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018 第十八回 観音院(かんのんいん)にて唐僧(とうそう)難(なん)を脱(だっ=逃)れ 高老荘(こうろうしょう)にて大聖(たいせい)魔(ま)を除(のぞ)く

行者(ぎょうじゃ)は菩薩(ぼさつ)に辭(じ=別れ)し、雲頭(うんとう=雲の端)を按(おさ)え落(おと)し、袈裟(けさ)を將(も)って香楠樹(こうなんじゅ=香りのある楠の木)に掛(か)け、棒(ぼう)を掣(ひ)き出(い)だして、黑風洞(こくふうどう)の裏(うち)に打(う)ち入(い)る。那(そ)の洞(どう)の裏(うち)に那(どう)か一個(ひとり)の小妖(しょうよう)を得(え)んや?原來(もともと)是(こ)れ他(かれ)らの菩薩(ぼさつ)の出現(しゅつげん=現れる)し、那(あ)の老怪(ろうかい)の地(ち)に就(つ)いて滚(ころ)がるを降(くだ)せるを見(み)て、急急(いそぎ=大急ぎ)に都(みな)散(ちら)り走(に)げ去(さ)れるなり。行者(ぎょうじゃ)は一(ひと)つに凶(きょう=乱暴)を行(おこな)い、他(かれ)が那(あ)の幾層(いくそう=幾重)の門(もん)の上(うえ)に、都(みな)乾柴(かんさい=乾いた薪)を積(つ)み了(おわ)り、前前後後(まえうしろ)に、一齊(いっせい)に火(ひ)を發(おこ)し、個(ひとつ)の黑風洞(こくふうどう)を把(と)って燒(や)いて個(ひとつ)の「紅風洞(こうふうどう)」と做(な)し、卻(かえ)って袈裟(けさ)を拿(と)りて、祥光(しょうこう=めでたい光)に駕(が=駆)り、直北(ちょくほく=真北)に轉(めぐ)り回(かえ)る。

話(はな)し說(いわ)く那(そ)の三藏(さんぞう)は行者(ぎょうじゃ)の急忙(きゅうもう=急いで)も來(きた)らざるを望(のぞ)み、心(こころ)甚(はなは)だ疑惑(ぎわく=不審)す;請(しょう)じたる菩薩(ぼさつ)の至(いた)らざるかを知(し)らず、行者(ぎょうじゃ)の故(ことわけ=理由)を托(かこつ=託して)逃(に)げたるかを知(し)らず。正(まさ)に那(あ)の胡猜亂想(こさいらんそう=あれこれと思い巡らす)之中(なか)に在(あ)るに、只(ただ)見(み)る半空(はんくう=空の半ば)の中(なか)に彩霧(さいむ=彩りの霧)燦燦(さんさん=きらきら)として、行者(ぎょうじゃ)の忽(たちま)ち階前(かいぜん=階段の前)に墜(お)ち來(きた)り、叫(よばわ)りて道(いわ)く:「師父(しふ)、袈裟(けさ)が來(き)たぞ。」三藏(さんぞう)大(おお)いに喜(よろこ)ぶ。衆僧(しゅうそう)も亦(ま)た歡悅(かんえつ=喜ぶ)せざるは無(な)くして道(いわ)く:「好了(よかった)!好了(よかった)!我(われ)等(ら)が性命(いのち)は、今日(きょう)方(ようや)く全(まっと)うするを得(え)たり。」三藏(さんぞう)は袈裟(けさ)を接(う)け取(と)りて道(いわ)く:「悟空(ごくう)、你(おまえ)が早間(あさ=朝)去(ゆ)きし時(とき)、原(もと)約(やく)して飯罷(めしあと)晌午(ひる=昼)に到(いた)るとせしに、如何(どう)して此(こ)の時(とき)の日(ひ)の西(にし)に方(ようや)く回(かえ)れるか?」行者(ぎょうじゃ)は那(あ)の菩薩(ぼさつ)を請(しょう)じて變化(へんげ)を施(ほどこ)して妖(よう)を降(くだ)せるの事情(じじょう)を、備(つぶさ)に陳(の)べ一遍(ひとわたり=ひと通り)せり。三藏(さんぞう)は言(げん)を聞(き)きて、遂(つい)に香案(こうあん=香を供える机)を設(もう)け、南(みなみ)に朝(むか)いて禮拜(らいはい)し罷(おわ)る。道(いわ)く:「徒弟(とてい=弟子)よ、既(すで)に然(しか)らば佛衣(ぶつい)有(あ)れば、可(よ)く快(すみや)かに包裹(ほうか=荷物)を收拾(しゅうしゅう=まとめ)て去(ゆ)くべし。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「忙(いそ)ぐな、忙(いそ)ぐな。今日(きょう)は將(まさ)に晩(くれ)なんとす、是(こ)れ路(みち)を走(ある)くの時候(じこう=頃)に非(あら)ず、且(しばら)く明日(あす)の早(はや)きに行(ゆ)かんことを待(ま)て。」

衆僧(しゅうそう)たちは一齊(いっせい)に跪(ひざまず)き下(お)りて道(いわ)く:「孫老爺(そんろうや)の說(い)えるは是(せ=正しい):一則(ひとつ)には天(てん)が晩(くれ)たる、二來(ふたつ)には我(われ)等(ら)に些(いささ)かの願心兒(がんしん=願い)有(あ)り、今(いま)幸(さいわ)いに平安(へいあん=無事)にして、寶貝(ほうばい)有(あ)れば、我(われ)が願(がん)を還(かえ=果た)し、老爺(ろうや)を請(しょう)じて福(ふく=福)を散(さん=分かち)じ、明早(あした)に再(ふたた)び西(にし)に送(おく)り行(ゆ)かんことを待(ま)て。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「正(まさ)に是(せ=その通り)、正(まさ)に是(せ)。」你(なんじ)看(み)よ那些(これら)の和尚(おしょう)は、都(みな)囊(ふくろ)を傾(かたむ)け底(そこ)を倒(さか)さまにし、那(あ)の火(ひ)の裏(うち)より搶(と)り出(い)だせる餘資(よし=残った財)を把(と)って、各(おのおの)所有(しょゆう=持てるもの)を出(い)だし、些(いささ)かの齋供(さいく=供養の食事)を整頓(せいとん=整え)し、些(いささ)かの平安無事(へいあんぶじ)の紙(かみ=紙銭)を燒(や)き、幾卷(いくまき)の消災解厄(しょうさいかいやく=災いを消し厄を解く)の經(きょう)を念(ねん=読誦)ぜり。當晚(その晩)事(こと)畢(おわ)る。

次早(あくるあさ)方(ようや)く馬匹(ばひつ=馬)を刷扮(さっぱん=磨き飾り)し、行囊(こうのう=荷物)を包裹(ほうか=包み)て門(もん)を出(い)づ。衆僧(しゅうそう)は遠(とお)く送(おく)りて方(ようや)く回(かえ)る。行者(ぎょうじゃ)は路(みち)を引(みちび)いて去(ゆ)く、正(まさ)に是(こ)れ那(あ)の春融(しゅんゆう=春の雪解け)の時節(じせつ=季節)なり。但(ただ)見(み)よ那(そ)の:

「草(くさ)は玉驄(ぎょくそう=白馬)の蹄(ひづめ)の跡(あと)を襯(うず=柔らかく)し、柳(やなぎ)は金線(きんせん=金の糸)を搖(ゆ)りて露華(ろか=露の光)新(あら)たなり。
桃杏(とうきょう=桃と杏)は林(はやし)に満(み)ちて艶麗(えんれい=艶やかさ)を爭(あらそ)い、薜蘿(へいら=蔦や葛)は徑(みち)を繞(めぐ)りて精神(せいしん=気力)を放(はな)つ。
沙堤(さてい=砂の土手)に日(ひ)暖(あたた)かにして鴛鴦(えんおう=おしどり)睡(ねむ)り、山澗(さんかん=山の谷)に花香(かこう)として蛺蝶(きょうちょう=蝶)馴(な)れたり。
這般(これほど)に秋(あき)去(さ)り冬(ふゆ)殘(のこ)りて春(はる)半(なかば)を過(す)ぐるも、何(いず)れの年(とし)にか行(ぎょう=修行)満(み)ちて真文(しんぶん=真の経文)を得(え)んを知(し)らず。」

師徒(しと)たちは五七日(ごしちにち=五、七日)の荒路(こうろ=寂しい道)を行(ゆ)きて、忽(たちま)ち一日(あるひ)天色(てんしょく=空模様)將(まさ)に晩(くれ)なんとし、遙遙(はるか=遠く)に一村(ひとむら)の人家(じんか=人家)の望(のぞ)み見(み)ゆ。三藏(さんぞう)道(いわ)く:「悟空(ごくう)、你(おまえ)看(み)よ那壁廂(あちら)に一座(ひとつ)の山莊(さんそう=山あいの荘)の相近(ちか)きを。我(われ)ら去(ゆ)きて一宵(ひとよ)を告宿(こくしゅく=泊めてもらい)し、明日(あす)再(ふたた)び行(ゆ)かんは何如(いかん=どうか)?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「且(しばら)く老孫(ろうそん)が去(ゆ)きて吉凶(きっきょう=吉と凶)を看看(みてみ)るを等(ま)て、再(ふたた)び區處(くしょ=処置)を作(な)さん。」那(そ)の師父(しふ)は絲韁(しきょう=絹の手綱)を挽(ひ)き住(とど)め、這(こ)の行者(ぎょうじゃ)は睛(ひとみ=目)を定(さだ)めて觀看(みわた)す。真個(まこと)に是(こ)れ:

「竹籬(ちくり=竹の垣)密密(みつみつ=びっしり)として、茅屋(ぼうおく=茅葺きの家)重重(じゅうじゅう=重なる)。
天(てん)を參(さん=そびえ)るる野樹(やじゅ=野の木)門(もん)を迎(むか)え、曲水(きょくすい=曲がる水)の溪橋(けいきょう=谷の橋)戶(と=戸口)に映(てら)す。
道旁(みちばた)の楊柳(ようりゅう)は綠(みどり)依依(いい=なよなよ)とし、園内(えんない=庭の中)の花(はな)は開(ひら)いて香(かおり)馥馥(ふくふく=芳しい)。
此(こ)の時(とき)那(あ)の夕照(せきしょう=夕日)は西(にし)に沈(しず)み、處處(いたるところ)の山林(さんりん)に鳥雀(ちょうじゃく=鳥)喧(かしま)し;
晚烟(ばんえん=夕の煙)爨(かまど=竈)より出(い)で、條條(すじすじ=幾筋も)の道徑(どうけい=小道)に牛羊(ぎゅうよう=牛や羊)轉(めぐ)る。
又(また)見(み)る那(あ)の食(しょく)に飽(あ)きし鶏豚(けいとん=鶏や豚)の屋角(おくかく=家の角)に眠(ねむ)り、醉(よい)酣(たけなわ=十分に)なる鄰叟(りんそう=隣の老人)の歌(うた)い來(きた)るを。」

行者(ぎょうじゃ)は看(み)て罷(おわ)りて道(いわ)く:「師父(しふ)、請(こ)う行(ゆ)け。定(きっ)と是(こ)れ一村(ひとむら)の好(よ)き人家(じんか)なれば、正(まさ)に可(よ)く借宿(しゃくしゅく=宿を借る)すべし。」

那(そ)の長老(ちょうろう=三蔵)は白馬(はくば)を催(うなが=急が)して、早(はや)くも街衢(がいく=街)之口(くち=入り口)に到(いた)る。又(また)見(み)る一個(ひとり)の少年(しょうねん)の、頭(かしら)には綿布(めんぷ=綿の布)を裹(つつ)み、身(み)には藍襖(らんおう=藍の綿入れ)を穿(き)て、傘(かさ)を持(も)ち包(つつみ)を背(お)い、褌(こし=褌)を斂(おさ)め褲(こ=袴)を扎(しば)り、足(あし)には一雙(ひとくみ)の三耳草鞋(さんじそうあい=三つ耳のわらじ)を踏(ふ)み、雄赳赳(ゆうきゅうきゅう=勇ましく)として、街(まち)を出(い)でて忙(いそが)しく走(はし)るを。行者(ぎょうじゃ)は手(て)に順(したが)って一把(ひとつかみ=ひと掴み)に扯(ひ)き住(とど)めて道(いわ)く:「那裏(どこ)へ去(ゆ)く?我(われ)は你(おまえ)に一個(ひとつ)の信兒(たより=消息)を問(と)わん:此間(ここ)は是(こ)れ什麼(なに)の地方(ところ)ぞ?」

那(そ)の個人(ひと)は只管(ひたすら)苦(くるし)しく掙(もが=もがき)て、口(くち)の裏(うち)に嚷(わめ)きて道(いわ)く:「我(わ)が莊(しょう=荘)の上(うえ)に人(ひと)が無(な)いとでも?只(た)だ是(こ)れ我(われ)が好(よ)く信(たより=消息)を問(と)うばかり!」行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)いを陪(ともな=添え)えて道(いわ)く:「施主(せしゅ=旦那)惱(おこ)るな。『人(ひと)に方便(ほうべん=便宜)を與(あた)うれば、自己(おのれ)も方便(ほうべん)なり。』你(おまえ)が就(すなわ)ち我(われ)と說(い)い說(い)いて地名(ちめい)を何(なん)ぞ害(がい=害)あらん?我(われ)も也(ま)た可(よ)く你(おまえ)が煩惱(はんのう=悩み)を解(と)くべし。」那(そ)の人(ひと)は掙(もが)いても手(て)を脫(のが)れず、氣(いき)の亂(みだ)れて跳(おど)りて道(いわ)く:「蹭蹬(そうとう=不運)!蹭蹬(そうとう)!家長(かちょう=主人)の屈氣(くっき=屈辱)は受(う)け難(がた)きに、又(また)這個(こ)の光頭(こうとう=坊主)に撞(ぶつ)かりて、他(かれ)が清氣(せいき=嫌味)を受(う)くとは!」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)に本事(ほんじ=腕)有(あ)らば、我(わ)が手(て)を劈(さ)き開(あ)けば、你(おまえ)は便(すなわ)ち就(すなわ)ち去(ゆ)かば也(ま)た罷(よ)かろう。」那(そ)の人(ひと)は左(ひだり)に扭(ひね)り右(みぎ)に扭(ひね)るも、那裏(どう)に扭(ひね)り動(うご)かさんや、卻(かえ)って一把(ひとつ)の鐵鈐(てっけん=鉄の鋏)の鉗(はさ)み住(つ)むるが一般(ごとく)にして、氣(いき)の他(かれ)をして包袱(ほうふく=荷物)を投(なげう)たしめ、傘(かさ)を撇(す)てさせ、兩隻(ふたつ)の手(て)を、雨点(あまだれ=雨だれ)の似(ごと)くに來(きた)りて行者(ぎょうじゃ)を抓(つか)ましむ。行者(ぎょうじゃ)は一隻(ひとつ)の手(て)を把(と)って行李(こうり=荷物)を扶(ささ)え、一隻(ひとつ)の手(て)を以(もっ)て那(あ)の人(ひと)を抵(ふせ)ぐに、凭(よ)りて他(かれ)が怎麼(どう)支吾(しご=あがく)とも、只(た)だ是(こ)れ抓(つか)み著(あた)る能(あた)わず。
行者(ぎょうじゃ)は愈(いよいよ)放(はな)さず、急(せ)いて爆燥(ばくそう=かんしゃく)すること雷(かみなり)の如(ごと)し。三藏(さんぞう)道(いわ)く:「悟空(ごくう)、那裏(あちら)に人(ひと)の來(きた)らざる有(あ)らんか?你(おまえ)は再(ふたた)び那(あ)の人(ひと)に問(と)えば就(すなわ)ち是(こ)れ、只管(ひたすら)彼(かれ)を扯(ひ)き住(とど)めて怎麼(どう)するか?他(かれ)を放(はな)して去(ゆ)かしめよ。」行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って道(いわ)く:「師父(しふ)は知(し)らず。若(も)し是(こ)れ別(ほか)の人(ひと)に問(と)えば沒趣(おもしろみ=面白味)無(な)く、須(すべから)く是(こ)れ他(かれ)に問(と)いて、才(はじ)めて買賣(ばいばい=取引)有(あ)るなり。」那(そ)の人(ひと)は行者(ぎょうじゃ)に扯(ひ)き住(とど)められて放(はな)たれず、只(た)だ已(や)むを得(え)ず說(い)い出(い)だして道(いわ)く:「此處(ここ)は乃(すなわ)ち是(こ)れ烏斯藏國(うすぞうこく)界(かい=国境)之地(ち)にして、喚(よ)んで高老莊(こうろうしょう)と做(な)す。一莊(ひとむら)の人家(じんか)に大(おお)いに半(なかば)は高(こう)を姓(せい)とす、此(こ)の故(ゆえ)に喚(よ)んで高老莊(こうろうしょう)と做(な)す。你(おまえ)は我(われ)を放(はな)して去(ゆ)かしめよ。」行者(ぎょうじゃ)又(また)道(いわ)く:「你(おまえ)の這様(このよう)なる行裝(いでたち=旅装)、是(こ)れ個(ひとり)の近路(ちかみち=近道)を走(ある)くのでは無(な)い。你(おまえ)は実(じつ)に我(われ)と說(い)え、你(おまえ)は那裏(どこ)へ往(ゆ)かんと欲(ほっ)す、端的(いったい)に所(ところ)に干(かかわ)る何事(なにごと)ぞ、我(われ)は才(はじ)めて你(おまえ)を放(はな)さん。」

這(こ)の人(ひと)は奈何(いかん=どうしようもなく)、只(た)だ已(や)むを得(え)ず実情(じつじょう)を以(もっ)て告(つ)げ訴(うった)えて道(いわ)く:「我(われ)は是(こ)れ高太公(こうたいこう)の家人(かにん=使用人)にして、名(な)を高才(こうさい)と叫(よ)ぶ。我(わ)が那(あ)の太公(たいこう)に一個(ひとり)の老(おさな=末の)女兒(むすめ)有(あ)り、年(とし)は方(まさ)に二十歳(にじゅっさい)なるに、更(さら)に曾(かつ)て人(ひと)に配(はい=嫁が)されず、三年前(さんねんまえ)一個(ひとり)の妖精(ようせい)に占(し)められたり。那(そ)の妖(よう)は整(まるまる)と這(こ)の三年(さんねん)の女婿(むこ=婿)と做(な)れり。我(わ)が太公(たいこう)は悦(よろこ)ばず、說(い)いて道(いわ)く:『女兒(むすめ)が妖精(ようせい)を招(まね)きては、是(こ)れ長法(ちょうほう=長い策)に非(あら)ず:一則(ひとつ)には家門(かもん=家の名)を敗壞(はいかい=損ない)し、二則(ふたつ)には個(ひとつ)の親家(しんか=姻戚)の往來(おうらい=行き来)も無(な)し。』と。一向(これまで)此(こ)の妖精(ようせい)を退(ど)けんと要(もと)むるに、那(そ)の妖精(ようせい)は那裏(どう)か肯(あえ)て退(ど)かんや、轉(う)じて女兒(むすめ)を把(と)って他(かれ)が後宅(ごたく=奥の館)に關(とじこ)め、將(まさ)に半年(はんとし)ならんとす、再(ふたた)び放(はな)ち出(い)だして家内(かない)の人(ひと)と相見(そうけん=面会)せしめず。我(わ)が太公(たいこう)は我(われ)に幾兩(いくにょう=何両か)の銀子(ぎん=銀)を與(あた)え、我(われ)に法師(ほうし=術師)を尋訪(じんほう=探し訪ね)て、那(あ)の妖怪(ようかい)を拿(とら)えしめんと教(さと)せり。我(われ)は這些時(このごろ=近ごろ)曾(かつ)て脚(あし)を住(とど)めず、前前後後(あれこれ)に、請(しょう)じたること三四個人(さんよにん=三、四人)有(あ)り、都(みな)是(こ)れ不濟(ふせい=役立たず)の和尚(おしょう)、膿包(のうほう=くず)の道士(どうし)にして、那(あ)の妖精(ようせい)を降(くだ)すを得(え)ず。剛才(さっき)我(われ)を一場(ひとしきり)罵(ののし)り、我(われ)をして事(こと)を幹(や)るを会(え=できる)ずと說(い)い、又(また)我(われ)に五錢(ごせん)の銀子(ぎん)を與(あた)えて盤纏(ばんてん=路銀)と做(な)し、我(われ)に再(ふたた)び去(ゆ)きて好(よ)き法師(ほうし)を請(しょう)じて他(かれ)を降(くだ)さしめよと教(さと)せり。期(おも)わざりき你(おまえ)這個(こ)の紇刺星(こつしせい=厄介者)に撞(ぶつ)かり扯(ひ)き住(とど)められ、我(わ)が路(みち)を走(ある)くを誤(あやま)らせ、此(こ)の故(ゆえ)に裏(うち)も外(そと)も氣(き=腹立ち)を受(う)け、我(われ)は奈何(いかん)なく、才(ようや)く你(おまえ)と叫喊(きょうかん=叫び立て)れり。想(おも)わざりき你(おまえ)に又(また)些(いささ)かの拿法(だほう=捕らえ術)有(あ)りて、我(われ)は掙(もが)きて你(おまえ)に過(す)ぎず、故(ゆえ)に此(こ)の実情(じつじょう)を說(い)えり。你(おまえ)は我(われ)を放(はな)して去(ゆ)かしめよ。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)の造化(ぞうか=幸運)、我(われ)に營生(えいせい=仕事)有(あ)り。這(こ)れが才(はじ)めて是(こ)れ四(よつ)を湊(あつ)め六(むっつ)に合(がっ)するの勾當(こうとう=仕事)なり。你(おまえ)は也(ま)た遠(とお)く行(ゆ)くを須(もち)いず、銀子(ぎん)を花費(かひ=費や)さんことを要(もと)むるな。我(われ)らは是(こ)れ那(あ)の不濟(ふせい)の和尚(おしょう)、膿包(のうほう)の道士(どうし)に非(あら)ず、其實(じつ=実に)に些(いささ)かの手段(しゅだん=腕)有(あ)りて、慣(な)れて妖(よう)を拿(とら)うるを会(え=できる)。這(こ)れ正(まさ)に是(こ)れ『一來(ひとつ)には郎中(ろうちゅう=医者)を照顧(しょうこ=世話)し、二來(ふたつ)には又(また)眼(め)の好(よ)きを医(いや)し得(う)る。』なり。煩(わずらわ)しくも你(おまえ)は回(かえ)り去(ゆ)きて你(おまえ)が那(あ)の家主(かしゅ=主人)に上復(じょうふく=申し上げ)よ、我(われ)らは是(こ)れ東土(とうど)の駕下(がか=天子の御下)より差(つか)わされ來(きた)れる御弟(ぎょてい)の聖僧(しょうそう)にして、西天(さいてん)に往(ゆ)きて佛(ほとけ)を拜(おが)み經(きょう)を求(もと)むる者(もの)、善(よ)く能(よ)く妖(よう)を降(くだ)し怪(かい)を縛(しば)ると說(い)え。」高才(こうさい)道(いわ)く:「你(おまえ)は我(われ)を誤(あやま)るな。我(われ)は是(こ)れ一(ひと)腹(はら)の氣(き=腹立ち)の人(ひと)なるに、你(おまえ)が我(われ)を錯(あやま)り哄(だま)して、甚(なん)の手段(しゅだん)も無(な)く、那(あ)の妖精(ようせい)を拿(とら)え住(とど)めずんば、卻(かえ)って又(また)我(われ)を帶累(たいるい=巻き添え)して來(きた)りて氣(き)を受(う)けしめずや?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「管教(きっと)你(おまえ)を誤(あやま)らず。你(おまえ)は我(われ)を引(みちび)いて你(おまえ)が家(いえ)の門首(もんしゅ=門の前)に到(いた)りて來(こ)よ。」

那(そ)の人也(ひと)は計(けい)奈何(いかん=どうしようも)く、真個(まこと)に包袱(ほうふく=荷物)を提(ひっさ)げ、傘(かさ)を拿(と)り、步(あゆみ)を轉(めぐ)らし身(み)を回(かえ)し、他(かれ)の師徒(しと)を領(みちび)いて門首(もんしゅ)に到(いた)りて道(いわ)く:「二位(ふたり)の長老(ちょうろう)、你(おまえ)方(がた)は且(しばら)く馬臺(ばだい=乗馬台)の上(うえ)に在(あ)りて略(ちょっと)坐(ざ)し坐(ざ)せ、我(われ)が進(い)り去(ゆ)きて主人(しゅじん)に報(ほう)じ知(し)らしむるを等(ま)て。」行者(ぎょうじゃ)は才(ようや)く手(て)を放(はな)し、担(に=荷物)を落(おろ)し馬(うま)を牽(ひ)きて、師徒(しと)たちは門旁(もんぼう=門の脇)に坐(ざ)し立(た)ちて等候(とうこう=待つ)。

那(そ)の高才(こうさい)は大門(だいもん)に入(い)り、徑(ただ)ちに中堂(ちゅうどう=中央の間)の上(うえ)に往(ゆ)くに、可可(ちょうど)の撞(ぶつ)かりて高太公(こうたいこう)に見(まみ)ゆ。太公(たいこう)は罵(ののし)って道(いわ)く:「你(おまえ)那(いったい)の蠻皮(ばんひ=頑皮)の畜生(ちくしょう)め、怎麼(どう)して去(ゆ)きて人(ひと)を尋(たず)ねず、又(また)回(かえ)り來(きた)りて甚(なに)を做(な)すか?」高才(こうさい)は包傘(ほうさん=包みと傘)を放(お)ろして道(いわ)く:「主人公(しゅじんこう=旦那)に上告(じょうこく=申し上げ)て知(し)らしめん、小人(しょうじん=わたくし)は才(ようや)く街口(がいこう=街の入口)を出(い)で走(はし)りしに、忽(たちま)ち二個(ふたり)の和尚(おしょう)に撞(ぶつ)かれり:一個(ひとり)は馬(うま)に騎(の)り、一個(ひとり)は担(に)を挑(かつ)げり。他(かれ)は我(われ)を扯(ひ)き住(とど)めて放(はな)たず、我(われ)に那裏(どこ)へ去(ゆ)くかを問(と)えり。我(われ)は再三(さいさん=幾度も)曾(かつ)て他(かれ)と說(い)い及(およ)ばざりしが、他(かれ)は纏(まとわ)れて沒奈何(どうしようもなく)、手(て)を脫(のが)るるを得(え)ず、遂(つい)に主人公(しゅじんこう)の事情(じじょう)を、一一(いちいち)說(い)い他(かれ)に知(し)らしめたり。他(かれ)は卻(かえ)って十分(じゅうぶん=たいへん)歡喜(かんぎ=喜び)、我(われ)らと那(あ)の妖怪(ようかい)を拿(とら)えんと要(もと)むるぞ。」

高老(こうろう)道(いわ)く:「是(こ)れ那裏(どこ)より來(きた)れるか?」高才(こうさい)道(いわ)く:「他(かれ)は是(こ)れ東土(とうど)の駕下(がか)より差(つか)わされ來(きた)れる御弟(ぎょてい)の聖僧(しょうそう)にして、西天(さいてん)に前往(ゆ)きて佛(ほとけ)を拜(おが)み經(きょう)を求(もと)むると說(い)う。」太公(たいこう)道(いわ)く:「既(すで)に是(こ)れ遠(とお)くより來(きた)れる和尚(おしょう)なれば、怕(おそ)らくんば真(しん=まこと)に些(いささ)かの手段(しゅだん)有(あ)らんか。他(かれ)は如今(いま)那裏(どこ)に在(あ)るか?」高才(こうさい)道(いわ)く:「現在(いま)門(もん)の外(そと)に在(あ)りて等候(とうこう=待つ)。」
那(そ)の太公(たいこう)は即(すなわ)ち忙(いそ)ぎて衣服(いふく)を換(か)え、高才(こうさい)と出(い)で來(きた)りて迎接(げいせつ=迎え)え、「長老(ちょうろう)」と一声(ひとこえ)叫(よばわ)る。三藏(さんぞう)は聽(き)きて、急(いそ)ぎ身(み)を轉(めぐ)らせば、早(はや)くも已(すで)に面前(めんぜん=目の前)に到(いた)れり。那(そ)の老者(ろうしゃ=老人)は一頂(ひとつ)の烏綾巾(うりょうきん=黒い綾の頭巾)を戴(いただ)き、一領(ひとえ)の葱白蜀錦衣(そうはくしょくきんい=葱の白い蜀錦の衣)を穿(き)て、一雙(ひとくみ)の糙米皮(そうまいひ=粗い米革)の犢子靴(とくしか=子牛革の靴)を踏(ふ)み、一條(ひとすじ)の黑綠(こくりょく)の絛子(じょうす=帯)を系(しば)り、出(い)でて笑語(しょうご=笑い言葉)に相迎(むか)え、便(すなわ)ち叫(よばわ)りて:「二位(ふたり)の長老(ちょうろう)、作揖(さゆう=挨拶)す。」三藏(さんぞう)は禮(れい)を還(かえ)し、行者(ぎょうじゃ)は站(た)ちて動(うご)かず。那(そ)の老者(ろうしゃ)は他(かれ)が相貌(そうぼう=容貌)の凶醜(きょうしゅう=凶悪で醜い)なるを見(み)て、便(すなわ)ち就(すなわ)ち敢(あえ)て他(かれ)と作揖(さゆう)せず。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「怎麼(どう)して老孫(ろうそん)が喏(じょ=挨拶)を唱(とな)えざるか?」那(そ)の老兒(ろうじ=老人)は幾分(いくぶん)か害怕(おそれ)有(あ)り、高才(こうさい)を叫(よ)んで道(いわ)く:「你(おまえ)這(こ)の小厮(こわっぱ=小僧)は卻(かえ)って我(われ)を弄(あそ)び殺(ころ)さざるか?家(いえ)の裏(うち)に現(げん=現に)一個(ひとり)の醜頭怪腦(しゅうとうけのう=醜い顔の)の女婿(むこ)の打發(ほうつ=追い払う)に開(あ)かざる有(あ)るに、怎麼(どう)して又(また)這個(こ)の雷公(らいこう=雷神)を引(みちび)きて來(きた)りて我(われ)を害(そこな)わしむるか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「老高(こうろう)よ、你(おまえ)は空(むな)しく許大(これほど=こんなに)の年紀(とし)を長(としと)りて、還(な)お不省事(ふしょうじ=物分かりが悪い)なり!若(も)し專(もっぱ)ら相貌(そうぼう=容貌)を以(もっ)て人(ひと)を取(と)らば、乾淨(まるきり)に錯(あやま)てり。我(われ)が老孫(ろうそん)は醜(みにく)きは醜(みにく)きながら、卻(かえ)って些(いささ)かの本事(ほんじ=腕)有(あ)り。你(おまえ)が家(いえ)に替(かわ)りて妖精(ようせい)を擒(とりこ)え、鬼魅(きみ=妖怪)を捉(とら)え、你(おまえ)が那(あ)の女婿(むこ)を拿住(とらえ)え、你(おまえ)が女兒(むすめ)を還(かえ)さば、便(すなわ)ち是(こ)れ好事(こうじ=良いこと)なるに、何(なん)ぞ必(かなら)ずしも諄諄(じゅんじゅん=くどくど)しく相貌(そうぼう)を以(もっ)て言(げん)と為(な)さんや!」太公(たいこう)は說(と)くを見(み)て、戰兢兢(せんけいけい=おののき)として、只(た)だ已(や)むを得(え)ず強(し)いて精神(せいしん=気力)を打(う)ち起(おこ)し、「請(こ)う進(すす)め」と一声(ひとこえ)叫(よばわ)る。這(こ)の行者(ぎょうじゃ)は請(しょう)ぜらるるを見(み)て、才(ようや)く白馬(はくば)を牽(ひ)き、高才(こうさい)に行李(こうり)を挑(かつ)がしめ、三藏(さんぞう)と與(とも)に進(い)り去(ゆ)く。他(かれ)は也(ま)た好歹(よしあし)を管(かま)わず、就(すなわ)ち馬(うま)を把(と)って敞廳(ちょうてい=広間)の柱(はしら)の上(うえ)に拴(つな)ぎ、一張(ひとつ)の退光漆(たいこうしつ=艶消し漆)の交椅(こうい=肘掛け椅子)を扯(ひ)き過(よ)ぎて、三藏(さんぞう)を叫(よ)んで坐(ざ)せしむ。他(かれ)は又(また)一張(ひとつ)の椅子(いす)を扯(ひ)き過(よ)ぎて、旁(かたわら)に坐(ざ)す。那(そ)の高老(こうろう)道(いわ)く:「這個(こ)の小長老(しょうちょうろう)、倒(かえ)って也(ま)た家懷(かかい=くつろいだ)なり。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)若(も)し肯(あえ)て我(われ)を留(とど)めて半年(はんとし)住(じゅう)ましむれば、還(な)お家懷(かかい)なるぞ。」

坐(ざ)し定(さだ)まりて、高老(こうろう)は問(と)うて道(いわ)く:「適間(さっき)小价(しょうかい=召使)の說(い)えるに、二位(ふたり)の長老(ちょうろう)は東土(とうど)より來(きた)れるか?」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「便(すなわ)ち是(こ)れなり。貧僧(ひんそう=この僧)は朝命(ちょうめい=勅命)を奉(ほう)じて西天(さいてん)に往(ゆ)きて佛(ほとけ)を拜(おが)み經(きょう)を求(もと)め、寶莊(ほうそう=貴荘)を過(す)ぐるに因(よ)り、特(とく)に一宿(ひとよ)を借(か)り、明日(あす)早(はや)く行(ゆ)かんとす。」高老(こうろう)道(いわ)く:「二位(ふたり)は原(もと)是(こ)れ借宿(しゃくしゅく=宿を借る)のならんに、怎麼(どう)して怪(かい)を拿(とら)うるを会(え)ると說(い)うか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「借宿(しゃくしゅく)するに因(よ)りて、順便(ついで)に幾個(いくたり)かの妖怪兒(ようかい=妖怪)を拿(とら)えて耍耍(あそび=遊び)するのみ。動問(うかがう)するに府上(ふじょう=お宅)に多少(いくら)の妖怪(ようかい)が有(あ)るか?」高老(こうろう)道(いわ)く:「天那(ああ)!還(な)お吃(く)えるに多少(いくら)の有(あ)らんや!只(た)だ這(こ)の一個(ひとり)の怪(あやしき)女婿(むこ)のみなるに、也(ま)た他(かれ)に磨(す)り慌(あわ)てられたり!」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)は那(あ)の妖怪(ようかい)の始末(しまつ=いきさつ)、多少(どれほど)の大手段(だいしゅだん)有(あ)るか、頭(かしら=初め)より兒(ちょっと)說(い)い說(い)いて我(われ)に聽(き)かしめよ、我(われ)は好(よ)く你(おまえ)に替(かわ)りて他(かれ)を拿(とら)えん。」

高老(こうろう)道(いわ)く:「我(われ)らが這(こ)の莊(しょう)の上(うえ)には、古(いにしえ)より今(いま)に至(いた)るまで、也(ま)た什麼(なに)の鬼祟魍魎(きすいもうりょう=妖怪変化)、邪魔(じゃま)の作耗(さくもう=災い)すること有(あ)るを暁(さと)らず。只(た)だ是(こ)れ老拙(ろうせつ=この老いぼれ)の不幸(ふこう)にして、曾(かつ)て子(こ)有(あ)らず、止(た)だ三(みっつ)の女兒(むすめ)を生(う)めり:大(おお)いなるは喚(よ)んで香蘭(こうらん)と名(な)づけ、第二(だいに)のを玉蘭(ぎょくらん)と名(な)づけ、第三(だいさん)のを翠蘭(すいらん)と名(な)づく。那(そ)の二(ふた)人(り)は小(ちいさ)き兒(ころ=頃)より本莊(ほんしょう=この荘)の人家(じんか)に配(はい=嫁が)せしが、止(た)だ小(ちいさ)き個(ひとり)のみ、個(ひとり)の女婿(むこ)を招(まね)きて、他(かれ)の我(われ)と家(いえ)を同(とも)にして過活(かかつ=暮らし)し、個(ひとつ)の養老女婿(ようろうむこ=老後を託す婿)と做(な)り、門(もん)を撐(ささ)え戶(と)に抵(あた)り、活(しごと=仕事)を做(な)して当(とう=当番)に差(つか)わらるるを指望(しぼう=期待)せしに、期(おも)わざりき三年前(さんねんまえ)、一個(ひとり)の漢子(おとこ)有(あ)り、模樣兒(すがた)は倒(かえ)って也(ま)た精致(せいち=こざっぱり)にして、他(かれ)は是(こ)れ福陵山(ふくりょうざん)の上(うえ)の人家(じんか)と說(い)い、姓(せい)を豬(ちょ=猪)とし、上(うえ)に父母(ふぼ)無(な)く、下(した)に兄弟(きょうだい)無(な)く、人家(ひと)と與(とも)に個(ひとつ)の女婿(むこ)と做(な)らんと願(ねが)うと。我(われ)が老拙(ろうせつ)は是(こ)れ這般(このよう)なる一個(ひとり)の根(ね=縁)無(な)く絆(きずな)無(な)きの人(ひと)なるを見(み)て、就(すなわ)ち他(かれ)を招(まね)けり。一(ひと)たび門(もん)に入(い)りし時(とき)は、倒(かえ)って也(ま)た勤謹(きんきん=まめまめし)かりき:田(た)を耕(たがや)し地(ち)を耙(なら)すに、牛具(ぎゅうぐ=牛の農具)を用(もち)いず;田禾(でんか=田の稲)を收(か)め割(か)るに、刀杖(とうじょう=鎌や棒)を用(もち)いず。昏(くれ)に去(さ)り明(あけ)に來(きた)りて、其實(じつ)に也(ま)た好(よ)し;只(た)だ是(こ)れ一件(ひとつ)、些(いささ)か嘴臉(しゅらん=顔つき)を變(へん)ずるを会(え=する)有(あ)り。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「怎麼(どう)變(へん)ずるか?」高老(こうろう)道(いわ)く:「初(はじ)めに來(きた)りし時(とき)は、是(こ)れ一條(ひとりの)黑胖漢(こくはんかん=黒く太った男)なるが、後來(のち)に就(すなわ)ち變(へん)じて一個(ひとり)の長嘴(ちょうし=長い嘴)大耳朶(だいじみ=大きな耳)の呆子(ほうけ=間抜け)と做(な)り、腦後(のうご=後頭部)に又(また)一溜(ひとすじ)の鬃毛(そうもう=たてがみ)有(あ)り、身體(しんたい=体)は粗糙(そぞう=ざらざら)として人(ひと)を怕(おそ)れしめ、頭臉(とうらん=頭と顔)は就(すなわ)ち個(ひとつ)の豬(ぶた)の模樣(すがた)の像(ごと)し。食腸(しょくちょう=食い意地)は卻(かえ)って又(また)甚(はなは)だ大(おお)きく:一頓(ひとたび)に三五斗(さんごと=三、五斗)の米飯(べいはん=ご飯)を吃(く)わんと要(もと)む;早間(あさ)の点心(てんしん=間食)も、也(ま)た百十個(ひゃくじゅっこ=百個余り)の燒餅(しょうへい=焼き餅)を得(え)て才(はじ)めて够(た)る。喜(よろこ)ぶべきは還(な)お齋素(さいそ=精進)を吃(く)うこと;若(も)し再(ふたた)び葷酒(くんしゅ=肉と酒)を吃(く)わば、便(すなわ)ち是(こ)れ老拙(ろうせつ)が這些(これら)の家業(かぎょう=家産)田產(でんさん=田畑)之類(るい=類)も、半年(はんとし)に上(のぼ)らずして、就(すなわ)ち吃(く)いて個(ひとつ)の罄淨(けいじょう=すっからかん)ならん!」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「只(た)だ他(かれ)が做(な)し得(う)るに因(よ)りて、所以(ゆえ)に吃(く)い得(う)るなり。」高老(こうろう)道(いわ)く:「吃(く)うは還是(やはり)件(ひとつ)の小事(しょうじ)なるが、他(かれ)は如今(いま)又(また)風(かぜ)を弄(ろう=操る)を会(え)し、雲(くも)來(きた)り霧(きり)去(さ)り、石(いし)を走(はし)らせ砂(すな)を飛(と)ばし、我(わ)が一家(いっか)并(ならび)に左鄰右舍(さりんうしゃ=両隣)を唬(おどろ)かして、俱(みな)安生(あんせい=安らか)なるを得(え)ず。又(また)那(あ)の翠蘭(すいらん)の小女(しょうじょ=末娘)を把(と)って後宅子(ごたく=奥の館)の裏(うち)に關(とじこ)め、一發(いっそう)半年(はんとし)も也(ま)た曾(かつ)て面(おもて)を見(み)せず、更(さら)に死活(しかつ=生死)の如何(いかん)を知(し)らず。此(こ)の因(よ)りて他(かれ)の是(こ)れ個(ひとり)の妖怪(ようかい)なるを知(し)り、個(ひとり)の法師(ほうし)を請(しょう)じて他(かれ)と去(ゆ)きて退(ど)けて退(ど)けんとす。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「這個(これ)は何(なん)の難(かた)きことか有(あ)らん?老兒(ろうじ=爺さん)よ、你(おまえ)は管(きっと)放心(ほうしん=安心)せよ、今夜(こんや)管情(きっと)你(おまえ)と拿住(とらえ)えて、他(かれ)に一個(ひとつ)の退親文書(たいしんぶんしょ=離婚証書)を寫(しる)さしめ、你(おまえ)が女兒(むすめ)を還(かえ)さんは何如(いかん=どうか)?」高老(こうろう)は大喜(たいき=大いに喜び)して道(いわ)く:「我(われ)は他(かれ)を招(まね)きしが不打緊(たいしたことはなけれど)、我(わ)が多少(いくばく)の清名(せいめい=清い名)を壊(こわ)し、我(わ)が多少(いくばく)の親眷(しんけん=親族)を疏(うと=遠ざけ)んじたり;但(た)だ拿住(とらえ)うるを得(え)ば、什麼(なに)の文書(ぶんしょ)を要(もと)めんや?就(すなわ)ち煩(わずらわ)しくも我(われ)と與(とも)に根(こん=根っこ)を除(のぞ)きて罷(や)めよ。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「容易(ようい=たやすい)!容易(ようい)!夜(よる)に入(い)る之時(とき)、就(すなわ)ち好歹(よしあし)を見(み)ん。」

老兒(ろうじ)は十分(じゅうぶん=たいへん)歡喜(かんぎ)し、才(ようや)く桌椅(ちゃくい=机と椅子)を展抹(てんまつ=拭き整え)、齋供(さいく=供養の食事)を擺列(はいれつ=並べ)せしむ。齋(とき)罷(おわ)りて、將(まさ)に晩(くれ)なんとするに、老兒(ろうじ)は問(と)うて道(いわ)く:「甚(なに)の兵器(へいき)を要(もと)むるか?多少(いくたり)の人(ひと)の隨(したが)うを要(もと)むるか?早(はや)きに趁(じょう=乗)じて好(よ)く備(そな)えん。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「兵器(へいき)は我(われ)に自(おの)ずから有(あ)り。」老兒(ろうじ)道(いわ)く:「二位(ふたり)は只(た)だ是(こ)れ那(あ)の根(ひとつ)の錫杖(しゃくじょう)なるに、錫杖(しゃくじょう)は怎麼(どう)して妖精(ようせい)を打(う)ち得(え)んか?」行者(ぎょうじゃ)は隨(したが)いて耳(みみ)の内(うち)より一個(ひとつ)の繡花針(しゅうかしん=刺繍針)を取(と)り出(い)だし、手(て)の内(うち)に捻(ひね)りて、風(かぜ)に迎(むか)って幌(ひるがえ)すこと一幌(ひとふり)に、就(すなわ)ち是(こ)れ碗來(わんほど=茶碗ほど)の粗細(あらさ=太さ)の一根(ひとすじ)の金箍鐵棒(きんこてつぼう)にして、高老(こうろう)に對(むか)いて道(いわ)く:「你(おまえ)看(み)よ這(こ)の條(ひとすじ)の棍子(こんす=棒)の、你(おまえ)が家(いえ)の兵器(へいき)に比(くら)ぶるに何如(いかん)ぞ?可(よ)く這(こ)の怪(かい)を打(う)ち得(え)るか否(いな)や?」高老(こうろう)又(また)道(いわ)く:「既(すで)に兵器(へいき)有(あ)らば、可(よ)く人(ひと)の跟(したが)うを要(もと)むるか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「我(われ)は人(ひと)を用(もち)いず、只(た)だ是(こ)れ幾個(すうにん=数人)の年高(としたか=高齢)にして德(とく)有(あ)るの老兒(ろうじ=老人)を要(もと)めて、我(わ)が師父(しふ)に陪(ともな)いて清坐(せいざ=静かに座り)し閑敘(かんじょ=闲話)し、我(われ)は好(よ)く他(かれ)を撇(す)てて去(ゆ)かん。我(われ)が那(あ)の妖精(ようせい)を拿(とら)え來(きた)りて、眾(しゅう=皆)に對(むか)いて供(くちがき=自白)を取(と)り、你(おまえ)に替(かわ)りて根(こん)を除(のぞ)きて罷(や)めんことを等(ま)て。」那(そ)の老兒(ろうじ)は即(すなわ)ち家僮(かどう=召使)を喚(よ)び、幾個(すうにん)の親故朋友(しんこほうゆう=親戚や友人)を請(しょう)ぜり。一時(ひととき=たちまち)に都(みな)到(いた)る。相見(そうけん=面会)已(すで)に畢(おわ)りて、行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「師父(しふ)、你(おまえ)は放心(ほうしん)して穩(やすらか)に坐(ざ)せ、老孫(ろうそん)は去(ゆ)くなり。」

你(なんじ)看(み)よ他(かれ)は鐵棒(てつぼう)を攥(にぎ)りて、高老(こうろう)を扯(ひ)きて道(いわ)く:「你(おまえ)は我(われ)を引(みちび)いて後宅子(ごたく=奥の館)の裏(うち)に去(ゆ)きて、妖精(ようせい)の住(す)む處(ところ)を看看(みてみ)よ。」高老(こうろう)は遂(つい)に他(かれ)を引(みちび)いて後宅(ごたく)の門首(もんしゅ=門の前)に到(いた)る。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)は快(すみや)かに鑰匙(やく=鍵)を取(と)りて來(こ)よ。」高老(こうろう)道(いわ)く:「你(おまえ)は且(しばら)く看看(みてみ)よ。若(も)し是(こ)れ鑰匙(かぎ=鍵)を用(もち)い得(う)れば、卻(かえ)って你(おまえ)を請(しょう)ぜざらん。」行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って道(いわ)く:「你(おまえ)那(そ)の老兒(ろうじ)、年紀(とし)は大(おお)きけれど、卻(かえ)って耍(じょうだん=冗談)を識(し)らず。我(われ)は這(こ)の話兒(ことば)を把(と)って你(おまえ)を哄(からか)うこと一哄(ひとたび)せしに、你(おまえ)は就(すなわ)ち当(まこと)に当(あ)てたり。」上(かみ)に走(はし)り前(すす)みて、一摸(ひとさわり=ひと触れ)すれば、原來(もともと)是(こ)れ銅汁(どうじゅう=溶かした銅)の灌(そそ)がれたる鎖子(じょうす=錠)なり。狠(つよ)く他(かれ)をして金箍棒(きんこぼう)を將(も)って一搗(ひとつつ)き、門扇(もんせん=扉)を搗(つ)き開(あ)けしむれば、裏面(うち)は卻(かえ)って黑(くら)き洞洞(どうどう=真っ暗)たり。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「老高(こうろう)よ、你(おまえ)は去(ゆ)きて你(おまえ)が女兒(むすめ)を一声(ひとこえ)叫(よ)べ、他(かれ)の裏面(うち)に在(あ)るかを看(み)よ。」

那(そ)の老兒(ろうじ)は膽(きも=度胸)を硬(つよ)くして叫(よばわ)りて道(いわ)く:「三姐姐(さんねえさん=三女よ)。」那(そ)の女兒(むすめ)は是(こ)れ他(かれ)が父親(ちちおや)の声(こえ)なるを認(みと)め、才(ようや)く少(すくな)き氣(いき)無(な)き力(ちから)の一声(ひとこえ)を応(いら)えて道(いわ)く:「爹爹(とうさん)、我(われ)は此處(ここ)に在(あ)るよ。」行者(ぎょうじゃ)は金睛(きんせい=金色の瞳)を閃(ひらめ)かせ、黑影(こくえい=暗がり)の裏(うち)に向(むか)いて仔細(しさい=詳しく)看(み)る時(とき)、你(なんじ)は他(かれ)が怎生(いか)なる模樣(すがた)なるを道(い)わんや?但(ただ)見(み)よ那(そ)の:

「雲鬢(うんびん=黒髪)は亂(みだ)れ堆(つ)みて掠(なでつ)くる無(な)く、玉容(ぎょくよう=玉のような顔)は未(いま)だ洗(あら)わずして塵緇(じんし=塵の黒ずみ)あり。
一片(ひとひら)の蘭心(らんしん=蘭のような心)は舊(もと)の依(ごとく)にして、十分(じゅうぶん)の嬌態(きょうたい=あでやかな姿)は傾(かたむ)き頽(やつ)れたり。
櫻唇(おうしん=桜の唇)には全(まった)く気血(けっけつ=血色)無(な)く、腰肢(ようし=腰つき)は屈屈(くつくつ=かがまり)偎偎(わいわい=寄りかかり)たり。
愁(うれい)蹙蹙(しゅくしゅく=しかめ)として、蛾眉(がび=蛾の眉)淡(あわ)く;瘦(や)せ怯怯(きょうきょう=おもおもしく)として、語声(ごせい=声)低(ひく)し。」

他(かれ)は走(はし)り來(きた)りて高老(こうろう)を見(み)て、一把(ひとつかみ)に扯(ひ)き住(とど)め、頭(かしら)を抱(いだ)いて大(おお)いに哭(な)く。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「且(しばら)く哭(な)くな!且(しばら)く哭(な)くな!我(われ)は你(おまえ)に問(と)わん、妖怪(ようかい)は那裏(どこ)へ往(ゆ)き去(さ)れるか?」女子(じょし=娘)道(いわ)く:「那裏(どこ)へ往(ゆ)き去(さ)れるを知(し)らず。這些時(このごろ)は、天(そら)の明(あか)るむに就(すなわ)ち去(ゆ)き、夜(よる)に入(い)りて方(ようや)く來(きた)る。雲雲(くもくも)霧霧(きりきり)と、往(ゆ)き回(かえ)るに何(いず)れの所(ところ)なるを知(し)らず。父親(ちちおや)の他(かれ)を祛退(きょたい=追い払う)せんと要(もと)むるを暁(さと)れるに因(よ)りて、他(かれ)も也(ま)た常常(つねづね)防備(ぼうび=用心)す、此(こ)の故(ゆえ)に昏(くれ)に來(きた)り朝(あさ)に去(さ)るなり。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「說(と)くを消(け)さん。老兒(ろうじ)よ、你(おまえ)は令愛(れいあい=お嬢さん)を帶(たい=連れ)て前邊(まえ)の宅(たく=館)の裏(うち)に往(ゆ)き、慢慢的(ゆっくり)と闊(ひさしぶり)を敘(の)べよ、老孫(ろうそん)を此處(ここ)に在(あ)りて他(かれ)を等(ま)たしめよ。他(かれ)若(も)し來(きた)らずんば、你(おまえ)は卻(かえ)って怪(とが)むるな;他(かれ)若(も)し來(きた)らば、定(きっ)と你(おまえ)と剪草除根(せんそうじょこん=草を刈り根を絶やす)せん。」那(そ)の老高(こうろう)は歡歡喜喜(かんかんきき=大喜び)として、女兒(むすめ)を帶(たい)ち將(た)ちて前(まえ)へ去(ゆ)く。

行者(ぎょうじゃ)は卻(かえ)って神通(じんつう)を弄(ろう=使)い、身(み)を搖(ゆ)り一變(いっぺん)して、變(へん)じて得(え)たるは就(すなわ)ち那(あ)の女子(じょし)の一般(ごとく)にして、獨(ひと)り個(ひとつ)房(へや)の裏(うち)に坐(ざ)して那(あ)の妖精(ようせい)を等(ま)つ。多(おお)からず時(とき)に、一陣(ひとむれ)の風(かぜ)來(きた)る、真個(まこと)に是(こ)れ石(いし)を走(はし)らせ砂(すな)を飛(と)ばす。好(よ)き風(かぜ):

「起初(はじめ)の時(とき)は微微(びび=かすか)蕩蕩(とうとう=ゆらぎ)、向後(のち)に來(きた)りては渺渺(びょうびょう)茫茫(ぼうぼう=果てしない)。
微微(びび)蕩蕩(とうとう)として乾坤(けんこん=天地)大(おお)いなり、渺渺(びょうびょう)茫茫(ぼうぼう)として阻礙(そがい=妨げ)無(な)し。
花(はな)を雕(けず)り柳(やなぎ)を折(お)るは揌麻(そくま=麻を摘む)に勝(まさ)り、樹(き)を倒(たお)し林(はやし)を摧(くだ)くは菜(な)を拔(ぬ)くが如(ごと)し。
江(かわ)を翻(ひるがえ)し海(うみ)を攪(みだ)して鬼神(きじん)愁(うれ)い、石(いし)を裂(さ)き山(やま)を崩(くず)して天地(てんち)怪(あや)しむ。
花(はな)を銜(くわ)える麋鹿(びろく=大鹿)は來(きた)る蹤(あと)を失(うしな)い、果(み)を摘(つ)む猿猴(えんこう=猿)は外(そと)に迷(まよ)う。
七層(しちそう)の鐵塔(てっとう=鉄の塔)は佛頭(ぶっとう=仏の頭)を侵(おか)し、八面(はちめん)の幢幡(どうばん=旗)は寶蓋(ほうがい=天蓋)を傷(そこな)う。
金梁(きんりょう)玉柱(ぎょくちゅう)は根(ね)より起(た)ち搖(ゆ)れ、房上(ぼうじょう=屋根)の瓦(かわら)は燕(つばめ)の塊(かたまり)の如(ごと)く飛(と)ぶ。
棹(さお)を舉(あ)ぐる艄公(しょうこう=船頭)は願心(がんしん=願い)を許(ゆる)し、船(ふね)を開(ひら)くに忙(いそが)しく猪羊(ちょよう=豚と羊)を把(と)って賽(まつ)る。
當坊(とうぼう=その土地)の土地(どじ=土地神)は祠堂(しどう=社)を棄(す)て、四海(しかい)の龍王(りゅうおう)は上(かみ)に朝(むか)いて拜(おが)む。
海邊(かいへん)に夜叉(やしゃ)の船(ふね)を撞(ぶ)ち損(そこな)い、長城(ちょうじょう)の半邊(なかば)の塞(とりで)を刮(こす)り倒(たお)す。」
那(そ)の陣(ひとむれ)の狂風(きょうふう=暴風)の過(す)ぐる處(ところ)に、只(ただ)見(み)る半空(はんくう=空の半ば)の裏(うち)より一個(ひとり)の妖精(ようせい)の來(きた)るを、果(はた)して生(う)まれつき醜陋(しゅうろう=醜い)なり:黑臉(こくらん=黒い顔)に短毛(たんもう)、長喙(ちょうかい=長い嘴)に大耳(だいじ=大きな耳);一領(ひとえ)の青(あお)ならず藍(あい)ならざる梭布直裰(さふじきとく=木綿の袍)を穿(き)て、一條(ひとすじ)の花布手巾(かふしゅきん=模様のある布の手拭い)を系(しば)る。行者(ぎょうじゃ)は暗(あん=ひそか)に笑(わら)って道(いわ)く:「原來(もともと)是(こ)れ這個(こ)の買賣(ばいばい=獲物)なり!」好(よ)き行者(ぎょうじゃ)、卻(かえ)って他(かれ)を迎(むか)えず、也(ま)た他(かれ)を問(と)わず、且(しばら)く床(とこ)の上(うえ)に睡(ね)て病(やまい)を推(お)し、口(くち)の裏(うち)に哼哼(こうこう=うんうん)嘖嘖(さくさく)として不絕(たえず=絶え間なく)なり。

那(そ)の怪(かい)は真假(しんが=真偽)を識(し)らず、房(へや)に走(はし)り進(い)り、一把(ひとつかみ)に摟(いだ)き住(とど)めて、就(すなわ)ち嘴(くち)を親(す=すり寄せ)せんとす。行者(ぎょうじゃ)は暗(あん=ひそか)に笑(わら)って道(いわ)く:「真個(まこと)に來(きた)りて老孫(ろうそん)を弄(あそ)ばんとす!」即(すなわ)ち個(ひとつ)の拿法(だほう=捕らえ術)を使(つか)い、那(あ)の怪(かい)が長嘴(ちょうし=長い嘴)を托(ささ)えて、做(い)うて個(ひとつ)の小跌(こころび=小さな転び)と叫(よ)ぶ。漫頭(まんとう=頭越し)に一料(ひとひねり=ひとひねり)して、撲(ぽん=ばたり)と床(とこ)の下(した)に掼(な)げ落(おと)す。那(そ)の怪(かい)は爬(は)い起(お)きて、床(とこ)の邊(ほとり)を扶(ささ)えて道(いわ)く:「姐姐(ねえさん)、你(おまえ)は怎麼(どう)して今日(きょう)些(いささ)か我(われ)を怪(あやし)むか?想(おも)うに是(こ)れ我(われ)が來(きた)ること遲(おそ)かりしか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「怪(あやし)まず!怪(あやし)まず!」那(そ)の妖(よう)道(いわ)く:「既(すで)に我(われ)を怪(あやし)まざれば、怎麼(どう)して就(すなわ)ち我(われ)に這(こ)の跌(ころび)を投(なげう)つか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)は怎麼(どう)して就(すなわ)ち這等(このよう)に樣(よう=風に)小家子(こじんまり=せせこましく)、就(すなわ)ち我(われ)を摟(いだ)きて嘴(くち)を親(す)るか?我(われ)は今日(きょう)些(いささ)か不自在(ふじざい=気分がすぐれぬ)に因(よ)りて、若(も)し每常(つね=常)の好(よ)き時(とき)ならば、便(すなわ)ち起(お)きて門(もん)を開(あ)けて你(おまえ)を等(ま)てり。你(おまえ)は可(よ)く衣服(いふく)を脫(ぬ)いで睡(ね)よ是(こ)れ。」那(そ)の怪(かい)は其(そ)の意(い)を解(げ)せず、真個(まこと)に就(すなわ)ち去(ゆ)きて衣(ころも)を脫(ぬ)ぐ。行者(ぎょうじゃ)は跳(おど)り起(お)きて、淨桶(じょうとう=便桶)の上(うえ)に坐(ざ)す。那(そ)の怪(かい)は舊(もと)の依(ごとく)に復(ま)た床(とこ)の上(うえ)に來(きた)りて一把(ひとつかみ)摸(さぐ)れば、人(ひと)に摸(さわ)り著(あた)らず、叫(よばわ)りて道(いわ)く:「姐姐(ねえさん)、你(おまえ)は那裏(どこ)へ往(ゆ)き去(さ)れるか?請(こ)う衣(ころも)を脫(ぬ)いで睡(ね)よ。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)は先(さき)に睡(ね)れ、我(われ)が一個(ひとつ)の恭(こも=用足し)を出(い)だすを等(ま)て。」那(そ)の怪(かい)は果(はた)して先(さき)に衣(ころも)を解(と)いて床(とこ)に上(のぼ)る。行者(ぎょうじゃ)は忽然(たちまち)一(ひと)つ口(くち)の氣(いき)を歎(たん)じて、「造化(ぞうか=運)が低(ひく)くなった!」と一声(ひとこえ)道(い)う。

那(そ)の怪(かい)道(いわ)く:「你(おまえ)は惱(なや)むは怎(どう)したか?造化(ぞうか=運)は怎麼(どう)して低(ひく)きを得(え)るか?我(われ)が你(おまえ)が家(いえ)に到(いた)り得(え)てより、是(こ)れ些(いささ)かの茶飯(さはん=食事)を吃(く)いたれど、卻(かえ)って也(ま)た曾(かつ)て白(ただ=ただ)で你(おまえ)のを吃(く)わず:我(われ)も也(ま)た曾(かつ)て你(おまえ)が家(いえ)に替(かわ)りて地(ち)を掃(は)き溝(みぞ)を通(とお)し、磚(かわら)を搬(はこ)び瓦(かわら)を運(はこ)び、土(つち)を築(きず)き墻(かべ)を打(う)ち、田(た)を耕(たがや)し地(ち)を耙(なら)し、麥(むぎ)を種(う)え秧(なえ)を插(さ)し、家(いえ)を創(つく)り業(ぎょう=家業)を立(た)てたり。如今(いま)你(おまえ)が身(み)の上(うえ)に穿(き)るは錦(にしき)、戴(いただ)くは金(きん)、四時(しいじ=四季)に花果(かか=花と果実)の享用(きょうよう=楽しみ)有(あ)り、八節(はっせつ=年中の節句)に蔬菜(そさい=野菜)の烹煎(ほうせん=料理)有(あ)り、你(おまえ)には還(な)お那些(どれ)の兒(ちょっと)の心(こころ)に趁(かな)わざる處(ところ)有(あ)って、這般(これほど)に短(みじか)く歎(たん)じ長(なが)く吁(ためいき)して、造化(ぞうか=運)が低(ひく)くなったと說(い)うか!」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「是(こ)れ這等(このよう)說(い)うには非(あら)ず。今日(きょう)我(わ)が父母(ふぼ)は、墻(かべ)を隔(へだ)てて、磚(かわら)を投(なげ)ち瓦(かわら)を料(な)ぐるに、甚(はなは)だ是(こ)れ我(われ)を打(う)ち我(われ)を罵(ののし)るぞ。」那(そ)の怪(かい)道(いわ)く:「他(かれ)は你(おまえ)を打(う)ち罵(ののし)るは怎(どう)したか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「他(かれ)は說(い)う、我(われ)と你(おまえ)と夫妻(ふさい=夫婦)と做(な)りたれど、你(おまえ)は是(こ)れ他(かれ)が門下(もんか=家)の一個(ひとり)の女婿(むこ)なるに、全(まった)く些(いささ)かの兒(ちょっと)の礼體(れいたい=礼儀)も無(な)し。這様(このよう)なる個(ひとつ)の醜(みにく)き嘴臉(しゅらん=顔)の人(ひと)にて、又(また)姨夫(いふ=義兄弟)に会(まみ)うるを得(え)ず、又(また)親戚(しんせき)に見(まみ)ゆるを得(え)ず、又(また)你(おまえ)が雲(くも)に來(きた)り霧(きり)に去(さ)るを知(し)らず、端的(いったい)に是(こ)れ那裏(どこ)の人家(じんか)にして、姓(せい)は甚(なに)名(な)は誰(たれ)ぞ、他(かれ)が清德(せいとく=清い徳)を敗壞(はいかい=損ない)、他(かれ)が門風(もんぷう=家風)を玷辱(てんじょく=汚す)と。此(こ)の故(ゆえ)に這般(このよう)に打(う)ち罵(ののし)り、所以(ゆえ)に煩悶(はんもん=悩む)するなり。」

那(そ)の怪(かい)道(いわ)く:「我(われ)は是(こ)れ些(いささ)かの兒(ちょっと)の醜陋(しゅうろう=醜さ)有(あ)れど、若(も)し俊(うつくし)からんことを要(もと)むれば、卻(かえ)って也(ま)た難(かた)からず。我(われ)が一(ひと)たび來(きた)りし時(とき)、曾(かつ)て他(かれ)と講(こう=話)じ過(す)ぎて、他(かれ)の願(ねが)いて方(ようや)く我(われ)を招(まね)けるなり。今日(きょう)怎麼(どう)して又(また)這(こ)の話(はなし)を說(い)い起(おこ)すか!我(わ)が家(いえ)は福陵山(ふくりょうざん)雲棧洞(うんさんどう)に住(す)む。我(われ)は相貌(そうぼう=姿)を以(もっ)て姓(せい)と為(な)す、故(ゆえ)に豬(ちょ)を姓(せい)とし、官名(かんめい=正式の名)を豬剛鬣(ちょごうりょう)と做(い)う。他(かれ)若(も)し再(ふたた)び來(きた)りて你(おまえ)に問(と)わば、你(おまえ)は就(すなわ)ち此(こ)の話(はなし)を以(もっ)て他(かれ)と說(い)えば便(すなわ)ち罷(よ)かろう。」

行者(ぎょうじゃ)は暗(あん=ひそか)に喜(よろこ)んで道(いわ)く:「那(あ)の怪(かい)は卻(かえ)って也(ま)た老実(ろうじつ=正直)なり、刑(けい=拷問)を動(うごか)すを用(もち)いずして、就(すなわ)ち這等(これほど)明白(めいはく)に供(くちがき=自白)し得(う)たり。既(すで)に地方(ところ=在所)、姓名(せいめい)有(あ)れば、怎(どう)にか也(ま)た他(かれ)を拿住(とらえ)えん。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「他(かれ)は法師(ほうし)を請(しょう)じて來(きた)りて你(おまえ)を拿(とら)えんとすぞ。」那(そ)の怪(かい)は笑(わら)って道(いわ)く:「睡(ね)ておれ!睡(ね)ておれ!他(かれ)を睬(かま)うな!我(われ)には天罡數(てんこうすう=三十六)の變化(へんげ)、九齒(きゅうし=九本の歯)の釘鈀(ていは=熊手)有(あ)り、什麼(なに)の法師(ほうし)、和尚(おしょう)、道士(どうし)を怕(おそ)れんや?就(すなわ)ち是(こ)れ你(おまえ)が老子(おやじ)の虔心(けんしん=信心)有(あ)りて、九天蕩魔祖師(きゅうてんとうまそし)を請(しょう)じて下界(げかい=この世)に下(くだ)らしむるも、我(われ)も也(ま)た曾(かつ)て他(かれ)と與(とも)に相識(そうしき=知り合い)と做(な)りたり、他(かれ)も也(ま)た敢(あえ)て我(われ)を怎麼(どう)かせず。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「他(かれ)は說(い)う、一個(ひとり)の五百年前(ごひゃくねんまえ)に大(おお)いに天宮(てんぐう)を鬧(さわ)がせし孫(そん)を姓(せい)とする齊天大聖(せいてんたいせい)を請(しょう)じて、來(きた)りて你(おまえ)を拿(とら)えんとすと。」那(そ)の怪(かい)は這個(こ)の名頭(な=名)を聞(き)き得(え)て、就(すなわ)ち三分(さんぶ=三分)の害怕(おそれ)有(あ)りて道(いわ)く:「既(すで)に是(こ)れ這等(このよう)說(い)うならば、我(われ)は去(ゆ)かん。兩口子(ふたり=夫婦)は做(な)し成(な)らず。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)は怎(どう)して就(すなわ)ち去(ゆ)くか?」那(そ)の怪(かい)道(いわ)く:「你(おまえ)は知(し)らず。那(あ)の天宮(てんぐう)を鬧(さわ)がせし弼馬溫(ひつばおん)は、些(いささ)かの本事(ほんじ=腕)有(あ)りて、只(た)だ恐(おそ)らくは我(われ)が他(かれ)を弄(あしら)い過(す)ぐるを得(え)ずして、名頭(な=名)を低(ひく)くし、模樣(みっともなさ=見っともなさ)に像(に)ざらんことを。」

說(と)き罷(おわ)りて、衣服(いふく)を套(かぶ)り、門(もん)を開(あ)けて、外(そと)へ就(すなわ)ち走(はし)る;行者(ぎょうじゃ)に一把(ひとつかみ)に扯(ひ)き住(とど)められ、自己(おのれ)が臉(かお)の上(うえ)を將(も)って一抹(ひとぬり=ひと塗り)し、原身(げんしん=元の姿)を現(あらわ)す。喝(かつ=怒鳴り)して道(いわ)く:「好(よ)き妖怪(ようかい)、那裏(どこ)へ走(に)ぐるか!你(おまえ)は頭(こうべ)を抬(あ)げて看看(みてみ)よ、我(われ)は是(こ)れ那(だれ)なるを。」那(そ)の怪(かい)は眼(め)を轉(めぐ)らし來(きた)りて、行者(ぎょうじゃ)の牙(きば)を齜(む)き嘴(くち)を咧(ひら)き、火眼金睛(かがんきんせい=火の眼金の瞳)、磕頭(かつとう=ごつごつした頭)毛臉(もうらん=毛だらけの顔)なるを見(み)て、就(すなわ)ち是(こ)れ個(ひとつ)の活(い)ける雷公(らいこう=雷神)の相似(にたり=似たり)なるに、慌(あわ)てる他(かれ)をして手(て)麻(しび)れ脚(あし)軟(よわ)くならしめ、划剌(かくらつ=びりっ)の一声(ひとこえ)に、掙(もが)きて衣服(いふく)を破(やぶ)り、狂風(きょうふう=暴風)と化(か)して身(み)を脫(のが)れて去(ゆ)く。行者(ぎょうじゃ)は急(いそ)ぎ上前(すす)み、鐵棒(てつぼう)を掣(ひ)き、風(かぜ)を望(のぞ)みて一(ひと)下(した)打(う)つ。那(そ)の怪(かい)は萬道(ばんどう=幾万条)の火光(かこう=火の光)と化(か)し、徑(ただ)ちに本山(ほんざん=元の山)に轉(めぐ)りて去(ゆ)く。行者(ぎょうじゃ)は雲(くも)を駕(が=駆)り、隨後(あと)に趕(お)い來(きた)りて、「那裏(どこ)へ走(に)ぐるか!你(おまえ)若(も)し天(てん)に上(のぼ)らば、我(われ)は就(すなわ)ち斗牛宮(とぎゅうきゅう)に趕(お)い到(いた)らん!你(おまえ)若(も)し地(ち)に入(い)らば、我(われ)は就(すなわ)ち枉死獄(おうしごく=無実の者の牢)に追(お)い至(いた)らん!」と叫(よばわ)る。

咦(おお)!畢竟(ついに)此(こ)れ去(ゆ)きて何方(いずかた)に趕(お)い至(いた)るを知(し)らず、何(なん)の勝敗(しょうはい)有(あ)るを知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい=次の回)の分解(ぶんかい=説明)を聽(き)け。