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053 第五十三回 禅主(ぜんしゅ)、餐(さん)を呑(の)んで鬼孕(きにん)を懐(いだ)き 黄婆(こうば)、水(みず)を運(はこ)びて邪胎(じゃたい)を解(と)く

徳行(とくぎょう)は修(おさ)むるに八百(はっぴゃく)を要(よう)し、
陰功(いんこう)は須(すべか)らく三千(さんぜん)を積(つ)むべし。
物我(ぶつが)と親冤(しんえん)を均(ひと)しく平(たいら)かにして、
始(はじ)めて西天(せいてん)の本願(ほんがん)に合(かな)う。
魔兕(まじ)は刀兵(とうへい)に怯(おじ)けず、
空(むな)しく水火(すいか)を労(ろう)して愆(あやま)ち無し。
老君(ろうくん)降伏(こうぶく)して却(かえ)って天(てん)に朝(ちょう)し、
笑(わら)って青牛(せいぎゅう)を把(と)りて牽(ひ)き転(てん)ず。

さてかの大路(たいろ)の旁(かたわら)に叫喚(きょうかん)せし者(もの)は誰(たれ)ぞ。乃(すなわ)ち是れ金兜山(きんとうざん)の山神(さんじん)土地(とち)にして、紫金(しきん)の鉢盂(はつう)を捧(ささ)げて叫(さけ)んで言う、「聖僧(しょうそう)よ、この鉢盂(はつう)の飯(めし)は孫大聖(そんたいせい)の好(よ)き処(ところ)に向(むか)いて化(け)し来(きた)り給(たま)えるなり。

汝等(なんじら)良言(りょうげん)を聴(き)かざるに因(よ)り、誤(あやま)って妖魔(ようま)の手(て)に入(い)り、大聖(たいせい)をして労苦(ろうく)万端(ばんたん)ならしめ、今日(こんにち)方(ようや)く救(すく)い出(いだ)すを得(え)たり。且(しばら)く来(きた)りて飯(めし)を食(く)い、再(ふたた)び往(ゆ)きて路(みち)を走(はし)れ、孫大聖(そんたいせい)の一片(いっぺん)の恭孝(きょうこう=恭(うやうや)しく孝(こう)ある)の心(こころ)を孤負(そむ=裏切(うらぎ))ること莫(な)かれ」。三蔵(さんぞう)言う、「徒弟(でし)よ、万分(まんぶん)に汝(なんじ)に虧(か=損(そこな))わせたり! 言(ことば)謝(しゃ)するに尽(つ)くす所(ところ)を知(し)らず! 早(はや)く圈痕(けんこん=輪(わ)の跡(あと))を出(い)でざりせば、那(なん)ぞこの殺身(さっしん)の害(がい)有らんや」。行者言う、「師父(しふ)に瞞(あざむ)き申(もう)さず、只(た)だ汝(なんじ)の我が圈子(けんし=輪(わ))を信(しん)ぜざるに因(よ)り、却(かえ)って汝(なんじ)をして别人(べつじん)の圈子(けんし)を受(う)けしめたり。多少(たしょう)の苦楚(くそ=苦(くる)しみ)なるか、嘆(なげ)く可(べ)し! 嘆く可し!」 八戒(はっかい)言う、「どうして又(また)一箇の圈子(けんし)有るか」。行者言う、「皆(みな)是れ汝(なんじ)がこの孽嘴孽舌(げっしげっぜつ=災(わざわい)いの嘴(くちばし)と舌(した))の夯貨(こうか=間抜(まぬ)け)めの、師父(しふ)をしてこの一場(いちじょう)の大難(たいなん)に遭(あ)わせしめたり! 老孫(ろうそん)をして天(てん)を翻(ひるがえ)し地(ち)を覆(くつがえ)し、天兵(てんぺい)水火(すいか)と仏祖(ぶっそ)の丹砂(たんさ)を請(こ)いしめ、尽(ことごと)く彼(かれ)に一箇の白森森(はくしんしん)なる圈子(けんし)を使(つか)われて套(から)め往(ゆ)かれたり。如来(にょらい)は暗(あん)に羅漢(らかん)に示(しめ)して、老孫(ろうそん)に対(むか)いかの妖(よう)の根原(こんげん)を説(と)き出(いだ)さしめ、纔(ようや)く老君(ろうくん)を請(こ)い来(きた)りて収伏(しゅうふく)せしに、却(かえ)って是れ一箇の青牛(せいぎゅう)の怪(かい)を為(な)せるなり」。三蔵は言(こと)を聞(き)き、感激(かんげき)尽(つ)くる所(ところ)を知(し)らずして言う、「賢徒(けんと=賢(かしこ)き弟子(でし))よ、今番(こんばん=今度(こんど))この経(へ)を経(ふ)て、下次(かじ=次(つぎ))は定(さだ)めて然(しか)と汝(なんじ)が吩咐(ふんぷ=言(い)いつけ)を聴(き)かん」。遂(つい)に此(ここ)に四人(よにん)かの飯(めし)を分(わ)け食(くら)うに、かの飯(めし)は熱気騰騰(ねっきとうとう)たり。行者言う、「この飯(めし)は時(とき)を多(おお)く経(ふ)れるに、却(かえ)ってどうして還(また)熱(あつ)きか」。土地(とち)は跪(ひざまず)き下(お)りて言う、「是れ小神(しょうしん)大聖(たいせい)の功(こう)の完(おわ)れるを知(し)り、纔(さっき)自(おのずか)ら熱(あたた)め来(きた)りて伺候(しこう=お仕(つか)え)せるなり」。須臾(しゅゆ=暫(しばら)く)にして飯(めし)畢(おわ)り、鉢盂(はつう)を收拾(しゅうしゅう)し、土地(とち)山神(さんしん)に辞(じ)す。

かの師父(しふ)は纔(ようや)く鞍(くら)に攀(よ)じ登(のぼ)り馬(うま)に上(あが)り、高山(こうざん)を過(よ)ぐ。正(まさ)に是(こ)れ──

慮(おもんぱかり)を滌(あら)い心(こころ)を洗(あら)うて正覚(しょうがく)に皈(き)し、
風(かぜ)を餐(くら)い水(みず)に宿(やど)りて西(にし)に向(むか)いて行(ゆ)く。

行(ゆ)くこと彀(たくさん)に多時(たじ=暫(しばら)く)にして、又(また)早春(そうしゅん)の天気(てんき)に値(あ)い、些(いささ)か「紫燕(しえん)呢喃(じなん=囀(さえず)り)、黄鸝(こうり)睍睆(けんかん=美(うつく)しき声(こえ))」を聴(き)く。

紫燕(しえん)呢喃(じなん)として香嘴(こうし=香(かお)る嘴(くちばし))困(つか)れ、
黄鸝(こうり)睍睆(けんかん)として巧音(こうおん=巧(たく)みな音(おと))頻(しき)りなり。
満地(まんち)の落紅(らっこう=散(ち)る花(はな))錦(にしき)を布(し)くが如(ごと)く、
遍山(へんざん)の発翠(はっすい=萌(も)え出(い)ずる緑(みどり))茵(しとね)を堆(うずたか)くするに似(に)たり。
嶺上(れいじょう=嶺(みね)の上(うえ))青梅(せいばい)豆(まめ)を結(むす)び、
崖前(がいぜん=崖(がけ)の前(まえ))古柏(こはく=古(ふる)き柏(かしわ))雲(くも)を留(とど)む。
野(の)潤(うるお)いて煙光(えんこう)淡(あわ)く、
沙(すな)暄(あたた)かにして日色(じっしょく)曛(くら)し。
幾処(いくところ)かの園林(えんりん)花(はな)蕊(ずい=花(はな)の芯(しん))を放(はな)ち、
陽(よう)大地(だいち)に回(めぐ)りて柳(やなぎ)の芽(め)新(あら)たなり。

正(まさ)に行(ゆ)く処(ところ)、ふと一道(いちどう)の小河(しょうが)に遇(あ)う、澄澄(ちょうちょう)たる清水(せいすい)、湛湛(たんたん)たる寒波(かんぱ)。唐長老(とうちょうろう)は馬(うま)を勒(ひ)き過(よ)ぎて観看(かんかん)すれば、遠(とお)く河(かわ)のあちら側(がわ)に柳陰(りゅういん=柳(やなぎ)の陰(かげ))の碧(みどり)を垂(た)れ、微(かす)かに茅屋(ぼうおく=藁(わら)葺(ぶ)きの家(いえ))の幾椽(いくてん)を露(あらわ)すを見(み)る。行者は遥(はる)かにかの廂(かた=方(ほう))を指(ゆびさ)して言う、

「あそこに人家(じんか)有り、一定(きっと)是れ擺渡(はいと=渡(わた)し)の者(もの)じゃ」。三蔵言う、「我(われ)かの廂(ほう)を見(み)るにまたこの般(ごと)くなるも、却(かえ)って船(ふね)の隻(せき)を見(み)ず、未(いま)だ敢(あ)えて言(ことば)を開(ひら)かず」。八戒(はっかい)は行李(こうり)を旋(めぐ)らし下(おろ)し、厲声(れいせい)に高(たか)く叫(さけ)んで言う、「擺渡(わたし)の者!

船(ふね)を撑(さ)して過(よ)ぎ来(きた)れ!」 連(つづ)けて幾遍(いくたび)も叫(さけ)べば、只(た)だ見(み)るにかの柳陰(やなぎかげ)の裡面(うち)より、咿咿啞啞(いいああ=きしきし)と、一隻(いっせき)の船児(せんじ=小舟(こぶね))を撑(さ)し出(いだ)す。多(おお)からず時(とき)にして、この岸(きし)に相近(ちか)づく。師徒(しと)たちは仔細(しさい)にかの船児(ふね)を看(み)れば、真(まこと)に是(こ)れ──

短棹(たんとう=短(みじか)き櫂(かい))波(なみ)を分(わ)ち、
軽橈(けいじょう=軽(かる)き櫂(かい))浪(なみ)に泛(うか)ぶ。
瞰堂(かんどう)は油漆彩(ゆうしつさい=油(あぶら)と漆(うるし)の彩(いろどり))、
艎板(こうばん=船(ふね)の板(いた))満(み)ちて平倉(へいそう)なり。
船頭(せんとう=船(ふね)の舳(へさき))には鉄纜(てつらん=鉄(てつ)の綱(つな))窩(か)を盤(わだかま)り、
船後辺(ふなあとべ)には舵楼(だろう=舵(かじ)の楼(たかどの))明亮(めいりょう)なり。
是れ一葦(いちい)の航(こう=葦(あし)の舟(ふね))といえども、
また湖(こ)に泛(うか)び海(うみ)に浮(うか)ぶに亜(つ)がざるなり。
縦(たと)い錦纜(きんらん=錦(にしき)の綱(つな))牙檣(がしょう=象牙(ぞうげ)の帆柱(ほばしら))無(な)くとも、
実(じつ)に松樁(しょうしょう=松(まつ)の杭(くい))桂楫(けいしゅう=桂(かつら)の櫂(かい))有(あ)り。
固(もと)より万里(ばんり)の神舟(しんしゅう)に如(し)かざるも、
真(まこと)に一河(いちが=一(ひと)つの川(かわ))の隔(へだ)てを渡(わた)る可(べ)し。
往来(おうらい)只(た)だ両崖(りょうがい)の辺(ほとり)に在(あ)り、
出入(しゅつにゅう)古渡口(ことこう=古(ふる)き渡(わた)し場(ば))を離(はな)れず。

かの船児(ふね)は須臾(しばらく)にして岸(きし)に頂(いただ)き、梢子(しょうし=船頭(せんどう))有って叫(さけ)んで云(い)わく、「河(かわ)を過(よ)ぐる者(もの)、此処(ここ)へ来(こ)よ」。三蔵は馬(うま)を縦(はな)って近(ちか)づき前(すす)みて看(み)る処(ところ)、かの梢子(せんどう)の怎(いか)なる形(かたち)ぞ──

頭(こうべ)には錦絨(きんじゅう=錦(にしき)の毛織(けおり))の帕(はちまき)を裹(ま)き、
足(あし)には皂絲(そうし=黒(くろ)き絹糸(きぬいと))の鞋(くつ)を踏(ふ)む。
身(み)には百納(ひゃくのう=継(つ)ぎはぎ)の綿襠襖(めんとうおう=綿入(わたい)れの襖(あお))を穿(き)、
腰(こし)には千針(せんしん=千(せん)の針(はり))の裙布衫(くんぷさん=裾(すそ)の布(ぬの)の衫(ころも))を束(つか)ぬ。
手腕(しゅわん=手首(てくび))皮(かわ)粗(あら)くして筋力(きんりき)硬(かた)く、
眼(め)花(かす)み眉(まゆ)皺(しわ)みて面容(めんよう=顔(かお)つき)衰(おとろ)う。
声音(せいおん)嬌細(きょうさい=細(ほそ)く優(やさ)し)にして鶯(うぐいす)の囀(さえず)るが如(ごと)く、
近(ちか)く観(み)るに乃(すなわ)ち是れ老(おい)たる裙釵(くんさい=女(おんな))なり。

行者は船(ふね)の辺(ほとり)に近(ちか)づきて言う、「汝(なんじ)は是れ擺渡(わたし)の者(もの)か」。かの婦人(ふじん)言う、

「是(さ)なり」。行者言う、「梢公(しょうこう=船頭(せんどう))どうして在(あ)らず、却(かえ)って梢婆(しょうば=女(おんな)の船頭(せんどう))をして船(ふね)を撑(さ)さしむるか」。婦人(ふじん)は微(かす)かに笑(わら)いて答(こた)えず、手(て)を用(もち)いて跳板(ちょうばん=渡(わた)し板(いた))を拖(ひ)き上(あ)ぐ。沙和尚(しゃおしょう)は行李(こうり)を将(も)って上(うえ)に挑(かつ)ぎ上(あ)げ、行者は師父(しふ)を扶(たす)けて跳(ちょう)に上(あが)らせ、然(しか)る後(のち)に順(したが)って船(ふね)を過(よ)ぎ来(きた)らせ、八戒(はっかい)は白馬(はくば)を牽(ひ)き上(あ)げ、跳板(いた)を收(おさ)む。かの婦人(ふじん)は船(ふね)を撑(さ)し開(ひら)き、櫂(かい)を揺(ゆ)り動(うご)かし、頃刻(しばらく)の間(あいだ)に河(かわ)を過(よ)ぐ。

身(み)は西岸(せいがん=西(にし)の岸(きし))に登(のぼ)り、長老(ちょうろう)は沙僧(しゃそう)をして包(つつみ)を解(と)かしめ、幾文(いくもん)かの銭鈔(せんしょう=銭(ぜに))を取(と)りて彼(かれ)に与(あた)う。婦人(ふじん)は更(さら)に多寡(たか=多(おお)い少(すく)ない)を争(あらそ)わず、纜(つな)を将(も)って水(みず)に傍(そ)える樁(くい)の上(うえ)に拴(つな)ぎ、笑嘻嘻(しょうきき=にこにこ)として径(ただ)ちに庄屋(しょうおく=農家(のうか))の裡(うち)に入(い)り往(ゆ)く。三蔵はかの水(みず)の清(きよ)きを見(み)て、一時(ひととき)口(くち)渴(かわ)き、便(すなわ)ち八戒(はっかい)に、「鉢盂(はつう)を取(と)り、些(いささ)かの水(みず)を舀(く)み来(きた)りて我(われ)に飲(の)ませよ」と着(つ)く。

かの呆子(ほうし=間抜(まぬ)け)言う、「我(われ)もまた正(まさ)に些(いささ)か飲(の)まんと欲(ほっ)するなり」。即(すなわ)ち鉢盂(はつう)を取(と)り、一鉢(ひとつ)を舀(く)み、師父(しふ)に逓(わた)す。師父は一少半(いちしょうはん=少(すこ)しの半分(はんぶん))を飲(の)み、還(また)多半(たはん=多(おお)くの半分(はんぶん))を剰(あま)せり。呆子(ほうし)は接(う)け来(きた)りて、一気(いっき)に飲(の)み乾(ほ)し、却(かえ)って三蔵(さんぞう)の馬(うま)に上(あが)るを伏侍(ぶくじ)す。師徒(しと)たちは路(みち)を找(さが)して西(にし)に行(ゆ)くに、半箇時辰(はんこじしん=一時間(いちじかん))に上(のぼ)らざるに、かの長老(ちょうろう)は馬(うま)の上(うえ)に在って呻吟(しんぎん=うめ)いて言う、「腹痛(ふくつう=腹(はら)痛(いた)し)!」 八戒(はっかい)は後(うしろ)に随(したが)いて言う、「我(われ)もまた些(いささ)か腹痛(はらいた)し」。沙僧(しゃそう)言う、「想(おも)うに是れ冷水(れいすい)を飲(の)みしならん」。説(と)き未(いま)だ畢(おわ)らぬに、師父(しふ)は声(こえ)を挙(あ)げて喚(よん)で言う、「疼(いた)きこと緊(きつ)し!」 八戒(はっかい)もまた言う、「疼きこと緊し!」 彼(かれ)の二箇(ふたり)は疼痛(とうつう)禁(とど)め難(がた)く、漸漸(ぜんぜん)として肚子(とし=腹(はら))大(おお)きくなる。手(て)を用(もち)いて摸(さわ)る時(とき)、血団(けつだん=血(ち)の塊(かたまり))肉塊(にくかい)の有(あ)るに似(に)て、住(や)むこと無(な)く骨冗骨冗(こつじょうこつじょう=もぞもぞ)と乱(みだ)りに動(うご)く。三蔵(さんぞう)は正(まさ)に穏(おだ)やか便(べん)ならざるに、忽然(こつぜん)として見(み)るにかの路傍(みちばた)に一箇の村舎(そんしゃ=村(むら)の家(いえ))有って、樹梢頭(じゅしょうとう=木(き)の梢(こずえ))に二箇(ふたつ)の草把(そうは=藁(わら)の束(たば))を挑(かか)げ在(あ)り。行者言う、「師父(しふ)、好(よ)くなれり、あの廂(ほう)は是れ一箇の酒(さけ)を売(う)る人家(じんか)じゃ。我等(われら)且(しばら)く往(ゆ)きて些(いささ)かの熱湯(ねっとう=熱(あつ)き湯(ゆ))を化(け)し得(え)て汝(なんじ)に飲(の)ませ、就(すなわ)ち薬(くすり)を売(う)る者有(あ)りや否(いな)やを問(と)い、一貼(ひとふり)の薬(くすり)を討(もと)め、汝(なんじ)と腹痛(はらいた)を治(なお)さん」。三蔵は言(こと)を聞(き)いて甚(はなは)だ喜(よろこ)び、却(かえ)って白馬(はくば)を打(う)ちて、多(おお)からず時(とき)にして、村舎(むらのいえ)の門口(もんこう)に到(いた)りて馬(うま)を下(お)りる。但(た)だ見(み)るにかの門児(もんじ=門(もん))の外(そと)に一箇の老婆婆(ろうばば)有って、端(ただ)しく草墩(そうとん=藁(わら)の台(だい))の上(うえ)に坐(ざ)して麻(あさ)を績(う)む。行者は上前(うえまえ)に出(い)で、一箇の問訊(もんじん=合掌(がっしょう)の挨拶(あいさつ))を打(う)って言う、「婆婆(ばば)さま、貧僧(ひんそう)は是れ東土大唐(とうどだいとう)より来(きた)れる者(もの)、我が師父(しふ)は乃(すなわ)ち唐朝(とうちょう)の御弟(ぎょてい=帝(みかど)の弟(おとうと))なり。河(かわ)を過(よ)ぐるに因(よ)りて河水(かすい)を飲(の)み、肚腹(とふく=腹(はら))の疼痛(とうつう)を覚(おぼ)ゆ」。かの婆婆(ばば)は哈哈(はは)と喜(よろこ)んで言う、「汝等(なんじら)はあの辺(へん)の河(かわ)の裡(うち)に在って水(みず)を飲(の)み来(きた)れるか」。行者言う、「是(こ)れこの東辺(とうへん=東(ひがし)の方(ほう))の清水河(せいすいが)に在って飲(の)めるなり」。かの婆婆(ばば)は欣欣(きんきん=嬉(うれ)しげ)として笑(わら)って言う、「好耍子(こうしゃし=面白(おもしろ)い)! 好耍子! 汝等(なんじら)皆(みな)進(すす)み来(こ)よ、我(われ)汝等(なんじら)と説(と)かん」。

行者は即(すなわ)ち唐僧(とうそう)を攙(たす)け、沙僧(しゃそう)は即(すなわ)ち八戒(はっかい)を扶(たす)く。両人(ふたり)は声声(こえごえ)に喚(うめ)き、肚子(はら)を腆(ふく)らませ、一箇一箇(ひとりひとり)只(た)だ疼(いた)み得(う)るに面(おもて)黄(き)く眉(まゆ)皺(しわ)み、草舎(そうしゃ=藁(わら)の家(いえ))に入(い)りて坐(ざ)す。行者は只(た)だ叫(さけ)ぶ、「婆婆(ばば)さま、是(ぜ)必(ひつ)ず些(いささ)かの熱湯(あつきゆ)を焼(た)きて我が師父(しふ)に与(あた)えよ、我等(われら)汝(なんじ)に謝(しゃ)せん」。かの婆婆(ばば)は且(しばら)く湯(ゆ)を焼(た)かず、笑唏唏(しょうきき)として後辺(うしろ)に跑(はし)り走(ゆ)きて叫(さけ)んで言う、「汝等(なんじら)来(きた)りて看(み)よ! 汝等来たりて看よ!」 かの裡面(うち)より、蹼蹼踏踏(ぼくぼくとうとう=ばたばた)と、又(また)二三人(にさんにん)の半老不老(はんろうふろう=老(お)いかけ)の婦人(ふじん)走(はし)り出(い)で、皆(みな)来(きた)りて唐僧(とうそう)を望(みつ)めて洒笑(ししょう=笑(わら)いこけ)る。行者は大(おお)いに怒(いか)り、一声(ひとこえ)喝(かつ)し、歯(は)を将(も)って一嗟(ひとか=かちかみ)すれば、唬(おど)されたるはかの一家子(いっかそ=家中(かちゅう))、跌跌蹡蹡(てっていしょうそう=よろよろ)として、後(うしろ)へ向かえて就(すなわ)ち走(はし)る。行者は上前(すす)み出(い)で、かの老婆子(ろうばし=婆(ばあ)さん)を扯(ひ)き住(とど)めて言う、「早(はや)く湯(ゆ)を焼(た)け、我(われ)汝(なんじ)を饶(ゆる)さん!」 かの婆子(ばし)は戦兢兢(せんきょうきょう=おののきながら)言う、「爺爺(やや=おじいさま)や、我(われ)が湯(ゆ)を焼(た)くもまた事(こと)を済(な)さず、また彼(かれ)の二箇(ふたり)の肚疼(はらいた)を治(なお)すを得(え)ず。汝(なんじ)我(われ)を放(はな)て、我(われ)の説(と)くを等(ま)てよ」。行者は彼(かれ)を放(はな)てば、彼(かれ)説(と)く、「我(われ)が此処(ここ)は乃(すなわ)ち是れ西梁女国(せいりょうじょこく)なり。我等(われら)がこの一国(いっこく)は尽(ことごと)く是れ女人(にょにん)、更(さら)に男子(だんし)無(な)し、此(こ)の故(ゆえ)に汝等(なんじら)を見(み)て歓喜(かんき)せるなり。汝(なんじ)が師父(しふ)の飲(の)みしあの水(みず)は不好(ふこう=悪(わる))し、あの條(すじ)の河(かわ)は喚(よ)んで子母河(しぼが)と做(な)す。我(わ)がかの国王城外(こくおうじょうがい)に、還(また)一座(いちざ)の迎陽館駅(げいようかんえき)有り、駅門(えきもん)の外(そと)に一箇の照胎泉(しょうたいせん)有り。我(われ)が此処(ここ)の人(ひと)は、但(た)だ年(とし)二十歳(にじっさい)以上(いじょう)に登(のぼ)るを得(う)れば、方(まさ)に敢(あ)えて往(ゆ)きてあの河(かわ)の裡(うち)の水(みず)を飲(の)む。水(みず)を飲(の)みし後(のち)、便(すなわ)ち腹痛(ふくつう)して胎(たい)有るを覚(おぼ)ゆ。三日(みっか)の後(のち)に至(いた)りて、あの迎陽館(げいようかん)の照胎水(しょうたいすい)の辺(ほとり)に到(いた)りて照(てら)し往(ゆ)く。若(も)し照(てら)して双影(そうえい=二重(にじゅう)の影(かげ))の有るを得(う)れば、便(すなわ)ち就(すなわ)ち孩児(がいじ=子(こ))を降生(こうしょう)す。汝(なんじ)が師(し)は子母河(しぼが)の水(みず)を飲(の)みしに、此(こ)れを以(も)って胎気(たいき)を成(な)し、また日(ひ)ならずして孩子(こども)を生(う)まんとす、熱湯(あつきゆ)どうして治(なお)し得(う)べき」。三蔵は言(こと)を聞(き)き、大(おお)いに驚(おどろ)き色(いろ)を失(うしな)って言う、「徒弟(でし)よ! 此(か)くの如(ごと)くんば怎(いか)でか了(おわ)らん」。八戒(はっかい)は腰(こし)を扭(ね)じ胯(また)を撒(ひら)いて哼(うな)って言う、「爺爺(やや)や! 孩子(こども)を生(う)まんとするに、我等(われら)は却(かえ)って是れ男身(だんしん=男(おとこ)の体(からだ))! 何処(いずこ)に産門(さんもん)の開(ひら)く可(べ)き有らん。如何(いか)でか脱(ぬ)け出(い)づることを得(え)ん」。行者笑って言う、「古人(こじん)云(いわ)く『瓜(うり)熟(じゅく)すれば自(おのずか)ら落(お)つ』と、若(も)しあの箇の時節(じせつ)に到(いた)らば、一定(きっと)脇下(わきのした)より一箇の窟窿(くつろう=穴(あな))を裂(さ)き、潜(もぐ)り出(い)で来(こ)ん」。八戒(はっかい)は説(と)くを聞(き)き、戦兢兢(おののき)として疼痛(とうつう)に忍(しの)ぶこと得(え)ずして言う、「罷(や)んだ罷んだ! 死(し)んだ死んだ!」 沙僧(しゃそう)笑って言う、「二哥(にいさん)、扭(ねじ)る莫(な)かれ扭る莫かれ! 只(た)だ怕(おそ)らくは養児腸(ようじちょう=産道(さんどう))を錯(あやま)り、弄(ろう)して一箇の胎前病(たいぜんびょう)を做(な)さん」。かの呆子(ほうし)は愈々(いよいよ)慌(あわ)て、眼(めん)の中(うち)に涙(なみだ)を噙(ふく)み、行者を扯(ひ)いて言う、「哥哥(あにい)! 汝(なんじ)この婆婆(ばば)に問(と)うて、何処(いずこ)に手(て)の軽(かる)き穏婆(おんば=産婆(さんば))有るかを看(み)、預(あらかじ)め幾箇(いくつ)かを尋(たず)ね下(お)ろせ。この半会(はんえ=暫(しばら)く)一陣陣(ひとしきりひとしきり)と動盪(どうとう=波打(なみう)ち)の緊(きつ)きこと、想(おも)うに是れ摧陣疼(さいじんとう=陣痛(じんつう))なるならん。

快(はや)い! 快い!」 沙僧(しゃそう)又(また)笑って言う、「二哥(にいさん)、既(すで)に摧陣疼(じんつう)と知(し)らば、扭(ねじ)り動(うご)くこと莫(な)かれ、只(た)だ恐(おそ)らくは漿泡(しょうほう=羊(よう)水(すい)の袋(ふくろ))を擠(つ)き破(やぶ)らんのみ」。三蔵は哼(うな)りて言う、「婆婆(ばば)さま、汝(なんじ)が此処(ここ)に医家(いか=医者(いしゃ))有るや。我が徒弟(でし)をして往(ゆ)かしめ一貼(ひとふり)の堕胎薬(だたいやく)を買(か)い来(きた)らしめ、食(の)んで胎(たい)を打(う)ち下(おろ)さん」。かの婆子(ばし)言う、「就(すなわ)ち薬(くすり)有るもまた事(こと)を済(な)さず。只(た)だ是れ我等(われら)がこの正南街(せいなんがい=真南(まみなみ)の町(まち))に一座(いちざ)の解陽山(かいようざん)有り、山中(さんちゅう)に一箇の破児洞(はじどう)有り、洞裡(どうり)に一眼(いちげん)の落胎泉(らくたいせん)有り。須(すべか)らくあの井(い)の裡(うち)の水(みず)を一口(ひとくち)飲(の)むを得(う)れば、方(まさ)に纔(ようや)く胎気(たいき)を解(と)く可(べ)し。

却(かえ)って如今(いま)は水(みず)を取(と)ることを得(え)ず、向年(こうねん=先年(せんねん))一箇の道人(どうにん)来(きた)りて、名(な)を如意真仙(にょいしんせん)と称(とな)え、あの破児洞(はじどう)を把(と)りて改(あらた)め聚仙庵(しゅせんあん)と做(な)し、落胎泉(らくたいせん)の水(みず)を護(まも)り住(とど)め、肯(あ)えて善(よ)く人(ひと)に賜(たま)わず。但(た)だ水(みず)を求(もと)めんと欲(ほっ)する者(もの)は、須(すべか)らく花紅表礼(かこうひょうれい=祝儀(しゅうぎ)の品(しな))・羊酒果盤(ようしゅかばん=羊(ひつじ)と酒(さけ)と果物(くだもの)の膳(ぜん))を要(よう)し、志誠(しせい=真心(まごころ))に奉献(ほうけん)して、只(た)だ一碗児(いちわん)の水(みず)を彼(かれ)に拝(おが)み求(もと)めて得(う)るのみなり。汝等(なんじら)がこの行脚僧(あんぎゃそう=雲水(うんすい))に、どうして許多(あまた)の銭財(せんざい)の買弁(ばいべん=調(ととの)え)を得(え)ん。但(た)だ只(た)だ命(いのち)を挨(しの)び、時(とき)を待(ま)ちて生産(せいさん)するより外(ほか)無し」。行者はこの言(こと)を聞(き)き得(え)て、心(こころ)に満(み)つるまで喜(よろこ)んで言う、「婆婆(ばば)さま、汝(なんじ)が此処(ここ)よりあの解陽山(かいようざん)に到(いた)るに幾多(いくばく)の路程(ろてい)有るか」。婆婆(ばば)言う、「三十里(さんじゅうり)有り」。行者言う、「好(よ)くなれり! 好くなれり! 師父(しふ)心(こころ)を放(はな)て、老孫(ろうそん)が些(いささ)かの水(みず)を取(と)り来(きた)りて汝(なんじ)に飲(の)ませなん」。好(よ)き大聖、沙僧(しゃそう)に吩咐(ふんぷ=言(い)いつ)けて言う、

「汝(なんじ)好(よ)く仔細(しさい)に師父(しふ)を看着(みまも)れ、若(も)しこの家子(いえ)の者(もの)の無礼(ぶれい)にして、師父(しふ)を侵(おか)し哄(たぶら)かさば、汝(なんじ)旧時(きゅうじ=昔(むかし))の手段(しゅだん)を拿(と)り出(いだ)し、虎(とら)の威(い)を装(よそお)いて彼(かれ)を唬(おど)せ、我(われ)が水(みず)を取(と)り往(ゆ)くを等(ま)てよ」。沙僧(しゃそう)は命(めい)に依(よ)る。只(た)だ見(み)るにかの婆子(ばし)の一個(ひとつ)の大瓦鉢(だいがはつ=大(おお)きな瓦(かわら)の鉢(はち))を端(ただ)しく出(いだ)し、行者に逓(わた)して言う、「この鉢頭児(はち)を拿(も)って往(ゆ)け、是(ぜ)必(ひつ)ず多(おお)く取(と)り来(きた)り、我等(われら)と留(とど)めて急(きゅう)に用(もち)いんが為(ため)にせよ」。行者は真(まこと)に瓦鉢(がはつ)を接(う)け、草舎(そうしゃ)を出(い)で、雲(くも)を縦(はな)って去(さ)る。かの婆子(ばし)は纔(ようや)く空(くう)を望(のぞ)んで礼拝(らいはい)して言う、「爺爺(やや)や! この和尚(おしょう)は雲(くも)に駕(が)することを会(え)するなり!」 纔(ようや)く進(すす)み入(い)りてあの幾箇(いくつ)かの婦人(ふじん)を叫(よ)び出(いだ)し、唐僧(とうそう)に対(むか)いて頭(こうべ)を磕(ぬか)ずき礼拝(らいはい)し、皆(みな)称(とな)えて羅漢菩薩(らかんぼさつ)と為(な)し、一壁廂(いっぺきしょう=一方(いっぽう))に湯(ゆ)を焼(た)き飯(めし)を弁(つく)り、唐僧(とうそう)を供奉(ぐぶ=供養(くよう))するは題(だい)せず。

さてかの孫大聖(そんたいせい)は筋斗雲(きんとうん)を起(おこ)し、少頃(しばらく)の間(あいだ)に一座(いちざ)の山頭(さんとう=山(やま)の頂(いただき))の、雲角(うんかく=雲(くも)の先(さき))を阻(へだ)つるを見(み)、即(すなわ)ち雲光(うんこう)を按(おさ)え、睛(ひとみ)を睜(みは)りて看(み)る処(ところ)、好山(こうざん=見事(みごと)な山)! 但(た)だ見(み)るにかの──

幽花(ゆうか)錦(にしき)を擺(なら)べ、
野草(やそう)藍(あい)を鋪(し)く。
澗水(かんすい)相(あい)連(つら)なりて落(お)ち、
渓雲(けいうん)一樣(いちよう)に閑(しず)かなり。
重重(じゅうじゅう)たる谷壑(こくがく=谷(たに))に藤蘿(とうら=藤(ふじ)と蔦(つた))密(みつ)に、
遠遠(えんえん)たる峰巒(ほうらん=峰(みね))に樹木(じゅもく)蘩(しげ)し。
鳥(とり)啼(な)き雁(かり)過(よ)ぎ、
鹿(しか)飲(の)み猿(さる)攀(よ)じる。
翠岱(すいたい=緑(みどり)の峰(みね))屏嶂(へいしょう=屏風(びょうぶ)の如(ごと)く、
青崖(せいがい=青(あお)き崖(がけ))髻鬟(けいかん=髷(まげ))に似(に)たり。
塵埃(じんあい)滚滚(こんこん)として真(まこと)に到(いた)り難(がた)く、
泉石(せんせき)涓涓(けんけん)として看(み)るに厭(あ)かず。
毎(つね)に仙童(せんどう)の薬(くすり)を採(と)りて去(さ)るを見(み)、
常(つね)に樵夫(しょうふ=木(き)こり)の薪(たきぎ)を負(お)うて還(かえ)るに逢(あ)う。
果(はた)して天台(てんだい)の景(けい)に亜(つ)がず、
三峰(さんぽう)西華山(せいかざん)に勝(まさ)れり!

この大聖は正(まさ)に然(しか)とあの山(やま)の尽(つ)きざるを観看(かんかん)しおるに、又(また)只(た)だ見(み)るにかの背陰(はいん=日陰(ひかげ))の処(ところ)に、一所(いっしょ)の庄院(しょういん=荘(しょう)の館(やかた))有り、ふと犬吠(けんばい=犬(いぬ)の吼(ほ)え)の声(こえ)の聞(き)こゆる有り。大聖は山(やま)を下(お)り、径(ただ)ちに庄所(しょうしょ=荘(しょう)の在(あ)り処(か))に至(いた)れば、却(かえ)ってまた好(よ)き箇の去処(きょしょ=場所(ばしょ))なり。看(み)よかの──

小橋(しょうきょう)活水(かっすい=流(なが)れる水(みず))に通(つう)じ、
茅舎(ぼうしゃ)青山(せいざん)に倚(よ)る。
村犬(そんけん=村(むら)の犬(いぬ))籬落(りらく=垣根(かきね))に汪(ほ)え、
幽人(ゆうじん=隠者(いんじゃ))自(おのずか)ら往還(おうげん)す。

時(とき)ならずして門首(もんしゅ=門前(もんぜん))に来(きた)り至(いた)れば、一箇の老道人(ろうどうにん)の、緑茵(りょくいん=緑(みどり)の芝(しば))の上(うえ)に盤坐(ばんざ)するを見(み)る。大聖は瓦鉢(がはつ)を放(お)き下(おろ)し、近(ちか)づき前(すす)みて問訊(もんじん=合掌(がっしょう)の挨拶(あいさつ))すれば、かの道人(どうにん)は身(み)を欠(か)いて礼(れい)を返(かえ)して言う、「何方(いずかた)よりの来者(らいしゃ)か。小庵(しょうあん)に至(いた)りて何(なん)の勾当(こうとう=用事(ようじ))有るか」。行者言う、「貧僧(ひんそう)は乃(すなわ)ち東土大唐(とうどだいとう)欽差(きんさ=勅使(ちょくし))の西天(せいてん)に経(きょう)を取(と)りに往(ゆ)く者(もの)なり。我が師父(しふ)の誤(あやま)って子母河(しぼが)の水(みず)を飲(の)みしに因(よ)り、如今(いま)腹(はら)疼(いた)み腫脹(しゅちょう=脹(ふく)れ)うて禁(とど)め難(がた)し。土人(どじん=土地(とち)の人(ひと))に問(と)い及(およ)べば、説(と)くに胎気(たいき)を結(むす)び成(な)して、方(ほう=方法(ほうほう))として治(なお)す可(べ)き無しと。訪(たず)ね得(う)るに解陽山(かいようざん)破児洞(はじどう)に落胎泉(らくたいせん)有って以(も)って胎気(たいき)を消(け)す可(べ)しと、此(こ)の故(ゆえ)に特に来(きた)りて如意真仙(にょいしんせん)に拝見(はいけん)し、些(いささ)かの泉水(せんすい)を求(もと)め、師父(しふ)を搭救(たっきゅう=救(すく))い申(もう)さんとす。老道(ろうどう)の指引(しいん=案内(あんない))指引を累(るい=煩(わずら))わす」。かの道人(どうにん)笑って言う、「此間(ここ)が就(すなわ)ち是れ破児洞(はじどう)、今(いま)改(あらた)めて聚仙庵(しゅせんあん)と為(な)せり。我(われ)は却(かえ)って别人(べつじん)に非(あら)ず、即(すなわ)ち是れ如意真仙(にょいしんせん)老爺(ろうや)の大徒弟(だいとてい)なり。汝(なんじ)は甚(なん)の名字(みょうじ=名(な))と喚(よ)ぶ者(もの)か。

我(われ)をして好(よ)く汝(なんじ)の為(ため)に通報(つうほう)せしめよ」。行者言う、「我(われ)は是れ唐三蔵法師(とうさんぞうほうし)の大徒弟(だいとてい)、賤名(せんみょう=拙(つたな)き名(な))は孫悟空(そんごくう)なり」。かの道人(どうにん)問(と)うて曰(いわ)く、「汝(なんじ)が花紅酒礼(かこうしゅれい=祝儀(しゅうぎ)の品(しな))は、皆(みな)何処(いずこ)に在(あ)るか」。行者言う、

「我(われ)は是れ一箇の路(みち)を過(よ)ぐる挂搭僧(かとうそう=雲水(うんすい))、曾(かつ)て弁(ととの)え来(きた)らず」。道人(どうにん)笑って言う、「汝(なんじ)好(よ)く痴(おろか)なるかな!

我(わ)が老師父(ろうしふ)は山泉(さんせん)を護(まも)り住(とど)めて、並(なら)びに曾(かつ)て白(ただ)に人(ひと)に送(おく)らず。汝(なんじ)回(かえ)り往(ゆ)きて礼(れい)を弁(ととの)え将(も)って来(こ)よ、我(われ)好(よ)く通報(つうほう)せん、然(しか)らずんば請(こ)うて回(かえ)れ、想(おも)う莫(な)かれ想う莫かれ!」 行者言う、「人情(にんじょう)は聖旨(せいし=勅命(ちょくめい))より大(おお)いなり、汝(なんじ)往(ゆ)きて我が老孫(ろうそん)の名字(な)を説(と)け、彼(かれ)は必(かなら)ずや一箇の人情(にんじょう)を做(な)し、或(ある)いは井(い)を連(つれだ)って都(すべ)て我(われ)に送(おく)らんも知(し)れず」。

かの道人(どうにん)はこの言(こと)を聞(き)き、只(た)だ進(すす)み入(い)りて通報(つうほう)するを得(う)るに、却(かえ)って見(み)るにかの真仙(しんせん)の琴(こと)を撫(まさぐ)るを、只(た)だ彼(かれ)が琴(こと)の終(おわ)るを待(ま)ちて、方(まさ)に纔(ようや)く説(と)いて言う、「師父(しふ)、外(そと)に一箇の和尚(おしょう)有って、口(くち)に唐三蔵(とうさんぞう)の大徒弟(だいとてい)孫悟空(そんごくう)と称(とな)え、落胎泉(らくたいせん)の水(みず)を求(もと)めて、彼(かれ)が師父(しふ)を救(すく)わんと欲(ほっ)します」。かの真仙(しんせん)は説(と)くを聞(き)かざれば便(すなわ)ち罷(や)むも、一(ひと)たび悟空(ごくう)の名字(な)を説(と)くを聞(き)き得(え)て、却(かえ)って就(すなわ)ち怒(いかり)心(こころ)の上(うえ)より起(お)こり、悪(あく)胆(きも)の辺(ほとり)より生(しょう)じ、急(いそ)ぎ身(み)を起(おこ)し、琴床(きんしょう=琴(こと)の台(だい))を下(お)り、素服(そふく=白(しろ)き衣(ころも))を脱(ぬ)ぎ、道衣(どうい)に換(か)え上(あ)げ、一把(いちわ)の如意鉤(にょいこう)を取(と)り、庵門(あんもん)を跳(と)び出(い)でて叫(さけ)んで言う、

「孫悟空(そんごくう)何処(いずこ)に在(あ)る」。行者は頭(こうべ)を転(めぐ)らし、観(み)るにかの真仙(しんせん)の打扮(だはん=身(み)なり)──

頭(こうべ)には星冠(せいかん=星(ほし)の冠(かんむり))を戴(いただ)きて彩艶(さいえん)を飛(と)ばし、
身(み)には金縷(きんる=金(きん)の糸(いと))の法衣(ほうい)紅(くれない)を穿(き)る。
足下(そっか=足(あし)もと)の雲鞋(うんあい=雲(くも)の鞋(くつ))錦繍(きんしゅう)を堆(うずたか)くし、
腰間(ようかん)の宝帯(ほうたい)玲瓏(れいろう)を繞(めぐ)らす。
一雙(いっそう)の納錦(のうきん)凌波(りょうは)の襪(しとうず)、
半(なか)ば裙襕(くんらん=裾(すそ)の襴(らん))を露(あらわ)して繍絨(しゅじゅう=刺繍(ししゅう)の毛(け))閃(ひらめ)く。
手(て)には如意金鉤(にょいきんこう)を拿(と)り、
鐏(そん=穂先(ほさき))利(するど)く杆(え=柄(え))長(なが)きこと蟒龍(もうりゅう)の若(ごと)し。
鳳眼(ほうがん)光明(こうみょう)にして眉菂(びてき=眉(まゆ)の瞳(ひとみ))竪(た)ち、
鋼牙(こうが)尖利(せんり)にして口(くち)紅(あか)く翻(ひるがえ)る。
額下(がくか=顎(あご)の下(した))髯(ひげ)飘(ひるがえ)ること烈火(れっか)の如(ごと)く、
鬢辺(びんぺん=鬢(びん)の辺(ほとり))赤髪(せきはつ)短(みじか)く蓬松(ほうしょう=蓬(よもぎ)の如(ごと)く)たり。
形容(けいよう=姿(すがた))悪(あ)しきこと温元帥(おんげんすい)に似(に)たれど、
争(いか)でか奈何(いかん)衣冠(いかん)の同一ならざる。

行者は見(み)て、合掌(がっしょう)して礼(れい)を作(な)して言う、「貧僧(ひんそう)は便(すなわ)ち是れ孫悟空(そんごくう)なり」。かの先生(せんせい)笑って言う、「汝(なんじ)真(まこと)に是れ孫悟空(そんごくう)なるか、却(かえ)って是れ假名托姓(かめいだくせい=偽(いつわ)りの名(な)を托(かこつ)けし者(もの)なるか」。行者言う、「汝(なんじ)看(み)よ先生(せんせい)の話(はなし)を、常言(じょうげん)に『君子(くんし)は行(ゆ)くに名(な)を更(あらた)めず、坐(ざ)するに姓(せい)を改(あらた)めず』と道(い)う。我(われ)は便(すなわ)ち是れ悟空(ごくう)なり、豈(あに)假托(かたく=偽(いつわ)り托(かこつ)け)の理(ことわり)有らんや」。先生言う、

「汝(なんじ)は我(われ)を認(みと)むることを得(う)るか」。行者言う、「我(われ)は正(しょう)に釈門(しゃくもん)に帰(き)し、誠(まこと)を僧教(そうきょう)に秉(と)りしに因(よ)り、この一向(ひたすら)山(やま)を登(のぼ)り水(みず)を涉(わた)りて、我(わ)がかの幼時(ようじ=幼(おさな)き頃(ころ))の朋友(ほうゆう)をも皆(みな)疏失(そしつ=疎(うと)んじ失(うしな))い、未(いま)だ拝訪(はいほう=訪(たず)ね)るに及(いた)らず、尊顔(そんがん=貴(とうと)き御顔(みかお))を識(し)ること少(すくな)し。

適間(さっき)子母河(しぼが)西郷(せいきょう=西(にし)の郷(さと))の人家(じんか)に問(と)うに、先生(せんせい)の乃(すなわ)ち如意真仙(にょいしんせん)なるを言(い)い及(およ)べば、此(こ)の故(ゆえ)にこれを知(し)れるなり」。

かの先生(せんせい)言う、「汝(なんじ)は汝(なんじ)が路(みち)を走(はし)れ、我(われ)は我(われ)が真(しん)を修(おさ)めん、汝(なんじ)来(きた)りて我(われ)を訪(たず)ぬるは怎(いか)なるか」。行者言う、「我が師父(しふ)の誤(あやま)って子母河(しぼが)の水(みず)を飲(の)み、腹(はら)疼(いた)みて胎(たい)を成(な)せるに因(よ)り、特に仙府(せんぷ)に来(きた)り、一碗(いちわん)の落胎泉(らくたいせん)の水(みず)を拝求(はいきゅう)し、師(し)の難(なん)を救解(きゅうげ)せんとす」。かの先生(せんせい)は目(め)を怒(いから)して言う、「汝(なんじ)が師父(しふ)は是れ唐三蔵(とうさんぞう)なるか」。行者言う、「正(まさ)に是(ぜ)なり、正に是なり」。先生は歯(は)を咬(か)み恨(うら)んで言う、「汝等(なんじら)は曾(かつ)て一箇の聖嬰大王(せいえいだいおう)に会(あ)えること有るか」。行者言う、「彼(かれ)は是れ号山(ごうざん)枯松澗(こしょうかん)火雲洞(かうんどう)の紅孩児(こうがいじ)妖怪(ようかい)の綽号(しゃくごう=あだ名(あだな))なるが、真仙(しんせん)は彼(かれ)を問(と)うて怎(いか)にする」。先生言う、「是れ我(わ)が舎侄(しゃてつ=甥(おい))なり、我(われ)は乃(すなわ)ち牛魔王(ぎゅうまおう)の兄弟(きょうだい)なり。前者(さきだって)家兄(かけい=兄(あに))の処(もと)より信(たより)有りて来(きた)り我(われ)に報(しら)せ、称(とな)えて説(と)くに『唐三蔵(とうさんぞう)の大徒弟(だいとてい)孫悟空(そんごくう)の憊懶(はいらん=横着(おうちゃく))にして、彼(かれ)をして害(そこな)われたり』と。我(われ)が此処(ここ)に正(まさ)に汝(なんじ)を尋(たず)ねて仇(あだ)を報(ほう)ずる処(ところ)無(な)きに、汝(なんじ)は倒(かえ)って来(きた)りて我(われ)を尋(たず)ね、還(また)甚(なん)の水(みず)をか要(よう)せんとするか!」 行者は陪(とも)に笑(わら)って言う、「先生(せんせい)は差(たが)えり、汝(なんじ)が令兄(れいけい)もまた曾(かつ)て我(われ)と朋友(ほうゆう)を做(な)し、幼年(ようねん)の間(あいだ)にもまた曾(かつ)て七弟兄(しちていきょう)を拝(はい)せしが、但(た)だ只(た)だ是れ先生(せんせい)の尊府(そんぷ=御宅(おたく))を知(し)らず、拝望(はいぼう=拝謁(はいえつ))を失(しっ)せり。如今(いま)令侄(れいてつ=甥(おい))は好(よ)き処(ところ)を得(え)て、現(げん)に観音菩薩(かんのんぼさつ)に随(したが)いて、善財童子(ぜんざいどうじ)と做(な)りたるは、我等(われら)すら尚且(なお)かつ如(し)かざるに、どうして反(かえ)って我(われ)を怪(あやし)むか」。先生は喝(かつ)して言う、「この潑猢猻(はつこそん=愚(おろ)かなる猿(さる))! 還(また)巧舌(こうぜつ=巧(たく)みな舌(した))を弄(ろう)す! 我(わ)が舎侄(おい)は還(また)自在(じざい)に王(おう)と為(な)るが好(よ)きか、還(また)人(ひと)の為(ため)に奴(やっこ)と為(な)るが好(よ)きか。無礼(ぶれい)なること得(え)ざれ! 我がこの一鉤(いっこう)を食(く)らえ!」 大聖は鉄棒(てつぼう)を使(つか)って架(か)き住(とど)めて言う、「先生(せんせい)打(う)つの話(はなし)を説(と)くこと莫(な)かれ、且(しばら)く些(いささ)かの泉水(せんすい)を与(あた)えて去(ゆ)かれよ」。かの先生(せんせい)は罵(ののし)って言う、「潑猢猻(おろかなる猿)! 死活(しかつ=命(いのち)の有無(うむ))を知(し)らず! 如(も)し三合(さんごう)に我(われ)に敵(てき)し得(う)れば、汝(なんじ)に水(みず)を与(あた)えて去(ゆ)かしめん;敵(てき)し往(ゆ)かずんば、只(た)だ汝(なんじ)を把(と)りて剁(き)りて肉醤(にくしょう=肉(にく)の味噌(みそ))と為(な)し、方(まさ)に我が侄子(おい)の為(ため)に仇(あだ)を報(ほう)ぜん」。大聖は罵(ののし)って言う、「我(われ)この汝(なんじ)が如(ごと)き起倒(きとう=身(み)の程(ほど))を識(し)らざる孽障(げっしょう=畜生(ちくしょう))め! 既(すで)に打(う)たんと要(よう)せば、上(うえ)へ走(はし)り来(きた)りて棍(こん)を見(み)よ!」 かの先生(せんせい)は如意鉤(にょいこう)を手(て)を劈(さ)いて相還(むか)う。二箇(ふたり)聚仙庵(しゅせんあん)に在って好殺(こうさつ=見事(みごと)な戦(いくさ))──

聖僧(しょうそう)誤(あやま)って成胎(せいたい)の水(みず)を食(くら)い、
行者(ぎょうじゃ)来(きた)りて如意仙(にょいせん)を尋(たず)ぬ。
那(なん)ぞ暁(さと)らん真仙(しんせん)の元(もと)是れ怪(かい)にして、
強(つよ)みに倚(よ)りて落胎泉(らくたいせん)を護(まも)り住(とど)むるを。
相逢(あいあ)うて仇隙(きゅうげき=恨(うら)み)を講(こう)ずるに及(いた)り、
争持(そうじ=争(あらそ)い)決(けっ)して如然(じょぜん=その如(ごと)く)に遂(と)げず。
言(ことば)来(きた)り語(ことば)去(さ)りて僝僽(さんしゅう=言(いい)争(あらそ)い)を成(な)し、
意(こころ)悪(あ)しく情(なさけ)凶(きょう)にして冤(えん)を報(ほう)ぜんと要(よう)す。
この一箇(ひとり)は師(し)の命(いのち)を傷(そこな)われしに因(よ)りて水(みず)を求(もと)め来(きた)り、
かの一箇は侄(おい)の身(み)を亡(ほろぼ)されしが為(ため)に泉(いずみ)を与(あた)えず。
如意鉤(にょいこう)強(つよ)きこと蝎(さそり)の毒(どく)の如(ごと)く、
金箍棒(きんこぼう)狠(きょう)しきこと龍巓(りゅうてん)に似(に)たり。
当胸(とうきょう=胸(むね)の真(ま)ん前(まえ))に乱(みだ)りに刺(さ)して威猛(いもう)を施(ほどこ)し、
脚(あし)に着(つ)けて斜(なな)めに鉤(か)けて妙玄(みょうげん=妙(たえ)なる技(わざ))を展(の)ぶ。
陰手(いんしゅ=裏(うら)の手(て))の棍(こん)投(な)げて傷(きず)処(ところ)重(おも)く、
過肩(かけん=肩(かた)を越(こ)え)の鉤(こう)起(おこ)りて頭(こうべ)に近(ちか)く鞭(むちう)つ。
腰(こし)を鎖(さ)する一棍(いっこん)は鷹(たか)の雀(すずめ)を捉(とら)うるが如(ごと)く、
頂(いただき)を圧(おさ)うる三鉤(さんこう)は蜋(かまきり)の蝉(せみ)を捕(と)らうるに似(に)たり。
往往来来(おうおうらいらい)として勝敗(しょうはい)を争(あらそ)い、
返返復復(へんぺんふくふく)として両(ふた)たび回(めぐ)り還(かえ)る。
鉤攣(こうれん)棒打(ぼうだ)前後(ぜんご)無(な)く、
輸贏(ゆえい=勝敗(しょうぶ))の那辺(なへん=何処(いずこ))に在(あ)るかを見(み)ず。

かの先生(せんせい)と大聖(たいせい)の戦(たたか)うこと十数合(じゅうすうごう)に経(ふ)れるに、大聖(たいせい)に敵(てき)し得(え)ず。この大聖は愈々(いよいよ)猛烈(もうれつ)を加(くわ)え、一條(ひとすじ)の棒(ぼう)の滚滚(こんこん=転(ころ)がり)たる流星(りゅうせい)の似(ごと)く、頭(こうべ)を着(めが)けて乱(みだ)りに打(う)てば、先生(せんせい)は筋力(きんりょく)に敗(やぶ)れ、倒(さかしま)に如意鉤(にょいこう)を拖(ひ)きて、山(やま)の上(うえ)へ走(に)げて往(ゆ)く。

大聖(たいせい)は彼(かれ)を赶(お)うに往(ゆ)かず、却(かえ)って庵内(あんない)に来(きた)りて水(みず)を尋(たず)ぬれば、かの道人(どうにん)は早(はや)く庵門(あんもん)を把(と)りて閉(と)ざせり。

大聖は瓦鉢(がはつ)を拿(と)り、門前(もんぜん)に赶(お)い至(いた)り、力(ちから)を尽(つ)くして一脚(いっきゃく)、庵門(あんもん)を踢(け)り破(やぶ)り、闖(と)び将(も)って進(すす)み入(い)れば、かの道人(どうにん)の井欄(せいらん=井戸(いど)の欄(らん))の上(うえ)に伏(ふ)し在(あ)るを見(み)る。大聖に一声(ひとこえ)喝(かつ)せられ、棒(ぼう)を挙(あ)げて打(う)たんとするに、かの道人(どうにん)は後(うしろ)へ跑(はし)って往(ゆ)きしが、その時(とき)纔(ようや)く吊桶(つるべ)を尋(たず)ね出(いだ)し、正(まさ)に自(おのずか)ら水(みず)を打(く)まんとするに、又(また)かの先生(せんせい)に前辺(まえべ)に赶(お)い到(いた)られ、如意鉤(にょいこう)を使(つか)って大聖(たいせい)の脚(あし)を鉤(か)けて一跌(ひとたお)され、嘴(くち)を地(ち)に哏(つ)ける跌(たお)れ方(かた)を跌(ふ)んだり。大聖は爬(はい)起(お)き来(きた)り、鉄棒(てつぼう)を使(つか)って就(すなわ)ち打(う)てば、彼(かれ)は却(かえ)って傍(かたわら)に閃(ひら)りと在(あ)り、鉤(こう)を執(と)って言う、「汝(なんじ)の我が水(みず)を取(と)り去(ゆ)くことを得(う)るや否(いな)やを看(み)ん!」 大聖は罵(ののし)って言う、「汝(なんじ)上(うえ)へ来(こ)よ! 汝上へ来よ! 我(われ)この汝(なんじ)が如(ごと)き孽障(げっしょう=畜生(ちくしょう))を把(と)りて、直(ただ)ちに打(う)ち殺(ころ)さん!」 かの先生(せんせい)もまた上前(うえまえ)に出(い)でて拒敵(きょてき=防(ふせ)ぎ戦(たたか))わず、只(た)だ是れ禁(とど)め住(とど)めて、大聖(たいせい)の水(みず)を打(く)むことを許(ゆる)さず。大聖は彼(かれ)の動(うご)かざるを見(み)て、却(かえ)って左手(ひだりて)をして鉄棒(てつぼう)を輪(めぐ)らし、右手(みぎて)に吊桶(つるべ)を使(つか)い、索子(さくし=綱(つな))を将(も)って纔(ようや)く突魯魯(とつろろ=するする)と放(お)ろし下(おろ)すに、彼(かれ)は又(また)来(きた)りて鉤(こう)を使(つか)う。大聖は一隻(いっぴき)の手(て)にて撑持(ささ)え得(え)ず、又(また)彼(かれ)に一鉤(ひとこう)もて脚(あし)を鉤(か)けられ、一箇の躘踵(りゅうしょう=よろめき)を扯(ひ)かれ、井索(せいさく=井戸(いど)の綱(つな))と通(つれだ)って井(いど)の裡(うち)へ跌(お)ち下(お)りて往(ゆ)く。大聖言う、「この儞(きさま)は却(かえ)って是れ無礼(ぶれい)なり!」 爬(はい)起(お)き上(あが)り、双手(そうしゅ)に棒(ぼう)を輪(めぐ)らし、頭(こうべ)も無(な)く面(おもて)も無(な)く打(う)ち将(も)って上(うえ)へ往(ゆ)けば、かの先生(せんせい)は依然(いぜん)として走(に)げて往(ゆ)き、敢(あ)えて迎敵(むかいう)たず。大聖は又(また)水(みず)を取(と)らんと欲(ほっ)するに、奈何(いかん)ともする無(な)く吊桶(つるべ)無(な)く、又(また)恐(おそ)らくは来(きた)りて鉤(か)ぎ扯(ひ)かれんことを、心(こころ)の中(うち)に暗暗(あんあん=ひそか)に想(おも)いて言う、「且(しばら)く往(ゆ)きて一箇の帮手(てだすけ)を叫(よ)び来(こ)ん!」

好(よ)き大聖、雲頭(うんとう)を撥転(はってん)し、径(ただ)ちに村舎(そんしゃ)の門首(もんしゅ)に至(いた)り、「沙和尚(しゃおしょう)」と一声(ひとこえ)叫(さけ)ぶ。かの裡辺(うちべ)に在って三蔵(さんぞう)は痛(いたみ)を忍(しの)んで呻吟(しんぎん)し、猪八戒(ちょはっかい)は哼声(こうせい=うめき声(ごえ))絶(た)ゆること無(な)きに、叫(よ)ぶを聴(き)き得(え)て、二人(ふたり)喜(よろこ)んで言う、

「沙僧(しゃそう)よ、悟空(ごくう)の来(きた)れるなり」。沙僧(しゃそう)は連(つづ)き忙(いそ)ぎ門(もん)を出(い)でて接(むか)えて言う、「大哥(たいか=兄貴(あにき))、水(みず)を取(と)り来(きた)れるか」。大聖は門(もん)を入(い)り、唐僧(とうそう)に対(むか)い備(つぶさ)に前事(ぜんじ)を言(い)えば、三蔵(さんぞう)は涙(なみだ)を滴(したた)らして言う、「徒弟(でし)よ、此(か)くの如(ごと)くんば怎(いか)でか了(おわ)らん」。大聖言う、「我(われ)は来(きた)りて沙兄弟(さきょうだい)を我(われ)と同(とも)に往(ゆ)かしめ、あの庵(いおり)の辺(ほとり)に到(いた)り、老孫(ろうそん)のあの儞(きさま)と敵闘(てきとう)するを等(ま)ち、沙僧(しゃそう)をして便(たより)に乗(じょう)じて水(みず)を取(と)り来(きた)らせ、汝(なんじ)を救(すく)わしめんとす」。三蔵言う、「汝(なんじ)の二箇(ふたり)の病(やまい)無(な)き者(もの)までも皆(みな)去(さ)りて、我等(われら)の二箇(ふたり)の病(やまい)有る者(もの)を捨(す)て下(おろ)し、誰(たれ)をして伏侍(ぶくじ=世話(せわ))せしめんとするか」。かの老婆婆(ろうばば)は傍(かたわら)に在って言う、

「老羅漢(ろうらかん)は只管(ひたす)ら心(こころ)を放(はな)て、汝(なんじ)が徒弟(でし)を要(よう)するに須(もち)いず、我(わ)が家(いえ)に自(おのずか)ら看顧(かんこ=看病(かんびょう))し伏侍(せわ)する有(あ)り。汝等(なんじら)の早朝(そうちょう)に到(いた)りし時(とき)、我等(われら)実(じつ)に愛憐(あいれん=慈(いつく)しみ)の意(こころ)有りしが、纔(さっき)この位(くらい)の菩薩(ぼさつ)の雲(くも)に来(きた)り霧(きり)に去(さ)るを見(み)て、方(まさ)に汝等(なんじら)の是れ羅漢菩薩(らかんぼさつ)なるを知(し)れり。我(わ)が家(いえ)は決(けっ)して敢(あ)えて復(また)汝等(なんじら)を害(そこな)わじ」。行者は咄(とつ)の一声(ひとこえ)にして言う、「汝等(なんじら)女流(じょりゅう)の輩(ともがら)、敢(あ)えて何(いず)れの者(もの)を傷(そこな)わん」。老婆子(ろうばし)笑って言う、「爺爺(やや)や、還(また)是れ汝等(なんじら)に造化(ぞうか=幸運(こううん))有って、我(わ)が家(いえ)に来(きた)り到(いた)れるなり! 若(も)し第二(だいに)の家(いえ)に到(いた)らば、汝等(なんじら)もまた囫圇(こつりん=無事(ぶじ))なることを得(え)ざりしならん!」 八戒(はっかい)は哼哼(こうこう=うんうん)と言う、「囫圇(ぶじ)ならずは、是(こ)れ怎(いか)なるか」。婆婆(ばば)言う、「我(わ)が一家児(いっかじ)四五口(しごく=四五人(しごにん))は、皆(みな)是れ幾歳(いくつ)かの年紀(ねんき=年齢(ねんれい))有る者(もの)にて、あの風月(ふうげつ=色事(いろごと))の事(こと)を尽(ことごと)く皆(みな)休(や)めたれば、此(こ)の故(ゆえ)に肯(あ)えて汝等(なんじら)を傷(そこな)わず。若(も)し還(また)第二(だいに)の家(いえ)に到(いた)らば、老小(ろうしょう=老人(ろうじん)と若者(わかもの))衆大(しゅうだい=多(おお)く大(おお)い)にして、あの年(とし)小(わか)きの者(もの)の、何(いず)れか肯(あ)えて汝等(なんじら)を放(はな)ちて過(よ)ぎ往(ゆ)かしめんや! 就(すなわ)ち汝等(なんじら)と交合(こうごう=媾合(まぐわ))いせんとす。假如(も)し従(したが)わざれば、就(すなわ)ち汝等(なんじら)が命(いのち)を害(そこな)い、汝等(なんじら)が身(み)の上(うえ)の肉(にく)を把(と)って、皆(みな)割(さ)りて往(ゆ)き香袋児(こうたいじ=香(かお)り袋(ぶくろ))を做(つく)らんとす」。八戒(はっかい)言う、「若(も)しこの如(ごと)くんば、我(われ)は決(けっ)して傷(そこな)い無(な)し。彼等(かれら)は皆(みな)是れ香噴噴(こうふんぷん=香(かお)り立(た)つ)なれば、好(よ)く香袋(こうたい)を做(つく)るに;我(われ)は是れ一箇の臊猪(そうちょ=臭(くさ)き猪(いのこ))なれば、就(すなわ)ち肉(にく)を割(さ)りて往(ゆ)かれても、また是れ臊(くさ)きのみ、此(こ)の故(ゆえ)に以(も)って傷(そこな)い無(な)かる可(べ)し」。行者笑って言う、「汝(なんじ)嘴(くち)を説(と)くこと莫(な)かれ、些(いささ)かの力(ちから)を省(はぶ)きて、好(よ)く生産(せいさん)する也(なり)」。かの婆婆(ばば)言う、「遅疑(ちぎ)するに及(およ)ばず、快(はや)く水(みず)を求(もと)めに往(ゆ)け」。行者言う、「汝(なんじ)が家(いえ)に吊桶(つるべ)有るや。一箇を借(か)りて使(つか)わしめよ」。かの婆子(ばし)は即(すなわ)ち後辺(うしろ)に往(ゆ)きて一個(ひとつ)の吊桶(つるべ)を取(と)り出(いだ)し、又(また)一條(ひとすじ)の索子(つな)を窩(たぐ)りて、沙僧(しゃそう)に逓(わた)す。沙僧言う、

「二條(ふたすじ)の索子(つな)を帯(たい)して往(ゆ)かん、恐(おそ)らくは一時(ひととき)井(いど)深(ふか)くして用(もち)いん」。沙僧(しゃそう)は桶索(つな)を接(う)け、即(すなわ)ち大聖(たいせい)に随(したが)いて村舎(そんしゃ)を出(い)で、一同(いちどう)に雲(くも)に駕(が)して去(さ)る。那(なん)ぞ半箇時辰(はんこじしん)を消(しょう)せん、却(かえ)って解陽山(かいようざん)の界(さかい)に到(いた)り、雲頭(うんとう)を按(おさ)え下(おろ)し、径(ただ)ちに庵外(あんがい)に至(いた)る。大聖は沙僧(しゃそう)に吩咐(ふんぷ=言(い)いつ)けて言う、「汝(なんじ)桶索(つな)を将(も)って拿(と)り、且(しばら)く一辺(いっぺん=片方(かたほう))に在(あ)りて隠(かく)れ居(お)れ、老孫(ろうそん)の出頭(しゅっとう=乗(の)り出(い)ず)るを等(ま)て戦(たたかい)を索(もと)めん。汝(なんじ)我(われ)の二箇(ふたり)の戦(たたか)いを交(まじ)えて正(まさ)に濃(こま)やかなる時(とき)を待(ま)ちて、汝(なんじ)機(き)に乗(じょう)じて進(すす)み入(い)り、水(みず)を取(と)りて就(すなわ)ち走(はし)れ」。沙僧(しゃそう)は謹(つつし)んで言(げん)に依(よ)る。

孫大聖(そんたいせい)は鉄棒(てつぼう)を掣(ひ)き、門(もん)に近(ちか)づきて高(たか)く叫(さけ)ぶ、「門(もん)を開(ひら)け! 門を開け!」 かの門(もん)を守(まも)る者(もの)見て、急(いそ)ぎ裡(うち)に入(い)り通報(つうほう)して言う、「師父(しふ)、あの孫悟空(そんごくう)又(また)来(きた)れり」。かの先生(せんせい)は心中(しんちゅう)大(おお)いに怒(いか)って言う、「この潑猴(はっこう=愚(おろ)かなる猿(さる))老大(ろうだい=大(おお)い)に無状(ぶじょう=無礼(ぶれい))なり! 一向(ひたすら)彼(かれ)に些(いささ)かの手段(しゅだん)有るを聞(き)きたるが、果(はた)して今日(こんにち)方(まさ)に知(し)れり、彼(かれ)があの條(すじ)の棒(ぼう)は真(まこと)に是れ敵(てき)し難(がた)し」。道人(どうにん)言う、「師父(しふ)、彼(かれ)の手段(しゅだん)は高(たか)しといえども、汝(なんじ)もまた彼(かれ)に亜(つ)がざるなり、正(まさ)に是れ一箇の敵手(てきしゅ)なり」。先生言う、「前面(ぜんめん=先(さき))の両回(りょうかい)は、彼(かれ)に贏(か)たれたり」。道人言う、

「前(さき)の両回(ふたたび)は贏(か)たれたれども、ただ是れ一猛(いちもう=一(ひと)つの勢(いきおい))の性(せい)に過(す)ぎず;後面(こうめん=後(あと))の両次(ふたたび)の水(みず)を打(く)みし時(とき)に、師父(しふ)に彼(かれ)を鉤(か)けて両跌(ふたたお)しめられたるは、却(かえ)って是れ相(あい)比肩(ひけん=肩(かた)を並(なら)ぶ)ならずや。先(さき)に既(すで)に奈何(いかん)ともせずして去(さ)り、今(いま)又(また)復(また)来(きた)れるは、必(かなら)ずや是れ三蔵(さんぞう)の胎(たい)成(な)りて身(み)重(おも)く、埋怨(ばいえん=恨(うら)み)の緊(きつ)きに、已(や)むを得(え)ずして来(きた)れるなり、決(けっ)して彼(かれ)が師(し)の心(こころ)を慢(あなど)る有(あ)らん。管(きっ)と我(わ)が師(し)の決勝(けっしょう)すること疑(うたが)い無(な)からん」。真仙(しんせん)は言(こと)を聞(き)き、喜孜孜(きしし=嬉(うれ)しげ)として懐(ふところ)に春意(しゅんい)満(み)ち、笑盈盈(しょうえいえい=にこやか)として一陣(ひとむれ)の威風(いふう)、如意鉤(にょいこう)を挺(つ)り出(いだ)し、門(もん)を走出(はし)り来(きた)りて喝(かつ)して言う、「潑猢猻(はつこそん=愚かなる猿)! 汝(なんじ)又(また)来(きた)りて甚(なに)をか作(な)す」。大聖言う、「我(われ)の来(きた)れるは只(た)だ是れ水(みず)を取(と)らんのみ」。真仙(しんせん)言う、「泉水(せんすい)は乃(すなわ)ち吾(わ)が家(いえ)の井(いど)なり、是(こ)れ帝王(ていおう)宰相(さいしょう)なると凭(よ)るとも、また須(すべか)らく表礼(ひょうれい=祝儀(しゅうぎ))羊酒(ようしゅ)を以(も)って来(きた)り求(もと)め、方(まさ)に纔(ようや)く些須(しゃしゅ=少(すこ)し)を与(あた)う可(べ)し。況(いわ)んや汝(なんじ)は又(また)是れ我(わ)が仇人(きゅうじん=仇(かたき))なるに、擅(ほしいまま)に敢(あ)えて白手(せきしゅ=素手(すで))に来(きた)りて取(と)らんとするか」。大聖言う、「真(まこと)に与(あた)えざるか」。真仙(しんせん)言う、「与えず、与えず!」 大聖は罵(ののし)って言う、「潑孽障(はつげっしょう=愚かなる畜生)! 既(すで)に水(みず)を与(あた)えずんば、棍(こん)を見(み)よ!」 一箇の架子(かし=構(かま)え)を作(な)し、一箇の満懐(まんかい=胸(むね)いっぱい)を搶(と)り、説(と)くを容(い)れず、頭(こうべ)を着(めが)けて便(すなわ)ち打(う)つ。かの真仙(しんせん)は身(み)を側(そば)めて避(かわ)し過(よ)ぎ、鉤(こう)を使(つか)って急(きゅう)に架(か)きて相還(むか)う。この一場(いちじょう)は前(さき)に比(ひ)して更(さら)に勝(まさ)れり、好殺(こうさつ=見事(みごと)な戦(いくさ))──

金箍棒(きんこぼう)、如意鉤(にょいこう)、
二箇(ふたり)奮(ふる)い怒(いか)りて各(おのおの)仇(あだ)を懐(いだ)く。
砂(すな)を飛(と)ばし石(いし)を走(はし)らせて乾坤(けんこん)暗(くら)く、
土(つち)を播(ま)き塵(ちり)を揚(あ)げて日月(じつげつ)愁(うれ)う。
大聖(たいせい)は師(し)を救(すく)わんとて水(みず)を取(と)りに来(きた)り、
妖仙(ようせん)は侄(おい)の為(ため)に求(もと)むるを容(ゆる)さず。

両家(りょうか)斉(ひと)しく力(ちから)を尽(つく)し、
一処(いっしょ)に安休(あんきゅう=休(やす)むこと)を賭(か)く。
歯(は)を咬(か)みて勝負(しょうぶ)を争(あらそ)い、
歯(は)を切(き)りて剛柔(ごうじゅう)を定(さだ)む。
機(き)を添(そ)えて見(けん)るに、愈々(いよいよ)抖擻(しゅんそう=奮(ふる)い起(おこ))り、
雲(くも)を噴(ふ)き霧(きり)を噯(おく)りて鬼神(きしん)も愁(うれ)う。
朴朴兵兵(ぼくぼくへいへい)として鉤(こう)棒(ぼう)響(ひび)き、
喊声(かんせい)哮吼(こうこう)して山丘(さんきゅう)を振(ふる)わす。

狂風(きょうふう)滚滚(こんこん)として林木(りんぼく)を催(うなが)し、
殺気(さっき)紛紛(ふんぷん)として斗牛(とぎゅう)を過(よ)ぐ。
大聖(たいせい)は争(あらそ)うて愈々(いよいよ)喜悦(きえつ)し、
真仙(しんせん)は打(う)てば越(いよいよ)綢繆(ちゅうびゅう=執念深(しゅうねんぶか))し。
心(こころ)有り意(い)有りて相(あい)争(あらそ)い戦(たたか)い、
存亡(そんぼう)を定(さだ)めざれば罷(や)めじ。

彼(かれ)の二箇(ふたり)は庵門外(あんもんがい)に在って手(て)を交(まじ)え、跳跳(ちょうちょう)舞舞(ぶぶ)として、山坡(さんぱ=坂(さか))の下(した)に斗(たたか)い到(いた)り、恨(うら)み苦(くるし)みて相持(あいたもち)するは題(だい)せず。

さてかの沙和尚(しゃおしょう)は吊桶(つるべ)を提(さ)げ、門(もん)を闖(と)び入(い)りて往(ゆ)けば、只(た)だ見(み)るにかの道人(どうにん)の井(いど)の辺(ほとり)に在って擋(さえぎ)り住(とど)めて言う、「汝(なんじ)は是れ甚(なん)の者(もの)か、敢(あ)えて水(みず)を取(と)りに来(きた)る!」 沙僧(しゃそう)は吊桶(つるべ)を放(お)き下(おろ)し、降妖宝杖(ごうようほうじょう)を取(と)り出(いだ)し、話(はなし)を対(たい)せず、頭(こうべ)を着(めが)けて便(すなわ)ち打(う)つ。かの道人(どうにん)は避(よ)けきれず、左臂膊(さひはく=左(ひだり)の腕(うで))を把(と)りて打折(うちお)られ、道人(どうにん)は地(ち)の下(した)に倒(たお)れて命(いのち)を掙(あが)く。沙僧(しゃそう)は罵(ののし)って言う、「我(われ)汝(なんじ)がこの孽畜(げっちく=畜生(ちくしょう))を打(う)ち殺(ころ)さんと欲(ほっ)するも、奈何(いかん)ともする無(な)く汝(なんじ)は是れ一箇の人身(じんしん=人(ひと)の体(からだ))なり!

我(われ)は還(また)汝(なんじ)を怜(あわ)れみ、汝(なんじ)を饶(ゆる)して去(さ)らしめん! 我(われ)をして水(みず)を打(く)ましめよ!」 かの道人(どうにん)は天(てん)を叫(よ)び地(ち)を叫(よ)びて、後面(こうめん=裏(うら))へ爬(はい)って往(ゆ)く。沙僧(しゃそう)は却(かえ)って纔(ようや)く吊桶(つるべ)を将(も)って井中(せいちゅう)に向(むか)えて満満(まんまん=なみなみ)と一吊桶(ひとつるべ)の水(みず)を打(く)み、庵門(あんもん)を出(い)で、雲霧(うんむ)を起(おこ)し、行者(ぎょうじゃ)を望(のぞ)んで喊(さけ)んで言う、「大哥(あにき)、我(われ)已(すで)に水(みず)を取(と)りて去(さ)らんとす! 彼(かれ)を饶(ゆる)せ! 彼を饶せ!」 大聖は聴(き)き得(え)て、方(まさ)に纔(ようや)く鉄棒(てつぼう)を使(つか)って鉤(こう)を支(ささ)え住(とど)めて言う、「汝(なんじ)老孫(ろうそん)の説(と)くを聴(き)け、我(われ)本(もと)斬(き)り尽(つ)くし殺(ころ)し絶(た)やさんと待(ま)てりしが、奈何(いかん)ともする無(な)く汝(なんじ)は曾(かつ)て法(ほう)を犯(おか)さず、二(ふたつ)には汝(なんじ)が令兄(れいけい=兄(あに))牛魔王(ぎゅうまおう)の情(じょう)の上(うえ)を看(み)てなり。先頭(さき)に来(きた)りしには、我(われ)は鉤(か)ぎて両下(ふたたび)跌(たお)され、未(いま)だ水(みず)を得(え)て去(さ)らず。纔(さっき)然(しか)と来(きた)りしは、我(われ)は是れ一箇の調虎離山(ちょうこりざん=虎(とら)を調(あやつ)り山(やま)を離(はな)る)の計(けい)にて、汝(なんじ)を哄(たぶら)かして出(い)で来(きた)らせて争(あらそ)い戦(たたか)わせしめ、却(かえ)って我が師弟(してい)に水(みず)を取(と)らせて去(さ)らしめたり。老孫(ろうそん)若(も)し肯(あ)えて本事(ほんじ=腕前(うでまえ))を拿(と)り出(いだ)して汝(なんじ)を打(う)たば、汝(なんじ)が是れ一箇の甚(なん)の如意真仙(にょいしんせん)なるを説(と)くのみならず、就(すなわ)ち是れ又(また)幾箇(いくつ)か有るとも、また打(う)ち殺(ころ)したらん。正(まさ)に是れ『打(う)ち殺(ころ)すは放生(ほうしょう=生(い)かして放(はな)つ)に如(し)かず』、且(しばら)く汝(なんじ)を饶(ゆる)して幾年(いくとせ)か活(い)かしめ、已後(いご=以後(いご))また水(みず)を取(と)る者有(あ)らば、切(きっ)と彼(かれ)を勒掯(ろくこう=苦(くる)しめ)ること可(べ)からず」。かの妖仙(ようせん)は好歹(こうたい=善(ぜん)し悪(あ)しき)を識(し)らず、一演(ひとえん=ひとあおり)して、就(すなわ)ち来(きた)りて脚(あし)を鉤(か)がんとせしに、大聖(たいせい)に鉤頭(こうとう=鉤(かぎ)の先(さき))を閃(かわ)され、赶(お)い上前(うえまえ)に、「休(や)め走(に)ぐる!」と一声(ひとこえ)喝(かつ)せらる。かの妖仙(ようせん)は措手(そしゅ=手(て)の打(う)ち)及(およ)ばず、一箇の蹼辣(ぼくらつ=どさり)を推(つ)かれ、掙(あが)きて起(た)つこと能(あた)わず。大聖は如意鉤(にょいこう)を奪(うば)い過(よ)ぎ来(きた)り、折(お)りて両段(りょうだん)と為(な)し、総(すべ)て拿(と)りて又(また)一抉(ひとさ)き、抉(さ)きて四段(よんだん)と作(な)し、これを地(ち)に擲(な)げて言う、「潑孽畜(はつげっちく=愚かなる畜生)! 再(また)敢(あ)えて無礼(ぶれい)ならんか」。かの妖仙(ようせん)は戦兢兢(おののき)として辱(はじ)を忍(しの)んで言(ことば)無(な)く、この大聖(たいせい)は呵呵(かか)と笑(わら)い、雲(くも)に駕(が)して起(た)つ。詩(し)有って証(あかし)と為(な)す、詩(し)に曰(いわ)く──

真鉛(しんえん)若(も)し煉(ね)らんには真水(しんすい)を須(もち)い、
真水(しんすい)調和(ちょうわ)して真汞(しんこう)乾(かわ)く。
真汞(しんこう)真鉛(しんえん)母気(ぼき)無(な)く、
霊砂(れいさ)霊薬(れいやく)是(こ)れ仙丹(せんたん)なり。
嬰児(えいじ)枉(むだ)に結(むす)んで胎象(たいしょう)を成(な)し、
土母(どぼ)功(こう)を施(ほどこ)して難(なん)を費(ついや)さず。
旁門(ぼうもん)を推(お)し倒(たお)して正教(しょうきょう)を宗(むね)とし、
心君(しんくん=心(こころ)の主(あるじ))意(い)を得(え)て笑容(しょうよう)を還(かえ)す。

大聖(たいせい)は祥光(しょうこう)を縦(はな)ち、沙僧(しゃそう)に赶(お)いつき、真水(しんすい)を得(え)て、喜喜歡歡(ききかんかん)として、本処(ほんしょ=元(もと)の場所(ばしょ))に回(かえ)り、雲頭(うんとう)を按(おさ)え下(おろ)し、径(ただ)ちに村舎(そんしゃ)に来(きた)れば、只(た)だ見(み)るに猪八戒(ちょはっかい)の肚子(はら)を腆(ふく)らませ、門枋(もんぼう=門(もん)の柱(はしら))に倚(よ)りて哼(うな)りおる。行者は悄(ひそ)かに上前(すす)み出(い)でて言う、「呆子(ほうし=間抜(まぬ)け)、何時(いつ)房(ぼう=産室(さんしつ))を占(し)めたるか」。呆子(ほうし)は慌(あわ)てて言う、「哥哥(あにい)嘲(あざけ)ること莫(な)かれ、曾(かつ)て水(みず)の来(きた)れる有(あ)りや」。行者は還(また)彼(かれ)を耍(からか)わんとするに、沙僧(しゃそう)は後(うしろ)に随(したが)いて就(すなわ)ち到(いた)り、笑って言う、「水(みず)が来(きた)った! 水が来った!」 三蔵(さんぞう)は痛(いたみ)を忍(しの)んで身(み)を欠(か)いて言う、「徒弟(でし)よ、汝等(なんじら)を労(ろう)せりなり!」 かの婆婆(ばば)もまた喜(よろこ)び、幾口(いくにん)の者(もの)皆(みな)出(い)でて礼拝(らいはい)して言う、「菩薩(ぼさつ)や、却(かえ)って是れ得(え)難(がた)し! 得難し!」 即(すなわ)ち忙(いそ)ぎ一箇の花磁盞子(かじさんし=花(はな)の磁器(じき)の杯(さかずき))を取(と)り、半盞児(はんさん=半分(はんぶん))を舀(く)み、三蔵(さんぞう)に逓(わた)して言う、「老師父(ろうしふ)、細細(さいさい=ゆっくり)と飲(の)め、只(た)だ一口(ひとくち)を消(しょう)するのみにて、就(すなわ)ち胎気(たいき)を解(と)かん」。八戒(はっかい)言う、「我(われ)は盞子(さかずき)を用(もち)いず、吊桶(つるべ)を連(つれだ)って我(われ)に飲(の)ましめよ」。かの婆子(ばし)言う、

「老爺爺(ろうやや)や、人(ひと)を唬(おど)し殺(ころ)すもまた罷(や)めよ! 若(も)しこの吊桶(ひとつるべ)の水(みず)を飲(の)まば、好道(よもや)腸子(ちょうし=腸(はらわた))も肚子(はら)も都(みな)化(か)し尽(つ)くさん!」 吓(おど)されたる呆子(ほうし)は敢(あ)えて胡為(こい=勝手(かって)な振(ふ)る舞(ま)い)を為(な)さず、また只(た)だ半盞(はんさん)を飲(の)むのみ。那(なん)ぞ頓飯(とんぱん=食事(しょくじ)ほど)の時(とき)有(あ)らん、彼(かれ)の二箇(ふたり)は腹中(ふくちゅう)絞痛(こうつう)し、只(た)だ轂轆轆(こくろくろく=ごろごろ)と三五陣(さんごじん=三四度(さんよんど))の腸鳴(ちょうめい=腸(はらわた)の鳴(な)り)を聴(き)く。腸鳴(はらわたのなり)の後(のち)、かの呆子(ほうし)は忍(しの)ぶこと能(あた)わず、大小便(だいしょうべん)斉(ひと)しく流(なが)れ、唐僧(とうそう)もまた忍(しの)ぶこと能(あた)わずして静(しず)かなる処(ところ)に往(ゆ)きて手(て)を解(と)かんとす。行者言う、

「師父(しふ)よ、切(きっ)と風(かぜ)の地裡(うち)に出(い)で往(ゆ)くこと莫(な)かれ。人(ひと)の子(こ)を怕(おそ)るるに、一時(ひととき)風(かぜ)を冒(おか)して、弄(ろう)して一箇の産後(さんご)の疾(やまい)を做(な)さん」。かの婆婆(ばば)は即(すなわ)ち二箇(ふたつ)の浄桶(じょうとう=便器(べんき))を取(と)り来(きた)り、彼(かれ)の二箇(ふたり)をして方便(ほうべん=用(よう)を足(た))さしむ。須臾(しばらく)の間(あいだ)に、各(おのおの)幾遍(いくたび)か行(おこな)いて、纔(ようや)く疼痛(とうつう)の住(とど)まるを覚(おぼ)え、漸漸(ぜんぜん)として腫脹(しゅちょう)を銷(け)し、かの血団肉塊(けつだんにくかい)を化(か)せり。かの婆婆(ばば)の家(いえ)は又(また)些(いささ)かの白米粥(はくまいがゆ)を煎(せん)じて彼等(かれら)と虚(きょ=衰(おとろ)え)を補(おぎな)わんとす。八戒(はっかい)言う、「婆婆(ばば)さま、我(わ)が身子(からだ)は実落(じつらく=しっかり)しておる、虚(おとろえ)を補(おぎな)うを用(もち)いず。且(しばら)く些(いささ)かの湯水(とうすい=湯(ゆ))を焼(た)きて我(われ)と一箇の澡(そう=入浴(にゅうよく))を洗(あら)わしめよ、却(かえ)って好(よ)く粥(かゆ)を食(く)らわん」。沙僧(しゃそう)言う、

「哥哥(あにい)、澡(ゆ)を洗(あら)う可(べ)からず、月子(げっし=産後(さんご))の人(ひと)は水漿(すいしょう=水(みず))を弄(ろう)すれば病(やまい)を致(いた)す」。八戒(はっかい)言う、「我(われ)はまた曾(かつ)て大生(たいせい=本格(ほんかく)な出産(しゅっさん))を為(な)さず、左右(そうゆう=とにかく)只(た)だ是れ一箇の小産(しょうざん=流産(りゅうざん))なるのみ、彼(かれ)を怕(おそ)るるに怎(なん)ぞや。洗洗(あらい)て児(ちょっと)干浄(きれい)にせん」。真(まこと)にかの婆子(ばし)は些(いささ)かの湯(ゆ)を焼(た)きて彼(かれ)の二箇(ふたり)と手脚(しゅきゃく=手(て)と足(あし))を浄(きよ)めしむ。唐僧(とうそう)は纔(ようや)く両盞児(にさん)の粥湯(しゅくとう=粥(かゆ)の汁(しる))を食(くら)うに、八戒(はっかい)は就(すなわ)ち十数碗(じゅうすうわん)を食(くら)い、還(また)只(た)だ添(そ)えんことを要(よう)す。行者笑って言う、「夯貨(こうか=間抜(まぬ)け)! 少(すくな)く食(くら)え! 弄(ろう)して一箇の沙包肚(さほうと=砂袋(すなぶくろ)の腹(はら))を做(な)し、形(かたち)に象(に)ざらんとす」。八戒(はっかい)言う、「無事(ぶじ)! 無事! 我(われ)は又(また)是れ母猪(ぼちょ=雌豚(めすぶた))に非(あら)ず、彼(かれ)を怕(おそ)るるに甚(なん)ぞや」。かの家子(いえ)の者(もの)は真(まこと)に又(また)往(ゆ)きて飯(めし)を收拾(しゅうしゅう=取(と)り)え煮(た)く。

老婆婆(ろうばば)は唐僧(とうそう)に向かって言う、「老師父(ろうしふ)、この水(みず)を把(と)りて我(われ)に賜(たま)われ」。行者言う、

「呆子(ほうし)よ、水(みず)を飲(の)まざるか」。八戒(はっかい)言う、「我(わ)が肚腹(とふく=腹(はら))もまた疼(いた)まず、胎気(たいき)は想(おも)うに已(すで)に行(めぐ)り散(ちら)じて、洒然(しぜん=さっぱり)として事(こと)無(な)し、又(また)水(みず)を飲(の)んで何(なに)をか為(な)さん」。行者言う、「既(すで)に彼(かれ)の二箇(ふたり)は皆(みな)好(よ)くなれるなれば、水(みず)を将(も)って汝(なんじ)が家(いえ)に送(おく)らん」。かの婆婆(ばば)は行者(ぎょうじゃ)に謝(しゃ)し、余剰(よじょう)の水(みず)を将(も)って、瓦罐(がかん=瓦(かわら)の壺(つぼ))の之中(うち)に装(つ)め、後辺(うしろ)の地下(ちか)に埋(う)め、衆(しゅう)の老小(ろうしょう)に対(むか)って言う、「この罐(つぼ)の水(みず)は、我(わ)が棺材本(かんざいほん=葬式(そうしき)の費用(ひよう))に彀(た)れるなり!」 衆(しゅう)の老小(ろうしょう)は歓喜(かんき)せざる無(な)く、斎飯(さいはん)を整(ととの)え、桌凳(たくとう=卓(たく)と腰掛(こしかけ))を調(ととの)え開(ひら)き、唐僧(とうそう)たちは斎(とき)を食(くら)う。消消停停(しょうしょうていてい=ゆっくり)と、将息(しょうそく=休養(きゅうよう))すること一宿(いっしゅく)。次日(よくじつ)天(てん)明(あ)けて、師徒(しと)たちは婆婆(ばば)の家(いえ)に謝(しゃ)し、村舎(そんしゃ)を出(い)で離(はな)る。唐三蔵(とうさんぞう)は鞍(くら)に攀(よ)じて馬(うま)に上(あが)る。沙和尚(しゃおしょう)は行嚢(こうのう=荷物(にもつ))を挑(かつ)ぐ。孫大聖(そんたいせい)は前辺(まえべ=前(まえ))に路(みち)を引(みちび)き、猪八戒(ちょはっかい)は纏縄(たづな)を攏(ひ)き寄(よ)す。此処(ここ)にこそ是(な)れ──

口孽(こうげつ=口(くち)の罪(つみ))を洗(あら)い浄(きよ)めて身(み)干浄(きれい)に、
凡胎(ぼんたい)を銷(け)し化(か)して体(からだ)自然(じねん)なり。

畢竟(ひっきょう)国界(こっかい)の中(うち)に到(いた)りてまた甚(なん)の理会(りかい=沙汰(さた))有るかを知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。