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040 第四十回 嬰児(えいじ)戲(たわむ)れて禅心(ぜんしん)を乱(みだ)し 猿馬(えんば)刀帰(とうき)して木母(ぼくぼ)空(むな)し

却(かえっ)て説(と)く、那(か)の孫大聖(そんたいせい)兄弟(きょうだい)三人(みたり)、雲頭(うんとう)を按(おさ)え下(おろ)し、径(ただ)ちに朝(ちょう)の内(うち)に至(いた)れば、只(た)だ見(み)る那(か)の君臣(くんしん)・儲后(ちょこう=皇太子)の、幾班児(いくくみ)か拜接(はいせつ)して恩(おん)を謝(しゃ)するを。

行者(ぎょうじゃ)菩薩(ぼさつ)の魔(ま)を降(くだ)し怪(あやかし)を収(おさ)めし那(か)の一節(ひとくだり)を将(もっ)て、他(かれ)が君臣(くんしん)に陳訴(のべ)て聴(き)かしむれば、一箇箇(めいめい)頂礼(ちょうらい=礼拝)して尽(や)まず。

正(まさ)に都(すべて)賀喜(がき=祝い合う)の間(あいだ)に在(あ)るに、又(ま)た黄門官(こうもんかん)の来(きた)りて奏(もう)すを聴(き)く、「主公(しゅこう)、外面(そと)に又(ま)た四箇(よったり)の和尚(おしょう)の来(きた)れる有(あ)り。」

八戒(はっかい)慌(あわ)てて道(いわ)く、「哥哥(あに)、是(こ)れ妖精(ようせい)の法(ほう)を弄(ろう)し、仮(いつわ)って文殊菩薩(もんじゅぼさつ)を捏(つく)りて我(われ)らを哄(だま)し、却(かえっ)て又(ま)た和尚(おしょう)に変作(へんさく)し、来(きた)りて我(われ)らと智(ち)を闘(あらそ)わんとするか?」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「豈(あ)に此(こ)の理(り)有(あ)らんや!」 すなわち宣(せん)して進(すす)み来(きた)らしめて看(み)るを命(めい)ず。

衆(しゅう)の文武(ぶんぶ)令(れい)を伝(つた)え、他(かれ)を着(つ)けて入(い)り来(きた)らしむ。

行者(ぎょうじゃ)看(み)る時(とき)、原(もと)来(もと)是(こ)れ那(か)の宝林寺(ほうりんじ)の僧人(そうにん)の、那(か)の沖天冠(ちゅうてんかん)・碧玉帯(へきぎょくたい)・赭黄袍(しゃこうほう)・無憂履(むゆうり)を捧(ささ)げて進(すす)み入(い)り来(きた)れる也(なり)。

行者(ぎょうじゃ)大(おおい)に喜(よろこ)んで道(いわ)く、「来(きた)り得(え)て好(よ)し! 来(きた)り得(え)て好(よ)し!」

且(しばら)く道人(どうにん)を教(おし)えて過(よぎ)り来(きた)らせ、包巾(ほうきん=頭巾)を摘(と)り下(おろ)し、沖天冠(ちゅうてんかん)を戴(いただ)かしめ;布衣(ふい=布の衣)を脱(ぬ)ぎ、赭黄袍(しゃこうほう)を穿(き)せ;絛子(じょうし=紐)を解(と)き、碧玉帯(へきぎょくたい)を系(し)めしめ;僧鞋(そうあい)を褪(ぬ)ぎ、無憂履(むゆうり)を登(は)かしむ。太子(たいし)を教(おし)えて白玉圭(はくぎょくけい)を拿(と)り出(いだ)し来(きた)らせ、他(かれ)と手(て)の裏(うち)に執(と)らしめ、早(はや)く請(こ)うて殿(でん)に上(のぼ)り孤(こ)と称(しょう)せしむ。正(まさ)に是(こ)れ古(いにしえ)より道(いわ)く、「朝廷(ちょうてい)一日(いちじつ)も君(きみ)無(な)かる可(べ)からず」と。

那(か)の皇帝(こうてい)那(いず)れか肯(あえ)て坐(ざ)せん、哭啼啼(こくていてい=泣き声)と階心(かいしん=階段の中央)に跪(ひざまず)きて道(いわ)く、「我(われ)已(すで)に三年(さんねん)死(し)せしが、今(いま)師父(しふ)の我(われ)を救(すく)いて回生(かいせい)せしむるを蒙(こうむ)るに、怎(なん)ぞ又(ま)た敢(あえ)て妄(みだ)りに自(みずか)ら尊(とうと)と称(しょう)せんか? 請(こ)う、那(いず)れの一位(いちい)の師父(しふ)の君(きみ)と為(な)れ、我(われ)願(ねがわ)くは妻子(さいし)を領(ひき)いて城外(じょうがい)に民(たみ)と為(な)らんに足(た)れり。」

那(か)の三蔵(さんぞう)那(いず)れか肯(あえ)て受(う)けん、一心(いっしん)只(た)だ是(こ)れ仏(ほとけ)を拜(おが)み経(きょう)を求(もと)めんと欲(ほっ)す。

又(ま)た行者(ぎょうじゃ)を請(こ)えば、行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く、「列位(れつい=皆様)に瞞(かく)して説(と)かず、老孫(ろうそん)若(も)し肯(あえ)て皇帝(こうてい)を作(な)さば、天下(てんか)・万国(ばんこく)・九州(きゅうしゅう)の皇帝(こうてい)、皆(みな)作(な)し遍(あまね)くしたらん。只(た)だ是(こ)れ我(われ)ら和尚(おしょう)を作(な)し慣(な)れて、是(こ)の般(ごと)く懶散(らんさん=だらしなく)なり。若(も)し皇帝(こうてい)を作(な)さば、すなわち要(よう)す頭(かしら)を留(とど)め髪(かみ)を長(なが)くし、黄昏(たそがれ)に睡(ねむ)らず、五鼓(ごこ=明け方)に眠(ねむ)らず、辺報(へんぽう=辺境の急報)有(あ)るを聴(き)けば心神(しんしん)安(やす)からず;災荒(さいこう)有(あ)るを見(み)れば憂愁(ゆうしゅう)奈何(いかん)ともすること無(な)し。我(われ)ら怎(いか)にして得(え)て慣(な)れんや? 你(なんじ)還(ま)た你(なんじ)の皇帝(こうてい)を作(な)し、我(われ)還(ま)た我(われ)の和尚(おしょう)を作(な)し、功(こう)を修(しゅ)し行(ぎょう)に去(ゆ)かん也(よ)。」

那(か)の国王(こくおう)苦(くるし)く讓(ゆず)ること過(す)ぎざれば、只(た)だ得(え)て宝殿(ほうでん)に上(のぼ)り、南面(なんめん)して孤(こ)と称(しょう)し、大赦(たいしゃ)を天下(てんか)に下(くだ)し、宝林寺(ほうりんじ)の僧人(そうにん)を封贈(ほうぞう=褒美を与え)して回(かえ)し去(ゆ)かしむ。

却(かえっ)て才(ようや)く東閣(とうかく)を開(ひら)き、唐僧(とうぞう)を筵宴(えんえん=饗宴)し、一壁廂(いっぺき=一方)には旨(むね)を伝(つた)えて丹青(たんせい=絵師)を宣召(せんしょう)し、唐(とう)の師徒(しと)四位(よい)の喜容(きよう=肖像)を写(うつ)し下(おろ)し、金鑾殿(きんらんでん)の上(うえ)に供養(くよう)せしむ。

那(か)の師徒(しと)ら邦国(ほうこく)を安(やす)んじ、久(ひさ)しく停(とど)まるを肯(あえ)てせず、王駕(おうが)に辞(じ)して西(にし)に投(とう)ぜんと欲(ほっ)す。

那(か)の皇帝(こうてい)三宮妃后(さんきゅうひごう)・太子(たいし)・諸臣(しょしん)と、鎮国(ちんこく=国を鎮むる)の宝貝(ほうべい)、金銀(きんぎん)・緞帛(どんはく=絹布)を将(もっ)て、師父(しふ)に献(けん)じて恩(おん)に酬(むく)いんとす。

那(か)の三蔵(さんぞう)分毫(ぶんごう=少しも)受(う)けず、只(た)だ是(こ)れ関文(かんぶん)を倒換(とうかん)し、悟空(ごくう)らを催(うなが)して馬(うま)に背(くら)を負(お)わせ早(はや)く行(ゆ)かしむ。

那(か)の国王(こくおう)甚(はなは)だ意(こころ)に過(す)ぎず、朝鑾駕(ちょうらんが=天子の車駕)を擺(なら)え整(ととの)えて唐僧(とうぞう)を請(こ)うて上座(じょうざ)に坐(ざ)せしめ、両班(りょうはん)の文武(ぶんぶ)を着(つ)けて引導(いんどう)せしめ、他(かれ)三宮妃后(さんきゅうひごう)・太子(たいし)と一家児(いっか=一家)にて、轂(こく=車輪)を捧(ささ)げ輪(りん)を推(お)し、城廓(じょうかく=城壁)の外(そと)に送(おく)り出(いだ)し、却(かえっ)て才(ようや)く竜輦(りゅうれん=天子の車)を下(お)り、衆(しゅう)と相別(そうべつ)す。

国王(こくおう)道(いわ)く、「師父(しふ)や、西天(せいてん)に到(いた)りて経(きょう)を回(かえ)し得(う)るの日(ひ)には、是(こ)れ必(かなら)ず還(ま)た寡人(かじん=私)が界内(かいだい)に到(いた)りて一顧(いっこ=一目)せよ。」

三蔵(さんぞう)道(いわ)く、「弟子(でし)命(めい)を領(りょう)す。」

那(か)の皇帝(こうてい)涙(なみだ)を閣(とど)めて汪汪(おうおう=あふれ)、遂(つい)に衆臣(しゅうしん)と回(かえ)り去(ゆ)く。

那(か)の唐僧(とうぞう)一行(いっこう)四僧(しそう)、羊腸(ようちょう=羊の腸のような)の大路(たいろ)に上(のぼ)り、一心(いっしん)の裏(うち)に專(もっぱ)ら霊山(りょうざん)を拜(おが)まんとす。

正(まさ)に秋(あき)尽(つ)き冬(ふゆ)初(はじ)まるの時節(じせつ)に値(あた)る、但(た)だ見(み)る霜(しも)は紅葉(こうよう)を凋(しぼ)ませて林林(りんりん=林ごと)瘦(や)せ、雨(あめ)は黄粱(こうりょう=黍)を熟(じゅく)させて処々(しょしょ)盈(み)つ。日(ひ)暖(あたた)かに嶺梅(れいばい=嶺の梅)暁色(ぎょうしょく)に開(ひら)き、風(かぜ)山竹(さんちく)を揺(ゆ)すって寒声(かんせい)を動(うご)かす。

師徒(しと)ら烏鶏国(うけいこく)を離(はな)れ、夜(よる)住(じゅう)し暁(あかつき)に行(ゆ)くこと、将(まさ)に半月(はんげつ)有余(ゆうよ)ならんとするに、忽(たちま)ち又(ま)た一座(ひとつ)の高山(こうざん)を見(み)る、真箇(まこと)に是(こ)れ摩天礙日(まてんげいじつ=天を摩し日を遮る)なり。

三蔵(さんぞう)馬上(ばじょう)に心(こころ)驚(おどろ)き、急(いそ)ぎ韁(たづな)を兜(と)めて忙(いそ)ぎ行者(ぎょうじゃ)を呼(よ)ぶ。

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「師父(しふ)何(なん)の吩咐(いいつけ)有(あ)るか?」

三蔵(さんぞう)道(いわ)く、「你(なんじ)看(み)よ、前(まえ)の面(ほう)に又(ま)た大山(たいざん)・峻嶺(しゅんれい)有(あ)り、須(すべから)く仔細(しさい)に堤防(ていぼう=用心)せよ、恐(おそ)るるは一時(いっとき)に又(ま)た邪物(じゃぶつ)の来(きた)りて我(われ)を侵(おか)さんことを。」

行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く、「只(た)だ管(かま)わず路(みち)を走(はし)れ、多(おお)く心(こころ)を生(しょう)ずる莫(なか)れ、老孫(ろうそん)自(おのずか)ら防護(ぼうご)有(あ)り。」

那(か)の長老(ちょうろう)只(た)だ得(え)て懐(ふところ)を寛(ひろ)くし、鞭(むち)を加(くわ)え馬(うま)を策(むちう)ち、山岩(さんがん)に奔(はし)り至(いた)れば、果(はた)して也(ま)た十分(じゅうぶん)に険峻(けんしゅん)なり。

但(た)だ見(み)得(う)る:

高(たか)きや高(たか)からず、頂上(ちょうじょう)青霄(せいしょう=青空)に接(つらな)る;
深(ふか)きや深(ふか)からず、澗中(かんちゅう=谷の中)地府(じふ=地獄)の如(ごと)し。
山前(さんぜん)常(つね)に見(み)る骨都都(こつとつ=もくもく)たる白雲(はくうん)、扢騰騰(こつとうとう=たちこめる)たる黒霧(こくむ)。
紅梅(こうばい)・翠竹(すいちく)、緑柏(りょくはく)・青松(せいしょう)。
山後(さんご)に千万丈(せんまんじょう)の挟魂霊台(きょうこんれいだい=魂を挟む霊台)有(あ)り、台後(だいご)に古古怪怪(ここかいかい=奇怪)たる蔵魔洞(ぞうまどう)有(あ)り。
洞中(どうちゅう)に叮叮狢狢(ていていかくかく=ぽたぽた)たる滴水泉(てきすいせん)有(あ)り、泉下(せんか)に更(さら)に弯弯曲曲(わんわんきょくきょく=くねくね)たる流水澗(りゅうすいかん)有(あ)り。
又(ま)た那(か)の天(てん)に跳(と)び地(ち)に搠(つ)きて果(くだもの)を献(けん)ずる猿(さる)、丫丫叉叉(ああささ=ごつごつ)たる角(つの)帯(お)びし鹿(しか)、呢呢痴痴(じじちち=ぼんやり)として人(ひと)を看(み)る獐(のろ)を見(み)る。
晩(くれ)に至(いた)れば山(やま)を巴(はい)って穴(あな)を尋(たず)ぬる虎(とら)、暁(あかつき)を待(ま)って波(なみ)を翻(かえ)して水(みず)を出(い)づる竜(りゅう)。
洞門(どうもん)に登(のぼ)り得(え)て唿喇(こつらつ=がらがら)と響(ひび)き、飛禽(ひきん)を驚(おどろ)かし得(え)て撲魯(ぼくろ=ばさばさ)と起(お)き、那(か)の林中(りんちゅう)の走獣(そうじゅう)の鞠律律(きつりつりつ=ぞろぞろ)と行(ゆ)くを看(み)る。
此(こ)の一群(ひとむれ)の禽(とり)と獣(けもの)を見(み)れば、人(ひと)の心(こころ)を吓(おどろ)かし得(え)て扢磴磴(こつとうとう=どきどき)と驚(おどろ)く。
堂倒洞(どうとうどう)・堂堂倒洞(どうどうとうどう)、洞堂当倒(どうどうとうとう)、洞当仙(どうとうせん)。
青石(せいせき)染(そ)みて千塊(せんかい)の玉(たま)と成(な)り、碧紗(へきさ)籠(こも)りて万堆(ばんたい)の煙(けむり)を罩(おお)う。

師徒(しと)ら正(まさ)に悚懼(しょうく=恐れ慄く)に当(あた)るに、又(ま)た只(た)だ那(か)の山凹(やまくぼみ)の裏(うち)に一朶(ひとひら)の紅雲(こううん)有(あ)るを見(み)る、直(ただ)ちに九霄(きゅうしょう)の空内(くうない)に冒(のぼ)り到(いた)り、結聚(けっしゅ=凝集)して一団(ひとつ)の火気(かき)と成(な)る。

行者(ぎょうじゃ)大(おおい)に驚(おどろ)き、近(ちか)づき前(まえ)に、唐僧(とうぞう)を把(もっ)て脚(あし)を搊(かか)え、馬(うま)より推(お)し下(おろ)し、叫(よ)んで道(いわ)く、「兄弟(きょうだい)ら、走(はし)る莫(なか)れ、妖怪(ようかい)来(きた)れる也(よ)。」

慌(あわ)て得(え)て箇(ひとつ)の八戒(はっかい)急(いそ)ぎ釘鈀(ていは)を掣(ひっさ)げ、沙僧(しゃそう)忙(いそ)ぎ宝杖(ほうじょう)を輪(めぐ)らし、唐僧(とうぞう)を把(もっ)て中(なか)に囲(かこ)み護(まも)る。

話(ことば)両頭(ふたつ)に分(わ)かれる。

却(かえっ)て説(と)く、紅光(こうこう)の裏(うち)に、真箇(まこと)に是(こ)れ箇(ひとつ)の妖精(ようせい)なり。他(かれ)数年前(すうねんまえ)、人(ひと)の講(こう)ずるを聞(き)き得(え)て、「東土(とうど)の唐僧(とうぞう)西天(せいてん)に往(ゆ)きて経(きょう)を取(と)るは、乃(すなわ)ち是(こ)れ金蝉長老(きんせんちょうろう)の転生(てんしょう)にして、十世(じっせ)修行(しゅぎょう)の好(よ)き人(ひと)なり。人(ひと)の他(かれ)の一塊(ひとかけら)の肉(にく)を食(くら)えば、延長(えんちょう)・長寿(ちょうじゅ)にして、天地(てんち)と同(とも)に休(やす)らう」と。

他(かれ)朝朝(ちょうちょう=朝ごと)に山間(さんかん)に在(あ)って等候(ま)つに、期(き)せずして今日(こんにち)到(いた)れり。

他(かれ)那(か)の半空(はんくう)の裏(うち)に在(あ)って、正(まさ)に然(しか)く観看(みわた)すに、只(た)だ三箇(みたり)の徒弟(とてい)の、唐僧(とうぞう)を把(もっ)て馬上(ばじょう)に囲(かこ)み護(まも)り、各各(めいめい)準(そな)えを備(そな)うるを見(み)る。

這(こ)の精霊(せいれい)夸賛(こさん=讃嘆)して尽(や)まず道(いわ)く、「好(よ)き和尚(おしょう)かな! 我(われ)才(ようや)く一箇(ひとり)の白面胖和尚(はくめんぱんおしょう=白く丸い顔の坊主)の馬(うま)に騎(の)れるを看(み)るに、真(まこと)に是(こ)れ那(か)の唐朝(とうちょう)の聖僧(しょうそう)なるに、却(かえっ)て怎(なん)ぞ三箇(みたり)の醜(みにく)き和尚(おしょう)に護持(ごじ=守)されたるか! 一箇箇(ひとりひとり)拳(けん)を伸(の)べ袖(そで)を斂(おさ)め、各(おのおの)兵器(へいき)を執(と)り、似(に)たり人(ひと)と打(う)たんと欲(ほっ)するの一般(ごとし)。噫(ああ)! 知(し)らず是(こ)れ那(いず)れの眼力(がんりき=見る目)有(あ)る者(もの)か、想(おも)うに応(まさ)に我(われ)を認(みと)め得(え)たるならん、此(こ)の有様(ようぼう)にては、那(か)の唐僧(とうぞう)の肉(にく)の食(くら)い得(う)ることを想(おも)う莫(なか)れ。」

沈吟(ちんぎん=沈思)すること半晌(はんしょう=しばらく)、心(こころ)を以(もっ)て心(こころ)に問(と)うて自家(じか)商量(そうりょう=相談)して道(いわ)く、「若(も)し勢(いきおい)に倚(よ)って擒(とら)えんと要(ほっ)すれば、近(ちか)づき得(う)ること能(あた)わず;或(あるい)は善(ぜん)を以(もっ)て他(かれ)を迷(まよ)わすれば、却(かえっ)て手(て)に到(いた)り得(う)べし。但(た)だ他(かれ)が心(こころ)の迷惑(めいわく)するを哄(たぶらか)し得(え)て、我(われ)の善(ぜん)の内(うち)に在(あ)って機(き)を生(しょう)ずるを待(ま)て、断然(だんぜん)として拿(とら)えん。且(しばら)く下(くだ)り去(ゆ)きて他(かれ)を一(ひと)つ戲(たわむ)れん。」

好(よ)き妖怪(ようかい)かな、すなわち紅光(こうこう)を散(さん)じ、雲頭(うんとう)を按(おさ)えて落(おろ)し、那(か)の山坡(さんぱ=山の斜面)の裏(うち)に去(ゆ)き、身(み)を揺(ゆす)って一変(ひとへん)じ、七歳(ななつ)の頑童(がんどう=いたずら小僧)に変作(へんさく)し、赤条条(せきじょうじょう=裸)として、身(み)の上(うえ)に衣(ころも)無(な)く、麻縄(あさなわ)を将(もっ)て手足(しゅそく)を捆(くく)り、高(たか)く那(か)の松樹(しょうじゅ)の梢頭(しょうとう=梢)に吊(つ)るし在(お)き、口口声声(こうこうせいせい)に、只(た)だ「人(ひと)を救(すく)え! 人(ひと)を救(すく)え!」と叫(よ)ぶ。

却(かえっ)て説(と)く、那(か)の孫大聖(そんたいせい)忽(たちま)ち頭(かしら)を抬(あ)げて再(ふたた)び看(み)る処(ところ)、只(た)だ那(か)の紅雲(こううん)散(さん)じ尽(つ)き、火気(かき)全(まった)く無(な)きを見(み)れば、便(すなわ)ち叫(よ)んで道(いわ)く、「師父(しふ)、請(こ)う、馬(うま)に上(のぼ)りて路(みち)を走(はし)れ。」

唐僧(とうぞう)道(いわ)く、「你(なんじ)妖怪(ようかい)の来(きた)れると説(い)いしに、怎(なん)ぞ又(ま)た敢(あえ)て路(みち)を走(はし)るか?」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「我(われ)才然間(さっき=先ほど)、一朶(ひとひら)の紅雲(こううん)の地(ち)より起(おこ)りて、空(くう)の中(うち)に到(いた)りて結(むす)んで一団(ひとつ)の火気(かき)と做(な)せるを見(み)れば、断然(だんぜん)是(こ)れ妖精(ようせい)なり。這(こ)の一会(ひととき)紅雲(こううん)散(さん)じたれば、想(おも)うに是(こ)れ箇(ひとつ)の過路(かろ=通りすがり)の妖精(ようせい)にして、敢(あえ)て人(ひと)を傷(そこな)わざるならん、我(われ)ら去(ゆ)かん!」

八戒(はっかい)笑(わら)って道(いわ)く、「師兄(しけい)の話(ことば)最(もっと)も巧(たく)みなり、妖精(ようせい)に又(ま)た箇(ひとつ)の甚(なん)の過路(かろ)有(あ)らんや?」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)那(いず)れに知(し)らん、若是(も)し那(か)の山(やま)・那(か)の洞(ほら)の魔王(まおう)の宴(えん)を設(もう)け、那(か)の諸山(しょざん)・各洞(かくどう)の精(せい)を邀請(ようせい)して会(え)に赴(おもむ)かしむれば、却(かえっ)すなわち東南西北(とうなんせいほく)四路(よすじ)の精霊(せいれい)の皆(みな)来(きた)りて会(え)に赴(おもむ)く有(あ)り、此(こ)の故(ゆえ)に他(かれ)只(た)だ心(こころ)に会(え)に赴(おもむ)く有(あ)るのみ、意(こころ)に人(ひと)を傷(そこな)う無(な)し。此(こ)れ乃(すなわ)ち過路(かろ)の妖精(ようせい)也(なり)。」

三蔵(さんぞう)言(こと)を聞(き)いて、也(ま)た信(しん)ずるに似(に)て信(しん)ぜざるが似(ごと)く、只(た)だ得(え)て鞍(くら)に攀(よじのぼ)って馬(うま)に在(あ)り、路(みち)に順(したが)いて山(やま)に奔(はし)り前進(ぜんしん)す。

正(まさ)に行(ゆ)く時(とき)、只(た)だ「人(ひと)を救(すく)え!」と叫(よ)ぶ声(こえ)を聴(き)く。

長老(ちょうろう)大(おおい)に驚(おどろ)いて道(いわ)く、「徒弟(とてい)や、這(こ)の半山(なかやま)の裏(うち)に、是(こ)れ那(いず)れの甚(なん)の人(ひと)の叫(よ)ぶか?」

行者(ぎょうじゃ)上前(すす)みて道(いわ)く、「師父(しふ)只(た)だ管(かま)わず路(みち)を走(はし)れ、甚(なん)の人の轎(かご=駕籠)・騾轎(らきょう=驢馬の駕籠)・明轎(めいきょう)・睡轎(すいきょう)を纏(まと)う莫(なか)れ。這(こ)の所(ところ)に、就(すなわ)ち轎(かご)有(あ)るも、也(ま)た箇(ひとつ)の人(ひと)の你(なんじ)を抬(かつ)ぐ無(な)し。」

唐僧(とうぞう)道(いわ)く、「是(こ)れ扛抬(こうたい=担ぎ上げる)の轎(かご)に非(あら)ず、乃(すなわ)ち是(こ)れ叫喚(きょうかん=叫び呼ぶ)の叫(きゅう)なり。」

行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く、「我(われ)暁(さと)れり、閑事(かんじ=よけいなこと)を管(かま)うる莫(なか)れ、且(しばら)く路(みち)を走(はし)れ。」

三蔵(さんぞう)言(こと)に依(よ)り、馬(うま)を策(むちう)ちて又(ま)た進(すす)むに、行(ゆ)くこと一里(いちり)の遥(はるか)に上(のぼ)らざるに、又(ま)た「人(ひと)を救(すく)え!」と叫(よ)ぶ声(こえ)を聴(き)く。

長老(ちょうろう)道(いわ)く、「徒弟(とてい)、這(こ)の叫(よ)ぶ声(こえ)は、是(こ)れ鬼魅(きみ)・妖邪(ようじゃ)に非(あら)ず;若是(も)し鬼魅(きみ)・妖邪(ようじゃ)ならば、但(た)だ声(こえ)を出(いだ)す有(あ)るのみ、回(こた)うる声(こえ)有(あ)ること無(な)し。你(なんじ)聴(き)け、他(かれ)一声(ひとこえ)叫(よ)べば、又(ま)た一声(ひとこえ)叫(よ)ぶ、想(おも)うに必(かなら)ず是(こ)れ箇(ひとつ)の難(なん)有(あ)るの人(ひと)ならん、我(われ)ら去(ゆ)きて他(かれ)を一(ひと)つ救(すく)う可(べ)し。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「師父(しふ)、今日(こんにち)且(しばら)く這(こ)の慈悲(じひ)の心(こころ)を把(もっ)て略(やや)収(おさ)め起(おこ)し収(おさ)め起(おこ)し、此(こ)の山(やま)を過(よぎ)るを待(ま)ち、再(ふたた)び慈悲(じひ)を発(はっ)せよ。這(こ)の去(ゆ)く処(ところ)は凶(きょう)多(おお)く吉(きち)少(すくな)し、你(なんじ)那(か)の草(くさ)に倚(よ)り木(き)に附(つ)くの説(せつ)を知(し)るか、是(こ)れ物(もの)の以(もっ)て精(せい)と成(な)る可(べ)きなり。諸般(しょはん=諸々)は還(ま)た可(ゆる)すも、只(た)だ一般(ひとくさり)の蟒蛇(うわばみ)有(あ)り、但(た)だ年(とし)遠(とお)く日(ひ)深(ふか)く修(しゅ)し得(え)て、精魅(せいみ)と成(な)れば、善(よ)く能(よ)く人(ひと)の小名児(しょうめい=幼名)を知(し)る。他(かれ)若(も)し草科(くさむら)の裏(うち)、或(あるい)は山凹(やまくぼみ)の中(うち)に在(あ)って、人(ひと)一声(ひとこえ)叫(よ)べば、人(ひと)の応(こた)えざるは還(ま)た可(よ)し;若(も)し一声(ひとこえ)応(こた)えば、他(かれ)すなわち人(ひと)の元神(げんしん=魂)を把(もっ)て綽(つか)み去(さ)り、当夜(とうや)に跟(したが)い来(きた)り、断然(だんぜん)として人(ひと)の性命(しょうめい)を傷(そこな)う。且(しばら)く走(はし)れ! 且(しばら)く走(はし)れ! 古人(こじん)云(いわ)く、脱(のが)れ得(え)て去(ゆ)かば、神明(しんめい)に謝(しゃ)せよと、切(きっ)と他(かれ)を聴(き)く可(べ)からず。」

長老(ちょうろう)只(た)だ得(え)て他(かれ)に依(よ)り、又(ま)た鞭(むち)を加(くわ)え馬(うま)を催(うなが)して去(ゆ)く。

行者(ぎょうじゃ)心中(しんちゅう)暗(ひそ)かに想(おも)う、「這(こ)の潑怪(はっかい)那(いず)れに在(あ)るを知(し)らず、只(た)だ管(かま)わず叫(よ)び阿(あ)叫(よ)びする。我(われ)が老孫(ろうそん)の他(かれ)に一箇(ひとつ)の酉星法(ゆうせいほう)を送(おく)り、他(かれ)を教(おし)えて両(ふたり)面(めん)を見(み)ざらしめん。」

好(よ)き大聖(たいせい)かな、沙和尚(しゃおしょう)を叫(よ)んで前(まえ)に来(きた)らせて道(いわ)く、「馬(うま)に攏(そなわ)り、慢慢(ゆっくり)と走(はし)り在(お)れ、老孫(ろうそん)をして手(て)を解(と)かしめよ。」

你(なんじ)看(み)よ他(かれ)唐僧(とうぞう)をして先(さき)に幾歩(いくほ)行(ゆ)かしめ、却(かえっ)て箇(ひとつ)の咒語(じゅご)を念(とな)え、箇(ひとつ)の移山縮地(いざんしゅくち=山を移し地を縮める)の法(ほう)を使(つか)い、金箍棒(きんこぼう)を把(もっ)て後(うしろ)へ一(ひと)つ指(さ)せば、他(かれ)が師徒(しと)此(こ)の峰頭(ほうとう=峰)を過(よぎ)り、前(まえ)に向(むか)いて走(はし)り去(ゆ)き、却(かえっ)て那(か)の怪物(かいぶつ)を把(もっ)て撇(なげう)ち下(おろ)し、他(かれ)再(ふたた)び歩(あゆみ)を曳(ひ)き開(ひら)き、唐僧(とうぞう)に追(お)い付(つ)き、一路(いちろ)山(やま)に奔(はし)る。

只(た)だ見(み)れば那(か)の三蔵(さんぞう)又(ま)た那(か)の山(やま)の背後(うしろ)に「人(ひと)を救(すく)え!」と叫(よ)ぶ声(こえ)有(あ)るを聴(き)く。

長老(ちょうろう)道(いわ)く、「徒弟(とてい)や、那(か)の難(なん)有(あ)る人(ひと)の、大(おおい)に縁法(えんぽう=縁)無(な)く、曾(かつ)て我(われ)らに遇(あ)い得(え)ざりしなり。我(われ)ら他(かれ)を過(よぎ)り走(はし)り了(おわ)れるに、你(なんじ)聴(き)け、他(かれ)山(やま)の後(うしろ)に在(あ)って叫(よ)ぶ哩(ぞ)。」

八戒(はっかい)道(いわ)く、「在(あ)るは便(すなわ)ち還(ま)た山前(さんぜん)に在(あ)るも、只(た)だ如今(いま)風(かぜ)の転(てん)じたる也(なり)。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「他(かれ)の甚(なん)の転風(てんぷう)・不転風(ふてんぷう)を管(かま)わん、且(しばら)く路(みち)を走(はし)れ。」

此(こ)の因(ゆえ)に、遂(つい)に皆(みな)言語(ことば)無(な)く、一步(いっぽ)にして此(こ)の山(やま)を叉(また)ぎ過(よぎ)らんことを恨(うら)む。話下(かか=以下)に題(だい)せず。

却(かえっ)て説(と)く、那(か)の妖精(ようせい)山坡(さんぱ)の裏(うち)に在(あ)りて、連(つづ)けて三四声(さんよんこえ)叫(よ)ぶも、更(さら)に人(ひと)の到(いた)る無(な)ければ、他(かれ)心中(しんちゅう)思量(しりょう)して道(いわ)く、「我(われ)此(ここ)に在(あ)って唐僧(とうぞう)を等(ま)つに、他(かれ)の離(はな)るること三里(さんり)に上(のぼ)らざるを望見(みわた)せるに、却(かえっ)て怎(なん)ぞ這(こ)の半晌(はんしょう)還(ま)た到(いた)らざるか? 想(おも)うに是(こ)れ路(みち)を抄(つつし)み下(おろ)して去(ゆ)きたるならん。」

他(かれ)身(み)躯(み)を一(ひと)つ抖(ふる)い、縄索(じょうさく)を脱(ぬ)ぎ、又(ま)た紅光(こうこう)を縦(はな)ち、上空(じょうくう)して再(ふたた)び看(み)る。

覚(おぼ)えず孫大聖(そんたいせい)面(おもて)を仰(あお)ぎて回観(みかえ)し、是(こ)れ妖怪(ようかい)なるを識(し)り得(え)、又(ま)た唐僧(とうぞう)を把(もっ)て脚(あし)を撮(つま)み、馬(うま)より推(お)し下(おろ)して道(いわ)く、「兄弟(きょうだい)ら、仔細(しさい)! 仔細(しさい)! 那(か)の妖精(ようせい)又(ま)た来(きた)れる也(よ)!」

慌(あわ)て得(え)て那(か)の八戒(はっかい)・沙僧(しゃそう)各(おのおの)兵刀(へいとう=武器)を執(と)り、唐僧(とうぞう)を将(もっ)て又(ま)た中(なか)に囲(かこ)み護(まも)る。

那(か)の精霊(せいれい)見(み)て、半空(はんくう)の中(うち)に在(あ)って称羨(しょうせん=讃嘆)して已(や)まず道(いわ)く、「好(よ)き和尚(おしょう)かな! 我(われ)才(ようや)く那(か)の白面(はくめん)の和尚(おしょう)の馬(うま)の上(うえ)に坐(ざ)せるを見(み)るに、却(かえっ)て怎(なん)ぞ又(ま)た他(かれ)三人(みたり)に蔵(かく)されたるか? 這(こ)れ一(ひと)つ去(ゆ)きて面(めん)を見(み)て方(まさ)に知(し)らん。先(ま)ず那(か)の眼力(がんりき)有(あ)る者(もの)を弄(ろう)し倒(たお)して、方(まさ)に才(ようや)く唐僧(とうぞう)を捉(とら)え得(う)べし。然(しか)らずんば、徒(いたず)らに心機(しんき)を費(つい)やして物(もの)を獲(え)難(がた)く、枉(むな)しく情興(じょうきょう=興)を労(ろう)して総(すべ)て空(くう)を成(な)さん。」

却(かえっ)て又(ま)た雲頭(うんとう)を按(おさ)え下(おろ)し、恰(あたか)も前番(ぜんばん=前回)の変化(へんげ)の似(ごと)く、高(たか)く松樹(しょうじゅ)の山頭(さんとう)に吊(つ)り在(あ)って等候(ま)つ、這(こ)の番(たび)は却(かえっ)て半里(はんり)の地(ち)に上(のぼ)らず。

却(かえっ)て説(と)く、那(か)の孫大聖(そんたいせい)頭(かしら)を抬(あ)げて再(ふたた)び看(み)れば、只(た)だ那(か)の紅雲(こううん)又(ま)た散(さん)じたるを見(み)る、復(ま)た請(こ)うて師父(しふ)馬(うま)に上(のぼ)り前(まえ)に行(ゆ)かしむ。

三蔵(さんぞう)道(いわ)く、「你(なんじ)妖精(ようせい)又(ま)た来(きた)れると説(い)いしに、如何(いかん)ぞ又(ま)た路(みち)を走(はし)るを請(こ)うか?」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「這(こ)れ還(ま)た是(こ)れ箇(ひとつ)の過路(かろ)の妖精(ようせい)にして、敢(あえ)て我(われ)らを惹(まね)かざるなり。」

長老(ちょうろう)又(ま)た怒(いか)りを懐(いだ)いて道(いわ)く、「這(こ)の潑猴(はっこう)、十分(じゅうぶん)に我(われ)を弄(ろう)す! 正(まさ)に妖魔(ようま)有(あ)る処(ところ)に当(あた)りて、却(かえっ)て無事(ぶじ)と説(と)き;這(こ)の般(ごと)き清平(せいへい=平穏)の所(ところ)に似(に)たるに、又(ま)た却(かえっ)て我(われ)を恐嚇(きょうかく=脅か)し、時(とき)ならずして嚷(わめ)いて甚(なん)の妖精(ようせい)有(あ)ると道(い)う。虚(きょ)多(おお)く実(じつ)少(すくな)く、軽重(けいちょう)を管(かま)わず、我(われ)を将(もっ)て脚(あし)を搊(かか)え、馬(うま)より捽(つき)り下(おろ)し、如今(いま)却(かえっ)て解(と)きて甚(なん)の過路(かろ)の妖精(ようせい)と説(と)く。仮(かり)に跌(つまず)きて我(われ)を傷(そこな)わば、却(かえっ)て也(ま)た意(こころ)に過(す)ぎ去(ゆ)かざらん! 這(こ)の等(ごと)し、這(こ)の等(ごと)し!」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「師父(しふ)怪(とが)むる莫(なか)れ、若是(も)し跌(つまず)きて你(なんじ)の手足(しゅそく)を傷(そこな)わば、却(かえっ)て還(ま)た好(よ)く医(いや)す可(べ)し;若是(も)し妖精(ようせい)に撈(すく)われ去(ゆ)かば、却(かえっ)て何処(いずこ)に跟(したが)い尋(たず)ねん?」

三蔵(さんぞう)大(おおい)に怒(いか)り、哏哏(こんこん=いらいら)として、《緊箍児咒(きんこじゅ)》を念(とな)えんと欲(ほっ)すれば、却(かえっ)て是(こ)れ沙僧(しゃそう)の苦(くるし)く勧(すす)むるに、只(た)だ得(え)て馬(うま)に上(のぼ)り又(ま)た行(ゆ)く。

還(ま)た曾(かつ)て坐(ざ)し得(え)て穏(おだやか)ならざるに、只(た)だ又(ま)た「師父(しふ)、人(ひと)を救(すく)えや!」と叫(よ)ぶを聴(き)く。

長老(ちょうろう)頭(かしら)を抬(あ)げて看(み)る時(とき)、原(もと)来(もと)是(こ)れ箇(ひとつ)の小孩童(しょうがいどう=幼児)の、赤条条(せきじょうじょう=裸)として、那(か)の樹(き)の上(うえ)に吊(つ)り在(あ)れるなり。

韁(たづな)を兜(と)め住(とど)め、便(すなわ)ち行者(ぎょうじゃ)を罵(ののし)って道(いわ)く、「這(こ)の潑猴(はっこう)多(おお)くの大(おおい)なる憊懶(はいらん=ずる賢)なるかな! 全(まった)く些(いくら)か児(ばかり)の善良(ぜんりょう)の意(こころ)有(あ)ること無(な)く、心心(しんしん=心の底)只(た)だ是(こ)れ撒潑行凶(さっぱつぎょうきょう=暴れまわる)を要(ほっ)する哩(ぞ)! 我(われ)那(か)の般(ごと)く説(と)くに、叫(よ)び喚(よ)ぶるは是(こ)れ人(ひと)の声(こえ)なりと、他(かれ)すなわち千言万語(せんげんばんご)にて只(た)だ嚷(わめ)いて是(こ)れ妖怪(ようかい)なりとす! 你(なんじ)看(み)よ、那(か)の樹(き)の上(うえ)に吊(つ)り在(あ)るは是(こ)れ箇(ひとり)の人(ひと)ならずや?」

大聖(たいせい)師父(しふ)の怪(とが)め下(くだ)れるを見(み)、却(かえっ)て又(ま)た觌面(まのあたり)に容姿(ようし=姿)を見(み)て、一(ひとつ)には手脚(しゅきゃく=手立て)を作(な)すを得(え)ず、二(ふたつ)には又(ま)た《緊箍児咒(きんこじゅ)》を念(とな)えられんことを怕(おそ)るれば、頭(かしら)を低(た)れ、再(ふたた)び敢(あえ)て言(こと)を回(かえ)さず、唐僧(とうぞう)の樹(き)の下(した)に到(いた)るに讓(ゆず)る。

那(か)の長老(ちょうろう)鞭(むち)の梢(こずえ)を将(もっ)て指(さ)し問(と)うて道(いわ)く、「你(なんじ)は是(こ)れ那(いず)れの家(いえ)の孩児(がいじ=子)なるか? 何(なん)の事(こと)有(あ)るに因(よ)りて、此(ここ)の間(あいだ)に吊(つ)り在(あ)るか? 我(われ)に説(と)け、好(よ)く你(なんじ)を救(すく)わん。」

噫(ああ)! 分明(ぶんめい)他(かれ)は是(こ)れ箇(ひとつ)の精霊(せいれい)の、這(こ)の等(ごと)く変化(へんげ)せるなるに、那(か)の師父(しふ)は却(かえっ)て是(こ)れ箇(ひとつ)の肉眼凡胎(にくがんぼんたい=凡夫の眼)にして、相識(みわ)けるを得(え)ざるなり。

那(か)の妖魔(ようま)他(かれ)の下(した)に問(と)うを見(み)て、愈(いよい)よ虚頭(きょとう=虚偽)を弄(ろう)し、眼(め)の中(うち)に涙(なみだ)を噙(ふく)み、叫(よ)んで道(いわ)く、「師父(しふ)呀(や)、山(やま)を西(にし)に去(ゆ)けば一条(ひとすじ)の枯松澗(こしょうかん)有(あ)り、澗(たに)の那辺(かなた)に一(ひとつ)の庄村(しょうそん)有(あ)り、我(われ)は是(こ)れ那(そ)の処(ところ)の人(ひと)の家(いえ)なり。我(われ)が祖公公(そこひいじいさん)姓(せい)は紅(こう)、只(た)だ広(ひろ)く金銀(きんぎん)を積(つ)むに因(よ)り、家私(かし=家産)巨万(きょまん)にして、混名(あだな)を喚(よ)んで紅百万(こうひゃくまん)と做(な)す。年老(としお)いて世(よ)を帰(き)すること已久(ひさ)く、家産(かさん)我(われ)が父(ちち)に遺(のこ)せり。近(ちか)ごろ人事(じんじ=世の習い)奢侈(しゃし=贅沢)にして、家私(かし)漸(ようや)く廃(すた)れ、名(な)を改(あらた)めて喚(よ)んで紅十万(こうじゅうまん)と做(な)し、專(もっぱ)ら一(ひとつ)に四路(よすじ)の豪傑(ごうけつ)と交(まじわ)りを結(むす)び、金銀(きんぎん)を将(もっ)て借(か)し放(はな)ち、利息(りそく)を希図(きと=企て)す。怎(なん)ぞ知(し)らん那(か)の籍(せき)無(な)き人(ひと)の、設(もう)けて骗(だま)し去(ゆ)ける啊(かな)、本利(ほんり)帰(かえ)る無(な)し。我(われ)が父(ちち)洪誓(こうせい=大誓い)を発(はっ)して、分文(ぶんぶん=一銭)も借(か)さず。那(か)の金銀(きんぎん)を借(か)りし人(ひと)、身(み)貧(まずし)くして計(けい)無(な)く、凶党(きょうとう=凶徒)を結(むす)び成(な)し、明(あからさま)に火(ひ)を執(と)り杖(つえ)を執(と)り、白日(はくじつ)に我(われ)が門(もん)に殺(せっ)し上(のぼ)り、我(われ)が財帛(ざいはく=財産)を将(もっ)て尽(ことごと)く情(ことごと)く劫擄(ごうろ=奪い取)り、我(われ)が父親(ちち)を把(もっ)て殺(ころ)し、我(われ)が母親(はは)の些(いくら)かの顔色(がんしょく=色香)有(あ)るを見(み)て、拐(かどわ)かし将(もっ)て去(ゆ)きて甚(なん)の圧寨夫人(あっさいふじん=山賊の女房)と做(な)す。

那(そ)の時節(とき)、我(われ)が母親(はは)我(われ)を捨(す)て得(え)ず、我(われ)を把(もっ)て懐(ふところ)の裏(うち)に抱(いだ)き、哭哀哀(こくあいあい=泣き悲しみ)、戦兢兢(せんせんきょうきょう=おののき)、賊寇(ぞくこう=賊)に跟従(したが)い、期(き)せずして此(こ)の山中(さんちゅう)に到(いた)りて、又(ま)た我(われ)を殺(ころ)さんと欲(ほっ)せしも、多(おお)くは我(われ)が母親(はは)の哀告(あいこく=嘆き願い)に虧(よ)り、我(われ)をして刀(かたな)の下(した)に身(み)死(し)するを免(まぬか)れしめ、却(かえっ)て縄子(なわ)を将(もっ)て我(われ)を樹(き)の上(うえ)に吊(つ)し、只(た)だ凍(こご)え餓(う)えて死(し)せしむるを教(おし)う、那(か)の些(いくら)かの賊(ぞく)我(われ)が母親(はは)を将(もっ)て何処(いずこ)に掠(かす)め往(ゆ)けるを知(し)らず。我(われ)此(ここ)に在(あ)ること已(すで)に三日三夜(みっかみよ)、更(さら)に一箇(ひとり)の人(ひと)の来(きた)りて行(ゆ)く無(な)し。知(し)らず那(いず)れの世(よ)の裏(うち)に修積(しゅせき=徳を積)みしに、今(いま)の生(しょう)に老師父(ろうしふ)に遇(あ)い得(う)るは、若(も)し肯(あえ)て大(だい)なる慈悲(じひ)を捨(す)て、我(われ)が一命(いちめい)を救(すく)い家(いえ)に回(かえ)らしむれば、就(すなわ)ち身(み)を典(いれ)し命(いのち)を売(う)るも、也(ま)た師恩(しおん)に酬(むく)い、黄沙(こうさ)の面(おもて)を蓋(おお)うを致(いた)すとも、更(さら)に敢(あえ)て忘(わす)れざる也(なり)。」

三蔵(さんぞう)言(こと)を聞(き)き、真実(しんじつ)と認(みと)め、すなわち八戒(はっかい)を教(おし)えて縄索(じょうさく)を解放(かいほう)し、他(かれ)を救(すく)い下(おろ)し来(きた)らしむ。

那(か)の呆子(ほうけ)も也(ま)た人(ひと)を識(し)らず、便(すなわ)ち上前(すす)みて手(て)を動(うご)かさんと欲(ほっ)すれば、行者(ぎょうじゃ)旁(かたわら)に在(あ)りて、忍(しの)ぶるを得(え)ず一声(ひとこえ)喝(かつ)して道(いわ)く、「那(か)の潑物(はつぶつ)! 你(なんじ)を認(みと)め得(う)る者の此(ここ)に在(あ)る哩(ぞ)! 只(た)だ管(かま)わず架空(かくう=作り事)に鬼(おに)を搗(つ)き、説謊(うそ)を説(と)いて人(ひと)を哄(だま)すな! 你(なんじ)既(すで)に家私(かし)を劫(かす)められ、父(ちち)は賊(ぞく)に傷(そこな)われ、母(はは)は人(ひと)に擄(かどわ)かされたれば、你(なんじ)を救(すく)い去(ゆ)きて誰人(だれ)に交(わた)さんとするか? 你(なんじ)何物(なに)を将(もっ)て我(われ)と与(あた)えて謝(しゃ)と作(な)さんとするか? 這(こ)の謊(うそ)脱節(だっせつ=辻褄が合わぬ)せる也(や)!」

那(か)の怪(あやかし)言(こと)を聞(き)き、心中(しんちゅう)怕(おそ)れを懐(いだ)き、すなわち大聖(たいせい)の是(こ)れ箇(ひとつ)の能(よ)き人(ひと)なるを知(し)り、暗(ひそ)かに他(かれ)を将(もっ)て心(こころ)の上(うえ)に放(お)き在(お)く。却(かえっ)て又(ま)た戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)として、涙(なみだ)を滴(したた)らして言(い)う、「師父(しふ)、我(われ)が父母(ふぼ)空亡(くうぼう=亡き)にして、家財(かざい)尽(ことごと)く絶(た)えたりと雖(いえど)も、還(ま)た些(いくら)かの田産(でんさん=田畑)の未(いま)だ動(うご)かざる有(あ)り、親戚(しんせき)皆(みな)存(そん)す。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)甚(なん)の親戚(しんせき)有(あ)るか?」

妖怪(ようかい)道(いわ)く、「我(われ)が外公(がいこう=母方の祖父)の家(いえ)は山南(さんなん)に在(あ)り、姑娘(こじょう=父の姉)は嶺北(れいほく)に住居(すま)う。澗頭(かんとう)の李四(りし)は、是(こ)れ我(われ)が姨夫(いふ=母の姉の夫);林内(りんない)の紅三(こうさん)は、是(こ)れ我(われ)が族伯(ぞくはく=父の従兄)。還(ま)た堂叔(どうしゅく=父の従弟)・堂兄(どうけい=従兄)の皆(みな)本荘(ほんしょう)の左右(さゆう)に住(す)む有(あ)り。老師父(ろうしふ)若(も)し肯(あえ)て我(われ)を救(すく)えば、荘(むら)の上(うえ)に到(いた)りて、諸親(しょしん)に見(まみ)え、老師父(ろうしふ)の拯救(きゅうじょう)の恩(おん)を将(もっ)て、一一(いちいち)衆(しゅう)に対(たい)して言説(げんせつ)し、些(いくら)かの田産(でんさん)を典売(てんばい=質に入れ売り)し、重重(じゅうじゅう=手厚く)酬謝(しゅうしゃ)せん也(よ)。」

八戒(はっかい)説(と)くを聴(き)き、行者(ぎょうじゃ)を扛(ささ)え住(とど)めて道(いわ)く、「哥哥(あに)、這(こ)の等(ごと)き一箇(ひとり)の小孩子家(こども)に、你(なんじ)只(た)だ管(かま)わず他(かれ)を盤詰(ばんきつ=詰問)して怎(いか)にするか! 他(かれ)の説(と)き得(え)るは是(ただし)きなり、強盗(ごうとう)は只(た)だ他(かれ)が些(いくら)かの浮財(ふざい=動産)を打劫(だっきょう)せるのみ、莫(まさ)か成(なる)まい房屋(いえ)・田産(でんさん)をも也(ま)た劫(かす)め得(え)て去(ゆ)くとは? 若(も)し他(かれ)が親戚(しんせき)らと説(と)かば、我(われ)ら縦(たと)い広大(こうだい)の食腸(しょくちょう=食い意地)有(あ)るも、也(ま)た他(かれ)が十畝(じっぽ)の田(た)の価(あたい)を食(くら)い了(おわ)るを得(え)ず。他(かれ)を救(すく)い下(おろ)して罷(や)めよ。」

呆子(ほうけ)只(た)だ是(こ)れ食(しょく=食べ物)を想(おも)うのみ、那(いず)れか甚(なん)の好歹(よしあし)を管(かま)わん、戒刀(かいとう=持戒の刀)を使(つか)って縄索(じょうさく)を挑(ほじく)り断(た)ち、怪(あやかし)を放(はな)ち下(おろ)し来(きた)る。

那(か)の怪(あやかし)唐僧(とうぞう)の馬(うま)の下(した)に対(たい)し、涙汪汪(るいおうおう=涙ぐみ)として只(た)だ情(ひたすら)に頭(こうべ)を磕(たた)く。

長老(ちょうろう)心(こころ)慈(じ)なれば、便(すなわ)ち叫(よ)んで道(いわ)く、「孩児(がいじ)、你(なんじ)馬(うま)に上(のぼ)り来(きた)れ、我(われ)你(なんじ)を帯(たい)して去(ゆ)かん。」

那(か)の怪(あやかし)道(いわ)く、「師父(しふ)や、我(われ)が手足(しゅそく)は皆(みな)吊(つ)り麻(しび)れ、腰胯(ようこ=腰)疼痛(とうつう=痛む)、一(ひとつ)には是(こ)れ郷下(いなか)の人家(ひと)なれば、馬(うま)に騎(の)るに慣(な)れず。」

唐僧(とうぞう)八戒(はっかい)を叫(よ)んで背負(お)わしむれば、那(か)の妖怪(ようかい)一眼(ひとみ)を抹(ぬぐ)って道(いわ)く、「師父(しふ)、我(われ)が皮膚(ひふ)は皆(みな)凍(こご)え熟(じゅく=ただれ)たれば、敢(あえ)て這(こ)の位(おなり)の師父(しふ)の背負(お)うを要(よう)せず。他(かれ)が嘴(くちばし)長(なが)く耳(みみ)大(おお)きく、脳後(のうご=後頭)の鬃(たてがみ)硬(かた)く、我(われ)を搠(つつ)き得(え)て慌(あわ)てしむ。」

唐僧(とうぞう)道(いわ)く、「沙和尚(しゃおしょう)を教(おし)えて背負(お)わしめん。」

那(か)の怪(あやかし)也(ま)た一眼(ひとみ)を抹(ぬぐ)って道(いわ)く、「師父(しふ)、那(か)の些(いくら)かの賊(ぞく)の来(きた)りて我(われ)が家(いえ)を打劫(だっきょう)せし時(とき)、一箇箇(ひとりひとり)皆(みな)花臉(かれん=化粧顔)を搽(ぬ)り、仮(にせ)の鬍子(ひげ)を帯(お)び、刀(かたな)を拿(と)り杖(つえ)を弄(ろう)せり。我(われ)他(かれ)に唬(おどろ)かされ怕(おそ)れれば、這(こ)の位(おなり)の晦気臉(わいきれん=不吉な顔)の師父(しふ)を見(み)て、一発(いっそう)魂(たましい)を没(な)くし了(おわ)れり、也(ま)た敢(あえ)て他(かれ)の背負(お)うを要(よう)せず。」

唐僧(とうぞう)孫行者(そんぎょうじゃ)を教(おし)えて背負(お)わしむれば、行者(ぎょうじゃ)呵呵(かか)と笑(わら)って道(いわ)く、「我(われ)背負(お)わん! 我(われ)背負(お)わん!」

那(か)の怪物(かいぶつ)暗(ひそ)かに自(みずか)ら歓喜(かんき)し、順順当当(じゅんじゅんとうとう=すんなり)として行者(ぎょうじゃ)の他(かれ)を背負(お)わんことを要(よう)す。

行者(ぎょうじゃ)他(かれ)を把(もっ)て路(みち)の旁(そば)に扯(ひ)き在(お)き、一(ひと)つ試(こころ)みるに、只(た)だ好(よ)く三斤十来両(さんきんじゅうらいりょう)の重(おも)さ有(あ)るのみ。

行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く、「你(なんじ)這(こ)の潑怪物(はつかいぶつ)、今日(こんにち)該(まさ)に死(し)すべきに、怎(なん)ぞ老孫(ろうそん)の面前(めんぜん)に在(あ)って鬼(おに)を搗(つ)くか! 我(われ)你(なんじ)の是(こ)れ箇(ひとつ)の那話児(なじ=例の者)なるを認(みと)め得(え)る呵(かな)。」

妖怪(ようかい)道(いわ)く、「師父(しふ)、我(われ)は是(こ)れ好(よ)き人家(ひと)の児女(むすめこ)なるに、不幸(ふこう)にして此(こ)の大難(たいなん)に遭(あ)う、我(われ)怎(なん)ぞ是(こ)れ箇(ひとつ)の甚(なん)の那話児(なじ)ならんか?」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)既(すで)に是(こ)れ好(よ)き人家(ひと)の児女(むすめこ)ならば、怎(なん)ぞ這(こ)の等(ごと)く骨頭(こつとう=骨)軽(かる)きか?」

妖怪(ようかい)道(いわ)く、「我(われ)が骨格児(こっかく=骨格)小(ちい)さきなり。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)今年(ことし)幾歳(いくつ)なるか?」

那(か)の怪(あやかし)道(いわ)く、「我(われ)七歳(ななつ)なり。」

行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く、「一歳(ひとつ)に一斤(いっきん)長(ちょう)ずるも、也(ま)た該(まさ)に七斤(ななきん)なるべきに、你(なんじ)怎(なん)ぞ四斤(よんきん)に満(み)たざるの重(おも)さなるか?」

那(か)の怪(あやかし)道(いわ)く、「我(われ)小時(ちいさきとき)乳(ち)を失(うしな)えり。」

行者(ぎょうじゃ)説(と)く、「也(ま)た罷(よ)からん、我(われ)你(なんじ)を背負(お)わん、若(も)し尿尿(にょう)・把把(ばば=大便)せば、須(すべから)く我(われ)と説(と)け。」

三蔵(さんぞう)才(ようや)く八戒(はっかい)・沙僧(しゃそう)と前(まえ)に走(はし)り、行者(ぎょうじゃ)孩児(がいじ)を背負(お)って後(うしろ)に随(したが)い、一行(いっこう)径(ただ)ちに西(にし)に投(とう)じて去(ゆ)く。

詩(し)有(あ)りて証(あかし)と為(な)す、詩(し)に曰(いわ)く:

道德(どうとく)高隆(こうりゅう=高く隆ん)なれば魔障(ましょう)高(たか)く、禅機(ぜんき)本(もと)静(しずか)にして静(しずか)より妖(よう)を生(しょう)ず。
心君(しんくん)正直(しょうじき)にして中道(ちゅうどう)を行(ゆ)き、木母(ぼくぼ)痴頑(ちがん=愚か)にして外趫(がいきょう=外へ走)る。
意馬(いば)言(い)わずして愛欲(あいよく)を懐(いだ)き、黄婆(こうば)語(ことば)無(な)くして自(おのずか)ら憂焦(ゆうしょう=焦がれ憂)う。
客邪(きゃくじゃ)志(こころざし)を得(え)て空(むな)しく歓喜(かんき)す、畢竟(ひっきょう)還(ま)た正(ただ)しき処(ところ)より消(しょう)ず。

孫大聖(そんたいせい)妖魔(ようま)を背負(お)い、心中(しんちゅう)唐僧(とうぞう)を埋怨(まんえん=恨み言)し、艱苦(かんく=苦労)を知(し)らざるを、「此(こ)の険峻(けんしゅん)の山場(さんば=山道)を行(ゆ)くに、空身(からみ)すら也(ま)た走(はし)り難(がた)し、却(かえっ)て老孫(ろうそん)を教(おし)えて人(ひと)を背負(お)わしむ。

這(こ)の厮(やつ)他(かれ)の是(こ)れ妖怪(ようかい)なるを説(と)く莫(なか)れ、就(すなわ)ち是(こ)れ好(よ)き人(ひと)なるも、他(かれ)父母(ふぼ)を没(な)くし了(おわ)れば、他(かれ)を背負(お)いて何人(だれ)に与(あた)えんとするを知(し)らず、倒(かえっ)て如(し)かず掼(たたきつ)け殺(ころ)して了(おわ)らんには。」

那(か)の怪物(かいぶつ)却(かえっ)て早(はや)く知覚(ちかく)し了(おわ)り、便(すなわ)ちすなわち箇(ひとつ)の神通(じんつう)を使(つか)い、四下(よも)の裏(うち)に往(ゆ)きて四(よつ)の気(いき)を吸(す)い、行者(ぎょうじゃ)の背(せ)の上(うえ)に吹(ふ)き在(お)けば、便(すなわ)ち重(おも)きこと千斤(せんきん)有(あ)るを覚(おぼ)ゆ。

行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く、「我(われ)が児(こ)よ、你(なんじ)重身法(じゅうしんほう=体重を重くする法)を弄(ろう)して我(われ)が老爺(ろうや=おじさん)を圧(おさ)える哩(ぞ)!」

那(か)の怪(あやかし)言(こと)を聞(き)き、恐(おそ)るるは大聖(たいせい)の他(かれ)を傷(そこな)わんことを、却(かえっ)てすなわち尸(しかばね)を解(と)き、元神(げんしん=魂)を出(いだ)し、跳(と)び将(もっ)て起(お)き去(ゆ)き、佇立(ちょりつ=立ち止まり)して九霄(きゅうしょう)の空裏(くうり)に在(あ)れば、這(こ)の行者(ぎょうじゃ)が背(せ)の上(うえ)愈(いよい)よ重(おも)し。

猴王(こうおう)怒(いか)りを発(はっ)し、他(かれ)を抓(つか)み過(よ)ぎ来(きた)り、那(か)の路(みち)の旁(そば)の頼石頭(らいせきとう=ごつごつした岩)の上(うえ)に往(ゆ)きて、滑辣(こつらつ=びしゃり)と一(ひと)つ掼(たたきつ)ければ、尸骸(しがい)を将(もっ)て掼(たたき)得(え)て箇(ひとつ)の肉餅(にくへい=肉の餅)の般(ごと)き一般(おなじ)となし、還(ま)た恐(おそ)るるは他(かれ)の又(ま)た無礼(ぶれい)ならんことを、索性(さっせい=いっそのこと)四肢(しし)を将(もっ)て扯(ひ)き下(おろ)し、路(みち)の両辺(りょうべん)に投(な)げ在(お)き、俱(とも)に粉碎(ふんさい)せり。

那(か)の物(もの)空(くう)の中(うち)に在(あ)りて、明明(めいめい)と看(み)るに、忍(しの)ぶるを得(え)ず心頭(しんとう=胸)より火(ひ)を起(おこ)して道(いわ)く、「這(こ)の猴和尚(こうおしょう)十分(じゅうぶん)に憊懶(はいらん)なり! 就(すなわ)ち我(われ)を是(こ)れ箇(ひとつ)の妖魔(ようま)にして、你(なんじ)が師父(しふ)を害(そこな)わんと欲(ほっ)すると作(な)すも、却(かえっ)て還(ま)た曾(かつ)て怎(いか)に手(て)を下(くだ)すを見(み)ざる哩(ぞ)、你(なんじ)怎(なん)ぞすなわち我(われ)を把(もっ)て這(こ)の等(ごと)く傷損(しょうそん)せるか! 早(はや)く是(こ)れ我(われ)算計(さんけい=用意)有(あ)りて、神(しん)を出(いだ)して走(はし)りたれば、然(しか)らずんば、是(こ)れ故(ゆえ)無(な)く生(いのち)を傷(そこな)う也(なり)。若(も)し此(こ)の時(とき)に趁(つ)いて唐僧(とうぞう)を拿(とら)えずんば、再(ふたた)び一(ひと)つ番(たび)を讓(ゆず)らば、愈(いよい)よ他(かれ)を教(おし)えて留(とど)まり智(ち)を長(ちょう)ぜしめん。」

好(よ)き怪物(かいぶつ)かな、すなわち半空(はんくう)の裏(うち)に在(あ)って一陣(いちじん)の旋風(せんぷう)を弄(ろう)し、呼(ふう)との一声(ひとこえ)響喨(きょうりょう=響き)じて、石(いし)を走(はし)らせ砂(すな)を揚(あ)ぐ、誠(まこと)に然(しか)く凶狠(きょうこん=凶暴)なり。

好(よ)き風(かぜ)かな:

淘淘(とうとう=ごうごう)と怒(いか)り巻(ま)く水雲(すいうん)腥(なまぐさ)く、黒気(こくき)騰騰(とうとう)として日明(ひあかり)を閉(とざ)す。
嶺樹(れいじゅ=嶺の木)根(ね)を連(つら)ねて通(ことごと)く抜(ぬ)き尽(つく)し、野梅(やばい)幹(みき)を帯(お)びて悉(ことごと)く皆(みな)平(たいら)ぐ。
黄沙(こうさ)目(め)を迷(まよ)わして人(ひと)走(はし)り難(がた)く、怪石(かいせき)残(そこな)い傷(きずつ)いて路(みち)怎(いか)にして平(たいら)かならん。
滚滚団団(こんこんだんだん=転がり巻き)として平地(へいち)暗(くら)く、遍山(へんざん)の禽獣(きんじゅう)哮(たけ)ぶ声(こえ)を発(はっ)す。

刮(ふ)き得(え)て那(か)の三蔵(さんぞう)馬上(ばじょう)に存(たも)つこと難(がた)く、八戒(はっかい)敢(あえ)て仰(あお)ぎ視(み)ず、沙僧(しゃそう)頭(かしら)を低(た)れて面(おもて)を掩(おお)う。

孫大聖(そんたいせい)情(こころ)に知(し)る是(こ)れ怪物(かいぶつ)の風(かぜ)を弄(ろう)せるを、急(いそ)ぎ歩(あゆみ)を縦(はな)ちて来(きた)りて趕(お)う時(とき)、那(か)の怪(あやかし)已(すで)に風頭(ふうとう=風の先)を骋(はせ)らせ、唐僧(とうぞう)を将(もっ)て摂(さら)い去(ゆ)けり。踪(あと)無(な)く影(かげ)無(な)く、何方(いずかた)に摂(さら)い向(むか)えるを知(し)らず、跟(したが)い尋(たず)ぬるに処(ところ)無(な)し。

一時(いっとき)の間(あいだ)、風声(ふうせい)暫(しばら)く息(や)み、日色(にっしょく)光明(こうみょう)たり。

行者(ぎょうじゃ)上前(すす)みて観看(みわた)せば、只(た)だ白竜馬(はくりゅうば)の戦兢兢(せんせんきょうきょう)として声(こえ)を発(はっ)し嘶(いなな)き、行李(こうり)の担(たん)は路(みち)の下(した)に投(な)げ在(お)き、八戒(はっかい)は崖(がけ)の下(した)に伏(ふ)して呻吟(しんぎん)し、沙僧(しゃそう)は坡(さか)の前(まえ)に蹲(うずくま)って叫喚(きょうかん)するを見(み)る。

行者(ぎょうじゃ)喊(さけ)んで道(いわ)く、「八戒(はっかい)!」

那(か)の呆子(ほうけ)是(こ)れ行者(ぎょうじゃ)の声(こえ)なるを聴(き)き得(え)て、却(かえっ)て頭(かしら)を抬(あ)げて看(み)る時(とき)、狂風(きょうふう)已(すで)に静(しず)かなれば、爬(はい)き起(お)き、行者(ぎょうじゃ)を扯(ひ)き住(とど)めて道(いわ)く、「哥哥(あに)、好(よ)き大(おおい)なる風(かぜ)なる哉(かな)!」

沙僧(しゃそう)却(かえっ)て也(ま)た上前(すす)みて道(いわ)く、「哥哥(あに)、這(こ)れは是(こ)れ一陣(いちじん)の旋風(せんぷう)なり。」 又(ま)た問(と)う、「師父(しふ)は那(いず)れに在(あ)るか?」

八戒(はっかい)道(いわ)く、「風(かぜ)来(きた)ること緊(きび)しければ、我(われ)ら皆(みな)頭(かしら)を蔵(かく)し眼(め)を遮(おお)い、各(おのおの)風(かぜ)を避(よ)け、師父(しふ)も也(ま)た馬(うま)の上(うえ)に伏(ふ)せり。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「如今(いま)却(かえっ)て那(いず)れに往(ゆ)き去(ゆ)きしや?」

沙僧(しゃそう)道(いわ)く、「是(こ)れ箇(ひとつ)の灯草(とうそう=灯芯)の做(つく)れるが似(ごと)くなれば、想(おも)うに一風(ひとふう)に巻(ま)き去(ゆ)かれたる也(ならん)。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「兄弟(きょうだい)ら、我(われ)ら此(これ)よりすなわち該(まさ)に散(さん)ずべきか!」

八戒(はっかい)道(いわ)く、「正(まさ)に是(こ)れ、早(はや)きに趁(つ)いて散(さん)じ、各(おのおの)頭路(とうろ=道)を尋(たず)ぬれば、多少(いくばく)か是(こ)れ好(よ)からん。那(か)の西天(せいてん)の路(みち)無窮無尽(むきゅうむじん)にして、何時(いつ)か能(よ)く到(いた)り得(え)ん!」

沙僧(しゃそう)言(こと)を聞(き)き、一箇(ひとつ)の失驚(しっきょう=びっくり)を打(う)ち、渾身(こんしん)麻木(まぼく=しびれ)て道(いわ)く、「師兄(しけい)、你(なんじ)皆(みな)説(と)くは是(こ)れ那(いず)れの話(ことば)なるか。我(われ)ら前生(ぜんしょう)に罪(つみ)有(あ)るに因(よ)り、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の勧化(かんげ=教化)を感(かん)じ蒙(こうむ)り、我(われ)らと摩頂受戒(まちょうじゅかい=頭を摩で戒を受く)し、法名(ほうみょう)を改換(かいかん)し、仏果(ぶっか)に皈依(きえ)し、願(ねがわ)くは唐僧(とうぞう)を保護(ほご)して西方(さいほう)に上(のぼ)り仏(ほとけ)を拜(おが)み経(きょう)を求(もと)め、功(こう)を将(もっ)て罪(つみ)を折(せっ=相殺)せんとす。今日(こんにち)此(ここ)に到(いた)りて、一たび(ひとたび)俱(とも)に休(や)め、這(こ)の等(ごと)き各(おのおの)頭路(とうろ)を尋(たず)ぬるの話(ことば)を説(と)き出(いだ)せば、可(べ)からずや菩薩(ぼさつ)の善果(ぜんか)に違(たが)い、自己(じこ)の徳行(とくぎょう)を壊(やぶ)り、人(ひと)の恥笑(ちしょう=嘲笑)を惹(まね)き、我(われ)らの始(はじめ)有(あ)りて終(おわり)無(な)しと説(い)わしめんか!」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「兄弟(きょうだい)、你(なんじ)の説(と)くも也(ま)た是(ただし)し、奈何(いかん)せん師父(しふ)人(ひと)の説(と)くを聴(き)かず、我(われ)が老孫(ろうそん)火眼金睛(かがんきんせい=火の眼・金の瞳)にして好歹(よしあし)を認(みと)め得(う)れば、才然(さっき)這(こ)の風(かぜ)は、是(こ)れ那(か)の樹(き)の上(うえ)に吊(つ)り在(あ)りし孩児(がいじ)の弄(ろう)せるなり。我(われ)他(かれ)の是(こ)れ箇(ひとつ)の妖精(ようせい)なるを認(みと)め得(え)しに、你(なんじ)ら識(し)らず、那(か)の師父(しふ)も也(ま)た識(し)らず、認(みと)めて好(よ)き人家(ひと)の児女(むすめこ)と作(な)し、我(われ)に他(かれ)を背負(お)うて走(はし)らしむ。是(こ)れ老孫(ろうそん)算計(さんけい)して他(かれ)を擺布(はいふ=こき使)わんと欲(ほっ)せしに、他(かれ)すなわち箇(ひとつ)の重身法(じゅうしんほう)を弄(ろう)して我(われ)を圧(おさ)う。是(こ)れ我(われ)他(かれ)を把(もっ)て掼(たたきつ)き得(え)て粉碎(ふんさい)せしめしに、他(かれ)想(おも)うに是(こ)れ又(ま)た解尸(げし=尸を解く)の法(ほう)を使(つか)い、陣(ひとむれ)の旋風(せんぷう)を弄(ろう)し、我(われ)が師父(しふ)を把(もっ)て摂(さら)い去(ゆ)ける也(なり)。此(こ)の故(ゆえ)に上(うえ)、他(かれ)の每每(つねに)我(われ)が説(と)くを聴(き)かざるを怪(あやし)む。故(ゆえ)に我(われ)意(こころ)懶(ものう)く心(こころ)灰(はい)し、各人(おのおの)散(さん)ずると説(と)けり。既(すで)に是(こ)れ賢弟(けんてい)此(こ)の誠意(せいい)有(あ)れば、老孫(ろうそん)を教(おし)えて進退(しんたい)両難(りょうなん)ならしむ。八戒(はっかい)、你(なんじ)端(つまびらか)の要(よう)す怎(いか)に生(い)きて処(しょ)せんとするか?」

八戒(はっかい)道(いわ)く、「我(われ)才(ようや)く自(みずか)ら口(くち)を失(しっ)して乱(みだ)りに幾句(いくく)を説(と)きしも、其(そ)の実(じつ)也(ま)た該(まさ)に散(さん)ずべからず。哥哥(あに)、没及奈何(どうしようもなく)、還(ま)た沙弟(さてい)の言(こと)を信(しん)じ、去(ゆ)きて那(か)の妖怪(ようかい)を尋(たず)ねて師父(しふ)を救(すく)わん。」

行者(ぎょうじゃ)却(かえっ)て嗔(いかり)を回(めぐ)らして喜(よろこび)と作(な)し、道(いわ)く、「兄弟(きょうだい)ら、還(ま)た要(よう)す来(きた)りて同心(どうしん)を結(むす)び、行李(こうり)・馬匹(ばひつ)を収拾(しゅうしゅう=整え)し、山(やま)に上(のぼ)りて怪物(かいぶつ)を找尋(たずね)し、師父(しふ)を搭救(だっきゅう)しに去(ゆ)かん。」

三箇人(みたり)葛(つた)に附(つ)き藤(ふじ)を扳(たぐ)り、坡(さか)を尋(たず)ね澗(たに)を転(まわ)り、行(ゆ)くこと五七十里(ごしちじゅうり)を経(へ)るも、却(かえっ)て也(ま)た箇(ひとつ)の音信(いんしん=便り)無(な)く、那(か)の山(やま)の上(うえ)飛禽(ひきん)・走獣(そうじゅう)全(まった)く無(な)く、老柏(ろうはく)・喬松(きょうしょう)常(つね)に見(み)る。

孫大聖(そんたいせい)着実(ちゃくじつ=ほんとう)に心(こころ)焦(あせ)り、身(み)を将(もっ)て一(ひと)つ縦(はな)ち、那(か)の巓険(てんけん=険しき頂)の峰頭(ほうとう)に跳(と)び上(あ)がり、一声(ひとこえ)喝(かつ)して「変(へん)ぜよ!」と叫(よ)ぶ。三頭六臂(さんとうろっぴ)に変作(へんさく)し、那(か)の大鬧天宮(だいのうてんきゅう)の本象(ほんぞう=本来の姿)の似(ごと)く、金箍棒(きんこぼう)を将(もっ)て、幌(ゆす)り一(ひと)つ幌(ゆす)り、三根(みつ)の金箍棒(きんこぼう)に変作(へんさく)し、劈哩撲辣(へきりぼくろう=ばりばり)と、東(ひがし)に往(ゆ)きて一路(ひとすじ)打(う)ち、西(にし)に往(ゆ)きて一路(ひとすじ)打(う)ち、両辺(りょうべん)住(とど)まらずの乱(みだ)りに打(う)つ。

八戒(はっかい)見(み)て道(いわ)く、「沙和尚(しゃおしょう)、不好(よろしからず)、師兄(しけい)は是(こ)れ師父(しふ)を尋(たず)ね得(え)ざれば、悩(なや)みて気心風(きしんぷう=逆上せ)を出(いだ)し来(きた)れるなり。」

那(か)の行者(ぎょうじゃ)一(ひと)つ会(ひととき)打(う)ちて、一伙(ひとむれ)の窮神(きゅうしん=貧しい神)を打(う)ち出(いだ)し来(きた)る、皆(みな)一片(ひとかけら)を披(まと)い、一片(ひとかけら)を掛(か)け、褌(こ)に襠(また)無(な)く、褲(こ)に口(くち)無(な)きの、山前(さんぜん)に跪(ひざまず)き、叫(よ)んで道(いわ)く、「大聖(たいせい)、山神(さんじん)・土地(どじ)来(きた)りて見(まみ)ゆ。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「怎(なん)ぞすなわち許多(あまた)の山神(さんじん)・土地(どじ)有(あ)るか?」

衆神(しゅうしん)叩頭(こうとう)して道(いわ)く、「上(うえ)大聖(たいせい)に告(もう)す、此(こ)の山(やま)を喚(よ)んで六百里(ろっぴゃくり)の鑽頭号山(さんとうごうざん)と做(な)す。我(われ)らは是(こ)れ十里(じゅうり)に一山神(いちさんじん)、十里(じゅうり)に一土地(いちどじ)、共(あわ)せて該(まさ)に三十名(さんじゅうめい)の山神(さんじん)、三十名(さんじゅうめい)の土地(どじ)なり。昨日(きのう)已(すで)に此(ここ)に大聖(たいせい)の来(きた)れるを聞(き)きしが、只(た)だ一時(いっとき)会(あつ)まり斉(そろ)わざるに因(よ)り、此(こ)の故(ゆえ)に接(むか)うること遅(おそ)く、大聖(たいせい)の怒(いか)りを発(はっ)せしむるを致(いた)せり、万(よろず)に望(のぞ)むらくは罪(つみ)を恕(ゆる)せよ。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「我(われ)且(しばら)く你(なんじ)らの罪名(ざいみょう)を饒(ゆる)さん。我(われ)你(なんじ)らに問(と)わん:這(こ)の山(やま)の上(うえ)に多少(いくばく)の妖精(ようせい)有(あ)るか?」

衆神(しゅうしん)道(いわ)く、「爺爺(おじいさま)呀(や)、只(た)だ得(え)る一箇(ひとり)の妖精(ようせい)の、我(われ)らが頭(かしら)をも也(ま)た摩(す)り光(つるつる)にせられ、我(われ)らを弄(ろう)し得(え)て香(こう)少(すくな)く紙(かみ)無(な)く、血食(けっしょく=生贄)全(まった)く無(な)く、一箇箇(ひとりひとり)衣(ころも)身(み)を充(み)たさず、食(しょく)口(くち)を充(み)たさず、還(ま)た吃(くら)い得(え)て多少(いくばく)の妖精(ようせい)有(あ)る哩(ぞ)!」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「這(こ)の妖精(ようせい)は山前(さんぜん)に住(す)むか、是(こ)れ山後(さんご)に住(す)むか?」

衆神(しゅうしん)道(いわ)く、「他(かれ)は也(ま)た山前(さんぜん)・山後(さんご)に在(あ)らず。這(こ)の山中(さんちゅう)に一条(ひとすじ)の澗(たに)有(あ)って、枯松澗(こしょうかん)と叫(よ)び、澗(たに)の辺(ほとり)に一座(ひとつ)の洞(ほら)有(あ)って、火雲洞(かうんどう)と叫(よ)ぶ、那(か)の洞裏(どうり)に一箇(ひとり)の魔王(まおう)有(あ)って、神通(じんつう)広大(こうだい)にして、常(つね)に常(つね)に我(われ)ら山神(さんじん)・土地(どじ)を把(もっ)て拿(とら)え去(ゆ)き、火(ひ)を焼(た)き門(もん)を頂(いただ)かせ、夜(よる)に他(かれ)と鈴(すず)を提(さ)げ号(ごう)を喝(かつ=叫)ばしむ。小妖児(しょうようじ)又(ま)た甚(なん)の常例銭(じょうれいせん=付け届け)を討(もと)む。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「汝等(なんじら)は乃(すなわ)ち是(こ)れ陰鬼(いんき)の仙(せん)なるに、何(なん)の銭鈔(せんしょう=金銭)有(あ)らんか?」

衆神(しゅうしん)道(いわ)く、「正(まさ)に是(こ)れ銭(ぜに)の他(かれ)に与(あた)うる無(な)ければ、只(た)だ得(え)て幾箇(いくつ)かの山獐(やまのろ)・野鹿(のしか)を捉(とら)え、早晩間(あさゆう)群精(ぐんせい)を打点(したく=供応)す;若(も)し物(もの)の相(あい)送(おく)る無(な)くんば、すなわち来(きた)りて廟宇(びょうう=社)を拆(こわ)し、衣裳(いしょう)を剥(は)ぎ、我(われ)らを撹(かき乱)し得(え)て安生(あんせい=安穏)なるを得(え)ざらしむ! 万(よろず)に望(のぞ)むらくは大聖(たいせい)我(われ)らと此(こ)の怪(あやかし)を剿除(そうじょ)し、山上(さんじょう)の生霊(せいれい)を拯救(きゅうじょう)せよ。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)ら既(すで)に他(かれ)の節制(せっせい=支配)を受(う)け、常(つね)に他(かれ)が洞下(どうか)に在(あ)れば、可(べ)し他(かれ)の是(こ)れ那(いず)れの妖精(ようせい)にして、甚(なん)の名字(な)を叫(よ)ぶを知(し)るか?」

衆神(しゅうしん)道(いわ)く、「他(かれ)を説(と)き起(おこ)せば、或(あるい)は大聖(たいせい)も也(ま)た知(し)るならん。他(かれ)は是(こ)れ牛魔王(ぎゅうまおう)の児子(こ)にして、羅刹女(らせつにょ)の養(やしな)えるなり。他(かれ)曾(かつ)て火焰山(かえんざん)の裏(うち)に在(あ)って三百年(さんびゃくねん)修行(しゅぎょう)し、三昧真火(さんまいしんか)を煉(ね)り成(な)し、却(かえっ)て也(ま)た神通(じんつう)広大(こうだい)なり。牛魔王(ぎゅうまおう)他(かれ)をして号山(ごうざん)を鎮守(ちんしゅ)せしめ、乳名(にゅうめい)を紅孩児(こうがいじ)と叫(よ)び、号(ごう)を聖嬰大王(せいえいだいおう)と叫(よ)ぶ。」

行者(ぎょうじゃ)言(こと)を聞(き)き満心(まんしん)歓喜(かんき)し、土地(どじ)・山神(さんじん)を喝退(かったい)し、却(かえっ)て本象(ほんぞう)を現(あらわ)し、峰頭(ほうとう)を跳(と)び下(お)り、八戒(はっかい)・沙僧(しゃそう)に対(たい)して道(いわ)く、「兄弟(きょうだい)ら心(こころ)を放(はな)て、再(ふたた)び須(もち)いず思念(しねん=案ずる)せよ、師父(しふ)決(きっ)して生(いのち)を傷(そこな)わじ、妖精(ようせい)は老孫(ろうそん)と親(しん)有(あ)り。」

八戒(はっかい)笑(わら)って道(いわ)く、「哥哥(あに)、説謊(うそ)を説(と)く莫(なか)れ。你(なんじ)は東勝神洲(とうしょうしんしゅう)に在(あ)り、他(かれ)が此(ここ)は是(こ)れ西牛賀洲(さいごがしゅう)、路程(みちのり)遥(はるか)にして、万水千山(ばんすいせんざん)を隔(へだ)て、海洋(かいよう)も也(ま)た両道(ふたすじ)有(あ)るに、怎(いか)にして你(なんじ)と親(しん)有(あ)らんか?」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「剛才(さっき)這(こ)の伙(ひとむれ)の皆(みな)是(こ)れ本境(ほんきょう)の土地(どじ)・山神(さんじん)なり。我(われ)他(かれ)に妖怪(ようかい)の原因(げんいん)を問(と)えば、他(かれ)道(いわ)く是(こ)れ牛魔王(ぎゅうまおう)の児子(こ)、羅刹女(らせつにょ)の養(やしな)えるにして、名字(な)を紅孩児(こうがいじ)と喚(よ)び、号(ごう)を聖嬰大王(せいえいだいおう)とすと。想(おも)うに我(われ)が老孫(ろうそん)五百年前(ごひゃくねんまえ)大(おおい)に天宮(てんきゅう)を鬧(あらそ)いし時(とき)、遍(あまね)く天下(てんか)の名山(めいざん)を遊(あそ)び、大地(だいち)の豪傑(ごうけつ)を尋訪(たずね)し、那(か)の牛魔王(ぎゅうまおう)曾(かつ)て老孫(ろうそん)と七弟兄(しちていけい)を結(むす)べり。一般(おなじ)く五六箇(ごろくこ)の魔王(まおう)有(あ)れど、止(た)だ老孫(ろうそん)の生(うま)れ得(え)て小巧(しょうこう=小柄)なる有(あ)るのみ、此(こ)の故(ゆえ)に牛魔王(ぎゅうまおう)を把(もっ)て大哥(たいか=長兄)と称(しょう)す。這(こ)の妖精(ようせい)は是(こ)れ牛魔王(ぎゅうまおう)の児子(こ)なれば、我(われ)他(かれ)が父親(ちち)と相識(あいみし)る、若(も)し将(もっ)て論(ろん)じ起(おこ)せば、還(ま)た是(こ)れ他(かれ)が老叔(ろうしゅく=年長の叔父)哩(ぞ)、他(かれ)怎(なん)ぞ敢(あえ)て我(われ)が師父(しふ)を害(そこな)わんか? 我(われ)ら早(はや)きに趁(つ)いて去(ゆ)かん来(こ)。」

沙和尚(しゃおしょう)笑(わら)って道(いわ)く、「哥(あに)や、常言(じょうげん)に道(いわ)く、三年(さんねん)門(もん)に上(のぼ)らざれば、親(しん)に当(あた)るも也(ま)た親(しん)ならずと哩(ぞ)。你(なんじ)他(かれ)と相別(そうべつ)すること五六百年(ごろくひゃくねん)、又(ま)た曾(かつ)て杯酒(はいしゅ=酒宴)を往還(おうかん)せず、又(ま)た箇(ひとつ)の節礼(せつれい=付け届け)の相邀(しょうよう=招き)有(あ)る無(な)きに、他(かれ)が那(いず)れに你(なんじ)と甚(なん)の親(しん)を認(みと)めん耶(や)?」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)怎(なん)ぞ這(こ)の等(ごと)く人(ひと)を量(はか)るか! 常言(じょうげん)に道(いわ)く、一葉(いちよう)の浮萍(ふへい=浮草)大海(たいかい)に帰(き)し、人(ひと)と為(な)れば何処(いずこ)か相(あい)逢(あ)わざらん! 縦(たと)い他(かれ)親(しん)を認(みと)めざるも、好道(よもや)也(ま)た我(われ)が師父(しふ)を傷(そこな)わじ。他(かれ)が酒席(しゅせき)に相留(あいとど)むるを望(のぞ)まざるも、必定(きっと)也(ま)た我(われ)に箇(ひとつ)の囫圇(こつりん=丸ごと)の唐僧(とうぞう)を還(かえ)さん。」

三兄弟(さんきょうだい)各(おのおの)虔心(けんしん=敬虔な心)を弁(わきま)え、白馬(はくば)を牽(ひ)き、馬上(ばじょう)に行李(こうり)を背負(お)わせ、大路(たいろ)を找(たず)ねて一直(いっちょく)に前進(ぜんしん)す。

昼夜(ちゅうや)を分(わか)たず、行(ゆ)くこと百十里(ひゃくじゅうり)の遠近(えんきん)に、忽(たちま)ち一(ひとつ)の松林(しょうりん)を見(み)る、林中(りんちゅう)に一条(ひとすじ)の曲澗(きょくかん=曲がる谷)有(あ)り、澗下(かんか)に碧澄澄(へきちょうちょう=澄みきった)の活水(かっすい)の飛(と)び流(なが)るる有(あ)り、那(か)の澗(たに)の梢頭(しょうとう=先)に一座(ひとつ)の石板橋(せきばんきょう)有(あ)って、那廂(あちら)の洞府(どうふ)に通(つう)ず。

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「兄弟(きょうだい)、你(なんじ)看(み)よ、那壁廂(あちら)に石崖(せきがい=岩壁)の磷磷(りんりん=ごつごつ)たる有(あ)り、想(おも)うに必(かなら)ず是(こ)れ妖精(ようせい)の住処(すみか)ならん。我(われ)ら衆(みんな)より商議(そうぎ)せん、那(いず)れの箇(ひとり)が行李(こうり)・馬匹(ばひつ)を看守(かんしゅ)することを管(つかさど)り、那(いず)れの箇(ひとり)が肯(あえ)て我(われ)に跟(したが)いて過(よぎ)り去(ゆ)きて妖(よう)を降(くだ)さんか?」

八戒(はっかい)道(いわ)く、「哥哥(あに)、老猪(ろうちょ)甚(なん)の坐性(ざせい=じっとしている性分)も無(な)し、我(われ)你(なんじ)に随(したが)いて去(ゆ)かん。」

行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「好(よ)し! 好(よ)し!」 沙僧(しゃそう)に教(おし)えて道(いわ)く、「馬匹(ばひつ)・行李(こうり)を将(もっ)て俱(とも)に樹林(じゅりん)の深(ふか)き処(ところ)に潜(ひそ)め在(お)き、小心(しょうしん)に守護(しゅご)し、我(われ)両箇(ふたり)の門(もん)に上(のぼ)り去(ゆ)きて師父(しふ)を尋(たず)ぬるを待(ま)て耶(よ)。」

那(か)の沙僧(しゃそう)命(めい)に依(よ)り、八戒(はっかい)相(あい)随(したが)い、行者(ぎょうじゃ)と各(おのおの)兵器(へいき)を執(と)って前(まえ)に来(きた)る。正(まさ)に是(こ)れ:

未(いま)だ嬰児(えいじ)を煉(ね)らざれば邪火(じゃか)勝(まさ)り、心猿(しんえん)・木母(ぼくぼ)共(とも)に扶持(ふじ)す。

畢竟(ひっきょう)這(こ)れ一(ひと)つ去(ゆ)きて吉凶(きっきょう)の如何(いかん)を知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。