さて、彼(かれ)が兄弟(けいてい)三衆(さんしゅ)は、殿(でん)のうえへと到(いた)りて、師父(しふ)に向(むか)って言(い)った。「飯(めし)はもうじき熟(じゅく)します。我(われ)らを呼(よ)ばれて何(なん)の用(よう)でございましょう」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「徒弟(とてい)よ、飯(めし)を問(と)うのでは無(な)い。この観(かん)の裡(うち)に、何(なに)か人参果(にんじんか)という、子供(こども)の如(ごと)き物(もの)が有(あ)るそうであるが、汝(なんじ)らはいずれが彼(かれ)のを偷(ぬす)みて食(くら)うたか」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「我(われ)は正直(しょうじき)で、暁(さと)りませぬ、曾(かつ)て見(み)ませなんだ」と。清風(せいふう)が言(い)うには、「笑(わら)うたのは彼(かれ)じゃ、笑(わら)うたのは彼(かれ)じゃ」と。
行者(ぎょうじゃ)は喝(かつ)して言(い)った。「我(わ)が老孫(ろうそん)は生(う)まれつきこの笑容児(しょうようじ=笑い顔)をしておる。もし汝(なんじ)が何(なん)の果子(かし)を見(み)失(うしな)うたからとて、すなわち我(われ)に笑(わら)うことを容(ゆる)さぬということが成(な)ろうか」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「徒弟(とてい)よ、怒(いかり)を息(やす)めよ。我(われ)らはこれ出家人(しゅっけにん)であるゆえ、誑語(おうご=嘘)を打(う)つこと休(なか)れ、昧心食(まいしんしょく=やましい食べ物)を食(くら)うこと莫(なか)れ。果(はた)して彼(かれ)のを食(くら)うたなら、彼(かれ)に一(ひと)つの礼(れい)を陪(おわ)びてしまえ、何(なん)ぞ苦(くるし)んでこのように抵頼(ていらい=言い逃れ)するか」と。
行者(ぎょうじゃ)は師父(しふ)の言(い)うところの理(り)の有(あ)るを見(み)て、彼(かれ)はすなわち実(じつ)を説(と)いて言(い)った。「師父(しふ)、我(われ)に干(かかわ)る事(こと)では無(な)い。これ八戒(はっかい)が隔壁(かくへき)でかの二人(ふたり)の道童(どうどう)の何(なん)の人参果(にんじんか)を食(くら)うのを聞(き)きつけ、彼(かれ)が一(ひと)つを嘗新(しょうしん=味見)しとうて、老孫(ろうそん)をして往(ゆ)かしめて三(みっ)つを打(う)たせ、我(われ)が兄弟(けいてい)がおのおの一(ひと)つを食(くら)うたのじゃ。今(いま)食(くら)うても既(すで)に食(くら)うてしまった、どうしてくれようか」と。明月(めいげつ)が言(い)うには、「我(われ)の四(よっ)つを偷(ぬす)みながら、この和尚(おしょう)はなお賊(ぞく)で無(な)いと言(い)うか」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「阿弥陀仏(あみだぶつ)。既(すで)に四(よっ)つを偷(ぬす)んだなら、どうして只(た)だ三(みっ)つを拿(も)ち出(だ)して分(わ)け、予(あらかじ)めすなわち一(ひと)つの偏手(へんしゅ=ごまかし)を打(う)ち起(お)こしたか」と。かの呆子(ほうし)は倒(さかさま)に胡(みだ)りに嚷(わめ)いた。二人(ふたり)の仙童(せんどう)は実(じつ)を問(と)い得(えた)るや、いよいよ毀罵(きば=罵り)を加(くわ)えた。
これによって恨(うら)んだのは大聖(たいせい)で、鋼牙(こうが=鋼の歯)を咬(か)みて響(ひび)かせ、火眼(かがん)を睜(みひら)いて円(まる)くし、一条(いちじょう)の金箍棒(きんこぼう)を把(も)って揝(にぎ)ることまた揝(にぎ)り、忍(しの)ぶことまた忍(しの)んで言(い)った。「この童子(どうじ)はこのように可悪(あくにくむべき)じゃ。ただ当面(とうめん)に人(ひと)を打(う)つと言(い)うも罷(や)めよう、彼(かれ)より些(いささ)かの気(き)を受(う)けておいて、我(われ)が彼(かれ)に一(ひと)つの絶後計(ぜっごけい=とどめの計)を送(おく)り、彼(かれ)をして皆(みな)食(くら)うことの成(な)らざらしめよう」と。
好(よ)し、行者(ぎょうじゃ)は脳後(のうご=後頭部)の毫毛(ごうもう)を一把(ひとつまみ)拔(ぬ)き、一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吹(ふ)きかけ、「変(へん)じろ」と叫(よ)んだ。すると一(ひと)つの仮(にせ)の行者(ぎょうじゃ)と做(な)り、唐僧(とうそう)に跟(したが)い定(さだ)め、悟能(ごのう)や悟浄(ごじょう)に陪(したが)って、道童(どうどう)の嚷(わめ)き罵(ののし)るを忍(しの)び受(う)けておった。彼(かれ)が真身(しんしん=本体)は一(ひと)つの神(しん=意識)を出(いだ)し、雲頭(うんとう)を縦(ほしいまま)にして跳(と)び将(も)って起(お)き上(あ)がり、まっすぐ人参園(にんじんえん)の裡(うち)へと到(いた)り、金箍棒(きんこぼう)を掣(ひっさ)げて樹(き)へと向(むか)って乒乓(ぴんぽん)と一(ひと)つ下(おろ)し、また一(ひと)つの「推山移嶺(すいざんいれい=山を押し嶺を移す)」の神力(しんりき)を使(つか)い、樹(き)を一(ひと)つ推(お)して推(お)し倒(たお)した。
哀(あわ)れなるかな、葉(は)は落(お)ち枒(こずえ)は開(ひら)き根(ね)は土(つち)より出(い)で、道人(どうにん)は草還丹(そうかんたん)を断絶(だんぜつ)せり。
かの大聖(たいせい)は樹(き)を推(お)し倒(たお)して、却(かえ)って枝(えだ)のうえに果子(かし)を尋(たず)ねたが、そこに何(なん)の半(なか)ばのものを得(え)ようか。元来(がんらい)この宝貝(ほうばい)は金(きん)に遇(あ)えば落(お)ちるもので、彼(かれ)が棒(ぼう)の刃頭(じんとう=穂先)は却(かえ)ってこれ金(きん)の裹(つつ)みの物(もの)、況(いわ)んや鉄(てつ)はまたこれ五金(ごきん=五つの金属)の類(たぐい)ゆえ、これによって敲(たた)けばすなわち振(ふる)い下(おろ)され、既(すで)に下(くだ)っては、また土(ど)に遇(あ)えば入(い)るゆえ、これによって上(うえ)には再(ふたた)び一(ひと)つの果子(かし)も無(な)かった。彼(かれ)が言(い)うには、「好(よ)し、好(よ)し、好(よ)し。皆(みな)で散火(さんか=お開き)じゃ」と。
彼(かれ)は鉄棒(てつぼう)を収(おさ)め、まっすぐ前(まえ)へと来(きた)り、毫毛(ごうもう)を一(ひと)つ抖(ふる)って、身(み)のうえに収(おさ)めた。かの人(ひと)たちは肉眼凡胎(にくがんぼんたい=俗な眼と身)ゆえ、看(み)て明(あきら)かにし得(え)なんだ。
さて、かの仙童(せんどう)は多(おお)くの時(とき)も罵(ののし)っておったが、清風(せいふう)が言(い)うには、「明月(めいげつ)、これらの和尚(おしょう)たちもまた気(き)を受(う)け得(う)るのじゃな。我(われ)らはすなわち鶏(にわとり)を罵(ののし)るが如(ごと)く、この半(なか)ばの間(あいだ)も罵(ののし)るに、通(まる)じて一(ひと)つの招声(しょうせい=応じる声)も無(な)い。想必(おそら)くは彼(かれ)らは曾(かつ)て偷(ぬす)み食(くら)うておらぬのであろう。もしや樹(き)高(たか)く葉(は)密(みっ)として、数(かぞ)え得(う)ること明(あき)らかならず、彼(かれ)らを誑(いつわ)って罵(ののし)ったのではあるまいか。我(われ)と汝(なんじ)とまた往(ゆ)きて査(しら)べてみよう」と。明月(めいげつ)が言(い)うには、「また説(と)くところは然(しか)り」と。
彼(かれ)の二人(ふたり)は果(はた)してまた園中(えんちゅう)へと到(いた)ったが、ただかの樹(き)の倒(たお)れて枒(こずえ)の開(ひら)き、果(み)無(な)く葉(は)の落(お)ちておるのが見(み)えたのみ。唬(おどろ)かされたのは清風(せいふう)で、脚(あし)軟(よわ)くして根頭(こんとう=つんのめり)に跌(ころ)び、明月(めいげつ)は腰(こし)酥(よわ)くして骸垢(がいこう=へたり)を打(う)った。かの二人(ふたり)は魂(たましい)飛(と)び魄(こん)散(ちら)った。詩(し)が有(あ)って証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く。
三蔵(さんぞう)西(にし)に万寿山(まんじゅざん)に臨(のぞ)み、
悟空(ごくう)草還丹(そうかんたん)を断送(だんそう=断ち滅ぼ)す。
枒(こずえ)開(ひら)き葉(は)落(お)ちて仙根(せんこん)露(あらわ)れ、
明月(めいげつ)清風(せいふう)心胆(しんたん)寒(かん)たり。
彼(かれ)の二人(ふたり)は塵埃(じんあい=地面)に倒(たお)れ、言語(げんご)は顛倒(てんとう=めちゃくちゃ)で、ただ「どうしたらよい、どうしたらよい。我(わ)が五荘観(ごしょうかん)の裡(うち)の丹頭(たんとう=仙丹の元)を害(そこな)い、我(わ)が仙家(せんか)の苗裔(びょうえい=末裔)を断絶(だんぜつ)してしまった。師父(しふ)が家(いえ)へと来(きた)られたら、我(われ)ら二人(ふたり)はどう御返事(おへんじ)しよう」と叫(よ)んだ。
明月(めいげつ)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、嚷(わめ)くな。我(われ)ら且(しばら)く衣冠(いかん=衣服)を整(ととの)え、この幾人(いくにん)かの和尚(おしょう)を驚張(きょうちょう=驚かす)すること莫(なか)れ。これに他(た)の者(もの)は無(な)く、定(さだ)めてこれかの毛顔雷公嘴(もうがんらいこうし=毛だらけの顔に雷公の嘴)のあの厮(やつ)で、彼(かれ)が来(きた)って神(しん)を出(いだ)し法(ほう)を弄(ろう)して、我(われ)らの宝貝(ほうばい)を壊(こわ)したのじゃ。もし彼(かれ)と分説(ぶんせつ=言い分け)すれば、あの厮(やつ)は畢竟(ひっきょう)抵頼(ていらい=言い逃れ)し、定(かなら)ず彼(かれ)と相争(あいあらそ)い、争(あらそ)い起(お)これば、すなわち相(あい)打(う)ち合(あ)うこととならん。汝(なんじ)想(おも)え、我(われ)ら二人(ふたり)でどうして彼(かれ)ら四人(よんにん)に敵(てき)し得(え)ようか。且(しばら)く彼(かれ)らを一(ひと)つ哄(だま)すに如(し)かず、ただ果子(かし)は少(へ)らず、我(われ)らが数(かぞ)え錯(あやま)ったと言(い)い、転(かえ)って彼(かれ)らに一(ひと)つの不是(ふぜ=非)を陪(おわ)びよう。彼(かれ)らの飯(めし)は既(すで)に熟(じゅく)しており、彼(かれ)らが飯(めし)を食(くら)う時(とき)を等(ま)ちて、また彼(かれ)らに些(いささ)かの小菜(しょうさい=惣菜)を貼(そ)えてやろう。彼(かれ)らが一家(いっか)に一(ひと)つの碗(わん)を拿(も)っておる時(とき)、汝(なんじ)は却(かえ)って門(もん)の左(ひだり)に站(た)ち、我(われ)は却(かえ)って門(もん)の右(みぎ)に站(た)ち、撲(ぽん)と門(もん)を把(も)って関(とざ)し倒(たお)し、鎖(じょう)を把(も)って鎖(とざ)し住(こ)め、この幾層(いくそう)の門(もん)を皆(みな)鎖(とざ)して、彼(かれ)らを放(はな)つこと莫(な)かれ。師父(しふ)の家(いえ)へと来(きた)られるまで待(ま)ちて、彼(かれ)をいかに処置(しょち)されるに任(まか)せよう。彼(かれ)はまた師父(しふ)の故人(こじん)ゆえ、彼(かれ)を饒(ゆる)されるもまた師父(しふ)の人情(にんじょう)、彼(かれ)を饒(ゆる)されぬも、我(われ)らもまた一(ひと)りの賊(ぞく)を拿(とら)えて在(あ)るゆえ、庶幾(こいねがわ)くは以(もっ)て我(われ)らの罪(つみ)を免(まぬか)れ得(う)よう」と。清風(せいふう)はこれを聞(き)いて言(い)った。「理(り)有(あ)り、理(り)有(あ)り」と。
彼(かれ)の二人(ふたり)は強(し)いて精神(せいしん)を打(う)ち起(お)こし、勉(つと)めて歓喜(かんき=喜び)を生(しょう)じ、後園(こうえん)よりまっすぐ殿(でん)のうえへと来(きた)り、唐僧(とうそう)に向(むか)って背(せ)を控(ひき)め身(み)を躬(かが)めて言(い)った。「師父(しふ)、たった今(いま)の言語(げんご)は粗俗(そぞく)で、多(おお)く衝撞(しょうどう=ぶしつけ)が有(あ)りました。怪(あやし)むこと莫(なか)れ、怪(あやし)むこと莫(なか)れ」と。三蔵(さんぞう)は問(と)うて言(い)うには、「どう言(い)われるのか」と。清風(せいふう)が言(い)うには、「果子(かし)は少(へ)らず、只(た)だ樹(き)の高(たか)く葉(は)の密(みっ)たるに因(よ)って、曾(かつ)て看(み)て明(あきら)かにし得(え)なんだまででございます。たった今(いま)また往(ゆ)きて査(しら)べたところ、なお原(もと)の数(かず)でございました」と。
かの八戒(はっかい)はすなわち脚児(きゃくじ=足)に趁(つ)けて跷(あしぶみ)して言(い)った。「汝(なんじ)というこの童児(どうじ)め、年幼(ねんよう)にして事体(じたい=事情)を知(し)らず、すなわち来(きた)って乱(みだ)りに罵(ののし)り、白口(はくこう=口から出まかせ)に咀呪(そじゅ=呪い)、枉(まちが)って我(われ)らを頼(おしつけ)た。人子(じんし=人となり)に当(あた)らぬわい」と。
行者(ぎょうじゃ)は心(こころ)のうえでは明白(めいはく)であったが、口(くち)の裡(うち)では言(い)わず、心(こころ)の中(なか)に密(ひそ)かに想(おも)うには、「これ謊(うそ)じゃ、これ謊(うそ)じゃ。果子(かし)は已(すで)に了帳(りょうちょう=おしまい)したに、どうしてこのような話(はなし)を言(い)うか。……想必(おそら)くは起死回生(きしかいせい)の法(ほう)が有(あ)るのであろう……」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「既(すで)に然(しか)らば、飯(めし)を盛(よそ)うて来(きた)らせよ、我(われ)らはそれを食(くら)うて去(さ)ろう」と。
かの八戒(はっかい)はすなわち飯(めし)を盛(よそ)いに往(ゆ)き、沙僧(さそう)は桌椅(ちょうい)を安放(あんぽう=並べ)した。二童(にどう)は忙(いそ)ぎ小菜(しょうさい)を取(と)って来(き)たが、これ些(いささ)かの醤瓜(しょうか=瓜の醤漬け)や、醤茄(しょうなす=茄子の醤漬け)や、糟蘿蔔(そうらふ=糠漬け大根)や、醋豆角(さくとうかく=酢漬けの豆)や、腌窩蕖(えんかきょ=漬けた蓮根)や、綽芥菜(しゃくがいさい=からし菜)で、共(あわ)せて七八碟児(しちはちちょうじ=七八皿)を排(なら)べ、師徒(しと)たちに与(あた)えて飯(めし)を食(くら)わせた。また一壷(ひとつぼ)の好茶(こうちゃ)と、二(ふた)つの茶鐘(ちゃしょう=茶碗)とを提(さ)げて、左右(さゆう)に伺候(しこう=控え)した。かの師徒(しと)四衆(よんしゅ)がようやく碗(わん)を拿(と)り上(あ)げようとした時(とき)、この童児(どうじ)は一辺(いっぺん)に一(ひと)りずついて、撲(ぽん)と門(もん)を把(も)って関(とざ)し上(あ)げ、一把(いちわ)の両鐄銅鎖(りょうこうどうさ=二連の銅の錠)を插(さ)し込(こ)んだ。
八戒(はっかい)は笑(わら)って言(い)った。「この童子(どうじ)は差(ちが)っておる。汝(なんじ)がここは風俗(ふうぞく)が好(よ)からぬが、どうして門(もん)を関(とざ)して裡(うち)で飯(めし)を食(くら)うのか」と。明月(めいげつ)が言(い)うには、「正(まさ)に然(しか)り、正(まさ)に然(しか)り。好(よ)し悪(あ)しも飯(めし)を食(くら)うてから門(もん)を開(ひら)こう」と。
清風(せいふう)は罵(ののし)って言(い)った。「我(われ)は汝(なんじ)をこの饞癆(ざんろう=食い意地)を患(わずら)い、嘴(くち)を偷(ぬす)む禿賊(とくぞく=はげ盗人)と把(みな)す。汝(なんじ)は我(わ)が仙果(せんか)を偷(ぬす)み食(くら)うたが、既(すで)に一(ひと)つの『田园(でんえん)の瓜果(かか)を擅(ほしいまま)に食(くら)う』の罪(つみ)に該(あた)るに、また我(わ)が仙樹(せんじゅ)を把(も)って推(お)し倒(たお)し、我(わ)が五荘観(ごしょうかん)の裡(うち)の仙根(せんこん)を壊(こわ)した。汝(なんじ)はなお嘴(くち)を説(いば)ろうとするのか。もし能(よ)く西方(せいほう)に到(いた)りて仏(ほとけ)の面(おもて)に参(まい)り得(う)るならば、只(た)だこれ背(せ)を転(めぐ)らせ車(くるま)を揺(ゆ)りて再(ふたた)び托生(たくしょう=生まれ変わり)するを除(のぞ)いてほか無(な)い」と。
三蔵(さんぞう)はこれを聞(き)いて、飯碗(めしわん)を投(な)げ下(おろ)し、一(ひと)つの石(いし)を把(も)って心(こころ)のうえに放(お)いたごとくであった。かの童子(どうじ)はかの前山門(ぜんさんもん)や二山門(にさんもん)を、通(ことごと)く皆(みな)鎖(じょう)を上(のぼ)せ、また却(かえ)って正殿(せいでん)の門首(もんしゅ)へと来(き)て、悪語(あくご)悪言(あくげん)、賊前賊後(ぞくぜんぞくご=賊呼ばわり)と、ただ天色(てんしょく)の将(まさ)に晩(おそ)れんとするまで罵(ののし)り、ようやく飯(めし)を食(くら)いに往(ゆ)き、飯(めし)が畢(おわ)ると、房(へや)へと帰(かえ)って往(い)った。
唐僧(とうそう)は行者(ぎょうじゃ)を埋怨(ばいえん=恨み)して言(い)った。「汝(なんじ)というこの猴頭(こうとう=猿め)め、番番(つどつど)禍(わざわい)を撞(ひきおこ)す。汝(なんじ)が彼(かれ)の果子(かし)を偷(ぬす)み食(くら)うたなら、すなわち彼(かれ)より些(いささ)かの気(き)を受(う)け、彼(かれ)に幾句(いくく)か罵(ののし)らせておけばまた罷(や)むものを、どうしてまた彼(かれ)が樹(き)を推(お)し倒(たお)したか。もしこのような情由(じょうゆ=事情)について言(い)えば、告状(こくじょう=訴え)を起(お)こしたなら、たとえ汝(なんじ)が親父(おやじ)が官(かん)を做(つと)めておっても、また説(と)き通(とお)ることはなるまい」と。
行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「師父(しふ)、鬧(さわ)ぐこと莫(なか)れ。かの童児(どうじ)たちは皆(みな)睡(ねむ)りに往(い)ってしまったゆえ、ただ彼(かれ)らの睡(ねむ)り着(つ)くを等(ま)ちて、我(われ)らは夜(よる)を徹(てっ)して身(み)を起(お)こそう」と。沙僧(さそう)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、幾層(いくそう)の門(もん)も皆(みな)鎖(じょう)を上(のぼ)せられ、甚(はなは)だ緊(きん)と閉(とざ)されておりますが、どうして走(に)げられましょう」と。行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「管(かま)うな、管(かま)うな。老孫(ろうそん)に自(おの)ずから法児(ほうじ=方法)が有(あ)る」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「愁(うれ)うるは汝(なんじ)に法児(ほうじ)の無(な)いことよ。汝(なんじ)が一(ひと)つ変(へん)じて、何(なん)の虫蛭児(ちゅうてつじ=虫けら)に変(へん)じ、格子(こうし)の眼(め)を瞞(かすめ)てすなわち飛(と)んで出(で)て往(ゆ)かれるが、只(た)だ苦(くるし)むは我(われ)ら変(へん)ぜぬ者(もの)で、すなわちここに在(あ)って頂缸(ちょうこう=身代わり)に罪(つみ)を受(う)けるばかりじゃ」と。
唐僧(とうそう)が言(い)うには、「彼(かれ)もしこの勾当(こうとう=こと)を干(おこな)い出(だ)して、汝(なんじ)と我(われ)とを同(とも)に出(だ)さなんだなら、我(われ)がすなわち旧話経児(きゅうわきょうじ=例の経)を念(とな)え起(お)こさば、彼(かれ)はどうして消受(しょうじゅ=堪え)え得(え)ようか」と。
八戒(はっかい)はこれを聞(き)いて、また愁(うれ)いまた笑(わら)って言(い)った。「師父(しふ)、汝(なんじ)の言(い)われるは何(なん)の話(はなし)ですか。我(われ)はただ仏教(ぶっきょう)の中(なか)に『楞厳経(りょうごんきょう)』、『法華経(ほけきょう)』、『孔雀経(くじゃくきょう)』、『観音経(かんのんきょう)』、『金剛経(こんごうきょう)』の巻(かん)の有(あ)るを聞(き)いておりますが、曾(かつ)て何(なん)の『旧話児経(きゅうわじきょう)』などというものを聞(き)いたことが有(あ)りませぬ」と。
行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「兄弟(けいてい)よ、汝(なんじ)は知(し)らぬのじゃ。我(われ)が頂(いただき)のうえに戴(いただ)いておるこの箍児(こじ=輪)は、観音菩薩(かんのんぼさつ)が我(わ)が師父(しふ)に賜(たま)わったものじゃ。師父(しふ)は我(われ)を哄(だま)してそれを戴(いただ)かせ、すなわち根(ね)を生(しょう)じたるが如(ごと)くにして、拿(と)り下(おろ)すことは思(おも)いもよらず、これを『緊箍児呪(きんこじしゅ)』と叫(よ)び、また『緊箍児経(きんこじきょう)』と叫(よ)ぶ。彼(かれ)が旧話児経(きゅうわじきょう)とは、すなわちこれを指(さ)すのじゃ。しかしもし念(とな)え動(うご)かせば、我(われ)はすなわち頭(あたま)が疼(いた)むゆえ、これによってこの法児(ほうじ)が有(あ)って我(われ)を難(なん)ずるのじゃ。師父(しふ)よ、汝(なんじ)念(とな)えること莫(なか)れ、我(われ)は決(けっ)して汝(なんじ)を負(そむ)かず、管情(かんじょう=きっと)皆(みな)一齊(いっせい)に出(で)て往(ゆ)けるであろう」と。
話(はなし)の間(あいだ)に、皆(みな)既(すで)に天(てん)は昏(くら)くなり、覚(おぼ)えず東方(とうほう)に月(つき)が上(のぼ)った。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「この時(とき)万籟(ばんらい=万物)声(こえ)無(な)く、氷輪(ひょうりん=月)は明(あきら)かに顕(あらわ)る、ちょうど好(よ)く往(ゆ)ってしまおう」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)、鬼(おに)を搗(つ)くな、門(もん)は俱(とも)に鎖(とざ)し閉(とざ)されておるに、どこへ往(ゆ)くのです」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)手段(しゅだん)を見(み)よ」と。
好(よ)し、行者(ぎょうじゃ)は金箍棒(きんこぼう)を手(て)の中(なか)に捻(ひね)り持ち、一(ひと)つの「解鎖法(げさほう=錠を外す術)」を使(つか)い、門(もん)のうえへと一(ひと)つ指(ゆびさ)すと、ただ突蹡(とっしょう=がちゃん)という一声(ひとこえ)の響(ひび)きが聞(き)こえ、幾層(いくそう)の門(もん)の双鐄(そうこう=二重の錠)は俱(とも)に落(お)ち、唿喇(こつらつ)と門扇(もんせん=扉)が開(ひら)いた。八戒(はっかい)は笑(わら)って言(い)った。「好(よ)き本事(ほんじ=腕前)かな」と。
「すなわち小炉児匠(しょうろじしょう=錠前屋)を叫(よ)んで掭子(てんし=針金)を使(つか)わせたとしても、またこのように爽利(そうり=手際よい)には象(かたど)るまい」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「この門児(もんじ)に何(なん)の稀罕(きかん=珍しさ)が有(あ)ろうか。すなわち南天門(なんてんもん)でも、一(ひと)つ指(ゆびさ)せばまた開(ひら)くわい」と。
しかして師父(しふ)を請(こ)うて門(もん)を出(で)させ、馬(うま)に上(のぼ)らせ、八戒(はっかい)は担(に)を挑(にな)い、沙僧(さそう)は馬(うま)を攏(ひきよ)せて、まっすぐ西路(せいろ)を投(とう)じて去(さ)った。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「汝(なんじ)ら且(しばら)く慢(ゆる)やかに行(ゆ)け、老孫(ろうそん)が往(ゆ)きてかの二人(ふたり)の童児(どうじ)の睡(ねむ)りを一(ひと)つ月(つき)のほど看(み)て来(く)るまで」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「徒弟(とてい)よ、彼(かれ)らの性命(せいめい)を傷(きずつ)くるべからず。然(しか)らずんば、また一(ひと)つの財(ざい)を得(え)て人(ひと)を傷(きずつ)くるの罪(つみ)となろう」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「我(われ)は暁(さと)っておる」と。
行者(ぎょうじゃ)はまた中(なか)へと入(い)って往(ゆ)き、かの童児(どうじ)の睡(ねむ)っておる房門(ぼうもん)の外(そと)へと来(きた)った。彼(かれ)が腰(こし)の裡(うち)には帯(お)びておる瞌睡虫児(かつすいちゅうじ=眠り虫)が有(あ)ったが、元来(がんらい)東天門(とうてんもん)に在(あ)って増長天王(ぞうちょうてんのう)と猜枚(さいばい=当てっこ)をして耍子(しゃし=遊ん)でおる時(とき)に赢(か)ち得(え)たものであった。彼(かれ)は二(ふた)つを摸(さぐ)り出(だ)し、窓眼児(そうがんじ=窓の穴)を瞞(かすめ)て弾(はじ)き入(い)れると、まっすぐかの童子(どうじ)が顔(かお)のうえへと奔(はし)り到(いた)り、鼾鼾(かんかん=ぐうぐう)と深(ふか)く睡(ねむ)って、また醒(さ)め得(う)ることは思(おも)いもよらなんだ。
彼(かれ)はようやく雲歩(うんぽ=雲の歩み)を曳(ひ)き開(ひら)き、唐僧(とうそう)に追(お)い上(すが)り、大路(たいろ)に順(したが)って一(ひと)すじに西(にし)へと奔(はし)った。この一(ひと)夜(よ)、馬(うま)は蹄(ひづめ)を停(とど)めず、ただ天(てん)の暁(あかつき)くまで行(ゆ)きて、三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「この猴頭(こうとう)めは我(われ)を弄(もてあそ)び殺(ころ)すのじゃ。汝(なんじ)が嘴(くち)の為(ため)に、我(われ)を帯累(たいるい=巻き添え)えて一(ひと)夜(よ)眠(ねむ)り無(な)しじゃ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「只管(ひたすら)埋怨(ばいえん=恨む)すること莫(なか)れ。天色(てんしょく)は明(あき)らかになったゆえ、汝(なんじ)且(しばら)くこの路(みち)の旁(かたわら)の樹林(じゅりん)の裡(うち)に在(あ)って将就(しょうしゅう=間に合わせ)に歇(やす)み、精神(せいしん)を養(やしな)ってまた走(はし)れ」と。
かの長老(ちょうろう)はただ馬(うま)より下(お)りて、松(まつ)の根(ね)に倚(よ)りて権(かり)に禅床(ぜんしょう=座禅の床)と作(な)して坐(ざ)し、沙僧(さそう)は担(に)を歇(やす)めて打盹(とんね=うたた寝)し、八戒(はっかい)は石(いし)を枕(まくら)にして睡(ねむ)った。孫大聖(そんたいせい)は偏(ひと)えに心腸(しんちょう=気持ち)が有(あ)り、汝(なんじ)見(み)よ、彼(かれ)の樹(き)を跳(と)び枝(えだ)を扳(たわ)めて頑耍(がんしゃ=戯れ遊)ぶのを。四衆(よんしゅ)の歇息(けっそく)したことは、しばらく措(お)いて語(かた)らぬ。
さて、かの大仙(たいせん)は元始宮(げんしきゅう)より散会(さんかい=会が果て)し、衆(しゅう)の小仙(しょうせん)を領(ひき)いて兜率(とそつ)を出離(しゅつり)し、まっすぐ瑶天(ようてん=美わしき天)より下(くだ)り、祥雲(しょううん)を墜(おと)して、早(はや)くも万寿山(まんじゅさん)五荘観(ごしょうかん)の門首(もんしゅ)へと来(きた)った。
看(み)るに、ただ観門(かんもん)の大(おお)いに開(ひら)き、地上(ちじょう)の乾浄(かんじょう=清潔)なるのが見(み)えた。大仙(たいせん)が言(い)うには、「清風(せいふう)や明月(めいげつ)も、却(かえ)ってまた中用(ちゅうよう=役に立つ)かな。常時節(つねのころ)は、日(ひ)の高(たか)きこと三丈(さんじょう)にも、腰(こし)をも伸(の)ばさなんだに、今日(こんにち)我(われ)らの在(お)らぬに、彼(かれ)らはかえって肯(あえ)て早(はや)く起(お)きて、門(もん)を開(ひら)き地(ち)を掃(は)いておる」と。衆(しゅう)の小仙(しょうせん)は俱(とも)に悦(よろこ)んだ。
殿(でん)のうえへと行(ゆ)き至(いた)るに、香火(こうか)は全(まった)く無(な)く、人蹤(じんしょう=人の跡)は俱(とも)に寂(じゃく)として、そこに何(なん)の明月(めいげつ)や清風(せいふう)が有(あ)ろうか。衆仙(しゅうせん)が言(い)うには、「彼(かれ)の二人(ふたり)は想(おも)うに我(われ)らの在(お)らぬに因(よ)って、東西(とうざい=品物)を拐(かどわか)して往(い)ってしまったのであろう」と。大仙(たいせん)が言(い)うには、「豈(あ)にこの理(ことわり)有(あ)らんや。仙(せん)を修(おさ)める者(もの)が、敢(あ)えてこのような心(こころ)を壊(こわ)す事(こと)を為(な)そうか。想(おも)うにこれ昨晩(ゆうべ)門(もん)を関(とざ)すを忘却(ぼうきゃく)して、すなわち往(ゆ)いて睡(ねむ)ってしまい、今朝(けさ)はなお未(いま)だ醒(さ)めておらぬのであろう」と。
衆仙(しゅうせん)が彼(かれ)が房門(ぼうもん)の首(もと)へと到(いた)って看(み)るに、真(まこと)に房門(ぼうもん)は関(とざ)されており、鼾鼾(かんかん)と深(ふか)く睡(ねむ)っておった。この外辺(そと)より門(もん)を打(う)って乱(みだ)りに叫(よ)ぶも、そこで叫(よ)び醒(さ)まし得(え)ようか。衆仙(しゅうせん)は門板(もんばん)を撬(こじあ)け、手(て)を着(つ)けて床(とこ)の下(した)より扯(ひ)き下(おろ)すも、ただまた醒(さ)めなんだ。
大仙(たいせん)は笑(わら)って言(い)った。「好(よ)きかな仙童(せんどう)よ。仙(せん)と成(な)れる者(もの)は、神(しん)満(み)ちてまた睡(ねむ)りを思(おも)わぬに、どうしてこのように困倦(こんけん=疲れ)ておるか。もしや人(ひと)の彼(かれ)を做弄(どうろう=いたずら)したるに非(あら)ざるか。速(すみや)かに水(みず)を取(と)って来(こ)い」と。一童(いちどう)は急(いそ)ぎ水(みず)を半盞(はんさん=半杯)取(と)って大仙(たいせん)に逓(わた)した。大仙(たいせん)は呪語(じゅご)を念(とな)え動(うご)かし、一口(ひとくち)の水(みず)を噀(ふ)きかけて、顔(かお)のうえに噴(ふ)きかくるや、随(したが)って睡魔(すいま)を解(と)いた。
二人(ふたり)はようやく醒(さ)め、忽(たちま)ち睛(ひとみ)を睜(ひら)いて顔(かお)を抹抹(まくまく=こすり)、頭(あたま)を上(あ)げて観(み)るに、それが仙師(せんし)の与世同君(よせいどうくん)と仙兄(せんけい)等衆(とうしゅ)であると認(みと)めた。慌(あわ)てたのはかの清風(せいふう)で頓首(とんしゅ=額づき)、明月(めいげつ)は叩頭(こうとう=ぬかずき)して言(い)った。「師父(しふ)よ、汝(なんじ)が故人(こじん)とされたるは、元来(がんらい)東(ひがし)より来(きた)った和尚(おしょう)で、一夥(ひとくれ)の強盗(ごうとう)にして、たいそう凶狠(きょうこん=凶暴)でございます」と。
大仙(たいせん)は笑(わら)って言(い)った。「驚(おどろ)き懼(おそ)れること莫(なか)れ、緩(ゆる)やかに説(と)いて来(こ)よ」と。清風(せいふう)が言(い)うには、「師父(しふ)よ、当日(その日)別(わか)れてより久(ひさ)しからずして、果(はた)して一人(ひとり)の東土(とうど)の唐僧(とうそう)が有(あ)り、一行(いっこう)に四人(よんにん)の和尚(おしょう)、馬(うま)を連(あわ)せて五口(ごく)でございました。弟子(でし)はあえて師命(しめい)に違(たが)わず、来因(らいん=来た理由)を問(と)い及(およ)ぼし、人参果(にんじんか)を二(ふた)つ取(と)って奉(ほう)じました。かの長老(ちょうろう)は俗眼愚心(ぞくがんぐしん=俗な眼と愚かな心)で、我(われ)ら仙家(せんか)の宝貝(ほうばい)を識(し)りませぬ。彼(かれ)はこれ三朝(さんちょう)未(いま)だ満(み)たざるの孩童(がいどう)であると言(い)い、再三(さいさん)に食(くら)わず、これ弟子(でし)がおのおの一(ひと)つを食(くら)ったのでございます。期(き)せずして彼(かれ)が手下(しゅか)に三人(さんにん)の徒弟(とてい)が有(あ)り、その一人(ひとり)の姓(せい)を孫(そん)とし、名(な)を悟空行者(ごくうぎょうじゃ)と申(もう)す者(もの)が、先(ま)ず四(よっ)つの果子(かし)を偷(ぬす)んで食(くら)いました。これ弟子(でし)どもが彼(かれ)に向(むか)って理(ことわり)を説(と)き、実(じつ)に実(じつ)に言語(げんご)を数句(すうく)申(もう)しましたが、彼(かれ)は却(かえ)って容(ゆる)さず、暗(あん)じ裡(うち)に一(ひと)つの出神(しゅっしん=意識を外に出す)の手段(しゅだん)を弄(ろう)しました。苦(くる)しいかな」と。二人(ふたり)の童子(どうじ)はここまで説(と)き及(およ)ぶや、止(と)めきれずに腮辺(さいへん=頬)より涙(なみだ)を落(おと)した。
衆仙(しゅうせん)が言(い)うには、「かの和尚(おしょう)が汝(なんじ)を打(う)ったのか」と。明月(めいげつ)が言(い)うには、「打(う)ちはせぬが、ただ我(われ)らの人参樹(にんじんじゅ)を打(う)ち倒(たお)したのでございます」と。大仙(たいせん)はこれを聞(き)いて、更(さら)に悩(なや)み怒(いか)らず、言(い)うには、「哭(な)くな、哭(な)くな。汝(なんじ)はあの孫(そん)を姓(せい)とする者(もの)の、またこれ一人(ひとり)の太乙散仙(たいつさんせん)であり、また曾(かつ)て大(おお)いに天宮(てんきゅう)を鬧(さわ)がし、神通(じんつう)の広大(こうだい)なるを知(し)らぬ。既(すで)に宝樹(ほうじゅ)を打(う)ち倒(たお)したなら、汝(なんじ)はもしやあの和尚(おしょう)たちを認(みと)めるか」と。清風(せいふう)が言(い)うには。
「皆(みな)認(みと)えます」と。大仙(たいせん)が言(い)うには、「既(すで)に認(みと)めるなら、皆(みな)我(われ)に跟(したが)って来(こ)い。衆(しゅう)の徒弟(とてい)たちよ、皆(みな)刑具(けいぐ)を收拾(しゅうしゅう=用意)しておけ、我(われ)が戻(かえ)って来(き)て彼(かれ)を打(う)つまで」と。
衆仙(しゅうせん)は命(めい)を領(うけたまわ)った。大仙(たいせん)は明月(めいげつ)と清風(せいふう)と祥光(しょうこう)を縦(ほしいまま)に起(お)こし、三蔵(さんぞう)を趕(お)いに来(きた)ったが、頃刻(しばらく)の間(あいだ)にすなわち千里(せんり)の遥(はるか)さが有(あ)った。大仙(たいせん)は雲端(うんたん)の裡(うち)に在(あ)って西(にし)の方(ほう)を観(み)るに、唐僧(とうそう)は見(み)えず、また頭(あたま)を転(めぐ)らせて東(ひがし)を看(み)た時(とき)、かえって九百余里(きゅうひゃくより)も多(おお)く趕(お)い過(す)ぎておった。元来(がんらい)かの長老(ちょうろう)は一(ひと)夜(よ)馬(うま)に蹄(ひづめ)を停(とど)めさせず、ただ百二十里路(ひゃくにじゅうりろ)を行(ゆ)いたのみであったが、大仙(たいせん)の雲頭(うんとう)の一(ひと)つ縦(と)びで、九百余里(きゅうひゃくより)を趕(お)い越(こ)してしまったのじゃ。
仙童(せんどう)が言(い)うには、「師父(しふ)、あの路(みち)の旁(かたわら)の樹(き)の下(した)に坐(すわ)っておるのが唐僧(とうそう)でございます」と。大仙(たいせん)が言(い)うには、「我(われ)は既(すで)に見(み)えた。汝(なんじ)ら二人(ふたり)は戻(もど)って縄索(じょうさく=縄)を安排(あんばい=用意)しておけ、我(われ)が自(みずか)ら彼(かれ)を拿(とら)えるまで」と。清風(せいふう)の先(さき)に戻(もど)ったことは、しばらく措(お)いて語(かた)らぬ。
かの大仙(たいせん)は雲頭(うんとう)を按(おさ)え落(おと)し、身(み)を一(ひと)つ揺(ゆ)るがせて変(へん)じ、一(ひと)つの行脚(あんぎゃ)の全真(ぜんしん=道士)に変(へん)じた。汝(なんじ)彼(かれ)のいかなる模様(もよう)なるかと言(い)わんや。
一領(いちりょう)の百衲袍(ひゃくのうほう=継ぎはぎの袍)を穿(き)、
一条(いちじょう)の呂公絛(りょこうじょう=呂公の帯)を系(むす)ぶ。
手(て)には麈尾(しゅび=しかの尾の払子)を揺(ゆ)り、漁鼓(ぎょこ=漁鼓)を軽(かる)く敲(たた)く。
三耳草鞋(さんじそうがい=三つ耳の草鞋)を脚(あし)の下(した)に登(は)き、
九陽巾子(きゅうようきんす=九陽の頭巾)を把(も)って頭(あたま)を包(つつ)む。
飄飄(ひょうひょう)として風(かぜ)袖(そで)に満(み)ち、
口(くち)には『月児高(げつじこう)』を唱(とな)う。
まっすぐ樹(き)の下(した)へと来(きた)り、唐僧(とうそう)に向(むか)って高(たか)く叫(よ)んで言(い)った。「長老(ちょうろう)、貧道(ひんどう=わたくし)が起手(きしゅ=ご挨拶)もうす」と。かの長老(ちょうろう)は忙忙(そうそう)と礼(れい)に答(こた)えて言(い)った。「失瞻(しっせん=お見逸れ)、失瞻(しっせん)」と。大仙(たいせん)が問(と)うには、「長老(ちょうろう)はいずれの方(ほう)より来(きた)られたか。何故(なにゆえ)に途(みち)中(ちゅう)に在(あ)って打坐(だざ=座禅)しておられるか」と。三蔵(さんぞう)が言(い)うには、「貧僧(ひんそう)はこれ東土(とうど)大唐(だいとう)より西天(せいてん)へと経(きょう)を取(と)りに差(つか)わされた者(もの)でございます」と。
「路(みち)この間(あいだ)を過(よぎ)るに、権(かり)に一(ひと)つの歇(やすみ)と為(な)す」と。大仙(たいせん)は佯(いつわ)って訝(いぶか)って言(い)った。「長老(ちょうろう)が東(ひがし)より来(きた)られるに、もしや荒山(こうざん=わが山)を過(す)ぎられたか」と。長老(ちょうろう)が言(い)うには、「仙宮(せんきゅう)のいずれの宝山(ほうざん)であるかを知(し)りませぬが」と。大仙(たいせん)が言(い)うには、「万寿山(まんじゅさん)五荘観(ごしょうかん)、すなわちこれ貧道(ひんどう)が栖止(せいし=住まい)する処(ところ)じゃ」と。
行者(ぎょうじゃ)はこれを聞(き)いて、彼(かれ)は心(こころ)に物(もの)の有(あ)る人(ひと)ゆえ、忙(いそ)ぎ答(こた)えて言(い)った。「曾(かつ)て過(す)がぬ、曾(かつ)て過(す)がぬ。我(われ)らはこれ上(かみ)の路(みち)より打(う)って来(き)たのじゃ」と。
かの大仙(たいせん)は指(ゆび)を定(さだ)めて笑(わら)って言(い)った。「我(われ)は汝(なんじ)をこの潑猴(はっこう)と把(みな)す。汝(なんじ)は誰(だれ)を瞞(あざむ)こうか。汝(なんじ)はかえって我(わ)が観(かん)の裡(うち)に在(あ)って、我(わ)が人参果樹(にんじんかじゅ)を把(も)って打(う)ち倒(たお)し、汝(なんじ)らは夜(よる)を徹(てっ)して走(に)げて此(ここ)の間(あいだ)に在(あ)るに、なお肯(あえ)て招認(しょうにん=自白)せず、何(なん)を遮飾(しゃしょく=言い繕)うか。往(い)くこと莫(なか)れ。早(はや)くに趁(つ)けて往(ゆ)きて我(われ)に樹(き)を還(かえ)せ」と。
かの行者(ぎょうじゃ)はこれを聞(き)いて、心(こころ)の中(なか)に悩怒(のうど=憤り)し、鉄棒(てつぼう)を掣(ひっさ)げて分説(ぶんせつ)を容(い)れず、大仙(たいせん)を望(めが)けて劈頭(へきとう=頭めがけて)すなわち打(う)った。大仙(たいせん)は身(み)を側(そば)めて避(よ)け過(す)ぎ、祥光(しょうこう)を踏(ふ)んで、まっすぐ空(そら)の中(なか)へと到(いた)った。行者(ぎょうじゃ)もまた雲(くも)に騰(のぼ)り、急(いそ)ぎ趕(お)い上(のぼ)って往(ゆ)った。
大仙(たいせん)は半空(はんくう)に在(あ)って本相(ほんそう)を現(あらわ)した。汝(なんじ)彼(かれ)のいかなる扮装(ふんそう)をなすかを見(み)よ。
頭(あたま)には紫金冠(しきんかん)を戴(いただ)き、無憂鶴氅(むゆうかくしょう=憂いなき鶴の羽衣)を穿(き)る。
履鞋(りがい=履物)を足(あし)の下(した)に登(は)き、絲帯(したい=絹の帯)を腰間(ようかん)に束(たば)ねる。
体(からだ)は童子(どうじ)の貌(かたち)の如(ごと)く、面(おもて)は美人(びじん)の顔(かんばせ)に似(に)たり。
三須(さんしゅ=三本の髭)は頷下(がんか=顎の下)に飄(ひるがえ)り、鴉瓴(ありょう=烏の羽)は鬢(びん)の辺(ほとり)に畳(かさな)る。
行者(ぎょうじゃ)を相迎(むか)えるに兵器(へいき)無(な)く、
只(た)だ将(も)って玉麈(ぎょくしゅ=玉の払子)を手(て)の中(なか)に拈(ひね)る。
かの行者(ぎょうじゃ)は高(たか)きも低(ひく)きも無(な)く、棍子(こんす=棒)を乱(みだ)りに打(う)った。大仙(たいせん)は玉麈(ぎょくしゅ)を把(も)って左(ひだり)に遮(さえぎ)り右(みぎ)に擋(ふせ)ぎ、彼(かれ)を二(に)三(さん)回合(がっすう)も奈(しの)いでから、一(ひと)つの「袖裡乾坤(しゅうりけんこん=袖の中の天地)」の手段(しゅだん)を使(つか)い、雲端(うんたん)の裡(うち)に在(あ)って袍袖(ほうしゅう=袍の袖)を把(も)って風(かぜ)に迎(むか)えて軽軽(けいけい)と一(ひと)つ展(ひるがえ)し、刷地(さっち=さっと)と前(まえ)へと来(きた)って、四僧(よんそう)を馬(うま)とともに一袖子(いっしゅうす=ひと袖)に籠(つつ)み住(こ)めた。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「良(よ)くない、我(われ)らは皆(みな)拉縺(らつれん=袋)の裡(うち)に装(つ)められてしまった」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「呆子(ほうし)よ、拉縺(らつれん)では無(な)い、我(われ)らは彼(かれ)に衣袖(いしゅう)の裡(うち)に籠(つつ)まれておるのじゃ」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「これは打緊(たいしたこと)では無(な)い、我(われ)が一頓(いっとん)の釘钯(ていは=熊手)で、彼(かれ)に一(ひと)つの窟窿(くつろ=穴)を築(ほ)り、脱(ぬ)け下(お)りて往(ゆ)き、ただ彼(かれ)が小心(しょうしん=不注意)で、籠(つつ)むこと牢(ろう)かならず、吊(お)ちたと言(い)わせてしまえば罷(や)むまでじゃ」と。
かの呆子(ほうし)は钯(は)を使(つか)って乱(みだ)りに築(ほ)ったが、そこに築(ほ)り動(うご)かすことができようか。手(て)で捻(ひね)ればこれ一(ひと)つの軟(やわ)らかなるものでありながら、築(ほ)り起(お)こせばすなわち鉄(てつ)よりもまた硬(かた)かった。
かの大仙(たいせん)は祥雲(しょううん)を転(めぐ)らせ、まっすぐ五荘観(ごしょうかん)へと落(お)ちて坐(ざ)し、徒弟(とてい)に縄(なわ)を拿(も)って来(こ)いと叫(よ)んだ。衆(しゅう)の小仙(しょうせん)は一一(いちいち)に伺候(しこう=控え)した。汝(なんじ)見(み)よ、彼(かれ)が袖子(しゅうす=袖)の裡(うち)より、却(かえ)って傀儡(かいらい=人形)を撮(つま)み出(だ)すが如(ごと)く、唐僧(とうそう)を拿(も)ち出(だ)して、正殿(せいでん)の檐柱(えんちゅう=軒の柱)のうえに縛(しば)りつけ、また彼(かれ)ら三人(さんにん)を拿(も)ち出(だ)して、おのおの一本(いっぽん)の柱(はしら)のうえに、一(ひと)りずつ綁(しば)りつけ、馬(うま)もまた拿(も)ち出(だ)して庭下(ていか)に拴(つな)ぎ、彼(かれ)に些(いささ)かの草料(そうりょう=飼葉)を与(あた)え、行李(こうり)は廊下(ろうか)に抛(な)げ出(だ)した。
また言(い)うには、「徒弟(とてい)よ、この和尚(おしょう)は出家人(しゅっけにん)ゆえ、刀槍(とうそう)を用(もち)いるべからず、鉄鉞(てつえつ=斧)を加(くわ)うるべからず。且(しばら)く我(われ)に皮鞭(ひべん=皮の鞭)を取(と)り出(だ)させよ、彼(かれ)を一頓(いっとん)打(う)って、我(わ)が人参果(にんじんか)の気(いきどおり)を出(いだ)させよう」と。
衆仙(しゅうせん)はすなわち忙(いそ)ぎ一条(いちじょう)の鞭(むち)を取(と)り出(だ)したが、何(なん)の牛皮(ぎゅうひ)や羊皮(ようひ)や麂皮(きひ=鹿の皮)や犢皮(とくひ=子牛の皮)の類(たぐい)では無(な)く、元来(がんらい)これ龍皮(りゅうひ)を以(もっ)て做(つく)った七星鞭(しちせいべん)で、水(みず)に着(つ)けてそこに浸(ひた)してあった。一人(ひとり)の力量(りきりょう)の有(あ)る小仙(しょうせん)に令(れい)して、鞭(むち)を把(も)って執(と)り定(さだ)めて言(い)わしむるには、「師父(しふ)、先(ま)ず誰(だれ)を打(う)ちましょう」と。大仙(たいせん)が言(い)うには、「唐三蔵(とうさんぞう)は大(たい)を做(な)して尊(とうと)からず、先(ま)ず彼(かれ)を打(う)て」と。
行者(ぎょうじゃ)はこれを聞(き)いて、心(こころ)の中(なか)に密(ひそ)かに言(い)うには、「我(わ)がかの老和尚(ろうおしょう)は打(う)つに堪(た)えぬ。もし一頓(いっとん)の鞭(むち)で打(う)ち壊(こわ)してしまわば、却(かえ)ってこれ我(われ)が造(つく)った孽(ごう=悪業)では無(な)いか」と。彼(かれ)は耐(た)えきれず、言(ことば)を開(ひら)いて言(い)った。「先生(せんせい)は差(ちが)っておる。果子(かし)を偷(ぬす)んだは我(われ)、果子(かし)を食(くら)うたは我(われ)、樹(き)を推(お)し倒(たお)したもまた我(われ)であるに、どうして先(ま)ず我(われ)を打(う)たず、彼(かれ)を打(う)って何(なん)とするか」と。
大仙(たいせん)は笑(わら)って言(い)った。「この潑猴(はっこう)めは、かえって言語(げんご)が膂烈(りょれつ=勇ましい)。このようであるなら、すなわち先(ま)ず彼(かれ)を打(う)て」と。小仙(しょうせん)が問(と)うには、「幾(いく)つ打(う)ちましょう」と。大仙(たいせん)が言(い)うには、「果数(かすう=実の数)に照依(しょうい=従い)て、三十鞭(さんじゅっぺん)打(う)て」と。
かの小仙(しょうせん)は鞭(むち)を輪(めぐ)らしてすなわち打(う)った。行者(ぎょうじゃ)は仙家(せんか)の法(ほう)の大(だい)なるを恐(おそ)れ、眼(め)を睜(みひら)いて円(まる)くし、瞅(みつ)め定(さだ)めて、彼(かれ)のどこを打(う)つかを見(み)た。元来(がんらい)腿(もも)を打(う)つのじゃった。行者(ぎょうじゃ)はすなわち腰(こし)を一(ひと)つ扭(ひね)り、「変(へん)じろ」と叫(よ)んで、二条(にじょう)の熟鉄腿(じゅくてつたい=鍛えた鉄の腿)に変(へん)じ、彼(かれ)のどう打(う)つかを見(み)ておった。かの小仙(しょうせん)は一(ひと)つ一(ひと)つと、三十(さんじゅう)を打(う)ち、天(てん)は早(はや)くも午(ひる)に向(むか)った。
大仙(たいせん)はまた吩咐(いいつけ)て言(い)うには、「また唐三蔵(とうさんぞう)の訓教(くんきょう=指導)の厳(きびし)からずして、頑徒(がんと=頑固な弟子)を縦放(じゅうほう=勝手にさせ)て撒潑(さっぱつ=暴れ)せしめたるを打(う)つべきである」と。かの仙(せん)はまた鞭(むち)を輪(めぐ)らして来(きた)って打(う)とうとしたが、行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「先生(せんせい)はまた差(ちが)っておる。果子(かし)を偷(ぬす)んだ時(とき)、我(わ)が師父(しふ)は知(し)らず、彼(かれ)は殿(でん)のうえに在(あ)って汝(なんじ)が二童(にどう)と話(はなし)しておったのであり、これ我(われ)が兄弟(けいてい)たちの做(な)した勾当(こうとう)じゃ。たとえ教訓(きょうくん)の厳(きびし)からざるの罪(つみ)が有(あ)るとしても、我(われ)の弟子(でし)たる者(もの)が、また当(あた)って替(かわ)りて打(う)たるべきであるから、また我(われ)を打(う)て」と。
大仙(たいせん)は笑(わら)って言(い)った。「この潑猴(はっこう)め、狡猾奸頑(こうかつかんがん=ずるく悪賢い)なりといえども、却(かえ)ってまた些(いささ)かの孝意(こうい=親孝行)が有(あ)る。既(すで)にこのようであるからには、また彼(かれ)を打(う)て」と。小仙(しょうせん)はまた三十(さんじゅう)を打(う)った。行者(ぎょうじゃ)は頭(あたま)を低(た)れて看(み)るに、二(ふた)つの腿(もも)は明鏡(めいきょう)に似(に)て、通(まる)く打(う)ち亮(みが)かれて、更(さら)に些(いささ)かの疼痒(つうよう=痛み痒み)をも知(し)らなんだ。
この時(とき)天色(てんしょく)は将(まさ)に晩(おそ)れんとし、大仙(たいせん)が言(い)うには、「且(しばら)く鞭子(べんす)を水(みず)の裡(うち)に浸(ひた)しておけ、明朝(みょうちょう)を待(ま)ちてまた彼(かれ)を拷打(ごうだ=拷問)しよう」と。小仙(しょうせん)は且(しばら)く鞭(むち)を収(おさ)めて浸(ひた)しに往(ゆ)き、各各(おのおの)房(へや)へと帰(かえ)った。晩斎(ばんさい=夕食)も已(すで)に畢(おわ)り、尽(ことごと)く皆(みな)安寝(あんしん=就寝)したことは、しばらく措(お)いて語(かた)らぬ。
かの長老(ちょうろう)は涙(なみだ)の眼(め)を双(ふた)つながら垂(た)れ、彼(かれ)が三人(さんにん)の徒弟(とてい)を怨(うら)んで言(い)った。「汝(なんじ)らが禍(わざわい)を闖(つきあ)け出(だ)して、却(かえ)って我(われ)を帯累(たいるい=巻き添え)えてここに在(あ)って罪(つみ)を受(う)けさせるとは、これどうしたことか」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「且(しばら)く報怨(ほうえん=恨み)するを休(や)めよ。打(う)つはすなわち先(ま)ず我(われ)を打(う)ち、汝(なんじ)はまた曾(かつ)て打(う)たるることを受(う)けぬに、倒(さかさま)に転(うつ)って嗟呀(さが=嘆き)してどうするか」と。
唐僧(とうそう)が言(い)うには、「曾(かつ)て打(う)たれぬとはいえ、却(かえ)ってまた綁(しば)られて身(み)のうえが疼(いた)むのじゃ」と。沙僧(さそう)が言(い)うには、「師父(しふ)、また陪綁(ばいほう=一緒に縛られた者)がここに在(あ)りますぞ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「皆(みな)嚷(わめ)くことを要(よう)せず、またしばらくの間(あいだ)して路(みち)を走(はし)ろう」と。
八戒(はっかい)が言(い)うには、「兄貴(あにき)はまた虚頭(きょとう=見せかけ)を弄(ろう)する」と。
「ここは麻縄(あさなわ)に水(みず)を噴(ふ)きかけて、緊緊(きんきん)と綁(しば)りつけておるのじゃ、なお殿(でん)のうえに閉(と)じ込(こ)められて、汝(なんじ)が解鎖法(げさほう)を使(つか)って門(もん)を搠(あ)け開(ひら)いて走(に)げた時(とき)よりもひどい」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「夸口(ここう=自慢)して説(と)くに非(あら)ず、彼(かれ)の三股(みまた)の麻縄(あさなわ)に水(みず)を噴(ふ)き上(あ)げたるを怕(おそ)れようか、すなわち碗(わん)ほどの太(ふと)さの棕纜(そうらん=棕櫚の綱)でも、また只(た)だ秋風(しゅうふう)に当(あ)てるほかあるまい」と。
ちょうど話(はなし)の処(ところ)、早(はや)くも万籟(ばんらい)は声(こえ)無(な)く、正(まさ)にこれ天街(てんがい=天の街)の人静(ひとしず)まる時(とき)であった。好(よ)し、行者(ぎょうじゃ)は身(み)を一(ひと)つ小(ちい)さくし、索(なわ)を脱(ぬ)ぎ下(おろ)して言(い)った。「師父(しふ)、去(い)こう」と。沙僧(さそう)は慌(あわ)てて言(い)った。「兄貴(あにき)、我(われ)らをもまた一(ひと)つ救(すく)うてくれ」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「悄言(しょうげん=静かに)、悄言(しょうげん)」と。
彼(かれ)は却(かえ)って三蔵(さんぞう)を解(と)き、八戒(はっかい)や沙僧(さそう)を放(はな)し下(おろ)し、褊衫(へんさん=僧衣)を整(ととの)え束(つか)ね、馬匹(ばひつ)を扣(くつわ)し背(お)わせ、廊下(ろうか)より行李(こうり)を拿(と)り、一齊(いっせい)に観門(かんもん)を出(で)た。また八戒(はっかい)に教(おし)えて言(い)った。「汝(なんじ)往(ゆ)きてあの崖(がけ)の辺(ほとり)の柳樹(りゅうじゅ)を四棵(よんか=四本)伐(き)り来(こ)い」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「それを何(なん)にするのです」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「用(よう)の有(あ)る処(ところ)が有(あ)る、速(すみや)かに取(と)って来(こ)い」と。
かの呆子(ほうし)は些(いささ)かの夯力(こうりき=馬鹿力)が有(あ)り、往(ゆ)きて、一嘴(ひとくち)に一顆(ひとつ)ずつ、すなわち四顆(よんか)を拱(くいほじ)り、一抱(ひとだき)に抱(いだ)いて来(き)た。行者(ぎょうじゃ)は枝梢(ししょう=枝先)を将(も)って折(お)り、兄弟(けいてい)二人(ふたり)を将(も)ってまた中(なか)へと入(い)り、原(もと)の縄(なわ)を以(もっ)って旧(もと)の如(ごと)く柱(はしら)のうえに綁(しば)りつけた。
かの大聖(たいせい)は呪語(じゅご)を念(とな)え動(うご)かし、舌尖(ぜっせん=舌の先)を咬(か)み破(やぶ)り、血(ち)を将(も)って樹(き)のうえに噴(ふ)きかけ、「変(へん)じろ」と叫(よ)んだ。一本(いっぽん)は長老(ちょうろう)に変(へん)じ、一本(いっぽん)は自身(じしん)に変(へん)じ、かの二本(にほん)は沙僧(さそう)と八戒(はっかい)とに変(へん)じ、皆(みな)容貌(ようぼう)を一般(いっぱん)に変(へん)じ得(え)、相貌(そうぼう)は皆(みな)同(おな)じく、彼(かれ)らに問(と)えばすなわち話(はな)し、名(な)を叫(よ)べばすなわち答(こた)えた。
彼(かれ)の二人(ふたり)はようやく歩(あゆみ)を放(はな)ち開(ひら)き、師父(しふ)に追(お)い上(すが)った。この一(ひと)夜(よ)は依然(いぜん)として馬(うま)に蹄(ひづめ)を停(とど)めず、五荘観(ごしょうかん)を逃(に)げ離(はな)れた。ただ天(てん)の明(あき)らかになるまで走(はし)りて、かの長老(ちょうろう)は馬(うま)のうえに在(あ)って樁(くい)を揺(ゆ)るがして打盹(とんね=うたた寝)した。行者(ぎょうじゃ)はこれを見(み)て、叫(よ)んで言(い)った。「師父(しふ)は不済(ふせい=だめ)じゃ。出家人(しゅっけにん)がどうしてこのように辛苦(しんく=つらい)であろうか。我(わ)が老孫(ろうそん)は千(せん)の夜(よ)も眠(ねむ)らずとも、また困倦(こんけん=疲れ)を暁(さと)らぬというものを」と。
「且(しばら)く馬(うま)より下(お)りよ、路(みち)を走(はし)る人(ひと)の、汝(なんじ)を見(み)て笑(わら)うを教(おし)えること莫(なか)れ、権(かり)に山坡(さんぱ)の下(した)の風(かぜ)を蔵(かく)し気(き)を聚(あつ)むる処(ところ)に在(あ)って、歇(やす)んでまた走(はし)れ」と。
彼(かれ)が師徒(しと)の路(みち)に在(あ)って暫(しばら)く住(とど)まることを説(と)かず。且(しばら)くかの大仙(たいせん)を説(と)かん。
かの大仙(たいせん)は天明(てんめい)に起(お)き、早斎(そうさい=朝食)を食(くら)い、殿(でん)のうえへと出(で)て、鞭(むち)を拿(も)って来(こ)いと教(おし)えた。「今日(こんにち)は却(かえ)って唐三蔵(とうさんぞう)を打(う)つべきである」と。かの小仙(しょうせん)は鞭(むち)を輪(めぐ)らし、唐僧(とうそう)を望(めが)けて言(い)うには、「汝(なんじ)を打(う)つぞ」と。かの柳樹(りゅうじゅ)もまた応(こた)えて言(い)うには、「打(う)てよ」と。乒乓(ぴんぽん)と三十(さんじゅう)を打(う)った。鞭(むち)を輪(めぐ)らし過(す)ぎて来(きた)り、八戒(はっかい)に向(むか)って言(い)うには、「汝(なんじ)を打(う)つぞ」と。かの柳樹(りゅうじゅ)もまた応(こた)えて言(い)うには、「打(う)てよ」と。沙僧(さそう)を打(う)つに及(およ)んでも、また「打(う)てよ」と応(こた)えた。行者(ぎょうじゃ)を打(う)つに及(およ)んだ時(とき)、かの行者(ぎょうじゃ)は路(みち)に在(あ)って、偶然(ぐうぜん)に一(ひと)つの寒噤(かんしん=身震い)を打(う)って言(い)った。「良(よ)くない」と。三蔵(さんぞう)が問(と)うて言(い)うには、「どう言(い)うのか」と。
行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「我(われ)は四顆(よんか)の柳樹(りゅうじゅ)を将(も)って我(われ)が師徒(しと)四衆(よんしゅ)に変(へん)じたが、我(われ)はただ彼(かれ)が昨日(きのう)我(われ)を二頓(にど)も打(う)ったゆえ、今日(こんにち)は打(う)たぬであろうと思(おも)うておったに、また我(わ)が化身(けしん)を打(う)っておるゆえ、これによって我(わ)が真身(しんしん)が噤(みぶるい)を打(う)ったのじゃ。法(ほう)を収(おさ)めよう」と。かの行者(ぎょうじゃ)は慌(あわ)てて呪(じゅ)を念(とな)えて法(ほう)を収(おさ)めた。
汝(なんじ)見(み)よ、かの道童(どうどう)たちの懼(おそ)れて、皮鞭(ひべん)を投(な)げて、報(ほう)じて言(い)うには、「師父(しふ)よ、為頭(いちばんはじめ)に打(う)ったは大唐(だいとう)の和尚(おしょう)でしたが、この一(ひと)頃(ころ)打(う)ったは皆(みな)これ柳樹(りゅうじゅ)の根(ね)でございます」と。
大仙(たいせん)はこれを聞(き)いて、呵呵(かか)と冷笑(れいしょう)し、夸(ほこ)ること尽(つ)きず言(い)うには、「孫行者(そんぎょうじゃ)は、真(まこと)にこれ一人(ひとり)の好(よ)き猴王(こうおう)じゃ。曾(かつ)て彼(かれ)の大(おお)いに天宮(てんきゅう)を鬧(さわ)がし、地網天羅(ちもうてんら)を布(し)いても、彼(かれ)を拿(とら)え住(とど)めることができなんだと聞(き)くが、果(はた)してこの理(ことわり)が有(あ)る。汝(なんじ)が往(い)ってしまったはまた罷(や)むも、どうして些(いささ)かの柳樹(りゅうじゅ)をここに綁(しば)りて、名(な)を冒(おか)して替(かわ)りを頂(いただ)いたか。決(けっ)して彼(かれ)を饒(ゆる)すこと莫(な)かれ、趕(お)いに往(ゆ)こう」と。
かの大仙(たいせん)は趕(お)うと言(い)う声(こえ)もろともに、雲頭(うんとう)を縦(ほしいまま)に起(お)こし、西(にし)の方(ほう)を一(ひと)つ望(のぞ)むに、ただかの和尚(おしょう)たちの包(つつみ)を挑(にな)い馬(うま)を策(むちう)って、ちょうど路(みち)を走(はし)っておるのが見(み)えた。大仙(たいせん)は雲頭(うんとう)を低(ひく)く下(おろ)して、一声(ひとこえ)叫(よ)んだ。「孫行者(そんぎょうじゃ)、どこへ往(ゆ)くか。我(われ)に人参樹(にんじんじゅ)を還(かえ)せ」と。八戒(はっかい)はこれを聞(き)いて言(い)った。
「了(おしま)いじゃ。対頭(ついとう=敵)がまた来(き)た」と。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「師父(しふ)よ、且(しばら)く善(ぜん)の字(じ)を把(も)って包(つつ)み起(お)こし、我(われ)らをして些(いささ)かの凶悪(きょうあく)を使(つか)わしめよ、一(ひと)つに彼(かれ)を結果(けっか=始末)して、身(み)を脱(だっ)して去(さ)ろうではないか」と。
唐僧(とうそう)はこれを聞(き)いて、戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)として、未(いま)だ答(こた)えざるに、沙僧(さそう)は宝杖(ほうじょう)を掣(ひっさ)げ、八戒(はっかい)は釘钯(ていは)を挙(あ)げ、大聖(たいせい)は鉄棒(てつぼう)を使(つか)い、一齊(いっせい)に前(まえ)へと上(のぼ)り、大仙(たいせん)を空(そら)の中(なか)に囲(かこ)み住(つ)めて、乱(みだ)りに打(う)ち乱(みだ)りに築(ほ)った。この一場(いちば)の悪闘(あくとう)には、詩(し)が有(あ)って証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く。
悟空(ごくう)は鎮元仙(ちんげんせん)を識(し)らず、
与世同君(よせいどうくん)の妙(みょう)の更(さら)に玄(げん)なるを。
三件(さんけん)の神兵(しんぺい)猛烈(もうれつ)を施(ほどこ)し、
一根(いっこん)の麈尾(しゅび)は自(おの)ずから飄然(ひょうぜん)たり。
左(ひだり)に遮(さえぎ)り右(みぎ)に擋(ふせ)いで来往(らいおう)に随(したが)い、
後(うしろ)に架(う)け前(まえ)に迎(むか)えて転旋(てんせん)に任(まか)す。
夜(よる)去(さ)り朝(あした)来(きた)って体(たい)を脱(だっ)し難(がた)く、
淹留(えんりゅう=足止め)されて何日(いつのひ)か西天(せいてん)に到(いた)らん。
彼(かれ)が兄弟(けいてい)三衆(さんしゅ)は、おのおの神兵(しんぺい)を挙(あ)げ、一齊(いっせい)に攻(せ)め打(う)ったが、かの大仙(たいせん)はただ蝇帚児(ようそうじ=払子)を把(も)って演架(えんか=受け流し)するのみであった。そこに半(なか)ばの時辰(じしん)が有(あ)るうちに、彼(かれ)は袍袖(ほうしゅう)を一(ひと)つ展(ひるがえ)して、依然(いぜん)として四僧(よんそう)と一馬(いちば)と行李(こうり)とを、一袖(いっしゅう)に籠(つつ)んで去(さ)った。雲頭(うんとう)を返(かえ)して、また観(かん)の裡(うち)へと到(いた)った。衆仙(しゅうせん)は接(むか)え、仙師(せんし)は殿(でん)のうえに坐(ざ)した。また袖児(しゅうじ=袖)の裡(うち)より一(ひと)つ一(ひと)つを搬(はこ)び出(だ)し、唐僧(とうそう)を階下(かいか=階段の下)の矮(ひく)き槐樹(かいじゅ=えんじゅ)のうえに綁(しば)り、八戒(はっかい)と沙僧(さそう)をおのおの両辺(りょうへん)の樹(き)のうえに綁(しば)り、行者(ぎょうじゃ)を将(も)って捆(しば)り倒(たお)した。行者(ぎょうじゃ)が言(い)うには、「想(おも)うにこれ調問(ちょうもん=取り調べ)であろう」と。時(とき)を経(へ)ずして、捆綁(こんほう=縛り)は停当(ていとう=整い)、長頭布(ちょうとうふ=長い布)を十匹(じっぴき)取(と)って来(こ)いと教(おし)えた。
行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「八戒(はっかい)、この先生(せんせい)は好(よ)き意思(いし=心遣い)じゃ、布(ぬの)を拿(も)ち出(だ)して我(われ)らに中袖(ちゅうしゅう=中着)を做(つく)ってくれるとは。—些(いささ)か減省(げんしょう=倹約)して、一(ひと)つの一口中(いっこうちゅう=一枚の着物)を做(つく)るで罷(や)めよ」と。
かの小仙(しょうせん)は家機布(かきふ=手織りの布)を搬(はこ)び将(も)って出(で)て来(き)た。大仙(たいせん)が言(い)うには、「唐三蔵(とうさんぞう)や猪八戒(ちょはっかい)や沙和尚(さおしょう)を把(も)って、皆(みな)布(ぬの)を使(つか)って裹(つつ)んでしまえ」と。衆仙(しゅうせん)は一齊(いっせい)に前(まえ)へと往(ゆ)きて裹(つつ)んだ。行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「好(よ)し、好(よ)し、好(よ)し。夹活児(きょうかつじ=生きながら)にすなわち大殮(たいれん=納棺)じゃ」と。
須臾(しばらく)して、纏裹(てんか=巻き包み)は已(すで)に畢(おわ)った。また漆(うるし)を拿(も)ち出(だ)せと教(おし)えた。衆仙(しゅうせん)はすなわち忙(いそ)ぎ些(いささ)かの自(みずか)ら収(おさ)め自(みずか)ら晒(ほ)したる生熟漆(せいじゅくしつ=生漆と熟漆)を取(と)り、彼(かれ)ら三人(さんにん)の渾身(こんしん=全身)を布(ぬの)で裹(つつ)み漆(うるし)で漆(ぬ)り、上(うえ)には頭(あたま)と顔(かお)を外(そと)に留(とど)めた。八戒(はっかい)が言(い)うには、「先生(せんせい)、上頭(うえ)は倒(かえ)って打緊(たいしたこと)では無(な)いが、ただ下(した)にはなお孔児(あな)を留(とど)めてくれ、我(われ)らの好(よ)く出恭(すいこう=用足し)するように」と。
かの大仙(たいせん)はまた大鍋(おおなべ)を把(も)って抬(かつ)ぎ出(だ)せと教(おし)えた。行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「八戒(はっかい)、造化(ぞうか=幸運)じゃ。鍋(なべ)を抬(かつ)ぎ出(だ)すは、想(おも)うに飯(めし)を煮(に)て我(われ)らに食(くら)わせるのであろう」と。八戒(はっかい)が言(い)うには、「これも罷(や)むまい。我(われ)らに些(いささ)かの飯(めし)を食(くら)わせ、一(ひと)つの飽(あく)まで食(くら)うた死鬼(しき=餓鬼)を做(つく)らせてくれれば、また見(み)たところも好(よ)かろう」と。
衆仙(しゅうせん)は果(はた)して一口(ひとくち)の大鍋(おおなべ)を抬(かつ)ぎ出(だ)して階下(かいか)に支(つか)え立(た)てた。大仙(たいせん)は乾柴(かんさい=乾いた薪)を架(く)み起(おこ)し、烈火(れっか)を発(おこ)させ、教(おし)えて言(い)うには、「清油(せいゆ)を一鍋(ひとなべ)拗(く)み上(あ)げ、焼(や)きて滚(わ)かし、孫行者(そんぎょうじゃ)を将(も)って油鍋(ゆなべ)の下(した)へと下(おろ)し、彼(かれ)を一(ひと)つ扎(つ)け、我(わ)が人参樹(にんじんじゅ)の仇(あだ)を報(ほう)ぜよ」と。
行者(ぎょうじゃ)はこれを聞(き)いて密(ひそ)かに喜(よろこ)んで言(い)うには、「正(まさ)に老孫(ろうそん)が意(い)に適(かな)う。このところ曾(かつ)て洗澡(せんそう=入浴)せず、些(いささ)か皮膚(ひふ)の燥痒(そうよう=かゆみ)が有(あ)るゆえ、好(よ)し悪(あ)しも一(ひと)つ荡(ゆす)がせてもらえば、盛情(せいじょう=厚意)に感謝(かんしゃ)するばかりじゃ」と。
頃刻(しばらく)の間(あいだ)に、かの油鍋(ゆなべ)は将(まさ)に滚(わ)かんとした。大聖(たいせん)はまた心(こころ)を留(とど)め、彼(かれ)が仙法(せんぽう)の参(さん=計り)がたく、油鍋(ゆなべ)の裡(うち)では手脚(しゅきゃく=細工)を做(な)し難(がた)からんことを恐(おそ)れ、急(いそ)ぎ頭(あたま)を回(めぐ)らせて四(よ)つを顧(かえり)みるに、ただかの台下(だいか)の東辺(とうへん)はこれ一(ひと)つの日規台(にっきだい=日時計の台)、西辺(さいへん)はこれ一(ひと)つの石獅子(いしじし)が見(み)えた。
行者(ぎょうじゃ)は身(み)を一(ひと)つ縦(とば)して、西辺(さいへん)へと滚(ころ)がり到(いた)り、舌尖(ぜっせん=舌の先)を咬(か)み破(やぶ)り、石獅子(いしじし)を把(も)って一口(ひとくち)噴(ふ)きかけ、「変(へん)じろ」と叫(よ)んで、彼(かれ)が本身(ほんしん)の模様(もよう)に変(へん)じ、またこのように捆(しば)られて一団(いちだん)と作(な)し、彼(かれ)は却(かえ)って元神(げんしん=本体の霊)を出(いだ)し、雲端(うんたん)の裡(うち)に起(た)ちて、頭(あたま)を低(た)れて道士(どうし)たちを見(み)ておった。
ただかの小仙(しょうせん)の報(ほう)じて言(い)うのが見(み)えた。「師父(しふ)、油鍋(ゆなべ)は滚(わ)き透(とお)りました」と。大仙(たいせん)は「孫行者(そんぎょうじゃ)を把(も)って抬(かつ)ぎ下(おろ)せ」と教(おし)えた。四人(よんにん)の仙童(せんどう)でも抬(かつ)ぎ動(うご)かせず、八人(はちにん)が来(き)ても、また抬(かつ)ぎ動(うご)かせず、また四人(よんにん)を加(くわ)えても、また抬(かつ)ぎ動(うご)かせなんだ。衆仙(しゅうせん)が言(い)うには、「この猴子(こうし=猿)は土(つち)を恋(こい)して移(うつ)り難(がた)く、小(ちい)さいながらも、かえってまた結実(けつじつ=がっしり)しておる」と。
しかして二十人(にじゅうにん)の小仙(しょうせん)に、扛(かつ)ぎ起(おこ)させて、鍋(なべ)の裡(うち)へと一(ひと)つ掼(なげこ)むや、烹(ぽん)と一声(ひとこえ)響(ひび)いて、些(いささ)かの滚油点子(こんゆてんし=熱油のしぶき)を濺(とば)し上(あ)げ、かの小道士(しょうどうし)たちが顔(かお)のうえを燙(やけど)して幾(いく)つもの燎漿大泡(りょうしょうだいほう=大火傷の水ぶくれ)を造(つく)った。ただ焼火(しょうか=火を焚く)の小童(こどう)の喊(さけ)んで言(い)うのが聞(き)こえた。「鍋(なべ)が漏(も)れた、鍋(なべ)が漏(も)れた」と。説(と)き了(おわ)らぬうちに、油(あぶら)は漏(も)れて罄尽(けいじん=からから)となり、鍋底(なべぞこ)は打(う)ち破(やぶ)られたが、元来(がんらい)これ一(ひと)つの石獅子(いしじし)の裡(うち)に放(お)かれておったのであった。
大仙(たいせん)は大(おお)いに怒(いか)って言(い)った。「この潑猴(はっこう)め、着然(ちゃくぜん=まったく)無礼(ぶれい)なり。彼(かれ)をして当面(とうめん)に手脚(しゅきゃく=細工)を做(な)さしめた。汝(なんじ)が往(い)ってしまったはまた罷(や)むも、どうしてまた我(わ)が竈(かまど)を搗(つ)き壊(こわ)したか。この潑猴(はっこう)めは、枉(むな)しくまた彼(かれ)を拿(とら)え住(とど)めることはできず、たとえ拿(とら)え住(とど)めるも、また砂(すな)を摶(こね)り汞(みずがね=水銀)を弄(ろう)するが如(ごと)く、影(かげ)を捉(とら)え風(かぜ)を捕(とら)えるが如(ごと)し。—罷(や)めよ、罷(や)めよ、罷(や)めよ。彼(かれ)を饒(ゆる)して去(さ)らせよ。且(しばら)く唐三蔵(とうさんぞう)を解(と)き下(おろ)し、別(べつ)に新(あたら)しき鍋(なべ)に換(か)え、彼(かれ)を一(ひと)つ扎(つ)け、人参樹(にんじんじゅ)の仇(あだ)を報(ほう)ぜよ」と。かの小仙(しょうせん)は真(まこと)に手(て)を動(うご)かし、布漆(ふしつ=布と漆)を拆解(かいせつ=解き剥が)した。
行者(ぎょうじゃ)は半空(はんくう)の裡(うち)に在(あ)って明(あきら)かに聴(き)き取(と)り、彼(かれ)は想(おも)うには、「師父(しふ)は不済(ふせい=弱い)じゃ。彼(かれ)もし油鍋(ゆなべ)の裡(うち)へと到(いた)れば、一(ひと)たび滚(わ)かされればすなわち死(し)に、二(ふた)たび滚(わ)かされればすなわち焦(こ)げ、三(み)つ五(いつ)つと滚(わ)かされれば、彼(かれ)はすなわち一(ひと)つの稀爛(きらん=ぐちゃぐちゃ)の和尚(おしょう)に弄(ろう)し成(な)されてしまおう。我(われ)はまた往(ゆ)きて彼(かれ)を一(ひと)つ救(すく)おう」と。
好(よ)し、大聖(たいせい)は雲頭(うんとう)を按(おさ)え落(おと)し、前(まえ)へと往(ゆ)きて手(て)を叉(こうまぬ)いて言(い)った。「布漆(ふしつ)を拆(ばら)し壊(こわ)すな、我(われ)が油鍋(ゆなべ)へと下(お)り来(きた)ったぞ」と。かの大仙(たいせん)は驚(おどろ)いて罵(ののし)って言(い)った。「汝(なんじ)というこの猢猻(こそん=猿)め、どうして手段(しゅだん)を弄(ろう)して我(わ)が竈(かまど)を搗(つ)き壊(こわ)したか」と。
行者(ぎょうじゃ)は笑(わら)って言(い)った。「汝(なんじ)が我(われ)に遇(あ)えばすなわち竈(かまど)を倒(たお)すべきであって、我(われ)に何(なん)の干(かかわ)りが有(あ)ろうか。我(われ)はたった今(いま)もまた汝(なんじ)より些(いささ)かの油湯油水(ゆとうゆすい=油の恵み)の愛(あい)を領(うけたまわ)ろうとしたが、ただこれ大小便(だいしょうべん=用足し)が急(きゅう)であったゆえ、もし鍋(なべ)の裡(うち)で風(かぜ)を開(ひら)いたなら、恐(おそ)らくは汝(なんじ)が熟油(じゅくゆ)を汚(けが)して、菜(さい)を調(ととの)えて食(くら)うに好(よ)からず、今(いま)は大小便(だいしょうべん)も通(つう)じて乾浄(かんじょう=すっきり)したゆえ、ようやく好(よ)く鍋(なべ)へと下(お)り得(う)る。我(わ)が師父(しふ)を扎(つ)けるな、また来(きた)って我(われ)を扎(つ)け」と。
かの大仙(たいせん)はこれを聞(き)いて、呵呵(かか)と冷笑(れいしょう)し、殿(でん)より出(で)て来(き)て、一把(ひとつかみ)に扯(ひ)き住(とど)めた。
畢竟(ひっきょう)何(なん)の話(はなし)の有(あ)るや、端的(たんてき=いったい)どう身(み)を脱(だっ)するかは、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。