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035 第三十五回 外道(げどう)、威(い)を施(ほどこ)して正性(しょうせい)を欺(あざむ)く 心猿(しんえん)、宝(ほう)を得(え)て邪魔(じゃま)を伏(ふく)す

「本性(ほんしょう)円明(えんみょう=円かに明らか)なれば道(みち)自(おのずか)ら通(つう)じ、翻身(ほんしん=身を翻)して網羅(もうら=網)の中(なか)より跳出(ちょうしゅつ=跳び出)し了(おわ)んぬ。修(しゅう)し成(な)せる変化(へんげ)は容易(たやす)きに非(あら)ず、煉(ね)り就(な)せる長生(ちょうせい)豈(あに)俗(ぞく)と同(おな)じからんや。清濁(せいだく)幾番(いくたび)か運転(うんてん)に随(したが)い、辟開(へきかい=開き拓)きて数劫(すうごう=幾たびもの劫)の任(まま)に西東(ざいとう)す。逍遙(しょうよう)として億万年(おくまんねん)も計(はか)り無(な)く、一点(いってん)の神光(しんこう)永(とわ)に空(くう)に注(そそ)ぐ」

此(こ)の詩(し)は暗(あん)に孫大聖(そんだいせい)の道妙(どうみょう=道の奥義)に合(かな)う。彼(かれ)自(みずか)ら那(か)の魔(ま)の真宝(しんぽう=真の宝)を得(え)て、袖(そで)の中(うち)に籠(こ)め、喜(よろこ)んで道(い)わく、

「潑魔(はつま=あくまでも図太い魔)め、苦苦(くく=苦心惨憺)として心(こころ)を用(もち)いて我(われ)を拿(とら)えんとす、誠(まこと)に所謂(いわゆる)水中(すいちゅう)の月(つき)を撈(すく)うが如(ごと)し。老孫(ろうそん)若(も)し汝(なんじ)を擒(とりこ)にせんと要(よう)せば、便(すなわ)ち火上(かじょう)の氷(こおり)を弄(ろう)するに似(に)たり」

葫蘆(ころ=瓢箪)を蔵(かく)し、密々(ひそひそ=こっそり)と門外(もんがい)を溜(ぬけ)け出(い)で、本相(ほんしょう=本来の姿)を現(あらわ)し、厳(きび)しき声(こえ)を高(たか)めて叫(さけ)んで道(い)わく、

「精怪(せいかい=妖怪)、門(もん)を開(ひら)け!」

旁(かたわ)らに小妖(しょうよう=小妖怪)有(あ)りて道(い)わく、

「汝(なんじ)は又(また)是(こ)れ甚(いず)れの人(ひと)ぞ、敢(あえ)て来(きた)りて吆喝(ようかつ=怒鳴り立て)るか?」

行者(ぎょうじゃ)道(い)わく、

「速(すみ)やかに汝(なんじ)が那(か)の老潑魔(ろうはつま=図太い老いぼれ魔)に報(ほう)じよ、吾(われ)乃(すなわ)ち行者孫(ぎょうじゃそん)来(きた)れる也(なり)」

那(か)の小妖(しょうよう)急(いそ)ぎ入(い)りて裏(うち)に報(ほう)じて道(い)わく、

「大王(だいおう)、門外(もんがい)に個(ひとり)の甚麼(いず)れの行者孫(ぎょうじゃそん)と云(い)える者(もの)の来(きた)れる有(あ)り」

老魔(ろうま)大(おおい)に驚(おどろ)いて道(い)わく、

「賢弟(けんてい)、不好了(ふこうりょう=大変)だ!他(かれ)を惹動(じゃくどう=刺激し)て一窩風(いっかふう=一族郎党)にして了(しま)った!幌金縄(こうきんじょう)には現(げん)に孫行者(そんぎょうじゃ)を拴(つな)ぎ着(つ)け、葫蘆(ころ)の裏(うち)には現(げん)に者行孫(しゃぎょうそん)を装(つ)め着(つ)けしに、怎麼(どう)して又(また)個(ひとり)の甚麼(いず)れの行者孫(ぎょうじゃそん)の有(あ)るや?想(おも)うに是(こ)れ他(かれ)の幾(いく)つかの兄弟(きょうだい)都(みな)来(きた)れるならん」

二魔(じま)道(い)わく、

「兄長(けいちょう)放心(ほうしん=心安ん)ぜよ、我(わ)が此(こ)の葫蘆(ころ)は一千人(いっせんにん)を装(つ)め下(い)るる能(あた)わくする哩(ぞ)。我(われ)才(いま)者行孫(しゃぎょうそん)一個(ひとり)を装(つ)めたるのみ、又(また)那(か)の甚麼(いず)れの行者孫(ぎょうじゃそん)を怕(おそ)れんや!我(われ)に出(い)でて看看(みみ=見て)しめ、一発(いっぱつ=一緒に)装(つ)め来(きた)らん」

老魔(ろうま)道(い)わく、

「兄弟(きょうだい)仔細(しさい=用心)せよ」

你(なんじ)看(み)よ、那(か)の二魔(じま)は個(ひとつ)の仮(にせ)の葫蘆(ころ)を拿(と)り着(つ)け、還(なお)前番(ぜんばん=先程)の如(ごと)く雄糾々(ゆうきゅうきゅう=勇ましく)、気昂々(きこうこう=意気軒昂)として門(もん)を出(い)で、高(たか)く呼(よ)んで道(い)わく、

「汝(なんじ)是(こ)れ那裡(いずこ)の人氏(じんし=生まれ)ぞ、敢(あえ)て此間(ここ)に在(あ)りて吆喝(ようかつ=怒鳴る)すか?」

行者(ぎょうじゃ)道(い)わく、

「汝(なんじ)我(われ)を認(みと)め得(え)ざるか?家居(かきょ=住まい)は花果山(かかさん)、祖貫(そかん=本籍)は水簾洞(すいれんどう)。只(た)だ天宮(てんぐう)を鬧(さわ)がししが為(ため)に、多時(たじ=長き間)争競(そうきょう=争い)を罷(や)めたり。如今(にこん=今や)幸(さいわ)いに災(さい)を脱(のが)れ、道(みち)を棄(す)てて僧(そう)の用(よう)に従(したが)う。秉教(へいきょう=教えを奉じ)けて雷音(らいおん)に上(のぼ)り、経(きょう)を求(もと)めて覚正(かくしょう=悟りの正道)に帰(き)す。相逢(あいまみ)える野潑魔(やはつま=田舎の図太い魔)、却(かえっ)て神通(じんつう)を把(もっ)て弄(ろう)す。還(かえ)せ我(わ)が大唐(だいとう)の僧(そう)を、上(のぼ)りて西(にし)に仏聖(ぶっしょう)を参(さん)ぜん。両家(りょうけ)戦争(せんそう)を罷(や)め、各(おのおの)平安(へいあん)の境(さかい)を守(まも)らん。休(や)めよ老孫(ろうそん)を焦(いらだ)たせ、傷残(しょうざん=傷つけ損なう)することを老(おい)の性命(せいめい)に!

那(か)の魔(ま)道(い)わく、

「汝(なんじ)且(しばら)く過(よ)り来(こ)よ、我(われ)汝(なんじ)と相打(あいう=打ち合い)たず、但(た)だ我(われ)汝(なんじ)を一声(ひとこえ)叫(よ)ばば、汝(なんじ)敢(あえ)て応(こた)うるか?」

行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)わく、

「汝(なんじ)我(われ)を叫(よ)べば、我(われ)便(すなわ)ち応(こた)えん。我(われ)若(も)し汝(なんじ)を叫(よ)ばば、汝(なんじ)応(こた)う可(べ)きか?」

那(か)の魔(ま)道(い)わく、

「我(われ)汝(なんじ)を叫(よ)ぶは、是(こ)れ我(われ)に個(ひとつ)の宝貝(ほうばい=宝)の葫蘆(ころ)有(あ)り、以(もっ)て人(ひと)を装(つ)む可(べ)ければ也(なり)。汝(なんじ)我(われ)を叫(よ)ぶも、却(かえっ)て何(なん)の物(もの)有(あ)るや?」

行者(ぎょうじゃ)道(い)わく、

「我(われ)にも亦(また)個(ひとつ)の葫蘆児(ころじ=瓢箪ちゃん)有(あ)り」

那(か)の魔(ま)道(い)わく、

「既(すで)に有(あ)らば、拿(と)り出(いだ)して我(われ)に看看(みみ=見せ)よ」

行者(ぎょうじゃ)便(すなわ)ち袖(そで)の中(うち)より葫蘆(ころ)を取(と)り出(いだ)して道(い)わく、

「潑魔(はつま)、汝(なんじ)看(み)よ!」

幌(ひら)と一幌(ひとゆ=ひと振り)、復(ま)た袖(そで)の中(うち)に蔵(かく)す、他(かれ)の来(きた)りて搶(うば)わんことを恐(おそ)るる也(なり)。那(か)の魔(ま)見(み)て大(おおい)に驚(おどろ)いて道(い)わく、

「他(かれ)の葫蘆(ころ)は是(こ)れ那裡(いずこ)より来(きた)れるや?怎麼(どう)して便(すなわ)ち我(わ)がのと一般(いっぱん=同じ)なる?縦(たと)い是(こ)れ一根(ひとね)の藤(ふじ)の上(うえ)に結(むす)べるにしても、亦(また)個(ひとつ)の大小不同(だいしょうふどう=大小の違い)、偏正不一(へんせいふいつ=偏り正しきの違い)有(あ)るに、却(かえっ)て怎麼(どう)して一般無二(いっぱんむに=寸分違わず同じ)なるや?」

他(かれ)便(すなわ)ち正色(せいしょく=真剣な顔)して叫(よ)んで道(い)わく、

「行者孫(ぎょうじゃそん)、汝(なんじ)が那(か)の葫蘆(ころ)は是(こ)れ那裡(いずこ)より来(きた)れるや?」

行者(ぎょうじゃ)委(まこと)に那(か)の来歴(らいれき=由来)を知(し)らざるも、口(くち)を接(つ)ぎ来(きた)って便(すなわ)ち他(かれ)に一句(ひとく)を問(と)いて道(い)わく、

「汝(なんじ)が那(か)の葫蘆(ころ)は是(こ)れ那裡(いずこ)より来(きた)れるや?」

那(か)の魔(ま)是(こ)れ個(ひとつ)の見識(けんしき=策略)とは知(し)らず、只(た)だ是(こ)れ句(く)の老実(ろうじつ=正直)なる言語(げんご)と思(おも)い、便(すなわ)ち根本(こんぽん=元来自体)を頭(かしら)より説(と)き出(いだ)して道(い)わく、

「我(わ)が此(こ)の葫蘆(ころ)は混沌(こんとん)初分(しょぶん=初めて分かれし時)、天開(てんかい)地闢(ちへき=天地開闢)の際(さい)、一位(いちい)の太上老祖(たいじょうろうそ)有(あ)り、女媧(じょか)の名(な)を解化(げけ=仮に名乗)して、石(いし)を煉(ね)りて天(てん)を補(おぎな)い、普(あまね)く閻浮世界(えんぶせかい=この世)を救(すく)い給(たも)う。補(おぎな)い到(いた)る乾宮夬地(けんきゅうかいち=乾の方の夬の地)に、一座(いちざ)の昆侖山(こんろんさん)の脚下(きゃっか=麓)を見(み)るに、一縷(いちる=ひと筋)の仙藤(せんとう=仙なる藤)有(あ)り、上(うえ)に這個(この)紫金紅葫蘆(しきんこうころ=紫金の赤き瓢箪)を結(むす)び着(つ)けたるは、却(かえっ)て便(すなわ)ち是(こ)れ老君(ろうくん)の留(とど)め下(おろ)して如今(いま)に到(いた)れる者(もの)也(なり)」

大聖(たいせい)言(げん)を聞(き)き、便(すなわ)ち他(かれ)の口気(こうき=言い方)を綽(そっ=盗み取)りて道(い)わく、

「我(わ)が葫蘆(ころ)も、亦(また)是(こ)れ那裡(あそこ)より来(きた)れる也(なり)」

魔頭(まとう=魔の頭目)道(い)わく、

「怎(どう)して見(み)得(う)べきや?」

大聖(たいせい)道(い)わく、

「自(みずか)ら清濁(せいだく)初(はじ)めて開(ひら)けしより、天(てん)西北(せいほく)に満(み)たず、地(ち)東南(とうなん)に満(み)たず、太上道祖(たいじょうどうそ)女媧(じょか)に解化(げけ=化身)し、天(てん)の缺(かけ)を補(おぎな)い完(まっと)うし、行(ゆ)きて昆侖山(こんろんさん)の下(した)に至(いた)るに、一根(ひとね)の仙藤(せんとう)有(あ)り、藤(ふじ)に兩個(ふたつ)の葫蘆(ころ)を結(むす)べり。我(われ)得(え)しは是(こ)れ一個(ひとつ)の雄(おす)、汝(なんじ)が那(か)のは却(かえっ)て是(こ)れ雌(めす)也(なり)」

那(か)の怪(かい)道(い)わく、

「雌雄(しゆう)を説(と)く勿(なか)れ、但(た)だ只(た)だ人(ひと)を装(つ)め得(う)るを、便(すなわ)ち是(こ)れ好(よ)き宝貝(ほうばい)也(なり)」

大聖(たいせい)道(い)わく、

「汝(なんじ)も亦(また)説(と)き得(え)て是(ぜ)なり、我(われ)便(すなわ)ち汝(なんじ)をし先(さき)に装(つ)めしめん」

那(か)の怪(かい)甚(はなは)だ喜(よろこ)び、急(いそ)ぎ身(み)を縦(はな)って跳(と)び将(や)り起(た)ち去(さ)り、空中(くうちゅう)に到(いた)りて葫蘆(ころ)を執(と)り着(つ)け、一声(ひとこえ)叫(よ)ばんとす。

「行者孫(ぎょうじゃそん)」

大聖(たいせい)聴(き)き得(え)て、却(かえっ)て便(すなわ)ち気(いき)を歇(やす)めず連(つづ)けて八九声(はちきゅうこえ)応(こた)えたれど、只(た)だ是(こ)れ装(つ)め去(さ)る能(あた)わず。那(か)の魔(ま)墜(お)ち将(や)り来(きた)り、脚(あし)を跌(ふ)み胸(むね)を捶(う)って道(い)わく、

「天(てん)那(や)!只(た)だ説(い)う世情(せいじょう=世の習い)改變(かいへん=変わ)らざる哩(ぞ)!這樣(このよう)なる個(ひとつ)の宝貝(ほうばい)も亦(また)老公(ろうこう=亭主)を怕(おそ)る、雌(めす)雄(おす)を見(み)ては、便(すなわ)ち敢(あえ)て装(つ)めざるか!」

行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)わく、

「汝(なんじ)且(しばら)く収(おさ)め起(た)てよ、輪(ばん)到(いた)りて老孫(ろうそん)の該(かか)わる汝(なんじ)を叫(よ)ぶ哩(ぞ)」

急(いそ)ぎ筋斗(きんと=宙返り)を縦(はな)ち、跳(と)び起(た)ち去(さ)り、葫蘆(ころ)の底児(ていじ=底)を将(もっ)て天(てん)に朝(む)け、口児(こうじ=口)を地(ち)に朝(む)け、妖魔(ようま)を照(てら)し定(さだ)めて、叫(よ)ばんとす。

「銀角大王(ぎんかくだいおう)」

那(か)の怪(かい)敢(あえ)て口(くち)を閉(と)ざさず、只(た)だ一声(ひとこえ)応(こた)うるを得(え)、倏(たちま)ち裏(うち)に装(つ)められ、行者(ぎょうじゃ)に「太上老君急急如律令奉敕(たいじょうろうくんきゅうきゅうにょりつりょうほうちょく)」の帖子(じょうじ=札)を貼(は)り着(つ)けられ、心中(しんちゅう)暗(あん)に喜(よろこ)んで道(い)わく、

「我(わ)が児(こ)よ、汝(なんじ)今日(こんにち)も亦(また)来(きた)りて新(あたら)しきを試(こころ)みるか!」

他(かれ)便(すなわ)ち雲頭(うんとう=雲の端)を按(おさ)え下(おろ)し、葫蘆(ころ)を拿(と)り着(つ)け、心心念念(しんしんねんねん=一心不乱)に、只(た)だ是(こ)れ師父(しふ)を救(すく)わんと要(よう)し、又(また)蓮花洞(れんかどう)の洞口(どうこう)に向(むか)いて来(きた)る。那(か)の山(やま)上(うえ)は都(みな)是(こ)れ些(いささ)かの窪踏不平(わとうふへい=窪んで凸凹)なる路(みち)、況(いわ)んや他(かれ)は又(また)是(こ)れ個(ひとつ)の圈盤腿(けんばんたい=がに股)なるを、拐呀拐(かいあかい=よろよろ)と走着(ある)き、揺(ゆ)るる那(か)の葫蘆(ころ)の裏(うち)漷漷索索(かくかくさくさく=ごぼごぼざらざら)、响声(きょうせい=音)絶(た)えず。

你(なんじ)道(い)う他(かれ)怎麼(どう)して便(すなわ)ち响声(きょうせい=音)有(あ)るや?原来(げんらい=もともと)孫大聖(そんだいせい)は是(こ)れ熬煉(ごうれん=鍛え抜かれ)し過(す)ぎたる身体(しんたい=体)なるを、急切(きゅうせつ=急には)他(かれ)を化(か)し得(え)ず、那(か)の怪(かい)も亦(また)能(よ)く騰雲駕霧(とううんがむ=雲に乗り霧を駕す)すると雖(いえど)も、過(す)ぎず是(こ)れ些(いささ)かの法術(ほうじゅつ)、大端(たいたん=大抵)は是(こ)れ凡胎(ぼんたい=凡夫の胎)未(いま)だ脱(だっ)せず、宝貝(ほうばい)の裏(うち)に到(いた)りて便(すなわ)ち化(か)し了(しま)う。行者(ぎょうじゃ)は還(なお)他(かれ)が便(すなわ)ち化(か)し了(しま)うとは当(あ)てず、笑(わら)って道(い)わく、

「我(わ)が儿子(こ)よ、知(し)らず是(こ)れ撒尿(さつにょう=小便を漏らす)耶(か)、知(し)らず是(こ)れ漱口(そうこう=口をゆすぐ)哩(ぞ)、這(こ)れは是(こ)れ老孫(ろうそん)の干(や)り過(す)ぎし買売(ばいばい=商売)也(なり)。七八日(しちはちにち)に到(いた)りて、稀汁(きじゅう=どろどろの汁)と化(か)し成(な)るに等(ひと)しからざれば、我(われ)も亦(また)蓋(ふた)を掲(あ)げて看看(みみ=見て)せず。忙(いそ)ぐ怎(なん)のや?甚(なん)の要緊(ようきん=大事)有(あ)るや?想着(おも)うに我(われ)の出(い)で来(きた)れる容易(たやす)き、便(すなわ)ち該(かか)わる千年(せんねん)看(み)ざるこそ好(よ)けれ!」

他(かれ)葫蘆(ころ)を拿(と)り着(つ)け話(はなし)を説(と)き、不觉(おぼえ)ず洞口(どうこう)に到(いた)り、把(もっ)て那(か)の葫蘆(ころ)を揺揺(ゆるゆる=ゆさゆさ)、一発(いっぱつ=ますます)响(なり)きたれば、他(かれ)道(い)わく、

「這個(これ)は発課(はっか=占い)の筒子(とうし=筒)の响(なり)に象(に)たり、倒(かえっ)て好(よ)く発課(はっか=占い)す可(べ)し。老孫(ろうそん)に一課(いっか)を発(はっ)しめ、師父(しふ)甚麼(いつの)時(とき)か才(はじ)めて出門(しゅつもん=出発)し得(う)るかを看看(みみ=見て)ん」

你(なんじ)看(み)よ、他(かれ)手(て)の裏(うち)に住(や)まず揺(ゆ)り、口(くち)の裏(うち)に住(や)まず念(ねん)じて道(い)わく、

「周易文王(しゅうえきぶんおう)、孔子聖人(こうしせいじん)、桃花女先生(とうかじょせんせい)、鬼谷子先生(きこくしせんせい)」

那(か)の洞(ほら)の裏(うち)の小妖(しょうよう)見(み)て道(い)わく、

「大王(だいおう)、禍事(かじ=一大事)了(なり)!行者孫(ぎょうじゃそん)二大王爺爺(にだいおうやや=二大王様)を葫蘆(ころ)の裏(うち)に装(つ)めて発課(はっか=占い)する哩(ぞ)!」

那(か)の老魔(ろうま)此(こ)の言(げん)を聞(き)き得(え)て、唬(おどろ)かされ魂(たましい)飛(と)び魄(たましい)散(ち)り、骨(ほね)軟(やわ)らぎ筋(すじ)麻(しび)れ、撲(ぼく=どさり)と跌倒(てっとう=倒れ)して地(ち)に在(あ)り、声(こえ)を放(はな)って大(おおい)に哭(な)いて道(い)わく、

「賢弟(けんてい)呀(や)!我(われ)汝(なんじ)と私(ひそ)かに上界(じょうかい=天界)を離(はな)れ、転托(てんたく=生まれ変わり)して塵凡(じんぼん=俗世)に、同(とも)に栄華(えいが)を享(う)け、永(とわ)に山洞(さんどう)の主(あるじ)と為(な)らんと指望(しぼう=期し)せしに。怎(どう)して知(し)らん此(こ)の和尚(おしょう)の為(ため)に汝(なんじ)の性命(せいめい)を傷(そこな)われ、吾(わ)が手足(しゅそく=兄弟)の情(じょう)を断(た)たんとは!」

満洞(まんどう=洞じゅう)の群妖(ぐんよう=妖怪ども)、一斉(いっせい)に痛哭(つうこく=嘆き泣く)。

猪八戒(ちょはっかい)梁(はり)の上(うえ)に吊(つる)され在(あ)りて、他(かれ)が一家子(いっかし=一家)の斉(ひとしく)哭(な)くを聴(き)き得(え)、忍(しの)び住(とど)めず叫(さけ)んで道(い)わく、

「妖精(ようせい)、汝(なんじ)且(しばら)く哭(な)く勿(なか)れ、老猪(ろうちょ=この猪八戒)に講(こう=話)し汝(なんじ)に聴(き)かしめん。先(さき)に来(きた)れるは孫行者(そんぎょうじゃ)、次(つぎ)に来(きた)れるは者行孫(しゃぎょうそん)、後(のち)に来(きた)れるは行者孫(ぎょうじゃそん)、返復(へんぷく=繰り返す)三字(さんじ)、都(みな)是(こ)れ我(わ)が師兄(しけい=兄弟子)一人(ひとり)也(なり)。他(かれ)に七十二(しちじゅうに)の変化(へんげ)有(あ)り、騰那(とうな=身を翻)して入(い)り来(きた)り、宝貝(ほうばい)を盗(ぬす)み、令弟(れいてい=貴殿の弟)を装(つ)めたり。令弟(れいてい)は已(すで)に是(こ)れ死(し)せる也(なり)、必(かなら)ずしも這等(このよう)に扛喪(こうそう=喪に服し嘆く)せず、快些児(すみやか=手早く)鍋灶(かそう=釜とかまど)を刷(あら)い浄(きよ)め、些(いささ)かの香蕈(こうじん=香りきのこ)、蘑菇(まこ=マッシュルーム)、茶芽(ちゃが=茶の芽)、竹筍(ちくじゅん=筍)、豆腐(とうふ)、麺筋(めんきん=麺のグルテン)、木耳(もくじ=きくらげ)、蔬菜(そさい=野菜)を弁(もう)け、我(われ)が師徒(しと=師弟)たちを請(しょう)じて下(お)り来(きた)らしめ、汝(なんじ)が令弟(れいてい)の為(ため)に巻(かん)を受(う)け生経(しょうじょうきょう=受生経)を念(ねん)ぜしめよ」

那(か)の老魔(ろうま)言(げん)を聞(き)き、心中(しんちゅう)大(おおい)に怒(いか)って道(い)わく、

「只(た)だ説(い)う猪八戒(ちょはっかい)は老実(ろうじつ=大人しい)と、原来(げんらい=なんと)甚(はなは)だ老実(ろうじつ)ならず!他(かれ)倒(かえっ)て笑話児(しょうわじ=冗談)を作(つく)りて我(われ)を打覷(ださ=からか)う!」

小妖(しょうよう)を叫(よ)んで、

「且(しばら)く挙哀(きょあい=喪を挙げる)を休(や)め、猪八戒(ちょはっかい)を把(もっ)て解(と)き下(おろ)し、蒸(ふか)し得(え)て稀爛(きらん=ぐちゃぐちゃ)となし、我(われ)に飽(あ)かんばかり食(く)わしめ、去(さ)って孫行者(そんぎょうじゃ)を拿(とら)え、仇(あだ)を報(ほう)ぜん」

沙僧(しゃそう)八戒(はっかい)を埋怨(ばいえん=恨み言)して道(い)わく、

「好(よ)きかな!我(われ)汝(なんじ)に多話(たわ=口出し)する莫(なか)れと教(おし)えたるに、多話(たわ)の者(もの)は先(さき)に蒸(ふか)され食(く)わるる哩(ぞ)!」

那(か)の呆子(ほうし=うつけ者の八戒)も亦(また)尽(ことごと)く幾分(いくぶん)の悚懼(しょうく=おびえ)有(あ)り。旁(かたわ)らに一(ひとり)の小妖(しょうよう)道(い)わく、

「大王(だいおう)、猪八戒(ちょはっかい)は不好蒸(ふかしにく)し」

八戒(はっかい)道(い)わく、

「阿弥陀仏(あみだぶつ)!是(こ)れ那位(どちら)の哥哥(あにい=兄貴)の陰徳(いんとく)を積(つ)めるや?果(はた)して是(こ)れ不好蒸(ふかしにく)し」

又(また)一個(ひとり)の妖(よう)有(あ)りて道(い)わく、

「他(かれ)の皮(かわ)を将(もっ)て剥(は)ぎ了(しま)えば、便(すなわ)ち好(よ)く蒸(ふか)す可(べ)し」

八戒(はっかい)慌(あわ)てて道(い)わく、

「好蒸(よくふか)ける!好蒸(よくふか)ける!皮骨(ひこつ=皮と骨)は然(しか)も粗糙(そそう=粗い)と雖(いえど)も、湯(ゆ)滚(わ)けば便(すなわ)ち爛(ただ)れる、棬戸戸(けんここ=ひっこめ)!棬戸(けんこ=ひっこめ)!」

正(まさ)に嚷(わめ)く処(ところ)、只(た)だ見(み)る前門外(ぜんもんがい=表門の外)に一個(ひとり)の小妖(しょうよう)の報(ほう)じて道(い)わく、

「行者孫(ぎょうじゃそん)又(また)罵(ののし)りて門(もん)に上(のぼ)り来(きた)れる也(なり)!」

那(か)の老魔(ろうま)又(また)大(おおい)に驚(おどろ)いて道(い)わく、

「這厮(こいつ)我(われ)を軽(かろん)じて人(ひと)無(な)しとす!」

叫(よ)ばんとす、

「小(ちいさ)き者(もの)たち、且(しばら)く猪八戒(ちょはっかい)を把(もっ)て照旧(もとのまま)吊(つる)し起(た)て、査(しら)べて一査(ひとしら)べ、還(なお)幾件(いくつ)の宝貝(ほうばい)有(あ)るかを」

管家(かんか=家令)の小妖(しょうよう)道(い)わく、

「洞(ほら)の中(うち)に還(なお)三件(みっつ)の宝貝(ほうばい)有(あ)る哩(ぞ)」

老魔(ろうま)問(と)う、

「是(こ)れ那(いず)れの三件(みっつ)ぞ?」

管家(かんか)の道(い)わく、

「還(なお)七星剣(しちせいけん)、芭蕉扇(ばしょうせん)と浄瓶(じょうへい)有(あ)り」

老魔(ろうま)道(い)わく、

「那(か)の瓶子(へいじ=瓶)は中用(ちゅうよう=役に立た)ず、原(もと)是(こ)れ人(ひと)を叫(よ)び、人(ひと)応(こた)うれば便(すなわ)ち装(つ)め得(う)るに、転(かえっ)て個(ひとつ)の口訣児(くけつじ=呪文)を把(もっ)て那(か)の孫行者(そんぎょうじゃ)に教(おし)え、倒(かえっ)て自家(じか=自分)の兄弟(きょうだい)を装(つ)め去(さ)らしめたり。他(かれ)を用(もち)いず、家(いえ)の裏(うち)に放(お)き在(お)き、快(すみやか)に剣(けん)と扇子(せんす)を将(もっ)て拿(と)り来(きた)れ」

那(か)の管家(かんか)の即(すなわ)ち両件(ふたつ)の宝貝(ほうばい)を将(もっ)て老魔(ろうま)に献(けん)ず。老魔(ろうま)芭蕉扇(ばしょうせん)を後項衣領(こうこういりょう=後ろ襟)に插(さ)し、七星剣(しちせいけん)を手(て)の中(うち)に提(さ)げ、又(また)大小(だいしょう)の群妖(ぐんよう)を点(てん=召集)し起(た)て、三百余名(さんびゃくよめい)有(あ)り、都(みな)に一個々(ひとりひとり)槍(やり)を拈(ひね)り棒(ぼう)を弄(ろう)し、索(なわ)を理(ととの)え刀(かたな)を輪(めぐ)らしむ。這(こ)の老魔(ろうま)却(かえっ)て盔(かぶと)を頂(いただ)き甲(よろい)を貫(つらぬ)き、一領(ひとえ)の赤焰々(せきえんえん=真っ赤)の糸袍(しほう=絹の袍)を罩(おお)う。群妖(ぐんよう)陣(じん)を擺(はい=並べ)し出(い)で、孫大聖(そんだいせい)を拿(とら)えんと要(よう)す。

那(か)の孫大聖(そんだいせい)早(はや)く已(すで)に二魔(じま)の葫蘆(ころ)の裏(うち)に化(か)し在(あ)るを知(し)り、却(かえっ)て他(かれ)を緊々(きんきん=しっかり)と拴扣(せんこう=縛り留)め停当(ていとう=きちんと)し、腰間(ようかん)に撒(ちら)し、手(て)に金箍棒(きんこぼう)を持(た)し着(つ)け、厮殺(しさつ=斬り合い)を準備(じゅんび)す。只(た)だ見(み)る那(か)の老妖(ろうよう)紅旗(こうき)を招展(しょうてん=翻)し、門(もん)を跳(と)び出(い)で来(きた)る。却(かえっ)て怎生(いか)に打扮(だはん=身なり)せるか?

頭(かしら)の上(うえ)の盔纓(かぶとのえい=兜の飾り房)光焰々(こうえんえん=ぴかぴか)、
腰間(ようかん)の帯(おび)束(つか)ねし彩霞(さいか=彩りの霞)鮮(あざ)やかなり。
身(み)に穿(き)る鎧甲(がいこう=鎧)は龍鱗(りゅうりん)を砌(みだ=並べ)し、
上(うえ)に罩(おお)う紅袍(こうほう)は烈火(れっか)の然(も)ゆるが如(ごと)し。
円眼(えんがん=丸き目)開(ひら)けば光(ひかり)電(いなずま)を掣(ひ)き、
鋼鬚(こうしゅ=鋼の髭)飄(ひるがえ)り起(た)てば乱(みだ)れて煙(けむり)を飛(と)ばす。
七星宝剣(しちせいほうけん)軽(かる)く手(て)に提(さ)げ、
芭蕉扇子(ばしょうせんす)半(なか)ば肩(かた)を遮(おお)う。
行(ゆ)くこと流雲(りゅううん)の海岳(かいがく=海と山)を離(はな)るるに似(に)、
声(こえ)は霹靂(へきれき=雷)の山川(さんせん)を震(ふる)わすに如(しか)り。
威風凛々(いふうりんりん)天将(てんしょう)を欺(あざむ)き、
怒(いか)って群妖(ぐんよう)を帥(ひき)い洞前(どうぜん)に出(い)づ。

那(か)の老魔(ろうま)急(いそ)ぎ小妖(しょうよう)に令(れい)じて陣勢(じんせい)を擺(はい=布)き開(ひら)かしめ、罵(ののし)って道(い)わく、

「汝(なんじ)這(こ)の猴子(さる)十分(じゅうぶん)に無礼(ぶれい)なり!我(わ)が兄弟(きょうだい)を害(そこな)い、我(わ)が手足(しゅそく)を傷(そこな)う、着然(ちゃくぜん=まったく)に可恨(かこん=恨むべし)!」

行者(ぎょうじゃ)罵(ののし)って道(い)わく、

「汝(なんじ)這(こ)の討死(とうし=死を請う)の怪物(かいぶつ)!汝(なんじ)一個(ひとり)の妖精(ようせい)の性命(せいめい)を舍不得(しゃぶとく=惜しむ)も、我(わ)が師父(しふ)、師弟(してい)に似(に)たるは、馬(うま)を連(つら)ねて四個(よっつ)の生霊(せいれい=命)ぞ、平白(へいはく=わけもなく)に洞(ほら)の裏(うち)に吊(つる)され在(あ)る、我(わ)が心(こころ)何(なん)ぞ忍(しの)びん!情理(じょうり)何(なん)ぞ甘(あま)んぜん!快々(すみやか)に送(おく)り将(や)り出(いだ)して還(かえ)し我(われ)に与(あた)え、多々(おおく)些(いささ)かの盤費(ばんぴ=路銀)を貼(つ)け、喜喜歓歓(ききかんかん=喜び勇み)て老孫(ろうそん)を打発(ほっぱつ=送り出)し起(た)てば、還(なお)汝(なんじ)が這個(この)老妖(ろうよう)の狗命(くめい=犬の命)を饒(ゆる)さん!」

那(か)の怪(かい)那(なん)ぞ容(ゆる)して分説(ぶんせつ=弁明)せしめん、宝剣(ほうけん)を挙(あ)げて劈頭(へきとう=真っ向)より便(すなわ)ち砍(き)る、這(こ)の大聖(たいせい)鉄棒(てつぼう)を使(つか)いて手(て)を挙(あ)げて相(あい)迎(むか)う。這(こ)の一場(ひと場)洞門外(どうもんがい)に在(あ)りて好殺(こうさつ=見事な斬り合い)!咦(ああ)!

金箍棒(きんこぼう)と七星剣(しちせいけん)、
対撞(たいしょう=ぶつかり合い)て霞光(かこう)電(いなずま)の如(ごと)し。
悠悠(ゆうゆう=悠々たる)冷気(れいき)人(ひと)を逼(せま)りて寒(さむ)く、
蕩蕩(とうとう=広々たる)昏雲(こんうん)嶺堰(れいえん=峰と堰)を遮(おお)う。
那(か)の個(ひとり)は皆(みな)手足(しゅそく)の情(じょう)に因(よ)り、
些児(さじ=少し)も善(ぜん)を放(はな)たず。
這(こ)の個(ひとり)は只(た)だ取経僧(しゅきょうそう)の為(ため)、
毫厘(ごうり=毫も)容(ゆる)して緩(ゆる)かにせず。
両家(りょうけ)各(おのおの)一般(いっぱん=同じ)の仇(あだ)を恨(うら)み、
二処(ふたところ)毎(つね)に生(しょう)ずる怒怨(どえん=怒りと恨み)を懐(いだ)く。
只(た)だ殺(ころ)し得(え)て天(てん)昏(くら)く地(ち)暗(くら)く鬼神(きじん)驚(おどろ)き、
日(ひ)淡(あわ)く煙(けむり)濃(こ)く龍虎(りゅうこ)戦(たたか)う。
這(こ)の個(ひとり)牙(きば)を咬(か)み玉釘(ぎょくてい)を磋(やすりか)け、
那(か)の個(ひとり)怒目(どぼく)して金焰(きんえん)を飛(と)ばす。
一来一往(いちらいおう=行きつ戻りつ)英雄(えいゆう)を逞(たくま)しくし、
住(や)まず翻騰(ほんとう=飛び回り)する棒(ぼう)と剣(けん)。

這(こ)の老魔(ろうま)と大聖(たいせい)戦(たたか)うこと経(へ)て二十回合(にじっこうごう)、勝負(しょうぶ)を分(わか)たず、他(かれ)那(か)の剣梢(けんしょう=剣の先)を把(もっ)て一指(ひとさ)し、叫(よ)ばんとす、

「小妖(しょうよう)斉(ひとしく)来(こ)よ!」

那(か)の三百余(さんびゃくよ)の精(せい=妖怪)、一斉(いっせい)に擁(お)し上(のぼ)り、行者(ぎょうじゃ)を垓心(がいしん=真ん中)に囲(かこ)む。好(よ)きかな大聖(たいせい)、公然(こうぜん=堂々)として懼(おそれ)無(な)く、一条(ひとすじ)の棒(ぼう)を使(つか)い、左(ひだり)に衝(つ)き右(みぎ)に撞(ぶつ)かれ、後(うしろ)に抵(ふせ)ぎ前(まえ)を遮(さえぎ)る。那(か)の小妖(しょうよう)都(みな)手段(しゅだん=腕前)有(あ)り、打(う)てば打(う)つほど越(いよいよ)上(くわわ)り、一(ひとえ)に綿絮(めんじょ=綿)の身(み)に纏(まと)わるるに似(に)て、腰(こし)を摟(だ)き腿(もも)を扯(ひ)き、肯(あえ)て退(しりぞ)かず、大聖(たいせい)慌(あわ)てて、即(すなわ)ち個(ひとつ)の身外身法(しんがいしんぽう=分身の法)を使(つか)い、左脇下(さきょうか=左の脇)の毫毛(ごうもう=産毛)を将(もっ)て、一把(ひとつかみ)抜(ぬ)き、嚼(か)み砕(くだ)きて噴(ふ)き去(さ)り、声(こえ)を喝(かつ=張り上げ)て叫(よ)ばんとす、

「変(へん)ぜよ!」

一根々(ひとすじひとすじ)都(みな)変(へん)じて行者(ぎょうじゃ)と做(な)る。你(なんじ)看(み)よ、他(かれ)の長(たか)きは棒(ぼう)を使(つか)い、短(みじか)きは拳(こぶし)を輪(めぐ)らし、再(また)小(ちいさ)きは下手(したて=手の下ろし所)無(な)く、孤拐(ここい=足首)を抱(いだ)きて筋(すじ)を啃(かじ)り、那(か)の小妖(しょうよう)を把(もっ)て都(みな)打(う)ち得(え)て星落(せいらく=星の散る)き雲散(うんさん=雲の散る)き、斉(ひとしく)声(こえ)を喊(あげ)て道(い)わく、

「大王(だいおう)啊(あ)、事(こと)諧(かな)わず矣(なり)!難(かた)い矣(かな)乎哉(や)!満地(まんち)盈山(えいざん=山に満つ)皆(みな)是(こ)れ孫行者(そんぎょうじゃ)了(なり)!」

這(こ)の身外法(しんがいほう=分身の法)に被(よ)って群妖(ぐんよう)を打(う)ち退(しりぞ)け、止(ただ)撇(なげう)ち得(え)たるは老魔(ろうま)の囲(かこ)みの中間(ちゅうかん)に困(くるし)めるのみ、赶(お)い得(え)て東(ひがし)に奔(はし)り西(にし)に走(はし)り、出路(しゅつろ=逃げ道)門(もん)無(な)し。

那(か)の魔(ま)慌(あわ)てて、左手(ひだりて)を将(もっ)て宝剣(ほうけん)を擎(ささ)げ、右手(みぎて)を項(うなじ)の後(うしろ)に伸(の)ばし、芭蕉扇子(ばしょうせんす)を取(と)り出(いだ)し、東南(とうなん)丙丁火(へいていか=丙丁の火)を望(のぞ)み、正(まさ)に離宮(りきゅう=離の宮)に対(たい)し、唿喇(こらつ=ひゅう)と一扇子(ひとあおぎ)、搧(あお)ぎ将(や)り下(おろ)す、只(た)だ見(み)る那(か)の就(すなわ)ち地(ち)の上(うえ)、火光(かこう)焰々(えんえん=めらめら)。原来(げんらい)這般(このよう)なる宝貝(ほうばい)、平白(へいはく=何の訳もなく)に地(ち)より搧(あお)ぎ出(いだ)して火(ひ)と成(な)る。那(か)の怪物(かいぶつ)着実(ちゃくじつ=実に)無情(むじょう)なり。一連(いちれん)七八扇子(しちはちあおぎ)を搧(あお)ぎ、熯天(かんてん=天を乾かし)熾地(しち=地を焦が)し、烈火(れっか)飛騰(ひとう=燃え上がる)。好火(よきひ=見事な火):

那(か)の火(ひ)は是(こ)れ天上火(てんじょうか=天の火)に非(あら)ず、炉中火(ろちゅうか=炉の火)に非(あら)ず、亦(また)山頭火(さんとうか=山の火)に非(あら)ず、亦(また)竈底火(そうていか=かまどの火)に非(あら)ず、乃(すなわ)ち是(こ)れ五行(ごぎょう)の中(うち)より自然(じねん)に取(と)り出(いだ)せる一点(いってん)の霊光火(れいこうか=霊妙なる光の火)也(なり)。這(こ)の扇(おうぎ)も亦(また)是(こ)れ凡間(ぼんかん=この世)に常有(じょうゆう=常に有る)の物(もの)に非(あら)ず、亦(また)人工(じんこう)の造就(ぞうしゅう=作り上げ)せる物(もの)に非(あら)ず、乃(すなわ)ち是(こ)れ自(みずか)ら開闢混沌(かいびゃくこんとん)より以来(いらい)産(う)み成(な)せる珍宝(ちんぽう=珍しき宝)の物(もの)也(なり)。此(こ)の扇(おうぎ)を用(もち)い、此(こ)の火(ひ)を搧(あお)げば、煌煌燁燁(こうこうようよう=きらきら)として、便(すなわ)ち電(いなずま)の紅綃(こうしょう=赤き薄絹)を掣(ひ)くが如(ごと)く、灼灼輝輝(しゃくしゃくきき=あかあかと光り)て、却(かえっ)て霞(かすみ)の絳綺(こうき=深紅の錦)を飛(と)ばすに似(に)たり。更(さら)に一縷(いちる=ひと筋)の青煙(せいえん)も無(な)く、尽(ことごと)く是(こ)れ満山(まんざん)の赤焰(せきえん=真っ赤な炎)、只(た)だ焼(や)き得(え)て嶺上(れいじょう=峰の上)の松(まつ)を翻(ひるがえ)して火樹(かじゅ=火の木)と成(な)し、崖前(がいぜん=崖の前)の柏(かしわ)を変(へん)じて灯籠(とうろう)と作(な)す。那(か)の窩(そう=巣)の中(うち)の走獣(そうじゅう=獣)は性命(せいめい)を貪(むさぼ)り、西(にし)に撞(ぶつ)かり東(ひがし)に奔(はし)り、這(こ)の林内(りんない)の飛禽(ひきん=鳥)は羽毛(うもう)を惜(おし)み、高(たか)く飛(と)び遠(とお)く挙(あが)る。這(こ)の場(ひと場)の神火(しんか=神の火)飄空(ひょうくう=空に漂い)燎(や)き、只(た)だ焼(や)き得(え)て石(いし)爛(ただ)れ溪(たに)乾(かわ)き遍地(へんち=あちこち)紅(あか)し!

大聖(たいせい)此(こ)の悪火(あくか=恐ろしき火)を見(み)て、却(かえっ)て亦(また)心驚(しんきょう=心驚き)胆顫(たんせん=胆ふる)い、声(こえ)を道(い)わんとす、

「不好了(ふこうりょう=大変)!我(わ)が本身(ほんしん=本体)は可(よ)きも、毫毛(ごうもう)は不済(ふせい=役に立たず)、一(ひとたび)這(こ)の火(ひ)の中(うち)に落(お)ちば、豈(あに)真(まこと)に燎毛(りょうもう=毛を焼く)の易(やす)きが如(ごと)からずや?」

身(み)を将(もっ)て一抖(ひとゆす)り、遂(つい)に毫毛(ごうもう)を収(おさ)めて身(み)に上(のぼ)らしめ、只(た)だ一根(ひとすじ)を将(もっ)て変(へん)じて仮(にせ)の身子(しんし=体)と做(な)し、火(ひ)を避(よ)け災(さい)を逃(のが)れ、他(かれ)の真身(しんしん=本体)は、避火訣(ひかけつ=火避けの呪文)を捻(ねん)じ、筋斗(きんと)を縦(はな)ち、跳(と)び将(や)り起(た)ち去(さ)り、大火(たいか)の中(うち)を脱離(だつり)し、径(ただち)に他(かれ)が蓮花洞(れんかどう)の裏(うち)に奔(はし)り、想着(おも)うに師父(しふ)を救(すく)わんと要(よう)す。急(いそ)ぎ門前(もんぜん)に到(いた)り、雲頭(うんとう)を按(おさ)え下(おろ)し、又(また)見(み)る那(か)の洞門外(どうもんがい)に百十(ひゃくじゅう)の小妖(しょうよう)有(あ)り、都(みな)頭(かしら)破(やぶ)れ脚(あし)折(お)れ、肉(にく)綻(は)け皮(かわ)開(ひら)け、原来(げんらい)都(みな)是(こ)れ他(かれ)が分身法(ぶんしんぽう)に打(う)ち傷(きずつ)けられし者(もの)にて、都(みな)此(ここ)に在(あ)りて声々(こえごえ)に喚喚(よびよび=うめき)て、疼(いた)みを忍(しの)びて立(た)てり。大聖(たいせい)見(み)て、悪性(あくしょう=乱暴な性分)凶頑(きょうがん=凶暴)を按(おさ)え住(とど)めず、鉄棒(てつぼう)を輪(めぐ)らし起(た)ち、一路(いちろ=まっすぐ)打(う)ち将(や)り入(い)る。可怜(あわれ)把(もっ)て那(か)の苦(くるし)く人身(じんしん=人の身)を煉(ね)りし功果(こうか=修行の功)を息(や)め、依然(いぜん)として是(こ)れ塊(かたまり)の旧(もと)の皮毛(ひもう=皮と毛)!

那(か)の大聖(たいせい)小妖(しょうよう)を打(う)ち絶(た)え、洞(ほら)の裏(うち)に撞(つ)き入(い)り、師父(しふ)を解(と)かんと要(よう)す、又(また)見(み)る那(か)の内面(うちめん=奥)に火光(かこう)焰々(えんえん)有(あ)り、唬(おどろ)かされ得(え)て他(かれ)手慌(てあわ)て脚忙(あしあわ)て道(い)わく、

「罷了(ひょうりょう=おしまいだ)!罷了!這(こ)の火(ひ)後門口(こうもんこう=裏口)より焼(や)き起(た)り来(きた)る、老孫(ろうそん)却(かえっ)て師父(しふ)を救(すく)い難(がた)し也(なり)!」

正(まさ)に悚懼(しょうく=おびえ)の処(ところ)、仔細(しさい=よくよく)看(み)る時(とき)、呀(ああ)!原来(げんらい)是(こ)れ火光(かこう)に非(あら)ず、却(かえっ)て是(こ)れ一道(ひとすじ)の金光(きんこう)也(なり)。他(かれ)性(せい)を正(ただ)し、裏(うち)に往(ゆ)きて之(これ)を視(み)るに、乃(すなわ)ち羊脂玉浄瓶(ようしぎょくじょうへい=羊脂玉の浄瓶)の放光(ほうこう=光を放つ)なるを、却(かえっ)て自(みずか)ら心中(しんちゅう)に喜(よろこ)んで道(い)わく、

「好(よ)き宝貝(ほうばい)耶(や)!這(こ)の瓶子(へいじ)曾(かつ)て是(こ)れ那(か)の小妖(しょうよう)の山(やま)の上(うえ)に拿(と)り在(あ)りて放光(ほうこう)せるを、老孫(ろうそん)得(え)しに、不想(おもわず)那(か)の怪(かい)又(また)復(また)搜(さが)し去(さ)れり。今日(こんにち)此(ここ)に蔵(かく)し在(あ)るは、原来(げんらい)亦(また)放光(ほうこう)す」

你(なんじ)看(み)よ、他(かれ)這(こ)の瓶子(へいじ)を窃(ぬす)み、喜喜歓歓(ききかんかん)として、且(しばら)く師父(しふ)を救(すく)わず、急(いそ)ぎ身(み)を抽(ぬ)きんじて洞外(どうがい)に向(むか)いて走(はし)る。才(いま)門(もん)を出(い)づるや、只(た)だ見(み)る那(か)の妖魔(ようま)宝剣(ほうけん)を提(さ)げ、扇子(せんす)を拿(と)り、南(みなみ)より来(きた)る。

孫大聖(そんだいせい)回避(かいひ=避け)及(およ)ばず、那(か)の老魔(ろうま)に被(よ)って剣(けん)を挙(あ)げられ劈頭(へきとう=真っ向)より便(すなわ)ち砍(き)らる。大聖(たいせい)急(いそ)ぎ筋斗雲(きんとうん)を縦(はな)ち、跳(と)び将(や)り起(た)ち去(さ)り、無影無踪(むえいむそう=影も形もなく)に逃(のが)れ了(しま)うは不題(さておき)。

却説(さて)那(か)の怪(かい)門口(もんこう)に到(いた)り得(え)しが、但(た)だ見(み)る尸(しかばね)横(よこたわ)りて地(ち)に満(み)つ、便(すなわ)ち是(こ)れ他(かれ)が手下(しゅか=配下)の群精(ぐんせい=妖怪ども)、慌(あわ)て得(え)て天(てん)を仰(あお)ぎて長嘆(ちょうたん=大いに嘆)じ、止(とど)め住(とど)めず声(こえ)を放(はな)って大(おおい)に哭(な)いて道(い)わく、

「苦(くるし)い哉(かな)!痛(いた)ましき哉(かな)!」

有詩(しあ)りて証(あかし)と為(な)す、詩(し)に曰(いわ)く、

恨(うら)む可(べ)し猿乖(えんかい=猿の悪賢さ)馬劣頑(ばれつがん=馬の愚かで頑迷)を、
霊胎(れいたい=霊妙なる胎)転托(てんたく=生まれ変わり)て塵凡(じんぼん)に降(くだ)る。
只(た)だ因(よ)りて念(ねん)を錯(あやま)り天闕(てんけつ=天の宮)を離(はな)れ、
致(いた)して忘形(ぼうけい=姿を忘れ)て此(こ)の山(やま)に落(お)つ。
鴻雁(こうがん=雁)群(むれ)を失(うしな)いて情(じょう)切切(せつせつ=切々)たり、
妖兵(ようへい)族(ぞく)を絶(た)えて涙(なみだ)潺潺(せんせん=しとしと)たり。
何(いず)れの時(とき)か孽(げき=罪)満(み)ちて愆鎖(けんさ=咎の鎖)を開(ひら)き、
返本還原(へんぽんげんげん=本に返り原に還り)て御関(ぎょかん=天の関)に上(のぼ)らん?

那(か)の老魔(ろうま)慚惶(ざんこう=恥じ恐れ)已(や)まず、一步(いっぽ)に一声(ひとこえ)、哭(な)きて洞内(どうない)に入(い)る、只(た)だ見(み)る那(か)の什物家火(じゅうもつかか=家財道具)俱(みな)在(あ)り、只(た)だ落(お)ち得(え)たるは静悄悄(せいしょうしょう=ひっそり)として、人形(ひとがた=人の姿)没(な)し。悲切切(ひせつせつ=悲しげ)として、愈(いよいよ)凄惨(せいさん=痛まし)し。独(ひと)り個(ひとり)洞(ほら)の中(うち)に坐(ざ)し、蹋伏(とうふく=うずくまり)て那(か)の石案(せきあん=石の卓)の上(うえ)に在(あ)り、宝剣(ほうけん)を斜(なな)めに案(あん)の辺(ほとり)に倚(よ)せ、扇子(せんす)を肩(かた)の後(うしろ)に插(さ)し、昏昏默默(こんこんもくもく=ぼんやり)として睡(ねむ)り了(しまう)、這(こ)れ正(まさ)に是(こ)れ人(ひと)喜事(きじ=嬉しい事)に逢(あ)えば精神(せいしん)爽(さわ)やかに、悶(もん=憂い)心(こころ)に上(のぼ)れば瞌睡(かっすい=まどろみ)多(おお)し。

話(はなし)説(と)く、孫大聖(そんだいせい)筋斗雲(きんとうん)を撥転(はってん=引き返)し、佇立(ちょりつ=立ち止まり)て山前(さんぜん)に在(あ)り、想着(おも)うに師父(しふ)を救(すく)わんと要(よう)し、那(か)の浄瓶児(じょうへいじ=浄瓶ちゃん)を牢(かた)く腰間(ようかん)に扣(か)け、径(ただち)に洞口(どうこう)に来(きた)りて打探(だたん=偵察)す。見(み)るに那(か)の門(もん)両扇(りょうせん=二枚)開(ひら)き、静悄悄(せいしょうしょう)として消耗(しょうもう=物音)を聞(き)かず、随(したが)って即(すなわ)ち軽軽(かるがる=そっと)歩(あゆみ)を移(うつ)し、潜(ひそ)かに裏(うち)に入(い)る、只(た)だ見(み)る那(か)の魔(ま)石案(せきあん)に斜(なな)めに倚(よ)り、呼呼(ここ=ぐうぐう)と睡(ねむ)り、芭蕉扇(ばしょうせん)肩衣(けんい=肩衣)より褪(ぬ)け出(い)で、半(なか)ば脳後(のうご=後頭部)を蓋(おお)い、七星剣(しちせいけん)還(なお)斜(なな)めに案(あん)の辺(ほとり)に倚(よ)せるを、却(かえっ)て他(かれ)に軽軽(かるがる)と走上前(よりまえ=前へ寄)りて扇子(せんす)を抜(ぬ)かれ、急(いそ)ぎ頭(かしら)を回(めぐ)らし、呼(こ)の一声(ひとこえ)跑(はし)り将(や)り出(い)で去(さ)る。原来(げんらい)這(こ)の扇柄児(せんへいじ=扇の柄)那(か)の怪(かい)の頭髪(とうはつ=髪)を刮(こす)り着(つ)けて、早(はや)く他(かれ)を驚醒(きょうせい)せり。頭(かしら)を抬(あ)げて看(み)る時(とき)、是(こ)れ孫行者(そんぎょうじゃ)の偷(ぬす)めるを、急(いそ)ぎ慌(あわ)てて剣(けん)を執(と)りて来(きた)り赶(お)う。那(か)の大聖(たいせい)早(はや)く已(すで)に門前(もんぜん)を跳(と)び出(い)で、扇子(せんす)を腰間(ようかん)に撒(ちら)し、双手(もろて)に鉄棒(てつぼう)を輪(めぐ)らし開(ひら)き、那(か)の魔(ま)と抵敵(ていてき=抗戦)す。這(こ)の一場(ひと場)好殺(こうさつ):

潑妖王(はつようおう=図太き妖の王)を悩(なや)まし壊(やぶ)り、
怒(いか)り髪(かみ)衝(つ)き冠(かんむり)の志(こころざし)。
恨(うら)みて過(す)ぐるは撾(つか)み来(きた)りて囫圇(こつろん=丸ごと)に吞(の)まざるも、
頭(こうべ)の気(き)を解(と)き難(がた)きを。
悪口(あっく=悪態)猢猻(こそん=猿)を罵(ののし)る、
「汝(なんじ)老大(ろうだい=大層)人(ひと)を将(もっ)て戯(たわむ)れ、
我(わ)が若干(じゃっかん=多く)の生(せい=兵)を傷(そこな)い、
還(また)来(きた)りて宝貝(ほうばい)を偷(ぬす)む!
這(こ)の場(ひと場)決(けっ)して容(ゆる)さず、
定(かなら)ず存亡(そんぼう)の計(けい)を見(み)ん!」
大聖(たいせい)妖魔(ようま)を喝(かつ)す、
「汝(なんじ)好(よ)く知趣(ちしゅ=分別)ならず!
徒弟(とてい)要(よう)す老師(ろうし=師)と争(あらそ)うは、
累卵(るいらん=積み重ねた卵)焉(いずく)んぞ能(よ)く石(いし)を撃(う)ちて砕(くだ)かんや?」

宝剣(ほうけん)来(きた)り、鉄棒(てつぼう)去(さ)り、
両家(りょうけ)更(さら)に仁義(じんぎ)を留(とど)めず。
一翻二復(いっぽんにふく=一度二度)輸贏(しゅえい=勝ち負け)を賭(か)け、
三転四回(さんてんしい=三度四度)武芸(ぶげい)を施(ほどこ)す。
蓋(けだ)し取経僧(しゅきょうそう)の為(ため)、
霊山(りょうざん)に仏位(ぶつい)を参(さん)ぜんとして、
致(いた)して金火(きんか)相投(あいとう=相容れ)ざらしめ、
五行(ごぎょう)撥乱(はつらん=乱れ動き)て和気(わき=和やかなる気)を傷(そこな)う。
威(い)を揚(あ)げ武(ぶ)を耀(かがや)かし神通(じんつう)を顕(あらわ)し、
石(いし)を走(はし)らせ沙(すな)を飛(と)ばして本事(ほんじ=腕前)を弄(ろう)す。
交鋒(こうほう=切り結ぶ)漸漸(ぜんぜん=次第に)日(ひ)将(まさ)に晡(く)れんとす、
魔頭(まとう)力(ちから)怯(おじ)えて先(さき)に回避(かいひ=退く)。

那(か)の老魔(ろうま)と大聖(たいせい)戦(たたか)うこと経(へ)て三四十合(さんじゅうしごう)、天(てん)将(まさ)に晩(く)れんとす、抵敵(ていてき=抗戦)し住(とど)めず、敗(やぶ)れて陣(じん)を下(くだ)り来(きた)り、径(ただち)に西南(せいなん)の上(かた)に往(ゆ)き、圧龍洞(あつりゅうどう)に投奔(とうほん=逃げ込)み去(さ)るは不題(さておき)。

這(こ)の大聖(たいせい)才(いま)雲頭(うんとう)を按(おさ)え下(おろ)し、蓮花洞(れんかどう)の裏(うち)に闖(つ)き入(い)り、唐僧(とうそう)と八戒(はっかい)、沙和尚(しゃおしょう)を解(と)き下(おろ)す。他(かれ)三人(さんにん)災危(さいき=災い)を脱(のが)れ得(え)て、行者(ぎょうじゃ)に謝(しゃ)し、却(かえっ)て問(と)う、

「妖魔(ようま)那裡(いずこ)へ去(さ)りしや?」

行者(ぎょうじゃ)道(い)わく、

「二魔(じま)は已(すで)に葫蘆(ころ)の裏(うち)に装(つ)められ、想(おも)うに是(こ)れ此(こ)の会子(しばらく)に已(すで)に化(か)し了(しま)わん。大魔(だいま)は才(いま)しがた一陣(ひとしきり)戦(たたか)い敗(やぶ)れ、西南(せいなん)の圧龍山(あつりゅうざん)へ去(さ)り訖(おわ)んぬ。概(おおむ)ね洞(ほら)の小妖(しょうよう)、老孫(ろうそん)に被(よ)って分身法(ぶんしんぽう)に一半(なかば)打(う)ち殺(ころ)され、還(なお)些(いささ)かの敗残(はいざん=敗れて残り)し回(かえ)れる有(あ)るも、又(また)老孫(ろうそん)に殺(ころ)し絶(た)えられ、方(はじ)めて此(ここ)に入(い)り得(え)て、汝(なんじ)たちを解放(かいほう)せり」

唐僧(とうそう)謝(しゃ)し之(これ)を尽(つく)さずして道(い)わく、

「徒弟(とてい)啊(あ)、多(おお)く汝(なんじ)が労苦(ろうく=苦労)を受(う)くるに虧(よ)れり!」

行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)わく、

「誠然(せいぜん=まこと)に労苦(ろうく)なり。汝(なんじ)たちは還(なお)只(た)だ是(こ)れ吊(つる)され着(つ)けて疼(いた)みを受(う)くるのみ、我(わ)が老孫(ろうそん)は再(また)曾(かつ)て脚(あし)を住(とど)めず、急遞鋪(きゅうていほ=急ぎの宿場)の鋪兵(ほへい=宿場の兵)よりも還(なお)甚(はなは)だしく、反復(はんぷく)して裏外(うちそと)、奔波(ほんぱ=奔走)已(や)まず。因(よ)りて是(こ)れ他(かれ)の宝貝(ほうばい)を偷(ぬす)み得(え)しを、方(はじ)めて能(よ)く妖魔(ようま)を平(たいら)げ退(しりぞ)け得(え)たり」

猪八戒(ちょはっかい)道(い)わく、

「師兄(しけい)、汝(なんじ)那(か)の葫蘆児(ころじ)を把(もっ)て拿(と)り出(いだ)して我(われ)たちと看看(みみ=見せ)よ。只(た)だ怕(おそ)らくは那(か)の二魔(じま)已(すで)に化(か)し了(しま)えるならん」

大聖(たいせい)先(ま)ず浄瓶(じょうへい)を将(もっ)て解(と)き下(おろ)し、又(また)金縄(きんじょう)と扇子(せんす)を将(もっ)て取(と)り出(いだ)し、然(しか)る後(のち)葫蘆児(ころじ)を把(もっ)て手(て)に拿(と)りて道(い)わく、

「看(み)る莫(なか)れ看(み)る莫(なか)れ!他(かれ)先(さき)に曾(かつ)て老孫(ろうそん)を装(つ)めしが、老孫(ろうそん)に被(よ)って漱口(そうこう=口をゆすぐ)と哄(だま)され、他(かれ)をし蓋子(がいじ=蓋)を揚(あ)げ開(ひら)かしめ、老孫(ろうそん)方(はじ)めて走(に)げ得(え)たり。我(われ)等(われら)切(きっ)して蓋(ふた)を掲(あ)ぐる莫(なか)れ、只(た)だ怕(おそ)らくは他(かれ)も亦(また)会(よく)喧(けん=術)を弄(ろう)して走(に)げんことを」

師徒(しと=師弟)たち喜喜歓歓(ききかんかん)、他(かれ)が那(か)の洞(ほら)の中(うち)の米(こめ)麺(めん)菜蔬(さいそ=野菜)を将(もっ)て捜(さが)し出(いだ)す。鍋灶(かそう=釜とかまど)を焼(や)き刷(あら)い、些(いささ)かの素斎(そさい=精進料理)を安排(あんばい=整え)て食(く)い、飽(あ)くまで餐(さん=食事)し一頓(ひとくらい)、洞(ほら)の中(うち)に安寝(あんしん=安らかに眠)る。一夜(いちや)詞(ことば)無(な)く、早(はや)く又(また)天暁(てんぎょう=夜明け)す。

却説(さて)那(か)の老魔(ろうま)径(ただち)に圧龍山(あつりゅうざん)に投(とう)じ、大小(だいしょう)の女怪(じょかい=女の妖怪)を会聚(かいしゅう=集)め、母(はは)を打(う)ち殺(ころ)し、兄弟(きょうだい)を装(つ)め、妖兵(ようへい)を絶滅(ぜつめつ)し、宝貝(ほうばい)を偷(ぬす)み騙(だま)し取(と)れるの事(こと)を備(つぶさ)に言(い)えば、衆(しゅう)の女怪(じょかい)一斉(いっせい)に大(おおい)に哭(な)く。哀痛(あいつう)多時(たじ=長き間)にして道(い)わく、

「汝(なんじ)等(たち)且(しばら)く凄惨(せいさん=痛ましがる)を休(や)めよ。我(わ)が身辺(しんぺん=身の回り)に還(なお)這(こ)の一口(ひとふり)の七星剣(しちせいけん)有(あ)り、汝(なんじ)等(たち)の女兵(じょへい)を会(あつ)めしめんと欲(ほっ)す、都(みな)去(ゆ)きて圧龍山(あつりゅうざん)の後(うしろ)に在(あ)る外家(がいけ=母方)の親戚(しんせき)を借(か)り会(あつ)め、断(だん)じて要(よう)す那(か)の孫行者(そんぎょうじゃ)を拿(とら)え住(とど)めて仇(あだ)を報(ほう)ぜん」

説(と)き了(おわ)らざるに、門外(もんがい)に小妖(しょうよう)有(あ)りて報(ほう)じて道(い)わく、

「大王(だいおう)、山後(さんご=山の裏)の老舅爺(ろうきゅうや=大叔父様)若干(じゃっかん=多く)の兵卒(へいそつ)を帥領(すいりょう=率い)て来(きた)れる也(なり)」

老魔(ろうま)言(げん)を聞(き)き、急(いそ)ぎ縞素(こうそ=喪服)の孝服(こうふく)に換(か)え、身(み)を躬(かが)めて迎接(げいせつ=出迎)う。原来(げんらい)那(か)の老舅爺(ろうきゅうや)は是(こ)れ他(かれ)が母(はは)の弟(おとうと)、名(な)を狐阿七大王(こあしちだいおう)と喚(よ)ぶ、哨山(しょうざん=山を見張る)の妖兵(ようへい)の報(ほう)じて道(い)うを聞(き)き得(え)て、他(かれ)が姉(あね)は孫行者(そんぎょうじゃ)に打(う)ち殺(ころ)され、仮(いつわ)りて姉(あね)の形(かたち)に変(へん)じ、外甥(がいせい=甥)の宝貝(ほうばい)を盗(ぬす)み、連日(れんじつ)平頂山(へいちょうざん)に在(あ)りて拒敵(きょてき=抗戦)せるが故(ゆえ)に、他(かれ)却(かえっ)て本洞(ほんどう)の妖兵(ようへい)二百余名(にひゃくよめい)を帥(ひき)い、特(ことさ)らに来(きた)りて陣(じん)を助(たす)けんとし、此(こ)の故(ゆえ)に先(ま)ず姉(あね)の家(いえ)に攏(よ)りて信(たより)を問(と)う。才(いま)門(もん)に入(い)りしに、老魔(ろうま)の孝服(こうふく)を挂(か)けたるを見(み)、二人(ふたり)大(おおい)に哭(な)く。哭(な)き久(ひさ)しくして、老魔(ろうま)拜(はい)し下(くだ)り、前事(ぜんじ=これまでの事)を備(つぶさ)に言(い)う。那(か)の阿七(あしち)大(おおい)に怒(いか)り、即(すなわ)ち老魔(ろうま)に命(めい)じて孝服(こうふく)を換(か)えしめ、宝剣(ほうけん)を提(さ)げしめ、女妖(じょよう=女の妖怪)を尽(ことごと)く点(てん=召集)し、合同(ごうどう=合流)して一処(いっしょ=一つ所)となし、風雲(ふううん)を縦(はな)ち、径(ただち)に東北(とうほく)を投(とう)じて来(きた)る。

這(こ)の大聖(たいせい)却(かえっ)て沙僧(しゃそう)に教(おし)えて早斎(そうさい=朝食)を整頓(せいとん=整)えしめ、食(く)いて路(みち)を走(はし)らんとす、忽(たちま)ち風声(ふうせい=風の音)を聴(き)き得(え)て、門(もん)を出(い)でて看看(みみ=見る)に、乃(すなわ)ち是(こ)れ一伙(ひとくれ)の妖兵(ようへい)、西南(せいなん)より上(のぼ)り来(きた)る。行者(ぎょうじゃ)大(おおい)に驚(おどろ)き、急(いそ)ぎ身(み)を抽(ぬ)きんじて忙(いそ)ぎ八戒(はっかい)を呼(よ)んで道(い)わく、

「兄弟(きょうだい)、妖精(ようせい)又(また)救兵(きゅうへい)を請(しょう)じて来(きた)れる也(なり)」

三蔵(さんぞう)言(げん)を聞(き)き、驚恐(きょうきょう=おびえ)して色(いろ)を失(うしな)って道(い)わく、

「徒弟(とてい)、此(かく)の如(ごと)きは如何(いかん)?」

行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)わく、

「放心(ほうしん)せよ!放心(ほうしん)せよ!他(かれ)が這(こ)の宝貝(ほうばい)を都(みな)拿(と)り来(きた)りて我(われ)に与(あた)えよ」

大聖(たいせい)葫蘆(ころ)と浄瓶(じょうへい)を腰間(ようかん)に系(つな)ぎ、金縄(きんじょう)を袖(そで)の内(うち)に籠(こ)め、芭蕉扇(ばしょうせん)を肩(かた)の後(うしろ)に插(さ)し、双手(もろて)に鉄棒(てつぼう)を輪(めぐ)らし、沙僧(しゃそう)に教(おし)えて師父(しふ)を保守(ほしゅ=守)し、洞(ほら)の中(うち)に穏(おだやか)に坐(ざ)せしめ、八戒(はっかい)をして釘鈀(ていは)を執(と)らしめ、同(とも)に洞外(どうがい)に出(い)でて敵(てき)を迎(むか)う。那(か)の怪物(かいぶつ)陣勢(じんせい)を擺(はい=布)き開(ひら)く、只(た)だ見(み)る当頭(とうとう=先頭)なるは是(こ)れ阿七大王(あしちだいおう)也(なり)。

他(かれ)生(うま)れ得(え)たるは玉面長髯(ぎょくめんちょうぜん=玉の顔に長き髯)、鋼眉刀耳(こうびとうじ=鋼の眉に刀の耳)、頭(かしら)に金煉盔(きんれんかぶと=金の鎖の兜)を戴(いただ)き、身(み)に鎖子甲(さしこう=鎖帷子)を穿(き)る、手(て)に方天戟(ほうてんげき)を執(と)り、声(こえ)を高(たか)めて罵(ののし)って道(い)わく、

「我(われ)汝(なんじ)が個(ひとり)の大胆(だいたん)なる潑猴(はつこう=図太き猿)を把(もっ)て!怎(どう)して敢(あえ)て這等(このよう)に人(ひと)を欺(あざむ)く!宝貝(ほうばい)を偷(ぬす)み、眷族(けんぞく=一族)を傷(そこな)い、神兵(しんぺい)を殺(ころ)し、又(また)敢(あえ)て久(ひさ)しく洞府(どうふ=洞の屋敷)を占(し)む!赶早児(すみやか)に一個々(ひとりひとり)頸(くび)を引(ひ)きて死(し)を受(う)けよ、我(わ)が姉(あね)の家(いえ)の仇(あだ)を雪(すす)がん!」

行者(ぎょうじゃ)罵(ののし)って道(い)わく、

「汝(なんじ)這(こ)の伙(くれ)の作死(さくし=死を招く)の毛団(もうだん=毛の塊)、汝(なんじ)が孫外公(そんがいこう=孫の祖父)の手段(しゅだん)を識(し)らず!走(に)ぐる勿(なか)れ!吾(わ)が一棒(ひとぼう)を領(う)けよ!」

那(か)の怪物(かいぶつ)身(み)を側(そばだ)てて避(よ)け過(す)ぎ、方天戟(ほうてんげき)を使(つか)いて劈面(へきめん=真っ向)より相印(あいいん=打ち合)う。兩個(ふたり)山頭(さんとう=山の頂)に在(あ)りて一来一往(いちらいちおう)、戦(たたか)うこと経(へ)て三四回合(さんしこうごう)、那(か)の怪(かい)力(ちから)軟(よわ)り、陣(じん)を敗(やぶ)って回(かえ)り走(はし)る。行者(ぎょうじゃ)赶(お)い来(きた)るも、却(かえっ)て老魔(ろうま)に接(むか)え住(とど)められ、又(また)三合(さんごう)闘(たたか)う、只(た)だ見(み)る那(か)の狐阿七(こあしち)復(また)転(かえ)り来(きた)りて攻(せ)む。這壁廂(こちらがわ)の八戒(はっかい)見(み)て、急(いそ)ぎ九歯鈀(きゅうしは=九本歯の鈀)を掣(ひ)きて擋(ふせ)ぎ住(とど)む。一個(ひとり)一個(ひとり)を抵(ふせ)ぎ、戦(たたか)うこと経(へ)て多時(たじ=長き間)、勝敗(しょうはい)を分(わか)たず、那(か)の老魔(ろうま)一声(ひとこえ)喝(かつ)すれば、衆(しゅう)の妖兵(ようへい)一斉(いっせい)に囲(かこ)み上(のぼ)る。

却説(さて)那(か)の三蔵(さんぞう)蓮花洞(れんかどう)の裏(うち)に坐(ざ)し在(あ)りて、喊声(かんせい=喊声)の地(ち)を振(ふる)わすを聴(き)き得(え)、便(すなわ)ち叫(よ)ばんとす、

「沙和尚(しゃおしょう)、汝(なんじ)出(い)で去(さ)りて汝(なんじ)が師兄(しけい)の勝負(しょうぶ)如何(いかん)を看看(みみ=見て)よ」

沙僧(しゃそう)果(はた)して降妖杖(ごうようじょう)を挙(あ)げて出(い)で来(きた)り、一声(ひとこえ)喝(かつ)し、撞(つ)き将(や)り出(い)で去(さ)り、群妖(ぐんよう)を打(う)ち退(しりぞ)く。阿七(あしち)事勢(じせい=形勢)の利(り)あらざるを見(み)、頭(こうべ)を回(めぐ)らして便(すなわ)ち走(に)ぐるを、八戒(はっかい)に赶(お)いつかれ、背後(はいご)を照(てら)して一鈀(ひとつ)を、便(すなわ)ち筑(つ)き得(え)て九点(きゅうてん=九筋)の鮮紅(せんこう=真っ赤な血)外(そと)に向(むか)いて冒(ほとばし)り、可怜(あわれ)一霊(いちれい=ひとつの霊)の真性(しんしょう)前程(ぜんてい=あの世)に赴(おもむ)く。急(いそ)ぎ拖(ひ)き来(きた)りて衣服(いふく)を剥(は)いで看看(みみ=見る)処(ところ)、原来(げんらい)亦(また)是(こ)れ個(ひとり)の狐狸精(こりせい=狐の妖怪)也(なり)。

那(か)の老魔(ろうま)他(かれ)が老舅(ろうきゅう=大叔父)を傷(そこな)われしを見(み)、行者(ぎょうじゃ)を捨(す)て、宝剣(ほうけん)を提(さ)げ、便(すなわ)ち八戒(はっかい)を劈(き)らんとす、八戒(はっかい)鈀(は)を使(つか)いて架(か)ぎ住(とど)む。正(まさ)に賭闘(ととう=斬り合い)の間(あいだ)、沙僧(しゃそう)撞(つ)き近(ちか)づき前(まえ)に来(きた)り、杖(じょう)を挙(あ)げて便(すなわ)ち打(う)つ、那(か)の妖(よう)抵敵(ていてき=抗戦)し住(とど)めず、風雲(ふううん)を縦(はな)って南(みなみ)へ逃(に)げ走(はし)る、八戒(はっかい)沙僧(しゃそう)緊緊(きんきん=ぴったり)と赶(お)い来(きた)る。大聖(たいせい)見(み)て、急(いそ)ぎ雲(くも)を縦(はな)ち空中(くうちゅう)に跳(と)び上(あ)がり、浄瓶(じょうへい)を解(と)き下(おろ)し、老魔(ろうま)を罩(おお)い定(さだ)め、叫(よ)ばんとす、

「金角大王(きんかくだいおう)!」

那(か)の怪(かい)只(た)だ是(こ)れ自家(じか=自分)の敗残(はいざん)の小妖(しょうよう)の呼(よ)び叫(さけ)ぶと思(おも)い、便(すなわ)ち頭(こうべ)を回(めぐ)らして一声(ひとこえ)応(こた)うるや、飕(しゅう=ひゅっ)と装(つ)め将(や)り入(い)られ、行者(ぎょうじゃ)に被(よ)って「太上老君急急如律令奉敕(たいじょうろうくんきゅうきゅうにょりつりょうほうちょく)」の帖子(じょうじ=札)を貼(は)り着(つ)けらる。只(た)だ見(み)る那(か)の七星剣(しちせいけん)塵埃(じんあい=土ぼこり)に墜(お)ち落(お)ち、亦(また)行者(ぎょうじゃ)に帰(き)す。八戒(はっかい)迎(むか)えて道(い)わく、

「哥哥(あにい)、宝剣(ほうけん)は汝(なんじ)得(え)たるも、精怪(せいかい)何(いずこ)に在(あ)るや?」

行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)わく、

「了了(りょうりょう=終わり終わり)!已(すで)に装(つ)め在(お)く我(わ)が這(こ)の瓶児(へいじ=瓶ちゃん)の裏(うち)也(なり)」

沙僧(しゃそう)聴(き)き説(と)きて、八戒(はっかい)と十分(じゅうぶん)に歓喜(かんき)す。

当時(そのとき)通(ことごと)く諸邪(しょじゃ=もろもろの邪)を掃(は)い浄(きよ)め、洞(ほら)の裏(うち)に回(かえ)り至(いた)り、三蔵(さんぞう)に与(あた)えて喜(よろこ)びを報(ほう)じて道(い)わく、

「山(やま)已(すで)に浄(きよ)く、妖(よう)已(すで)に無(な)し矣(なり)、請(こう)う師父(しふ)馬(うま)に上(のぼ)りて路(みち)を走(はし)れ」

三蔵(さんぞう)喜(よろこ)び自(みずか)ら勝(た)えず。師徒(しと)たち早斎(そうさい=朝食)を食(く)い、行李(こうり)と馬匹(ばひつ=馬)を収拾(しゅうしゅう=整理)し、西(にし)を奔(はし)って路(みち)を找(さが)す。

正(まさ)に行(ゆ)く処(ところ)、猛(たけ)き路傍(みちばた)より一個(ひとり)の瞽者(こしゃ=盲人)闪(ひら)めき出(い)づるを見(み)る、走上前(よりまえ)りて三蔵(さんぞう)が馬(うま)を扯(ひ)き住(とど)めて、道(い)わく、

「和尚(おしょう)那裡(いずこ)へ去(ゆ)くや?還(かえ)せ我(わ)が宝貝(ほうばい)を!」

八戒(はっかい)大(おおい)に驚(おどろ)いて道(い)わく、

「罷了(ひょうりょう=おしまいだ)!這(こ)れ是(こ)れ老妖(ろうよう)の宝貝(ほうばい)を討(もと)めに来(きた)れる也(なり)!」

行者(ぎょうじゃ)仔細(しさい=よくよく)観(み)るに、原来(げんらい)是(こ)れ太上李老君(たいじょうりろうくん)也(なり)、慌(あわ)て得(え)て近(ちか)づき前(まえ)に施礼(せれい=礼)して道(い)わく、

「老官児(ろうかんじ=おじいさん)、那裡(いずこ)へ去(ゆ)くや?」

那(か)の老祖(ろうそ)急(いそ)ぎ玉局宝座(ぎょくきょくほうざ)に升(のぼ)り、九霄(きゅうしょう=九天)の空裏(くうり)に佇立(ちょりつ=立ち)て、叫(よ)ばんとす、

「孫行者(そんぎょうじゃ)、還(かえ)せ我(わ)が宝貝(ほうばい)を」

大聖(たいせい)起(た)ちて空中(くうちゅう)に到(いた)りて道(い)わく、

「甚麼(いず)れの宝貝(ほうばい)ぞ?」

老君(ろうくん)道(い)わく、

「葫蘆(ころ)は是(こ)れ我(わ)が丹(たん=丹薬)を盛(も)る者(もの)、浄瓶(じょうへい)は是(こ)れ我(わ)が水(みず)を盛(も)る者(もの)、宝剣(ほうけん)は是(こ)れ我(わ)が魔(ま)を煉(ね)る者(もの)、扇子(せんす)は是(こ)れ我(わ)が火(ひ)を搧(あお)ぐ者(もの)、縄(なわ)は是(こ)れ我(わ)が一根(ひとすじ)の袍(ほう=袍)を勒(し)むる帯(おび)也(なり)。那(か)の兩個(ふたり)の怪(かい)は、一個(ひとり)は是(こ)れ我(わ)が金炉(きんろ=金の炉)を看(まも)る童子(どうじ)、一個(ひとり)は是(こ)れ我(わ)が銀炉(ぎんろ=銀の炉)を看(まも)る童子(どうじ)、只(た)だ因(よ)りて他(かれ)我(わ)が宝貝(ほうばい)を偷(ぬす)み、下界(げかい)に走(はし)り来(きた)り、正(まさ)に覓(さが)す処(ところ)無(な)かりしに、却(かえっ)て是(こ)れ汝(なんじ)今(いま)拿(とら)え住(とど)め、功績(こうせき=手柄)を得(え)たり」

大聖(たいせい)道(い)わく、

「汝(なんじ)這(こ)の老官児(ろうかんじ=おじいさん)、着実(ちゃくじつ=まったく)に無礼(ぶれい)なり、縦(ほしいまま)に家属(かぞく=身内)を放(はな)って邪(よこしま)と為(な)さしむ、該(かか)わる個(ひとつ)の鈐束不厳(けんそくふげん=取り締まり不行届き)の罪名(ざいみょう)を問(と)わる可(べ)し」

老君(ろうくん)道(い)わく、

「我(わ)が事(こと)に干(あずか)らず、錯(あやま)って人(ひと)を怪(あやし)む可(べ)からず。此(こ)れ乃(すなわ)ち海上(かいじょう)の菩薩(ぼさつ)我(われ)に問(と)いて三次(さんじ)借(か)り、他(かれ)を此(ここ)に送(おく)りて妖魔(ようま)に托化(たくけ=化身)せしめ、汝(なんじ)が師徒(しと)真心(しんしん=真心)の西(にし)へ往(ゆ)く可(べ)きや否(いな)やを看看(みみ=試し見)んとす也(なり)」

大聖(たいせい)言(げん)を聞(き)き、心中(しんちゅう)作念(さくねん=思い)って道(い)わく、

「這(こ)の菩薩(ぼさつ)も亦(また)老大(ろうだい=大層)に憊懶(はいらん=ずぼら)なり!当時(そのかみ)老孫(ろうそん)を解脱(げだつ)し、唐僧(とうそう)を保(ほ)して西(にし)へ去(ゆ)きて経(きょう)を取(と)らしめんと教(おし)え、我(われ)説(い)えるに路途(ろと=道のり)艱渋(かんじゅう=困難)にして行(ゆ)き難(がた)しと、他(かれ)曾(かつ)て我(われ)に許(ゆる)して急難(きゅうなん=危難)の処(ところ)に到(いた)らば親(みずか)ら来(きた)りて相救(あいすく)わんと。如今(いま)反(かえっ)て精邪(せいじゃ=妖怪)をして掯害(こうがい=害する)せしめ、言語(げんご)の的(あて)ならず、該(かか)わる他(かれ)一世(いっせい=一生)夫(おっと)無(な)からん!若(も)し是(こ)れ老官児(ろうかんじ)親(みずか)ら来(きた)らざれば、我(われ)決(けっ)して他(かれ)に与(あた)えず。既(すで)に是(こ)れ汝(なんじ)の這等(このよう)に説(と)くならば、拿(と)り去(さ)れよ」

那(か)の老君(ろうくん)五件(いつつ)の宝貝(ほうばい)を収(おさ)め得(え)、葫蘆(ころ)と浄瓶(じょうへい)の蓋口(がいこう=蓋)を掲(あ)げ開(ひら)き、両股(りょうこ=二筋)の仙気(せんき=仙の気)を倒(さかさま)に出(いだ)し、手(て)を用(もち)いて一指(ひとさ)せば、仍(なお)化(か)して金(きん)、銀(ぎん)の二童子(にどうじ)と為(な)り、左右(さゆう)に相随(したが)う。只(た)だ見(み)る那(か)の霞光(かこう=霞の光)万道(ばんどう=幾万条)。

咦(ああ)!縹緲(ひょうびょう=かすか)として同(とも)に兜率院(とそついん=兜率天の院)に帰(き)し、逍遙(しょうよう)として直(ただち)に大羅天(だいらてん)に上(のぼ)る。

畢竟(つい)に知(し)らず此(こ)の後(のち)又(また)甚(なん)の事(こと)有(あ)るか、孫大聖(そんだいせい)怎生(いかに)して唐僧(とうそう)を保護(ほご)し、幾時(いつ)か西天(さいてん)に到(いた)り得(う)るかは、且(しばら)く下回(かかい=次の回)の分解(ぶんかい=説き明かし)を聴(き)け。