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024 第二十四回 万寿山(まんじゅさん)の大仙(たいせん)故友(こゆう)を留(とど)め 五莊観(ごしょうかん)の行者(ぎょうじゃ)人参(にんじん)を窃(ぬす)む

さて、かの三人(さんにん)は林(はやし)を穿(うが)って裡(うち)へと入(い)ると、ただかの呆子(ほうし)の樹(き)のうえに繃(しば)りつけられて、声声(せいせい)に叫(さけ)び喊(わめ)き、痛苦(つうく)の禁(しの)び難(がた)きのが見(み)えた。行者(ぎょうじゃ)は前(まえ)へと往(ゆ)きて笑(わら)って言(い)った。「なんという女婿(じょせい)じゃ。この早晚(じわら=この時刻)になってもなお起(お)きて親(おや)に謝(しゃ)せず、また師父(しふ)の許(もと)へと報喜(ほうき=吉報)にも往(ゆ)かず、ここに在(あ)って売解児(ばいかいじ=芸を売)りて耍子(しゃし=遊ん)でおるとは。—咄(とつ)、汝(なんじ)が娘(おかあさん)はどこじゃ。汝(なんじ)が女房(にょうぼう)はどこじゃ。なんと好(よ)きかな、繃巴吊拷(ほうはちょうこう=縛り吊るされた)の女婿(じょせい)よ」と。

かの呆子(ほうし)は彼(かれ)が来(き)て搶白(そうはく=あてこすり)するのを見(み)て羞(はじ)らい、歯(は)を咬(か)み、疼(いたみ)を忍(しの)んで、あえて叫(さけ)び喊(わめ)かなんだ。沙僧(さそう)はこれを見(み)て、老大(ろうだい=たいそう)忍(しの)び難(がた)く、行李(こうり)を放(おろ)し、前(まえ)へと往(ゆ)きて縄索(じょうさく=縄)を解(と)きて救(すく)い下(おろ)した。呆子(ほうし)は彼(かれ)らに向(むか)ってただ頭(あたま)を磕(ぬかず)き礼拜(らいはい)し、実(じつ)に羞恥(しゅうち)の当(あて)がたきものであった。『西江月(せいこうげつ)』が有(あ)って証(あかし)と為(な)す。

色(しょく)はすなわちこれ身(み)を傷(きずつ)くるの剣(つるぎ)、
これを貪(むさぼ)れば必(かなら)ず殃(わざわい)に遭(あ)う。
佳人(かじん)二八(にっぱち=十六歳)の好(よ)き容妝(ようしょう=装い)、
更(さら)に夜叉(やしゃ)よりも凶壮(きょうそう)なり。
只(た)だ一(ひと)つの原本(げんぽん=元手)有(あ)るのみ、
また微利(びり=わずかな利)の嚢(ふくろ)に添(そ)うる無(な)し。
好(よ)く将(も)って資本(しほん)を謹(つつし)んで収蔵(しゅうぞう)し、
堅(かた)く守(まも)って放蕩(ほうとう)せしむるを教(おし)うること休(なか)れ。

かの八戒(はっかい)は土(つち)を撮(つま)みて香(こう)を焚(た)き、空(そら)を望(のぞ)んで礼拜(らいはい)した。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには。

「汝(なんじ)はもしやあの菩薩(ぼさつ)たちを認(みと)めるか」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「我(われ)は已(すで)にこれに暈倒(うんとう)し昏迷(こんめい)して、眼花撩乱(がんかりょうらん=目がくらみ乱れ)、どうして誰(だれ)であるかを認(みと)め得(え)ようか」と。行者(ぎょうじゃ)はかの簡帖児(かんじょうじ)を把(も)って八戒(はっかい)に逓(わた)したが、八戒(はっかい)はそれが頌子(じゅす)であるのを見(み)て、更(さら)に慚愧(ざんき=恥じいり)を加(くわ)えた。

沙僧(さそう)は笑(わら)って言(い)った。「二哥(にいさん)にはこのような好(よ)き処(ところ)が有(あ)るのじゃな、四位(よい)の菩薩(ぼさつ)を感(かん)じて来(きた)らせて汝(なんじ)と親(した)しみを作(つく)らせたとは」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄弟(けいてい)よ、また題(だい)し起(お)こすこと莫(なか)れ、人子(じんし=人となり)に当(あた)らぬわい。今(いま)より後(のち)、また妄(みだ)りに為(な)すことを敢(あ)えせぬ。たとえ骨(ほね)を累(かさ)ねて折(お)ろうとも、ただこれ肩(かた)を摩(す)り担(に)を圧(おさ)えて、師父(しふ)に随(したが)って西域(せいいき)へと往(ゆ)くのみじゃ」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「既(すで)にこのように言(い)うこそ才(はじ)めて然(しか)り」と。

行者(ぎょうじゃ)はすなわち師父(しふ)を領(ひき)いて大路(たいろ)へと上(のぼ)った。路(みち)に在(あ)って風(かぜ)を餐(くら)い水(みず)に宿(やど)り、行(ゆ)くこと多(おお)くの時(とき)を罷(おわ)えたが、忽(たちま)ち一(ひと)つの高山(こうざん)の路(みち)を擋(ふさ)ぐのが見(み)えた。三蔵(さんぞう)は馬(うま)を勒(たづな)し鞭(むち)を停(とど)めて言(い)った。「徒弟(とてい)よ、前(まえ)に一(ひと)つの山(やま)が有(あ)るゆえ、必(かなら)ず仔細(しさい=用心)せよ、恐(おそ)らくは妖魔(ようま)の作耗(さくもう=悪さ)して、吾(わ)が党(ともがら)を侵害(しんがい)するが有(あ)らんことを」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「馬(うま)の前(まえ)にはただ我(われ)ら三人(さんにん)が有(あ)るのみ、何(なん)の妖魔(ようま)を怕(おそ)れようか」と。これによって、長老(ちょうろう)は心(こころ)を安(やす)んじて前進(ぜんしん)した。

ただかの一(ひと)つの山(やま)を見(み)るに、真(まこと)に好(よ)き山(やま)かな。

高山(こうざん)峻極(しゅんきょく)として、大勢(たいせい)崢嶸(そうろう)たり。
根(ね)は崑崙(こんろん)の脈(みゃく)に接(せっ)し、頂(いただき)は霄漢(しょうかん=天の川)の中(なか)を摩(す)る。
白鶴(はっかく)は毎(つね)に来(きた)って檜柏(かいはく=ヒノキとコノテガシワ)に栖(すま)い、
玄猿(げんえん=黒猿)は時(とき)に復(ま)た藤蘿(とうら=藤やつる草)に掛(か)かる。
日(ひ)は晴林(せいりん)に映(うつ)り、迭迭(じょうじょう)たる千条(せんじょう)の紅霧(こうむ)繞(めぐ)り、
風(かぜ)は陰壑(いんがく=日陰の谷)に生(しょう)じ、飄飄(ひょうひょう)たる万道(ばんどう)の彩雲(さいうん)飛(と)ぶ。
幽鳥(ゆうちょう)は青竹(せいちく)の裡(うち)に乱(みだ)れ啼(な)き、
錦鶏(きんけい)は野花(やか)の間(あいだ)に齊(ひと)しく闘(たたか)う。
只(た)だかの千年峰(せんねんほう)、五福峰(ごふくほう)、芙蓉峰(ふようほう)の、
巍巍凜凜(ぎぎりんりん)として毫光(ごうこう)を放(はな)つのが見(み)え、
万歳石(ばんざいせき)、虎牙石(こがせき)、三尖石(さんせんせき)の、
突突磷磷(とつとつりんりん)として瑞気(ずいき)を生(しょう)ず。
崖前(がいぜん)に草(くさ)秀(ひい)で、嶺上(れいじょう)に梅(うめ)香(かお)る。
荊棘(けいきょく=茨)は密(みっ)として森森(しんしん)、芝蘭(しらん)は清(すず)やかに淡淡(たんたん)。
深林(しんりん)には鷹鳳(おうほう)千禽(せんきん)を聚(あつ)め、
古洞(こどう)には麒麟(きりん)万獣(ばんじゅう)を轄(つかさど)る。
澗水(かんすい)は情(じょう)有(あ)りて、曲曲弯弯(きょくきょくわんわん)として繞顧(にょうこ=巡り顧み)すること多(おお)く、
峰巒(ほうらん)は断(た)えず、重重迭迭(じゅうじゅうじょうじょう)として自(おの)ずから周回(しゅうかい)す。
またかの緑(みどり)の槐(えんじゅ)、斑(まだら)の竹(たけ)、青(あお)き松(まつ)の、
依依(いい)として千載(せんざい)に穠華(のうか=美しさ)を闘(きそ)えるが見(み)え、
白(しろ)き李(すもも)、紅(あか)き桃(もも)、翠(みどり)の柳(やなぎ)の、
灼灼(しゃくしゃく)として三春(さんしゅん)に艶麗(えんれい)を争(あらそ)う。
龍吟虎嘯(りゅうぎんこしょう=龍吟び虎嘯き)、鶴舞猿啼(かくぶえんてい=鶴舞い猿啼く)。
麋鹿(びろく)は花(はな)より出(い)で、青鸞(せいらん)は日(ひ)に対(むか)いて鳴(な)く。
これすなわち仙山(せんざん)の真(しん)の福地(ふくち)、蓬萊閬苑(ほうらいろうえん)も只(た)だ然(しか)るが如(ごと)し。
また些(いささ)かの花(はな)の開(ひら)き謝(お)つる山頭(さんとう)の景(けい)、
雲(くも)の去(さ)り来(きた)る嶺上(れいじょう)の峰(みね)を見(み)る。

三蔵(さんぞう)は馬(うま)のうえに在(あ)って喜(よろこ)んで言(い)った。「徒弟(とてい)よ、我(われ)は一向(ひたすら)に西(にし)へと来(き)て、多(おお)くの山水(さんすい)を経歴(けいれき)したが、皆(みな)あの嵯峨(さが=切り立った)険峻(けんしゅん)の処(ところ)ばかりで、更(さら)にこの山(やま)の好景(こうけい)には似(に)ず、果(はた)して幽趣(ゆうしゅ=奥深い趣)の非常(ひじょう)なるかな。もし雷音(らいおん)に近(ちか)づく路(みち)の遠(とお)からずんば、我(われ)らは好(よ)く端厳(たんごん=姿を正し)を整粛(せいしゅく)して世尊(せそん)に見(まみ)えようものを」と。

行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「早(はや)い、早(はや)い。ちょうど好(よ)く到(いた)ることは得(え)まい」と。沙僧(さそう)が言(い)うには、「師兄(しけい)、我(われ)らが雷音(らいおん)に到(いた)るにはどれほどの遠(とお)さが有(あ)りますか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「十万八千里(じゅうまんはっせんり)じゃ。十停(じってい=十割)の中(なか)でなお曾(かつ)て一停(いってい=一割)をも走(はし)っておらぬ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、幾年(いくねん)走(はし)ってようやく到(いた)り得(え)ましょう」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「これらの路(みち)は、もし二位(にい)の賢弟(けんてい)について言(い)えば、すなわち十来日(じゅうらいじつ)でもまた到(いた)り得(え)よう。もし我(われ)が走(はし)るについて言(い)えば、一日(いちじつ)にも好(よ)く五十遭(ごじゅうそう)も走(はし)れて、なお日色(にっしょく=日の光)を見(み)るであろう。もし師父(しふ)が走(はし)るについて言(い)えば、思(おも)うな、思(おも)うな」と。

唐僧(とうそう)が言(い)うには、「悟空(ごくう)、汝(なんじ)の言(い)うにはいつになって方(まさ)に到(いた)り得(え)ようか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)が自(おの)ずから小(ちい)さき時(とき)より走(はし)りて老(お)い、老(お)いてまた小(ちい)さくなり、老小(ろうしょう)千番(せんばん)してもなお難(かた)い。ただ汝(なんじ)が性(しょう)を見(み)て志(こころざし)の誠(まこと)なるを要(よう)するのみ、念々(ねんねん)に首(くび)を回(めぐ)らす処(ところ)が、すなわちこれ霊山(りょうざん)じゃ」と。

沙僧(さそう)が言(い)うには、「師兄(しけい)、此間(ここ)は雷音(らいおん)では無(な)いとはいえ、この景致(けいち=景色)を観(み)るに、必(かなら)ず一人(ひとり)の好(よ)き人(ひと)の居止(きょし=住まい)するが有(あ)ろう」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「この言(げん)は却(かえ)って当(とう)を得(え)ておる。ここには決(けっ)して邪祟(じゃすい=妖気)は無(な)く、定(さだ)めてこれ一(ひと)りの聖僧(せいそう)や仙輩(せんぱい=仙人)の郷(さと)であろう。我(われ)らは遊(あそ)び玩(もてあそ)んで慢(ゆる)やかに行(ゆ)こう」と。しばらく措(お)いて語(かた)らぬ。

さて、この山(やま)は名(な)を万寿山(まんじゅさん)と喚(よ)び、山中(さんちゅう)に一(ひと)つの観(かん=道観)が有(あ)って、名(な)を五荘観(ごしょうかん)と喚(よ)び、観(かん)の裡(うち)に一尊(いっそん)の仙(せん)が有(あ)って、道号(どうごう)を鎮元子(ちんげんし)、混名(こんみょう=あだ名)を与世同君(よせいどうくん)と申(もう)した。かの観(かん)の裡(うち)より一(ひと)つの異宝(いほう)が出(い)ずるが、これすなわち混沌(こんとん)の初(はじ)めに分(わ)かれ、鴻蒙(こうもう)の始(はじ)めに判(わか)れ、天地(てんち)の未(いま)だ開(ひら)けざる際(さい)に、産(う)み成(な)したるこの顆(かの)の霊根(れいこん)であった。蓋(けだ)し天下(てんか)の四大部洲(しだいぶしゅう)のうち、惟(ただ)西牛賀洲(さいごがしゅう)の五荘観(ごしょうかん)のみ此(これ)を出(いだ)し、名(な)を「草還丹(そうかんたん)」と喚(よ)び、また「人参果(にんじんか)」と名(な)づく。三千年(さんぜんねん)に一(ひと)たび花(はな)を開(ひら)き、三千年(さんぜんねん)に一(ひと)たび果(み)を結(むす)び、また三千年(さんぜんねん)を経(へ)てようやく熟(じゅく)するを得(え)、短頭(たんとう=短くても)一万年(いちまんねん)に方(まさ)に食(くら)うを得(う)る。この万年(まんねん)の如(ごと)きも、ただ三十個(さんじっこ)の果子(かし=実)を結(むす)ぶのみ。果子(かし)の模様(もよう)は、すなわち三朝(さんちょう=生後三日)未(いま)だ満(み)たざるの小児(しょうじ)に似(に)て、四肢(しし)は倶(とも)に全(まっと)うく、五官(ごかん)は咸(みな)備(そなわ)る。人(ひと)もし縁(えん)有(あ)って、かの果子(かし)を得(えて)一(ひと)たび聞(か)げば、すなわち三百六十歳(さんびゃくろくじっさい)を活(い)き、一(ひと)つを食(くら)えば、すなわち四万七千年(しばんしちせんねん)を活(い)きる。

当日(その日)、鎮元大仙(ちんげんたいせん)は元始天尊(げんしてんそん)の簡帖(かんじょう=招き状)を得(え)、彼(かれ)を上清天(じょうしょうてん)のうえの弥羅宮(みらきゅう)へと邀(まね)いて「混元道果(こんげんどうか)」を講(こう)ずるを聴(き)かしめた。大仙(たいせん)が門下(もんか)より出(い)でた散仙(さんせん)も、またその数(かず)を計(かぞ)えられぬほどで、見(み)るに今(いま)なお四十八(よんじゅうはち)の徒弟(とてい)が有(あ)り、皆(みな)これ道(みち)を得(えた)る全真(ぜんしん=真を全うした者)であった。当日(その日)、四十六(よんじゅうろく)を帯領(たいりょう)して上界(じょうかい)へと往(ゆ)きて聴講(ちょうこう)し、二人(ふたり)の絶(ぜっ)して小(ちい)さき者(もの)を留(とど)めて家(いえ)を看(み)させた。一人(ひとり)は名(な)を清風(せいふう)と喚(よ)び、一人(ひとり)は名(な)を明月(めいげつ)と喚(よ)んだ。清風(せいふう)はただ一千三百二十歳(いっせんさんびゃくにじゅっさい)で、明月(めいげつ)はようやく一千二百歳(いっせんにひゃくさい)に交(まじ)わったばかりであった。

鎮元子(ちんげんし)は二人(ふたり)の童(どうじ)に吩咐(いいつけ)て言(い)った。「大天尊(だいてんそん)の簡帖(かんじょう)に違(たが)うべからず、弥羅宮(みらきゅう)へと往(ゆ)きて聴講(ちょうこう)するが、汝(なんじ)ら二人(ふたり)は家(いえ)に在(あ)って仔細(しさい)にせよ。日(ひ)ならずして一人(ひとり)の故人(こじん=旧友)のここより経過(けいか)するが有(あ)るゆえ、却(かえ)って彼(かれ)を怠慢(たいまん)すること莫(なか)れ。我(わ)が人参果(にんじんか)を将(も)って二(ふた)つを打(も)ぎて彼(かれ)に与(あた)えて食(くら)わせ、権(かり)に旧日(きゅうじつ=昔日)の情(じょう)を表(あらわ)すべし」と。

二童(にどう)が言(い)うには、「師父(しふ)の故人(こじん)とは誰(だれ)でありましょう。望(のぞ)むらくは弟子(でし)に説(と)き聞(き)かせられよ、好(よ)く接待(せったい)しとうございます」と。大仙(たいせん)が言(い)うには、「彼(かれ)はこれ東土(とうど)大唐(だいとう)の駕下(かか)の聖僧(せいそう)、道号(どうごう)を三蔵(さんぞう)と申し、今(いま)西天(せいてん)へと往(ゆ)きて仏(ほとけ)を拝(おが)み経(きょう)を求(もと)むる和尚(おしょう)じゃ」と。二童(にどう)は笑(わら)って言(い)った。「孔子(こうし)云(いわ)く、『道(みち)を同(おな)じゅうせざれば、相(あい)与(とも)に謀(はか)らず』と。我(われ)らはこれ太乙玄門(たいつげんもん=道教)の者(もの)、どうしてあの和尚(おしょう)と何(なん)の相識(そうしき=知り合い)を做(な)せましょう」と。

大仙(たいせん)が言(い)うには、「汝(なんじ)らはそこでどうして知(し)り得(え)ようか。彼(かれ)の和尚(おしょう)はすなわち金蟬子(こんせんじ)の転生(てんしょう)で、西方(せいほう)の聖老(せいろう)如来仏(にょらいほとけ)の第二(だいに)の徒弟(とてい)じゃ。五百年前(ごひゃくねんぜん)、我(われ)は彼(かれ)と『蘭盆会(らんぼんえ)』のうえに在(あ)って相識(そうしき)となった。彼(かれ)は曾(かつ)て手(て)を親(みずか)らして茶(ちゃ)を伝(つた)え、仏子(ぶっし)が我(われ)を敬(うやま)ったゆえ、これによってこれ故人(こじん)と為(な)すのじゃ」と。

二仙童(にせんどう)はこれを聞(き)いて、謹(つつし)んで師命(しめい)を遵(したが)った。かの大仙(たいせん)は臨行(りんこう=出立)に際(さい)し、また叮嚀(ていねい)と嘱咐(しょくふ=言い含め)て言(い)った。「我(わ)がかの果子(かし)には数(かず)が有(あ)るゆえ、只(た)だ彼(かれ)に二(ふた)つを許(ゆる)すのみで、多(おお)く費(つい)やすことを得(え)ぬ」と。清風(せいふう)が言(い)うには、「園(その)を開(ひら)いた時(とき)、大衆(たいしゅう)共(とも)に二(ふた)つを食(くら)い、なお二十八(にじゅうはち)が樹(き)に在(あ)りますゆえ、あえて多(おお)くは費(つい)やしませぬ」と。大仙(たいせん)が言(い)うには、「唐三蔵(とうさんぞう)は故人(こじん)なりといえど、須(すべから)く彼(かれ)が手下(しゅか)の者(もの)の囉唣(らそう=騒ぎ立て)するを防備(ぼうび)せよ、あえて彼(かれ)を驚(おどろ)かして知(し)らしむること莫(なか)れ」と。二童(にどう)は命(めい)を領(うけたまわ)って訖(おわ)り、かの大仙(たいせん)は衆(しゅう)の徒弟(とてい)を承(う)けて飛昇(ひしょう=天に昇)し、まっすぐ天界(てんかい)へと朝(ちょう)した。

さて、唐僧(とうそう)の四衆(よんしゅ)は山(やま)に在(あ)って遊(あそ)び玩(もてあそ)んでおったが、忽(たちま)ち頭(あたま)を上(あ)げてかの松篁(しょうこう=松と竹)の一簇(いっそく)、楼閣(ろうかく)の数層(すうそう)のあるのが見(み)えた。唐僧(とうそう)が言(い)うには、「悟空(ごくう)、汝(なんじ)看(み)よ、あそこは何(なん)の去処(ところ)であるか」と。行者(ぎょうじゃ)は看(み)て言(い)った。「かの所(ところ)は、観宇(かんう=道観)で無(な)ければ、定(さだ)めてこれ寺院(じいん)であろう。我(われ)ら些(いささ)か歩(あゆ)みを動(うご)かして、あの廂(かたわら)へと到(いた)ってこそ方(まさ)にその端(たん)を知(し)り得(え)よう」と。

多(おお)くの時(とき)ならずして、門首(もんしゅ)へと来(きた)って観(み)るに、かの松坡(しょうは=松の坡)の冷淡(れいたん=ひっそり)として、竹径(ちくけい=竹の小道)の清幽(せいゆう=静かで奥深い)なるが見(み)えた。往來(おうらい)の白鶴(はっかく)は浮雲(ふうん)を送(おく)り、上下(じょうげ)の猿猴(えんこう)は時(とき)に果(み)を献(けん)ず。かの門前(もんぜん)の池(いけ)は広(ひろ)く樹影(じゅえい=木の影)長(なが)く、石(いし)は裂(さ)けて苔花(たいか=苔の花)破(やぶ)れたり。宮殿(きゅうでん)は紫極(しきょく=紫微垣)よりも高(たか)く森羅(しんら)と並(なら)び、楼台(ろうだい)は丹霞(たんか)の堕(お)つるが如(ごと)く縹緲(ひょうびょう)たり。真(まこと)にこれ福地霊区(ふくちれいく)、蓬萊(ほうらい)の雲洞(うんどう)かな。清虚(せいきょ=清らかな静けさ)にして人事(じんじ)少(すくな)く、寂静(じゃくじょう)にして道心(どうしん)生(しょう)ず。青鳥(せいちょう)は毎(つね)に王母(おうぼ)の信(たより)を伝(つた)え、紫鸞(しらん)は常(つね)に老君(ろうくん)の経(きょう)を寄(よ)せる。かの巍巍(ぎぎ)たる道徳(どうとく)の風(ふう)の看(み)れど尽(つ)きざるを見(み)れば、果(はた)して漠漠(ばくばく)たる神仙(しんせん)の宅(いえ)なり。

三蔵(さんぞう)は鞍(くら)を離(はな)れて馬(うま)より下(お)りたが、またかの山門(さんもん)の左辺(さへん)に一通(いっつう)の碑(いしぶみ)の有(あ)るが見(み)え、碑(ひ)のうえに十(じゅっ)つの大(おお)きな字(じ)が有(あ)って、すなわち「万寿山福地(まんじゅざんふくち)、五荘観洞天(ごしょうかんどうてん)」であった。長老(ちょうろう)が言(い)うには、「徒弟(とてい)よ、真(まこと)にこれ一(ひと)つの観宇(かんう)じゃ」と。沙僧(さそう)が言(い)うには、「師父(しふ)、この景(けい)の鮮明(せんめい)なるを観(み)るに、観(かん)の裡(うち)に必(かなら)ず好(よ)き人(ひと)の居住(きょじゅう)するが有(あ)りましょう。我(われ)ら中(なか)へと入(い)って看(み)ておきましょう、もし行(ぎょう)満(み)ちて東(ひがし)へと回(かえ)る時(とき)、此間(ここ)もまた一(ひと)つの景(けい)でございますゆえ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「説(と)くところは好(よ)い」と。すなわち皆(みな)一齊(いっせい)に中(なか)へと入(い)り、またかの二門(にもん)のうえに一対(いったい)の春聯(しゅんれん)の有(あ)るのが見(み)えた。

長生不老(ちょうせいふろう)神仙(しんせん)の府(ふ)、
天(てん)と同(おな)じく寿(いのち)長(なが)き道人(どうにん)の家(いえ)。

行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「この道士(どうし)は大話(たいわ=大ぼら)を説(と)いて人(ひと)を唬(おど)す。我(わ)が老孫(ろうそん)が五百年前(ごひゃくねんぜん)に大(おお)いに天宮(てんきゅう)を鬧(さわ)がした時(とき)、あの太上老君(たいじょうろうくん)の門首(もんしゅ)に在(あ)っても、また曾(かつ)てこのような話(はなし)の有(あ)るを見(み)なんだわい」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「且(しばら)く彼(かれ)を管(かま)うな、中(なか)へ入(い)れ、中(なか)へ入(い)れ。あるいはこの道士(どうし)に些(いささ)かの徳行(とくぎょう)が有(あ)るも知(し)れぬ」と。

二層门(にそうもん)の裡(うち)に至(いた)るや、ただかの里面(うち)より急急忙忙(きゅうきゅうそうそう)と、二人(ふたり)の小童児(しょうどうじ)の歩(あゆ)み出(で)て来(く)るのが見(み)えた。彼(かれ)のいかなる扮装(ふんそう)をなすかを見(み)よ。

骨(ほね)清(きよ)く神(しん)爽(さわやか)にして容顔(ようがん)麗(うるわ)しく、
頂(いただき)には丫髻(あけい=二つ結び)を結(むす)びて短髪(たんぱつ)鬅(ほう=ぼさぼさ)たり。
道服(どうふく)は自(おの)ずから襟(えり)に霧(きり)を繞(めぐ)らし、
羽衣(うい)は偏(ひと)えにこれ袖(そで)に風(かぜ)を飄(ひるがえ)らす。
環絛(かんじょう=飾り帯)は緊(きん)と束(たば)ねて龍頭結(りゅうとうけつ)、
芒履(ぼうり=草鞋)は軽(かる)く纏(まと)いて蚕口絨(さんこうじょう=蚕の口のような綿)。
丰采(ほうさい=風采)は異常(いじょう)にして俗輩(ぞくはい)に非(あら)ず、
正(まさ)にこれかの清風明月(せいふうめいげつ)の二仙童(にせんどう)なり。

かの童子(どうじ)は背(せ)を控(ひき)め身(み)を躬(かが)めて、出(で)て来(き)て迎接(げいせつ)して言(い)った。「老師父(ろうしふ)、失迎(しつげい)、請(こ)う坐(ざ)せよ」と。長老(ちょうろう)は喜(よろこ)んで、すなわち二人(ふたり)の童子(どうじ)と正殿(せいでん)へと上(のぼ)って観(み)た。元来(がんらい)南(みなみ)に向(むか)える五間(ごけん)の大殿(だいでん)で、皆(みな)これ上(うえ)明(あき)るく下(した)暗(くら)きの雕花格子(ちょうかかくし=彫刻のある格子)であった。かの仙童(せんどう)は格子(かくし)を推(お)し開(ひら)き、唐僧(とうそう)を請(こ)うて殿(でん)に入(い)らしめたが、ただかの壁(へき)の中間(ちゅうかん)に五彩(ごさい)を以(もっ)て装(よそお)い成(な)したる「天地(てんち)」の二(ふた)つの大字(だいじ)の掛(かか)り、一張(いっちょう)の朱紅(しゅこう)の雕漆(ちょうしつ=彫漆)の香几(こうき)を設(もう)け、几(き)のうえに一副(いっぷく)の黄金(おうごん)の炉瓶(ろへい=香炉と花瓶)が有(あ)り、炉(ろ)の辺(ほとり)に方便(ほうべん=取り出しやすき)の整香(せいこう=整えた香)が有(あ)るのが見(み)えた。

唐僧(とうそう)は前(まえ)へと往(ゆ)き、左手(ひだりて)を以(もっ)て香(こう)を拈(つま)んで炉(ろ)に注(そそ)ぎ、三匝(さんそう=三巡)礼拜(らいはい)した。拝(おが)み畢(おわ)って、頭(あたま)を回(めぐ)らせて言(い)った。「仙童(せんどう)よ、汝(なんじ)が五荘観(ごしょうかん)は真(まこと)に西方(せいほう)の仙界(せんかい)であるに、どうして三清(さんせい)や四帝(してい)や羅天(らてん)の諸宰(しょさい=諸神)を供養(くよう)せず、ただ『天地(てんち)』の二(ふた)つの字(じ)を将(も)って香火(こうか=香と灯明)に侍奉(じほう=お仕え)するのか」と。

童子(どうじ)は笑(わら)って言(い)った。「老師(ろうし)に瞞(あざむ)かずに申(もう)す。この二(ふた)つの字(じ)は、上頭(うえ)の者(もの)は、礼(れい)のうえではなお当(あ)たるが、下辺(した)の者(もの)は、また我(われ)らの香火(こうか)を受(う)くるに堪(た)えませぬ。これ家師(かし=師匠)の諂佞(てんねい=へつらい)より出(い)でたるものでございます」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「何(なん)を諂佞(てんねい)と為(な)すか」と。童子(どうじ)が言(い)うには、「三清(さんせい)は家師(かし)の朋友(ほうゆう=友人)、四帝(してい)は家師(かし)の故人(こじん)、九曜(くよう)は家師(かし)の晩輩(ばんぱい=後輩)、元辰(げんしん)は家師(かし)の下賓(かひん=下座の客)でございます」と。

かの行者(ぎょうじゃ)はこれを聞(き)いて、すなわち笑(わら)って打跌(だてつ=転げまわ)った。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、そちらはどうして笑(わら)うのです」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「ただ老孫(ろうそん)が会(よ)く鬼(おに)を搗(つ)くというが、元来(がんらい)この道童(どうどう)は会(よ)く風(かぜ)を捆(たば)ねるのじゃ」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「令師(れいし=師匠)は何処(いずこ)に在(おわ)しますか」と。童子(どうじ)が言(い)うには、「家師(かし)は元始天尊(げんしてんそん)の簡(ふみ)を降(くだ)されて、上清天(じょうしょうてん)の弥羅宮(みらきゅう)へと請(こ)われて『混元道果(こんげんどうか)』を聴講(ちょうこう)に往(ゆ)かれ、家(いえ)に在(おわ)しませぬ」と。

行者(ぎょうじゃ)はこれを聞(き)いて、耐(た)えきれずに一声(ひとこえ)喝(かつ)して言(い)った。「この臊道童(そうどうどう=くさい小僧)め。人(ひと)をも認(みと)めずにおって、汝(なんじ)は誰(だれ)の面前(めんぜん)に在(あ)って鬼(おに)を搗(つ)き、何(なん)の空心架子(くうしんかし=から威張り)を扯(ひ)き廻(まわ)すか。あの弥羅宮(みらきゅう)に誰(だれ)か太乙天仙(たいつてんせん)なる者(もの)が有(あ)るか、汝(なんじ)らのごとき潑牛蹄子(はつぎゅうていし=暴れ牛のひづめ)を請(こ)うて何(なん)を講(こう)じようというのか」と。

三蔵(さんぞう)は彼(かれ)が怒(いか)りを発(はっ)するのを見(み)て、恐(おそ)らくはかの童子(どうじ)が言(ことば)を回(かえ)して、禍(わざわい)を闘(たたか)い起(お)こさんことを怕(おそ)れた。すなわち言(い)った。「悟空(ごくう)、且(しばら)く争競(そうきょう=争い)するを休(や)めよ。我(われ)ら既(すで)に中(なか)へ入(い)ってすなわち出(で)てしまえば、方情(ほうじょう=情誼)の無(な)きを顕(あらわ)すこととなろう。常言(じょうげん)に道(い)う、『鷺鶿(ろし=サギ)は鷺鶿(ろし)の肉(にく)を食(くら)わず』と。彼(かれ)が師(し)が既(すで)に在(おわ)しませぬなら、彼(かれ)を攪擾(かくじょう=かき乱し)して何(なん)か為(な)そうか。汝(なんじ)は山門(さんもん)の前(まえ)へと往(ゆ)きて馬(うま)を放(はな)し、沙僧(さそう)は行李(こうり)を看守(かんしゅ)し、八戒(はっかい)に包袱(ほうふく=荷物)を解(と)かせよ。些(いささ)かの米糧(べいりょう=食料)を取(と)り、彼(かれ)が鍋竈(かそう=かまど)を借(か)りて、一頓(いっとん)の飯(めし)を做(つく)って食(くら)い、臨行(りんこう=出立)に際(さい)して、彼(かれ)に幾文(いくぶん)かの柴銭(さいせん=薪代)を送(おく)っておけば、すなわち罷(や)むであろう。各(おのおの)執事(しつじ=持ち場)に依(よ)れ、我(われ)をしてここに在(あ)って歇息(けっそく=休息)し、飯(めし)が畢(おわ)ればすなわち行(ゆ)こう」と。彼(かれ)ら三人(さんにん)は果(はた)して各(おのおの)執事(しつじ)に依(よ)って去(さ)った。

かの明月(めいげつ)と清風(せいふう)は、密(ひそ)かに自(おの)ずから夸(ほこ)り称(たた)えて措(お)かず言(い)うには、「好(よ)き和尚(おしょう)かな。真(まこと)にこれ西方(せいほう)の聖(せい)を愛(あい)する者の凡(ぼん)に臨(のぞ)みし者の如(ごと)く、真元(しんげん=本来の真)を昧(くら)まさず。師父(しふ)は我(われ)らに唐僧(とうそう)を接待(せったい)し、人参果(にんじんか)を将(も)って彼(かれ)に与(あた)えて食(くら)わせ、以(もっ)て故旧(こきゅう=旧交)の情(じょう)を表(あらわ)すよう命(めい)じられたが、また彼(かれ)が手下(しゅか)の者(もの)の囉唣(らそう=騒ぎ立て)するを防(ふせ)ぐよう教(おし)えられた。果(はた)してかの三人(さんにん)の嘴臉(しれん=面つき)は凶頑(きょうがん=荒々しく頑固)で、性情(せいじょう)は粗糙(そそう=粗野)なり。幸(さいわ)いにすなわち彼(かれ)らを把(も)って調(ちょう=移動)し開(ひら)いた。もし辺前(そば)に在(あ)らしめば、却(かえ)って人参果(にんじんか)と面(めん)を見(み)させることならずや」と。

清風(せいふう)が言(い)うには、「兄弟(けいてい)よ、なおかの和尚(おしょう)が師父(しふ)の故人(こじん)なるや否(いな)やを知(し)らぬゆえ、彼(かれ)に一(ひと)つ問(と)うて看(み)よ、錯(あやま)うこと莫(なか)れ」と。二人(ふたり)の童子(どうじ)はまた前(まえ)へと往(ゆ)きて言(い)った。「啓(もう)し問(と)う、老師(ろうし)はもしや大唐(だいとう)より西天(せいてん)へと経(きょう)を取(と)りに往(ゆ)かれる唐三蔵(とうさんぞう)でありましょうか」と。長老(ちょうろう)は礼(れい)を回(かえ)して言(い)った。「貧僧(ひんそう=わたくし)がすなわちこれであるが、仙童(せんどう)はどうして我(わ)が賤名(せんみょう=拙い名)を知(し)っておるのか」と。童子(どうじ)が言(い)うには、「我(わ)が師(し)は臨行(りんこう)に際(さい)し、曾(かつ)て弟子(でし)に遠(とお)くより接(むか)えるよう吩咐(いいつけ)られた。期(き)せずして車駕(しゃが=おいで)の促(せま)れるに、迎迓(げいが=お迎え)を失(しっ)したるが有(あ)ります。老師(ろうし)、請(こ)う坐(ざ)せよ、弟子(でし)が茶(ちゃ)を弁(ととの)えて奉(ほう)ずるまで」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「不敢(かたじけな)い」と。

かの明月(めいげつ)は急(いそ)ぎ本房(ほんぼう=自室)へと転(うつ)り、一杯(いっぱい)の香茶(こうちゃ)を取(と)りて長老(ちょうろう)に献(けん)じた。茶(ちゃ)が畢(おわ)ると、清風(せいふう)が言(い)うには、「兄弟(けいてい)よ、師命(しめい)に違(たが)うべからず。我(われ)と汝(なんじ)と往(ゆ)きて果子(かし)を取(と)って来(こ)う」と。

二童(にどう)は三蔵(さんぞう)に別(わか)れを告(つ)げ、同(とも)に房中(ぼうちゅう)へと到(いた)り、一人(ひとり)は金撃子(きんげきし=金の棒)を拿(と)り、一人(ひとり)は丹盤(たんばん=薬用の盆)を拿(と)り、また多(おお)く絲帕(しは=絹の布)を将(も)って盤(ばん)の底(そこ)を墊(し)き、まっすぐ人参園(にんじんえん)の内(うち)へと到(いた)った。かの清風(せいふう)は樹(き)のうえへと爬(よじ)り上(のぼ)り、金撃子(きんげきし)を使(つか)って果(み)を敲(たた)き、明月(めいげつ)は樹(き)の下(した)に在(あ)って、丹盤(たんばん)を以(もっ)って等(ま)ち接(う)けた。須臾(しばらく)して二(ふた)つの果(み)を敲(たた)き下(おろ)し、盤(ばん)の中(なか)に接(う)けて、まっすぐ前殿(ぜんでん)へと至(いた)って奉献(ほうけん)して言(い)った。「唐師父(とうしふ)、我(わ)が五荘観(ごしょうかん)は土(つち)僻(へき)なく山(やま)荒(あ)れて、奉(ほう)ずべき物(もの)も有(あ)りませぬゆえ、土儀(どぎ=土地の品)の素果(そか=精進の実)二枚(にまい)を、権(かり)に渇(かわき)を解(と)くに為(な)されますよう」と。

かの長老(ちょうろう)はこれを見(み)て、戦戦兢兢(せんせんきょうきょう=おののき)として、三尺(さんじゃく)を遠(とお)ざかりて言(い)った。「善(ぜん)なるかな、善(ぜん)なるかな。今歳(こんさい)はかえってまた年豊(ねんほう=豊作)にして時稔(じねん=実り)の時(とき)であるに、どうしてこの観(かん)の裡(うち)に在(あ)って荒(あら)れて人(ひと)を食(くら)うか。これはこれ三朝(さんちょう)未(いま)だ満(み)たざるの孩童(がいどう=幼児)であるに、いかでか我(われ)が渇(かわき)を解(と)くに与(あた)えられようや」と。

清風(せいふう)は密(ひそ)かに言(い)うには、「この和尚(おしょう)はあの口舌場(こうぜつば=口論の場)や是非海(ぜひかい=是非の海)の中(なか)に在(あ)って、眼肉胎凡(がんにくたいぼん=俗眼凡胎)に弄(ろう)し成(な)され、我(わ)が仙家(せんか)の異宝(いほう)を識(し)らぬのじゃ」と。明月(めいげつ)は前(まえ)へと往(ゆ)きて言(い)った。「老師(ろうし)、この物(もの)をば人参果(にんじんか)と叫(よ)び、一(ひと)つを食(くら)うも妨(さしつか)え有(あ)りませぬ」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「胡説(こせつ)、胡説(こせつ)。彼(かれ)が父母(ふぼ)の懐胎(かいたい=身ごもり)には、幾(いく)ばくの苦楚(くそ=苦しみ)を受(う)けたるかを知(し)らぬが、ようやく生(う)み下(おろ)して未(いま)だ三日(みっか)にも及(およ)ばぬに、どうしてすなわち彼(かれ)を把(も)って来(きた)りて果子(かし)に当(あ)てるか」と。清風(せいふう)が言(い)うには、「実(じつ)にこれ樹(き)のうえに結(むす)んだものでございます」と。長老(ちょうろう)が言(い)うには、「乱談(らんだん=でたらめ)、乱談(らんだん)。樹(き)のうえにまた会(よ)く人(ひと)を結(むす)び出(いだ)すことが有(あ)ろうか。拿(も)って過(よ)ぎて去(さ)れ、人子(じんし)に当(あ)たらぬわい」と。

かの二人(ふたり)の童児(どうじ)は、千(せん)に推(お)し万(ばん)に阻(へだ)てて食(くら)わぬのを見(み)て、ただ盤(ばん)を拿(も)って、本房(ほんぼう)へと転(うつ)り回(かえ)るほかなかった。かの果子(かし)もまたこれ蹺蹊(きょうけい=不思議)なもので、久(ひさ)しく放(お)くことを得(え)ず、もし多(おお)くの時(とき)を放(お)けばすなわち僵(かたま)りて、中(なか)に食(くら)うに適(かな)わなんだ。二人(ふたり)は房中(ぼうちゅう)に到(いた)り、一家(いっか)に一(ひと)つずつ、床(とこ)の辺(ほとり)に坐(ざ)して、ただ情(ひたすら)に食(くら)い起(お)こした。

おお、元来(がんらい)このような事(こと)が有(あ)るのじゃ。彼(かれ)が道房(どうぼう=道士の部屋)は、かの厨房(ちゅうぼう=台所)と緊緊(きんきん)と間壁(かんぺき=隔壁)しており、この方(ほう)で悄悄(しょうしょう=ひっそり)と言(い)う言語(げんご)も、かの方(ほう)でたちまちこれを聞(き)き取(と)るのであった。八戒(はっかい)はちょうど厨房(ちゅうぼう)の裡(うち)に在(あ)って飯(めし)を做(つく)っておったが、先(さき)に金撃子(きんげきし)を取(と)るとか、丹盤(たんばん)を拿(と)るとか言(い)うのを聞(き)いて、彼(かれ)は已(すで)に心(こころ)に在(あ)り、また彼(かれ)らが唐僧(とうそう)の人参果(にんじんか)を認(みと)めず、すなわち房(へや)の裡(うち)に拿(も)って往(ゆ)きて自(みずか)ら食(くら)うと言(い)うのを聞(き)いて、口(くち)の裡(うち)に耐(た)えきれずに涎(よだれ)を流(なが)して言(い)った。「どうか一(ひと)つを嘗新(しょうしん=新物を味わい)し得(え)ればよいものを」と。

自(おの)が身(み)はまた狼犺(ろうこう=不器用)にして、能(よ)く動(うご)くことを得(え)ず、ただ行者(ぎょうじゃ)の来(く)るを等(ま)ちて、彼(かれ)と計較(けいかく=相談)しようとした。彼(かれ)はあの鍋門(かもん=かまど口)の前(まえ)に在(あ)って、更(さら)に火(ひ)を焼(た)くに心(こころ)無(な)く、時(とき)ならずして頭(あたま)を伸(の)ばし脳(のう)を探(さぐ)りて、出(で)て来(き)て観(み)ておった。

多(おお)くの時(とき)ならずして、行者(ぎょうじゃ)の馬(うま)を牽(ひ)き将(も)って来(きた)り、槐(えんじゅ)の樹(き)のうえに拴(つな)ぎ、まっすぐ後(うしろ)へと走(はし)るのが見(み)えた。かの呆子(ほうし)は手(て)を用いて乱(みだ)りに招(まね)いて言(い)った。「ここへ来(こ)い、ここへ来(こ)い」と。行者(ぎょうじゃ)は身(み)を転(めぐ)らせて、厨房(ちゅうぼう)の門首(もんしゅ)へと到(いた)って言(い)った。「呆子(ほうし)よ、汝(なんじ)何(なん)を嚷(わめ)くか。想(おも)うに飯(めし)の食(くら)うに足(た)らぬのであろう。且(しばら)く老和尚(ろうおしょう)をして飽(あ)くまで食(くら)わせ、我(われ)らは前辺(まえ)の大(おお)きな家(いえ)でまた化(こ)して食(くら)おうではないか」と。

八戒(はっかい)が言(い)うには、「汝(なんじ)中(なか)へ入(い)って来(こ)い、飯(めし)が少(すくな)いのでは無(な)い。この観(かん)の裡(うち)に一(ひと)つの宝貝(ほうばい=宝物)が有(あ)るが、汝(なんじ)はもしや暁(さと)っておるか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「何(なん)の宝貝(ほうばい)か」と。八戒(はっかい)は笑(わら)って言(い)った。「汝(なんじ)に説(と)いても、汝(なんじ)は曾(かつ)て見(み)たことが無(な)かろう。汝(なんじ)に拿(も)って見(み)せても、汝(なんじ)は認(みと)めまい」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「この呆子(ほうし)め、我(わ)が老孫(ろうそん)を笑(わら)うか。老孫(ろうそん)は五百年前(ごひゃくねんぜん)、仙道(せんどう)を訪(たず)ねし時(とき)に因(よ)り、また曾(かつ)て雲遊(うんゆう)して海角天涯(かいかくてんがい=地の果て)に在(あ)った。あのようなもので見(み)なんだものが有(あ)ろうか」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、人参果(にんじんか)は汝(なんじ)曾(かつ)て見(み)たか」と。

行者(ぎょうじゃ)は驚(おどろ)いて言(い)った。「これは真(まこと)に曾(かつ)て見(み)なんだ。ただただ常(つね)に人(ひと)の言(い)うを聞(き)いておるに、人参果(にんじんか)はすなわちこれ草還丹(そうかんたん)で、人(ひと)の食(くら)えば極(きわ)めて能(よ)く寿(いのち)を延(の)ばすと。今(いま)どこにそれを得(う)る処(ところ)が有(あ)るか」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「彼(かれ)らがここに有(あ)る。かの童子(どうじ)が二(ふた)つを拿(も)って師父(しふ)に与(あた)えて食(くら)わせたが、かの老和尚(ろうおしょう)は認(みと)めず、これ三朝(さんちょう)未(いま)だ満(み)たざるの孩児(がいじ)であると言(い)うて、曾(かつ)て敢(あえ)て食(くら)わなんだ。かの童子(どうじ)はたいそう憊懶(びらん=ずるい)で、師父(しふ)が既(すで)に食(くら)わぬなら、すなわち我(われ)らに讓(ゆず)るべきところを、彼(かれ)らは我(われ)らを瞞(あざむ)いて、たった今(いま)この隔壁(かくへき)の房(へや)の裡(うち)で、一家(いっか)に一(ひと)つずつ、啯啅啯啅(かくとうかくとう=もぐもぐ)と食(くら)って出(で)て往(い)ったゆえ、すなわち我(わ)が口(くち)の裡(うち)をして水(みず)の泱(あふ)れしむるばかりじゃ。—どうして一(ひと)つを嘗新(しょうしん)し得(え)ようか。我(われ)は想(おも)うに汝(なんじ)は些(いささ)か溜撒(りゅうさつ=すばしこい)ゆえ、往(ゆ)きて彼(かれ)が園子(えんし=その庭)の裡(うち)より幾(いく)つかを偷(ぬす)んで来(き)て嘗(な)めてみてはどうか」と。

行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「これは容易(たやすい)。老孫(ろうそん)が往(ゆ)けば、手(て)の到(いた)るところ擒(とら)えて来(く)るであろう」と。急(いそ)ぎ身(み)を抽(ぬ)きて、前(まえ)へと向(むか)ってすなわち走(はし)った。八戒(はっかい)は一把(ひとつかみ)に扯(ひ)き止(と)めて言(い)った。「兄貴(あにき)、我(われ)は彼(かれ)らがこの房(へや)の裡(うち)に在(あ)って、何(なん)の金撃子(きんげきし)を拿(も)って往(ゆ)きて打(う)とうと言(い)うのを聞(き)いた。須(すべから)く事(こと)を干(おこな)うの停当(ていとう=手際よく)を得(え)、風声(ふうせい=うわさ)を走(はし)らせ露(あらわ)すべからず」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「我(われ)は暁(さと)っておる、我(われ)は暁(さと)っておる」と。

かの大聖(たいせい)は一(ひと)つの隠身法(おんしんぽう)を使(つか)い、闪(ひらり)と道房(どうぼう)の中(なか)へと入(い)って看(み)るに、元来(がんらい)かの二人(ふたり)の道童(どうどう)は、果子(かし)を食(くら)って、殿(でん)へと上(のぼ)りて唐僧(とうそう)と話(はな)しておるため、房(へや)の裡(うち)には在(お)らなんだ。行者(ぎょうじゃ)は四下(あたり)を観(み)て、何(なん)の金撃子(きんげきし)が有(あ)るかを見(み)たが、ただ窓櫺(そうれい=窓の桟)のうえに一条(いちじょう)の赤金(せききん)の掛(かか)っておるのが見(み)えた。二尺(にしゃく)の長短(ちょうたん)が有(あ)り、指頭(しとう=指)の太(ふと)さほどで、底(そこ)は一(ひと)つの蒜疙疸(さんかつた=にんにくのこぶ)の頭子(とうし=頭)であり、上辺(うえ)に眼(め)が有(あ)って、一根(いっこん)の緑絨縄児(りょくじょうじょうじ=緑の綿紐)が系(むす)ばれておった。彼(かれ)が言(い)うには、「想必(おそら)くはこれこそかの物(もの)で、金撃子(きんげきし)と叫(よ)ぶものであろう」と。

彼(かれ)は却(かえ)ってそれを取(と)り下(おろ)し、道房(どうぼう)を出(で)て、まっすぐ後辺(うしろ)へと入(い)って往(ゆ)き、二扇(にせん)の門(もん)を推(お)し開(ひら)き、頭(あたま)を上(あ)げて観(み)るに—おお、却(かえ)ってこれ一(ひと)つの花園(かえん)であった。

朱欄(しゅらん=朱の欄干)宝檻(ほうかん=玉の階段)、曲砌(きょくせい=曲がった石積み)峰山(ほうざん=築山)。
奇花(きか)は麗日(れいじつ)と妍(うつくしさ)を争(あらそ)い、
翠竹(すいちく)は青天(せいてん)と碧(みどり)を闘(きそ)う。
流杯亭(りゅうはい亭)の外(そと)、一彎(いちわん)の緑柳(りょくりゅう)は煙(けむり)を拖(ひ)くに似(に)たり、
賞月台(しょうげつだい)の前(まえ)、数簇(すうぞく)の喬松(きょうしょう=高い松)は靛(あい)を潑(そそ)ぐが如(ごと)し。
紅拂拂(こうふつふつ)たるは錦巣榴(きんそうりゅう=錦の巣の柘榴)、
緑依依(りょくいい)たるは繍墩草(しゅうとんそう=刺繍の墩の草)。
青茸茸(せいじょうじょう)たるは碧砂蘭(へきしゃらん=碧砂の蘭)、
攸蕩蕩(ゆうとうとう)たるは渓水(けいすい)に臨(のぞ)む。
丹桂(たんけい=木犀)は金井(きんせい)の梧桐(ごとう)に映(うつ)り、
錦槐(きんかい)は朱欄(しゅらん)の玉砌(ぎょくせい)に傍(そ)えり。
或(あるい)は紅(あか)く或(あるい)は白(しろ)き千葉桃(せんようとう)有(あ)り、
或(あるい)は香(かお)り或(あるい)は黄(き)なる九秋菊(きゅうしゅうぎく)有(あ)り。
荼蘼架(とびか=薔薇の棚)は牡丹亭(ぼたんてい)に映(うつ)じ、
木槿台(もくきんだい)は芍薬圃(しゃくやくほ)に相連(あいつらな)る。
霜(しも)に傲(おご)れる君子竹(くんしちく)や、雪(ゆき)を欺(あざむ)く大夫松(たいふしょう)の看(み)れど尽(つ)きざるを見(み)よ。
更(さら)にまたかの鶴荘鹿宅(かくそうろくたく=鶴の荘鹿の宅)、方沼円池(ほうしょうえんち=四角な池丸い池)、
泉(いずみ)は砕玉(さいぎょく=砕けた玉)を流(なが)し、地(つち)には萼(うてな)の金(きん)を堆(うずたか)くす。
朔風(さくふう=北風)触(ふ)れて梅花(ばいか)の白(しろ)きを綻(ほころ)ばせ、
春(はる)来(きた)って海棠(かいどう)の紅(あか)きを点(てん)じ破(やぶ)る。
誠(まこと)に所謂(いわゆる)人間(にんげん)第一(だいいち)の仙景(せんけい)、西方(せいほう)魁首(かいしゅ=第一等)の花叢(かそう=花園)なり。

かの行者(ぎょうじゃ)は観(み)れど尽(つ)きず、また一層(いっそう)の門(もん)が有(あ)るのを見(み)て、推(お)し開(ひら)いて看(み)るに、却(かえ)ってこれ一(ひと)つの菜園(さいえん)であった。

四時(しじ)の蔬菜(そさい)を布種(ふしゅ=種まき)し、
菠(ほうれんそう)芹(せり)莙薘(うまつな)姜(しょうが)苔(たい)。
筍(たけのこ)薯(いも)瓜(うり)瓠(ひょうたん)茭白(こも)、
葱(ねぎ)蒜(にんにく)芫荽(こえんどろ)韭(にら)薤(らっきょう)。
窩蕖(かきょ=れんこん)童蒿(どうこう=春菊)苦藚(にがな)、
葫芦(ひょうたん)茄子(なす)は須(かなら)ず栽(う)うべし。
蔓菁(かぶ)蘿蔔(だいこん)は羊頭(ようとう)を埋(うず)め、
紅莧(こうけん=赤ひゆ)青菘(せいしょう=青い白菜)紫芥(しがい=紫からしな)。

行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「彼(かれ)もまたこれ一(ひと)つの自(みずか)ら種(う)え自(みずか)ら食(くら)う道士(どうし)じゃ」と。

菜園(さいえん)を過(す)ぎて、また一層(いっそう)の門(もん)が有(あ)った。推(お)し開(ひら)いて看(み)るに、おお、ただかの正(まさ)に中間(ちゅうかん)に一本(いっぽん)の大樹(たいじゅ)の有(あ)るのが見(み)え、真(まこと)にこれ青枝(せいし=青き枝)馥郁(ふくいく)として、緑葉(りょくよう)陰森(いんしん=茂り暗く)、かの葉(は)は却(かえ)って芭蕉(ばしょう)の模様(もよう)に似(に)て、直(ただ)ちに上(うえ)へと去(ゆ)くこと千尺余(せんしゃくよ)の高(たか)さが有(あ)り、根(ね)の下(した)は七八丈(しちはちじょう)の囲(かこ)みの円(まる)さが有(あ)った。

かの行者(ぎょうじゃ)は樹(き)の下(した)に倚(よ)りて上(うえ)へと一(ひと)つ看(み)るに、ただ南(みなみ)に向(むか)える枝(えだ)のうえに、一人(ひとり)の人参果(にんじんか)の露(あらわ)れ出(い)でておるのが見(み)え、真(まこと)に孩児(がいじ=幼児)に象(かたど)るが如(ごとし)であった。元来(がんらい)尾間(びかん=尻)のうえにこれ一(ひと)つの扢蒂(こつてい=へた)が有(あ)り、彼(かれ)の枝(えだ)の頭(かしら)に丁(とど)まって、手(て)脚(あし)を乱(みだ)りに動(うご)かし、頭(あたま)を点(うなず)かせ脳(あたま)を幌(ふ)るのを見(み)れば、風(かぜ)の過(よぎ)る処(ところ)で声(こえ)の有(あ)るに似(に)たり。行者(ぎょうじゃ)は喜(よろこ)ぶこと尽(つ)きず、密(ひそ)かに自(おの)ずから夸(ほこ)り称(たた)えて言(い)うには、「好(よ)き物(もの)かな。果(はた)して罕(まれ)なり、果(はた)して罕(まれ)なり」と。彼(かれ)は樹(き)に倚(よ)りて、颼(しゅう)という一声(ひとこえ)もろとも、攛(とびあが)って上(のぼ)って往(ゆ)った。

かの猴子(こうし=猿)は元来(がんらい)第一(だいいち)に会(よ)く樹(き)を爬(よじ)り果子(かし)を偷(ぬす)む者(もの)であった。彼(かれ)は金撃子(きんげきし)を把(も)って一(ひと)つ敲(たた)いたれば、かの果子(かし)は撲(ぽん)と落(お)ち将(も)って下(くだ)って来(き)た。彼(かれ)もまた随(したが)って跳(と)び下(お)りて跟(あと)を尋(たず)ねたが、寂然(せきぜん)として見(み)えず、四下(あたり)の草(くさ)の中(なか)を找(さが)し尋(たず)ぬるに、更(さら)に蹤影(しょうえい=行方)が無(な)かった。

行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「蹺蹊(きょうけい=不思議)な、蹺蹊(きょうけい)な。想(おも)うに脚(あし)の有(あ)る者(もの)は会(よ)く走(はし)るゆえ、走(はし)るとしてもまた墻(かき)を跳(と)び出(で)ることはできまい。我(われ)は知(し)った、想(おも)うにこれ花園(かえん)の中(なか)の土地(どち=土地神)が老孫(ろうそん)に彼(かれ)が果子(かし)を偷(ぬす)ませぬゆえ、彼(かれ)が収(おさ)めて去(さ)ったのであろう」と。

彼(かれ)はすなわち訣(けつ=印)を捻(ねん)じ、一口(ひとくち)の「唵(おん)」の字(じ)の呪(じゅ)を念(とな)えて、かの花園(かえん)の土地(どち)を拘(まね)き寄(よ)せて前(まえ)に来(きた)らしめた。土地(どち)は行者(ぎょうじゃ)に向(むか)って施礼(せれい)して言(い)った。「大聖(たいせい)、小神(しょうしん)を呼喚(こかん=お呼び)の、何(なん)の吩咐(いいつけ)が有(あ)りますか」と。

行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)は老孫(ろうそん)が蓋天下(がいてんか=天下に名高き)の賊頭(ぞくとう=盗賊の頭)であるを知(し)らぬか。我(われ)が当年(とうねん)に蟠桃(ばんとう)を偷(ぬす)み、御酒(ぎょしゅ)を盗(ぬす)み、霊丹(れいたん)を窃(ぬす)んだ時(とき)も、また曾(かつ)て人(ひと)の敢(あ)えて我(われ)と分(わけ)て用(もち)いようとする者(もの)はおらなんだに、どうして今日(こんにち)彼(かれ)が一(ひと)つの果子(かし)を偷(ぬす)んだれば、汝(なんじ)は我(わ)が頭分(とうぶん=分け前)を抽(ぬ)き去(さ)ってしまったか。この果子(かし)は樹(き)のうえに結(むす)んだものゆえ、空(そら)を過(よぎ)る鳥(とり)にもまた分(ぶん)が有(あ)るべきに、老孫(ろうそん)が彼(かれ)を一(ひと)つ食(くら)うとして、何(なん)の大(おお)きな害(がい)が有(あ)ろうか。どうして剛(たったいま)打(う)ち下(おろ)したれば、汝(なんじ)はすなわち撈(すく)い去(さ)ったか」と。

土地(どち)が言(い)うには、「大聖(たいせい)、小神(しょうしん)を錯(あやま)って怪(あや)しみ給(たま)うな。この宝貝(ほうばい)はすなわちこれ地仙(ちせん)の物(もの)、小神(しょうしん)はこれ一(ひと)りの鬼仙(きせん)なるに、どうして敢(あ)えて拿(も)って去(さ)ろうか。すなわち聞(か)ぐにもまた福(ふく)の聞(か)ぐこと無(な)いほどでございます」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)既(すで)に曾(かつ)て拿(も)って去(さ)らぬなら、どうして打(う)ち下(おろ)したればすなわち見(み)えずなるか」と。土地(どち)が言(い)うには、「大聖(たいせい)はただこの宝貝(ほうばい)の寿(いのち)を延(の)ばすを知(し)るのみで、更(さら)に彼(かれ)が出処(しゅっしょ=由来)を知(し)り給(たま)わぬ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「何(なん)の出処(しゅっしょ)が有(あ)るか」と。

土地(どち)が言(い)うには、「この宝貝(ほうばい)は三千年(さんぜんねん)に一(ひと)たび花(はな)を開(ひら)き、三千年(さんぜんねん)に一(ひと)たび果(み)を結(むす)び、また三千年(さんぜんねん)を経(へ)て方(まさ)に熟(じゅく)するを得(う)る。短頭(たんとう=短くても)一万年(いちまんねん)に、ただ三十個(さんじっこ)を結(むす)ぶのみ。縁(えん)の有(あ)る者(もの)は、一(ひと)たび聞(か)げば、すなわち三百六十歳(さんびゃくろくじっさい)を活(い)き、一(ひと)つを食(くら)えば、すなわち四万七千年(しばんしちせんねん)を活(い)きる。しかるにただ五行(ごぎょう)と相畏(あいき=相剋)するのみ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「どうして五行(ごぎょう)と相畏(あいき)するか」と。

土地(どち)が言(い)うには、「この果子(かし)は金(きん)に遇(あ)えば落(お)ち、木(もく)に遇(あ)えば枯(か)れ、水(すい)に遇(あ)えば化(と)け、火(か)に遇(あ)えば焦(こ)げ、土(ど)に遇(あ)えば入(い)る。敲(たた)く時(とき)には必(かなら)ず金器(きんき)を用(もち)いてこそ、方(まさ)に下(おろ)し得(う)る。打(う)ち下(おろ)しては、却(かえ)って盤(ばん)を将(も)って絲帕(しは)を用(もち)いて襯墊(しんでん=敷き)てこそ可(よ)いのであり、もし些(いささ)かでも木器(ぼっき)を受(う)くれば、すなわち枯(か)れて、食(くら)うもまた寿(いのち)を延(の)ばすことを得(え)ぬ。彼(かれ)を食(くら)うには須(すべから)く磁器(じき=陶器)を用(もち)い、清水(せいすい)に化(と)かし開(ひら)いて食用(しょくよう)すべく、火(ひ)に遇(あ)えばすなわち焦(こ)げて用(よう)無(な)し。土(ど)に遇(あ)えば入(い)るとは、大聖(たいせい)が方才(たったいま)地上(ちじょう)に打(う)ち落(おと)されたれば、彼(かれ)はすなわち土(つち)の下(した)へと鑽(もぐ)って往(い)ったのじゃ。この土(つち)は四万七千年(しばんしちせんねん)が有(あ)り、すなわち鋼鑽(こうさん=鋼の錐)をもって彼(かれ)を鑽(うが)とうとしてもまた些須(さしょ=わずか)も鑽(うが)ち動(うご)かせず、生鉄(せいてつ=銑鉄)よりもまた三四分(さんよんぶ)硬(かた)い。人(ひと)もし食(くら)えば、これによって長生(ちょうせい)するのじゃ。大聖(たいせい)もし信(しん)ぜられぬなら、この地(つち)の下(した)を把(も)って一(ひと)つ打(う)って看(み)られよ」と。

行者(ぎょうじゃ)はすなわち金箍棒(きんこぼう)を掣(ひっさ)げて一(ひと)つ築(つ)き下(おろ)したが、響(ひび)く一声(ひとこえ)もろともに棒(ぼう)を迸(はじ)き起(お)こされ、土(つち)のうえには更(さら)に痕跡(こんせき)が無(な)かった。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「果(はた)して然(しか)り、果(はた)して然(しか)り。我(わ)がこの棍(こん)は、石(いし)を打(う)てば粉砕(ふんさい)の如(ごと)く、生鉄(せいてつ)に撞(あた)るにもまた痕(あと)が有(あ)るに、どうしてこの一(ひと)つで些(いささ)かをも傷(きずつ)けなんだか。このように言(い)われるなら、我(われ)は却(かえ)って汝(なんじ)を錯(あやま)って怪(あや)しんだ。汝(なんじ)戻(もど)るがよい」と。かの土地(どち)はすなわち本廟(ほんびょう=自分の社)へと回(かえ)って訖(おわ)った。

大聖(たいせい)は却(かえ)って算計(さんけい=工夫)が有(あ)った。樹(き)へと爬(よじ)り上(のぼ)り、一(ひと)つの手(て)で撃子(げきし=金撃子)を使(つか)い、一(ひと)つの手(て)で錦布(きんぷ)の直裰(じきとつ=僧衣)の襟(えり)を将(も)って扯(ひ)き起(お)こし、一(ひと)つの兜子(とうし=受け袋)を做(つく)って等(ま)ち受(う)け、彼(かれ)は却(かえ)って枝(えだ)を串(くし)り葉(は)を分(わ)けて、三(みっ)つの果(み)を敲(たた)き、襟(えり)の中(なか)に兜(いだ)きて、樹(き)より跳(と)び下(お)り、一(ひと)すじに前(まえ)へと来(きた)り、まっすぐ厨房(ちゅうぼう)の裡(うち)へと到(いた)った。かの八戒(はっかい)は笑(わら)って言(い)った。「兄貴(あにき)、有(あ)りますか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「これでないか。老孫(ろうそん)が手(て)の到(いた)るところ擒(とら)えて来(き)た。この果子(かし)は、また沙僧(さそう)を背(そむ)くには及(およ)ばず、彼(かれ)を一声(ひとこえ)叫(よ)んでこよう」と。八戒(はっかい)はすなわち手(て)を招(まね)いて叫(よ)んだ。「悟浄(ごじょう)、汝(なんじ)来(こ)い」と。

かの沙僧(さそう)は行李(こうり)を撇(す)て、厨房(ちゅうぼう)へと跑(はし)り入(い)って言(い)った。「兄貴(あにき)、我(われ)を呼(よ)んで何(なん)の用(よう)ですか」と。行者(ぎょうじゃ)は衣兜(いとう=衣の懐)を放(はな)して言(い)った。「兄弟(けいてい)よ、汝(なんじ)これが何(なん)の物(もの)であるかを見(み)よ」と。沙僧(さそう)は見(み)て言(い)った。「人参果(にんじんか)でございます」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「好(よ)いかな。汝(なんじ)はかえって認(みと)めるが、汝(なんじ)曾(かつ)てどこでそれを食(くら)うたことが有(あ)るか」と。沙僧(さそう)が言(い)うには。

「小弟(しょうてい)は曾(かつ)て食(くら)うたことは有(あ)りませぬが、旧時(きゅうじ=昔)に巻簾大将(かんれんだいしょう)と做(な)りておった時(とき)、鸞輿(らんよ=天子の車)に扶侍(ふじ=お供)して蟠桃宴(ばんとうえん)に赴(おもむ)き、海外(かいがい)の諸仙(しょせん)がこの果(み)を将(も)って王母(おうぼ)に上寿(じょうじゅ=長寿を祝)するを嘗(かつ)て見(み)たことが有(あ)ります。見(み)るは曾(かつ)て見(み)たれど、却(かえ)って曾(かつ)て食(くら)わず。兄貴(あにき)、我(われ)に些(いささ)かを与(あた)えて嘗(な)めさせてくれませぬか」と。

行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「講(かた)るには及(およ)ばぬ、兄弟(けいてい)たち一家(いっか)に一(ひと)つずつじゃ」と。彼(かれ)ら三人(さんにん)は三(みっ)つの果(み)をおのおの受用(じゅよう=頂戴)した。

かの八戒(はっかい)は食腸(しょくちょう=食欲)大(おお)きく、口(くち)また大(おお)きく、一(ひとつ)には童子(どうじ)の食(くら)うのを聞(き)いた時(とき)より、すなわち饞虫(ざんちゅう=食い意地)の拱(うご)めき動(うご)くを覚(おぼ)え、たった今(いま)果子(かし)を見(み)るや、拿(も)って過(よ)ぎ来(きた)り、口(くち)を張(ひら)き開(ひら)いて、轂轆(こくろく=ごろり)と囫圇(こつりん=丸ごと)に嚥(の)み下(くだ)して腹(はら)に収(おさ)めたが、却(かえ)って眼(め)を白(しろ)くして胡頼(こらい=とぼけ)、行者(ぎょうじゃ)と沙僧(さそう)とに向(むか)って言(い)うには、「汝(なんじ)ら二人(ふたり)の食(くら)うたのは何(なん)ですか」と。沙僧(さそう)が言(い)うには、「人参果(にんじんか)じゃ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「何(なん)の味道(みどう=味)ですか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「悟浄(ごじょう)、彼(かれ)に睬(かま)うな。汝(なんじ)はかえって先(さき)に食(くら)うておきながら、また来(きた)って誰(だれ)に問(と)うか」と。

八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、食(くら)うのが忙(いそ)がしすぎて、汝(なんじ)らのように細(こま)かく嚼(か)み細(こま)かく嚥(の)んで、些(いささ)かの滋味(じみ=味わい)を嘗(な)め出(だ)すようにはいかなんだ。我(われ)はまた核(たね)が有(あ)るや無(な)きやをも知(し)らずに、すなわち嚥(の)み下(くだ)してしまった。兄貴(あにき)、人(ひと)の為(ため)には徹(てっ)せよ。既(すで)に我(わ)がこの饞虫(ざんちゅう)を調(ちょう=あお)り動(うご)かしたゆえ、また往(ゆ)きて一(ひと)つを弄(ろう)して来(きた)り、老猪(ろうちょ=この豚野郎)に細(こま)かく食(くら)わせてくれ」と。

行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「兄弟(けいてい)よ、汝(なんじ)は好(よ)く足(た)ることを知(し)らぬのう。この物(もの)は、あの米(こめ)の食(しょく)や麺(めん)の食(しょく)の、撞(あた)れば尽(ことごと)く飽(あ)くに当(あ)てられるものとは比(くら)べられぬ。この一万年(いちまんねん)にただ三十個(さんじっこ)を結(むす)ぶに、我(われ)らが彼(かれ)のこの一(ひと)つを食(くら)うも、またこれ大(おお)いに縁法(えんぽう=縁)の有(あ)ることで、小可(しょうか=並)しくは無(な)いのじゃ。罷(や)めよ、罷(や)めよ、彀(たくさん)じゃ」と。

彼(かれ)は身(み)を欠(かが)めて起(お)き上(あ)がり、一(ひと)つの金撃子(きんげきし)を、窓眼児(そうがんじ=窓の穴)を瞞(かすめ)て、彼(かれ)が道房(どうぼう)の裡(うち)へと投(な)げ入(い)れ、竟(つい)に彼(かれ)に睬(かま)わなんだ。

かの呆子(ほうし)は只管(ひたすら)絮絮叨叨(じょじょとうとう=くどくど)と唧噥(しつのう=ぶつぶつ)しておったが、期(き)せずしてかの二人(ふたり)の道童(どうどう)がまた房(へや)の中(なか)へと入(い)って来(き)て茶(ちゃ)を取(と)って献(けん)じに往(ゆ)き、ただ八戒(はっかい)のなお「人参果(にんじんか)を食(くら)うて快活(かいかつ)ならず、また一(ひと)つを得(えて)食(くら)えばこそ好(よ)かろうに」と嚷(わめ)いておるのが聞(き)こえた。

清風(せいふう)はこれを聞(き)いて、心(こころ)に疑(うたが)って言(い)った。「明月(めいげつ)、汝(なんじ)聞(き)け、あの長嘴(ながしくち)の和尚(おしょう)が『人参果(にんじんか)をまた一(ひと)つ食(くら)いたい』と講(い)うておる。師父(しふ)は別(わか)れる時(とき)に叮嚀(ていねい)して、彼(かれ)が手下(しゅか)の者(もの)の囉唣(らそう=騒ぎ立て)するを防(ふせ)げと教(おし)えられたが、もしや彼(かれ)らが我(われ)らの宝貝(ほうばい)を偷(ぬす)んだのではあるまいか」と。

明月(めいげつ)は頭(あたま)を回(めぐ)らせて言(い)った。「兄(あに)よ、良(よ)くない、良(よ)くない。金撃子(きんげきし)がどうして地(つち)のうえに落(お)ちておるのか。我(われ)ら園(その)の裡(うち)へと往(ゆ)きて看(み)て来(こ)う」と。彼(かれ)の二人(ふたり)は急急忙忙(きゅうきゅうそうそう)と走(はし)って往(ゆ)き、ただ花園(かえん)の開(ひら)いておるのが見(み)えた。清風(せいふう)が言(い)うには、「この門(もん)は我(われ)が関(とざ)したものであるに、どうして開(ひら)いたか」と。また急(いそ)ぎ花園(かえん)を転(めぐ)り過(す)ぎると、ただ菜園(さいえん)の門(もん)もまた開(ひら)いておるのが見(み)えた。忙(いそ)ぎ人参園(にんじんえん)の裡(うち)へと入(い)り、樹(き)の下(した)に倚(よ)りて、上(うえ)を望(のぞ)んで数(かず)を査(しら)べた。顛倒(てんとう=あちこち)来往(らいおう)して、ただ二十二(にじゅうに)を得(えた)のみ。明月(めいげつ)が言(い)うには、「汝(なんじ)は帳(ちょう=勘定)を会(かい=計算)し得(う)るか」と。清風(せいふう)が言(い)うには、「我(われ)は会(かい)する、汝(なんじ)説(と)いて将(も)って来(こ)よ」と。明月(めいげつ)が言(い)うには、「果子(かし)は元(もと)三十個(さんじっこ)であった。師父(しふ)が園(その)を開(ひら)き、分(わ)けて二(ふた)つを食(くら)い、なお二十八(にじゅうはち)が有(あ)り、たった今(いま)二(ふた)つを打(も)いで唐僧(とうそう)に与(あた)えて食(くら)わせ、なお二十六(にじゅうろく)が有(あ)るはずが、今(いま)ただ二十二(にじゅうに)を剩(あま)すのみで、却(かえ)って四(よっ)つを少(へ)らしてはおらぬか。講(かた)るには及(およ)ばず、定(さだ)めてあの夥(やから)の悪人(あくにん)が偷(ぬす)んだのじゃ、我(われ)らはただ唐僧(とうそう)を罵(ののし)りに往(ゆ)こう」と。

二人(ふたり)は園門(えんもん)を出(で)て、まっすぐ殿(でん)のうえへと来(きた)り、唐僧(とうそう)を指(ゆびさ)して、禿前禿後(とくぜんとくご=あれこれ)、穢語汚言(わいごおげん=汚い言葉)、絶(た)えず口(くち)を乱(みだ)りに罵(ののし)り、賊頭鼠脳(ぞくとうそろう=盗人面)、臭短臊長(しゅうたんそうちょう=あれこれ悪口)、好(よ)き気(き)の有(あ)らぬままに胡(みだ)りに嚷(わめ)いた。

唐僧(とうそう)は聴(き)き過(す)ごし難(がた)くして言(い)った。「仙童(せんどう)よ、汝(なんじ)らが鬧(さわ)ぐはこれ何(なん)であるか。些(いささ)か消停(しょうてい=落ち着)けよ。話(はなし)の有(あ)るなら緩(ゆる)やかに説(と)くも妨(さしつか)え無(な)い、胡(みだ)りに説(と)き散(ち)らすこと莫(なか)れ」と。

清風(せいふう)が言(い)うには、「汝(なんじ)の耳(みみ)は聾(つんぼ)か。我(われ)は蛮話(ばんわ=田舎言葉)をするが、汝(なんじ)は省(さと)らぬか。汝(なんじ)らが人参果(にんじんか)を偷(ぬす)み食(くら)うておきながら、どうして我(われ)に説(と)かせぬか」と。唐僧(とうそう)が言(い)うには、「人参果(にんじんか)はどのような模様(もよう)か」と。明月(めいげつ)が言(い)うには、「たった今(いま)拿(も)って来(きた)りて汝(なんじ)に与(あた)えて食(くら)わせたが、孩童(がいどう=幼児)に象(に)ていると言(い)うたのはそれでないか」と。唐僧(とうそう)が言(い)うには、「阿弥陀仏(あみだぶつ)。あの物(もの)は一(ひと)たび見(み)れば、我(われ)はすなわち心(こころ)驚(おどろ)き胆(きも)戦(おのの)いたに、なお敢(あ)えて彼(かれ)を偷(ぬす)み食(くら)おうか。たとえ饞痞(ざんぴ=食い意地)を患(わずら)うたとしても、またこの賊事(ぞくじ=盗み)を干(おこな)うことを敢(あ)えせぬ。錯(あやま)って人(ひと)を怪(あや)しむこと莫(なか)れ」と。

清風(せいふう)が言(い)うには、「汝(なんじ)が曾(かつ)て食(くら)わずとも、なお手下(しゅか)の者(もの)の偷(ぬす)み食(くら)うであろうものが有(あ)る」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「これもまた説(と)くところの然(しか)りであるが、汝(なんじ)ら且(しばら)く嚷(わめ)くな、我(われ)が彼(かれ)らに問(と)うて看(み)るまで。果(はた)してもし偷(ぬす)んだなら、彼(かれ)らに汝(なんじ)に赔(つぐな)わせよう」と。明月(めいげつ)が言(い)うには、「赔(つぐな)うとは。たとえ銭(ぜに)が有(あ)ってもどこに買(か)いに往(ゆ)けようか」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「たとえ銭(ぜに)が有(あ)っても買(か)う処(ところ)が無(な)いとしても、常言(じょうげん)に道(い)う、『仁義(じんぎ)は千金(せんきん)に値(あたい)す』と。彼(かれ)らに汝(なんじ)に一(ひと)つの礼(れい)を陪(おわ)びさせれば、すなわち罷(や)むであろう。—またなおそれが彼(かれ)らであるや否(いな)やを知(し)らぬが」と。明月(めいげつ)が言(い)うには、「どうして彼(かれ)らで無(な)かろうか。彼(かれ)らはそこで分(わ)け方(かた)が均(ひと)しからず、なおそこに在(あ)って嚷(わめ)いておる」と。

三蔵(さんぞう)は一声(ひとこえ)「徒弟(とてい)よ、且(しばら)く皆(みな)来(こ)い」と叫(よ)んだ。沙僧(さそう)はこれを聞(き)いて言(い)った。「良(よ)くない、決撒(けっさつ=ばれた)ぞ。老師父(ろうしふ)が我(われ)らを呼(よ)ばれるが、小道童(しょうどうどう)が胡(みだ)りに厮罵(しば=罵り合い)しておるは、旧話児(きゅわじ=先の話)が風(かぜ)を走(はし)らせたのならずんば、これ何(なん)であろうか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「活(い)きながら羞(はじ)を殺(ころ)すとはこれじゃ。このことはただ飲食(いんしょく)の類(たぐい)に過(す)ぎぬ。もし説(と)き出(だ)せば、すなわち我(われ)らの偷嘴(とうし=盗み食い)となるゆえ、ただ認(みと)むること莫(なか)れ」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「正(まさ)に然(しか)り、正(まさ)に然(しか)り、昧(くら)ましてしまえ」と。彼(かれ)ら三人(さんにん)はただ厨房(ちゅうぼう)を出(で)て、殿(でん)のうえへと歩(あゆ)み上(のぼ)るほかなかった。

おお、畢竟(ひっきょう)いかにして彼(かれ)らに与(とも)に抵頼(ていらい=言い逃れ)するかは、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。