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023 第二十三回 三蔵(さんぞう)本(もと)を忘(わす)れず 四聖(しせい)禅心(ぜんしん)を試(こころ)みる

詩(し)に曰(いわ)く。

法(ほう)を奉(ほう)じて西(にし)より来(きた)れば道路(どうろ)赊(とお)く、
秋風(しゅうふう)淅淅(せきせき)として霜花(そうか)落(お)つ。
乖猿(かいえん)は牢(ろう)に鎖(とざ)されて縄(なわ)を解(と)くを休(や)めよ、
劣馬(れつば)は勤(つと)めて兜(おさ)えて鞭(むち)を加(くわ)うること莫(なか)れ。
木母金公(もくぼきんこう)は原(もと)より自(おの)ずから合(がっ)し、
黄婆赤子(こうばせきし)は本(もと)より差(ちが)い無(な)し。
鉄弾(てつだん)を咬(か)み開(ひら)けば真消息(しんしょうそく=まことの消息)、
般若波羅(はんにゃはら)かの家(いえ)に到(いた)らん。

この回(かい)の書(しょ)は、蓋(けだ)し経(きょう)を取(と)るの道(みち)の、一身(いっしん)の本(もと)を務(つと)むる道(みち)を離(はな)れざるを言(い)うなり。さて、彼(かれ)が師徒(しと)の四衆(よんしゅ)は、真如(しんにょ)を了悟(りょうご)し、頓(とみ)に塵鎖(じんさ=俗世の鎖)を開(ひら)き、自(おの)ずから性海流沙(しょうかいりゅうさ)を跳(と)び出(で)て、渾(すべ)て掛礙(けげ=妨げ)無(な)く、まっすぐ大路(たいろ)を西(にし)へと投(とう)じて来(きた)った。青山緑水(せいざんりょくすい)を歴遍(れきへん=くまなく巡)り、野草閑花(やそうかんか=野の草や花)を看(み)れど尽(つ)きず。まことに光陰(こういん)迅速(じんそく)にして、また九秋(きゅうしゅう=晩秋)に値(あた)り、ただ些(いささ)かの楓葉(ふうよう)の山(やま)に満(み)ちて紅(あか)く、黄花(こうか=菊)の晩風(ばんぷう)に耐(た)えるを見(み)たり。老蝉(ろうせん)は吟(ぎん)じて漸(ようや)く懶(ものう)く、愁蟋(しゅうしつ=愁えるこおろぎ)は思(おも)い無窮(むきゅう)なり。荷(はす)は青綾扇(せいりょうせん)を破(やぶ)り、橙(だいだい)は金弾叢(きんだんそう)に香(かお)る。哀(あわ)れなるかな数行(すうこう)の雁(かり)、点点(てんてん)として遠(とお)く空(そら)に排(なら)ぶ。

正(まさ)に走(はし)る処(ところ)、覚(おぼ)えず天(てん)は晩(おそ)くなった。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「徒弟(とてい)よ、今(いま)天色(てんしょく)はまた晩(おそ)うなったが、却(かえ)ってどこへ往(ゆ)きて安歇(あんけつ=休み泊まる)しようぞ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「師父(しふ)の言(い)われることは差(たが)っておる。出家人(しゅっけにん)は風(かぜ)を餐(くら)い水(みず)に宿(やど)り、月(つき)に臥(ふ)し霜(しも)に眠(ねむ)る、随処(ずいしょ)がすなわち家(いえ)じゃ。またどこへ安歇(あんけつ)すると問(と)われるは、何(なん)のためか」と。

猪八戒(ちょはっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、そちらはただ自分(じぶん)が路(みち)を走(はし)るのが軽省(けいしょう=楽)なのを知(し)るのみで、そこの他(た)の者(もの)の累墜(るいつい=厄介)が管(かま)えられようか。流沙河(りゅうさが)を過(す)ぎてより、このところ山(やま)を爬(よじ)り嶺(みね)を過(す)ぎ、身(み)には重(おも)き担(に)を挑(にな)って、老大(ろうだい=たいそう)挨(しの)び難(がた)いのじゃ。須(すべから)く人(ひと)の家(いえ)を尋(たず)ね、一(ひとつ)には些(いささ)かの茶飯(さはん)を化(こ)し、二(ふたつ)には精神(せいしん)を養養(ようよう=養い)してこそ、ようやくこれ一(ひと)つの道理(どうり)であろう」と。

行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「呆子(ほうし)よ、汝(なんじ)のこのような言語(げんご)は、報怨(ほうえん=恨み言)の心(こころ)の有(あ)るに似(に)ておる。また高老荘(こうろうしょう)に在(あ)って、懶(ものう)きに倚(よ)りて福(ふく)を求(もと)めぬ自在(じざい)をなしたのに象(かたど)っておるが、恐(おそ)らくは能(あた)わぬであろう。既(すで)に正(ただ)しい沙門(しゃもん)を秉(と)るからには、須(すべから)く辛(から)きを食(くら)い苦(くるしみ)を受(う)けてこそ、ようやく徒弟(とてい)と作(な)れるのじゃ」と。

八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、そちらこの行李(こうり)の担(に)のどれほど重(おも)いかを見(み)られよ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「兄弟(けいてい)よ、汝(なんじ)と沙僧(さそう)とがおってより、我(われ)はまた曾(かつ)て挑(にな)うたことが無(な)いゆえ、どうしてその重(おも)さを知(し)ろうか」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、そちら数(かず)を見(み)てくれよ。四片(よんぺん)の黄藤蔑(おうとうべつ=黄藤の編み)、長短(ちょうたん)八条(はちじょう)の縄(なわ)。また陰雨(いんう)を防(ふせ)がねばならず、氈包(せんほう=毛氈の包み)三四層(さんよんそう)。匾担(へんたん=扁担)はまた滑(すべ)るを愁(うれ)え、両頭(りょうとう)に釘(くぎ)を釘上(うちあ)げ、銅(どう)を鑲(ちりば)め鉄(てつ)を打(う)ちたる九環杖(きゅうかんじょう)、篾絲(べっし)に藤(ふじ)を纏(まと)わせたる大斗篷(だいとうほう=大きな外套)。このように多(おお)くの行李(こうり)を、難(なん)じて老猪(ろうちょ)ひとりが日々(ひび)家(いえ)のように担(にな)って走(はし)るのに、偏(ひと)えに汝(なんじ)は師父(しふ)に跟(したが)って徒弟(とてい)と作(な)り、我(われ)をして長工(ちょうこう=雇い人)と做(な)さしむる」と。

行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「呆子(ほうし)よ、汝(なんじ)は誰(だれ)に言(い)っておるのか」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、汝(なんじ)に言(い)っておるのじゃ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「我(われ)に言(い)うのは錯(あやま)りじゃ。老孫(ろうそん)はただ師父(しふ)の好歹(こうだい=安否)のみを管(かま)え、汝(なんじ)と沙僧(さそう)とは、専(もっぱ)ら行李(こうり)と馬匹(ばひつ)とを管(かま)えるのじゃ。もし些(いささ)かでも怠慢(たいまん)したならば、孤拐(こかい=くるぶし)のうえに先(ま)ずこれ一頓(いっとん)の粗棍(そぼう=太い棒)ぞ」と。

八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、打(う)つことは言(い)わぬでくれ。打(う)つはすなわちこれ力(ちから)を以(もっ)て人(ひと)を欺(あざむ)くものじゃ。我(われ)はそちらが尊性(そんせい=ご性格)の高傲(こうごう)なるを暁(さと)っておるゆえ、そちらは定(さだ)めて肯(あえ)て挑(にな)わぬのであろう。しかし師父(しふ)が騎(の)るあの馬(うま)は、あのように高大(こうだい)にして肥盛(ひせい=肥え太り)、ただ老和尚(ろうおしょう)ひとりを馱(おぶ)うておるのみゆえ、彼(かれ)に幾件(いくけん)かを帯(お)ばしめても、これまた弟兄(ていけい=兄弟)の情(じょう)であろう」と。

行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)は彼(かれ)を馬(うま)と言(い)うが、彼(かれ)は凡馬(ぼんば)では無(な)い。本(もと)これ西海龍王(せいかいりゅうおう)敖閏(ごうじゅん)の子(こ)、名(な)を龍馬三太子(りゅうばさんたいし)と喚(よ)ぶ。只(た)だ縦(ほしいまま)に火(ひ)を放(はな)って殿上(でんじょう)の明珠(めいしゅ)を焼(や)いたに因(よ)り、彼(かれ)が父(ちち)に忤逆(ごぎゃく=親に背く罪)を告(つ)げられ、身(み)は天条(てんじょう=天の掟)を犯(おか)したが、多(おお)く観音菩薩(かんのんぼさつ)が彼(かれ)の性命(せいめい)を救(すく)うてくださったことに虧(よ)れた。彼(かれ)はあの鷹愁陡澗(おうしゅうとうかん)に在(あ)って、久(ひさ)しく師父(しふ)を等(ま)ち、また幸(さいわ)いに菩薩(ぼさつ)の親(みずか)ら臨(のぞ)まれたを得(え)、すなわち彼(かれ)をして鱗(うろこ)を退(しりぞ)け角(つの)を去(さ)らせ、項下(こうか)の珠(たま)を摘(つ)み取(と)らせて、ようやくこの匹(ひき)の馬(うま)に変(へん)じ、願(ねが)うて師父(しふ)を馱(おぶ)うて西天(せいてん)へと往(ゆ)きて仏(ほとけ)を拝(おが)まんとしておるのじゃ。これらは皆(みな)おのおのの功果(こうか=功徳)であり、汝(なんじ)彼(かれ)を攀(ひきあいに出)すな」と。

かの沙僧(さそう)はこれを聞(き)いて言(い)った。「兄貴(あにき)、まことに龍(りゅう)でございますか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「然(しか)り、龍(りゅう)じゃ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、我(われ)は古人(こじん)の云(い)えるを聞(き)いておる。『龍(りゅう)は能(よ)く雲(くも)を噴(ふ)き霧(きり)を噯(いぶ)らせ、土(つち)を播(ま)き沙(すな)を揚(あ)ぐ。巴山捎嶺(はざんしょうれい=山を引き裂き嶺を削る)の手段(しゅだん)有(あ)り、翻江攪海(ほんこうかくかい=川をひっくり返し海をかき回す)の神通(じんつう)有(あ)り』と。どうして彼(かれ)は今日(こんにち)このように慢慢(のろのろ)と走(ある)くのです」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)が彼(かれ)を速(すみや)かに走(はし)らせたければ、我(われ)が彼(かれ)を速(すみや)かに走(はし)らせて汝(なんじ)に看(み)せてやろう」と。

好(よ)し、大聖(たいせい)は金箍棒(きんこぼう)を揝一揝(つかにぎり)すれば、万道(ばんどう)の彩雲(さいうん)生(しょう)じた。かの馬(うま)は棒(ぼう)を拿(と)るのを見(み)て、怕(おそ)らくは打(う)たれ来(きた)るかと、慌(あわ)てて四(よ)つの蹄(ひづめ)を飛電(ひでん)の如(ごと)く疾(はや)くし、颼(しゅう)と跑(はし)って往(ゆ)ってしまった。かの師父(しふ)は手(て)軟(よわ)くして勒(たづな)を制(おさ)えきれず、彼(かれ)が劣性(れっせい=荒い性分)に任(まか)せて、山崖(さんがい)へと奔(はし)り上(のぼ)り、ようやく大達辿歩(だいたつてんぽ=大きくよろめき歩)いた。

師父(しふ)は喘息(ぜんそく)ようやく定(さだ)まり、頭(あたま)を上(あ)げて遠(とお)くに一簇(いっそく)の松陰(しょういん=松の木陰)を望見(ぼうけん)するに、内(うち)に幾間(いくけん)かの房舎(ぼうしゃ)が有(あ)って、いかにも軒昂(けんこう=立派)であった。

門(もん)には翠柏(すいはく=緑の柏)垂(た)れ、宅(いえ)は青山(せいざん)に近(ちか)し。
幾株(いくしゅ)の松(まつ)は冉冉(ぜんぜん)として、数茎(すうけい)の竹(たけ)は班班(はんはん)たり。
籬(まがき)の辺(ほとり)の野菊(やぎく)は霜(しも)を凝(こ)らして艶(あで)やかに、
橋(はし)の畔(ほとり)の幽蘭(ゆうらん)は水(みず)に映(うつ)って丹(あか)し。
粉泥(ふんでい)の牆壁(しょうへき)、磚(せん)を砌(つみ)あげたる囲圜(いかん=囲い)。
高堂(こうどう)は壮麗(そうれい)多(おお)く、大厦(たいか)は甚(はなは)だ清安(せいあん)なり。
牛羊(ぎゅうよう)見(み)えずして鶏犬(けいけん)無(な)きは、想(おも)うにこれ秋収(しゅうしゅう)の農事(のうじ)の閑(ひま)なるならん。

かの師父(しふ)がちょうど轡(くつわ)を按(おさ)えて徐(おもむろ)に観(み)ておると、また悟空(ごくう)の兄弟(けいてい)たちが方(まさ)に到(いた)ったのが見(み)えた。悟浄(ごじょう)が言(い)うには、「師父(しふ)は曾(かつ)て馬(うま)より跌(お)ち下(くだ)られなんだか」と。長老(ちょうろう)は罵(ののし)って言(い)った。「悟空(ごくう)というこの潑猴(はっこう)め、彼(かれ)は馬(うま)を驚(おどろ)かせおった。早(はや)くも我(われ)がなお騎(の)り堪(こら)えておったゆえよかったものを」と。行者(ぎょうじゃ)は陪(したが)い笑(わら)って言(い)った。「師父(しふ)、我(われ)を罵(ののし)らるるな、皆(みな)これ猪八戒(ちょはっかい)が馬(うま)の行(ゆ)くの遅(おそ)いと言(い)うたゆえ、これによって彼(かれ)を些(いささ)か速(すみや)かにさせたまでのことじゃ」と。

かの呆子(ほうし)は馬(うま)を赶(お)うために、些(いささ)か急(いそ)ぎて走(はし)ったゆえ、喘気嘘嘘(ぜんききょきょ=息を切らし)、口(くち)の裡(うち)で唧唧噥噥(しつしつのうのう=ぶつぶつ)と鬧(さわ)いで言(い)うには、「了(おしま)いじゃ、了(おしま)いじゃ。見(み)よ、自(おの)ずから肚別(とべつ=腹はへこみ)腰松(ようしょう=腰はだるく)、担子(たんす=荷)は沉重(ちんじゅう)にして、挑(にな)い上(あ)げることもできぬのに、また我(われ)を弄(ろう)して奔奔波波(ほんぽんはは=あちこち走り)と馬(うま)を赶(お)わせおる」と。

長老(ちょうろう)が言(い)うには、「徒弟(とてい)よ、汝(なんじ)且(しばら)くあの壁廂(へきしょう=かたわら)を看(み)よ。一(ひと)つの莊院(しょういん)が有(あ)る。我(われ)らは却(かえ)って好(よ)く借宿(しゃくしゅく=宿を借り)に往(ゆ)けようぞ」と。行者(ぎょうじゃ)はこれを聞(き)いて、急(いそ)ぎ頭(あたま)を上(あ)げて目(め)を挙(あ)げて看(み)るに、果(はた)してあの半空(はんくう)の中(なか)に慶雲(けいうん)の籠罩(ろうとう=覆い)し、瑞靄(ずいあい)の遮盈(しゃえい=満ちあふれ)ておるのが見(み)え、情(こころ)でこれが定(さだ)めて仏仙(ぶっせん)の点化(てんげ)であると知(し)ったが、彼(かれ)はあえて天機(てんき)を泄漏(ろう=漏ら)さず、ただ言(い)った。「好(よ)し、好(よ)し、好(よ)し。我(われ)らは借宿(しゃくしゅく)に往(ゆ)こう」と。

長老(ちょうろう)は慌(あわ)てて馬(うま)より下(お)りて、一(ひと)つの門楼(もんろう)を見(み)るに、すなわちこれ垂蓮象鼻(すいれんぞうび=垂れ蓮と象の鼻の彫刻)、画棟雕梁(がとうちょうりょう=彩色彫刻の梁)であった。沙僧(さそう)は担(に)を歇(やす)め、八戒(はっかい)は馬匹(ばひつ)を牽(ひ)いて言(い)った。「この人家(じんか)は、これ過当(かとう=並外れ)の富実(ふじつ=富裕)の家(いえ)でございます」と。行者(ぎょうじゃ)はすなわち中(なか)へ入(い)ろうとしたが、三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「不可(いけ)ぬ、汝(なんじ)と我(われ)は出家人(しゅっけにん)であるゆえ、おのおの些(いささ)かの嫌疑(けんぎ=疑い)を避(さ)け、切(きっ)して擅(ほしいまま)に入(い)ること莫(なか)れ。且(しばら)く自(おの)ずから彼(かれ)より人(ひと)の出(で)て来(く)るを等(ま)ち、礼(れい)を以(もっ)て宿(やど)を求(もと)めてこそ、方(まさ)に可(よ)いのじゃ」と。八戒(はっかい)は馬(うま)を拴(つな)ぎ、斜(なな)めに墻根(しょうこん=塀の根)の下(した)に倚(よ)り、三蔵(さんぞう)は石鼓(せっこ=石の鼓)のうえに坐(ざ)し、行者(ぎょうじゃ)と沙僧(さそう)は台基(だいき=土台)の辺(ほとり)に坐(ざ)した。久(ひさ)しくして人(ひと)の出(で)ることは無(な)かった。

行者(ぎょうじゃ)は性急(せいきゅう)に、跳(と)び起(お)きて門(もん)の裡(うち)へと入(い)り看(み)るに、元来(がんらい)南(みなみ)に向(むか)える三間(さんげん)の大庁(だいちょう)が有(あ)って、簾櫳(れんろう=簾や格子)は高(たか)く控(ひきあ)げられておった。屏門(へいもん)のうえには、一軸(いちじく)の「寿山福海(じゅざんふくかい)」の横披画(おうひが=掛軸)が掛(か)かり、両辺(りょうへん)の金漆柱(きんしつちゅう=金塗りの柱)のうえには、一幅(いっぷく)の大紅紙(だいこうし)の春聯(しゅんれん)が貼(は)られて、その上(うえ)に書(か)きて有(あ)るは。

絲(いと)は弱柳(じゃくりゅう)に飄(ただよ)いて平橋(へいきょう)晩(く)れ、
雪(ゆき)は香梅(こうばい)に点(てん)じて小院(しょういん)春(はる)なり。

正(まさ)に中間(ちゅうかん)には、一張(いっちょう)の退光(たいこう=つや消し)の黒漆(こくしつ)の香几(こうき=香炉台)を設(もう)け、几(き)のうえに一(ひと)つの古銅獣炉(こどうじゅうろ=古い銅の獣形香炉)を放(お)く。上(うえ)に六張(ろくちょう)の交椅(こうい=折り畳み椅子)が有(あ)り、両山頭(りょうさんとう=両側の妻壁)には四季(しき)の吊屏(ちょうへい=掛け屏風)が掛(か)かっておった。

行者(ぎょうじゃ)がちょうど偷(ひそ)かに看(み)ておる処(ところ)、忽(たちま)ち後門(こうもん)の内(うち)に脚步(きゃくほ=足音)の声(こえ)の有(あ)るのが聞(き)こえ、一人(ひとり)の半老不老(はんろうふろう=中年)の婦人(ふじん)が歩(あゆ)み出(で)て来(き)て、嬌(なまめか)しき声(こえ)で問(と)うて言(い)うには、「何(なん)の者(もの)か、我(わ)が寡婦(かふ=やもめ)の門(もん)に擅(ほしいまま)に入(い)るとは」と。慌(あわ)てたのは大聖(たいせい)で、喏喏(じゃくじゃく)と声(こえ)を連(つら)ねて言(い)った。「小僧(こそう)は東土(とうど)大唐(だいとう)より来(きた)った者(もの)、旨(むね)を奉(ほう)じて西方(せいほう)に向(むか)い仏(ほとけ)を拝(おが)み経(きょう)を求(もと)めんとす。一行(いっこう)四衆(よんしゅ)、宝方(ほうほう=貴地)を路過(ろか)するに、天色(てんしょく)既(すで)に晩(おそ)し。特に老菩薩(ろうぼさつ)が檀府(だんぷ=お宅)へと奔(はし)り来(きた)り、一宵(いっしょう)を告借(こくしゃく)もうしあげる」と。

かの婦人(ふじん)は笑語(しょうご=笑い言葉)をもって相(あい)迎(むか)えて言(い)った。「長老(ちょうろう)、あの三方(さんぽう=三人)はどこに在(おわ)しますか。請(こ)う、来(こ)させられよ」と。行者(ぎょうじゃ)は声(こえ)を高(たか)くして叫(よ)んだ。「師父(しふ)、請(こ)う、中(なか)へ入(い)られよ」と。三蔵(さんぞう)はようやく八戒(はっかい)や沙僧(さそう)と馬(うま)を牽(ひ)き担(に)を挑(にな)って入(い)り、かの婦人(ふじん)が庁(ちょう)を出(で)て迎接(げいせつ)するのが見(み)えた。八戒(はっかい)は眼(め)を饧(とろ)けさせて偷(ひそ)かに看(み)たが、汝(なんじ)彼(かれ)のいかなる扮装(ふんそう)をなすかと言(い)わんや。

一(ひと)つの織金(しょくきん=金糸織り)の官緑(かんりょく=深緑)の紵絲襖(ちょしおう=絹の上着)を穿(き)、
上(うえ)には浅紅(せんこう=淡い紅)の比甲(ひこう=袖なし)を罩(おお)い、
一(ひと)つの結彩(けっさい=彩りの)鵝黄(がおう)の錦繍裙(きんしゅくん=錦のスカート)を系(むす)び、
下(した)には高底(こうてい=厚底)の花鞋(かかい=刺繍靴)を映(うつ)す。
時様(じよう=当世風)の鬘髻(まんけい=髷)に皂紗(そうしゃ=黒い紗)漫(おお)い、
相(あい)襯(そ)えて二色(にしょく)の盤龍髪(ばんりゅうはつ=龍を巻いた髪)。
宮様(ぐうよう=宮中風)の牙梳(がしょ=象牙の櫛)に朱翠(しゅすい)晃(きらめ)き、
斜(なな)めに二股(ふたまた)の赤金釵(せききんさ=金のかんざし)を簪(さ)す。
雲鬢(うんびん=黒髪)は半(なか)ば蒼(しら)がれて鳳翅(ほうし=鳳凰の羽)を飛(と)ばし、
耳環(じかん=耳飾り)は双(ふた)つながら宝珠(ほうじゅ)を排(なら)べて墜(さ)がる。
脂粉(しふん=おしろい)を施(ほどこ)さずともなお自(おの)ずから美(うつく)しく、
風流(ふうりゅう)はまた少年(しょうねん)の才(さい)に似(に)たり。

かの婦人(ふじん)は彼(かれ)ら三衆(さんしゅ)を見(み)て、更(さら)に欣喜(きんき)を加(くわ)え、礼(れい)を以(もっ)て庁房(ちょうぼう=客間)に邀(まね)き入(い)れ、一一(いちいち)に相見(そうけん)して礼(れい)を畢(おわ)り、各(おのおの)に叙坐(じょざ)して茶(ちゃ)を看(み)ることを請(こ)うた。かの屏風(びょうぶ)の後(うしろ)より、忽(たちま)ち一人(ひとり)の丫髻垂絲(あけいすいし=垂髪の)の女童(じょどう)が、黄金盤(おうごんばん)と白玉盞(はくぎょくさん)とを托(ささ)げ、香茶(こうちゃ)は暖気(だんき)を噴(ふ)き、異果(いか)は幽香(ゆうこう)を散(さん)じて出(で)て来(き)た。かの人(ひと)は彩袖(さいしゅう)を綽(ひるがえ)して、春筍(しゅんじゅん=筍のような指)は纖長(せんちょう=ほっそり長く)、玉盞(ぎょくさん)を擎(ささ)げて、茶(ちゃ)を伝(つた)えて上(かみ)に奉(ほう)じ、彼(かれ)らに向(むか)って一一(いちいち)に拝(おが)んだ。茶(ちゃ)が畢(おわ)ると、また斎(とき=食事)を弁(ととの)えるよう吩咐(いいつけ)た。

三蔵(さんぞう)は手(て)を啓(こうまぬか=捧げ)して言(い)った。「老菩薩(ろうぼさつ)、ご高姓(こうせい=お名前)は。貴地(きち)は何(なん)の地名(ちめい)でありましょう」と。婦人(ふじん)が言(い)うには、「此間(ここ)はこれ西牛賀洲(さいごがしゅう)の地(ち)でございます。小婦人(しょうふじん=わたくし)の娘家(じょうか=実家)は姓(せい)を賈(か)と申(もう)し、夫家(ふか=嫁ぎ先)は姓(せい)を莫(ばく)と申します。幼年(ようねん)に幸(さいわ)い薄(うす)く、公姑(こうこ=夫の両親)は早(はや)く亡(な)くなり、丈夫(じょうふ=夫)と祖業(そぎょう=先祖の家業)を守承(しゅしょう=守り継)ぎ、家資(かし=財産)万貫(ばんかん)、良田(りょうでん)千頃(せんけい)が有(あ)ります。夫妻(ふさい)たちは命(めい)の裡(うち)に子(こ)無(な)く、ただ三人(さんにん)の女孩児(じょがいじ=娘)を生(う)みましたが、前年(ぜんねん)に大(おお)いなる不幸(ふこう)にしてまた丈夫(じょうふ)を喪(うしな)い、小婦(しょうふ=わたくし)は居孀(きょそう=未亡人)となり、今歳(こんさい)服(ぶく=喪)が満(み)ちました。空(むな)しく田産家業(でんさんかぎょう)を遺(のこ)されても、また眷族(けんぞく)や親人(しんじん=身内)の有(あ)ること無(な)く、ただ我(わ)が娘女(じょうじょ=母と娘)どもが承領(しょうりょう=引き継い)でおります。他(た)の者(もの)に嫁(とつ)ごうにも、また家業(かぎょう)を捨(す)て難(がた)うございます。たまたま長老(ちょうろう)の下降(かこう=おいで)を承(うけたまわ)りましたが、想(おも)うに師徒(しと)四衆(よんしゅ)でございましょう。小婦(しょうふ)が娘女(じょうじょ)四人(よんにん)、意(こころ)は山(やま)に坐(ざ)して夫(おっと)を招(まね)かんと欲(ほっ)しますに、四位(よい)は恰好(かっこう=ぴったり)でございますが、尊意(そんい=お考え)の肯(うべな)うや否(いな)やを知(し)りませぬ」と。

三蔵(さんぞう)はこれを聞(き)いて、聾(つんぼ)を推(お)し啞(おし)を粧(よそお)い、目(め)を瞑(つむ)り心(こころ)を寧(やす)んじて、寂然(せきぜん)として答(こた)えなんだ。

かの婦人(ふじん)が言(い)うには、「舎下(しゃか=わが家)には水田(すいでん)三百余頃(さんびゃくよけい)、旱田(かんでん)三百余頃(さんびゃくよけい)、山場果木(さんばかぼく=山の果樹)三百余頃(さんびゃくよけい)が有(あ)り、黄水牛(こうすいぎゅう)は一千余隻(いっせんよせき)有(あ)り、況(いわ)んや騾馬(らば)は群(むれ)を成(な)し、猪羊(ちょよう=豚や羊)は数(かず)無(な)し。東南西北(とうなんせいほく)、莊堡(しょうほ=荘園)や草場(そうば=牧草地)は、共(あわ)せて六七十処(ろくしちじっしょ)有(あ)ります。家下(かか=家中)には八九年(はちくねん)用(もち)い着(き)らぬ米穀(べいこく)が有(あ)り、十来年(じゅうらいねん)穿(き)られぬ綾羅(りょうら)が有(あ)り、一生(いっしょう)使(つか)い着(き)らぬ金銀(きんぎん)が有(あ)りて、かの錦帳(きんちょう=錦の帳)に春(はる)を蔵(かく)すにも勝(まさ)り、何(なん)の金釵(きんさ)両行(りょうこう=二列)などと言(い)わずや。汝(なんじ)ら師徒(しと)たちもし肯(あえ)て心(こころ)を回(めぐ)らし意(い)を転(てん)じて、寒家(かんか=わが家)に招贅(しょうぜい=婿入り)し、自自(じじ)在在(ざいざい=のびのび)として栄華(えいが)を享用(しょうよう=味わ)いなば、却(かえ)って西(にし)へと往(ゆ)きて労碌(ろうろく=苦労)するに強(まさ)らずや」と。

かの三蔵(さんぞう)はまたただこれ痴(おろか)なるが如(ごと)く蠢(にぶ)きが如(ごと)く、黙黙(もくもく)として言(ことば)無(な)かった。

かの婦人(ふじん)が言(い)うには、「我(われ)は丁亥年(ていがいねん)三月(さんがつ)初三日(しょさんにち)の酉時(ゆうじ)に生(う)まれたる者(もの)なり。故夫(こふ=亡き夫)は我(われ)より年(とし)三(みっ)つ大(おお)きく、我(われ)は今年(ことし)四十五歳(よんじゅうごさい)なり。大(だい)の娘(むすめ)は名(な)を真真(しんしん)と申(もう)し、今年(ことし)二十歳(にじゅっさい)、次(つぎ)の女(むすめ)は名(な)を愛愛(あいあい)と申(もう)し、今年(ことし)十八歳(じゅうはっさい)、三(さん)の小女(しょうじょ)は名(な)を憐憐(りんりん)と申(もう)し、今年(ことし)十六歳(じゅうろくさい)で、俱(とも)に曾(かつ)て人家(じんか)に許配(きょはい=嫁入りの約束)しておりませぬ。小婦人(しょうふじん)の醜陋(しゅうろう=醜い)なるは然(しか)りといえど、幸(さいわ)いに小女(しょうじょ)たちは俱(とも)に些(いささ)かの顔色(がんしょく=器量)有(あ)り、女工(じょこう=裁縫)や針指(しんし=針仕事)の、会(え)せぬことは無(な)く、先夫(せんぷ)に子(こ)無(な)かりしに因(よ)り、すなわち彼(かれ)らを把(も)って子(こ)と当(あ)てて看養(かんよう=養育)し、小(ちい)さき時(とき)にもまた彼(かれ)らに些(いささ)かの儒書(じゅしょ)を読(よ)ませ、また皆(みな)些(いささ)かの詩(し)を吟(ぎん)じ対(つい)を作(つく)ることを暁(さと)っております。山莊(さんしょう)に居住(きょじゅう)しておるとはいえ、またあの十分(じゅうぶん)に粗俗(そぞく)なるの類(たぐい)ではありませぬ。料(はか)るにまた列位(れっい=皆様)の長老(ちょうろう)に配(はい)し過(す)ぎるでありましょう。もし肯(あえ)て懐抱(かいほう=心)を放(はな)ち開(ひら)き、長(なが)き髪(かみ)を留(とど)めて頭(あたま)を保(たも)ち、舎下(しゃか)と一(ひと)つの家長(かちょう=旦那)と做(な)り、綾(あやぎぬ)を穿(き)錦(にしき)を着(つ)けなば、かの瓦鉢(がはつ=素焼きの鉢)や緇衣(しい=黒衣)、雪鞋(せっかい=雪沓)や雲笠(うんりゅう=雲のような笠)に勝(まさ)るでありましょう」と。

三蔵(さんぞう)は上(うえ)に坐(ざ)して、好(よ)きかな、雷(いかずち)に驚(おどろ)ける子供(こども)の如(ごと)く、雨(あめ)に淋(そそ)がれたる蝦蟇(がま)の如(ごと)く、ただ呆呆掙掙(ほうほうそうそう=ぼんやり)として、白(しろ)き眼(め)を翻(ひるがえ)して上(うえ)を打仰(うちあお)いでおった。

かの八戒(はっかい)はこのような富貴(ふうき)、このような美色(びしょく)を聞(き)いて、彼(かれ)は心(こころ)痒(かゆ)くして撓(か)き難(がた)く、あの椅子(いす)のうえに坐(ざ)しておれど、一(ひと)つの針(はり)の尻(しり)を戳(つ)くが如(ごと)く、左(ひだり)に扭(ひね)り右(みぎ)に扭(ひね)りして、耐(た)え忍(しの)びきれなんだ。前(まえ)へと歩(あゆ)み上(よ)り、師父(しふ)を一把(ひとつかみ)扯(ひ)いて言(い)った。「師父(しふ)、この娘子(じょうし=奥方)がそなたに話(はなし)を告誦(こくしょう=申し上げ)ておられるに、どうして佯佯(ようよう)として睬(みむき)もせぬのですか。好道(こうどう=せめて)また一(ひと)つの理会(りかい=返事)をなされてもよいでしょうに」と。

かの師父(しふ)は猛(たけ)だけしく頭(あたま)を上(あ)げ、咄(とつ)という一声(ひとこえ)もろとも、八戒(はっかい)を喝(かつ)して退(しりぞ)けて言(い)った。「汝(なんじ)というこの孽畜(げっちく=畜生)め。我(われ)らはこれ一(ひと)りの出家人(しゅっけにん)であるぞ。豈(あ)に富貴(ふうき)を以(もっ)て心(こころ)を動(うご)かし、美色(びしょく)に意(こころ)を留(とど)めて、何(なん)の道理(どうり)を成(な)し得(え)ようか」と。

かの婦人(ふじん)は笑(わら)って言(い)った。「哀(あわ)れなるかな、哀(あわ)れなるかな。出家人(しゅっけにん)に何(なん)の好(よ)き処(ところ)が有(あ)ろうか」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「女菩薩(にょぼさつ)、そなたは在家人(ざいけにん=在家の者)であるが、却(かえ)って何(なん)の好(よ)き処(ところ)が有(あ)るか」と。かの婦人(ふじん)が言(い)うには、「長老(ちょうろう)、請(こ)う坐(ざ)せよ。我(われ)が在家人(ざいけにん)の好(よ)き処(ところ)を説(と)きて汝(なんじ)に聴(き)かせよう。どうしてそれと見(み)えんか。詩(し)が有(あ)って証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く。

春(はる)には方勝(ほうしょう=菱模様)を裁(た)ちて新羅(しんら)を着(き)、
夏(なつ)には軽紗(けいしゃ=薄絹)に換(か)えて緑荷(りょくか)を賞(め)づ。
秋(あき)には新蒭(しんすう=新酒)や香糯酒(こうだしゅ=香り高いもち米の酒)有(あ)り、
冬(ふゆ)来(きた)れば暖閣(だんかく=暖かき部屋)に顔(かお)を酡(あか)らませて酔(よ)う。
四時(しじ)の受用(じゅよう=楽しみ)は般般(はんはん)にして有(あ)り、
八節(はっせつ)の珍羞(ちんしゅう=ご馳走)は件件(けんけん)にして多(おお)し。
錦(にしき)を襯(した)に綾(あやぎぬ)を鋪(し)く花燭(かしょく)の夜(よる)、
行脚(あんぎゃ)して弥陀(みだ)を礼(らい)するに強(まさ)るなり。

三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「女菩薩(にょぼさつ)、そなたが在家人(ざいけにん)として栄華(えいが)を享(う)け富貴(ふうき)を受(う)け、穿(き)るもの有(あ)り、食(くら)うもの有(あ)り、児女(じじょ=子供)団円(だんえん)するは、果(はた)して好(よ)いでありましょう。しかし我(われ)が出家(しゅっけ)の者(もの)にもまた一(ひと)くだりの好(よ)き処(ところ)が有(あ)るを知(し)られませぬ。どうしてそれと見(み)えんか。詩(し)が有(あ)って証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く。

出家(しゅっけ)して志(こころざし)を立(た)つるは本(もと)より常(つね)ならず、
従前(じゅうぜん)の恩愛堂(おんあいどう=恩愛の家)を推(お)し倒(たお)す。
外物(がいぶつ)は閑(むだ)なる口舌(こうぜつ=口論)を生(しょう)ぜず、
身中(しんちゅう)に自(おの)ずから好(よ)き陰陽(いんよう)有(あ)り。
功(こう)完(まっと)うし行(ぎょう)満(み)ちて金闕(きんけつ=天帝の宮)に朝(ちょう)し、
性(しょう)を見(み)心(こころ)を明(あきら)かにして故郷(こきょう)に返(かえ)る。
家(いえ)に在(あ)りて血食(けっしょく=生臭物)を貪(むさぼ)るに勝(まさ)り、
老(お)いて臭皮嚢(しゅうひのう=臭い皮袋)に堕落(だらく)せず。

かの婦人(ふじん)はこれを聞(き)いて大(おお)いに怒(いか)って言(い)った。「この潑和尚(はつおしょう)め、無礼(ぶれい)なり。我(われ)もし汝(なんじ)が東土(とうど)より遠(とお)く来(きた)れるを看(み)ずんば、すなわち叱(しか)り出(だ)すべきところじゃ。我(われ)はかえってこれ一(ひと)つの真心実意(しんしんじつい)で、家縁(かえん=家財)を把(も)って汝(なんじ)らを招贅(しょうぜい)しようとしたに、汝(なんじ)はかえって言語(げんご)を将(も)って我(われ)を傷(きずつ)けるとは。汝(なんじ)がたとえ戒(かい)を受(う)け、願(がん)を発(おこ)して、永(とこしえ)に還俗(げんぞく=俗に戻る)せぬとしても、好道(こうどう=いずれにせよ)汝(なんじ)が手下(しゅか=手下)の者(もの)なら、我(わ)が家(いえ)にもまた一(ひと)り招(まね)き得(え)よう。汝(なんじ)どうしてこのように法(ほう)を執(と)るか」と。

三蔵(さんぞう)は彼(かれ)が怒(いか)りを発(はっ)するのを見(み)て、ただ者者謙謙(しゃしゃけんけん=へつらい慎み)して、叫(よ)んで言(い)った。「悟空(ごくう)、汝(なんじ)がここに在(お)れ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「我(われ)は小(ちい)さき時よりあのような事(こと)を干(おこな)うことを暁(さと)らぬ、八戒(はっかい)をしてここに在(お)らしめよ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、人(ひと)を栽(おしつけ)るな。—皆(みな)で従長(じゅうちょう=十分に)計較(けいかく=相談)しようではないか」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「汝(なんじ)ら二人(ふたり)が肯(うべな)わぬなら、すなわち悟浄(ごじょう)をしてここに在(お)らしめよう」と。

沙僧(さそう)が言(い)うには、「汝(なんじ)見(み)よ、師父(しふ)の言(い)われることばを。弟子(でし)は菩薩(ぼさつ)の勧化(かんげ)を蒙(こうむ)り、戒行(かいぎょう)を受(う)けて、師父(しふ)を等候(とうこう=お待ち)しておった。自(おの)ずから師父(しふ)が我(われ)を収(おさ)めてくださってより、また教誨(きょうかい=教え)を承(うけたまわ)り、師父(しふ)に跟(したが)うてなお両月(りょうげつ)にも上(のぼ)らず、更(さら)に曾(かつ)て半分(はんぶん)の功果(こうか)をも進(すす)み得(え)ておらぬに、どうして敢(あ)えてこの富貴(ふうき)を図(はか)ろうか。寧(むし)ろ死(し)するもまた西天(せいてん)へと往(ゆ)かんと欲(ほっ)し、決(けっ)してこの心(こころ)を欺(あざむ)く事(こと)を干(おこな)わぬ」と。

かの婦人(ふじん)は彼(かれ)らが推辞(すいじ=辞退)して肯(うべな)わぬのを見(み)て、急(いそ)ぎ身(み)を抽(ぬ)きて屏風(びょうぶ)の中(なか)へと転(うつ)り入(い)り、撲(ぽん)と腰門(ようもん=中門)を把(も)って関(とざ)してしまった。師徒(しと)たちは外(そと)に撇(す)てられ、茶飯(さはん)は全(まった)く無(な)く、また人(ひと)の出(で)て来(く)ることは無(な)かった。

八戒(はっかい)は心(こころ)の中(なか)で焦燥(しょうそう=いらいら)し、唐僧(とうそう)を埋怨(ばいえん=恨み)して言(い)った。「師父(しふ)はたいそう事(こと)をなすことを暁(さと)らぬ。話(はなし)を通(とお)して説(い)い殺(ころ)してしまわれた。好道(こうどう=せめて)また些(いささ)かの脚児(きゃくじ=余地)を活(い)かして、ただ含糊(がんこ=あいまい)に答(こた)え、彼(かれ)らより些(いささ)かの斎飯(さいはん)を哄(だま)し取(と)って食(くら)い、今晩(こんばん)は一宵(いっしょう)の快活(かいかつ)を得(え)、明日(あす)肯(うべな)うと肯(うべな)わぬとは、汝(なんじ)と我(われ)との上(うえ)に在(あ)るというものじゃ。このように門(もん)を閉(とざ)して出(で)ずんば、我(われ)らのこの清灰冷竈(せいかいれいそう=冷えたかまど)で、一(ひと)夜(よ)をどう過(す)ごせようぞ」と。

悟浄(ごじょう)が言(い)うには、「二哥(にいさん)、汝(なんじ)が彼(かれ)が家(いえ)に在(あ)って一(ひと)りの女婿(じょせい=婿)と做(な)ればよかろう」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄弟(けいてい)よ、人(ひと)を栽(おしつけ)るな。—従長(じゅうちょう)に計較(けいかく)しよう」と。

行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「何(なん)を計較(けいかく)しようか。汝(なんじ)もし肯(うべな)うなら、すなわち師父(しふ)をしてかの婦人(ふじん)と一(ひと)つの親家(しんか=姻戚)と做(な)させ、汝(なんじ)はすなわち一(ひと)つの倒踏門(とうとうもん=婿入り)の女婿(じょせい)と做(な)ればよい。彼(かれ)が家(いえ)はこのように財宝(ざいほう)有(あ)るゆえ、定(かなら)ず倒(さかさま)に妝奩(しょうれん=嫁入り道具)を陪(そ)え、一(ひと)つの会親(かいしん=親族の顔合わせ)の筵席(えんせき)を整治(せいび=ととのえ)よう。我(われ)らもまた些(いささ)かの受用(じゅよう=ご馳走)に落(お)ちよう。汝(なんじ)がこの間(あいだ)に在(あ)って還俗(げんぞく)すれば、却(かえ)ってこれ両全其美(りょうぜんきび=双方にとって結構)ならずや」と。

八戒(はっかい)が言(い)うには、「話(はなし)はまたこのように言(い)えるが、ただこれ我(われ)が俗(ぞく)を脱(だっ)してまた俗(ぞく)に還(かえ)り、妻(つま)を停(とど)めて再(ふたた)び妻(つま)を娶(めと)ることになるのじゃ」と。

沙僧(さそう)が言(い)うには、「二哥(にいさん)は元来(がんらい)嫂子(そうし=兄嫁)が有(あ)ったのか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)はなお彼(かれ)のことを知(し)らぬのじゃ。彼(かれ)は本(もと)これ烏斯蔵(うすぞう)高老児荘(こうろうじしょう)の高太公(こうたいこう)の女婿(じょせい)であった。老孫(ろうそん)に降(くだ)されたに因(よ)り、彼(かれ)もまた曾(かつ)て菩薩(ぼさつ)の戒行(かいぎょう)を受(う)け、没及奈何(なすすべなく=どうしようもなく)、我(われ)に捉(とら)えられて来(き)て一(ひと)りの和尚(おしょう)と做(な)り、これによって前妻(ぜんさい)を棄(す)て、師父(しふ)に投(とう)じて西(にし)へと往(ゆ)きて仏(ほとけ)を拝(おが)む者(もの)じゃ。彼(かれ)は想(おも)うに別離(べつり)の久(ひさ)しきに、またあの勾当(こうとう=こと)を思(おも)い起(お)こし、たった今(いま)この勾当(こうとう)を聞(き)いて、断然(だんぜん)としてまたこの心(こころ)有(あ)るのであろう。呆子(ほうし)よ、汝(なんじ)この家(いえ)の者(もの)と女婿(じょせい)と做(な)れ、ただ老孫(ろうそん)に幾拝(いくばい)も多(おお)く拝(おが)めば、我(われ)は汝(なんじ)を検挙(けんきょ=訴え出)せぬでおこう」と。

かの呆子(ほうし)が言(い)うには、「胡説(こせつ=でたらめ)、胡説(こせつ)。皆(みな)にこの心(こころ)有(あ)るのに、独(ひと)り老猪(ろうちょ=この豚野郎)を拿(とら)えて醜(しこ)を出(だ)すか。常言(じょうげん)に道(い)う、『和尚(おしょう)はこれ色中(しきちゅう)の餓鬼(がき)なり』と。誰(だれ)かこのようにならぬ者(もの)が有(あ)ろうか。皆(みな)このように扭扭捏捏(じゅうじゅうねつねつ=もじもじ)として班児(はんじ=格好)を拿(と)り、好事(こうじ)を皆(みな)弄得(ろうとく=ぶちこわし)てしまった。今(いま)このようでは茶水(ちゃすい)も見(み)えることなく、灯火(とうか)をも管(かま)う者(もの)も無(な)く、この一(ひと)夜(よ)を熬(しの)いだとしても、あの匹(ひき)の馬(うま)は明日(あす)また人(ひと)を馱(おぶ)い、また路(みち)を走(はし)らねばならぬゆえ、もしまたこの一(ひと)夜(よ)を餓(う)えさせたなら、ただ皮(かわ)を剥(は)ぐほかあるまい。汝(なんじ)ら坐(すわ)っておれ、老猪(ろうちょ)が往(ゆ)きて馬(うま)を放放(ほうほう=放牧し)て来(く)るまで」と。

かの呆子(ほうし)は虎急急(こきゅうきゅう=大慌て)と、韁繩(こうじょう=手綱)を解(と)き、馬(うま)を拉(ひ)き出(だ)して往(ゆ)った。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「沙僧(さそう)、汝(なんじ)且(しばら)く師父(しふ)に陪(したが)ってここに坐(ざ)しておれ、老孫(ろうそん)が彼(かれ)に跟(したが)って往(ゆ)き、彼(かれ)のどこへ馬(うま)を放(はな)しに往(ゆ)くかを看(み)て来(く)るまで」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「悟空(ごくう)、汝(なんじ)看(み)るは便(すなわ)ち看(み)て彼(かれ)のもとへ往(ゆ)け、ただこれ只管(ひたすら)に彼(かれ)を嘲(あざけ)ること莫(なか)れ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「我(われ)は暁(さと)っておる」と。

この大聖(たいせい)は庁房(ちょうぼう)を出(で)て往(ゆ)き、身(み)を一(ひと)つ揺(ゆ)るがせて変(へん)じ、一(ひと)つの紅蜻蜓児(こうせいていじ=赤とんぼ)に変(へん)じ、前門(ぜんもん)より飛(と)び出(で)て、八戒(はっかい)に追(お)い上(すが)った。

かの呆子(ほうし)は馬(うま)を拉(ひ)いて、草(くさ)の有(あ)る処(ところ)に在(あ)っても且(しばら)く草(くさ)を食(く)らわしめず、嗒嗒嗤嗤(とうとうしし=とことこ)と、馬(うま)を赶(お)い立(た)てて、後門(こうもん)の首(もと)へと転(めぐ)って往(ゆ)った。見(み)ればかの婦人(ふじん)は、三人(さんにん)の女子(じょし)を帯(たい)して、後門(こうもん)の外(そと)に在(あ)って閑立(かんりつ=たたずみ)し、菊花(きっか)を看(み)て耍子(しゃし=遊ん)でおったが、彼(かれ)が娘女(じょうじょ)どもが八戒(はっかい)の来(く)るのを見(み)ると、三人(さんにん)の娘(むすめ)たちは闪(ひらり)と中(なか)へと入(い)ってしまった。かの婦人(ふじん)は門首(もんしゅ)に佇立(ちょりつ)して言(い)った。「小長老(しょうちょうろう)、どこへ往(ゆ)かれる」と。

この呆子(ほうし)は韁繩(こうじょう)を投(な)げ、前(まえ)へと往(ゆ)きて一(ひと)つの喏(じゃく=挨拶)を唱(とな)え、声(こえ)に「娘(おかあさん)」と出(だ)して言(い)った。「我(われ)が馬(うま)を放(はな)しに来(き)たのです」と。かの婦人(ふじん)が言(い)うには、「汝(なんじ)が師父(しふ)はたいそう精細(せいさい=抜け目なく)を弄(ろう)される。我(わ)が家(いえ)に女婿(じょせい)を招(まね)けば、却(かえ)って掛搭僧(かかそう=行脚僧)と做(な)りて西(にし)へと跄路(そうろ=急ぎ歩)くに強(まさ)らずや」と。

八戒(はっかい)は笑(わら)って言(い)った。「彼(かれ)らはこれ唐王(とうおう)の旨意(しい)を奉(ほう)じており、あえて君命(くんめい)に違(たが)うことができず、肯(あえ)てこの事(こと)を干(おこな)わぬのです。たった今(いま)皆(みな)前庁(ぜんちょう)のうえに在(あ)って我(われ)を栽(おしつけ)ましたが、我(われ)はまた些(いささ)か奈上祝下(ないじょうしゅくか=上の者にも下の者にも気兼ね)するところが有(あ)り、ただ怕(おそ)れるは、お母(かあ)さんが我(わ)が嘴(くち)の長(なが)く耳(みみ)の大(おお)きいのを嫌(きら)われることです」と。

かの婦人(ふじん)が言(い)うには、「我(われ)もまた嫌(きら)わぬが、ただ家下(かか)に一人(ひとり)の家長(かちょう)が無(な)いゆえ、一(ひと)りを招(まね)くは倒(かえ)って罷(や)むべきであるが、ただ恐(おそ)れるは小女(しょうじょ)の些(いささ)か醜(みにく)きを嫌(きら)うであろうことじゃ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「お母(かあ)さん、汝(なんじ)令嬢(れいじょう)に上復(じょうふく=お伝え)してくれ、このように漢(おっと)を揀(えら)ぶこと莫(なか)れと言(い)うて。想(おも)うに我(わ)があの唐僧(とうそう)は、人材(じんざい=器量)は俊(すぐ)れておれど、実(じつ)は中(なか)に用(もち)いられぬ。我(われ)は醜(みにく)いながらも醜(みにく)いなりに、幾句(いくく)かの口号児(こうごうじ=自慢歌)が有(あ)る」と。婦人(ふじん)が言(い)うには、「汝(なんじ)どう言(い)うのか」と。八戒(はっかい)が言(い)うには。

我(われ)は人物(じんぶつ)醜(みにく)けれど、
勤緊(きんきん=まめまめ)しくて些(いささ)かの功(こう)有(あ)り。
もし千頃(せんけい)の地(ち)を言(い)わば、
牛(うし)を使(つか)うて耕(たがや)す要用(よう)せず。
只(た)だ一頓(いっとん)の钯(は)をもってすれば、
布種(ふしゅ=種まき)も時(とき)に及(およ)んで生(しょう)ず。
雨(あめ)無(な)くとも能(よ)く雨(あめ)を求(もと)め、
風(かぜ)無(な)くとも会(よ)く風(かぜ)を喚(よ)ぶ。
房舎(ぼうしゃ)もし低(ひく)きを嫌(きら)わば、
二(に)三(さん)層(そう)を起(た)て上(あ)げん。
地(つち)のうえ掃(は)かずば一(ひと)つ掃(は)き、
陰溝(いんこう=下水)通(つう)ぜずば一(ひと)つ通(つう)ぜん。
家長里短(かちょうりたん=身内のあれこれ)の諸般(しょはん)の事(こと)、
天(てん)を踢(け)り井(い)を弄(ろう)するも我(われ)皆(みな)能(よ)くす。

かの婦人(ふじん)が言(い)うには、「既(すで)に然(しか)らば家事(かじ)を干(おこな)い得(う)るなら、汝(なんじ)また往(ゆ)きて汝(なんじ)が師父(しふ)と商量(しょうりょう=相談)して看(み)よ、尴尬(かんがい=差し障り)無(な)ければ、すなわち汝(なんじ)を招(まね)こう」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「商量(しょうりょう)には用(よう)が無(な)い。彼(かれ)はまた我(わ)が生身(せいしん)の父母(ふぼ)では無(な)いゆえ、干(おこな)うと干(おこな)わぬとは、皆(みな)我(われ)に在(あ)るのじゃ」と。婦人(ふじん)が言(い)うには、「也罷(やは=それもよかろう)、也罷(やは)、我(われ)が小女(しょうじょ)に説(と)いてみるまで」と。彼(かれ)の闪(ひらり)と中(なか)へ入(い)り、撲(ぽん)と後門(こうもん)を掩(おお)い上(あ)げるのが見(み)えた。八戒(はっかい)はまた馬(うま)を放(はな)さず、馬(うま)を将(も)って前(まえ)へと拉(ひ)いて来(き)た。

どうして知(し)ろうか、孫大聖(そんたいせい)は既(すで)に一一(いちいち)尽(ことごと)く知(し)っておった。彼(かれ)は翅(つばさ)を転(めぐ)らせて飛(と)び来(きた)り、本相(ほんそう)を現(あらわ)し、先(ま)ず唐僧(とうそう)に見(まみ)えて言(い)った。「師父(しふ)、悟能(ごのう)が馬(うま)を牽(ひ)いて来(き)ましたぞ」と。長老(ちょうろう)が言(い)うには、「馬(うま)もし牽(ひ)かずんば、怕(おそ)らくは撒歓(さっかん=暴れ)って往(ゆ)ってしまおう」と。行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)い起(お)きて、かの婦人(ふじん)と八戒(はっかい)の説(と)いた勾当(こうとう=相談事)を、頭(あたま)より一通(ひととお)り説(と)いたが、三蔵(さんぞう)もまた信(しん)ずるが如(ごと)くにして信(しん)ぜざるが如(ごと)くであった。

少(すこ)しの時(とき)の間(あいだ)に、呆子(ほうし)が馬(うま)を拉(ひ)き将(も)って来(き)たって拴(つな)ぎ下(おろ)すのが見(み)えた。長老(ちょうろう)が言(い)うには、「汝(なんじ)が馬(うま)は放(はな)したか」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「好(よ)き草(くさ)も無(な)く、馬(うま)を放(はな)す処(ところ)が有(あ)りませなんだ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「馬(うま)を放(はな)す処(ところ)が無(な)いなら、馬(うま)を牽(ひ)く処(ところ)は有(あ)ったか」と。呆子(ほうし)はこの言(ことば)を聞(き)いて、情(こころ)で消息(しょうそく=内情)の走(はし)ったことを知(し)り、すなわち頭(あたま)を垂(た)れ頸(くび)を扭(ひね)り、嘴(くち)を努(つきだ)し眉(まゆ)を皺(しか)めて、半晌(しばらく)も言(い)わなんだ。

また呀(ぎい)という一声(ひとこえ)が聞(き)こえて、腰門(ようもん)が開(ひら)き、二対(にたい)の紅灯(こうとう)と、一副(いっぷく)の提壷(ていこ=提げ壺)とが有(あ)り、香雲(こううん)靄靄(あいあい)、環珮(かんぱい=玉の飾り)叮叮(ていてい)と、かの婦人(ふじん)が三人(さんにん)の娘(むすめ)を帯(たい)して、歩(あゆ)み将(も)って出(で)て来(き)た。そして真真(しんしん)、愛愛(あいあい)、憐憐(りんりん)と呼(よ)んで、かの取経(しゅきょう)の人物(じんぶつ)に拝見(はいけん)させた。かの女子(じょし)たちは庁中(ちょうちゅう)に排立(はいりつ)して、上(うえ)を朝(むか)んで礼拜(らいはい)したが、果(はた)してまた生(う)まれつき標致(ひょうち=美しい)であった。汝(なんじ)彼(かれ)らの有様(ありさま)を見(み)よ。

一(ひと)つ一(ひと)つの蛾眉(がび=蛾の眉)は翠(みどり)を横(よこた)え、粉面(ふんめん)は春(はる)を生(しょう)ず。
妖嬈(ようじょう)なるは国色(こくしょく)を傾(かたむ)け、
窈窕(ようちょう)なるは人心(じんしん)を動(うご)かす。
花鈿(かでん=花のかんざし)は多(おお)き嬌態(きょうたい=あで姿)を顕(あらわ)し、
繍帯(しゅうたい=刺繍の帯)は飄颻(ひょうよう)として絶(ぜつ)えて塵(ちり)を絶(こ)ゆ。
半(なか)ば笑(わら)いを含(ふく)む処(ところ)には桜桃(おうとう=さくらんぼ)の如(ごと)く綻(ほころ)び、
緩(ゆる)やかに歩(あゆ)み行(ゆ)く時(とき)には蘭麝(らんじゃ=芳しい香)を噴(ふ)く。
満頭(まんとう)の珠翠(しゅすい)は、顫巍巍(せんぎぎ)として数(かず)無(な)き宝釵簪(ほうさいしん)、
遍体(へんたい)の幽香(ゆうこう)は、嬌滴滴(きょうてきてき)として花(はな)有(あ)る金縷(きんる)の細(ほそ)きかな。
何(なん)の楚娃(そあい=楚の美女)の美貌(びぼう)や、西子(せいし)の嬌容(きょうよう)などを説(と)かんや。
真(まこと)にこれ九天(きゅうてん)の仙女(せんにょ)の天(てん)より降(くだ)り、
月(つき)の裡(うち)の嫦娥(じょうが)の広寒(こうかん)より出(い)づるなり。

かの三蔵(さんぞう)が合掌(がっしょう)して頭(あたま)を低(た)れ、孫大聖(そんたいせい)が佯佯(ようよう)として睬(みむき)もせず、少(すこ)しも沙僧(さそう)が背(せ)を転(めぐ)らせて身(み)を回(めぐ)らす中(なか)、汝(なんじ)かの猪八戒(ちょはっかい)を見(み)よ。眼(め)は睛(ひとみ)を転(めぐ)らさず、淫心(いんしん)は紊乱(びんらん=乱れ)、色胆(しょくたん=色欲)は縦横(じゅうおう)に、扭捏(じゅうねつ=もじもじ)として悄語(しょうご=ささやき)を出(いだ)し、声(こえ)を低(ひく)くして言(い)うには、「仙子(せんし)の下降(かこう)に労(ろう)しまする。お母(かあ)さん、どうか姉(あね)さんたちを連(つ)れて去(い)かれますよう」と。かの三人(さんにん)の女子(じょし)は、屏風(びょうぶ)の中(なか)へと転(うつ)り入(い)り、一対(いったい)の紗灯(さとう=紗の灯)を留(とど)めて往(い)った。

婦人(ふじん)が言(い)うには、「四位(よい)の長老(ちょうろう)、肯(あえ)て心(こころ)を留(とど)めて、誰(だれ)かに我(わ)が小女(しょうじょ)を配(はい)させられましょうか」と。悟浄(ごじょう)が言(い)うには、「我(われ)らは既(すで)に商議(しょうぎ=相談)して、あの猪(ちょ)を姓(せい)とする者(もの)をして門下(もんか)に招贅(しょうぜい)させましょう」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄弟(けいてい)よ、我(われ)を栽(おしつけ)るな、また衆(しゅう)より計較(けいかく)しよう」と。

行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「また何(なん)を計較(けいかく)しようか。汝(なんじ)は既(すで)に後門(こうもん)の首(もと)に在(あ)って説合(せつごう=話をまとめ)て停停当当(ていていとうとう=すっかり)ととのえ、『娘(おかあさん)』とまで叫(よ)んだではないか。また何(なん)の計較(けいかく)が有(あ)ろうか。師父(しふ)が一(ひと)つの男親家(だんしんか=男方の親戚)と做(な)り、この婆児(ばじ=おばさん)が一(ひと)つの女親家(じょしんか=女方の親戚)と做(な)り、老孫(ろうそん)が一(ひと)つの保親(ほしん=仲人)と做(な)り、沙僧(さそう)が一(ひと)つの媒人(ばいじん=仲立ち)と做(な)ろう。また必(かなら)ずしも通書(つうしょ=暦)を看(み)るには及(およ)ばず、今朝(けさ)はこれ一(ひと)つの天恩上吉日(てんおんじょうきちじつ)じゃ。汝(なんじ)来(きた)って師父(しふ)を拝(おが)み、中(なか)へと入(い)って女婿(じょせい)と做(な)れ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「弄(な)し成(な)らぬ、弄(な)し成(な)らぬ。そこでどうして好(よ)くこの勾当(こうとう)を干(おこな)えようか」と。

行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「呆子(ほうし)よ、者囂(しゃごう=ぐずぐず)するな。汝(なんじ)がその口(くち)の裡(うち)で『娘(おかあさん)』をも知(し)らず幾(いく)ほど叫(よ)んだか、また何(なん)の弄(な)し成(な)らぬことが有(あ)ろうか。快(すみや)かに応成(おうせい=承知)して、我(われ)らを帯携(たいけい=引き連れ)て些(いささ)かの喜酒(きしゅ=祝い酒)を食(くら)わせてくれれば、これまた好(よ)き処(ところ)じゃ」と。

彼(かれ)は一(ひと)つの手(て)で八戒(はっかい)を揪(つか)まえ、一(ひと)つの手(て)で婦人(ふじん)を扯(ひ)き止(と)めて言(い)った。「親家母(しんかぼ)、汝(なんじ)が女婿(じょせい)を帯(つ)れて中(なか)へ入(い)られよ」と。かの呆子(ほうし)は脚(あし)も趄趄(しゃしゃ=よろよろ)として、そこから往(ゆ)こうとした。かの婦人(ふじん)はすなわち童子(どうじ)を喚(よ)んで言(い)った。「桌椅(ちょうい)を展抹(てんまつ=拭き整え)、晩斎(ばんさい=夕食)を鋪排(ほはい=並べ)、三位(さんい)の親家(しんか)を管待(かんたい=もてな)せよ。我(われ)は姑夫(こふ=娘婿)を領(ひき)いて房(へや)の裡(うち)へと往(ゆ)くゆえに」と。一壁廂(いっぺきしょう)また庖丁(ほうてい=料理人)に筵(えん)を排(なら)べ宴(うたげ)を設(もう)けて、明晨(みょうしん=明朝)に会親(かいしん)するよう吩咐(いいつけ)た。かの幾(いく)人(にん)かの童子(どうじ)は、また命(めい)を領(うけたまわ)って訖(おわ)った。彼(かれ)ら三衆(さんしゅ)は斎(とき)を食(くら)い、急急(きゅうきゅう)と鋪鋪(ほほ=寝床をのべ)いて、皆(みな)客座(きゃくざ=客間)の裡(うち)に在(あ)って安歇(あんけつ=休み)したことは、しばらく措(お)いて語(かた)らぬ。

さて、かの八戒(はっかい)は丈母(じょうぼ=姑)に跟(したが)って、中(なか)へと歩(あゆ)み入(い)り、一層(いっそう)一層(いっそう)とまた幾(いく)ばくの房舎(ぼうしゃ)を過(す)ぎるか知(し)れず、磕磕撞撞(かつかつどうどう=つまずきぶつかり)、尽(ことごと)く皆(みな)これ門檻(もんかん=敷居)の脚(あし)を絆(つまず)かせるものばかりであった。呆子(ほうし)が言(い)うには、「お母(かあ)さん、些(いささ)か緩(ゆる)やかに往(い)ってくれ。我(われ)はここらが路生(ろせい=土地不案内)ゆえ、汝(なんじ)我(われ)を帯(みちび)いてくれ」と。かの婦人(ふじん)が言(い)うには、「これらは皆(みな)これ倉房(そうぼう=倉庫)や、庫房(こぼう=蔵)や、碾房(てんぼう=挽き場)の各房(かくぼう)で、なおあの厨房(ちゅうぼう=台所)の辺(ほとり)へも至(いた)っておらぬのじゃ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「なんと大(おお)きな家(いえ)じゃ」と。

磕磕撞撞(かつかつどうどう)と、弯(まが)りを転(めぐ)り角(つの)を抹(なで)て、また半(なか)ばの間(あいだ)も往(ゆ)いて、ようやくこれ内堂(ないどう=奥座敷)の房屋(ぼうおく)であった。かの婦人(ふじん)が言(い)うには、「女婿(じょせい)よ、汝(なんじ)が師兄(しけい)は今朝(けさ)を天恩上吉日(てんおんじょうきちじつ)と言(い)うたゆえ、すなわち汝(なんじ)を招(まね)き入(い)れたのじゃ。しかしただこれ倉卒間(そうそつかん=にわかのこと)に、曾(かつ)て一人(ひとり)の陰陽(おんみょう=陰陽師)を請(こ)い得(え)ず、堂(どう)を拝(おが)み帳(とばり)を撒(ま)くこともできぬゆえ、汝(なんじ)上(うえ)を朝(むか)んで八拝(はちはい)でもしてくれ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには。

「お母(かあ)さん、お母(かあ)さんの言(い)われることは然(しか)り。汝(なんじ)請(こ)う上(うえ)に坐(ざ)せよ、我(われ)もまた幾拝(いくばい)か拝(おが)もう。すなわち堂(どう)を拝(おが)むに当(あ)て、また親(おや)に謝(しゃ)するに当(あ)て、両(ふた)つを一(ひと)つに当(あ)てれば、却(かえ)って事(こと)を省(はぶ)かずや」と。

彼(かれ)が丈母(じょうぼ)は笑(わら)って言(い)った。「也罷(やは)、也罷(やは)、果(はた)してこれ一(ひと)つの事(こと)を省(はぶ)き家(いえ)を干(きりも)りする女婿(じょせい)じゃ。我(われ)が坐(ざ)っておるゆえ、汝(なんじ)拝(おが)め」と。おお、満堂(まんどう)のうちに銀燭(ぎんしょく=銀の燭台)輝煌(きこう)とかがやき、この呆子(ほうし)は上(うえ)を朝(むか)んで礼拜(らいはい)し、拝(おが)み畢(おわ)って言(い)うには、「お母(かあ)さん、汝(なんじ)あのどの姉(あね)さんを我(われ)に配(はい)してくれるのか」と。

彼(かれ)が丈母(じょうぼ)が言(い)うには、「正(まさ)にこれらの些(いささ)かの疑難(ぎなん)が有(あ)る。我(われ)が大(だい)の娘(むすめ)を汝(なんじ)に配(はい)しようとすれば、二女(にじょ)の怪(うら)むを恐(おそ)れ、二女(にじょ)を汝(なんじ)に配(はい)しようとすれば、三女(さんじょ)の怪(うら)むを恐(おそ)れ、将(も)って三女(さんじょ)を汝(なんじ)に配(はい)しようとすれば、また大女(だいじょ)の怪(うら)むを恐(おそ)れるゆえ、これによって終(つい)に疑(うたが)って未(いま)だ定(さだ)めがたきのじゃ」と。

八戒(はっかい)が言(い)うには、「お母(かあ)さん、既(すで)に相争(あいあらそ)うことを怕(おそ)れるなら、皆(みな)我(われ)に与(あた)えてくれ。鬧鬧吵吵(とうとうそうそう=騒ぎ)て家法(かほう=家の掟)を乱(みだ)すを省(はぶ)かれよう」と。彼(かれ)が丈母(じょうぼ)が言(い)うには、「豈(あ)にこの理(ことわり)有(あ)らんや。汝(なんじ)一人(ひとり)で我(わ)が三人(さんにん)の娘(むすめ)を占(し)めようというのか」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「汝(なんじ)見(み)よ、お母(かあ)さんの言(い)われることばを。誰(だれ)か三房四妾(さんぼうししょう=三人の妻と四人の妾)の無(な)い者(もの)が有(あ)ろうか。もっと多(おお)くても、汝(なんじ)が女婿(じょせい)もまた笑(わら)って納(おさ)めよう。我(われ)は幼年(ようねん)の間(あいだ)に、また曾(かつ)て一(ひと)つの熬戦之法(ごうせんのほう=房中術)を学(まな)び得(え)ており、管情(かんじょう=きっと)一(ひと)つ一(ひと)つ彼(かれ)らを伏侍(ぶくじ=お仕え)して喜(よろこ)ばせてみせよう」と。

かの婦人(ふじん)が言(い)うには、「好(よ)からず、好(よ)からず。我(われ)がここに一方(いっぽう)の手帕(しゅは=ハンカチ)が有(あ)るゆえ、汝(なんじ)それを頭(あたま)のうえに頂(いただ)き、顔(かお)を遮(おお)うて、一(ひと)つの天婚(てんこん=天に任せた縁組み)を撞(あた)らせ、我(わ)が娘(むすめ)どもをして汝(なんじ)が前(まえ)を過(よぎ)り往(ゆ)かせ、汝(なんじ)手(て)を伸(の)ばし開(ひら)いて扯(たお)し倒(たお)した者(もの)を、すなわちその者(もの)を汝(なんじ)に配(はい)させよう」と。呆子(ほうし)は言(こと)に依(よ)って、手帕(しゅは)を接(う)け取(と)り、頭(あたま)のうえに頂(いただ)いた。詩(し)が有(あ)って証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く。

痴愚(ちぐ)なるは本原由(ほんげんゆ=そもそものわけ)を識(し)らず、
色剣(しょっけん=色欲の剣)身(み)を傷(きずつ)けて暗(あん)に自(おの)ずから休(や)む。
従(もと)より周公礼(しゅうこうれい)の有(あ)るを信(しん)ずるも、
今日(こんにち)新郎(しんろう)は蓋頭(がいとう=花嫁の被い布)を頂(いただ)く。

かの呆子(ほうし)は頂(いただ)き裹(つつ)みて停当(ていとう=きちんと)ととのえ、言(い)うには、「お母(かあ)さん、請(こ)う姉(あね)さんたちを出(だ)されよ」と。彼(かれ)が丈母(じょうぼ)が叫(よ)んだ。「真真(しんしん)、愛愛(あいあい)、憐憐(りんりん)、皆(みな)来(き)て天婚(てんこん)を撞(あた)り、汝(なんじ)が女婿(じょせい)に配(はい)されよ」と。

ただ環珮(かんぱい)の響(ひび)き亮(あきら)かに、蘭麝(らんじゃ)の馨香(けいこう)が聞(き)こえ、仙子(せんし)の来往(らいおう=行き来)するが似(に)たるが有(あ)る中(なか)、かの呆子(ほうし)は真(まこと)に手(て)を伸(の)ばして往(ゆ)きて人(ひと)を撈(すく)い取(と)ろうとした。両辺(りょうへん)に乱(みだ)りに撲(はた)き、左(ひだり)もまた撞(あた)らず、右(みぎ)もまた撞(あた)らず。来来往往(らいらいおうおう)として、幾(いく)ばくの女子(じょし)の行動(こうどう)するか知(し)れぬが、ただ一(ひと)りをも撈(すく)い着(つ)けることは思(おも)いもよらなんだ。東(ひがし)へ撲(はた)きては柱科(ちゅうか=柱)を抱(いだ)き、西(にし)へ撲(はた)きては板壁(へんべき=板壁)を摸(さぐ)り、両頭(りょうとう)を跑(はし)りて暈(めまい)し、立(た)ち站(た)つも穏(おだ)やかならず、ただ打跌(だてつ=転び)ばかりしていた。前(まえ)へ来(きた)っては門扇(もんせん=扉)を蹬(ふ)み、後(うしろ)へ去(ゆ)きては磚墻(せんしょう=煉瓦塀)に湯(あた)った。磕磕撞撞(かつかつどうどう)として、跌(ころ)んで嘴(くち)は腫(は)れ頭(あたま)は青(あお)くなった。

地(つち)のうえに坐(ざ)して、喘気嘑嘑(ぜんきこきょ=息を切らし)て言(い)うには、「お母(かあ)さんよ、汝(なんじ)が娘(むすめ)たちはこのように乖滑(かいかつ=すばしこ)きことこのうえなく、一(ひと)りも撈(すく)い着(つ)けませなんだ。奈何(いかん)ぞ、奈何(いかん)ぞ」と。

かの婦人(ふじん)は彼(かれ)が蓋頭(がいとう)を掲(めく)ってやって言(い)った。「女婿(じょせい)よ、我(わ)が娘(むすめ)どもの乖滑(かいかつ)なるには非(あら)ず、彼(かれ)らは皆(みな)謙譲(けんじょう)して、肯(あえ)て汝(なんじ)を招(まね)かぬのじゃ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「お母(かあ)さんよ、既(すで)に彼(かれ)らが肯(あえ)て我(われ)を招(まね)かぬなら、汝(なんじ)が我(われ)を招(まね)いてくれ」と。かの婦人(ふじん)が言(い)うには、「好(よ)きかな女婿(じょせい)よ。このように大(だい)も小(しょう)も無(な)く、丈母(じょうぼ=姑)までも皆(みな)要(い)ろうとは」と。

「我(わ)がこの三人(さんにん)の娘(むすめ)は、心性(しんせい)の最(もっと)も巧(たくみ)なる者(もの)で、彼(かれ)らは一(ひと)り一(ひと)つの珍珠嵌錦汗衫児(ちんじゅかんきんかんさんじ=真珠をちりばめた錦の肌着)を結(むす)んでおる。汝(なんじ)もしあの者(もの)のを穿(き)り得(う)るなら、すなわちその者(もの)に汝(なんじ)を招(まね)かせよう」と。八戒(はっかい)が言(い)うには。

「好(よ)し、好(よ)し、好(よ)し。三件(さんけん)とも皆(みな)拿(も)って来(きた)り、我(われ)に穿(き)て看(み)させよ。もし皆(みな)穿(き)り得(う)るなら、すなわち皆(みな)に招(まね)かせよ」と。

かの婦人(ふじん)は房(へや)の裡(うち)へと転(うつ)り入(い)り、ただ一(ひと)つのみを取(と)り出(だ)して、八戒(はっかい)に逓(わた)した。かの呆子(ほうし)は青錦布(せいきんぷ)の直裰(じきとつ=僧衣)を脱(ぬ)ぎ下(おろ)し、衫児(さんじ=肌着)を取(と)り過(よ)ぎて、すなわち身(み)のうえに穿(き)たが、なお曾(かつ)て帯子(たいし=帯)を系(むす)び上(あ)げぬうちに、撲(ぽん)という一蹻(いっきょう=つまずき)もろともに、地(つち)のうえに跌倒(てっとう=倒れ)た。元来(がんらい)これ幾条(すうじょう)かの縄(なわ)の緊緊(きんきん)と繃(しば)り住(とど)めたるのであった。かの呆子(ほうし)の疼痛(とうつう)の禁(しの)び難(がた)き時(とき)、これらの人(ひと)たちは早(はや)くも已(すで)に見(み)えずなっておった。

さて、三蔵(さんぞう)と行者(ぎょうじゃ)と沙僧(さそう)は一覚(いっかく)の睡(ねむり)より醒(さ)めると、覚(おぼ)えず東方(とうほう)が白(しろ)んでおった。忽(たちま)ち睛(ひとみ)を睜(ひら)いて頭(あたま)を上(あ)げて観(み)るに、そこに何(なん)の大厦(たいか)や高堂(こうどう)が有(あ)ろうか、またこれ雕梁画棟(ちょうりょうがとう)でも無(な)く、一(ひと)つ一(ひと)つ皆(みな)松柏(しょうはく)の林(はやし)の中(なか)に睡(ねむ)っておった。慌(あわ)てたのはかの長老(ちょうろう)で、忙(いそ)ぎ行者(ぎょうじゃ)を呼(よ)んだ。沙僧(さそう)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、了(おしま)いじゃ、了(おしま)いじゃ。我(われ)らは鬼(おに)に遇(あ)うたのじゃ」と。

孫大聖(そんたいせい)は心(こころ)の中(なか)で明白(めいはく)に、微微(びび)と笑(わら)って言(い)った。「どうしてそのように言(い)うのか」と。長老(ちょうろう)が言(い)うには、「汝(なんじ)見(み)よ、我(われ)らの睡(ねむ)っておる処(ところ)を」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「この松林(しょうりん)の下(した)は落(おちつ)いて快活(かいかつ)であるが、ただかの呆子(ほうし)がどこに在(あ)って罪(つみ)を受(う)けておるかを知(し)らぬ」と。長老(ちょうろう)が言(い)うには、「誰(だれ)が罪(つみ)を受(う)けるのか」と。行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「昨日(きのう)のこの家(いえ)の娘女(じょうじょ)たちは、いずこの菩薩(ぼさつ)か知(し)らぬが、ここに在(あ)って我(われ)らを顕化(けんげ=姿を現して教え)してくださったのじゃ。想(おも)うに半夜(はんや=夜半)の裡(うち)に去(さ)られたのであろう、ただ猪八戒(ちょはっかい)を苦(くるし)めて罪(つみ)を受(う)けさせたのみじゃ」と。

三蔵(さんぞう)はこれを聞(き)いて、合掌(がっしょう)して頂礼(ちょうらい)したが、またかの後辺(うしろ)の古柏樹(こはくじゅ=古い柏の木)のうえに、飄飄蕩蕩(ひょうひょうとうとう=ひらひらと)として、一張(いっちょう)の簡帖児(かんじょうじ=書き付け)の掛(かか)っておるのが見(み)えた。沙僧(さそう)は急(いそ)ぎ往(ゆ)きて取(と)り来(きた)りて師父(しふ)に看(み)せたるに、これ八句(はっく)の頌子(じゅす=偈頌)で云(い)わく。

黎山老母(れいざんろうぼ)は凡(ぼん)を思(おも)わざりしも、
南海(なんかい)の菩薩(ぼさつ)請(こ)うて山(やま)を下(くだ)らしむ。
普賢(ふげん)も文殊(もんじゅ)も皆是(みな)これ客(かく)にして、
美女(びじょ)に化(か)して林間(りんかん)に在(あ)り。
聖僧(せいそう)は徳(とく)有(あ)って還(ま)た俗(ぞく)無(な)く、
八戒(はっかい)は禅(ぜん)無(な)くして更(さら)に凡(ぼん)有(あ)り。
此(これ)より心(こころ)を静(しず)めて須(すべから)く過(あやまち)を改(あらた)むべし、
若(も)し怠慢(たいまん)を生(しょう)ぜば路途(ろと)難(かた)からん。

かの長老(ちょうろう)と行者(ぎょうじゃ)と沙僧(さそう)がちょうどこの頌(じゅす)を唱念(しょうねん=唱え読み)しておると、ただ林(はやし)の深(ふか)き処(ところ)より声(こえ)を高(たか)くして叫(さけ)ぶのが聞(き)こえた。「師父(しふ)よ、繃(しば)り殺(ころ)されそうです。我(われ)を一(ひと)つ救(すく)うてくれ。次(つぎ)にはまた敢(あえ)てせぬゆえに」と。

三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「悟空(ごくう)、あの叫喚(きょうかん=叫び)するはもしや悟能(ごのう)であろうか」と。沙僧(さそう)が言(い)うには、「正(まさ)に然(しか)り」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「兄弟(けいてい)よ、彼(かれ)に睬(かま)うな、我(われ)らは去(い)こう」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「かの呆子(ほうし)は心性(しんせい)の愚頑(ぐがん=愚かで頑固)なるとはいえ、ただこれ一(ひと)つの懞直(もうちょく=愚直)であり、かえってまた些(いささ)かの膂力(りょりき=腕力)が有(あ)って、行李(こうり)を挑(にな)い得(う)る。また当日(その日)の菩薩(ぼさつ)の念(おも)いを看(み)て、彼(かれ)を救(すく)うて我(われ)らと同(とも)に去(い)かしめよ。料(はか)るに彼(かれ)も以後(いご)はまた敢(あえ)てせぬであろう」と。

かの沙和尚(さおしょう)はすなわち鋪蓋(ほがい=寝具)を巻(ま)き上(あ)げ、担子(たんす)を收拾(しゅうしゅう)した。孫大聖(そんたいせい)は韁(たづな)を解(と)き馬(うま)を牽(ひ)き、唐僧(とうそう)を引(みちび)いて林(はやし)の中(なか)へと入(い)りて尋(たず)ね看(み)た。おお、正(まさ)にこれ、

正(ただしき)に従(したが)い修持(しゅじ=修行)するには須(すべから)く謹慎(きんしん)なるべき、
愛欲(あいよく)を掃除(そうじょ)して自(おの)ずから真(しん)に帰(き)す。

畢竟(ひっきょう)かの呆子(ほうし)の凶吉(きょうきつ)のいかんは、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。