さて、あの五十(ごじゅう)の敗残(はいざん)の小妖(こよう)どもは、破(やぶ)れた旗(はた)や破(やぶ)れた鼓(つづみ)を手(て)にして洞(ほら)の中(なか)へと駆(か)け込(こ)み、注進(ちゅうしん)して言(い)うには、「大王(だいおう)、虎先鋒(こせんぽう)はあの毛顔(けがお)の和尚(おしょう)に敵(かな)わず、東山(とうざん)の坡(つづら)へと追(お)い下(お)られてしまいました」と。老妖(ろうよう)はこれを聞(き)いて、たいそう煩悶(はんもん)した。ちょうど項垂(うなだ)れて物(もの)も言(い)わず、黙(だま)って計略(けいりゃく)を思案(しあん)しておると、また前門(ぜんもん)を守(まも)る小妖(こよう)が来(き)て言(い)うには、「大王(だいおう)、虎先鋒(こせんぽう)はあの毛顔(けがお)の和尚(おしょう)に打(う)ち殺(ころ)され、門(もん)の前(まえ)に引(ひ)きずられて罵(ののし)り戦(たたか)いを挑(いど)んでおります」と。
かの老妖(ろうよう)はこれを聞(き)き、いよいよ煩悶(はんもん)して言(い)った。「この輩(やから)はまことに無知(むち)なり。我(われ)はいまだその師父(しふ)を食(く)らわぬというに、かえって我(わ)が家(いえ)の先鋒(せんぽう)を打(う)ち殺(ころ)すとは。恨(うら)めしい、恨(うら)めしい」そして叫(さけ)んだ。「披挂(ひがい=よろいかぶと)を持(も)て。我(われ)もただ何(なに)やら孫行者(そんぎょうじゃ)という者(もの)の噂(うわさ)を聞(き)いたばかり。出(で)ていって、どのような九頭八尾(きゅうとうはちび)の和尚(おしょう)か見(み)てとり、引(ひ)っ捕(と)らえて我(わ)が虎先鋒(こせんぽう)の仇(あだ)をとらん」と。
衆(しゅう)の小妖(こよう)どもは急(いそ)ぎ急(いそ)ぎ披挂(ひがい)を抬(かつ)ぎ出(だ)した。老妖(ろうよう)は結束(けっそく)して整齐(せいせい)ととのえ、一杆(いっかん)の三股鋼叉(さんここうさ)を綽(ひっさ)げ、群妖(ぐんよう)を帥(ひき)いて本洞(ほんどう)を跳(と)び出(で)た。かの大聖(たいせい)は門(もん)の外(そと)に停立(ていりつ)しておると、かの妖(よう)の走(はし)り出(で)てくるのを見(み)れば、いかにも驍勇(ぎょうゆう)であった。彼(かれ)のいかなる扮装(ふんそう)をなすかを見(み)よ。
金盔(きんかい)は日(ひ)に晃(きらめ)き、金甲(きんこう)は光(ひかり)を凝(こ)らす。
盔(かぶと)の上(うえ)の纓(えい)には山雉(やまきじ)の尾(お)が飄(ひるがえ)り、羅袍(らほう)は甲(よろい)を罩(おお)いて淡(あわ)き鵝黄(がおう)。
勒甲(ろくこう)の絛(ひも)は龍(りゅう)を盤(めぐ)らして彩(いろ)を耀(かがや)かし、護心鏡(ごしんきょう)は眼(め)を繞(めぐ)りて輝煌(きこう)たり。
鹿皮(ろくひ)の靴(くつ)は槐花(かいか)の染(そ)め色(いろ)、錦(にしき)の囲裙(いきん)は柳葉(りゅうよう)の絨(け)の妝(かざ)り。
手(て)に持(も)つ三股(さんこ)の鋼叉(こうさ)は利(するど)く、当年(とうねん)の顕聖郎(けんせいろう)に亜(おと)らず。
かの老妖(ろうよう)は門(もん)を出(で)てくるや、厳(おごそ)かな声(こえ)を張(は)り上(あ)げて叫(さけ)んだ。「そこの孫行者(そんぎょうじゃ)とは誰(だれ)じゃ」これを聞(き)いて、かの行者(ぎょうじゃ)は虎怪(こかい)の皮囊(ひのう=なきがら)を脚(あし)で躧(ふ)みつけ、如意(にょい)の鉄棒(てつぼう)を手(て)に執(と)って答(こた)えた。「汝(なんじ)が孫(そん)の外公(がいこう=母方の祖父)ここに在(あ)り、我(わ)が師父(しふ)を送(おく)り出(だ)せ」と。
かの怪(あやかし)は仔細(しさい)に観察(かんさつ)して、行者(ぎょうじゃ)の身軀(しんく)の鄙猥(ひわい=いやしくみすぼらし)く、面容(めんよう)の羸痩(るいそう=やせこ)けて、四尺(よんしゃく)にも満(み)たぬのを見(み)て、笑(わら)って言(い)った。「哀(あわ)れなるかな、哀(あわ)れなるかな。我(われ)はどれほどの引(ひ)き倒(たお)されぬ好漢(こうかん)かと思(おも)うたに、元来(がんらい)これほどの髑髏(しゃれこうべ)の病鬼(びょうき)であったか」と。
行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「汝(なんじ)というこの息子(むすこ)め、まことに眼色(がんしょく=目の分別)が無(な)い。汝(なんじ)が外公(がいこう)は小(ちい)さけれど、もし願(ねが)うて頭(あたま)を照(てら)して一叉柄(いっさへい)打(う)ってくれるなら、すなわち三尺(さんじゃく)伸(の)びよう」と。かの怪(あやかし)が言(い)うには、「汝(なんじ)頭(あたま)を硬(かた)くして、吾(われ)が一柄(いっぺい)を食(く)らえ」と。大聖(たいせい)は公然(こうぜん)として懼(おそ)れなかった。
かの怪(あやかし)は果(はた)して一(ひと)つ打(う)ち下(お)ろしてきたが、彼(かれ)は腰(こし)を一(ひと)つ躬(かが)めると、足(た)して三尺(さんじゃく)伸(の)び、一丈(いちじょう)の長短(ちょうたん)となった。慌(あわ)てたのはかの妖(よう)で、鋼叉(こうさ)を按住(おさ)えつけて喝(かつ)した。「孫行者(そんぎょうじゃ)、汝(なんじ)どうしてこの護身(ごしん)の変化(へんげ)の法(ほう)を、我(わ)が門前(もんぜん)に持(も)ち来(きた)って使喚(しかん=使い)するか。虚頭(きょとう=見せかけ)を弄(ろう)するな。上(うえ)に来(き)たれ、我(われ)汝(なんじ)と手段(しゅだん)を見(み)せ合(あ)わん」と。
行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「息子(むすこ)よ。常言(じょうげん)に道(い)う、情(なさけ)を留(とど)むれば手(て)を挙(あ)げず、手(て)を挙(あ)げれば情(なさけ)を留(とど)めず、と。汝(なんじ)が外公(がいこう)の手(て)は重重(じゅうじゅう)と重(おも)いゆえ、ただ汝(なんじ)がこの一棒(いちぼう)を捱(こら)えきれぬことを怕(おそ)れるのみじゃ」と。
かの怪(あやかし)は分説(ぶんせつ)を容(い)れず、鋼叉(こうさ)を拈転(ねんてん=ひねりかえ)して、行者(ぎょうじゃ)を望(めが)けて当胸(とうきょう=胸の真ん中)めがけてすなわち刺(さ)した。この大聖(たいせい)はまさに会家(かいか=手練れ)は忙(いそ)がず、忙家(ぼうか=未熟者)は会(かい)せず、というもので、鉄棒(てつぼう)を理開(りかい=さばきひら)いて、一(ひと)つの「烏龍掠地(うりょうりょうち)の勢(せい)」を使(つか)い、鋼叉(こうさ)を撥(は)き開(ひら)き、また頭(あたま)を照(てら)してすなわち打(う)った。彼(かれ)の二人(ふたり)はかの黄風洞(こうふうどう)の前(まえ)で、この一場(いちば)の好(よ)き戦(たたか)いをした。
妖王(ようおう)は怒(いか)りを発(はっ)し、大聖(たいせい)は威(い)を施(ほどこ)す。
妖王(ようおう)の怒(いか)りを発(はっ)するは、行者(ぎょうじゃ)を拿(とら)えて先鋒(せんぽう)に抵(あだ)てんと欲(ほっ)すればなり。
大聖(たいせい)の威(い)を施(ほどこ)すは、精霊(せいれい)を捉(とら)えて長老(ちょうろう)を救(すく)わんと欲(ほっ)すればなり。
叉(さ)来(きた)れば棒(ぼう)架(う)け、棒(ぼう)去(ゆ)けば叉(さ)迎(むか)う。
一(ひと)つはこれ鎮山(ちんざん)の都総帥(とそうすい)、一(ひと)つはこれ護法(ごほう)の美猴王(びこうおう)。
初(はじ)めはなお塵埃(じんあい)に在(あ)って戦(たたか)い、後(のち)には各(おのおの)中央(ちゅうおう)に起(た)つ。
点鋼叉(てんこうさ)は尖(せん)明(あき)らかに鋭利(えいり)、如意棒(にょいぼう)は身(み)黒(くろ)く箍(たが)黄(き)なり。
戳(つ)かれたるは魂(たましい)冥府(めいふ)に帰(き)し、打(う)たれたるは定(かなら)ず閻王(えんおう)に見(まみ)ゆ。
全(まった)く手疾(しゅしつ)眼快(がんかい)に憑(よ)り、必(かなら)ず力壮身彊(りきそうしんきょう)を要(よう)す。
両家(りょうけ)は死(し)を捨(す)て生(せい)を忘(わす)れて戦(たたか)うも、いずれが平安(へいあん)でいずれが傷(きず)つくかを知(し)らず。
かの老妖(ろうよう)と大聖(たいせい)は三十回合(さんじゅうがっすう)闘(たたか)うも、勝敗(しょうはい)を分(わ)かたなかった。ここに行者(ぎょうじゃ)は功績(こうせき)を見(み)せんと欲(ほっ)し、一(ひと)つの「身外身(しんがいしん)」の手段(しゅだん)を使(つか)った。すなわち毫毛(ごうもう)を一把(いちわ)揪(むし)り取(と)り、口(くち)で嚼(か)みて粉砕(ふんさい)し、上(うえ)に望(むか)って一(ひと)つ噴(ふ)きかけ、声(こえ)をあげて「変(へん)じろ」と叫(さけ)んだ。すると百十(ひゃくじゅう)ばかりの行者(ぎょうじゃ)に変(へん)じ、みな同(おな)じ扮装(ふんそう)で、おのおの一本(いっぽん)の鉄棒(てつぼう)を執(と)り、かの怪(あやかし)を空(そら)の中(なか)に囲(かこ)んだ。
かの怪(あやかし)は懼(おそ)れをなして、また一般(いっぱん)の本事(ほんじ)を使(つか)った。急(いそ)ぎ頭(あたま)を回(めぐ)らせ、巽地(そんち)の上(うえ)に向(むか)って口(くち)を三度(さんど)張(ひら)き、嘑(ふっ)と一口(ひとくち)の気(いき)を吹(ふ)き出(だ)した。忽然(こつぜん)として、一陣(いちじん)の黄風(こうふう)が、空(そら)より刮(ふ)き起(お)こった。好(よ)き風(かぜ)かな、まことに利害(りがい=すさまじ)い。
冷冷颼颼(れいれいしゅうしゅう)として天地(てんち)変(か)わり、
無影無形(むえいむけい)に黄沙(こうさ)旋(めぐ)る。
林(はやし)を穿(うが)ち嶺(みね)を折(お)って松梅(しょうばい)を倒(たお)し、
土(つち)を播(ま)き塵(ちり)を揚(あ)げて嶺坫(れいてん)を崩(くず)す。
黄河(こうが)の浪(なみ)は潑(そそ)がれて底(そこ)まで徹(てっ)して濁(にご)り、
湘江(しょうこう)の水(みず)は涌(わ)いて波(なみ)を翻(ひるがえ)しつつ転(めぐ)る。
碧天(へきてん)は振動(しんどう)して斗牛宮(とぎゅうきゅう)を揺(ゆ)るがし、
些(すこ)しあやうく森羅殿(しんらでん)をも刮(ふ)き倒(たお)さんばかり。
五百(ごひゃく)の羅漢(らかん)は天(てん)に騷(さわ)ぎ喧(かまびす)しく、
八大(はちだい)の金剛(こんごう)は齊(ひと)しく嚷(わめ)き乱(みだ)る。
文殊(もんじゅ)は青毛獅(せいもうし)を走(にが)してしまい、
普賢(ふげん)の白象(びゃくぞう)も尋(たず)ね見(み)いだし難(がた)し。
真武(しんぶ)の亀蛇(きだ)は群(むれ)を失(うしな)い、
梓橦(しどう)の騾子(らし)は其(そ)の韂(あおがい)を飄(ひるが)らす。
行商(ぎょうしょう)は喊(さけ)び叫(さけ)んで蒼天(そうてん)に告(つ)げ、
梢公(しょうこう)は拝(おが)みて諸般(しょはん)の願(がん)を許(ゆる)す。
煙波(えんぱ)の性命(せいめい)は浪(なみ)の中(なか)に流(なが)れ、
名利(みょうり)の残生(ざんせい)は水(みず)に随(したが)って弁(わか)つ。
仙山(せんざん)洞府(どうふ)は黒攸攸(こくゆうゆう)としてくらく、
海島(かいとう)蓬莱(ほうらい)は昏暗暗(こんあんあん)としてやみたり。
老君(ろうくん)は煉丹炉(れんたんろ)を顧(かえり)みるに難(かた)く、
寿星(じゅせい)は龍鬚扇(りゅうしゅせん)を収(おさ)めてしまった。
王母(おうぼ)はまさに蟠桃(ばんとう)に赴(おもむ)かんとするを、
一風(いっぷう)吹(ふ)きて裙腰(くんよう)の釧(くしろ)を断(た)ち切(き)った。
二郎(じろう)は灌州城(かんしゅうじょう)に迷失(めいしつ)し、
哪吒(なた)は匣中(こうちゅう)の剣(つるぎ)を取(と)るに難(かた)し。
天王(てんのう)は手心(しゅしん)の塔(とう)を見(み)ず、
魯班(ろはん)は金頭(きんとう)の鑽(のみ)を吊(つ)り落(お)とした。
雷音(らいおん)の宝闕(ほうけつ)は三層(さんそう)倒(たお)れ、
趙州(ちょうしゅう)の石橋(せっきょう)は両断(りょうだん)に崩(くず)れた。
一輪(いちりん)の紅日(こうじつ)は蕩(とろ)けて光(ひかり)無(な)く、
満天(まんてん)の星斗(せいと)は皆(みな)昏乱(こんらん)す。
南山(なんざん)の鳥(とり)は北山(ほくざん)に往(ゆ)きて飛(と)び、
東湖(とうこ)の水(みず)は西湖(せいこ)に向(むか)って漫(みなぎ)る。
雌雄(しゆう)は対(つい)を拆(ひきはな)されて相(あい)呼(よ)ばず、
子母(しぼ)は分離(ぶんり)して叫(よ)び喚(さけ)ぶに難(かた)し。
龍王(りゅうおう)は海(うみ)を遍(あまね)く夜叉(やしゃ)を找(さが)し、
雷公(らいこう)は到(いた)る処(ところ)に閃電(せんでん)を尋(たず)ぬ。
十代(じゅうだい)の閻王(えんおう)は判官(はんがん)を覓(もと)め、
地府(じふ)の牛頭(ごず)は馬面(めんめ)を追(お)う。
此(こ)の風(かぜ)は吹(ふ)きて普陀山(ふださん)に到(いた)り、
観音(かんのん)の経(きょう)一巻(いっかん)を巻(ま)き起(お)こした。
白蓮花(びゃくれんげ)は卸(お)ちて海辺(うみべ)に飛(と)び、
菩薩(ぼさつ)の十二院(じゅうにいん)を吹(ふ)き倒(たお)した。
盤古(ばんこ)より今(いま)に至(いた)るまで曾(かつ)て風(かぜ)を見(み)たれど、
此(こ)の風(かぜ)の不善(ふぜん)に来(きた)るに似(に)たるは無(な)し。
唿喇喇(こつらつらつ)、乾坤(けんこん)は険(あや)うく炸(さく)れ崩(くず)れ開(ひら)かんとして、
万里(ばんり)の江山(こうざん)は皆(みな)これ顫(ふる)えり。
かの妖怪(ようかい)はこの一陣(いちじん)の狂風(きょうふう)を使(つか)い出(だ)すや、すなわち孫大聖(そんたいせい)の毫毛(ごうもう)より変(へん)じた小行者(こぎょうじゃ)どもを刮(ふ)き飛(と)ばして半空(はんくう)の中(なか)に散(ち)らし、かの紡車(ぼうしゃ=糸車)の如(ごと)くに乱(みだ)れ転(まわ)らせたゆえ、棒(ぼう)を輪(めぐ)らすことなど思(おも)いもよらず、どうして身(み)を攏(あつ)めることができようか。慌(あわ)てたのは行者(ぎょうじゃ)で、毫毛(ごうもう)を一(ひと)つ抖(ふる)って身(み)の上(うえ)に収(おさ)め、独(ひと)り鉄棒(てつぼう)を挙(あ)げて前(まえ)に来(き)たって打(う)とうとしたが、またかの怪(あやかし)に劈臉(へきれん=顔面めがけて)と一口(ひとくち)の黄風(こうふう)を噴(ふ)きかけられ、両(りょう)つの火眼金睛(かがんきんせい)を刮(ふ)きつけられて緊緊(きんきん)と閉合(へいごう)し、開(ひら)くことができず、これによって鉄棒(てつぼう)を使(つか)うに難(かた)く、ついに敗(やぶ)れて陣(じん)を下(くだ)った。かの妖(よう)は風(かぜ)を収(おさ)めて洞(ほら)に回(かえ)ることは、しばらく措(お)いて語(かた)らぬ。
さて、猪八戒(ちょはっかい)はかの黄風(こうふう)の大(おお)いに作(おこ)り、天地(てんち)に光(ひかり)無(な)きを見(み)て、馬(うま)を牽(ひ)き、担(にないもの)を守(まも)り、山(やま)の凹(くぼ)みの間(あいだ)に伏(ふ)しておったが、あえて眼(め)を開(ひら)くことも、あえて頭(あたま)を上(あ)げることもせず、口(くち)の中(なか)で絶(た)えず念仏(ねんぶつ)し願(がん)を許(ゆる)しておった。また行者(ぎょうじゃ)の勝負(しょうぶ)のいかん、師父(しふ)の死活(しかつ)のいかんを知(し)らなかった。まさにかの疑(うたが)い思案(しあん)しておる時(とき)、早(はや)くも風(かぜ)は定(さだ)まり天(てん)は晴(は)れた。
忽(たちま)ち頭(あたま)を上(あ)げてかの洞門(どうもん)の前(まえ)を望(のぞ)み見(み)るに、また兵戈(へいか)も見(み)えず、鑼鼓(らこ)も聞(き)こえなかった。呆子(ほうし=八戒のあだ名)はあえてその門(もん)に上(のぼ)ることもできず、また馬匹(ばひつ)や行李(こうり)を看守(かんしゅ)する者(もの)もおらず、果(はた)して進退(しんたい)両難(りょうなん)で、愴惶(そうこう=おろおろ)として已(や)まなかった。
憂慮(ゆうりょ)の間(あいだ)、ただ孫大聖(そんたいせい)の西(にし)の方(ほう)より吆喝(ようかつ=わめき)しつつ来(く)るのが聞(き)こえたので、彼(かれ)はやっと身(み)を起(お)こして迎(むか)えて言(い)った。「兄貴(あにき)、えらい大風(おおかぜ)でしたな。そちらはどこから歩(ある)いて来(き)られました」と。行者(ぎょうじゃ)は手(て)を擺(ふ)って言(い)った。「利害(すさまじ)い、利害(すさまじ)い。我(わ)が老孫(ろうそん)は人(ひと)となってより、かつてこのような大風(おおかぜ)を見(み)たことがない。かの老妖(ろうよう)は一柄(いっぺい)の三股鋼叉(さんここうさ)を使(つか)って、来(き)たって老孫(ろうそん)と交戦(こうせん)した。三十余合(さんじゅうよごう)まで闘(たたか)うたが、是(これ)老孫(ろうそん)が一(ひと)つの身外身(しんがいしん)の本事(ほんじ)を使(つか)って、彼(かれ)を囲(かこ)んで打(う)とうとしたゆえ、彼(かれ)はたいそう焦(あせ)り、故(ゆえ)にこの一陣(いちじん)の風(かぜ)を弄(ろう)し出(だ)したのじゃ。果(はた)して凶悪(きょうあく)で、我(われ)を刮(ふ)きて立(た)つこともかなわず、本事(ほんじ)を収(おさ)めて風(かぜ)を冒(おか)して逃(に)げてきた。—うーむ、好(よ)き風(かぜ)かな。うーむ、好(よ)き風(かぜ)かな。老孫(ろうそん)もまた風(かぜ)を呼(よ)ぶことはできるし、雨(あめ)を喚(よ)ぶこともできるが、かつてこの妖精(ようせい)の風(かぜ)ほど悪(あ)しいのには似(に)ておらぬ」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「師兄(しけい)、かの妖精(ようせい)の武芸(ぶげい)はいかがでした」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「まあ見(み)られる程度(ていど)じゃ。叉法(さほう)はかえって整齐(せいせい)としておる。老孫(ろうそん)とも手(て)を平(たいら)かにして戦(たたか)うた。ただ風(かぜ)が悪(あ)しうて、赢(か)つに難(かた)いのじゃ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「これほどならどうして師父(しふ)を救(すく)い得(え)ましょう」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「師父(しふ)を救(すく)うことはしばらくまたの処置(しょち)として、ここに眼科(がんか)の先生(せんせい)がおるかどうか知(し)らぬ、まず彼(かれ)に我(わ)が眼(め)を医(い)し治(なお)してもらおう」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「そなたの眼(め)がどうしたのです」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「我(われ)はかの怪(あやかし)に一口(ひとくち)の風(かぜ)を噴(ふ)きかけられ、眼珠(がんしゅ=眼球)を吹(ふ)かれて酸痛(さんつう=ずきずき)し、この頃(ごろ)冷涙(れいるい)が常(つね)に流(なが)れるのじゃ」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、この半山(なかやま)の中(なか)で、天色(てんしょく=空模様)はまた晩(おそ)い。まして眼科(がんか)などと言(い)わずとも、宿(やど)る処(ところ)さえありませんぞ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「宿(やど)る処(ところ)を得(え)るのは難(むずか)しくない。我(われ)はかの妖精(ようせい)がなおあえて我(わ)が師父(しふ)を傷(きず)つけぬと料(はか)る。我(われ)らはまず大路(たいろ)に上(のぼ)り、人(ひと)の家(いえ)を尋(たず)ねて住(す)まい、この一宵(いっしょう)を過(す)ごし、明日(あす)の天光(てんこう=夜明け)にまた来(き)たって妖(よう)を降(くだ)そう」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「正(まさ)に然(しか)り、正(まさ)に然(しか)り」と。
彼(かれ)はすなわち馬(うま)を牽(ひ)き、担(に)を挑(にな)って、山(やま)の凹(くぼ)みを出(で)て、路(みち)の口(くち)へと上(のぼ)った。この時(とき)次第(しだい)に黄昏(たそがれ)となり、ただかの道(みち)の南(みなみ)の山坡(さんぱ)の下(した)に犬吠(いぬぼえ)の声(こえ)のあるのが聞(き)こえた。二人(ふたり)は身(み)を停(とど)めて観(み)るに、これ一家(いっか)の莊院(しょういん)で、影影(えいえい)として灯火(とうか)の光明(こうみょう)があった。彼(かれ)の二人(ふたり)は路(みち)の有無(うむ)をも顧(かえり)みず、草(くさ)を漫(わた)って歩(あゆ)み、ただちにかの家(いえ)の門首(もんしゅ=門の前)に至(いた)った。
紫芝(しし)は翳翳(えいえい)として茂(しげ)り、白石(はくせき)は蒼蒼(そうそう)として古(ふ)るし。
紫芝(しし)翳翳(えいえい)として青草(せいそう)多(おお)く、白石(はくせき)蒼蒼(そうそう)として半(なか)ば緑苔(りょくたい)。
数点(すうてん)の小蛍(こほたる)は光(ひかり)灼灼(しゃくしゃく)、一林(いちりん)の野樹(やじゅ)は密(みっ)と排排(はいばい)と並(なら)ぶ。
香蘭(こうらん)は馥郁(ふくいく)と匂(にお)い、嫩竹(どんちく)は新(あら)たに栽(う)えらる。
清泉(せいせん)は曲澗(きょくかん)に流(なが)れ、古柏(こはく)は深崖(しんがい)に倚(よ)る。
地(ち)の僻(へき)なるは更(さら)に遊客(ゆうかく)の到(いた)るも無(な)く、門前(もんぜん)に惟(ただ)野花(やか)の開(ひら)く有(あ)るのみ。
彼(かれ)の二人(ふたり)はあえて擅(ほしいまま)に入(い)らず、ただ一声(ひとこえ)叫(さけ)ぶほかなかった。「開門(かいもん)、門(もん)を開(ひら)け」と。
そこに一人(ひとり)の老者(ろうしゃ)がいて、幾人(いくにん)かの年幼(ねんよう)の農夫(のうふ)を帯(たい)し、叉(さ)や钯(は)や掃帚(そうちゅう=ほうき)を揃(そろ)えて共(とも)に来(き)たって、問(と)うて言(い)うには、「何(なん)の者(もの)か、何(なん)の者(もの)か」と。行者(ぎょうじゃ)は躬身(きゅうしん=からだをかがめ)して言(い)った。「我(われ)らは東土(とうど)大唐(だいとう)の聖僧(せいそう)の徒弟(とてい)で、西方(せいほう)に往(ゆ)きて仏(ほとけ)を拝(おが)み経(きょう)を求(もと)めんとて、この山(やま)を過(す)ぎしに、黄風大王(こうふうだいおう)に我(わ)が師父(しふ)を拿(とら)えられてしまいました。我(われ)らはまだこれを救(すく)い得(え)ておりませぬ。天色(てんしょく)は既(すで)に晩(おそ)うございますゆえ、特に府上(ふじょう=お宅)に来(き)たって一宵(いっしょう)を告借(こくしゃく=お借り)せんとし、万(よろず)望(のぞ)むらくは方便(ほうべん)方便(ほうべん)を」と。
かの老者(ろうしゃ)は礼(れい)に答(こた)えて言(い)った。「失迎(しつげい)、失迎(しつげい)。此間(このあたり)はこれ雲(くも)多(おお)く人(ひと)少(すくな)きの処(ところ)で、たった今(いま)門(もん)を叫(よ)ぶを聞(き)いたゆえ、恐(おそ)らくは妖狐(ようこ)や老虎(ろうこ)及び山中(さんちゅう)の強盗(ごうとう)等の類(たぐい)かと思(おも)い、これによって小介(しょうかい=召使いたち)の愚頑(ぐがん)なるが、多(おお)く衝撞(しょうどう=ぶしつけ)をなしたるは、二位(にい)の長老(ちょうろう)とは知(し)らぬゆえなり。請(こ)う、入(い)られよ、請(こ)う、入(い)られよ」と。
彼(かれ)の兄弟(けいてい)たちは馬(うま)を牽(ひ)き担(に)を挑(にな)って入(い)り、まっすぐ裡辺(うち)に至(いた)って、馬(うま)を拴(つな)ぎ担(に)を歇(やす)め、莊老(しょうろう)と拝見(はいけん)して叙坐(じょざ=座を共に)した。また蒼頭(そうとう=召使い)が茶(ちゃ)を献(けん)じ、茶(ちゃ)が罷(おわ)ると幾碗(いくわん)かの胡麻飯(ごまはん)を捧(ささ)げ出(だ)した。飯(めし)が畢(おわ)ると、鋪(しきもの)を設(もう)けて就寝(しゅうしん)せよと命(めい)じたが、行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「眠(ね)るのはまだよいとして、敢(あえ)て問(と)う、善人(ぜんにん)よ、貴地(きち)に眼薬(がんやく)を売(う)る者(もの)はおりますか」と。老者(ろうしゃ)が言(い)うには、「いずれの長老(ちょうろう)が眼(め)を患(わずら)っておられるのです」と。
行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「そなた様(さま)に瞞(あざむ)かずに申(もう)し上(あ)げると、我(われ)ら出家人(しゅっけにん)は、もとより病(やまい)無(な)く、かつて眼(め)を患(わずら)うということを知(し)りませぬ」と。老人(ろうじん)が言(い)うには、「既(すで)に眼(め)を患(わずら)わぬなら、どうして薬(くすり)を討(こう=求)うるのです」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「我(われ)らは今日(こんにち)黄風洞(こうふうどう)の前(まえ)で我(わ)が師父(しふ)を救(すく)わんとしたが、期(き)せずしてかの怪(あやかし)に一口(ひとくち)の風(かぜ)を噴(ふ)きかけられ、眼珠(がんしゅ)を吹(ふ)かれて酸痛(さんつう)しております。今(いま)些(いささ)か眼涙(がんるい)汪汪(おうおう)としておりますゆえ、これによって眼薬(がんやく)を尋(たず)ねとうございます」と。
かの老者(ろうしゃ)が言(い)うには、「善(ぜん)なるかな、善(ぜん)なるかな。そなたというこの長老(ちょうろう)は、小(ちい)さき年紀(ねんき)でありながら、どうして嘘(うそ)を言(い)われるか。かの黄風大聖(こうふうたいせい)の風(かぜ)は最(もっと)も利害(すさまじ)い。彼(かれ)がかの風(かぜ)は、何(なん)の春秋風(しゅんじゅうふう)や松竹風(しょうちくふう)とあの東西南北風(とうざいなんぼくふう)などとは比(くら)べものにならぬ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「想必(おそら)くは夾脳風(きょうのうふう)や羊耳風(ようじふう)や大麻風(だいまふう)や偏正頭風(へんせいずうふう)のことでしょうか」と。長者(ちょうじゃ)が言(い)うには、「然(しか)らず、然(しか)らず。彼(かれ)をば三昧神風(さんまいじんぷう)と名(な)づくる」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「どうしてそれと見(み)えます」と。老者(ろうしゃ)が言(い)うには、「かの風(かぜ)は、能(よ)く天地(てんち)の暗(くら)きを吹(ふ)き、善(よ)く鬼神(きじん)の愁(うれ)いを刮(ふ)き、石(いし)を裂(さ)き崖(がけ)を崩(くず)すに悪(あ)しく、人(ひと)を吹(ふ)けば命(いのち)即(すなわ)ち休(や)む。汝(なんじ)らもし彼(かれ)がかの風(かぜ)に遇(あ)うて吹(ふ)かれたならば、なおも活(い)きることを得(え)ようと思(おも)うておるのか。ただ神仙(しんせん)を除(のぞ)いてこそ、方(まさ)に無事(ぶじ)を得(え)るのみじゃ」と。
行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「果(はた)して然(しか)り、果(はた)して然(しか)り。我(われ)らは神仙(しんせん)ではないが、神仙(しんせん)ですら我(わ)が晩輩(ばんぱい=後輩)であるほどじゃ。この命(いのち)は急切(きゅうせつ=にわか)には休(や)み難(がた)いが、ただ眼珠(がんしゅ)を吹(ふ)かれて酸痛(さんつう)するのみじゃ」と。かの老者(ろうしゃ)が言(い)うには、「既(すで)にこのように言(い)うなら、これも一(ひと)つの来頭(らいとう=いわれ)ある人(ひと)じゃ。我(わ)がこの敝処(へいしょ=僻地)には眼薬(がんやく)を売(う)る者(もの)はおらぬが、老漢(ろうかん=この老いぼれ)も些(いささ)か迎風冷涙(げいふうれいるい)を患(わずら)い、曾(かつ)て異人(いじん)に遇(あ)うて一(ひと)つの方(ほう)を伝(つた)えられた。名(な)を三花九子膏(さんかきゅうしこう)と喚(よ)び、一切(いっさい)の風眼(ふうがん)を治(なお)すことができる」と。
行者(ぎょうじゃ)はこれを聞(き)いて、項垂(うなだ)れて唱喏(しょうじゃく=拝礼)して言(い)った。「願(ねが)わくば些(いささ)かを求(もと)め、点試(てんし=試しにさし)し、点試(てんし)しとうございます」と。かの老者(ろうしゃ)は応承(おうしょう)して、すなわち内(うち)へと歩(あゆ)み入(い)り、一(ひと)つの瑪瑙石(めのういし)の小罐児(こつぼ)を持(も)ち出(だ)して来(き)た。塞口(そくこう=栓)を抜(ぬ)き開(ひら)き、玉簪児(ぎょくしんじ=玉のかんざし)を用いて少許(しょうきょ)を蘸(ひた)し出(だ)して行者(ぎょうじゃ)に点(さ)し与(あた)え、彼(かれ)にあえて開(ひら)かず、心(こころ)を寧(やす)んじて睡(ねむ)るならば、明早(みょうそう=明朝)にはすなわち良(よ)くなるであろうと教(おし)えた。点(さ)し畢(おわ)ると、石罐(いしつぼ)を収(おさ)め、まっすぐ小介(しょうかい)たちを率(ひき)いて裡(うち)へと退(しりぞ)いた。
八戒(はっかい)は包袱(ほうふく=荷物包み)を解(と)き、鋪蓋(ほがい=寝具)を展(ひろ)げて、行者(ぎょうじゃ)に安置(あんち=休むこと)を請(こ)うた。行者(ぎょうじゃ)は眼(め)を閉(と)じたまま乱(みだ)りに摸(さぐ)ったので、八戒(はっかい)は笑(わら)って言(い)った。「先生(せんせい)、そなたの明杖児(めいじょうじ=盲人の杖)はどこですかな」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)というこの饢糟(のうそう=のろま)の呆子(ほうし)め。汝(なんじ)は我(われ)を世話(せわ)して瞎子(かっし=盲人)にするつもりか」と。かの呆子(ほうし)は啞啞(あくあく)として密(ひそ)かに笑(わら)いつつ睡(ねむ)った。行者(ぎょうじゃ)は鋪(しきもの)の上(うえ)に坐(ざ)して、神功(しんこう)を運転(うんてん=めぐら)し、三更(さんこう)の後(のち)に至(いた)るまで、ようやく睡(ねむ)りに就(つ)いた。
覚(おぼ)えずまた五更(ごこう)の暁(あかつき)に近(ちか)づき、行者(ぎょうじゃ)は顔(かお)を抹抹(まくまく=こすりこすり)して、眼(め)を開(ひら)いて言(い)った。「果(はた)して好(よ)き薬(くすり)かな。常(つね)に比(くら)べて更(さら)に百分(ひゃくぶん)の光明(こうみょう)が有(あ)る」と。すると頭(あたま)を転(めぐ)らせて後辺(うしろ)の方(ほう)を望望(のぞ)み見(み)るに、ああ、そこに何(なん)の房舎(ぼうしゃ)や窓門(そうもん)があろうか、ただ些(いささ)かの老槐(ろうかい=古いえんじゅ)や高柳(こうりゅう=高いやなぎ)が見(み)えるばかりで、兄弟(けいてい)たちは皆(みな)かの緑莎茵(りょくさいん=緑の芝のじゅうたん)の上(うえ)に睡(ねむ)っておった。
かの八戒(はっかい)が醒(さ)めて言(い)うには、「兄貴(あにき)、そちらはどうして嚷(さわ)ぐのです」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)、眼(め)を開(ひら)いて見(み)てみよ」と。呆子(ほうし)は忽(たちま)ち頭(あたま)を上(あ)げ、人家(じんか)の無(な)いのを見(み)て、慌(あわ)てて一轂轆(いっこくろく=ころりと)這(は)い起(お)き上(あ)がって言(い)った。「我(わ)が馬(うま)はどこだ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「樹(き)の上(うえ)に拴(つな)いでおるのはそれでないか」と。—「行李(こうり)はどうした」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)が頭(あたま)の辺(ほとり)に置(お)いてあるのはそれでないか」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「この家(いえ)の者(もの)は憊懶(びらん=ずぼら)な奴(やつ)らじゃ。彼(かれ)らは引(ひ)っ越(こ)してしまったが、どうして我(われ)らに一声(ひとこえ)も叫(よ)んでくれなかったのか。老猪(ろうちょ=この豚野郎)にも通(つう)じて知(し)らせてくれたなら、お前(まえ)に茶果(ちゃか=茶菓子)を些(いささ)か送(おく)ってやれたものを。思(おも)うに戸籍(こせき)を避(さ)けておる者(もの)で、里長(りちょう=村の役人)に知(し)れるのを恐(おそ)れ、それゆえ夜(よる)を徹(てっ)して引(ひ)っ越(こ)したのであろう。うーむ、我(われ)らもまことに睡(ねむ)り死(し)んでおったものよ。どうして彼(かれ)が家(いえ)を拆(こわ)すのに、響(ひび)きもまた響(ひび)きとして聞(き)こえなかったのか」と。行者(ぎょうじゃ)は吸吸(きゅうきゅう=すくすく)と笑(わら)って言(い)った。「呆子(ほうし)よ、乱(みだ)りに嚷(わめ)くな。汝(なんじ)、あの樹(き)の上(うえ)にあるのは何(なん)の紙帖児(しじょうじ=紙切れ)かを見(み)よ」と。八戒(はっかい)は前(まえ)へと歩(あゆ)み寄(よ)り、手(て)を用いてそれを掲(めく)り取(と)ったが、元来(がんらい)その上面(うわつら)には四句(よんく)の頌子(じゅす=偈頌)があって云(い)わく。
莊居(しょうきょ)は是(こ)れ俗人(ぞくにん)の居(きょ)に非(あら)ず、
護法伽藍(ごほうがらん)の点化(てんげ)の廬(いおり)なり。
妙薬(みょうやく)は君(きみ)に与(あた)えて眼痛(がんつう)を医(い)し、
心(こころ)を尽(つく)して怪(あやかし)を降(くだ)せ、踌躇(ちゅうちょ)すること莫(なか)れ。
行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「この強神(ごうしん=強力な神)どもめ、龍馬(りゅうば)を換(か)えてより、一向(ひたすら)に曾(かつ)て彼(かれ)らを点(てん=点呼)せなんだに、彼(かれ)らはかえってまた来(き)たって虚頭(きょとう=見せかけ)を弄(ろう)しておる」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、架子(かし=威張った物言い)を扯(ひ)き廻(まわ)すな。彼(かれ)らがどうして汝(なんじ)の点札(てんさつ=点呼)に伏(したが)ろうか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「兄弟(けいてい)よ、汝(なんじ)はなお知(し)らぬのか。この護教伽藍(ごきょうがらん)や六丁六甲(りくていりっこう)、五方掲諦(ごほうげったい)、四値功曹(よんちくさ)などは、菩薩(ぼさつ)の法旨(ほうし)を奉(ほう)じて密(ひそ)かに我(わ)が師父(しふ)を保(まも)る者(もの)たちじゃ。あの日(ひ)名(な)を報(ほう)じてより、ただこのところ汝(なんじ)がおるようになって、また彼(かれ)らを用(もち)いなんだゆえ、曾(かつ)て点札(てんさつ)せなんだまでのことじゃ」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、彼(かれ)らは既(すで)に法旨(ほうし)を奉(ほう)じて密(ひそ)かに師父(しふ)を保(まも)るゆえ、身(み)を現(あらわ)して明(あきら)かに顕(あらわ)れることができず、これによって仙莊(せんしょう)を点化(てんげ)したのじゃ。彼(かれ)らを怪(あや)しむな。昨日(きのう)もまた彼(かれ)が汝(なんじ)に眼(め)を点(さ)してくれた恩(おん)があり、また彼(かれ)が我(われ)らに一頓(いっとん)の斎飯(さいはん)を管(かん=世話)してくれた恩(おん)もあり、また尽心(じんしん)と言(い)うべきかな。彼(かれ)らを怪(あや)しむな。我(われ)らはまず師父(しふ)を救(すく)いに往(ゆ)こう」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「兄弟(けいてい)の言(い)うところは正(まさ)に然(しか)り。この処(ところ)からかの黄風洞(こうふうどう)の前(まえ)までは遠(とお)くない。汝(なんじ)はしばらく身(み)を動(うごか)さず、ただ林(はやし)の中(なか)に在(あ)って馬(うま)を見(み)て担(に)を守(まも)れ。老孫(ろうそん)が洞(ほら)の中(なか)へと往(ゆ)きて打聴(うちさぐ=探り)し、師父(しふ)の下落(いずこ)を見(み)とどけ、しかる後に彼(かれ)と争戦(そうせん)しよう」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「正(まさ)にこの通(とお)りです。死活(しかつ)の実信(じっしん=確かな便り)を討(もと)めましょう。もし仮(かり)に師父(しふ)が死(し)んでおったなら、各人(おのおの)好(よ)きように頭(あたま)を尋(たず)ねて事(こと)をなせばよい。もし未(いま)だ死(し)んでおらぬなら、我(われ)らは力(ちから)を竭(つく)し心(こころ)を尽(つく)すがよい」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「乱(みだ)りに談(かた)るな、我(われ)は往(ゆ)くぞ」と。
彼(かれ)は身(み)を一(ひと)つ縦(とば)し、まっすぐかの門首(もんしゅ)に至(いた)ったが、門(もん)はなお閉(と)ざされて睡(ねむ)っておった。行者(ぎょうじゃ)は門(もん)を叫(よ)ばず、また妖怪(ようかい)を驚(おどろ)かさず、訣(けつ=印)を捻(ねん)じ、呪語(じゅご)を念(とな)え、身(み)を一(ひと)つ揺(ゆ)るがせて変(へん)じ、一(ひと)つの花脚蚊虫(かきゃくぶんちゅう=縞足の蚊)に変(へん)じた。まことに小巧(しょうこう)なかな。詩(し)が有(あ)って証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く。
擾擾(じょうじょう)たる微形(びけい)に利喙(りかい)、
嚶嚶(おうおう)たる声細(こえほそ)きこと雷(いかずち)の如(ごと)し。
蘭房紗帳(らんぼうしゃちょう)に善(よ)く通(つう)じ随(したが)い、
正(まさ)に愛(あい)す炎天(えんてん)の暖気(だんき)を。
只(た)だ怕(おそ)るるは熏煙(くんえん)の撲扇(ぼくせん)、
偏(ひと)えに怜(あわ)れむ灯火(とうか)の光輝(こうき)を。
軽軽小小(けいけいしょうしょう)として忒(はなは)だ鑽疾(さんしつ=すばしこ)く、
飛(と)んで妖精(ようせい)の洞裡(どうり)に入(い)る。
見(み)ればかの門(もん)を守(まも)る小妖(こよう)は、ちょうど鼾睡(かんすい=いびきをかいて眠)っておった。行者(ぎょうじゃ)は彼(かれ)が顔(かお)のうえに往(ゆ)って一口(ひとくち)叮(さ)したので、かの小妖(こよう)は身(み)を翻(ひるがえ)して醒(さ)めて言(い)った。「我(わ)が爺(おやじ)よ、なんと大(おお)きい蚊(か)だ。一口(ひとくち)でたちまち大(おお)きな疙疸(こぶ)を叮(さ)された」と。忽(たちま)ち眼(め)を睜(ひら)いて言(い)うには、「天(てん)が亮(あか)るんだ」と。
また支(し)という一声(ひとこえ)が聞(き)こえて、二門(にもん)が開(ひら)いた。行者(ぎょうじゃ)は嚶嚶(おうおう)と飛(と)んで中(なか)へと入(い)って往(ゆ)くと、かの老妖(ろうよう)が各門(かくもん)の上(うえ)に謹慎(きんしん)するよう吩咐(ふんふ=申しつけ)け、一壁廂(いっぺきしょう=一方では)兵器(へいき)を收拾(しゅうしゅう=ととのえ)しておるのが見(み)えた。「只(た)だ怕(おそ)るるは昨日(きのう)のあの陣(じん)の風(かぜ)が曾(かつ)て孫行者(そんぎょうじゃ)を刮(ふ)き殺(ころ)さなんだことで、彼(かれ)は今日(こんにち)必(かなら)ずまた来(く)るであろう。来(き)たる時(とき)には定(かなら)ず彼(かれ)に一命(いちめい)を休(や)めしめてやろう」と。
行者(ぎょうじゃ)はこれを聞(き)いて、またかの庁堂(ちょうどう)を飛(と)び過(す)ぎて、まっすぐ後面(こうめん)へと来(き)た。見(み)れば一層(いっそう)の門(もん)が、たいそう緊(きん)と閉(と)ざされておったが、行者(ぎょうじゃ)は門(もん)の縫(すきま)に沿(そ)って漫(わた)りつつ中(なか)へと鑽(もぐ)り込(こ)むと、元来(がんらい)これ一(ひと)つの大(おお)いなる空園子(くうえんし=広い空き庭)で、かの壁廂(へきしょう=かたわら)の定風樁(じょうふうしょう)の上(うえ)に、縄(なわ)で纏(まと)い索(つな)で綁(しば)られて唐僧(とうそう)がおったのじゃ。
かの師父(しふ)は紛紛(ふんふん)として涙(なみだ)を落(お)とし、心心(しんしん)としてただ悟空(ごくう)と悟能(ごのう)のことを念(おも)い、いずれの処(ところ)に在(あ)るかを知(し)らなんだ。行者(ぎょうじゃ)は翅(つばさ)を停(とど)め、彼(かれ)の光頭(こうとう=剃った頭)のうえに叮(とま)って、一声(ひとこえ)「師父(しふ)」と叫(よ)んだ。かの長老(ちょうろう)は彼(かれ)の声(こえ)を認(みと)めて言(い)った。「悟空(ごくう)よ、想(おも)い殺(ころ)すばかりじゃ。そちらはどこに在(あ)って我(われ)を呼(よ)ぶのじゃ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「師父(しふ)、我(われ)はそなたの頭(あたま)のうえにおります。そなたは心(こころ)を焦(あせ)らすこと莫(なか)れ、煩悩(ぼんのう)を少(すく)なくせよ。我(われ)らは必(かなら)ず妖精(ようせい)を拿(とら)えてこそ、方(まさ)にそなたの性命(せいめい)を救(すく)い得(え)るのでございます」と。
唐僧(とうそう)が言(い)うには、「徒弟(とてい)よ、いつになれば妖精(ようせい)を拿(とら)え得(え)るのじゃ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「そなたを拿(とら)えたあの虎怪(こかい)は、既(すで)に八戒(はっかい)に打(う)ち殺(ころ)されております。ただ老妖(ろうよう)の風勢(ふうせい)の利害(すさまじ)いのみでございます。料(はか)るにただ今日(こんにち)に在(あ)り、きっと彼(かれ)を拿(とら)えてごらんに入(い)れましょう。ご安心(あんしん)あれ、哭(な)くこと莫(なか)れ、我(われ)は往(ゆ)きますぞ」と。
去(ゆ)くと声(こえ)をかけて、嚶嚶(おうおう)と前面(ぜんめん)へと飛(と)んで往(ゆ)くと、かの老妖(ろうよう)が上(うえ)に坐(ざ)して、ちょうど各路(かくろ)の頭目(とうもく)を点札(てんさつ)しておるのが見(み)えた。またかの洞(ほら)の前(まえ)に一人(ひとり)の小妖(こよう)がいて、一(ひと)つの令字旗(れいじき)を磨一磨(まみがき)して、庁(ちょう)へと撞(つ)き上(あ)がって来(き)たって注進(ちゅうしん)して言(い)うには、「大王(だいおう)、小(ちい)さき者(もの)は山(やま)を巡(めぐ)り、やっと門(もん)を出(で)たところ、一人(ひとり)の長嘴大耳朶(ちょうしだいじた=長い口と大耳)の和尚(おしょう)が林(はやし)の中(なか)に坐(ざ)しておるのを見(み)ました。もし我(われ)が速(すみやか)に跑(に)げるのではなかったなら、ほとんど彼(かれ)に捉(とら)えられるところでした。しかし昨日(きのう)のあの毛顔(けがお)の和尚(おしょう)は見(み)えませぬ」と。
老妖(ろうよう)が言(い)うには、「孫行者(そんぎょうじゃ)がおらぬなら、想必(おそら)くは風(かぜ)に吹(ふ)き殺(ころ)されたのであろう、さもなくばどこかへ往(ゆ)きて救兵(きゅうへい)を求(もと)めに往(い)ったのであろう」と。衆(しゅう)の妖(よう)が言(い)うには、「大王(だいおう)、もし果(はた)して彼(かれ)を吹(ふ)き殺(ころ)したなら、これ我(われ)らの造化(ぞうか=幸運)でございます。ただ怕(おそ)るるは吹(ふ)き殺(ころ)さずして、彼(かれ)が往(ゆ)きて些(いささ)かの神兵(しんぺい)を請(こ)うて来(く)ることで、その時(とき)はどうしたらよろしいでしょう」と。
老妖(ろうよう)が言(い)うには、「彼(かれ)を怕(おそ)れてどうしようというのか、あの何(なん)の神兵(しんぺい)を怕(おそ)れようぞ。もし我(わ)が風勢(ふうせい)を定(さだ)め得(う)る者(もの)があるとすれば、ただ霊吉菩薩(れいきつぼさつ)の来(く)るを除(のぞ)いては是(これ)あるのみで、その余(よ)は何(なん)の懼(おそ)るるに足(た)りようぞ」と。
行者(ぎょうじゃ)は屋梁(おくばり=屋根の梁)のうえに在(あ)って、ただ彼(かれ)のこの一句(いっく)の言語(げんご)を聞(き)き取(と)ったのみで、勝(まさ)ることのできないほどの歓喜(かんき)を覚(おぼ)え、すなわち身(み)を抽(ぬ)き出(だ)して飛(と)び出(で)で、本相(ほんそう=元の姿)を現(あらわ)して林(はやし)の中(なか)に来(き)たって、一声(ひとこえ)「兄弟(けいてい)よ」と叫(よ)んだ。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、そちらはどこへ往(ゆ)っておったのです。たった今(いま)一人(ひとり)の令字旗(れいじき)を打(う)った妖精(ようせい)が、我(われ)に追(お)い払(はら)われて往(ゆ)きましたぞ」と。行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「汝(なんじ)のおかげじゃ、汝(なんじ)のおかげじゃ。老孫(ろうそん)は蚊虫児(ぶんちゅうじ=蚊)に変(へん)じて、彼(かれ)が洞(ほら)の中(なか)へと入(い)って往(ゆ)きて師父(しふ)を探(さぐ)り看(み)たところ、元来(がんらい)師父(しふ)は彼(かれ)に定風樁(じょうふうしょう)に綁(しば)りつけられて哭(な)いておられた。是(これ)老孫(ろうそん)が吩咐(いいつけ)して、彼(かれ)に哭(な)くこと莫(なか)れと教(おし)え、また屋梁(おくばり)のうえに飛(と)んで往(ゆ)きて一(ひと)つ聴(き)いてみた。するとかの令字旗(れいじき)を拿(と)った者(もの)が、喘嘘嘘(ぜんきょきょ=息を切らし)て中(なか)へと歩(あゆ)み入(い)り、注進(ちゅうしん)しておるのが見(み)えたが、ただ汝(なんじ)に追(お)われたのみで、我(われ)を見(み)なんだのじゃ。老妖(ろうよう)は乱(みだ)りに猜(あてずっぽう)し乱(みだ)りに説(と)いて、老孫(ろうそん)は風(かぜ)に吹(ふ)き殺(ころ)されたと言(い)い、また神兵(しんぺい)を請(こ)うに往(ゆ)ったと言(い)っておった。彼(かれ)はおのれから一人(ひとり)の者(もの)の名(な)を供(きょう)し出(だ)した。はなはだ妙(みょう)なり、はなはだ妙(みょう)なり」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「彼(かれ)が供(きょう)し出(だ)したのは誰(だれ)です」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「彼(かれ)は何(なん)の神兵(しんぺい)を怕(おそ)れようぞ、あの者(もの)なら我(わ)が風勢(ふうせい)を定(さだ)め得(う)ると言(い)うた。ただ霊吉菩薩(れいきつぼさつ)の来(く)るを除(のぞ)いては是(これ)あるのみ、と。ただ霊吉(れいきつ)のいずこに住(す)むかを知(し)らぬのじゃ」と。
ちょうど商議(しょうぎ=相談)しておる処(ところ)、ただ大路(たいろ)の旁(かたわら)より一人(ひとり)の老公公(ろうこうこう)が歩(あゆ)み出(だ)して来(き)たのが見(み)えた。汝(なんじ)、彼(かれ)のいかなる模様(もよう)なるかを見(み)よ。
身(み)は健(すこ)やかにして拐杖(かいじょう=杖)を扶(たよ)らず、
氷髯雪鬢(ひょうぜんせつびん)蓬蓬(ほうほう)たり。
金花(きんか)は眼(め)を耀(かがや)かして意(こころ)朦朧(もうろう)、
瘦骨衰筋(そうこつすいきん)も強硬(きょうこう)なり。
背(せ)を屈(かが)め頭(あたま)を低(た)れて緩歩(かんぽ)し、
龐眉赤臉(ほうびせきれん)童(わらわ)の如(ごと)し。
彼(かれ)が容貌(ようぼう)の人称(にんしょう)するを見(み)れば、
却(かえ)って寿星(じゅせい)の洞(ほら)を出(い)づるに似(に)たり。
八戒(はっかい)はこれを望(み)て大(おお)いに喜(よろこ)んで言(い)った。「師兄(しけい)、常言(じょうげん)に道(い)う、山下(さんか)の路(みち)を知(し)らんと欲(ほっ)せば、須(すべから)く去来人(きょらいにん=行き来する人)に問(と)うべし、と。そちらが前(まえ)へと往(ゆ)きて彼(かれ)に一声(ひとこえ)問(と)うてみられてはいかがです」と。
真(まこと)にかの大聖(たいせい)は鉄棒(てつぼう)を蔵(かく)し、衣襟(いきん=襟もと)を放(はな)ち下(おろ)し、前(まえ)へと往(ゆ)きて叫(よ)んで言(い)った。「老公公(ろうこうこう)、問訊(もんしん=ご挨拶)もうしあげます」と。あの老者(ろうしゃ)は半(なか)ば答(こた)え半(なか)ば答(こた)えずといった風(ふう)で、また礼(れい)を返(かえ)して言(い)った。「そなたはいずこの和尚(おしょう)か。この曠野(こうや=広野)の処(ところ)で、何(なん)の用(よう)があってか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「我(われ)らは経(きょう)を取(と)りに往(ゆ)く聖僧(せいそう)で、昨日(きのう)この処(ところ)で師父(しふ)を失(うしな)いました。特に公公(こうこう)に一声(ひとこえ)動問(どうもん=おたずね)もうしあげる。霊吉菩薩(れいきつぼさつ)はどこに住(す)んでおられますか」と。
老者(ろうしゃ)が言(い)うには、「霊吉(れいきつ)は直南(ちょくなん=真南)の上(うえ)に在(あ)り、そこに到(いた)るまで、なお二千里路(にせんり)がある。一(ひと)つの山(やま)が有(あ)って、名(な)を小須弥山(しょうしゅみさん)と呼(よ)ぶ。山中(さんちゅう)に一(ひと)つの道場(どうじょう)が有(あ)って、これすなわち菩薩(ぼさつ)の講経禅院(こうきょうぜんいん)じゃ。汝(なんじ)らは彼(かれ)の経(きょう)を取(と)りに往(ゆ)くのか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「彼(かれ)の経(きょう)を取(と)りに往(ゆ)くのではありませぬ。我(われ)に一(ひと)つの事(こと)があって彼(かれ)を煩(わずら)わすのですが、いずれの路(みち)から往(ゆ)くのかを知(し)りませぬ」と。
老者(ろうしゃ)は手(て)を用いて南(みなみ)を指(さ)して言(い)った。「この羊腸路(ようちょうろ=羊の腸のような細道)がすなわちそれじゃ」と。孫大聖(そんたいせい)が頭(あたま)を回(めぐ)らして路(みち)を見(み)るよう哄(だま)しておいて、かの公公(こうこう)は清風(せいふう)に化(か)して、寂然(せきぜん)として見(み)えずなってしまい、ただ路(みち)の旁(かたわら)に一張(いっちょう)の簡帖(かんじょう=書き付け)を下(おろ)したのみで、その上(うえ)に四句(よんく)の頌子(じゅす)があって云(い)わく。
上(かみ)復(かえ)す斉天大聖(せいてんたいせい)の聴(き)くところ、
老人(ろうじん)は乃(すなわ)ちこれ李長庚(りちょうこう)なり。
須弥山(しゅみさん)に飛龍杖(ひりゅうじょう)有(あ)り、
霊吉(れいきつ)当年(とうねん)仏兵(ぶっぺい)を受(う)けたり。
行者(ぎょうじゃ)は帖児(じょうじ)を執(と)り、身(み)を転(めぐ)らせて路(みち)を下(くだ)った。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、我(われ)らは連日(れんじつ)造化(ぞうか=運)が低(ひく)うございます。ここ両日(りょうにち)は懺日(さんじつ=不吉な日)で鬼(おに)を見(み)る始末です。あの風(かぜ)に化(か)して往(い)った老爺(ろうや)は誰(だれ)でしたかな」と。行者(ぎょうじゃ)は帖児(じょうじ)を八戒(はっかい)に逓(わた)し、一遍(いっぺん)読(よ)んで聞(き)かせた。八戒(はっかい)が言(い)うには、「李長庚(りちょうこう)とは誰(だれ)のことです」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「西方(せいほう)の太白金星(たいはくきんせい)の名号(みょうごう)じゃ」と。
八戒(はっかい)は慌(あわ)てて空(そら)を望(のぞ)んで下拝(げはい)して言(い)った。「恩人(おんじん)、恩人(おんじん)。老猪(ろうちょ=この豚野郎)はもし金星(きんせい)が玉帝(ぎょくてい)に奏(そう)して准(ゆる)してくださらなんだなら、性命(いのち)もいずれのものと化(か)していたか知(し)れませなんだ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「兄弟(けいてい)よ、汝(なんじ)もまた感恩(かんおん)を知(し)るのじゃな。ただ頭(あたま)を出(だ)すこと莫(なか)れ、ただこの樹林(じゅりん)の深(ふか)き処(ところ)に蔵(かく)れ、仔細(しさい)に行李(こうり)と馬匹(ばひつ)を看守(かんしゅ)せよ。老孫(ろうそん)が須弥山(しゅみさん)を尋(たず)ね、菩薩(ぼさつ)を請(こ)うて来(く)るまでな」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「暁(さと)りました、暁(さと)りました。そちらはただ速(すみ)やかに前(まえ)へと往(ゆ)かれよ。老猪(ろうちょ)は一(ひと)つの亀(かめ)の法(ほう)を学(まな)んだ。頭(あたま)を縮(ちぢ)むべき時(とき)には且(しばら)く頭(あたま)を縮(ちぢ)めよ、というものを」と。
孫大聖(そんたいせい)は空(そら)の中(なか)に跳(と)び上(あ)がり、觔斗雲(きんとんうん)を縦(ほしいまま)にして、まっすぐ直南(ちょくなん)の上(うえ)へと往(ゆ)ったが、果(はた)して速(すみや)かであった。彼(かれ)は頭(あたま)を点(うなず)かせて三千里(さんぜんり)を経過(けいか)し、腰(こし)を扭(ひね)って八百有余程(はっぴゃくゆうよてい)を過(す)ぎた。須臾(しばらく)して一(ひと)つの高山(こうざん)が見(み)え、半中間(なかほど)に祥雲(しょううん)の現(あらわ)れ出(い)づるが有(あ)り、瑞靄(ずいあい)紛紛(ふんふん)として、山(やま)の凹(くぼ)みの中(なか)に果(はた)して一(ひと)つの禅院(ぜんいん)が有(あ)り、ただ鐘磬(しょうけい)の悠揚(ゆうよう)と響(ひび)くが聞(き)こえ、またかの香煙(こうえん)の縹緲(ひょうびょう)たるが見(み)えた。
大聖(たいせい)はただちに門前(もんぜん)に至(いた)り、一人(ひとり)の道人(どうにん)が、項(くび)に数珠(じゅず)を掛(か)け、口(くち)の中(なか)で念仏(ねんぶつ)しておるのを見(み)た。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「道人(どうにん)、作揖(さくゆう=ご挨拶)もうす」と。かの道人(どうにん)は躬身(きゅうしん)して礼(れい)に答(こた)えて言(い)った。「いずこより来(きた)られた老爺(ろうや)さまか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「ここはもしや霊吉菩薩(れいきつぼさつ)の講経(こうきょう)の処(ところ)であろうか」と。道人(どうにん)が言(い)うには、「此間(ここ)こそ正(まさ)に然(しか)り、何(なん)の話(はなし)があってか」と。
行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「そなた様(さま)を煩(わずら)わして、我(われ)に代(か)わりて伝答(でんとう=取次)し伝答(でんとう)してほしい。我(われ)は東土(とうど)大唐(だいとう)の駕下(かか)なる御弟(ぎょてい)三蔵法師(さんぞうほうし)の徒弟(とてい)、斉天大聖(せいてんたいせい)孫悟空(そんごくう)行者(ぎょうじゃ)である。今(いま)一(ひと)つの事(こと)が有(あ)って、菩薩(ぼさつ)に見(まみ)えとうございます」と。道人(どうにん)は笑(わら)って言(い)った。「老爺(ろうや)さま、字(じ)が多(おお)く話(はなし)が多(おお)うて、我(われ)は全(すべ)ては記(き)しきれませぬ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「ただ唐僧(とうそう)の徒弟(とてい)孫悟空(そんごくう)が来(き)たと言(い)ってくれればよい」と。道人(どうにん)は言(こと)に依(よ)って、講堂(こうどう)へと上(のぼ)りて伝報(でんぽう)した。かの菩薩(ぼさつ)はすなわち袈裟(けさ)を穿(き)、香(こう)を添(そ)えて迎接(げいせつ)した。
この大聖(たいせい)がようやく歩(あゆ)みを挙(あ)げて門(もん)を入(い)り、裡(うち)へと往(ゆ)きて観(み)るに、ただかの満堂(まんどう)の錦繍(きんしゅう)、一屋(いちおく)の威厳(いげん)が見(み)えた。衆(しゅう)の門人(もんにん)は齊(ひと)しく『法華経(ほけきょう)』を誦(じゅ)し、老班首(ろうはんしゅ=古参の僧)は軽(かる)く金鋳(きんちゅう)の磬(けい)を敲(たた)く。仏前(ぶつぜん)の供養(くよう)は、尽(ことごと)くこれ仙果(せんか)仙花(せんか)、案上(あんじょう)の安排(あんばい)は、皆(みな)これ素肴(そこう)素品(そひん)。輝煌(きこう)たる宝燭(ほうしょく)は、条条(じょうじょう)の金焔(きんえん)虹霓(こうげい)を射(い)ており、馥郁(ふくいく)たる真香(しんこう)は、道道(どうどう)の玉煙(ぎょくえん)彩霧(さいむ)を飛(と)ばす。
正(まさ)にこれ、講(こう)じ罷(おわ)って心(こころ)閑(しず)かにして方(まさ)に入定(にゅうじょう)し、
白雲(はくうん)片片(へんぺん)として松(まつ)の梢(こずえ)を繞(めぐ)る。
静(しず)かに慧剣(えけん)を収(おさ)めて魔頭(まとう)絶(た)え、
般若波羅(はんにゃはら)の善会(ぜんえ)高(たか)し。
かの菩薩(ぼさつ)は衣(ころも)を整(ととの)えて出迓(しゅつがい=出迎え)し、行者(ぎょうじゃ)は堂(どう)に登(のぼ)って客位(かくい)に坐(ざ)し、随(したが)って茶(ちゃ)を看(み=供す)るよう命(めい)じた。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「茶(ちゃ)は賜(たま)わるに労(ろう)しませぬ。ただ我(わ)が師父(しふ)が黄風山(こうふうざん)に在(あ)って難(なん)に遇(あ)うておりますゆえ、特に菩薩(ぼさつ)が大法力(だいほうりき)を施(ほどこ)して怪(あやかし)を降(くだ)し師(し)を救(すく)うことを請(こ)うもうしあげます」と。
菩薩(ぼさつ)が言(い)うには、「我(われ)は如来(にょらい)の法令(ほうれい)を受(う)けて、ここに在(あ)って黄風怪(こうふうかい)を鎮押(ちんおう=押さえつけ)ておる。如来(にょらい)は我(われ)に一顆(いっか)の定風丹(じょうふうたん)と、一柄(いっぺい)の飛龍宝杖(ひりゅうほうじょう)を賜(たま)わった。当時(とうじ)我(われ)に拿(とら)えられ、我(われ)はその性命(せいめい)を饒(ゆる)して、彼(かれ)を放(はな)って去(さ)らせ、性(しょう)を隠(かく)して山(やま)に帰(かえ)り、生(せい)を傷(きずつ)け孽(ごう=悪業)を造(つく)ることを許(ゆる)さなんだに、今日(こんにち)彼(かれ)が令師(れいし)を害(そこな)わんと欲(ほっ)したるを知(し)らなんだは、教令(きょうれい)に違(たが)うておる、これ我(わ)が罪(つみ)なり」と。
かの菩薩(ぼさつ)は行者(ぎょうじゃ)を留(とど)めて、斎(とき=斎食)を治(との)えて相叙(しょうじょ=ともに語ら)わんと欲(ほっ)したが、行者(ぎょうじゃ)は懇辞(こんじ=ねんごろに辞し)し、随(したが)って飛龍杖(ひりゅうじょう)を取(と)り、大聖(たいせい)と一齊(いっせい)に雲(くも)に駕(が)した。多(おお)くの時(とき)を経(へ)ずして、黄風山(こうふうざん)の上(うえ)に至(いた)った。菩薩(ぼさつ)が言(い)うには、「大聖(たいせい)、この妖怪(ようかい)は些(いささ)か我(われ)を怕(おそ)れておるゆえ、我(われ)はただ雲端(うんたん)の裡(うち)に在(あ)って住定(じゅうじょう=じっととどま)ろう。そなたが下(した)へと往(ゆ)きて彼(かれ)と索戦(さくせん=戦いを挑)み、彼(かれ)を誘(おび)き出(だ)すがよい。そうすれば我(われ)は法力(ほうりき)を施(ほどこ)しやすい」と。
行者(ぎょうじゃ)は言(こと)に依(よ)って、雲頭(うんとう)を按(おさ)え落(おと)し、分説(ぶんせつ)を容(い)れず、鉄棒(てつぼう)を掣(ひっさ)げて彼(かれ)が洞門(どうもん)を打(う)ち破(やぶ)り、叫(さけ)んで言(い)った。「妖怪(ようかい)、我(わ)が師父(しふ)を還(かえ)せ」と。慌(あわ)てたのはかの門(もん)を守(まも)る小妖(こよう)で、急(いそ)ぎ伝報(でんぽう)した。
かの怪(あやかし)が言(い)うには、「この潑猴(はっこう=暴れ猿)め、まことに無礼(ぶれい)なり。また善(ぜん)に伏(ふく)せず、かえって我(わ)が門(もん)を打(う)ち破(やぶ)るとは。この一(ひと)つ出(で)て往(ゆ)けば、一陣(いちじん)の神風(しんぷう)を使(つか)って、定(かなら)ず吹(ふ)き殺(ころ)してくれよう」と。仍前(ぜんぜん=相も変わらず)披挂(ひがい)をまとい、手(て)に鋼叉(こうさ)を綽(ひっさ)げて、また門(もん)を出(で)て来(き)たが、行者(ぎょうじゃ)を見(み)るや、更(さら)に話(はなし)を打(う)たず、叉(さ)を拈(ひね)って当胸(とうきょう)めがけてすなわち刺(さ)した。大聖(たいせい)は身(み)を側(そば)めて避(よ)け過(す)ぎ、棒(ぼう)を挙(あ)げて対面(たいめん)より相(あい)還(むく)いた。
数合(すうごう)も闘(たたか)わぬうちに、かの怪(あやかし)は頭(あたま)を吊(くく)り回(めぐ)らせ、巽地(そんち)の上(うえ)に向(むか)って、まさに口(くち)を張(ひら)いて風(かぜ)を呼(よ)ばんと欲(ほっ)した時(とき)、ただかの半空(はんくう)の裡(うち)より、霊吉菩薩(れいきつぼさつ)が飛龍宝杖(ひりゅうほうじょう)を将(も)って投(な)げ下(おろ)したのが見(み)えた。何(なん)の呪語(じゅご)を念(とな)えたかは知(し)らぬが、たちまち一(ひと)つの八爪金龍(はっそうきんりゅう)となって、撥喇(はつらつ)と両(りょう)つの爪(つめ)を輪(めぐ)らし開(ひら)き、一把(ひとつかみ)に妖精(ようせい)を抓(つか)み上(あ)げ、頭(あたま)を提(ひっさ)げて、二(に)三(さん)捽(ひね)りもすれば、山石崖(さんせきがい)の辺(ほとり)に捽(たた)きつけられ、本相(ほんそう)を現(あらわ)したるは、これ一(ひと)つの黄毛貂鼠(こうもうてんねずみ=黄色い毛のイタチ)であった。
行者(ぎょうじゃ)は追(お)い上(すが)って棒(ぼう)を挙(あ)げてすなわち打(う)とうとしたが、菩薩(ぼさつ)に遮(さえぎ)り止(と)められて言(い)われた。「大聖(たいせい)、彼(かれ)の命(いのち)を傷(きずつ)くること莫(なか)れ。我(われ)はまた彼(かれ)を帯(たい)して往(ゆ)きて如来(にょらい)に見(まみ)えんと欲(ほっ)するゆえに」と。そして行者(ぎょうじゃ)に向(むか)って言(い)うには、「彼(かれ)は本(もと)これ霊山(りょうざん)の麓(ふもと)の得道(とくどう)の老鼠(ろうそ=古鼠)で、琉璃盞(るりさん=瑠璃の碗)の内(うち)の清油(せいゆ)を偷(ぬす)んだために、灯火(とうか)が昏暗(こんあん)となり、金剛(こんごう)が彼(かれ)を拿(とら)えることを恐(おそ)れ、これによって走(に)げ去(さ)り、かえってこの処(ところ)に在(あ)って精(せい)と成(な)りて怪(あやかし)を作(な)しておったのじゃ。如来(にょらい)は彼(かれ)を照見(しょうけん)して、死罪(しざい)に該(あた)らずとし、故(ゆえ)に我(われ)をして轄押(かつおう=管轄し押さえ)せしめたが、彼(かれ)は生(せい)を傷(きずつ)け孽(ごう)を造(つく)るゆえ、霊山(りょうざん)に拿(とら)え上(のぼ)せる。今(いま)また大聖(たいせい)に衝撞(しょうどう=ぶつかり)し、唐僧(とうそう)を陷害(かんがい)したゆえ、我(われ)は彼(かれ)を拿(とら)えて往(ゆ)きて如来(にょらい)に見(まみ)え、その罪(つみ)を明(あきら)かに正(ただ)してこそ、ようやくこの一場(いちば)の功績(こうせき)と算(かぞ)えられるのじゃ」と。行者(ぎょうじゃ)はこれを聞(き)いて、すなわち菩薩(ぼさつ)に謝(しゃ)した。菩薩(ぼさつ)の西(にし)へと帰(かえ)ることは、しばらく措(お)いて語(かた)らぬ。
さて、猪八戒(ちょはっかい)はかの林(はやし)の内(うち)に在(あ)って、ちょうど行者(ぎょうじゃ)のことを思量(しりょう=思いめぐら)しておると、ただ山坂(さんぱん=山の斜面)の下(した)より一声(ひとこえ)「悟能(ごのう)の兄弟(けいてい)よ、馬(うま)を牽(ひ)き担(に)を挑(にな)って来(こ)いや」と叫(よ)ぶのが聞(き)こえた。かの呆子(ほうし)はそれが行者(ぎょうじゃ)の声(こえ)であると認(みと)め、急(いそ)ぎ收拾(しゅうしゅう=とりまとめ)て林(はやし)の外(そと)へと跑(はし)り出(で)て、行者(ぎょうじゃ)に見(まみ)えて言(い)った。「兄貴(あにき)、どのように事(こと)をなして来(き)られました」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「霊吉菩薩(れいきつぼさつ)を請(こ)うて一条(いちじょう)の飛龍杖(ひりゅうじょう)を使(つか)ってもらい、妖精(ようせい)を拿(とら)えたところ、元来(がんらい)一(ひと)つの黄毛貂鼠(こうもうてんねずみ)の精(せい)と成(な)った者(もの)で、彼(かれ)に帯(たい)されて霊山(りょうざん)へと往(ゆ)きて如来(にょらい)に見(まみ)えるため連(つ)れて往(い)かれた。我(われ)と汝(なんじ)とは洞(ほら)の中(なか)へと往(ゆ)きて師父(しふ)を救(すく)おう」と。かの呆子(ほうし)はようやく歓歓喜喜(かんかんきき=大喜び)した。
二人(ふたり)は裡(うち)へと撞(つ)き入(い)り、かの一窩(いっか)の狡兔(こうと=賢い兎)や妖狐(ようこ)や香獐(こうしょう=麝香鹿)や角鹿(かくろく=角ある鹿)を、一頓(いっとん)の釘钯(ていは=八戒の熊手)と鉄棒(てつぼう)とで尽(ことごと)く情(なさけ)容赦(ようしゃ)なく打(う)ち殺(ころ)し、しかる後に後園(こうえん)へと往(ゆ)きて師父(しふ)を拝(おが)み救(すく)った。師父(しふ)は門(もん)を出(で)て来(き)たって、問(と)うて言(い)うには、「汝(なんじ)らの二人(ふたり)はどうして妖精(ようせい)を捉(とら)え得(え)たのか。いかようにして方(まさ)に我(われ)を救(すく)い得(え)たのか」と。行者(ぎょうじゃ)はかの霊吉(れいきつ)を請(こ)うて妖(よう)を降(くだ)した事情(じじょう)を、一通(ひととお)り陳(の)べたてたので、師父(しふ)は謝(しゃ)すること尽(つ)きなかった。彼(かれ)の兄弟(けいてい)たちは洞中(どうちゅう)の素物(そぶつ=精進物)を用いて、些(いささ)かの茶飯(さはん)を安排(あんばい)して食(くら)い、ようやく門(もん)を出(で)て、大路(たいろ)を找(さが)して西(にし)へと往(ゆ)った。
畢竟(ひっきょう)いかなるが後(のち)へ向(むか)ってのことなるかは、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。