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052 第五十二回 悟空、大いに金兜洞(きんとうどう)を鬧(さわ)がし 如来、暗(あん)に主人公(しゅじんこう)を示(しめ)す

さて孫大聖(そんたいせい)は金箍棒(きんこぼう)を得(え)、打(う)ちて門前(もんぜん)に出(い)で、高峰(こうほう)に跳(と)び上(あが)り、衆神(しゅうしん)に向かって心(こころ)に満(み)つるまで喜(よろこ)ぶ。李天王(りてんのう)言う、「そなたのこの場(ば)は如何(いかん)」。行者言う、「老孫(ろうそん)変化(へんげ)して彼(かれ)の洞中(どうちゅう)に進(すす)み入(い)りしに、かの怪物(かいぶつ)は愈々(いよいよ)唱(うた)い舞(ま)うて、勝(か)ち酒(ざけ)を食(く)っておったわ、更(さら)に曾(かつ)て彼(かれ)の宝貝(ほうばい)の何処(いずこ)に在(あ)るかを探(さぐ)り得(え)なんだ。我(われ)が彼(かれ)の後面(こうめん=裏(うら))に転(てん)じ、ふと馬(うま)の嘶(いなな)き龍(りゅう)の吟(うな)りを聴(き)き得(え)て、是(こ)れ火部(かぶ)の物(もの)と知(し)ったり。東壁廂(とうへきしょう=東(ひがし)の壁(かべ)の側(そば))に我が金箍棒(きんこぼう)の靠(もた)せ在(あ)るを、是(ここ)において老孫(ろうそん)手(て)に拿(と)り在(あ)りて、一路(いちろ)打(う)ち将(も)って出(い)で来(きた)るなり」。衆神(しゅうしん)言う、「そなたの宝貝(ほうばい)は得(え)られたが、我等(われら)の宝貝(ほうばい)は何時(いつ)手(て)に到(いた)らん」。行者言う、「難(かた)からず!

難からず! 我(われ)にこの一根(いっこん)の鉄棒(てつぼう)有れば、怎(いか)なるとも、また彼(かれ)を打(う)ち倒(たお)し、宝貝(ほうばい)を取(と)りて汝等(なんじら)に還(かえ)さん」。

正(まさ)に講(こう)ずる処(ところ)、只(た)だ聞(き)こゆるはかの山坡下(さんぱか=坂(さか)の下(した))に鑼鼓(らこ=鉦(かね)と太鼓(たいこ))斉(ひと)しく鳴(な)り、喊声(かんせい=鬨(とき)の声(こえ))地(ち)を振(ふる)わす。元来(もと)是(こ)れ兕大王(じだいおう)の衆(しゅう)の精霊(せいれい)を帥(ひき)いて来(きた)りて行者(ぎょうじゃ)を赶(お)うなり。行者は見て、叫んで言う、「好(よ)し! 好し! 好し! 正(まさ)に吾(わ)が意(こころ)に合(かな)えり!

列位(れつい)は請(こ)うて坐(ざ)し、老孫(ろうそん)の再(ふたた)び往(ゆ)きて彼(かれ)を捉(とら)え来(きた)るを待(ま)て」。

好(よ)き大聖、鉄棒(てつぼう)を挙(あ)げて面(おもて)を劈(さ)いて迎(むか)い、喝(かつ)して言う、「潑魔(はつま=愚(おろ)かなる魔)、何処(いずこ)へ走(に)ぐる! 棍(こん)を見よ!」 かの怪(かい)は槍(やり)を使(つか)って支(ささ)え住(とど)め、罵(ののし)って言う、「賊(ぞく)の猿頭(えんとう=猿(さる)め)! 着実(ちゃくじつ)に無礼(ぶれい)なり! 汝(なんじ)どうして白昼(はくちゅう)に吾(わ)が物件(ぶっけん)を劫(かす)めしや」。行者言う、「我(われ)この汝(なんじ)が如(ごと)き死(し)を知(し)らざる孽畜(げっちく=畜生(ちくしょう))め! 汝(なんじ)は倒(かえ)って圈套(けんとう=輪(わ)の罠(わな))を弄(ろう)して白昼(はくちゅう)に我が物(もの)を搶奪(ごうだつ=奪(うば)い取(と))りおった! 何(いず)れの件(くだり)か是れ汝(なんじ)の物(もの)なる。往(ゆ)くな! 老爺(ろうや=この爺(じい))の一棍(いっこん)を食(く)らえ!」 かの怪物(かいぶつ)は槍(やり)を輪(めぐ)らして隔(へだ)て架(か)う。この一場(いちじょう)の好戦(こうせん=見事(みごと)な戦(いくさ))──

大聖(たいせい)は威猛(いもう=威(い)と猛(たけ)き)を施(ほどこ)し、
妖魔(ようま)は柔(じゅう=従(したが)う)を順(したが)わず。
両家(りょうか)斉(ひと)しく勇(ゆう)を闘(たたか)わせ、
何(いず)れか肯(あ)えて干休(かんきゅう=止(や)め)せん!
この一箇(ひとつ)の鉄棒(てつぼう)は龍尾(りゅうび)の如(ごと)く、
かの一箇の長槍(ちょうそう)は蟒頭(もうとう=大蛇(うわばみ)の頭(かしら))に似(に)たり。
この一箇は棒(ぼう)来(きた)って解数(げすう=技(わざ))風(かぜ)の響(ひび)くが如(ごと)く、
かの一箇は槍(やり)架(か)って雄威(ゆうい)水(みず)の流(なが)るるに似(に)たり。
只(た)だ見(み)るにかの彩霧(さいむ)朦朦(もうもう)として山嶺(さんれい)暗(くら)く、
祥雲(しょううん)靉靉(あいあい)として樹林(じゅりん)愁(うれ)う。
満空(まんくう)の飛鳥(ひちょう)皆(みな)翅(つばさ)を停(とど)め、
四野(しや)の狼虫(ろうちゅう=狼(おおかみ)と虫(むし))尽(ことごと)く頭(こうべ)を縮(ちぢ)む。
かの陣上(じんじょう)には小妖(しょうよう)喊(さけ)び、
この壁廂(へきしょう=此方(こなた))には行者(ぎょうじゃ)抖擻(しゅんそう=奮(ふる)い起(お)こ)る。
一條(ひとすじ)の鉄棒(てつぼう)に敵(てき)する人(ひと)無(な)く、
打(う)ちて西方(せいほう)万里(ばんり)を遍(あまね)く遊(あそ)ぶ。
かの杆(え)の長槍(ちょうそう)は真(まこと)の敵手(てきしゅ)、
永(とこしな)えに金皘(きんしょう)を鎮(しず)めて上筹(じょうちゅう=上(じょう)の策(さく))と称(とな)う。
相(あい)遇(あ)うてこの場(ば)に好散(こうさん=見事(みごと)な別(わか)れ)無く、
高低(こうてい=勝負(しょうぶ))を見(み)ざれば誓(ちか)って休(や)めじ。

かの魔王(まおう)と孫大聖(そんたいせい)の戦(たたか)うこと三箇時辰(さんこじしん=六時間(ろくじかん))、勝敗(しょうはい)を分(わ)たず、早(はや)くまた天色(てんしょく=空(そら)の色(いろ))の将(まさ)に晩(く)れんとするを見る。妖魔(ようま)は長槍(ちょうそう)を支(つ)いて言う、「悟空(ごくう)、汝(なんじ)止(とど)まれ、天(てん)昏(くら)く地(ち)暗(くら)し、是(こ)れ箇の賭闘(ととう=戦(たたか)い)の時(とき)に非(あら)ず、且(しばら)く各(おのおの)歇息(けっそく=休(やす)み)歇息し、明朝(みょうちょう=明日(あす)の朝(あさ))また汝(なんじ)と比迸(ひほう=競(きそ)い)せん」。行者は罵(ののし)って言う、「潑畜(はっちく=愚かなる畜生)言(いう)な! 老孫(ろうそん)の興頭(こうとう=興(きょう))は纔(わず)かに来(きた)れるのみ、甚(なん)の天(てん)の晩(く)るるを管(かん=構(かま))うや! 是(ぜ)必(ひつ)ず汝(なんじ)と一箇の輸贏(ゆえい=勝敗(しょうぶ))を定(さだ)めん!」 かの怪物(かいぶつ)一声(ひとこえ)喝(かつ)し、虚(うつろ)に一槍(いっそう)を幌(ひるがえ)して、性命(しょうみょう=命(いのち))を逃(のが)れ、群妖(ぐんよう)を帥(ひき)いて干戈(かんか=武器(ぶき))を収(おさ)め転(てん)じ、洞中(どうちゅう)に入(い)りて門(もん)を緊緊(きんきん)と閉(と)ざす。

この大聖は棍(こん)を引(ひ)いて方(ようや)く回(かえ)れば、天神(てんしん)は岸頭(がんとう=岸(きし)の端(はし))に在って賀(が)し喜(よろこ)び、皆(みな)言う、「是(こ)れ能(のう)有り力(ちから)有る大斉天(だいせいてん)、量(はかり)無(な)く辺(へん)無(な)き真(しん)の本事(ほんじ=技(わざ))なり!」 行者笑って言う、「過奨(かしょう=過(す)ぎた褒(ほ)め)を承(うけたまわ)る! 過奨を承る!」 李天王(りてんのう)は近(ちか)づき前(すす)みて言う、「この言(こと)は実(じつ)に褒奨(ほうしょう)に非(あら)ず、真(まこと)に是れ一條(ひとすじ)の好漢子(こうかんし=好(い)い漢(おとこ))なり! この一陣(いちじん)もまた当時(とうじ)の地網(ちもう)を瞞(あざむ)き天羅(てんら)を罩(おお)えしに亜(つ)がざるなり!」 行者言う、「且(しばら)く夙話(しゅくわ=昔話(むかしばなし))を題(だい)するを休(や)めよ。かの妖魔(ようま)は老孫(ろうそん)にこの一場(いちじょう)を打(う)たれて、必(かなら)ずや疲倦(ひけん=疲(つか)れ)せん。我(われ)もまた辛苦(しんく=苦労(くろう))を説(と)く可(べ)からず、汝等(なんじら)は皆(みな)懐(ふところ)を放(はな)ちて坐坐(ざざ=くつろぎ)し、我(われ)が再(ふたた)び洞中(どうちゅう)に進(すす)み入(い)りて彼(かれ)の圈子(けんし=輪(わ))を探(さぐ)り、務(つと)めて彼(かれ)のを偷(ぬす)み、かの怪(かい)を捉(とら)え、兵器(へいき)を尋(たず)ね取(と)り、奉(たてまつ)りて汝等(なんじら)に還(かえ)して天(てん)に帰(かえ)らしめんを待(ま)て」。太子(たいし)言う、「今(いま)已(すで)に天(てん)晩(く)れたり、安(やす)らかに一宿(いっしゅく)を眠(ねむ)り、明早(みょうそう=明日(あす)の早朝(そうちょう))に往(ゆ)かんには若(し)かず」。行者笑って言う、「この小郎(しょうろう=若(わか)き君(きみ))は世事(せじ)を知(し)らず! 何処(いずこ)に賊(どろぼう)を為(な)す者(もの)の好(よ)く白日(はくちゅう)の裡(うち)に手(て)を下(くだ)すを見(み)んか。この如(ごと)き掏摸(とうも=掏摸(すり))の類(たぐい)は、必(かなら)ず夜(よる)往(ゆ)きて夜来(よるきた)り、知(し)らず覚(さと)らざるこそ、便(すなわ)ち是れ売買(ばいばい=商売(しょうばい))なるぞ」。火徳(かとく)と雷公(らいこう)言う、「三太子(さんたいし)言(いう)な、この事(こと)は我等(われら)知(し)らず、大聖(たいせい)は是れ箇の慣家(かんか=熟練者(じゅくれんしゃ))熟套(じゅくとう=手馴(てな)れた手口(てぐち))なり、須(すべか)らく彼(かれ)をしてこの時(とき)に趁(じゅん=乗(の))ぜしむべし。一(ひと)つには魔頭(まとう)困倦(こんけん=疲(つか)れ倦(う)み)、二(ふたつ)には夜(よる)黒(くら)くして防(ふせ)ぎ無(な)し、就(すなわ)ち請(こ)うて快(はや)く往(ゆ)け! 快く往け!」

好(よ)き大聖、笑唏唏(しょうきき=にこにこ)と、鉄棒(てつぼう)を将(も)って藏(かく)し、高峰(こうほう)より跳(と)び下(お)り、又(また)洞口(どうこう)に至(いた)り、身(み)を揺(ゆ)るがして一変(いっぺん)し、変(へん)じて一箇の促織児(そくしょくじ=蟋蟀(こおろぎ))と作(な)る。真(まこと)に嘴(くちばし)硬(かた)く須(ひげ)長(なが)く皮(かわ)黒(くろ)く、眼(め)明(あき)らかにして爪(つめ)脚(あし)丫叉(あさ=叉(また))なり。

風清(かぜきよ)く月明(つきあき)らかにして牆涯(しょうがい=塀(へい)の端(はし))に叫(な)き、
夜静(よるしず)かにして人(ひと)の話(はな)すに同(おな)じ。
露(つゆ)を泣(な)いて凄凉(せいりょう)の景色(けいしき)、
声音(せいおん)断続(だんぞく)して夸(ほ)むるに堪(た)えたり。
客窓(かくそう=旅(たび)の窓(まど))旅思(りょし=旅(たび)の想(おも)い)彼(かれ)を聞(き)くを怕(おそ)る、
偏(ひとえ)に空階(くうかい=空(から)の階(きざはし))床下(しょうか=床(ゆか)の下(した))に在り。

大腿(だいたい=太腿(ふともも))を蹬(ふんば)り開(ひら)いて三五跳(さんごちょう=三(み)つ五(いつ)つ跳(と))び、門(もん)の辺(ほとり)に跳(と)び到(いた)り、自(みずか)ら門(もん)の縫(ほころ)びの裡(うち)より潜(もぐ)り将(も)って進(すす)み入(い)り、かの壁根(へきこん=壁(かべ)の根元(ねもと))の下(した)に蹲(うずくま)り、内面(うち)の灯光(とうこう=灯(あかし)の光(ひかり))に迎(むか)いて、仔細(しさい)に観看(かんかん)す。只(た)だ見(み)るにかの大小(だいしょう)の群妖(ぐんよう)、一箇一箇(ひとつひとつ)狼餐虎咽(ろうさんこえん=狼(おおかみ)の如(ごと)く貪(むさぼ)り食(くら)い)、正(まさ)に皆(みな)東西(とうざい=物(もの))を食(く)っておるなり。行者は揲揲錘錘(しょうしょうついつい=こおろぎの鳴(な)き声(ごえ))と一遍(いっぺん)叫(な)きて廻(めぐ)る。少時(しばらく)の間(あいだ)に、家火(かか=道具(どうぐ))を収(おさ)め、又(また)皆(みな)往(ゆ)きて窩舗(かほ=寝床(ねどこ))を安排(あんばい=整(ととの)え)、各各(おのおの)身(み)を安(やす)んず。

約摸(やくも=大体(だいたい))一更(いっこう=午後八時(ごごはちじ))の時分(じぶん)有って、行者は纔(ようや)く彼(かれ)の後辺(こうへん=裏(うら))の房(へや)の裡(うち)に到(いた)れば、只(た)だ聴(き)くにかの老魔(ろうま)令(れい)を伝(つた)えて、「各門上(かくもんじょう)の小(こ)の者(もの)、醒睡(せいすい=寝(ね)ぼけ)るな! 恐(おそ)らくは孫悟空(そんごくう)又(また)甚(なん)に変(へん)じて私(ひそ)かに入(い)り家(いえ)に盗(ぬす)み入(い)らん」と教(おし)う。又(また)些(いささ)かの該班(がいはん=当番(とうばん))の坐夜(ざや=夜警(やけい))の者有って、滌滌托托(てきてきたくたく=拍子木(ひょうしぎ)の音(おと))、梆鈴(ほうれい=拍子木(ひょうしぎ)と鈴(すず))斉(ひと)しく響(ひび)く。この大聖は愈々(いよいよ)事(こと)を行(おこな)い好(よ)く、房門(ぼうもん=部屋(へや)の戸(と))に潜(もぐ)り入(い)り、一架(いっか)の石床(せきしょう=石(いし)の寝台(しんだい))有って、左右(さゆう)に幾箇(いくつ)かの粉(おしろい)を抹(ぬ)り胭脂(べに)を搽(ぬ)れる山精樹鬼(さんせいじゅき=山(やま)の精(せい)と樹(き)の鬼(おに))を列(つら)ね、鋪蓋(ほがい=寝具(しんぐ))を展(の)べて老魔(ろうま)に伏侍(ぶくじ=仕(つか)え)し、脚(あし)を脱(ぬ)ぐ者は脚を脱ぎ、衣(い)を解(と)く者は衣を解くを見(み)る。只(た)だ見(み)るにかの魔王(まおう)は衣服(いふく=着物(きもの))を寛(ゆる)めて、左(ひだ)りの肐膊(きゃくはく=腕(うで))の上(うえ)に、白森森(はくしんしん=白(しろ)く光(ひか)る)としてかの圈子(けんし=輪(わ))を套(つ)け在(あ)り、元来(もと)一箇の連珠(れんじゅ=珠(たま)つなぎ)の鐲頭(しょくとう=腕輪(うでわ))の形(かたち)に象(に)たり。汝(なんじ)看(み)よ彼(かれ)は更(さら)に取(と)り下(おろ)さず、転(うつ)って上(うえ)へ向かえて両抹(りょうまつ=二(ふた)なで)抹(な)でて、緊緊(きんきん)と肐膊(うで)の上に勒(し)めつけ、方(ようや)く纔(ようや)く睡(ねむ)り下(お)る。行者は見て、身(み)を将(も)って又(また)変(へん)じ、変(へん)じて一箇の黄皮(こうひ=黄色(きいろ)い皮(かわ))の虼蚤(こつそう=蚤(のみ))と作(な)り、石床(せきしょう)に跳(と)び上(あが)り、被(ふとん)の裡(うち)に潜(もぐ)り入(い)り、かの怪(かい)の肐膊(うで)の上(うえ)に爬(はい)り在(あ)りて、着実(ちゃくじつ)に一口(ひとくち)、叮(さ)したるにかの怪(かい)身(み)を翻(ひるがえ)して罵(ののし)って言う、「これらの少(すくな)く打(う)たれし奴才(どさい=下郎(げろう))め! 被(ふとん)も抖(はた)かず、床(とこ)も拂(はら)わず、何(なん)の東西(もの)か知(し)らず、我(われ)をこの一下(ひとくち)咬(か)みおった!」 彼(かれ)は却(かえ)って圈子(けんし)を将(も)って又(また)上(うえ)へ向かえて両捋(りょうらつ=二(ふた)なで)捋(な)で上(あ)げ、依然(いぜん)として睡(ねむ)り下(お)る。行者はかの圈子(けんし)の上(うえ)に爬(はい)り上(あが)り、又(また)一口(ひとくち)咬(か)む。かの怪(かい)は睡(ねむ)るを得(え)ず、又(また)身(み)を翻(ひるがえ)して過(よ)ぎ来(きた)りて言う、「刺鬧(しとう=痒(かゆ)くて痛(いた)き)我(われ)を殺(ころ)すなり!」

行者は彼(かれ)の関防(かんぼう=警戒(けいかい))の緊(きつ)きを見(み)、宝貝(ほうばい)又(また)身(み)に随(したが)えて、肯(あ)えて除(と)り下(おろ)さざれば、料(はか)るに彼(かれ)のを偷(ぬす)むこと得(え)じ。床(とこ)を跳(と)び下(お)り来(きた)り、還(かえ)って促織児(こおろぎ)に変(へん)じ做(な)り、房門(ぼうもん)を出(い)で、径(ただ)ちに後面(こうめん=裏(うら))に至(いた)れば、又(また)龍吟(りゅうぎん)馬嘶(ばせい)を聴(き)き得(え)たり。元来(もと)かの層(そう)の門(もん)は緊(きつ)く鎖(とざ)され、火龍(かりゅう)火馬(かば)は、皆(みな)内(うち)に吊(つる)され在(あ)り。行者は原身(げんしん=元(もと)の姿(すがた))を現(あらわ)し、門前(もんぜん)に走(はし)り近(ちか)づき、一箇の解鎖法(かいさほう=錠(じょう)を解(と)く法(ほう))を使(つか)い、呪語(じゅご=呪文(じゅもん))を念(ねん)じ動(うご)かし、手(て)を以(も)って一抹(いちまつ=ひと撫(な)で)すれば、扢扠(こつさ)一声(ひとこえ)、かの鎖(くさり)の双鐄(そうこう=両方(りょうほう)の鎹(かすがい))俱(とも)に就(すなわ)ち脱落(だつらく)し、門(もん)を推(お)し開(ひら)き、闖(と)び将(も)って進(い)り入(い)って観看(かんかん)すれば、元来(もと)かの内面(うち)は火器(かき=火(ひ)の道具(どうぐ))に照(て)らされて明晃晃(めいこうこう=明(あか)るく輝(かがや)き)、白日(はくじつ)の一般(ごと)し。ふと見(み)るに東西(とうざい=東西(ひがしにし))の両辺(りょうへん=両側(りょうがわ))に斜(なな)めに幾件(いくけん)かの兵器(へいき)の靠(もた)せ在(あ)るは、皆(みな)是(こ)れ太子(たいし)の砍妖剣(かんようけん)等の物(もの)、並(なら)びにかの火徳(かとく)の火弓(かきゅう)火箭(かせん)等の物(もの)なり。行者は火光(かこう)に映(えい)じて、周囲(しゅうい)を一遍(いっぺん)看(み)て廻(めぐ)り、又(また)見(み)るにかの門背後(もんはいご=扉(とびら)の裏(うら))に一張(いっちょう)の石桌子(せきたくじ=石(いし)の卓(つくえ))有って、上(うえ)に一箇の篾絲盤児(べっしばんじ=竹(たけ)の籠(かご))有り、一把(いちわ)の毫毛(ごうもう)を放(お)き在(あ)り。大聖は心(こころ)に満(み)つるまで喜(よろこ)び、毫毛(ごうもう)を将(も)って拿(と)り起(おこ)し、両口(ふたくち)の熱気(ねっき)を呵(ふ)きかけ、「変(へん)!」と一声(ひとこえ)叫べば、即(すなわ)ち変(へん)じて三五十箇(さんごじっこ)の小猴(しょうこう)と作(な)り、彼(かれ)らを教(おし)えて皆(みな)刀(とう)・剣(けん)・杵(しょ)・索(さく)・球(きゅう)・輪(りん)及び弓(きゅう)・箭(せん)・槍(そう)・車(しゃ)・葫蘆(ころ)・火鴉(かあ)・火鼠(かそ)・火馬(かば)の、一(いっ)応(おう)套(から)め往(ゆ)かれし所(ところ)の物(もの)を拿(と)らしめ、火龍(かりゅう)に騎(の)り、火勢(かせい)を縦(ほしいまま)にして、内(うち)より外(そと)に向かえて焼(や)き来(きた)る。只(た)だ聞(き)こゆるは烘烘焃焃(こうこうかくかく)、撲撲乒乒(ぼくぼくへいへい)、好(よ)く便(すなわ)ち咋雷連炮(さくらいれんぽう=雷(かみなり)と続(つづ)け炮(ほう))の声(こえ)に似(に)たり。慌(あわ)てたるは此等(これら)の大小(だいしょう)の妖精(ようせい)、夢夢査査(むむささ=夢(ゆめ)うつつ)と、被(ふとん)を披(き)り、頭(こうべ)を朦(おお)い、喊(さけ)ぶ者は喊び、哭(な)く者は哭き、一箇一箇(ひとりひとり)走(に)ぐる途(みち)無(な)く、この火(ひ)に焼(や)かれて大半(たいはん)死(し)す。美猴王(びこうおう)は勝(か)ちを得(え)て回(かえ)り来(きた)るに、只(た)だ好(よ)く三更(さんこう=午前零時(ごぜんれいじ))の時分(じぶん)有り。

さてかの高峰(こうほう)の上(うえ)に在(あ)る李天王(りてんのう)衆位(しゅうい)は、ふと火光(かこう)の幌亮(こうりょう=明(あか)るく輝(かがや)く)を見(み)て、一擁(いちよう=一度(いちど)に)して前(すす)み来(きた)れば、行者の龍(りゅう)に騎(の)り、喝喝呼呼(かつかつここ=喚(わめ)き立(た)て)と、小猴(しょうこう)を縦(ほしいまま)にして、径(ただ)ちに峰頭(ほうとう)に上(あが)り、厲声(れいせい)に高(たか)く叫(さけ)んで言うを見る、「兵器(へいき)を収(おさ)めに来(こ)よ! 兵器を収めに来よ!」 火徳(かとく)と哪吒(なた)は一声(ひとこえ)答(こた)え、この行者は身(み)を将(も)って一抖(ひとゆす)りすれば、かの一把(いちわ)の毫毛(ごうもう)は復(また)身(み)の上(うえ)に来(きた)る。哪吒太子(なたたいし)は彼(かれ)の六件(ろっけん)の兵器(へいき)を収(おさ)め、火徳星君(かとくせいくん)は衆(しゅう)の火部(かぶ)をして火龍(かりゅう)等の物(もの)を収(おさ)めしめ、皆(みな)笑吟吟(しょうぎんぎん=にこにこ)として行者を賛(たた)え賀(が)するは題(だい)せず。

さてかの金兜山(きんとうざん)の裡(うち)は火焰(かえん)紛紛(ふんぷん=燃(も)え盛(さか)り)、唬(おど)されたるは箇の兕大王(じだいおう)、魂(たましい)体(からだ)に附(ふ)かず、急(いそ)ぎ身(み)を欠(か)いて房門(ぼうもん)を開(ひら)き、双手(そうしゅ)に圈子(けんし=輪(わ))を拿(と)り看(み)て、東(ひがし)へ推(お)せば東の火(ひ)滅(めっ)し、西(にし)へ推せば西の火消(き)ゆ、満空(まんくう)の中(うち)に煙(けむり)を冒(おか)し火(ひ)を突(つ)き、宝貝(ほうばい)を執(と)りて一遍(いっぺん)跑(はし)り廻(めぐ)り、四下裏(しかり=四方(しほう))の烟火(えんか)俱(とも)に熄(き)ゆ。急(いそ)ぎ忙(いそ)ぎ群妖(ぐんよう)を収(おさ)め救(すく)えば、已(すで)に此(ここ)に焼(や)き殺(ころ)されて大半(たいはん)、男男女女(だんだんじょじょ)、収(おさ)むるに百十余丁(ひゃくじゅうよてい=百十余人(ひゃくじゅうよにん))に上(のぼ)らず;又(また)蔵兵(ぞうへい=兵器庫(へいきこ))の内(うち)を査看(さかん)するに、各件(かっけん)皆(みな)無(な)し;又(また)後面(こうめん=裏(うら))に往(ゆ)きて看(み)る処(ところ)、八戒(はっかい)・沙僧(しゃそう)と長老(ちょうろう)の還(また)捆(くく)り住(とど)められて未(いま)だ解(と)かれず、白竜馬(はくりゅうば)は還(また)槽(そう=飼(か)い桶(おけ))の上(うえ)に在(あ)り、行李担(こうりたん=荷物(にもつ))もまた屋(いえ)の裡(うち)に在(あ)るを見る。妖魔(ようま)は遂(つい)に恨(うら)んで言う、「何(いず)れの箇の小妖(しょうよう)か仔細(しさい)ならずして、火(ひ)を失(しっ)し、此(か)くの如(ごと)きを致(いた)せるは!」 傍(かたわ)らに近侍(きんじ=側仕(そばづか)え)の者有って告(もう)して言う、「大王(だいおう)、この火(ひ)は本家(ほんけ)の事(こと)に干(かかわ)らず、多くは是れ一箇の営(えい)を偷(ぬす)み寨(とりで)を劫(かす)むるの賊(ぞく)が、あの火部(かぶ)の物(もの)を放(はな)ち、神兵(しんぺい)を盗(ぬす)みて去(さ)れるなり」。老魔(ろうま)は方(ようや)く然(しか)と省悟(せいご=悟(さと))して言う、「別(べつ)の人(ひと)有るに非(あら)ず、断乎(だんこ=断(た)ち)じて是れ孫悟空(そんごくう)のあの賊(ぞく)なり! 怪(あや)しむらくは我(われ)睡(ねむ)りに臨(のぞ)みし時(とき)安穏(あんのん)ならざりしは! 想(おも)うに是れかの賊猴(ぞくこう=盗人(ぬすびと)の猿(さる))の変化(へんげ)して進(すす)み入(い)り来(きた)り、我がこの肐膊(うで)の上(うえ)にて両口(ふたくち)叮(さ)せるなり。一定(きっと)是れ我が宝貝(ほうばい)を偷(ぬす)まんと欲(ほっ)したるが、我(われ)の抹勒(まつろく=きつく締(し)め)めること緊(きつ)きを見(み)て、下(くだ)す手(て)能(あた)わず、此(こ)の故(ゆえ)に兵器(へいき)を盗(ぬす)み、火龍(かりゅう)を縦(ほしいまま)にして、この狠毒(げんどく=酷(ひど)き)の心(こころ)を放(はな)ち、意(こころ)は我(われ)を焼(や)き殺(ころ)さんと欲(ほっ)するなり。賊猴(ぞくこう)よ! 汝(なんじ)は枉(むだ)に機関(きかん=企(くわだ)て)を使(つか)えり、我が本事(ほんじ=腕前(うでまえ))を知(し)らず! 我(われ)は但(た)だこの件(くだり)の宝貝(ほうばい)を帯(お)びさえすれば、便(すなわ)ち是(こ)れ大海水(たいかいすい)に入(い)るも溺(おぼ)るる能(あた)わず、火池(かち=火(ひ)の池(いけ))に赴(おもむ)くも焚(や)かるる能(あた)わざるなり! この番(たび)若(も)しあの賊(ぞく)を拿(と)り住(とど)めなば、只(た)だ刮(か)りて点垛(てんだ=切(き)り刻(きざ)み)し、方(まさ)に我が心(こころ)に趁(かな)わん!」 話(はなし)を説(と)き着(つ)けて、懊悩(おうのう=悔(くや)み悩(なや)む)すること多時(たじ=暫(しばら)く)、覚(おぼ)えずして鶏(にわとり)鳴(な)きて天(てん)暁(あ)く。

かの高峰(こうほう)の上(うえ)に在って太子(たいし)は六件(ろっけん)の兵器(へいき)を得(え)、行者に向かって言う、「大聖(たいせい)、天色(てんしょく=空(そら)の色(いろ))已(すで)に明(あき)らかなり、怠慢(たいまん)するを須(もち)いず。我等(われら)かの妖魔(ようま)の鋭気(えいき)を挫(くじ)けるに趁(じょう=乗(の))じ、火部(かぶ)等(ら)と汝(なんじ)を扶(たす)け住(とど)め、再(ふたた)び往(ゆ)きて力戦(りきせん)せば、庶幾(こいねがわ)くはこの次(たび)こそ擒拿(きんだ=捕(と)ら)う可(べ)けん」。行者笑って言う、「説(と)いて理(り)有り。我等(われら)心(こころ)を斉(ととの)えて、耍子児(あそび)に往(ゆ)かん!」 一箇一箇(ひとりひとり)威風(いふう)を抖擻(しゅんそう=奮(ふる)い起(お)こ)し、喜(よろこ)んで武芸(ぶげい)を弄(ろう)し、径(ただ)ちに洞口(どうこう)に至(いた)る。行者叫(さけ)んで言う、「潑魔(はつま=愚(おろ)かなる魔)出(い)で来(こ)よ! 老孫(ろうそん)と打(う)たん者(もの)!」 元来(もと)かの二扇(にせん=二枚(にまい))の石門(せきもん)は火気(かき=火(ひ)の気(け))に化(か)せられて灰燼(かいじん=灰(はい))と成(な)り、門(もん)の裡(うち)に幾箇(いくつ)かの小妖(しょうよう)有って、正(まさ)に然(しか)と地(ち)を掃(は)き灰(はい)を撮(すく)いおるに、ふと衆聖(しゅうせい)の斉(ひと)しく来(きた)るを見(み)て、慌(あわ)てて掃帚(ほうき)を投(な)げ棄(す)て、灰耙(はいば=灰(はい)かき)を撇(す)て、裡(うち)に走(はし)り入(い)り、又(また)報(しら)せて言う、「孫悟空(そんごくう)は多くの天神(てんしん)を領(ひき)いて、又(また)門外(もんがい)に在って罵(ののし)り戦(たたか)っておりまする!」 かの兕怪(じかい)は報(ほう)を聞(き)いて大(おお)いに驚(おどろ)き、扢迸迸(こつほうほう=ぎしぎし)と鋼牙(こうが=鋼(はがね)の歯(は))を咬(か)み響(ひび)かせ;

滴溜溜(てきりゅうりゅう=きょろきょろ)と、環眼(かんがん=丸(まる)き眼(まなこ))を睜(みは)り円(まる)くし、長槍(ちょうそう)を挺(つ)り出(いだ)し、宝貝(ほうばい)を帯(たい)し、門(もん)を出(い)で来(きた)り、潑口(はっこう=口(くち)を極(きわ)め)に乱(みだ)りに罵(ののし)って言う、「我(われ)この汝(なんじ)が如(ごと)き営(えい)を偷(ぬす)み火(ひ)を放(はな)ちし賊猴(ぞくこう=盗人(ぬすびと)の猿(さる))め! 汝(なんじ)に何(いか)ほどの手段(しゅだん)有って、敢(あ)えてこの如(ごと)く我(われ)を藐視(びょうし=見下(みくだ)す)するか」。行者は笑顔(えがお)して罵(ののし)って言う、「潑怪物(はつかいぶつ=愚かなる怪物)! 汝(なんじ)我が手段(しゅだん)を知(し)らんと欲(ほっ)せば、且(しばら)く上前(うえまえ)に来(きた)れ、我(われ)説(と)きて汝(なんじ)に聞(き)かせん──

自(おのずか)ら小(ちい)さきより生(うま)れ来(きた)って手段(しゅだん)強(つよ)く、
乾坤(けんこん=天地(てんち))万里(ばんり)に名(な)を揚(あ)ぐ。
当時(とうじ)穎悟(えいご=賢(かしこ)く)にして仙道(せんどう)を修(おさ)め、
昔日(せきじつ)伝(つた)え来(きた)れる不老(ふろう)の方(ほう)。
志(こころざし)を立(た)てて方寸地(ほうすんち)に拝(はい)し投(とう)じ、
虔心(けんしん=篤(あつ)き心(こころ))に聖人(せいじん)の郷(さと)に参見(さんけん)す。
学(まな)び成(な)りて変化(へんげ)無量(むりょう)の法(ほう)、
宇宙(うちゅう)長空(ちょうくう)任(まま)に我(われ)狂(くる)う。
閑(ひま)には山前(さんぜん)に在って虎(とら)を将(た)い伏(ふく)し、
悶(もん=退屈(たいくつ))には海内(かいだい)に来(きた)りて龍(りゅう)を把(と)り降(くだ)す。
祖居(そこ=元(もと)の住(す)みか)花果(かか)に王位(おうい)を称(とな)え、
水簾洞(すいれんどう)の裡(うち)に剛強(ごうきょう)を逞(たくま)しうす。
幾番(いくたび)か意(こころ)天界(てんかい)を図(はか)る有り、
数次(すうじ)無知(むち)にして上方(じょうほう)を奪(うば)う。
御(ぎょ)に斉天(せいてん)の名(な)を大聖(たいせい)と賜(たまわ)り、
敕封(ちょくほう)また美猴王(びこうおう)を贈(おく)らる。
只(た)だ宴(えん)の蟠桃会(ばんとうえ)を設(もう)くるに因(よ)り、
簡(ふみ)無くして我を邀(むか)うれば我が性(せい)剛(つよ)し。
暗(あん)に瑤池(ようち)を闖(と)び入(い)りて玉液(ぎょくえき)を偷(ぬす)み、
私(ひそ)かに空閣(くうかく)に行(ゆ)きて瓊漿(けいしょう)を飲(の)む;
龍肝鳳髄(りゅうかんほうずい)曾(かつ)て偷(ぬす)み食(くら)い、
百味(ひゃくみ)の珍饈(ちんしゅう)我(われ)窃(ぬす)み嘗(な)む;
千載(せんざい)の蟠桃(ばんとう)随(したが)って受用(じゅよう)し、
万年(まんねん)の丹薬(たんやく)任(まま)に腸(はらわた)を充(み)たす。
天宮(てんぐう)の異物(いぶつ)般般(はんぱん)に取(と)り、
聖府(せいふ)の奇珍(きちん)件件(けんけん)に藏(ぞう)す。
玉帝(ぎょくてい)我(われ)に手段(しゅだん)有るを訪(たず)ね、
即(すなわ)ち天兵(てんぺい)を発(はっ)して戦場(せんじょう)を擺(し)く。
九曜(くよう)の悪星(あくせい)我(われ)に遭(あ)うて貶(おと)され、
五方(ごほう)の凶宿(きょうしゅく)吾(われ)に被(こうむ)りて傷(きずつ)く。
普天(ふてん)の神将(しんしょう)皆(みな)敵(てき)無く、
十万(じゅうまん)の雄師(ゆうし)敢(あ)えて当(あた)らず。
玉皇(ぎょくこう)を威(い)し逼(せま)って旨意(しい)を伝(つた)えしめ、
灌江(かんこう)の小聖(しょうせい)兵(へい)を把(と)って揚(あ)ぐ。
相持(あいたもち)すること七十単二変(しちじゅうたんにへん)、
各(おのおの)精神(せいしん)を弄(ろう)して箇箇(かくかく)強(つよ)し。
南海(なんかい)の観音(かんのん)来(きた)りて戦(いくさ)を助(たす)け、
浄瓶(じょうびん)楊柳(ようりゅう)もまた相(あい)幫(たす)く。
老君(ろうくん)又(また)金剛套(こんごうとう)を使(つか)いて、
我(われ)を把(と)り擒(とら)えて上方(じょうほう)に拿(と)り到(いた)る。

绑(しば)りて玉皇張大帝(ぎょくこうちょうたいてい)に見(まみ)えしめ、
曹官(そうかん)拷較(ごうこう=拷問(ごうもん)尋問(じんもん))して罪(つみ)該当(がいとう=当然(とうぜん))なり。
即(すなわ)ち大力(だいりき)を差(さ)し遣(つか)わし刀(かたな)を開(ひら)きて斬(き)らしむるに、
刀(かたな)頭皮(とうひ)を砍(き)れば火焰(かえん)光(ひかり)を発(はっ)す。
百計千方(ひゃっけいせんぽう)弄(ろう)して死(し)なず、
吾(われ)を将(も)って押(お)し赴(おもむ)かしめて老君堂(ろうくんどう)に至(いた)る。
六丁神火(りくていしんか)炉中(ろちゅう)に煉(ね)られて、
煉(ね)り得(う)るに渾身(こんしん=身(み)の内(うち))硬(かた)きこと鋼(はがね)に似(に)たり。
七七(しちしち)の数(かず)完(おわ)って鼎(かなえ)を開(ひら)きて看(み)れば、
我(われ)が身(み)跳(と)び出(い)でて又(また)凶張(きょうちょう=暴(あば)れ)る。
諸神(しょしん)は戸(と)を閉(と)じて遮(さえぎ)るもの無く、
衆聖(しゅうせい)商量(しょうりょう=相談(そうだん))して仏(ほとけ)を把(と)りて央(たの)む。
其(そ)の実(じつ)如来(にょらい)は法力(ほうりき)多(おお)く、
果(はた)して智慧(ちえ)広(ひろ)くして量(はかり)無(な)し。
手中(しゅちゅう)に筋斗(きんとん)を翻(ひるがえ)して賭賽(とさい=賭(か)け)し、
山(やま)を将(も)って我を圧(おさ)うるも我(われ)強(し)うる能(あた)わず。
玉皇(ぎょくこう)纔(ようや)く安天会(あんてんえ)を設(もう)け、
西域(せいいき)方(まさ)に極楽場(ごくらくじょう)と称(とな)う。
老孫(ろうそん)を圧(おさ)え困(くるし)むること五百載(ごひゃくさい)、
一些(いっさい=少(すこ)し)の茶飯(さはん=茶(ちゃ)と飯(めし))も曾(かつ)て嘗(な)めず。
金蝉長老(きんぜんちょうろう)凡世(ぼんせい)に臨(のぞ)み、
東土(とうど)彼(かれ)を差(つかわ)して仏(ほとけ)の郷(さと)を拝(はい)せしむ。
真経(しんきょう)を取(と)りて上国(じょうこく)に回(かえ)らんと欲(ほっ)し、
大唐(だいとう)の帝主(ていしゅ)先亡(せんぼう)を度(わた)らんとす。
観音(かんのん)我(われ)を勧(すす)めて善(ぜん)に皈依(きえ)し、
教(おしえ)を秉(と)り迦持(かじ=加護(かご))して狂(くる)うを放(ほしいまま)にせず。
高山(こうざん)の根(ね)の下(した)の難(なん)を解脱(げだつ)し、
如今(いま)西(にし)に去(さ)って経(きょう)の章(しょう)を取(と)る。
潑魔(はつま=愚かなる魔)よ獐狐(しょうこ=鹿(しか)と狐(きつね))の智(ち)を弄(ろう)するを休(や)めよ、
我(われ)が唐僧(とうそう)を還(かえ)して法王(ほうおう)を拝(はい)せしめよ!」

かの怪(かい)は言(こと)を聞(き)き、行者を指(ゆびさ)して言う、「汝(なんじ)は元来(もと)是れ一箇の天(てん)を偷(ぬす)む大賊(だいぞく)なり! 往(ゆ)くな! 吾(わ)が一槍(いっそう)を食(く)らえ!」 この大聖は棒(ぼう)を使(つか)って迎(むか)う。二箇(ふたり)正(まさ)に自(おのずか)ら相持(あいたもち)するに、この壁廂(へきしょう=此方(こなた))の哪吒太子(なたたいし)は嗔(いかり)を生(しょう)じ、火徳星君(かとくせいくん)は狠(こんき=気(き)を荒(あ)ら)を発(はっ)し、即(すなわ)ちかの六件(ろっけん)の神兵(しんぺい)・火部(かぶ)等の物(もの)を将(も)って、妖魔(ようま)の身(み)の上(うえ)に望(めが)けて抛(ほう)り来(きた)らしむ。孫大聖(そんたいせい)は更(さら)に雄勢(ゆうせい=勢(いきおい))を加(くわ)う。一辺(いっぺん=片方(かたほう))には又(また)雷公(らいこう)の捎(しょう=棍棒(こんぼう))を使(つか)い、天王(てんのう)の刀(かたな)を挙(あ)ぐる有り、上下(じょうげ)を分(わ)たず、一擁(いちよう=一度(いちど)に)して斉(ひと)しく来(きた)る。かの魔頭(まとう)は巍巍(ぎぎ=堂々(どうどう))として冷笑(れいしょう)し、袖子(しゅうし=袖(そで))の中(うち)より暗暗(あんあん=ひそか)に宝貝(ほうばい)を取(と)り出(いだ)し、手(て)を撒(はな)って空(くう)に抛(ほう)り起(おこ)し、「着(ちゃく)!」と一声(ひとこえ)叫べば、唿喇(こつらつ)の一下(いっか)に、六件(ろっけん)の神兵(しんぺい)・火部(かぶ)等の物(もの)・雷公(らいこう)の捎(こんぼう)・天王(てんのう)の刀(かたな)・行者(ぎょうじゃ)の棒(ぼう)を、尽(ことごと)く情(こころ)よく又(また)皆(みな)撈(かす)め往(ゆ)き、衆神霊(しゅうしんれい)は依然(いぜん)として赤手(せきしゅ)なり、孫大聖(そんたいせい)は仍(な)お是(こ)れ空拳(くうけん)なり。妖魔(ようま)は勝(か)ちを得(え)て身(み)を回(めぐ)らし、叫ぶ、「小(こ)の者(もの)たち、石(いし)を搬(はこ)んで門(もん)を砌(きず)き、土(つち)を動(うご)かして修造(しゅうぞう)し、従(あらた)めて新(あらた)に房廊(ぼうろう=部屋(へや)と廊下(ろうか))を整理(せいり)せよ。斉(ととの)い備(そなわ)らば、唐僧(とうそう)三衆(さんしゅう=三人(さんにん))を殺(ころ)して来(きた)りて土(つち)を謝(しゃ)し、大衆(たいしゅう)福(ふく)を散(さん)じて受用(じゅよう=受(う)け用(もち))いん」。衆(しゅう)の小妖(しょうよう)は命(めい)を領(りょう)じて維持(いじ=取(と)り計(はか)ら)うは題(だい)せず。

さてかの李天王(りてんのう)は衆(しゅう)を帥(ひき)いて高峰(こうほう)に回(かえ)り上(あが)るに、火徳(かとく)は哪吒(なた)の性急(せいきゅう)なるを怨(うら)み、雷公(らいこう)は天王の放刁(ほうとう=我儘(わがまま))を怪(あや)しみ、惟(た)だ水伯(すいはく)は傍(かたわ)らに在って語(ことば)無(な)し。行者は彼等(かれら)の面(おもて)を相(あい)睹(み)ざるを見(み)、心(こころ)に縈思(えいし=纏(まと)わる思(おも)い)有るを、奈何(いかん)ともする無(な)く、恨(うらみ)を懐(いだ)きて強(しい)て歓(よろこ)び、衆(しゅう)に向かって笑って言う、「列位(れつい)煩悶(はんもん=悩(なや)み)するを須(もち)いず、古(いにしえ)より道(い)う『勝敗(しょうはい)は兵家(へいか)の常(つね)』と。我(われ)と彼(かれ)の武芸(ぶげい)を論(ろん)ずるに、また只(た)だ此(か)くの如(ごと)きのみ。但(た)だ只(た)だ是(こ)れ彼(かれ)はこの箇の圈子(けんし=輪(わ))を多(おお)くせるが故(ゆえ)に、以(も)って害(がい)を為(な)し、我等(われら)の兵器(へいき)を将(も)って又(また)套(から)め将(も)って往(ゆ)かれたり。汝等(なんじら)且(しばら)く心(こころ)を放(はな)て、老孫(ろうそん)の再(ふたた)び往(ゆ)きて彼(かれ)の脚色(きゃくしょく=素性(すじょう))を査査(ささ=調(しら)べ)して来(きた)るを待(ま)て」。太子(たいし)言う、「汝(なんじ)前(さき)に玉帝(ぎょくてい)に啓奏(けいそう)し、満天世界(まんてんせかい)を査勘(さかん)するも、更(さら)に一点(いってん)の踪跡(しょうせき)も無し、如今(いま)又(また)何処(いずこ)へか往(ゆ)きて査(さぐ)らんとする」。行者言う、「我(われ)想(おも)い起(お)こすに、仏法(ぶっぽう)は辺(へん)無(な)し。如今(いま)且(しばら)く西天(せいてん)に上(のぼ)りて我(わ)が仏(ほとけ)如来(にょらい)に問(と)い、彼(かれ)をして慧眼(えがん)を着(つ)けて大地(だいち)四部洲(しぶしゅう)を観看(かんかん)せしめ、この怪(かい)の是(こ)れ何方(いずかた)の生長(せいちょう=生(う)まれ)なるか、何処(いずこ)の郷貫(きょうかん=本籍(ほんせき))の住居(じゅうきょ)なるか、圈子(けんし)は是れ件(くだり)の甚(なん)の宝貝(ほうばい)なるかを看(み)しめん。怎(いか)なるとも、一定(きっと)彼(かれ)を拿(と)り、列位(れつい)と気(き)を出(いだ)し、汝等(なんじら)の喜(よろこ)びて天(てん)に帰(かえ)るを還(かえ)さん」。衆神(しゅうしん)言う、

「既(すで)にこの意(こころ)有らば、久(ひさ)しく停(とど)まるを須(もち)いず、快(はや)く往(ゆ)け! 快く往け!」

好(よ)き行者、去(ゆ)かんと一声(ひとこえ)説(と)けば、就(すなわ)ち筋斗雲(きんとうん)を縦(ほしいまま)にし、早(はや)くも霊山(りょうざん)に至(いた)り、祥光(しょうこう)を落(お)として、四方(しほう)を観看(かんかん)すれば、好去処(こうきょしょ=見事(みごと)な場所(ばしょ))──

霊峰(れいほう)疏傑(そけつ=疎(まば)らに秀(ひい)で)、
迭嶂(じょうしょう=重(かさ)なる峰(みね))清佳(せいか=清(きよ)く佳(よ)し)、
仙岳(せんがく)頂巓(ちょうてん)碧漢(へきかん=青空(あおぞら))を摩(す)る。
西天(せいてん)に巨鎮(きょちん=大(おお)きな鎮(まもり))を瞻(み)れば、
形勢(けいせい)中華(ちゅうか)を圧(おさ)う。
元気(げんき)流通(りゅうつう)して天地遠(てんちとお)く、
威風(いふう)飛(と)び徹(とお)って満台(まんだい)の花(はな)。
時(とき)に鐘磬(しょうけい=鐘(かね)と磬(けい))の音(おと)の長(なが)きを聞(き)き、
毎(つね)に経声(きょうせい=読経(どきょう)の声(こえ))の明朗(めいろう)なるを聴(き)く。
又(また)見(み)るにかの青松(せいしょう)の下(した)に優婆(うば)の講(こう)じ、
翠柏(すいはく=緑(みどり)の柏(かしわ))の間(あいだ)に羅漢(らかん)の行(ぎょう)ずるを。
白鶴(はくかく)情(なさけ)有って鷲嶺(じゅれい)に来(きた)り、
青鸞(せいらん)意(い)を著(つ)けて閑亭(かんてい=静(しず)かなる亭(てい))に佇(たたず)む。
玄猴(げんこう=黒(くろ)き猿(さる))対対(たいたい)として仙果(せんか)を擎(ささ)げ、
寿鹿(じゅろく)双双(そうそう)として紫英(しえい=紫(むらさき)の花(はな))を献(けん)ず。
幽鳥(ゆうちょう)声(こえ)頻(しき)りにして訴(うった)うる語(ことば)の如(ごと)く、
奇花(きか)色(いろ)絢(あや)にして名(な)を知(し)らず。
回巒(かいらん=巡(めぐ)る峰(みね))盤繞(ばんにょう)重重(じゅうじゅう)顧(かえり)み、
古道(こどう)湾環(わんかん=曲(まが)りくねり)処処(しょしょ)平(たいら)かなり。
正(まさ)に是(こ)れ清虚(せいきょ)霊秀(れいしゅう)の地(ち)、
荘厳(しょうごん)大覚(だいかく)の仏家(ぶっけ)の風(ふう)なり。

かの行者は正(まさ)に然(しか)と山景(さんけい)を点看(てんかん=眺(なが)め)しおるに、ふと人(ひと)の「孫悟空(そんごくう)、何処(いずこ)より来(きた)れる? 何処(いずこ)へか往(ゆ)かんとする」と叫(さけ)ぶを聴(き)き得(え)たり。急(いそ)ぎ頭(こうべ)を回(めぐ)らして看(み)れば、元来(もと)是れ比丘尼尊者(びくにそんじゃ)なり。大聖は礼(れい)を作(な)して言う、

「正(まさ)に一事(いちじ)有って、如来(にょらい)に見(まみ)えんと欲(ほっ)す」。比丘尼(びくに)言う、「汝(なんじ)この頑皮(がんぴ=いたずら者(もの))め! 既(すで)に如来に見(まみ)えんと欲(ほっ)するに、どうして宝刹(ほうさつ=寺(てら))に登(のぼ)らず、且(しばら)く此処(ここ)に在って山(やま)を看(み)るか」。行者言う、「初(はじ)めて貴地(きち)に来(きた)れるが故(ゆえ)に、此(こ)れ大胆(だいたん)なり」。比丘尼言う、「汝(なんじ)快(はや)く我(われ)に跟(したが)いて来(こ)よ」。この行者は緊(きん)と随(したが)いて雷音寺(らいおんじ)の山門(さんもん)の下(した)に至(いた)れば、又(また)見(み)るにかの八大金剛(はちだいこんごう)の、雄糾糾(ゆうきゅうきゅう=勇(いさ)ましく)として両辺(りょうへん)に擋(さえぎ)り住(とど)むるを。比丘尼言う、「悟空(ごくう)、暫(しばら)く片時(へんじ=暫(しばら)く)候(ま)て、我(われ)が汝(なんじ)の為(ため)に奏(そう)し上(のぼ)りて来(こ)んを等(ま)てよ」。行者は只(た)だ住立(じゅうりつ=立(た)ち止(とど)ま)りて門外(もんがい)に在(あ)るを得(う)。かの比丘尼は仏前(ぶつぜん)に至(いた)りて合掌(がっしょう)して言う、「孫悟空(そんごくう)事(こと)有って、如来(にょらい)に見(まみ)えんと欲(ほっ)します」。如来は旨(むね)を伝(つた)えて入(い)らしめ、金剛(こんごう)は纔(ようや)く路(みち)を閃(そら)して放行(ほうこう)す。行者は頭(こうべ)を低(た)れて礼拝(らいはい)し畢(おわ)る。如来問(と)うて言う、「悟空(ごくう)、前(さき)に観音尊者(かんのんそんじゃ)の汝(なんじ)が身(み)を解脱(げだつ)し、釈教(しゃっきょう)に皈依(きえ)し、唐僧(とうそう)を保(まも)って此処(ここ)に来(きた)りて経(きょう)を求(もと)むるを聞(き)き得(え)たるが、汝(なんじ)どうして独(ひと)り此処(ここ)に到(いた)れる。何(なん)の事故(じこ)有るか」。行者は頓首(とんしゅ=平伏(へいふく))して言う、「上(かみ)に我(わ)が仏(ほとけ)に告(もう)す、弟子(でし)迦持(かじ=加護(かご))を秉(と)りてより、唐朝(とうちょう)の師父(しふ)と西(にし)に来(きた)り、金兜山金兜洞(きんとうざんきんとうどう)に到(いた)り、一箇の悪魔頭(あくまとう)に遇(あ)えり。名(な)を兕大王(じだいおう)と喚(よ)び、神通(じんつう)広大(こうだい)にして、師父(しふ)と師弟(してい)等(ら)を把(と)りて洞中(どうちゅう)に摂(と)り入(い)れたり。弟子(でし)彼(かれ)に向(むか)いて求(もと)め取(と)らんとせしに、好意(こうい)無く、両家(りょうか)比迸(ひほう=競(きそ))いしに、彼(かれ)に一箇の白森森(はくしんしん)なる圈子(けんし=輪(わ))を将(も)って、我が鉄棒(てつぼう)を搶(うば)われたり。我(われ)は彼(かれ)の是(こ)れ天将(てんしょう)の凡(ぼん)を思(おも)いて下(くだ)れるかと恐(おそ)れ、急(いそ)ぎ上界(じょうかい)に上(のぼ)りて査勘(さかん)するも出(いだ)さず。玉帝(ぎょくてい)の李天王父子(りてんのうふし)を差(さ)し遣(つか)わされて助援(じょえん)せしを蒙(こうむ)りしが、又(また)彼(かれ)に太子(たいし)の六般(ろくはん)の兵器(へいき)を搶(うば)われたり。及び火徳星君(かとくせいくん)を請(こ)いて火(ひ)を放(はな)ちて彼(かれ)を焼(や)かしむるに、又(また)彼(かれ)に火具(かぐ)を搶(うば)われ往(ゆ)けり。又(また)水徳星君(すいとくせいくん)を請(こ)いて水(みず)を放(はな)ちて彼(かれ)を渰(おぼ)らしむるに、一毫(いちごう=少(すこ)し)もまた彼(かれ)を渰(おぼ)らすこと着(あた)らず。弟子(でし)若干(じゃっかん=少(すくな)からず)の精神(せいしん)気力(きりょく)を費(ついや)し、かの鉄棒(てつぼう)等の物(もの)を将(も)って偷(ぬす)み出(いだ)し、復(また)往(ゆ)きて戦(たたかい)を索(もと)めしに、又(また)彼(かれ)に前物(ぜんぶつ)を将(も)って依然(いぜん)として套(から)め往(ゆ)かれ、収(おさ)め降(くだ)す法(ほう)無(な)し。此(こ)の因(よ)って特に我(わ)が仏(ほとけ)に告(もう)し、垂(た)れて慈(じ)を垂(た)れて弟子(でし)と看(み)て給(たま)わんことを望(のぞ)み、果(はた)して是(こ)れ何物(なにもの)の出身(しゅっしん)なるかを、我(われ)好(よ)く往(ゆ)きて彼(かれ)が家属(かぞく)四隣(しりん)を拿(と)り、この魔頭(まとう)を擒(とら)え、我が師父(しふ)を救(すく)い、拱(きょう)を合(あわ)せて虔(けん)に誠(まこと)を捧(ささ)げ、正果(しょうが)を拝求(はいきゅう)せん」。如来(にょらい)は説(と)くを聞(きこ)し召(め)され、慧眼(えがん)を将(も)って遥(はる)かに観(み)て、早(はや)く已(すで)に知識(ちしき=知(し)り)て、行者に向かって言う、「かの怪物(かいぶつ)は我(われ)これを知(し)るといえども、但(た)だ汝(なんじ)に与(あた)えて説(と)く可(べ)からず。汝(なんじ)この猿(さる)めは口(くち)敞(ひら=軽(かる)く)く、一(ひと)たび伝(つた)えて『是(こ)れ我(われ)が汝(なんじ)に彼(かれ)を説(と)きたり』と道(い)わば、彼(かれ)は便(すなわ)ち汝(なんじ)と闘(たたか)わず、定(かなら)ず霊山(りょうざん)に嚷(わめ)き上(のぼ)り、反(かえ)って禍(わざわい)を我(われ)に遺(のこ)さん。我(われ)が此処(ここ)に法力(ほうりき)を著(つ)けて汝(なんじ)を助(たす)けて彼(かれ)を擒(とら)えに往(ゆ)かしめん」。行者は再拝(さいはい)して称謝(しょうしゃ)して言う、「如来(にょらい)は我(われ)を助(たす)くるに甚(なん)の法力(ほうりき)か」。如来は即(すなわ)ち十八尊(じゅうはっそん)の羅漢(らかん)に令(れい)じて宝庫(ほうこ)を開(ひら)かしめ、十八粒(じゅうはちりゅう)の「金丹砂(きんたんさ)」を取(と)りて悟空(ごくう)に与(あた)えて助力(じょりょく)せしむ。行者言う、「金丹砂(きんたんさ)は却(かえ)って如何(いかん)」。如来言う、「汝(なんじ)往(ゆ)きて洞外(どうがい)に在って、かの妖魔(ようま)に比試(ひし=試合(じあい))を叫(さけ)べ。彼(かれ)を演(えん=誘(さそ)い)出(いだ)し、却(かえ)って羅漢(らかん)をして砂(すな)を放(はな)たしめ、彼(かれ)を陷(おとしい)れ住(とど)めて、彼(かれ)をして身(み)を動(うご)かすこと得(え)ざらしめ、脚(あし)を拔(ぬ)くこと得(え)ざらしめ、汝(なんじ)の凭(たのみ)に揪(つか)み打(う)たしめよ」。行者笑って言う、「妙(みょう)! 妙! 妙! 早(はや)きに趁(じょう=乗(の))じて往(ゆ)かん!」 かの羅漢(らかん)は遅延(ちえん)するを敢(あ)えず、即(すなわ)ち金丹砂(きんたんさ)を取(と)りて門(もん)を出(い)づ。行者は又(また)如来(にょらい)に謝(しゃ)す。一路(いちろ)査看(さかん)するに、止(た)だ十六尊(じゅうろくそん)の羅漢(らかん)有るのみ。行者は嚷(わめ)いて言う、「是(こ)れ何(いず)れの箇の去処(きょしょ=場所(ばしょ))ぞ、却(かえ)って人(ひと)を売放(ばいほう=見逃(みのが))すか!」 衆(しゅう)の羅漢言う、「何(いず)れの者か売放(みのが)せる」。行者言う、「元(もと)十八尊(じゅうはっそん)を差(さ)し遣(つか)わされたるに、今(いま)どうして只(た)だ十六尊(じゅうろくそん)を得(う)るのみか」。

説(と)き了(おわ)らぬに、裡辺(うちべ=中(なか))より降龍(ごうりゅう)・伏虎(ふっこ)の二尊(にそん)走(はし)り出(い)で、上前(うえまえ)に来(きた)りて言う、「悟空(ごくう)、どうして就(すなわ)ちこの如(ごと)く放刁(ほうとう=我儘(わがまま))なるか。我等(われら)二箇(ふたり)は後(うしろ)に在って如来(にょらい)の吩咐(ふんぷ=言(い)いつ)け給(たま)う話(はなし)を聴(き)いておったなり」。行者言う、「忒(はなは)だ売法(ばいほう=法(ほう)を売(う)る=手抜(てぬ)き)なり! 忒(はなは)だ売法なり! 纔(さっき)自(おのずか)ら若(も)し嚷(わめ)くこと些(いささ)か遅(おそ)かりせば、汝等(なんじら)敢(あ)えて就(すなわ)ち出(い)で来(こ)ざりしならん」。衆(しゅう)の羅漢は呵呵(かか)と笑って祥雲(しょううん)を起(おこ)す。

多(おお)からず時(とき)にして、金兜山(きんとうざん)の界(さかい)に到(いた)る。かの李天王(りてんのう)は見て、衆(しゅう)を帥(ひき)いて相迎(むか)え、備(つぶさ)に前事(ぜんじ)を言(い)う。羅漢言う、「絮繁(じょはん=くどくど)するに及(およ)ばず、快(はや)く往(ゆ)きて彼(かれ)を叫(さけ)び出(いだ)せ」。この大聖は拳(こぶし)を捻(ひね)り、洞口(どうこう)に来(きた)り、罵(ののし)って言う、「潑怪物(はつかいぶつ=愚かなる怪物)、快(はや)く出(い)で来(きた)りて汝(なんじ)が孫外公(そんがいこう=この爺(じい))と一箇の上下(じょうげ=勝負(しょうぶ))を見(み)よ!」 かの小妖(しょうよう)又(また)飛(と)び跑(はし)り往(ゆ)きて報(しら)ずれば、魔王(まおう)は怒(いか)って言う、「この賊猴(ぞくこう=盗人(ぬすびと)の猿(さる))又(また)何(いず)れの者を請(こ)いしに来(きた)りて猖獗(しょうけつ=暴(あば))れおるか!」 小妖言う、「更(さら)に甚(なん)の将(しょう)も無く、止(た)だ彼(かれ)一人(ひとり)のみに候(そうろう)」。魔王言う、「あの根(こん)の棒子(ぼうし=棒(ぼう))は已(すで)に我(われ)に收(おさ)め来(きた)られたるに、どうして却又(また)一人(ひとり)此処(ここ)に到(いた)れるか。敢(あ)えて是(こ)れ又(また)拳(けん)を走走(はし)らせんと欲(ほっ)するか」。随(したが)って宝貝(ほうばい)を帯(たい)し、槍(やり)を手(て)に綽(と)り、小妖(しょうよう)をして石塊(せっかい=石(いし)の塊(かたまり))を搬(はこ)び開(ひら)かしめ、門(もん)を跳(と)び出(い)で来(きた)りて罵(ののし)って言う、「賊猴(ぞくこう)! 汝(なんじ)幾番(いくたび)も便宜(べんぎ=利(り))を得(え)ずんば、就(すなわ)ち該(まさ)に回避(かいひ=退(しりぞ))す可(べ)きに、如何(いか)にして又(また)来(きた)りて吆喝(ようかつ=喚(わめ))くか」。行者言う、「この潑魔(はつま=愚かなる魔)は好歹(こうたい=善(ぜん)し悪(あ)しき)を識(し)らず! 若(も)し汝(なんじ)が外公(がいこう=この爺(じい))の来(きた)らざらんことを要(よう)せば、除非(じょひ=~の他(ほか)に)汝(なんじ)が降(こう)を服(ふく)し、礼(れい)を陪(ばい=詫(わ)び)し、我が師父(しふ)師弟(してい)を送(おく)り出(いだ)さば、我(われ)就(すなわ)ち汝(なんじ)を饶(ゆる)さん!」

かの怪(かい)言う、「汝(なんじ)がかの三箇(みっつ)の和尚(おしょう)は已(すで)に我(われ)に洗(あら)い浄(きよ)められたり、久(ひさ)しからずして便(すなわ)ち宰殺(さいさつ=屠(ほふ)り殺(ころ))せんとするに、汝(なんじ)は還(また)起倒(きとう=身(み)の程(ほど))を識(し)らず! 去(さ)れよ!」

行者は宰殺(さいさつ)の二字(にじ)を説(と)くを聞(き)いて、扢蹬蹬(こつとうとう=かっと)と腮辺(さいへん=頬(ほお)の辺(ほとり))に火(ひ)を発(はっ)し、心頭(しんとう=胸(むね)の内(うち))の怒(いかり)を按(おさ)え住(とど)むること能(あた)わず、架子(かし=構(かま)え)を捨(す)て、拳(こぶし)を輪(めぐ)らし、斜(なな)めに行(ゆ)き抅歩(こうほ=歩(あゆみ)を钩(かぎ))み、妖魔(ようま)を望(めが)けて一箇の挂面(けいめん=面(おもて)を打(う)つ技(わざ))を使(つか)う。

かの怪(かい)は長槍(ちょうそう)を展(の)べ、手(て)を劈(さ)いて相迎(むか)う。行者は左(ひだり)に跳(と)び右(みぎ)に跳(と)び、かの妖魔(ようま)を哄(たぶら)かす。妖魔(ようま)は是(こ)れ計(けい)なるを知(し)らず、洞口(どうこう)を離(はな)れて南(みなみ)へ赶(お)いて来(きた)る。行者は即(すなわ)ち羅漢(らかん)を招呼(しょうこ=招(まね)き呼(よ))んで金丹砂(きんたんさ)をかの妖魔(ようま)に望(めが)けて一斉(いっせい)に抛(ほう)り下(おろ)さしめ、共(とも)に神通(じんつう)を顕(あらわ)す。好砂(こうさ=見事(みごと)な砂)! 正(まさ)に是(こ)れ──

霧(きり)に似(に)て煙(けむり)の如(ごと)く初(はじ)め散漫(さんまん=広(ひろ)がり)、
紛紛靄靄(ふんぷんあいあい)として天涯(てんがい)に下(くだ)る。
白茫茫(はくぼうぼう)として、到(いた)る処(ところ)人(ひと)の眼(まなこ)を迷(まよ)わし;
昏漠漠(こんばくばく)として、飛(と)ぶ時(とき)路(みち)を找(さが)すを差(たが)う。
柴(たきぎ)を打(う)つ樵子(しょうし=木(き)こり)は伴(とも)を失(うしな)い、
薬(くすり)を採(と)る仙童(せんどう)は家(いえ)を見(み)ず。
細細(さいさい)として軽(かる)く飘(ひるがえ)ること麦面(ばくめん=麦(むぎ)の粉(こな))の如(ごと)く、
粗粗(そそ)として翻(ひるがえ)り复(かえ)ること芝麻(しま=胡麻(ごま))に似(に)たり。

世界(せかい)朦朧(もうろう)として山頂(さんちょう)暗(くら)く、
長空(ちょうくう)迷没(めいぼつ)として太陽(たいよう)遮(さえぎ)らる。
囂塵(ごうじん=埃(ほこり))の駿馬(しゅんめ)に随(したが)うに比(ひ)せず、
軽軟(けいなん)の香車(こうしゃ)を襯(そ)うると言(い)い難(がた)し。
この砂(すな)は本(もと)是(こ)れ無情(むじょう)の物(もの)、
地(ち)を蓋(おお)い天(てん)を遮(さえぎ)って怪(かい)を把(と)り拿(とら)う。
只(た)だ妖魔(ようま)の正道(しょうどう)を侵(おか)すが為(ため)に、
阿羅(あら=阿羅漢(あらかん))法(ほう)を奉(ほう)じて豪華(ごうか)を逞(たくま)しうす。
手中(しゅちゅう)に就(すなわ)ち明珠(めいしゅ)の現(あらわ)るる有り、
等時(とうじ=たちまち)刮(けず)り得(う)るに眼(まなこ)に花(はな)を生(しょう)ず。

かの妖魔(ようま)は飛砂(ひさ)の目(め)を迷(まよ)わすを見(み)て、頭(こうべ)を将(も)って低(た)く一低(ひとた)れすれば、足下(そっか=足(あし)の下(した))に就(すなわ)ち三尺余(さんじゃくよ)の深(ふか)さ有り。慌(あわ)てたるは彼(かれ)、身(み)を将(も)って一縦(ひととび)し、浮(う)き上(うえ)の一層(いっそう)に跳(と)び在(あ)るも、未(いま)だ立(た)ち得(う)ること穏(おだ)やかならざるに、須臾(しゅゆ=暫(しばら)く)にして又(また)二尺余(にじゃくよ)の深(ふか)さ有り。

かの怪(かい)は急(いそ)ぎて、脚(あし)を拔(ぬ)き出(いだ)し、即(すなわ)ち忙(いそ)ぎ圈子(けんし=輪(わ))を取(と)り、上(うえ)に向かえて一撇(ひとなげ)、「着(ちゃく)!」と一声(ひとこえ)叫べば、唿喇(こつらつ)の一下(いっか)に、十八粒(じゅうはちりゅう)の金丹砂(きんたんさ)を又(また)尽(ことごと)く套(から)め往(ゆ)き、歩(あゆみ)を引(ひ)き回(かえ)し、径(ただ)ちに本洞(ほんどう)に帰(かえ)る。

かの羅漢(らかん)は一箇一箇(ひとりひとり)空手(くうしゅ)にて雲(くも)を停(とど)む。行者は近(ちか)づき前(すす)みて問(と)うて言う、「衆(しゅう)の羅漢、どうして砂(すな)を下(くだ)さざるか」。羅漢言う、「適才(さっき)一声(ひとこえ)響(ひび)きしに、金丹砂(きんたんさ)は就(すなわ)ち見(み)えず成(な)りたり」。行者笑って言う、「又(また)是れあの話児(はなじ=例(れい)の物(もの))の套(から)め将(も)って往(ゆ)かれしなり」。天王等(てんのうら)の衆(しゅう)言う、「この般(ごと)く伏(ふく)し難(がた)きかな、却(かえ)ってどうして彼(かれ)を捉(とら)え得(え)、何日(いつのひ)か天(てん)に帰(かえ)り、何(なん)の顔(かんばせ)にて帝(みかど)に見(まみ)えんや!」 傍(かたわ)らに降龍(ごうりゅう)・伏虎(ふっこ)の二羅漢(にらかん)有って、行者に向かって言う、「悟空(ごくう)、汝(なんじ)我等(われら)二箇(ふたり)の門(もん)を出(い)づるの遅滞(ちたい=遅(おく)れ)しは何(なん)なるかを暁(さと)れるか」。行者言う、「老孫(ろうそん)は只(た)だ汝等(なんじら)の逃(のが)れ隠(かく)れて来(こ)ざるを怪(あや)しむのみ、却(かえ)って甚(なん)の話(はなし)有るかを知(し)らず」。羅漢言う、「如来(にょらい)我等(われら)二箇(ふたり)に吩咐(いいつ)けて言(のたま)わく、『かの妖魔(ようま)は神通(じんつう)広大(こうだい)なり、如(も)し金丹砂(きんたんさ)を失(うしな)わば、就(すなわ)ち孫悟空(そんごくう)をして離恨天(りこんてん)兜率宮(とそつきゅう)の太上老君(たいじょうろうくん)の処(もと)に上(のぼ)りて彼(かれ)が踪跡(しょうせき)を尋(たず)ねしめよ、庶幾(こいねがわ)くは一鼓(いっこ=一気(いっき))にして擒(とら)う可(べ)けん』と」。行者は言(こと)を聞(き)いて言う、「恨(くや)む可(べ)し! 恨む可し! 如来(にょらい)は却(かえ)ってもまた老孫(ろうそん)を闪赚(せんたん=欺(あざむ))き給(たま)えり! 当時(そのとき)就(すなわ)ち我(われ)に対(むか)いて説(と)かば、却(かえ)って汝等(なんじら)をして遠(とお)く涉(わた)らしめずして済(す)まんものを!」 李天王(りてんのう)言う、「既(すで)に是(こ)れ如来(にょらい)にこの明示(めいじ)有らば、大聖(たいせい)は就(すなわ)ち当(まさ)に早(はや)く起(た)つ可(べ)し」。

好(よ)き行者、去(ゆ)かんと一声(ひとこえ)説(と)けば、就(すなわ)ち一道(いちどう)の筋斗雲(きんとうん)を縦(ほしいまま)にし、直(ただ)ちに南天門(なんてんもん)の裡(うち)に入(い)る。時(とき)に四大元帥(しだいげんすい)有って拳(こぶし)を擎(ささ)げ手(て)を拱(こまぬ)いて言う、「怪(かい)を擒(とら)うるの事(こと)如何(いかん)」。行者は且(かつ)行(ゆ)き且(かつ)答(こた)えて言う、「未(いま)だ!

未だ! 如今(いま)根(ね)を尋(たず)ぬる処(ところ)有りて往(ゆ)くなり」。四将(ししょう)は留(とど)め阻(さえぎ)るを敢(あ)えず、彼(かれ)をして天門(てんもん)を進(すす)ましめ、霊屑殿(れいしょうでん)に上(のぼ)らず、斗牛宮(とぎゅうきゅう)に入(い)らず、径(ただ)ちに三十三天(さんじゅうさんてん)の外(ほか)の離恨天(りこんてん)兜率宮(とそつきゅう)の前(まえ)に至(いた)る。両(ふたり)の仙童(せんどう)の侍立(じりつ=側(そば)に立(た)ち仕(つか)うるを見(み)るに、彼(かれ)もまた姓名(せいめい)を通(つう)ぜず、一直(いっちょく)に径(ただ)ちに走(はし)る。慌(あわ)てたるは両童(りょうどう)、扯(ひ)き住(とど)めて言う、

「汝(なんじ)は是れ何人(なんぴと)か。何処(いずこ)へか往(ゆ)かんとする」。行者は纔(ようや)く説(と)く、「我(われ)は是れ斉天大聖(せいてんたいせい)、李老君(りろうくん)を尋(たず)ねんと欲(ほっ)するなり」。仙童言う、「汝(なんじ)どうしてこの様(よう)に粗魯(そろ=乱暴(らんぼう))なる。且(しばら)く住(とど)まれ、我等(われら)をして通報(つうほう)せしめよ」。行者は那(なん)ぞ分説(ぶんせつ=弁明(べんめい))を容(い)れん、一声(ひとこえ)喝(かつ)して、裡(うち)へ向かえて径(ただ)ちに走(はし)るに、ふと老君(ろうくん)の内(うち)より自(おのずか)ら出(い)で来(きた)るを見(み)、撞(ぶ)つかりて満懐(まんかい=胸(むね)いっぱい)なり。行者は身(み)を躬(くぐ)めて一箇の喏(じゃく)を唱(とな)えて言う、「老官(ろうかん=爺(じい)さま)、一向(ひたすら)看(みまか)うことを少(すくな)くしたり」。老君笑って言う、「この猿(さる)め、往(ゆ)きて経(きょう)を取(と)らず、却(かえ)って我が処(もと)へ来(きた)りて何(なん)の干(かかわり)有るか」。行者言う、「経(きょう)を取り経を取り、昼夜(ちゅうや)停(とど)まる無(な)し;些(いささ)かの妨(さまた)げ有り、此処(ここ)に到(いた)りて行行(こうこう=ちょいと参(まい))るなり」。老君言う、「西天(せいてん)の路(みち)の阻(へだて)は、我(われ)と何(なん)の干(かかわり)か有る」。行者言う、

「西天(せいてん)西天、汝(なんじ)且(しばら)く言(いう)を休(や)めよ;踪跡(しょうせき)を尋(たず)ね着(あ)てば、汝(なんじ)と纏纏(てんてん=絡(から)み合(あ))わん」。老君言う、「我(われ)が此処(ここ)は乃(すなわ)ち是れ無上(むじょう)の仙宮(せんきゅう)、何(なん)の踪跡(しょうせき)の尋(たず)ぬ可(べ)き有らん」。行者は裡(うち)に入(い)り、眼(まなこ)を転(めぐ)らさず、東(ひがし)を張(み)り西(にし)を看(み)し、幾層(いくそう)かの廊宇(ろうう=廊下(ろうか)と建物(たてもの))を走(はし)り過(よ)ぎしに、ふと見(み)るにかの牛欄(ぎゅうらん=牛(うし)の囲(かこ)い)の辺(ほとり)に一箇の童児(どうじ)の盹睡(とんすい=居眠(いねむ)り)し、青牛(せいぎゅう)の欄中(らんちゅう=囲(かこ)いの中(うち))に在(あ)らざるを。行者言う、「老官(ろうかん)よ、牛(うし)が走(に)げたり! 牛が走げたり!」 老君は大(おお)いに驚(おどろ)いて言う、「この孽畜(げっちく=畜生(ちくしょう))め、何時(いつ)走(に)げたりしぞ」。正(まさ)に嚷(わめ)く間(あいだ)に、かの童児(どうじ)は方(ようや)く醒(さ)め、当面(とうめん=目(め)の前(まえ))に跪(ひざまず)いて言う、「爺爺(やや=御(お)じいさま)、弟子(でし)は睡(ねむ)っており、何時(いつ)走(に)げたりしかを知(し)りませぬ」。老君は罵(ののし)って言う、「汝(なんじ)この儞(きさま)どうして盹睡(いねむり)せるか」。童児は頭(こうべ)を叩(たた)いて言う、「弟子(でし)は丹房(たんぼう=丹(たん)を煉(ね)る室(しつ))の裡(うち)に在って一粒(いちりゅう)の丹(たん)を拾(ひろ)い得(え)、当時(そのとき)これを食(くら)えば、就(すなわ)ち此処(ここ)に在って睡(ねむ)りました」。

老君言う、「想(おも)うに是れ前日(ぜんじつ)煉(ね)りし七返火丹(しちへんかたん)の、一粒(いちりゅう)を吊(つる)し落(おと)せるを、この儞(きさま)に拾(ひろ)われ食(くら)われたるならん。

かの丹(たん)は一粒(いちりゅう)を食(くら)えば、該(まさ)に七日(しちにち)睡(ねむ)る可(べ)きに、かの孽畜(げっちく)は汝(なんじ)の睡(ねむ)れるに因(よ)り、人(ひと)の看管(かんかん=見張(みは)り)する無く、遂(つい)に機(き)に乗(じょう)じて下界(げかい)に走(に)げ下(お)り往(ゆ)き、今(いま)また是(こ)れ七日(しちにち)なり」。即(すなわ)ち何(なん)の宝貝(ほうばい)を偷(ぬす)みしかを査(さぐ)る。行者言う、「甚(なん)の宝貝(ほうばい)も無し、只(た)だ彼(かれ)に一箇の圈子(けんし=輪(わ))有って、甚(はなは)だ是れ利害(りがい=手強(てごわ)し)なるを見(み)るのみ」。老君は急(いそ)ぎ査看(さかん)するに、諸般(しょはん=種々(しゅじゅ))俱(とも)に在(あ)り、止(た)だ金剛琢(こんごうたく)の見(み)えざるのみ。老君言う、「是(こ)れこの孽畜(げっちく)の我が金剛琢(こんごうたく)を偷(ぬす)みて去(さ)れるなり!」

行者言う、「元来(もと)是(こ)れこの件(くだり)の宝貝(ほうばい)なり! 当時(そのかみ)老孫(ろうそん)を打(う)ちしは彼(かれ)なり! 如今(いま)下界(げかい)に在って張狂(ちょうきょう=暴(あば)れ狂(くる))い、我等(われら)の多少(たしょう)の物件(ぶっけん)を套(から)めたるかを知(し)らず!」 老君言う、「この孽畜(げっちく)は甚(いず)れの地方(ちほう)に在(あ)るか」。行者言う、「現(げん)に金兜山金兜洞(きんとうざんきんとうどう)に住(す)む。彼(かれ)は我が唐僧(とうそう)を捉(と)りて内(うち)に入(い)れ、我が金箍棒(きんこぼう)を搶(うば)えり。天兵(てんぺい)を請(こ)いて相助(あいたす)けしむるに、又(また)太子(たいし)の神兵(しんぺい)を搶(うば)われり。及び火徳星君(かとくせいくん)を請(こ)うに、又(また)彼(かれ)が火具(かぐ)を搶(うば)われり。惟(た)だ水伯(すいはく)は彼(かれ)を渰(おぼ)れ死(し)なす能(あた)わざりしも、倒(かえ)って還(また)曾(かつ)て彼(かれ)が物件(ぶっけん)を搶(うば)われず。如来(にょらい)を請(こ)うて羅漢(らかん)を下(くだ)して砂(すな)を下(くだ)さしむるに至(いた)りて、又(また)金丹砂(きんたんさ)を搶(うば)われ往(ゆ)けり。汝(なんじ)が如(ごと)きこの老官(ろうかん=爺(じい)さま)は、怪物(かいぶつ)を縦(ほしいまま)に放(はな)ち、搶奪(ごうだつ=奪(うば)い取(と))りて人(ひと)を傷(そこな)うは、該(まさ)に何(なん)の罪(つみ)に当(あた)る可(べ)きか」。老君言う、「我(わ)がかの金剛琢(こんごうたく)は、乃(すなわ)ち是れ我(われ)が函関(かんかん)を過(よぎ)りて胡(こ)を化(け)しし器(うつわ)、自(みずか)ら幼(おさな)きより煉(ね)り成(な)せる宝(たから)なり。汝(なんじ)が甚(なん)の兵器(へいき)・水火(すいか)なるも、俱(とも)に能(よ)く彼(かれ)に近(ちか)づく莫(な)し。若(も)し我が芭蕉扇児(ばしょうせんじ)を偷(ぬす)み往(ゆ)かば、我(われ)と雖(いえど)もまた能(よ)く彼(かれ)を奈何(いかん)ともする莫(な)からん」。

大聖(たいせい)は纔(ようや)く歓歓喜喜(かんかんきき=大(おお)いに喜(よろこ))び、老君(ろうくん)に随(したが)う。老君は芭蕉扇(ばしょうせん)を執(と)り、祥雲(しょうこう)に駕(が)して同行(どうぎょう)し、仙宮(せんきゅう)を出(い)で、南天門(なんてんもん)の外(そと)に、雲頭(うんとう)を低(ひく)く下(おろ)し、径(ただ)ちに金兜山(きんとうざん)の界(さかい)に至(いた)り、十八尊(じゅうはっそん)の羅漢(らかん)・雷公(らいこう)・水伯(すいはく)・火徳(かとく)・李天王父子(りてんのうふし)に見(まみ)え、備(つぶさ)に前事(ぜんじ)を一遍(いっぺん)言(い)う。老君言う、「孫悟空(そんごくう)は還(また)往(ゆ)きて彼(かれ)を誘(さそ)い出(いだ)せ、我(われ)好(よ)く彼(かれ)を收(おさ)めん」。この行者は峰頭(ほうとう)より跳(と)び下(お)り、又(また)高声(こうせい)に罵(ののし)って言う、「北(きた)の潑孽畜(はつげっちく=愚かなる畜生)! 早(はや)きに趁(じょう=乗(の))じて出(い)で来(きた)りて死(し)を受(う)けよ!」 かの小妖(しょうよう)は又(また)往(ゆ)きて知(し)らせれば、老魔(ろうま)言う、「この賊猴(ぞくこう)又(また)何(いず)れの者を請(こ)いしに来(きた)れるか」。急(いそ)ぎ槍(やり)を綽(と)り宝(たから)を挙(あ)げ、門(もん)を出(い)でて迎(むか)え来(きた)る。行者は罵(ののし)って言う、「汝(なんじ)この潑魔(はつま=愚かなる魔)、今番(こんばん=今度(こんど))は坐(ざ)して定(さだ)めて是(こ)れ死(し)するのみ! 往(ゆ)くな! 吾(わ)が一掌(いっしょう)を食(く)らえ!」 急(いそ)ぎ身(み)を縦(はな)って一箇の満懐(まんかい=胸(むね)いっぱい)に跳(と)びつき、面(おもて)を劈(さ)いて一箇の耳括子(じかつし=平手打(ひらてう)ち)を打(う)ち、頭(こうべ)を回(めぐ)らして就(すなわ)ち跑(はし)る。かの魔(ま)は槍(やり)を輪(めぐ)らして就(すなわ)ち赶(お)うに、只(た)だ聞(き)こゆるは高峰(こうほう)の上(うえ)に叫(さけ)ぶ声(こえ)──「かの牛児(ぎゅうじ=牛(うし))め、還(また)家(いえ)に帰(かえ)らずんば、何日(いつのひ)をか待(ま)つ可(べ)き」と。かの魔(ま)は頭(こうべ)を挙(あ)げ、太上老君(たいじょうろうくん)なるを見(み)て、就(すなわ)ち唬(おど)されて心(こころ)驚(おどろ)き胆(きも)戦(おのの)いて言う、「この賊猴(ぞくこう)は真(まこと)に是れ一箇の地裡鬼(ちりき=土地(とち)の鬼(おに))なり!

却(かえ)ってどうして就(すなわ)ち我(わ)が主公(しゅこう=主(あるじ))を訪(たず)ね得(え)て来(きた)れるか」。老君は一箇の呪語(じゅご=呪文(じゅもん))を念(ねん)じ、扇子(おうぎ)を将(も)って搧(あお)ぐこと一下(いっか)なれば、かの怪(かい)は圈子(けんし=輪(わ))を将(も)って投(な)げ来(きた)るを、老君に一把(ひとつかみ)に接(う)け住(とど)めらる;又(また)一(ひと)搧(あお)げば、かの怪物(かいぶつ)は力(ちから)軟(よわ)く筋(すじ)麻(しび)れ、本相(ほんそう=元(もと)の姿(すがた))を現(あらわ)せば、元来(もと)是れ一隻(いっぴき)の青牛(せいぎゅう)なり。老君は金鋼琢(こんごうたく)に一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吹(ふ)きかけて、かの怪(かい)の鼻(はな)を穿(うが)ち、勒袍帯(ろくぼうたい=袍(ほう)の帯(おび))を解(と)き下(おろ)して、琢(たく)の上(うえ)に系(か)け、手(て)の中(うち)に牽(ひ)く。今(いま)に至(いた)るまで一箇の牛(うし)の鼻(はな)を拴(つな)ぐ拘児(こうじ=輪(わ))を留(とど)め、又(また)の名(な)を賓郎(ひんろう)とす、職(しょく)として此(こ)れを之(これ)謂(い)うなり。老君は衆神(しゅうしん)に辞(じ)し、青牛(せいぎゅう)の背(せ)の上(うえ)に跨(またが)り、彩雲(さいうん)に駕(が)して、径(ただ)ちに兜率院(とそついん)に帰(かえ)る;妖怪(ようかい)を縛(しば)りて、高(たか)く離恨天(りこんてん)に升(のぼ)る。孫大聖(そんたいせい)は纔(ようや)く天王等(てんのうら)の衆(しゅう)と同(とも)に洞裡(どうり)に打(う)ち入(い)り、かの百十箇(ひゃくじっこ)の小妖(しょうよう)を尽(ことごと)く皆(みな)打(う)ち殺(ころ)し、各(おのおの)兵器(へいき)を取(と)り、天王父子(てんのうふし)に謝(しゃ)して天(てん)に回(かえ)らしめ、雷公(らいこう)は府(ふ)に入(い)り、火徳(かとく)は宮(きゅう)に帰(かえ)り、水伯(すいはく)は河(かわ)に回(かえ)り、羅漢(らかん)は西(にし)に向(むか)う;然(しか)る後(のち)に纔(ようや)く唐僧(とうそう)・八戒(はっかい)・沙僧(しゃそう)を解放(かいほう)し、鉄棒(てつぼう)を拿(と)る。彼(かれ)の三人(さんにん)は又(また)行者(ぎょうじゃ)に謝(しゃ)し、馬匹(ばひつ=馬(うま))行装(ぎょうそう=荷物(にもつ))を收拾(しゅうしゅう=取(と)りまとめ)し、師徒(しと)たちは洞(どう)を離(はな)れ、大路(たいろ=大(おお)きな道(みち))を找(さが)して方(ようや)く走(はし)る。

正(まさ)に走(はし)る間(あいだ)に、只(た)だ聞(き)こゆるは路傍(みちばた)に「唐聖僧(とうしょうそう)、斎飯(さいはん=斎(とき)の食事(しょくじ))を食(く)うて去(ゆ)かれよ」と叫(さけ)ぶを。かの長老(ちょうろう)は心(こころ)驚(おどろ)く。

是(こ)れ何(なん)の人の叫(さけ)ぶなるかを知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。