈(ほうじょう)には火(ひ)無(な)し。」三藏(さんぞう)は恨(うら)んで道(いわ)く:「我(われ)は你(おまえ)を管(かん=構)わず!但(ただ)是(こ)れ些兒(すこし=少し)の傷損(しょうそん=傷み損ない)も有(あ)らば、我(われ)は只(た)だ那(あ)の話兒(ことば=呪文)を將(も)って念動(ねんどう=唱え)念動(ねんどう)すれば、你(なんじ)は就(すなわ)ち死(し)ぬるのみ!」行者(ぎょうじゃ)は慌(あわ)てて道(いわ)く:「師父(しふ)、莫念(よせ=唱えるな)!莫念(よせ)!管(きっと)尋(たず)ね還(かえ)して袈裟(けさ)を你(なんじ)に與(あた)うれば就(すなわ)ち是(こ)れじゃ。我(われ)を去(ゆ)かしめて拿(と)り來(きた)りて路(みち)を走(ある)かしめよ。」三藏(さんぞう)は就(すなわ)ち馬(うま)を牽(ひ)き、行者(ぎょうじゃ)は担(に=荷)を挑(かつ)ぎて、禪堂(ぜんどう)を出(い)でて、徑(ただ)ちに後方丈(ごほうじょう=裏の住職の間)へ往(ゆ)く。
卻説(さて)那些(これら)の和尚(おしょう)は、正(まさ)に悲切(ひせつ=悲嘆)の間(あいだ)に、忽(たちま)ち他(かれ)の師徒(しと)の馬(うま)を牽(ひ)き担(に)を挑(かつ)ぎて來(きた)るを見(み)て、唬(おどろ)かされて一個個(めいめい)魂飛魄散(こんひはくさん=魂も飛び散り)して道(いわ)く:「冤魂(えんこん=無念の霊)の命(いのち)を索(もと)めに來(きた)れるぞ!」行者(ぎょうじゃ)は喝(かつ=怒鳴り)して道(いわ)く:「什麼(なに)の冤魂(えんこん)の命(いのち)を索(もと)めるか!快(すみや)かに我(わ)が袈裟(けさ)を還(かえ)して來(こ)い!」衆僧(しゅうそう)は一齊(いっせい)に跪(ひざまず)き倒(たお)れ、叩頭(こうとう=額づき)して道(いわ)く:「爺爺(おじいさま)呀(よ)!冤(えん)には冤家(えんか=仇)有(あ)り、債(さい=借金)には債主(さいしゅ=債権者)有(あ)り。命(いのち)を索(もと)めんとせば我(われ)らの事(こと)に干(あずか)らず、都(みな)是(こ)れ廣謀(こうぼう)と老和尚(ろうおしょう)の計(けい)を定(さだ)めて你(なんじ)を害(そこな)えるが、我(われ)らに問(と)いて命(いのち)を討(もと)むること莫(なか)れ。」行者(ぎょうじゃ)は咄(とつ=叱る声)の一声(ひとこえ)に道(いわ)く:「我(われ)は你(おまえ)ら這些(これら)の該死(がいし=死ぬべき)の畜生(ちくしょう=けだもの)共(ども)を把(とら)えん!那(いず)れが你(おまえ)らに問(と)いて什麼(なに)の命(いのち)を討(もと)めん!只(た)だ袈裟(けさ)を拿(と)り來(きた)りて我(われ)に還(かえ)して路(みち)を走(ある)かしむるのみ!」
其間(そのなか)に二個(ふたり)の膽量(きもったま=度胸)の大(おお)きき和尚(おしょう)道(いわ)く:「老爺(ろうや)、你(なんじ)方(がた)は禪堂(ぜんどう)の裏(うち)にて已(すで)に燒(や)き死(し)ねたるに、如今(いま)又(また)來(きた)りて袈裟(けさ)を討(もと)むる、端的(いったい)に還是(やはり)人(ひと)なるか、是(こ)れ鬼(おに)なるか?」行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って道(いわ)く:「這(こ)の伙(くずれ=連中)の孽畜(げっちく=けがれたけだもの)め!那裏(どこ)に什麼(なに)の火(ひ)の來(きた)れること有(あ)らん?你(おまえ)ら去(ゆ)きて前面(まえ)の禪堂(ぜんどう)を看看(みてみ)よ、再(ふたた)び來(きた)りて說話(せつわ=話)せ!」衆僧(しゅうそう)たちは爬(は)い起(お)きて前(まえ)に往(ゆ)きて觀看(みわた)せば、那(あ)の禪堂(ぜんどう)の外面(そと)の門窗槅扇(もんそうかくせん=戸と窓と格子戸)は、更(さら)に曾(かつ)て半分(はんぶん)も燎灼(りょうしゃく=焦がされ)ざりき。衆人(しゅうじん)は悚懼(しょうく=おそれ畏まり)、才(ようや)く三藏(さんぞう)の是(こ)れ位(ひとり)の神僧(しんそう=神異の僧)にして、行者(ぎょうじゃ)の是(こ)れ尊(とうとき)護法(ごほう=護法善神)なるを認(みと)めたり。一齊(いっせい)に上前(すす)みて叩頭(こうとう)して道(いわ)く:「我(われ)等(ら)は眼(め)に珠(たま=瞳)有(あ)りて無(な)きが如(ごと)く、真人(しんにん=まことの人)の下界(げかい=この世に降る)せるを識(し)らざりき!你(なんじ)の袈裟(けさ)は後面(うしろ)の方丈(ほうじょう)の中(なか)に老師祖(ろうしそ=大師匠)の處(もと)に在(あ)るぞ。」
三藏(さんぞう)は三五層(さんごそう=三、五棟)の敗壁破墻(はいへきはしょう=崩れた壁)を行(ゆ)き過(す)ぎ、嗟嘆(さたん=嘆息)して已(や)まず。只(ただ)見(み)る方丈(ほうじょう)は果(はた)して火(ひ)無(な)く、衆僧(しゅうそう)は搶(おし)り入(い)りて裏面(うち)に、叫(よばわ)りて道(いわ)く:「公公(こうこう)!唐僧(とうそう)は乃(すなわ)ち是(こ)れ神人(しんじん=神のような人)にして、未(いま)だ曾(かつ)て燒(や)き死(し)ねず、如今(いま)反(かえ)って自己(おのれ=自分)の家當(かとう=家財)を害(そこな)えり!早(はや)くに趁(じょう=乗)じて袈裟(けさ)を拿(と)り出(い)だし、他(かれ)に還(かえ)して去(ゆ)かしめよ。」原來(もともと)這(こ)の老和尚(ろうおしょう)は袈裟(けさ)を尋(たず)ぬるに見(み)えず、又(また)本寺(ほんじ)の房屋(ぼうおく=建物)を燒(や)かれて、正(まさ)に萬分(まんぶん=この上なく)煩惱焦燥(はんのうしょうそう=悩み焦がれる)之處(ところ)に在(あ)るが、一(ひと)たび此(こ)の言(げん)を聞(き)きて、怎(どう)して敢(あえ)て答(こた)え応(いら)えん?因(よ)りて尋思(じんし=考え巡らす)に計(けい=策)無(な)く、進退(しんたい=進むも退くも)方(ほう=道)無(な)く、步(あゆみ)を曳(ひ)き開(あ)き、腰(こし)を躬(かが)めて、那(あ)の墻(かべ=塀)の上(うえ)に往(ゆ)きて著実(ちゃくじつ=したたか)に一頭(ひとつ)を撞(ぶ)つけたり、可憐(あわれ)や只(た)だ撞(ぶ)ち得(え)たるは腦(のう)破(やぶ)れ血(ち)流(なが)れ魂魄(こんぱく)散(さん=散じ)、咽喉(いんこう=のど)氣(いき)断(た)えて紅沙(こうさ=赤い砂)に染(そ)むのみ!有詩(し)が証(あかし=証拠)と為(な)る。詩(し)に曰(いわ)く:
「堪(た)え嘆(たん)ず老衲(ろうのう=老僧)の性(せい=性質)の愚蒙(ぐもう=愚かなるを)、
枉(むな)しく作(な)せり人間(にんげん)の一個(ひとり)の壽翁(じゅおう=長寿の翁)。
袈裟(けさ)を得(え)て遠世(えんせい=遠い世)に傳(つた)えんと欲(ほっ)すれど、
豈(あに)知(し)らんや佛寶(ぶっぽう=仏の宝)の凡(ぼん=凡俗)と同(おな)じからざるを!
但(た)だ將(も)って容易(ようい=たやすき)を長久(ちょうきゅう)と為(な)さば、
定(かなら)ず是(こ)れ蕭條(しょうじょう=寂れ衰え)敗功(はいこう=失敗)を取(と)らん。
廣智(こうち)廣謀(こうぼう)成(な)すに甚(なん)の用(よう=役)か有(あ)らん?
人(ひと)を損(そこな)い己(おのれ)を利(り=利す)るも一場(ひととき)空(むな)し!」
慌(あわ)てる個(ひとり)の衆僧(しゅうそう)は哭(な)いて道(いわ)く:「師公(しこう)は已(すで)に撞(ぶ)ち殺(ころ)したり、又(また)袈裟(けさ)の見(み)えず、怎生(どう)するが是(こ)れ好(よ)きか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「想(おも)うに是(こ)れ汝(なんじ)等(ら)の盜(ぬす)み藏(かく)し起(お)きたるか!都(みな)出(い)で來(こ)よ!花名手本(かめいしゅほん=名簿)を開(ひら)き具(つぶさ=備え)よ、老孫(ろうそん)が逐一(ちくいち=一々)査點(さてん=調べ)するを等(ま)て!」那(そ)の上下房(じょうげぼう)の院主(いんしゅ)は、本寺(ほんじ)の和尚(おしょう)、頭陀(ずだ)、幸童(こうどう)、道人(どうにん)を尽行(ことごとく=ことごとく)花名手本(かめいしゅほん)二張(にまい=二枚)に開(ひら)き具(つぶさ)にせり、大小(だいしょう)の人等(ひとびと)を共計(きょうけい=合計)して二百三十名(にひゃくさんじゅうめい)なり。行者(ぎょうじゃ)は師父(しふ)を請(しょう)じて高(たか)く坐(ざ)せしめ、他(かれ)は卻(かえ)って一一(いちいち)頭(かしら=初め)より名(な)を唱(とな)えて搜檢(そうけん=検め捜)し、都(みな)衣襟(いきん=襟もと)を解放(かいほう=開け放)し、分明(ぶんめい=はっきり)に点過(てんか=点検)することを要(もと)むれど、更(さら)に袈裟(けさ)は無(な)し。又(また)那(あ)の各房頭(かくぼうとう=各寮)の搬(はこ)び搶(と)り出(い)だせる箱籠(そうろう=長持ちや籠)の物件(ぶっけん=品々)を將(も)って、頭(かしら=初め)より細細(こまごま)に尋(たず)ね遍(あまね=くまなく)くせしが、那裏(どう)に蹤跡(しょうせき=痕跡)の有(あ)ることを得(え)ん。
三藏(さんぞう)が心(こころ)の中(うち)に煩惱(はんのう=悩み)し、行者(ぎょうじゃ)を懊恨(おうこん=恨み)して尽(つ)きず、卻(かえ)って上(うえ)に坐(ざ)して那(あ)の呪(じゅ=呪文)を念動(ねんどう=唱え)す。行者(ぎょうじゃ)は撲(ぽん=ばたり)と地(ち)に跌倒(てっとう=倒れ)し、頭(かしら)を抱(いだ)きて、十分(じゅうぶん=たいへん)に禁(た)え難(がた)く、只(た)だ「莫念(よせ=唱えるな)!莫念(よせ)!管(きっと)尋(たず)ね還(かえ)して袈裟(けさ)有(あ)り!」と教(い)うのみ。那(そ)の衆僧(しゅうそう)は見(み)て、一個個(めいめい)戰兢兢(せんけいけい=おののき)として、上前(すす)みて跪(ひざまず)き下(お)りて勸解(かんかい=とりなし)し、三藏(さんぞう)は才(ようや)く口(くち)を合(と)じて念(ねん)ぜず。行者(ぎょうじゃ)は一骨魯(いちころ=くるり)と跳(おど)り起(お)き、耳朶(じみ=耳)の裏(うち)より鐵棒(てつぼう=金箍棒)を掣(ひ)き出(い)だして、那些(これら)の和尚(おしょう)を打(う)たんとするに、三藏(さんぞう)の喝(かつ=叱り)に住(とど)められて道(いわ)く:「這(こ)の猴頭(さるめ=猿め)!你(おまえ)は頭(あたま)痛(いた)くて還(な)お怕(おそ)れず、還(な)お無禮(ぶれい=不作法)を要(もと)むるか?手(て)を動(うごか)すを休(や)めよ!且(しばら)く人(ひと)を傷(そこな)うこと莫(なか)れ!再(ふたた)び我(われ)と與(とも)に一問(ひとしきり)審問(しんもん=訊問)せよ!」衆僧(しゅうそう)たちは磕頭(こうとう=額づき)禮拜(らいはい)し、三藏(さんぞう)に哀告(あいこく=嘆願)して道(いわ)く:「老爺(ろうや)饒命(じょうめい=命ばかりは)!我(われ)等(ら)は委実(いじつ=まことに)の曾(かつ)て看(み)ざるなり。這(こ)れは都(みな)那(あ)の老死鬼(ろうしき=死んだ老いぼれ)の不是(あやまり=過ち)なり。他(かれ)は昨晚(ゆうべ)你(なんじ)の袈裟(けさ)を看(み)て、只(た)だ更深(ふかよ=夜更け)の時候(じこう=頃)まで哭(な)きて、看(み)ることも也(ま)た曾(かつ)て敢(あえ)てせず、思量(しりょう=思いはかり)て長久(ちょうきゅう)を圖(はか)り、個(ひとつ)の傳家(でんか)之寶(ほう)と做(な)さんとし、計(けい)を設計(せっけい=工夫)し策(さく)を定(さだ)めて、老爺(ろうや)を燒(や)き殺(ころ)さんとせり;火(ひ)の起(お)こる之候(ころ=頃)より、狂風(きょうふう=暴風)大作(たいさく=大いに吹き)、各人(おのおの)は只(た)だ火(ひ)を救(たす)くるを顧(かえり)み、物件(ぶっけん=品々)を搬(はこ)び搶(と)るのみにして、更(さら)に袈裟(けさ)の去(ゆ)く方(かた=行方)を知(し)らず。」
行者(ぎょうじゃ)は大怒(だいど=大いに怒り)、方丈(ほうじょう)の屋(や=部屋)の裏(うち)に走(はし)り入(い)り、那(あ)の觸死鬼(しょくしき=壁に打ち当たり死んだ者)の尸首(しかばね)を抬(かつ)ぎ出(い)だし、選剝(せんはく=選り分け剥ぎ)て細(こま)かに看(み)るに、渾身(こんしん=全身)に更(さら)に那(あ)の件(ひとつ)の寶貝(ほうばい)は無(な)し;就(すなわ)ち個(ひとつ)の方丈(ほうじょう)を將(も)って地(ち)を三尺(さんじゃく)掘(ほ)れど、也(ま)た蹤影(しょうえい=痕跡)は無(な)かりき。
行者(ぎょうじゃ)は半晌(はんしょう=しばらく)忖量(そんりょう=思案)して、問(と)いて道(いわ)く:「你(おまえ)ら此處(ここ)に什麼(なに)か妖怪(ようかい)の精(せい)と成(な)れる者有(あ)るか?」院主(いんしゅ)道(いわ)く:「老爺(ろうや)の問(と)わざれば、想(おも)うも知(し)るを得(え)ず。我(われ)が此處(ここ)の正東南(せいとうなん=真東南)に一座(ひとつ)の黑風山(こくふうざん)有(あ)り。黑風洞(こくふうどう)の内(うち)に一個(ひとり)の黑大王(こくだいおう=黒大王)有(あ)り。我(わ)が這(こ)の老死鬼(ろうしき)は常(つね)に他(かれ)と道(みち)を講(こう=語)じたり。他(かれ)は便(すなわ)ち是(こ)れ個(ひとり)の妖精(ようせい)なり。別(ほか)に甚(なに)の物(もの)も無(な)し。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「那(そ)の山(やま)は此(ここ)を離(はな)れて多少(どれほど)の遠近(えんきん=距離)が有(あ)るか?」院主(いんしゅ)道(いわ)く:「只(た)だ二十里(にじゅうり)有(あ)るのみ、那(あ)の山頭(さんとう=山の頂)の望(のぞ)み見(み)ゆるが就(すなわ)ち是(こ)れなり。」行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って道(いわ)く:「師父(しふ)放心(ほうしん=ご安心)、須(すべから)く講(こう=語)るを要(もと)めず、一定(きっと)是(こ)れ那(あ)の黑怪(こくかい=黒い妖怪)の偷(ぬす)み去(さ)れるに疑(うたがい)無(な)し。」
三藏(さんぞう)道(いわ)く:「他(かれ)が那廂(あちら)は此(ここ)を離(はな)れて二十里(にじゅうり)有(あ)るに、如何(どう)して就(すなわ)ち是(こ)れ他(かれ)と断(だん=断定)じ得(え)るか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(なんじ)は曾(かつ)て夜間(よる)の那(あ)の火(ひ)の、光(ひかり)騰(のぼ)ること萬里(ばんり)、亮(あか)るき透(とお)ること三天(さんてん=三つの天)なるを見(み)ざりしか!且(しばら)く二十里(にじゅうり)を說(い)わず、就(すなわ)ち是(こ)れ二百里(にひゃくり)も也(ま)た照(て)らし見(み)えん!坐定(きっと)是(こ)れ他(かれ)が火光(かこう=火の光)の焜燿(こんよう=きらめく)を見(み)て、機會(きかい=機会)に趁(じょう=乗)じて、暗暗(ひそか)に此處(ここ)に到(いた)り來(きた)り、我(われ)らが袈裟(けさ)の是(こ)れ件(ひとつ)の寶貝(ほうばい)なるを見(み)て、必(かなら)ず哄(さわぎ=騒ぎ)に趁(じょう)じて擄(かす)め去(さ)れるならん。老孫(ろうそん)の去(ゆ)きて他(かれ)を一尋(ひとたずね=尋ねる)を等(ま)て。」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「你(なんじ)が去(ゆ)きし時(とき)、我(われ)は卻(かえ)って何(なに)に倚(よ)らんか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「這個(これ)は放心(ほうしん=安心)せよ、暗中(あんちゅう=目に見えぬ所)に自(おの)ずから神霊(しんれい=神々)の保護(ほご)有(あ)り、明中(あからさま=表だって)に我(われ)が那些(これら)の和尚(おしょう)を叫(よ)びて汝(なんじ)に伏侍(ぶじ=仕え)せしむ。」即(すなわ)ち衆和尚(しゅうおしょう)を喚(よ)び過(よ)ぎて、道(いわ)く:「汝(なんじ)等(ら)は幾個(すうにん=数人)の去(ゆ)きて那(あ)の老鬼(ろうき=死んだ老いぼれ)を埋(う)めよ、幾個(すうにん)の我(わ)が師父(しふ)に伏侍(ぶじ)し、我(わ)が白馬(はくば)を看守(かんしゅ=守れ)!」衆僧(しゅうそう)は諾(だく=承諾)を領(りょう=受け)たり。行者(ぎょうじゃ)又(また)道(いわ)く:「汝(なんじ)等(ら)は口(くち)に順(したが)いて答応(とうおう=返事)するな、我(われ)が去(ゆ)きてしまえば、你(おまえ)らは就(すなわ)ち來(きた)りて奉承(ほうしょう=仕え)ず。師父(しふ)を看(み)る者(もの)は、顔(かお)を怡(やわら)げ色(いろ)を悦(よろこ)ばしむるを要(もと)む;白馬(はくば)を養(やしな)う者(もの)は、水草(すいそう=水と草)を調勻(ちょういん=ほどよく整える)を要(もと)む;仮(かり)に一毫(いちごう=ほんの少し)も差(たが)えること有(あ)らば、照(てら)して依(よ)りて這個(こ)の様(よう=見本)の棍(こん=棒)を、你(おまえ)らと看看(みせてや)る!」他(かれ)は棍子(こんす=棒)を掣(ひ)き出(い)だし、那(あ)の火(ひ)に燒(や)かれたる磚墻(せんしょう=煉瓦塀)を照(てら)して、撲(ぽん=ばたり)の一下(ひとつ)に、那(あ)の墻(かべ=塀)を將(も)って打(う)ちて粉碎(ふんさい=粉々)ならしめ、又(また)震(ふる)い倒(たお)すこと七八層(ななはちそう=七、八段)の墻(かべ)有(あ)り。衆僧(しゅうそう)は見(み)て、個個(めいめい)骨(ほね)軟(やわ)らぎ身(み)麻(しび)れ、跪(ひざまず)きて磕頭(こうとう=額づき)し滴淚(てきるい=涙を落とし)して道(いわ)く:「爺爺(おじいさま)は心(こころ)を寬(ひろ)くして前(さき)に去(ゆ)け、我(われ)等(ら)は力(ちから)を竭(つ)くし心(こころ)を虔(つつし)めて、老爺(ろうや)に供奉(ぐぶ=仕え)し、決(けっ)して敢(あえ)て一毫(いちごう)も怠慢(たいまん=おろそか)にせず!」好(よ)き行者(ぎょうじゃ)、急(いそ)ぎて筋斗雲(きんとうん=觔斗雲)を縱(はな)ち、徑(ただ)ちに黑風山(こくふうざん)に上(のぼ)り、這(こ)の袈裟(けさ)を尋找(じんさが=探し求)む。
正(まさ)に是(こ)れ那(そ)の:
「金蟬(きんせん=金蝉子)正(しょう=正法)を求(もと)めて京畿(けいき=都の地)を出(い)で、
錫(しゃく=錫杖)を仗(たの)みて西(にし)に投(とう)じて翠微(すいび=山の緑)を渉(わた)る。
虎豹狼蟲(こひょうろうちゅう=虎や狼や虫けら)は行(ゆ)く處(ところ)に有(あ)り、
工商士客(こうしょうしかく=商人や旅人)は見(み)る時(とき)稀(まれ)なり。
路(みち)に異国(いこく)の愚僧(ぐそう=愚かな僧)の妬(ねた)みに逢(あ)い、
全(まった)く齊天大聖(せいてんたいせい)の威(い=威光)に仗(よ)る。
火(ひ)發(おこ)り風(かぜ)生(しょう)じて禪院(ぜんいん)は廃(すた)れ、
黑熊(こくゆう=黒熊)夜(よる)に錦襴衣(きんらんい=錦の袈裟)を盜(ぬす)めり。」
畢竟(ついに)此(こ)れ去(ゆ)きて袈裟(けさ)の有無(うむ=有るや無きや)、吉凶(きっきょう=吉と凶)の如何(いかん)を知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい=次の回)の分解(ぶんかい=説明)を聽(き)け。