ホーム > 西遊記 > Dai5

005 第五回 蟠桃(ばんとう)を乱(みだ)して大聖(たいせい)丹(たん)を偸(ぬす)み 天宮(てんきゅう)に反(はん)して諸神(しょしん)怪(かい)を捉(とら)う

話(かたり)に表(あらわ)す、かの斉天大聖(せいてんたいせい)は、畢竟(ひっきょう)是(こ)れ箇(ひとり)の妖猴(ようこう=妖の猿)にして、更(さら)に官銜(かんがん=官職の名)・品従(ひんじゅう=位階)の何(なん)たるを知(し)らず、也(ま)た俸禄(ほうろく=禄)の高低(こうてい)を較(くら)べることなく、但(た)だ只だ名(な)を注(しる)さるれば便(すなわ)ち了(おわ)らしむ。かの斉天府(せいてんふ)の下(もと)の二司(にし=二つの司)の仙吏(せんり=仙の役人)、早晚(ちょうばん=朝な夕な)伏侍(ふくじ)し、只だ日(ひ)に三餐(さんさん=三度の飯)を食い、夜(よる)は一榻(いっとう=一つの床)に眠(ねむ)るを知るのみ。事(こと)の牽縈(けんえい)無く、自由自在(じゆうじざい)たり。閑(ひま)なる時節(じせつ=折)には友(とも)に会(あ)い宮(きゅう)を游(あそ)び、朋を交(まじ)えて義(ぎ)を結(むす)ぶ。三清(さんせい)に見(まみ)えば箇(ひとつ)の「老(ろう)」の字(じ)を称(しょう)し、四帝(してい)に逢えば箇の「陛下(へいか)」を道(い)う。かの九曜星(くようせい)・五方将(ごほうしょう)・二十八宿(にじゅうはっしゅく)・四大天王(してんのう)・十二元辰(じゅうにげんしん)・五方五老(ごほうごろう)・普天星相(ふてんせいそう=天の星々)・河漢群神(かかんぐんしん)与に、俱に只だ弟兄(ていけい=兄弟)を以(もっ)て相(あい)待(ま)ち、彼此(ひし=互い)称呼(しょうこ=呼び合)う。今日(こんにち)は東(ひがし)に游(ゆ)き、明日(みょうにち)は西(にし)に蕩(さまよ)い、雲(くも)去(さ)り雲来(きた)り、行踪(こうしょう=行方)定(さだ)まらず。

一日(あるひ)、玉帝(ぎょくてい)早朝(そうちょう)す。班部(はんぶ=殿上の列)の中(うち)より許旌陽真人(きょせいようしんじん)閃(ひらめ)き出でて、俯伏(ふふく=平伏)して啓奏(けいそう)して道(いわ)く、
「今(いま)斉天大聖(せいてんたいせい)有(あ)り、事(こと)無(な)きに閑游(かんゆう)、天上(てんじょう)の衆(しゅう)の星宿(せいしゅく)と交(まじ)わりを結(むす)び、高低(こうてい)を論(ろん)ぜず、俱(とも)に朋友(ほうゆう)と称(しょう)す。後(のち)に閑中(かんちゅう=閑に乗じ)事を生ぜんことを恐(おそ)る。若(も)し彼(かれ)に一箇(ひとつ)の事を与(あた)えて管(かん)せしむるに如(し)かず。庶(ねがわ)くは別(べつ)に事端(じたん=事の端)を生ずるを免(まぬか)れん」
と。玉帝(ぎょくてい)言(げん)を聞(き)き、即時(そくじ)に宣詔(せんしょう=詔を宣ぶ)す。かの猴王(こうおう)、欣欣然(きんきんぜん)として至(いた)り、道く、
「陛下(へいか)、老孫(ろうそん)を詔(め)すは、何(なん)の昇賞(しょうしょう)か有る」
と。玉帝(ぎょくてい)道く、
「朕(ちん)汝(なんじ)が身(み)閑(ひま)にして事無きを見れば、汝に件の執事(しつじ=役目)を与う。汝且(しばら)く権(かり)にかの蟠桃園(ばんとうえん)を管せよ。早晚(ちょうばん)好(よ)く意(こころ)を用(もち)いよ」
と。大聖(たいせい)歓喜(かんき)して恩(おん)を謝(しゃ)し、上(うえ)に朝(ちょう)して唱喏(しょうじゃく=唱名拝礼)して退(しりぞ)く。

彼窮忙(きゅうぼう)を待(ま)つこと能わず、即(すなわ)ち蟠桃園(ばんとうえん)の内(うち)に入(い)りて査勘(さかん=検分)す。本園(ほんえん)の中に箇(ひとり)の土地(とち=土地神)有(あ)りて攔(さえぎ)り止(とど)め、問(と)うて道(いわ)く、
「大聖(たいせい)、何(いず)れにか往(ゆ)く」
と。大聖(たいせい)道く、
「吾(われ)玉帝(ぎょくてい)の点差(てんさ=任命)を奉(ほう)じ、蟠桃園(ばんとうえん)を代(かわ)りて管(かん)す。今(いま)来(きた)りて査勘(さかん)するなり」
と。かの土地(とち)連忙(れんぼう=あわてて)施礼(せれい=礼を行い)、即ちかの一班(ひとくみ)の鋤樹力士(じょじゅりきし)・運水力士(うんすいりきし)・修桃力士(しゅうとうりきし=桃を手入れする力士)・打掃力士(だそうりきし)を呼(よ)び、都(すべ)て来りて大聖(たいせい)に見(まみ)え磕頭(かとう)せしめ、彼(かれ)を引(ひ)きて進らしむ。ただ見よ、かの

夭夭灼灼(ようようしゃくしゃく=花の盛んに咲くさま)、顆顆株株(かかしゅしゅ=実の鈴なりのさま)。

夭夭灼灼(ようようしゃくしゃく)として花(はな)樹(き)に盈(み)ち、
顆顆株株(かかしゅしゅ)として果(くだもの)枝(えだ)を圧(おさ)う。

果(くだもの)枝頭(しとう)を圧えて錦弾(きんだん=錦の弾丸)を垂(た)れ、
花樹上(じゅじょう)に盈ちて胭脂(えんじ=紅)を簇(むらが)らす。

時(とき)に開(ひら)き時に結(むす)びて千年(せんねん)に熟(じゅく)し、
夏(なつ)無(な)く冬(ふゆ)無く万載(ばんさい)に遅(おそ)し。

先(ま)ず熟せるは、酡顔(だがん=赭らむ顔)・酔臉(すいれん=酔える面)。
還だ生(なま)なるは、蒂(へた)を帯(お)ぶる青皮(せいひ=青き皮)。

烟(けむり)を凝(こ)らして肌(はだ)緑(みどり)を帯び、
日に映(うつ)じて丹姿(たんし=紅の姿)を顕(あらわ)す。

樹下(じゅか)の奇葩(きは=珍しき花)并(なら)びに異卉(いき=異しき草)、
四時(しいじ=四季)に謝(しぼ)まず色(いろ)斉斉(せいせい=揃い)たり。

左右(さゆう)の楼台(ろうだい=高楼)并びに館舎(かんしゃ=館)、
盤空(ばんくう)常(つね)に見(み)る雲霓(うんげい=虹)の罩(おお)えるを。

是れ玄都(げんと=仙人の都)の凡俗(ぼんぞく)の種(たね)に非(あら)ず、
瑶池(ようち)の王母(おうぼ)自(みずか)ら栽培(さいばい)す。

大聖(たいせい)看玩(かんがん=見て遊ぶ)すること多時(たじ=久しく)、土地(とち)に問(と)うて道(いわ)く、
「この樹(き)に多少(いくばく)の株数(しゅすう=本数)か有(あ)る」
と。土地道く、
「三千六百株(さんぜんろっぴゃくしゅ)有り。前面(ぜんめん)の一千二百株(いっせんにひゃくしゅ)は、花(はな)微(かす)かに果(くだもの)小(ちいさ)く、三千年(さんぜんねん)に一熟(いちじゅく)し、人(ひと)喰(くら)えば仙(せん)を成(な)し道(どう)を了(お)え、体(たい)健(すこや)かに身軽(かろ)し。中間(ちゅうかん)の一千二百株は、層花(そうか)・甘実(かんじつ=甘き実)、六千年(ろくせんねん)に一熟(いちじゅく)し、人喰えば霞挙(かきょ=霞に乗ず)飛昇(ひしょう=飛び昇る)、長生(ちょうせい)不老(ふろう)なり。後面(こうめん)の一千二百株は、紫紋(しもん=紫の紋)・緗核(そうかく=浅黄の核)、九千年(きゅうせんねん)に一熟(いちじゅく)し、人喰えば天地(てんち)与(とも)に寿(じゅ)を斉しくし、日月(じつげつ)与に庚(こう=年の齢)を同(おなじ)くす」
と。大聖(たいせい)言(げん)を聞き、歓喜(かんき)無任(ぶにん)。当日(とうじつ)株数(しゅすう=本数)を査明(さめい)にし、亭閣(ていかく=亭と楼閣)を点看(てんかん=見て回り)、府(ふ)に回(かえ)る。此(これ)より後(のち)、三五日(さんごにち)に一次(ひとたび)賞玩(しょうがん=観賞)し、也(ま)た友を交(まじ)えず、也た他(よそ)に游(あそ)ばず。
一日(あるひ)、かの老樹(ろうじゅ=古き樹)の枝頭(しとう=枝の先)に、桃(もも)の熟(じゅく)すること大半(たいはん)なるを見(み)るや、彼(かれ)心裏(しんり=心中)に箇(ひとつ)の新(あたら)しきを嘗(な)めんと欲(ほっ)す。奈何(いかん)せん、本園(ほんえん)の土地(とち)・力士(りきし)并(なら)びに斉天府(せいてんふ)の仙吏(せんり)の緊随(きんずい)して便(べん)ならざるを。忽(たちま)ち一計(いっけい)を設(もう)けて道(いわ)く、
「汝等(なんじら)且(しばら)く門外(もんがい)に出(い)でて伺候(しこう=待ち仕え)せよ。我(われ)をしてこの亭(てい)の上(うえ)に在(あ)りて少時(しょうじ=しばし)憩(いこ)わしめよ」
と。かの衆仙(しゅうせん)果(はた)して退(しりぞ)く。ただ見よ、かの猴王(こうおう)冠(かんむり)を脱(ぬ)ぎ服(ふく)を着(き)るや、大樹(たいじゅ)に爬(よ)じ登(のぼ)り、かの熟透(じゅくとう=熟し透る)の大桃(だいとう)を揀(えら)び、許多(あまた)を摘(つ)み、就(すなわ)ち樹枝(じゅし=枝)の上に在りて自在(じざい)に受用(じゅよう=頂戴)す。一飽(いっぽう=腹一杯)を喫(くら)いて、却(かえ)って跳(おど)り下(お)り、冠(かんむり)を簪(さ)し服を著、衆等(しゅとう)の儀従(ぎじゅう=供回り)を喚びて府(ふ)に回る。三二日(さんににち)を遅(うしな)いて、又(ま)た去(ゆ)きて法(ほう)を設けて桃(もも)を偸(ぬす)み、尽(ことごと)く他(かれ)の享用(きょうよう)とす。

一朝(あるあさ)、王母娘娘(おうぼにゃんにゃん)宴(えん)を設(もう)け、宝閣(ほうかく=宝の楼閣)を大(おお)いに開(ひら)き、瑶池(ようち)の中(うち)に「蟠桃勝会(ばんとうしょうえ)」を做(な)す。即ちかの紅衣仙女(こういせんにょ)・素衣仙女(そいせんにょ)・青衣仙女(せいいせんにょ)・皂衣仙女(そういせんにょ)・紫衣仙女(しいせんにょ)・黄衣仙女(こういせんにょ)・緑衣仙女(りょくいせんにょ)を着(つかわ)し、各(おのおの)花籃(かりん=花の籠)を頂(いただ)き、蟠桃園(ばんとうえん)に去きて桃を摘(つ)ませて会(え)を建(た)てしむ。七衣仙女(しちいせんにょ=七色の衣の仙女)直(ただ)ちに園門首(えんもんしゅ=園門の前)に至(いた)るに、ただ見よ、蟠桃園(ばんとうえん)の土地(とち)・力士(りきし)、斉天府(せいてんふ)の二司(にし)の仙吏(せんり)と同(とも)に、都(すべ)てかの処(ところ)に在(あ)りて門(もん)を把(と)る。仙女(せんにょ)近(ちか)づき前(すす)みて道(いわ)く、
「我等(われら)王母(おうぼ)の懿旨(いし=后の仰せ)を奉(ほう)じ、此(ここ)に到りて桃(もも)を携(たずさ)え宴(えん)を設(もう)く」
と。土地道く、
「仙娥(せんが=仙女)且(しばら)く住(とど)まれ。今歳(こんさい)は往年(おうねん=例年)に比(くら)ぶべからず。玉帝(ぎょくてい)点差(てんさ)して斉天大聖(せいてんたいせい)此に在りて督理(とくり=監督)せしむ。須(かなら)ず是(こ)れ大聖(たいせい)に報(し)らせて知らしむるに方(はじ)めて敢(あえ)て園(その)を開(ひら)かん」
と。仙女(せんにょ)道く、
「大聖(たいせい)何(いず)れにか在(ま)す」
と。土地道く、
「大聖(たいせい)は園内(えんない)に在せど、困倦(こんけん)に因(よ)り、自家(みずか)ら亭子(ていじ=亭)の上(うえ)に在りて睡(ねむ)れるなり」
と。仙女(せんにょ)道く、
「既(すで)に此(か)くの如(ごと)くならば、彼(かれ)を尋(たず)ねて去(ゆ)かん、遅延(ちえん=遅れる)すべからず」
と。

土地(とち)即(すなわ)ち与(とも)に同に進(すす)む。花亭(かてい=花の亭)に尋ね至(いた)るに見(み)えず、只(た)だ衣冠(いかん=衣と冠)の亭(てい)に在(あ)る有るのみにして、何れにか往けるを知らず。四下裏(しかり)都(すべ)て尋ぬる処(ところ)無(な)し。元来(もと)大聖(たいせい)は一會(ひとしきり)耍(あそ)び、幾箇(いくつ)かの桃(もも)を喫(くら)い、二寸(にすん)長(たけ)の箇(ひとり)の児(こ)に変做(へんじ=変じ)て、かの大樹(たいじゅ)の梢頭(しょうとう=こずえ)の濃葉(のうよう=茂れる葉)の下(した)に在りて睡り込みたり。七衣仙女(しちいせんにょ)道(いわ)く、
「我等(われら)旨(むね)を奉(ほう)じて前(さき)に来(きた)れど、大聖(たいせい)を尋ぬるに見えず、怎(いか)で敢(あえ)て空(むな)しく回(かえ)らん」
と。旁(かたわら)に仙吏(せんり)有りて道く、
「仙娥(せんが)既(すで)に旨を奉じて来らば、必(かなら)ずしも遅疑(ちぎ=ためらう)するに及(およ)ばず。我(わ)が大聖(たいせい)は閑游(かんゆう)に慣れたれば、想(おも)うに是れ園(その)を出(い)でて友(とも)に会いに去(ゆ)きたるならん。汝等(なんじら)且(しばら)く去きて桃を摘(つ)め。我等汝(なんじ)に替(かわ)りて回話(かいわ=返事)を為(な)さん」
と。

かの仙女(せんにょ)言(げん)に依(よ)り、樹林(じゅりん)の下に入りて桃(もも)を摘む。先(ま)ず前樹(ぜんじゅ=前の樹)に在(あ)りて二籃(にらん=二籠)を摘み、又た中樹(ちゅうじゅ=中の樹)に在りて三籃(さんらん)を摘む。後樹(こうじゅ=後の樹)の上(うえ)に到(いた)りて摘取(てきしゅ=摘み取る)に、ただ見よ、かの樹(き)の上の花果(かか)稀疏(きそ=まばら)にして、只(た)だ幾箇(いくつ)かの毛蒂(もうてい=毛ある蒂)・青皮(せいひ)の有るのみ。元来(もと)熟(じゅく)せるは都(すべ)て猴王(こうおう)の喫(くら)いたるなり。七仙女(しちせんにょ)東西(とうざい=あちこち)を張望(ちょうぼう=見廻す)するに、只だ南枝(なんし=南の枝)の上に一箇(ひとつ)の半紅半白(はんこうはんはく=半ば赤く半ば白き)の桃子(とうじ)の有るのみを見(み)る。青衣女(せいいにょ)手(て)を用(もち)いて枝(えだ)を扯(ひ)き下(おろ)し、紅衣女(こういにょ)之(これ)を摘(つ)み、却(かえ)って枝子を将(もっ)て上に向(むか)いて一放(いっぱう)。元来かの大聖(たいせい)変化(へんげ)して、正(まさ)に此(この)枝に睡(ねむ)りたるが、彼(かれ)に驚(おどろ)かされて醒(さ)む。大聖(たいせい)即(すなわ)ち本相(ほんそう=本来の姿)を現(あらわ)し、耳朶(じた=耳)の内(うち)より金箍棒(きんこぼう)を掣き出(いだ)し、幌(ゆ)るがすこと一幌(いっこう)、碗来(わんらい=茶碗ほど)の粗細(そさい=太さ)となし、咄(とつ)の一声(ひとこえ)に道(いわ)く、
「汝(なんじ)は是(こ)れ那方(いずかた)の怪物(かいぶつ)ぞ、敢(あえ)て大胆(だいたん)にも我(わ)が桃(もも)を偸(ぬす)み摘むか」
と。慌(あわ)てたるかの七仙女(しちせんにょ)一斉(いっせい)に跪(ひざまず)き下(お)りて道く、
「大聖(たいせい)怒(いかり)を息(いこ)えたまえ。我等(われら)は是れ妖怪(ようかい)に非(あら)ず、乃ち王母娘娘(おうぼにゃんにゃん)の差(つかわ)し来(きた)れる七衣仙女(しちいせんにょ)にして、仙桃(せんとう)を摘取(てきしゅ)し、宝閣(ほうかく)を大(おお)いに開(ひら)き、「蟠桃勝会(ばんとうしょうえ)」を做(な)さんとするなり。適(たまた)ま此(この)間(かん)に至(いた)り、先(ま)ず本園(ほんえん)の土地(とち)等の神(かみ)に見(まみ)えしに、大聖(たいせい)を尋(たず)ぬるに見(み)えず。我等王母(おうぼ)の懿旨(いし)に遅(おく)れんことを恐(おそ)る、是(ここ)を以(もっ)て大聖(たいせい)を待つこと得(え)ず、故(ゆえ)に先ず此に在(あ)りて桃を摘(つ)めり。万(よろず)に望(のぞ)むらくは罪(つみ)を恕(ゆる)されたい」
と。大聖(たいせい)言(げん)を聞(き)き、嗔を回(めぐ)らして喜(よろこび)を作し、道(いわ)く、
「仙娥(せんが)請(こう)う、起(た)て。王母閣(かく)を開きて宴(えん)を設(もう)くるに、請(しょう)ずるは是(こ)れ誰(たれ)ぞ」
と。仙女(せんにょ)道く、
「上会(じょうえ=上の会)自(おのずか)ら旧規(きゅうき=古き掟)有り。請ずるは是れ、西天(さいてん)の仏老(ぶつろう=仏)・菩薩(ぼさつ)・羅漢(らかん)、南方(なんぽう)の南極観音(なんきょくかんのん)、東方(とうほう)の崇恩聖帝(すうおんせいてい)、十洲三島(じっしゅうさんとう)の仙翁(せんおう)、北方(ほっぽう)の北極玄霊(ほっきょくげんれい)、中央(ちゅうおう)の黄極黄角大仙(こうきょくこうかくたいせん)、これを五方五老(ごほうごろう)と曰(い)う。還(ま)た五斗星君(ごとせいくん)有り、上八洞(じょうはっとう)の三清(さんせい)・四帝(してい)・太乙天仙(たいいつてんせん)等の衆(しゅう)、中八洞(ちゅうはっとう)の玉皇(ぎょくこう)・九塁(きゅうるい)・海岳(かいがく)の神仙(しんせん)、下八洞(げはっとう)の幽冥教主(ゆうめいきょうしゅ)・注世地仙(ちゅうせいちせん)。各宮各殿(かくきゅうかくでん)の大小(だいしょう)の尊神(そんしん)、俱(とも)に一斉(いっせい)に蟠桃嘉会(ばんとうかえ)に赴(おもむ)く」
と。大聖(たいせい)笑って道(いわ)く、
「我(われ)を請(しょう)ず可(べ)きか」
と。仙女(せんにょ)説く、
「曽(かつ)て説うを聴(き)きたること有(あ)らず」
と。大聖(たいせい)道く、
「我乃(すなわ)ち斉天大聖(せいてんたいせい)なり。就ち我(わ)が老孫(ろうそん)を請じて箇(ひとつ)の尊席(そんせき=上座)を做(な)さしむるも、何(なん)の不可(ふか)か有らん」
と。仙女(せんにょ)道く、
「此(こ)れは是れ上会(じょうえ)の会規(かいき=会の掟)なり。今会(こんかい)は如何(いか)なるかを知(し)らず」
と。大聖(たいせい)道く、
「この言(げん)も也(ま)た是(ぜ)なり、汝等(なんじら)を怪(あやし)むに難(かた)し。汝(なんじ)且(しばら)く立(た)ち下(お)りて、老孫(ろうそん)の先ず去(ゆ)きて箇の消息(しょうそく=知らせ)を打聴(だちょう=探り聞く)し、老孫(ろうそん)を請ずると請ぜざるとを見(み)んを待て」
と。

好(よ)き大聖(たいせい)かな、訣(けつ=印)を捻(ねん)じ、声(こえ)の呪語(じゅご=呪文)を念じ、衆仙女(しゅせんにょ)に向(むか)って道(いわ)く、
「住(とど)まれ!住まれ!住まれ!」
と。これ元来(もと)是れ箇の定身法(じょうしんぽう)にして、かの七衣仙女(しちいせんにょ)を一箇一箇(めいめい)睖睖睜睜(りょうりょうせいせい=目を剥きぼんやり)とし、眼(め)を白(しろ)くし、都(すべ)て桃樹(とうじゅ)の下(した)に立たしむ。
大聖(たいせい)朶(ひとひら)の祥雲(しょううん=瑞雲)を縱(はな)ち、園内(えんない)を跳(と)び出(い)で、竟(つい)に瑶池(ようち)の路(みち)の上(うえ)に奔(はし)りて去く。正(まさ)に行く時(とき)、ただ見よ、かの壁廂(へきしょう=向こう側)に

一天(いってん)の瑞靄(ずいあい=瑞しき雲)光(ひかり)揺曳(ようえい=たなびく)、
五色(ごしき)の祥雲(しょううん)飛びて絶(た)えず。

白鶴(はっかく)声を鳴(な)して九皋(きゅうこう=九つの沢)に振(ふる)い、
紫芝(しし=紫の霊芝)色(いろ)秀(ひい)でて千葉(せんよう)を分(わか)つ。

中間(ちゅうかん)に一尊(いっそん)の仙(せん)を現(あらわ)す、
相貌(そうぼう=顔かたち)天然(てんねん)にして丰采(ほうさい=風采)別(こと)なり。

神(しん)は虹霓(こうげい=虹)を舞(ま)わせて漢霄(かんしょう=天の空)を幌(ゆるが)し、
腰(こし)に宝籙(ほうろく=仙の札)を懸(か)けて生滅(しょうめつ)無し。

名称(みょうしょう)は赤脚大羅仙(せききゃくだいらせん)、
特に蟠桃(ばんとう)に赴(おもむ)きて寿節(じゅせつ=寿の祝)を添(そ)う。

かの赤脚大仙(せききゃくだいせん)、覿面(てきめん)に大聖(たいせい)と撞見(であ)う。大聖(たいせい)頭(こうべ)を低れて計(けい)を定(さだ)め、真仙(しんせん)を賺哄(たぶらか)さんとす。彼(かれ)は暗(ひそ)かに去(ゆ)きて会(え)に赴かんと欲(ほっ)し、却(かえ)って問(と)うて、
「老道(ろうどう)何(いず)れにか往く」
と。大仙(たいせん)道(いわ)く、
「王母(おうぼ)の見招(けんしょう=招き)を蒙(こうむ)り、蟠桃嘉会(ばんとうかえ)に赴かんと去くなり」
と。大聖(たいせい)道く、
「老道(ろうどう)は知(し)らず。玉帝(ぎょくてい)は老孫(ろうそん)が觔斗雲(きんとうん)の疾(はや)きに因(よ)り、老孫(ろうそん)をして五路(ごろ=五方)に列位(れつい=皆々)を邀請(ようせい=招か)しめ、先(ま)ず通明殿(つうめいでん)の下(もと)に至(いた)りて演礼(えんれい=礼を習う)し、後(のち)に方(はじ)めて宴(えん)に赴(おもむ)かしむるなり」
と。大仙(たいせん)は是(こ)れ箇(ひとり)の光明正大(こうみょうせいだい=正々堂々)の人人(ひと)なれば、就(すなわ)ち彼の誑語(きょうご=偽りの言)を以(もっ)て真(しん)と作(な)し、道く、
「常年(じょうねん=例年)は就ち瑶池(ようち)に在(あ)りて演礼(えんれい)し恩(おん)を謝(しゃ)するに、如何(いか)なれば先ず通明殿(つうめいでん)に去(ゆ)きて演礼(えんれい)し、方めて瑶池に去きて会(え)に赴くか」
と。無奈(よんどころな)く、只(た)だ得て祥雲(しょううん)を撥転(はってん=めぐらし)し、径(ただ)ちに通明殿(つうめいでん)に往きて去(さ)る。

大聖(たいせい)雲(くも)に駕(が)し、一声(ひとこえ)の呪語(じゅご=呪文)を念(ねん)じ、身(み)を揺るがして一変(いっぺん)し、就ち赤脚大仙(せききゃくだいせん)の模様(すがた)に変做(へんじ)て、前(まえ)に瑶池に奔(はし)る。多(おお)からず時(とき)にして、直ちに宝閣(ほうかく)に至(いた)り、雲頭(うんとう)を按(おさ)え住(とど)め、軽軽(けいけい=そっと)歩(あゆみ)を移(うつ)し、裏面(りめん=中)に走り入(い)る。ただ見よ、かの処(ところ)に

瓊香(けいこう=玉の香)繚繞(りょうじょう=たちこめ)、
瑞靄(ずいあい)繽紛(ひんぷん=乱れ舞う)。

瑶台(ようだい=玉の台)に彩結(さいけつ)を鋪(し)き、
宝閣(ほうかく)に氤氳(いんうん)を散(さん)ず。

鳳翥(ほうしょ=鳳の翔る)鸞騰(らんとう=鸞の騰る)形(かたち)縹緲(ひょうびょう=かすか)、
金花(きんか)玉萼(ぎょくがく=玉の萼)影(かげ)浮沈(ふちん=浮き沈む)。

上(うえ)に排(なら)ぶるは九鳳丹霞扆(きゅうほうたんかい=九鳳の紅霞の屏風)、
八宝紫霓墩(はっぽうしげいとん=八宝の紫虹の腰掛)。

五彩(ごさい)描金(びょうきん=金描き)の桌(つくえ)、
千花(せんか)碧玉(へきぎょく)の盆(ぼん)。

桌の上に有(あ)るは竜肝(りゅうかん=竜の肝)和びに鳳髄(ほうずい=鳳の髄)、
熊掌(ゆうしょう=熊の掌)与(とも)に猩唇(しょうしん=猩猩の唇)。

珍饈(ちんしゅう=珍味)百味(ひゃくみ)般般(はんはん=いちいち)に美(うつく)しく、
異果(いか=異しき果)嘉肴(かこう=良き肴)色色(しきしき)に新(あたら)し。

かの処(ところ)に鋪設(ほせつ=設え)ること斉斉整整(せいせいせいせい=整然)たれど、却(かえ)って未(いま)だ仙(せん)の来(きた)る有らず。この大聖(たいせい)点看(てんかん=見て回る)すること尽(つ)きざるに、忽(たちま)ち一陣(ひとむれ)の酒香(しゅこう=酒の香)の鼻(はな)を撲(う)つを聞(き)き得(え)、忽(にわか)に頭(こうべ)を転(てん)ずるに、右壁廂(うへきしょう=右の側)の長廊(ちょうろう=長い廊下)の下(した)に、幾箇(いくにん)かの造酒(ぞうしゅ=酒を醸す)の仙官(せんかん)、糟(そう=酒粕)を盤(はこ)ぶ力士(りきし)、幾箇(いくにん)かの運水(うんすい)の道人(どうにん=道士)、焼火(しょうか=火を焚く)の童子(どうじ)を領(ひき)い、かの処に在(あ)りて缸(かめ)を洗(あら)い甕(おおがめ)を刷(みが)き、已(すで)に玉液瓊漿(ぎょくえきけいしょう=玉の如き美酒)・香醪佳醸(こうろうかじょう)を造(つく)り成(な)せるを見(み)る。大聖(たいせい)口角(こうかく=口の端)より涎(よだれ)の流(なが)るるを止(とど)むること能(あた)わず、就(すなわ)ち去(ゆ)きて喫(くら)わんと欲(ほっ)すれど、奈何(いかん)せん、那些(これら)の人(ひと)都(すべ)て此(ここ)に在り。彼(かれ)就ち箇(ひとつ)の神通(じんつう=神力)を弄(ろう=あやつ)り、毫毛(ごうもう=身の毛)を把(と)って幾根(すこし)を抜(ぬ)き下(お)ろし、口(くち)の中(うち)に投(な)げ入(い)れて嚼(か)み砕(くだ)き、将(もっ)て噴(ふ)き出(いだ)し、一声(ひとこえ)の呪語(じゅご)を念(ねん)じて、「変(へん)ぜよ!」と叫(さけ)ぶ。即ち幾箇(いくつ)かの瞌睡虫(かっすいちゅう=眠り虫)に変做(へんじ)て、衆人(しゅじん=人々)の臉(かお)の上(うえ)に奔(はし)る。汝(なんじ)看よ、かの伙(ひとくみ)の人、手(て)軟(やわ)らぎ頭(こうべ)低(た)れ、眉(まゆ)を閉じ眼(め)を合(あわ)せ、執事(しつじ=持ち場)を捨(す)て、都て去きて盹睡(とんすい=居眠り)す。大聖(たいせい)却(かえ)って些(いささか)の百味八珍(ひゃくみはっちん)・佳肴異品(かこういひん=優れし肴)を拿り、長廊(ちょうろう)の裏面に走り入り、缸(かめ)に就(つ)き、甕(おおがめ)に挨(よ)り、量(りょう)を放(はな)ち開(あ)けて、一番(ひとしきり)痛飲(つういん)す。喫(くら)うこと勾るること多時(たじ=久しく)、酕醄(もうとう)として酔えり。自(みずか)ら揣(はか)り自ら摸(さぐ)りて道(いわ)く、
「好からず!好からず!再(また)会(しばら)く過ぎて、請(しょう)ぜられたる客(きゃく)の来(きた)らば、却って我(われ)を怪(あやし)まざらんや。一時(ひとたび)拿(とら)え住(と)められんに、怎生(いかん)せんことか是(こ)れ好からん。早(はや)く府中(ふちゅう)に回りて去(ゆ)きて睡(ねむ)るに如(し)かず」
と。
好き大聖(たいせい)かな、揺揺擺擺(ようようはいばい)し、酒(さけ)を仗(たの)み、任情(にんじょう)に乱(みだ)りに撞(ぶつか)り、一(ひと)たび会くして路(みち)を差(たが)えたり。是れ斉天府(せいてんふ)に非(あら)ずして、却(かえ)って兜率天宮(とそつてんぐう)なり。一たび見(み)るや、頓然(とんぜん=にわかに)醒悟(せいご)道く、
「兜率宮(とそつきゅう)は是れ三十三天(さんじゅうさんてん)の上(うえ)、乃(すなわ)ち離恨天(りこんてん)の太上老君(たいじょうろうくん)の処(ところ)なるに、如何(いか)にして錯(あやま)りて此(この)間(かん)に到(いた)れるか。——也(ま)た罷(や)めん!也た罷めん!一向(ひたすら)此の老(ろう)を望(おとず)れんと欲(ほっ)せしも、曽(かつ)て得(え)て来(きた)らず、今(いま)この残歩(ざんぽ)に趁(じ)じて、就ち彼(かれ)を一望(いちぼう)するも亦た好(よ)からん」
と。即ち衣(ころも)を整(ととの)えて撞(つ)き進(い)るに、かの処に老君(ろうくん)見えず、四(あたり)に人迹(じんせき=人影)無(な)し。元来(もと)かの老君(ろうくん)は燃灯古仏(ねんとうこぶつ)与(とも)に、三層(さんそう)の高閣(こうかく=高楼)の朱陵丹台(しゅりょうたんだい=朱陵の丹の台)の上に在(あ)りて道(どう)を講(こう)じ、衆(しゅう)の仙童(せんどう=仙の童)・仙将(せんしょう)・仙官(せんかん)・仙吏(せんり)、都(すべ)て左右(さゆう)に侍立(じりつ)して聴講(ちょうこう)。この大聖(たいせい)直(ただ)ちに丹房(たんぼう=丹の室)の裏面(うち)に至り、尋訪(じんぽう=尋ね訪う)れど遇わず、ただ見よ、丹竈(たんそう=丹の竈)の旁(かたわら)に、炉(ろ)の中に火(ひ)有り。炉の左右に五箇(いつつ)の葫芦(ころ=瓢箪)を安放(あんぽう=据え置き)たるが、葫芦(ころ)の裏は都て煉就(れんじゅう)の金丹(きんたん)なり。大聖(たいせい)喜(よろこ)んで道(いわ)く、
「この物(もの)乃(すなわ)ち仙家(せんか=仙の家)の至宝(しほう)なり。老孫(ろうそん)道を了(お)えてより以来(このかた)、内外相同(ないがいそうどう=内と外と同じき)の理(り)を識破(しきは=見破)れり。也(ま)た些(いささか)の金丹(きんたん)を要(もと)めて人(ひと)を済(すく)わんと欲(ほっ)せしも、期(き)せずして家(いえ)に到(いた)れば暇(いとま)無(な)かりき。今日(こんにち)縁(えん)有(あ)りて、却又(かえって)この物に撞着(であ)う。老子(ろうし)の在らざるに趁(じ)じて、我(われ)をして他(かれ)の幾丸(いくつ)を喫(くら)いて新(あたら)しきを嘗めしめよ」
と。彼就ちかの葫芦を把(と)って都(すべ)て傾け出(いだ)し、就ち都て喫うこと、炒豆(しょうず=炒り豆)を喫うが相似(ごと)し。

一時間(ひととき)にして丹(たん)満(み)ち酒(さけ)醒(さ)む。又た自(みずか)ら揣度(したく=推し量り)て道く、
「好(よ)からず!好からず!この場(ば)の禍(わざわい)は、天(てん)よりも還お大(おお)いなり。若(も)し玉帝(ぎょくてい)を驚動(きょうどう=騒がせ)せば、性命(せいめい=命)存(ながら)え難(がた)し。走(はし)れ!走れ!走れ!下界(げかい)に去(ゆ)きて王(おう)と為るに如(し)かず」
と。彼就(すなわ)ち兜率宮(とそつきゅう)を跑り出(い)で、旧路(きゅうろ=元の道)を行かず、西天門(さいてんもん)より、箇(ひとつ)の隠身法(おんしんぽう)を使(つか)いて逃(に)げ去る。即ち雲頭(うんとう)を按(おさ)えて、花果山(かかさん)の界(さかい)に回(かえ)り至(いた)る。ただ見よ、かの旌旗(せいき=旗幟)閃灼(せんしゃく=きらめき)、戈戟(かげき)光輝(こうき=光り輝く)は、元来(もと)是(こ)れ四健将(しけんしょう)与(とも)に七十二洞妖王(しちじゅうにどうようおう)、かの処(ところ)に在(あ)りて武芸(ぶげい)を演習(えんしゅう=訓練)するなり。大聖(たいせい)高(たか)く叫(よばわ)って道(いわ)く、
「小(ちいさ)き者(もの)どもよ!我(われ)来(きた)れるぞ!」
と。衆怪(しゅうかい)器械(きかい=武器)を捨(す)て、跪(ひざまず)き倒(たお)れて道く、
「大聖(たいせい)は好(よ)くも心(こころ)を寛(ゆる)くせられたり!我等(われら)を捨て下(お)かれて許久(きょきゅう=久しく)、来りて相(あい)顧(かえり)みたまわずとは」
と。大聖(たいせい)道く、
「多(おお)き時(とき)に非(あら)ず!多き時に非ず!」
と。且(か)つ説(と)き且つ行(ゆ)き、径(ただ)ちに洞天(どうてん)の深処(しんしょ=奥深く)に入(い)る。四健将(しけんしょう)打掃(だそう=掃き清め)して安歇(あんけつ=休ま)しめ、叩頭礼拝(こうとうらいはい)し畢(おわ)る。俱に道く、
「大聖(たいせい)天(てん)に在(ま)しますことこの百十年(ひゃくじゅうねん)、実(まこと)に何(なん)の職(しょく)を受(う)けられしか」
と。大聖(たいせい)笑って道く、
「我記(おぼ)うるに才(わず)かに半年(はんとし)の光景(こうけい=ほど)なるに、怎(いか)にして就(すなわ)ち百十年(ひゃくじゅうねん)の話(はなし)を説うか」
と。健将(けんしょう)道(いわ)く、
「天に在(あ)ること一日(いちじつ)は、即ち下方(かほう=下界)に在ること一年(いちねん)なり」
と。大聖(たいせい)道く、
「且(しばら)く喜(よろこ)べ、この番(たび)玉帝(ぎょくてい)相愛(あいあい=目をかけ)られ、果(はた)して「斉天大聖(せいてんたいせい)」に封(ほう)ぜられ、一座(ひとつ)の斉天府(せいてんふ)を起(おこ)され、又た安静(あんせい)・寧神(ねいしん)の二司(にし)を設(もう)けられ、司(し)に仙吏(せんり)を設けて侍衛(じえい=側仕え)せしむ。向后(のち)我(われ)が事(こと)無(な)きを見(み)て、我をして蟠桃園(ばんとうえん)を看管(かんかん=管理)せしむ。近(ちか)ごろ王母娘娘(おうぼにゃんにゃん)「蟠桃大会(ばんとうたいえ)」を設くるに因(よ)り、未(いま)だ曽(かつ)て我を請(しょう)ぜず、是(ここ)に我他(かれ)の請ずるを待(ま)たず、先ず瑶池(ようち)に赴(おもむ)き、他の那(かの)仙品(せんぴん)・仙酒(せんしゅ=仙の酒)は、都(すべ)て是(こ)れ我が偸(ぬす)み喫(くら)いたるなり。瑶池を走(はし)り出(い)で、踉踉踉蹌蹌(ろうろうそうそう=よろめき)として老君(ろうくん)の宮闕(きゅうけつ=宮殿)に誤(あやま)り入り、又た他の五箇(いつつ)の葫芦(ころ)の金丹(きんたん)をも也た偸み喫えり。但(た)だ玉帝(ぎょくてい)の罪(つみ)に見(まみ)えんことを恐(おそ)るるのみにして、方(はじ)めて天門(てんもん)を走り出でて来(きた)れるなり」
と。

衆怪(しゅうかい)言(げん)を聞(き)きて大(おお)いに喜(よろこ)ぶ。即(すなわ)ち酒果(しゅか=酒と果物)を安排(あんばい=整え)て接風(せっぷう)し、椰酒(やしゅ=椰子の酒)を将(もっ)て一石碗(いっせきわん=石の碗)に満(み)ち斟(つ)いで奉(たてまつ)る。大聖(たいせい)一口(ひとくち)喝(の)みて、即ち牙(きば)を咨(む)き嘴(くち)を咧(ひんま)げて道(いわ)く、
「好(よ)く喫えず!好く喫えず!」
と。崩(ほう)・芭(は)の二将(にしょう=二人の将)道く、
「大聖(たいせい)は天宮(てんきゅう)に在(ま)して、仙酒(せんしゅ)・仙肴(せんこう=仙の肴)を喫(くら)われたれば、是(ここ)を以て椰酒(やしゅ)の甚(はなは)だ美口(びこう=口に美味)ならざるなり。常言(じょうげん=世の諺)に道(い)う、『美(うつく)しきと美しきならざるとは、郷中(きょうちゅう=故郷)の水(みず)』と」
と。大聖(たいせい)道く、
「汝等(なんじら)は是(こ)れ即ち『親(した)しきと親しからざるとは、故郷(こきょう)の人(ひと)』なり。我(われ)今朝(けさ)瑶池(ようち)の中(うち)に在(あ)りて受用(じゅよう=頂戴)せし時(とき)、かの長廊(ちょうろう)の下に、許多(あまた)の瓶罐(びんかん=瓶と壺)有りて、都(すべ)て是れ那(かの)玉液瓊漿(ぎょくえきけいしょう)なるを見(み)たり。汝等(なんじら)は都て曽(かつ)て嘗(な)めたること無し。我が再(また)去(ゆ)きて他(かれ)の幾瓶(いくびん)を偸(ぬす)み回(かえ)りて、汝等(なんじら)各(おのおの)半杯(はんぱい)を飲(の)み、一箇一箇(めいめい)也(ま)た長生不老(ちょうせいふろう)とならんを待て」
と。衆猴(しゅこう)歓喜(かんき)勝(た)えず。大聖(たいせい)即(すなわ)ち洞門(どうもん)を出で、又た一觔斗(ひとまわり)を翻(ひるがえ)し、箇(ひとつ)の隠身法(おんしんぽう)を使(つか)い、径(ただ)ちに蟠桃会(ばんとうえ)に至(いた)る。瑶池の宮闕(きゅうけつ)に進(すす)み入(い)るに、只だ見よ、かの幾箇(いくにん)かの造酒(ぞうしゅ)・盤糟(ばんそう=糟を運ぶ)・運水(うんすい)・焼火(しょうか)の者(もの)、還だ鼾睡(かんすい=高鼾き)して未(いま)だ醒(さ)めず。彼大(おお)いなるを将(もっ)て左右(さゆう)の脇下(わきした)より二箇(ふたつ)を挟(さしはさ)み、両手(りょうて)に二箇を提げ、即ち雲頭(うんとう)を撥転(はってん=めぐらし)て回り来(きた)り、衆猴(しゅこう)と洞中(どうちゅう)に在(あ)りて会い、就ち箇の「仙酒会(せんしゅえ)」を做(な)し、各(おのおの)幾杯(いくはい)を飲(の)み、快楽(けらく)なることは題(だい)せず。

却説(さて)かの七衣仙女(しちいせんにょ)、大聖(たいせい)の定身法術(じょうしんぽうじゅつ)を受(う)けてより自(おのずか)ら、一周天(いっしゅうてん=天の一周)に方(はじ)めて能(よ)く解脱(げだつ=解き放た)る。各(おのおの)花籃(かりん)を提げ、王母(おうぼ)に回奏(かいそう=復命奏上)し、説(つ)げて道(いわ)く、
「斉天大聖(せいてんたいせい)法術(ほうじゅつ)を使(つか)いて我等(われら)を困住(こんじゅう=閉じ込め)たれば、此(ここ)を以て来ること遅(おそ)かりき」
と。王母問(と)うて道く、
「汝等(なんじら)多少(いくばく)の蟠桃(ばんとう)を摘みたるか」
と。仙女(せんにょ)道く、
「只(た)だ二籃(にらん)の小桃(しょうとう)と、三籃(さんらん)の中桃(ちゅうとう)有るのみ。後面(こうめん)に至(いた)れば、大桃(だいとう)半箇(ひとつ)も也(ま)た無し。想(おも)うに都(すべ)て大聖(たいせい)の偸(ぬす)み喫(くら)いたるならん。正(まさ)に尋(たず)ぬる間(あいだ)に及(およ)びしに、期(き)せずして大聖(たいせい)走(はし)り将(もっ)て出(い)で来(きた)り、凶(きょう)を行(おこな)い殴打(おうだ)、又た宴(えん)を設(もう)けて誰(たれ)を請(しょう)ずるかを問う。我等上会(じょうえ)の事(こと)を把って一遍(ひととおり)説げるや、彼(かれ)就(すなわ)ち我等を定住(じょうじゅう=金縛り)し、何(いず)れにか向(むか)うを知(し)らず。只だ今(いま)に到りて、才(ようや)く醒(さ)め解けて回(かえ)り来れるなり」
と。

王母(おうぼ)言(げん)を聞き、即ち去(ゆ)きて玉帝(ぎょくてい)に見(まみ)え、前事(ぜんじ=先の事)を備陳(びちん)す。説(つ)げ了(おわ)らざるに、又たかの造酒(ぞうしゅ)の一班(ひとくみ)の人(ひと)、仙官(せんかん)等同(とも)に来りて奏(そう)するを見(み)る、
「何(なん)の人人なるかを知らず、「蟠桃大会(ばんとうたいえ)」を攪乱(かくらん=かき乱し)、玉液瓊漿(ぎょくえきけいしょう)を偸(ぬす)み喫(くら)い、その八珍百味(はっちんひゃくみ)も亦(ま)た俱に偸み喫えり」
と。又た四箇(よにん)の大天師(だいてんし)有(あ)りて来(きた)りて奏上(そうじょう)す、
「太上道祖(たいじょうどうそ)来られたり」
と。玉帝(ぎょくてい)即ち王母与に出(い)でて迎う。老君(ろうくん)朝礼(ちょうれい=拝謁)し畢り、道(いわ)く、
「老道(ろうどう)が宮中(きゅうちゅう)に、些(いささか)の「九転金丹(きゅうてんきんたん)」を煉(ね)り、陛下(へいか)の「丹元大会(たんげんたいえ)」を做(な)さるるを伺候(しこう=待ち仕え)せしに、期(き)せずして賊(ぞく)に偸み去(さ)られたり。特(こと)に啓(もう)し上げて陛下の之(これ)を知(し)ろしめさんとす」
と。玉帝(ぎょくてい)奏を見て、悚懼(しょうく)く。少時(しばし)にして、又た斉天府(せいてんふ)の仙吏(せんり)有りて叩頭(こうとう=額づき)して道く、
「孫大聖(そんたいせい)執事(しつじ=持ち場)を守(まも)らず、昨日(きのう)より自(みずか)ら出でて游(あそ)び、今(いま)に至(いた)るまで未だ転(かえ)らず、更(さら)に何(いず)れにか向(むか)うを知らず」
と。玉帝(ぎょくてい)又(ま)た疑思(ぎし=疑念)を添(そ)う。只(た)だ見よ、かの赤脚大仙(せききゃくだいせん)又た俯伏(ふふく)して上奏(じょうそう)して道く、
「臣(しん)王母(おうぼ)の詔(みことのり)を蒙(こうむ)り、昨日会(え)に赴(おもむ)かんとせしに、偶(たまた)ま斉天大聖(せいてんたいせい)に遇(あ)い、臣に対って言(い)う、『万歳(ばんざい)旨(むね)有りて、彼(かれ)をして臣等(しんら)を邀え、先ず通明殿(つうめいでん)に赴きて演礼(えんれい)し、方(はじ)めて会に赴かしむ』と。臣他の言語(げんご=言葉)に依(よ)り、即(すなわ)ち返りて通明殿(つうめいでん)の外(そと)に至るに、万歳(ばんざい)の龍車鳳輦(りゅうしゃほうれん=天子の車)を見(み)ず、又た急(いそ)ぎ此(ここ)に来(きた)りて俟候(しこう=お待ち)するなり」
と。玉帝(ぎょくてい)愈(いよいよ)大(おお)いに驚(おどろ)いて道(いわ)く、
「この厮(やつ)旨意(しい=み旨)を仮(かり)に伝(つた)え、賢卿(けんけい=賢き卿)を賺哄(たぶらか)せり。快(すみや)かに糾察霊官(きゅうさつれいかん)を着(つかわ)してこの厮の踪跡(しょうせき=行方)を緝訪(しゅうほう=捜し訪ね)せしめよ!」
と。
霊官(れいかん)旨を領(りょう)し、即ち殿(でん)を出でて遍(あまね)く訪(たず)ね、尽(ことごと)くその詳細(しょうさい)を得(う)。回奏(かいそう)して道く、
「天宮(てんきゅう)を攪乱(かくらん)せる者(もの)は、乃ち斉天大聖(せいてんたいせい)なり」
と。又(ま)た前事(ぜんじ)を将(もっ)て尽(ことごと)く一遍(ひととおり)訴(うった)う。玉帝(ぎょくてい)大いに悩(なや)む。即(すなわ)ち四大天王(してんのう)を差し、李天王(りてんのう)并(なら)びに哪吒太子(なたたいし)に協同(きょうどう=力を合わ)せしめ、二十八宿(にじゅうはっしゅく)・九曜星官(くようせいかん)・十二元辰(じゅうにげんしん)・五方掲諦(ごほうかいたい)・四値功曹(しちこうそう)・東西星斗(とうざいせいと)・南北二神(なんぼくにしん)・五岳四瀆(ごがくしとく)・普天星相(ふてんせいそう)を点(てん=選び)し、共(あわ)せて十万(じゅうまん)の天兵(てんぺい)、一十八架(いっじゅうはっか)の天羅地網(てんらちもう=天地の網)を布(し)きて下界(げかい)に降(くだ)り、花果山(かかさん)に去(ゆ)きて囲困(いこん=包み囲み)、定(かなら)ずかの厮(やつ)を捉獲(そくかく=捕らえ)て処治(しょち=処罰)せんとす。衆神(しゅうしん)即時(そくじ)に興師(こうし=軍を起こ)し、天宮(てんきゅう)を離(はな)る。この一去(ひとたび)に、ただ見よ、かの

黄風(こうふう=黄なる風)滚滚(こんこん)天(てん)を遮(おお)いて暗(くら)く、
紫霧(しむ=紫の霧)騰騰(とうとう=立ち昇り)地(ち)を罩いて昏し。

只(た)だ妖猴(ようこう)の上帝(じょうてい=玉帝)を欺(あなど)るが為(ため)に、
致(いた)らしめて衆聖(しゅうせい=諸の聖)を凡塵(ぼんじん=下界)に降さしむ。

四大天王(してんのう)、五方掲諦(ごほうかいたい)、
四大天王(してんのう)権(けん=かり)に総制(そうせい=総べ治む)、
五方掲諦(ごほうかいたい)多兵(たへい)を調(ととの)う。

李托塔(りたくとう)中軍(ちゅうぐん)に号(ごう=軍令)を掌(つかさど)り、
悪(あ)しき哪吒(なた)前部(ぜんぶ)の先鋒(せんぽう)たり。

羅睺星(らごうせい)頭(かしら)と為(な)りて検点(けんてん=引き締む)し、
計都星(けいとせい)後(しりえ)に随(したが)いて崢嶸(そうろう)。

太陰星(たいいんせい=月)精神(せいしん=気魄)抖擻(とそう)し、
太陽星(たいようせい=日)照耀(しょうよう=照り輝く)こと分明(ぶんめい)なり。

五行星(ごぎょうせい)偏(ひとえ)に能(よ)く豪傑(ごうけつ)たり、
九曜星(くようせい)最(もっと)も相争(あいあらそ)うを喜(この)む。

元辰星(げんしんせい)子午卯酉(しごぼうゆう)、
一箇一箇(めいめい)都(すべ)て是(こ)れ大力天丁(だいりきてんてい)なり。

五瘟五岳(ごおんごがく)東西(とうざい)に擺(なら)び、
六丁六甲(りくていりっこう)左右(さゆう)に行(ゆ)く。

四瀆龍神(しとくりゅうしん)上下(じょうげ)を分(わか)ち、
二十八宿(にじゅうはっしゅく)密密層層(みつみつそうそう=びっしり)たり。

角亢氐房(かくこうていぼう)総領(そうりょう=総帥)と為り、
奎婁胃昴(けいろういぼう)慣(つね)に翻騰(ほんとう=跳ね回る)。

斗牛女虚危室壁(とぎゅうじょきしつへき)、
心尾箕星(しんびきせい)箇箇(おのおの)能くし、
井鬼柳星張翼軫(せいきりゅうせいちょうよくしん)、
槍(ほこ)を輪(めぐら)し剣(けん)を舞(ま)いて威霊(いれい)を顕(あらわ)す。

雲(くも)を停(とど)め霧(きり)を降(くだ)して凡世(ぼんせい=下界)に臨(のぞ)み、
花果山(かかさん)の前(まえ)に営(えい)を扎(す)う。

と。詩(し)に曰(いわ)く、

天産(てんさん)の猴王(こうおう)変化(へんげ)多(おお)く、
丹(たん)を偸(ぬす)み酒(さけ)を偸みて山窩(さんか=山の窪地)に楽しむ。

只(た)だ蟠桃会(ばんとうえ)を攪乱(かくらん)せるに因(よ)りて、
十万(じゅうまん)の天兵(てんぺい)網羅(もうら=網)を布く。

と。当時(そのとき)李天王(りてんのう)令(れい)を伝(つた)え、衆(しゅう)の天兵(てんぺい)をして営を扎えしめ、かの花果山(かかさん)を囲(かこ)むこと水(みず)の泄(も)るるも通(とお)らざるが如(ごと)くならしむ。上下(じょうげ)に十八架(じゅうはっか)の天羅地網(てんらちもう)を布き、先ず九曜悪星(くようあくせい)を差(つかわ)して出戦(しゅっせん)せしむ。九曜(くよう)即(すなわ)ち兵(へい)を提(ひっさ)げて径(ただ)ちに洞外(どうがい)に至(いた)るに、只だ見よ、かの洞外(どうがい)の大小(だいしょう)の群猴(ぐんこう=猿の群れ)の跳躍(ちょうやく=跳ね回り)し頑耍(がんしゃ=戯れる)あり。星官(せいかん)厳声(げんせい=厳しき声)を高(たか)くして叫(よばわ)って道(いわ)く、
「那(そ)の小妖(しょうよう=小さき妖)よ!汝(なんじ)が那(かの)大聖(たいせい)は何(いず)れに在(あ)るか。我等(われら)乃ち上界(じょうかい)の差調(さちょう)の天神(てんしん)、此(ここ)に到りて汝がこの造反(ぞうはん=反逆)の大聖(たいせい)を降(くだ)さんとす。彼(かれ)をして快(すみや)かに来(きた)りて帰降(きこう=降伏)せしめよ。若し半箇(かけら)の「不(いな)」の字(じ)を道(い)わば、汝等(なんじら)をして一概(いちがい=残らず)誅(ちゅう=殺さ)に遭わしめん」
と。かの小妖(しょうよう)慌(あわ)てて伝(つた)え入れて道く、
「大聖(たいせい)、禍事(かじ=一大事)なり!禍事(かじ)なり!外(そと)に九箇(ここのつ)の凶神(きょうしん)有り、口(くち)に上界(じょうかい)より来れる天神(てんしん)と称(しょう)し、大聖(たいせい)を収降(しゅうこう=降伏させ)せんとす」
と。

かの大聖(たいせい)正(まさ)に七十二洞妖王(しちじゅうにどうようおう)并(なら)びに四健将(しけんしょう)与(とも)に仙酒(せんしゅ)を分(わか)ち飲(の)めるに、一(ひと)たびこの報(ほう=知らせ)を聞(き)くや、公然(こうぜん=平気で)理(り=取り合)めずして道(いわ)く、
「今朝(けさ)酒(さけ)有(あ)れば今朝酔(よ)わん、門前(もんぜん)の是(ぜ)と非(ひ)とを管(かま)うる莫(な)かれ!」
と。説(つ)げ了(おわ)らざるに、一起(ひとむれ)の小妖(しょうよう)又(ま)た跳(おど)り来(きた)りて道く、
「かの九箇(ここのつ)の凶神(きょうしん)、悪言(あくげん)潑語(はつご=罵り言葉)にて、門前(もんぜん)に在りて罵戦(ばせん)するなり」
と。大聖(たいせい)笑って道く、
「彼(かれ)を睬う莫かれ。『詩酒(ししゅ=詩と酒)且(しばら)く今日(こんにち)の楽(たのしみ)を図(はか)り、功名(こうみょう)は幾時(いつ)に成るかを問(と)うを休(や)めよ』」
と。説ぐこと猶お未(いま)だ了らざるに、又た一起(ひとむれ)の小妖(しょうよう)来りて報(ほう)じて、
「爺爺(おじいさま)!かの九箇(ここのつ)の凶神(きょうしん)已(すで)に門(もん)を打(う)ち破(やぶ)り、殺り進(い)り来れるなり!」
と言う。大聖(たいせい)怒(いか)って道く、
「この潑毛神(はつもうしん)め、老大(ろうだい=いたく)無礼(ぶれい)なり!本来(もと)彼与(とも)に計較(けいかく=争う)せざりしに、如何にして門に上(のぼ)り来りて我(われ)を欺(あなど)るか」
と。即(すなわ)ち独角鬼王(どっかくきおう)に命(めい)じ、七十二洞妖王(しちじゅうにどうようおう)を領帥(りょうすい=率い)て出陣(しゅつじん)せしめ、老孫(ろうそん)は四健将(しけんしょう)を領(ひき)いて後(しりえ)に随(したが)わんとす。かの鬼王(きおう)疾(すみやか)に妖兵(ようへい)を帥い、門を出でて迎敵(げいてき=迎え撃つ)も、却(かえ)って九曜悪星(くようあくせい)に一斉(いっせい)に掩殺(えんさつ)れ、鉄板橋頭(てっぱんきょうとう=鉄板橋のたもと)に抵住(ていじゅう=押し留め)られ、能(よ)く出づること莫(な)し。
正(まさ)に嚷(わめ)く間(あいだ)に、大聖(たいせい)到(いた)る。一声(ひとこえ)「開路(かいろ)!」と叫(さけ)び、鉄棒(てつぼう)を掣(ひ)き開(あ)け、幌(ゆ)るがすこと一幌(いっこう)、碗来(わんらい)の粗細(そさい)・丈二(じょうに=一丈二尺)の長短(ちょうたん)となし、架子(か=構え)を捨(す)て開けて、打(う)ち将(もっ)て出(い)づ。九曜星(くようせい)那箇(いずれ)か敢(あえ)て抵(ふせ)がん、一時(ひととき)にして打ち退(しりぞ)く。かの九曜星(くようせい)陣勢(じんぜい=陣形)を立(た)て住(とど)めて道(いわ)く、
「汝(なんじ)この死活(しかつ=生き死に)を知(し)らざる弼馬温(ひつばおん)め!汝十悪(じゅうあく=十の大罪)の罪(つみ)を犯(おか)せり。先(ま)ず桃(もも)を偸(ぬす)み、後(のち)に酒を偸み、蟠桃大会(ばんとうたいえ)を攪乱(かくらん)し、又た老君(ろうくん)の仙丹(せんたん)を窃み、又た御酒(ぎょしゅ=御料の酒)を将て此(この)処(ところ)に偸み来(きた)りて享楽(きょうらく=楽しみ)す。汝罪に罪を加(くわ)うるを、豈(あに)之(これ)を知らざらんや」
と。大聖(たいせい)笑って道く、
「この幾椿(いくつか)の事(こと)、実(まこと)に有(あ)り!実に有り!但だ如今(いま)汝は怎(いか)にせんとするか」
と。九曜星(くようせい)道く、
「吾(われ)玉帝(ぎょくてい)の金旨(きんし=尊きみ旨)を奉(ほう)じ、衆(しゅう)を帥(ひき)いて此(ここ)に到(いた)りて汝を収降(しゅうこう)す。快(すみや)かに早(はや)く皈依(きえ=帰依)せよ!これらの生霊(せいれい)をして命(いのち)を納(おさ)めしむるを免(まぬか)れしめん。然(しか)らずんば、就(すなわ)ち此山(やま)を踏(ふ)み平(たいら)げ、此洞(ほら)を掀翻(けんぽん)さんのみ」
と。大聖(たいせい)大(おお)いに怒って道(いわ)く、
「量(はか)るに汝(なんじ)これらの毛神(もうしん)に、何(なん)の法力(ほうりき=法の力)か有りて、敢(あえ)て浪言(ろうげん=大言壮語)を出(いだ)すか。走(に)ぐる莫(な)かれ、請(こう)う、老孫(ろうそん)が一棒(ひとぼう)を喫(くら)え!」
と。この九曜星(くようせい)一斉(いっせい)に踊躍(ようやく=躍り出)す。かの美猴王(びこうおう)分毫(ぶんごう=毫も)懼(おそ)れず、金箍棒(きんこぼう)を掄(ふる)い起(おこ)し、左(ひだり)を遮(さえぎ)り右(みぎ)を擋(ふせ)ぎ、かの九曜星(くようせい)を戦(たたか)いて筋疲(きんぴ=筋疲れ)力軟(りきなん=力尽き)らしめ、一箇一箇(めいめい)器械(きかい=武器)を倒(さかしま)に拖(ひ)き、陣(じん)を敗(やぶ)って走ぐ。急(いそ)ぎ中軍(ちゅうぐん)の帳下(ちょうか=陣幕の下)に入(い)り、托塔天王(たくとうてんのう)に対(むか)って道く、
「かの猴王(こうおう)果(はた)して十分(じゅうぶん)に驍勇(ぎょうゆう=勇猛)なり!我等(われら)彼(かれ)と戦いて過(す)ぐること能(あた)わず、陣を敗って来(きた)れるなり」
と。李天王(りてんのう)即(すなわ)ち四大天王(してんのう)与(とも)に二十八宿(にじゅうはっしゅく)を調(てん=動員)し、一路(ひとすじ)に出師(すいし=出陣)して来りて闘う。大聖(たいせい)也(ま)た公然(こうぜん)として懼れず、独角鬼王(どっかくきおう)・七十二洞妖王(しちじゅうにどうようおう)与に四箇(よにん)の健将(けんしょう)を調(てん)し出(いだ)し、洞門外(どうもんがい)に於(おい)て陣勢(じんぜい)を列(つら)ね成(な)す。汝(なんじ)看(み)よ、この場(ば)の混戦(こんせん)、好(よ)くも人(ひと)を驚(おどろ)かすかな、

寒風(かんぷう=寒き風)颯颯(さつさつ)、
怪霧(かいむ=怪しき霧)陰陰(いんいん=どんより)。

那壁廂(なへきしょう=向こう側)旌旗(せいき)彩(いろどり)を飛(と)ばし、
這壁廂(しゃへきしょう=こちら側)戈戟(かげき)輝(かがやき)を生(しょう)ず。

滚滚(こんこん)として盔(かぶと)明(あき)らかに、
層層(そうそう)として甲(よろい)亮(ひか)る。

滚滚(こんこん)の盔の明らかなるは太陽(たいよう)に映(うつ)じて、
天を撞(つ)くの銀磬(ぎんけい=銀の鐘)の如(ごと)し。
層層(そうそう)の甲の亮るは岩崖(がんがい=岩の崖)を砌て、
地(ち)を圧(おさ)うるの氷山(ひょうざん)に似(に)たり。

大捍刀(だいかんとう=大刀)、雲(くも)を飛ばし電(いなずま)を掣(ひ)き、
楮白槍(ちょはくそう=白き槍)、霧(きり)を度(わた)り雲を穿(うが)つ。

方天戟(ほうてんげき)、虎眼鞭(こがんべん)、
麻林(まりん=麻の林)に擺(なら)び列(つら)ぬ。
青銅剣(せいどうけん)、四明鏟(しめいさん=四明の鏟)、
密樹(みつじゅ=茂れる樹)に陣(じん)を排ぶ。

彎弓硬弩(わんきゅうこうど=強き弓)・彫翎箭(ちょうれいせん)、
短棍(たんこん)・蛇矛(じゃぼう=蛇の矛)は魂(たましい)を挟(はさ)み了(おわ)る。

大聖(たいせい)が一條(ひとふり)の如意棒(にょいぼう)、
翻来覆去(ほんらいふくきょ=翻り返り)て天神(てんしん)と戦(たたか)う。

殺(あや)めて那(か)の空中(くうちゅう)に鳥(とり)の過(よぎ)る無(な)く、
山内(さんない)に虎狼(ころう)の奔(はし)るあり。

砂(すな)を揚(あ)げ石(いし)を走らせて乾坤(けんこん=天地)黒(くろ)く、
土(つち)を播(ま)き塵(ちり)を飛(と)ばして宇宙(うちゅう)昏(くら)し。

只(た)だ聴(き)く、兵兵撲撲(ひょうひょうぼくぼく=バタバタ)として天地(てんち)を驚(おどろ)かし、
煞煞威威(さつさついい=凄まじく)として鬼神(きしん)を振(ふる)わす。

この一場(ひとくさり)、辰時(たつどき)より陣を布(し)き、混(い)り殺めて日(ひ)の西山(せいざん)に落(お)つるに到(いた)る。かの独角鬼王(どっかくきおう)与(とも)に七十二洞(しちじゅうにどう)の妖怪(ようかい)、尽(ことごと)く衆(しゅう)の天神(てんしん)に捉拿(そくだ=捕らえ)られ去(さ)られ、只だ四健将(しけんしょう)与にかの群猴(ぐんこう)を走(にが)し、水簾洞(すいれんどう)の底(そこ)に深(ふか)く蔵(かく)るるのみ。この大聖(たいせい)が一條(ひとふり)の棒(ぼう)、四大天神(してんしん)与に李托塔(りたくとう)・哪吒太子(なたたいし)を抵(ふせ)ぎ住(とど)め、俱に半空(はんくう=空中)に在(あ)りて——殺(たたか)うこと勾るること多時(たじ=久しく)、大聖(たいせい)天色(てんしょく=空模様)の将(まさ)に晩(く)れんとするを見(み)、即(すなわ)ち毫毛(ごうもう)を一把(ひとつかみ)拉き、口(くち)の中(うち)に投(な)げ在り、嚼(か)み将(もっ)て出(いだ)し、一声(ひとこえ)「変(へん)ぜよ!」と叫(さけ)ぶ。就ち千百(せんびゃく)の大聖(たいせい)に変じ、都(すべ)て使(つか)うは是(こ)れ金箍棒(きんこぼう)にして、哪吒太子(なたたいし)を打(う)ち退(しりぞ)け、五箇(いつにん)の天王(てんのう)を戦い敗(やぶ)る。

大聖(たいせい)勝(かち)を得(え)て、毫毛(ごうもう)を収(おさ)め、急(いそ)ぎ身を転(てん)じて洞(ほら)に回(かえ)るに、早(は)や又(ま)た鉄板橋頭(てっぱんきょうとう)に、四箇(よにん)の健将(けんしょう)の衆(しゅう)を領(ひき)いてかの大聖(たいせい)を叩迎(こうげい=拝み迎う)るを見る。哽哽咽咽(こうこうえつえつ)と大哭(たいこく)すること三声(みこえ)、又た唏唏哈哈(ききはは=げらげら)と大笑(たいしょう)すること三声。大聖(たいせい)道(いわ)く、
「汝等(なんじら)我(われ)に見(まみ)えて、又た哭(な)き又た笑(わら)うは、何(なん)ぞや」
と。四健将(しけんしょう)道く、
「今朝(けさ)衆の将(しょう)を帥いて天王(てんのう)与(とも)に交戦(こうせん)せしに、七十二洞妖王(しちじゅうにどうようおう)与に独角鬼王(どっかくきおう)を把(と)って、尽(ことごと)く衆神(しゅうしん)に捉(とら)えられ、我等(われら)は生(いき)て逃(のが)れたれば、此(ここ)を以(もっ)て当(まさ)に哭くべし。這に大聖(たいせい)の勝(かち)を得(え)て回り来(きた)り、未(いま)だ曽(かつ)て傷損(しょうそん=傷つく)こと無きを見(み)れば、此を以て当に笑うべし」
と。大聖(たいせい)道く、
「勝負(しょうぶ)は乃(すなわ)ち兵家(へいか=軍師)の常(つね)なり。古人(こじん)云(い)わく、『人(ひと)を殺(ころ)すこと一万(いちまん)なれば、自(みずか)ら三千(さんぜん)を損(そこな)う』と。況んや捉え去(さ)られたる頭目(とうもく=かしら)は乃ち虎・豹(ひょう)・狼虫(ろうちゅう=狼と虫)・獾獐(かんしょう=穴熊と鹿)・狐狢(こむじな=狐と狢)の類(たぐい)にして、我(わ)が同類(どうるい)の者(もの)は未だ一箇(ひとり)も傷われず、何(なん)ぞ煩悩(はんのう=苦にする)を須(もち)いん。彼(かれ)は我(われ)に箇(ひとつ)の分身法(ふんしんぽう=分身の術)を使(つか)われて殺(しりぞ)けられたりと雖(いえど)も、彼還(ま)た我が山(やま)の脚(ふもと)に在(あ)りて営(えい)を安(やす)んぜんとす。我等(われら)且(しばら)く緊緊(きんきん=固く)防守(ぼうしゅ=守り)し、一頓(ひとしきり)飽食(ほうしょく)し、心(こころ)を安んじて睡(ねむ)り、精神(せいしん=気力)を養(やしな)え。天明(てんめい=夜明け)には我の箇の大神通(だいじんつう)を使いて、これらの天将(てんしょう)を拿(とら)え、衆(しゅう)与(とも)に仇(あだ)を報(ほう)ずるを見(み)よ」
と。四将(ししょう)と衆猴(しゅこう)椰酒(やしゅ)を将(もっ)て幾碗(いくわん)か喫(くら)い、心を安んじて睡ることは題(だい)せず。

かの四大天王(してんのう)兵(へい)を収(おさ)め戦(たたかい)を罷(や)め、衆各(おのおの)功(こう)を報ず。虎豹(こひょう=虎と豹)を拿住(だじゅう=捕らえ)たる有り、獅象(しぞう=獅子と象)を拿住(だじゅう)したる有り、狼虫狐狢(ろうちゅうこむじな)を拿住(だじゅう)したる有り、更(さら)に曽(かつ)て一箇(ひとり)の猴精(こうせい=猿の精)をも捉えず。当時(そのとき)果(はた)して又(ま)た轅営(えんえい=本陣)を安(やす)んじ、大寨(だいさい=大きき砦)を下(くだ)し、功を得(え)たるの将(しょう)を賞労(しょうろう=労い賞し)、天羅地網(てんらちもう)の兵に吩咐(ふんふ=言いつけ)、箇箇(おのおの)鈴(すず)を提(ひっさ)げ号(ごう=合言葉)を喝(とな)え、花果山(かかさん)を囲困(いこん)して、専(もっぱ)ら明早(みょうそう=明朝)の大戦(たいせん)を待つ。各人(かくじん)令(れい)を得、一処一処(いちいち)謹(つつし)み守(まも)る。此(こ)れ正(まさ)に是れ、

妖猴(ようこう)乱(らん)を作(な)して天地(てんち)を驚(おどろ)かし、
網(あみ)を布(し)き羅(うすもの)を張(は)りて昼夜(ちゅうや)看(みまも)る。

と。畢竟(ひっきょう)天暁(てんぎょう=夜明け)の後(のち)如何(いか)に処治(しょち)するかは、また下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)かれよ。