さて、唐僧(とうそう)師徒(しと)の三衆(さんしゅ)は、難(なん)を脱(だっ)して前(まえ)へと来(きた)り、一日(いちじつ)ならずして八百(はっぴゃく)の黄風嶺(こうふうれい)を過(す)ぎ往(ゆ)き、西(にし)へと入(い)ればすなわち一脈(いちみゃく)の平陽(へいよう=平らな野)の地(ち)であった。光陰(こういん)は迅速(じんそく)にして、夏(なつ)を経(へ)て秋(あき)を歴(ふ)り、些(いささ)かの寒蝉(かんせん=秋の蝉)の敗柳(はいりゅう=枯れ柳)に鳴(な)き、大火(たいか=心宿二)の西(にし)へと流(なが)るるを見(み)たり。
正(まさ)に往(ゆ)く処(ところ)、ただ一道(いちどう)の大水(たいすい)の狂瀾(きょうらん=荒れ狂う波)が見(み)えて、渾波(こんぱ)は浪(なみ)を涌(わ)かせておった。三蔵(さんぞう)は馬(うま)のうえに在(あ)って慌(あわ)てて呼(よ)んで言(い)った。「徒弟(とてい)よ、汝(なんじ)見(み)よ、あの前辺(まえ)の水勢(すいせい)の広(ひろ)きを。どうして船(ふね)の行走(こうそう=行き交う)のが見(み)えぬのか。我(われ)らはどこから過(わた)って往(ゆ)こうか」と。八戒(はっかい)はこれを見(み)て言(い)った。「果(はた)して狂瀾(きょうらん)かな、渡(わた)るべき舟(ふね)も無(な)い」と。
かの行者(ぎょうじゃ)は空(そら)の中(なか)に跳(と)び上(あ)がり、手(て)を用いて涼篷(りょうほう=日除け)を搭(かざ)して看(み)たが、彼(かれ)もまた心(こころ)を驚(おどろ)かせて言(い)った。「師父(しふ)よ、まことに難(むずか)しい、まことに難(むずか)しい。この河(かわ)はもし老孫(ろうそん)が往(ゆ)くについて言(い)えば、ただ腰(こし)を扭一扭(ひねり)するだけで、すなわち過(わた)って往(ゆ)けるのじゃが、師父(しふ)については、誠(まこと)に千分(せんぶ)も渡(わた)り難(がた)く、万載(ばんざい)も行(ゆ)き難(がた)い」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「我(われ)がここより一望(いちぼう)するに辺(ほとり)が無(な)いが、果(はた)してどれほどの広(ひろ)さがあるのか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「径過(けいか=まっすぐ渡る距離)は八百里(はっぴゃくり)の遠近(えんきん)が有(あ)る」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)はどうしてその遠近(えんきん)の数(かず)を定(さだ)め得(え)たのです」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「賢弟(けんてい)に瞞(あざむ)かずに言(い)うが、老孫(ろうそん)のこの双眼(そうがん)は、白日(はくじつ=昼間)には常(つね)に千里(せんり)の路(みち)のうえの吉凶(きっきょう)をも看(み)とれるのじゃ。たった今(いま)空(そら)の中(なか)で看(み)て出(だ)したところでは、この河(かわ)の上下(じょうげ=南北)の遠(とお)さは知(し)れぬが、ただこの径過(けいか)が足(た)ること八百里(はっぴゃくり)あるのが見(み)えたのじゃ」と。
長老(ちょうろう)は憂(うれ)い嗟(なげ)いて煩悶(はんもん)し、馬(うま)を兜(ひき)回(めぐ)らせると、忽(たちま)ち岸(きし)のうえに一通(いっつう)の石碑(せきひ)のあるのが見(み)えた。三衆(さんしゅ)は齊(ひと)しく来(き)たってこれを看(み)るに、その上(うえ)に三(みっ)つの篆字(てんじ)が有(あ)って、すなわち「流沙河(りゅうさが)」であり、腹(なか)のうえに小(ちい)さき四行(よんぎょう)の真字(しんじ)が有(あ)って云(い)わく。
八百(はっぴゃく)の流沙界(りゅうさかい)、
三千(さんぜん)の弱水深(じゃくすいふか)し。
鵝毛(がもう)も飄(ただよ)い起(お)こらず、
蘆花(ろか)は定(かなら)ず底(そこ)に沈(しず)まん。
師徒(しと)たちが正(まさ)に看(み)ておると、忽然(こつぜん)として一人(ひとり)の妖精(ようせい)が鑽(もぐ)り出(で)て来(き)たが、たいそう凶醜(きょうしゅう=獰猛で醜い)であった。
一頭(いっとう)の紅焔(こうえん)の髪(かみ)は蓬松(ほうしょう=ぼさぼさ)として乱(みだ)れ、
両(りょう)つの円睛(えんせい=丸い眼)は亮(ひかり)灯(ともしび)に似(に)たり。
黒(くろ)からず青(あお)からず藍靛(らんでん=藍色)の顔(かお)、
雷(いかずち)の如(ごと)く鼓(つづみ)の如(ごと)き老龍(ろうりゅう)の声(こえ)。
身(み)には一領(いちりょう)の鵝黄(がおう)の氅(しょう=羽織)を披(まとい)、
腰(こし)には双纏(そうてん=二重に巻いた)の露白藤(ろはくとう)を束(たば)ねる。
項下(こうか=首の下)には骷髏(しゃれこうべ)九(ここの)つを懸(か)け、
手(て)には宝杖(ほうじょう)を持(も)ってたいそう崢嶸(そうろう=際立って)たり。
かの怪(あやかし)は一(ひと)つの旋風(せんぷう)を巻(ま)き起(お)こし、岸(きし)のうえへと奔(はし)って来(き)て、まっすぐ唐僧(とうそう)を搶(うば)おうとした。慌(あわ)てたのは行者(ぎょうじゃ)で、師父(しふ)を抱(いだ)き止(と)め、急(いそ)ぎ高岸(こうがん=高い岸)へと登(のぼ)り、身(み)を回(めぐ)らせて走(に)げ脱(のが)れた。かの八戒(はっかい)は担(にないもの)を放(お)ろし、鉄钯(てっぱ=熊手)を掣(ひっさ)げ出(だ)して、妖精(ようせい)を望(めが)けてすなわち築(つ)きかけたが、かの怪(あやかし)は宝杖(ほうじょう)を使(つか)って架(う)け止(と)めた。彼(かれ)の二人(ふたり)は流沙河(りゅうさが)の岸(きし)に在(あ)って、おのおの英雄(えいゆう)を逞(たくま)しくした。この一場(いちば)の好(よ)き闘(たたか)い。
九歯(きゅうし)の钯(は)、降妖(ごうよう)の杖(じょう)、
二人(ふたり)相(あい)敵(てき)す河岸(かがん)のうえ。
これなるは総督(そうとく)の大天蓬(だいてんぽう)、
かれなるは謫下(たくげ=流謫され)し巻簾将(かんれんしょう)。
昔年(せきねん)曾(かつ)て霊霄(れいしょう)に会(かい)せるも、
今日(こんにち)争持(そうじ)して猛壮(もうそう)を賭(と)す。
この一(ひと)つの钯(は)は去(ゆ)きて爪(つめ)を探(さぐ)る龍(りゅう)、
かの一(ひと)つの杖(じょう)は架(う)けて牙(きば)を磨(みが)く象(ぞう)。
大四平(だいしへい)を伸(の)べ開(ひら)き、
迎風戧(げいふうそう)に鑽(もぐ)り入(い)る。
この者(もの)は頭(あたま)無(な)く顔(かお)無(な)く抓(つか)み、
かの者(もの)は乱(みだ)れ無(な)く空(あだ)しく放(はな)たず。
一(ひと)つはこれ久(ひさ)しく流沙界(りゅうさかい)を占(し)めて人(ひと)を食(く)らう精(せい)、
一(ひと)つはこれ教(おしえ)を秉(と)り迦持(かじ)する修行(しゅぎょう)の将(しょう)。
彼(かれ)の二人(ふたり)は来来往往(らいらいおうおう)と、二十回合(にじゅうがっすう)も闘(たたか)うたが、勝負(しょうぶ)を分(わ)かなんだ。
かの大聖(たいせい)は唐僧(とうそう)を護(まも)り、馬(うま)を牽(ひ)き、行李(こうり)を守(まも)り定(さだ)めて、八戒(はっかい)とあの怪(あやかし)の交戦(こうせん)するのを見(み)ておったが、すなわち恨(うら)んで歯(は)を咬(か)み切(き)り、掌(てのひら)を擦(こす)り拳(こぶし)を磨(みが)き、耐(た)えきれずに往(ゆ)きて彼(かれ)を打(う)とうとし、棒(ぼう)を掣(ひっさ)げ出(だ)して言(い)った。
「師父(しふ)、そなたは坐(すわ)っておられて、怕(おそ)れることはありませぬ。老孫(ろうそん)が彼(かれ)と耍耍児(しゃしゃじ=ちょっと遊び)して来(く)るまで」と。かの師父(しふ)は苦(くる)しく留(とど)めようとしたが及(およ)ばなんだ。彼(かれ)は一(ひと)つの唿哨(こっしょう=口笛)を打(う)ち、前辺(まえ)へと跳(と)んで往(ゆ)った。元来(がんらい)かの怪(あやかし)と八戒(はっかい)はちょうど好(よ)きところまで戦(たたか)って、解(と)き難(がた)く分(わ)かち難(がた)かったが、行者(ぎょうじゃ)に鉄棒(てつぼう)を輪(めぐ)らし挙(あ)げられ、かの怪(あやかし)の頭(あたま)を照(てら)して一(ひと)つ下(おろ)されたので、かの怪(あやかし)は急(いそ)ぎ身(み)を転(めぐ)らせ、慌(あわ)てて避(よ)け過(す)ぎると、まっすぐ流沙河(りゅうさが)の裡(うち)へと鑽(もぐ)り込(こ)んでしまった。
八戒(はっかい)はたいそう腹(はら)を立(た)てて乱(みだ)りに跳(おど)って言(い)った。「兄貴(あにき)、誰(だれ)がそちらを来(こ)させたのです。かの怪(あやかし)は次第(しだい)に手(て)が慢(おそ)くなり、我(わ)が钯(は)を架(う)けるに難(かた)がっておった。もう三五合(さんごごう)もせぬうちに、我(われ)は彼(かれ)を擒(とら)えていたものを。彼(かれ)はそちらが凶険(きょうけん=手荒い)なのを見(み)て、陣(じん)を敗(やぶ)って逃(に)げてしまった。どうしたらよろしいのです」と。
行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「兄弟(けいてい)よ、まことに汝(なんじ)に瞞(あざむ)かずに言(い)うが、黄風怪(こうふうかい)を降(くだ)してより、山(やま)を下(くだ)って来(き)て、この一月(ひとつき)ばかり曾(かつ)て棍(こん)を耍(あそ)ばせなんだ。我(われ)は汝(なんじ)が彼(かれ)と戦(たたか)うのの甜美(てんび=心地よげ)なのを見(み)て、耐(た)えきれずに脚(あし)が痒(かゆ)くなり、故(ゆえ)にすなわち跳(と)んで来(き)て耍耍(しゃしゃ=ちょいと遊び)したまでじゃ。かの怪(あやかし)が耍(あそび)を識(し)らずにすなわち往(い)ってしまったとは、知(し)らなんだわい」と。
彼(かれ)の二人(ふたり)は手(て)を攙(たす)け合(あ)い、説説笑笑(せつせつしょうしょう=話し笑い)して、身(み)を転(めぐ)らせて戻(もど)り唐僧(とうそう)に見(まみ)えた。唐僧(とうそう)が言(い)うには、「もしや妖怪(ようせい)を捉(とら)え得(え)たか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「かの妖怪(ようせい)は戦(たたか)いに耐(た)えず、敗(やぶ)れて戻(もど)り水(みず)の裡(うち)へと鑽(もぐ)り込(こ)んで往(い)きました」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「徒弟(とてい)よ、この怪(あやかし)は久(ひさ)しくここに住(す)んでおるゆえ、彼(かれ)はその浅深(せんしん=深浅)を知(し)っておろう。このように辺(ほとり)の無(な)い弱水(じゃくすい)で、また舟楫(しゅうしゅう=舟と櫂)も無(な)いとあれば、須(すべから)く水性(すいせい)を知(し)る者(もの)を得(え)て、引(みちび)き領(みちび)いてもらってこそ好(よ)いのじゃが」と。
行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「正(まさ)にこのように言(い)うところじゃ。常言(じょうげん)に道(い)う、朱(しゅ)に近(ちか)ければ赤(あか)し、墨(すみ)に近(ちか)ければ黒(くろ)し、と。かの怪(あやかし)はここに在(あ)るゆえ、断(た)ちて水性(すいせい)を知(し)っておろう。我(われ)らは今(いま)彼(かれ)を拿(とら)えても、且(しばら)く打(う)ち殺(ころ)さず、ただ彼(かれ)に師父(しふ)を送(おく)って河(かわ)を過(わた)らせ、しかる後にまた理会(りかい=処理)しよう」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、遅疑(ちぎ=ためらい)するには及(およ)びませぬ。まずそちらが往(ゆ)いて彼(かれ)を拿(とら)え、老猪(ろうちょ=この豚野郎)が師父(しふ)を看守(かんしゅ)しましょう」と。行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「賢弟(けんてい)よ、この樁児(とうじ=この件)については我(われ)はあえて嘴(くち)を説(いば)らぬ。水裡(すいり)の勾当(こうとう=仕事)は、老孫(ろうそん)はあまり十分(じゅうぶん)には熟(なれ)ておらぬ。もし空(から)で走(はし)るにも、なお訣(けつ=印)を捻(ねん)じ、また避水呪(ひすいじゅ)を念(とな)えねばならず、ようやく走(はし)り得(え)るのじゃ。然(しか)らずんば、すなわち変化(へんげ)して何(なん)の魚(うお)や蝦(えび)や蟹(かに)や鱉(すっぽん)の類(たぐい)とならねば、我(われ)は往(ゆ)き得(え)ぬ。もし手段(しゅだん)を賭(と)することについて言(い)えば、汝(なんじ)が高山(こうざん)や雲(くも)の裡(うち)に在(あ)って、何(なん)の蹊蟯(けいぎょう=奇矯)異様(いよう)な事(こと)をなそうと、老孫(ろうそん)は皆(みな)できるが、ただ水裡(すいり)の売買(ばいばい=商売)ばかりは、些(いささ)か榔杭(ろうこう=やりにくい)じゃ」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「老猪(ろうちょ)は当年(とうねん)天河(てんが)を総督(そうとく)し、八万(はちまん)の水兵(すいへい)の大衆(たいしゅう)を掌管(しょうかん=取り仕切)っておったゆえ、かえって些(いささ)かの水性(すいせい)を学(まな)び知(し)っておるが、ただ怕(おそ)れるはあの水(みず)の裡(うち)に何(なん)の眷族(けんぞく=家族)や老小(ろうしょう=年寄りや子供)がおって、七窩八代(しちかはちだい=七軒八代)とも皆(みな)来(きた)ったなら、我(われ)は彼(かれ)らを弄(りょう=手なずけ)し得(え)ず、一時(いちじ)に彼(かれ)らに撈(すく)い取(と)られはせぬか」と。
行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)もし彼(かれ)が水(みず)の中(なか)に到(いた)って彼(かれ)と交戦(こうせん)するなら、しかし恋戦(れんせん=長引く戦い)すること莫(なか)れ。敗(やぶ)るるを許(ゆる)して勝(か)つを許(ゆる)さず、彼(かれ)を引(ひ)き将(も)い出(だ)して、老孫(ろうそん)が下(くだ)して手(て)を助(たす)けるのを待(ま)て」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「言(い)うところは然(しか)り、我(われ)は往(ゆ)くぞ」と。
去(ゆ)くと声(こえ)をかけて、すなわち青錦(せいきん)の直裰(じきとつ=僧衣)を剥(ぬ)ぎ、鞋(くつ)を脱(ぬ)ぎ、双手(もろて)に钯(は)を舞(ま)わせ、水路(すいろ)を分(わ)け開(ひら)き、かの当年(とうねん)の旧手段(きゅうしゅだん=昔の技)を使(つか)い出(だ)し、浪(なみ)を躍(おど)らせ波(なみ)を翻(ひるがえ)しつつ、撞(つ)いて中(なか)へと入(い)り往(ゆ)き、まっすぐ水底(すいてい)の下(した)に至(いた)って、前(まえ)へと正(まさ)に走(はし)っておった。
さて、かの怪(あやかし)は陣(じん)に敗(やぶ)れて戻(もど)り、ようやく喘(あえぎ)も定(さだ)まったところ、また人(ひと)が水(みず)を推(お)して響(ひび)くのが聞(き)こえたので、忽(たちま)ち身(み)を起(お)こして観(み)るに、元来(がんらい)八戒(はっかい)が钯(は)を執(と)って水(みず)を推(お)しておったのじゃ。かの怪(あやかし)は杖(じょう)を挙(あ)げて当面(とうめん=正面)より高(たか)く呼(よ)んで言(い)った。「かの和尚(おしょう)、どこへ走(に)げる。仔細(しさい=よく)看(み)よ、打(う)つぞ」と。八戒(はっかい)は钯(は)を使(つか)って架(う)け止(と)めて言(い)った。「汝(なんじ)は何(なん)の妖精(ようせい)か、あえてこの間(あいだ)に在(あ)って路(みち)を擋(ふさ)ぐか」と。
かの妖(よう)が言(い)うには、「汝(なんじ)は我(われ)を認(みと)めぬのか。我(われ)はあの妖魔鬼怪(ようまきかい)でも無(な)ければ、また少姓無名(しょうせいむみょう=姓無く名無き者)でも無(な)い」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「汝(なんじ)既(すで)に邪妖鬼怪(じゃようきかい)で無(な)いなら、どうしてここに在(あ)って生(いのち)を傷(きずつ)けるのか。汝(なんじ)が端(つまびらか)なる何(なん)の姓名(せいめい)なるか、実(じつ)に実(じつ)に説(と)いてみよ、我(われ)が汝(なんじ)の性命(せいめい)を饒(ゆる)してやろう」と。かの怪(あやかし)が言(い)うには。
我(われ)は小(ちい)さきより生(う)まれ来(き)て神気(しんき)壮(さか)んにして、
乾坤(けんこん)万里(ばんり)を曾(かつ)て遊蕩(ゆうとう=遊び歩き)せり。
英雄(えいゆう)天下(てんか)に威名(いめい)を顕(あらわ)し、
豪傑(ごうけつ)人家(じんか)に模様(もよう)を作(な)す。
万国九州(ばんこくきゅうしゅう)を我(わ)が行(ゆ)くに任(まか)せ、
五湖四海(ごこしかい)は吾(われ)に従(したが)って撞(ゆ)く。
皆(みな)道(みち)を学(まな)んで天涯(てんがい)を蕩(ただよ)うに因(よ)り、
只(た)だ師(し)を尋(たず)ねて地曠(ちこう=広き地)を遊(あそ)ぶが為(ため)なり。
常年(じょうねん)衣鉢(いはつ)は謹(つつし)んで身(み)に随(したが)い、
毎日(まいにち)心神(しんしん)は放(はな)つべからず。
地(ち)に沿(そ)いて雲遊(うんゆう)数十遭(すうじゅうそう)、
到(いた)る処(ところ)に閑行(かんこう)百余趟(ひゃくよとう)。
此(これ)に因(よ)ってすなわち真人(しんじん)に遇(あ)い得(え)、
大道(だいどう)の金光(きんこう)の亮(あきらか)なるを引(ひら)き開(ひら)かれたり。
先(ま)ず将(も)って嬰児奼女(えいじさじょ)を収(おさ)め、
後(のち)に把(も)って木母金公(もくぼきんこう)を放(はな)つ。
明堂(めいどう)の腎水(じんすい)は華池(かち)に入(い)り、
重楼(じゅうろう)の肝火(かんか)は心臓(しんぞう)に投(とう)ず。
三千(さんぜん)の功(こう)満(み)ちて天顔(てんがん)を拝(はい)し、
志(こころざし)を心(こころ)に朝礼(ちょうれい)して明華(めいか)に向(むか)えり。
玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)すなわち便(すなわ)ち加升(かしょう=昇進)せしめ、
親口(しんこう=みずから)封(ほう)じて巻簾将(かんれんしょう)と為(な)したり。
南天門(なんてんもん)の裡(うち)に我(われ)尊(とうと)しと為(な)り、
霊霄殿(れいしょうでん)の前(まえ)に吾(われ)上(かみ)と称(しょう)せり。
腰間(ようかん)には虎頭牌(ことうはい)を懸(か)け掛(か)け、
手中(しゅちゅう)には降妖杖(ごうようじょう)を執(と)り定(さだ)む。
頭頂(とうちょう)の金盔(きんかい)は日光(にっこう)に晃(きらめ)き、
身(み)に披(まと)う鎧甲(がいこう)は明霞(めいか)の如(ごと)く亮(あき)らかなり。
往来(おうらい)に駕(が)を護(まも)るには我(われ)当(あた)って先(さき)んじ、
出入(しゅつにゅう)に朝(ちょう)に随(したが)うには予(われ)が上(かみ)に在(あ)り。
只(た)だ王母(おうぼ)の蟠桃(ばんとう)を降(くだ)し、
宴(うたげ)を瑶池(ようち)に設(もう)けて衆将(しゅうしょう)を邀(まね)くに因(よ)り、
手(て)を失(しっ)して玉玻璃(ぎょくはり=玉の器)を打(う)ち破(やぶ)れば、
天神(てんしん)ことごとく魂(たましい)飛(と)び喪(うしな)えり。
玉皇(ぎょくこう)すなわち怒(いか)りを生(しょう)じて嗔(いか)り、
却(かえ)って掌朝左輔相(しょうちょうさほしょう)に令(れい)じて、
冠(かんむり)を卸(おろ)し甲(よろい)を脱(ぬ)ぎ官銜(かんがん=官職)を摘(と)り、
身(み)を将(も)って殺場(さつじょう=刑場)に推(お)すべしとせり。
多(おお)くは赤脚大天仙(せっきゃくだいてんせん)の、
班(はん=列)を越(こ)えて啓奏(けいそう)して吾(われ)を将(も)って放(はな)たしむるに虧(よ)れり。
死(し)を饒(ゆる)され生(い)きに回(かえ)りて刑(けい)に典(のっと)られず、
遭貶(そうへん=流罪)せられて流沙(りゅうさ)の東岸(とうがん)のうえに在(あ)らしめらる。
飽(あ)くる時(とき)は此(こ)の山中(さんちゅう)に困臥(こんが=うずくまり)し、
餓(う)ゆれば去(ゆ)きて波(なみ)を翻(ひるがえ)して食餉(しょくしょう=食料)を尋(たず)ぬ。
樵子(しょうし=木こり)は吾(われ)に逢(あ)えば命(いのち)存(ながら)えず、
漁翁(ぎょおう=漁師)は我(われ)を見(み)れば身(み)皆(みな)喪(うしな)う。
来来往往(らいらいおうおう)として人(ひと)を食(く)らうこと多(おお)く、
翻翻復復(はんぽんふくふく)として生(せい)を傷(きずつ)け瘴(しょう=悪気)をなす。
汝(なんじ)あえて行凶(ぎょうきょう=乱暴)して我(わ)が門(もん)に到(いた)るか、
今日(こんにち)肚皮(とひ=腹)の望(のぞ)む所(ところ)有(あ)り。
粗糙(そそう=まずい)にして嘗(な)むるに堪(た)えずと言(い)う莫(なか)れ、
拿(とら)えれば消停(しょうてい=ゆっくり)と鮓醤(さしょう=なます)に剁(きざ)まん。
八戒(はっかい)はこれを聞(き)いて大(おお)いに怒(いか)り、罵(ののし)って言(い)った。「汝(なんじ)というこの潑物(はつぶつ=暴れ者)め、全(まった)く些(いささ)かの眼力(がんりょく=見る目)も無(な)い。我(わ)が老猪(ろうちょ=この豚野郎)はなお掐(つね)れば水沫(すいまつ=みずけ)すら出(で)てくるわ。どうして我(われ)を粗糙(そそう)なりと言(い)い、鮓醤(さしょう)に剁(きざ)もうとするか。見(み)たところ、汝(なんじ)は我(われ)を一(ひと)つの老走硝(ろうそうしょう=古い硝石)と認(みと)めておるな。無礼(ぶれい)あること莫(な)かれ。汝(なんじ)が祖宗(そそう=先祖)のこの一钯(いっぱ)を食(く)らえ」と。
かの怪(あやかし)は钯(は)の来(きた)るを見(み)て、一(ひと)つの「鳳点頭(ほうてんとう)」を使(つか)って避(よ)け過(す)ぎた。二人(ふたり)は水(みず)の中(なか)より打(う)ちて水面(すいめん)へと出(で)て、おのおの浪(なみ)を踏(ふ)み波(なみ)に登(のぼ)った。この一場(いちば)の賭闘(ととう=勝負の戦い)は、前(まえ)と比(くら)べて同(おな)じからず。汝(なんじ)、かの有様(ありさま)を見(み)よ。
巻簾将(かんれんしょう)と天蓬帥(てんぽうすい)、
おのおの神通(じんつう)を顕(あらわ)してまことに愛(あい)すべし。
かれなる降妖宝杖(ごうようほうじょう)は頭(あたま)を照(てら)して輪(めぐ)り、
これなる九歯釘钯(きゅうしていは)は手(て)に随(したが)いて快(こころよ)し。
浪(なみ)を躍(おど)らせて山川(さんせん)を振(ふるわ)し、
波(なみ)を推(お)して世界(せかい)を昏(くら)くす。
凶(きょう)なること太歳(たいさい)の幛幡(しょうばん=旗)を撞(つ)くが如(ごと)く、
悪(あ)しきこと喪門(そうもん=凶神)の宝蓋(ほうがい=天蓋)を掀(めく)るに似(に)たり。
この一(ひと)つは赤心(せきしん)凛凛(りんりん)として唐僧(とうそう)を保(まも)り、
かの一(ひと)つは罪(つみ)を犯(おか)して滔滔(とうとう)として水怪(すいかい)と為(な)る。
钯(は)は抓(つか)む一下(いっか)に九条(きゅうじょう)の痕(あと)を残(のこ)し、
杖(じょう)の打(う)つ時(とき)には魂魄(こんぱく)敗(やぶ)る。
力(ちから)を努(つと)めて喜(よろこ)んで相持(そうじ=争い)し、
心(こころ)を用(もち)いて賭賽(とさい=勝負)を要(よう)す。
算(かぞ)え来(きた)れば只(た)だ取経人(しゅきょうにん)の為(ため)に、
怒気(どき)天(てん)に衝(つ)いて耐(た)え忍(しの)ぶに忍(しの)びず。
攪(かきみだ)してかの鯾(へん)や鮌(はく)や鯉(り)や鳜(けい)は鮮鱗(せんりん=うろこ)を退(しりぞ)け、
亀(かめ)や鱉(べつ)や黿(げん)や鼉(だ)は嫩蓋(どんがい=柔らかな甲)を傷(きずつ)けらる。
紅蝦(こうか)も紫蟹(しかし)も命(いのち)皆(みな)亡(ほろ)び、
水府(すいふ)の諸神(しょしん)は上(うえ)を朝(おが)んで拝(はい)す。
ただ波(なみ)の翻(ひるがえ)り浪(なみ)の滚(まろ)ぶのが雷轟(らいごう)の如(ごと)くに聞(き)こえ、
日月(じつげつ)は光(ひかり)無(な)く天地(てんち)怪(あやし)む。
二人(ふたり)は整(まさ)に二(ふた)つの時辰(じしん)も闘(たたか)うたが、勝敗(しょうぶ)を分(わ)かなんだ。これこそすなわち、銅盆(どうぼん)の鉄帚(てっそう=鉄のほうき)に逢(あ)い、玉磬(ぎょっけい)の金鐘(きんしょう)に対(たい)する、というものじゃ。
さて、かの大聖(たいせい)は唐僧(とうそう)を保(まも)って、左右(さゆう)に立(た)ち、眼巴巴(がんぱっぱ=じっと)と彼(かれ)の二人(ふたり)が水(みず)のうえに在(あ)って争持(そうじ)しておるのを望(のぞ)んでおったが、ただ彼(かれ)は手(て)を出(だ)すに好(よ)からなんだ。見(み)ればかの八戒(はっかい)が一(ひと)つ钯(は)を虚幌(きょほう=空振り)し、輸(まけ)を佯(よそお)い敗(やぶれ)を詐(いつわ)り、頭(あたま)を転(めぐ)らせて東岸(とうがん)のうえへと走(はし)るのが見(み)えた。かの怪(あやかし)は後(うしろ)に随(したが)って追(お)って来(き)たが、近(ちか)く岸辺(きしべ)に到(いた)ろうとした時(とき)、この行者(ぎょうじゃ)は耐(た)え忍(しの)びきれず、師父(しふ)を撇(す)て、鉄棒(てつぼう)を掣(ひっさ)げて、河辺(かへん)へと跳(と)んで往(ゆ)き、妖精(ようせい)を望(めが)けて劈頭(へきとう=頭めがけて)すなわち打(う)った。かの妖物(ようぶつ)はあえて相(あい)迎(むか)えず、颼(しゅう)とまた河内(かだい)へと鑽(もぐ)り込(こ)んでしまった。
八戒(はっかい)は嚷(わめ)いて言(い)った。「汝(なんじ)というこの弼馬温(ひつばおん)め、まことに一(ひと)つの急(せっかち)な猴子(こうし=猿)じゃ。汝(なんじ)もう些(いささ)か緩(ゆる)やかにしてくれれば、我(われ)が彼(かれ)を哄(だま)して高(たか)き処(ところ)まで到(いた)らせ、その時(とき)そちらが河辺(かへん)を阻(ふさ)いで、彼(かれ)に首(くび)を回(めぐ)らすことができぬようにすれば、すなわち彼(かれ)を拿(とら)えておったものを。彼(かれ)がこのように中(なか)へ入(い)って往(い)ったからには、またいつになれば肯(あえ)て出(で)て来(く)ろうぞ」と。
行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「呆子(ほうし)よ、嚷(わめ)くな、嚷(わめ)くな。我(われ)らは且(しばら)く戻(もど)って師父(しふ)に見(まみ)えて来(こ)よう」と。八戒(はっかい)はすなわち行者(ぎょうじゃ)と同(とも)に高岸(こうがん)のうえへと到(いた)り、三蔵(さんぞう)に見(まみ)えた。三蔵(さんぞう)は身(み)を欠(かが)めて言(い)った。「徒弟(とてい)よ、苦労(くろう)であったな」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「しばらく苦労(くろう)は言(い)わぬとして、ただ妖精(ようせい)を降(くだ)し、そなたを送(おく)って河(かわ)を過(わた)らせてこそ、方(まさ)に万全(ばんぜん)の策(さく)でありましょう」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「汝(なんじ)はたった今(いま)妖精(ようせい)と交戦(こうせん)して如何(いかん)であったか」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「かの妖(よう)の手段(しゅだん)は、老猪(ろうちょ)とこれ一(ひと)つの対手(ついで=好敵手)でございます。ちょうど戦(たたか)っておる処(ところ)で、一(ひと)つの詐敗(さはい=偽りの敗走)を使(つか)ったところ、彼(かれ)はやっと岸(きし)のうえまで追(お)って来(き)ました。師兄(しけい)が棍(こん)を挙(あ)げておるのを見(み)て、彼(かれ)はすなわち跑(に)げてしまいました」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「このようではどうして奈何(いかん)ともしようぞ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには。
「師父(しふ)よ、ご安心(あんしん)あれ、且(しばら)く焦(あせ)り悩(なや)むこと莫(なか)れ。今(いま)天色(てんしょく=空模様)はまた晩(おそ)うございますゆえ、且(しばら)くこの崖次(がいじ=崖のほとり)の下(した)に坐(ざ)しておられよ。老孫(ろうそん)が往(ゆ)きて些(いささ)かの斎飯(さいはん=精進食)を化(け=托鉢し)て来(く)るまで、そなたはそれを食(くら)って睡(ねむ)られよ、明日(あす)また処置(しょち)しよう」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「言(い)われることは然(しか)り、そちらは速(すみ)やかに往(ゆ)き速(すみ)やかに来(きた)られよ」と。
行者(ぎょうじゃ)は急(いそ)ぎ雲(くも)を縦(ほしいまま)にして跳(と)び起(お)きて往(ゆ)き、ちょうど直北(ちょくほく)の下(もと)の人家(じんか)に到(いた)って一鉢(ひとつばち)の素斎(そさい=精進料理)を化(こ)し、戻(もど)って師父(しふ)に献(けん)じた。師父(しふ)は彼(かれ)の来(く)るののたいそう速(すみ)やかなのを見(み)て、すなわち叫(よ)んだ。「悟空(ごくう)、我(われ)らが斎(とき)を化(こ)したあの人家(じんか)に往(ゆ)きて、彼(かれ)に一(ひと)つの過河(かが=河を渡る)の策(さく)を求(もと)め問(と)うてみてはどうか。この怪(あやかし)と争持(そうじ)するにも強(まさ)るのではあるまいか」と。
行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「この家(いえ)はたいそう遠(とお)いのじゃ。相(あい)去(さ)ること五七千里(ごしちせんり)の路(みち)がある。彼(かれ)らがそこでどうして水性(すいせい)を知(し)り得(え)ようか。彼(かれ)に問(と)うて何(なん)の益(えき)があろう」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)はまた謊(うそ)を扯(ひ)き廻(まわ)す。五七千里(ごしちせんり)の路(みち)を、どうしてそちらはこのように往(ゆ)き来(き)るのが速(すみ)やかなのです」と。
行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)はそこでどうして暁(さと)り得(え)ようか。老孫(ろうそん)の觔斗雲(きんとんうん)は、一(ひと)つ縦(と)べば十万八千里(じゅうまんはっせんり)ある。この五七千路(ごしちせんろ)の如(ごと)きは、ただ頭(あたま)を点(うなず)かしめて二点(にてん)し、腰(こし)を躬(かが)めて一躬(いっきゅう)するだけで、すなわちこれ一(ひと)つの往回(おうかい=往復)じゃ。何(なん)の難(かた)きことが有(あ)ろうぞ」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、既(すで)にこのように容易(たやす)いなら、そちらが師父(しふ)を背負(お)って、ただ頭(あたま)を点点(てんてん)と点(うなず)かしめ、腰(こし)を躬躬(きゅうきゅう)と躬(かが)めて、跳(と)んで過(わた)ってしまえばよいものを、何(なん)ぞ苦(くる)しむように彼(かれ)と厮戦(しせん=切り結ぶ)する必要(ひつよう)がありましょう」と。
行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)は雲(くも)に駕(が)することができぬのか。汝(なんじ)が師父(しふ)を馱(おぶ)って過(わた)って往(ゆ)けばよいではないか」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「師父(しふ)の骨肉凡胎(こつにくぼんたい=人のからだ)は、泰山(たいざん)よりも重(おも)うございます。我(わ)がこの雲(くも)に駕(が)する身(み)では、どうして称(つりあ)い起(た)てましょう。須(すべから)くそちらが觔斗(きんとん)にあってこそ方(まさ)にできるのでございます」と。
行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「我(わ)が觔斗(きんとん)も、好道(こうどう=もとより)また雲(くも)に駕(が)するものじゃ、ただ去(ゆ)くに遠近(えんきん)の些(いささ)かあるまでのことよ。汝(なんじ)が馱(おぶ)い動(うご)かせぬなら、我(われ)はどうして馱(おぶ)い動(うご)かせようか。古(いにしえ)より道(い)う、泰山(たいざん)を遣(つかわ)すは芥子(かいし=芥の実)より軽(かる)く、凡夫(ぼんぷ)を携(たずさ)うるは紅塵(こうじん)を脱(だっ)し難(がた)し、と。この潑魔毒怪(はつまどくかい)の如(ごと)き、摂法(せっぽう=物を引き寄せる術)を使(つか)い、風頭(ふうとう=風の先)を弄(ろう)するのは、これ扯扯拉拉(しゃしゃらつらつ=引きずり)として地(つち)に就(つ)いて行(ゆ)くもので、空(そら)の中(なか)へと帯(たい)して去(さ)ることはできぬ。あのような法児(ほうじ=術)は、老孫(ろうそん)もまた使(つか)い弄(ろう)せる。またあの隠身法(おんしんぽう)や縮地法(しゅくちほう)も、老孫(ろうそん)は件件(けんけん)皆(みな)知(し)っておる」と。
「ただこれ師父(しふ)が異邦(いほう)を窮歴(きゅうれき=くまなく巡り)しなければならず、未(いま)だ苦海(くかい)を超脱(ちょうだつ)することが能(あた)わぬゆえ、これによって寸歩(すんぽ)も行(ゆ)き難(がた)いのじゃ。我(われ)と汝(なんじ)はただ一(ひと)つの擁護(ようご=守り)をなすのみで、彼(かれ)が身(み)在(あ)り命(いのち)在(あ)るを保(まも)り得(え)るだけで、これらの苦悩(くのう)に替(かわ)ることもできず、また経(きょう)を取(と)って来(く)ることもできぬ。もし能(よ)く先(さき)に往(ゆ)きて仏(ほとけ)に見(まみ)えたとしても、かの仏(ほとけ)もまた肯(あえ)て経(きょう)を善(よ)く汝(なんじ)と我(われ)に与(あた)えられようか。正(まさ)にこれを、若(も)し将(も)って容易(たやす)く得(う)れば、便(すなわ)ち等閑(とうかん=ありふれたもの)と作(な)して看(み)る、と叫(よ)ぶのじゃ」と。
かの呆子(ほうし)はこれを聞(き)いて、喏喏(じゃくじゃく=へえへえ)と聴受(ちょうじゅ=聞き従い)した。すなわち些(いささ)かの菜(さい)の無(な)い素食(そしょく=精進物)を食(くら)い、師徒(しと)たちは流沙河(りゅうさが)の東崖次(とうがいじ=東の崖のほとり)の下(した)に歇(やす)んだ。
次(つぎ)の早(あさ)、三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「悟空(ごくう)、今日(こんにち)はどう区処(くしょ=処理)しようぞ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「何(なん)の区処(くしょ)も無(な)い、また八戒(はっかい)が水(みず)へと下(くだ)らねばならぬ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)は自(みずか)ら清(きよ)らにしようと図(はか)って、ただ我(われ)をして水(みず)へと下(くだ)らせるのですな」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「賢弟(けんてい)よ、この番(ばん)は我(われ)はまた急性(きゅうせい=せっかち)にはせぬ。ただ汝(なんじ)に彼(かれ)を引(ひ)き上(あ)げさせ、我(われ)が河沿(かえん)を攔(ふさ)いで、彼(かれ)を戻(もど)さず、必(かなら)ず彼(かれ)を将(も)って擒(とら)えよう」と。
好(よ)きかな八戒(はっかい)、顔(かお)を抹抹(まくまく=こすりこすり)し、精神(せいしん)を抖擻(とそう=ふるい起こ)し、双手(もろて)に钯(は)を拿(と)って河沿(かえん)へと到(いた)り、水路(すいろ)を分(わ)け開(ひら)き、依然(いぜん)としてまた窩巣(かそう=ねぐら)まで下(くだ)って往(ゆ)った。かの怪(あやかし)はたった今(いま)睡(ねむ)りより醒(さ)めたところ、忽(たちま)ち水(みず)を推(お)して響(ひび)くのが聞(き)こえ、急(いそ)ぎ頭(あたま)を回(めぐ)らせて睛(ひとみ)を睜(ひら)いて看(み)るに、八戒(はっかい)が钯(は)を執(と)って下(くだ)り至(いた)るのが見(み)えたので、彼(かれ)は跳(と)び出(で)て来(き)て、当頭(とうとう=正面)に阻(ふさ)がって喝(かつ)した。「慢(おそ)く来(こ)い、慢(おそ)く来(こ)い。杖(じょう)を看(み)よ」と。八戒(はっかい)は钯(は)を挙(あ)げて架(う)け止(と)めて言(い)った。
「汝(なんじ)は何(なん)の哭喪杖(こくそうじょう=葬式の杖)か、汝(なんじ)が祖宗(そそう)に杖(じょう)を看(み)よと言(い)うか」と。かの怪(あやかし)が言(い)うには、「汝(なんじ)というこの厮(やつ)め、まことに暁(さと)らぬのう。我(わ)がこの宝杖(ほうじょう)は元来(がんらい)名誉(めいよ)大(だい)にして、本(もと)これ月(つき)の裡(うち)の梭羅(さくら)の派(は)なり。呉剛(ごごう)が伐(き)り下(おろ)せる一枝(いっし)より来(きた)り、魯班(ろはん)が製造(せいぞう)して工夫(くふう)の蓋(おお)いなるかな。裡辺(うち)に一条(いちじょう)の金(きん)の心(こころ)に趁(かな)うが有(あ)り、外辺(そと)に万道(ばんどう)の珠絲玠(しゅしがい=真珠の糸)あり。名称(めいしょう)は宝杖(ほうじょう)、善(よ)く妖(よう)を降(くだ)し、永(とこしえ)に霊霄(れいしょう)に鎮(しず)めて能(よ)く怪(あやかし)を伏(ふく)す。只(た)だ官(かん)に拝(はい)せられて大将軍(だいしょうぐん)となるに因(よ)り、玉皇(ぎょくこう)我(われ)に賜(たま)うて身(み)に随(したが)えて帯(お)ばしむ。或(あるい)は長(なが)く或(あるい)は短(みじか)きは吾(わ)が心(こころ)に任(まか)せ、細(ほそ)きを要(よう)し粗(あら)きを要(よう)するは意態(いたい=思いのまま)に憑(よ)る。曾(かつ)て駕(が)を護(まも)りて蟠桃(ばんとう)に宴(うたげ)し、曾(かつ)て朝(ちょう)に随(したが)いて上界(じょうかい)に居(お)れり。殿(でん)に値(あた)るには曾(かつ)て衆聖(しゅうせい)の参(さん)するを経(へ)、巻簾(かんれん)には曾(かつ)て諸仙(しょせん)の拝(はい)するを見(み)たり。養(やしな)い成(な)せる霊性(れいせい)の一神兵(いちしんぺい)にして、これ人間(にんげん)の凡器械(ぼんきかい)に非(あら)ず。天門(てんもん)より遭貶(そうへん)されて下(くだ)りしより、意(こころ)に任(まか)せて海外(かいがい)に縦横(じゅうおう)に遊(あそ)ぶ。当(あた)らずと雖(いえど)も大胆(だいたん)に自(みずか)ら称(しょう)し誇(ほこ)るは、天下(てんか)の槍刀(そうとう)も比(くら)べ賽(きそ)い難(がた)し。看(み)よ、汝(なんじ)がかの鏽(さ)びた釘钯(ていは)は、只(た)だ田(た)を鋤(す)き菜(さい)を築(つ)くに好(よ)きのみ」と。
八戒(はっかい)は笑(わら)って言(い)った。「我(われ)は汝(なんじ)を少(すくな)く打(う)たれし潑物(はつぶつ)と把(みな)す。且(しばら)く何(なん)の築菜(ちくさい=畑仕事)などを管(かま)うな、只(た)だ怕(おそ)れるは一(ひと)つ蕩(あた)りて、汝(なんじ)に膏薬(こうやく)を貼(は)る処(ところ)無(な)からしめ、九(ここの)つの眼子(がんし=穴)より一齊(いっせい)に血(ち)を流(なが)さしむることよ。縦然(たと)い死(し)なずとも、これまた一(ひと)つの老(おい)るまでの破傷風(はしょうふう)であろうぞ」と。
かの怪(あやかし)は架子(かし=構え)を投(な)げ開(ひら)き、あの水底(すいてい)の下(した)に在(あ)って、八戒(はっかい)と依然(いぜん)として打(う)ちて水面(すいめん)へと出(で)た。この一(ひと)番(つがい)の闘(たたか)いは、前(まえ)に比(くら)べて果(はた)して更(さら)に同(おな)じからず。汝(なんじ)、彼(かれ)の有様(ありさま)を見(み)よ。
宝杖(ほうじょう)輪(めぐ)り、釘钯(ていは)築(つ)く、
言語(げんご)通(つう)ぜざれば眷属(けんぞく)に非(あら)ず。
只(た)だ木母(もくぼ)の刀圭(とうけい)を克(こく=制)するに因(よ)り、
両下(りょうか)の相(あい)戦触(せんしょく=ぶつかり合う)を致(いた)さしむ。
輸贏(しゅえい=勝ち負け)無(な)く、反復(はんぷく)無(な)く、
波(なみ)を翻(ひるがえ)し浪(なみ)を淘(あら)いて和睦(わぼく)ならず。
この者(もの)の怒気(どき)はどうして含(ふく)み容(い)れ得(え)よう、
かの者(もの)の傷心(しょうしん)は辱(はずかしめ)を忍(しの)び難(がた)し。
钯(は)来(きた)れば杖(じょう)架(う)けて英雄(えいゆう)を逞(たくま)しくし、
水(みず)は流沙(りゅうさ)に滚(まろ)んで能(よ)く悪毒(あくどく)なり。
気(き)は昂昂(こうこう)として、労碌碌(ろうろくろく)、
多(おお)くは三蔵(さんぞう)の西域(せいいき)に朝(ちょう)するに因(よ)る。
釘钯(ていは)は老大(ろうだい=たいそう)凶(きょう)にして、
宝杖(ほうじょう)は十分(じゅうぶん)に熟(なれ)たり。
この者(もの)は揪(つか)みて岸(きし)のうえへと拖(ひ)き往(ゆ)かんとし、
かの者(もの)は抓(つか)み来(きた)ってすなわち水(みず)の裡(うち)へと沃(そそ)がんとす。
声(こえ)は霹靂(へきれき)の如(ごと)くに魚龍(ぎょりゅう)を動(うご)かし、
雲(くも)暗(くら)く天(てん)昏(くら)くして神鬼(しんき)伏(ふく)す。
この一場(いちば)は、来来往往(らいらいおうおう)として、三十回合(さんじゅうがっすう)も闘(たたか)うたが、強弱(きょうじゃく)を見(み)せなんだ。八戒(はっかい)はまた一(ひと)つの佯輸計(ようしゅけい=偽りの敗走の計)を使(つか)い、钯(は)を拖(ひ)きて走(はし)った。かの怪(あやかし)は後(うしろ)に随(したが)ってまた追(お)って来(き)たが、波(なみ)を擁(お)し浪(なみ)を捉(つか)んで、崖辺(がいへん)まで追(お)い至(いた)った。八戒(はっかい)は罵(ののし)って言(い)った。「我(われ)は汝(なんじ)をこの潑怪(はつかい)と把(みな)す。汝(なんじ)、上(あが)って来(こ)い。この高(たか)き処(ところ)は、脚(あし)地(つち)を踏(ふ)んで打(う)つのに好(よ)いぞ」と。かの妖(よう)は罵(ののし)って言(い)った。「汝(なんじ)というこの厮(やつ)め、我(われ)を哄(だま)して上(あが)らせ、またあの幇手(ほうしゅ=助っ人)を教(よ)び来(こ)ようとするな。汝(なんじ)下(くだ)って来(こ)い、また水(みず)の裡(うち)に在(あ)って相(あい)闘(たたか)おう」と。元来(がんらい)かの妖(よう)は乖(かしこ)くなっており、また肯(あえ)て岸(きし)へと上(あが)らず、ただ河沿(かえん)に在(あ)って八戒(はっかい)と鬧吵(とうそう=騒ぎ争)っておった。
さて、行者(ぎょうじゃ)は彼(かれ)が肯(あえ)て岸(きし)へと上(あが)らぬのを見(み)て、急(せ)かされて心(こころ)焦(あせ)り性(せい)爆(ばく=いらだち)し、一把(ひとつかみ)に捉(とら)え来(きた)らんことを恨(うら)んだ。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「師父(しふ)よ、そなたは自(みずか)ら坐(すわ)っておられよ。我(われ)が彼(かれ)に一(ひと)つの「餓鷹雕食(がおうちょうしょく=飢えた鷹が食らう)』を与(あた)えんとす」と。すなわち筋斗(きんとん)を縦(ほしいまま)にして、半空(はんくう)に跳(と)び上(あ)がり、刷(さっ)と落(お)ち下(くだ)って来(き)て、かの妖(よう)を抓(つか)もうとした。かの妖(よう)はちょうど八戒(はっかい)と嚷鬧(じょうとう=わめき争)っておったが、忽(たちま)ち風(かぜ)の響(ひび)くのが聞(き)こえ、急(いそ)ぎ頭(あたま)を回(めぐ)らせて、行者(ぎょうじゃ)が雲(くも)より落(お)ち下(くだ)って来(く)るのを見(み)ると、またかの杖(じょう)を収(おさ)め、一頭(いっとう=まっさかさま)に水(みず)へと淬(つ)き込(こ)み、跡(あと)を隠(かく)し踪(あと)を潜(ひそ)めて、渺然(びょうぜん)として見(み)えずなってしまった。
行者(ぎょうじゃ)は岸(きし)のうえに佇立(ちょりつ)して、八戒(はっかい)に向(むか)って言(い)った。「兄弟(けいてい)よ、この妖(よう)もまた弄(ろう=手管)に滑(なめ)らかになっておる。彼(かれ)はまた肯(あえ)て岸(きし)へと上(あが)らぬ。これを奈何(いかん)ともしようぞ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「難(かた)い、難(かた)い、難(かた)い。彼(かれ)に戦(たたか)って勝(か)てぬ。—乳(ち)を飲(の)む気力(きりょく)をも使(つか)い尽(つ)くしても、ただ一(ひと)つの手平(てい=互角)を繃(やっ)とのことで保(たも)つばかりじゃ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「且(しばら)く師父(しふ)に見(まみ)えて来(こ)う」と。
二人(ふたり)はまた高岸(こうがん)へと到(いた)り、唐僧(とうそう)に見(まみ)えて、捉(とら)え難(がた)きを備(つぶさ)に言(い)った。かの長老(ちょうろう)は満眼(まんがん)に涙(なみだ)を下(したた)らせて言(い)った。「このように艱難(かんなん)では、どうして渡(わた)り得(え)ようぞ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「師父(しふ)よ、煩悶(はんもん)することを要(よう)せず。この怪(あやかし)は深(ふか)く水底(すいてい)に潜(ひそ)んでおるゆえ、実(じつ)に行(ゆ)き難(がた)いのじゃ。八戒(はっかい)、汝(なんじ)はただここに在(あ)って師父(しふ)を保守(ほしゅ)せよ、また彼(かれ)と厮闘(しとう=切り結ぶ)すること莫(なか)れ、老孫(ろうそん)が南海(なんかい)へと往(ゆ)きて走走(そうそう=ちょっと行って)来(く)るまでな」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、そちらが南海(なんかい)へ往(ゆ)かれて何(なん)の用(よう)があるのです」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには。
「この経(きょう)を取(と)る勾当(こうとう=仕事)は、元来(がんらい)観音菩薩(かんのんぼさつ)のものであり、我(われ)らを脱解(だっかい=解放)してくださったのも、また観音菩薩(かんのんぼさつ)であった。今日(こんにち)流沙河(りゅうさが)に路(みち)を阻(へだ)てられて前進(ぜんしん)できず、彼(かれ)を得(え)ねばどうして処治(しょち=処理)し得(え)ようか。我(われ)が往(ゆ)きて彼(かれ)を請(こ)うて来(く)るのは、なおこの妖精(ようせい)と相(あい)闘(たたか)うに強(まさ)るであろう」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「然(しか)り、然(しか)り。師兄(しけい)、そちらが往(ゆ)かれる時(とき)、千万(くれぐれ)も我(われ)に代(か)わって一声(ひとこえ)上復(じょうふく=お伝え)してほしい。向日(その日)は多(おお)く指教(しきょう=ご教示)を承(うけたまわ)りました、と」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「悟空(ごくう)、もし菩薩(ぼさつ)を請(こ)うに往(ゆ)くなら、しかしまた遅疑(ちぎ=ためらい)するには及(およ)ばぬ。速(すみ)やかに往(ゆ)きて赶(お)って来(きた)れ」と。
行者(ぎょうじゃ)はすなわち筋斗雲(きんとんうん)を縦(ほしいまま)にして、まっすぐ南海(なんかい)へと上(のぼ)った。おお、半(なか)ばの時辰(じしん)を消(しょう=費や)さずして、早(はや)くも普陀山(ふださん)の境(さかい)が望(のぞ)まれた。須臾(しばらく)の間(あいだ)に筋斗(きんとん)を墜(おと)し下(くだ)って、紫竹林(しちくりん)の外(そと)に到(いた)ると、またかの二十四路(にじゅうよんろ)の諸天(しょてん)が、前(まえ)へと往(ゆ)きて迎(むか)えて言(い)うのが見(み)えた。「大聖(たいせい)、何(どこ)より来(きた)られる」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「我(わ)が師(し)に難(なん)が有(あ)り、特に来(き)たって菩薩(ぼさつ)に謁見(えっけん)もうしあげる」と。諸天(しょてん)が言(い)うには、「請(こ)う、坐(ざ)せよ、容(ゆる)して報(ほう)ぜん」と。
かの輪日(りんじつ=日直)の諸天(しょてん)は、まっすぐ潮音洞(ちょうおんどう)の前(まえ)に至(いた)って報(ほう)じて言(い)うには、「孫悟空(そんごくう)が事(こと)有(あ)って朝見(ちょうけん)を乞(こ)うております」と。菩薩(ぼさつ)はちょうど捧珠龍女(ほうじゅりゅうにょ=珠を捧げる龍女)と宝蓮池(ほうれんち)の畔(ほとり)に在(あ)って欄(らんかん)に扶(すが)り花(はな)を看(み)ておったが、報(ほう)を聞(き)くや、すなわち雲岩(うんがん=雲のある岩)へと転(うつ)り、門(もん)を開(ひら)いて喚(よ)び入(い)れた。大聖(たいせい)は端粛(たんしゅく=謹んで)として皈依(きえ)し参拝(さんぱい)した。菩薩(ぼさつ)問(と)うて曰(いわ)く。
「汝(なんじ)どうして唐僧(とうそう)を保(まも)らず、何(なん)の事(こと)のためにまた来(き)たって我(われ)に見(まみ)えるか」と。行者(ぎょうじゃ)は啓上(けいじょう=申し上げ)して言(い)った。「菩薩(ぼさつ)、我(わ)が師父(しふ)は先(さき)に高老荘(こうろうしょう)に在(あ)って、また一(ひと)りの徒弟(とてい)を収(おさ)め、名(な)を猪八戒(ちょはっかい)と喚(よ)びますが、多(おお)く菩薩(ぼさつ)がまた法諱(ほうき=戒名)悟能(ごのう)を賜(たま)わったことを蒙(こうむ)りました。やっと黄風嶺(こうふうれい)を過(す)ぎ往(ゆ)きて、今(いま)八百里(はっぴゃくり)の流沙河(りゅうさが)に至(いた)りましたが、これすなわち弱水(じゃくすい)三千(さんぜん)で、師父(しふ)は既(すで)に渡(わた)るに難(かた)うございます。河(かわ)の中(なか)にまた一人(ひとり)の妖怪(ようせい)がおって、武芸(ぶげい)高強(こうきょう)であり、たいそう悟能(ごのう)が彼(かれ)と水面(すいめん)のうえに在(あ)って三次(さんじ)も大戦(たいせん)したおかげでありましたが、ただ勝(か)つことを得(え)ず、彼(かれ)に攔阻(らんそ=阻まれ)て、河(かわ)を渡(わた)ることができませぬ。これによって特に菩薩(ぼさつ)に告(つ)げもうしあげます、怜憫(れんびん=あわれみ)を垂(た)れられんことを望(のぞ)みます。彼(かれ)を一(ひと)つ済渡(さいど=救い渡)してやってくださいませ」と。
菩薩(ぼさつ)が言(い)うには、「汝(なんじ)というこの猴子(こうし=猿)め、また自満(じまん)を逞(たくま)しくして、肯(あえ)て唐僧(とうそう)を保(まも)る話(はなし)を言(い)い出(だ)さぬのか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「我(われ)らはただ彼(かれ)を拿(とら)えて、彼(かれ)に我(わ)が師父(しふ)を送(おく)って河(かわ)を渡(わた)らせようとしたのみでございます。水裡(すいり)の事(こと)は、我(われ)はまた精細(せいさい=細かく)弄(ろう=扱)い得(え)ませぬゆえ、ただ悟能(ごのう)が彼(かれ)が窩巣(かそう)を尋(たず)ね当(あ)てて、彼(かれ)と打話(だわ=話し合)いましたが、想(おも)うに曾(かつ)て経(きょう)を取(と)る勾当(こうとう)を言(い)い出(だ)さなんだのでございましょう」と。菩薩(ぼさつ)が言(い)うには。
「かの流沙河(りゅうさが)の妖怪(ようせい)は、すなわち巻簾大将(かんれんだいしょう)の臨凡(りんぼん=この世に下った者)であり、またこれ我(われ)が勧化(かんげ=教化)した善信(ぜんしん=信心和厚き者)で、彼(かれ)に経(きょう)を取(と)るの輩(やから)を保護(ほご)するよう教(おし)えておいたのじゃ。汝(なんじ)もし肯(あえ)て東土(とうど)の取経人(しゅきょうにん)であると言(い)い出(だ)したならば、彼(かれ)は決(けっ)して汝(なんじ)と争持(そうじ)せず、断然(だんぜん)として帰順(きじゅん)するであろう」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「かの怪(あやかし)は今(いま)怯戦(きょうせん=戦いを恐れ)して、肯(あえ)て崖(がけ)へと上(あが)らず、ただ水(みず)の裡(うち)に在(あ)って踪(あと)を潜(ひそ)めております。どうして彼(かれ)を帰順(きじゅん)させ得(え)ましょうか。我(わ)が師(し)はどうして弱水(じゃくすい)を渡(わた)り得(え)ましょう」と。
菩薩(ぼさつ)はすなわち恵岸(えがん)を喚(よ)び、袖(そで)の中(なか)より一(ひと)つの紅葫芦児(べにひさごじ=赤い瓢箪)を取(と)り出(だ)して、吩咐(ふんふ=申しつけ)けて言(い)った。「汝(なんじ)この葫芦(ひさご)を将(も)って、孫悟空(そんごくう)と同(とも)に流沙河(りゅうさが)の水面(すいめん)のうえへと到(いた)り、ただ悟浄(ごじょう)と叫(よ)べば、彼(かれ)はすなわち出(で)て来(く)るであろう。先(ま)ず彼(かれ)を引(みちび)いて唐僧(とうそう)に帰依(きえ)させ、しかる後に彼(かれ)が項下(こうか)の九(ここの)つの骷髅(しゃれこうべ)を一処(いっしょ)に穿(つらぬ)き、九宮(きゅうきゅう)に按(あん)じて布列(ふれつ=並べ)、しかしてこの葫芦(ひさご)を安(やすん)じて中(なか)に当(あ)てれば、すなわちこれ法船(ほうせん)一只(いっせき)で、能(よ)く唐僧(とうそう)を渡(わた)して流沙河界(りゅうさがかい)を過(す)ぎしめ得(え)る」と。
恵岸(えがん)はこれを聞(き)いて、謹(つつし)んで師命(しめい)を遵(したが)い、当時(とうじ)大聖(たいせい)と葫芦(ひさご)を捧(ささ)げて潮音洞(ちょうおんどう)を出(で)、法旨(ほうし)を奉(ほう)じて紫竹林(しちくりん)に辞(じ)した。詩(し)が有(あ)って証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く。
五行(ごぎょう)匹配(ひっぱい)して天真(てんしん)に合(がっ)し、
従前(じゅうぜん)の旧主人(きゅうしゅじん)を認(みと)め得(う)。
己(おのれ)を煉(ね)り基(き)を立(た)つるを妙用(みょうゆう)と為(な)し、
邪正(じゃしょう)を弁明(べんめい)して原因(げんいん)を見(み)る。
金(きん)来(きた)って性(しょう)に帰(き)して還(ま)た同類(どうるい)、
木(もく)去(ゆ)きて情(じょう)を求(もと)めて共(とも)に復淪(ふくりん)す。
二土(にど)全功(ぜんこう)成(な)って寂寞(せきばく)たり、
水火(すいか)を調和(ちょうわ)すれば繊塵(せんじん=わずかな塵)没(な)し。
彼(かれ)の二人(ふたり)は多(おお)くの時(とき)を経(へ)ずして雲頭(うんとう)を按(おさ)え落(おと)し、早(はや)くも流沙河(りゅうさが)の岸(きし)に来(き)たった。猪八戒(ちょはっかい)はそれが木吒行者(もくさぎょうじゃ)であると認(みと)め、師父(しふ)を引(みちび)いて前(まえ)へと往(ゆ)きて迎接(げいせつ)した。かの木吒(もくさ)は三蔵(さんぞう)と礼(れい)を畢(おわ)り、また八戒(はっかい)と相(あい)見(まみ)えた。八戒(はっかい)が言(い)うには、「向(さき)には尊者(そんじゃ)の指示(しじ)を蒙(こうむ)り、菩薩(ぼさつ)に見(まみ)えることができ、我(わ)が老猪(ろうちょ=この豚野郎)は果(はた)して法教(ほうきょう)を遵(したが)い、今(いま)喜(よろこ)んで沙門(しゃもん=仏門)を拝(おが)みました。このところ途(みち)中(ちゅう)に奔碌(ほんろく=奔走)しておって、未(いま)だ致謝(ちしゃ=お礼申し上げる)に及(およ)ばなんだ。罪(つみ)を恕(ゆる)されよ、罪(つみ)を恕(ゆる)されよ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには。
「且(しばら)く闊(わかれ=久闊)を叙(の)べること莫(なか)れ、我(われ)らはかの厮(やつ)を叫(よ)び喚(よ)んで来(こ)よう」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「誰(だれ)を叫(よ)ぶのじゃ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「老孫(ろうそん)は菩薩(ぼさつ)に見(まみ)えて、前事(ぜんじ)を備(つぶさ)に陳(の)べた。菩薩(ぼさつ)が言(い)われるには、この流沙河(りゅうさが)の妖怪(ようせい)は、すなわち巻簾大将(かんれんだいしょう)の臨凡(りんぼん)であり、天(てん)に在(あ)って罪(つみ)有(あ)るに因(よ)って、この河(かわ)に堕落(だらく)し、形(かたち)を忘(わす)れて怪(あやかし)を作(な)しておる、と。彼(かれ)は曾(かつ)て菩薩(ぼさつ)に勧化(かんげ)され、願(ねが)うて師父(しふ)に帰(き)して西天(せいてん)へと往(ゆ)かんとしておったのじゃ。しかし我(われ)らが曾(かつ)て経(きょう)を取(と)る事情(じじょう)を言(い)い出(だ)さなんだゆえ、これによって苦(くる)しく争闘(そうとう)したのじゃ。菩薩(ぼさつ)は今(いま)木吒(もくさ)を差(つか)わし、この葫芦(ひさご)を将(も)って、この厮(やつ)と結(むす)んで法船(ほうせん)を作(つく)り、そなたを渡(わた)して往(ゆ)かせようとしておられるのじゃ」と。三蔵(さんぞう)はこれを聞(き)いて、頂礼(ちょうらい)すること尽(つ)きず、木吒(もくさ)に向(むか)って礼(れい)を作(な)して言(い)った。「万(よろず)望(のぞ)むらくは尊者(そんじゃ)が作速(さっそく)と一(ひと)つ行(おこな)われんことを」と。
かの木吒(もくさ)は葫芦(ひさご)を捧(ささ)げ定(さだ)め、半雲半霧(はんうんはんむ=雲と霧のなかほど)で、まっすぐ流沙河(りゅうさが)の水面(すいめん)のうえへと到(いた)り、厳(おごそ)かな声(こえ)を張(は)り上(あ)げて叫(さけ)んだ。「悟浄(ごじょう)、悟浄(ごじょう)。取経人(しゅきょうにん)はここに在(あ)ること久(ひさ)しきに、汝(なんじ)どうしてまた肯(あえ)て帰順(きじゅん)せぬか」と。
さて、かの怪(あやかし)は猴王(こうおう)を懼(おそ)れて、水底(すいてい)に回(かえ)り、ちょうど窩(かそう=ねぐら)の中(なか)に在(あ)って歇息(けっそく=休息)しておったが、ただ彼(かれ)が法名(ほうみょう)を叫(よ)ぶのが聞(き)こえ、情(こころ)でこれが観音菩薩(かんのんぼさつ)であると知(し)り、また「取経人(しゅきょうにん)ここに在(あ)り」と説(と)くのを聞(き)いて、彼(かれ)はまた斧鉞(ふえつ=まさかり)をも懼(おそ)れず、急(いそ)ぎ波(なみ)を翻(ひるがえ)して頭(あたま)を伸(の)ばし出(だ)し、またそれが木吒行者(もくさぎょうじゃ)であると認(みと)めた。汝(なんじ)見(み)よ、彼(かれ)の笑盈盈(しょうえいえい=にこにこ)として、前(まえ)へと往(ゆ)きて礼(れい)を作(な)して言(い)うには、「尊者(そんじゃ)、失迎(しつげい=お出迎えがかなわず)。菩薩(ぼさつ)は今(いま)いずこに在(おわ)しますか」と。木吒(もくさ)が言(い)うには、「我(わ)が師(し)は未(いま)だ来(きた)られず、先(ま)ず我(われ)を差(つか)わして来(き)て、汝(なんじ)に早(はや)く唐僧(とうそう)に跟(したが)って徒弟(とてい)と作(な)れと吩咐(いいつけ)られたのじゃ。汝(なんじ)が項下(こうか)に掛(か)けておる骷髅(しゃれこうべ)とこの葫芦(ひさご)とを、九宮(きゅうきゅう)に按(あん)じて結(むす)んで一只(いっせき)の法船(ほうせん)を作(つく)り、彼(かれ)を渡(わた)してこの弱水(じゃくすい)を過(す)ぎしめよと言(い)われた」と。悟浄(ごじょう)が言(い)うには、「取経人(しゅきょうにん)は却(かえ)ってどこに在(おわ)しますか」と。木吒(もくさ)は手(て)を用いて指(さ)して言(い)った。「あの東岸(とうがん)のうえに坐(すわ)っておられるのがそれでないか」と。
悟浄(ごじょう)は八戒(はっかい)を見(み)て言(い)った。「彼(かれ)はいずこより来(きた)ったか知(し)らぬが一(ひと)つの潑物(はつぶつ)で、我(われ)と整(まさ)に二日(ふつか)も闘(たたか)うたが、曾(かつ)て一(ひと)つの取経(しゅきょう)の字(じ)をも言(い)うたことが無(な)い」と。また行者(ぎょうじゃ)を見(み)て言(い)うには、「この主子(しゅし=主人)は、彼(かれ)の幇手(ほうしゅ=助っ人)で、はなはだ利害(すさまじ)い。我(われ)は往(ゆ)かぬ」と。木吒(もくさ)が言(い)うには、「かの者(もの)はこれ猪八戒(ちょはっかい)、この者(もの)はこれ孫行者(そんぎょうじゃ)で、俱(とも)に唐僧(とうそう)の徒弟(とてい)であり、俱(とも)に菩薩(ぼさつ)の勧化(かんげ)した者(もの)である。彼(かれ)らを怕(おそ)れてどうしようか。我(われ)且(しばら)く汝(なんじ)と同(とも)に唐僧(とうそう)に見(まみ)えて来(こ)う」と。
かの悟浄(ごじょう)はようやく宝杖(ほうじょう)を収(おさ)め、一(ひと)つ黄錦直裰(おうきんじきとつ=黄色の錦の僧衣)を整整(せいせい)ととのえ、岸(きし)のうえへと跳(と)び上(あ)がって来(き)て、唐僧(とうそう)に向(むか)って双膝(そうしつ=両膝)を跪(ひざまず)けて言(い)った。「師父(しふ)、弟子(でし)は眼(め)有(あ)って珠(たま)無(な)く、師父(しふ)の尊容(そんよう=尊いお姿)を認(みと)めず、多(おお)く衝撞(しょうどう=ぶしつけ)をなしました。万(よろず)望(のぞ)むらくは罪(つみ)を恕(ゆる)されんことを」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「汝(なんじ)というこの膿包(のうほう=のろま)め、どうして早(はや)く皈依(きえ)せず、只管(ひたすら)我(われ)と打(う)とうとしたか。これ何(なん)の話(はなし)か」と。行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「兄弟(けいてい)よ、汝(なんじ)彼(かれ)を怪(あや)しむな。またこれ我(われ)らが曾(かつ)て取経(しゅきょう)の事様(じよう=事情)と姓名(せいめい)とを言(い)い出(だ)さなんだまでのことじゃ」と。
長老(ちょうろう)が言(い)うには、「汝(なんじ)果(はた)して肯(あえ)て誠心(せいしん)をもって吾(わ)が教(おしえ)に皈依(きえ)するか」と。悟浄(ごじょう)が言(い)うには、「弟子(でし)は向(さき)に菩薩(ぼさつ)の教化(きょうげ)を蒙(こうむ)り、河(かわ)を指(さ)して姓(せい)と為(な)し、我(われ)に法名(ほうみょう)を起(おこ)して、沙悟浄(さごじょう)と喚(よ)ばれました。どうして師父(しふ)に従(したが)わぬ理(ことわり)が有(あ)りましょうや」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「既(すで)にこのようであるならば」と叫(よ)んだ。「悟空(ごくう)、戒刀(かいとう=剃刀)を取(と)って来(きた)り、彼(かれ)に落髪(らくはつ=剃髪)してやれ」と。大聖(たいせい)は言(こと)に依(よ)って、すなわち戒刀(かいとう)を将(も)って彼(かれ)が頭(あたま)を剃(そ)ってやった。
また来(き)たって三蔵(さんぞう)を拝(おが)み、行者(ぎょうじゃ)と八戒(はっかい)とを拝(おが)んで、大小(だいしょう=長幼)を分(わか)った。三蔵(さんぞう)は彼(かれ)が礼(れい)を行(おこな)うのを見(み)て、まことに一(ひと)つの和尚(おしょう)の家風(かふう=僧侶の風)に象(かたど)っていたゆえ、また彼(かれ)を呼(よ)んで沙和尚(さおしょう)と做(な)した。木吒(もくさ)が言(い)うには、「既(すで)に迦持(かじ)を秉(と)ったからには、叙(の)べ煩(わずら)わすには及(およ)ばぬ、早(はや)く彼(かれ)と法船(ほうせん)を作(つく)って来(こ)う」と。
かの悟浄(ごじょう)は怠慢(たいまん)するを敢(あえ)てせず、すなわち頸項(けいこう=首)の下(した)に掛(か)けておった骷髅(しゃれこうべ)を取(と)り下(おろ)し、索子(さくし=紐)を用いて九宮(きゅうきゅう)に結(むす)び作(な)し、菩薩(ぼさつ)の葫芦(ひさご)を中(なか)に当(あ)てて安(やすん)じ、師父(しふ)に岸(きし)へと下(くだ)ることを請(こ)うた。かの長老(ちょうろう)はすなわち法船(ほうせん)に登(のぼ)り、その上(うえ)に坐(ざ)したが、果(はた)して軽舟(けいしゅう=軽い舟)よりも穏(おだ)やかであった。左(ひだり)には八戒(はっかい)の扶持(ふじ=支え)が有(あ)り、右(みぎ)には悟浄(ごじょう)の捧托(ほうたく=捧げ支え)が有(あ)り、孫行者(そんぎょうじゃ)は後面(こうめん)に在(あ)って龍馬(りゅうば)を牽(ひ)いて半雲半霧(はんうんはんむ)で相(あい)跟(したが)い、頭(ず)の直上(ちょくじょう=真上)にはまた木吒(もくさ)の擁護(ようご)が有(あ)ったゆえ、かの師父(しふ)はようやく飄然(ひょうぜん)として穏(おだ)やかに流沙河界(りゅうさがかい)を渡(わた)り、浪(なみ)静(しず)か風(かぜ)平(たいら)かにして弱河(じゃくが)を過(す)ぎた。まことにまた飛(と)ぶが如(ごと)く箭(や)に似(に)て、多(おお)くの時(とき)を経(へ)ずして、身(み)は彼岸(ひがん)に登(のぼ)り、洪波(こうは=大波)を脱(だっ)し、また泥(どろ)を拖(ひ)き水(みず)を帯(お)びることも無(な)く、幸(さいわ)いに脚(あし)干(かわ)き手(て)燥(かわ)きて、清浄無為(しょうじょうむい)に、師徒(しと)たちは脚(あし)地(つち)を踏(ふ)んだ。
かの木吒(もくさ)は祥雲(しょううん)を按(おさ)え、葫芦(ひさご)を収(おさ)めたが、またかの骷髅(しゃれこうべ)が一時(いちじ)に解(と)け化(か)して九股(きゅうこ)の陰風(いんぷう)と作(な)り、寂然(せきぜん)として見(み)えずなったのが見(み)えた。三蔵(さんぞう)は木吒(もくさ)に拝謝(はいしゃ)し、菩薩(ぼさつ)に頂礼(ちょうらい)した。
正(まさ)にこれ、
木吒(もくさ)は径(ただ)ちに東洋海(とうようかい)に回(かえ)り、
三蔵(さんぞう)は馬(うま)に上(のぼ)って却(かえ)って西(にし)に投(とう)ず。
畢竟(ひっきょう)いつの時(とき)になってか正果(しょうか)を得(え)て経(きょう)を求(もと)め得(う)るかは、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。