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033 第三十三回 外道(げどう)、真性(しんしょう)を迷(まよ)わす 元神(げんしん)、本心(ほんしん)を助(たす)く

さて那(か)の怪(かい)は八戒(はっかい)を洞(ほら)の裏(うち)に拿(とら)え進(い)りて道(い)わく、「哥哥(あにき)啊(や)、一箇(ひとり)拿(とら)え将(きた)れり。」

老魔(ろうま)は喜(よろこ)んで道(い)わく、「拿(とら)え来(きた)りて我(われ)に看(み)しめよ。」

二魔(にま)は言った。「此(こ)れ是(こ)れならずや?」

老魔は言った。「兄弟(けいてい)、錯(あやま)りて拿(とら)えり、此(こ)の和尚(おしょう)は用(よう)無(な)し。」

八戒は就(すなわ)ち経(きょう)を綽(ひろ)げて説(と)いて道(い)わく、「大王(だいおう)、用(よう)無(な)き和尚(おしょう)ならば、彼(かれ)を放(はな)ち出(いだ)さんか、人子(じんし=人として)に当(あた)らざらん!」

二魔は言った。「哥哥(あにき)、彼(かれ)を放(はな)つこと勿(なか)れ。用(よう)無(な)しと雖(いえど)も、亦(ま)た是(こ)れ唐僧(とうそう)と一起(いっき=一緒)の者(もの)、猪八戒(ちょはっかい)と叫做(よば)る。彼(かれ)を且(しばら)く後辺(こうへん=裏手)の浄水池(じょうすいち=清き水の池)の中(うち)に浸(ひた)し、毛衣(もうい=毛皮)を浸(ひた)し退(と)かしめ、塩(しお)を使(つか)うて腌(しおづ)けにし、晒(ほ)し乾(から)からしめ、天陰(てんいん=曇りの日)を等(ま)ちて酒(さけ)の下(さかな)にせん。」

八戒はこれを聞きて道(い)わく、「蹭蹬(そうとう=不運)啊(や)!腌臘(えんろう=塩漬けの肉)を販(あきな)う妖怪(ようかい)に撞遇(であ)いたり!」

那(か)の小妖(しょうよう)は八戒(はっかい)を把(もっ)て抬(かつ)ぎ進(い)り、水(みず)の裏(うち)に抛(なげう)ちて題(だい)せず。

却説(さて)三蔵(さんぞう)は坡前(はぜん)に坐(ざ)して、耳熱(じねつ=耳が熱く)し眼跳(がんちょう=眼が跳ね)、身体(しんたい)安(やす)んぜず、一声(ひとこえ)叫(さけ)んで道(い)わく、「悟空(ごくう)!怎(いか)にして悟能(ごのう)は此(こ)の番(たび)の巡山(じゅんざん)に、去(ゆ)きてより久(ひさ)しくして而(しか)も来(きた)らざるや?」

行者は言った。「師父(しふ)は還(ま)た彼(かれ)が心(こころ)を暁(さと)らざるかな。」

三蔵は言った。「彼(かれ)に甚(なん)の心(こころ)か有(あ)るや?」

行者は言った。「師父啊(や)、此(こ)の山(やま)若(も)し是(こ)れ怪(かい)有(あ)らば、彼(かれ)半歩(はんぽ)も行(ゆ)き難(がた)く、一定(きっと)虚張声勢(きょちょうせいせい=見せかけの威勢)して、跑(はし)り将(きた)り回(かえ)りて我(われ)に報(ほう)ぜん。想(おも)うに是(こ)れ怪(かい)無(な)く、路途(みち)平静(へいせい)ならば、彼(かれ)一直(いっちょく=真っ直ぐ)に去(ゆ)き了(おわ)れり。」

三蔵は言った。「仮若(かりに)真個(しんこ=本当)に去(ゆ)き了(おわ)らば、却(かえ)って那処(いずこ)に在(あ)りて相会(まみ)えんや。此間(ここ)は乃(すなわ)ち是(こ)れ山野(さんや)空闊(くうかつ=広々とした)の処(ところ)、那(か)の店市城井(てんしじょうせい=宿場や町井戸)の間(あいだ)に比(ひ)す可(べ)からず。」

行者は言った。「師父(しふ)慮(おもんぱか)ること莫(なか)れ、且(しばら)く請(こ)うて馬(うま)に上(のぼ)れ。那(か)の呆子(ほうし)は些(いささ)か懶惰(らんだ=怠け)有(あ)り、断然(だんぜん)に走(はし)ること遅慢(ちまん=のろい)ならん。汝(なんじ)馬(うま)を把(もっ)て些(いささ)か打(う)ち動(うご)かせば、我(われ)ら定(きっ)と彼(かれ)に追(お)い上(のぼ)り、一同(いちどう)に去(ゆ)かんか。」

真個(しんこ)に唐僧(とうそう)は馬(うま)に上(のぼ)り、沙僧(しゃそう)は担(に)を挑(かつ)ぎ、行者(ぎょうじゃ)は前面(ぜんめん)に在(あ)りて路(みち)を引(ひ)きて山(やま)に上(のぼ)る。

却説(さて)那(か)の老怪(ろうかい)は又(また)二魔(にま)を喚(よ)んで道(い)わく、「兄弟(けいてい)よ、汝(なんじ)既(すで)に八戒(はっかい)を拿(とら)え了(おわ)れば、断乎(だんこ=きっと)就(すなわ)ち唐僧(とうそう)有(あ)らん。再(ふたた)び去(ゆ)きて山(やま)を巡巡(めぐりめぐ)らんか、切(きっ)と彼(かれ)を放(はな)ち過(す)ごすこと莫(なか)れ。」

二魔は言った。「就(すなわ)ち行(ゆ)かん、就(すなわ)ち行(ゆ)かん。」

汝(なんじ)看(み)よ彼(かれ)は急(いそ)ぎ五十名(ごじゅうめい)の小妖(しょうよう)を点(てん)し起(おこ)し、山(やま)に上(のぼ)りて巡邏(じゅんら)す。正(まさ)に走(はし)る処(ところ)、只(た)だ見(み)る、祥雲(しょううん=めでたい雲)縹緲(ひょうびょう=たなびき)、瑞気(ずいき=めでたい気)盤旋(ばんせん=めぐる)。二魔は道(い)わく、「唐僧(とうそう)来(きた)れり。」

衆妖(しゅうよう=妖怪ども)は道(い)わく、「唐僧(とうそう)は那処(どこ)に在(あ)るや?」

二魔は言った。「好人(こうにん)の頭上(ずじょう)には祥雲(しょううん)照頂(しょうちょう=頂を照らし)、悪人(あくにん)の頭上(ずじょう)には黒気(こくき)冲天(ちゅうてん=天を衝く)。那(か)の唐僧(とうそう)は原(もと)是(こ)れ金蝉長老(きんぜんちょうろう)の臨凡(りんぽん)にして、十世(じっせ)修行(しゅぎょう)の好人(こうにん)なれば、此(こ)の故(ゆえ)に這(か)くの如(ごと)き雲(くも)の縹緲(ひょうびょう)有(あ)るなり。」

衆怪(しゅうかい)は都(ことごと)く看(み)えざるに、二魔(にま)は手(て)を用(もち)いて指(さ)して道(い)わく、「那(あれ)是(こ)れならずや?」

那(か)の三蔵(さんぞう)は就(すなわ)ち馬(うま)の上(うえ)に在(あ)りて一箇(ひとつ)の寒噤(かんきん=身震い)を打(う)てり。又(また)一指(ひとさし)すれば、又(また)一箇(ひとつ)の寒噤(かんきん)を打(う)つ。一連(いちれん)に指(さ)すこと三指(さんし)なれば、彼(かれ)は一連(いちれん)に三箇(みっつ)の寒噤(かんきん)を打(う)ち、心神(しんしん)寧(やす)んぜずして道(い)わく、「徒弟(とてい)啊(や)、我(われ)怎(いか)にして寒噤(かんきん)を打(う)つや?」

沙僧は言った。「寒噤(かんきん)を打(う)つは、想(おも)うに是(こ)れ傷食病(しょうしょくびょう=食べ過ぎの病)の発(はっ)したるならん。」

行者は言った。「胡説(こせつ=でたらめ)せよ、師父(しふ)は是(こ)れ此(こ)の深山峻嶺(しんざんしゅんれい)を走(はし)りて、必然(ひつぜん)小心(しょうしん=少し)虚驚(きょきょう=気のせいの驚き)するなり。怕(おそ)るる莫(なか)れ!怕(おそ)るる莫(なか)れ!老孫(ろうそん)に棒(ぼう)を把(もっ)て一路(ひとみち)打(う)たしめ、汝(なんじ)と与(とも)に驚(おどろき)を圧(おさ)え圧(おさ)えしめよ。」

好(よ)き行者(ぎょうじゃ)、棒(ぼう)を理(ととの)え開(ひら)き、馬前(ばぜん)に在(あ)りて幾箇(いくつ)かの解数(かいすう=技)を披(ひら)き、上三下四(じょうさんげし)、左五右六(さごうろく)、尽(ことごと)く那(か)の六韜三略(りくとうさんりゃく=兵法書)に按(あん)じて、神通(じんつう)を使(つか)い起(おこ)す。那(か)の長老(ちょうろう)は馬(うま)の上(うえ)に在(あ)りて之(これ)を観(み)るに、真個(しんこ)に是(こ)れ寰中(かんちゅう=天下)に少(すくな)く、世上(せじょう)に全(まった)く無(な)し。路(みち)を剖(さ)き開(ひら)いて一直(いっちょく)前行(ぜんこう)すれば、険(あやう)く那(か)の怪物(かいぶつ)を唬(おどろ)かし倒(たお)さんとす。

彼(かれ)は山頂(さんちょう)に在(あ)りて之(これ)を見(み)て、魂(たましい)飛(と)び魄(たましい)喪(うしな)い、忽(たちま)ち声(こえ)を失(うしな)うて道(い)わく、「幾年間(いくねんかん)か孫行者(そんぎょうじゃ)と聞(き)き説(と)けども、今日(こんにち)才(はじ)めて知(し)れり、話(はなし)虚(きょ)を伝(つた)えず、果(はた)して是(こ)れ真(まこと)なり。」

衆怪(しゅうかい)は上前(すす)みて道(い)わく、「大王(だいおう)、怎(いか)にして他人(たにん)の志気(しき=意気)を長(ちょう)じ、自己(じこ)の威風(いふう)を滅(めっ)するや。汝(なんじ)誰(たれ)を誇(ほこ)るや?」

二魔は言った。「孫行者(そんぎょうじゃ)は神通(じんつう)広大(こうだい)、那(か)の唐僧(とうそう)は彼(かれ)を食(く)わんとするも成(な)らじ。」

衆怪は言った。「大王(だいおう)、汝(なんじ)に手段(しゅだん)無(な)くんば、我(われ)らに幾箇(いくにん)かを着(つ)けて去(ゆ)きて大大王(だいだいおう)に報(ほう)ぜしめ、彼(かれ)に本洞(ほんどう)の大小(だいしょう)の兵(へい)を点(てん)し起(おこ)さしめ、陣勢(じんせい)を擺(なら)べ開(ひら)かしめ、合力齐心(ごうりょくさいしん=力を合わせ心を一に)して、彼(かれ)の那処(どこ)へ走(はし)り去(さ)るを怕(おそ)れんや!」

二魔は言った。「汝(なんじ)ら曾(かつ)て彼(かれ)が那(か)の一条(ひとすじ)の鉄棒(てつぼう)を見(み)ざるか、万夫不当(ばんぷふとう=万人も敵せず)の勇(ゆう)有(あ)り。我(わ)が洞中(どうちゅう)に不過(わずか)四五百兵(しごひゃくへい)なるに、怎(いか)でか彼(かれ)が那(か)の一棒(ひとぼう)に禁(た)え得(え)んや?」

衆妖(しゅうよう)は言った。「這(こ)れ等(ほど)に説(と)かば、唐僧(とうそう)は食(く)い成(な)らず、却(かえ)って猪八戒(ちょはっかい)を錯(あやま)りて拿(とら)えずや。如今(いま)送(おく)り還(かえ)さんか。」

二魔は言った。「拿(とら)えるは便(すなわ)ち亦(ま)た曾(かつ)て錯(あやま)りて拿(とら)えず、送(おく)るは便(すなわ)ち亦(ま)た好(よ)く軽(かる)く送(おく)らず。唐僧(とうそう)は終(つい)に是(こ)れ食(く)わんと要(よう)すれど、只(た)だ眼下(がんか=今)は還(ま)た尚(な)お能(あた)わず。」

衆妖は言った。「這(こ)れ般(ほど)に説(と)かば、還(ま)た幾年(いくねん)か過(す)ぐるや?」

二魔は言った。「也(ま)た幾年(いくねん)を消(よう)せず。我(われ)那(か)の唐僧(とうそう)を見(み)るに、只(た)だ善図(ぜんと=穏便に図る)す可(べ)く、悪取(あくしゅ=乱暴に取る)す可(べ)からず。若(も)し勢(いきおい)に倚(よ)りて彼(かれ)を拿(とら)えんと要(よう)せば、聞(き)くも也(ま)た一聞(いちぶん)を得(え)じ。只(た)だ以(もっ)て善(ぜん)を以(もっ)て去(ゆ)きて彼(かれ)を感(かん)ぜしめ、彼(かれ)が心(こころ)と我(わ)が心(こころ)と相合(あいがっ)するを赚(かせ)ぎ得(え)れば、却(かえ)って就(すなわ)ち善中(ぜんちゅう)に計(けい)を取(と)り、以(もっ)て之(これ)を図(はか)る可(べ)し。」

衆妖は言った。「大王(だいおう)若(も)し定計(ていけい=計略を定め)て彼(かれ)を拿(とら)えんに、我(われ)らを用(もち)う可(べ)きや?」

二魔は言った。「汝(なんじ)ら都(ことごと)く各(おの)おの本寨(ほんさい=持ち場)に回(かえ)れ、但(た)だ大王(だいおう)に報(ほう)じて知(し)らしむるを許(ゆる)さず。若(も)し是(こ)れ彼(かれ)を驚動(きょうどう)せば、必然(ひつぜん)風訊(ふうじん=消息)を走(はし)らせ、我(わ)が計策(けいさく)を敗(やぶ)らん。我(われ)自(みずか)ら箇(ひとつ)の神通変化(じんつうへんげ)有(あ)り、以(もっ)て彼(かれ)を拿(とら)う可(べ)し。」

衆妖(しゅうよう)は散(さん)じ去(さ)り、彼(かれ)は独(ひと)り山(やま)を跳(と)び下(お)り来(きた)り、那(か)の道路(みち)の旁(かたわら)に在(あ)りて、身(み)を揺(ゆ)るがして一変(いっぺん)し、変(へん)じて箇(ひとり)の年老(としお)いたる道者(どうしゃ=道士)を作(な)せり。真個(しんこ)に是(こ)れ怎生(いか)なる扮装(いでたち)ぞ。但(ただ)見(み)よ彼(かれ)が

星冠(せいかん=星の冠)晃亮(こうりょう=きらきら)とし、鶴髪(かくはつ=鶴の如き白髪)蓬松(ほうしょう=ぼうぼう)たり
羽衣(うい=羽の衣)は繍帯(しゅうたい=刺繍の帯)を囲(めぐ)らし、雲履(うんり=雲の履き物)は黄棕(おうそう=黄の棕櫚)を綴(つづ)る
神清(しんせい=心清らか)く目朗(もくろう=眼明る)きこと仙客(せんかく=仙人)の如(ごと)く、体健(たいけん=体健やか)に身軽(しんけい=身軽)きこと寿翁(じゅおう=長寿の翁)に似(に)たり
甚(なん)の清牛道士(せいぎゅうどうし)を説(と)かん、也(ま)た素券先生(そけんせんせい)に強(まさ)れり
妝(よそお)い成(な)す仮象(かぞう=偽りの姿)は真象(しんぞう=真の姿)の如(ごと)く、捏(こしら)え作(な)す虚情(きょじょう=偽りの情)は実情(じつじょう=真の情)に似(に)たり

彼(かれ)は那(か)の大路(たいろ)の旁(かたわら)に在(あ)りて、箇(ひとり)の跌折腿(てっせつたい=足を折った)道士(どうし)を妝(よそお)い做(な)し、脚(あし)の上(うえ)血(ち)淋津(りんしん=したたり)として、口(くち)の裏(うち)に哼哼(こうこう=うんうん)と、只(た)だ「救人(きゅうじん=人を救え)!救人(きゅうじん)!」と叫(さけ)ぶ。

却説(さて)此(こ)の三蔵(さんぞう)は孫大聖(そんたいせい)と沙僧(しゃそう)を仗(たの)み、歓喜(かんき)して前(まえ)に来(きた)る。正(まさ)に行(ゆ)く処(ところ)、只(た)だ聴(き)く「師父(しふ)、人(ひと)を救(すく)え!」と叫(さけ)ぶを。三蔵は聞(き)き得(え)て道(い)わく、「善哉(ぜんざい)!善哉(ぜんざい)!此(こ)の曠野(こうや=広き野)の山(やま)の中(うち)、四下裏(あたり)に更(さら)に村舎(そんしゃ=村の家)無(な)きに、是(こ)れ甚(なん)の人(ひと)の叫(さけ)ぶぞ。想(おも)うに必(かなら)ず是(こ)れ虎豹狼虫(こひょうろうちゅう=虎豹狼や虫けら)に唬(おどろ)かされ倒(たお)されたるならん。」

這(こ)の長老(ちょうろう)は俊馬(しゅんめ=駿馬)を兜(たづな)し回(めぐ)らし、叫(さけ)んで道(い)わく、「那(そちら)の難(なん)に有(あ)る者(もの)は是(こ)れ甚(なん)の人(ひと)ぞ。出(い)で来(きた)る可(べ)し。」

這(こ)の怪(かい)は草科(そうか=草むら)の裏(うち)より爬(は)い出(い)で、長老(ちょうろう)の馬前(ばぜん)に対(たい)し、乒乓(へいほう=ひたすら)に只管(ひたすら)磕頭(かとう)す。三蔵は馬(うま)の上(うえ)に在(あ)りて彼(かれ)の是(こ)れ箇(ひとり)の道者(どうしゃ)にして、却(かえ)って又(また)年紀(とし)高大(こうだい)なるを見(み)て、甚(はなは)だ意(い)に過(す)ぎず、連忙(れんぼう)として馬(うま)を下(お)りて攙(たす)け道(い)わく、「請(こ)う起(た)て、請(こ)う起(た)て。」

那(か)の怪(かい)は道(い)わく、「疼(いた)い!疼(いた)い!疼(いた)い!」

手(て)を離(はな)ちて看(み)る処(ところ)、只(た)だ見(み)る彼(かれ)の脚(あし)の上(うえ)に血(ち)流(なが)るるを。三蔵は驚(おどろ)きて問(と)うて道(い)わく、

「先生(せんせい)啊(や)、汝(なんじ)那処(いずこ)より来(きた)れるや。何(なん)の因(ゆえ)にか尊足(そんそく=尊き足)を傷(きずつ)けられたるや?」

那(か)の怪(かい)は巧語花言(こうごかげん=巧みな言葉)、虚情仮意(きょじょうかい=偽りの情)にて道(い)わく、「師父啊(や)、此(こ)の山(やま)の西(にし)に去(ゆ)くに、一座(ひとつ)の清幽(せいゆう=静かで奥深き)なる観宇(かんう=寺観)有(あ)り。我(われ)は是(こ)れ那(か)の観裏(かんり=観の中)の道士(どうし)なり。」

三蔵は言った。「汝(なんじ)本観(ほんかん)の中(うち)に在(あ)りて香火(こうか=線香の火)を侍奉(じぶ=仕え)し、経法(きょうほう=経の法)を演習(えんしゅう)せず、何為(なんす)れぞ此処(ここ)に在(あ)りて閑行(かんこう=ぶらつく)や?」

那(か)の魔(ま)は言った。「前日(せんじつ)山南(さんなん=山の南)の里(さと)の施主(せしゅ=檀那)の家(いえ)に、道衆(どうしゅう=道士たち)を邀(まね)きて星(ほし)を禳(はら)い、福(ふく)を散(さん)じて来(きた)ること晩(おそ)かりしに因(よ)り、我(われ)師徒(しと)二人(ふたり)、一路(ひとみち)に而(しか)して行(ゆ)けり。深衢(しんく=深き衢)に行(ゆ)き至(いた)るに、忽(たちま)ち一隻(ひとつ)の斑斕猛虎(はんらんもうこ=斑の猛虎)に遇(あ)い、我(わ)が徒弟(とてい)を将(もっ)て銜(くわ)え去(さ)られたり。貧道(ひんどう=拙者)は戦兢兢(せんけいけい)として命(いのち)を亡(ほろ)ぼし走(はし)り、一跤(ひとたび)乱石坡(らんせきは=乱れた石の坡)の上(うえ)に跌(つまず)きて、腿足(たいそく=腿と足)を傷(きずつ)け、回路(かいろ=帰り道)を知(し)らず。今日(こんにち)大(おお)いに天縁(てんえん=天の縁)有(あ)り、師父(しふ)に遇(あ)い得(えた)れば、万(よろず)望(のぞ)む、師父(しふ)大(おお)いに慈悲(じひ)を発(はっ)し、我(わ)が一命(いちめい)を救(すく)え。若(も)し観中(かんちゅう)に到(いた)り得(う)れば、就(すなわ)ち是(こ)れ身(み)を典(いれ)し命(いのち)を売(う)るとも、一定(きっと)深恩(しんおん=深き恩)を重(かさ)ねて謝(しゃ)せん。」

三蔵はこれを聞き、認(みと)めて真実(しんじつ)と為(な)し、道(い)わく、「先生啊(や)、汝(なんじ)と我(われ)は都(ことごと)く是(こ)れ一命(いちめい=一つの命)の人(ひと)なり。我(われ)は是(こ)れ僧(そう)、汝(なんじ)は是(こ)れ道(どう)、衣冠(いかん=衣服と冠)別(わか)ると雖(いえど)も、修行(しゅぎょう)の理(り)は則(すなわ)ち同(おな)じ。我(われ)汝(なんじ)を救(すく)わざらば、就(すなわ)ち是(こ)れ出家(しゅっけ)の輩(やから)に非(あら)ざるなり。救(すく)うは便(すなわ)ち汝(なんじ)を救(すく)わん、汝(なんじ)は却(かえ)って路(みち)を走(はし)ること得(え)ざるかな。」

那(か)の怪(かい)は言った。「立(た)つことも也(ま)た起(お)き上(あが)ること得(え)ず、怎(いか)でか路(みち)を走(はし)らんや?」

三蔵は言った。「也(ま)た罷(や)めん、也(ま)た罷(や)めん。我(われ)は還(ま)た路(みち)を走(はし)ること得(う)。馬(うま)を将(もっ)て汝(なんじ)に讓(ゆず)りて一程(ひとくだり)騎(の)らしめ、汝(なんじ)が上宮(じょうぐう=貴き宮)に到(いた)らば、我(われ)に馬(うま)を還(かえ)さんか。」

那(か)の怪(かい)は言った。「師父(しふ)、厚情(こうじょう=厚き情)を感蒙(かんもう=蒙)れり。只(た)だ是(こ)れ腿胯(たいこ=腿と股)を跌(つまず)き傷(きずつ)けて、馬(うま)に騎(の)ること能(あた)わず。」

三蔵は言った。「正(まさ)に是(こ)れ。」

沙和尚(しゃおしょう)を叫(よ)んで道(い)わく、「汝(なんじ)行李(こうり)を把(もっ)て我(わ)が馬(うま)の上(うえ)に捎(の)せよ。汝(なんじ)彼(かれ)を一程(ひとくだり)負(お)わんか。」

沙僧は言った。「我(われ)彼(かれ)を負(お)わん。」

那(か)の怪(かい)は急(いそ)ぎ頭(かしら)を回(めぐ)らし、彼(かれ)を抹(み)ること一眼(ひとまなざし)して道(い)わく、「師父啊(や)、我(われ)は那(か)の猛虎(もうこ)に唬(おど)かされて怕(おそ)れをなせり。此(こ)の晦気色臉(わきしょくれん=不吉な色の顔)の師父(しふ)を見(み)れば、愈々(いよいよ)驚怕(きょうは=恐れ)して、敢(あ)えて彼(かれ)に負(お)わるることを要(よう)せず。」

三蔵は叫(さけ)んで道(い)わく、「悟空(ごくう)、汝(なんじ)負(お)わんか。」

行者は連声(れんせい=続けさま)に答(こた)えて道(い)わく、「我(われ)負(お)わん、我(われ)負(お)わん!」

那(か)の妖(よう)は就(すなわ)ち行者(ぎょうじゃ)を認定(にんてい=見定め)し、順順(じゅんじゅん=すんなり)と彼(かれ)に負(お)わるることを要(よう)し、再(ふたた)び言語(げんご)せず。

沙僧は笑(わら)うて言った。「此(こ)の眼色(がんしょく=見る目)無(な)き老道(ろうどう)め!我(われ)の負(お)うが好(よ)からざるに、顛倒(てんとう=かえって)彼(かれ)に負(お)わるることを要(よう)す。彼(かれ)若(も)し師父(しふ)の見(み)ざる時(とき)に、三尖石(さんせんせき=三つ尖の石)の上(うえ)に、筋(すじ)を把(もっ)て都(ことごと)く掼(なげう)ち断(た)ち了(おわ)らんずるに!」

行者は負(お)うて、口(くち)のうちに笑(わら)うて道(い)わく、「汝(なんじ)は此(こ)の潑魔(はつま=暴れ妖怪)、怎(いか)で敢(あ)えて来(きた)りて我(われ)を惹(からか)うや。汝(なんじ)も亦(ま)た問(と)え、老孫(ろうそん)は是(こ)れ幾年(いくねん)の人児(ひとこ)なるかを!汝(なんじ)が這(か)くの般(ごと)き鬼話児(きわじ=嘘話)は、只(た)だ好(よ)く唐僧(とうそう)を瞞(あざむ)くも、又(また)好(よ)く来(きた)りて我(われ)を瞞(あざむ)かんや。我(われ)は汝(なんじ)の是(こ)れ此(こ)の山中(さんちゅう)の怪物(かいぶつ)なるを認(みと)め得(えた)り、想(おも)うに是(こ)れ我(わ)が師父(しふ)を食(く)わんと要(よう)するならん。我(わ)が師父(しふ)は又(また)是(こ)れ等閑(とうかん=並)の輩(やから)に非(あら)ず、是(こ)れ汝(なんじ)が食(く)う所(ところ)ならんや!汝(なんじ)若(も)し彼(かれ)を食(く)わんと要(よう)せば、也(ま)た須(すべから)く是(こ)れ多(おお)き一半(いっぱん=半分)を分(わ)けて老孫(ろうそん)に与(あた)うるなり。」

那(か)の魔(ま)は行者(ぎょうじゃ)の口(くち)のうちに念誦(ねんじゅ=唱える)するを聞(き)き得(え)て、道(い)わく、「師父(しふ)、我(われ)は是(こ)れ好人家(こうにんか=まともな家)の児孫(じそん=子孫)、道士(どうし)と做(な)れり。

今日(こんにち)不幸(ふこう)にして、虎狼(ころう)の厄(やく=災い)に遇(あ)えるのみ、我(われ)は是(こ)れ妖怪(ようかい)に非(あら)ず。」

行者は言った。「汝(なんじ)既(すで)に虎狼(ころう)を怕(おそ)るるに、怎(いか)で《北斗経(ほくときょう)》を念(とな)えざるや?」

三蔵は正(まさ)に然(しか)くして馬(うま)に上(のぼ)らんとし、此(こ)の言(げん)を聞(き)きて、罵(ののし)って道(い)わく、「此(こ)の潑猴(はつこう)め!人(ひと)の命(いのち)を救(すく)うは、七級(しちきゅう=七層)の浮屠(ふと=仏塔)を造(つく)るに勝(まさ)れり。汝(なんじ)彼(かれ)を負(お)うて負(お)う児(のみ)して便(すなわ)ち罷(や)めよ、且(しばら)く甚(なん)の北斗経(ほくときょう)南斗経(なんときょう)を講(こう)ぜんや!」

行者はこれを聞きて道(い)わく、「此(こ)の廝(やつ)は造化(ぞうか=幸運)なり!我(わ)が那(か)の師父(しふ)は是(こ)れ箇(ひとり)の慈悲(じひ)好善(こうぜん)の人(ひと)にして、又(また)些(いささ)か外好裏枒槎(がいこうりささ=外は善く内はごつごつ)有(あ)り。我(われ)汝(なんじ)を負(お)わざらんと待(まて)ば、彼(かれ)就(すなわ)ち我(われ)を怪(あやし)まん。

負(お)うは便(すなわ)ち負(お)わん、須(すべから)く汝(なんじ)と与(とも)に講(こう)じ開(ひら)かん。若(も)し是(こ)れ大小便(だいしょうべん=用足し)ならば、先(ま)ず我(われ)と和(あい)して説(い)え。若(も)し脊梁(せりょう=背骨)の上(うえ)に淋(したた)り下(くだ)らば、臊気(そうき=生臭き臭い)堪(た)え難(がた)く、且(か)つ我(わ)が衣服(いふく)を汚(けが)して、人(ひと)無(な)く漿洗(しょうせん=洗濯)せざらん。」

那(か)の怪(かい)は言った。「我(われ)が這(か)くの般(ごと)き一把子(ひとつかみ)の年紀(とし)にて、豈(あに)汝(なんじ)が話(はなし)の説(と)くを知(し)らざらんや。」

行者は才(はじ)めて拉(ひ)き将(ゆ)き起(おこ)し、背(せ)の上(うえ)に負(お)うて、長老(ちょうろう)・沙僧(しゃそう)と同(とも)に、大路(たいろ)を奔(はし)りて西(にし)に行(ゆ)く。

那(か)の山(やま)の上(うえ)の高低(こうてい)平(たいら)かならざる処(ところ)は、行者(ぎょうじゃ)は心(こころ)に留(とど)めて慢(ゆっ)くり走(はし)り、唐僧(とうそう)をして前(まえ)に去(ゆ)かしむ。行(ゆ)くこと三五里(さんごり)の路(みち)に上(のぼ)らざるに、師父(しふ)と沙僧(しゃそう)は山凹(さんおう)の中(うち)に下(お)り了(おわ)り、行者(ぎょうじゃ)は却(かえ)って望(のぞ)み見(み)えず。心(こころ)の中(うち)に埋怨(ばいえん=恨み)して道(い)わく、

「師父(しふ)は偌大(じゃだい=これほど)の年紀(とし)にて、再(ふたた)び事体(じたい=事の道理)を暁(さと)らざるかな。此(こ)れ等(ほど)の遠路(えんろ)なれば、就(たと)い是(こ)れ空身子(からだ=空の身)なるも也(ま)た還(ま)た手重(ておも=手に重い)を嫌(きら)い、恨(うら)んで捽(なげう)たんことを得(え)ざるに、却(かえ)って又(また)我(われ)に教(おし)えて此(こ)の妖怪(ようかい)を負(お)わしむるとは!彼(かれ)の是(こ)れ妖怪(ようかい)なるを説(と)かずと雖(いえど)も、就(たと)い是(こ)れ好人(こうにん)なるも、這(こ)れ等(ほど)の年紀(とし)なれば、也(ま)た死(し)すべきに着(つ)けり。掼(なげう)ち殺(ころ)さんか、彼(かれ)を負(お)うて怎(いか)にせんや?」

此(こ)の大聖(たいせい)が正(まさ)に算計(さんけい=思案)して掼(なげう)たんと要(よう)するに、原来(もと)那(か)の怪(かい)は就(すなわ)ち知(し)り了(おわ)り、且(か)つ会(よ)く山(やま)を遣(つかわ)すことを。就(すなわ)ち一箇(ひとつ)の移山倒海(いざんとうかい=山を移し海を倒す)の法術(ほうじゅつ)を使(つか)い、就(すなわ)ち行者(ぎょうじゃ)の背(せ)の上(うえ)に在(あ)りて訣(けつ)を捻(ねん)じ、真言(しんごん)を念(とな)え動(うご)かし、一座(ひとつ)の須弥山(しゅみせん)を遣(つかわ)して空中(くうちゅう)に在(あ)らしめ、頭(かしら)を劈(つんざ)いて来(きた)りて行者(ぎょうじゃ)を圧(お)す。

此(こ)の大聖(たいせい)は慌(あわ)てて頭(かしら)を偏(かたよ)せること一偏(ひとかた)して、左肩背(さけんはい=左の肩と背)の上(うえ)に圧(お)し着(つ)けられたり。笑(わら)うて道(い)わく、「我(わ)が児(こ)よ、汝(なんじ)甚(なん)の重身法(じゅうしんぽう=体重を重くする法)を使(つか)いて来(きた)りて老孫(ろうそん)を圧(お)すや。此(こ)れは倒(かえ)って也(ま)た怕(おそ)れず、只(た)だ是(こ)れ正担(せいたん=真っ直ぐな荷)は挑(にな)うに好(よ)く、偏担児(へんたんじ=片寄った荷)は挨(しの)び難(がた)しのみ。」

那(か)の魔(ま)は道(い)わく、「一座(ひとつ)の山(やま)にて彼(かれ)を圧(お)さえ住(とど)むること能(あた)わず!」

却(かえ)って又(また)呪語(じゅご)を念(とな)え、一座(ひとつ)の峨眉山(がびさん)を遣(つかわ)して空中(くうちゅう)に来(きた)らしめて圧(お)す。行者(ぎょうじゃ)は又(また)頭(かしら)を偏(かたよ)せること一偏(ひとかた)して、右肩背(うけんはい)の上(うえ)に圧(お)し着(つ)けられたり。看(み)よ彼(かれ)の両座(ふたつ)の大山(たいざん)を挑(にな)うて、飛星(ひせい=流星)の如(ごと)く師父(しふ)を追(お)い来(きた)るを!

那(か)の魔頭(まとう)は見(み)て、就(すなわ)ち嚇(おどろ)かされて渾身(こんしん=全身)は汗(あせ)と為(な)り、遍体(へんたい=体中)に津(つば)を生(しょう)じて道(い)わく、「彼(かれ)は却(かえ)って会(よ)く山(やま)を担(にな)う!」

又(また)性情(せいじょう=気持)を整(ととの)え、真言(しんごん)を念(とな)え動(うご)かし、一座(ひとつ)の泰山(たいざん)を将(もっ)て空中(くうちゅう)に遣(つかわ)し、頭(かしら)を劈(つんざ)いて行者(ぎょうじゃ)を圧(お)し住(とど)めたり。

那(か)の大聖(たいせい)は力軟(りきなん=力弱まり)筋麻(きんま=筋がしびれ)、彼(かれ)が此(こ)の泰山下頂(たいざんかちょう=泰山で頭上から圧す)の法(ほう)に遭逢(そうほう=出会)い、只(た)だ圧(お)されて三尸神(さんししん=三尸の神)咋(さけ)び、七竅(しちきょう=七つの孔)に紅(あか)を噴(ふ)かしむるのみ。

好(よ)き妖魔(ようま)、神通(じんつう)を使(つか)うて行者(ぎょうじゃ)を圧(お)し倒(たお)し、却(かえ)って疾(すみ)やかに長風(ちょうふう)に駕(が)して唐三蔵(とうさんぞう)を追(お)い去(ゆ)き、就(すなわ)ち雲端(うんたん)の裏(うち)に在(あ)りて手(て)を伸(の)ばし下(おろ)し来(きた)り、馬(うま)の上(うえ)より人(ひと)を撾(つか)まんとす。

慌(あわ)てたる箇(ひとり)の沙僧(しゃそう)は行李(こうり)を投(なげう)ち、降妖棒(ごうようぼう)を掣(ひきぬ)き出(いだ)し、当頭(とうとう=真っ向)より擋(さえぎ)り住(とど)めたり。那(か)の妖魔(ようま)は一口(ひとふり)の七星剣(しちせいけん)を挙(あ)げ、対面(たいめん)より来(きた)りて迎(むか)う。此(こ)れ一場(ひとくさり)の好(よ)き殺(たたかい)なり。

七星剣(しちせいけん)、降妖杖(ごうようじょう)、万映(ばんえい=万を映じ)の金光(きんこう)閃亮(せんりょう=きらめき)の如(ごと)し
此(こ)の圜眼(かんがん=丸き眼)は凶(きょう)なること黒殺神(こくさつしん)の如(ごと)く、彼(か)の鉄臉(てつれん=鉄の顔)は真(まこと)に是(こ)れ巻簾将(けんれんしょう)
那(か)の怪(かい)は山前(さんぜん)に大(おお)いに能(のう)を顕(あら)わし、一心(いっしん)に唐三蔵(とうさんぞう)を捉(とら)えんと要(よう)す
此(こ)の者(もの)は努力(どりょく)して真僧(しんそう)を保(たも)ち、一心(いっしん)に寧(むし)ろ死(し)するも肯(がえん)じて放(はな)たず
彼(かれ)両箇(ふたり)は雲(くも)を噴(ふ)き霧(きり)を噯(いぶ)して天宮(てんぐう)を照(てら)し、土(つち)を播(ま)き塵(ちり)を揚(あ)げて斗象(とぞう=星宿)を遮(さえぎ)る
殺(たたか)いて那(か)の一轮(ひとわ)の紅日(こうじつ)をして淡(あわ)くして光(ひかり)無(な)からしめ、大地(だいち)乾坤(けんこん)昏蕩蕩(こんとうとう=暗く揺れ)たり
来往(らいおう)相持(そうじ)すること八九回(はっきゅうかい)、期(おも)わず戦(たたかい)に沙和尚(しゃおしょう)敗(やぶ)る

那(か)の魔(ま)は十分(じゅうぶん)に凶猛(きょうもう)にして、一口(ひとふり)の宝剣(ほうけん)を使(つか)い、流星(りゅうせい)の解数(かいすう=技)を滚(ころが)し来(きた)り、箇(ひとり)の沙僧(しゃそう)を戦(たたか)うて軟弱(なんじゃく)搪(ふせ)ぎ難(がた)からしめ、頭(かしら)を回(めぐ)らして走(はし)らんとせしに、早(はや)くも彼(かれ)に宝杖(ほうじょう)を逼(せま)り住(とど)められ、大手(おおて)を輪(めぐ)らし開(ひら)かれて、沙僧(しゃそう)を撾(つか)み住(とど)め、左脇(さきょう=左の脇)の下(した)に挟(わきばさ)み、右手(めて)を将(もっ)て馬上(ばじょう)に去(ゆ)きて三蔵(さんぞう)を拿(とら)え、脚尖児(つまさき)を以(もっ)て行李(こうり)を钩(か)け、口(くち)を張(ひら)き開(ひら)き、馬鬃(ばそう=馬のたてがみ)を咬(か)み、摂法(せっぽう=物を引き寄せる法)を使(つか)い起(おこ)し、彼(かれ)らを一陣風(ひとふう)に、都(ことごと)く蓮花洞(れんかどう)の裏(うち)に拿(とら)え到(いた)り、厳(きび)しき声(こえ)を高(たか)うして叫(さけ)んで道(い)わく、「哥哥(あにき)!此(こ)の和尚(おしょう)らは都(ことごと)く拿(とら)え来(きた)れり!」

老魔(ろうま)はこれを聞きて大(おお)いに喜(よろこ)んで道(い)わく、「拿(とら)え来(きた)りて我(われ)に看(み)しめよ。」

二魔(にま)は言った。「此(こ)れ是(こ)れならずや?」

老魔は言った。「賢弟(けんてい)呀(や)、又(また)錯(あやま)りて拿(とら)え来(きた)れり。」

二魔は言った。「汝(なんじ)唐僧(とうそう)を拿(とら)えよと説(と)きしなり。」

老魔は言った。「是(こ)れは便(すなわ)ち就(すなわ)ち是(こ)れ唐僧(とうそう)なれど、只(た)だ還(ま)た曾(かつ)て那(か)の手段(しゅだん)有(あ)る孫行者(そんぎょうじゃ)を拿(とら)え住(とど)めず。須(すべから)く是(こ)れ彼(かれ)を拿(とら)え住(とど)めて、才(はじ)めて好(よ)く唐僧(とうそう)を食(く)うべきなり。若(も)し曾(かつ)て彼(かれ)を拿(とら)え得(え)ずんば、切(きっ)と彼(かれ)が人(ひと)を動(うご)かすこと莫(なか)れ。那(か)の猴王(こうおう)は神通(じんつう)広大(こうだい)、変化(へんげ)多般(たはん)なり。我(われ)ら若(も)し彼(かれ)が師父(しふ)を食(く)わば、彼(かれ)肯(がえん)じて甘心(かんしん=甘んじ)せんや。来(きた)りて那(か)の門前(もんぜん)に吵鬧(そうどう=騒ぎ立て)なば、想(おも)うて能(よ)く安生(あんせい=安穏)を得(え)んや。」

二魔は笑(わら)うて言った。「哥(あにき)啊(や)、汝(なんじ)も亦(ま)た忒(あまり)に会(よ)く人(ひと)を抬挙(たいきょ=持ち上げ)す。

若(も)し汝(なんじ)が彼(かれ)を夸奨(こしょう=誉めそやす)に依(したが)わば、天上(てんじょう)に少(すくな)く、地下(ちか)に全(まった)く無(な)しとならんに、我(わ)れ之(これ)を観(み)るに、也(ま)た只(た)だ此(か)くの如(ごと)くにして、甚(なん)の手段(しゅだん)も無(な)し。」

老魔は言った。「汝(なんじ)拿(とら)え住(とど)めたるか?」

二魔は言った。「彼(かれ)は已(すで)に我(われ)に三座(みっつ)の大山(たいざん)を遣(つかわ)されて山下(さんか)に圧(お)さえられ、寸歩(すんぽ)も挙移(きょい=動かす)すること能(あた)わず。此(こ)の故(ゆえ)に才(はじ)めて唐僧(とうそう)・沙和尚(しゃおしょう)を馬(うま)・行李(こうり)と連(つら)ねて、都(ことごと)く摂(ひきよ)せ将(きた)れるなり。」

那(か)の老魔(ろうま)はこれを聞きて満心(まんしん)歓喜(かんき)して道(い)わく、「造化(ぞうか=幸運)!造化(ぞうか)!此(こ)の廝(やつ)を拿(とら)え住(とど)めて、唐僧(とうそう)は才(はじ)めて是(こ)れ我(われ)らの口裏(くちうち=口の中)の食(しょく)なり。」

小妖(しょうよう)を叫(よ)んで道(い)わく、「快(すみ)やかに酒(さけ)を安排(あんばい)して、且(しばら)く汝(なんじ)が二大王(にだいおう)と与(とも)に一箇(ひとつ)の得功(とっこう=手柄)の杯児(さかずき)を奉(ほう)ぜよ。」

二魔は言った。「哥哥(あにき)、且(しばら)く酒(さけ)を食(く)うこと勿(なか)れ。小(ちいさ)き者(もの)らを叫(よ)んで猪八戒(ちょはっかい)を水(みず)より撈(すく)い上(あ)げて吊(つる)し起(おこ)さしめよ。」

遂(つい)に八戒(はっかい)を東廊(とうろう=東の廊下)に吊(つる)し、沙僧(しゃそう)を西辺(せいへん)に吊(つる)し、唐僧(とうそう)を中間(ちゅうかん)に吊(つる)し、白馬(はくば)を槽上(そうじょう=馬槽のほとり)に送(おく)り、行李(こうり)を収(おさ)め将(ゆ)きて進(い)れたり。

老魔は笑(わら)うて言った。

「賢弟(けんてい)は好(よ)き手段(しゅだん)なり!両次(ふたたび)に三箇(みたり)の和尚(おしょう)を捉(とら)えたり。但(た)だ孫行者(そんぎょうじゃ)は山(やま)に圧(お)さえ住(とど)めらると雖(いえど)も、也(ま)た須(すべから)く箇(ひとつ)の法(ほう)を作(な)し、怎(いか)にして彼(かれ)を拿(とら)え来(きた)りて蒸(ふか)すに凑(あつ)めてこそ好(よ)けれ。」

二魔は言った。「兄長(けいちょう)請(こ)う坐(ざ)せよ。

若(も)し孫行者(そんぎょうじゃ)を拿(とら)えんと要(よう)せば、我(われ)らの身(み)を動(うご)かすを消(よう)せず、只(た)だ両箇(ふたり)の小妖(しょうよう)に、両件(ふたつ)の宝貝(ほうばい)を拿(と)らせ、彼(かれ)を装(い)れ将(きた)らしめんのみ。」

老魔は言った。「甚(なん)の宝貝(ほうばい)を拿(と)りて去(ゆ)かしむるや?」

二魔は言った。「我(わ)が紫金紅葫芦(しきんべにひょうたん)と、汝(なんじ)が羊脂玉浄瓶(ようしぎょくじょうへい)を拿(と)らしめよ。」

老魔は宝貝(ほうばい)を将(もっ)て取(と)り出(いだ)して道(い)わく、「那(ど)の両箇(ふたり)を差(つかわ)さんか?」

二魔は言った。「精細鬼(せいさいき)・伶俐虫(れいりちゅう)の二人(ふたり)を差(つかわ)さん。」

吩咐(いいつ)けて道(い)わく、「汝(なんじ)両箇(ふたり)は此(こ)の宝貝(ほうばい)を拿(と)り、径(ただ)ちに高山(こうざん)の絶頂(ぜっちょう)に至(いた)り、底児(そこ)をして天(てん)に朝(むか)わしめ、口児(くち)をして地(ち)に朝(むか)わしめ、一声(ひとこえ)叫(さけ)べ『孫行者(そんぎょうじゃ)!』と。彼(かれ)若(も)し応(こた)えなば、已(すで)に裏(うち)に装(い)れられたるなり。即(すなわ)ち随(したが)いて太上老君(たいじょうろうくん)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)奉勅(ほうちょく)の帖児(ふだ)を貼(は)り着(つ)けなば、彼(かれ)は一時三刻(いちじさんこく=一時半)に化(か)して膿(うみ)と為(な)らん。」

二小妖(にしょうよう)は叩頭(こうとう)し、宝貝(ほうばい)を将(もっ)て領(う)け出(いだ)して行者(ぎょうじゃ)を拿(とら)えに去(ゆ)く。題(だい)せず。

却説(さて)那(か)の大聖(たいせい)は魔(ま)に法(ほう)を使(つか)われて山根(さんこん=山の麓)の下(した)に圧(お)さえ住(とど)められ、苦(く)に遇(あ)えば三蔵(さんぞう)を思(おも)い、災(わざわい)に逢(あ)えば聖僧(しょうそう)を念(おも)い、厳(きび)しき声(こえ)を揚(あ)げて叫(さけ)んで道(い)わく、

「師父(しふ)啊(や)!想(おも)うに当時(そのかみ)汝(なんじ)両界山(りょうかいざん)に到(いた)り、圧帖(あつじょう=押さえの札)を掲(あ)げしに、老孫(ろうそん)は大難(たいなん)を脱(のが)れ、教(きょう)を沙門(しゃもん)に秉(と)り、菩薩(ぼさつ)の法旨(ほうし)を賜(たま)わりしを感(かん)じ、我(われ)と汝(なんじ)は同住同修(どうじゅうどうしゅ)、同縁同相(どうえんどうそう)、同見同知(どうけんどうち)せり。乍(にわか)に想(おも)えば此処(ここ)に到(いた)り、魔障(ましょう=魔の障り)に遭逢(そうほう)し、又(また)彼(かれ)に山(やま)を遣(つかわ)されて圧(お)さる。憐(あわ)れむ可(べ)し!憐(あわ)れむ可(べ)し!汝(なんじ)が死(し)するは該当(まさ)なれど、只(た)だ沙僧(しゃそう)・八戒(はっかい)と那(か)の小龍(しょうりゅう)の馬(うま)に化(か)せし一場(ひとくさり)を難為(なんい=苦しめる)するのみ!此(こ)れ正(まさ)に是(こ)れ

樹大(じゅだい=樹の大)なれば風(かぜ)を招(まね)きて風(かぜ)樹(き)を撼(ゆる)がし
人(ひと)名高(なだか)きが為(ため)に名(な)人(ひと)を喪(うしな)う

と!」

嘆(なげ)き罷(や)むれば、那(か)の珠涙(しゅるい=玉の涙)雨(あめ)の如(ごと)し。早(はや)くも山神(さんしん)・土地(とち)と五方掲諦神衆(ごほうかいたいしんしゅう=五方の掲諦の神たち)を驚(おどろ)かせり。金頭掲諦(きんとうかいたい)は会(かい)して道(い)わく、「此(こ)の山(やま)は是(こ)れ誰(たれ)のものぞ?」

土地は言った。「是(こ)れ我(われ)らのものなり。」

「汝(なんじ)が山下(さんか)に圧(お)さえしは是(こ)れ誰(たれ)ぞ?」

土地は言った。

「是(こ)れ誰(たれ)なるを知(し)らず。」

掲諦(かいたい)は言った。「汝(なんじ)ら原来(もと)知(し)らざるか。此(こ)れに圧(お)さえられたるは、五百年前(ごひゃくねんぜん)に天宮(てんぐう)を大鬧(だいどう=大騒ぎ)せし斉天大聖(せいてんたいせい)孫悟空(そんごくう)行者(ぎょうじゃ)にして、如今(いま)正果(しょうか)に皈依(きえ=帰依)し、唐僧(とうそう)に跟(したが)うて徒弟(とてい)と做(な)れり。汝(なんじ)ら怎(いか)で山(やま)を妖魔(ようま)に借(か)し与(あた)えて彼(かれ)を圧(お)さしむるや。汝(なんじ)らは是(こ)れ死(し)したるなり。彼(かれ)若(も)し一日(いちじつ)身(み)を脱(のが)れ出(い)で来(きた)らば、彼(かれ)肯(がえん)じて汝(なんじ)を饒(ゆる)さんや!就(たと)い是(こ)れ軽(かる)きより従(したが)うも、土地(とち)は也(ま)た箇(ひとつ)の擺站(はいざん=駅送り)を問(と)われ、山神(さんしん)は也(ま)た箇(ひとつ)の充軍(じゅうぐん=流刑)を問(と)われ、我(われ)らも亦(ま)た箇(ひとつ)の大不応(だいふおう=大いなる不応)を領(う)けるのみ。」

那(か)の山神(さんしん)・土地(とち)は才(はじ)めて怕(おそ)れて道(い)わく、「委実(いじつ=まこと)に知(し)らず知(し)らず。只(た)だ聴(き)く那(か)の魔頭(まとう)の遣山呪法(けんざんじゅほう=山を遣わす呪法)を念(とな)え起(おこ)すを、我(われ)ら就(すなわ)ち山(やま)を把(もっ)て移(うつ)し将(きた)れるのみ、誰(たれ)か暁(さと)らん是(こ)れ孫大聖(そんたいせい)ならんとは?」

掲諦(かいたい)は言った。「汝(なんじ)且(しばら)く怕(おそ)るるを休(や)めよ。律上(りつじょう=律の文)に云(い)えること有(あ)り『知(し)らざる者(もの)は坐(ざ=罰)せず』と。我(われ)汝(なんじ)と与(とも)に計較(けいこう)して、彼(かれ)を放(はな)ち出(いだ)さん、彼(かれ)に手(て)を動(うご)かして汝(なんじ)らを打(う)たしむること勿(なか)れ。」

土地は言った。「就(すなわ)ち理(り)無(な)からん、既(すで)に放(はな)ち出(いだ)して又(また)打(う)たるるとは?」

掲諦は言った。「汝(なんじ)は知(し)らずや、彼(かれ)に一条(ひとすじ)の如意金箍棒(にょいきんこぼう)有(あ)り、十分(じゅうぶん)に利售(りがい=鋭く)なるぞ。打(う)ち着(つ)くれば就(すなわ)ち死(し)し、挽(ひ)き着(つ)くれば就(すなわ)ち傷(きずつ)く。磕(こつ)くこと一磕(ひとこつ)きすれば筋(すじ)断(た)え、擦(こす)ること一擦(ひとこす)りすれば皮(かわ)塌(つぶ)れるなり!」

那(か)の土地(とち)・山神(さんしん)は、心(こころ)の中(うち)に恐懼(きょうく)し、五方掲諦(ごほうかいたい)と与(とも)に商議(しょうぎ=相談)し了(おわ)り、却(かえ)って三山門外(さんざんもんがい=三つの山の門の外)に来(きた)りて叫(さけ)んで道(い)わく、「大聖(たいせい)!山神(さんしん)・土地(とち)・五方掲諦(ごほうかいたい)来(きた)りて見(まみ)えんとす。」

好(よ)き行者(ぎょうじゃ)、彼(かれ)は虎(とら)痩(や)せて雄心(ゆうしん)は還(ま)た在(あ)り、自然(じねん)の気象(きしょう=気構え)昂昂(こうこう)、声音(せいおん)朗朗(ろうろう)として道(い)わく、「我(われ)に見(まみ)えて怎(いか)にせんや?」

土地は言った。「大聖(たいせい)に告(つ)げて知(し)らしめん。山(やま)を遣(つかわ)し開(ひら)き、大聖(たいせい)に出(い)で来(きた)らしめ、小神(しょうしん=卑しい神)の不恭(ふきょう=不敬)の罪(つみ)を赦(ゆる)されん。」

行者は言った。「山(やま)を遣(つかわ)し開(ひら)かば、汝(なんじ)を打(う)たじ。」

一声(ひとこえ)喝(かつ)して道(い)わく、「起(お)き去(さ)れ!」と。就(すなわ)ち官府(かんふ=役所)の発放(ほうはつ=下知)の一般(ごと)し。那(か)の衆神(しゅうしん)は真言呪語(しんごんじゅご)を念(とな)え動(うご)かし、山(やま)を仍(もと)のごとく遣(つかわ)して本位(ほんい=元の位置)に帰(かえ)し、行者(ぎょうじゃ)を放(はな)ち起(おこ)せり。

行者は跳(と)び将(ゆ)き起(お)き上(あが)り、土(つち)を抖(はら)い抖(はら)い、裙(くん=裳)を束(つか)ね束(つか)ね、耳朶(みみ)の後(うし)ろより棒(ぼう)を掣(ひきぬ)き出(いだ)し、山神(さんしん)・土地(とち)を叫(よ)んで道(い)わく、「都(ことごと)く孤拐(ここい=踝)を伸(の)べ過(わた)せ、每人(ひとり)ずつ先(ま)ず両下(ふたつ)打(う)ち、老孫(ろうそん)と与(とも)に悶(もん=鬱憤)を散(さん)じ散(さん)ぜよ!」

衆神(しゅうしん)は大(おお)いに驚(おどろ)いて道(い)わく、「剛才(さっき)大聖(たいせい)は已(すで)に吩咐(いいつけ)して、我(われ)らが罪(つみ)を恕(ゆる)せり。怎(いか)にして出(い)で来(きた)るや就(すなわ)ち言語(げんご)を変(か)えて打(う)たんと要(よう)するや?」

行者は言った。「好(よ)き土地(とち)!好(よ)き山神(さんしん)!汝(なんじ)らは倒(かえ)って老孫(ろうそん)を怕(おそ)れず、却(かえ)って妖怪(ようかい)を怕(おそ)るるかな!」

土地は言った。「那(か)の魔(ま)は神通(じんつう)広大(こうだい)、法術(ほうじゅつ)高強(こうきょう)にして、真言呪語(しんごんじゅご)を念(とな)え動(うご)かし、我(われ)らを拘喚(こうかん=呼び出し)て彼(かれ)が洞裏(どうり)に在(あ)らしめ、一日(いちじつ)に一箇(ひとり)ずつ輪流(りんりゅう=交代)に当値(とうち=当直)せしむるなり!」

行者は当値(とうち)の二字(ふたじ)を聴(き)きて、却(かえ)って也(ま)た心(こころ)驚(おどろ)き、面(かお)を天(てん)に仰(あお)ぎ朝(むか)い、声(こえ)を高(たか)うして大(おお)いに叫(さけ)んで道(い)わく、

「蒼天(そうてん)!蒼天(そうてん)!那(か)の混沌(こんとん)初分(しょぶん=初めて分かれし)、天開(てんかい)き地闢(ちびら)けしより、花果山(かかざん)に我(われ)を生(しょう)じ、我(われ)も亦(ま)た曾(かつ)て明師(めいし)を遍訪(へんぼう=遍く訪ね)、長生(ちょうせい)の秘訣(ひけつ)を伝授(でんじゅ)せられたり。想(おも)うに我(わ)が那(か)の風(かぜ)に随(したが)いて変化(へんげ)し、虎(とら)を伏(ふく)し龍(りゅう)を降(くだ)し、天宮(てんぐう)を大鬧(だいどう)し、名(な)を大聖(たいせい)と称(とな)えしに、更(さら)に曾(かつ)て山神(さんしん)・土地(とち)を把(もっ)て心(こころ)に欺(あざむ)きて使喚(しかん)せず。今日(こんにち)此(こ)の妖魔(ようま)無状(ぶじょう=無礼)にして、怎(いか)で敢(あ)えて山神(さんしん)・土地(とち)を喚(よ)んで奴僕(ぬぼく=召使)と為(な)し、彼(かれ)に替(かわ)りて輪流(りんりゅう)に当値(とうち)せしむるや。天(てん)啊(や)!

既(すで)に老孫(ろうそん)を生(しょう)ぜば、怎(いか)で又(また)此(こ)の輩(やから)を生(しょう)ぜしや?」

那(か)の大聖(たいせい)が正(まさ)に感慨(かんがい)する間(あいだ)に、又(また)山凹(さんおう)の裏(うち)より霞光(かこう=霞の光)の焰焰(えんえん=きらめき)として来(きた)るを見(み)る。行者(ぎょうじゃ)は道(い)わく、「山神(さんしん)・土地(とち)よ、汝(なんじ)ら既(すで)に此(こ)の洞中(どうちゅう)に在(あ)りて当値(とうち)せば、那(あ)の光(ひかり)を放(はな)つは是(こ)れ甚(なん)の物件(もの)ぞ?」

土地は言った。「那(あ)れは是(こ)れ妖魔(ようま)の宝貝(ほうばい)の光(ひかり)を放(はな)つなり。想(おも)うに是(こ)れ妖精(ようせい)の宝貝(ほうばい)を拿(と)り来(きた)りて汝(なんじ)を降(くだ)さんとするならん。」

行者は言った。「此(こ)れは却(かえ)って好(よ)く耍子児(しゃしじ=面白がる)なるかな!我(われ)且(しばら)く汝(なんじ)に問(と)わん、彼(かれ)が此(こ)の洞中(どうちゅう)に甚(なん)の人(ひと)の彼(かれ)と与(とも)に相往(しょうおう=行き来)する有(あ)るや?」

土地は言った。「彼(かれ)の愛(あい)するは是(こ)れ丹(たん)を焼(や)き薬(くすり)を煉(ね)ること、喜(よろこ)ぶは是(こ)れ全真道人(ぜんしんどうじん=全真教の道士)なり。」

行者は言った。「怪(あや)しき哉(かな)彼(かれ)が箇(ひとり)の老道士(ろうどうし)に変化(へんげ)して、我(わ)が師父(しふ)を騙(だま)し去(さ)りしは。既(すで)に此(こ)れ等(ほど)ならば、汝(なんじ)ら都(ことごと)く且(しばら)く打(う)たるるを記(き)せ、回(かえ)り去(さ)れ。老孫(ろうそん)自(みずか)ら彼(かれ)を拿(とら)えんと待(まて)。」

那(か)の衆神(しゅうしん)は俱(ことごと)く空(くう)に騰(あ)がりて散(さん)ず。此(こ)の大聖(たいせい)は身(み)を揺(ゆ)るがして一変(いっぺん)し、変(へん)じて箇(ひとり)の老真人(ろうしんじん=老いた仙人)を作(な)す。汝(なんじ)彼(かれ)が怎生(いか)なる扮装(いでたち)なるを道(い)わんや。

頭(かしら)には双髽髻(そうさけい=二つの髷)を挽(ま)き、身(み)には百衲衣(ひゃくのうえ=継ぎ接ぎの衣)を穿(き)る
手(て)には漁鼓簡(ぎょこかん=漁鼓の撥)を敲(たた)き、腰(こし)には呂公縧(りょこうとう=呂洞賓の帯)を系(か)く
斜(ななめ)に大路(たいろ)の下(した)に倚(よ)り、専(もっぱ)ら小魔妖(しょうまよう=小妖怪)を候(ま)つ
頃刻(しばらく)して妖(よう)到(いた)り来(きた)れば、猴王(こうおう)暗(あん)に刁(こうかつ=悪巧み)を放(はな)つ

多(あま)たずして、那(か)の両箇(ふたり)の小妖(しょうよう)到(いた)り来(きた)る。行者(ぎょうじゃ)は金箍棒(きんこぼう)を将(もっ)て伸(の)ばし開(ひら)けば、那(か)の妖(よう)は曾(かつ)て防備(ぼうび)せざりしに、脚(あし)を絆(つまず)かれ、撲(ぼく=ぽん)と一跌(ひとつまずき)せり。爬(は)い起(お)き上(あが)りて、才(はじ)めて行者(ぎょうじゃ)を見(み)て、口(くち)の裏(うち)に嚷(わめ)いて道(い)わく、「憊懶(はいらん=不精者)!憊懶(はいらん)!若(も)し我(わ)が大王(だいおう)の汝(なんじ)が此(こ)の行(ぎょう)の人(ひと)を敬重(けいちょう=尊ぶ)に非(あら)ずんば、就(すなわ)ち和(あい)して比較(ひかく=決着)し起(おこ)さんものを。」

行者は陪(とも)に笑(わら)うて言った。「比較(ひかく)して甚(なん)かせん。道人(どうじん=道士)の道人(どうじん)を見(み)るは、都(ことごと)く是(こ)れ一家人(いっかじん=同じ一家)なり。」

那(か)の怪(かい)は言った。「汝(なんじ)怎(いか)にして此処(ここ)に睡(ね)りて、我(われ)をして一跌(ひとつまずき)せしむるや?」

行者は言った。「小道童(しょうどうどう=小さき道童)が我(われ)が此(こ)の老道人(ろうどうじん)を見(み)れば、一跌児(ひとつまずき)を跌(つまず)いて見面銭(けんめんせん=面会の祝儀)と做(な)さんと要(よう)するなり。」

那(か)の妖(よう)は言った。「我(わ)が大王(だいおう)の見面銭(けんめんせん)は只(た)だ幾両(いくりょう)の銀子(ぎんし=銀)を要(よう)するに、汝(なんじ)怎(いか)で一跌児(ひとつまずき)を跌(つまず)いて見面銭(けんめんせん)と做(な)すや。汝(なんじ)は別(べつ)に是(こ)れ一郷風(いっきょうふう=他所の風習)ならん、決(けっ)して是(こ)れ我(わ)が此処(ここ)の道士(どうし)に非(あら)ず。」

行者は言った。「我(われ)は当真(ほんとう)に非(あら)ず、我(われ)は是(こ)れ蓬莱山(ほうらいさん)より来(きた)れるなり。」

那(か)の妖(よう)は言った。

「蓬莱山(ほうらいさん)は是(こ)れ海島(かいとう=海の島)神仙(しんせん)の境界(きょうがい)なり。」

行者は言った。「我(われ)神仙(しんせん)に非(あら)ずんば、誰(たれ)か是(こ)れ神仙(しんせん)ならんや?」

那(か)の妖(よう)は却(かえ)って嗔(いかり)を回(めぐ)らして喜(よろこび)と作(な)し、上前(すす)みて道(い)わく、「老神仙(ろうしんせん)!老神仙!我(われ)らは肉眼凡胎(にくがんぼんたい=凡人の眼と身)にて、能(よ)く識認(しきにん=見分け)ず、言語(げんご)冲撞(しょうとう=突き当たる)せり。怪(とが)むる莫(なか)れ、怪(とが)むる莫(なか)れ。」

行者は言った。「我(われ)汝(なんじ)を怪(とが)めず。常言(じょうげん)に道(い)わく『仙体(せんたい=仙人の体)は凡地(ぼんち=俗地)を踏(ふ)まず』と、汝(なんじ)怎(いか)で之(これ)を知(し)るや。我(われ)今日(こんにち)汝(なんじ)が山(やま)の上(うえ)に到(いた)り、一箇(ひとり)の仙(せん)を成(な)し道(みち)を了(おわ)る好人(こうにん)を度(ど=救済)せんと要(よう)す。那(ど)の箇(ひとり)か肯(がえん)じて我(われ)に跟(したが)い去(ゆ)かんとするや?」

精細鬼(せいさいき)は言った。「師父(しふ)、我(われ)汝(なんじ)に跟(したが)い去(ゆ)かん。」

伶俐虫(れいりちゅう)は言った。「師父(しふ)、我(われ)汝(なんじ)に跟(したが)い去(ゆ)かん。」

行者は明(あきらか)に知(し)りて故(ことさら)に問(と)うて道(い)わく、「汝(なんじ)二位(ふたり)那処(いずこ)より来(きた)れるや?」

那(か)の怪(かい)は言った。「蓮花洞(れんかどう)より来(きた)れり。」

「那処(いずこ)へ往(ゆ)かんと要(よう)するや?」

那(か)の怪(かい)は言った。「我(わ)が大王(だいおう)の教命(きょうめい=命令)を奉(ほう)じ、孫行者(そんぎょうじゃ)を拿(とら)えに去(ゆ)くなり。」

行者は言った。「那(ど)の箇(ひとり)を拿(とら)えるや?」

那(か)の怪(かい)は又(また)言った。「孫行者(そんぎょうじゃ)を。」

孫行者は言った。「是(こ)れ唐僧(とうそう)に跟(したが)いて経(きょう)を取(と)る那(か)の孫行者(そんぎょうじゃ)ならんか?」

那(か)の妖(よう)は言った。「正是(まさにそう)、正是(まさにそう)。汝(なんじ)も亦(ま)た彼(かれ)を認(みと)め得(う)るや?」

行者は言った。「那(か)の猴(さる)は些(いささ)か無礼(ぶれい)なり。我(われ)彼(かれ)を認(みと)め得(え)て、我(われ)も亦(ま)た些(いささ)か彼(かれ)を悩(なや)ます。我(われ)汝(なんじ)と与(とも)に彼(かれ)を拿(とら)えに去(ゆ)き、就(すなわ)ち汝(なんじ)と与(とも)に功(こう)を助(たす)くるに当(あて)ん。」

那(か)の怪(かい)は言った。「師父(しふ)、汝(なんじ)が功(こう)を助(たす)くるを須(もち)いず。我(わ)が二大王(にだいおう)に些(いささ)か法術(ほうじゅつ)有(あ)り、三座(みっつ)の大山(たいざん)を遣(つかわ)して彼(かれ)を山下(さんか)に圧(お)さえ、寸歩(すんぽ)も移(うつ)ること難(がた)からしめ、我(われ)両箇(ふたり)に宝貝(ほうばい)を拿(と)り来(きた)りて彼(かれ)を装(い)れしむるなり。」

行者は言った。「是(こ)れ甚(なん)の宝貝(ほうばい)ぞ?」

精細鬼(せいさいき)は言った。「我(わ)がは是(こ)れ紅葫芦(べにひょうたん)、彼(かれ)がは是(こ)れ玉浄瓶(ぎょくじょうへい)。」

行者は言った。「怎(いか)なる様(さま)に彼(かれ)を装(い)れるや?」

小妖(しょうよう)は言った。「此(こ)の宝貝(ほうばい)の底児(そこ)をして天(てん)に朝(むか)わしめ、口児(くち)をして地(ち)に朝(むか)わしめ、彼(かれ)を一声(ひとこえ)叫(さけ)べ。彼(かれ)若(も)し応(こた)えなば、就(すなわ)ち裏(うち)に装(い)れたり。上(うえ)に一張(ひとつ)の太上老君(たいじょうろうくん)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)奉勅(ほうちょく)の帖子(ふだ)を貼(は)り着(つ)けなば、彼(かれ)は一時三刻(いちじさんこく)に化(か)して膿(うみ)と為(な)らん。」

行者は説(と)くを見(み)て、心(こころ)の中(うち)に暗(あん)に驚(おどろ)いて道(い)わく、「利售(りがい=手強い)!利售(りがい)!当時(そのかみ)日値功曹(にっちこうそう)の信(しん)を報(ほう)じて、五件(いつつ)の宝貝(ほうばい)有(あ)りと説(と)きしが、是(こ)れ両件(ふたつ)なり。那(か)の三件(みっつ)は又(また)是(こ)れ甚(なん)の東西(もの)なるを知(し)らず。」

行者は笑(わら)うて言った。「二位(ふたり)よ、汝(なんじ)宝貝(ほうばい)を把(もっ)て我(われ)に借(か)して看(み)しめよ。」

那(か)の小妖(しょうよう)は那(なん)の訣竅(けっきょう=からくり)を知(し)らざれば、就(すなわ)ち袖中(しゅうちゅう)より両件(ふたつ)の宝貝(ほうばい)を取(と)り出(いだ)し、双手(もろて)にて行者(ぎょうじゃ)に遞(わた)せり。行者は見(み)て、心(こころ)の中(うち)に暗(あん)に喜(よろこ)んで道(い)わく、「好(よ)き東西(もの)!好(よ)き東西(もの)!我(われ)若(も)し尾子(しっぽ)を把(もっ)て一抉(ひとつま)みし、颼(しゅう)と跳(と)び起(お)きて走(はし)り去(さ)らば、只(た)だ当(あて)て是(こ)れ老孫(ろうそん)に送(おく)れるに。」

忽(たちま)ち又(また)思(おも)えらく、「不好(よくない)!不好(よくない)!搶(うば)うは便(すなわ)ち搶(うば)い去(さ)らんも、只(た)だ是(こ)れ老孫(ろうそん)が名頭(なあたま=評判)を壊(こわ)さん、是(こ)れを白日搶奪(はくじつそうだつ=白昼の強奪)と叫做(よば)れん。」

復(また)彼(かれ)に遞(わた)し与(あた)えて道(い)わく、「汝(なんじ)は還(ま)た曾(かつ)て我(わ)が宝貝(ほうばい)を見(み)ざるかな。」

那(か)の怪(かい)は言った。「師父(しふ)に甚(なん)の宝貝(ほうばい)か有(あ)るや。也(ま)た我(われ)に借(か)して凡人(ぼんじん)に看(み)せて災(さい)を圧(おさ)えしめよ。」

好(よ)き行者(ぎょうじゃ)、手(て)を伸(の)ばし下(おろ)して尾(しっぽ)の上(うえ)の毫毛(ごうもう)を一根(ひとすじ)抜(ぬ)き、捻(ねん)じ捻(ねん)じして「変(へん)ぜよ!」と叫(さけ)べば、即(すなわ)ち変(へん)じて一箇(ひとつ)の一尺七寸(いっしゃくしちすん)の大(おおい)なる紫金紅葫芦(しきんべにひょうたん)を作(な)し、腰(こし)の裏(うち)より拿(と)り将(ゆ)き出(いだ)して道(い)わく、「汝(なんじ)我(わ)が葫芦(ひょうたん)を看(み)るや?」

那(か)の伶俐虫(れいりちゅう)は手(て)に接(う)け、看(み)て道(い)わく、「師父(しふ)、汝(なんじ)が此(こ)の葫芦(ひょうたん)は長大(ちょうだい)にして、様範(ようはん=形)有(あ)り、看(み)て好(よ)けれど、却(かえ)って只(た)だ是(こ)れ中用(ちゅうよう=役に立つ)せず。」

行者は言った。「怎(いか)で中用(ちゅうよう)せざるや?」

那(か)の怪(かい)は言った。「我(われ)らが此(こ)の両件(ふたつ)の宝貝(ほうばい)は、毎一箇(ひとつ)ずつ千人(せんにん)を装(い)る可(べ)きなり。」

行者は言った。「汝(なんじ)が此(こ)の人(ひと)を装(い)れるは、何(なん)ぞ稀罕(きかん=珍しき)に足(た)らんや。我(わ)が此(こ)の葫芦(ひょうたん)は、天(てん)を連(つら)ねて都(ことごと)く裏(うち)に装(い)るなり!」

那(か)の怪(かい)は言った。「就(すなわ)ち以(もっ)て天(てん)を装(い)る可(べ)きか?」

行者は言った。「当真(ほんとう)に天(てん)を装(い)る。」

那(か)の怪(かい)は言った。「只(た)だ怕(おそ)るるは是(こ)れ謊(うそ)ならん。就(すなわ)ち装(い)れて我(われ)らに看看(みせ)てこそ才(はじ)めて信(しん)ぜん、然(しか)らずんば決(けっ)して汝(なんじ)を信(しん)ぜじ。」

行者は言った。「天(てん)若(も)し我(われ)を悩(なや)ませば、一月(いちげつ)の間(あいだ)に、常(つね)に彼(かれ)を装(い)ること七八遭(ななはちたび)。我(われ)を悩(なや)ませざれば、就(すなわ)ち半年(はんとし)も也(ま)た彼(かれ)を装(い)ること一次(ひとたび)ならず。」

伶俐虫(れいりちゅう)は言った。「哥(あにき)啊(や)、天(てん)を装(い)る宝貝(ほうばい)を、彼(かれ)と与(とも)に換(か)えんか。」

精細鬼(せいさいき)は言った。「彼(かれ)が天(てん)を装(い)れるを、怎(いか)で肯(がえん)じて我(われ)が人(ひと)を装(い)れると相換(あいか)えんや。」

伶俐虫(れいりちゅう)は言った。「若(も)し肯(がえん)ぜずんば、彼(かれ)に此(こ)の浄瓶(じょうへい)を貼(てんぷ=おまけ)するも罷(や)めんか。」

行者は心(こころ)の中(うち)に暗(あん)に喜(よろこ)んで道(い)わく、「葫芦(ひょうたん)に葫芦(ひょうたん)を換(か)え、余外(よがい=おまけ)に浄瓶(じょうへい)を貼(つ)けられ、一件(ひとつ)に両件(ふたつ)を換(か)うるは、実(じつ)に甚(はなは)だ相応(そうおう=釣り合う)なり!」

即(すなわ)ち上前(すす)みて那(か)の伶俐虫(れいりちゅう)を扯(ひ)き住(とど)めて道(い)わく、「天(てん)を装(い)る可(べ)きか換(か)う可(べ)きか?」

那(か)の怪(かい)は言った。「但(た)だ天(てん)を装(い)れば就(すなわ)ち換(か)えん、換(か)えずんば、我(われ)は是(こ)れ汝(なんじ)が儿子(せがれ)なり!」

行者は言った。「也(ま)た罷(や)めん、也(ま)た罷(や)めん。我(われ)装(い)れて汝(なんじ)らに看看(みせ)ん。」

好(よ)き大聖(たいせい)、頭(かしら)を低(た)れて訣(けつ)を捻(ねん)じ、一箇(ひとつ)の呪語(じゅご)を念(とな)え、那(か)の日遊神(にちゆうしん)・夜遊神(やゆうしん)・五方掲諦神(ごほうかいたいしん)を叫(よ)んで道(い)わく、

「即(すなわ)ち去(ゆ)きて我(われ)と与(とも)に玉帝(ぎょくてい)に奏(そう)し上(たてまつ)れ。説(い)え、老孫(ろうそん)は正果(しょうか)に皈依(きえ)し、唐僧(とうそう)を保(たも)ちて西天(さいてん)に去(ゆ)きて経(きょう)を取(と)るに、路(みち)は高山(こうざん)に阻(へだ)てられ、師(し)は苦厄(くやく)に逢(あ)えり。妖魔(ようま)の那(か)の宝(たから)を、吾(われ)彼(かれ)を誘(さそ)いて之(これ)と換(か)えんと欲(ほっ)す。万千(よろず)拜上(はいじょう=謹んで申し上げ)せよ、天(てん)を将(もっ)て老孫(ろうそん)に借(か)し与(あた)えて半箇時辰(はんこじしん=一時間)装(い)れ閉(と)ざさしめ、以(もっ)て成功(せいこう)を助(たす)けしめよ。若(も)し半声(ひとこえ)も肯(がえん)ぜずと道(い)わば、即(すなわ)ち霊霄殿(れいしょうでん)に上(のぼ)り、刀兵(とうへい=武力)を動(うご)かさん!」

那(か)の日遊神(にちゆうしん)は径(ただ)ちに南天門(なんてんもん)の裏(うち)霊霄殿下(れいしょうでんか)に至(いた)り、玉帝(ぎょくてい)に啓奏(けいそう=奏上)して、前事(ぜんじ=先の事)を備(つぶさ)に言(い)えり。

玉帝は道(い)わく、「此(こ)の潑猴頭(はつこうとう=暴れ猿め)は、言(げん)を出(いだ)して状(じょう=礼)無(な)し。前者(さき)観音(かんのん)来(きた)りて説(と)き、彼(かれ)を放(はな)ちて唐僧(とうそう)を保護(ほご)せしめしに、朕(ちん)が此処(ここ)に又(また)五方掲諦(ごほうかいたい)・四値功曹(しちこうそう)を差(つかわ)し、輪流(りんりゅう)に護持(ごじ=守護)せしむるに、如今(いま)又(また)天(てん)を借(か)りて装(い)れんとす。天(てん)は装(い)る可(べ)きか?」

才(はじ)めて装(い)る可(べ)からずと説(と)けるに、那(か)の班中(はんちゅう=列の中)より哪吒三太子(なたさんたいし)闪(ひらめ)き出(い)で、奏(そう)して道(い)わく、「万歳(ばんぜい)、天(てん)も也(ま)た装(い)る可(べ)し。」

玉帝は言った。「天(てん)は怎(いか)なる様(さま)に装(い)るや?」

哪吒(なた)は言った。「混沌(こんとん)初分(しょぶん)より、軽清(けいせい=軽く清き)を以(もっ)て天(てん)と為(な)し、重濁(じゅうだく=重く濁れる)を以(もっ)て地(ち)と為(な)す。天(てん)は是(こ)れ一団(ひとかたまり)の清気(せいき)にして瑶天宮闕(ようてんきゅうけつ=天の宮殿)を扶托(ふたく=支え)す。理(り)を以(もっ)て之(これ)を論(ろん)ずれば、実(じつ)に装(い)り難(がた)し。但(た)だ只(た)だ孫行者(そんぎょうじゃ)の唐僧(とうそう)を保(たも)ちて西(にし)に去(ゆ)きて経(きょう)を取(と)るは、誠(まこと)に謂(い)う所(ところ)の泰山(たいざん)の福縁(ふくえん)、海深(かいしん)の善慶(ぜんけい=深き善き慶び)なれば、今日(こんにち)当(まさ)に彼(かれ)の成功(せいこう)を助(たす)く可(べ)し。」

玉帝は言った。「卿(けい)に何(なん)の助(たすけ)か有(あ)るや?」

哪吒は言った。「請(こ)う、旨意(しい=勅旨)を降(くだ)し、北天門(ほくてんもん)に往(ゆ)きて真武(しんぶ)に問(と)うて皂雕旗(そうちょうき=黒い鷲の旗)を借(か)り、南天門(なんてんもん)の上(うえ)に一展(ひとひろげ)して、那(か)の日月星辰(じつげつせいしん)を把(もっ)て閉(とざ)し了(おわ)らしめよ。対面(たいめん)に人(ひと)見(み)えず、白(しろ)を捉(とら)えて黒(くろ)を見(み)ざらしめ、那(か)の怪(かい)を哄(だま)して、只(た)だ説(い)え『天(てん)を装(い)り了(おわ)れり』と、以(もっ)て行者(ぎょうじゃ)の成功(せいこう)を助(たす)けよ。」

玉帝はこれを聞きて道(い)わく、「卿(けい)が奏(そう)する所(ところ)に依(よ)らん。」

那(か)の太子(たいし)は旨(し)を奉(ほう)じ、前(まえ)に来(きた)りて北天門(ほくてんもん)に至(いた)り、真武(しんぶ)に見(まみ)えて前事(ぜんじ)を備(つぶさ)に言(い)えり。那(か)の祖師(そし)は随(したが)って旗(はた)を将(もっ)て太子(たいし)に付(ふ)せり。

早(はや)くも遊神(ゆうしん)の急(いそ)ぎ大聖(たいせい)の耳辺(じへん)に降(くだ)りて道(い)わく、「哪吒太子(なたたいし)来(きた)りて功(こう)を助(たす)けんとす」とあり。

行者は面(かお)を仰(あお)いで之(これ)を観(み)るに、只(た)だ見(み)る祥雲(しょううん)繚繞(りょうじょう=たなびき)、果(はた)して是(こ)れ神(かみ)有(あ)り。却(かえ)って頭(かしら)を回(めぐ)らして小妖(しょうよう)に対(たい)して道(い)わく、「天(てん)を装(い)らんか。」

小妖は言った。「装(い)らんと要(よう)せば就(すなわ)ち装(い)れ、只(た)だ管(ひたすら)阿綿花屎(あめんかし=ぐずぐず)するは怎(いか)なることぞ?」

行者は言った。「我(われ)方才(さっき)神(しん)を運(めぐ)らし呪(じゅ)を念(とな)え来(きた)れるなり。」

那(か)の小妖(しょうよう)は都(ことごと)く眼(め)を睜(ひら)き、彼(かれ)の怎(いか)なる様(さま)に天(てん)を装(い)るを看(み)んとす。此(こ)の行者(ぎょうじゃ)は一箇(ひとつ)の仮(にせ)の葫芦児(ひょうたん)を将(もっ)て抛(なげう)ち上(のぼ)せり。汝(なんじ)想(おも)え、此(こ)れは是(こ)れ一根(ひとすじ)の毫毛(ごうもう)の変(へん)ぜしもの、能(よ)く多(いかほど)の重(おも)さ有(あ)らんや。

那(か)の山頂(さんちょう)の上(うえ)の風(かぜ)に吹(ふ)かれて去(さ)られ、飄飄蕩蕩(ひょうひょうとうとう=ふわふわ)として、足(た)だ半箇時辰(はんこじしん)有(あ)りて、方(はじ)めて才(やっ)と落(お)ち下(くだ)れり。

只(た)だ見(み)る、那(か)の南天門(なんてんもん)の上(うえ)に、哪吒太子(なたたいし)が皂旗(そうき=黒き旗)を撥喇喇(はつらつらつ)と展開(てんかい)し、日月星辰(じつげつせいしん)を把(もっ)て俱(ことごと)く遮(さえぎ)り閉(とざ)し了(おわ)る。真(まこと)に是(こ)れ

乾坤(けんこん=天地)は墨(すみ)に染(そ)み就(な)り
宇宙(うちゅう)は靛(あい=藍)に装(よそお)い成(な)る

なり。二小妖(にしょうよう)は大(おお)いに驚(おどろ)いて道(い)わく、「才(さっき)話(はなし)せし時(とき)には、只(た)だ午(ひる)に向(むか)う可(べ)かりしに、却(かえ)って怎(いか)にして就(すなわ)ち黄昏(たそがれ)と為(な)れるや?」

行者は言った。「天(てん)既(すで)に装(い)り了(おわ)れば、時候(じこう=時)を弁(わきま)えず、怎(いか)で黄昏(たそがれ)ならざらん!」

「如何(いか)に又(また)此(こ)れ等(ほど)の様(さま)に黒(くろ)きや?」

行者は言った。「日月星辰(じつげつせいしん)は都(ことごと)く裏(うち)に装(い)り了(おわ)り、外(そと)に却(かえ)って光(ひかり)無(な)ければ、怎(いか)で黒(くろ)からざらん!」

小妖は言った。「師父(しふ)、汝(なんじ)は那廂(どちら)に在(あ)りて話(はな)せるや?」

行者は言った。「我(われ)汝(なんじ)が面前(めんぜん)に在(あ)るに是(こ)れならずや?」

小妖は手(て)を伸(の)ばし摸(さわ)り着(つ)けて道(い)わく、「只(た)だ話(はな)す声(こえ)見(み)えて、更(さら)に面目(めんもく=顔)見(み)えず。師父(しふ)、此間(ここ)は是(こ)れ甚(なん)の去処(ところ)ぞ?」

行者は又(また)彼(かれ)を哄(だま)して道(い)わく、「脚(あし)を動(うご)かすこと莫(なか)れ。此間(ここ)は乃(すなわ)ち是(こ)れ渤海(ぼっかい)の岸上(がんじょう)なり。若(も)し脚(あし)を塌(すべ)らせば、落(お)ち下(くだ)り去(ゆ)かば啊(や)、七八日(しちはちにち)にして也(ま)た還(ま)た底(そこ)に到(いた)ること得(え)じ!」

小妖は大(おお)いに驚(おどろ)いて道(い)わく、「罷(や)めん!罷(や)めん!罷(や)めん!天(てん)を放(はな)て。我(われ)らは是(こ)れ此(か)くの如(ごと)く装(い)るなるを暁(さと)れり。若(も)し一会子(ひととき)弄(いじ)って、海(うみ)に落(お)ち下(くだ)り去(さ)らば、家(いえ)に帰(かえ)ること得(え)じ!」

好(よ)き行者(ぎょうじゃ)、彼(かれ)の認(みと)めて真実(しんじつ)と為(な)せるを見(み)て、又(また)呪語(じゅご)を念(とな)えて太子(たいし)を驚動(きょうどう)し、旗(はた)を把(もっ)て卷(ま)き起(おこ)さしむれば、却(かえ)って早(はや)くも日光(にっこう)の正午(しょうご)なるを見(み)る。

小妖は笑(わら)うて言った。「妙(たえ)啊(や)!妙(たえ)啊(や)!此(か)くの如(ごと)き好(よ)き宝貝(ほうばい)を、若(も)し換(か)えずんば、誠(まこと)に是(こ)れ家(いえ)を養(やしな)う儿子(せがれ)に非(あら)ざらん!」

那(か)の精細鬼(せいさいき)は葫芦(ひょうたん)を交(わた)し、伶俐虫(れいりちゅう)は浄瓶(じょうへい)を拿(と)り出(いだ)し、一斉児(いっせいに)行者(ぎょうじゃ)に遞(わた)せり。行者(ぎょうじゃ)は却(かえ)って仮(にせ)の葫芦児(ひょうたん)を将(もっ)て那(か)の怪(かい)に遞(わた)せり。

行者は既(すで)に宝貝(ほうばい)を換(か)え了(おわ)りて、却(かえ)って又(また)事(こと)を幹(な)して找絶(そうぜつ=念入りに)す。臍下(さいか=臍の下)より一根(ひとすじ)の毫毛(ごうもう)を抜(ぬ)き、一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吹(ふ)き、変(へん)じて一箇(ひとつ)の銅銭(どうせん)を作(な)し、叫(さけ)んで道(い)わく、「小童(こわっぱ)よ、汝(なんじ)此(こ)の銭(ぜに)を拿(と)りて往(ゆ)きて一張(ひとつ)の紙(かみ)を買(か)い来(こ)よ。」

小妖は言った。「何(なん)に用(もち)いるや?」

行者は言った。「我(われ)汝(なんじ)と与(とも)に一箇(ひとつ)の合同文書(ごうどうぶんしょ=証文)を写(うつ)さん。汝(なんじ)は此(こ)の両件(ふたつ)の人(ひと)を装(い)る宝貝(ほうばい)を将(もっ)て我(わ)が一件(ひとつ)の天(てん)を装(い)る宝貝(ほうばい)に換(か)えたれば、恐(おそ)らくは人心(じんしん)平(たいら)かならず、向後(こうご=後日)に去(ゆ)きて日久年深(にちきゅうねんしん=年月が経て)、甚(なに)がしの反悔(はんかい=後戻り)有(あ)らんに不便(ふべん)ならん。此(こ)の故(ゆえ)に此(こ)れを写(うつ)して各(おの)おの執(と)りて照(あかし)と為(な)さんとす。」

小妖は言った。「此間(ここ)に又(また)筆墨(ひつぼく=筆と墨)無(な)きに、甚(なん)の文書(ぶんしょ)を写(うつ)さん。我(われ)汝(なんじ)と与(とも)に一箇(ひとつ)の呪(じゅ=誓い)を赌(か)けんか。」

行者は言った。「怎(いか)なる様(さま)に赌(か)くるや?」

小妖は言った。「我(われ)ら両件(ふたつ)の人(ひと)を装(い)る宝(たから)を、汝(なんじ)が一件(ひとつ)の天(てん)を装(い)る宝(たから)に貼(てんぷ)し換(か)えて、若(も)し反悔(はんかい)有(あ)らば、一年四季(いちねんしき=一年中)遭瘟(そうおん=疫病に遭う)せん。」

行者は笑(わら)うて言った。「我(われ)は是(こ)れ決(けっ)して反悔(はんかい)せじ、如(も)し反悔(はんかい)有(あ)らば、也(ま)た汝(なんじ)に照(なら)いて四季(しき)に遭瘟(そうおん)せん。」

誓(ちかい)を説(と)き了(おわ)り、身(み)を将(もっ)て一縦(ひととび)し、尾子(しっぽ)を把(もっ)て翹(あ)げること一翹(ひとあげ)して、南天門(なんてんもん)の前(まえ)に跳(と)び上(のぼ)り、哪吒太子(なたたいし)の旗(はた)を麾(ふる)うて相助(あいたす)くるの功(こう)を謝(しゃ)せり。太子(たいし)は宮(きゅう)に回(かえ)りて旨(し)を繳(かえ)し、旗(はた)を将(もっ)て真武(しんぶ)に送(おく)り還(かえ)して題(だい)せず。

此(こ)の行者(ぎょうじゃ)は霄漢(しょうかん=大空)の間(あいだ)に佇立(ちょりつ=立ち止まり)、那(か)の箇(ひとり)の小妖(しょうよう)を観看(かんかん=見物)す。

畢竟(つい)に怎生(いか)に区処(くしょ=処置)するを知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。