却(かえっ)て説(と)く、那(か)の国王(こくおう)竜床(りゅうしょう=玉座)に倚(よ)り掛(かか)り、涙(なみだ)泉(いずみ)の涌(わ)くが如(ごと)く、只(た)だ哭(な)きて天(てん)の晩(く)るるに至(いた)るも住(とど)まず。
行者(ぎょうじゃ)上前(すす)み出(い)でて高呼(こうこ=大声)して道(いわ)く、「你(なんじ)怎(いか)にして這(こ)の等(ごと)く昏乱(こんらん=呆乱)せるか! 見(み)よ、那(か)の道士(どうし)の尸骸(しがい)を放(お)き置(お)けり。一箇(ひとつ)は是(こ)れ虎(とら)、一箇(ひとつ)は是(こ)れ鹿(しか)、那(か)の羊力(ようりょく)は是(こ)れ一箇(ひとつ)の羚羊(かもしか)なり。信(しん)ぜずんば、骨(ほね)を撈(すく)い上(あ)げて来(きた)りて看(み)よ、那(いず)れに人(ひと)の那(か)の様(よう)の骷髏(されこうべ)有(あ)らんや? 他(かれ)ら本(もと)是(こ)れ精(せい)と成(な)りし山獣(さんじゅう)にして、心(こころ)を同(おなじ)うして此(ここ)に到(いた)りて你(なんじ)を害(そこな)わんとせしが、気数(きすう=運勢)の還(ま)た旺(さか)んなるを見(み)て、敢(あえ)て手(て)を下(くだ)さざりしのみ。若(も)し再(ふたた)び二年(にねん)を過(よぎ)り、你(なんじ)が気数(きすう)衰敗(すいばい)せば、他(かれ)すなわち你(なんじ)が性命(しょうめい)を害(そこな)い、你(なんじ)が江山(こうざん)を一股児(ひとまとめ)に尽(ことごと)く他(かれ)に属(しょく)せしめん。幸(さいわ)いに我(われ)ら早(はや)く来(きた)り、妖邪(ようじゃ)を除(のぞ)きて你(なんじ)が命(いのち)を救(すく)えるに、你(なんじ)還(ま)た何(なん)を哭(な)くか? 何(なん)を哭(な)くか! 急(いそ)ぎ関文(かんぶん)を打発(ほうむけ=渡し)し、我(われ)を送(おく)り出(いだ)せ。」
国王(こくおう)此(これ)を聞(き)き、方(まさ)に才(ようや)く省悟(せいご=悟)す。
那(か)の文武(ぶんぶ)の多官(たかん)俱(とも)に奏(もう)して道(いわ)く、「死(し)せる者(もの)果(はた)して是(こ)れ白鹿(はくろく)・黄虎(こうこ)、油鍋(あぶらなべ)の裏(うち)果(はた)して是(こ)れ羊(ひつじ)の骨(ほね)なり。聖僧(しょうそう)の言(こと)、聴(き)かざる可(べ)からず。」
国王(こくおう)道(いわ)く、「既(すで)に是(こ)れ這(こ)の等(ごと)し、聖僧(しょうそう)に感謝(かんしゃ)す。今日(こんにち)天(てん)晩(く)れたれば、太師(たいし)を教(おし)えて且(しばら)く聖僧(しょうそう)を智淵寺(ちえんじ)に請(こ)じ至(いた)らしめよ。明日(みょうにち)早朝(そうちょう)、大(おおい)に東閣(とうかく)を開(ひら)き、光禄寺(こうろくじ)を教(おし)えて素淨(そじょう=精進)の筵宴(えんえん)を安排(あんばい)して酬謝(しゅうしゃ)せしめよ。」
果(はた)して送(おく)りて寺裏(てらうち)に至(いた)りて安歇(あんけつ=休ま)しむ。
次日(よくじつ)五更(ごこう=明け方)の時候(じこう=時分)、国王(こくおう)朝(ちょう)を設(もう)け、多官(たかん)を聚集(しゅうしゅう)し、旨(むね)を伝(つた)えて道(いわ)く、「快(すみ)やかに招僧榜文(しょうそうぼうぶん=僧を募る掲示)を出(いだ)し、四門(よんもん)・各路(かくろ)に張(は)り掛(か)けよ。」 一壁廂(いっぺき=一方)には大(おおい)に筵宴(えんえん)を排(なら)べ、駕(が)を擺(なら)えて朝(ちょう)を出(い)で、智淵寺(ちえんじ)の門外(もんがい)に至(いた)り、三蔵(さんぞう)らを請(こ)うて、共(とも)に東閣(とうかく)に入(い)りて宴(えん)に赴(おもむ)く。話下(かか)に在(あ)らず。
却(かえっ)て説(と)く、那(か)の命(いのち)を脱(のが)れし和尚(おしょう)ら招僧(しょうそう)の榜(ぼう)有(あ)ると聞(き)き、箇箇(おのおの)欣然(きんぜん=喜び)として、皆(みな)城中(じょうちゅう)に入(い)り来(きた)りて孫大聖(そんたいせい)を尋(たず)ね、毫毛(ごうもう=毛)を交納(こうのう=返納)して恩(おん)に謝(しゃ)す。
這(こ)の長老(ちょうろう)宴(えん)を散(さん)じ、那(か)の国王(こくおう)関文(かんぶん)を換(か)え、皇后(こうごう)・嬪妃(ひんひ)・両班(りょうはん)の文武(ぶんぶ)と同(とも)に、朝門(ちょうもん)の外(そと)に送(おく)り出(いだ)す。
只(た)だ見(み)れば那(か)の些(いくら)かの和尚(おしょう)の道旁(みちばた)に跪拜(きはい)して、口(くち)に称(しょう)して道(いわ)く、「斉天大聖(せいてんたいせい)の爺爺(おじいさま)! 我(われ)らは是(こ)れ沙灘(さたん=砂浜)の上(うえ)の命(いのち)を脱(のが)れし僧人(そうにん)なり。爺爺(おじいさま)の妖孽(ようごう)を掃除(そうじょ)し、我(われ)らを救抜(きゅうばつ)せるを聞(き)き知(し)り、又(ま)た我(われ)が王(おう)の榜(ぼう)を出(いだ)して僧(そう)を招(まね)くを蒙(こうむ)るに、特(こと)に来(きた)りて毫毛(ごうもう)を交納(こうのう)し、天恩(てんおん)を叩謝(こうしゃ)す。」
行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く、「汝等(なんじら)来(きた)れることは幾何(いくばく)なるか?」
僧人(そうにん)道(いわ)く、「五百名(ごひゃくめい)、半箇(ひとり)も少(すくな)からず。」
行者(ぎょうじゃ)身(み)を将(もっ)て一(ひと)つ抖(ふる)い、毫毛(ごうもう)を収(おさ)め、君臣(くんしん)・僧俗(そうぞく)の人(ひと)に対(たい)して説(と)いて道(いわ)く、「這(こ)の些(いくら)かの和尚(おしょう)は実(じつ)に是(こ)れ老孫(ろうそん)の放(はな)ちたるなり、車輛(しゃりょう=車)は是(こ)れ老孫(ろうそん)の双関(そうかん)を運転(うんてん)し夾脊(きょうせき)を穿(うが)ち、捽(つ)き碎(くだ)けるなり。那(か)の両箇(ふたり)の妖道(ようどう)も也(ま)た是(こ)れ老孫(ろうそん)の打(う)ち殺(ころ)せるなり。今日(こんにち)妖邪(ようじゃ)を滅(めっ)して、方(まさ)に知(し)る是(こ)れ禅門(ぜんもん)の道(みち)有(あ)るを、向後(こうご)来(きた)りて再(ふたた)び胡(みだ)りに為(な)し乱(みだ)りに信(しん)ずる可(べ)からず。望(のぞ)むらくは你(なんじ)三教(さんきょう)を把(もっ)て一(いつ)に帰(き)し、也(ま)た僧(そう)を敬(うやま)い、也(ま)た道(どう)を敬(うやま)い、也(ま)た人才(じんさい)を養育(よういく)せよ、我(われ)你(なんじ)が江山(こうざん)の永(なが)く固(かた)きを保(ほ)せん。」
国王(こくおう)言(こと)に依(よ)り、感謝(かんしゃ)して尽(や)まず、遂(つい)に唐僧(とうぞう)を送(おく)りて城(しろ)を出(い)で去(ゆ)かしめ訖(おわ)る。
這(こ)れ一(ひと)つ去(ゆ)くは、只(た)だ殷勤(いんきん=労わり)に三蔵(さんぞう)を経(へ)て、努力(どりょく)して修持(しゅじ)して一元(いちげん)を光(こう=輝か)すが為(ため)なり。
暁(あかつき)に行(ゆ)き夜(よる)住(じゅう)し、渇(かわ)けば飲(の)み飢(う)えれば餐(くら)い、覚(おぼ)えずの春(はる)尽(つ)き夏(なつ)残(のこ)り、又(ま)た是(こ)れ秋光(しゅうこう)の天気(てんき)なり。
一日(いちじつ)、天色(てんしょく)已(すで)に晩(く)れたれば、唐僧(とうぞう)馬(うま)を勒(たづな)めて道(いわ)く、「徒弟(とてい)、今宵(こよい)何処(いずこ)に身(み)を安(やす)んぜんとするか?」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「師父(しふ)、出家人(しゅっけにん)那(か)の在家人(ざいけにん)の話(ことば)を説(と)く莫(なか)れ。」
三蔵(さんぞう)道(いわ)く、「在家人(ざいけにん)は怎(いか)にして、出家人(しゅっけにん)は怎(いか)にするか?」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「在家人(ざいけにん)は、這(こ)の時候(じこう=時分)温床(おんしょう=暖かき床)・暖被(だんぴ=暖かき布団)、懐中(ふところ)に子(こ)を抱(いだ)き、脚後(あしもと)に妻(つま)を蹬(ふ)み、自自在在(じじざいざい)として睡(ねむ)る;我(われ)ら出家人(しゅっけにん)は、那(いず)れに能(よ)くする有(あ)らん! 便(すなわ)ち是(こ)れ要(よう)す月(つき)を帯(お)び星(ほし)を披(まと)い、風(かぜ)を餐(くら)い水(みず)に宿(やど)り、路(みち)有(あ)れば且(しばら)く行(ゆ)き、路(みち)無(な)きに方(まさ)に住(とど)まらん。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「哥哥(あに)、你(なんじ)只(た)だ其(そ)の一(ひとつ)を知(し)って、其(そ)の二(ふたつ)を知(し)らず。如今(いま)路(みち)多(おお)く険峻(けんしゅん)にして、我(われ)重(おも)き担(たん)を挑(かつ)ぎ、着実(ちゃくじつ)に走(はし)り難(がた)し、須(すべから)く箇(ひとつ)の去(ゆ)く処(ところ)を尋(たず)ね、好(よ)く一覚(ひとねむり)を眠(ねむ)り、精神(せいしん)を養(やしな)い、明日(みょうにち)方(まさ)に好(よ)く担(たん)を捱(たえしの)ばん、然(しか)らずんば、却(かえっ)て我(われ)を累(つか)れ倒(たお)さざらんや?」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「月(つき)の光(ひかり)に趁(つ)いて再(ふたた)び一程(ひとほど)走(はし)り、人家(じんか)の所(ところ)に到(いた)りて再(ふたた)び住(とど)まらん。」
師徒(しと)ら没奈何(どうしようもなく)、只(た)だ得(え)て相(あい)随(したが)い行者(ぎょうじゃ)に前(まえ)に往(ゆ)かしむ。
又(ま)た行(ゆ)くこと多(おお)くの時(とき)ならずして、只(た)だ滔滔(とうとう)たる浪(なみ)の響(ひび)くを聴(き)く。
八戒(はっかい)道(いわ)く、「罷(や)んだ! 尽頭路(じんとうろ=行き止まり)に来(きた)り到(いた)れり!」
沙僧(しゃそう)道(いわ)く、「是(こ)れ一股(ひとすじ)の水(みず)の擋(さえぎ)り住(とど)める也(なり)。」
唐僧(とうぞう)道(いわ)く、「却(かえっ)て怎(いか)に生(い)きて得(え)て渡(わた)らんか?」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「我(われ)が之(これ)を試(こころ)み、深浅(しんせん)の如何(いかん)を看(み)ん。」
三蔵(さんぞう)道(いわ)く、「悟能(ごのう)、你(なんじ)乱談(らんだん=でたらめ)する莫(なか)れ、水(みず)の浅深(せんしん)、如何(いかん)ぞ試(こころ)み得(え)んか?」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「一箇(ひとつ)の鵝卵石(がらんせき=玉石)を尋(たず)ね、当(まんなか)に抛(な)げ在(お)け。若是(も)し水泡(みずあわ)を濺(は)ね起(おこ)さば是(こ)れ浅(あさ)く、若是(も)し骨都都(こつとつ=ぼこぼこ)と沈(しず)み下(くだ)りて声(こえ)有(あ)らば是(こ)れ深(ふか)し。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)去(ゆ)きて試(こころ)みて看(み)よ。」
那(か)の呆子(ほうけ)路旁(みちばた)に一塊(ひとくれ)の頑石(がんせき=ごつごつした石)を摸(さぐ)り、水(みず)の中(うち)を望(のぞ)んで抛(な)げ去(ゆ)けば、只(た)だ骨都都(こつとつ)と魚津(ぎょしん=魚の水しぶき)の泛(わ)き起(おこ)り、水底(みなそこ)に沈(しず)むを聴(き)く。
他(かれ)道(いわ)く、「深深深(ふかいふかいふかし)! 去(ゆ)く可(べ)からず!」
唐僧(とうぞう)道(いわ)く、「你(なんじ)深浅(しんせん)を試(こころ)み得(え)ると雖(いえど)も、却(かえっ)て多少(いくばく)の寛闊(かんかつ=広さ)有(あ)るを知(し)らず。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「這(こ)れは却(かえっ)て知(し)らず、知(し)らず。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「我(われ)が看(み)るを待(ま)て。」
好(よ)き大聖(たいせい)かな、筋斗雲(きんとうん)を縦(はな)ち、空(くう)の中(うち)に跳(と)び在(あ)り、睛(ひとみ)を定(さだ)めて観看(みわた)すれば、但(た)だ那(か)を見(み)る:
洋洋(ようよう)たる光(ひかり)月(つき)を浸(ひた)し、浩浩(こうこう)たる影(かげ)天(てん)に浮(うか)ぶ。
霊派(れいは=霊なる流れ)華岳(かがく)を呑(の)み、長流(ちょうりゅう)百川(ひゃくせん)を貫(つらぬ)く。
千層(せんそう)の汹浪(きょうろう=荒波)滚(まろ)び、万迭(ばんじょう)の峻波(しゅんぱ)顛(たゆた)う。
岸口(がんこう)に漁火(ぎょか=漁火)無(な)く、沙頭(さとう=砂浜)に鷺(さぎ)の眠(ねむ)る有(あ)り。
茫然(ぼうぜん)として渾(すべ)て海(うみ)に似(に)たり、一望(いちぼう)更(さら)に辺(ほとり)無(な)し。
急(いそ)ぎ雲頭(うんとう)を収(おさ)め、河辺(かへん)に按(おさ)え落(おろ)して道(いわ)く、「師父(しふ)、寛(ひろ)し寛(ひろ)し! 去(ゆ)く可(べ)からず! 老孫(ろうそん)が火眼金睛(かがんきんせい)は、白日(はくじつ)の裏(うち)に常(つね)に千里(せんり)を看(み)、凶吉(きょうきつ)の是(ただし)きを暁(さと)るも、夜(よる)の裏(うち)に也(ま)た還(ま)た三五百里(さんごひゃくり)を看(み)る。如今(いま)通(つう)じて辺岸(へんがん)を見(み)るを得(え)ざれば、怎(いか)にして寛闊(かんかつ)の数(かず)を定(さだ)め得(え)んか?」
三蔵(さんぞう)大(おおい)に驚(おどろ)き、口(くち)言(い)う能(あた)わず、声音(こえ)哽咽(こうえつ=むせび)して道(いわ)く、「徒弟(とてい)や、這(こ)の等(ごと)き似(ごと)きは怎(いか)にせんか?」
沙僧(しゃそう)道(いわ)く、「師父(しふ)哭(な)く莫(なか)れ、你(なんじ)看(み)よ那(か)の水辺(みずべ)に立(た)てるは、可(べ)し是(こ)れ箇(ひとり)の人(ひと)ならずや。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「想(おも)うに是(こ)れ罾(すなど)を扳(はえ=仕掛け)ける漁人(ぎょじん=漁師)ならん、我(われ)が問(と)いに去(ゆ)くを待(ま)て来(こ)。」
鉄棒(てつぼう)を拿(と)り、両三步(にさんぽ)跑(はし)りて面前(めんぜん)に到(いた)りて看(み)る処(ところ)、呀(あ)! 是(こ)れ人(ひと)に非(あら)ず、是(こ)れ一面(ひとつ)の石碑(せきひ)なり。
碑(ひ)の上(うえ)に三箇(みっつ)の篆文(てんぶん=篆書)の大字(だいじ)有(あ)り、下辺(した)に両行(ふたくだり)、十箇(とお)の小字(しょうじ)有(あ)り。三箇(みっつ)の大字(だいじ)は乃(すなわ)ち「通天河(つうてんが)」、十箇(とお)の小字(しょうじ)は乃(すなわ)ち「径(ただ)ちに過(よぎ)る八百里(はっぴゃくり)、亘古(こうこ=古来)人行(ひとゆ)く少(すくな)し」。
行者(ぎょうじゃ)叫(よ)んで道(いわ)く、「師父(しふ)、你(なんじ)来(きた)りて看(み)よ。」
三蔵(さんぞう)見(み)て、涙(なみだ)を滴(したた)らして道(いわ)く、「徒弟(とてい)や、我(われ)当年(とうねん)長安(ちょうあん)に別(わか)れし時(とき)、只(た)だ西天(せいてん)の走(はし)り易(やす)きを説(と)きしに、那(なん)ぞ知(し)らん妖魔(ようま)の阻隔(そかく=遮り)し、山水(さんすい)の迢遥(ちょうよう=遥か)なるを!」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「師父(しふ)、你(なんじ)且(しばら)く聴(き)け、是(こ)れ那(いず)れの鼓鈸(こばち=鉦と鐃)の声音(こえ)なるか? 想(おも)うに是(こ)れ斎(とき=法事)を作(な)す人家(じんか)ならん。我(われ)ら且(しばら)く去(ゆ)きて些(いくら)かの斎飯(さいはん=斎食)を趕(お)い食(くら)い、箇(ひとつ)の渡口(とこう=渡し場)を問(と)うて船(ふね)を尋(たず)ね、明日(みょうにち)過(よぎ)り去(ゆ)かん。」
三蔵(さんぞう)馬上(ばじょう)に聴(き)き得(え)て、果(はた)して鼓鈸(こばち)の声(こえ)有(あ)り、「却(かえっ)て是(こ)れ道家(どうか)の楽器(がっき)に非(あら)ず、足(た)るに是(こ)れ我(われ)が僧家(そうけ)の事(こと)を挙(おこ)すなり。我(われ)ら去(ゆ)かん来(こ)。」
行者(ぎょうじゃ)前(まえ)に在(あ)って馬(うま)を引(みちび)き、一行(いっこう)響(ひびき)を聞(き)いて来(きた)る。那(いず)れに甚(なん)の正路(せいろ)有(あ)らん、高(たか)き無(な)く低(ひく)き無(な)く、漫(ただ)だ沙灘(さたん=砂浜)を過(よぎ)り、一簇(ひとむら)の人家(じんか)の住処(すみか)を望見(みわた)せば、約摸(おおよそ)四五百家(しごひゃっか)有(あ)り、却(かえっ)て也(ま)た皆(みな)住(す)み得(え)て好(よ)し。
但(た)だ見(み)る:
山(やま)に倚(よ)って路(みち)に通(つう)じ、岸(きし)に傍(そ)いて渓(たに)に臨(のぞ)む。
処々(しょしょ)柴扉(さいひ=柴の扉)掩(おお)い、家家(かか)竹院(ちくいん=竹の庭)関(とざ)す。
沙頭(さとう)に宿(やど)る鷺(さぎ)夢魂(むこん=夢心)清(きよ)く、柳外(りゅうがい)に啼(な)く鵑(けん=ほととぎす)喉舌(こうぜつ=のど)冷(つめた)し。
短笛(たんてき)声(こえ)無(な)く、寒砧(かんちん=砧)韻(いん)ならず。
紅蓼(こうりょう)枝(えだ)月(つき)を揺(ゆ)り、黄蘆(こうろ=葦)葉(は)風(かぜ)と闘(たたか)う。
陌頭(はくとう=畦道)の村犬(そんけん)疏籬(そり=まばらな垣)に吠(ほ)え、渡口(とこう)の老漁(ろうぎょ)釣艇(ちょうてい=釣舟)に眠(ねむ)る。
灯火(とうか)稀(まれ)に、人煙(じんえん)静(しずか)にして、半空(はんくう)の皎月(こうげつ)鏡(かがみ)を懸(か)くるが如(ごと)し。
忽(たちま)ち一陣(いちじん)の白蘋香(はくひんこう=白い浮草の香)を聞(き)く、却(かえっ)て是(こ)れ西風(せいふう)の岸(きし)を隔(へだ)てて送(おく)れるなり。
三蔵(さんぞう)馬(うま)を下(お)り、只(た)だ那(か)の路頭(みちかど)の上(うえ)に一家児(いっけ)有(あ)るを見(み)る、門外(もんがい)に一首(ひとつ)の幢幡(どうばん=幟)を竪(た)て在(お)き、内裏(うち)に灯燭(とうしょく=灯明)の荧煌(けいこう=きらきら)し、香烟(こうえん=香の煙)の馥郁(ふくいく=芳しき)有(あ)り。
三蔵(さんぞう)道(いわ)く、「悟空(ごくう)、此(こ)の処(ところ)は那(か)の山凹(やまくぼみ)・河辺(かへん)に比(くら)ぶれば、却(かえっ)て是(こ)れ不同(ことなり)なり。人間(にんげん)の屋檐(おくのき=軒)の下(した)に在(あ)れば、可(べ)し冷露(れいろ=冷たい露)を遮(さえぎ)り、心(こころ)を放(はな)ちて穏(おだやか)に睡(ねむ)る。你(なんじ)ら皆(みな)来(くる)る莫(なか)れ、我(われ)を先(さき)に那(か)の斎公(さいこう=施主)の門首(もんしゅ=門前)に到(いた)りて告求(こっきゅう=願い出)しめよ。若(も)し肯(あえ)て我(われ)を留(とど)めば、我(われ)すなわち你(なんじ)らを招呼(しょうこ=招き呼)ばん;仮(かり)に留(とど)めずんば、你(なんじ)却(かえっ)て撒潑(さっぱつ=暴れる)を要(よう)す莫(なか)れ。汝等(なんじら)が臉嘴(れんし=顔)醜陋(しゅうろう=醜き)なるは、只(た)だ恐(おそ)るるは人(ひと)を唬(おどろ)かし、禍(わざわい)を闯(まね)き出(いだ)さば、却(かえっ)て倒(かえっ)て住(す)む処(ところ)無(な)からん矣(かな)。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「説(と)き得(え)て理(り)有(あ)り。請(こ)う、師父(しふ)先(さき)に去(ゆ)け、我(われ)ら此(ここ)に在(あ)って守(まも)り待(ま)たん。」
那(か)の長老(ちょうろう)才(ようや)く斗笠(とりゅう=笠)を摘(と)り、頭(かしら)を光(つるつる)にし、褊衫(へんさん=法衣)を抖抖(ふるい)い、錫杖(しゃくじょう)を拖(ひ)き、径(ただ)ちに人家(じんか)の門外(もんがい)に来(きた)り到(いた)る。那(か)の門(もん)の半(なか)ば開(ひら)き半(なか)ば掩(おお)えるを見(み)れば、三蔵(さんぞう)敢(あえ)て擅(ほしいまま)に入(い)らず。
聊(いささ)か片時(へんじ=しばらく)站(た)てば、只(た)だ裏面(うち)より一箇(ひとり)の老者(ろうしゃ=老人)の走(はし)り出(い)づる有(あ)り、項下(あごした)に数珠(じゅず)を掛(か)け、口(くち)に阿弥陀仏(あみだぶつ)を念(とな)え、径(ただ)ちに自(みずか)ら来(きた)りて門(もん)を関(とざ)さんとす。
慌(あわ)て得(え)て這(こ)の長老(ちょうろう)掌(て)を合(あわ)せ高(たか)く叫(よ)んで道(いわ)く、「老施主(ろうせしゅ)、貧僧(ひんそう)問訊(もんじん=挨拶)す。」
那(か)の老者(ろうしゃ)礼(れい)を還(かえ)して道(いわ)く、「你(なんじ)這(こ)の和尚(おしょう)、却(かえっ)て来(きた)ること遅(おそ)し。」
三蔵(さんぞう)道(いわ)く、「怎(いか)に説(と)くか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「来(きた)ること遅(おそ)ければ物(もの)無(な)し。早(はや)く来(きた)らば啊(な)、我(われ)が舎下(しゃか=拙宅)にて僧(そう)に斎(とき)を施(ほどこ)し、尽(ことごと)く飽(あ)きるまで飯(めし)を食(くら)わせ、熟米(じゅくまい=白米)三升(さんしょう)、白布(はくふ)一段(いったん)、銅銭(どうせん)十文(じゅうもん)なり。你(なんじ)怎(なん)ぞ這(こ)の時(とき)に才(ようや)く来(きた)れるか?」
三蔵(さんぞう)身(み)を躬(かが)めて道(いわ)く、「老施主(ろうせしゅ)、貧僧(ひんそう)は是(こ)れ斎(とき)を趕(お)う者(もの)に非(あら)ず。」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「既(すで)に斎(とき)を趕(お)わずんば、此(ここ)に来(きた)りて何(なん)を干(おこな)うか?」
三蔵(さんぞう)道(いわ)く、「我(われ)は是(こ)れ東土(とうど)大唐(だいとう)の欽差(きんさ)にして西天(せいてん)に往(ゆ)きて経(きょう)を取(と)る者(もの)なり。今(いま)貴処(きしょ=当地)に到(いた)り、天色(てんしょく)已(すで)に晩(く)れ、府上(ふじょう=ご宅)の鼓鈸(こばち)の声(こえ)を聴(き)き得(え)たれば、特(こと)に来(きた)りて一宿(いっしゅく)を告(もう)し借(か)らんとす、天(てん)明(あ)けなばすなわち行(ゆ)かん也(よ)。」
那(か)の老者(ろうしゃ)手(て)を揺(ゆす)って道(いわ)く、「和尚(おしょう)、出家人(しゅっけにん)誑語(おうご=嘘)を打(う)つを休(や)めよ。東土(とうど)大唐(だいとう)より我(われ)が此(ここ)に到(いた)るに、五万四千里(ごまんよんせんり)の路(みち)有(あ)るに、你(なんじ)這(こ)の等(ごと)き単身(たんしん)にて、如何(いかん)ぞ来(きた)り得(え)んか?」
三蔵(さんぞう)道(いわ)く、「老施主(ろうせしゅ)の見(み)るところ最(もっと)も是(ただし)きも、但(た)だ我(われ)還(ま)た三箇(みたり)の小徒(しょうと)有(あ)り、山(やま)に逢(あ)えば路(みち)を開(ひら)き、水(みず)に遇(あ)えば橋(はし)を迭(か)け、貧僧(ひんそう)を保護(ほご)して、方(まさ)に此(ここ)に到(いた)り得(う)るなり。」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「既(すで)に徒弟(とてい)有(あ)れば、何(なん)ぞ同(とも)に来(きた)らざる?」 教(おし)えて道(いわ)く、「請(こ)う、請(こ)う、我(われ)が舎下(しゃか)に処(ところ)の安歇(あんけつ)する有(あ)り。」
三蔵(さんぞう)頭(かしら)を回(めぐ)らして声(こえ)を叫(あ)げて道(いわ)く、「徒弟(とてい)、此(こ)こに来(きた)れ。」
那(か)の行者(ぎょうじゃ)本(もと)来(もと)性急(せいきゅう)、八戒(はっかい)生(うま)れ来(きた)って粗魯(そろ=粗野)、沙僧(しゃそう)却(かえっ)て也(ま)た莽撞(もうとう=乱暴)なれば、三箇人(みたり)師父(しふ)の招呼(しょうこ)を聴(き)き得(え)て、馬(うま)を牽(ひ)き、担(たん)を挑(かつ)ぎ、好歹(よしあし)を問(と)わず、一陣風(ひとふう)に闯(つ)き将(もっ)て入(い)り去(ゆ)く。
那(か)の老者(ろうしゃ)見(み)て、唬(おどろ)かし得(え)て地(ち)に倒(たお)れ跌(つまず)き、口(くち)の裏(うち)只(た)だ説(と)くは「妖怪(ようかい)来(きた)れる! 妖怪(ようかい)来(きた)れる!」
三蔵(さんぞう)攙(たす)け起(おこ)して道(いわ)く、「施主(せしゅ)怕(おそ)るる莫(なか)れ、是(こ)れ妖怪(ようかい)に非(あら)ず、是(こ)れ我(われ)が徒弟(とてい)なり。」
老者(ろうしゃ)戦兢兢(せんせんきょうきょう)として道(いわ)く、「這(こ)の般(ごと)き好(よ)き俊(すぐれ)たる師父(しふ)なるに、怎(なん)ぞ這(こ)の様(よう)の醜(みにく)き徒弟(とてい)を尋(たず)ねたるか!」
三蔵(さんぞう)道(いわ)く、「相貌(そうぼう)中(あた)らざると雖(いえど)も、却(かえっ)て倒(かえっ)て能(よ)く竜(りゅう)を降(くだ)し虎(とら)を伏(ふく)し、怪(あやかし)を捉(とら)え妖(よう)を擒(とら)う。」
老者(ろうしゃ)信(しん)ずるに似(に)て信(しん)ぜざるが似(ごと)く、唐僧(とうぞう)を扶(たす)けて慢(ゆっくり)と走(はし)る。
却(かえっ)て説(と)く、那(か)の三箇(みたり)の凶頑(きょうがん=乱暴者)庁房(ちょうぼう=広間)の裏(うち)に闯(つ)き入(い)りて上(あ)がり、馬(うま)を拴(つな)ぎ、行李(こうり)を投(な)げ下(おろ)す。
那(か)の庁中(ちょうちゅう)に原(もと)幾箇(いくたり)かの和尚(おしょう)の経(きょう)を念(とな)うる有(あ)るに、八戒(はっかい)長(なが)き嘴(くちばし)を掬(すく)えて喝(かつ)して道(いわ)く、「那(か)の和尚(おしょう)ら、念(とな)うるは是(こ)れ甚(なん)の経(きょう)なるか?」
那(か)の些(いくら)かの和尚(おしょう)一声(ひとこえ)問(と)わるるを聴(き)き、忽然(こつぜん)として頭(かしら)を抬(あ)げて外来(がいらい)の人(ひと)を観看(みわた)せば、嘴(くちばし)長(なが)く耳朶(みみ)大(おお)きく、身(み)粗(あら)く背膊(はいばく=肩)寛(ひろ)く、声(こえ)響(ひび)くこと雷(かみなり)の咋(さく=轟)くが如(ごと)し。行者(ぎょうじゃ)と沙僧(しゃそう)の、容貌(ようぼう)更(さら)に醜陋(しゅうろう)なり。
庁堂(ちょうどう)の幾衆(いくしゅ)の僧(そう)、人(ひと)の怕(おそ)れざる無(な)し。
闍黎(じゃり=導師)還(ま)た経(きょう)を念(とな)うれば、班首(はんしゅ=座長)行(ぎょう)を罷(や)めよと教(おし)う。
磬(けい)と鈴(すず)を顧(かえり)みるに難(がた)く、仏象(ぶつぞう)も且(しばら)く投(な)げ下(おろ)す。
一斉(いっせい)に吹(ふ)き息(け)して灯(ともしび)を消(け)せば、驚(おどろ)き散(さん)じて光(ひかり)乍乍(さくさく=きらきら)。
跌跌(てってつ)と爬爬(はは=這い這い)、門檻(しきい)何(なん)ぞ曾(かつ)て跨(また)がん!
你(なんじ)が頭(かしら)我(われ)が頭(かしら)に撞(ぶつか)り、倒(たお)れたる葫蘆(ひさご)の架(たな)に似(に)たり。
清清(せいせい)たる好(よ)き道場(どうじょう)も、翻(ひるがえ)って大笑話(たいしょうわ=大笑い)と成(な)る。
這(こ)の兄弟(きょうだい)三人(みたり)、那(か)の些(いくら)かの人(ひと)の跌跌爬爬(てってつはは=転げ這う)せるを見(み)て、鼓(たた)き掌(て)を哈哈(はは=からから)と大(おおい)に笑(わら)う。
那(か)の些(いくら)かの僧(そう)愈(いよい)よ悚懼(しょうく=恐れ慄)を加(くわ)え、頭(こうべ)を磕(たた)き脳(あたま)を撞(ぶつ)け、各(おのおの)性命(しょうめい)を顧(かえり)み、通(ことごと)く跑(に)げ淨(きよ)め了(おわ)りぬ。
三蔵(さんぞう)那(か)の老者(ろうしゃ)を攙(たす)け、庁堂(ちょうどう)に走(はし)り上(あ)がれば、灯火(とうか)全(まった)く無(な)く、三人(みたり)嘻嘻哈哈(ききはは=ゲラゲラ)として還(ま)た笑(わら)う。
唐僧(とうぞう)罵(ののし)って道(いわ)く、「這(こ)の潑物(はつぶつ)、十分(じゅうぶん)に不善(ふぜん)なり! 我(われ)朝朝(ちょうちょう=朝ごと)に教誨(きょうかい=教え戒)め、日日(にちにち)に叮嚀(ていねい=言い含む)。古人(こじん)云(いわ)く、教(おし)えずして善(ぜん)なるは、聖(せい)に非(あら)ずして何(なん)ぞ! 教(おし)えて後(のち)善(ぜん)なるは、賢(けん)に非(あら)ずして何(なん)ぞ! 教(おし)うるも亦(ま)た善(ぜん)ならざるは、愚(ぐ)に非(あら)ずして何(なん)ぞ! 汝等(なんじら)這(こ)の般(ごと)く撒潑(さっぱつ=暴れ)するは、誠(まこと)に至下至愚(しげしぐ=最下最愚)の類(たぐい)と為(な)す! 門(もん)を走(はし)り入(い)りて高低(こうてい=礼儀)を知(し)らず、老施主(ろうせしゅ)を唬(おどろ)かし倒(たお)し、念経(ねんきょう)の僧(そう)を驚(おどろ)かし散(さん)じ、人家(じんか)の好(よ)き事(こと)を把(もっ)て皆(みな)撹(かき乱)し壊(こわ)せるは、却(かえっ)て是(こ)れ罪(つみ)を我(われ)に堕(おと)さざるか?」
説(と)き得(え)て他(かれ)ら敢(あえ)て言(こと)を回(かえ)さず。
那(か)の老者(ろうしゃ)方(まさ)に是(こ)れ他(かれ)が徒弟(とてい)なるを信(しん)じ、急(いそ)ぎ頭(かしら)を回(めぐ)らして礼(れい)を作(な)して道(いわ)く、「老爺(ろうや)、大事(だいじ)無(な)し、大事(だいじ)無(な)し、才然(さっき)灯(ともしび)を関(け)し、花(はな)を散(さん)じ、仏事(ぶつじ)将(まさ)に収(おさ)めんとする也(なり)。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「既(すで)に了帳(りょうちょう=終わり)ならば、満散(まんさん=結願)の斎(とき)を擺(なら)べ出(いだ)し、我(われ)ら食(くら)いて睡(ねむ)らん。」
老者(ろうしゃ)叫(よ)んで道(いわ)く、「灯(ともしび)を掌(と)り来(きた)れ! 灯(ともしび)を掌(と)り来(きた)れ!」
家(いえ)の裏(うち)の人(ひと)聴(き)き得(え)て、大(おおい)に驚(おどろ)き小(ちいさ)く怪(あやし)んで道(いわ)く、「庁上(ちょうじょう)に経(きょう)を念(とな)うるに、許多(あまた)の香燭(こうしょく=線香と蝋燭)有(あ)るに、如何(いかん)ぞ又(ま)た灯(ともしび)を掌(と)れと教(おし)うるか?」
幾箇(いくたり)かの僮僕(どうぼく=召使)出(い)で来(きた)りて看(み)る時(とき)、這(こ)の箇(ひとつ)黑洞洞(こくどうどう=真っ暗)なれば、すなわち火把(ひともし=松明)・灯籠(とうろう)に点(てん)じ、一(ひと)つに擁(かこ)んで至(いた)る。忽(たちま)ち頭(かしら)を抬(あ)げて八戒(はっかい)・沙僧(しゃそう)を見(み)れば、慌(あわ)て得(え)て火把(ひともし)を投(な)げ、忽(たちま)ち身(み)を抽(ぬ)きて中門(ちゅうもん)を関(とざ)し、裏(うち)に往(ゆ)きて嚷(わめ)いて道(いわ)く、「妖怪(ようかい)来(きた)れる! 妖怪(ようかい)来(きた)れる!」
行者(ぎょうじゃ)火把(ひともし)を拿(と)り上(あ)げ、灯燭(とうしょく)に点(てん)じ、一張(ひとつ)の交椅(こうい=椅子)を扯(ひ)き過(よ)ぎ、唐僧(とうぞう)を請(こ)うて上(うえ)に坐(ざ)せしめ、他(かれ)兄弟(きょうだい)ら両旁(りょうぼう)に坐(ざ)し、那(か)の老者(ろうしゃ)前面(まえ)に坐(ざ)す。
正(まさ)に坐(ざ)を叙(の)ぶる間(あいだ)、只(た)だ裏面(うち)の門(もん)の開(ひら)く処(ところ)を聴(き)き、又(ま)た一箇(ひとり)の老者(ろうしゃ)の走(はし)り出(い)づる有(あ)り、拐杖(かいじょう=杖)を拄(つ)いて道(いわ)く、「是(こ)れ甚(なん)の邪魔(じゃま)の、黒夜(こくや)の裏(うち)に我(われ)が善門(ぜんもん)の家(いえ)に来(きた)れるか?」
前面(まえ)に坐(ざ)せる老者(ろうしゃ)、急(いそ)ぎ身(み)を起(おこ)し屏門(へいもん=衝立の門)の後(うしろ)に迎(むか)えて道(いわ)く、「哥哥(あに)嚷(わめ)く莫(なか)れ、是(こ)れ邪魔(じゃま)に非(あら)ず、乃(すなわ)ち東土(とうど)大唐(だいとう)より経(きょう)を取(と)るの羅漢(らかん)なり。徒弟(とてい)らの相貌(そうぼう)凶(きょう=恐ろし)なると雖(いえど)も、果(はた)して是(こ)れ山悪(さんあく=山は険し)く人善(ひとぜん=人は善)なり。」
那(か)の老者(ろうしゃ)方(まさ)に才(ようや)く拐杖(かいじょう)を放(おろ)し下(おろ)し、他(かれ)ら四位(よったり)と礼(れい)を行(おこな)う。礼(れい)畢(おわ)り、也(ま)た面前(まえ)に坐(ざ)して叫(よ)んで道(いわ)く、「茶(ちゃ)を看(み=出)せ、斎(とき)を排(ならべ)よ。」 連(つづ)けて数声(すうせい)叫(よ)ぶも、幾箇(いくたり)かの僮僕(どうぼく)、戦兢兢(せんせんきょうきょう)として、敢(あえ)て帳(とばり)に攏(ちかづ)かず。
八戒(はっかい)忍(しの)ぶるを得(え)ず問(と)うて道(いわ)く、「老者(ろうしゃ)、你(なんじ)が這(こ)の盛价(せいか=お召使)の、両辺(りょうぼう)に走(はし)るは怎(いか)にするか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「他(かれ)らを教(おし)えて斎(とき)を捧(ささ)げ来(きた)りて老爺(ろうや)に侍奉(じほう=お仕え)せしむるなり。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「幾箇人(いくたり)の伏侍(ぶじ)するか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「八箇人(はちたり)なり。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「這(こ)の八箇人(はちたり)の伏侍(ぶじ)するは那(いず)れの箇(ひとり)なるか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)ら四位(よったり)に伏侍(ぶじ)す。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「那(か)の白面(はくめん)の師父(しふ)は、只(た)だ一箇人(ひとり)を消(しょう=費や)すのみ;毛臉(もうれん=毛だらけの顔)・雷公嘴(らいこうし)の箇(ひとり)は、只(た)だ両箇人(ふたり)を消(しょう)す;那(か)の晦気臉(わいきれん=不吉な顔)の箇(ひとり)は、八箇人(はちたり)を要(よう)す;我(われ)は二十箇人(にじゅうたり)の伏侍(ぶじ)を得(え)て方(まさ)に彀(た)れり。」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「這(こ)の等(ごと)く説(と)かば、想(おも)うに是(こ)れ你(なんじ)が食腸(しょくちょう=食い意地)の大(おお)いなる些(すこし)ならん。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「也(ま)た将就(しょうしゅう=まあまあ)に看(み)て過(す)ぐる可(べ)し。」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「人(ひと)有(あ)り、人(ひと)有(あ)り。」 七大八小(しちだいはっしょう=大小様々)に、すなわち叫(よ)び出(いだ)すこと三四十人(さんしじゅうにん)有(あ)り。
那(か)の和尚(おしょう)と老者(ろうしゃ)の、一問一答(いちもんいっとう)の講話(こうわ=問答)せるを、衆人(しゅうじん)方(まさ)に才(ようや)く怕(おそ)れず。
却(かえっ)て上(うえ)に一張(ひとつ)の桌(たく=卓)を排(なら)べ、唐僧(とうぞう)を請(こ)うて上(うえ)に坐(ざ)せしめ;両辺(りょうぼう)に三張(みつ)の桌(たく)を擺(なら)べ、他(かれ)ら三位(みたり)を請(こ)うて坐(ざ)せしめ;前面(まえ)に一張(ひとつ)の桌(たく)、二位(ふたり)の老者(ろうしゃ)坐(ざ)す。
先(ま)ず素(そ)の果品(かひん=果物)・菜蔬(さいそ=野菜)を排(なら)べ上(あ)げ、然(しか)る後(のち)は面飯(めんはん=麺)・米飯(べいはん)・閑食(かんしょく=菓子)・粉湯(ふんとう=汁粉)を、排(なら)び得(え)て斉斉整整(せいせいせいせい)たり。
唐長老(とうちょうろう)箸(はし)を挙(あ)げ上(あ)げ来(きた)り、先(ま)ず一巻(ひとまき)の《啓斎経(けいさいきょう)》を念(とな)う。
那(か)の呆子(ほうけ)一(ひとつ)には些(いくら)かの急吞(きゅうどん=慌て食い)有(あ)り、二(ふたつ)には些(いくら)か飢(う)えたれば、那(いず)れか唐僧(とうぞう)の経(きょう)の了(おわ)るを等(ま)たん、紅漆(こうしつ=赤塗り)の木碗(もくわん=木の椀)を拿(と)り過(よ)ぎ来(きた)り、一碗(ひとわん)の白米飯(はくべいはん)を把(もっ)て、撲(ぼく=ぱく)と口(くち)の下(した)に投(な)げ入(い)るれば、すなわち了(おわ)りぬ。
旁(かたわら)の小(こ)の道(いわ)く、「這(こ)の位(おなり)の老爺(ろうや)忒(はなはだ)没算計(ぼっさんけい=考え無し)、饅頭(まんじゅう)を籠(こ)めざるに、怎(なん)ぞ飯(めし)を把(もっ)て籠(こ)めたるか、却(かえっ)て衣服(いふく)を汚(けが)さざるか?」
八戒(はっかい)笑(わら)って道(いわ)く、「曾(かつ)て籠(こ)めず、食(くら)いたり。」
小(こ)の道(いわ)く、「你(なんじ)曾(かつ)て口(くち)を挙(あ)げざるに、怎(いか)にしてすなわち食(くら)いたるか?」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「児子們(こどもども)便(すなわ)ち説謊(うそ)を説(と)く! 分明(ぶんめい)に食(くら)いたり;信(しん)ぜずんば、再(ふたた)び食(くら)うて你(なんじ)に看(み)せん。」
那(か)の小(こ)の們(ども)、又(ま)た碗(わん)を端(も)ち、一碗(ひとわん)を盛(も)って八戒(はっかい)に遞(わた)す。呆子(ほうけ)幌(ゆす)り一(ひと)つ幌(ゆす)り、又(ま)た口(くち)の下(した)に投(な)げ入(い)るればすなわち了(おわ)りぬ。
衆(しゅう)の僮僕(どうぼく)見(み)て道(いわ)く、「爺爺(おじいさま)呀(や)! 你(なんじ)は是(こ)れ磨磚(ません=磨いた煉瓦)の砌(きず)きたる喉(のど)なるか、着実(じゃっじつ=ほんとう)に又(ま)た光(つるつる)に又(ま)た溜(なめらか)なり!」
那(か)の唐僧(とうぞう)一巻(ひとまき)の経(きょう)還(ま)た未(いま)だ了(おわ)らざるに、他(かれ)已(すで)に五六碗(ごろくわん)手(て)を過(よぎ)れり。然(しか)る後(のち)却(かえっ)て才(ようや)く同(とも)に箸(はし)を挙(あ)げ、一斉(いっせい)に斎(とき)を食(くら)う。
呆子(ほうけ)米飯(べいはん)・面飯(めんはん)、果品(かひん)・閑食(かんしょく)を論(ろん)ぜず、只(た)だ情(ひたすら)に一(ひと)つ撈(すく)い乱(みだ)りに噇(くら)い、口(くち)の裏(うち)に還(ま)た嚷(わめ)いて道(いわ)く、「飯(めし)を添(そ)えよ! 飯(めし)を添(そ)えよ!」 漸(ようや)く不見来(みえずな)りぬ!
行者(ぎょうじゃ)叫(よ)んで道(いわ)く、「賢弟(けんてい)、少(すこ)しく食(くら)うを減(へ)らせよ、也(ま)た山凹(やまくぼみ)の裏(うち)に餓(うえ)を忍(しの)ぶに強(まさ)れり、将就(しょうしゅう)に彀(た)りて半飽(はんぽう)なるも也(ま)た好(よ)し。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「嘴臉(しれん=この面)! 常言(じょうげん)に道(いわ)く、僧(そう)に斎(とき)を施(ほどこ)して飽(あ)かざるは、活(い)きながら埋(う)むるに如(し)かざる哩(ぞ)。」
行者(ぎょうじゃ)教(おし)えて道(いわ)く、「家火(かか=食器)を収(おさ)めよ、他(かれ)を睬(かま)う莫(なか)れ!」
二老者(にろうしゃ)躬身(きゅうしん=身をかがめ)して道(いわ)く、「老爺(ろうや)に瞞(かく)して説(と)かず、白日(はくじつ)の裏(うち)は倒(かえっ)て也(ま)た怕(おそ)れず、這(こ)の般(ごと)き大肚子(だいとし=大食い)の長老(ちょうろう)なるも、也(ま)た百十衆(ひゃくじっしゅ)を斎(とき)し起(た)つ可(べ)し;只(た)だ是(こ)れ晩(おそ)くなり、残斎(ざんさい=残り)を収(おさ)めて、只(た)だ一石(いっこく)の面飯(めんはん)・五斗(ごと)の米飯(べいはん)と幾桌(いくたく)の素食(そしょく)とを蒸(ふか)し得(え)たるのみ、幾箇(いくたり)かの親隣(しんりん)と衆僧(しゅうそう)らを請(こ)うて福(ふく)を散(さん)ぜんと欲(ほっ)す。期(き)せずして你(なんじ)ら列位(れつい)の来(きた)りて、衆僧(しゅうそう)を唬(おどろ)かし跑(に)げしめ、親隣(しんりん)すら也(ま)た曾(かつ)て敢(あえ)て請(こ)わず、尽(ことごと)く数(かず)を皆(みな)列位(れつい)に供奉(きょうほう)せり。若(も)し飽(あ)かずんば、再(ふたた)び蒸(ふか)し去(ゆ)かしめん。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「再(ふたた)び蒸(ふか)し去(ゆ)け! 再(ふたた)び蒸(ふか)し去(ゆ)け!」
話(ことば)畢(おわ)りて家火(かか)・桌席(たくせき)を収(おさ)め、三蔵(さんぞう)身(み)を拱(きょう=拱手)し、斎供(さいく)を謝(しゃ)し、才(ようや)く問(と)うて道(いわ)く、「老施主(ろうせしゅ)、高姓(こうせい=お名前)は?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「姓(せい)は陳(ちん)なり。」
三蔵(さんぞう)掌(て)を合(あわ)せて道(いわ)く、「這(こ)れは是(こ)れ我(われ)が貧僧(ひんそう)の華宗(かそう=同姓)なり。」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「老爺(ろうや)も也(ま)た姓(せい)は陳(ちん)なるか?」
三蔵(さんぞう)道(いわ)く、「是(こ)れ、俗家(ぞくけ)も也(ま)た姓(せい)は陳(ちん)なり。請(こ)う問(と)わん、適才(さっき)做(な)ししは甚(なん)の斎事(さいじ=法事)なるか?」
八戒(はっかい)笑(わら)って道(いわ)く、「師父(しふ)他(かれ)に問(と)うて怎(いか)にするか! 豈(あ)に知(し)らざらんや? 必(かなら)ず是(こ)れ青苗斎(せいびょうさい)・平安斎(へいあんさい)・了場斎(りょうじょうさい)なるのみ。」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「是(こ)れに非(あら)ず、是(こ)れに非(あら)ず。」
三蔵(さんぞう)又(ま)た問(と)う、「端(つまびらか)の何(なん)の為(ため)なるか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「是(こ)れ一場(ひとくさり)の預修亡斎(よしゅうぼうさい)なり。」
八戒(はっかい)笑(わら)い得(え)て跌(つまずき)を打(う)って道(いわ)く、「公公(こうこう=おじいさん)忒(はなはだ)没眼力(ぼつがんりき=見る目無し)! 我(われ)らは是(こ)れ謊(うそ)を扯(ひ)き橋(はし)を架(か)けて人(ひと)を哄(だま)すの大王(だいおう)なるに、你(なんじ)怎(なん)ぞ這(こ)の謊話(うそ)を把(もっ)て我(われ)を哄(だま)すか! 和尚家(おしょうけ)豈(あ)に斎事(さいじ)を知(し)らざらんや? 只(た)だ箇(ひとつ)の預修寄庫斎(よしゅうきこさい)・預修填還斎(よしゅうてんかんさい)有(あ)るのみ、那(いず)れに箇(ひとつ)の預修亡斎(よしゅうぼうさい)の有(あ)らんか? 你(なんじ)が家人(かじん)又(ま)た曾(かつ)て死(し)せる有(あ)らざるに、甚(なん)の亡斎(ぼうさい)を作(な)すか?」
行者(ぎょうじゃ)言(こと)を聞(き)き、暗(ひそ)かに喜(よろこ)んで道(いわ)く、「這(こ)の呆子(ほうけ)些(いくら)か乖(かしこ)くなれり也(よ)。老公公(ろうこうこう)、你(なんじ)は是(こ)れ錯(あやま)りて説(と)けるなり、怎(いか)にして預修亡斎(よしゅうぼうさい)と做(な)すか?」
那(か)の二位(ふたり)身(み)を欠(か)いて道(いわ)く、「你(なんじ)ら経(きょう)を取(と)るに、怎(なん)ぞ正路(せいろ)を走(はし)らず、却(かえっ)て蹡(つまず)きて我(われ)が此(ここ)に到(いた)り来(きた)れるか?」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「走(はし)るは是(こ)れ正路(せいろ)なるも、只(た)だ一股(ひとすじ)の水(みず)の擋(さえぎ)り住(とど)めて、得(え)て渡(わた)らず、鼓鈸(こばち)の声(こえ)を聞(き)くに因(よ)り、特(こと)に来(きた)りて府(ふ=ご宅)に造(いた)りて宿(やど)を借(か)る。」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)ら水辺(みずべ)に到(いた)りて、曾(かつ)て些(いくら)かの甚(なん)を見(み)しや?」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「止(た)だ一面(ひとつ)の石碑(せきひ)を見(み)るのみ、上(うえ)に通天河(つうてんが)の三字(みつじ)を書(か)き、下(した)に『径(ただ)ちに過(よぎ)る八百里(はっぴゃくり)、亘古(こうこ)人行(ひとゆ)く少(すくな)し』の十字(じゅうじ)を書(か)けり、再(ふたた)び別(べつ)の物(もの)無(な)し。」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「再(ふたた)び上(うえ)の岸(きし)に往(ゆ)きて走走(ある)けば、好(よ)きの那(か)の碑記(ひき)を離(はな)るること只(た)だ里許(りきょ=一里ばかり)に、一座(ひとつ)の霊感大王廟(れいかんだいおうびょう)有(あ)るに、你(なんじ)曾(かつ)て見(み)ざるか?」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「未(いま)だ見(み)ず、請(こ)う公公(こうこう)説(と)け、何(なん)をか霊感(れいかん)と為(な)すか?」
那(か)の両箇(ふたり)の老者(ろうしゃ)一斉(いっせい)に涙(なみだ)を垂(た)れて道(いわ)く、「老爺(ろうや)呀(や)! 那(か)の大王(だいおう):
一方(いっぽう)に感応(かんのう)して廟宇(びょうう=社)を興(おこ)し、千里(せんり)に威霊(いれい)を祐(たす)けて黎民(れいみん=民)を守(まも)る。
年年(ねんねん)荘上(しょうじょう=村)に甘露(かんろ)を施(ほどこ)し、歳歳(さいさい)村中(そんちゅう)に慶雲(けいうん)を落(おと)す。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「甘雨(かんう)を施(ほどこ)し、慶雲(けいうん)を落(おと)すは、也(ま)た是(こ)れ好(よ)き意思(いし=心)なるに、你(なんじ)却(かえっ)て這(こ)の等(ごと)く傷情(しょうじょう=悲しみ)・煩悩(はんのう)するは、何(なん)ぞ也(や)?」
那(か)の老者(ろうしゃ)脚(あし)を跌(ふみなら)し胸(むね)を捶(う)ち、哏(こん=うめき)と一声(ひとこえ)発(はっ)して道(いわ)く、「老爺(ろうや)呀(や)! 恩(おん)多(おお)きと雖(いえど)も還(ま)た怨(うらみ)有(あ)り、慈恵(じけい)なると縦(たと)えども却(かえっ)て人(ひと)を傷(そこな)う。只(た)だ童男童女(どうなんどうにょ)を吃(くら)わんと要(ほっ)するに因(よ)るのみ、是(こ)れ昭彰(しょうしょう=明らか)の正直(しょうじき)の神(かみ)に非(あら)ざるなり。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「童男童女(どうなんどうにょ)を吃(くら)わんと要(ほっ)するか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「正(まさ)に是(こ)れなり。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「想(おも)うに必(かなら)ず輪(りん=順番)の你(なんじ)が家(いえ)に到(いた)れるならんか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「今年(ことし)正(まさ)に舎下(しゃか=拙宅)に到(いた)れり。我(われ)らが此(ここ)に、百(ひゃく)の人家(じんか)の居住(きょじゅう)有(あ)り。此(こ)の処(ところ)は車遅国(しゃちこく)・元会県(げんかいけん)の管(かん)する所(ところ)に属(しょく)し、陳家荘(ちんかしょう)と喚(よ)ぶ。這(こ)の大王(だいおう)一年(いちねん)に一次(ひとたび)の祭賽(さいさい=祭)に、一箇(ひとり)の童男(どうなん)、一箇(ひとり)の童女(どうにょ)、猪羊(ちょよう=豚と羊)・牲醴(せいれい=供物)を要(よう)して他(かれ)に供献(きょうけん)す。他(かれ)一頓(ひとくい)に吃(くら)い了(おわ)れば、我(われ)らを保(ほ)して風調雨順(ふうちょううじゅん)ならしむ;若(も)し祭賽(さいさい)せずんば、すなわち来(きた)りて禍(わざわい)を降(くだ)し災(さい)を生(しょう)ず。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)が府上(ふじょう)に幾位(いくたり)の令郎(れいろう=ご子息)有(あ)るか?」
老者(ろうしゃ)胸(むね)を捶(う)って道(いわ)く、「憐(あわ)れむ可(べ)し! 憐(あわ)れむ可(べ)し! 甚(なん)の令郎(れいろう)を説(と)かん、羞(はじ)殺(ころ)す我(われ)らかな! 這(こ)の箇(ひとり)は是(こ)れ我(われ)が舎弟(しゃてい=弟)にして、名(な)を陳清(ちんせい)と喚(よ)び、老拙(ろうせつ=私)は陳澄(ちんちょう)と做(な)す。我(われ)今年(ことし)六十三歳(ろくじゅうさんさい)、他(かれ)今年(ことし)五十八歳(ごじゅうはっさい)、児女(じじょ)の上(うえ)に皆(みな)艱難(かんなん=困難)なり。我(われ)五十歳(ごじっさい)の上(うえ)に還(ま)た児子(こ)無(な)く、親友(しんゆう)ら我(われ)に勧(すす)めて一妾(いちしょう=側室)を納(い)れしめ、没奈何(どうしようもなく)一房(ひとふさ)を尋(たず)ね下(おろ)して、一女(ひとり)を生(う)み得(え)、今年(ことし)才(ようや)く八歳(はっさい)に交(まじわ)る、名(な)を取(と)って一秤金(いっしょうきん)と喚(よ)ぶ。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「好(よ)き貴名(きめい=立派な名)! 怎(いか)にして一秤金(いっしょうきん)と做(な)すか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「我(われ)児女(じじょ)の艱難(かんなん)なるに因(よ)り、橋(はし)を修(おさ)め路(みち)を補(おぎな)い、寺(てら)を建(た)て塔(とう)を立(た)て、斎僧(さいそう)に布施(ふせ)し、一本(ひとつ)の帳目(ちょうもく=帳面)有(あ)って、那(いず)れに三両(さんりょう)を使(つか)い、那(いず)れに五両(ごりょう)を使(つか)えるを、女(むすめ)を生(う)むの年(とし)に到(いた)りて、却(かえっ)て好(よ)く用(もち)い過(よぎ)ること三十斤(さんじゅっきん)の黄金(おうごん)有(あ)り。三十斤(さんじゅっきん)を一秤(いっしょう)と為(な)せば、此(こ)の故(ゆえ)に喚(よ)んで一秤金(いっしょうきん)と做(な)す。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「那(か)の箇(ひとり)の児子(こ)は么(いか)なるか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「舎弟(しゃてい)に箇(ひとつ)の児子(こ)有(あ)って、也(ま)た是(こ)れ偏出(へんしゅつ=妾腹)なり、今年(ことし)七歳(しちさい)にして、名(な)を取(と)って陳関保(ちんかんほう)と喚(よ)ぶ。」
行者(ぎょうじゃ)問(と)う、「何(なん)ぞ此(こ)の名(な)を取(と)るか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「家下(かか=家)に關聖爺爺(かんせいおじいさま=関帝)を供養(くよう)し、關爺(かんや)の位(くらい)の下(した)に在(あ)って此(こ)の児子(こ)を求(もと)め得(え)たるに因(よ)り、故(ゆえ)に関保(かんほう)と名(な)づく。我(われ)兄弟(きょうだい)二人(ふたり)、年歳(とし)百二(ひゃくに)なるに、止(た)だ這(こ)の両箇(ふたり)の人種(にんしゅ=子孫)を得(え)たるのみ、期(き)せずして輪次(りんじ=順番)我家(わがや)に到(いた)りて祭賽(さいさい)せば、此(こ)の故(ゆえ)に敢(あえ)て献(けん)ぜざること無(な)し。此(こ)の故(ゆえ)に父子(ふし)の情(じょう)、割(さ)き難(がた)く捨(す)て難(がた)し、先(ま)ず孩児(がいじ)と超生(ちょうせい=往生)の道場(どうじょう)を作(な)せるが故(ゆえ)に、預修亡斎(よしゅうぼうさい)と曰(い)うは、此(これ)なり。」
三蔵(さんぞう)言(こと)を聞(き)き、止(とど)むるを得(え)ず腮辺(おおあご)より涙(なみだ)下(くだ)って道(いわ)く、「這(こ)れ正(まさ)に是(こ)れ古人(こじん)の云(いわ)く、黄梅(こうばい=熟れた梅)落(お)ちずして青梅(せいばい=青き梅)落(お)ち、老天(ろうてん)偏(ひとえ)に児(こ)無(な)き人(ひと)を害(そこな)うと。」
行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く、「我(われ)が再(ふたた)び他(かれ)に問(と)うを待(ま)て。老公公(ろうこうこう)、你(なんじ)が府上(ふじょう)に多(おお)くの大(おおい)なる家当(かとう=財産)有(あ)るか?」
二老(にろう)道(いわ)く、「頗(すこぶ)る些(いくら)か児(ばかり)有(あ)り、水田(すいでん)四五十頃(しごじっけい)有(あ)り、旱田(かんでん)六七十頃(ろくしちじっけい)有(あ)り、草場(そうば=牧場)八九十処(はちくじっしょ)有(あ)り、水黄牛(すいこうぎゅう)二三百頭(にさんびゃくとう)有(あ)り、驢馬(ろば=驢馬と馬)三二十匹(さんにじゅっぴき)有(あ)り、猪羊(ちょよう)・鶏鵝(けいが=鶏と鵞鳥)数(かず)無(な)し。舎下(しゃか)にも也(ま)た吃(くら)い着(つ)かざるの陳粮(ちんりょう=古米)有(あ)り、穿(き)了(おわ)らざるの衣服(いふく)有(あ)り。家財(かざい)・産業(さんぎょう)、也(ま)た尽(ことごと)く数(かぞ)え得(う)べし。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)這(こ)の等(ごと)き家業(かぎょう)は、也(ま)た你(なんじ)が省(つつし)み将(もっ)て起(おこ)し来(きた)れるに虧(よ)れり。」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「怎(いか)にして我(われ)の省(つつし)むを見(み)るか?」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「既(すで)に這(こ)の家私(かし=財産)有(あ)るに、怎(なん)ぞ親生(しんせい=実の)の児女(じじょ)を舍(す)てて祭賽(さいさい)するを得(え)んか? 五十両(ごじゅうりょう)の銀子(ぎんし=銀)を拚(かまわ)ずすれば、可(べ)し一箇(ひとり)の童男(どうなん)を買(か)わん;一百両(いっぴゃくりょう)の銀子(ぎんし)を拚(かまわ)ずすれば、可(べ)し一箇(ひとり)の童女(どうにょ)を買(か)わん、絞纏(こうてん=諸経費)を連(つら)ねても二百両(にひゃくりょう)の数(かず)に過(す)ぎざれば、可(べ)しすなわち自己(じこ)の児女(じじょ)・后代(こうたい)を留(とど)めん、却(かえっ)て是(こ)れ好(よ)からずや?」
二老(にろう)涙(なみだ)を滴(したた)らして道(いわ)く、「老爺(ろうや)! 你(なんじ)知(し)らざるなり、那(か)の大王(だいおう)甚(はなは)だ是(こ)れ霊感(れいかん)にして、常(つね)に我(われ)らが人家(じんか)に来(きた)りて行走(ある)く。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「他(かれ)来(きた)りて行走(ある)けば、你(なんじ)ら他(かれ)の是(こ)れ甚(なん)の嘴臉(すがた)なるを看(み)るか? 幾多(いくばく)の長短(たけ)有(あ)るか?」
二老(にろう)道(いわ)く、「其(そ)の形(かたち)を見(み)ず、只(た)だ一陣(いちじん)の香風(こうふう)を聞(き)き得(え)れば、すなわち大王爺爺(だいおうおじいさま)の来(きた)れるを知(し)り、即(すなわ)ち忙(いそ)ぎ満斗(まんと=斗いっぱい)に香(こう)を焚(た)き、老少(ろうしょう)風(ふう)を望(のぞ)んで下拝(かはい)す。他(かれ)我(われ)らが這(こ)の人家(じんか)の、匙(さじ)大(おお)きく碗(わん)小(ちい)さきの事(こと)を把(もっ)て、他(かれ)皆(みな)之(これ)を知(し)り、老幼(ろうよう)の生(うま)れし時(とき)の年月(ねんげつ)を、他(かれ)皆(みな)之(これ)を記(き)す。只(た)だ親生(しんせい)の児女(じじょ)を要(よう)して、他(かれ)方(まさ)に受用(じゅよう=享受)す。二三百両(にさんびゃくりょう)の買(か)う処(ところ)無(な)きを説(と)く莫(なか)れ、就(すなわ)ち是(こ)れ幾千万両(いくせんまんりょう)なるも、也(ま)た這(こ)の般(ごと)き一模一樣(いちもいちよう=そっくり)の同年同月(どうねんどうげつ)の児女(じじょ)を買(か)う処(ところ)無(な)し。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「原(もと)来(もと)這(こ)の等(ごと)し、也(ま)た罷(よ)からん、也(ま)た罷(よ)からん、你(なんじ)且(しばら)く你(なんじ)が令郎(れいろう)を抱(いだ)き出(いだ)し来(きた)れ、我(われ)看(み)ん。」
那(か)の陳清(ちんせい)急(いそ)ぎ裏面(うち)に入(い)り、関保児(かんほうじ)を将(もっ)て庁上(ちょうじょう)に抱(いだ)き出(いだ)し、灯前(とうぜん=灯の前)に放(お)き在(お)く。小孩児(こども)那(なん)ぞ死活(しご=死と生)を知(し)らん、両(ふたつ)の袖(そで)に果子(くだもの)を籠(こ)め、跳跳(ぴょんぴょん)と跳舞(おど)り、吃(くら)いて耍子(あそ)ぶ。
行者(ぎょうじゃ)見(み)て、默默(もくもく)と一声(ひとこえ)の咒語(じゅご)を念(とな)え、身(み)を揺(ゆす)って一変(ひとへん)じ、那(か)の関保児(かんほうじ)と一般(おなじ)き容姿(ようし=姿)に変作(へんさく)す。
両箇(ふたり)の孩児(がいじ)、手(て)を攙(から)み、灯前(とうぜん)に在(あ)って跳舞(おど)れば、唬(おどろ)かし得(え)て那(か)の老者(ろうしゃ)慌(あわ)てて唐僧(とうぞう)に跪(ひざまず)いて道(いわ)く、「老爺(ろうや)、不当人子(ふとうじんし=とんでもない)! 不当人子(ふとうじんし)! 這(こ)の位(おなり)の老爺(ろうや)才然(さっき)話(ことば)を説(と)きしが、怎(なん)ぞすなわち我(われ)が児(こ)と一般(おなじ)き容姿(ようし)に変作(へんさく)し、他(かれ)一声(ひとこえ)叫(よ)べば、斉(とも)に応(こた)え斉(とも)に走(はし)る! 却(かえっ)て我(われ)らの年寿(ねんじゅ=寿命)を折(せっ)し了(おわ)らん! 請(こ)う本相(ほんぞう)を現(あらわ)せ! 請(こ)う本相(ほんぞう)を現(あらわ)せ!」
行者(ぎょうじゃ)臉(かお)を把(もっ)て一(ひと)つ抹(ぬぐ)い、本相(ほんぞう)を現(あらわ)す。
那(か)の老者(ろうしゃ)面前(めんぜん)に跪(ひざまず)いて道(いわ)く、「老爺(ろうや)原(もと)来(もと)這(こ)の様(よう)の本事(ほんじ)有(あ)り。」
行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く、「可(べ)し你(なんじ)が児子(こ)に象(に)るか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「象象象(にているにているにている)! 果然(はた)して一般(おなじ)き嘴臉(すがた)、一般(おなじ)き声音(こえ)、一般(おなじ)き衣服(いふく)、一般(おなじ)き長短(たけ)。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)還(ま)た未(いま)だ細(こま)かに看(み)ざる哩(ぞ)、秤(はかり)を取(と)り来(きた)りて称(はか)り、可(べ)し他(かれ)と一般(おなじ)き軽重(おもさ)なるかを。」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「是是是(はいはい)は、是(こ)れ一般(おなじ)き重(おも)さなり。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「這(こ)の等(ごと)き似(ごと)きに、可(べ)し祭賽(さいさい)し過(す)ぐる可(べ)きか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「忒(はなはだ)好(よ)し忒(はなはだ)好(よ)し! 祭(まつ)り得(え)て過(す)ぎたり!」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「我(われ)今(いま)這(こ)の孩児(がいじ)が性命(しょうめい)に替(かわ)り、你(なんじ)が家(いえ)の香烟后代(こうえんこうだい=子孫)を留(とど)め、我(われ)去(ゆ)きて那(か)の大王(だいおう)を祭賽(さいさい)せん也(よ)。」
那(か)の陳清(ちんせい)地(ち)に跪(ひざまず)き頭(こうべ)を磕(たた)いて道(いわ)く、「老爺(ろうや)果(はた)して若(も)し慈悲(じひ)して替(かわ)り得(う)れば、我(われ)白銀(はくぎん)一千両(いっせんりょう)を送(おく)り、唐老爺(とうろうや)と与(あた)えて盤纏(ばんてん=路銀)と做(な)して西天(せいてん)に去(ゆ)かしめん。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「就(すなわ)ち老孫(ろうそん)に謝(しゃ)せざるか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)已(すで)に替(かわ)りて祭(まつ)られたれば、你(なんじ)も無(な)き也(なり)。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「怎(いか)にして得(え)て無(な)からんか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「那(か)の大王(だいおう)吃(くら)い了(おわ)らん。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「他(かれ)敢(あえ)て我(われ)を吃(くら)わんか?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)を吃(くら)わざれば、好道(よもや)腥(なまぐさ)きを嫌(きら)わん。」
行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く、「天命(てんめい)に任(まか)せ従(したが)わん、我(われ)を吃(くら)わば、是(こ)れ我(われ)が命(いのち)の短(みじか)きなり;吃(くら)わざれば、是(こ)れ我(われ)の造化(ぞうけ=幸運)なり。我(われ)你(なんじ)と祭賽(さいさい)に去(ゆ)かん。」
那(か)の陳清(ちんせい)只(た)だ管(かま)わず頭(こうべ)を磕(たた)いて相謝(あいしゃ)し、又(ま)た銀(ぎん)五百両(ごひゃくりょう)を送(おく)ると允(ゆる)す。
惟(ただ)陳澄(ちんちょう)は也(ま)た頭(こうべ)を磕(たた)かず、也(ま)た謝(しゃ)を説(と)かず、只(た)だ是(こ)れ那(か)の屏門(へいもん)に倚(よ)り掛(かか)りて痛哭(つうこく=激しく泣)く。
行者(ぎょうじゃ)之(これ)を知(し)り、上前(すす)みて扯(ひ)き住(とど)めて道(いわ)く、「老大(ろうだい=あにさん)、你(なんじ)が這(こ)の我(われ)に允(ゆる)さず、我(われ)に謝(しゃ)せざるは、想(おも)うに是(こ)れ你(なんじ)が女(むすめ)を捨(す)て得(え)ざるか?」
陳澄(ちんちょう)才(ようや)く跪(ひざまず)き下(おろ)って道(いわ)く、「是(こ)れ捨(す)て得(え)ず。敢(あえ)て老爺(ろうや)の盛情(せいじょう=厚意)を蒙(こうむ)り、我(われ)が侄子(おい)を救(すく)い替(かわ)れるも彀(た)れり。但(た)だ只(た)だ是(こ)れ老拙(ろうせつ)に児(こ)無(な)く、止(た)だ此(こ)の一女(ひとり)なるのみ、就(すなわ)ち是(こ)れ我(われ)の死(し)しし後(のち)、他(かれ)も也(ま)た哭(な)き得(え)て痛切(つうせつ=切なく)ならん、怎(なん)ぞ捨(す)て得(え)ん!」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)快(すみ)やかに去(ゆ)きて五斗(ごと)の米(こめ)の飯(めし)を蒸(ふか)し上(あ)げ、些(いくら)かの好(よ)き素菜(そさい=精進料理)を整治(せいち=整え)し、我(われ)が那(か)の長嘴(ちょうし=長い嘴)の師父(しふ)と与(あた)えて食(くら)わせ、他(かれ)を教(おし)えて你(なんじ)が女(むすめ)に変作(へんさく)せしめ、我(われ)兄弟(きょうだい)同(とも)に去(ゆ)きて祭賽(さいさい)し、索性(さっせい=いっそのこと)箇(ひとつ)の陰騭(いんしつ=陰徳)を行(おこな)い、你(なんじ)が両箇(ふたり)の児女(じじょ)の性命(しょうめい)を救(すく)わん、如何(いかん)?」
那(か)の八戒(はっかい)此(こ)の言(こと)を聴(き)き得(え)て、心中(しんちゅう)大(おおい)に驚(おどろ)いて道(いわ)く、「哥哥(あに)、你(なんじ)精神(せいしん)を弄(ろう)さんと要(ほっ)して、我(われ)が死活(しご)を管(かま)わず、すなわち我(われ)を攀扯(はんちゃ=巻き添え)せんとす。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「賢弟(けんてい)、常言(じょうげん)に道(いわ)く、鶏児(にわとり)功(こう)無(な)きの食(しょく)を吃(くら)わずと。你(なんじ)我(われ)門(もん)に入(い)り、盛斎(せいさい=手厚い斎)を感承(かんしょう=蒙)り、你(なんじ)還(ま)た吃(くら)い飽(あ)かずと嚷(わめ)く哩(ぞ)、怎(なん)ぞすなわち人家(じんか)と些(いくら)かの患難(かんなん)を救(すく)わざるか?」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「哥(あに)や、你(なんじ)は便(すなわ)ち変化(へんげ)を会(え)するも、我(われ)却(かえっ)て会(え)せざる哩(ぞ)。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)も也(ま)た三十六般(さんじゅうろっぱん)の変化(へんげ)有(あ)るに、怎(なん)ぞ会(え)せざるか?」
唐僧(とうぞう)叫(よ)んで道(いわ)く、「悟能(ごのう)、你(なんじ)が師兄(しけい)の説(と)くところ最(もっと)も是(ただし)く、処(しょ)するところ甚(はなは)だ当(とう=適切)なれり。常言(じょうげん)に人(ひと)の一命(いちめい)を救(すく)うは、七級(しちきゅう)の浮屠(ふと=仏塔)を造(つく)るに勝(まさ)ると。一(ひとつ)には厚情(こうじょう=厚意)に感謝(かんしゃ)し、二(ふたつ)には当(まさ)に陰徳(いんとく)を積(つ)むべし、況(いわ)んや涼夜(りょうや=涼しき夜)に事(こと)無(な)きに、你(なんじ)兄弟(きょうだい)耍耍(あそび)に去(ゆ)かん来(こ)。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「你(なんじ)看(み)よ師父(しふ)の説(と)ける話(ことば)を! 我(われ)只(た)だ山(やま)に変(へん)じ樹(き)に変(へん)じ、石頭(いし)に変(へん)じ癩象(らいぞう=病める象)に変(へん)じ、水牛(すいぎゅう)に変(へん)じ大胖漢(だいはんかん=大男)に変(へん)ずるは還(ま)た可(よ)し、若(も)し小女児(しょうじょ)に変(へん)ずれば、幾分(いくぶん)か難(むずか)しき哩(ぞ)。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「老大(ろうだい)他(かれ)を信(しん)ずる莫(なか)れ、你(なんじ)が令愛(れいあい=娘)を抱(いだ)き出(いだ)して看(み)よ。」
那(か)の陳澄(ちんちょう)急(いそ)ぎ裡辺(うち)に入(い)り、一秤金(いっしょうきん)の孩児(がいじ)を抱(いだ)き将(もっ)て、庁上(ちょうじょう)に到(いた)る。一家子(いっか=一家)の、妻妾(ししょう=妻と妾)・大小(だいしょう)、老幼(ろうよう)・内外(ないがい)を分(わか)たず、皆(みな)出(い)で来(きた)りて頭(こうべ)を磕(たた)き礼拝(いらい)し、只(た)だ請(こ)う孩児(がいじ)の性命(しょうめい)を救(すく)えと。
那(か)の女(むすめ)の頭(かしら)の上(うえ)に一箇(ひとつ)の八宝垂珠(はっぽうすいじゅ=八宝と垂れ珠)の花翠箍(かすいこ=花の髪飾り)を戴(いただ)き、身(み)の上(うえ)に一件(ひとつ)の紅閃黄(こうせんおう=赤と黄)の紵糸襖(ちょしあお=絹の上着)を穿(き)、上(うえ)に一件(ひとつ)の官緞子(かんどんす=上等の緞子)・棋盤領(きばんりょう=碁盤襟)の披風(ひふう=外套)を套(かぶ)り;腰間(ようかん)に一条(ひとすじ)の大紅花絹裙(だいこうかけんくん=大きな紅の絹の裙)を系(し)め、脚下(あしもと)に一双(ひとそろい)の蝦蟆頭(がまとう=蟇の頭)・浅紅(せんこう=薄紅)の紵糸鞋(ちょしあい=絹の靴)を踏(ふ)み、腿上(たいじょう=腿)に両隻(ふたつ)の綃金膝褲児(しょうきんしつこじ=金糸の膝袴)を系(し)め、也(ま)た果子(くだもの)を袖(そで)して吃(くら)う哩(ぞ)。
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「八戒(はっかい)、這(こ)れすなわち是(こ)れ女孩児(おんなのこ)なり、你(なんじ)快(すみ)やかに他(かれ)に象(に)て変(へん)ぜよ、我(われ)ら祭賽(さいさい)に去(ゆ)かん。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「哥(あに)や、這(こ)の般(ごと)く小巧(しょうこう=小柄)・俊秀(しゅんしゅう=美しき)なるに、怎(いか)にして変(へん)ぜんか?」
行者(ぎょうじゃ)叫(よ)んで道(いわ)く、「快(すみ)やかにせよ! 討打(うち=ぶたれる)を莫(なか)れ!」
八戒(はっかい)謊(あわ)てて道(いわ)く、「哥哥(あに)打(う)つ莫(なか)れ、我(われ)が変(へん)じて看(み)るを待(ま)て。」
這(こ)の呆子(ほうけ)咒語(じゅご)を念(とな)え動(うご)かし、頭(かしら)を把(もっ)て幾(いく)たびか揺(ゆす)り、「変(へん)ぜよ!」と叫(よ)ぶ。真箇(まこと)に頭(かしら)を変(へん)じ過(よ)ぎ来(きた)り、就(すなわ)ち也(ま)た女孩児(おんなのこ)が面目(めんもく)に象(に)るも、只(た)だ是(こ)れ肚子(はら)胖大(はんだい=太く大)く、郎伉(ろうこう=ごつごつ)として象(に)ず。
行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(いわ)く、「再(ふたた)び変(へん)じ変(へん)ぜよ!」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「凭(よ)って打(う)たれて了(おわ)らん! 変(へん)じ過(よ)ぎ来(きた)らざれば、奈何(いかん)?」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「莫(まさ)か成(なる)まい丫頭(あたま=娘)の頭(かしら)に、和尚(おしょう)の身子(からだ)ならんとは? 弄(ろう)し得(え)て這(こ)の等(ごと)く不男不女(ふなんふにょ)にしては、却(かえっ)て怎(いか)に生(い)きて是(こ)れ好(よ)からんか? 你(なんじ)可(べ)し罡(こう=北斗)を布(し)き起(おこ)せ。」
他(かれ)すなわち他(かれ)に一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吹(ふ)き掛(か)くれば、果然(はた)して即時(そくじ)に身子(からだ)を把(もっ)て変(へん)じ過(よ)ぎ、那(か)の孩児(がいじ)と一般(おなじ)となる。
便(すなわ)ち教(おし)えて道(いわ)く、「二位(ふたり)の老者(ろうしゃ)、你(なんじ)が宝眷(ほうけん=ご家族)と令郎(れいろう)・令愛(れいあい)を帯(たい)して進(い)り去(ゆ)け、錯(あやま)つこと莫(なか)れ。一会家(ひととき)、我(われ)兄弟(きょうだい)偸懶(とうらん=怠け)・討乖(とうかい=利口ぶり)して、走(はし)り進(い)り去(ゆ)かば、転(うって)て識認(みわ)け難(がた)し。你(なんじ)好(よ)き果子(くだもの)を将(もっ)て他(かれ)と吃(くら)わしめ、他(かれ)を教(おし)えて哭(な)き叫(よ)ばしむ可(べ)からず、恐(おそ)るるは大王(だいおう)の一時(いっとき)に知覚(ちかく)し、風訊(ふうしん=情報)を走(はし)らせて了(おわ)らんことを、我(われ)両人(ふたり)の耍子(あそび)に去(ゆ)くを等(ま)て也(よ)!」
好(よ)き大聖(たいせい)かな、沙僧(しゃそう)に吩咐(いいつけ)して唐僧(とうぞう)を保護(ほご)せしめ、他(かれ)は陳関保(ちんかんほう)に変作(へんさく)し、八戒(はっかい)は一秤金(いっしょうきん)に変作(へんさく)す。
二人(ふたり)俱(とも)に停当(ていとう=用意)し了(おわ)り、却(かえっ)て問(と)うて道(いわ)く、「怎(いか)にして供献(きょうけん)するか? 還是(それとも)捆(くく)りて去(ゆ)くか、是(こ)れ綁(しば)りて去(ゆ)くか? 蒸(ふか)し熟(じゅく)して去(ゆ)くか、是(こ)れ剁(きざ)み碎(くだ)いて去(ゆ)くか?」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「哥哥(あに)、我(われ)を弄(ろう)する莫(なか)れ、我(われ)に這(こ)の手段(しゅだん)無(な)し。」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「不敢不敢(とんでもない)! 只(た)だ是(こ)れ両箇(ふたつ)の紅漆(こうしつ)の丹盤(たんばん=赤塗りの盆)を用(もち)い、二位(ふたり)を請(こ)うて盤(ばん)の内(うち)に坐(ざ)せしめ、桌上(たくじょう)に放(お)き在(お)き、両箇(ふたり)の后生(こうせい=若者)を着(つ)けて一張(ひとつ)の桌(たく)を抬(かつ)ぎ、你(なんじ)らを把(もっ)て庙(びょう=社)の上(うえ)に抬(かつ)ぎ去(ゆ)かしむるのみ。」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「好好好(よしよしよし)! 盤子(ばん)を拿(と)り出(いだ)せ、我(われ)ら試(こころ)みん。」
那(か)の老者(ろうしゃ)すなわち両箇(ふたつ)の丹盤(たんばん)を取(と)り出(いだ)し、行者(ぎょうじゃ)と八戒(はっかい)坐(ざ)し上(あ)がり、四箇(よったり)の后生(こうせい)、両張(ふたつ)の桌(たく)を抬(かつ)ぎ上(あ)げ、天井(てんせい=中庭)の裏(うち)に往(ゆ)きて走走児(ある)き、又(ま)た抬(かつ)ぎ回(かえ)して堂上(どうじょう)に放(お)き在(お)く。
行者(ぎょうじゃ)歓喜(かんき)して道(いわ)く、「八戒(はっかい)、這(こ)の般(ごと)き子(し)に走走(ある)き耍耍(あそ)いすれば、我(われ)らも也(ま)た是(こ)れ上台盤(じょうたいばん=食卓に上る)の和尚(おしょう)なれり。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「若是(も)し抬(かつ)ぎ去(ゆ)きて、還(ま)た抬(かつ)ぎ回(かえ)り来(きた)らば、両頭(ふたつ)とも抬(かつ)ぎて天(てん)の明(あ)くるに到(いた)るも、我(われ)も也(ま)た怕(おそ)れず;只(た)だ是(こ)れ庙裏(びょううち)に抬(かつ)ぎ到(いた)れば、すなわち吃(くら)わんと要(ほっ)する哩(ぞ)、這(こ)の箇(ひとつ)却(かえっ)て是(こ)れ耍子(あそび)に非(あら)ざるなり!」
行者(ぎょうじゃ)道(いわ)く、「你(なんじ)只(た)だ我(われ)を看(み)て在(あ)れ、我(われ)を吃(くら)わんと划(はか)る時(とき)は、你(なんじ)すなわち走(はし)り了(おわ)れ。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「他(かれ)の怎(いか)にして吃(くら)うを知(し)らんや? 如(も)し先(さき)に童男(どうなん)を吃(くら)わば、我(われ)すなわち好(よ)く跑(に)げん;如(も)し先(さき)に童女(どうにょ)を吃(くら)わば、我(われ)却(かえっ)て如何(いかん)?」
老者(ろうしゃ)道(いわ)く、「常年(つね)祭賽(さいさい)の時(とき)、我(われ)が此(ここ)に胆(きも)の大(おおい)なる者有(あ)って、庙後(びょうご)に鑽(もぐ)り在(あ)り、或(あるい)は供桌(きょうたく=供物台)の下(した)に在(あ)りて、他(かれ)の先(さき)に童男(どうなん)を吃(くら)い、後(のち)に童女(どうにょ)を吃(くら)うを見(み)たり。」
八戒(はっかい)道(いわ)く、「造化(ぞうけ)! 造化(ぞうけ)!」
兄弟(きょうだい)正(まさ)に然(しか)く談論(だんろん)するに、只(た)だ外面(そと)の鑼鼓(らこ=鉦と太鼓)の天(てん)に喧(かまびすし)しく、灯火(とうか)の照(てら)し耀(かがや)くを聴(き)き、同荘(どうしょう=同じ村)の衆人(しゅうじん)前門(ぜんもん)を打(う)ち開(ひら)きて叫(よ)んで道(いわ)く、「童男童女(どうなんどうにょ)を抬(かつ)ぎ出(いだ)せ!」
這(こ)の老者(ろうしゃ)哭哭啼啼(こくこくていてい=めそめそ)と、那(か)の四箇(よったり)の后生(こうせい)他(かれ)ら二人(ふたり)を抬(かつ)ぎ将(もっ)て出(いだ)し去(ゆ)く。
端(つまびらか)の性命(しょうめい)の如何(いかん)を知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。