さて斉天大聖は、空手(からて)で陣に敗れ、来たって金兜山(きんとうざん)の後に坐し、ぽろぽろと両眼より涙を滴(したた)らせ、叫んで言うには、「師父よ! そなたと共にとこそ思いしに──
仏恩(ぶっとん)は徳(とく)有(あ)り和融(わゆう)有り、
同(とも)に幼(おさな)く同に生じて意(こころ)窮(きわ)まること莫(な)し。
同に住み同に修(おさ)めて同に解脱(げだつ)し、
同に慈(いつく)しみ同に念じて霊功(れいこう)を顕(あら)わす。
同縁(どうえん)同相(どうそう)、心真(しん)に契(ちぎ)り、
同見(どうけん)同知(どうち)、道(みち)転(うた)た通(つう)ず。
豈(あに)料(はか)らんや、今(いま)主杖(しゅじょう)無く、
空拳(くうけん)赤脚(せっきゃく)、怎(いか)でか興隆(こうりゅう)せんや!」
大聖はしばらく痛ましげにしていたが、心の中にひそかに思案して言うには、「あの妖精は我(われ)を見知っておる。記憶するに、彼(かれ)は陣上(じんじょう)に在(あ)って我を称(ほ)めて、『真(まこと)に天宮(てんぐう)を騒(さわ)がせし類(たぐい)かな!』と申した。これでは決して凡間(ぼんげん)の怪物ではあるまい、定(さだ)めて天上の凶星(きょうせい)であろう。思うに凡(ぼん)を思いて下界(げかい)に降(くだ)ったか、また何処(いずこ)より降り来たりし魔頭(まとう)か、先(ま)ずは上界(じょうかい)へ参(まい)って調べ調べ致(いた)そう」。
行者はここに至って心に心を問うて、自(みずか)ら張(は)り自ら主(あるじ)となり、急(きゅう)に身を翻(ひるがえ)して祥雲(しょううん)を起(お)こし、直ちに南天門の外に到(いた)れば、ふと目を上げて広目天王(こうもくてんのう)を見る。面と向かって迎えて長揖(ちょうゆう)して言うには、「大聖、何処(いずこ)へ往(ゆ)かれる」。
行者言う、「用事(ようじ)有って玉帝(ぎょくてい)に謁見(えっけん)致したい、そなたは此処に在(あ)って何をなさる」。広目言う、「今日は巡(めぐ)り当(あた)って南天門を視察(しさつ)する番(ばん)なり」。言い終えぬうちに、またかの馬(ば)・趙(ちょう)・温(おん)・関(かん)の四大元帥(げんすい)の礼(れい)を作(な)して言うを見る、「大聖、お迎(むか)え損(そこ)ないました。茶(ちゃ)を召(め)されよ」。行者言う、「用事が有るのじゃ」。遂(つい)に広目と四元帥(しげんすい)に辞(じ)し、径(ただ)ちに南天門の内に入り、直ちに霊霄殿(れいしょうでん)の外に到れば、果(はた)して又(また)張道陵(ちょうどうりょう)・葛仙翁(かつせんおう)・許旌陽(きょせいよう)・丘弘済(きゅうこうさい)の四天師(してんし)並びに南斗六司(なんとろくし)・北斗七元(ほくとしちげん)が皆(みな)殿前(でんぜん)に在って行者を迎え、一斉(いっせい)に手を起(お)こして言うには、「大聖、何(いか)にして此処(ここ)に到(いた)れる」。又(また)問う、「唐僧を保(まも)るの功(こう)、完(おわ)れるや否(いな)や」。行者言う、「早(はや)い早い! 路(みち)遥(はる)かに魔(ま)広(ひろ)く、僅(わず)かに一半(いっぱん)の功(こう)有るのみ、目下(もっか)金兜山金兜洞(きんとうどう)に阻(へだ)てられておる。
一箇(ひとつ)の兕怪(じかい)が有って、唐の師父を洞中(どうちゅう)に拿(と)り籠(こ)めたれば、是(こ)れ老孫(ろうそん)その門(もん)を尋(たず)ねて往(ゆ)きて一場(いちじょう)の戦(いくさ)を交(まじ)えたるに、彼奴(きゃつ)の神通(じんつう)広大(こうだい)にして、老孫の金箍棒(きんこぼう)を搶(うば)い去(さ)った。此(こ)れに因(よ)って魔王(まおう)を縛(しば)るに難(かた)し。
疑(うたが)わくは上界(じょうかい)の何(いず)れの凶星(きょうせい)か凡(ぼん)を思いて下界に降ったるか、また何処より降り来たりし魔頭(まとう)か、老孫此(こ)れに因(よ)って玉帝を尋(たず)ね、彼(かれ)に箝束(かんそく)厳(きび)しからざるを問(と)わんとす」。許旌陽笑って言う、「この猿(さる)め、相変わらず此(か)くの如(ごと)く放刁(ほうとう=我儘(わがまま)を言う)なり!」。行者言う、「放(ほう)刁(とう)では有らぬ、我が老孫は一生(いっしょう)この口(くち)の些(いささ)か緊(きつ)きを以(も)って、初(はじ)めて頭(こうべ)の在(あ)り処(か)を尋ね当(あ)てるのじゃ」。張道陵言う、「多(おお)くを説(と)くに及(およ)ばず、只(た)だ彼(かれ)が為(ため)に伝(つた)え奏(そう)するのみ」。
行者言う、「多謝(たしゃ)多謝!」。当時(そのとき)四天師(してんし)は霊霄(れいしょう)に伝奏(でんそう)し、玉陛(ぎょくへい)に引見(いんけん)す。行者は上(かみ)に向かって大喏(だいじゃく)を唱(とな)えて言う、「老官児(ろうかんじ)よ、御苦労(ごくろう)御苦労! 我が老孫、唐僧を保護(ほご)して西天(せいてん)へ経(きょう)を取りに往(ゆ)くに、一路(いちろ)凶(きょう)多(おお)く吉(きつ)少(すくな)し、これまた説(と)くに及(およ)ばず。今(いま)金兜山金兜洞に来たり在(あ)るに、一箇の兕怪(じかい)有って、唐僧を洞裏(どうり)に拿(と)り籠めたり、これを蒸(ふか)さんとするか煮(に)んとするか乾(ほ)さんとするかは知(し)らず。是(ここ)において老孫その門(かど)を尋ねて往きて彼と戦(たたか)いを交(まじ)えたれば、かの怪(かい)は却(かえ)って些(いささ)か老孫を見知(みし)る様子(ようす)、卓(まこと)に神通広大にして、老孫の金箍棒(きんこぼう)を搶(うば)い去(さ)った。此(こ)れに因って妖魔(ようま)を縛(しば)るに難(かた)し。疑(うたが)わくは上天の凶星、凡を思いて下界に降れるかと、此(こ)の為(ため)に老孫特に来たりて啓奏(けいそう)す。伏(ふ)して天尊(てんそん)の慈(じ)を垂(た)れて洞鑑(どうかん)し、凶星(きょうせい)を査勘(さかん)するの旨(むね)を降(くだ)し、兵(へい)を発(はっ)して妖魔を収剿(しゅうそう)し給(たま)わんことを。老孫、戦慄(せんりつ)屏営(へいえい)の至(いた)りに勝(た)えず!」 却又(また)深躬(しんきゅう)を打(う)って言う、「以(も)って聞(きこ)し召(め)されよ」。傍(かたわ)らに葛仙翁(かつせんおう)有って笑って言う、「猿(さる)めは何(なん)ぞ前倨後恭(ぜんきょこうきょう=初め傲(おご)りて後(のち)へつらう)なる」。行者言う、「不敢(ふかん)不敢! 何の前倨後恭か、老孫は今(いま)棒(ぼう)無くして弄(ろう)する能(あた)わざるのみ」。
彼(か)の時(とき)玉皇天尊(ぎょくこうてんそん)奏(そう)を聞(きこ)し召(め)されて、即(すなわ)ち忙(いそ)ぎて可韓司(かかんし)に旨(むね)を降(くだ)して知らしむ、「既(すで)に悟空(ごくう)の奏する所(ところ)の如(ごと)くんば、諸天(しょてん)の星斗(せいと)・各宿(かくしゅく)の神王(しんのう)を随(したが)えて査(さぐ)り、凡(ぼん)を思いて下界に降(くだ)れる者有(あ)りや無(な)きやを、随(したが)って復奏(ふくそう)施行(しこう)して以(も)って聞(きこ)し召(め)すべし」。可韓丈人真君(かかんじょうじんしんくん)旨(むね)を領(りょう)し、当時(そのとき)即ち大聖と同(とも)に往(ゆ)きて査(さぐ)る。先(ま)ず四天門(してんもん)の門上(もんじょう)の神王官吏(しんのうかんり)を査(さぐ)り;次(つぎ)に三微垣(さんびえん)の垣中(えんちゅう)の大小(だいしょう)の群真(ぐんしん)を査り;又(また)雷霆(らいてい)の官将(かんしょう)たる陶(とう)・張(ちょう)・辛(しん)・鄧(とう)、苟(こう)・畢(ひつ)・龐(ほう)・劉(りゅう)を査り;最後(さいご)にようやく三十三天(さんじゅうさんてん)を査るに、天天(てんてん)自(おのずか)ら在(あ)り;又(また)二十八宿(にじゅうはっしゅく)を査るに、東七宿(とうしちしゅく)は角(かく)・亢(こう)・氐(てい)・房(ぼう)・参(しん)・尾(び)・箕(き)、西七宿(せいしちしゅく)は斗(と)・牛(ぎゅう)・女(じょ)・虚(きょ)・危(き)・室(しつ)・壁(へき)、南七宿(なんしちしゅく)、北七宿(ほくしちしゅく)、宿宿(しゅくしゅく)安寧(あんねい)なり;又(また)太陽(たいよう)・太陰(たいいん)、水火木金土(すいかもくこんご)の七政(しちせい)、羅睺(らごう)・計都(けいと)・炁(き)・孛(はい)の四余(しよ)を査る。満天(まんてん)の星斗(せいと)、並(なら)びに凡を思いて下界に降(くだ)れる者有ること無(な)し。行者言う、「既(すで)に此(か)くの如(ごと)くんば、我が老孫もかの霊霄宝殿(れいしょうほうでん)に上(のぼ)って玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)を打攪(じゃま)するには及(およ)ばぬ、深(ふか)く不便(ふべん)なり。そなたは自(みずか)ら回旨(かいし=復命(ふくめい))して往(ゆ)け、我は只(た)だ此処(ここ)に在ってそなたの回話(かいわ=返答(へんとう))を待(ま)つのみ」。かの可韓丈人真君命(めい)に依(よ)る。
孫行者は久(ひさ)しく等候(こうこう)し、詩(し)を作(つく)って興(きょう)を紀(しる)して曰(いわ)く、
風清(かぜきよ)く雲霽(くもは)れて升平(しょうへい)を楽しみ、
神静(しんしず)かに星明(ほしあき)らかに瑞禎(ずいてい)を顕(あら)わす。
河漢(かかん)安寧(あんねい)にして天地泰(たい)なり、
五方八極(ごほうはっきょく)戈旌(かせい)を偃(ふ)す。
かの可韓司丈人真君、歴歴(れきれき)と査勘(さかん)し、玉帝に回奏(かいそう)して言うには、「満天(まんてん)の星宿(せいしゅく)少(すくな)からず、各方(かくほう)の神将(しんしょう)皆(みな)存(そん)し、並びに凡(ぼん)を思いて下界に降れる者有ること無し」。玉帝奏(そう)を聞(きこ)し召(め)されて、「孫悟空(そんごくう)に幾員(いくにん)かの天将(てんしょう)を選(えら)ばしめ、下界(げかい)して魔(ま)を擒(とら)えに往(ゆ)かしめよ」。四大天師(しだいてんし)旨意(しい)を奉(ほう)じ、即ち霊霄宝殿(れいしょうほうでん)を出(い)で、行者に向かって言う、「大聖よ、玉帝の寛恩(かんおん)として、天宮(てんぐう)に凡(ぼん)を思う神(かみ)無(な)しと言(こと)のたまい、そなたに幾員かの天将(てんしょう)を選(えら)ばしめて魔を擒(とら)えに往かせるとのことぞ」。行者は頭(こうべ)を低(た)れてひそかに思案して言う、「天上の将(しょう)は老孫に如(し)かざる者多(おお)く、老孫に勝(まさ)る者少(すくな)し。想(おも)うに我(われ)天宮(てんぐう)を騒(さわ)がせし時(とき)、玉帝は十万(じゅうまん)の天兵(てんぺい)を遣(つか)わし、天羅地網(てんらちもう)を布(し)けり、更(さら)に曾(かつ)て一将(いっしょう)として敢(あ)えて我と手(て)を比(くら)べんとする者有らざりき。その後(のち)に向(むか)って、小聖(しょうせい)二郎(じろう)を調(ちょう)せられて、方(まさ)に我が敵手(てきしゅ)たり。今(いま)かの怪物(かいぶつ)の手段(しゅだん)は又(また)老孫に強(すぐ)れる、どうして能(よ)く勝(か)つことを得(え)んや」。許旌陽(きょせいよう)言う、「此(こ)の時(とき)と彼(か)の時(とき)は、大(おお)いに同じからざるなり。常言(じょうげん)に『一物(いちもつ)は一物(いちもつ)を降(くだ)す』と言(い)うぞ、そなた好(よ)く旨意(しい)に違(たが)わんや。但(た)だ高見(こうけん)に凭(よ)りて天将(てんしょう)を選用(せんよう)し、遅疑(ちぎ)して事(こと)を誤(あやま)ること得(え)ざれ」。行者言う、
「既(すで)に此(か)くの如(ごと)くんば、深(ふか)く上恩(じょうおん)を感(かん)ず。果(はた)して好(よ)く旨(むね)に違(たが)うべからず。一(ひと)つには老孫また空(むな)しくこの度(たび)を走(はし)る可(べ)からず、旌陽(せいよう)の煩(わずら)わしさを転(てん)じて玉帝に奏(そう)し、只(た)だ托塔李天王(たくとうりてんのう)と哪吒太子(なたたいし)とを遣(つか)わされよ。彼(かれ)にはまた幾件(いくけん)かの妖(よう)を降(くだ)す兵器(へいき)有り、暫(しばら)く下界(げかい)してかの怪(かい)と一仗(いちじょう=一戦(いっせん))を見(み)て、如何(いかん)を看(み)んと欲(ほっ)す。果(はた)して能(よ)く彼を擒(とら)え得(う)れば、是(こ)れ老孫の幸(こう)なり;若(も)し能(あた)わずんば、其(そ)の時(とき)また区処(くしょ=処置(しょち))を為(な)さん」。
真(まこと)にかの天師(てんし)玉帝に啓奏(けいそう)すれば、玉帝即(すなわ)ち李天王父子(りてんのうふし)に令(れい)じて、衆部(しゅうぶ)の天兵(てんぺい)を率(ひき)いて、行者と助力(じょりょく)せしむ。かの天王即ち旨(むね)を奉(ほう)じて来たりて行者に会(かい)す。行者又(また)天師に向かって言う、
「玉帝の遣差(けんさ=遣(つか)わし)たる天王を蒙(こうむ)り、謝(しゃ)するに尽(つ)くす所(ところ)を知らず。また一事(いちじ)有り、重(かさ)ねて転達(てんだつ)を煩(わずら)わす。但(た)だ二箇(ふたり)の雷公(らいこう)を得(え)て使用(しよう)し、天王の戦闘(せんとう)の時(とき)を等(ま)ちて、雷公をして雲端(うんたん)の中(うち)に下(くだ)して一箇の雷楔(らいせつ=雷(かみなり)の楔(くさび))を当(あ)て、頂門(ちょうもん=頭(あたま)の頂(いただき))の上(うえ)を錠(う)ち死(し)なせしめてかの妖魔(ようま)をば、深(ふか)く良計(りょうけい)と為(な)さん」。天師笑って言う、「好(よ)し! 好し! 好し!」。天師又(また)玉帝に奏(そう)し、九天府(きゅうてんふ)の下(もと)に旨(むね)を伝(つた)えて鄧化(とうか)・張蕃(ちょうばん)の二雷公(にらいこう)を点(てん)し、天王と力(ちから)を合(あ)わせて妖(よう)を縛(しば)り難(なん)を救(すく)わしむ。遂(つい)に天王・孫大聖と径(ただ)ちに南天門の外に下(くだ)る。
頃刻(しばらく)にして到(いた)れば、行者言う、「此(こ)の山(やま)は便(すなわ)ち是(こ)れ金兜山(きんとうざん)、山の真中(まんなか)は乃(すなわ)ち是れ金兜山じゃ。列位(れつい)相談(そうだん)し、却(かえ)って何(いず)れの者を先(さき)に往(ゆ)かせて戦(たたかい)を索(もと)めしめんか」。天王は雲頭(うんとう)を停(とど)め、天兵を山南(さんなん)の坡下(はか=坂(さか)の下(した))に扎(とど)めて言う、「大聖は素(もと)より小児(しょうじ)哪吒(なた)の、曾(かつ)て九十六洞(きゅうじゅうろくどう)の妖魔を降(くだ)し、善(よ)く変化(へんげ)し、身(み)に随(したが)えて妖を降す兵器有るを知(し)る。須(すべか)らく彼をして先(ま)ず往(ゆ)きて陣(じん)に出(い)でしむべし」。行者言う、「既(すで)に此(か)くの如(ごと)くんば、老孫が太子(たいし)を引(ひ)きて往(ゆ)かん」。かの太子は雄威(ゆうい)を抖擻(しゅんそう=奮(ふる)い起(お)こ)し、大聖と高山(こうざん)に跳(と)び上(あが)り、径(ただ)ちに洞口(どうこう)に至(いた)れば、但(た)だ見(み)るにかの洞門(どうもん)は緊(きつ)く閉(と)ざされ、崖下(がいか)に精(せい)無(な)し。行者は上前(うえまえ)に出(い)でて高(たか)く叫ぶ、「潑魔(はつま=愚(おろ)かなる魔)!
早(はや)く門(もん)を開(ひら)け! 我が師父(しふ)を還(かえ)せや!」 かの洞裏(どうり)に在って門を把(まも)る小妖(しょうよう)見て、急(いそ)ぎ報(しら)せて言う、「大王(だいおう)、孫行者(そんごくう)は一箇の小童男(しょうどうなん=童(わらわ))を領(ひき)いて、門前(もんぜん)に在って戦(たたかい)を叫(さけ)んでおりまする」。かの魔王(まおう)言う、「この猿(さる)め、鉄棒(てつぼう)は我に奪(うば)われて空手(からて)なり、争(あらそ)い難(がた)し、想(おも)うに是(こ)れ救兵(きゅうへい)を請(こ)い得(え)て来(きた)れるならん」。叫ぶ、「兵器(へいき)を取(と)れ!」 魔王は槍(やり)を手(て)に綽(と)り、門外(もんがい)に走(は)せ出(い)でて観看(かんかん)すれば、かの小童男(わらわ)は、相貌(そうぼう)清奇(せいき)として生(うま)れつき、十分(じゅうぶん)に精壮(せいそう=逞(たくま)し)なり。真(まこと)に是(こ)れ、
玉面(ぎょくめん)嬌容(きょうよう)満月(まんげつ)の如(ごと)く、
朱唇(しゅしん)方口(ほうこう)銀牙(ぎんが)を露(あらわ)す。
眼光(がんこう)電(でん)を掣(ひ)き睛珠(せいしゅ)暴(あら)われ、
額(ひたい)闊(ひろ)く霞(かすみ)を凝(こ)らし髪髻(はつけい)髽(そう=もとゆい)なり。
繍帯(しゅうたい)風(かぜ)に舞(ま)いて彩焔(さいえん)を飛(と)ばし、
錦袍(きんぽう)日(ひ)に映(えい)じて金花(きんか)を放(はな)つ。
環縧(かんじょう)灼灼(しゃくしゃく)として心鏡(しんきょう)を攀(よ)じ、
宝甲(ほうこう)輝輝(きき)として戦靴(せんか)を襯(そ)う。
身(み)小(ちい)さく声(こえ)洪(おお)きにして壮麗(そうれい)多(おお)し、
三天(さんてん)護教(ごきょう)の悪(あく)哪吒(なた)なり。
魔王笑って言う、「そなたは李天王(りてんのう)の第三(だいさん)の孩児(がいじ=子(こ))、名(な)を哪吒太子(なたたいし)と喚(よ)ぶ、却(かえ)って如何(いか)にして我がこの門前(もんぜん)に到(いた)りて呼喝(こかつ=喚(わめ)く)するか」。太子言う、「汝(なんじ)この潑魔(はつま=愚かなる魔)、乱(みだ)れを作(な)して東土(とうど)の聖僧(しょうそう)を困害(こんがい=苦(くる)しめ損(そこな)う)するに因(よ)り、玉帝の金旨(きんし)を奉(ほう)じて、特に来たりて汝を拿(と)らんとす!」 魔王大(おお)いに怒(いか)って言う、「そなたは想(おも)うに孫悟空(そんごくう)の請(こ)いし所(ところ)ならん。我は便(すなわ)ち是(こ)れかの聖僧(しょうそう)の魔頭(まとう=仇(かたき))なるぞ! 量(はか)るに汝(なんじ)が如(ごと)きこの小児曹(しょうじそう=童(わらべ)め)に何(なん)の武芸(ぶげい)有ってか、敢(あ)えて浪言(ろうげん=大言(たいげん))を出(い)だすや! 往(ゆ)くな! 我が一槍(いっそう)を食(く)らえ!」 この太子は斬妖剣(ざんようけん)を使(つか)い、手(て)を劈(さ)いて相迎(むか)う。彼(かれ)の二箇(ふたり)は手(て)を搭(か)け合(あ)わせて、ようやく闘(たたか)いを賭(か)けしに、かの大聖は急(きゅう)に山坡(さんば=坂(さか))に転(てん)じ、叫ぶ、「雷公(らいこう)何処(いずこ)に在る。早(はや)く往(ゆ)きて、かの妖魔に一箇の雷楔(らいせつ)を下(くだ)し、太子を助(たす)けて降伏(こうぶく)せしめよ!」 鄧(とう)・張(ちょう)の二公(にこう)、即ち雲光(うんこう)を踏(ふ)みて、正(まさ)に手(て)を下(くだ)さんと欲(ほっ)するに、只(た)だ見(み)るにかの太子の法(ほう)を出(いだ)して、身(み)を一変(いっぺん)して三頭六臂(さんとうろっぴ)と作(な)り、手(て)に六般(ろくはん)の兵器(へいき)を把(と)って、妖魔を望(めが)けて砍(き)り来(きた)るを見る。かの魔王もまた三頭六臂(さんとうろっぴ)と変(へん)じ、三柄(さんぺい)の長槍(ちょうそう)を以(も)って抵(ふせ)ぐ。この太子又(また)妖(よう)を降(くだ)す法力(ほうりき)を弄(ろう)し出(い)だし、六般(ろくはん)の兵器を抛(な)げ起(お)こす。是(こ)れ那(なん)の六般の兵器か。却(かえ)って是(こ)れ砍妖剣(かんようけん)・斬妖刀(ざんようとう)・縛妖索(ばくようさく)・降魔杵(ごうましょ)・繍球(しゅうきゅう)・火輪児(かりんじ)、大(おお)いに一声(いっせい)「変(へん)!」と叫べば、一(いち)は十(じゅう)に変じ、十は百(ひゃく)に変じ、百は千(せん)に変じ、千は万(まん)に変じ、皆(みな)是(こ)れ一般(いっぱん)の兵器、驟雨(しゅうう)の冰雹(ひょう)の如(ごと)く、紛紛密密(ふんぷんみつみつ)として、妖魔を望(めが)けて打(う)ち将(も)って往(ゆ)く。かの魔王は公然(こうぜん)として懼(おそ)れず、一隻(いっぴき)の手(て)を出(いだ)してかの白森森(はくしんしん=白(しろ)く光(ひか)る)なる圈子(けんし=輪(わ))を取(と)り出(いだ)し、空(くう)を望(めが)けて抛(ほう)り起(お)こし、「着(ちゃく)!」と一声(ひとこえ)叫べば、唿喇(こつらつ)の一下(いっか)に、六般(ろくはん)の兵器をば套(から)め下(おろ)し来(きた)る。慌(あわ)てたるはかの哪吒太子、赤手(せきしゅ)にて逃(のが)れて生(い)き、魔王は勝(か)ちを得(え)て回(かえ)る。
鄧(とう)・張(ちょう)の二雷公(にらいこう)、空中(くうちゅう)に在ってひそかに笑って言う、「早(はや)くも是(こ)れ我(われ)先(ま)ず頭勢(とうせい=気配(けはい))を看(み)て、曾(かつ)て雷楔(らいせつ)を放(はな)たざりしは、もし彼(かれ)に套(から)め将(も)って往(ゆ)かれなば、却(かえ)ってどうして天尊(てんそん)に回見(かいけん=謁見(えっけん))せん」。二公は雲頭(うんとう)を按(おさ)え下(お)ろし、太子と山南(さんなん)の坡下(はか=坂(さか)の下(した))に来たり、李天王に向かって言う、「妖魔(ようま)は果(はた)して神通(じんつう)広大(こうだい)なり!」 悟空(ごくう)は傍(かたわ)らに在って笑って言う、「彼奴(きゃつ)の神通もまた只(た)だ此(か)くの如(ごと)きのみ、争(いか)でか奈何(いかん)ともすべき、あの圈子(けんし=輪(わ))の利害(りがい=手強(てごわ)き)なるには。是(こ)れ何(なん)の宝貝(ほうばい)なるか知(し)らず、投(な)げ起(おこ)せば善(よ)く諸物(しょぶつ)を套(から)むるかな」。哪吒(なた)は恨(うら)んで言う、「この大聖は甚(はなは)だ人(ひと)と成(な)らず! 我等(われら)は兵(へい)を折(お)り陣(じん)に敗(やぶ)れて、十分(じゅうぶん)に煩悶(はんもん=悩(なや)み)せるに、皆(みな)只(た)だ汝(なんじ)が為(ため)なるに、汝は反(かえ)って喜笑(きしょう)するとは何(なん)ぞや!」 行者言う、「そなたは煩悶(なやみ)すると言(い)うが、終(つい)には我が老孫は煩悶せずや。我が今(いま)計(けい)も奈何(いかん)ともする無(な)く、哭(な)く可(べ)からず、故(ゆえ)に只(た)だ笑(わら)うを得(う)るのみじゃ」。天王言う、「此(か)くの如(ごと)くんば怎(いか)でか結果(けっか)を生(しょう)ぜん」。行者言う、「汝等(なんじら)の又(また)怎(いか)に計較(けいこう=相談(そうだん))するに凭(よ)るとも、只(た)だ圈子(けんし)の套(から)め往(ゆ)かざる者(もの)にてこそ、便(すなわ)ち彼(かれ)を拿(と)り住(とど)むべけれ」。天王言う、「套(から)め往(ゆ)かざる者は、惟(た)だ水火(すいか)の最(もっと)も利(り)有るのみ。常言(じょうげん)に『水火(すいか)は情(なさけ)無(な)し』と言(い)う」。行者は言(こと)を聞(き)いて言う、「説(と)いて理(り)有り! 汝等(なんじら)は且(しばら)く此処(ここ)に穏(おだ)やかに坐(ざ)し、老孫の再(ふたた)び天(てん)に上(のぼ)って走走(そうそう=ちょいと往(ゆ)き)して来(きた)るを待(ま)て」。鄧(とう)・張(ちょう)の二公(にこう)言う、「又(また)甚(なに)を為(な)しに往(ゆ)かれるか」。行者言う、「老孫のこの度(たび)は、玉帝に啓奏(けいそう)するに及(およ)ばず、只(た)だ南天門の内(うち)に到(いた)って彤華宮(とうかきゅう)に上(のぼ)り、熒惑(けいわく)の火徳星君(かとくせいくん)を請(こ)い来(きた)りて此処(ここ)に火(ひ)を放(はな)ち、かの怪物(かいぶつ)を一場(いちじょう)焼(や)き、或(ある)いは連(つれだ)ってあの圈子(けんし)も焼(や)きて灰燼(かいじん=灰(はい))と作(な)し、妖魔(ようま)を捉(とら)えんとす。一(ひと)つには兵器(へいき)を取(と)り返(かえ)して汝等(なんじら)を天(てん)に帰(かえ)らしめ、二(ふた)つには吾(わ)が師(し)の難(なん)を解脱(げだつ)す可(べ)ければなり」。太子は言(こと)を聞(き)いて甚(はなは)だ喜(よろこ)び、言う、「遅疑(ちぎ)するに及(およ)ばず、大聖の早(はや)く往(ゆ)きて早(はや)く来(きた)らんことを請(こ)う、我等(われら)は只(た)だ此処(ここ)に在って拱候(きょうこう=手(て)を拱(こまぬ)いて待(ま))つのみ」。
行者は祥光(しょうこう)を起(お)こし、又(また)南天門の外に至(いた)れば、かの広目(こうもく)と四将(ししょう)と迎(むか)えて言う、「大聖、何(いか)にして又(また)来(きた)れる」。行者言う、「李天王(りてんのう)は太子(たいし)をして師(いくさ)を出(いだ)さしめたるに、只(た)だ一陣(いちじん)にて、かの魔王(まおう)に六件(ろっけん)の兵器を撈(かす)め将(も)って往(ゆ)かれたり。我が今(いま)彤華宮(とうかきゅう)に到(いた)りて火徳星君(かとくせいくん)を請(こ)い、助陣(じょじん=加勢(かせい))せんと欲(ほっ)するなり」。
四将(ししょう)は久(ひさ)しく留(とど)めるを敢(あ)えず、彼(かれ)をして入(い)らしむ。彤華宮(とうかきゅう)に至(いた)れば、只(た)だ見(み)るにかの火部(かぶ)の衆神(しゅうしん)有り、即(すなわ)ち入(い)りて報(しら)せて言う、「孫悟空(そんごくう)主公(しゅこう)に見(まみ)えんと欲(ほっ)す」。かの南方三炁(なんぽうさんき)の火徳星君、衣(い)を整(ととの)えて門(もん)を出(い)でて迎(むか)え入(い)れて言う、「昨日(きのう)可韓司(かかんし)小宮(しょうきゅう)を査点(さてん)せしに、更(さら)に一人(いちにん)の凡(ぼん)を思(おも)う者有(あ)らず」。行者言う、「已(すで)に知(し)れるが、但(た)だ李天王と太子は陣(じん)に敗(やぶ)れて兵器(へいき)を失(うしな)い、特に来たりてそなたの救援(きゅうえん)救援を請(こ)うなり」。星君言う、
「かの哪吒(なた)は乃(すなわ)ち三壇海会大神(さんだんかいえたいじん)、彼(かれ)の出身(しゅっしん)の時(とき)、曾(かつ)て九十六洞(きゅうじゅうろくどう)の妖魔(ようま)を降(くだ)し、神通(じんつう)広大(こうだい)なり、若(も)し彼(かれ)にして能(あた)わずんば、小神(しょうしん)また怎(いか)でか敢(あ)えて望(のぞ)まんや」。行者言う、「李天王と計議(けいぎ)するに因(よ)り、天地間(てんちかん)の至(いた)りて利(り)有る者は、惟(た)だ水火(すいか)のみなり。かの怪物(かいぶつ)に一箇(ひとつ)の圈子(けんし=輪(わ))有って、善(よ)く人(ひと)の物件(ぶっけん)を套(から)むるに、是(こ)れ何(なん)の宝貝(ほうばい)なるかを知(し)らず、此(こ)の故(ゆえ)に火(ひ)は能(よ)く諸物(しょぶつ)を滅(めっ)すと説(と)き、特に星君を請(こ)うて火部(かぶ)を領(ひき)いて下方(げほう)に到(いた)り、縦(ほしいまま)に火(ひ)を放(はな)ちてかの妖魔(ようま)を焼(や)き、我が師父(しふ)の難(なん)を救(すく)わんとす」。
火徳星君は言(こと)を聞(き)き、即(すなわ)ち本部(ほんぶ)の神兵(しんぺい)を点(てん)し、行者と同(とも)に金兜山(きんとうざん)の南坡下(なんぱか=南(みなみ)の坂(さか)の下(した))に到(いた)り、天王・雷公等(らいこうら)と相見(あいまみ)ゆ。天王言う、「孫大聖、汝(なんじ)はまた往(ゆ)きて彼奴(きゃつ)を出(いだ)させよ、我(われ)をして彼(かれ)と戦(たたか)いを交(まじ)え、彼(かれ)が圈子(けんし)を拿(と)り動(うご)かして出(いだ)すを待(ま)ちて、我は却(かえ)って閃(ひら)りと過(よ)ぎ、火徳(かとく)をして衆(しゅう)を帥(ひき)いて彼を焼(や)かしめん」。行者笑って言う、「是(し)なり、我と汝(なんじ)と往(ゆ)かん」。火徳(かとく)は太子・鄧(とう)・張(ちょう)の二公(にこう)と高峰(こうほう)の上(うえ)に立(た)ち、彼(かれ)と挑戦(ちょうせん)す。
この大聖、金兜洞(きんとうどう)の洞口(どうこう)に到(いた)り、「門(もん)を開(ひら)け! 早(はや)く我が師父(しふ)を還(かえ)せ!」と一声(ひとこえ)叫べば、かの妖(よう)又(また)急(いそ)ぎ通報(つうほう)して言う、「孫悟空(そんごくう)又(また)来(きた)れり!」 かの魔(ま)は衆(しゅう)を帥(ひき)いて洞(どう)を出(い)で、行者を見て言う、
「汝(なんじ)この潑猴(はっこう=愚(おろ)かなる猿(さる))、又(また)甚(なん)の兵(へい)を請(こ)えるや」。この壁廂(へきしょう=此方(こなた))より上の托塔天王(たくとうりてんのう)、喝(かつ)して言う、
「潑魔頭(はつまとう=愚かなる魔頭)! 我(われ)を認(みと)むるか」。魔王笑って言う、「李天王(りてんのう)、想(おも)うに是(こ)れ汝が令郎(れいろう=息子(むすこ))の為(ため)に仇(あだ)を報(ほう)じて、兵器(へいき)を討(もと)めんと欲(ほっ)するか」。天王言う、「一(ひとつ)には仇を報(ほう)じて兵器を討(もと)め、二(ふた)つには来たりて汝(なんじ)を拿(と)りて唐僧(とうそう)を救(すく)わん! 往(ゆ)くな! 我が一刀(いっとう)を食(く)らえ!」 かの怪物(かいぶつ)は身(み)を側(そば)めて避(かわ)し過(よ)ぎ、長槍(ちょうそう)を挺(つ)り出(いだ)して、手(て)に随(したが)えて相迎(むか)う。
彼(かれ)の二箇(ふたり)は洞前(どうぜん)に在って、この場(ば)の好殺(こうさつ=見事(みごと)な殺(あや)め合(あ)い)! 汝(なんじ)看(み)よかの──
天王は刀(かたな)砍(き)り、妖怪(ようかい)は槍(やり)迎(むか)う。
刀砍(とうかん)の霜光(そうこう)烈火(れっか)を噴(ふ)き、
槍迎(そうげい)の鋭気(えいき)愁雲(しゅううん)を迸(ほとばし)らす。
一箇(ひとつ)は是(こ)れ金兜山(きんとうざん)に生成(せいせい)されたる悪怪(あくかい)、
一箇は是れ霊霄殿(れいしょうでん)より差(さ)し下(くだ)されたる天神(てんしん)。
かの一箇(ひとつ)は禅性(ぜんしょう)を欺(あざむ)くに因(よ)って威武(いぶ)を施(ほどこ)し、
この一箇は師(し)の災(わざわい)を救(すく)わんが為(ため)に大倫(たいりん)を展(の)ぶ。
天王は法(ほう)を使(つか)うて沙石(させき)を飛(と)ばし、
魔怪(まかい)は強(つよ)みを争(あらそ)うて土塵(どじん)を播(ま)く。
土(つち)を播(ま)けば能(よ)く天地(てんち)をして暗(くら)からしめ、
沙(すな)を飛(と)ばせば善(よ)く海江(かいこう)をして渾(にご)らしむ。
両家(りょうか)は功績(こうせき)を争(あらそ)うて力(ちから)め、
皆(みな)唐僧(とうそう)の世尊(せそん)を拝(はい)せんが為(ため)なり。
かの孫大聖、彼(かれ)の二箇(ふたり)の戦(たたか)いを交(まじ)うるを見て、即(すなわ)ち身(み)を転(てん)じて高峰(こうほう)に跳(と)び上(あが)り、火徳星君(かとくせいくん)に向かって言う、「三炁(さんき)用心(ようじん)せよ!」 汝(なんじ)看(み)よ、かの妖魔と天王の正(まさ)に斗(たたか)うて好処(こうしょ=佳境(かきょう))に到(いた)りしに、又(また)圈子(けんし=輪(わ))を取(と)り出(いだ)せば、天王は見て、即(すなわ)ち祥光(しょうこう)を撥(ひるがえ)し、陣(じん)に敗(やぶ)れて走(はし)る。この高峰(こうほう)の上(うえ)に在る火徳星君、忙(いそ)ぎて号令(ごうれい)を伝(つた)え、衆部(しゅうぶ)の火神(かしん)をして一斉(いっせい)に火(ひ)を放(はな)たしむ。この一場(いちじょう)は真(まこと)に利害(りがい=手強(てごわ)し)。好火(こうか=見事(みごと)なる火)!
経(きょう)に云(い)う「南方(なんぽう)は是れ火(ひ)の精(せい)なり」と。星星(せいせい)の火(ひ)といえども、能(よ)く万頃(ばんけい)の田(た)を焼(や)き;乃(すなわ)ち三炁(さんき)の威(い)は、能(よ)く百端(ひゃくたん)の火(ひ)を変(か)う。今(いま)火槍(かそう)・火刀(かとう)・火弓(かきゅう)・火箭(かせん)有って、各部(かくぶ)の神祇(しんぎ)の用(よう)うる所(ところ)一(いつ)ならず。但(た)だ見(み)るにかの半空(はんくう)の中(うち)、火鴉(かあ=火(ひ)の鴉(からす))飛(と)び噪(さわ)ぎ;満山頭(まんさんとう)に、火馬(かば=火の馬)奔騰(ほんとう=駆(か)けめぐ)る。双双(そうそう)の赤鼠(せきそ)、対対(たいたい)の火龍(かりゅう)。双双の赤鼠(せきそ)は烈焔(れつえん)を噴(ふ)きて、万里(ばんり)通紅(つうこう);対対の火龍(かりゅう)は濃煙(のうえん)を吐(は)きて、千方(せんぽう)共(とも)に黒(くろ)し。火車児(かしゃじ)推(お)し出(いだ)され、火葫蘆(かころ=火の瓢箪(ひょうたん))撒(ま)き開(ひら)く。火旗(かき)揺(ゆ)り動(うご)けば一天(いってん)の霞(かすみ)、火棒(かぼう)攪(か)き行(ゆ)けば盈地(えいち)の燎(かがり)。甯戚(ねいせき)の牛(うし)を鞭(むち)うつを説(と)くにも勝(まさ)り、周郎(しゅうろう)の赤壁(せきへき)に強(すぐ)れり。これを是(こ)れ天火(てんか)非凡(ひぼん)真(まこと)に利害(りがい)、烘烘焃焃(こうこうかくかく)として火風(かふう)紅(くれない)なり! かの妖魔は火(ひ)の来(きた)るを見て、全(まった)く恐惧(きょうく=恐(おそ)れ)無く、圈子(けんし)を空(くう)に望(めが)けて抛(ほう)り起(おこ)せば、唿喇(こつらつ)一声(ひとこえ)、この火龍(かりゅう)火馬(かば)、火鴉(かあ)火鼠(かそ)、火槍(かそう)火刀(かとう)、火弓(かきゅう)火箭(かせん)を、一(ひと)つの圈子(わ)もて又(また)套(から)め下(おろ)し、本洞(ほんどう)に転(てん)じ回(かえ)り、勝(か)ちを得(え)て兵(へい)を収(おさ)む。
この火徳星君、手(て)に一杆(いっかん)の空旗(くうき=空(から)の旗(はた))を把(と)り執(と)り、衆将(しゅうしょう)を招(まね)き回(かえ)し、天王等(てんのうら)と会合(かいごう)して、山南坡下(なんぱか)に坐(ざ)し、行者に向かって言う、「大聖よ、この凶魔(きょうま)は、真(まこと)に罕(まれ)に見(み)る所(ところ)なり! 我(われ)今(いま)火具(かぐ)を折(お)られたり、怎(いか)でか是(こ)れ好(よ)からん」。行者笑って言う、「報怨(ほうえん=恨(うら)み言(ごと))するを須(もち)いず、列位(れつい)は且(しばら)く請(こ)うて寛(くつろ)ぎ坐(ざ)し、老孫の再(ふたた)び去去(きょきょ=ちょいと往(ゆ)き)して来(きた)るを待(ま)て」。天王言う、「汝(なんじ)又(また)何処(いずこ)へ往(ゆ)かんとするか」。行者言う、「かの怪物(かいぶつ)は既(すで)に火(ひ)を懼(おそ)れずんば、断然(だんぜん)として水(みず)を懼(おそ)れん。常言(じょうげん)に『水(みず)は能(よ)く火(ひ)に克(か)つ』と言(い)う。老孫の北天門(ほくてんもん)の内(うち)に往(ゆ)きて、水徳星君(すいとくせいくん)を請(こ)い、水勢(すいせい)を施布(しふ=施(ほどこ)し)して、彼(かれ)の洞裏(どうり)に一灌(ひとそそ)ぎし、魔王(まおう)を渰(おぼ)れ死(し)なせ、物件(ぶっけん)を取(と)りて天将(てんしょう)に還(かえ)さんとす」。天王言う、「この計(けい)は妙(みょう)なりといえども、但(た)だ恐(おそ)らくは汝(なんじ)の師父(しふ)までも連(つれだ)って渰(おぼ)れ殺(ころ)さるるを」。行者言う、
「無事(ぶじ)なり! 我が師(し)を渰(おぼ)れ死(し)なすれば、我(われ)自(おのずか)ら一箇の法児(ほうじ=方法(ほうほう))有って、彼(かれ)をして活(い)き来(きた)らしめん。今(いま)列位(れつい)を稽遅(けいち=遅(おく)ら)せるは、甚(はなは)だ是(こ)れ不当(ふとう)なり」。火徳言う、「既(すで)に此(か)くの如(ごと)くんば、且(しばら)く請(こ)うて行(ゆ)け、請うて行け」。
好(よ)き大聖、又(また)筋斗雲(きんとん)に駕(が)し、径(ただ)ちに北天門(ほくてんもん)の外に到(いた)れば、ふと目を上げ、多聞天王(たもんてんのう)の前(まえ)に進(すす)み出(い)でて礼(れい)を施(ほどこ)して言うを見る、「孫大聖、何処(いずこ)へ往(ゆ)かれる」。行者言う、「一事(いちじ)有って烏浩宮(うこうきゅう)に入(い)りて水徳星君(すいとくせいくん)に見(まみ)えんとす、汝(なんじ)は此処(ここ)に在って何(なに)を為(な)せる」。多聞言う、「今日は巡(めぐ)り当(あた)って視察(しさつ)する番(ばん)なり」。正(まさ)に説(と)く処(ところ)、又(また)かの龐(ほう)・劉(りゅう)・苟(こう)・畢(ひつ)の四大天将(しだいてんしょう)の、礼(れい)を進(すす)めて茶(ちゃ)に邀(むか)うるを見る。行者言う、「不労(ふろう=御(ご)苦労(くろう)なく)不労! 我が事(こと)急(きゅう)なり!」 遂(つい)に諸神(しょしん)に別(わか)れを告(つ)げ、直(ただ)ちに烏浩宮(うこうきゅう)に至(いた)り、水部(すいぶ)の衆神(しゅうしん)をして即時(そくじ)に通報(つうほう)せしむ。衆神(しゅうしん)報(しら)せて言う、「斉天大聖孫悟空(せいてんたいせいそんごくう)来(きた)れり」。水徳星君は言(こと)を聞(き)き、即(すなわ)ち四海(しかい)・五湖(ごこ)・八河(はちが)・四瀆(しとく)・三江(さんこう)・九派(きゅうは)並びに各処(かくしょ)の龍王(りゅうおう)を査点(さてん=点検(てんけん))するを俱(とも)に遣(つか)わし退(しりぞ)け、冠(かんむり)を整(ととの)え帯(おび)を束(つか)ね、宮門(きゅうもん)を出(い)でて迎(むか)え、宮内(きゅうない)に迎え入(い)れて言う、「昨日(きのう)可韓司(かかんし)小宮(しょうきゅう)を査勘(さかん)せしに、恐(おそ)らくは本部(ほんぶ)の神(かみ)の、凡(ぼん)を思(おも)うて怪(かい)を作(な)せる者有らんと、正(まさ)に此処(ここ)に在って江海河瀆(こうかいかとく)の神(かみ)を点査(てんさ)するに、未(いま)だ完(おわ)らざるなり」。行者言う、「かの魔王(まおう)は是(こ)れ江河(こうが)の神(かみ)に非(あら)ず、此(こ)れ乃(すなわ)ち広大(こうだい)の精(せい)なり。先(ま)ず玉帝の李天王父子(りてんのうふし)並びに二箇(ふたり)の雷公(らいこう)を下界(げかい)に差(さ)し遣(つか)わされて擒拿(きんだ=捕(と)ら)えんことを蒙(こうむ)りしが、彼(かれ)に一箇の圈子(けんし=輪(わ))を弄(ろう)せられて、六件(ろっけん)の神兵(しんぺい)を套(から)め往(ゆ)かれたり。老孫(ろうそん)奈何(いかん)ともする無(な)く、又(また)彤華宮(とうかきゅう)に上(のぼ)りて火徳星君(かとくせいくん)を請(こ)い、火部(かぶ)の衆神(しゅうしん)を帥(ひき)いて火(ひ)を放(はな)たしめたるに、又(また)火龍(かりゅう)火馬(かば)等の物(もの)を、一(ひと)つの圈子(わ)もて套(から)め往(ゆ)かれたり。我(われ)想(おも)うにこの物(もの)既(すで)に火(ひ)を懼(おそ)れずんば、必(かなら)ずや水(みず)を懼(おそ)れん。特に来(きた)りて星君に告請(こくせい)し、水勢(すいせい)を施(ほどこ)して、我(われ)と共(とも)にかの妖精(ようせい)を捉(とら)え、兵器(へいき)を取(と)りて天将(てんしょう)に帰(かえ)さんことを請(こ)う。吾(わ)が師(し)の難(なん)もまた救(すく)う可(べ)ければなり」。水徳は言(こと)を聞(き)き、即(すなわ)ち黄河水伯神王(こうがすいはくしんのう)に令(れい)じて、「大聖に随(したが)いて往(ゆ)きて功(こう)を助(たす)けよ」。水伯(すいはく)は自(みずか)ら衣袖(いしゅう=袖(そで))の中(うち)より一箇(ひとつ)の白玉(はくぎょく)の盂児(うじ=器(うつわ))を取(と)り出(いだ)して言う、「我(われ)にこの物(もの)有って水(みず)を盛(も)る」。行者言う、「看(み)るにこの盂児(う)は能(よ)く幾何(いくばく)を盛(も)るか、妖魔(ようま)どうして渰(おぼ)れ得(う)ん」。水伯言う、「大聖に瞞(あざむ)き申(もう)さず。我がこの一盂(いちう)は、乃(すなわ)ち是(こ)れ黄河(こうが)の水(みず)なり。半盂(はんう)は便(すなわ)ち半河(はんが=川(かわ)の半分(はんぶん))、一盂(いちう)は便(すなわ)ち一河(いちが=川一(かわひと)つ)なり」。行者喜(よろこ)んで言う、「只(た)だ半盂(はんう)を消(しょう)するのみにて足(た)れり」。遂(つい)に水徳(すいとく)に辞別(じべつ)し、黄河神(こうがしん)と急(きゅう)に天闕(てんけつ=天(てん)の宮門(きゅうもん))を離(はな)る。
かの水伯(すいはく)は盂児(う)を黄河(こうが)に望(むか)えて半盂(はんう)を舀(く)み、大聖に跟(したが)いて金兜山(きんとうざん)に至(いた)り、南坡下(なんぱか)に在(あ)る天王・太子・雷公・火徳(かとく)に見(まみ)え、具(つぶさ)に前事(ぜんじ)を言(い)う。行者言う、「細(こま)かに講(の)ぶるに及(およ)ばず、且(しばら)く水伯(すいはく)をして我(われ)に跟(したが)いて往(ゆ)かしめよ。我(われ)が彼(かれ)の門(もん)を叫(さけ)び開(ひら)かせ、彼(かれ)の出(い)で来(きた)るを待(ま)たず、便(すなわ)ち水(みず)を門裏(もんり)に一倒(ひとそそ)ぎし、かの怪物(かいぶつ)を一窩子(ひとまとめ)に皆(みな)渰(おぼ)れ死(し)なせ、我は却(かえ)って往(ゆ)きて師父(しふ)の尸首(ししゅ=骸(むくろ))を撈(すく)い上(あ)げ、再(ふたた)び救(すく)い活(い)かすも遅(おそ)からず」。かの水伯は命(めい)に依(よ)り、緊(きん)と行者に随(したが)い、山坡(さんぱ)を転(てん)じ、径(ただ)ちに洞口(どうこう)に至(いた)り、「妖怪(ようかい)門(もん)を開(ひら)け!」と一声(ひとこえ)叫ぶ。かの門(もん)を把(まも)る小妖(しょうよう)、孫大聖の声(こえ)なるを聴(き)き得(え)て、急(いそ)ぎ又(また)往(ゆ)きて報(しら)せて言う、
「孫悟空(そんごくう)又(また)来(きた)れり!」 かの魔(ま)は聞(き)いて、宝貝(ほうばい)を帯(たい)し、槍(やり)を綽(と)って直(ただ)ちに走(はし)り、一声(ひとこえ)響(ひび)かせて、石門(せきもん)を開(ひら)く。この水伯(すいはく)は白玉(はくぎょく)の盂(う)を内(うち)に向(むか)えて一傾(ひとそそ)ぎせしに、かの妖(よう)は水(みず)の来(きた)るを見て、長槍(ちょうそう)を撒(す)て、即(すなわ)ち忙(いそ)ぎ圈子(けんし=輪(わ))を取(と)り出(いだ)し、二門(にもん)を撑(ささ)え住(とど)む。只(た)だ見(み)るにかの一股(ひとすじ)の水(みず)、骨都都(こつとつ)として皆(みな)外(そと)に向(むか)えて泛(あふ)れ将(も)って出(い)ず。慌(あわ)てたるは孫大聖、急(きゅう)に筋斗(きんとん)を起(お)こし、水伯(すいはく)と高峰(こうほう)に跳(と)び上(あが)る。かの天王同衆(どうしゅう)は皆(みな)雲(くも)に駕(が)して高峰(こうほう)の前(まえ)に停(とど)まりて観看(かんかん)すれば、かの水(みず)は波濤(はとう)泛漲(はんちょう)して、着実(ちゃくじつ)に狂瀾(きょうらん=荒(あら)き波(なみ))なり。好水(こうすい=見事(みごと)なる水)! 真(まこと)に是(こ)れ──
一勺(いっしゃく)の多(おお)きのみ、果(はた)して不測(ふそく)なり。
盖(けだ)し唯(た)だ神功(しんこう)の運化(うんげ=働(はたら)き)のみ、
万物(ばんぶつ)を利(り)して百川(ひゃくせん)に流漲(りゅうちょう)す。
只(た)だ聞(き)こゆるはかの潺潺(せんせん)の声(こえ)の谷(たに)を振(ふる)わせ、又(また)見(み)るはかの滔滔(とうとう)の勢(いきおい)の天(てん)に漫(み)つるを。雄威(ゆうい)響(ひび)くこと雷(かみなり)の奔(はし)り走(はし)るが若(ごと)く、猛(たけ)き涌(わ)き波(なみ)は雪(ゆき)の巻(ま)き顛(たお)るるが如(ごと)し。千丈(せんじょう)の波(なみ)高(たか)くして路道(ろどう)を漫(みた)し、万層(ばんそう)の濤(なみ)激(げき)して山岩(さんがん)に泛(あふ)る。冷冷(れいれい)として玉(ぎょく)を漱(すす)ぐが如(ごと)く、滚滚(こんこん)として弦(げん)を鳴(な)らすに似(に)たり。石(いし)に触(ふ)れて滄滄(そうそう)として砕玉(さいぎょく)を噴(ふ)き、回湍(かいたん)渺渺(びょうびょう)として渦(うず)は円(まる)し。低低(ていてい)凹凹(おうおう)流(ながれ)に随(したが)うて蕩(うご)き、満澗(まんかん)平溝(へいこう)上下(じょうげ)連(つら)なる。行者は見て心(こころ)慌(あわ)てて言う、「不好(ふこう=不味(まず)い)! 水(みず)四野(しや)に漫(みち)て、民田(みんでん)を渰(おぼ)らし、未(いま)だ彼(かれ)の洞裏(どうり)に灌(そそ)がず、曾(いか)でか之(これ)を奈何(いかん)せん」。水伯(すいはく)を喚(よ)んで急(いそ)ぎ水(みず)を収(おさ)めしむ。水伯言う、「小神(しょうしん)は只(た)だ水(みず)を放(はな)つを会(え)するのみ、却(かえ)って水を収(おさ)むるを会(え)せず、常言(じょうげん)に『潑水(はすい=零(こぼ)した水)は収(おさ)め難(がた)し』と言(い)う」。咦(ああ)! かの座(ざ)の山(やま)は却(かえ)ってまた高峻(こうしゅん)なり、この場(ば)の水(みず)は只(た)だ低(ひく)きに奔(はし)りて流(なが)る。須臾(しゅゆ=暫(しばら)く)の間(あいだ)に、四散(しさん)して澗壑(かんがく=谷(たに))に帰(かえ)る。
又(また)只(た)だ見(み)るにかの洞外(どうがい)に幾箇(いくつ)かの小妖(しょうよう)跳(と)び出(い)でて、外辺(そとべ)に在って吆吆喝喝(ようようかつかつ=喚(わめ)き立(た)て)、拳(こぶし)を伸(の)べ袖(そで)を邏(まく)り、棒(ぼう)を弄(ろう)し槍(やり)を拈(ひね)り、依(い)旧(もと)の如(ごと)く喜喜歡歡(ききかんかん)として耍子(あそ)ぶ。天王言う、「この水(みず)は元来(もと)曾(かつ)て洞内(どうない)に灌(そそ)がず、枉(むだ)に一場(いちじょう)の功(こう)を費(ついや)せるかな!」 行者は堪(た)えず心中(しんちゅう)に怒(いかり)を発(はっ)し、双手(そうしゅ)に拳(こぶし)を輪(めぐ)らし、妖魔(ようま)の門首(もんしゅ=門前(もんぜん))に闖(と)び入(い)り、喝(かつ)して言う、「何処(いずこ)へ走(に)ぐる! 看(み)よ打(だ)!」 唬(おど)されたるはかの幾箇(いくつ)かの小妖(しょうよう)、槍(やり)棒(ぼう)を投(な)げ棄(す)て、洞裏(どうり)に跑(はし)り入(い)り、戦兢兢(せんきょうきょう=おののきながら)報(しら)せて言う、「大王(だいおう)、打(う)ち将(も)って来(きた)れり!」 魔王は長槍(ちょうそう)を挺(つ)り、門前(もんぜん)に迎(むか)え出(い)でて言う、「この潑猴(はっこう=愚(おろ)かなる猿(さる))老大(ろうだい=大(おお)い)に憊懶(はいらん=横着(おうちゃく))なり! 汝(なんじ)幾番(いくたび)も我(われ)に敵(てき)し得(え)ず、水火(すいか)を縦(ほしいまま)にするもまた近(ちか)づく能(あた)わざるに、どうして又(また)踵(つ)ぎ将(も)って来(きた)りて命(いのち)を送(おく)るか」。行者言う、「この倅(せがれ)め反(さか)しまに説(と)くかな!
我(われ)が命(いのち)を送(おく)るか、汝(なんじ)が命を送るか知(し)らず! 過(よ)ぎ来(きた)れ、老外公(ろうがいこう=この爺(じい))の一拳(いっけん)を食(く)らえ!」 かの妖魔(ようま)笑って言う、「この猿(さる)め強(しい)て纏帳(てんちょう=絡(から)み付(つ)く)す! 我(われ)は倒(かえ)って槍(やり)を使(つか)うに、彼(かれ)は却(かえ)って拳(こぶし)を使(つか)う。あの如(ごと)き一箇の筋骷子(きんこし=痩(や)せこけ)の拳頭(げんとう=拳(こぶし))、只(た)だ好(よ)く一箇の核桃(かくとう=胡桃(くるみ))ほどの大(おお)いさ有るのみ、どうして箇の錘子(つち=槌(つち))と称(とな)え起(お)こる可(べ)けんや。罷(や)め! 罷め! 罷め!
我(われ)且(しばら)く槍(やり)を放下(ほうか=下(お)ろ)し、汝(なんじ)と一路(いちろ)の拳(けん)を走走(はし)らせて看(み)ん!」 行者笑って言う、「説(と)いて是(ぜ)なり! 上(うえ)へ走(はし)り来(きた)れ!」 かの妖(よう)は衣(い)を撩(まく)り歩(あゆみ)を進(すす)め、一箇の架子(かし=構(かま)え)を作(な)し、両箇(ふたつ)の拳(こぶし)を挙(あ)げ起(おこ)せば、真(まこと)に油(あぶら)を打(う)つ鉄錘(てっつい=鉄(てつ)の槌(つち))の形(かたち)に似(に)たり。この大聖は足(あし)を展(の)べ身(み)を挪(うつ)し、解数(げすう=技(わざ))を擺(ひら)き開(ひら)き、かの洞門前(どうもんぜん)に在って、かの魔王(まおう)と拳勢(けんせい=拳(けん)の型(かた))を逓(かわ)し走走(はし)る。この一場(いちじょう)の好打(こうだ=見事(みごと)な打(う)ち合(あ)い)! 咦(ああ)!
大四平(だいしへい)を引(ひ)き開(ひら)き、
双飛脚(そうひきゃく)を踢(け)り起(おこ)す。
韜脇(とうきょう)劈胸墩(へききょうとん)、
剜心摘胆着(えんしんてきたんちゃく)。
仙人(せんにん)指路(しろ)、老子(ろうし)騎鶴(きかく)。
餓虎(がこ)の撲食(ぼくしょく=襲(おそ)い掛(か)かり)最(もっと)も人(ひと)を傷(そこな)い、
蛟龍(こうりゅう)の戯水(ぎすい)能(よ)く凶悪(きょうあく)なり。
魔王(まおう)は箇の蟒翻身(もうほんしん=大蛇(うわばみ)の身(み)返(がえ)し)を使(つか)い、
大聖(たいせい)は却(かえ)って鹿解角(ろくかいかく)を施(ほどこ)す。
翹跟(ぎょうこん=踵(かかと)上(あ)げ)淬地龍(そいちりゅう)、
扭腕(じゅうわん=手首(てくび)を捻(ひね))拿天橐(なてんたく)。
青獅(せいし)口(くち)を張(は)りて来(きた)り、
鯉魚(りぎょ)脊(せ)を跌(ふ)みて躍(おど)る。
蓋頂撒花(がいちょうさっか)、繞腰貫索(にょうようかんさく)。
迎風貼扇児(げいふうてんせんじ)、急雨催花落(きゅううさいからく)。
妖精(ようせい)は便(すなわ)ち観音掌(かんのんしょう)を使(つか)い、
行者(ぎょうじゃ)は就(すなわ)ち羅漢脚(らかんきゃく)に対(むか)う。
長掌(ちょうしょう)は開闊(かいかつ)自然(しぜん)に松(ゆる)し、
怎(いか)でか短拳(たんけん)の緊削(きんさく)多(おお)きに比(ひ)せん。
二箇(ふたり)相持(あいたもち)すること数十回(すうじっかい)、
一般(いっぱん)の本事(ほんじ)にして強弱(きょうじゃく)無(な)し。
彼(かれ)の二箇(ふたり)がかの洞門前(どうもんぜん)に在って厮打(しだ=打(う)ち合(あ)う)を見て、只(た)だ見(み)るにこの高峰頭(こうほうとう=峰(みね)の頂(いただき))に在って、喜(よろこ)べるは箇の李天王(りてんのう)の厲声(れいせい)に喝采(かっさい)し、火徳星(かとくせい)は掌(てのひら)を鼓(う)って夸称(こしょう=称(たた)える)。かの二箇(ふたり)の雷公(らいこう)と哪吒太子(なたたいし)は、衆神(しゅうしん)を帥(ひき)いて跟前(こんぜん=前(まえ))に跳(と)び到(いた)り、皆(みな)来(きた)りて相助(あいたす)けんと欲(ほっ)す;この壁廂(へきしょう=此方(こなた))の群妖(ぐんよう)は旗(はた)を揺(ゆ)り鼓(つづみ)を擂(う)ち、剣(けん)を舞(ま)い刀(かたな)を輪(めぐ)らして一斉(いっせい)に護(まも)る。孫大聖(そんたいせい)は事(こと)の諧(とのわ)ざるを見て、毫毛(ごうもう)を一把(いちわ=一(ひと)つかみ)抜(ぬ)き下(おろ)し、空(くう)に望(めが)けて撒(ま)き起(おこ)し、「変(へん)!」と叫べば、即(すなわ)ち変じて三五十箇(さんごじっこ)の小猴(しょうこう)と作(な)り、一擁(いちよう=一度(いちど)に)して上前(うえまえ)し、かの妖(よう)を纏(から)み住(とど)め、腿(あし)を抱(いだ)く者(もの)は腿を抱き、腰(こし)を扯(ひ)く者は腰を扯き、眼(め)を抓(つか)む者は眼を抓み、毛(け)を引(ひ)き抜(ぬ)く者は毛を抜(ぬ)く。かの怪物(かいぶつ)は慌(あわ)てて、急(いそ)ぎ圈子(けんし=輪(わ))を拿(と)り将(も)って出(いだ)す。大聖と天王等(てんのうら)は彼(かれ)が圈套(けんとう=輪(わ)の罠(わな))を弄(ろう)し出(いだ)すを見て、雲頭(うんとう)を撥転(はってん)し、高峰(こうほう)に走(はし)り上(あが)りて陣(じん)を逃(のが)る。かの妖(よう)は圈子(けんし)を上(うえ)に向かえて抛(ほう)り起(おこ)せば、唿喇(こつらつ)の一声(ひとこえ)、かの三五十箇(さんごじっこ)の毫毛(ごうもう)の変(へん)じたる小猴(しょうこう)を收(おさ)めて本相(ほんそう)と為(な)し、洞中(どうちゅう)に套(から)め入(い)れ、勝(か)ちを得(え)、兵(へい)を領(ひき)いて門(もん)を閉(と)じ、賀(が)し喜(よろこ)んで去(さ)る。
この太子(たいし)言う、「孫大聖はまた是(こ)れ箇の好漢(こうかん=好(い)い漢(おとこ))なり! この一路(いちろ)の拳(けん)は、走(はし)らせて錦上添花(きんじょうてんか=錦(にしき)に花(はな)を添(そ)う)に似(に)たり。分身法(ぶんしんぽう)を使(つか)うは、正(まさ)に是れ人前(ひとまえ)に貴(とうとき)を顕(あらわ)すなり」。行者笑って言う、「列位(れつい)此処(ここ)に在って遠(とお)く観(み)られたが、かの怪(かい)の本事(ほんじ)は、老孫(ろうそん)に比(くら)べて如何(いかん)」。李天王言う、「彼(かれ)は拳(こぶし)緩(ゆる)く脚(あし)遅(おそ)く、大聖(たいせい)の緊疾(きんしつ=素早(すばや)き)に如(し)かず。彼(かれ)は我等(われら)の往(ゆ)くを見て、也就(すなわ)ち着忙(ちゃくぼう=慌(あわ)て)し;又(また)汝(なんじ)の分身法(ぶんしんぽう)を使(つか)い出(いだ)すを見て、彼(かれ)は急(いそ)ぎたり、故(ゆえ)に大(おお)いに一箇の圈套(けんとう=輪(わ)の罠(わな))を弄(ろう)せるなり」。行者言う、「魔王(まおう)は治(ち)し好(よ)し、只(た)だ套子(とうし=輪(わ))の降(くだ)し難(がた)きのみ」。火徳(かとく)と水伯(すいはく)言う、「若(も)しまだ勝(か)たんとせば、除非(じょひ=~の他(ほか)に)彼(かれ)がかの宝貝(ほうばい)を得(う)るに非(あら)ざれば、然(しか)る後(のち)に擒(とら)う可(べ)し」。行者言う、「彼(かれ)がかの宝貝(ほうばい)は何(いか)にして得(う)可(べ)き。只(た)だ是(こ)れ偷(ぬす)み往(ゆ)きて来(きた)る除(ほか)に無し」。鄧(とう)・張(ちょう)の二公(にこう)笑って言う、「若(も)し偷礼(とうれい=盗(ぬす)みの技(わざ))を行(おこな)わんとせば、大聖(たいせい)を除(お)いてまた能(よ)くする者(もの)有ること無し。想(おも)うに当年(とうねん)大(おお)いに天宮(てんぐう)を鬧(さわ)がせし時(とき)、御酒(ぎょしゅ)を偷(ぬす)み、蟠桃(ばんとう)を偷み、龍肝鳳髄(りゅうかんほうずい)及び老君(ろうくん)の丹(たん)を偷みしは、あれは何(なん)なる手段(しゅだん)ぞや! 今日(こんにち)正(まさ)に此処(ここ)に拿(と)りて用(もち)う可(べ)きなり」。行者言う、「好説(こうせつ=宜(よろ)しい)好説! 既(すで)に此(か)くの如(ごと)くんば、汝等(なんじら)は且(しばら)く坐(ざ)し、老孫(ろうそん)の探(さぐ)って来(きた)るを待(ま)て」。好(よ)き大聖、峰頭(ほうとう=峰(みね)の頂(いただき))より跳(と)び下(お)り、私(ひそ)かに洞口(どうこう)に至(いた)り、身(み)を揺(ゆ)るがして一変(いっぺん)し、変じて箇の麻蠅(まよう=蠅(はえ))の児(じ)と作(な)る。真(まこと)に秀溜(しゅうりゅう=可愛(かわい)らし)! 汝(なんじ)看(み)よ彼(かれ)を──
翎翅(りょうし=羽(はね))薄(うす)きこと竹膜(ちくまく=竹(たけ)の皮(かわ))の如(ごと)く、
身躯(しんく=体(からだ))小(ちい)さきこと花心(かしん=花(はな)の芯(しん))に似(に)たり。
手足(しゅそく)毛(け)よりも更(さら)に奘(さかん=太(ふと))く、
星星(せいせい)たる眼窟(がんくつ=眼(まなこ))明明(めいめい)たり。
善(よ)く自(おのずか)ら香(かおり)を聞(き)き気(き)を逐(お)い、
飛(と)ぶ時(とき)迅速(じんそく)として風(かぜ)に乗(じょう)ず。
称(はか)り来(きた)れば剛(ちょうど)定盤星(ていばんせい=秤(はかり)の目盛(めも)り)を圧(おさ)え、
愛(あい)す可(べ)き些些(しゃしゃ=些(ちい)さ)の用(よう)有(あ)り。
軽軽(けいけい)と門(もん)の上(うえ)に飛(と)び在(あ)り、門(もん)の縫(ほころ)びの辺(ほとり)に爬(はい)り到(いた)り、潜(もぐ)り込(こ)んで往(ゆ)けば、只(た)だ見(み)るにかの大小(だいしょう)の群妖(ぐんよう)、舞(ま)う者(もの)は舞い、唱(うた)う者は唱い、両旁(りょうぼう=両側(りょうがわ))に排列(はいれつ)し;老魔王(ろうまおう)は台上(だいじょう)に高(たか)く坐(ざ)し、面前(めんぜん)に些(いささ)かの蛇肉(じゃにく)・鹿脯(ろくほ=鹿(しか)の乾(ほ)し肉(にく))・熊掌(ゆうしょう=熊(くま)の手(て))・駝峰(だほう=駱駝(らくだ)の瘤(こぶ))・山蔬果品(さんそかひん=山菜(さんさい)と果物(くだもの))を擺(なら)べ、一把(いちわ)の青磁(せいじ)の酒壺(しゅこ)有って、香噴噴(こうふんふん)の羊酪椰醪(ようらくやろう=羊(ひつじ)の乳(ちち)と椰子(やし)の酒(さけ))、大碗(だいわん)にて寛(ひろ)く懐(ふところ)を開(ひら)いて暢飲(ちょういん=心(こころ)ゆくまで飲(の))む。行者は小妖(しょうよう)の叢(むらがり)の中(うち)に落(お)ち、又(また)変じて一箇の獾頭精(かんとうせい=穴熊(あなぐま)の精(せい))と作(な)り、慢慢(まんまん=ゆっくり)と台(だい)の辺(ほとり)に演(はい)り近(ちか)づき、彀(たくさん)に看(み)ること多時(たじ=暫(しばら)く)なるに、全(まった)く宝貝(ほうばい)の何方(いずかた)に放(お)かれたるを見(み)出(いだ)さず。急(きゅう)に身(み)を抽(ひ)きて台後(だいご=台(だい)の裏(うら))に転(てん)じ、又(また)見(み)るにかの後庁(こうちょう=奥(おく)の間(ま))に高(たか)く火龍(かりゅう)を吊(つる)して吟嘯(ぎんしょう=呻(うな)り声(ごえ))し、火馬(かば)を号嘶(ごうせい=嘶(いなな)か)しむ。ふと目を上げて、彼(かれ)の金箍棒(きんこぼう)の東壁(とうへき=東(ひがし)の壁(かべ))に靠(もた)せ在(あ)るを見(み)て、喜(よろこ)ぶこと心(こころ)痒(かゆ)くして撾(つか)み難(がた)く、更(さら)に容(かたち)を変(え)んことを忘(わす)れ、上前(うえまえ)に走(はし)り往(ゆ)きて鉄棒(てつぼう)を拿(と)り、原身(げんしん=元(もと)の姿(すがた))を現(あらわ)して解数(げすう=技(わざ))を繰(く)り出(いだ)し、一路(いちろ)棒(ぼう)を打(う)ち将(も)って出(い)づる。慌(あわ)てたるはかの群妖(ぐんよう)、胆(きも)を戦(おのの)かし心(こころ)を驚(おどろ)かし、老魔王(ろうまおう)も措手(そしゅ=手(て)の打(う)ち)及(およ)ばず、却(かえ)って彼(かれ)に三箇(みっつ)を推(お)し倒(たお)され、二箇(ふたつ)を放(ほう)り倒(たお)され、一條(ひとすじ)の血路(けつろ=血(ち)の道(みち))を打(う)ち開(ひら)き、径(ただ)ちに自(おのずか)ら洞門(どうもん)を出(い)づ。此(ここ)にこそ是(な)れ──
魔頭(まとう)驕(おご)り傲(あなど)って防備(ぼうび)無く、
主杖(しゅじょう=主(あるじ)の杖(つえ))還(かえ)って本人(ほんにん)に帰(き)す。
畢竟(ひっきょう)吉凶(きっきょう)の如何(いかん)は知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。