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048 第四十八回 魔(ま)、寒風(かんぷう)を弄して大雪(たいせつ)を飄(ひるがえ)し 僧(そう)、仏(ほとけ)を拝(おが)まんと思うて層氷(そうひょう)を履(ふ)む

さて、陳家荘(ちんかそう)の衆の信人(しんじん)ら、豬羊牲醴(ちょようせいれい)と行者・八戒とを、喧喧嚷嚷(けんけんじょうじょう=どよめきわめき)しつつ、直(ただち)に霊感廟(れいかんびょう)の裡(うち)に抬(かつ)ぎ至りて排(なら)べ下(おろ)し、童男童女(どうなんどうじょ)を上首(じょうしゅ=上座)に設(もう)く。行者、頭を回(めぐ)らして見れば、かの供桌(くようだい)の上に香花(こうか)・蝋燭(ろうしょく)あり、正面(しょうめん)に一箇の金字(きんじ)の牌位(はいいた位牌)あり、上に「霊感大王之神(れいかんだいおうのかみ)」と写(しる)し、更(さら)に別(べつ)の神象(しんぞう=神像)無し。衆の信(しんじん)、擺列(ならびつらね)て停当(ととの)い、一斉に上(かみ)に向(むか)いて頭を叩(う)って言う、「大王爺爺(だいおうおじじさま)、今年今月今日今時、陳家荘(ちんかそう)の祭主(さいしゅ)陳澄(ちんとう)ら衆の信、年甲(ねんこう=年齢)斉(ひと)しからずといえど、謹(つつし)んで年例(ねんれい)に遵(したが)い、童男一名(どうなんいちめい)陳関保(ちんかんぽう)、童女一名(どうじょいちめい)陳一秤金(ちんいっしょうきん)、豬羊牲醴(ちょようせいれい)如数(かずのごとく)を供献(ぐけん)し、大王に奉上(ほうじょう)して享用(きょうよう)を請(こ)い、風調雨順(ふうちょううじゅん)、五穀豊登(ごこくほうとう=五穀豊穣)を保祐(ほゆう=加護)したまえ」と。祝(の)り畢(おわ)り、紙馬(しば)を焼(た)き、各(おのおの)本宅(ほんたく)に回(もど)る。これ語(かた)らず。

かの八戒、人の散(さん)ずるを見て、行者に向かいて言う、「我ら家(うち)へ往(ゆ)こうか」と。行者言う、「汝が家は何処(いずこ)に在(あ)る」と。八戒言う、「老陳(ろうちん)の家へ往きて睡(ね)もう」と。行者言う、「呆子(あほう)め、また乱談(らんだん)せるか。既に彼に允(ゆる)したれば、須(かなら)ず彼とこの願心(がんしん=願い)を了(おえ)てこそ然(しか)るべきに」と。八戒言う、「汝こそ呆子ならずして、かえって我を呆子と言うか!ただ彼を哄(たぶら)かして戯(たわむ)るるのみにて罷(や)めよ、いかにしてすでに彼と祭賽(さいさい)して、真(まこと)に当(あ)て起(お)こすか!」と。行者言う、「胡説(こせつ=でたらめ)するな。人を為(な)すは徹(てっ=徹底)を為(な)すべし。一定(きっと)かの大王の来たりて食(くら)うを待ちてこそ、これ全始全終(ぜんしぜんしゅう=終始まっとう)というもの。然(しか)らずんば、また彼をして災(わざわい)を降(くだ)し害(がい)を貽(のこ)さしめ、かえって美(び)ならざらん」と。

正(まさ)に説(と)きおる間(あいだ)、ただ呼呼(こおう)と風(かぜ)の響(ひび)くを聴く。八戒言う、「いけない!風の響きはあの話(=例の奴)が来たのだ!」と。行者ただ叫ぶ、「物言(ものい)うな、我が答(こた)えん」と。

頃刻間(しばらく)にして、廟門(びょうもん)の外に一箇の妖邪(ようじゃ)の来(きた)るあり。視よ、彼のいかなる形(かたち)なるを、
金甲金盔(きんこうきんかい)燦爛(さんらん)として新(あたら)しく、腰(こし)に宝帯(ほうたい)を纏(まと)いて紅雲(こううん)を繞(めぐ)らす。
眼(まなこ)は晩(おそ)く出(い)ずる明星(みょうじょう)の皎(あきらか)なるがごとく、牙(きば)は重(かさ)ねて排(なら)べし鋸歯(きょし=のこぎりの歯)の分(わか)るるに似(に)たり。
足下(あしもと)に煙霞(えんか)飄蕩々(ひょうとうとう)とし、身辺(みのほとり)に霧靄(ぶあい)暖熏々(だんくんくん)たり。
行(ゆ)く時(とき)陣々(じんじん)として陰風(いんふう)冷(つめた)く、立(た)つ処(ところ)層々(そうそう)として煞気(さっき)温(あたた)かなり。
却(かえ)って巻帘扶駕(かんれんふが=御簾を巻き駕を扶ける)の将(しょう)に似(に)たり、猶(なお)寺(てら)を鎮(しず)むる大門神(だいもんじん)の如(ごと)し。
と。

かの怪物(かいぶつ)、廟門(びょうもん)を攔(さえぎ)りて問うて言う、「今年祭祀(さいし)するは那家(どのいえ)ぞ」と。行者、笑吟吟(にこにこ)として答えて言う、「下問(かもん)を承(うけたまわ)る。荘頭(そうとう=村の長)は陳澄(ちんとう)・陳清(ちんせい)の家なり」と。

かの怪(かい)、答(こたえ)を聞きて、心中(しんちゅう)疑似(ぎじ=不審)して言う、「この童男(どうなん)は胆(きも)大(おお)きく、言談(げんだん)伶俐(れいり=利口)なり。常(つね)に来たりて供養(くよう)を受用(じゅよう)するは、一声(ひとこえ)問えば物言(ものい)わず、また一声問えば、魂(たましい)を唸(おど)され、手を以て捉(とら)えんとすれば、すでに死人(しびと)なり。いかにして今日この童男(どうなん)は善(よ)く能(よ)く応対(おうたい)するか」と。怪物、敢えて来たりて拿(とら)えず、また問う、「童男童女(どうなんどうじょ)は何(なん)と名を叫(よ)ぶか」と。行者笑って言う、「童男は陳関保(ちんかんぽう)、童女は一秤金(いっしょうきん)なり」と。怪物言う、「この祭賽(さいさい)はすなわち上年(きょねん)よりの旧規(きゅうき)なり。今、我に供献(ぐけん)すれば、当(まさ)に汝を食(くら)うべし」と。行者言う、「敢えて抗拒(こうきょ)せず、請う、自(みずか)ら在(あるがまま)に受用(じゅよう)したまえ」と。

怪物これを聴き、また敢えて手を動かさず、門を攔(さえぎ)りて喝(しか)って言う、「汝、頂嘴(いいかえ)すな!我は常年(つね)のごとく先(ま)ず童男(どうなん)を食(くら)うに、ことしはかえって先ず童女(どうじょ)を食(くら)わんとす!」と。八戒慌てて言う、「大王、なお旧(もと)のごとくにせよ、例(れい)を食(くら)い壊(こわ)したもうな」と。

かの怪(かい)、分説(ぶんせつ=言いわけ)を容(ゆる)さず、手を放(はな)ちて、すなわち八戒を捉(とら)えんとす。呆子(あほう)、撲(ぽん)と跳(と)び下(お)り、本相(ほんそう)を現じ、釘鈀(ていは=馬鍬)を掣(ひっさ)げ、手を劈(つんざ)いて一筑(ひとつき)。かの怪物、手を縮(ちぢ)めて、前(まえ)に向かいてすなわち走(はし)る。ただ当(とう)と一声の響(ひび)くを聴く。八戒言う、「甲(よろい)を筑(つ)き破(やぶ)ったり!」と。行者もまた本相を現じて視(み)る処(ところ)、元来(もと)これ氷盤(ひょうばん=氷の盆)ほどの大いさの二箇の魚鱗(うろこ)なり。「赶上(おっつけ)!」と喝(かつ)するや、二人空中に跳(と)び上(あ)がる。

かの怪物、会(え)に赴(おもむ)くにより、かつて兵器(へいき)を帯(お)び来(きた)らざれば、空手(くうしゅ)にて雲端(うんたん)の裡(うち)に在りて問うて言う、「汝は那方(いずかた)の和尚か、此(ここ)に到りて人を欺(あざむ)き、我が香火(こうか=祭祀)を破(やぶ)り、我が名声(めいせい)を壊(こわ)す」と。行者言う、「この潑物(はつぶつ)め、元来(もと)知らぬか。我らはすなわち東土大唐(とうどだいとう)の聖僧三蔵(せいそうさんぞう)の、欽差(きんさ)を奉じて西天に経を取りに往(ゆ)く徒弟(でし)なり。昨(きのう)夜(よる)陳家(ちんか)に寓(やど)るにより、邪魔(じゃま)のありて、霊感(れいかん)と号(ごう)を仮(か)り、年々童男童女(どうなんどうじょ)を要(もと)めて祭賽(さいさい)すると聞けり。これ我らの慈悲(じひ)を以て、生霊(せいれい=生けるもの)を拯救(すくい)し、汝この潑物(はつぶつ)を捉(とら)えんとす!早(はや)うに趁(じゅん)じて実(まこと)に実に供(きょう=白状)せよ!一年に二箇の童男童女(どうなんどうじょ)を食(くら)い、汝はここに在りて幾年(いくとせ)大王を称(とな)え、多少(いくばく)の男女(だんじょ)を食(くら)いしか。一箇一箇(ひとりひとり)算(かぞ)えて我に還(かえ)さば、汝が死罪(しざい)を饒(ゆる)さん!」と。

かの怪、これを聞きてすなわち走(はし)る。八戒のまた一釘鈀(ひとつき)に遭(あ)えど、いまだ打(う)ち当(あ)たらず、彼は一陣の狂風(きょうふう)に化(か)し、通天河(つうてんが)の内に潜(もぐ)り入(い)る。行者言う、「彼を趕(お)うに及(およ)ばず、この怪(かい)は想(おも)うに河中(かちゅう)の物(もの)ならん。且(しばら)く明日(みょうにち)を待ちて法(ほう)を設(もう)けて彼を拿(とら)え、我が師父を送りて河を過(わた)らしめん」と。八戒、言に依(よ)り、径(ただち)に廟(みや)の裡(うち)に回(もど)り、かの豬羊(ちょよう)の祭醴(さいれい)を、桌面(たくめん=卓ごと)一斉に陳家(ちんか)へ搬(はこ)ぶ。

この時、唐長老(とうちょうろう)・沙和尚(さおしょう)と陳家の兄弟(きょうだい)、正(まさ)に庁(ひろま)の中に在りて信(たより)を候(ま)ちおるに、忽(たちまち)かの二人の豬羊(ちょよう)らの物をみな天井(てんせい=中庭)の裡(うち)に投(な)げ置(お)くを見る。三蔵、迎(むか)え出でて問うて言う、「悟空、祭賽(さいさい)の事はいかん」と。行者、かの名を称(とな)え怪(かい)を趕(お)いて河中(かちゅう)に潜(もぐ)り入(い)りし事を、一通(ひととおり)説(と)き畢(おわ)る。二老(ふたりのろうじゃ)十分に喜び、すなわち廂房(しょうぼう=離れ)を掃除(そうじ)し、床鋪(しょうほ=寝床)を安排(もう)けて、彼の師徒(してい)を請(しょう)じて就寝(しゅうしん)せしむ。これ語(かた)らず。

さて、かの怪(かい)、命(いのち)を得(え)て水内(すいない)に回帰(かいき)し、宮中(きゅうちゅう)に坐して黙々(もくもく)として言(こと)無(な)し。水中の大小の眷族(けんぞく=眷属)、問うて言う、「大王は毎年(まいとし)祭(まつり)を享(う)けては、回(かえ)り来たりて歓喜(かんき)したもうに、いかにして今日は煩悩(はんのう=心配)したもう」と。かの怪言う、「常年(つね)は享(う)け畢(おわ)りて、また些(いささ)かの余物(よぶつ)を帯(お)びて汝らに与(あた)えて受用(じゅよう)せしめたるに、今日は我すらまたいまだ食(くら)い得(え)ず。造化(ぞうか=運)低(ひく)くして、一箇の対頭(たいとう=敵)に撞(ぶつ)かり、ほとんど性命(いのち)を傷(そこな)わんとしたり」と。

衆の水族(すいぞく)問う、「大王、それは孰(たれ)か」と。かの怪言う、「一人の東土大唐(とうどだいとう)聖僧(せいそう)の徒弟(でし)にして、西天に往(ゆ)きて仏を拝(おが)み経を求(もと)むる者なり。男女(だんじょ)に仮(か)り変じ、廟(みや)の裡(うち)に坐(ざ)せり。我は彼に本相(ほんそう)を現(あらわ)され、危(あや)うく性命(いのち)を傷(そこな)わるるところなり。一向(ひたすら)人の講(い)うを聞けり、『唐三蔵(とうさんぞう)はすなわち十世(じっせ)修行(しゅぎょう)の好(よ)き人(ひと)にして、ただ彼の肉(にく)一塊(ひとかたまり)を得て食(くら)えば寿(じゅ)を延(の)べ長生(ちょうせい)す』と。期(き)せずや彼が手下(てした)にこのごとき徒弟(でし)ありて、我は彼に名声(めいせい)を壊(こわ)され、香火(こうか)を破(やぶ)られたり。心に唐僧(とうそう)を捉(とら)えんと欲すれど、ただ能(よ)くするを得(え)ざることを怕(おそ)るるのみ」と。

かの水族(すいぞく)の中より、一人の斑衣鰍婆(はんいけつば=まだら衣の鮒女)の闪(ひらめ)き上(あ)がり、怪物(かいぶつ)に向かいて跬跬拜拜(ききはいばい=ぺこぺこ拝み)して笑って言う、「大王、唐僧(とうそう)を捉(とら)えんと欲せば、何(なん)の難(かた)き処(ところ)かあらん!ただ捉(とら)え留(とど)めたるのち、我に些(いささ)かの酒肉(しゅにく)を賞(ほうび)し賜(たま)うや否やを知らず」と。かの怪言う、「汝もし謀(はかりごと)あらば、力を合同(ごうどう)し用(もち)いて、唐僧(とうそう)を捉(とら)えなば、汝と与(とも)に拝(はい)して兄妹(けいまい)と為(な)り、席(せき)を共(とも)にしてこれを享(う)けん」と。

鰍婆(けつば)、拝謝(はいしゃ)して言う、「久(ひさ)しく大王に呼風喚雨(こふうかんう=風雨を呼ぶ)の神通(じんずう)、攪海翻江(こうかいほんこう=海を掻き江を翻す)の勢力(せいりょく)あるを知れど、降雪(こうせつ=雪を降らす)を会(え)するや否やを知らず」と。かの怪言う、「会(え)す」と。また言う、「既に降雪(こうせつ)を会(え)すれば、冷(つめた)きを作(な)し冰(こおり)を結(むす)ぶを会(え)するや否やを知らず」と。かの怪言う、
「更(さら)に会(え)す!」
と。鰍婆(けつば)、掌を鼓(う)ちて笑って言う、「かくのごとくならば極(きわ)めて易(やす)し!極めて易し!」と。かの怪言う、「汝且(しばら)く極めて易(やす)きの功(こう=手立て)を、将(も)ち来(きた)りて我に講(と)き聴(き)かせよ」と。

鰍婆(けつば)言う、「今夜(こんや)三更(さんこう=真夜中)の天気(てんき)あり。大王、遅疑(ちぎ=ためらい)するに及(およ)ばず、早(はや)うに趁(じゅん)じて法(ほう)を作(な)し、一陣の寒風(かんぷう)を起(お)こし、一陣の大雪(たいせつ)を下(くだ)し、通天河(つうてんが)を尽(ことごと)く皆(みな)凍結(とうけつ)せしめたまえ。我ら善(よ)く変化(へんげ)する者どもをして、変じて幾人かの人形(ひとがた)と作(な)り、路(みち)の口(くち)に在りて、包(つつみ)を背負(お)い傘(かさ)を持(た)ち、担(にないもの)を担(にな)い車(くるま)を推(お)し、絶(た)えず冰(こおり)の上を行走(ある)かしめよ。かの唐僧(とうそう)の経を取るの心は甚(はなは)だ急(きゅう)なれば、このごとき人の行(ゆ)くを見ば、断然(だんぜん)冰(こおり)を踏(ふ)みて渡(わた)らんとす。大王は河心(かしん=川の真ん中)に穩(やす)らかに坐(ざ)し、彼が脚踪(あしあと)の響(ひび)く処(ところ)を待ちて、寒冰(かんぴょう)を迸(ほとばし)り裂(さ)かしめ、彼が徒弟(でし)らと一斉に水中(すいちゅう)に墜落(ついらく)せしめよ。一鼓(いっこ=一息)に得(う)べきなり!」と。

かの怪これを聞き、満心(まんしん)に歓喜して言う、「甚(はなは)だ妙(みょう)!甚だ妙!」と。すなわち水府(すいふ)を出(い)で、長空(ちょうくう)を踏(ふ)みて風を興(おこ)し雪を作(な)し、冷(つめた)きを結(むす)び凝(こ)らして冰(こおり)と成(な)す。これ語(かた)らず。

さて、唐長老(とうちょうろう)の師徒(してい)四人、陳家(ちんか)に歇(やす)みて、天の暁(あ)けんとするに近(ちか)づくに、師徒ら衾寒枕冷(きんかんちんれい=布団は冷たく枕は寒し)。八戒、咳(せ)き歌(うた)い戦(おのの)きて睡(ね)る能(あた)わず、叫んで言う、「師兄(しい)、寒(さむ)い!」と。行者言う、「汝この呆子(あほう)め、忒(あん)まりに長俊(ちょうしゅん=しっかり)せぬ!出家人(しゅっけにん)は寒暑(かんしょ)に侵(おか)されぬに、いかにして寒(さむ)きを怕(おそ)るるか」と。

三蔵言う、「弟子よ、果たして寒(さむ)し。視よ、すなわちこれ
重衾(じゅうきん=重ねた夜着)に暖気(だんき)無く、袖手(しゅうしゅ=袖に手を入るる)は冰(こおり)を揣(いだ)くがごとし。
この時(とき)敗葉(はいよう=枯れ葉)は霜蕊(そうずい)を垂(た)れ、蒼松(そうしょう)は凍鈴(とうれい)を掛(か)く。
地(ち)の裂(さ)くるは寒(かん)の甚(はなは)だしきに因(よ)り、池(いけ)の平(たいら)なるは水(みず)の凝(こ)るが為(ため)なり。
漁舟(ぎょしゅう)に叟(ろうじん)を見ず、山寺(さんじ)にいかでか僧(そう)に逢(あ)わん。
樵子(しょうし=きこり)は柴(たきぎ)の少(すくな)きを愁(うれ)い、王孫(おうそん=若君)は炭(すみ)の増(ま)すを喜(よろこ)ぶ。
征人(せいじん=旅人)は須(かなら)ず鉄(てつ)の似(ごと)く、詩客(しかく=詩人)の筆(ふで)は菱(ひし)の如(ごと)し。
皮襖(ひおう=革の上着)すら猶(なお)薄(うす)しと嫌(きら)い、貂裘(ちょうきゅう=貂の衣)も尚(なお)軽(かる)しと恨(うら)む。
蒲団(ふとん)に老衲(ろうのう=老僧)は僵(こご)え、紙帳(しちょう=紙の帳)に旅魂(りょこん)は驚(おどろ)く。
繍被(しゅうひ=刺繍の夜着)に裀褥(いんじょく=敷物)を重(かさ)ぬるも、渾身(こんしん=全身)戦抖鈴(せんとれい=がたがた震う)
と」と。

師徒らみな睡(ね)る能(あた)わず、爬(はい)き起(お)きて衣服(いふく)を穿(き)て、門を開(ひら)きて視(み)る処(ところ)、ああ!外(そと)は白茫茫(しろぼうぼう)たり、元来(もと)雪(ゆき)の降(ふ)れるなり。行者言う、「怪(あや)しむらくは汝らの寒(さむ)きを病(や)むなり、さればこのごとき大雪(たいせつ)であったか!」と。

四人、眼(まなこ)を同(とも)にして観看(みわた)せば、好(よ)き雪(ゆき)かな!ただ見よ、あの
彤雲(とううん=どんより雲)密(みつ)に布(し)き、惨霧(さんむ)重(かさ)ねて浸(ひた)す。
彤雲密布(とううんみっぷ)すれば、朔風(さくふう=北風)凛凛(りんりん)として空(くう)に号(さけ)び、
惨霧重浸(さんむじょうしん)すれば、大雪(たいせつ)紛紛(ふんぷん)として地(ち)を蓋(おお)う。
真箇(まこと)にこれ六出花(りくしゅつか=六花の雪)、片片(へんぺん)として瓊(たま)を飛(と)ばし、千林(せんりん)の樹(き)、株株(しゅしゅ)として玉(たま)を帯(お)ぶ。
須臾(しばらく)に粉(こな)を積(つ)み、頃刻(またたくま)に塩(しお)と成(な)る。
白鸚歌(はくおうか)は素(しろ)さを失(うしな)い、皓鶴(こうかく=白鶴)の羽毛(うもう)と同(おな)じ。
平(たいら)かに呉楚(ごそ)の千江(せんこう)の水(みず)を添(そ)え、東南(とうなん)の幾樹(いくじゅ)の梅(うめ)を圧倒(あっとう)す。
却(かえ)って便(すなわ)ち戦(たたか)い退(しりぞ)けし玉龍(ぎょくりゅう)三百万(さんびゃくまん)に似(に)たり、果たして敗鱗残甲(はいりんざんこう=破れた鱗と甲)の天(てん)に満(み)ちて飛(と)ぶが如(ごと)し。
いずくにか東郭履(とうかくのくつ)、袁安臥(えんあんが)、孫康映読(そんこうえいどく)を得ん、更(さら)に子猷舟(しゆうしゅう)、王恭幣(おうきょうへい)、蘇武餐氈(そぶさんせん)を見ず。
ただただ幾家(いくけ)の村舎(そんしゃ)は銀(ぎん)を砌(みが)けるがごとく、万里(ばんり)の江山(こうざん)は玉(ぎょく)の団(まろ)きに似(に)たり。
好(よ)き雪(ゆき)かな!
と。

柳絮(りゅうじょ=柳の綿毛)は橋(はし)に漫(み)ち、梨花(りか)は舎(いえ)を蓋(おお)う。
柳絮(りゅうじょ)橋(はし)に漫(み)てば、橋辺(きょうへん)の漁叟(ぎょそう=漁師)は蓑衣(さい)を掛(か)け、
梨花(りか)舎(いえ)を蓋(おお)えば、舎下(しゃか)の野翁(やおう=田舎じいさん)は榾柮(こっぽつ=薪)を煨(おこ)す。
客子(かくし=旅人)は酒(さけ)を沽(か)うに難(かた)く、蒼頭(そうとう=下男)は梅(うめ)を覓(もと)むるに苦(くる)しむ。
洒洒瀟瀟(しゃしゃしょうしょう)として蝶翹(ちょうぎょう=蝶の羽)を裁(た)ち、飄飄蕩蕩(ひょうひょうとうとう)として鵝衣(がい=鵞鳥の羽)を剪(き)る。
団団滾滾(だんだんこんこん)として風(かぜ)の勢(いきおい)に随(したが)い、迭迭層層(じょうじょうそうそう)として道路(どうろ)迷(まよ)う。
陣々の寒威(かんい)は小幕(しょうまく=小さき帳)を穿(うが)ち、飕飕(しゅうしゅう)たる冷気(れいき)は幽幃(ゆうい=奥の帳)を透(とお)る。
豊年(ほうねん)の祥瑞(しょうずい=めでたき兆し)は天(てん)より降(くだ)り、人間(じんかん)の好事宜(こうじぎ=めでたき事)を賀(が)するに堪(た)えたり。
と。

かの場(ひとしきり)の雪(ゆき)、紛紛洒洒(ふんぷんしゃしゃ=はらはら)として、果たして玉(ぎょく)を剪(き)り綿(わた)を飛(と)ばすが如(ごと)し。師徒(してい)ら嘆(たん)じ玩(あそ)ぶこと多時(しばらく)なるに、ただ見よ、陳家(ちんか)の老者(ろうじゃ)、二人の僮僕(どうぼく)をして道路(どうろ)を掃(は)き開(ひら)かしめ、また二人(ふたり)をして熱湯(ねっとう)を送(おく)り出(いだ)して面(かお)を洗(あら)わしむ。須臾(しばらく)にしてまた滾茶(こんちゃ=熱い茶)・乳餅(にゅうへい=乳製品の菓子)を送(おく)り、また炭火(たんか)を抬(かつ)ぎ出(いだ)し、俱(みな)廂房(しょうぼう)に到(いた)る。師徒ら叙坐(じょざ=席次に着く)。

長老問うて言う、「老施主(ろうせしゅ)、貴地(きち)の時令(じれい=時候)、春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)の分(わか)ちあるや否やを知らず」と。陳老(ちんろう)笑って言う、「此間(ここ)は僻地(へきち)なりといえど、ただ風俗人物(ふうぞくじんぶつ)の上国(じょうこく)と異なるのみ、諸凡(およそ)穀苗(こくびょう=穀物の苗)・牲畜(せいちく=家畜)に至りては、みな天を同(おな)じうし日(ひ)を共(とも)にす。いずくんぞ四時(しいじ)を分(わか)たざるの理(ことわり)あらんや」と。三蔵言う、「既に四時(しいじ)を分(わか)てば、いかにして如今(いま)すでにこのごとき大雪(たいせつ)、このごとき寒冷(かんれい)あるか」と。陳老言う、「この時(とき)は七月(しちがつ)なりといえど、昨日(きのう)すでに白露(はくろ)に交(な)り、すなわちこれ八月節(はちがつせつ)なり。我がここは常年(つね)八月の間(あいだ)にすでに霜雪(そうせつ)あり」と。三蔵言う、「甚(はなは)だ我が東土(とうど)と同じからず、我が彼処(かしこ)は冬節(とうせつ=冬至)に交(な)りてこそ方(はじ)めてこれあるなり」と。

正(まさ)に話しおる間(あいだ)、また僮僕(どうぼく)の来たりて桌(つくえ)を安(す)え、粥(かゆ)を喰(くら)うを請(こ)うを見る。粥(かゆ)罷(おわ)りの後(のち)、雪は早間(あさ)よりもまた大(おお)きく、須臾(しばらく)にして平地(へいち)二尺(にしゃく)ほどの深(ふか)さあり。三蔵、心焦(こが)れて涙を垂(た)る。陳老言う、「老爺(ろうや)、放心(ほうしん)あれ。雪の深(ふか)きを見て憂慮(ゆうりょ)したもうな。我が舎下(しゃか)に頗(すこぶ)る幾石(いくこく)かの粮食(りょうしょく=食料)あり、老爺らを半生(はんしょう=半生)供養(くよう)し得(う)べし」と。

三蔵言う、「老施主、貧僧(ひんそう)の苦(くるしみ)を知りたまわず。我が当年(むかし)聖恩(せいおん)を蒙(こうむ)り旨意(しい)を賜(たま)わり、大駕(たいが)を擺(た)て親(みずか)ら関(かん)を送り出(いだ)されたり。唐王(とうおう)の御手(おて)杯(さかずき)を擎(ささ)げて餞(はなむけ)を奉(たてまつ)り、「いつの日(ひ)にか回(かえ)るべきか」と問(と)わせられたり。貧僧、山川(さんせん)の険(けわ)しきあるを知らず、口(くち)に順(したが)いて回奏(かいそう)し、「ただ三年(さんねん)を消(き)やすのみ、必ず経を取りて国(くに)に回(かえ)るべし」と申(もう)し上げたり。別(わか)れてより、今すでに七、八箇年頭(ねんとう=年)なるに、いまだ仏(ほとけ)の面(おもて)を見(み)ず。欽限(きんげん=勅命の期限)に違(たが)わんことを恐(おそ)れ、また怕(おそ)るるはこれ妖魔(ようま)の凶狠(きょうこん=凶暴)なるなり。これ焦虑(こうりょ=悩み)する所以(ゆえん)なり。今日(こんにち)縁(えん)ありて潭府(たんぷ=お宅)に寓(やど)るを得、昨夜(さくや)愚徒(ぐと)らが略(ほぼ)小惠(しょうけい)を施(ほどこ)して報答(ほうとう)せしは、実(げ)に一隻(ひとそう)の船(ふね)を求(もと)めて河(かわ)を渡(わた)らんことを指望(しぼう)せるなり。期(き)せずや天(てん)大雪(たいせつ)を降(くだ)し、道路(どうろ)迷漫(めいまん)として、いつごろか才(ようや)く功(こう)を成(な)して故土(こど=故郷)に回(かえ)るを得んや!」と。

陳老言う、「老爺、放心あれ。正(まさ)に多(おお)きの日子(ひにち=日々)を過(す)ごしたるに、いずくんぞこの幾日(いくにち)に在(あ)らんや。且(しばら)く天の晴(は)れ、冰(こおり)の化(と)くるを待て。老拙(ろうせつ)家(いえ)を傾(かたむ)け産(さん)を費(ついや)して、必(かなら)ず処置(しょち)して老爺を送り河(かわ)を過(わた)らしめん」と。ただ見よ、一僮(ひとりのこもの)また早斎(そうさい=朝食)に請(しょう)じ入(い)る。庁(ひろま)の上に到(いた)りて食(くら)い畢(おわ)り、叙(じょ=語らい)すること多からざるに、また午斎(ごさい=昼食)の相継(あいつ)いで進(すす)む。三蔵、品物(ひんぶつ)の豊盛(ほうせい)なるを見、再四(かさねがさね)安(やす)んぜずして言う、「既に見留(けんりゅう=お引き留め)を蒙(こうむ)れば、ただ家常(かじょう=普段の食事)を以て相待(あいま)つべきのみ」と。陳老言う、「老爺、替祭救命(だいさいきゅうめい=身代わりに供えられ命を救われし)の恩を感蒙(かんもう)せり。逐日(ひび)筵(えん)を設(もう)けて奉款(ほうかん=もてなし)すると雖(いえど)も、また酬(むく)い難(がた)く謝(しゃ)し難(がた)し」と。

この後(のち)大雪(たいせつ)ようやく住(や)み、すなわち人の行(ゆ)くあり。陳老、三蔵の快(こころよ)からざるを見、また花園(かえん)を掃除(そうじ)し、大盆(だいぼん)に火(ひ)を架(か)け、請(しょう)じて雪洞(せつどう=雪見の部屋)の裡(うち)に往(ゆ)きて閑耍(かんしゃ=のんびり遊び)散悶(さんもん=気晴らし)せしむ。八戒笑って言う、「あの老爺(ろうや)は忒(あん)まりに算計(さんけい)無し!春(はる)二、三月(にさんがつ)こそ好(よ)く花園(かえん)を賞(め)ずるなれ、このごとき大雪(たいせつ)にまた寒(さむ)きに、何(なに)をか賞玩(しょうがん)せん!」と。行者言う、
「呆子(あほう)め、事(こと)を知らぬか!雪景(せっけい)は自然(じねん)に幽静(ゆうせい)なり。一則(ひとつ)には遊賞(ゆうしょう)し、二来(ふたつ)には師父と与(とも)に懐(こころ)を寛(ひろ)うするなり」
と。陳老言う、「正(まさ)に然(しか)り、正に然り」と。遂(つい)にここに邀(しょう)じて園(その)に到(いた)る。ただ見よ、
景(けい)は三秋(さんしゅう=晩秋)に値(あた)り、風光(ふうこう)は臘(ろう=冬)の如(ごと)し。
蒼松(そうしょう)は玉蕊(ぎょくずい)を結(むす)び、衰柳(すいりゅう)は銀花(ぎんか)を掛(か)く。
階下(かいか)の玉苔(ぎょくたい)は粉屑(ふんせつ)を堆(うずたか)くし、窗前(そうぜん)の翠竹(すいちく)は瓊芽(けいが=玉の芽)を吐(は)く。
巧石(こうせき=奇石)の山頭(さんとう)、養魚(ようぎょ)の池内(ちない)。
巧石の山頭には、削削尖峰(さくさくせんぽう=けずりたてし峰)玉筍(ぎょくじゅん)を排(なら)べ、
養魚の池内には、清清(せいせい)たる活水(かっすい)冰盤(ひょうばん)と作(な)る。
岸(きし)に臨(のぞ)む芙蓉(ふよう)は嬌色(きょうしょく)浅(あさ)く、崖(がけ)に傍(そ)う木槿(もくきん)は嫩枝(どんし)を垂(た)る。
秋海棠(しゅうかいどう)は、全(まった)く圧倒(あっとう)せられ、臘梅樹(ろうばいじゅ)は、聊(いささ)か新枝(しんし)を発(はっ)す。
牡丹亭(ぼたんてい)・海榴亭(かいりゅうてい)・丹桂亭(たんけいてい)、亭亭(ていてい)尽(ことごと)く鵝毛(がもう)の堆積(たいせき)、
放懐処(ほうかいしょ)・款客処(かんかくしょ)・遣興処(けんきょうしょ)、処処(しょしょ)みな蝶翅(ちょうし)の鋪漫(ほまん)。
両籬(りょうり)の黄菊(こうきく)は玉綃金(ぎょくしょうきん)、幾樹(いくじゅ)の丹楓(たんぷう)は紅(あか)に白(しろ)を間(まじ)う。
無数の閑庭(かんてい)は冷(つめた)くして到(いた)り難(がた)く、且(しばら)く雪洞(せつどう)の冷(つめた)きこと冰(こおり)の如(ごと)きを観(み)よ。
あの裡(うち)に一箇の獣面象足(じゅうめんぞうそく)の銅火盆(どうかぼん)を放(お)き、熱烘烘(ねつこうこう)と炭火(たんか)の才(いま)しがた生(おこ)されたり。
あの上下(じょうげ)に幾張(いくつ)かの虎皮(こひ)を搭苫(とうせん=覆い)せる漆(うるし)の交椅(こうい=椅子)あり、軟温温(なんおんおん)と紙窗(しそう)に鋪設(ふせつ)せり。
四壁(しへき)の上に幾軸(いくじく)かの名公(めいこう)の古画(こが)を掛(か)く。すなわちこれ
七賢過関(しちけんかかん)、寒江独釣(かんこうどくちょう)、迭嶂層巒(じょうしょうそうらん)雪景(せっけい)を団(まろ)び、
蘇武餐氈(そぶさんせん)、折梅逢使(せつばいほうし)、瓊林玉樹(けいりんぎょくじゅ)寒文(かんぶん)を写(うつ)す。
説(つ)き尽(つく)さず、あの家(いえ)水亭(すいてい)に近(ちか)ければ魚(うお)の買(か)い易(やす)く、雪(ゆき)山径(さんけい)を迷(まよ)わせれば酒(さけ)の沽(か)い難(がた)きを。
真箇(まこと)に容膝(ようしつ=膝を容るるばかり)の処(ところ)に堪(た)うべく、算(かぞ)え来(きた)れば何(なん)ぞ蓬壺(ほうこ=仙境)を訪(たず)ねるを用(もち)いんや?
と。

衆人(ひとびと)観玩(かんがん)すること良(やや)久(ひさ)しく、すなわち雪洞(せつどう)の裡(うち)に於(お)いて坐下(ざげ)し、鄰叟(りんそう=隣の老人)に向(むか)いて経を取るの事(こと)を道(かた)り、また香茶(こうちゃ)を捧(ささ)げて飲(の)み畢(おわ)る。陳老問う、「列位(れつい=皆さま)の老爺、酒(さけ)を飲(の)みたもうや否や」と。三蔵言う、「貧僧(ひんそう)は飲(の)まず、小徒(しょうと)らは略(ほぼ)幾杯(いくはい)かの素酒(そしゅ=精進酒)を飲(の)まん」と。陳老大いに喜び、すなわち命じて言う、「素果品(そかひん)を取り、酒(さけ)を燉暖(とんたん=温め)し、列位の寒(かん)を湯(ゆる)め(=寒気を和らげ)奉(たてまつ)れ」と。かの僮僕(どうぼく)すなわち桌(つくえ)を抬(かつ)ぎ炉(ろ)を囲(かこ)み、二人の鄰叟(りんそう)と各(おのおの)幾杯(いくはい)か飲(の)み、家火(かか=食器)を収(おさ)めたり。

覚(おぼ)えず天色(てんしょく)の将(まさ)に晩(く)れんとするとき、また仍(な)お庁(ひろま)の上に請(しょう)じて晩斎(ばんさい)す。ただ街(まち)の上の行人(ぎょうじん)のみな言うを聴く、「好(よ)き寒天(かんてん=寒い日和)かな!通天河(つうてんが)を凍(こお)らせ住(とど)めたり!」と。三蔵これを聞きて言う、「悟空、河(かわ)の凍(こお)り住(とど)めては、我らはいかんせん」と。陳老言う、「乍寒乍冷(さかんされい=急に寒くなり)たれば、想(おも)うに近(ちか)き河辺(かへん)の浅水処(せんすいしょ)の凍結(とうけつ)ならん」と。かの行人(ぎょうじん)言う、「八百里(はっぴゃくり)をみな凍(こお)らせて鏡面(きょうめん)の一般(ごと)くにし、路(みち)の口(くち)に人の走(ゆ)くあり!」と。

三蔵、人の走(ゆ)くと聴きて、すなわち往(ゆ)きて視(み)んと欲す。陳老言う、「老爺、忙(いそ)ぐな。今日(こんにち)は晩(おそ)し、明日(みょうにち)往きて視よ」と。遂(つい)にここに鄰叟(りんそう)に別(わか)れ、また晩斎(ばんさい)し畢(おわ)り、依然(もとのごと)く廂房(しょうぼう)に歇(やす)む。

次日(じつ)天(てん)の暁(あ)くるに及(いた)り、八戒起(お)きて言う、「師兄(しい)、今夜(こんや)は更(さら)に寒(さむ)し、想(おも)うに必(かなら)ずや河(かわ)も凍(こお)り住(とど)めたるならん」と。三蔵、門(もん)に迎(むか)いて天(てん)に朝(むか)いて礼拜(らいはい)して言う、「衆位(しゅい)の護教大神(ごきょうだいじん)、弟子(でし)一向(ひたすら)西(にし)より来(きた)り、虔心(けんしん)に仏(ほとけ)を拝(おが)み、苦(くるし)みて山川(さんせん)を歴(へ)たるに、更(さら)に一声(ひとこえ)の報怨(ほうえん=不平)も無し。今此(ここ)に至(いた)り、皇天(こうてん)の祐助(ゆうじょ)を感得(かんとく)し、河水(かすい)を結凍(けっとう)せしむ。弟子空心(うつろなるこころ)をもて権(かり)に謝(しゃ)し奉る。経を取り回(かえ)るを得(う)れば、唐皇(とうおう)に奏上(そうじょう)し、誠(まこと)を竭(つ)くして酬答(しゅうとう)せん」と。礼拜(らいはい)し畢(おわ)り、遂(つい)に悟浄(ごじょう)に馬を背負(お)わせ、冰(こおり)に趁(じゅん)じて河(かわ)を過(わた)らんとす。

陳老また言う、「忙(いそ)ぐな、幾日(いくにち)かを待ちて雪(ゆき)融(と)け冰(こおり)解(と)かば、老拙(ろうせつ)ここに船(ふね)を弁(もう)けて相送(あいおく)らん」と。沙僧言う、「すなわち往(ゆ)くも話(はなし)ならず、また住(とどま)るも話ならず。口説(こうせつ)は憑(よりどころ)無く、耳(みみ)に聞くは眼(め)に見るに如(し)かず。我、馬を背負(お)いたり。且(しばら)く師父を請(しょう)じて親(みずか)ら往(ゆ)きて視(み)しめよ」と。陳老言う、「いうところ理(ことわり)あり」と。教えて言う、「小(こもの)ら、疾(と)く往(ゆ)きて我らが六匹(ろっぴき)の馬(うま)を背(お)い来(きた)れ!かつ唐僧(とうそう)老爺の馬(うま)を背(お)うな」と。すなわち六人(ろくにん)の小价(しょうかい=下男)の跟随(つきしたが)い、一行(いっこう)の人(ひと)、径(ただち)に河辺(かへん)へ往(ゆ)きて来(み)る。

真箇(まこと)にこれ、
雪(ゆき)は積(つ)みて山(やま)の聳(そび)ゆるが如(ごと)く、雲(くも)は収(おさ)まりて暁(あかつき)を破(やぶ)りて晴(は)る。
寒(かん)は楚塞(そさい)を凝(こおら)せて千峰(せんぽう)瘦(や)せ、冰(こおり)は江湖(こうこ)を結(むす)びて一片(いっぺん)平(たいら)かなり。
朔風(さくふう)凛凛(りんりん)、滑凍(かつとう)棱棱(りょうりょう)。
池魚(ちぎょ)は密藻(みっそう)に偎(よりそ)い、野鳥(やちょう)は枯槎(こさ=枯れ木)を恋(こい)す。
塞外(さいがい)の征夫(せいふ)は俱(みな)指(ゆび)を墜(おと)し、江頭(こうとう)の梢子(しょうし=船頭)は乱(みだ)りに牙(は)を敲(たた)く。
蛇腹(だふく)を裂(さ)き、鳥足(ちょうそく)を断(た)つ、果たして冰山(ひょうざん)千百尺(せんびゃくしゃく)。
万壑(ばんがく)に冷(つめた)く銀(ぎん)を浮(うか)べ、一川(いっせん)に寒(かん)く玉(ぎょく)を浸(ひた)す。
東方(とうほう)に自(おのずか)ら僵蚕(きょうさん)の出(い)づるを信じ、北地(ほくち)に果たして鼠窟(そくつ)の有るあり。
王祥(おうしょう)臥(ふ)し、光武(こうぶ)渡(わた)る、一夜(いちや)の渓橋(けいきょう)底(そこ)より連(つら)なりて固(かた)し。
曲沼(きょくしょう)は棱層(りょうそう=氷柱)を結(むす)び、深淵(しんえん)は重迭(ちょうじょう)に沍(こお)る。
通天(つうてん)の闊水(かつすい)更(さら)に波(なみ)無く、皎潔(こうけつ)たる冰(こおり)漫(み)ちて陸路(りくろ)の如(ごと)し。
と。

三蔵と一行(いっこう)の人、河辺(かへん)に到(いた)り、馬を勒(ひきとど)めて観看(みわた)せば、真箇(まこと)にあの路(みち)の口(くち)の上(うえ)に人の行走(ある)くあり。三蔵問うて言う、「施主(せしゅ)、あの人ら冰(こおり)に上(のぼ)りて何処(いずこ)へ往(ゆ)くか」と。陳老言う、「河(かわ)の彼方(かなた)はすなわち西梁女国(せいりょうにょこく)なり。この起(た)ちの人(ひと)らはみな売買(ばいばい=商い)をなす者なり。我がこの方(ほう)の百銭(ひゃくせん)の物(もの)、彼方(かなた)に到(いた)れば万銭(まんせん)に値(あたい)すべく、彼方(かなた)の百銭の物もまたこの方に到れば万銭に値すべし。利(り)重(おも)く本(もと)軽(かる)し。これ人の生死(しょうし)を顧(かえり)みずして往(ゆ)く所以(ゆえん)なり。常年(つね)は家(いえ)に五、七人一船(ごしちにんいっせん)、また十数人(じゅうすうにん)一船(いっせん)にて、飄洋(ひょうよう=海を漂い)して過(わた)れり。見如今(いま)河道(かどう)の凍(こお)り住(とど)むるをもて、故(ゆえ)に命(いのち)を捨(す)てて步行(ほこう)するなり」と。

三蔵言う、「世間(せけん)の事(こと)はただ名利(みょうり)を最(もっと)も重(おも)しと為(な)す。彼の利(り)を為(な)す者(もの)の、死(し)を捨(す)て生(せい)を忘(わす)るるがごときは、我が弟子(でし)の旨(むね)を奉じて忠(ちゅう)を全(まっと)うするも、またただ名(な)を為(な)するのみ。彼と能(よ)く幾何(いくばく)か差(たが)わんや!」と。教えて言う、「悟空、疾(と)く施主(せしゅ)の家(いえ)に回(もど)り、行囊(こうのう=荷物)を收拾(しゅうしゅう)し、馬匹(ばひつ)を叩背(こうばい=鞍を置き)し、この層氷(そうひょう)に趁(じゅん)じ、早(はや)く西方(せいほう)へ奔(はし)れ」と。行者、笑吟吟(にこにこ)として答(こた)う。

沙僧言う、「師父や、常言(ことわざ)に云う、『千日(せんにち)に千升(せんしょう)の米(こめ)を食(くら)う』と。今すでに陳府上(ちんふじょう=陳家)に托頼(たくらい=お世話)しおるに、且(しばら)くまた幾日(いくにち)か住(とど)まり、天の晴(は)れ冰(こおり)の化(と)くるを待ち、船(ふね)を弁(もう)けて過(わた)らんに、忙(いそ)ぎの中(うち)には恐(おそ)らくは錯(あやま)ちの有(あ)らん」と。三蔵言う、「悟浄(ごじょう)、いかにしてこのごとき愚見(ぐけん)を抱(いだ)くか!もしこれ正(しょう)・二月(にがつ)ならば、一日(いちじつ)ごとに暖(あたた)かさを増(ま)し、凍(こおり)の解(と)くるを待(ま)つべし。この時(とき)はすなわち八月(はちがつ)、一日ごとに冷(つめた)さを増(ま)すに、いかでか便(すなわ)ち凍(こおり)の解(と)くるを望(のぞ)み得(え)ん!しかもまた半載(はんさい=半年)の行程(こうてい)を誤(あやま)らずや」と。

八戒、馬(うま)より跳(と)び下(お)りて言う、「汝ら且(しばら)く閑口(かんこう=無駄口)を講(こう)ずるな。老豬(ろうちょ=おれ)をして試(こころ)みにいかほどの厚薄(あつさうすさ)あるかを視(み)しめよ」と。

行者言う、「呆子(あほう)め、前夜(ぜんや)水(みず)を試(こころ)みしには、能(よ)く石(いし)を抛(なげ)るべきなりしが、如今(いま)は冰(こおり)凍(こお)りて重(かさ)ねて漫(み)てり、いかにしてか試み得ん」と。八戒言う、「師兄(しい)は知らぬ。我に釘鈀(ていは)を挙(あ)げて彼(かれ)を一下(ひとつき)筑(つ)かしめよ。もし筑(つ)き破(やぶ)らば、すなわち冰(こおり)の薄(うす)きなり、且(しばら)く敢えて行(ゆ)かず。もし筑(つ)き動(うご)かさずんば、すなわち冰(こおり)の厚(あつ)きなり、いかでか行(ゆ)かざらん」と。三蔵言う、
「正(まさ)に然(しか)り、いうところ理(ことわり)あり」
と。かの呆子(あほう)、衣(ころも)を撩(まく)り步(あゆみ)を引(ひ)き、河辺(かへん)に走上(のぼ)り、両手(りょうて)に鈀(ていは)を挙(あ)げ、力(ちから)の限(かぎ)り一筑(ひとつき)。ただ撲(ぽく)と一声(ひとこえ)の響(ひび)き、九箇(ここのつ)の白迹(はくせき=白い跡)を筑(つ)きしかど、手(て)もまた振(しび)れて疼(いた)む。呆子(あほう)笑って言う、「往(ゆ)くべし!往くべし!底(そこ)まで連(つら)なりて錮(こおりつ)き住(とど)めたり!」と。

三蔵これを聞き、十分(じゅうぶん)に歓喜し、衆(ひとびと)と同(とも)に陳家(ちんか)に回(もど)り、ただ收拾(しゅうしゅう)して走路(そうろ=出立)を命(めい)ず。かの二人の老者(ろうじゃ)苦(くるし)みて留(とど)むるも住(とど)めず、ただ些(いささ)かの干粮(かんりょう=乾し糧)・烘炒(こうしょう=炒り物)を安排(もう)け、些(いささ)かの焼餅(しょうへい=焼き餅)・饃饃(まんとう)を作(つく)りて相送(あいおく)る。

一家子(いっけ)頭(こうべ)を磕(う)ち礼拜(らいはい)し、また一盤子(ひとさら)の散碎(さんさい=小銭)の金銀(きんぎん)を捧(ささ)げ出(いだ)し、面前(まえ)に跪(ひざまず)いて言う、「多く老爺(ろうや)の子(こ)を活(いか)しし恩(おん)を蒙(こうむ)る。聊(いささ)か途中(とちゅう)一飯(いっぱん)の敬(けい)を表(あらわ)さん」と。三蔵、手を擺(ふ)り頭を揺(ゆ)り、ただ受(う)けずして言う、「貧僧(ひんそう)出家人(しゅっけにん)に財帛(ざいはく=金品)何(なん)の用(よう)かあらん。途中(とちゅう)にもまた敢えて取出(とりだ)さず。ただ斎(とき)を化(か)して日(ひ)を度(わた)るを以て正事(しょうじ)と為(な)す。干粮(かんりょう)を収(おさ)むればすなわち足(た)れり」と。

二老(ふたりのろうじゃ)また再三(さいさん)央求(おうぐ=懇願)す。行者、指先(ゆびさき)を用(もち)いて一小塊(ひとかけら)を捻(つま)み、約(およそ)四、五銭(ごせん)の重(おも)さあり、唐僧(とうそう)に遞(わた)して言う、「師父、ただ些(いささ)かの襯銭(しんせん=布施)と当(あ)てさせたまえ。二老(ふたり)の意(こころ)を空(むな)しく負(そこな)わしめたもうな」と。遂(つい)にここに相向(あいむか)いて別(わか)れ、径(ただち)に河辺(かへん)の冰(こおり)の上に至(いた)る。かの馬蹄(ばてい=馬のひづめ)滑(すべ)ること一下(ひとつ)して、危(あや)うく三蔵を馬より跌(お)とし下(おろ)さんとす。沙僧言う、「師父、行(ゆ)き難(がた)し!」と。

八戒言う、「且(しばら)く住(とど)まれ!陳老官(ちんろうかん=陳のじいさま)に問うて一束(ひとたば)の稻草(どうそう=藁)を討(こ)い、我が用(よう)に供(そな)えん」と。行者言う、「稻草(どうそう)を要(もと)むるは何(なん)の用(よう)ぞ」と。八戒言う、「汝はいずくんぞこれを知らん。稻草(どうそう)を要(もち)いて馬蹄(ばてい)を包(つつ)まばこそ方(はじ)めて滑(すべ)らず、師父の跌(お)ち下(おろ)さるるを免(まぬが)れしむるなり」と。陳老、岸(きし)の上(うえ)に在りてこれを聞き、急ぎ人家(じんか=家の者)に命じて一束(ひとたば)の稻草(どうそう)を取(と)らしめ、かつ唐僧を請(しょう)じて岸に上(のぼ)り馬(うま)を下(お)りしむ。八戒、草(わら)を将(も)ちて馬足(ばそく=馬の足)を包裹(ほうか=包み)し、然(しか)る後(のち)冰(こおり)を踏(ふ)みて行(ゆ)く。

陳老(ちんろう)に別(わか)れ河辺(かへん)を離(はな)れ、行(ゆ)くこと三、四里(り)の遠近(おちこち)なるに、八戒、九環錫杖(きゅうかんしゃくじょう)を把(と)りて唐僧(とうそう)に遞(わた)して言う、「師父、汝これを馬上(ばじょう)に横(よこた)えたまえ」と。行者言う、「この呆子(あほう)め、奸詐(かんさ=ずるい)かな!錫杖(しゃくじょう)は元来(もと)汝が挑(にな)うものなるに、いかにしてまた師父に拿(も)たしむるか」と。八戒言う、「汝はかつて冰凌(ひょうりょう=氷の上)を走(ある)きしこと無ければ、暁(さと)らぬなり。凡(およ)そ冰凍(ひょうとう)の上には、必(かなら)ず凌眼(りょうがん=氷の穴)あり。もしや凌眼(りょうがん)を躙(ふ)みて、脱(ぬ)け将(も)ちて下(お)り往(ゆ)かば、もし横担(おうたん=横に担ぐ)の物(もの)無(な)からんには、骨都(こつと)と水(みず)に落(お)ち、すなわち一箇の大鍋蓋(だいかがい=大鍋の蓋)の盖(おお)い住(とど)むるが如(ごと)く、いかでか潜(もぐ)り上(あが)り来(きた)るを得ん!
須(かなら)ずこのごとく架(か)し住(とど)めてこそ方(はじ)めて可(よ)し」
と。行者、暗(ひそ)かに笑って言う、「この呆子(あほう)め、かえってこれ一人の積年(つみねん=古参)の冰(こおり)を走(ある)く者(もの)じゃ!」と。果たしてみな彼に依(よ)れり。長老(ちょうろう)は錫杖(しゃくじょう)を横(よこた)えに担(にな)い、行者は鉄棒(てつぼう)を横に担い、沙僧は降妖宝杖(ごうようほうじょう)を横に担い、八戒は肩(かた)に行李(こうり)を挑(にな)い、腰(こし)に釘鈀(ていは)を横(よこた)えて、師徒(してい)ら放心(ほうしん)して前進(ぜんしん)す。

この一(ひと)すじに天の晩(く)るるまで行(ゆ)き、些(いささ)かの干粮(かんりょう)を食(くら)い、また敢えて久(ひさ)しく停(とど)まらず、星月(せいげつ)の光華(こうか)に対(むか)い、冰凍(ひょうとう)の上の亮灼灼(りょうしゃくしゃく=きらきら)、白茫茫(はくぼうぼう=白一色)なるを観(み)て、ただ情(まま)に奔走(ほんそう)す。果たしてこれ
馬(うま)蹄(ひづめ)を停(とど)めず
と。師徒ら眼(まなこ)を合(あわ)する能(あた)わず、一夜(いちや)を走(ある)き通(とお)したり。天明(てんめい)にまた些(いささ)かの干粮(かんりょう)を食(くら)い、西(にし)を望(のぞ)みてまた進(すす)む。

正(まさ)に行(ゆ)く時(とき)、ただ冰(こおり)の底(そこ)より撲喇喇(ぼつらつら)と一声(ひとこえ)の響喨(きょうりょう=高らかな音)の聞こゆるを、危(あや)うく白馬(はくば)を唸(おど)し倒(たお)さんとす。三蔵大いに驚いて言う、「弟子や!いかにしてこのごとき響喨(ひびき)ぞ」と。八戒言う、「この河(かわ)は忒(あん)まりにもまた凍(こお)りて結(けっ)し実(じつ)したり。地凌(じりょう=地の氷)の響(ひび)けるなり。またこれ半(なかば)の中間(ちゅうかん)の底(そこ)まで連(つら)なりて通(つう)じて錮(こおりつ)き住(とど)めたるならん」と。三蔵これを聞き、また驚(おどろ)きまた喜(よろこ)び、馬を策(むちう)って前進(ぜんしん)し、趱行(さんこう=急ぎ行く)す。これ語(かた)らず。

さて、かの妖邪(ようじゃ)、水府(すいふ)に回帰(かいき)してより、衆精(しゅうせい=配下の精)を引(ひ)きて冰(こおり)の下(した)に在り。等候(まつ)こと多時(しばらく)なるに、ただ馬蹄(ばてい)の響(ひび)く処(ところ)を聴くや、彼は底(そこ)に在りて一箇の神通(じんずう)を弄(ろう)し、滑喇(かつらつ)と冰凍(ひょうとう)を迸(ほとばし)り開(ひら)く。慌てたるかな孫大聖(そんたいせい)、空中に跳(と)び上(あ)がるより早(はや)く、かの白馬(はくば)を水内(すいない)に落(おと)し、三人(さんにん)尽(ことごと)く皆(みな)脱(ぬ)け下(お)りたり。かの妖邪(ようじゃ)、三蔵(さんぞう)を捉(とら)え、群精(ぐんせい)を引(ひ)きて径(ただち)に水府(すいふ)に回(もど)り、声(こえ)を厲(はげ)しくして高叫(たかよばわ)りす、「鰍妹(けつまい)何処(いずこ)に在(あ)るか」と。

老鰍婆(ろうけつば)、門に迎(むか)えて礼(れい)を施(ほどこ)して言う、「大王、敢(あ)えて、敢えて!」と。妖邪(ようじゃ)言う、「賢妹(けんまい)、何(なん)とてこの言(ことば)を出(いだ)すか!一言既(すで)に出(い)づれば、駟馬(しば=四頭立ての馬)も追(お)い難(がた)し。原(もと)説(い)えり、汝が計(けい)に従(したが)いて唐僧(とうそう)を捉(とら)えなば、汝と与(とも)に拝(はい)して兄妹(けいまい)と為(な)らんと。今日(こんにち)果たして妙計(みょうけい)を成(な)し、唐僧(とうそう)を捉(とら)えたり。すなわち好(よ)く前言(ぜんげん)の味(み=趣旨)を了(おえ)たるか」と。

教えて言う、「小(こもの)ら、案桌(あんたく=膳)を抬(かつ)ぎ過(よ)ぎ、刀(かたな)を磨(と)ぎ快(するど)くし来(きた)れ。この和尚(おしょう)を将(も)ちて腹を剖(さ)き心を剜(えぐ)り、皮を剥(は)ぎ肉を剮(きざ)み、一壁廂(いっぺきしょう=一方)には楽器(がっき)を響動(きょうどう=鳴り響か)せ、賢妹(けんまい)と共(とも)にこれを食(くら)い、寿(じゅ)を延(の)べ長生(ちょうせい)せん」と。

鰍婆(けつば)言う、「大王、且(しばら)く彼を食(くら)うを休(や)めたまえ。恐(おそ)らくは彼が徒弟(でし)らの尋(たず)ね来(きた)りて吵鬧(そうどう=騒ぎ)せんことを。且(しばら)く両日(りょうじつ)を寧耐(ねいたい=静かに待)ち、あの者(もの)の尋(たず)ね来(きた)らざるを譲(ゆず)り、然(しか)る後(のち)剖(さ)き開(ひら)き、大王を請(しょう)じて上坐(じょうざ)せしめ、衆の眷族(けんぞく)環列(かんれつ=めぐり並)び、吹弾歌舞(すいだんかぶ)して大王に奉上(ほうじょう)し、従容(しょうよう=ゆったり)自(みずか)ら在(あるがまま)に享用(きょうよう)したまわば、却(かえ)って好(よ)からずや」と。かの怪(かい)、言に依(よ)り、唐僧(とうそう)を宮後(きゅうご)に蔵(かく)し、一箇の六尺(ろくしゃく)の長(なが)さの石匣(せきこう=石の箱)を使(もち)いて、中(なか)に盖(おお)い込(い)る。これ語(かた)らず。

さて、八戒・沙僧、水(みず)の裡(うち)に在りて行囊(こうのう)を撈(すく)い上(あ)げ、白馬(はくば)の身(み)の上に放(お)きて駄(にな)わせ、水路(すいろ)を分(わか)ち、浪(なみ)を涌(わ)かし波(なみ)を翻(ひるがえ)し、水(みず)を負(お)うて出(い)づるを、ただ見よ、行者、半空(はんくう)に在りてこれを見て、問うて言う、
「師父(しふ)は何処(いずこ)に在(あ)るか」
と。八戒言う、「師父(しふ)は陳(ちん)と姓(せい)し、名(な)を到底(とうてい=底まで)と改(あらた)めたり。如今(いま)尋(たず)ぬる処(ところ)無し、且(しばら)く岸(きし)に上(のぼ)りてまた区処(くしょ=処置)をなさん」と。

元来(もと)八戒は本(もと)天蓬元帥(てんぽうげんすい)の臨凡(りんぽん=下界に降りし)にして、彼が当年(むかし)天河(てんが)の八万(はちまん)の水兵(すいへい)大衆(だいしゅ)を掌管(しょうかん)せしにより、沙和尚(さおしょう)は流沙河(るさが)の内(うち)の出身(しゅっしん)、白馬(はくば)は本(もと)西海(せいかい)の龍孫(りゅうそん)なり。これ水性(すいしょう=水の性)を能(よ)く知(し)る所以(ゆえん)なり。大聖(たいせい)、空中に在りて指引(しいん=導)し、須臾(しばらく)にして東崖(とうがい=東の岸)に回(めぐ)り転(てん)じ、馬匹(ばひつ)を晒刷(さいさつ=乾かし磨き)し、衣裳(いしょう)を靦掠(めんりゃく=乾かし整え)し、大聖(たいせい)雲頭(うんとう)を按(お)ろし落(おろ)し、一同(いちどう)に陳家荘(ちんかそう)の上(うえ)に到(いた)る。

早(はや)くに人(ひと)の二老(ふたりのろうじゃ)に報(しら)せて言う、「四箇(よったり)の経を取る老爺(ろうや)の、如今(いま)ただ三箇(みったり)を残(のこ)して来(きた)れり」と。兄弟(きょうだい)すなわち忙(いそ)ぎ門外(もんがい)に接(むか)え出(いだ)し、果たして衣裳(いしょう)のなお湿(ぬ)れるを見て言う、「老爺(ろうや)ら、我らかのごとく苦(くるし)みて留(とど)めしに、却(かえ)って肯(がえん)じて住(とど)まらず、ただこの様(さま)にしてこそ方(はじ)めて罷(や)まんとせしか。いかにして三蔵(さんぞう)老爺(ろうや)の見(み)えざるか」と。八戒言う、「三蔵(さんぞう)とは喚(よ)ばず、名(な)を改(あらた)めて陳到底(ちんとうてい)と喚(よ)ぶなり」と。

二老(ふたりのろうじゃ)、涙を垂(た)れて言う、「哀れむべし!哀れむべし!我は雪(ゆき)の融(と)くるを待(ま)ちて船(ふね)を備(そな)え相送(あいおく)らんと申(もう)せしに、堅(かた)く執(と)りて従(したが)わず、ついに性命(いのち)を喪(うしな)わしめたり!」と。行者言う、「老爺(ろうや)、古人(こじん)に替(かわ)りて憂(うれい)を耽(ふか)うな。我が師父(しふ)は彼の死(し)せず長命(ちょうめい)なるを管(つかさど)る。老孫(ろうそん)が知(し)るところ、決然(けつぜん)としてかの霊感大王(れいかんだいおう)の法(ほう)を弄(ろう)し算計(さんけい)して往(ゆ)きたるなり。汝且(しばら)く放心(ほうしん)せよ。我らと与(とも)に衣服(いふく)を漿(さら)い、関文(かんぶん)を晒(ほ)し、草料(そうりょう=飼葉)を取りて白馬(はくば)を喂(やしな)わせよ。我が弟兄(ていけい)のあの者(もの)を尋(たず)ね当(あ)て、師父(しふ)を救(すく)い出(いだ)し、索性(いっそ)草(くさ)を剪(き)り根(ね)を除(のぞ)き、汝(なんじ)が一荘(いっそう=村中)の人(ひと)に替(かわ)りて後患(こうがん)を除(のぞ)き、庶幾(こいねがわく)は永永(とこしえ)に安生(あんせい=安らか)を得(え)しめん」と。

陳老(ちんろう)これを聞き、満心(まんしん)に歓喜し、すなわち斎供(さいく=供応)を安排(もう)くるを命(めい)ず。兄弟(きょうだい)三人、飽(あ)くまで餐(くら)うこと一頓(ひとしきり)、馬匹(ばひつ)・行囊(こうのう)を陳家(ちんか)に交(わた)して看守(かんしゅ)せしめ、各(おのおの)兵器(へいき)を整(ととの)え、径(ただち)に道辺(どうへん)に赴(おもむ)きて師(し)を尋(たず)ね怪(かい)を擒(から)めんとす。

これ正(まさ)に、
誤(あやま)りて層氷(そうひょう)を踏(ふ)みて本性(ほんしょう)を傷(そこな)い、大丹(たいたん=丹薬)脱漏(だつろう)していかでか周全(しゅうぜん=完全)ならん?
と。畢竟(ひっきょう)いかにしてか唐僧(とうそう)を救(すく)い得(う)るやは、また下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)かれよ。