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019 第十九回 雲桟洞(うんさんどう)にて悟空(ごくう)八戒(はっかい)を収(おさ)む 浮屠山(ふとざん)にて玄奘(げんじょう)心経(しんぎょう)を受(う)く

卻説(さて)那(あ)の怪(かい)が火光(かこう=火の光)の前(まえ)に走(はし)り、這(こ)の大聖(たいせい)の彩霞(さいか=彩りの霞)の隨後(あと)に從(したが)う。正(まさ)に行(ゆ)く處(ところ)に、忽(たちま)ち一座(ひとつ)の高山(こうざん)を見(み)る、那(そ)の怪(かい)は紅光(こうこう=赤い光)を把(と)って結(むす)び聚(あつ)め、本相(ほんぞう=元の姿)を現(あらわ)し、洞(どう)の内(うち)に撞(つ)き入(い)り、一柄(ひとふり)の九齒釘鈀(きゅうしていは=九本歯の熊手)を取(と)り出(い)だして來(きた)りて戰(たたか)う。行者(ぎょうじゃ)は一声(ひとこえ)喝(かつ=怒鳴り)して道(いわ)く:「潑怪(はつかい=乱暴者)め!你(おまえ)は是(こ)れ那裏(どこ)より來(きた)れる邪魔(じゃま=妖魔)ぞ?怎麼(どう)して我(われ)が老孫(ろうそん)の名號(な=名)を知(し)れるか?你(おまえ)に什麼(なに)の本事(しゅだん=腕)有(あ)るか、実(じつ)に実(じつ)に供(くちがき=自白)せよ、你(おまえ)が性命(いのち)を饒(ゆる)さん!」

那(そ)の怪(かい)道(いわ)く:「是(こ)れ你(おまえ)も也(ま)た我(わ)が手段(しゅだん)を知(し)らざるか!上(かみ)に前(すす)み來(きた)りて站(た)ち穩(やす)らかに着(つ)け、我(われ)は說(い)い你(おまえ)に與(あた)えて聽(き)かしめん:

「我(われ)は自(おの)ずから小(ちいさ)きより生(う)まれ來(きた)りて心性(しんせい=心根)拙(つたな)く、
閒(ひま)を貪(むさぼ)り懶(なまけ)を愛(あい)して休歇(きゅうけつ=休むこと)無(な)し。
曾(かつ)て性(せい)を養(やしな)い真(しん)を修(おさ)めず、
混沌(こんとん)として心(こころ)迷(まよ)いて日月(じつげつ=月日)を熬(たえ)う。
忽然(たちまち)閒裏(ひま=ひまな時)に真仙(しんせん)に遇(あ)い、
就(すなわ)ち寒温(かんおん=時候の挨拶)を把(と)って坐(ざ)して說(と)く。
我(われ)に回心(かいしん=心を翻す)して凡(ぼん=俗世)に墮(お)つること莫(なか)れと勸(すす)め、
生(いのち)を傷(そこな)えば無邊(むへん)の孽(ごう=罪)を造(つく)らんと。
朝(あした)に大限(たいげん=寿命尽きる時)の命(いのち)終(おわ)る時(とき)有(あ)らば、
八難(はちなん)三途(さんず)に悔(く)ゆるも喋(や)めじと。
言(げん)を聽(き)きて意(こころ)轉(てん)じて修行(しゅぎょう)を要(もと)め、
語(ことば)を聞(き)きて心(こころ)回(めぐ)りて妙訣(みょうけつ=奥義)を求(もと)む。
緣(えん)有(あ)りて立地(りっち=その場)に拜(おが)みて師(し)と為(な)し、
天關(てんかん=天の関)并(ならびに)地闕(ちけつ=地の門)を指示(しじ=示さ)れたり。
九轉大還丹(きゅうてんだいかんたん=仙丹)を傳(つた)え得(え)て、
工夫(くふう=修行)は晝夜(ちゅうや)に時(とき)の輟(や)むる無(な)し。
上(かみ)は頂門(ちょうもん=頭頂)の泥丸宮(でいがんきゅう)に至(いた)り、
下(しも)は脚板(きゃくばん=足の裏)の涌泉穴(ゆうせんけつ)に至(いた)る。
腎水(じんすい=腎の水)を周流(しゅうりゅう=巡ら)して華池(かち=口の中)に入(い)れ、
丹田(たんでん)は補(おぎな)われて温温(おんおん)として熱(あつ)し。
嬰兒(えいじ)奼女(たじょ)は陰陽(いんよう)を配(はい)し、
鉛汞(えんこう=鉛と水銀)相(あい)投(とう)じて日月(じつげつ)を分(わ)かつ。
離龍(りりゅう)坎虎(かんこ)を用(もち)いて調和(ちょうわ)し、
靈龜(れいき=霊妙な亀)は金烏(きんう=太陽)の血(ち)を吸(す)い尽(つ)くす。
三花(さんか)頂(いただき)に聚(あつ)まりて根(こん=根源)に歸(き)るを得(え)、
五氣(ごき)元(げん)に朝(むか)いて通透(つうとう)し徹(とお)る。
功(こう)円(まど)かに行(ぎょう)満(み)ちて卻(かえ)って飛升(ひしょう=飛昇)し、
天仙(てんせん)の對對(つがいつがい)來(きた)りて迎接(げいせつ=出迎う)。
朗然(ろうぜん=明らか)として足下(あしもと)に彩雲(さいうん=彩りの雲)生(しょう)じ、
身(み)輕(かる)く體(たい)健(すこやか)にして金闕(きんけつ=天の宮)に朝(ちょう=参)ず。
玉皇(ぎょくこう)は會(え=宴会)を設(もう)けて群仙(ぐんせん)を會(かい=集め)、
各(おのおの)品級(ひんきゅう=位階)を分(わ)ちて班列(はんれつ=列)を排(なら)ぶ。
敕封(ちょくほう=勅封)して元帥(げんすい)に天河(てんが=天の川)を管(つかさど)らしめ、
水兵(すいへい)を總督(そうとく)して憲節(けんせつ=節旄)と稱(とな)う。
只(た)だ王母(おうぼ)の蟠桃(ばんとう)を會(かい=催す)に因(よ)り、
宴(うたげ)を瑤池(ようち=仙池)に開(ひら)いて眾客(しゅうかく=多くの客)を邀(むか)う。
那(そ)の時(とき)酒(さけ)に醉(よ)いて意(こころ)昏沈(こんちん=昏み)、
東(ひがし)に倒(たお)れ西(にし)に歪(ゆが)みて亂(みだ)りに撒潑(さっぱ=暴れ)。
雄(ゆう=勇)を逞(たくま)しくして撞(つ)きて廣寒宮(こうかんきゅう=月の宮)に入(い)り、
風流(ふうりゅう)の仙子(せんし=嫦娥)來(きた)りて相接(むか)う。
他(かれ)が容貌(ようぼう=顔かたち)の人の魂(たましい)を挾(さしはさ)むを見(み)て、
舊日(むかし=かつて)の凡心(ぼんしん=俗な心)は滅(めっ)し難(がた)し。
全(まった)く上下(じょうげ)の尊卑(そんぴ)を失(うしな)い、
嫦娥(じょうが)を扯(ひ)き住(とど)めて陪(とも)りて歇(やす)まんと要(もと)む。
再三再四(さいさんさいし=幾度も)依從(いじゅう=従う)せざれば、
東(ひがし)に匿(かく)れ西(にし)に藏(かく)れて心(こころ)悦(よろこ)ばず。
色膽(しょくたん=色欲の度胸)天(てん)の如(ごと)くにして叫(さけ)ぶこと雷(かみなり)に似(に)たり、
險(あわ)くも天關(てんかん)の闕(もん=門)を震(ふる)い倒(たお)さんとせり。
糾察靈官(きゅうさつれいかん)玉皇(ぎょくこう)に奏(そう=奏上)し、
那(そ)の日(ひ)吾(われ)が当(まさ)に命運(めいうん)の拙(つたな)きに遇(あ)えり。
廣寒(こうかん)は圍(かこ)み困(くるし)めて風(ふう=通風)を通(つう)じず、
進退(しんたい)に門(もん)無(な)くして脫(のが)るるを得(え)難(がた)し。
卻(かえ)って諸神(しょしん)の我(われ)を拿住(とらえ)えられしが、
酒(さけ)は心頭(しんとう=胸の中)に在(あ)りて還(な)お怯(おそ)れず。
押(お)し赴(おもむ)かせて靈霄(れいしょう)に玉皇(ぎょくこう)に見(まみ)え、
律(りつ=律法)に依(よ)りて問(と)いて該(まさ)に處決(しょけつ=処刑)と成(な)れり。
多(おお)くは太白李金星(たいはくりきんせい)に虧(よ=頼)り、
班(はん=列)を出(い)でて囟(しん=額)を俯(ふ)して親(みずか)ら言(げん)說(と)けり。
刑(けい)を改(あらた)めて重(おも)く責(せ)むること二千鎚(にせんつい)、
肉(にく)綻(は)ぜ皮(ひ)開(ひら)きて骨(ほね)將(まさ)に折(お)れんとす。
放生(ほうじょう=赦免)されて天關(てんかん)を貶(へん=左遷)され出(い)で、
福陵山(ふくりょうざん)の下(もと)に家業(かぎょう)を圖(はか)る。
我(われ)は罪(つみ)有(あ)るに因(よ)りて錯(あやま)りて胎(たい)に投(とう=投じ)じ、
俗名(ぞくみょう=俗の名)を喚(よ)んで豬剛鬣(ちょごうりょう)と做(な)す。」

行者(ぎょうじゃ)は言(げん)を聞(き)きて道(いわ)く:「你(おまえ)這(こ)の厮(やつ)は原來(もともと)是(こ)れ天蓬水神(てんぽうすいしん)の下界(げかい=この世に降る)なり。怪(あや)しむらくは道(なるほど)我(われ)が老孫(ろうそん)の名號(な)を知(し)れるか。」那(そ)の怪(かい)は一声(ひとこえ)道(いわ)く:「哏(ふん)!你(おまえ)這(こ)の誑上(おうじょう=主君を欺く)の弼馬溫(ひつばおん)め、当年(むかし)那(あ)の禍(わざわい)を撞(ひきおこ)しし時(とき)、我(われ)等(ら)を帶累(まきぞえ)せること多少(いくばく)なるを知(し)らず、今日(きょう)又(また)此(ここ)に來(きた)りて人(ひと)を欺(あざむ)くか!無禮(ぶれい)するな!我(わ)が一鈀(ひとつ)を吃(くら)え!」行者(ぎょうじゃ)は怎(どう)して肯(あえ)て情(じょう=情け)を容(ゆる)さんや、棒(ぼう)を舉(あ)げて、頭(あたま)に当(あた)りて就(すなわ)ち打(う)つ。他(かれ)の二(ふた)人(り)は那(あ)の半山(はんざん=山の半ば)之中(なか)、黑(くら)き夜(よる)の裏(うち)に在(あ)りて賭鬥(かけくらべ=勝負)す。好(よ)き殺(たたかい):

「行者(ぎょうじゃ)の金睛(きんせい=金の瞳)は閃電(せんでん=稲妻)の似(ごと)く、妖魔(ようま)の環眼(かんがん=丸い目)は銀花(ぎんか=銀の花)の似(ごと)し。
這(こ)の一個(ひとり)は口(くち)より彩霧(さいむ=彩りの霧)を噴(ふ)き、那(あ)の一個(ひとり)は氣(いき)より紅霞(こうか=赤い霞)を吐(は)く。
氣(いき)の紅霞(こうか)を吐(は)くは昏(くら)き處(ところ)に亮(あか)るく、口(くち)の彩霧(さいむ)を噴(ふ)くは夜(よる)に光華(こうか=光り輝く)。
金箍棒(きんこぼう)、九齒鈀(きゅうしは=九歯の熊手)、二個(ふたり)の英雄(えいゆう)は実(じつ)に夸(ほ)む可(べ)し:
一個(ひとり)は是(こ)れ大聖(たいせい)の凡世(ぼんせい=この世)に臨(のぞ)める、一個(ひとり)は是(こ)れ元帥(げんすい)の天涯(てんがい=地の果て)に降(くだ)れる。
那(あ)の個(ひとり)は威儀(いぎ=威厳)を失(うしな)いて怪物(かいぶつ)と成(な)り、這(こ)の個(ひとり)は幸(さいわ)いに苦難(くなん)を逃(のが)れて僧家(そうか=僧)を拜(おが)む。
鈀(は=熊手)の去(ゆ)くは好(よ)く似(に)たり龍(りゅう)の爪(つめ)を伸(の)ばすに、棒(ぼう)の迎(むか)うるは渾(まる)で若(ごと)し鳳(おおとり)の花(はな)を穿(つらぬ)くに。
那(あ)の個(ひとり)は道(いわ)く:『你(おまえ)は人(ひと)の親事(しんじ=縁談)を破(やぶ)ること父(ちち)を殺(ころ)すが如(ごと)し!』
這(こ)の個(ひとり)は道(いわ)く:『你(おまえ)は幼女(ようじょ=若い娘)を強姦(ごうかん)して正(まさ)に該(まさ)に拿(とら)うべきなり!』
閒言語(かんげんご=無駄口)、亂(みだ)りに喧嘩(けんか=やかましく)、往往來來(おうおうらいらい=行きつ戻りつ)して棒(ぼう)は鈀(は)を架(ささ)う。
看看(みるみる)戰(たたか)いて天(てん)の將(まさ)に暁(あけ)んとするに到(いた)り、那(あ)の妖精(ようせい)の兩膊(りょうはく=両腕)は酸(さん=だるく)麻(しび)るるを覚(おぼ)ゆ。」

他(かれ)の二(ふた)人(り)は二更(にこう=午後十時頃)の時分(じぶん)より、直(ただ)ちに東方(とうほう)の白(しろ)みを發(はっ)するまで鬥(たたか)う。那(そ)の怪(かい)は迎(むか)え敵(てき)する能(あた)わず、陣(じん)を敗(やぶ)れて逃(に)げ、依然(やはり)として又(また)狂風(きょうふう=暴風)と化(か)し、徑(ただ)ちに洞(どう)の裏(うち)に回(かえ)り、門(もん)を把(と)って緊(かた)く閉(とざ)し、再(ふたた)び頭(こうべ)を出(い)ださず。行者(ぎょうじゃ)は這(こ)の洞(どう)の門(もん)の外(そと)に一個(ひとつ)の石碣(せっけつ=石碑)の有(あ)りて、上(うえ)に「雲棧洞(うんさんどう)」の三(みっつ)の字(じ)を書(しる)せるを見(み)る;那(あ)の怪(かい)の出(い)でざるを見(み)、天(てん)は又(また)大(おお)いに明(あき)らかなれば、心(こころ)卻(かえ)って思量(しりょう=思い巡ら)す:「恐(おそ)らくは師父(しふ)の等候(とうこう=待つ)あらん、且(しばら)く回(かえ)り去(ゆ)きて他(かれ)に一見(いっけん=ひと目会い)し、再(ふたた)び來(きた)りて此(こ)の怪(かい)を捉(とら)うるも遲(おそ)からず。」隨(したが)って雲(くも)を踏(ふ)んで一点(ひとつ)点(さ)せしが、早(はや)くも高老莊(こうろうしょう)に到(いた)る。

卻説(さて)三藏(さんぞう)と那(あ)の諸老(しょろう=老人たち)は今(いま)を談(だん)じ古(いにしえ)を論(ろん)じ、一夜(ひとよ)眠(ねむ)らず。正(まさ)に行者(ぎょうじゃ)の來(きた)らざるを想(おも)うに、只(ただ)見(み)る天井(てんじょう=中庭)の裏(うち)に、忽然(たちまち)行者(ぎょうじゃ)の站(た)ち下(お)りたるを。行者(ぎょうじゃ)は鐵棒(てつぼう)を收藏(しゅうぞう=納め)、衣(ころも)を整(ととの)えて廳(ひろま=広間)に上(のぼ)る。叫(よばわ)りて道(いわ)く:「師父(しふ)、我(われ)が來(き)たぞ。」慌(あわ)てる那(あ)の諸老(しょろう)をして一齊(いっせい)に下拜(かはい=礼拝)し、謝(しゃ)して道(いわ)しむ:「多勞(おおご苦労)!多勞(おおご苦労)!」三藏(さんぞう)は問(と)うて道(いわ)く:「悟空(ごくう)、你(おまえ)が去(ゆ)きて這(こ)の一夜(ひとよ)、拿(とら)えたる妖精(ようせい)は那裏(どこ)に在(あ)るか?」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「師父(しふ)、那(あ)の妖(よう)は是(こ)れ凡間(ぼんげん=俗世)の邪祟(じゃすい=妖気)に非(あら)ず、也(ま)た是(こ)れ山間(さんかん=山中)の怪獸(かいじゅう)に非(あら)ず。他(かれ)は本(もと)是(こ)れ天蓬元帥(てんぽうげんすい)の凡(ぼん=この世)に臨(のぞ)めるが、只(た)だ錯(あやま)りて胎(たい)に投(とう)じたるに因(よ)りて、嘴臉(しゅらん=顔つき)は一個(ひとつ)の野豬(やぶた=猪)の模樣(すがた)に像(に)たれど、其實(じつ)に性靈(せいれい=霊性)は尚(な)お存(そん=残る)。他(かれ)は說(い)う、相(すがた)を以(もっ)て姓(せい)と為(な)し、喚(よ)んで豬剛鬣(ちょごうりょう)と名(な)づくと。是(こ)れ老孫(ろうそん)が後宅(ごたく=奥の館)の裏(うち)より棒(ぼう)を掣(ひ)きて就(すなわ)ち打(う)てば、他(かれ)は一陣(ひとむれ)の狂風(きょうふう)と化(か)して走(に)げたり。老孫(ろうそん)に風(かぜ)に著(あ)てて一棒(ひとぼう)せられ、他(かれ)は就(すなわ)ち道(ひとすじ)の火光(かこう)と化(か)し、徑(ただ)ちに他(かれ)が那(あ)の本山(ほんざん)の洞(どう)の裏(うち)に轉(めぐ)り、一柄(ひとふり)の九齒釘鈀(きゅうしていは)を取(と)り出(い)だして、老孫(ろうそん)と一夜(ひとよ)戰(たたか)えり。適才(さっき)天色(てんしょく=空)の將(まさ)に明(あき)らかならんとするに、他(かれ)は戰(たたか)いを怯(おそ)れて走(に)げ、洞門(どうもん)を把(と)って緊(かた)く閉(とざ)して出(い)でず。老孫(ろうそん)は還(な)お那(あ)の門(もん)を打(う)ち開(あ)けて、他(かれ)と個(ひとつ)の好歹(けり=決着)を見(み)んと要(もと)むれど、師父(しふ)の此(ここ)に在(あ)りて疑慮(ぎりょ=案じ)し盼望(ぼうぼう=待ち望む)を恐(おそ)れ、故(ゆえ)に先(ま)ず回(かえ)り來(きた)りて個(ひとつ)の信息(しんそく=便り)を回(かえ)す。」

說(と)き罷(おわ)れば、那(そ)の老高(こうろう)は上前(すす)みて跪(ひざまず)き下(お)りて道(いわ)く:「長老(ちょうろう)、沒及奈何(どうにもならぬ)、你(おまえ)は他(かれ)を趕(お)い去(さ)り得(え)たれど、他(かれ)は你(おまえ)が去(ゆ)きてしまいし後(のち)に復(ま)た來(きた)らば、卻(かえ)って怎(どう)區處(くしょ=処置)せんか?索性(いっそ)你(おまえ)を累(わずらわ=煩わせ)て我(われ)と與(とも)に拿住(とらえ)え、根(こん)を除(のぞ)きて、才(はじ)めて後患(こうがん=後難)無(な)からん。我(われ)が老夫(ろうふ=この老人)は敢(あえ)て怠慢(たいまん=おろそか)にせず、自(おの)ずから重謝(じゅうしゃ=手厚い礼)有(あ)り:這(こ)の家財(かざい=家財)田地(でんち=田畑)を將(も)って、眾(しゅう=皆)の親友(しんゆう)に凭(よ)りて文書(ぶんしょ)を寫(しる)し立(た)てしめ、長老(ちょうろう)と與(とも)に平分(へいぶん=山分け)せん。只(た)だ是(こ)れ剪草除根(せんそうじょこん=草を刈り根を絶やす)を要(もと)め、我(わ)が高門(こうもん=高家)の清德(せいとく)を壊(こわ)すを教(さと)すこと莫(なか)れ。」

行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って道(いわ)く:「你(おまえ)這(こ)の老兒(ろうじ)は分限(ぶんげん=分をわきまえる)を知(し)らず。那(あ)の怪(かい)も也(ま)た曾(かつ)て我(われ)と說(い)えり、他(かれ)は是(こ)れ食腸(しょくちょう=食い意地)大(おお)きけれど、你(おまえ)が家(いえ)の些(いささ)かの茶飯(さはん=食事)を吃(く)い、他(かれ)は你(おまえ)と與(とも)に許多(あまた=多く)の好事(こうじ=良いこと)を幹(や)れり。這(こ)の幾年(いくとせ)掙(もう=稼)ぎたる許多(あまた)の家資(かし=財産)は、皆(みな)是(こ)れ他(かれ)之力量(ちから)なり。他(かれ)は曾(かつ)て白(ただ)で你(おまえ)が東西(もの)を吃(く)わざれば、你(おまえ)に問(と)わんか、他(かれ)を祛(け=追い払う)は怎(どう)するか。他(かれ)が說(い)うに据(よ)れば、他(かれ)は是(こ)れ一個(ひとり)の天神(てんじん)の下界(げかい)にして、你(おまえ)に替(かわ)りて家(いえ)を把(と)って活(しごと=仕事)を做(な)し、又(また)未(いま)だ曾(かつ)て你(おまえ)が家(いえ)の女兒(むすめ)を害(そこな)わず。想(おも)うに這等(このよう)なる一個(ひとり)の女婿(むこ)も、也(ま)た門當戶對(もんとうこたい=家柄が釣り合う)にして、怎麼(どう)も家聲(かせい=家の評判)を壊(こわ)さず、行止(こうし=行い)を辱(はずかし)めず。当(まこと)に真(しん)の留(とど)めて也(ま)た罷(よ)かろう。」

老高(こうろう)道(いわ)く:「長老(ちょうろう)、是(こ)れ風化(ふうか=風紀)を傷(そこな)わざれど、但(ただ)名聲(めいせい)は甚(はなは)だ好(よ)く聽(き)こえず。動(やや)もすれば人(ひと)を着(し)て就(すなわ)ち說(い)わしむ:『高家(こうけ)は一個(ひとり)の妖怪(ようかい)の女婿(むこ)を招(まね)いたり!』と。這(こ)の句(ひとこと)の兒(ことば)は人(ひと)をして怎(どう)当(た)えしめんか?」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「悟空(ごくう)、你(おまえ)は既(すで)に他(かれ)と與(とも)に一場(ひとしきり)を做(な)したれば、一發(いっそう)他(かれ)と與(とも)に個(ひとつ)の竭絕(けつぜつ=けじめ)を做(な)して、才(はじ)めて始終(しじゅう=首尾)を見(み)ん。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「我(われ)は才(さっき)他(かれ)を一試(ひとためし=試し)て耍子(あそび)せしのみ。此(こ)れ去(ゆ)きて一定(きっと)拿(と)り來(きた)りて你(おまえ)方(がた)に與(あた)えて看看(みせてや)る。且(しばら)く憂愁(ゆうしゅう=憂い)するな。」叫(よばわ)る:「老高(こうろう)よ、你(おまえ)は還(な)お好(よ)く生(つと)めて我(わ)が師父(しふ)を管待(かんたい=もてなせ)よ、我(われ)は去(ゆ)くなり。」
說(い)う声(こえ)の去(ゆ)くや、就(すなわ)ち無形無影(むぎょうむえい=影も形もなく)にして、跳(と)びて他(かれ)が那(あ)の山(やま)の上(うえ)に到(いた)り、洞口(どうぐち)に來(きた)りて、一頓(ひとしきり)の鐵棍(てつこん=鉄の棒)に、兩扇(ふたまい)の門(もん)を把(と)って打(う)ちて粉碎(ふんさい=粉々)ならしむ。口(くち)の裏(うち)に罵(ののし)って道(いわ)く:「那(あ)の饢糠(のうこう=飯喰らい)の夯貨(こうか=まぬけ)め、快(すみや)かに出(い)で來(きた)りて老孫(ろうそん)と打(う)たんか!」那(そ)の怪(かい)は正(まさ)に喘嘘嘘(ぜいぜい=息を切らし)として、洞(どう)の内(うち)に睡(ね)ておる。門(もん)を打(う)つ響(ひび)きを聽(き)き、又(また)饢糠(のうこう)の夯貨(こうか)と罵(ののし)るを聽(き)きて、他(かれ)は卻(かえ)って惱怒(のうど=憤り)の禁(きん=こらえ)難(がた)く、只(た)だ已(や)むを得(え)ず鈀(は)を拖(ひ)き、精神(せいしん=気力)を抖擻(とそう=奮い起こ)し、跑(はし)り將(た)ち出(い)でて、厲聲(れいせい=荒々しい声)に罵(ののし)って道(いわ)く:「你(おまえ)這個(こ)の弼馬溫(ひつばおん)め、着実(しっかり)に憊懶(はいらん=不埒)なり!你(おまえ)と與(とも)に甚(なん)の相干(かかわり)有(あ)りて、你(おまえ)は我(わ)が大門(だいもん)を打(う)ち破(やぶ)るか?你(おまえ)は且(しばら)く去(ゆ)きて律條(りつじょう=法条)を看看(みてみ)よ、大門(だいもん)を打(う)ち進(い)りて入(い)るは、該(まさ)に個(ひとつ)の雜犯死罪(ざっぱんしざい)たるぞ!」

行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って道(いわ)く:「這個(こ)の呆子(ほうけ=間抜け)め!我(われ)は大門(だいもん)を打(う)ちたれど、還(な)お個(ひとつ)の辯處(べんしょ=言い分)有(あ)り。你(おまえ)が人家(ひと)の女子(じょし=娘)を強(し)いて占(し)め、又(また)個(ひとつ)の三媒六證(さんばいろくしょう=正式の仲人と証人)無(な)く、又(また)些(いささ)かの茶紅酒礼(さこうしゅれい=贈り物)無(な)きが像(ごと)きは、該(まさ)に個(ひとつ)の真犯斬罪(しんぱんざんざい)を問(と)わるべきぞ!」那(そ)の怪(かい)道(いわ)く:「且(しばら)く閒講(むだばなし)を休(や)めよ、老豬(ろうちょ=この猪)が這(こ)の鈀(は)を看(み)よ!」行者(ぎょうじゃ)は棍(こん=棒)を使(つか)いて支(ささ)え住(とど)めて道(いわ)く:「你(おまえ)が這(こ)の鈀(は)は可(よ)く是(こ)れ高老(こうろう)が家(いえ)と與(とも)に園工(えんこう=庭仕事)を做(な)りて地(ち)を築(きず)き菜(な)を種(う)うるのなるか?何(なん)の好處(よさ)有(あ)りて你(おまえ)を怕(おそ)れんか!」

那(そ)の怪(かい)道(いわ)く:「你(おまえ)は錯(あやま)り認(みと)めたり!這(こ)の鈀(は)は豈(あに)是(こ)れ凡間(ぼんげん=俗世)之物(もの)ならんや?你(おまえ)は且(しばら)く我(われ)が道(い)い來(きた)るを聽(き)け:

「此(こ)れは是(こ)れ煅煉(たんれん=鍛え錬る)の神冰鐵(しんひょうてつ=神の氷鉄)、磨琢(まさく=磨き彫り)して工(こう=細工)と成(な)りて光(ひかり)皎潔(こうけつ=清らか)なり。
老君(ろうくん)自(みずか)ら鈐鎚(けんつい=金槌)を動(うご)かし、熒惑(けいこく=火星)親(みずか)ら身(み)を以(もっ)て炭屑(たんせつ=炭)を添(そ)う。
五方五帝(ごほうごてい)は心機(しんき=工夫)を用(もち)い、六丁六甲(りくていりっこう)は周折(しゅうせつ=苦労)を費(ついや)す。
九齒(きゅうし=九歯)の玉垂牙(ぎょくすいが=玉の垂れ歯)を造成(ぞうせい)し、雙環(そうかん=二つの輪)の金墜葉(きんついよう=金の飾り)を鋳就(いな=鋳上げ)す。
身(み)には六曜(ろくよう)を妝(かざ)り五星(ごせい)を排(なら)べ、體(たい)は四時(しいじ=四季)に按(あん)じて八節(はっせつ)に依(よ)る。
短長(たんちょう)上下(じょうげ)は乾坤(けんこん=天地)を定(さだ)め、左右(さゆう)陰陽(いんよう)は日月(じつげつ)を分(わ)かつ。
六爻(ろっこう)の神將(しんしょう)は天條(てんじょう=天の掟)に按(あん)じ、八卦(はっけ)星辰(せいしん)は斗(と=北斗)に依(よ)りて列(なら)ぶ。
名(な)を上寶遜金鈀(じょうほうそんきんは)と為(な)し、進(すす)んで玉皇(ぎょくこう)に與(あた)えて丹闕(たんけつ=仙宮)を鎮(しず)めしむ。
我(われ)の大羅仙(たいらせん=最高の仙)を修(おさ)め成(な)すに因(よ)り、吾(われ)が為(ため)に長生客(ちょうせいかく=不老の客)を養(やしな)い就(な)せり。
敕封(ちょくほう)して元帥(げんすい)に號(ごう)して天蓬(てんぽう)とし、欽賜(きんし=下賜)の釘鈀(ていは)を御節(ぎょせつ=節旄)と為(な)す。
舉(あ)ぐれば烈焰(れつえん=烈しい炎)并(ならびに)毫光(ごうこう=細き光)、落(お)とせば猛風(もうふう=激しい風)瑞雪(ずいせつ=めでたい雪)を飄(ひるがえ)す。
天曹(てんそう=天の役所)の神將(しんしょう)は尽(ことごと)く皆(みな)驚(おどろ)き、地府(じふ=冥府)の閻羅(えんら)は心膽(しんたん=心と胆)怯(おび)ゆ。
人間(にんげん)に那(どう)か這般(このよう)なる兵(へい=武器)有(あ)らん、世上(せじょう)に更(さら)に此等(このよう)の鐵(てつ)無(な)し。
身(み)に隨(したが)えて變化(へんげ)して心(こころ)に懐(いだ)く可(べ)く、意(こころ)の任(まま)に翻騰(ほんとう=跳ね回る)して口訣(くけつ=呪文)に依(よ)る。
相(あい)携(たずさ)えて數載(すうさい=幾年)曾(かつ)て未(いま)だ離(はな)れず、我(われ)に伴(ともな)うこと幾年(いくとせ)も日(ひ)の別(わか)るる無(な)し。
日(ひ)に三餐(さんさん=三食)を食(く)うも并(ならびに)捨(す)てず、夜(よる)に一宿(ひとよ)眠(ね)るも渾(まる)きて撇(す)つる無(な)し。
也(ま)た曾(かつ)て珮(お)びて蟠桃(ばんとう)に赴(おもむ)き、也(ま)た曾(かつ)て他(かれ)を帶(たい)て帝闕(ていけつ=帝の宮)に朝(ちょう)せり。
皆(みな)酒(さけ)を仗(たの)みて卻(かえ)って凶(きょう=乱暴)を行(おこな)い、只(た)だ強(つよみ)を倚(よ)るに為(ため)に便(すなわ)ち撒潑(さっぱ=暴れ)す。
天(てん)は我(われ)を貶(へん)して凡塵(ぼんじん=俗世)に降(くだ)し、下世(かせい=この世)に我(われ)を尽(ことごと)くして罪孽(ざいごう=罪)を作(な)さしむ。
石洞(せきどう)に心(こころ)邪(よこし)まにして曾(かつ)て人(ひと)を吃(く)い、高莊(こうしょう)に情(じょう)喜(よろこ)んで婚姻(こんいん)を結(むす)べり。
這(こ)の鈀(は)は海(うみ)に下(くだ)りて龍鼉(りゅうだ=竜と鰐)の窩(す=巣)を掀(ひるがえ)し翻(ひるがえ)し、山(やま)に上(のぼ)りて虎狼(ころう)の穴(あな)を抓(つか)み碎(くだ)く。
諸般(しょはん=さまざま)の兵刃(へいじん=武器)は且(しばら)く題(だい=話題)するを休(や)めよ、惟(た)だ吾(われ)が当(まさ)に鈀(は)の最(もっと)も切(せつ=鋭き)有(あ)るのみ。
相持(あいとど=渡り合う)して勝(か)ちを取(と)るに何(なん)の難(かた)きか有(あ)らん、賭鬥(かけくらべ=勝負)して功(こう)を求(もと)むるは說(い)うを須(もち)いず。
何(なん)ぞ你(おまえ)が銅頭鐵腦(どうとうてつのう=銅の頭鉄の脳)一身(み)の鋼(はがね)を怕(おそ)れんや、鈀(は)の到(いた)れば魂(たましい)消(き)え神氣(しんき)泄(も)れん!」

行者(ぎょうじゃ)は言(げん)を聞(き)きて、鐵棒(てつぼう)を收(おさ)めて道(いわ)く:「呆子(ほうけ)よ嘴(くち)を說(い)うな!老孫(ろうそん)は這(こ)の頭(あたま)を把(と)って那(そこ)に伸(の)べ在(あ)らしむ、你(おまえ)は且(しばら)く一下(ひとつ)を築(つ)きて、可(よ)く能(あた)うや魂(たましい)消(き)え氣(いき)泄(も)るるを看(み)よ。」那(そ)の怪(かい)は真個(まこと)に鈀(は)を舉(あ)げて、氣力(きりょく=力)を着(つ)けて築(つ)き將(た)ち來(きた)る。撲(ぽん=ばたり)の一下(ひとつ)に、鈀(は)の火光(かこう)焰焰(えんえん=燃え盛る)を鑽(さん=ほとばし)らせれど、更(さら)に曾(かつ)て些(すこし)の兒(ちょっと)の頭皮(とうひ)も築(つ)き動(うご)かさず。唬(おどろ)かす他(かれ)をして手(て)麻(しび)れ脚(あし)軟(よわ)くならしめ、「好頭(すごい頭)!好頭(すごい頭)!」と一声(ひとこえ)道(い)わしむ。

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)は是(こ)れ也(ま)た知(し)らざるか。老孫(ろうそん)は天宮(てんぐう)を鬧(さわ)がせしに因(よ)り、仙丹(せんたん)を偷(ぬす)み、蟠桃(ばんとう)を盜(ぬす)み、御酒(ぎょしゅ=天子の酒)を竊(ぬす)み、小聖二郎(しょうせいじろう)に擒(とりこ)められ、斗牛宮(とぎゅうきゅう)の前(まえ)に押(お)さえ在(あ)らしめられ、眾(しゅう=皆)の天神(てんじん)の老孫(ろうそん)を把(と)って斧(おの)に剁(き)ざれ鎚(つち)に敲(たた)かれ、刀(かたな)に砍(き)られ劍(けん)に刺(さ)され、火(ひ)に燒(や)かれ雷(いかずち)に打(う)たるるも、也(ま)た曾(かつ)て分毫(ふんごう=少しも)を損(そこな)い動(うご)かさざりき。又(また)那(あ)の太上老君(たいじょうろうくん)に我(われ)を拿(と)られ去(ゆ)かれ、八卦爐(はっけろ)の中(なか)に放(お)かれて、神火(しんか=神の火)を將(も)って煅煉(たんれん)せられ、煉(ね)って個(ひとつ)の火眼金睛(かがんきんせい)、銅頭鐵臂(どうとうてっぴ)と做(な)されたり。不信(しんじざ)らば、你(おまえ)は再(ふたた)び幾下(いくつ)か築(つ)きて、疼(いた)むと疼(いた)まざるとを看看(みてみ)よ。」

那(そ)の怪(かい)道(いわ)く:「你(おまえ)這(こ)の猴(さる)め、我(われ)は你(おまえ)が天宮(てんぐう)を鬧(さわ)がせし時(とき)、家(いえ)の住(すみか)の東勝神洲(とうしょうしんしゅう)傲來國(ごうらいこく)花果山(かかざん)水簾洞(すいれんどう)の裏(うち)に在(あ)りしを記(おぼ)えておるが、今(いま)に到(いた)るまで久(ひさ)しく名(な)を聞(き)かず、你(おまえ)は怎麼(どう)して此處(ここ)に來(きた)りて、門(もん)を上(のぼ)りて子(こ=ちょっと)我(われ)を欺(あざむ)くか?莫敢(もしか)して是(こ)れ我(わ)が丈人(じょうじん=舅)の那裏(あちら)に去(ゆ)きて你(おまえ)を請(しょう)じ來(きた)れるか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)が丈人(じょうじん)は曾(かつ)て去(ゆ)きて我(われ)を請(しょう)ぜず。是(こ)れ老孫(ろうそん)が邪(よこしま)を改(あらた)めて正(ただ)しきに歸(き)し、道(どう=道教)を棄(す)てて僧(そう)に從(したが)い、一個(ひとり)の東土(とうど)大唐(だいとう)の駕下(がか=天子の御下)の御弟(ぎょてい)を保護(ほご)し、三藏法師(さんぞうほうし)と做(い)う者(もの)の、西天(さいてん)に往(ゆ)きて佛(ほとけ)を拜(おが)み經(きょう)を求(もと)むるに、高莊(こうしょう)を過(す)ぎて宿(やど)を借(か)り、那(あ)の高老兒(こうろうじ=高老人)の話(はなし)に說(い)い起(おこ)すに因(よ)りて、就(すなわ)ち我(われ)を請(しょう)じて他(かれ)が女兒(むすめ)を救(たす)け、你(おまえ)這(こ)の饢糠(のうこう)の夯貨(こうか)を拿(とら)えしめたり!」
那(そ)の怪(かい)は此(こ)の言(げん)を一(ひと)たび聞(き)くや、釘鈀(ていは)を投(なげう)ち、一個(ひとつ)の大喏(だいじょ=大きな挨拶)を唱(とな)えて道(いわ)く:「那(あ)の取經人(しゅきょうじん=経を求める人)は那裏(どこ)に在(あ)るか?煩(わずらわ)しくも你(おまえ)が引(みちび)きて見(まみ)えしめよ。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)は他(かれ)に見(まみ)えんとして怎(どう)するか?」那(そ)の怪(かい)道(いわ)く:「我(われ)は本(もと)是(こ)れ觀世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の善(ぜん)に勸(すす)められ、他(かれ)の戒行(かいぎょう=戒律)を受(う)け、此處(ここ)に在(あ)りて齋(さい=精進)を持(たも)ち素(そ=菜食)を把(と)り、我(われ)に那(あ)の取經人(しゅきょうじん)に跟隨(こんずい=従い)て西天(さいてん)に往(ゆ)きて佛(ほとけ)を拜(おが)み經(きょう)を求(もと)め、功(こう)を將(も)って罪(つみ)を折(しゃく=償い)、還(ま)た正果(しょうか=正しい悟り)を得(え)しめんと教(さと)されたり。我(われ)に他(かれ)を等(ま)たしめしが、這(こ)の幾年(いくとせ)消息(しょうそく=音沙汰)を聞(き)かず。今日(きょう)既(すで)に是(こ)れ你(おまえ)が他(かれ)と徒弟(とてい=弟子)と做(な)れるならば、何(なん)ぞ早(はや)く取經(しゅきょう=経を求むる)之事(こと)を說(い)わずして、只(た)だ凶強(きょうきょう=乱暴)を倚(よ)りて、門(もん)に上(のぼ)りて我(われ)を打(う)つか?」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)は我(われ)を詭詐(きさ=偽り)し心(こころ)を欺(あざむ)きて軟(やわら)げ、脫身(だっしん=逃れ)之計(けい)を為(な)さんと欲(ほっ)するな。果然(はた)して是(こ)れ唐僧(とうそう)を保護(ほご)せんと要(もと)むるに、略(ほぼ)虛假(きょか=偽り)無(な)くんば、你(おまえ)は可(よ)く天(てん)に朝(むか)いて誓(ちか)いを發(おこ)せよ、我(われ)は才(はじ)めて你(おまえ)を帶(たい)て去(ゆ)きて我(わ)が師父(しふ)に見(まみ)えしめん。」那(そ)の怪(かい)は撲(ぽん=ばたり)と跪(ひざまず)き下(お)り、空(くう=空)を望(のぞ)んで碓(たい=臼)を搗(つ)くが一般(ごと)くに、只管(ひたすら)頭(こうべ)を磕(ぬかず)いて道(いわ)く:「阿彌陀佛(あみだぶつ)、南無佛(なむぶつ)、我(われ)若(も)し是(こ)れ真心(しんしん)実意(じつい=真心)に非(あら)ずんば、我(われ)をして天條(てんじょう=天の掟)を犯(おか)し、屍(しかばね)を劈(さ)きて万段(ばんだん=万に裂か)れしめよ!」

行者(ぎょうじゃ)は他(かれ)が呪(じゅ=誓い)を賭(か)け願(がん)を發(おこ)すを見(み)て、道(いわ)く:「既(すで)に然(しか)らば此(こ)の如(ごと)くんば、你(おまえ)は火(ひ)を点(てん=つ)け把(ひとつかみ)來(きた)りて你(おまえ)が這(こ)の住處(すみか)を燒(や)け、我(われ)は方(はじ)めて你(おまえ)を帶(たい)て去(ゆ)かん。」那(そ)の怪(かい)は真個(まこと)に些(いささ)かの蘆葦(ろい=葦)荊棘(けいきょく=茨)を搬(はこ)び、一把(ひとつかみ)の火(ひ)を点(てん)じ着(つ)け、那(あ)の雲棧洞(うんさんどう)を將(も)って燒(や)いて個(ひとつ)の破(やぶ)れし瓦窯(がよう=瓦窯)の像(ごと)くなさしむ。行者(ぎょうじゃ)に對(むか)いて道(いわ)く:「我(われ)は今(いま)已(すで)に掛礙(けげ=執着)無(な)し、你(おまえ)は卻(かえ)って我(われ)を引(みちび)いて去(ゆ)け。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)は釘鈀(ていは)を把(と)って我(われ)に與(あた)えて拿(も)たせよ。」那(そ)の怪(かい)は就(すなわ)ち鈀(は)を行者(ぎょうじゃ)に遞(わた)す。行者(ぎょうじゃ)は又(また)一根(ひとすじ)の毫毛(ごうもう=毛)を拔(ぬ)き、一口(ひとくち)の仙氣(せんき)を吹(ふ)き、「變(へん)ぜよ!」と叫(よばわ)る。即(すなわ)ち變(へん)じて一條(ひとすじ)の三股麻繩(さんこまじょう=三つ撚りの麻縄)と做(な)り、走(はし)り過(よ)ぎ來(きた)りて、手(て)を把(と)って背(せ)に綁(しば)り剪(から)げたり。那(そ)の怪(かい)は真個(まこと)に手(て)を背(せ)に倒(さか)しまにし、凭(よ)りて他(かれ)が怎麼(どう)綁縛(ほうばく=縛る)とも。卻(かえ)って又(また)耳朶(じみ=耳)を揪(ひ)き住(とど)め、他(かれ)を拉(ひ)きて、「快(すみや)か走(はし)れ!快(すみや)か走(はし)れ!」と叫(よばわ)る。那(そ)の怪(かい)道(いわ)く:「輕(かる)くする些(ちょっと)!你(おまえ)の手(て)は重(おも)く、我(わ)が耳根子(じこん=耳の付け根)を揪(ひ)きて疼(いた)し。」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「輕(かる)くは成(な)らず!你(おまえ)を顧(かえり)みるを得(え)ず!常言(じょうげん=諺)に道(い)う:『善(よ)き豬(ぶた)も惡(あ)しく拿(とら)う。』只(た)だ我(わ)が師父(しふ)に見(まみ)ゆるを等(ま)ちて、果(はた)して真心(しんしん)有(あ)らば、方(はじ)めて你(おまえ)を放(はな)さん。」

他(かれ)の二(ふた)人(り)は半(なかば)雲(くも)半(なかば)霧(きり)にして、徑(ただ)ちに高家莊(こうかしょう)に轉(めぐ)り來(きた)る。有詩(し)が証(あかし=証拠)と為(な)る:

「金性(きんせい=金の性)剛強(ごうきょう)にして能(よ)く木(もく)を克(こく=克)し、心猿(しんえん=心の猿)の木龍(もくりゅう)を降(くだ)し得(え)て歸(き)す。
金(きん)は木(もく)の順(したが)うより皆(みな)一(いつ)と為(な)り、木(もく)は金(きん)の仁(じん)を恋(こ)いて總(すべ)て発揮(はっき)す。
一主(いっしゅ)一賓(いっぴん)に間隔(かんかく)無(な)く、三交(さんこう)三合(さんごう)に玄微(げんび=奥深さ)有(あ)り。
性情(せいじょう)并(ならび)に喜(よろこ)んで貞元(ていげん)聚(あつ)まり、同(とも)に西方(さいほう)を証(しょう)じて話(ことば)違(たが)わず。」

頃刻(しばらく)の間(あいだ)に、莊前(しょうぜん=荘の前)に到(いた)る。行者(ぎょうじゃ)は他(かれ)が鈀(は)を拑(はさ)み、他(かれ)が耳(みみ)を揪(ひ)きて道(いわ)く:「你(おまえ)看(み)よ那(あ)の廳堂(ちょうどう=広間)の上(うえ)に端坐(たんざ=正座)せるは是(こ)れ誰(たれ)なるを、乃(すなわ)ち吾(わ)が師(し)なり。」那(あ)の高氏(こうし)の諸親友(しょしんゆう)と老高(こうろう)は、忽(たちま)ち行者(ぎょうじゃ)の那(あ)の怪(かい)を背(せ)に綁(しば)り耳(みみ)を揪(ひ)きて來(きた)るを見(み)て、一個個(めいめい)欣然(きんぜん=喜び)として天井(てんじょう=中庭)の中(なか)に迎(むか)え到(いた)り、「長老(ちょうろう)!長老(ちょうろう)!他(かれ)は正(まさ)に是(こ)れ我(わ)が家(いえ)の女婿(むこ)なり!」と一声(ひとこえ)道(い)う。

那(そ)の怪(かい)は上前(すす)みて、雙膝(そうしつ=両膝)を跪(ひざまず)き、手(て)を背(せ)にして、三藏(さんぞう)に對(むか)いて叩頭(こうとう=額づき)、高(たか)く叫(よばわ)りて道(いわ)く:「師父(しふ)、弟子(でし)は迎(むか)うるを失(しっ)せり。早(はや)く是(こ)れ師父(しふ)の我(わ)が丈人(じょうじん=舅)の家(いえ)に住(じゅう)せるを知(し)れば、我(われ)は就(すなわ)ち來(きた)りて拜(はい)し接(むか)えんに、怎麼(どう)して又(また)許多(あまた)の周折(しゅうせつ=回り道)を受(う)けたるか?」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「悟空(ごくう)、你(おまえ)は怎麼(どう)して彼(かれ)を降(くだ)し得(え)て來(きた)りて我(われ)を拜(おが)ましむるか?」行者(ぎょうじゃ)は才(ようや)く手(て)を放(はな)し、釘鈀(ていは)の柄兒(え=柄)を拿(と)って打(う)ちて、喝(かつ=叱り)して道(いわ)く:「呆子(ほうけ)め!你(おまえ)が說(い)え!」那(そ)の怪(かい)は菩薩(ぼさつ)の善(ぜん)に勸(すす)めたる事情(じじょう)を、細(こま)かに一遍(ひとわたり)陳(の)べたり。

三藏(さんぞう)は大喜(たいき=大いに喜ぶ)。便(すなわ)ち叫(よばわ)る:「高太公(こうたいこう)、個(ひとつ)の香案(こうあん=香の台)を取(と)りて用(もち)いん。」老高(こうろう)は即(すなわ)ち忙(いそ)ぎて香案(こうあん)を抬(かつ)ぎ出(い)だす。三藏(さんぞう)は手(て)を淨(きよ)めて香(こう)を焚(た)き、南(みなみ)を望(のぞ)んで禮拜(らいはい)して道(いわ)く:「多(おお)く菩薩(ぼさつ)の聖恩(せいおん)を蒙(こうむ)れり!」那(そ)の幾個(いくたり)かの老兒(ろうじ=老人)も也(ま)た一齊(いっせい)に香(こう)を添(そ)えて禮拜(らいはい)す。拜(おが)み罷(おわ)りて、三藏(さんぞう)は廳(ひろま)に上(のぼ)りて高(たか)く坐(ざ)し、悟空(ごくう)をして他(かれ)が繩(なわ)を放(はな)たしむ。行者(ぎょうじゃ)は才(ようや)く身(み)を把(と)って一抖(ひとゆすり=ひと振り)し、身(み)を收(おさ)め上(あ)げ來(きた)れば、其(そ)の縛(いましめ=縄)自(おの)ずから解(と)く。那(そ)の怪(かい)は從新(あらた)めて三藏(さんぞう)を禮拜(らいはい)し、願(ねが)わくは隨(したが)いて西(にし)に去(ゆ)かんとす。又(また)行者(ぎょうじゃ)と拜(おが)みて、先(さき)に進(すす)める者(もの)を以(もっ)て兄(あに)と為(な)し、遂(つい)に行者(ぎょうじゃ)を稱(とな)えて師兄(しけい=兄弟子)とす。

三藏(さんぞう)道(いわ)く:「既(すで)に吾(われ)が善果(ぜんか=善い結果)に從(したが)いて、徒弟(とてい=弟子)と做(な)らんと要(もと)むれば、我(われ)は你(おまえ)と一個(ひとつ)の法名(ほうみょう)を起(おこ)し、早晚(ちょうばん=朝晩)に好(よ)く呼喚(よば)わんとす。」他(かれ)道(いわ)く:「師父(しふ)、我(われ)は是(こ)れ菩薩(ぼさつ)已(すで)に我(われ)と摩頂受戒(まちょうじゅかい=頂を摩で戒を受く)し、法名(ほうみょう)を起(おこ)されて、豬悟能(ちょごのう)と做(い)うなり。」三藏(さんぞう)は笑(わら)って道(いわ)く:「好(よ)し!好(よ)し!你(おまえ)が師兄(しけい)は悟空(ごくう)と做(い)い、你(おまえ)は悟能(ごのう)と做(い)う、其實(じつ)に是(こ)れ我(わ)が法門(ほうもん=宗派)の中(なか)の宗派(しゅうは)なり。」悟能(ごのう)道(いわ)く:「師父(しふ)、我(われ)は菩薩(ぼさつ)の戒行(かいぎょう)を受(う)け、五葷三厭(ごくんさんえん=五葷と三厭)を断(た)ち、我(わ)が丈人(じょうじん)の家(いえ)に在(あ)りて齋(さい=精進)を持(たも)ち素(そ=菜食)を把(と)り、更(さら)に曾(かつ)て葷(くん=肉食)を動(うご)かさず;今日(きょう)師父(しふ)に見(まみ)えたれば、我(われ)は齋(さい)を開(ひら)かん。」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「不可(いけない)!不可(いけない)!你(おまえ)既(すで)に是(こ)れ五葷三厭(ごくんさんえん)を吃(く)わざれば、我(われ)は再(ふたた)び你(おまえ)と一個(ひとつ)の別名(べつめい)を起(おこ)し、喚(よ)んで八戒(はっかい)と為(な)さん。」那(そ)の呆子(ほうけ)は歡歡喜喜(かんかんきき=大喜び)して道(いわ)く:「謹(つつし)んで師命(しめい=師の命)に遵(したが)う。」此(こ)の因(よ)りて又(また)豬八戒(ちょはっかい)と做(い)う。

高老(こうろう)は這等(このよう)に邪(よこしま)を去(さ)り正(ただ)しきに歸(き)するを見(み)て、更(さら)に十分(じゅうぶん=たいへん)喜悦(きえつ=喜ぶ)。遂(つい)に家僮(かどう=召使)に命(めい)じて筵宴(えんえん=酒宴)を安排(あんぱい=用意)し、唐僧(とうそう)に酬謝(しゅうしゃ=礼をす)る。八戒(はっかい)は上前(すす)みて老高(こうろう)を扯(ひ)き住(とど)めて道(いわ)く:「爺(おじいさん)、請(こ)う我(わ)が拙荊(せっけい=愚妻)を出(い)だし來(きた)らしめて公公(こうこう=舅)伯伯(はくはく=伯父)に拜(はい)し見(まみ)えしめんは何如(いかん=どうか)?」行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って道(いわ)く:「賢弟(けんてい=兄弟子)よ、你(おまえ)既(すで)に沙門(しゃもん=仏門)に入(い)り、和尚(おしょう)と做(な)りたれば、今(いま)より後(のち)、再(ふたた)び那(あ)の『拙荊(せっけい=愚妻)』の的話說(ことば)を題(だい=話題)に起(おこ)すな。世間(せけん)に只(た)だ個(ひとつ)の火居道士(かきょどうし=妻帯道士)有(あ)るのみ、那裏(どこ)に個(ひとつ)の火居(かきょ=妻帯)の和尚(おしょう)有(あ)らんや?我(われ)らは且(しばら)く來(きた)りて坐次(ざじ=座席)を敘(つい)で、一頓(ひとたび)の齋飯(さいはん=精進の食事)を吃(く)い、早(はや)き兒(ちょっと)に西天(さいてん)へ路(みち)を走(ある)かん。」
高老兒(こうろうじ)は桌席(たくせき=食卓)を擺(はい=並べ)、三藏(さんぞう)を請(しょう)じて上(かみ)に坐(ざ)せしむ。行者(ぎょうじゃ)と八戒(はっかい)は、左右(さゆう)の兩旁(りょうぼう=両側)に坐(ざ)す。諸親(しょしん=親族)は下(しも)に坐(ざ)す。高老(こうろう)は素酒(そしゅ=精進の酒)を把(と)って樽(そん=酒樽)を開(ひら)き、満(み)とう一杯(いっぱい)を斟(つ)ぎ、天地(てんち)に奠(ささ)げて、然(しか)る後(のち)三藏(さんぞう)に奉(ほう=献)ず。三藏(さんぞう)道(いわ)く:「太公(たいこう)に瞞(かく)して說(い)わず、貧僧(ひんそう=この僧)は是(こ)れ胎裏素(たいりそ=生まれつきの菜食)にして、自(おの)ずから幼(おさな)きより葷(くん=肉食)を吃(く)わず。」老高(こうろう)道(いわ)く:「老師(ろうし=師)の清素(せいそ=清く質素)なるを知(し)れるに因(よ)りて、曾(かつ)て敢(あえ)て葷(くん)を動(うご)かさず。此(こ)の酒(さけ)も也(ま)た是(こ)れ素(そ=精進)なれば、請(こ)う一杯(いっぱい)を不妨(さしつかえな)し。」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「也(ま)た敢(あえ)て酒(さけ)を用(もち)いず。酒(さけ)は是(こ)れ我(わ)が僧家(そうか=僧)の第一(だいいち)の戒(かい=戒律)なる者(もの)なり。」

悟能(ごのう)は慌(あわ)てて道(いわ)く:「師父(しふ)、我(われ)は自(おの)ずから齋(さい=精進)を持(たも)てれど、卻(かえ)って曾(かつ)て酒(さけ)を断(た)たず。」悟空(ごくう)道(いわ)く:「老孫(ろうそん)は量(りょう=酒量)窄(せま)くして、一壇(ひとだる)把(ほど)を吃(く)い上(あ)げざれど、卻(かえ)って也(ま)た曾(かつ)て酒(さけ)を断(た)たず。」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「既(すで)に此(こ)の如(ごと)くんば、你(おまえ)ら兄弟(きょうだい)たちは些(いささ)かの素酒(そしゅ)を吃(く)うも也(ま)た罷(よ)かろう。只(た)だ是(こ)れ醉(よ)い飲(の)んで事(こと)を誤(あやま)るを許(ゆる)さず。」遂(つい)に而(て)他(かれ)の二(ふた)人(り)は頭鐘(とうしょう=最初の杯)を接(う)け取(と)る。各人(おのおの)は俱(みな)舊(もと)の依(ごと)くに坐(ざ)し下(お)り、素齋(そさい=精進料理)を擺(はい=並べ)し下(お)ろす。說(い)い尽(つ)くさず那(あ)の杯盤(はいばん=杯や皿)の盛(さかん=盛んな)なるを、品物(ひんぶつ=品々)の豊(ゆたか)なるを。

師徒(しと)たちは宴(うたげ)罷(おわ)りて、老高(こうろう)は一個(ひとつ)の紅漆丹盤(こうしつたんばん=赤漆の盆)を將(も)って、二百兩(にひゃくりょう)の散碎(さんさい=砕けた)の金銀(きんぎん)を拿(と)り出(い)だし、三位(さんい=三人)の長老(ちょうろう)に奉(ほう=献)じて途中(とちゅう)之費(ついえ=費用)と為(な)さしむ;又(また)三領(みつ)の綿布褊衫(めんぷへんさん=綿布の肌着)を將(も)って、上蓋(じょうがい=上着)之衣(ころも)と為(な)す。三藏(さんぞう)道(いわ)く:「我(われ)らは是(こ)れ行腳僧(あんぎゃそう=行脚の僧)にして、莊(むら)に遇(あ)えば飯(めし)を化(こ=乞い)し、處(ところ)に逢(あ)えば齋(とき=食事)を求(もと)む、怎(どう)して敢(あえ)て金銀(きんぎん)財帛(ざいはく=財貨)を受(う)けんか?」

行者(ぎょうじゃ)は近(ちか)く前(まえ)に、手(て)を輪(ふる)い開(ひら)き、一把(ひとつかみ)を抓(つか)む。叫(よばわ)る:「高才(こうさい)、昨日(きのう)你(おまえ)を累(わずらわ)せて我(わ)が師父(しふ)を引(みちび)けり、今日(きょう)一個(ひとり)の徒弟(とてい)を招(まね)き得(え)たれど、物(もの)無(な)くして你(おまえ)に謝(しゃ)せん、此(こ)れらの碎金碎銀(さいきんさいぎん=金銀の欠片)を把(と)って、権(かり)に帶領錢(たいれいせん=案内賃)と做(な)し、拿(と)りて去(ゆ)きて草鞋(わらじ)を買(か)いて穿(は)け。以後(こののち)但(た)だ妖精(ようせい)有(あ)らば、多(おお)く我(われ)に幾個(いくたり)かを作(な)させ、還(な)お你(おまえ)に謝(しゃ)する處(ところ)有(あ)るぞ。」高才(こうさい)は接(う)け取(と)り、叩頭(こうとう=額づき)して賞(ほうび)を謝(しゃ)す。

老高(こうろう)又(また)道(いわ)く:「師父(しふ)方(がた)既(すで)に金銀(きんぎん)を受(う)けざれば、望(のぞ)まくは此(こ)の粗衣(そい=粗末な衣)を將(も)って笑納(しょうのう=笑って納め)し、聊(いささ)か寸心(すんしん=気持ち)を表(あらわ)さん。」三藏(さんぞう)又(また)道(いわ)く:「我(われ)が出家人(しゅっけにん=出家の者)、若(も)し一絲(いっし=糸ひと筋)の賄(まいない=賄賂)を受(う)けば、千劫(せんごう=永遠)の修(しゅ=修行)難(かた)し。只(た)だ是(こ)れ席上(せきじょう=食卓)の吃(く)い了(おわ)らざる餅果(へいか=餅や果物)を把(と)って、些(いささ)か帶(たい)て去(ゆ)きて乾糧(かんりょう=携帯食)と做(な)せば足(た)れり。」

八戒(はっかい)は旁(かたわら)に在(あ)りて道(いわ)く:「師父(しふ)、師兄(しけい)よ、你(おまえ)方(がた)は要(もと)めざれば便(すなわ)ち罷(や)めよ、我(われ)は他(かれ)が家(いえ)と與(とも)に這(こ)の幾年(いくとせ)の女婿(むこ)を做(な)りたれば、就(すなわ)ち是(こ)れ掛脚糧(かきゃくりょう=手間賃)も也(ま)た三石(さんこく)は該(あた)るぞ。—丈人(じょうじん=舅)よ、我(わ)が直裰(じきとく=袍)は、昨晚(ゆうべ)師兄(しけい)に扯(ひ)き破(やぶ)られたれば、我(われ)に一件(ひとえ)の青錦袈裟(せいきんけさ=青い錦の衣)を與(あた)えよ;鞋子(くつ=靴)は綻(ほころ)びたれば、我(われ)に一雙(ひとくみ)の好(よ)き新(あたら)しい鞋子(くつ)を與(あた)えよ。」高老(こうろう)は言(げん)を聞(き)きて、敢(あえ)て與(あた)えざるを得(え)ず。隨(したが)って一雙(ひとくみ)の新(あたら)しい鞋(くつ)を買(か)い、一領(ひとえ)の褊衫(へんさん)を將(も)って、舊時(きゅうじ=以前)の衣物(いぶく=衣服)を換(か)え下(お)ろせり。

那(そ)の八戒(はっかい)は搖搖擺擺(ようようはいばい=ゆらゆら)として、高老(こうろう)に對(むか)いて一個(ひとつ)の喏(じょ=挨拶)を唱(とな)えて道(いわ)く:「丈母(じょうぼ=姑)大姨(だいい=伯母)二姨(にい=叔母)并(ならびに)姨夫(いふ=義兄弟)姑舅(こきゅう=親族)の諸親(しょしん)に上復(じょうふく=申し上げ)せよ:我(われ)は今日(きょう)去(ゆ)きて和尚(おしょう)と做(な)らんとす、及(およ)ばず面(めん)より辭(じ=別れを告ぐ)して、怪(とが)むるな。丈人(じょうじん)よ、你(おまえ)は還(な)お好(よ)く生(つと)めて我(わ)が渾家(こんか=妻)を看待(かんたい=扱)せよ:只(た)だ怕(おそ)らくは我(われ)らが經(きょう)を取(と)り成(な)らざる時(とき)有(あ)らんか、好(よ)く來(きた)りて俗(ぞく=俗世)に還(かえ)り、舊(もと)の依(ごと)く你(おまえ)と與(とも)に女婿(むこ)と做(な)りて過活(かかつ=暮らす)をせば。」

行者(ぎょうじゃ)は喝(かつ=叱り)して道(いわ)く:「夯貨(こうか=まぬけ)め!卻(かえ)って胡說(こせつ=でたらめ)するな!」八戒(はっかい)道(いわ)く:「哥(あに)呵(よ)、是(こ)れ胡說(でたらめ)に非(あら)ず、只(た)だ恐(おそ)らくは一時間(ひととき=もし)に些(いささ)かの兒(ちょっと)の差池(たがい=過ち)有(あ)らんか、卻(かえ)って是(こ)れ和尚(おしょう)の做(な)るを誤(あやま)り、老婆(つま=妻)の娶(めと)るを誤(あやま)り、兩下(りょうほう=双方)里(じょう=中)に都(みな)耽擱(おく=遅らす)れずや?」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「少(すくな)く閒話(むだばなし)を題(だい=話題)にせよ、我(われ)らは早(はや)き兒(ちょっと)に去(ゆ)き來(こ)ん。」遂(つい)に此(ここ)に一担(ひとつ)の行李(こうり)を收拾(しゅうしゅう=まとめ)し、八戒(はっかい)が担(かつ)ぐ;白馬(はくば)を背(せお)わせて、三藏(さんぞう)が騎(の)る;行者(ぎょうじゃ)は肩(かた)に鐵棒(てつぼう)を担(かつ)ぎ、前(まえ)に路(みち)を引(みちび)く。一行(いっこう)三眾(さんしゅ=三人)は、高老(こうろう)及(および)眾(しゅう)の親友(しんゆう)に辭別(じべつ=別れ)し、西(にし)に投(とう=向かっ)て去(ゆ)く。有詩(し)が証(あかし)と為(な)る。詩(し)に曰(いわ)く:

「満地(まんち=地いっぱい)の烟霞(えんか=霞)に樹色(じゅしょく=木々の色)高(たか)く、
唐朝(とうちょう)の佛子(ぶっし=仏弟子)は苦(くるしみ)勞勞(ろうろう=労苦)す。
饑(う)えては一鉢(ひとつ)の千家(せんか=千軒)の飯(めし)を餐(くら)い、
寒(さむ)きには千針(せんしん=千の針)の一衲袍(いちのうほう=継ぎ当ての袍)を著(き)る。
意馬(いば=意の馬)の胸頭(きょうとう=胸の中)に放蕩(ほうとう=奔放)するを休(や)め、
心猿(しんえん=心の猿)の乖劣(かいれつ=悪賢き)に嚎(ほえ=吼える)を教(さと)す莫(なか)れ。
情(じょう)和(わ)し性(せい)定(さだ)まれば諸緣(しょえん=様々な縁)合(がっ)し、
月(つき)の金華(きんか=金色の光)に満(み)つるは是(こ)れ毛(もう=煩悩)を伐(き)る。」

三眾(さんしゅ=三人)は西(にし)に進(すす)みて路途(ろと=道のり)に、一個月(ひとつき)の平穩(へいおん=平穏)有(あ)り。烏斯藏界(うすぞうかい)を行(ゆ)き過(す)ぎて、猛(ふと)頭(こうべ)を抬(あ)げて一座(ひとつ)の高山(こうざん)を見(み)る。三藏(さんぞう)は鞭(むち)を停(とど)め馬(うま)を勒(おさ)えて道(いわ)く:「悟空(ごくう)、悟能(ごのう)、前(まえ)の面(ほう=方)に山(やま)高(たか)し、須索(すべから)く仔細(しさい=用心)に、仔細(しさい)に。」八戒(はっかい)道(いわ)く:「沒事(だいじょうぶ)。這(こ)の山(やま)は喚(よ)んで浮屠山(ふとざん)と做(な)し、山中(さんちゅう)に一個(ひとり)の烏巢禪師(うそうぜんじ)有(あ)り、此(ここ)に在(あ)りて修行(しゅぎょう)す。老豬(ろうちょ=この猪)も也(ま)た曾(かつ)て他(かれ)に会(まみ)えたり。」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「他(かれ)に些(いささ)かの什麼(なに)の勾當(こうとう=仕事)有(あ)るか?」八戒(はっかい)道(いわ)く:「他(かれ)は倒(かえ)って也(ま)た些(いささ)かの道行(どうぎょう=修行の力)有(あ)り。他(かれ)は曾(かつ)て我(われ)を勸(すす)めて他(かれ)と跟(したが)いて修行(しゅぎょう)せしめんとしたれど、我(われ)は曾(かつ)て去(ゆ)かざりしのみ。」

師徒(しと)たちは話(はなし)を說(い)いつつ、多(おお)からず時(とき)に、山(やま)の上(うえ)に到(いた)る。好(よ)き山(やま)!但(ただ)見(み)よ那(そ)の:

「山南(さんなん)には青松(せいしょう=青い松)碧檜(へきかい=緑の檜)有(あ)り、山北(さんほく)には綠柳(りょくりゅう)紅桃(こうとう=赤い桃)有(あ)り。
鬧聒聒(どうかつかつ=にぎやかに)、山禽(さんきん=山の鳥)は對(つい)に語(かた)り;
舞翩翩(ぶへんべん=ひらひらと)、仙鶴(せんかく=仙鶴)は齊(とも)に飛(と)ぶ。
香馥馥(こうふくふく=芳しく)、諸花(しょか=様々な花)は千樣(せんよう=千種)の色(いろ);
青冉冉(せいぜんぜん=青々と)、雜草(ざっそう)は萬般(ばんぱん=万種)の奇(き=珍しさ)。
澗下(かんか=谷の下)には滔滔(とうとう=たぎる)の綠水(りょくすい=緑の水)有(あ)り、
崖前(がいぜん=崖の前)には朵朵(だだ=幾重も)の祥雲(しょううん)有(あ)り。
真個(まこと)に是(こ)れ景致(けいち=景色)の非常(ひじょう=並々ならぬ)に幽雅(ゆうが=幽玄で優雅)なる處(ところ)、寂然(じゃくねん=ひっそり)として往來(おうらい=行き交う)の人の見(み)えず。」

那(そ)の師父(しふ)は馬(うま)の上(うえ)に在(あ)りて遙(はる)かに觀(み)るに、香檜樹(こうかいじゅ=香りの檜)の前(まえ)に、一個(ひとつ)の柴草窩(さいそうあ=柴の巣)の有(あ)るを見(み)る。左邊(ひだり)には麋鹿(びろく=大鹿)の花(はな)を銜(くわ)える有(あ)り、右邊(みぎ)には山猴(さんこう=山の猿)の果(み)を獻(けん=献)ずる有(あ)り。樹梢頭(じゅしょうとう=梢)には、青鸞(せいらん=青い鸞)彩鳳(さいほう=彩りの鳳)の齊(とも)に鳴(な)き、玄鶴(げんかく=黒い鶴)錦鶏(きんけい=錦の鶏)の咸(みな)集(あつ)まる有(あ)り。八戒(はっかい)は指(さ)して道(いわ)く:「那(あ)れは是(こ)れ烏巢禪師(うそうぜんじ)に非(あら)ずや!」三藏(さんぞう)は馬(うま)を縱(はな)ち鞭(むち)を加(くわ)えて、直(ただ)ちに樹(き)の下(した)に至(いた)る。
卻説(さて)那(そ)の禪師(ぜんじ)は他(かれ)の三眾(さんしゅ=三人)の前(まえ)に來(きた)るを見(み)て、即(すなわ)ち便(すぐ)に巢穴(そうけつ=巣)を離(はな)れ、樹(き)を跳(と)び下(お)り來(きた)る。三藏(さんぞう)は馬(うま)を下(お)りて奉拜(ほうはい=拝礼)すれば、那(そ)の禪師(ぜんじ)は手(て)を用(もち)いて攙(たす)けて道(いわ)く:「聖僧(しょうそう)、請(こ)う起(た)て。失迎(しつげい=お出迎えできず)、失迎(しつげい)。」八戒(はっかい)道(いわ)く:「老禪師(ろうぜんじ)、作揖(さゆう=挨拶)す。」禪師(ぜんじ)は驚(おどろ)きて問(と)うて道(いわ)く:「你(おまえ)は是(こ)れ福陵山(ふくりょうざん)の豬剛鬣(ちょごうりょう)なるが、怎麼(どう)して此(こ)の大緣(だいえん=大いなる縁)有(あ)りて、聖僧(しょうそう)と與(とも)に同行(どうこう)するを得(え)たるか?」八戒(はっかい)道(いわ)く:「前年(おととし)觀音菩薩(かんのんぼさつ)の善(ぜん)に勸(すす)められるを蒙(こうむ)り、願(ねが)わくは他(かれ)に隨(したが)いて個(ひとつ)の徒弟(とてい=弟子)と做(な)らんとす。」禪師(ぜんじ)は大喜(たいき=大いに喜ん)で道(いわ)く:「好(よ)し、好(よ)し、好(よ)し!」又(また)行者(ぎょうじゃ)を指(さ)し定(さだ)めて、問(と)うて道(いわ)く:「此(こ)の位(ひとり)は是(こ)れ誰(たれ)なるか?」行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って道(いわ)く:「這(こ)の老禪(ろうぜん)は怎麼(どう)して他(かれ)を認(みと)め得(え)て、倒(かえ)って我(われ)を認(みと)めざるか?」禪師(ぜんじ)道(いわ)く:「少(すくな)く識(し)れるに因(よ)るのみ。」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「他(かれ)は是(こ)れ我(わ)が大徒弟(だいとてい=一番弟子)の孫悟空(そんごくう)なり。」禪師(ぜんじ)は笑(わら)いを陪(ともな=添え)えて道(いわ)く:「欠礼(けれい=失礼)、欠礼(けれい)。」

三藏(さんぞう)は再(ふたた)び拜(おが)みて、請(こ)うて問(と)う、西天(さいてん)の大雷音寺(だいらいおんじ)は還(な)お那裏(どこ)に在(あ)るかと。禪師(ぜんじ)道(いわ)く:「遠(とお)い!遠(とお)い!只(た)だ是(こ)れ路(みち)に虎豹(こひょう=虎や豹)多(おお)く、行(ゆ)き難(がた)し。」三藏(さんぞう)は殷勤(いんぎん=懇ろ)に意(い)を致(いた)し、再(ふたた)び問(と)う:「路途(ろと=道のり)は果(はた)して多少(どれほど)の遠(とお)さ有(あ)るか?」禪師(ぜんじ)道(いわ)く:「路途(ろと)は遠(とお)けれど、終(つい)に須(すべから)く到(いた)るの日(ひ)有(あ)るべし、卻(かえ)って只(た)だ是(こ)れ魔瘴(ましょう=魔の障り)の消(け)し難(がた)きのみ。我(われ)に《多心經(たしんぎょう)》一卷(ひとまき)有(あ)り、凡(およ)そ五十四句(ごじゅうよんく)、共計(きょうけい=合計)して二百七十字(にひゃくななじゅうじ)なり。若(も)し魔瘴(ましょう)之處(ところ)に遇(あ)わば、但(た)だ此(こ)の經(きょう)を念(ねん=唱え)ぜば、自(おの)ずから傷害(しょうがい)無(な)からん。」三藏(さんぞう)は地(ち)に拜伏(はいふく=伏し拝み)して懇(ねんご)ろに求(もと)め、那(そ)の禪師(ぜんじ)は遂(つい)に口(くち)に誦(ず)して之(これ)を傳(つた)う。經(きょう)に云(いわ)く:

「《摩訶般若波羅蜜多心經(まかはんにゃはらみったしんぎょう)》。
觀自在菩薩(かんじざいぼさつ)、深(ふか)き般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)を行(おこな)いし時(とき)、五蘊(ごうん)皆空(かいくう)なるを照見(しょうけん)し、一切(いっさい)の苦厄(くやく)を度(ど=済度)したまう。
舍利子(しゃりし)、色(しき)は空(くう)に異(こと)ならず、空(くう)は色(しき)に異(こと)ならず;色(しき)即(すなわ)ち是(こ)れ空(くう)、空(くう)即(すなわ)ち是(こ)れ色(しき)。受(じゅ)想(そう)行(ぎょう)識(しき)も、亦(ま)た復(ま)た是(か)くの如(ごと)し。
舍利子(しゃりし)、是(こ)れ諸法(しょほう)の空相(くうそう)にして、生(しょう)ぜず滅(めっ)せず、垢(く)ならず淨(きよ)ならず、増(ぞう)せず減(げん)ぜず。
是(こ)の故(ゆえ)に空(くう)の中(なか)には色(しき)無(な)く、受想行識(じゅそうぎょうしき)無(な)く、眼耳鼻舌身意(げんにびぜっしんい)無(な)く、色聲香味觸法(しきしょうこうみそくほう)無(な)く、眼界(がんかい)無(な)く、乃(すなわ)ち至(いた)る無意識界(むいしきかい)無(な)く、無明(むみょう)無(な)く、亦(ま)た無明(むみょう)の尽(つ)きること無(な)し。乃(すなわ)ち至(いた)る老死(ろうし)無(な)く、亦(ま)た老死(ろうし)の尽(つ)きること無(な)し。苦(く)寂滅道(じゃくめつどう)無(な)く、智(ち)も亦(ま)た得(とく)無(な)し。
無所得(むしょとく)なるを以(もっ)ての故(ゆえ)に、菩提薩埵(ぼだいさった)は、般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)に依(よ)るが故(ゆえ)に、心(こころ)に掛礙(けげ=執着)無(な)し;掛礙(けげ)無(な)きが故(ゆえ)に、恐怖(くふ)の有(あ)ること無(な)し;顛倒夢想(てんどうむそう)を遠(とお)く離(はな)れ、究竟涅槃(くきょうねはん)す。三世(さんぜ)の諸佛(しょぶつ)、般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)に依(よ)るが故(ゆえ)に、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)たまう。
故(ゆえ)に般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)は、是(こ)れ大神呪(だいじんしゅ)、是(こ)れ大明呪(だいみょうしゅ)、是(こ)れ無上呪(むじょうしゅ)、是(こ)れ無等等呪(むとうどうしゅ)にして、能(よ)く一切(いっさい)の苦(くるしみ)を除(のぞ)き、真実(しんじつ)にして虚(むな)しからずと知(し)るべし。
故(ゆえ)に般若波羅蜜多呪(はんにゃはらみったしゅ)を說(と)く、即(すなわ)ち呪(しゅ)を說(と)いて曰(いわ)く:『掲諦(ぎゃてい)!掲諦(ぎゃてい)!波羅掲諦(はらぎゃてい)!波羅僧掲諦(はらそうぎゃてい)!菩提薩婆訶(ぼだいそわか)!』」

此(こ)の時(とき)唐朝(とうちょう)の法師(ほうし)は本(もと)根源(こんげん=素地)有(あ)りて、耳(みみ)に一遍(ひとわたり)の《多心經(たしんぎょう)》を聞(き)いて、即(すなわ)ち能(よ)く記憶(きおく)し、今(いま)に至(いた)るまで世(よ)に傳(つた)わる。此(こ)れは乃(すなわ)ち修真(しゅうしん=真理を修める)之總經(そうきょう=総括の経)、作佛(さぶつ=仏となる)之会門(えもん=入り口)なり。

那(そ)の禪師(ぜんじ)は經文(きょうもん)を傳(つた)えて、雲光(うんこう=雲の光)を踏(ふ)みて、烏巢(うそう=黒い巣)に上(のぼ)りて去(ゆ)かんとせしに;三藏(さんぞう)に又(また)扯(ひ)き住(とど)められて奉告(ほうこく=申し上げ)、定(きっ)と個(ひとつ)の西(にし)に去(ゆ)く路程(ろてい=道のり)の端的(てんてき=詳細)を問(と)わんと要(もと)む。那(そ)の禪師(ぜんじ)は笑(わら)って云(いわ)く:「道路(みち)は行(ゆ)き難(がた)からず、試(こころ)みに我(わ)が吩咐(いいつけ=申し付け)を聽(き)け:千(ち)の山(やま)千(ち)の水(みず)深(ふか)く、瘴(しょう=瘴気)多(おお)く魔(ま)多(おお)き處(ところ)。若(も)し天(てん)に接(せっ)する崖(がけ)に遇(あ)わば、心(こころ)を放(ゆる)めて恐怖(くふ=恐れ)を休(や)めよ。摩耳巖(まじがん)に行(ゆ)き來(きた)らば、脚(あし)を側(かたむ)けて蹤步(しょうほ=歩み)せよ。黑松林(こくしょうりん)を仔細(しさい=用心)せよ、妖狐(ようこ=妖狐)の路(みち)を截(さえぎ)ること多(おお)し。精靈(せいれい)は国城(こくじょう=国の城)に満(み)ち、魔主(ましゅ=魔の主)は山(やま)に盈(み)ちて住(す)む。老虎(ろうこ=虎)は琴堂(きんどう=役所)に坐(ざ)し、蒼狼(そうろう=灰色の狼)は主簿(しゅぼ=書記)と為(な)る。獅象(しぞう=獅子と象)は尽(ことごと)く王(おう)と称(とな)え、虎豹(こひょう)は皆(みな)御(ぎょ=従者)と作(な)る。野豬(やちょ=猪)は担子(たんす=荷)を挑(かつ)ぎ、水怪(すいかい=水の妖怪)は前(まえ)頭(ほとり)に遇(あ)わん。多年(たねん)の老石猴(ろうせきこう=老いた石猿)は、那裏(あそこ)に嗔怒(しんど=怒り)を懐(いだ)く。你(おまえ)彼(かれ)の相識(そうしき=知り合い)に問(と)え、他(かれ)は西(にし)に去(ゆ)く路(みち)を知(し)る。」

行者(ぎょうじゃ)は言(げん)を聞(き)きて、冷笑(れいしょう=あざわらい)して道(いわ)く:「我(われ)らが去(ゆ)くに、彼(かれ)に問(と)うを必(かなら)ずとせず、我(われ)に問(と)えば便(すなわ)ち了(おわ)る。」三藏(さんぞう)は還(な)お其(そ)の意(い)を解(げ)せず。那(そ)の禪師(ぜんじ)は金光(きんこう=金色の光)と化(か)し、徑(ただ)ちに烏巢(うそう)に上(のぼ)りて去(ゆ)く。長老(ちょうろう)は上(かみ)に向(むか)いて拜(おが)みて謝(しゃ)す。行者(ぎょうじゃ)は心(こころ)の中(うち)に大怒(だいど=大いに怒り)、鐵棒(てつぼう)を舉(あ)げて上(かみ)を望(のぞ)みて亂(みだ)りに搗(つ)けば、只(ただ)見(み)る蓮花(れんげ)の万朵(ばんだ=万の花)を生(しょう)じ、祥霧(しょうむ=めでたい霧)の千層(せんそう=幾千重)を護(まも)るを。行者(ぎょうじゃ)に縦(たと)い海(うみ)を攪(みだ)し江(かわ)を翻(ひるがえ)すの力(ちから)有(あ)るも、烏巢(うそう)が一縷(いちる=ひとすじ)の藤(つる)を挽(ひ)き著(あつ)るるを想(おも)う莫(なか)れ。

三藏(さんぞう)は見(み)て、行者(ぎょうじゃ)を扯(ひ)き住(とど)めて道(いわ)く:「悟空(ごくう)、這様(このよう)なる一個(ひとり)の菩薩(ぼさつ)なるに、你(おまえ)は他(かれ)が窩巢(かそう=巣)を搗(つ)いて怎麼(どう)するか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「他(かれ)は我(われ)ら兄弟(きょうだい)二(ふた)人(り)を一場(ひとしきり)罵(ののし)りて去(さ)ったり。」三藏(さんぞう)道(いわ)く:「他(かれ)が講(こう=語)じたる西天(さいてん)の路徑(ろけい=道筋)は、何(いず)れか嘗(かつ)て你(おまえ)を罵(ののし)れるか?」行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く:「你(おまえ)那裏(どう)で暁(さと)らんや?他(かれ)が『野豬(やちょ)は担子(たんす)を挑(かつ)ぐ』と說(い)えるは、是(こ)れ八戒(はっかい)を罵(ののし)れるなり;『多年(たねん)の老石猴(ろうせきこう)』は是(こ)れ老孫(ろうそん)を罵(ののし)れるなり。你(おまえ)は怎麼(どう)して此(こ)の意(い)を解(げ)せんか?」

八戒(はっかい)道(いわ)く:「師兄(しけい=兄者)、怒(いかり)を息(いき=鎮め)よ。這(こ)の禪師(ぜんじ)も也(ま)た過去未來(かこみらい)之事(こと)を暁(さと)れるが、但(た)だ他(かれ)が『水怪(すいかい)の前(まえ)頭(ほとり)に遇(あ)わん』の這(こ)の句(ひとこと)の話(ことば)の、験(あらわ)れるか否(いな)やを知(し)らず。彼(かれ)を饒(ゆる)して去(ゆ)かしめよ。」行者(ぎょうじゃ)は蓮花(れんげ)祥霧(しょうむ)の那(あ)の巢(す)の邊(ほとり)に近(ちか)きを見(み)て、只(た)だ已(や)むを得(え)ず師父(しふ)を請(しょう)じて馬(うま)に上(のぼ)らしめ、山(やま)を下(お)りて西(にし)に往(ゆ)きて去(ゆ)く。那(そ)の一(ひと)たび去(ゆ)けば:

「管教(きっと)清福(せいふく=清い福)の人間(にんげん)に少(すくな)きを、
致(いた)して災魔(さいま=災いの魔)の山(やま)の裏(うち)に多(おお)からしむ。」

畢竟(ついに)前程(ぜんてい=前途)の端的(てんてき=詳細)の如何(いかん)を知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい=次の回)の分解(ぶんかい=説明)を聽(き)け。