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026 第二十六回 孫悟空(そんごくう)、三島(さんとう)に方(ほう)を求(もと)む 観世音(かんぜおん)、甘泉(かんせん)もて樹(き)を活(い)かす

詩(し)に曰(いわ)く

世(よ)に処(お)るには須(かなら)ず心(こころ)の之(うえ)の刃(やいば)を存(ぞん)じ、
身(み)を修(おさ)むるには切(せつ)に記(き)せよ寸(すん)の辺(ほとり)の而(しかして)。
常(つね)に言(い)う、刃字(じんじ)は生意(せいい=生きる道)を為(な)すと、
但(た)だ三思(さんし=三度考え)して怒(いかり)と欺(あざむき)を戒(いまし)めんことを要(よう)す。
上士(じょうし)争(あらそ)い無(な)きは亘古(こうこ=大昔)より伝(つた)わり、
聖人(せいじん)徳(とく)を懐(いだ)きて当時(とうじ)を継(つ)ぐ。
剛強(ごうきょう)に更(さら)に剛強(ごうきょう)の輩(ともがら)有(あ)り、
究竟(くっきょう=結局)終(つい)に空(くう)と非(ひ)とに成(な)る。

却(かえ)って説(と)く、那(か)の鎮元大仙(ちんげんたいせん)手(て)を用(もち)いて行者(ぎょうじゃ)を攙(ささ)え着(つ)けて道(いわ)く「我(われ)も也(また)汝(なんじ)が本事(ほんじ=腕)を知(し)り、我(われ)も也(また)汝(なんじ)が英名(えいめい)を聞(き)き得(え)たるが、只(た)だ汝(なんじ)今番(こんぱん=この度)理(り)を越(こ)え心(こころ)を欺(あざむ)けり。縦(たと)い騰那(とうな=身のこなし)有(あ)るも、我(わ)が手(て)を脱(のが)るるを得(え)じ。我(われ)就(すなわ)ち汝(なんじ)と西天(せいてん)に到(いた)りて講(こう)じ、汝(なんじ)が那(そ)の仏祖(ぶっそ)に見(まみ)ゆるも、也(また)少(すくな)からず我(われ)に人参果樹(にんじんかじゅ)を還(かえ)せ。汝(なんじ)神通(じんつう)を弄(ろう)する莫(なか)れ」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く「汝(なんじ)が這(こ)の先生(せんせい)は好(よ)く小家子様(しょうかしよう=けちくさい)かな!若(も)し樹(き)を活(い)かさんことを要(よう)せば、甚(なん)の疑難(ぎなん)有(あ)らん!早(はや)く此(こ)の話(はなし)を説(い)えりせば、一場(いちじょう)の争競(そうきょう=争い)を省(はぶ)けざらんや」と。大仙(たいせん)道(いわ)く「争競(そうきょう)せざれば、我(われ)肯(あえ)て善(よ)く自(みずか)ら汝(なんじ)を饒(ゆる)さんや」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「汝(なんじ)我(わ)が師父(しふ)を解(と)き放(はな)てば、我(われ)還(かえ)して一顆(いっか=一つ)の活(い)ける樹(き)を与(あた)えんは如何(いかん)」と。大仙(たいせん)道(いわ)く「汝(なんじ)若(も)し此(こ)の神通(じんつう)有(あ)りて、樹(き)の活(い)くるを医(いや)し得(え)ば、我(われ)汝(なんじ)と八拝(はっぱい)して交(まじわ)りを為(な)し、結(むす)んで兄弟(きょうだい)と為(な)らん」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「打緊(たいしたこと)ならず、他(かれ)等(ら)を放(はな)てば、老孫(ろうそん)管(きっと)教(おし)えて還(かえ)して活(い)ける樹(き)を与(あた)えん」と。大仙(たいせん)他(かれ)の走(に)げ脱(のが)るるを得(え)ざるを諒(りょう=察)し、即(すなわ)ち命(めい)じて三蔵(さんぞう)、八戒(はっかい)、沙僧(さそう)を解放(かいほう)せしむ。沙僧(さそう)道(いわ)く「師父(しふ)よ、知(し)らず師兄(しけい)の搗(つ)き得(う)るは是(こ)れ甚(なん)の鬼(おに=たくらみ)なるか」と。

八戒(はっかい)道(いわ)く「甚(なん)の鬼(おに)か!這(こ)れを『当面人情鬼(とうめんにんじょうき=目の前で恩を売る鬼)』と做(な)す!樹(き)死(し)せるに、又(また)医(いや)して活(い)かすを得(え)んや?他(かれ)箇(こ)の光皮散児(こうひさんじ=うわべを繕う)を弄(ろう)して好(よ)く看(み)ゆるを為(な)し、者(これ)着(つ)けて樹(き)を医(いや)すことを求(もと)め、単単(たんたん=ひとえに)身(み)を了(りょう)し走路(みち)を脱(のが)れんとす、還(また)汝(なんじ)と我(われ)を顧(かえりみ)るを得(え)んや」と。三蔵(さんぞう)道(いわ)く「他(かれ)決(けっ)して敢(あえ)て我(われ)等(ら)を撒(す)てん。我(われ)等(ら)他(かれ)に那(いず)こへ医(い)を求(もと)めに去(ゆ)くかを問(と)わん」と。遂(つい)に叫(よ)んで道(いわ)く「悟空(ごくう)、汝(なんじ)怎(どう)して仙長(せんちょう)を哄(だま)し、我(われ)等(ら)を解放(かいほう)せしめしや」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「老孫(ろうそん)は是(こ)れ真言実語(しんごんじつご=まことの言葉)、怎(どう)して他(かれ)を哄(だま)さんや」と。三蔵(さんぞう)道(いわ)く「汝(なんじ)何(いず)れの処(ところ)へ往(ゆ)きて方(ほう=妙薬)を求(もと)めんとするか」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「古人(こじん)云(いわ)く、方(ほう)は海(うみ)より来(きた)ると。我(われ)今(いま)要(よう)するに東洋大海(とうようたいかい)に上(のぼ)り、三島十洲(さんとうじっしゅう)を遍(あまね)く遊(あそ)び、仙翁聖老(せんおうせいろう=仙人の翁)を訪問(ほうもん)し、一(ひとつ)の起死回生(きしかいせい)の法(ほう)を求(もと)め、管(きっと)教(おし)えて他(かれ)が樹(き)の活(い)くるを医(いや)し得(え)ん」と。

三蔵(さんぞう)道(いわ)く「此(ここ)を去(さ)り幾時(いつ)か回(かえ)るを得(う)べき」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「只(た)だ三日(みっか)を消(よう)すのみ」と。三蔵(さんぞう)道(いわ)く「既(すで)に此(かく)の如(ごと)くならば、就(すなわ)ち汝(なんじ)が説(い)うに依(よ)り、汝(なんじ)に三日(みっか)の之(の)限(かぎり)を与(あた)えん。三日(みっか)の裏(うち)に来(きた)らば便(すなわ)ち罷(や)めん、若(も)し三日(みっか)の外(ほか)に来(きた)らずんば、我(われ)就(すなわ)ち那(か)の話児経(わじきょう=例の経)を念(ねん)ぜん」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「命(めい)に遵(したが)う、命(めい)に遵(したが)う」と。

汝(なんじ)他(かれ)が急(いそ)ぎ虎皮裙(こひくん=虎皮の腰巻)を整(ととの)え、門(もん)を出(い)でて来(きた)り大仙(たいせん)に向(むか)って道(いわ)く「先生(せんせい)放心(ほうしん)せよ、我(われ)就(すなわ)ち去(ゆ)きて就(すなわ)ち来(きた)らん。汝(なんじ)却(かえ)って要(よう)するに好(よ)く生(しょう)ずるに我(わ)が師父(しふ)を伏侍(ぶじ)し、日(ひ)を逐(お)うて家(か)に三茶六飯(さんさろくはん=三度の茶と六度の飯)、欠(か)くべからず。若(も)し些(いささ)か少(すくな)からば、老孫(ろうそん)回(かえ)り来(きた)りて汝(なんじ)と帳(ちょう)を算(さん)し、先(ま)ず汝(なんじ)が鍋底(なべぞこ)を搗(つ)き塌(くず)さん。衣服(ころも)禳(よご)れたら、他(かれ)に与(あた)えて漿洗(しょうせん=洗濯)し漿洗(せんたく)せしめよ。臉児(かお)些(いささ)か黄(き)ばめば、我(われ)要(い)らず;若(も)し些(いささ)か瘦(や)せなば、門(もん)を出(い)ださじ」と。那(か)の大仙(たいせん)道(いわ)く「汝(なんじ)去(ゆ)け、汝(なんじ)去(ゆ)け、定(かなら)ず他(かれ)をして飢(うえ)を忍(しの)ばしめじ」と。

好(よ)き猴王(こうおう)、急(いそ)ぎ觔斗雲(きんとうん=筋斗雲)を縦(ほしいまま)にし、五荘観(ごしょうかん)に別(わか)れ、径(ただ)ちに東洋大海(とうようたいかい)に上(のぼ)る。半空(はんくう)の中(なか)に在(あ)って、快(はや)きこと掣電(せつでん=稲妻)の如(ごと)く、疾(はや)きこと流星(りゅうせい)の如(ごと)く、早(はや)くも蓬莱仙境(ほうらいせんきょう)に到(いた)る。雲頭(うんとう)を按(おさ)え、仔細(しさい)に観看(かんかん)するに、真個(しんこ)に好(よ)き去処(ところ)!詩(し)有(あ)りて証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く

大地(だいち)仙郷(せんきょう)聖曹(せいそう=仙官)列(つら)なり、
蓬莱(ほうらい)分(わか)れ合(がっ)して波濤(はとう)を鎮(しず)む。
瑶台(ようだい)の影(かげ)天心(てんしん=天の中心)の冷(つめた)きを蘸(ひた)し、
巨闕(こけつ=大宮殿)の光(ひかり)海面(かいめん)に浮(うか)びて高(たか)し。
五色(ごしき)の烟霞(えんか=霞)玉籟(ぎょくらい=玉の音)を含(ふく)み、
九霄(きゅうしょう=九天)の星月(せいげつ)金鰲(きんごう=金の大亀)を射(い)る。
西池(せいち)の王母(おうぼ)常(つね)に此(ここ)に来(きた)り、
奉祝(ほうしゅく)す三仙(さんせん)幾次(いくたび)かの桃(もも)を。

那(か)の行者(ぎょうじゃ)仙景(せんけい)を看(み)て尽(つく)さず、径(ただ)ちに蓬莱(ほうらい)に入(い)る。正(まさ)に然(しか)く走(ある)く処(ところ)、白雲洞(はくうんどう)の外(そと)、松陰(しょういん=松の木陰)の下(した)に、三個(みたり)の老児(ろうじ)の囲碁(いご)を囲(かこ)むを見(み)る:観局(かんきょく=碁を観る)の者(もの)は是(こ)れ寿星(じゅせい)、対局(たいきょく)の者(もの)は是(こ)れ福星(ふくせい)、禄星(ろくせい)なり。行者(ぎょうじゃ)上(のぼ)り前(すす)んで叫(よ)んで道(いわ)く「老弟(ろうてい)達(たち)、作揖(さゆう=挨拶)了(おわ)らん」と。那(か)の三星(さんせい)見(み)て、棋枰(きへい=碁盤)を拂(はら)い退(しりぞ)け、回礼(かんれい)して道(いわ)く「大聖(たいせい)何(いず)こより来(きた)れる」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「特(こと)に来(きた)りて汝(なんじ)等(ら)を尋(たず)ねて耍子(しし=遊び)せん」と。寿星(じゅせい)道(いわ)く「我(われ)聞(き)く、大聖(たいせい)道(どう)を棄(す)て釈(しゃく)に従(したが)い、性命(しょうめい=命)を脱(まぬが)れて唐僧(とうそう)を保(ほ)護(まも)り西天(せいてん)に往(ゆ)きて経(きょう)を取(と)り、遂日(すいじつ=日ごと)山路(さんろ)に奔波(ほんば=奔走)すと。那(いず)れの児(ところ)にか閑(ひま)を得(え)て、却(かえ)って来(きた)りて耍子(しし)せんや」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「実(じつ)に列位(れっい=皆様)に瞞(かく)さず説(い)わば、老孫(ろうそん)西方(せいほう)に往(ゆ)くに因(よ)り、行(ゆ)くこと半路(なかみち)に在(あ)って、些(いささ)か阻滞(そたい=妨げ)有(あ)り。特(こと)に来(きた)りて小事(しょうじ)を干(もと)めんと欲(ほっ)す、肯(き)くや否(いな)やを知(し)らず」と。福星(ふくせい)道(いわ)く「是(こ)れ甚(いず)れの地方(ところ)?是(こ)れ何(なん)の阻滞(そたい)?乞(こ)う為(ため)に明(あき)らかに示(しめ)されよ、吾(われ)好(よ)く裁処(さいしょ=裁量)せん」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「路(みち)万寿山(まんじゅざん)五荘観(ごしょうかん)を過(す)ぐるに阻(そ)有(あ)るに因(よ)る」と。三老(さんろう)驚訝(きょうが=驚き怪しみ)して道(いわ)く「五荘観(ごしょうかん)は是(こ)れ鎮元大仙(ちんげんたいせん)の仙宮(せんきゅう)。汝(なんじ)是(こ)れ他(かれ)が人参果(にんじんか)を偷(ぬす)み吃(くら)いたるに非(あら)ざるか」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く「偷(ぬす)み吃(くら)いて能(よ)く甚(なん)を値(あたい)せんや」と。三老(さんろう)道(いわ)く「汝(なんじ)が這(こ)の猴子(こうし=猿)、好歹(よしあし)を知(し)らず。那(か)の果子(かじ=果実)一(ひと)つ聞(か)げば、三百六十歳(さんびゃくろくじっさい)活(い)き、一(ひとつ)吃(くら)えば、四万七千年(しまんしちせんねん)活(い)き、万寿草還丹(まんじゅそうかんたん)と做(な)す。我(われ)等(ら)が道(どう)は、他(かれ)が多(おお)きに及(およ)ばざること遠(とお)し!他(かれ)之(これ)を得(う)ること甚(はなは)だ易(やす)く、就(すなわ)ち天(てん)と斉(ひと)しく寿(いのち)を与(とも)にす可(べ)し;我(われ)等(ら)還(また)精(せい)を養(やしない)、気(き)を煉(ね)り、神(しん)を存(ぞん)じ、龍虎(りゅうこ)を調和(ちょうわ)し、坎(かん)を捉(とら)え離(り)を填(うず)め、幾多(いくばく)の工夫(くふう)を費(つい)やすを知(し)らず。汝(なんじ)怎(どう)して他(かれ)が能(よ)く甚(なん)を値(あたい)すると説(い)うや。天下(てんか)只(た)だ此(こ)の種(しゅ)の霊根(れいこん)有(あ)るのみ」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「霊根(れいこん)!霊根(れいこん)!我(われ)已(すで)に他(かれ)に箇(こ)の断根(だんこん=根絶やし)を弄(もう=やっつけ)たり」と。三老(さんろう)驚(おどろ)いて道(いわ)く「怎(どう)して断根(だんこん)せるか」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「我(われ)等(ら)前日(せんじつ)他(かれ)が観(かん)の裏(うち)に在(あ)りしに、那(か)の大仙(たいせん)家(いえ)に在(あ)らず、只(た)だ二個(ふたり)の小童(しょうどう)有(あ)り、我(わ)が師父(しふ)を接待(せったい)せしが、却(かえ)って二個(ふたつ)の人参果(にんじんか)を将(もっ)て我(わ)が師(し)に奉(ほう)じたるを、我(わ)が師(し)認(みと)め得(え)ず、只(た)だ三朝(さんちょう)未(いま)だ満(み)たざるの孩童(がいどう=赤子)なりと説(い)い、再三(さいさん)吃(くら)わず。那(か)の童子(どうじ)就(すなわ)ち拿(と)り去(ゆ)きて吃(くら)い、曾(かつ)て我(われ)等(ら)に讓(ゆず)り得(え)ず。是(ここ)に老孫(ろうそん)就(すなわ)ち去(ゆ)きて他(かれ)が三個(みっつ)を偷(ぬす)み、我(われ)が三兄弟(さんきょうだい)吃(くら)いたり。那(か)の童子(どうじ)高低(こうてい=分別)を知(し)らず、賊前賊後(ぞくぜんぞくご=泥棒呼ばわり)に罵(ののし)ること住(や)まず。是(ここ)に老孫(ろうそん)悩(いらだ)ち、他(かれ)が樹(き)を把(もっ)て一棍(いっこん)打(う)ち、推(お)し倒(たお)して地(ち)に在(あ)らしむ。樹(き)の之(うえ)の果子(かじ)全(まった)く無(な)く、椏(えだ)開(ひら)き葉(は)落(お)ち、根(ね)出(い)で枝(えだ)傷(きずつ)き、已(すで)に枯(か)れ死(し)せり。想(おも)わざりき那(か)の童子(どうじ)我(われ)等(ら)を関(とじこ)め、又(また)老孫(ろうそん)に鎖(くさり)を扭(ひね)り開(ひら)かれて走(に)げたり。次日(じつじ=翌日)清晨(せいしん=早朝)、那(か)の先生(せんせい)家(いえ)に回(かえ)り来(きた)りて赶(お)い来(きた)り、問答(もんどう)の間(あいだ)、言語(げんご)和(やわ)らがず、遂(つい)に他(かれ)と賭闘(ととう=戦い)せしに、他(かれ)が一(ひと)つ閃(ひら)りと閃(かわ)し、袍袖(ほうしゅう=袍の袖)を把(もっ)て展(ひろ)げ開(ひら)き、一袖子(いっしゅうし=ひと袖)に都(みな)籠(かご)い去(さ)られたり。繩(なわ)纏(まと)い索(なわ)绑(しば)り、拷問(ごうもん)鞭敲(べんこう=鞭で叩き)、就(すなわ)ち一日(いちにち)打(う)たれたり。是(こ)の夜(よる)又(また)逃(に)げたるに、他(かれ)又(また)赶(お)い上(のぼ)り、依旧(いきゅう=元通り)籠(かご)い去(さ)る。他(かれ)身(み)に寸鉄(すんてつ=わずかな武器)無(な)く、只(た)だ箇(こ)の麈尾(しゅび=鹿の尾の払子)を把(もっ)て遮(さえぎ)り架(ささ)うるのみなるに、我(われ)が兄弟(きょうだい)が這(こ)の等(ごと)き三般(さんぱん)の兵器(へいき)、想(おも)うに他(かれ)を打(う)ち着(あ)つるを得(え)じ。此(こ)の一番(いっぱん)仍旧(もとどおり)擺布(はいふ=扱い)、布(ぬの)を将(もっ)て我(わ)が師父(しふ)と両師弟(りょうしてい)を裹(つつ)み滚(まろ)ばし、却(かえ)って我(われ)を将(もっ)て油鍋(あぶらなべ)に下(おろ)さんとす。我(われ)又(また)箇(こ)の脱身(だっしん)の本事(ほんじ)を做(な)して走(に)げ、他(かれ)が鍋(なべ)を都(みな)打(う)ち破(やぶ)れり。他(かれ)我(われ)を拿(とら)え住(とど)むるを得(え)ざるを見(み)て、尽(ことごと)く幾分(いくぶん)か我(われ)を醋(ねた)めり。是(ここ)に我(われ)又(また)他(かれ)と好(よ)く講(こう)じ、他(かれ)をして我(わ)が師父(しふ)、師弟(してい)を放(はな)たしめ、我(われ)他(かれ)に与(あた)えて樹(き)を医(いや)して管(きっと)活(い)かし、両家(りょうけ)才(ようや)く安寧(あんねい)を得(う)べしと教(おし)えたり。我(われ)想着(おもう)に方(ほう)は海(うみ)より来(きた)る、故此(ゆえ)に特(こと)に仙境(せんけい)を遊(あそ)び、三位(さんい)の老弟(ろうてい)を訪(たず)ぬ。甚(なん)の樹(き)を医(いや)すの方児(ほうじ=薬方)有(あ)らば、我(われ)に一(ひとつ)伝(つた)え、急(いそ)ぎ唐僧(とうそう)の苦(くるしみ)を脱(のが)れしめ救(すく)え」と。

三星(さんせい)言(げん)を聞(き)き、心中(しんちゅう)也(また)悶(もだ)えて道(いわ)く「汝(なんじ)が這(こ)の猴児(こうじ=猿)、全(まった)く人(ひと)を識(し)らず。那(か)の鎮元子(ちんげんし)は乃(すなわ)ち地仙(ちせん)の祖(そ)、我(われ)等(ら)は乃(すなわ)ち神仙(しんせん)の宗(そう)なり。汝(なんじ)天仙(てんせん)を得(え)たりと雖(いえど)も、還(また)是(こ)れ太乙散数(たいおつさんすう=傍流)にして、未(いま)だ真流(しんりゅう=本流)に入(い)らず、汝(なんじ)怎(どう)して他(かれ)が手(て)を脱(のが)るるを得(え)んや。若(も)し是(こ)れ大聖(たいせい)の走獣飛禽(そうじゅうひきん=獣や鳥)、蜾虫鱗長(かちゅうりんちょう=虫や魚)を打(う)ち殺(ころ)したるならば、只(た)だ我(わ)が黍米(しょべい=黍粒)の丹(たん)を用(もち)いて、以(もっ)て救(すく)い活(い)かす可(べ)し。那(か)の人参果(にんじんか)は乃(すなわ)ち仙木(せんぼく)の根(ね)、如何(いかん)ぞ医(いや)さんや。方(ほう)無(な)し、方(ほう)無(な)し」と。那(か)の行者(ぎょうじゃ)無方(むほう)と説(い)うを見(み)て、却(かえ)って就(すなわ)ち眉峰(びほう=眉)双(ふたつ)鎖(とざ)され、額(ひたい)に千痕(せんこん=千の皺)を蹙(しか)めたり。福星(ふくせい)道(いわ)く「大聖(たいせい)、此(こ)の処(ところ)に方(ほう)無(な)くとも、他(た)の処(ところ)に或(あるい)は有(あ)らん、怎(どう)して就(すなわ)ち煩悩(ぼんのう)を生(しょう)ぜんや」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「方(ほう)無(な)ければ別(べつ)に訪(たず)ぬるは、果然(かぜん)に容(た)やすく、就(すなわ)ち海角天涯(かいかくてんがい=海の果て天の果て)を遊(あそ)び遍(あまね)くし、三十六天(さんじゅうろくてん)を転(めぐ)り透(とお)るも亦(また)是(こ)れ小可(しょうか=造作もな)きこと;只(た)だ是(こ)れ我(わ)が那(か)の唐長老(とうちょうろう)法(ほう)厳(きび)しく量(りょう=度量)窄(せま)く、只(た)だ我(われ)に三日(みっか)の期限(きげん)を与(あた)えたるのみ。三日(みっか)以外(いがい)に到(いた)らざれば、他(かれ)就(すなわ)ち那(か)の《緊箍児呪(きんこじゅ)》を念(ねん)ぜんと要(ほっ)す」と。三星(さんせい)笑(わら)って道(いわ)く「好(よ)し!好(よ)し!好(よ)し!若(も)し此(こ)の箇(こ)の法児(ほうじ=方法)の汝(なんじ)を拘束(こうそく)せざるにおいては、汝(なんじ)又(また)天(てん)を鑽(もぐ)らん」と。寿星(じゅせい)道(いわ)く「大聖(たいせい)放心(ほうしん)せよ、須(もち)いず煩悩(ぼんのう)せんことを。那(か)の大仙(たいせん)上輩(じょうはい=先輩)と称(しょう)すと雖(いえど)も、却(かえ)って也(また)我(われ)等(ら)と識(し)ること有(あ)り。一(ひとつ)は久(ひさ)しく別(わか)れて、曾(かつ)て拝望(はいぼう=訪問)せず;二(ふたつ)に来(きた)るは是(こ)れ大聖(たいせい)の人情(にんじょう=顔)なり。如今(にこん=今)我(われ)三人(みたり)同(とも)に去(ゆ)きて他(かれ)を一(ひと)つ望(おとず)れ、就(すなわ)ち汝(なんじ)に与(あた)えて此(こ)の情(じょう)を道達(どうたつ=取り次ぎ)し、那(か)の唐和尚(とうおしょう)をして《緊箍児呪(きんこじゅ)》を念(ねん)ずること莫(なか)らしめ、三日五日(みっかいつか)を説(い)わず、只(た)だ汝(なんじ)が方(ほう)を求(もと)め得(え)て来(きた)るを等(ま)ちて、我(われ)等(ら)才(ようや)く別(わか)れん」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「感激(かんげき)!感激(かんげき)!就(すなわ)ち請(こ)う、三位(さんい)の老弟(ろうてい)行(ゆ)き行(ゆ)け、我(われ)去(ゆ)かん」と。大聖(たいせい)三星(さんせい)に辞別(じべつ)することは題(だい)せず。

却(かえ)って説(と)く、這(こ)の三星(さんせい)祥光(しょうこう=吉祥の光)を駕(が)し起(おこ)し、即(すなわ)ち五荘観(ごしょうかん)へと往(ゆ)きて来(きた)る。那(か)の観中(かんちゅう)の合衆人等(がっしゅうじんとう=一同)、忽(たちま)ち長天(ちょうてん=大空)に鶴(つる)の唳(な)くを聴(き)き得(う)れば、原来(げんらい)是(こ)れ三老(さんろう)の光臨(こうりん)なり。但(ただ)那(か)の

盈空(えいくう=空に満つ)藹藹(あいあい=盛ん)たる祥光(しょうこう)の簇(むらがり)、
霄漢(しょうかん=大空)紛紛(ふんぷん)として香(こう)馥郁(ふくいく=芳し)。
彩霧(さいむ)千条(せんじょう)羽衣(うい=羽の衣)を護(まも)り、
軽雲(けいうん)一朶(いちだ)仙足(せんそく=仙人の足)を擎(ささ)ぐ。
青鸞(せいらん)飛(と)び、丹鳳(たんぽう)[羽+粛](と)び、
袖(そで)香風(こうふう)を引(ひ)きて地(ち)に満(み)ちて撲(う)つ。
拄杖(しゅじょう=杖)に龍(りゅう)を懸(か)けて喜笑(きしょう)生(しょう)じ、
皓髯(こうぜん=白き髭)玉(ぎょく)を垂(た)れて胸(むね)前(まえ)を拂(はら)う。
童顔(どうがん)歓悦(かんえつ)して更(さら)に憂(うれ)い無(な)く、
壮体(そうたい=逞しき体)雄威(ゆうい)多(おお)く福(ふく)有(あ)り。
星籌(せいちゅう=星の札)を執(と)り、海屋(かいおく)に添(そ)え、
腰(こし)に葫芦(ころ=瓢箪)と宝籙(ほうろく=仙籍)を掛(か)く。
万紀千旬(ばんきせんじゅん=万年千年)福寿(ふくじゅ)長(なが)く、
十洲三島(じっしゅうさんとう)縁(えん)に随(したが)い宿(やど)る。
常(つね)に世上(せじょう)に来(きた)りて千祥(せんしょう=千の吉祥)を送(おく)り、
毎(つね)に人間(にんげん)に向(むか)いて百福(ひゃくふく)を増(ま)す。
乾坤(けんこん=天地)を概(おお)い、福禄(ふくろく)を栄(さか)えしめ、
福寿(ふくじゅ)無疆(むきょう=限りなく)今(いま)喜(よろこび)て得(う)。
三老(さんろう)祥(しょう)に乗(じ)じて大仙(たいせん)を謁(えっ)し、
福堂(ふくどう)和気(わき)皆(みな)極(きわまり)無(な)し。

那(か)の仙童(せんどう)看(み)て、即(すなわ)ち忙(いそ)ぎ報(ほう)じて道(いわ)く「師父(しふ)、海上(かいじょう)の三星(さんせい)来(きた)れり」と。鎮元子(ちんげんし)正(まさ)に唐僧(とうそう)師弟(してい)と閑叙(かんじょ=くつろぎ話す)、報(ほう)を聞(き)きて即(すなわ)ち階(きざはし)を降(くだ)りて奉迎(ほうげい)す。那(か)の八戒(はっかい)寿星(じゅせい)を見(み)て、近(ちか)く前(すす)み扯(ひ)き住(とど)め、笑(わら)って道(いわ)く「汝(なんじ)が此(こ)の肉頭老児(にくとうろうじ=丸坊主の爺)、許久(ひさしく)見(み)ざりしが、還(また)是(こ)れ這般(このよう)に脱洒(だっしゃ=洒脱)にして、帽児(ぼうじ=帽子)も也(また)一(ひとつ)帯(お)び来(きた)らず」と。遂(つい)に自家(じか)の一個(ひとつ)の僧帽(そうぼう)を把(もっ)て、撲(ぽん)と他(かれ)が頭(かしら)の之(うえ)に套(かぶ)せ、手(て)を撲(う)ち着(つ)けて呵呵(かか)と大笑(たいしょう)して道(いわ)く「好(よ)し!好(よ)し!好(よ)し!真(まこと)に是(こ)れ『加冠進禄(かかんしんろく=冠を加え禄を進む)』なり」と。那(か)の寿星(じゅせい)帽子(ぼうし)を将(もっ)て掼(なげう)ちて罵(ののし)って道(いわ)く「汝(なんじ)が此(こ)の夯貨(こうか=間抜け)、老大(おおい)に高低(こうてい=分別)を知(し)らず」と。八戒(はっかい)道(いわ)く「我(われ)は是(こ)れ夯貨(こうか)に非(あら)ず、汝(なんじ)等(ら)真(まこと)に是(こ)れ奴才(どさい=下僕)ならん」と。福星(ふくせい)道(いわ)く「汝(なんじ)倒(かえ)って是(こ)れ箇(こ)の夯貨(こうか)、反(かえ)って敢(あえ)て人(ひと)を奴才(どさい)と罵(ののし)るか」と。八戒(はっかい)又(また)笑(わら)って道(いわ)く「既(すで)に人家(じんか)の奴才(どさい)に非(あら)ざれば、好道(こうどう=それなら)添寿(てんじゅ=寿を添う)、添福(てんぷく)、添禄(てんろく)と做(な)さるるか」と。那(か)の三蔵(さんぞう)八戒(はっかい)を喝(かつ)し退(しりぞ)け、急(いそ)ぎ衣(ころも)を整(ととの)えて三星(さんせい)を拝(はい)す。那(か)の三星(さんせい)晩輩(ばんぱい)の礼(れい)を以(もっ)て大仙(たいせん)に見(まみ)え、方(はじ)めて叙坐(じょざ=座を次ぐ)。坐(ざ)定(さだ)まり、禄星(ろくせい)道(いわ)く「我(われ)等(ら)一向(いっこう=かねて)尊顔(そんがん)を久闊(きゅうかつ=久しく御無沙汰)し、恭敬(きょうけい)を失(うしな)えり。今(いま)孫大聖(そんたいせい)の仙山(せんざん)を攪擾(かくじょう=かき乱す)に因(よ)り、特(こと)に来(きた)りて相見(しょうけん)す」と。大仙(たいせん)道(いわ)く「孫行者(そんぎょうじゃ)は蓬莱(ほうらい)へ到(いた)り去(ゆ)きしか」と。寿星(じゅせい)道(いわ)く「是(さ)なり。大仙(たいせん)の丹樹(たんじゅ=仙丹の樹)を傷(そこな)いしに因(よ)り、他(かれ)我(わ)が処(ところ)に来(きた)りて方(ほう)を求(もと)めて医(いや)さんとす。我(われ)が輩(ともがら)方(ほう)無(な)く、他(かれ)又(また)別(べつ)の処(ところ)へ到(いた)りて求訪(きゅうほう)す。但(た)だ恐(おそ)らくは聖僧(せいそう)の三日(みっか)の之(の)限(かぎり)を違(たが)えて、《緊箍児呪(きんこじゅ)》を念(ねん)ぜんことを。我(われ)が輩(ともがら)一(ひとつ)は来(きた)りて奉拝(ほうはい)し、二(ふたつ)には箇(こ)の寛限(かんげん=猶予)を討(こ)わん」と。三蔵(さんぞう)言(げん)を聞(き)き、声(こえ)を連(つら)ねて応(こた)えて道(いわ)く「敢(あえ)て念(ねん)ぜず、敢(あえ)て念(ねん)ぜず」と。

正(まさ)に説(と)く処(ところ)、八戒(はっかい)又(また)跑(はし)り進(い)り来(きた)り、福星(ふくせい)を扯(ひ)き住(とど)め、果子(かじ=果物)を討(こ)いて吃(くら)わんと要(ほっ)す。他(かれ)袖(そで)の裏(うち)を去(ゆ)きて乱(みだ)りに摸(さぐ)り、腰(こし)の裏(うち)を乱(みだ)りに吞(のぞ)き、住(や)まず他(かれ)が衣服(ころも)を掲(まく)り上げて捜検(そうけん=身体検査)す。三蔵(さんぞう)笑(わら)って道(いわ)く「那(か)の八戒(はっかい)は是(こ)れ甚(なん)の規矩(きく=作法)ぞ」と。八戒(はっかい)道(いわ)く「没規矩(ぼっきく=不作法)に非(あら)ず、此(こ)れを『番番是福(ばんばんぜふく=繰り返し福を探す)』と做(な)す」と。三蔵(さんぞう)又(また)叱(しか)りて出(い)で去(ゆ)けと令(れい)す。那(か)の呆子(ほうし)[足+宝盖头+瓜](つまず)きて門(もん)を出(い)で、福星(ふくせい)を瞅(にら)み着(つ)け、眼(め)轉(めぐ)らさず発狠(はっこん=いきり立つ)。福星(ふくせい)道(いわ)く「夯貨(こうか)よ!我(われ)那(いず)こに汝(なんじ)を悩(いらだ)たせしや、汝(なんじ)這(こ)の等(ごと)く我(われ)を恨(うら)むか」と。八戒(はっかい)道(いわ)く「汝(なんじ)を恨(うら)むに非(あら)ず、此(こ)れを『回頭望福(かいとうぼうふく=振り返り福を望む)』と做(な)す」と。那(か)の呆子(ほうし)門(もん)を出(い)で得(え)て来(きた)るに、只(ただ)一(ひとり)の小童(しょうどう)の、四把(よつ)の茶匙(ちゃじ=茶さじ)を拿(と)り、方(いま)錘(つち)を尋(たず)ね果(くだもの)を取(と)り茶(ちゃ)を看(み)んと去(ゆ)くを見(み)る。他(かれ)が一把(ひとつかみ)に奪(うば)い過(す)ぎ、殿(でん)へ跑(はし)り上(のぼ)り、小磬児(しょうけいじ=小さな磬)を拿(と)り着(つ)け、手(て)を用(もち)いて乱(みだ)りに敲(たた)き乱(みだ)りに打(う)ち、両頭(りょうとう)に玩耍(がんしゃ=遊び戯)る。大仙(たいせん)道(いわ)く「此(こ)の和尚(おしょう)、愈(いよいよ)不尊重(ふそんちょう=不作法)なり」と。八戒(はっかい)笑(わら)って道(いわ)く「不尊重(ふそんちょう)に非(あら)ず、此(こ)れを『四時吉慶(しじきっけい=四季吉祥)』と做(な)す」と。

且(しばら)く八戒(はっかい)の打諢(だこん=冗談)乱纏(らんてん=絡み)を説(い)わず、却(かえ)って表(ひょう)す、行者(ぎょうじゃ)祥雲(しょううん)を縦(ほしいまま)にして蓬莱(ほうらい)を離(はな)れ、又(また)早(はや)くも方丈仙山(ほうじょうせんざん)に到(いた)る。此(こ)の山(やま)真(まこと)に好(よ)き去処(ところ)、詩(し)有(あ)りて証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く

方丈(ほうじょう)巍峨(ぎが=高くそびえ)として別(べつ)に是(こ)れ天(てん)、
太元宮府(たいげんきゅうふ)神仙(しんせん)を会(あつ)む。
紫台(しだい)光(ひかり)照(てら)す三清(さんせい)の路(みち)、
花木(かぼく)香(こう)浮(うか)ぶ五色(ごしき)の烟(けむり)。
金鳳(きんぽう)自(おのずか)ら多(おお)く蕊闕(ずいけつ=花の宮)に槃(めぐ)り、
玉膏(ぎょくこう=玉の脂)誰(たれ)か逼(せま)って芝田(しでん=霊芝の畑)に灌(そそ)がんや。
碧桃紫李(へきとうしり=桃と李)新(あら)たに成熟(せいじゅく)し、
又(また)仙人(せんにん)の万年(まんねん)の信(しるし)を換(か)う。

那(か)の行者(ぎょうじゃ)雲頭(うんとう)を按(おさ)え落(おろ)し、景(けい)を玩(もてあそ)ぶに心(こころ)無(な)く、正(まさ)に走(ある)く処(ところ)、只(た)だ香風(こうふう)馥馥(ふくふく=芳しく)、玄鶴(げんかく=黒き鶴)の声(こえ)鳴(な)るを聞(き)き得(う)。那(か)の壁廂(へきしょう=向こう側)に箇(こ)の神仙(しんせん)有(あ)り。但(ただ)見(み)れば

盈空(えいくう)万道(ばんどう)の霞光(かこう)現(あらわ)れ、
彩霧(さいむ)飄颻(ひょうよう=漂う)として光(ひかり)断(た)ゆること無(な)し。
丹鳳(たんぽう)花(はな)を銜(くわ)えて也(また)更(さら)に鮮(あざ)やかに、
青鸞(せいらん)飛舞(ひぶ)して声(こえ)嬌艶(きょうえん=艶めかし)。
福(ふく)は東海(とうかい)の如(ごと)く寿(じゅ)は山(やま)の如(ごと)く、
貌(かたち)小童(しょうどう)に似(に)て身体(しんたい)健(すこ)やかなり。
壷(つぼ)に洞天(どうてん)の不老丹(ふろうたん)を隠(かく)し、
腰(こし)に与日長生篆(よじつちょうせいてん=日と共に長生の札)を懸(か)く。
人間(にんげん)に数次(すうじ=幾度)か降(くだ)りて禎祥(ていしょう=吉祥)を降(こう)し、
世上(せじょう)に幾番(いくたび)か厄願(やくがん=災いの願)を消(け)す。
武帝(ぶてい)曾(かつ)て宣(のたま)いて寿齢(じゅれい)を加(くわ)え、
瑶池(ようち)に毎(つね)に蟠桃宴(ばんとうえん)に赴(おもむ)く。
衆僧(しゅそう)を教化(きょうけ)して俗縁(ぞくえん)を脱(だっ)せしめ、
大道(だいどう)を指開(しおん=示し開き)て明(あきらか)なること電(いなずま)の如(ごと)し。
曾(かつ)て海(うみ)を跨(また)いで千秋(せんしゅう=千年)を祝(いわ)い、
常(つね)に霊山(りょうざん)に去(ゆ)きて仏面(ぶつめん=仏の顔)を参(さん)ず。
聖号(せいごう)は東華大帝君(とうかだいていくん)と称(しょう)し、
烟霞(えんか)第一(だいいち)の神仙(しんせん)の眷(けん=連れ)なり。

孫行者(そんぎょうじゃ)觌面(てきめん=面と向かい)相迎(むか)え、一声(ひとこえ)「帝君(ていくん)、起手(きしゅ=挨拶)了(おわ)らん」と叫(よ)ぶ。那(か)の帝君(ていくん)慌(あわ)てて回礼(かんれい)して道(いわ)く「大聖(たいせい)、失迎(しつげい)。請(こ)う荒居(こうきょ=粗末な住まい)に奉茶(ほうちゃ=茶を供す)せん」と。遂(つい)に行者(ぎょうじゃ)と手(て)を攙(から)みて入(い)る。果然(かぜん)是(こ)れ貝闕仙宮(ばいけつせんきゅう=貝の宮殿)、瑶池瓊閣(ようちけいかく=瑶池と玉の楼)の尽(つく)し看(み)る能(あた)わざる有(あ)り。方(はじ)めて坐(ざ)して茶(ちゃ)を待(ま)つ処(ところ)、只(ただ)翠屏(すいへい=緑の屏風)の後(うしろ)より一(ひとり)の童児(どうじ)の転(まわ)り出(い)づるを見(み)る。他(かれ)怎(いか)に生(な)る打扮(だはん=身なり)ぞ

身(み)に道服(どうふく)を穿(き)て霞(かすみ)の爍(きらめ)くを飄(ひるがえ)し、
腰(こし)に絲縧(しとう=絹の帯)を束(しば)りて光(ひかり)錯落(さくらく=きらめく)。
頭(かしら)に綸巾(りんきん=絹の頭巾)の布斗星(ふとうせい=北斗を布く)を戴(いただ)き、
足(あし)に芒履(ぼうり=藁靴)を登(は)いて仙岳(せんがく=仙山)を遊(あそ)ぶ。
元真(げんしん=根源の真)を煉(ね)り、本殻(ほんこく=元の殻)を脱(だっ)し、
功行(こうぎょう)成(な)る時(とき)意(こころ)の如(ごと)く楽(たの)しむ。
原流(げんりゅう=源流)精気神(せいきしん)を識破(しきは)し、
主人(しゅじん)認得(にんとく)して虚錯(きょさく=誤り)無(な)し。
名(な)を逃(のが)れて今(いま)喜(よろこ)ばしく寿(じゅ)無疆(むきょう)にして、
甲子(かっし=六十年)周天(しゅうてん)も管(かん)し着(つ)かず。
回廊(かいろう=廊下)を転(めぐ)り、宝閣(ほうかく)に登(のぼ)り、
天上(てんじょう)の蟠桃(ばんとう)三度(さんど)摸(さぐ)る。
縹緲(ひょうびょう=かすか)たる香雲(こううん)翠屏(すいへい)より出(い)づ、
小仙(しょうせん)は乃(すなわ)ち是(こ)れ東方朔(とうほうさく)なり。

行者(ぎょうじゃ)見(み)て、笑(わら)って道(いわ)く「此(こ)の小賊(しょうぞく)此(ここ)に在(あ)るか!帝君(ていくん)の処(ところ)に桃子(とうじ=桃)無(な)きに汝(なんじ)偷(ぬす)み吃(くら)えるか」と。東方朔(とうほうさく)朝(ちょう)の上(うえ)に向(むか)って進(すす)み礼(れい)し、答(こた)えて道(いわ)く「老賊(ろうぞく)よ、汝(なんじ)此(ここ)へ来(きた)りて怎(どう)するか。我(わ)が師父(しふ)に仙丹(せんたん)無(な)きに汝(なんじ)偷(ぬす)み吃(くら)えるか」と。帝君(ていくん)叫(よ)んで道(いわ)く「曼倩(まんせん)乱言(らんげん=戯言)を休(や)めよ、茶(ちゃ)を看(み)て来(きた)れ」と。曼倩(まんせん)は原来(げんらい)東方朔(とうほうさく)の道名(どうみょう)、他(かれ)急(いそ)ぎ裏(うち)に入(い)り茶(ちゃ)二杯(にはい)を取(と)る。飲(の)み訖(おわ)り、行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「老孫(ろうそん)此(こ)の来(らい)、一(ひとつ)の事(こと)の奉干(ほうかん=お願い)有(あ)り、允(ゆる)すや否(いな)やを未(いま)だ知(し)らず」と。帝君(ていくん)道(いわ)く「何事(なにごと)ぞ?自(おのずか)ら当(まさ)に教(おしえ)を領(う)くべし」と。

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「近(ちか)ごろ唐僧(とうそう)を保(ほ)して西(にし)へ行(ゆ)くに因(よ)り、路(みち)万寿山(まんじゅざん)五荘観(ごしょうかん)を過(す)ぐるに、他(かれ)が那(か)の小童(しょうどう)の無状(ぶじょう=無礼)なるに因(よ)り、是(ここ)に我(われ)一時(いちじ)怒(いかり)を発(はっ)し、他(かれ)が人参果樹(にんじんかじゅ)を把(もっ)て推(お)し倒(たお)せり。此(これ)に因(よ)りて阻滞(そたい)し、唐僧(とうそう)身(み)を脱(のが)るるを得(え)ず。特(こと)に尊処(そんしょ=貴殿の元)に来(きた)りて一方(いっぽう)を賜(たま)わりて医(いや)さんことを求(もと)む、万(よろず)望(のぞ)むらくは慨然(がいぜん=快く)たれ」と。

帝君(ていくん)道(いわ)く「汝(なんじ)が這(こ)の猴子(こうし)、一二(いちに=分別)を管(かん)せず、到(いた)る処(ところ)の裏(うち)にて禍(わざわい)を闖(つ)くるるかな。那(か)の五荘観(ごしょうかん)の鎮元子(ちんげんし)、聖号(せいごう)を与世同君(よせいどうくん)と称(しょう)し、乃(すなわ)ち地仙(ちせん)の祖(そ)なり。汝(なんじ)怎(どう)して就(すなわ)ち他(かれ)を衝撞(しょうどう=ぶつか)り出(いだ)せしや。他(かれ)が那(か)の人参果樹(にんじんかじゅ)は、乃(すなわ)ち草還丹(そうかんたん)なり。汝(なんじ)偷(ぬす)み吃(くら)いて、尚(なお)罪(つみ)有(あ)りと説(い)う;却(かえ)って又(また)樹(き)を連(つら)ねて推(お)し倒(たお)せば、他(かれ)肯(あえ)て干休(かんきゅう=手を引く)せんや」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「正(まさ)に是(こ)れなり。我(われ)等(ら)走(に)げ脱(のが)れたるに、他(かれ)に赶(お)い上(のぼ)られ、我(われ)等(ら)を将(もっ)て汗巾児(かんきんじ=汗拭き)の一般(ごと)に当(あ)て、一袖子(ひと袖)に都(みな)籠(かご)い去(さ)られたり。所以(ゆえ)に閣気(かくき=揉める)。没奈何(どうしようもなく)、他(かれ)に方(ほう)を求(もと)めて医(いや)さんことを許(ゆる)せり。故此(ゆえ)に拝(はい)して求(もと)む」と。帝君(ていくん)道(いわ)く「我(われ)一粒(いちりゅう)の『九転太乙還丹(くてんたいおつかんたん)』有(あ)り。但(た)だ能(よ)く世間(せけん)の生霊(せいれい=生き物)を治(なお)すも、却(かえ)って樹(き)を医(いや)す能(あた)わず。樹(き)は乃(すなわ)ち土木(どぼく)の霊(れい)、天(てん)滋(うるお)し地(ち)潤(うるお)す。若(も)し是(こ)れ凡間(ぼんかん)の果木(かぼく)ならば、医(いや)すこと還(また)可(か)なり;這(こ)の万寿山(まんじゅざん)は乃(すなわ)ち先天(せんてん)の福地(ふくち)、五荘観(ごしょうかん)は乃(すなわ)ち賀洲(がしゅう)の洞天(どうてん)、人参果(にんじんか)は又(また)天開地闢(てんかいちびゃく=天地開闢)の霊根(れいこん)、如何(いかん)ぞ治(なお)す可(べき)や!無方(むほう)!無方(むほう)」と。

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「既(すで)に方(ほう)無(な)くんば、老孫(ろうそん)告別(こくべつ)せん」と。帝君(ていくん)仍(なお)玉液(ぎょくえき=仙酒)一杯(いっぱい)を奉(ほう)じて留(とど)めんと欲(ほっ)す。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「急救(きゅうきゅう)の事(こと)緊(きん)なり、敢(あえ)て久(ひさ)しく滞(とどこお)らず」と。遂(つい)に雲(くも)を駕(が)して復(また)瀛洲海島(えいしゅうかいとう)に至(いた)る。也(また)好(よ)き去処(ところ)、詩(し)有(あ)りて証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く

珠樹(じゅじゅ=珠の樹)玲瓏(れいろう=透き通る)として紫烟(しえん)を照(てら)し、
瀛洲(えいしゅう)の宮闕(きゅうけつ)諸天(しょてん)に接(せっ)す。
青山緑水(せいざんりょくすい)琪花(きか=美しき花)艶(あで)やかに、
玉液(ぎょくえき)錕鉄(こんてつ)石(いし)の堅(かた)きあり。
五色(ごしき)の碧鶏(へきけい)海日(かいじつ)に啼(な)き、
千年(せんねん)の丹鳳(たんぽう)朱烟(しゅえん)を吸(す)う。
世人(せじん)罔(くら)くして壷中(こちゅう)の景(けい)を究(きわ)め、
象外(ぞうがい=現象の外)の春光(しゅんこう)億万年(おくまんねん)なり。

那(か)の大聖(たいせい)瀛洲(えいしゅう)に至(いた)るに、只(ただ)那(か)の丹崖珠樹(たんがいじゅじゅ=朱き崖と珠の樹)の下(した)に、幾(いく)つかの皓発皤髯(こうはつはぜん=白き髪と髭)の輩(ともがら)、童顔鶴鬢(どうがんかくびん=童の顔と鶴の鬢)の仙(せん)の、那(あ)そこに在(あ)って棋(ご)を着(う)ち酒(さけ)を飲(の)み、談笑(だんしょう)謳歌(おうか=歌い興ず)るを見(み)る。真個(しんこ)に是(こ)れ

祥雲(しょううん)光(ひかり)満(み)ち、瑞靄(ずいあい=瑞雲)香(こう)浮(うか)ぶ。
彩鸞(さいらん)洞口(どうこう)に鳴(な)き、玄鶴(げんかく)山頭(さんとう)に舞(ま)う。
碧藕(へきぐう=碧き蓮根)水桃(すいとう=水蜜桃)按酒(あんしゅ=酒の肴)と為(な)し、
交梨火棗(こうりかそう=梨と棗)寿(じゅ)千秋(せんしゅう)なり。
一(ひと)つ一(ひと)つ丹詔(たんしょう=天子の詔)聞(き)く無(な)く、仙符(せんぷ)籍(せき)有(あ)り;
逍遥(しょうよう)浪蕩(ろうとう=浮世離れ)に随(したが)い、散淡(さんたん=淡々)清幽(せいゆう)に任(まか)す。
周天(しゅうてん)の甲子(かっし)拘(かか)え管(かん)し難(がた)く、大地(だいち)乾坤(けんこん)只(た)だ自由(じゆう)。
果(くだもの)を献(けん)ずる玄猿(げんえん)、対対(ついがい)参随(さんずい=従い)て美愛(びあい)多(おお)く;
花(はな)を銜(くわ)うる白鹿(はくろく)、双双(そうそう)拱伏(きょうふく=伏し従い)して甚(はなは)だ綢繆(ちゅうびゅう=睦まじ)。

那(か)の老児(ろうじ)等(ら)正(まさ)に然(しか)く洒楽(しゃらく=楽しむ)するに、這(こ)の行者(ぎょうじゃ)厳(いか)しき声(こえ)を高(たか)くして叫(よ)んで道(いわ)く「我(われ)を帯(つ)れて耍耍児(しゃしゃじ=ちょいと遊ば)するは便(すなわ)ち怎(どう)か」と。衆仙(しゅうせん)見(み)て、急(いそ)ぎ歩(あゆみ)を趋(はし)らせて相迎(むか)う。詩(し)有(あ)りて証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く

人参果樹(にんじんかじゅ)霊根(れいこん)折(お)られ、
大聖(たいせい)仙(せん)を訪(たず)ねて妙訣(みょうけつ=妙なる秘訣)を求(もと)む。
丹霞(たんか)繚繞(りょうじょう=たなびき)て宝林(ほうりん)より出(い)づ、
瀛洲(えいしゅう)の九老(きゅうろう)来(きた)りて相接(あいまみ)ゆ。

行者(ぎょうじゃ)認(みと)めて是(こ)れ九老(きゅうろう)なりと、笑(わら)って道(いわ)く「老兄弟(ろうきょうだい)達(たち)自在(じざい=悠々)なるかな」と。九老(きゅうろう)道(いわ)く「大聖(たいせい)当年(とうねん)若(も)し正(しょう=正道)を存(ぞん)じて、天宮(てんぐう)を鬧(さわ)がざりせば、我(われ)等(ら)よりも還(また)自在(じざい)なりしならん。如今(にこん)好(よ)くなりたり、汝(なんじ)真(しん)に帰(き)して西(にし)へ仏(ほとけ)を拝(はい)すと聞(き)くに、如何(いかん)ぞ暇(ひま)を得(え)て此(ここ)に至(いた)れる」と。行者(ぎょうじゃ)那(か)の医樹求方(いじゅきゅうほう=樹を医し方を求む)の事(こと)を将(もっ)て、具(つぶさ)に一(ひと)遍(わたり)陳(の)べたり。九老(きゅうろう)也(また)大(おお)いに驚(おどろ)いて道(いわ)く「汝(なんじ)も忒(はなは)だ禍(わざわい)を惹(ひ)けり!禍(わざわい)を惹(ひ)けり!我(われ)等(ら)実(じつ)に是(こ)れ無方(むほう)なり」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「既(すで)に是(こ)れ無方(むほう)ならば、我(われ)且(しばら)く奉別(ほうべつ=お暇)せん」と。

九老(きゅうろう)又(また)他(かれ)を留(とど)めて瓊漿(けいしょう=仙酒)を飲(の)ませ、碧藕(へきぐう)を食(くら)わしむ。行者(ぎょうじゃ)定(さだ)めて肯(あえ)て坐(ざ)せず、只(た)だ立(た)ちて他(かれ)が一杯(いっぱい)の漿(しょう)を飲(の)み、一塊(ひとかたまり)の藕(れんこん)を吃(くら)い、急急(きゅうきゅう)と瀛洲(えいしゅう)を離(はな)れ、径(ただ)ちに東洋大海(とうようたいかい)を転(めぐ)る。早(はや)くも落伽山(らくかざん)の遠(とお)からざるを望(のぞ)み見(み)る。遂(つい)に雲頭(うんとう)を落(おろ)し、直(ただ)ちに普陀岩(ふだがん)の上(うえ)に到(いた)る。観音菩薩(かんのんぼさつ)の紫竹林(しちくりん)の中(なか)に在(あ)って、諸天大神(しょてんだいしん)、木吒(もくた)、龍女(りゅうじょ)と講経説法(こうきょうせっぽう)するを見(み)る。詩(し)有(あ)りて証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く

海主城(かいしゅじょう)高(たか)く瑞気(ずいき)濃(こま)やかに、
更(さら)に観(み)る奇异(きい)の事(こと)の窮(きわま)り無(な)きを。
須(かなら)ず知(し)れ、隠約(いんやく=おぼろ)たる千般(せんぱん)の外(そと)も、
尽(ことごと)く希微(きび=かすか)なる一品(いっぽん)の中(うち)より出(い)づるを。
四聖(しせい)授(さず)かる時(とき)正果(しょうか)を成(な)し、
六凡(ろくぼん)聴(き)きし後(のち)樊籠(はんろう=鳥籠)を脱(だっ)す。
少林(しょうりん)別(べっ)に真(しん)の滋味(じみ=味わい)有(あ)り、
花果(かか)馨香(けいこう=芳しき香)樹(き)に満(み)ちて紅(くれない)なり。

那(か)の菩薩(ぼさつ)早(はや)くも已(すで)に行者(ぎょうじゃ)の来(きた)り到(いた)るを見(み)て、即(すなわ)ち守山大神(しゅざんだいしん)に命(めい)じて迎(むか)え去(ゆ)かしむ。那(か)の大神(だいしん)林(はやし)を出(い)でて来(きた)り、一声(ひとこえ)「孫悟空(そんごくう)、那(いず)こへ去(ゆ)くか」と叫(よ)ぶ。行者(ぎょうじゃ)頭(かしら)を抬(あ)げて喝(かつ)して道(いわ)く「汝(なんじ)が此(こ)の熊羆(ゆうひ=黒熊)!我(われ)は是(こ)れ汝(なんじ)が叫(よ)ぶ悟空(ごくう)か。当初(とうしょ)老孫(ろうそん)が汝(なんじ)を饒(ゆる)さざりせば、汝(なんじ)已(すで)に此(これ)黒風山(こくふうざん)の尸鬼(しき=死霊)と做(な)りたり。今日(こんにち)菩薩(ぼさつ)に跟(したが)い、善果(ぜんか)を受(う)け、此(こ)の仙山(せんざん)に居(きょ)し、常(つね)に法教(ほうきょう=教え)を聴(き)くに、汝(なんじ)我(われ)を一声(ひとこえ)の老爺(ろうや=旦那)と叫(よ)ぶを得(え)ざるか」と。那(か)の黒熊(こくゆう)真個(しんこ)に正果(しょうか)を得(え)て、菩薩(ぼさつ)の処(ところ)に在(あ)って普陀(ふだ)を鎮守(ちんしゅ)し、大神(だいしん)と称(しょう)せらるるは、是(こ)れ也(また)行者(ぎょうじゃ)に虧(よ)れるなり。他(かれ)只(た)だ陪笑(ばいしょう=愛想笑い)して道(いわ)く「大聖(たいせい)、古人(こじん)云(いわ)く、君子(くんし)は旧悪(きゅうあく)を念(おも)わずと、只(た)だ管(かま)わず他(かれ)を題(だい=持ち出)するは怎(どう)ならん!菩薩(ぼさつ)我(われ)をして来(きた)りて汝(なんじ)を迎(むか)えしむるなり」と。這(こ)の行者(ぎょうじゃ)就(すなわ)ち端粛尊誠(たんしゅくそんせい=謹み敬い)して、大神(だいしん)と紫竹林(しちくりん)の裏(うち)に到(いた)り、菩薩(ぼさつ)を参拝(さんぱい)す。

菩薩(ぼさつ)道(いわ)く「悟空(ごくう)、唐僧(とうそう)行(ゆ)きて何(いず)れの処(ところ)に到(いた)れるや」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「行(ゆ)きて西牛賀洲(せいぎゅうがしゅう)万寿山(まんじゅざん)に到(いた)れり」と。菩薩(ぼさつ)道(いわ)く「那(か)の万寿山(まんじゅざん)に一(ひとつ)の座(ざ)の五荘観(ごしょうかん)有(あ)り。鎮元大仙(ちんげんたいせん)に、汝(なんじ)曾(かつ)て他(かれ)に会(あ)えるか」と。行者(ぎょうじゃ)頓首(とんしゅ=額づき)して道(いわ)く「五荘観(ごしょうかん)に在(あ)るに因(よ)りて、弟子(でし)鎮元大仙(ちんげんたいせん)を識(し)らず、他(かれ)が人参果樹(にんじんかじゅ)を毀傷(きしょう=損ない)、他(かれ)を衝撞(しょうどう)せしに、他(かれ)就(すなわ)ち我(わ)が師父(しふ)を困滞(こんたい=足止め)し、前進(ぜんしん)するを得(え)ざらしむ」と。那(か)の菩薩(ぼさつ)情(じょう)を知(し)り、怪(あやし)んで道(いわ)く「汝(なんじ)が此(こ)の潑猴(はっこう=暴れ猿)、好歹(よしあし)を知(し)らず!他(かれ)が那(か)の人参果樹(にんじんかじゅ)は、乃(すなわ)ち天開地闢(てんかいちびゃく)の霊根(れいこん);鎮元子(ちんげんし)は乃(すなわ)ち地仙(ちせん)の祖(そ)、我(われ)も也(また)他(かれ)に三分(さんぶん)を讓(ゆず)る;汝(なんじ)怎(どう)して就(すなわ)ち他(かれ)が樹(き)を打(う)ち傷(そこな)えるか」と。行者(ぎょうじゃ)再(ふたた)び拝(はい)して道(いわ)く「弟子(でし)実(じつ)に是(こ)れ知(し)らざりき。那(か)の一日(いちじつ)、他(かれ)家(いえ)に在(あ)らず、只(た)だ二個(ふたり)の仙童(せんどう)有(あ)りて、我(われ)等(ら)を候待(こうたい=もてな)せり。是(ここ)に猪悟能(ちょごのう)他(かれ)に果子(かじ)有(あ)るを暁(さと)り得(え)て、一(ひとつ)を要(よう)して新(あらた)を嘗(な)めんとし、弟子(でし)委(まこと)に他(かれ)が三個(みっつ)を偷(ぬす)み、兄弟(きょうだい)等(ら)分(わか)ち吃(くら)えり。那(か)の童子(どうじ)覚(さと)り知(し)り、我(われ)等(ら)を罵(ののし)ること已(や)む無(な)く、是(ここ)に弟子(でし)怒(いかり)を発(はっ)し、遂(つい)に他(かれ)が樹(き)を将(もっ)て推(お)し倒(たお)せり。他(かれ)次日(じつじ=翌日)回(かえ)り来(きた)りて赶(お)い上(のぼ)り、我(われ)等(ら)を将(もっ)て一袖子(ひと袖)に籠(かご)い去(さ)り、繩(なわ)绑(しば)り鞭(むち)抽(う)ち、拷打(ごうだ=拷問)すること一日(いちにち)なり。我(われ)等(ら)当夜(とうや)走(に)げ脱(のが)れたるに、又(また)他(かれ)に赶(お)い上(のぼ)られ、依然(いぜん)として籠(かご)われたり。三番両次(さんぱんりょうじ=幾度も)、其(そ)の実(じつ)逃(のが)れ難(がた)く、已(すで)に他(かれ)に与(あた)えて樹(き)を医(いや)さんことを允(ゆる)せり。却(かえ)って才(ようや)く海(うみ)の之(うえ)より方(ほう)を求(もと)め、三島(さんとう)を遍(あまね)く遊(あそ)ぶも、衆神仙(しゅうしんせん)都(みな)本事(ほんじ)有(あ)らず。弟子(でし)此(これ)に因(よ)りて志心(ししん=心を尽くし)朝礼(ちょうらい=礼拝)し、特(こと)に拝(はい)して菩薩(ぼさつ)に告(もう)す。伏(ふ)して望(のぞ)むらくは慈憫(じびん=慈悲)をもて、俯(ふ)して一方(いっぽう)を賜(たま)わり、以(もっ)て唐僧(とうそう)の早(はや)く西(にし)へ去(ゆ)くを救(すく)わんことを」と。菩薩(ぼさつ)道(いわ)く「汝(なんじ)怎(どう)して早(はや)く来(きた)りて我(われ)に見(まみ)えず、却(かえ)って島(しま)の之(うえ)へ往(ゆ)きて尋找(じんさが=探し求)めしや」と。

行者(ぎょうじゃ)此(こ)の言(げん)を聞(き)き得(え)て、心中(しんちゅう)暗(あん)に喜(よろこ)んで道(いわ)く「造化(ぞうか=幸運)なり!造化(ぞうか)なり!菩薩(ぼさつ)必(かなら)ず方(ほう)有(あ)らん」と。他(かれ)又(また)上(のぼ)り前(すす)んで懇求(こんぐ=懇願)す。菩薩(ぼさつ)道(いわ)く「我(わ)が此(こ)の浄瓶(じょうへい)の底(そこ)の『甘露水(かんろすい)』は、善(よ)く仙樹霊苗(せんじゅれいびょう=仙木の苗)を治(なお)し得(う)」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「曾(かつ)て経験(けいけん=試み)せること有(あ)るか」と。菩薩(ぼさつ)道(いわ)く「経験(けいけん)過(す)ぎたり」と。行者(ぎょうじゃ)問(と)う「何(なん)の経験(けいけん)有(あ)るか」と。菩薩(ぼさつ)道(いわ)く「当年(とうねん)太上老君(たいじょうろうくん)曾(かつ)て我(われ)と勝(しょうぶ)を賭(か)けり:他(かれ)我(わ)が楊柳枝(ようりゅうし)を把(もっ)て拔(ぬ)き去(さ)り、煉丹炉(れんたんろ)の裏(うち)に放(お)き入(い)れ、炙(あぶ)りて焦(こ)げ干(から)からせ、送(おく)り来(きた)りて我(われ)に還(かえ)せり。是(ここ)に我(われ)拿(と)りて瓶(へい)の中(なか)に插(さ)し込(こ)めば、一昼夜(いちちゅうや)にして、復(また)青枝緑葉(せいしりょくよう)を得(え)、旧(きゅう)と相同(あいおな)じかりき」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く「真(まこと)に造化(ぞうか)なり!真(まこと)に造化(ぞうか)なり!烘(あぶ)り焦(こ)がしたるすら尚(なお)能(よ)く医(いや)し活(い)かすに、況(いわん)や此(こ)の推(お)し倒(たお)したるにおいては、何(なん)の難(かた)きこと有(あ)らんや」と。菩薩(ぼさつ)大衆(だいしゅ)に吩咐(いいつけ)て曰(いわ)く「林(はやし)の中(なか)を看守(かんしゅ)せよ、我(われ)去(ゆ)き去(ゆ)きして来(きた)らん」と。遂(つい)に手(て)に浄瓶(じょうへい)を托(の)せ、白鸚哥(はくおうか=白い鸚鵡)前辺(まえ)にて巧(たくみ)に囀(さえず)り、孫大聖(そんたいせい)後(うしろ)より相従(しょうじゅう=従う)。詩(し)有(あ)りて証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く

玉毫金象(ぎょくごうきんぞう)世(よ)に論(ろん)じ難(がた)く、
正(まさ)に是(こ)れ慈悲救苦(じひきゅうく)の尊(そん)なり。
過去劫(かこごう)に無垢仏(むくぶつ)に逢(あ)い、
至今(しこん)成(な)し得(え)たり有為身(ういしん)を。
幾生(いくしょう)も欲海(よくかい)の澄清浪(ちょうせいろう=澄みきった波)を、
一片(いっぺん)の心田(しんでん=心の畑)に点塵(てんじん=僅かな塵)を絶(た)つ。
甘露(かんろ)久(ひさ)しく真妙法(しんみょうほう)を経(へ)て、
管(きっと)教(おし)えん宝樹(ほうじゅ)の永(なが)く春(はる)に長(ちょう)ずることを。

却(かえ)って説(と)く、那(か)の観(かん)の裏(うち)の大仙(たいせん)と三老(さんろう)正(まさ)に然(しか)く清話(せいわ=清談)せる処(ところ)、忽(たちま)ち孫大聖(そんたいせい)の雲頭(うんとう)を按(おさ)え落(おろ)し、叫(よ)んで道(いわ)く「菩薩(ぼさつ)来(きた)れり、快(はや)く接(むか)えよ快(はや)く接(むか)えよ」と。慌(あわ)てて那(か)の三星(さんせい)と鎮元子(ちんげんし)共(とも)に三蔵(さんぞう)師徒(しと)と、一斉(いっせい)に宝殿(ほうでん)より迎(むか)え出(い)づ。菩薩(ぼさつ)才(ようや)く祥雲(しょううん)を住(とど)め、先(ま)ず鎮元子(ちんげんし)と話(はなし)を陪(とも)にし、後(のち)に三星(さんせい)と作礼(されい=挨拶)す。礼(れい)畢(おわ)りて上坐(じょうざ)す。那(か)の階前(かいぜん=階段の前)に、行者(ぎょうじゃ)唐僧(とうそう)、八戒(はっかい)、沙僧(さそう)を引(ひ)きて都(みな)拝(はい)せり。

那(か)の観中(かんちゅう)の諸仙(しょせん)也(また)来(きた)りて拝見(はいけん)す。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「大仙(たいせん)必(かなら)ずしも遅疑(ちぎ=ためらう)すること無(な)かれ、早(はや)く香案(こうあん=香炉の台)を陳設(ちんせつ=設け)し、菩薩(ぼさつ)を請(しょう)じて汝(なんじ)に替(かわ)りて那(か)の甚(なん)の果樹(かじゅ)を治(なお)し去(さ)らしめよ」と。大仙(たいせん)躬身(きゅうしん=身を屈め)して菩薩(ぼさつ)に謝(しゃ)して道(いわ)く「小可(しょうか=些細)の勾当(こうとう=用事)、怎(どう)して敢(あえ)て菩薩(ぼさつ)の下降(げこう=下り来る)を労(ろう)せんや」と。菩薩(ぼさつ)道(いわ)く「唐僧(とうそう)は乃(すなわ)ち我(わ)が之(の)弟子(でし)、孫悟空(そんごくう)先生(せんせい)を衝撞(しょうどう)せり。理(り)当(まさ)に宝樹(ほうじゅ)を賠償(ばいしょう=償う)すべし」と。三老(さんろう)道(いわ)く「既(すで)に此(かく)の如(ごと)くならば、須(もち)いず謙講(けんこう=遠慮し合う)ことを。請(こ)う菩薩(ぼさつ)都(みな)園中(えんちゅう)へ到(いた)り去(ゆ)きて一(ひと)つ看(み)られよ」と。

那(か)の大仙(たいせん)即(すなわ)ち香案(こうあん)を設(もう)け具(そな)え、後園(こうえん)を掃除(そうじ)し、菩薩(ぼさつ)の先(さき)に行(ゆ)くを請(しょう)じ、三老(さんろう)後(うしろ)より随(したが)う。三蔵(さんぞう)師徒(しと)と本観(ほんかん)の衆仙(しゅうせん)、都(みな)園内(えんない)に到(いた)りて観看(かんかん)する時(とき)、那(か)の樹(き)地(ち)の下(した)に倒(たお)れ在(あ)り、土(つち)開(ひら)き根(ね)現(あらわ)れ、葉(は)落(お)ち枝(えだ)枯(か)れたり。菩薩(ぼさつ)叫(よ)んで曰(いわ)く「悟空(ごくう)、手(て)を伸(の)ばせ」と。那(か)の行者(ぎょうじゃ)左手(ひだりて)を将(もっ)て伸(の)ばし開(ひら)く。菩薩(ぼさつ)楊柳枝(ようりゅうし)を将(もっ)て、瓶(へい)の中(なか)の甘露(かんろ)を蘸(ひた)し出(いだ)し、行者(ぎょうじゃ)が手(て)の心(うち)の裏(うち)に一道(いちどう)の起死回生(きしかいせい)の符字(ふじ=呪符)を画(えが)き、他(かれ)をして樹(き)の根(ね)の下(した)に放(お)き、但(た)だ水(みず)の出(い)づるを看(み)て度(ど=限り)と為(な)せと教(おし)う。那(か)の行者(ぎょうじゃ)拳(こぶし)を捏(ひね)り着(つ)け、那(か)の樹(き)の根(ね)の底(そこ)の下(した)へ往(ゆ)きて揣(おしこ)むに、須臾(しゅゆ=しばらく)にして清泉(せいせん)一汪(いちおう=ひとたまり)有(あ)り。菩薩(ぼさつ)道(いわ)く「那(か)の水(みず)は五行(ごぎょう)の器(うつわ)を犯(おか)すを許(ゆる)さず、須(かなら)ず玉瓢(ぎょくひょう=玉の柄杓)を用(もち)いて舀(く)み出(いだ)し、樹(き)を扶(たす)け起(おこ)し、頭(こうべ)より澆(そそ)ぎ下(くだ)せ。然(しか)らば自(おのずか)ら根皮(こんぴ=根と皮)相合(あいがっ)し、葉(は)長(の)び芽(め)生(しょう)じ、枝(えだ)青(あお)く果(み)出(い)づ」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「小道士(しょうどうし)達(たち)、快(はや)く玉瓢(ぎょくひょう)を取(と)り来(きた)れ」と。鎮元子(ちんげんし)道(いわ)く「貧道(ひんどう)の荒山(こうざん)に、玉瓢(ぎょくひょう)無(な)く、只(た)だ玉茶盞(ぎょくたさん=玉の茶碗)、玉酒杯(ぎょくしゅはい=玉の盃)有(あ)るのみ、用(もち)い得(う)るや」と。菩薩(ぼさつ)道(いわ)く「但(た)だ是(こ)れ玉器(ぎょくき=玉の器)にして、水(みず)を舀(く)み得(う)れば便(すなわ)ち罷(よ)し、取(と)り将(も)ち来(きた)りて看(み)よ」と。

大仙(たいせん)即(すなわ)ち小童子(しょうどうじ)に命(めい)じて取(と)り出(いだ)さしむるに、二三十個(にさんじゅうこ)の茶盞(ちゃさん=茶碗)、四五十個(しごじゅうこ)の酒盞(しゅさん=盃)有(あ)り。却(かえ)って那(か)の根(ね)の下(した)の清泉(せいせん)を将(もっ)て舀(く)み出(いだ)す。行者(ぎょうじゃ)、八戒(はっかい)、沙僧(さそう)、樹(き)を扛起(こうき=担ぎ上げ)、扶(たす)けて周正(しゅうせい=まっすぐ)を得(え)しめ、土(つち)を擁(かぶ)せ上(あ)げ、玉器(ぎょくき)の内(うち)の甘泉(かんせん)を将(もっ)て、一甌一甌(いちおういちおう=一杯ずつ)捧(ささ)げて菩薩(ぼさつ)に与(あた)う。菩薩(ぼさつ)楊柳枝(ようりゅうし)を将(もっ)て細細(さいさい=細かく)洒(そそ)ぎ上(あ)げ、口(くち)中(うち)又(また)経呪(きょうじゅ=経文)を念(ねん)ず。多(おお)からず時(とき)にして、那(か)の舀(く)み出(いだ)せる之(の)水(みず)を洒(そそ)ぎ浄(きよ)むるに、只(ただ)那(か)の樹(き)の果然(かぜん)依然(いぜん)として青枝緑葉(せいしりょくよう)濃郁陰森(のういくいんしん=生い茂り)たるを見(み)る。之(うえ)に二十三(にじゅうさん)の人参果(にんじんか)有(あ)り。清風(せいふう)、明月(めいげつ)の二童子(にどうじ)道(いわ)く「前日(せんじつ)果子(かじ)の見(み)えざりし時(とき)、颠倒(てんとう=あれこれ)只(た)だ二十二(にじゅうに)を数(かぞ)え得(う)るのみなりしに、今日(きょう)回生(かいせい)して、怎(どう)して又(また)一(ひとつ)多(おお)きか」と。行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く「日久(ひひさ)ければ人心(じんしん)を見(み)る。前日(せんじつ)老孫(ろうそん)只(た)だ三(みっつ)を偷(ぬす)みしが、那(か)の一(ひとつ)地(ち)に落(お)ち下(くだ)り来(きた)るを、土地(とち)此(こ)の宝(たから)の土(つち)に遇(あ)いて而(すなわ)ち入(い)ると説(い)えり。八戒(はっかい)只(た)だ我(われ)が偏手(へんしゅ=分け前を多く取る)を打(う)ちたりと嚷(わめ)き、故(ゆえ)に風信(ふうしん=知らせ)を走(はし)らせ、只(た)だ今(いま)に纏(まとわ)り到(いた)りて、才(ようや)く明白(めいはく)を見(み)るなり」と。菩薩(ぼさつ)道(いわ)く「我(われ)方(かた)才(がた)五行(ごぎょう)の器(うつわ)を用(もち)いざりしは、此(こ)の物(もの)の五行(ごぎょう)と相畏(あいおそれ)るを知(し)れるが故(ゆえ)なり」と。那(か)の大仙(たいせん)十分(じゅうぶん)に歓喜(かんき)し、急(いそ)ぎ金撃子(きんげきし=金の棒)を取(と)り来(きた)らせ、果子(かじ)を敲(たた)き下(おろ)すこと十(とお)を、菩薩(ぼさつ)と三老(さんろう)を請(しょう)じて復(また)宝殿(ほうでん)に回(かえ)り、一(ひとつ)は則(すなわ)ち労(ろう)を謝(しゃ)し、二(ふたつ)は則(すなわ)ち箇(こ)の人参果会(にんじんかえ)を做(な)さんとす。衆小仙(しゅうしょうせん)遂(つい)に桌椅(たくいす)を調(ととの)え開(ひら)き、丹盤(たんばん=盆)を鋪設(ほせつ=並べ)し、菩薩(ぼさつ)を請(しょう)じて上(うえ)の面(めん)の正席(せいせき)に坐(ざ)せしめ、三老(さんろう)左席(させき)、唐僧(とうそう)右席(うせき)、鎮元子(ちんげんし)前席(ぜんせき)に相陪(あいばい=相伴)し、各(おのおの)一(ひとつ)を食(くら)う。詩(し)有(あ)りて証(あかし)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く

万寿山(まんじゅざん)の中(うち)古洞天(こどうてん)、
人参(にんじん)一(ひと)たび熟(じゅく)すれば九千年(きゅうせんねん)。
霊根(れいこん)現(あらわ)れ出(い)でて芽枝(がし=芽と枝)損(そこな)われ、
甘露(かんろ)滋(うるお)い生(しょう)じて果葉(かよう=実と葉)全(まった)し。
三老(さんろう)喜(よろこ)び逢(あ)うは皆(みな)旧契(きゅうけい=旧き契り)、
四僧(しそう)幸(さいわい)に遇(あ)うは是(こ)れ前縁(ぜんえん=前世の縁)。
自今(じこん)会(かい)して人参果(にんじんか)を服(ふく)すれば、
尽(ことごと)く是(こ)れ長生不老(ちょうせいふろう)の仙(せん)なり。

此(こ)の時(とき)菩薩(ぼさつ)と三老(さんろう)各(おのおの)一(ひとつ)を吃(くら)い、唐僧(とうそう)始(はじ)めて是(こ)れ仙家(せんか)の宝貝(ほうばい=宝)なるを知(し)り、也(また)一(ひとつ)を吃(くら)い、悟空(ごくう)三人(みたり)亦(また)各(おのおの)一(ひとつ)を吃(くら)い、鎮元子(ちんげんし)一(ひとつ)を陪(とも)にし、本観(ほんかん)の仙衆(せんしゅう)一(ひとつ)を分(わか)ち吃(くら)う。

行者(ぎょうじゃ)才(ようや)く菩薩(ぼさつ)に謝(しゃ)して普陀岩(ふだがん)に回(かえ)り上(のぼ)り、三星(さんせい)を送(おく)って径(ただ)ちに蓬莱島(ほうらいとう)に転(めぐ)らしむ。鎮元子(ちんげんし)却(かえ)って又(また)蔬酒(そしゅ=菜と酒)を安排(あんばい)し、行者(ぎょうじゃ)と結(むす)んで兄弟(きょうだい)と為(な)る。此(ここ)に才(ようや)く是(こ)れ「打(う)たずんば相识(そうしき=知り合い)と成(な)らず」にして、両家(りょうけ)合(がっ)して一家(いっか)と為(な)る。師徒(しと)四衆(ししゅう)、喜喜歓歓(ききかんかん=大喜び)して、天(てん)晩(く)れて歇(やす)む。那(か)の長老(ちょうろう)才(ようや)く是(こ)れ

縁(えん)有(あ)りて草還丹(そうかんたん)を吃(くら)い得(え)、
長寿(ちょうじゅ)も苦(くる)しく妖怪(ようかい)の難(なん)を捱(しの)ぶ。

畢竟(ひっきょう)明日(みょうにち)に到(いた)りて如何(いかん)に作別(さくべつ=別れを告ぐ)るかは、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。