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061 第六十一回 猪八戒、力を助けて魔王を破り 孫行者、三たび芭蕉扇を調(ととの)う

牛魔王(ぎゅうまおう)、孫大聖(そんたいせい)に追(お)い付(つ)きて、只(た)だ彼(かれ)の肩膊(けんぱく=肩(かた))の上(うえ)に、那(あ)の柄(ひ)の芭蕉扇(ばしょうせん)を掮(かつ)ぎ、怡顔悦色(いがんえつしょく=嬉(うれ)しげな顔(かお)付(つ)き)して行(ゆ)くを見(み)る。魔王大(おお)いに驚(おどろ)きて道(い)う、
「猢猻(こんそん=猿(さる))め、原来(もと)運用(うんよう)の方法(ほうほう)児(じ)をも叨餂(とうてん=盗(ぬす)み取(と))り得(え)て来(き)おったか。我(われ)若(も)し面(めん)と向(む)かいて彼(かれ)に索取(せいしゅ=求(もと)め取(と))らば、他(かれ)定(かなら)ず与(あた)えじ。倘若(も)し我一扇(ひとあお)ぎ扇(あお)がば、十万八千里(じゅうまんはっせんり)の遠(とお)きに去(さ)らしめんとし、却(かえ)って他(かれ)の意(い)を遂(と)げしむるに非(あら)ずや。我(われ)聞(き)くならく、唐僧(とうそう)は那(か)の大路(たいろ)の上(うえ)に在(あ)りて等候(ま)ち居(お)ると。彼(かれ)の二徒弟(にとしてい)の猪精(ちょせい)、三徒弟(さんとしてい)の沙流精(さるせい)は、我(われ)当年(とうねん)妖怪(ようかい)を做(な)しし時(とき)、亦(また)曾(かつ)て他(かれ)に会(あ)えり。且(しばら)く猪精の形(かたち)に変(へん)じ、返(かえ)して彼(かれ)を一場(いちじょう)騙(だま)さん。料(はか)るに猢猻は得意(とくい)を以(もっ)て喜(よろこ)びと為(な)し、必(かなら)ず詳細(つまびら)かに提防(ていぼう=用心(ようじん))せじ」と。

好(よ)き魔王、他(かれ)亦(また)七十二変(しちじゅうにへん)有(あ)り、武芸(ぶげい)も亦(また)大聖(たいせい)と一般(おな)じけれど、只(た)だ身子(しんし=体(からだ))の狼犺(ろうこう=大(おお)きくて鈍(にぶ))き些(ほど)にして、敏捷(びんしょう)に欠(か)け、活達(かったつ=機敏(きびん))ならざる些(ほど)有(あ)り。宝剣(ほうけん)を蔵(かく)し、咒語(じゅご)を念(ねん)じ、身(み)を揺(ゆ)るがして一変(いっぺん)じ、即(すなわ)ち八戒(はっかい)と一般(おな)じき嘴顔(しれん=面(つら)付(つ)き)に変(へん)じ、下路(かろ=近道(ちかみち))を抄(と)りて、面(めん)と向(む)かいて大聖(たいせい)を迎(むか)え、叫(さけ)んで道(い)う、
「師兄(しけい)、我(われ)来(きた)る也(なり)!」

這(こ)の大聖果然(はた)して歓喜(かんき)す。古人云(い)う、「得勝(とくしょう)の猫児(ねここ)は歓(よろこ)ぶこと虎(とら)に似(に)たり」と。只(た)だ強能(きょうのう=強(つよ)き力(ちから))を倚(たの)み、更(さら)に来人(らいじん)の意思(いし)を察(さっ)せず、八戒(はっかい)の形(かたち)なるを見(み)て、便(すなわ)ち叫(さけ)んで道(い)う、
「兄弟(きょうだい)、汝(なんじ)何処(いずこ)へ往(ゆ)く」と。
牛魔王(ぎゅうまおう)、経児(けいじ=調子(ちょうし))を綽(と)りて道(い)う、
「師父(しふ)は汝(なんじ)の久(ひさ)しく回(かえ)らざるを見(み)て、牛魔王(ぎゅうまおう)の手段(しゅだん)大(おお)いにして、汝(なんじ)他(かれ)と闘(たたか)い勝(か)たず、彼(かれ)の宝貝(ほうばい=宝(たから))を得(う)ること難(かた)からんことを恐(おそ)れ、我(われ)をして汝(なんじ)を迎(むか)えしめしなり」と。
行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、
「心(こころ)を費(つい)やすに及(およ)ばず、我(われ)已(すで)に手(て)を得(え)たり」と。
牛王(ぎゅうおう)又(また)問(と)うて道(い)う、
「汝(なんじ)怎(いか)にして得(え)し」と。
行者道(い)う、
「那(か)の老牛(ろうぎゅう)は我(われ)と百十合(ひゃくじゅうがっごう)戦(たたか)い経(へ)て、勝負(しょうぶ)を分(わ)かたず。

他(かれ)我(われ)を撇(す)て、那(か)の乱石山(らんせきざん)碧波潭(へきはたん)の底(そこ)に去(ゆ)きて、一伙(いっか=一群(ひとむれ))の蛟精(こうせい)・竜精(りゅうせい)と飲酒(いんしゅ)せり。是(こ)れ我(われ)暗(ひそ)かに他(かれ)に跟(したが)い往(ゆ)き、螃蟹(かに)に変(へん)じ、他(かれ)の騎(の)る所(ところ)の辟水金睛獣(へきすいきんせいじゅう)を偷(ぬす)み、老牛(ろうぎゅう)の形(かたち)に変(へん)じ、径(ただ)ちに芭蕉洞(ばしょうどう)に至(いた)りて那(か)の羅刹女(らせつにょ)を哄(だま)せり。那(か)の女子(じょし)は老孫(ろうそん)と一場(いちじょう)の干夫妻(かんふさい=仮(かり)の夫婦(ふうふ))を結(むす)び、是(こ)れ老孫(ろうそん)法(ほう)を設(もう)けて騙(だま)し将(も)ち来(きた)れるなり」と。
牛王道(い)う、
「却(かえ)って是(こ)れ生受(しょうじゅ=御苦労(ごくろう))、哥哥(あに)の労碌(ろうろく=苦労(くろう))太(はなは)だ甚(はなは)だし。把手(とって)を把(と)りて扇子(せんす)を我(われ)に拿(と)らしめよ」と。
孫大聖(そんたいせい)は那(な)んの真仮(しんか=真(しん)と偽(いつわ)り)を知(し)らん、亦(また)此(これ)に慮(おもんばか)るに及(およ)ばず、遂(つい)に扇子(せんす)を将(も)って他(かれ)に遞(わた)す。

原来(もと)那(か)の牛王(ぎゅうおう)は、他(かれ)那(か)の扇子(せんす)の収放(しゅうほう=縮(ちぢ)め伸(の)ばし)の根本(こんぽん)を知(し)れば、手(て)に接(う)け取(と)り、箇(ひと)の甚(なん)の訣児(けつじ=呪文(じゅもん))を捻(ねん)じたるか知(し)らねど、依然(いぜん)として一片(いっぺん)の杏葉(きょうよう=杏(あんず)の葉(は))の小(ちい)さに似(に)たり。本象(ほんぞう=本来(ほんらい)の姿(すがた))を現(あらわ)し、口(くち)を開(ひら)きて罵(ののし)って道(い)う、
「潑猢猻(はつこんそん=この猿(さる)め)!

我(われ)を認(みと)むるや」と。
行者(ぎょうじゃ)見(み)て、心中(しんちゅう)自(おの)ずから悔(く)いて道(い)う、
「是(こ)れ我(われ)の不是(ふぜ=過(あやま)ち)なり」と。
一声(ひとこえ)恨(うら)み、足(あし)を跌(ふ)みて高(たか)く呼(よ)んで道(い)う、
「咦(い)! 逐年家(ちくねんか=年(とし)ごと)雁(かり)を打(う)ちしに、今(いま)却(かえ)って小雁児(こがんじ)に眼睛(め)を鹐(つつ)かれたり」と。

狠(ひど)く他(かれ)をして爆躁(ばくそう=激(はげ)しい怒(いか)り)すること雷(かみなり)の如(ごと)くならしめ、鉄棒(てつぼう)を掣(と)り、頭(あたま)を劈(つんざ)いて便(すなわ)ち打(う)つ。那(か)の魔王(まおう)は扇子(せんす)を将(も)って他(かれ)を一下(ひとあお)ぎ搧(あお)がんとせしが、知(し)らずや那(か)の大聖(たいせい)は先前(さき)に蟭蟟虫(しょうりょうちゅう=蝉(せみ)の一種(いっしゅ))に変(へん)じて羅刹女(らせつにょ)の腹中(ふくちゅう)に入(い)りし時(とき)、定風丹(じょうふうたん)を口(くち)の裡(うち)に噙(ふく)み在(あ)りしを、覚(おぼ)えずして咽(の)み下(くだ)して肚裡(とりのうち)に在(あ)れば、五臓(ごぞう)皆(みな)牢(ろう=堅(かた))く、皮骨(ひこつ)皆(みな)固(かた)く、他(かれ)の怎(いか)に搧(あお)ぐと雖(いえど)も、再(ふたた)び他(かれ)を搧(あお)ぎ動(うご)かすこと能(あた)わず。牛王慌(あわ)て、宝貝(ほうばい)を口(くち)の中(うち)に放(ほう)り入(い)れ、双手(もろて)に剣(けん)を輪(ふる)いて就(すなわ)ち砍(き)る。

那(か)の両箇(ふたり)、那(か)の半空(はんくう)の中(うち)に在(あ)りて、這(こ)の一場(いちじょう)の好殺(こうさつ=見事(みごと)な戦(たたか)い):
斉天(せいてん)の孫大聖(そんたいせい)、
混世(こんせい)の潑牛王(はつぎゅうおう)、
只(た)だ芭蕉扇(ばしょうせん)の為(ため)に、
相逮(あいあ)うて各(おのおの)強(つよ)きを騁(はせ)る。
粗心(そしん)の大聖(たいせい)は人(ひと)を将(も)って騙(だま)し、
大胆(だいたん)の牛王(ぎゅうおう)は扇(おうぎ)を把(も)って誆(あざむ)く。

這(こ)の一箇(ひとつ)は、金箍棒(きんこぼう)起(おこ)りて情義(じょうぎ)無(な)し、
那(か)の一箇(ひとつ)は、双刃(そうじん)の青鋒(せいほう)智量(ちりょう=知恵(ちえ))有(あ)り。
大聖(たいせい)は威(い)を施(ほどこ)して彩霧(さいむ=色(いろ)取(ど)りの霧(きり))を噴(ふ)き、
牛王(ぎゅうおう)は潑(はつ=暴(あば)れ)れて毫光(ごうこう=細(ほそ)き光(ひかり))を吐(は)く。
斉(ひと)しく勇(ゆう)を闘(たたか)わせ、両(ふた)りながら良(よ)からず、
歯(は)を咬(か)み鑢(やす)りかけて気(き)昂昂(こうこう)たり。

土(つち)を播(ま)き塵(ちり)を揚(あ)ぐれば天地(てんち)暗(くら)く、
砂(すな)を飛(と)ばし石(いし)を走(はし)らせば鬼神(きしん)も蔵(かく)る。
這(こ)の箇(ひとつ)說(い)う、「汝(なんじ)敢(あ)えて無知(むち)にして我(われ)を返(かえ)し騙(だま)すか」と、
那(か)の箇(ひとつ)說(い)う、「我(われ)が妻(つま)は汝(なんじ)と共(とも)に相将(あいいた)らんことを許(ゆる)せり」と。
言(げん)は村(そん=粗野(そや))に語(ご)は潑(はつ=乱暴(らんぼう))にして、性(せい)は烈(はげ)しく情(じょう)は剛(つよ)し。
那(か)の箇(ひとつ)說(い)う、「汝(なんじ)人(ひと)の妻女(さいじょ)を哄(だま)すは真(まこと)に該(まさ)に死(し)すべし! 官司(かんし=役所(やくしょ))に告(うった)えば罪殃(ざいおう=罰(ばつ))有(あ)らん」と。
伶俐(れいり)の斉天聖(せいてんせい)、
凶頑(きょうがん=凶暴(きょうぼう))の大力王(だいりきおう)、
一心(いっしん)只(た)だ殺(ころ)さんことを要(よう)し、
更(さら)に商量(しょうりょう=相談(そうだん))を待(ま)たず。
棒(ぼう)打(う)ち剣(けん)迎(むか)えて斉(ひと)しく力(ちから)を尽(つ)くし、
些(いささ)かも松慢(しょうまん=緩(ゆる)み)あらば閻王(えんおう)に見(まみ)えん。

且(しばら)く他(かれ)の両箇(ふたり)の相闘(あいたたか)いて分(わか)ち難(がた)きを說(い)わず、却(かえ)って唐僧(とうそう)の途中(とちゅう)に坐(ざ)し在(あ)るを表(あらわ)さんに、一則(ひとつ)には火気(かき)の人(ひと)を蒸(む)す、二来(ふたつ)には心(こころ)焦(こが)れて口(くち)渇(かわ)き、火焰山(かえんざん)の土地(どち)に向(むか)って道(い)う、
「敢(あ)えて尊神(そんしん)に問(と)う、那(か)の牛魔王(ぎゅうまおう)の法力(ほうりき)は如何(いかん)」と。
土地道(い)う、
「那(か)の牛王(ぎゅうおう)の神通(じんつう)小(ちい)さからず、法力(ほうりき)辺(かぎ)り無(な)く、正(まさ)に是(こ)れ孫大聖(そんたいせい)の敵手(てきしゅ=好敵手(こうてきしゅ))なり」と。
三蔵道(い)う、
「悟空(ごくう)は是(こ)れ走路(ある)くことを会(え)する者(もの)、往常家(つね)は二千里(にせんり)の路(みち)も、一霎時(いっしゅんじ)に便(すなわ)ち回(かえ)るに、怎(いか)して如今(いま)去(い)って一日(いちにち)なるか。断(たぶん)是(こ)れ那(か)の牛王(ぎゅうおう)と賭闘(ととう=勝負(しょうぶ))せるならん」と。
叫(よ)んで道(い)う、
「悟能(ごのう)、悟浄(ごじょう)! 汝(なんじ)両箇(ふたり)、那(いず)れか一箇(ひとり)往(ゆ)きて汝(なんじ)が師兄(しけい)を一迎(ひとむか)え迎(むか)えよ。倘(も)し敵(てき)に遇(あ)わば、就(すなわ)ち当(まさ)に力(ちから)を用(もち)いて相助(あいたす)け、扇子(せんす)を求(もと)め得(え)て来(きた)り、我(われ)の煩躁(はんそう=いらだち)を解(と)き、早(はや)く山(やま)を過(す)ぎて路(みち)を赶(いそ)がん」と。
八戒道(い)う、
「今日(こんにち)天(てん)晩(く)れたり。我(われ)想(おも)うに他(かれ)を接(むか)えに往(ゆ)かんとすれど、但(た)だ是(た)だ積雷山(せきらいざん)の路(みち)を認(みと)めざるのみ」と。
土地道(い)う、

「小神(しょうしん)認(みと)む。且(しばら)く巻簾将軍(けんれんしょうぐん=沙悟浄(さごじょう))をして汝(なんじ)が師父(しふ)と伴(とも)を做(な)さしめ、我(われ)汝(なんじ)と去(ゆ)かん」と。
三蔵大(おお)いに喜(よろこ)んで道(い)う、
「尊神(そんしん)の労(ろう)有(あ)り、功(こう)成(な)って再(ふたた)び謝(しゃ)せん」と。

那(か)の八戒(はっかい)、精神(せいしん)を抖擻(しんぼう=奮(ふる)い起(お)こ)し、皂錦直裰(そうきんじきとつ=黒(くろ)い錦(にしき)の法衣(ほうえ))を一束(ひとしば)り束(たば)ね、釵(さ)を搴(かか)げ、即(すなわ)ち土地(どち)と雲霧(うんむ)を縦(はな)ち起(おこ)し、径(ただ)ちに東方(とうほう)に回(かえ)って去(ゆ)く。正(まさ)に行(ゆ)く時(とき)、忽(たちま)ち喊殺声(かんさつせい=鬨(とき)の声(こえ))高(たか)く、狂風(きょうふう)滚滚(こんこん)たるを聴(き)く。

八戒(はっかい)雲頭(うんとう)を按(おさ)えて看(み)る時(とき)、原来(もと)孫行者(そんぎょうじゃ)と牛王(ぎゅうおう)と厮殺(しさつ=殺(ころ)し合(あ))えるなり。土地道(い)う、
「天蓬(てんぽう)還(ま)だ上前(すす)み出(い)でざるか、怎(いか)にせん」と。
呆子(ほうし=八戒(はっかい))釘鈀(ていは)を掣(と)り、声(こえ)を厳(いか)しく高(たか)く叫(さけ)んで道(い)う、
「師兄(しけい)、我(われ)来(きた)る也(なり)!」と。
行者恨(うら)んで道(い)う、
「汝(なんじ)が這(こ)の夯貨(こうか=鈍(まぬけ))め、我(われ)が多少(いくばく)の大事(だいじ)を誤(あやま)らしめたるぞ」と。
八戒道(い)う、
「師父(しふ)我(われ)をして汝(なんじ)を迎(むか)えに来(こ)しむ。山路(さんろ)を認(みと)めざるに因(よ)りて、良(やや)久(ひさ)しく商議(しょうぎ)し、土地(どち)をして我(われ)を引(みちび)かしめ、故此(こ)の故(ゆえ)に来(きた)ること遅(おそ)し。如何(いかん)ぞ大事(だいじ)を誤(あやま)りしとは」と。
行者道(い)う、
「汝(なんじ)の来(きた)ること遅(おそ)きを怪(あやし)むに非(あら)ず。這(こ)の潑牛(はつぎゅう)十分(じゅうぶん)に無礼(ぶれい)なり! 我(われ)羅刹(らせつ)の処(ところ)に向(む)かいて扇子(せんす)を弄(ろう)し得(え)て来(きた)りしに、却(かえ)って這(こ)の厮(やつ)汝(なんじ)の形(かたち)に変(へん)じ、口(くち)に我(われ)を迎(むか)うと称(とな)う。我(われ)一時(ひととき)歓悦(かんえつ)し、転(うたた)扇子(せんす)を把(と)りて他(かれ)が手(て)に遞(わた)し、他(かれ)却(かえ)って本象(ほんぞう)を現(あらわ)し、老孫(ろうそん)と此(ここ)に在(あ)りて比並(ひへい=競(きそ)い合(あ))う。此(こ)れを以(もっ)て大事(だいじ)を誤(あやま)りしなり」と。
八戒(はっかい)言(げん)を聞(き)いて大(おお)いに怒(いか)り、釘鈀(ていは)を挙(あ)げて面(めん)と向(む)かいて罵(ののし)って道(い)う、
「我(われ)は汝(なんじ)が這(こ)の血皮脹(けっぴちょう=血(ち)脹(ふく)れ)の遭瘟(そうおん=疫病(えきびょう)やみ)めを把(と)らん! 汝(なんじ)怎(なん)じて敢(あ)えて汝(なんじ)が祖宗(そそう=先祖(せんぞ))の形(かたち)に変(へん)じ、我(われ)が師兄(しけい)を騙(だま)し、我(われ)が兄弟(きょうだい)をして睦(むつ)まじからざらしむる」と。
汝(なんじ)看(み)よ、彼(かれ)の頭(あたま)無(な)く臉(つら)無(な)く釘鈀(ていは)をして乱(みだ)りに築(つ)かしむるを。那(か)の牛王(ぎゅうおう)は、一則(ひとつ)には行者(ぎょうじゃ)と一日(いちにち)闘(たたか)いて、力(ちから)倦(つか)れ神(しん)疲(つか)れし、二則(ふたつ)には八戒(はっかい)の釘鈀(ていは)の凶猛(きょうもう)なるを見(み)て、遮架(しゃか=受(う)け止(と))めるに及(およ)ばず、陣(じん)を敗(やぶ)りて就(すなわ)ち走(はし)る。

只(た)だ見(み)る、那(か)の火焰山(かえんざん)の土地(どち)、陰兵(おんぺい=冥界(めいかい)の兵(へい))を帥(ひき)い領(い)れ、面(めん)と向(む)かいて擋(さえぎ)り住(とど)めて道(い)う、
「大力王(だいりきおう)、且(しばら)く手(て)を住(とど)めよ。唐三蔵(とうさんぞう)の西天(せいてん)に経(きょう)を取(と)るは、神(かみ)の保(たも)たざる無(な)く、天(てん)の祐(たす)けざる無(な)く、三界(さんがい)に通知(つうち)し、十方(じっぽう)に擁護(ようご)す。快(はや)く芭蕉扇(ばしょうせん)を将(も)ち来(きた)りて火焰(かえん)を搧(あお)ぎ息(き)えしめ、他(かれ)をして災(わざわい)無(な)く障(さわり)無(な)く、早(はや)く山(やま)を過(す)ぎて去(ゆ)かしめよ。

然(しか)らずんば、上天(じょうてん)汝(なんじ)が罪愆(ざいけん=罪(つみ))を責(せ)め、定(かなら)ず誅(ちゅう=誅殺(ちゅうさつ))に遭(あ)わん」と。
牛王道(い)う、
「汝(なんじ)が這(こ)の土地(どち)、全(まった)く理(り)を察(さっ)せず! 那(か)の潑猴(はつこう=猿(さる)め)は我(われ)が子(こ)を奪(うば)い、我(われ)が妾(しょう)を欺(あざむ)き、我(われ)が妻(つま)を騙(だま)し、番番(つぎつぎ)に道(どう)無(な)し。我(われ)恨(うら)むらくは囫圇(こつろん=丸(まる)呑(の)み)に他(かれ)を呑(の)み下(くだ)し、大便(だいべん=糞(くそ))に化(か)して狗(いぬ)に喂(や)らんことを得(え)ざるを、怎(なん)で肯(あ)えんで宝貝(ほうばい)を将(も)って他(かれ)に借(か)さんや」と。
說(い)い了(おわ)らざるに、八戒(はっかい)追(お)い上(あ)がりて罵(ののし)って道(い)う、
「我(われ)は汝(なんじ)が這(こ)の箇(こ)の結心癀(けっしんこう=心(こころ)の病(やまい))めを把(と)らん! 快(はや)く扇(おうぎ)を拿(だ)し出(いだ)せ、汝(なんじ)が性命(いのち)を饒(ゆる)さん!」と。
那(か)の牛王(ぎゅうおう)は只(た)だ頭(こうべ)を回(めぐ)らし、宝剣(ほうけん)を将(も)って又(また)八戒(はっかい)と戦(たたか)い、孫大聖(そんたいせい)は棒(ぼう)を挙(あ)げて相(あい)助(たす)く。這(こ)の一場(いちじょう)、那(か)の処(ところ)に在(あ)りて好殺(こうさつ)なり:
成精(せいせい=精(せい)と化(か))せし豕(いのこ)、
作怪(さっかい=怪(かい)を為(な))せる牛(うし)、
兼(あわ)せて上(かみ)には天(てん)を偷(ぬす)みし得道(とくどう)の猴(さる)。
禅性(ぜんしょう)は自来(もと)能(よ)く戦煉(せんれん=戦(たたか)い鍛(きた))う、
必(かなら)ず当(まさ)に土(ど)を用(もち)いて元由(げんゆ=根源(こんげん))を合(がっ)すべし。
釘鈀(ていは)の九歯(きゅうし)は尖(とが)りて還(なお)利(するど)く、
宝剣(ほうけん)の双鋒(そうほう)は快(きれ)にして更(さら)に柔(やわ)らかなり。
鉄棒(てつぼう)は巻舒(けんじょ=伸縮(しんしゅく))して主仗(しゅじょう=主(おも)なる頼(たの)み)と為(な)り、
土神(どしん)は力(ちから)を助(たす)けて丹頭(たんとう=丹(たん)の元(もと))を結(むす)ぶ。
三家(さんか)の刑克(けいこく=相容(あいい)れざる)相争(あいあらそ)い競(きそ)い、
各(おのおの)雄才(ゆうさい)を展(の)べて運籌(うんちゅう=策略(さくりゃく))を要(よう)す。

牛(うし)を捉(とら)えて地(ち)を耕(たがや)せば金銭(きんせん)長(の)び、
豕(いのこ)を喚(よ)びて炉(ろ)に帰(かえ)らしめば木気(もくき)収(おさ)まる。
心(こころ)焉(ここ)に在(あ)らずんば何(なん)ぞ道(みち)を作(な)さん、
神(しん)常(つね)に舎(しゃ=心(こころ)の宿(やど))を守(まも)れば猴(さる)を拴(つな)がんと要(よう)す。
胡乱(うろん=でたらめ)に嚷(わめ)き、苦(くる)しく相求(あいもと)め、
三般(さんぱん=三種(さんしゅ))の兵刃(へいじん)響(ひび)き捜捜(そうそう)たり。
鈀(は)は築(つ)き剣(けん)は傷(きずつ)けて好意(こうい)無(な)く、
金箍棒(きんこぼう)の起(おこ)るは因由(いんゆ=訳(わけ))有(あ)り。
只(た)だ殺(ころ)し得(え)て、星(ほし)光(ひか)らず、月(つき)皎(あき)らかならず、
一天(いってん)の寒霧(かんむ)は黒悠悠(こくゆうゆう=暗(くら)く悠(ゆう)とした)たり!

那(か)の魔王(まおう)勇(ゆう)を奮(ふる)いて強(つよ)きを争(あらそ)い、且(か)つ行(ゆ)き且(か)つ闘(たたか)い、一夜(いちや)闘(たたか)いても上下(じょうげ)を分(わ)かたず、早(はや)く亦(また)天明(てんめい)す。前面(ぜんめん)は是(こ)れ他(かれ)が積雷山(せきらいざん)摩雲洞(まうんどう)の口(くち)なり。他(かれ)三箇(さんにん)と土地(どち)・陰兵(おんぺい)と、又(また)喧嘩(けんか)の声(こえ)耳(みみ)を振(ふる)わせ、那(か)の玉面公主(ぎょくめんこうしゅ)を驚(おどろ)かし、丫鬟(あかん=侍女(じじょ))を喚(よ)んで是(こ)れ何処(いずこ)の人(ひと)の嚷(わめ)くなるを看(み)しむ。只(た)だ見(み)る、守門(しゅもん)の小妖(しょうよう)来(きた)りて報(ほう)ず、
「是(こ)れ我家(わがや)の爺爺(じいさま)と、昨日(きのう)那(か)の雷公嘴(らいこうし=雷神(らいじん)の嘴(くちばし))の漢子(おとこ)並(なら)びに一箇(ひとり)の長嘴大耳(ちょうしだいじ=長(なが)い嘴(くちばし)と大(おお)きな耳(みみ))の和尚(おしょう)と、火焰山(かえんざん)の土地(どち)等(ら)の衆(しゅう)と厮殺(しさつ)せるなり!」と。
玉面公主(ぎょくめんこうしゅ)言(げん)を聴(き)き、即(すなわ)ち外護(がいご=外(そと)を守(まも)る)の大小(だいしょう)の頭目(とうもく)に命(めい)じ、各(おのおの)槍刀(そうとう)を執(と)りて力(ちから)を助(たす)けしむ。前後(ぜんご)に七長八短(しちちょうはったん=まちまち)なること百十余口(ひゃくじゅうよこう)を点(てん)じ起(おこ)し、一箇箇(めいめい)精神(せいしん)を売弄(ばいろう=誇示(こじ))し、槍(やり)を拈(ひね)り棒(ぼう)を弄(もてあそ)び、斉(ひと)しく告(もう)して道(い)う、
「大王爺爺(だいおうじいさま)、我等(われら)は奶奶(ばあさま)の内旨(ないし=内(うち)の命(めい))を奉(ほう)じ、特に来(きた)りて力(ちから)を助(たす)けんとす也(なり)!」と。
牛王大(おお)いに喜(よろこ)んで道(い)う、
「来(きた)れるは好(よ)し! 来(きた)れるは好(よ)し!」と。
衆妖(しゅうよう)一斉(いっせい)に上前(すす)み出(い)でて乱(みだ)りに砍(き)る。八戒(はっかい)措手(そしゅ=手(て)の打(う)ちよう)及(およ)ばず、釘鈀(ていは)を引(ひ)き摺(ず)りて陣(じん)を敗(やぶ)りて走(はし)り、大聖(たいせい)は筋斗雲(きんとうん)を縦(はな)ちて重囲(じゅうい)を跳(と)び出(い)で、衆(しゅう)の陰兵(おんぺい)も亦(また)四散(しさん=四面(しめん)に散(ち))じて奔走(ほんそう)す。老牛(ろうぎゅう)勝(か)ちを得(え)、衆妖(しゅうよう)を聚(あつ)めて洞(ほら)に帰(かえ)り、緊(きつ)く洞門(どうもん)を閉(と)じて題(あげつら)わず。

行者道(い)う、
「這(こ)の厮(やつ)驍勇(ぎょうゆう=強(つよ)く勇(いさ)まし)なり! 昨日(きのう)の申時(さるのこく)前後(ぜんご)より、老孫(ろうそん)と戦(たたか)い起(おこ)り、今夜(こんや)に直(いた)るまで、未(いま)だ輸贏(ゆえい=勝敗(しょうぶ))を定(さだ)めず。却(かえ)って汝(なんじ)両箇(ふたり)の来(きた)りて力(ちから)を接(つ)ぐを得(え)たり。此(か)くの如(ごと)く半日(はんじつ)一夜(いちや)苦闘(くとう)するも、他(かれ)更(さら)に労困(ろうこん=疲労(ひろう))を見(み)せず。才(わず)かに這(こ)の一群(ひとむれ)の小妖(しょうよう)、却(かえ)って又(また)莽壯(もうそう=荒(あら)っぽく逞(たくま)し)し。他(かれ)洞門(どうもん)を将(も)って緊(きつ)く閉(と)じて出(い)でずんば、之(これ)を奈何(いかん)せん」と。
八戒道(い)う、
「哥哥(あに)、汝(なんじ)昨日(きのう)巳時(みのこく)に師父(しふ)を離(はな)れしに、怎(いか)して申時(さるのこく)に至(いた)りて才(わず)かに他(かれ)と闘(たたか)い起(おこ)りし。汝(なんじ)が那(あ)の両三箇(にさんこ)の時辰(じしん)は、那(か)の処(ところ)に在(あ)りし」と。
行者道(い)う、
「汝(なんじ)に別(わか)れし後(のち)、頃刻(しばらく)にして就(すなわ)ち這(こ)の座(ざ)の山(やま)の上(うえ)に到(いた)り、一箇(ひとり)の女子(じょし)に問訊(もんじん=尋(たず)ね)ししに、原来(もと)是(こ)れ他(かれ)が愛妾(あいしょう)の玉面公主(ぎょくめんこうしゅ)なり。我(われ)鉄棒(てつぼう)をして他(かれ)を一唬(ひとおど)し唬(おど)さしむれば、他(かれ)就(すなわ)ち洞(ほら)の中(うち)に跑(はし)り入(い)り、那(か)の牛王(ぎゅうおう)を叫(よ)び出(いだ)せり。老孫(ろうそん)と狔言狔語(じげんじご=つまらぬ言(い)い合(あ)い)し、一会(ひとしき)り嚷(わめ)き、又(また)他(かれ)と手(て)を交(まじ)え、一箇時辰(いっこじしん)闘(たたか)えり。正(まさ)に打(う)ち居(お)る処(ところ)、人(ひと)有(あ)りて他(かれ)を請(しょう)じて宴(うたげ)に赴(おもむ)かしめしが去(ゆ)けり。是(こ)れ我(われ)他(かれ)に跟(したが)いて那(か)の乱石山(らんせきざん)碧波潭(へきはたん)の底(そこ)に到(いた)り、螃蟹(かに)に変(へん)じ、消息(しょうそく)を探(さぐ)り、他(かれ)が辟水金睛獣(へきすいきんせいじゅう)を偷(ぬす)み、仮(かり)に牛王(ぎゅうおう)の形(かたち)に変(へん)じ、復(また)翠雲山(すいうんざん)の芭蕉洞(ばしょうどう)に至(いた)り、羅刹女(らせつにょ)を騙(だま)し、他(かれ)が扇子(せんす)を哄(だま)し得(え)たり。門(もん)を出(い)でて試(こころ)みに方法(ほうほう)を試演(しえん=演(えん)じてみ)し、扇子(せんす)を把(と)って長(なが)く弄(な)し得(え)たれど、只(た)だ小(ちい)さく収(おさ)むることを会(え)せざりき。正(まさ)に掮(かつ)いで走(はし)る処(ところ)、他(かれ)仮(いつわ)りて汝(なんじ)の嘴顔(しれん)に変(へん)じ、返(かえ)して騙(だま)し去(さ)られたり。故此(このゆえ)両三箇時辰(にさんこじしん)を耽擱(たんかく=遅(おく)ら)せしなり」と。
八戒道(い)う、
「這(こ)れ正(まさ)に是(こ)れ俗語(ぞくご)に云(い)う、大海(たいかい)の裡(うち)に豆腐船(とうふぶね)を翻(ひるがえ)し、湯(ゆ)の裡(うち)より来(きた)り、水(みず)の裡(うち)へ去(ゆ)く、なり。如今(いま)他(かれ)が扇子(せんす)を得(う)ること難(かた)し、如何(いか)にして師父(しふ)を保(たも)ちて山(やま)を過(す)ぐるを得(え)ん。且(しばら)く回(かえ)りて、路(みち)を転(てん)じて他(かれ)が娘(はは)を走(はし)らしめよ」と。
土地道(い)う、
「大聖(たいせい)焦(じれ)りて悩(なや)むこと莫(なか)れ、天蓬(てんぽう)懈怠(けたい=怠(なま)ける)すること莫(なか)れ。但(た)だ転路(てんろ=道(みち)を変(か)える)を說(い)えば、就(すなわ)ち是(こ)れ旁門(ぼうもん=邪道(じゃどう))に入(い)る、箇(ひとつ)の修行(しゅぎょう)の類(たぐい)を成(な)さず。古語(こご)に云(い)う、行(ゆ)くに径(こみち)に由(よ)らず、豈(あ)に肯(あ)えんで転(てん)じて走(はし)らんや。汝(なんじ)が那(あ)の師父(しふ)は、正路(せいろ)の上(うえ)に在(あ)りて坐(ざ)し、眼巴巴(がんぱぱ=瞳(ひとみ)をこらし)只(た)だ汝等(なんじら)の成功(せいこう)を望(のぞ)み居(お)るなり」と。
行者(ぎょうじゃ)狠(きび)しく発(な)して道(い)う、
「正(まさ)に是(こ)れ、正(まさ)に是(こ)れ! 呆子(ほうし)胡談(こだん=でたらめ)を要(よう)する莫(なか)れ! 土地(どち)の說(い)えるは理(り)有(あ)り。我等(われら)正(まさ)に他(かれ)と輸贏(ゆえい)を賭(と)し、手段(しゅだん)を弄(ろう)さんとす。我(われ)が地煞変(ちさつへん)を施為(しい=施(ほどこ))すを待(ま)て。

西方(せいほう)に到(いた)りてより対頭(たいとう=敵(てき))無(な)く、
牛王(ぎゅうおう)は本(もと)是(こ)れ心猿(しんえん)の変(へん)なり。
今番(こんばん)正(まさ)に好(よ)く源流(げんりゅう)に会(え)し、
断(たぶん)相持(そうじ=相(あい)争(あらそ))いて宝扇(ほうせん)を借(か)らんと要(よう)す。
清涼(せいりょう)に趁(じゅん)じて、火焰(かえん)を息(き)えしめ、
頑空(がんくう)を打(う)ち破(やぶ)りて仏面(ぶつめん)を参(まい)らん。
行(ぎょう)満(み)ちて超昇(ちょうしょう)し極楽天(ごくらくてん)に、
大家(みんな)同(とも)に龍華宴(りゅうげえん)に赴(おもむ)かん!」と。
那(か)の八戒(はっかい)言(げん)を聴(き)き、便(すなわ)ち努力(どりょく)を生(しょう)じ、慇懃(いんぎん)に道(い)う、

「是(しか)り、是(しか)り、是(しか)り! 去(ゆ)かん、去(ゆ)かん、去(ゆ)かん! 管(かま)うこと甚(なん)ぞ、牛王(ぎゅうおう)の会(え)すると会(え)せざるとを。
木(もく)は亥(がい)に生(しょう)じて配(はい)せられて猪(いのこ)と為(な)り、
牛(うし)を牽(ひ)き転(てん)じて土類(どるい)に帰(かえ)る。
申(しん)の下(もと)に生(しょう)ずる金(きん)は本(もと)是(こ)れ猴(さる)、
刑(けい)無(な)く克(こく)無(な)くして和気(わき)多(おお)し。
芭蕉(ばしょう)を用(もち)いて、水意(すいい)を為(な)し、
焰火(えんか)消除(しょうじょ)して既済(きせい)を成(な)さん。
昼夜(ちゅうや)離(はな)るること休(や)めて苦(くる)しみ功(こう)を尽(つ)くし、
功(こう)完(まった)うして赶(いそ)ぎ盂蘭会(うらんえ)に赴(おもむ)かん」と。

他(かれ)両箇(ふたり)土地(どち)・陰兵(おんぺい)を領(ひき)いて一斉(いっせい)に上前(すす)み出(い)で、釘鈀(ていは)を将(も)ち、鉄棒(てつぼう)を輪(ふる)い、乒乒乓乓(ひょうひょうぼうぼう)と、一箇(ひとつ)の摩雲洞(まうんどう)の前門(ぜんもん)を把(と)って打(う)ち得(え)て粉碎(ふんさい)と為(な)す。唬(おどろ)かし得(え)て那(か)の外護(がいご)の頭目(とうもく)、戦戦兢兢(せんせんきょうきょう=おののき恐(おそ)れ)て、闖(つ)け入(い)りて裡辺(うち)に報(ほう)じて道(い)う、
「大王(だいおう)! 孫悟空(そんごくう)衆(しゅう)を率(ひき)いて前門(ぜんもん)を打(う)ち破(やぶ)れり也(なり)!」と。
那(か)の牛王(ぎゅうおう)正(まさ)に玉面公主(ぎょくめんこうしゅ)と其(そ)の事(こと)を備(つぶさ)に言(い)い、孫行者(そんぎょうじゃ)を懊恨(おうこん=恨(うら)み惜(お)し)み居(お)る処(ところ)、前門(ぜんもん)を打(う)ち破(やぶ)ると聴(き)き、十分(じゅうぶん)に怒(いか)りを発(はっ)し、急(いそ)ぎ披掛(ひかけ=甲冑(かっちゅう)を着(き))し、鉄棍(てっこん)を拿(と)り、裡辺(うち)より罵(ののし)り出(い)でて道(い)う、
「潑猢猻(はつこんそん)! 汝(なんじ)は是(こ)れ多(いか)ほど大(おお)きな人(ひと)なるに、敢(あ)えて這(かく)の等(ごと)く門(もん)に上(のぼ)りて撒潑(さっぱつ=暴(あば)れ)れ、我(われ)が門扇(もんせん=扉(とびら))を打(う)ち破(やぶ)るか」と。
八戒(はっかい)近(ちか)づきて乱(みだ)りに罵(ののし)って道(い)う、
「潑(はつ)の老剥皮(ろうはくひ=皮(かわ)を剥(は)がれし老(ろう)い)! 汝(なんじ)は是(こ)れ箇(いか)の甚(なん)の様(よう)の人物(じんぶつ)なるに、敢(あ)えて那(か)の大小(だいしょう)を量(はか)るか! 走(はし)ること莫(なか)れ! 鈀(は)を看(み)よ!」と。
牛王(ぎゅうおう)喝(かつ)して道(い)う、
「汝(なんじ)が這(こ)の囔糟食(のうそうしょく=食(く)いだめ)の夯貨(こうか)め、怎(いか)に見(み)えずや! 快(はや)く那(か)の猴児(こうじ=猿(さる)め)を叫(よ)びて上(のぼ)らしめよ!」と。
行者道(い)う、
「好歹(よしあし)を知(し)らざる盞草(さんそう)め! 我(われ)昨日(きのう)は還(なお)汝(なんじ)と兄弟(きょうだい)を論(ろん)ぜしに、今日(こんにち)は就(すなわ)ち是(こ)れ仇人(きゅうじん=敵(かたき))なり! 仔細(つつし)んで吾(われ)が一棒(いっぽう)を吃(くら)え!」と。
那(か)の牛王(ぎゅうおう)勇(ゆう)を奮(ふる)いて迎(むか)う。這(こ)の場(ば)は前番(ぜんばん)よりも更(さら)に勝(まさ)れり。三箇(みたり)の英雄(えいゆう)、厮(あい)混(ま)じりて一処(ひとところ)に在(あ)り。好殺(こうさつ)なり:
釘鈀(ていは)・鉄棒(てつぼう)神威(しんい)を逞(たくま)しうし、
同(とも)に陰兵(おんぺい)を帥(ひき)いて老犠(ろうぎ=老(お)いた牛(うし))と戦(たたか)う。
犠牲(ぎせい=牛(うし))独(ひと)り凶強(きょうきょう)の性(せい)を展(の)べ、
遍(あまね)く同天(どうてん)に法力(ほうりき)恢(かい=大(おお)い)なり。
鈀(は)を使(つか)いて築(つ)き、棍(こん)を着(つ)けて擂(う)ち、
鉄棒(てつぼう)の英雄(えいゆう)又(また)奇(き)を出(いだ)す。
三般(さんぱん)の兵器(へいき)叮当(ていとう)と響(ひび)き、
隔架(かくか=受(う)け)し遮攔(しゃらん=遮(さえぎ))り、誰(たれ)か誰(たれ)に譲(ゆず)らん?
他(かれ)は他(かれ)が首(かしら)為(た)ると說(い)い、
我(われ)は我(われ)が魁(かい=頭(かしら))を奪(うば)うと說(い)う。
士兵(しへい)証(しょう)と為(な)れども分解(ぶんかい=決着(けっちゃく))し難(がた)く、
木土(もくど)相煎(あいに)えて上下(じょうげ)に随(したが)う。
這(こ)の両箇(ふたり)說(い)う、

「汝(なんじ)如何(いかん)ぞ芭蕉扇(ばしょうせん)を借(か)さざる!」と。
那(か)の一箇(ひとつ)道(い)う、
「汝(なんじ)焉(いずく)んぞ敢(あ)えて心(こころ)を欺(あざむ)きて我(われ)が妻(つま)を騙(だま)す! 妾(しょう)を赶(お)い児(こ)を害(そこな)いし仇(あだ)未(いま)だ報(ほう)ぜず、
門(もん)を敲(たた)き戸(と)を打(う)ちて又(また)驚疑(きょうぎ)す!」と。
這(こ)の箇(ひとつ)說(い)う、
「汝(なんじ)仔細(つつし)んで如意棒(にょいぼう)を堤防(ていぼう=用心(ようじん))せよ、擦(こす)ること些(いささ)かもあらば就(すなわ)ち皮(かわ)破(やぶ)れん!」と。
那(か)の箇(ひとつ)說(い)う、
「好(よ)く生(よく)鈀頭(はとう)の歯(は)を避(よ)けよ、一(ひと)たび傷(きずつ)けば九孔(きゅうこう=九(ここの)つの孔(あな))より血(ち)淋漓(りんり)たらん!」と。
牛魔(ぎゅうま)は威猛(いもう)を施(ほどこ)すをも怕(おそ)れず、
鉄棍(てっこん)高(たか)く擎(ささ)げて見機(けんき=機(き)を見(み)る)有(あ)り。
雲(くも)を翻(ひるがえ)し雨(あめ)を覆(くつがえ)して随(したが)って来往(らいおう)し、
霧(きり)を吐(は)き風(かぜ)を噴(ふ)きて任(まか)せて発揮(はっき)す。
恨(うら)み苦(くる)しむ這(こ)の場(ば)、皆(みな)命(いのち)を拚(かえりみ)ず、
各(おのおの)悪念(あくねん)を懐(いだ)きて喜(よろこ)んで相持(あいじ=相(あい)争(あらそ))う。
架子(かし=構(かま)え)を捨(す)て、高低(こうてい)を讓(ゆず)り、
前(まえ)に迎(むか)え後(うしろ)に擋(ふせ)いで総(すべ)て虧(き=損(そん))無(な)し。
兄弟(きょうだい)二人(ふたり)斉(ひと)しく力(ちから)を尽(つく)し、
単身(たんしん)一棍(いっこん)独(ひと)り施為(しい=技(わざ)をふる)う。

卯時(ぼうのこく)より辰時(しんのこく)の後(のち)まで戦(たたか)い、
戦(たたか)い罷(や)めて牛魔(ぎゅうま)手(て)を束(つか)ねて回(かえ)る。
他(かれ)三箇(みたり)死(し)を含(ふく)み生(せい)を忘(わす)れ、又(また)百十余合(ひゃくじゅうよごう)闘(たたか)う。八戒(はっかい)呆性(ほうしょう=愚(おろ)かなる性(さが))を発(はっ)し、行者(ぎょうじゃ)の神通(じんつう)を仗(たの)み、鈀(は)を挙(あ)げて乱(みだ)りに築(つ)く。牛王(ぎゅうおう)遮架(しゃか)及(およ)ばず、陣(じん)を敗(やぶ)りて頭(こうべ)を回(めぐ)らし、就(すなわ)ち洞門(どうもん)に奔(はし)る。却(かえ)って土地(どち)・陰兵(おんぺい)に洞門(どうもん)を攔(さえぎ)り住(とど)められ、喝(かつ)して道(い)う、

「大力王(だいりきおう)、何処(いずこ)へ走(はし)る! 吾等(われら)此(ここ)に在(あ)り!」と。
那(か)の老牛(ろうぎゅう)洞(ほら)に進(すす)み入(い)るを得(え)ず、急(いそ)ぎ身(み)を抽(ぬ)き出(いだ)し、又(また)八戒(はっかい)・行者(ぎょうじゃ)の赶(お)い来(きた)るを見(み)、慌(あわ)てて盔甲(かいこう=兜(かぶと)と鎧(よろい))を卸(おろ)し、鉄棍(てっこん)を捨(す)て、身(み)を揺(ゆ)るがして一変(いっぺん)じ、一隻(いっせき)の天鹅(てんが=白鳥(はくちょう))に変(へん)じ、空(そら)を望(のぞ)んで飛(と)び走(はし)る。
行者(ぎょうじゃ)看(み)て、笑(わら)って道(い)う、
「八戒(はっかい)! 老牛(ろうぎゅう)去(い)けり」と。
那(か)の呆子(ほうし)漠然(ばくぜん)として知(し)らず、土地(どち)も亦(また)暁(さと)る能(あた)わず、一箇箇(めいめい)東(ひがし)を張(み)り西(にし)を覷(うかが)い、只(た)だ積雷山(せきらいざん)の前後(ぜんご)を乱(みだ)りに找(さが)す。
行者(ぎょうじゃ)指(ゆびさ)して道(い)う、
「那(あ)の空中(くうちゅう)に飛(と)ぶは是(こ)れならずや」と。
八戒道(い)う、
「那(あ)れは是(こ)れ一隻(いっせき)の天鹅(てんが)なり」と。
行者道(い)う、
「正(まさ)に是(こ)れ老牛(ろうぎゅう)の変(へん)じたるなり」と。
土地道(い)う、
「既(すで)に此(か)くの如(ごと)しなれば、却(かえ)って怎(いか)に生(しょう)ぜんや」と。

行者道(い)う、
「汝(なんじ)両箇(ふたり)此(こ)の門(もん)を打(う)ち進(い)り、群妖(ぐんよう)を把(と)って情(こころ)を尽(つ)くし剿除(そうじょ=討(う)ち平(たい)ら)げ、他(かれ)が窩巣(かそう=巣(す))を拆(こわ)し、他(かれ)が帰路(きろ)を絶(た)て。老孫(ろうそん)の他(かれ)と変化(へんげ)を賭(と)するを等(ま)て」と。
那(か)の八戒(はっかい)と土地(どち)は、言(げん)に依(よ)りて洞門(どうもん)を攻(せ)め破(やぶ)ることは題(あげつら)わず。

這(こ)の大聖(たいせい)金箍棒(きんこぼう)を収(おさ)め、訣(けつ)を捻(ねん)じ咒(じゅ)を念(ねん)じ、身(み)を揺(ゆ)るがして一変(いっぺん)じ、箇(ひとつ)の海東青(かいとうせい=鷹(たか)の一種(いっしゅ))に変(へん)じ、颯(さっ)と一翅(ひとつばさ)、雲眼(うんがん=雲(くも)の間(あいだ))の裡(うち)に潜(もぐ)り在(あ)り、倒(さか)しまに飛(と)び下(お)り来(きた)り、天鹅(てんが)の身(み)の上(うえ)に落(お)ち、頸項(けいこう=首(くび))を抱(いだ)きて眼(め)を嗛(つつ)く。
那(か)の牛王(ぎゅうおう)も亦(また)是(こ)れ孫行者(そんぎょうじゃ)の変化(へんげ)なるを知(し)り、急(いそ)ぎ翅(つばさ)を抖抖(ゆす)り、一隻(いっせき)の黄鷹(こうよう=黄色(きいろ)い鷹(たか))に変(へん)じ、返(かえ)って来(きた)りて海東青(かいとうせい)を嗛(つつ)く。
行者(ぎょうじゃ)又(また)箇(ひとつ)の烏鳳(うほう=黒(くろ)い鳳凰(ほうおう))に変(へん)じ、専(もっぱ)ら黄鷹(こうよう)を赶(お)う。
牛王(ぎゅうおう)識(し)り得(え)て、又(また)一隻(いっせき)の白鶴(はくかく=白(しろ)い鶴(つる))に変(へん)じ、一声(ひとこえ)長(なが)く唳(な)き、南(みなみ)を望(のぞ)んで飛(と)び去(ゆ)く。
行者(ぎょうじゃ)立(た)ち定(さだ)まり、翎毛(れいもう=羽(はね))を抖抖(ゆす)り、又(また)一隻(いっせき)の丹鳳(たんぽう=赤(あか)い鳳凰(ほうおう))に変(へん)じ、一声(ひとこえ)高(たか)く鳴(な)く。
那(か)の白鶴(はくかく)は鳳(ほう)の是(こ)れ鳥王(ちょうおう)なるを見(み)て、諸禽(しょきん=鳥(とり)ども)敢(あ)えて妄(みだ)りに動(うご)かず、刷(さっ)と一翅(ひとつばさ)、山崖(さんがい)を淬(ひ)いて下(お)り、身(み)を将(も)って一変(いっぺん)じ、一隻(いっせき)の香獐(こうしょう=麝香(じゃこう)鹿(じか))に変(へん)じ、乜乜些些(びびしゃしゃ=のこのこと)として、崖前(がいぜん)に在(あ)りて草(くさ)を食(く)らう。
行者(ぎょうじゃ)認(みと)め得(え)、也就(また)翅(つばさ)を落(おと)し来(きた)り、一隻(いっせき)の餓虎(がこ=飢(う)えた虎(とら))に変(へん)じ、尾(お)を剪(き)り蹄(ひづめ)を跑(はし)らせ、獐(しょう)を赶(お)いて食(しょく)と作(な)さんと要(よう)す。
魔王慌(あわ)てて手(て)足(あし)を失(うしな)い、又(また)一隻(いっせき)の金銭花斑(きんせんかはん=銭(ぜに)の模様(もよう)の斑(ぶち))の大豹(たいひょう=大(おお)きな豹(ひょう))に変(へん)じ、餓虎(がこ)を傷(そこな)わんと要(よう)す。
行者(ぎょうじゃ)見(み)て、風(かぜ)に迎(むか)い、頭(あたま)を把(と)って一幌(ひとゆす)りし、又(また)一隻(いっせき)の金眼狻猊(きんがんさんげい=金(きん)の眼(め)の獅子(しし))に変(へん)じ、声(こえ)は霹靂(へきれき=雷(かみなり))の如(ごと)く、鉄額銅頭(てつがくどうとう=鉄(てつ)の額(ひたい)と銅(どう)の頭(あたま))、復(また)身(み)を転(てん)じて大豹(たいひょう)を食(く)らわんと要(よう)す。
牛王(ぎゅうおう)急(きゅう)に著(つ)き、又(また)一箇(ひとり)の人熊(じんゆう=人(ひと)の熊(くま))に変(へん)じ、脚(あし)を放(はな)ち開(ひら)き、就(すなわ)ち来(きた)りて那(か)の狻猊(さんげい)を擒(とら)えんとす。
行者(ぎょうじゃ)箇(ひとつ)の滚(ころ)びを打(う)ち、就(すなわ)ち一隻(いっせき)の頼象(らいぞう=大(おお)きな象(ぞう))に変(へん)じ、鼻(はな)は長蛇(ちょうだ=長(なが)い蛇(へび))の似(ごと)く、牙(きば)は竹筍(ちくじゅん=竹(たけ)の子(こ))の如(ごと)く、鼻(はな)を撒(ひら)き開(ひら)きて、那(か)の人熊(じんゆう)を卷(ま)かんと要(よう)す。
牛王(ぎゅうおう)嘻嘻(きき)と一笑(ひとわら)いし、原身(げんしん=本来(ほんらい)の姿(すがた))を現(あらわ)し、一隻(いっせき)の大白牛(だいはくぎゅう=大(おお)きな白(しろ)い牛(うし))と為(な)る。頭(あたま)は峻嶺(しゅんれい=険(けわ)しい峰(みね))の如(ごと)く、眼(め)は閃光(せんこう=閃(ひらめ)く光(ひかり))の若(ごと)く、両隻(ふたつ)の角(つの)は両座(ふたつ)の鉄塔(てっとう)に似(に)たり、牙(きば)は利刃(りじん=鋭(するど)い刃(やいば))を排(なら)ぶ。頭(あたま)より尾(お)に連(つら)なるまで、千余丈(せんよじょう)の長短(ちょうたん)有(あ)り、蹄(ひづめ)より背(せ)に至(いた)るまで、八百丈(はっぴゃくじょう)の高下(こうげ)有(あ)り。
行者(ぎょうじゃ)に向(むか)い高(たか)く叫(さけ)んで道(い)う、
「潑猢猻(はつこんそん)! 汝(なんじ)如今(いま)我(われ)を将(も)って奈何(いかん)せんとするか」と。
行者(ぎょうじゃ)也就(また)原身(げんしん)を現(あらわ)し、金箍棒(きんこぼう)を抽(ぬ)き出(いだ)し、腰(こし)を把(と)って一躬(ひとゆが)めし、声(こえ)を喝(かつ)して叫(さけ)ぶ、
「長(の)びよ!」と。
長(の)び得(え)て身(み)の高(たか)さ万丈(ばんじょう)、頭(あたま)は泰山(たいざん)の如(ごと)く、眼(め)は日月(じつげつ)の如(ごと)く、口(くち)は血池(けっち=血(ち)の池(いけ))に似(に)たり、牙(きば)は門扇(もんせん=扉(とびら))に似(に)たり、手(て)に一条(ひとすじ)の鉄棒(てつぼう)を執(と)り、頭(あたま)を着(つ)いて就(すなわ)ち打(う)つ。
那(か)の牛王(ぎゅうおう)は頭(あたま)を硬(かた)くし、角(つの)を将(も)って来(きた)りて触(ふ)る。這(こ)の一場(いちじょう)、真(まこと)に箇(こ)れ是(こ)れ嶺(みね)を撼(ゆる)がし山(やま)を揺(ゆる)がし、天(てん)を驚(おどろ)かし地(ち)を動(うご)かす!
詩(し)有(あ)りて証(しょう)と為(な)す、詩(し)に曰(いわ)く、
道(みち)一尺(いっしゃく)高(たか)ければ魔(ま)千丈(せんじょう)、
奇巧(きこう)の心猿(しんえん)力(ちから)を用(もち)いて降(くだ)す。
若(も)し火山(かざん)に烈焰(れつえん)無(な)からしめんと得(ほっ)せば、
必(かなら)ず宝扇(ほうせん)に清涼(せいりょう)有(あ)るを須(ま)つ。
黄婆(こうば=土(つち))志(こころざし)を矢(ちか)いて元老(げんろう)を扶(たす)け、
木母(もくぼ=猪八戒(ちょはっかい))情(なさけ)を留(とど)めて妖(よう)を掃蕩(そうとう)す。
五行(ごぎょう)を和睦(わぼく)して正果(しょうか)に帰(かえ)し、
魔(ま)を煉(ね)り垢(あか)を滌(あら)いて西方(せいほう)に上(のぼ)る。

他(かれ)両箇(ふたり)大(おお)いに神通(じんつう)を展(の)べ、半山(はんざん)の中(うち)に在(あ)りて賭闘(ととう)し、驚(おどろ)かし得(え)て那(か)の過往(かおう=通(とお)りかかる)虚空(こくう)一切(いっさい)の神衆(しんしゅ)と、金頭掲諦(きんとうかいだい)、六甲六丁(りっこうりくてい)、一十八位(じゅうはちい)の護教伽藍(ごきょうがらん)と、皆(みな)来(きた)りて魔王(まおう)を囲困(いこん=包囲(ほうい))す。
那(か)の魔王(まおう)公然(こうぜん)として懼(おそ)れず。汝(なんじ)看(み)よ、彼(かれ)の東(ひがし)に一頭(ひとつ)、西(にし)に一頭(ひとつ)、直挺挺(ちょくていてい=真(ま)っ直(す)ぐ)として光耀耀(こうようよう=光(ひか)り輝(かがや))く両隻(ふたつ)の鉄角(てっかく=鉄(てつ)の角(つの))、往(ゆ)き来(きた)りて抵触(ていしょく=突(つ)き当(あ))たるを。南(みなみ)に一撞(ひとつ)き、北(きた)に一撞(ひとつ)き、毛森森(もうしんしん=毛(け)むくじゃら)として筋暴暴(きんばくばく=筋(すじ)むきだし)の一条(ひとすじ)の硬尾(こうび=硬(かた)い尾(お))、左右(さゆう)に敲(たた)き揺(ゆ)る。
孫大聖(そんたいせい)面(めん)と向(むか)いて迎(むか)え、衆多(しゅうた)の神四面(しめん)より打(う)つ。牛王(ぎゅうおう)急(きゅう)となり、地(ち)に就(つ)いて一滚(ひところ)びし、本象(ほんぞう)に復(ふく)し、便(すなわ)ち芭蕉洞(ばしょうどう)に投(とう)じて去(ゆ)く。
行者(ぎょうじゃ)也(また)法象(ほうぞう=法(ほう)の姿(すがた))を収(おさ)め、衆多(しゅうた)の神と随(したが)って後(うしろ)より追襲(ついしゅう=追(お)い撃(う))つ。那(か)の魔王(まおう)洞(ほら)の裡(うち)に闖(つ)け入(い)り、門(もん)を閉(と)じて出(い)でず。概(すべて)の衆(しゅう)は一箇(ひとつ)の翠雲山(すいうんざん)を把(と)って囲(かこ)み得(え)て水(みず)も洩(も)らさぬ程(ほど)なり。

正(まさ)に都(みな)門(もん)に上(のぼ)りて攻(せ)め打(う)ち居(お)る処(ところ)、忽(たちま)ち八戒(はっかい)と土地(どち)・陰兵(おんぺい)の嚷嚷(じょうじょう=わいわい)として至(いた)るを聴(き)く。
行者(ぎょうじゃ)見(み)て問(と)うて曰(いわ)く、
「那(か)の摩雲洞(まうんどう)の事体(じたい=事(こと)の次第(しだい))如何(いかん)」と。
八戒(はっかい)笑(わら)って道(い)う、
「那(か)の老牛(ろうぎゅう)の娘子(じょうし=女房(にょうぼう))は我(われ)が一鈀(ひとは)に築(つ)き殺(ころ)され、衣(ころも)を剥(は)ぎ開(ひら)いて看(み)れば、原来(もと)是(こ)れ箇(ひとつ)の玉面狸精(ぎょくめんりせい=玉面(ぎょくめん)の狸(たぬき)の精(せい))なり。那(か)の一群(ひとむれ)の妖(よう)は、俱(ことごと)く是(こ)れ些(いささ)かの驢騾犢特(ろらとくとく=驢馬(ろば)・騾馬(らば)・子牛(こうし)・牡牛(おうし))、獾狐狢獐(かんこかくしょう=穴熊(あなぐま)・狐(きつね)・狢(むじな)・獐(のろ))、羊虎麋鹿(ようこびろく=羊(ひつじ)・虎(とら)・麋(おおしか)・鹿(しか))等(ら)の類(たぐい)にして、已(すで)に此(こ)れ尽(ことごと)く皆(みな)剿戮(そうりく=討(う)ち滅(ほろ)ぼ)し、又(また)他(かれ)が洞府(どうふ)の房廊(ぼうろう=部屋(へや)と廊下(ろうか))を将(も)って火(ひ)を放(はな)ちて焼(や)けり。土地(どち)の說(い)うには、他(かれ)還(ま)た一処(ひとところ)の家小(かしょう=家族(かぞく))有(あ)りて、此(こ)の山(やま)に住居(じゅうきょ)すと。故(ゆえ)に又(また)此(ここ)に来(きた)りて掃蕩(そうとう)するなり」と。
行者道(い)う、
「賢弟(けんでい)功(こう)有(あ)り、喜(よろこ)ぶ可(べ)し! 喜(よろこ)ぶ可(べ)し! 老孫(ろうそん)は空(むな)しく那(か)の老牛(ろうぎゅう)と変化(へんげ)を賭(と)いしも、未(いま)だ勝(か)つことを得(え)ず。他(かれ)無大不大(むだいふだい=この上(うえ)なく大(おお)き)き白牛(はくぎゅう)に変(へん)じ做(な)り、我(われ)法天象地(ほうてんぞうち=天(てん)に法(のっと)り地(ち)に象(かたど)る)の身量(しんりょう=体(たい)の大(おお)きさ)に変(へん)じ、正(まさ)に他(かれ)と抵触(ていしょく)の間(あいだ)に在(あ)りしに、幸(さいわい)に諸神(しょしん)の下降(げこう)を蒙(こうむ)り、多時(しばらく)囲困(いこん)せしが、他(かれ)却(かえ)って原身(げんしん)に復(ふく)し、洞(ほら)の中(うち)へ走(はし)り入(い)りて去(い)けり」と。
八戒道(い)う、
「那(あ)れは是(こ)れ芭蕉洞(ばしょうどう)ならずや」と。
行者道(い)う、
「正(まさ)に是(こ)れ!

正(まさ)に是(こ)れ! 羅刹女(らせつにょ)正(まさ)に此(こ)の間(かん)に在(あ)り」と。
八戒(はっかい)狠(きび)しく発(はっ)して道(い)う、
「既(すで)に是(こ)の般(ごと)しなれば、怎(いか)して打(う)ち進(い)らず、那(か)の厮(やつ)を剿除(そうじょ)し、他(かれ)に扇子(せんす)を問(と)い要(もと)めず、倒(かえ)って他(かれ)をして停留(ていりゅう=留(とど)ま)り智(ち)を長(ちょう)ぜしめ、両口児(ふたり)に情(じょう)を叙(の)べしむるや」と。
好(よ)き呆子(ほうし)、威風(いふう)を抖擻(しんぼう)し、鈀(は)を挙(あ)げて門(もん)を照(めが)けて一築(ひとつつ)きし、忽辣(こつらつ)たる一声(ひとこえ)、那(か)の石崖(せきがい=岩(いわ)の崖(がけ))を将(も)って門(もん)と連(つら)なりて築(つ)き倒(たお)して一辺(いっぺん)と為(な)す。
慌(あわ)て得(え)て那(か)の女童(じょどう=侍女(じじょ))忙(いそ)ぎ報(ほう)ず、
「爺爺(じいさま)! 何人(なんぴと)か前門(ぜんもん)を把(と)って都(みな)打(う)ち壊(こわ)したるを知(し)らず!」と。
牛王(ぎゅうおう)方(まさ)に跑(はし)り進(い)り、喘吁吁(ぜんくく=息(いき)を切(き)らし)として、正(まさ)に羅刹女(らせつにょ)に孫行者(そんぎょうじゃ)と扇子(せんす)を奪(うば)い賭闘(ととう)せし事(こと)を告(つ)げ居(お)る処(ところ)、報(ほう)を聞(き)いて心中(しんちゅう)大(おお)いに怒(いか)り、就(すなわ)ち口中(こうちゅう)より扇子(せんす)を吐(は)き出(いだ)し、羅刹女(らせつにょ)に遞(わた)す。
羅刹女(らせつにょ)扇(おうぎ)を手(て)に接(う)け在(あ)りて、満眼(まんがん)に涙(なみだ)を垂(た)れて道(い)う、
「大王(だいおう)! 這(こ)の扇子(せんす)を把(と)って那(か)の猢猻(こんそん)に送(おく)り与(あた)え、他(かれ)をして兵(へい)を退(しりぞ)けて去(ゆ)かしめよ」と。
牛王道(い)う、
「夫人(ふじん)や、物(もの)は小(ちい)さけれど恨(うら)みは則(すなわ)ち深(ふか)し。汝(なんじ)且(しばら)く坐(ざ)し在(あ)れ、我(われ)の再(ふたた)び他(かれ)と比並(ひへい)し去(ゆ)き来(きた)るを等(ま)て」と。
那(か)の魔(ま)披掛(ひかけ)を重(かさ)ねて整(ととの)え、又(また)両口(ふたふり)の宝剣(ほうけん)を選(えら)び、門(もん)を出(い)でて来(きた)る。正(まさ)に八戒(はっかい)の鈀(は)を将(も)って門(もん)を築(つ)くに遇(あ)い、老牛(ろうぎゅう)更(さら)に話(はなし)を打(う)たず、剣(けん)を掣(と)りて臉(つら)を劈(つんざ)いて便(すなわ)ち砍(き)る。
八戒(はっかい)鈀(は)を挙(あ)げて迎(むか)い、後(うしろ)へ幾歩(いくほ)か倒(さか)しまに退(しりぞ)き、門(もん)を出(い)でて来(きた)るに、早(はや)く大聖(たいせい)の棒(ぼう)を輪(ふる)いて当頭(とうとう=真(ま)っ向(こう))に在(あ)り。
那(か)の牛魔(ぎゅうま)即(すなわ)ち狂風(きょうふう)に駕(が)し、洞府(どうふ)を跳(と)び離(はな)れ、又(また)皆(みな)那(か)の翠雲山(すいうんざん)の上(うえ)に在(あ)りて相持(そうじ)す。衆多(しゅうた)の神四面(しめん)より囲繞(いにょう=取(と)り囲(かこ))み、土地(どち)の兵(へい)左右(さゆう)より攻撃(こうげき)す。這(こ)の一場(いちじょう)、又(また)好殺(こうさつ)なり:
雲(くも)は世界(せかい)を迷(まよ)わせ、
霧(きり)は乾坤(けんこん=天地(てんち))を罩(おお)う。
颯颯(さつさつ)たる陰風(いんぷう)に砂(すな)石(いし)滚(ころ)がり、
巍巍(ぎぎ)たる怒気(どき)に海波(かいは)渾(にご)る。
剣(けん)二口(ふたふり)を重(かさ)ねて磨(みが)き、
甲(よろい)全身(ぜんしん)に復(また)挂(か)く。
冤(えん)を結(むす)ぶこと海(うみ)より深(ふか)く、
恨(うら)みを懐(いだ)けば愈(いよい)よ嗔(しん=怒(いか)り)を生(しょう)ず。
汝(なんじ)看(み)よ、斉天大聖(せいてんたいせい)の功績(こうせき)の為(ため)に、
当年(とうねん)の老故人(ろうこじん=古(ふる)き友(とも))を講(こう=論(ろん))ぜざるを。
八戒(はっかい)威(い)を施(ほどこ)して扇子(せんす)を求(もと)め、
衆神(しゅうしん)法(ほう)を護(まも)りて牛君(ぎゅうくん)を捉(とら)う。
牛王(ぎゅうおう)の双手(もろて)停息(ていそく=休(やす)む)する無(な)く、
左(ひだり)に遮(さえぎ)り右(みぎ)に擋(ふせ)いで精神(せいしん)を弄(ろう)す。
只(た)だ殺(ころ)し得(え)て、那(か)の過(よぎ)る鳥(とり)も飛(と)び難(がた)く皆(みな)翅(つばさ)を斂(おさ)め、
游(およ)ぐ魚(うお)も躍(おど)らず尽(ことごと)く鱗(うろこ)を潜(ひそ)む。
鬼(おに)泣(な)き神(かみ)嚎(さけ)んで天地(てんち)暗(くら)く、
竜(りゅう)愁(うれ)え虎(とら)怕(おそ)れて日光(にっこう)昏(くら)し!

那(か)の牛王(ぎゅうおう)命(いのち)を拚(かえりみ)ず躯(み)を捐(す)て、五十余合(ごじゅうよごう)闘(たたか)い経(へ)て、抵敵(ていてき=抗(あらが))い住(とど)むるを得(え)ず、陣(じん)を敗(やぶ)り、北(きた)を望(のぞ)んで就(すなわ)ち走(はし)る。
早(はや)く五台山(ごだいさん)秘魔岩(ひまがん)の神通広大(じんつうこうだい)なる潑法金剛(はっぽうこんごう)有(あ)りて、阻(さえぎ)り住(とど)めて道(い)う、
「牛魔(ぎゅうま)、汝(なんじ)何処(いずこ)へ往(ゆ)く! 我等(われら)は乃(すなわ)ち釈迦牟尼仏祖(しゃかむにぶっそ)の差(つか)わして来(きた)らしめ、天羅地網(てんらちもう=天(てん)と地(ち)の網(あみ))を布(し)き列(つら)ね、此(ここ)に至(いた)りて汝(なんじ)を擒(とら)うるなり!」と。
正(まさ)に說(い)う間(あいだ)、後(うしろ)に随(したが)いて大聖(たいせい)、八戒(はっかい)、衆神(しゅうしん)の赶(お)い来(きた)る有(あ)り。
那(か)の魔王(まおう)慌(あわ)てて身(み)を転(てん)じ、南(みなみ)を望(のぞ)んで走(はし)る。又(また)峨眉山(がびざん)清涼洞(せいりょうどう)の法力無量(ほうりきむりょう)なる勝至金剛(しょうしこんごう)に撞(ぶつ)かり擋(さえぎ)り住(とど)められ、喝(かつ)して道(い)う、
「吾(われ)仏旨(ぶっし)を奉(ほう)じて此(ここ)に在(あ)り、正(まさ)に汝(なんじ)を拿(とら)え住(とど)めんと要(よう)す也(なり)!」と。
牛王(ぎゅうおう)心(こころ)慌(あわ)て脚(あし)軟(やわ)らぎ、急(いそ)ぎ身(み)を抽(ぬ)きて東(ひがし)に往(ゆ)かんとすれば、却(かえ)って須弥山(しゅみせん)摩耳崖(まじがい)の毘盧沙門(びるしゃもん)大力金剛(だいりきこんごう)に迎(むか)え住(とど)められ道(い)う、
「汝(なんじ)老牛(ろうぎゅう)何(いずこ)へ往(ゆ)く! 我(われ)如来(にょらい)の密令(みつれい)を蒙(こうむ)り、来(きた)りて汝(なんじ)を捕獲(ほかく)するを教(おし)えられたり!」と。
牛王(ぎゅうおう)又(また)悚然(しょうぜん=恐(おそ)れおのの)として退(しりぞ)き、西(にし)を望(のぞ)んで就(すなわ)ち走(はし)る。又(また)崑崙山(こんろんさん)金霞嶺(きんかれい)の不壊尊王(ふえそんおう)永住金剛(えいじゅうこんごう)に遇(あ)い、敵(あだ)し住(とど)めて喝(かつ)して道(い)う、
「這(こ)の厮(やつ)又(また)将(まさ)に安(いず)こへか走(はし)らんとす! 我(われ)西天大雷音寺(せいてんだいらいおんじ)の仏老(ぶつろう)の親言(しんげん=直(じか)の仰(おお)せ)を領(うけたまわ)り、此(ここ)に在(あ)りて把截(はさい=塞(ふさ)ぎ止(と))む。誰(たれ)か汝(なんじ)を放(はな)たんや!」と。
那(か)の老牛(ろうぎゅう)心(こころ)驚(おどろ)き胆(きも)戦(おのの)き、之(これ)を悔(く)いるに及(およ)ばず。那(か)の四面八方(しめんはっぽう)皆(みな)是(こ)れ仏兵(ぶっぺい)天将(てんしょう)なるを見(み)て、真(まこと)に箇(こ)れ羅網(らもう)高(たか)く張(は)られたるに似(に)て、命(いのち)を脱(のが)るること能(あた)わず。
正(まさ)に倉惶(そうこう=あわてふため)く際(きわ)に在(あ)りしに、又(また)行者(ぎょうじゃ)の衆(しゅう)を帥(ひき)いて赶(お)い来(きた)ると聞(き)き、他(かれ)就(すなわ)ち雲頭(うんとう)に駕(が)し、上(うえ)を望(のぞ)んで便(すなわ)ち走(はし)る。却(かえ)って好(よ)し、托塔李天王(たくとうりてんおう)並(なら)びに哪吒太子(なたたいし)有(あ)りて、魚肚薬叉(ぎょとやくしゃ)、巨霊神将(きょれいしんしょう)を領(ひき)い、空中(くうちゅう)に幔(とば)り住(とど)めて、叫(さけ)んで道(い)う、
「慢(ゆる)やかにせよ! 慢(ゆる)やかにせよ! 吾(われ)玉帝(ぎょくてい)の旨意(しい)を奉(ほう)じ、特に来(きた)りて此(ここ)に汝(なんじ)を剿除(そうじょ)するなり!」と。
牛王(ぎゅうおう)急(きゅう)となり、前(さき)に依(よ)りて身(み)を揺(ゆ)るがして一変(いっぺん)じ、還(また)一隻(いっせき)の大白牛(だいはくぎゅう)に変(へん)じ做(な)り、両隻(ふたつ)の鉄角(てっかく)を将(も)って天王(てんおう)を触(つ)かんとす。天王(てんおう)刀(かたな)を将(も)って来(きた)りて砍(き)る。
後(のち)に随(したが)いて孫行者(そんぎょうじゃ)又(また)到(いた)る。哪吒太子(なたたいし)声(こえ)を厳(いか)しく高(たか)く叫(さけ)んで道(い)う、
「大聖(たいせい)、衣甲(いこう=甲冑(かっちゅう))身(み)に在(あ)れば、礼(れい)を為(な)すこと能(あた)わず。

愚(ぐ)なる父子(おやこ)は昨日(きのう)仏如来(ほとけにょらい)に見(まみ)え、檄(げき=文書(ぶんしょ))を発(はっ)して玉帝(ぎょくてい)に奏聞(そうもん)せしに、唐僧(とうそう)の路(みち)火焰山(かえんざん)に阻(へだて)られ、孫大聖(そんたいせい)牛魔王(ぎゅうまおう)を伏(ふく)すること難(かた)しと。玉帝(ぎょくてい)旨(むね)を伝(つた)え、特に我(われ)が父王(ぶおう)を差(つか)わして衆(しゅう)を領(ひき)い助力(じょりょく)せしむ」と。
行者道(い)う、

「這(こ)の厮(やつ)神通(じんつう)小(ちい)さからず! 又(また)這(かく)の等(ごと)き身(み)の躯(からだ)に変(へん)じ做(な)る、却(かえ)って怎(いか)に奈何(いかん)せん」と。
太子(たいし)笑(わら)って道(い)う、
「大聖(たいせい)疑(うたが)うこと勿(なか)れ、汝(なんじ)我(われ)の他(かれ)を擒(とら)うるを看(み)よ」と。
這(こ)の太子即(すなわ)ち一声(ひとこえ)「変(へん)じよ!」と喝(かつ)し、三頭六臂(さんとうろっぴ)に変(へん)じ得(え)、身(み)を飛(と)ばして牛王(ぎゅうおう)が背(せ)の上(うえ)に跳(と)び在(あ)り、斬妖剣(ざんようけん)を将(も)って頸項(けいこう)の上(うえ)に向(む)かって一揮(ひとふる)いし、覚(おぼ)えずして箇(ひとつ)の牛頭(ぎゅうとう)を把(と)って斬(き)り下(おろ)す。
天王(てんおう)刀(かたな)を収(おさ)め、却(かえ)って才(わず)かに行者(ぎょうじゃ)と相(あい)見(まみ)ゆ。
那(か)の牛王(ぎゅうおう)の腔子(こうし=胴(どう))の裡(うち)より又(また)一箇(ひとつ)の頭(あたま)を潜(もぐ)り出(いだ)し、口(くち)より黒気(こくき)を吐(は)き、眼(め)より金光(きんこう)を放(はな)つ。哪吒(なた)に又(また)一剣(いっけん)砍(き)られ、頭(あたま)の落(お)つる処(ところ)、又(また)一箇(ひとつ)の頭(あたま)を潜(もぐ)り出(いだ)す。一連(つづ)け様(ざま)に十数剣(じゅうすうけん)砍(き)り、随(したが)いて十数箇(じゅうすうこ)の頭(あたま)を長(はえ)し出(いだ)す。
哪吒(なた)火輪児(かりんじ=火(ひ)の輪(わ))を取(と)り出(いだ)して那(か)の老牛(ろうぎゅう)の角(つの)の上(うえ)に挂(か)け、便(すなわ)ち真火(しんか)を吹(ふ)き、焰焰烘烘(えんえんこうこう=めらめらと燃(も)え盛(さか))り、牛王(ぎゅうおう)を焼(や)き得(え)て張狂(ちょうきょう=狂(くる)い哮吼(たけび))し、頭(あたま)を揺(ゆ)り尾(お)を擺(ふ)らしむ。才(わず)かに変化(へんげ)して身(み)を脱(のが)れんと要(よう)するに、又(また)托塔天王(たくとうてんおう)に照妖鏡(しょうようきょう)を将(も)って本象(ほんぞう)を照(て)らし住(とど)められ、騰那(とうな=身(み)のかわし)すること動(うご)かず、生(い)きる計(はかりごと)無(な)く、只(た)だ「我(われ)が命(いのち)を傷(そこな)うこと莫(なか)れ! 情(こころ)より願(ねが)いて仏家(ぶっけ)に帰順(きじゅん)せん也(なり)!」と叫(さけ)ぶのみ。
哪吒道(い)う、
「既(すで)に身命(しんめい)を惜(お)しむならば、快(はや)く扇子(せんす)を拿(だ)し出(いだ)せ!」と。
牛王道(い)う、
「扇子(せんす)は我(われ)が山妻(さんさい=妻(つま))の処(ところ)に在(あ)りて収(おさ)め在(あ)り」と。

哪吒(なた)說(い)うを聞(き)き、縛妖索(ばくようさく=妖(よう)を縛(しば)る縄(なわ))を将(も)って解(と)き下(おろ)し、他(かれ)が那(か)の頸項(けいこう)の上(うえ)に跨(またが)り、一把(ひとつか)みに鼻頭(びとう=鼻(はな)の先(さき))を拿(つか)み住(とど)め、索(なわ)を将(も)って鼻孔(びこう)の裡(うち)に穿(とお)し、手(て)を将(も)って牽(ひ)き来(きた)る。
孫行者(そんぎょうじゃ)却(かえ)って四大金剛(しだいこんごう)、六丁六甲(りくていりっこう)、護教伽藍(ごきょうがらん)、托塔天王(たくとうてんおう)、巨霊神将(きょれいしんしょう)並(なら)びに八戒(はっかい)、土地(どち)、陰兵(おんぺい)を会(え)し聚(あつ)め、白牛(はくぎゅう)を簇擁(ぞくよう=取(と)り囲(かこ))み、芭蕉洞(ばしょうどう)の口(くち)に回(かえ)り至(いた)る。
老牛(ろうぎゅう)叫(さけ)んで道(い)う、
「夫人(ふじん)、扇子(せんす)を将(も)ち出(いだ)せ、我(われ)が性命(いのち)を救(すく)え!」と。
羅刹(らせつ)叫(さけ)ぶを聴(き)き、急(いそ)ぎ釵環(さかん=簪(かんざし)と耳環(みみわ))を卸(おろ)し、色服(しょくふく=色(いろ)ある衣(ころも))を脱(ぬ)ぎ、青絲(せいし=黒(くろ)い髪(かみ))を挽(ま)いて道姑(どうこ=道(どう)を修(おさ)める女(おんな))の如(ごと)く、縞素(こうそ=白(しろ)い喪服(もふく))を穿(き)て比丘(びく=尼僧(にそう))に似(に)たり。双手(もろて)に那(あ)の柄(ひ)の丈二(じょうに)の長短(ちょうたん)有(あ)る芭蕉扇子(ばしょうせんす)を捧(ささ)げ、門(もん)を出(い)でて来(きた)る。又(また)金剛(こんごう)・衆聖(しゅうせい)と天王(てんおう)父子(おやこ)の有(あ)るを見(み)、慌(あわ)てて地下(ちか)に跪(ひざまず)き、頭(あたま)を磕(ぬか)ずきて礼拝(らいはい)し道(い)う、
「望(のぞ)むらくは菩薩(ぼさつ)我(われ)が夫妻(ふさい)の命(いのち)を饒(ゆる)し給(たま)え。願(ねが)わくは此(こ)の扇(おうぎ)を将(も)って孫叔叔(そんおじさま)に奉承(ほうしょう=捧(ささ)げ)げ、成功(せいこう)して去(ゆ)かしめんことを!」と。
行者(ぎょうじゃ)近(ちか)づきて扇(おうぎ)を接(う)け、大衆(だいしゅ)と共(とも)に祥雲(しょううん)に駕(が)し、径(ただ)ちに東路(とうろ)に回(かえ)る。

却(かえ)って說(い)う、那(か)の三蔵(さんぞう)と沙僧(さそう)は、一会(ひととき)立(た)ち、一会(ひととき)坐(ざ)し、行者(ぎょうじゃ)の久(ひさ)しく回(かえ)らざるを盼望(ぼうぼう=待(ま)ち望(のぞ))み、何等(なんたる)か憂慮(ゆうりょ)せし! 忽(たちま)ち祥雲(しょううん)の空(そら)に満(み)ち、瑞光(ずいこう)の地(ち)に満(み)ち、飄飄颻颻(ひょうひょうようよう=ひらひらと)として、衆神(しゅうしん)の行(ゆ)くを盖(おお)い近(ちか)づき来(きた)るを見(み)て、這(こ)の長老(ちょうろう)害怕(おそれ)て道(い)う、
「悟浄(ごじょう)! 那(か)の壁廂(かたわら)は是(こ)れ誰(たれ)の神兵(しんぺい)の来(きた)れるなる」と。
沙僧(さそう)認(みと)め得(え)て道(い)う、
「師父(しふ)や、那(あ)れは是(こ)れ四大金剛(しだいこんごう)、金頭掲諦(きんとうかいだい)、六甲六丁(りっこうりくてい)、護教伽藍(ごきょうがらん)と過往(かおう)の衆神(しゅうしん)なり。牛(うし)を牽(ひ)くは是(こ)れ哪吒三太子(なたさんたいし)、鏡(かがみ)を拿(と)るは是(こ)れ托塔李天王(たくとうりてんおう)、大師兄(だいしけい)は芭蕉扇(ばしょうせん)を執(と)り、二師兄(にしけい)並(なら)びに土地(どち)は後(うしろ)に随(したが)い、其(そ)の余(よ)は皆(みな)是(こ)れ護衛(ごえい)の神兵(しんぺい)なり」と。
三蔵(さんぞう)聽(き)き說(おわ)り、毗盧帽(びるぼう=毗盧(びる)の帽子(ぼうし))に換(か)え、袈裟(けさ)を穿(き)、悟浄(ごじょう)と衆聖(しゅうせい)を拝(はい)し迎(むか)え、称謝(しょうしゃ)して道(い)う、
「我(われ)が弟子(でし)何(なん)の徳能(とくのう=徳(とく)と能力(のうりょく))有(あ)りて、敢(あ)えて列位(れっい)の尊聖(そんせい)の凡(よ)に臨(のぞ)むを労(ろう)するや」と。
四大金剛(しだいこんごう)道(い)う、
「聖僧(せいそう)喜(よろこ)べ、十分(じゅうぶん)の功行(こうぎょう=修行(しゅぎょう)の功(こう))将(まさ)に完(まった)うせんとす! 吾等(われら)仏旨(ぶっし)を奉(ほう)じて差(つか)わされ来(きた)りて汝(なんじ)を助(たす)く。汝(なんじ)当(まさ)に力(ちから)を尽(つ)くして修持(しゅじ=修行(しゅぎょう)を保(たも))ち、須臾(しゅゆ=わずかの間(あいだ))も怠惰(たいだ)することを得(う)る勿(なか)れ」と。
三蔵(さんぞう)歯(は)を叩(か)み頭(あたま)を叩(ぬかず)き、身(み)を受(う)け命(めい)を受(う)く。

孫大聖(そんたいせい)扇子(せんす)を執(と)り、山(やま)の辺(ほとり)に行(ゆ)き近(ちか)づき、気(いき)の力(ちから)を尽(つ)くして一扇(ひとあお)ぎ揮(ふる)えば、那(か)の火焰山(かえんざん)平(たい)らかに焰(ほのお)を息(しず)め、寂寂(じゃくじゃく)として光(ひかり)を除(のぞ)く。行者(ぎょうじゃ)喜喜歡歓(ききかんかん=大喜(おおよろこ)び)し、又(また)一扇(ひとあお)ぎ搧(あお)ぐに、只(た)だ習習瀟瀟(しゅうしゅうしょうしょう=そよそよと)たる清風(せいふう)の微(かす)かに動(うご)くを聞(き)くのみ。第三扇(だいさんせん)、天(てん)に満(み)ちて雲(くも)漠漠(ばくばく)とし、細雨(さいう)の霏霏(ひひ=しとしと)と落(お)つ。
詩(し)有(あ)りて証(しょう)と為(な)す、詩(し)に曰(いわ)く、
火焰山(かえんざん)遥(はる)かに八百程(はっぴゃくてい)、
火光(かこう)大地(だいち)に声名(せいめい)有(あ)り。
火(ひ)は五漏(ごろう)を煎(せん=煎(い))じて丹(たん)熟(じゅく)し難(がた)く、
火(ひ)は三関(さんかん)を燎(や)いて道(みち)清(きよ)からず。
時(とき)に芭蕉(ばしょう)を借(か)りて雨露(うろ)を施(ほどこ)し、
幸(さいわい)に天将(てんしょう)の神功(しんこう)を助(たす)くるを蒙(こうむ)る。
牛(うし)を牽(ひ)きて仏(ほとけ)に帰(かえ)らせば顛劣(てんれつ=乱暴(らんぼう))を休(や)め、
水火(すいか)相(あい)聯(つら)なれば性(せい)自(おの)ずから平(たい)らかなり。

此(こ)の時(とき)三蔵(さんぞう)燥(そう=いらだち)を解(と)き煩(はん)を除(のぞ)き、心(こころ)清(きよ)く意(い)了(おわ)る。四衆(ししゅう)皈依(きえ)し、金剛(こんごう)に謝(しゃ)して、各(おのおの)宝山(ほうざん)に転(かえ)る。六丁六甲(りくていりっこう)は空(そら)に升(のぼ)りて保護(ほご)し、過往(かおう)の神祇(しんぎ)は四散(しさん)し、天王(てんおう)・太子(たいし)は牛(うし)を牽(ひ)きて径(ただ)ちに仏地(ぶっち)に帰(かえ)り回繳(かいきゃく=復命(ふくめい))す。
止(ただ)本山(ほんざん)の土地(どち)のみ、羅刹女(らせつにょ)を押(おさ)え、旁(かたわら)に在(あ)りて伺候(しこう=付(つ)き添(そ))う。
行者道(い)う、
「那(か)の羅刹(らせつ)や、汝(なんじ)路(みち)を走(はし)らず、還(ま)た此(ここ)に立(た)ち在(あ)りて甚(なん)を等(ま)つ」と。
羅刹(らせつ)跪(ひざまず)いて道(い)う、
「万(よろず)望(のぞ)むらくは大聖(たいせい)慈(じ)を垂(た)れ、扇子(せんす)を将(も)って我(われ)に還(かえ)し給(たま)え」と。
八戒(はっかい)喝(かつ)して道(い)う、
「潑賤人(はつせんじん=この賤(いや)しき女(おんな)め)、高低(こうてい=分別(ふんべつ))を知(し)らず! 汝(なんじ)が性命(いのち)を饒(ゆる)ししが就(すなわ)ち彀(た)れるに、還(ま)た甚(なん)の扇子(せんす)を討(もと)めんと要(よう)す。我等(われら)山(やま)を過(す)ぎて去(ゆ)きて、売(う)りて銭(ぜに)と為(な)し点心(てんしん=間食(かんしょく))を買(か)って喰(く)わざるや如何(いかん)。費(つい)やしし這(こ)の許多(あまた)の精神(せいしん)・力(ちから)を、又(また)肯(あ)えんで汝(なんじ)に与(あた)えんや! 雨(あめ)蒙蒙(もうもう)たるに、還(ま)た回(かえ)らざるや」と。
羅刹(らせつ)再(ふたた)び拝(はい)して道(い)う、
「大聖(たいせい)原(もと)扇(おうぎ)を以(もっ)て火(ひ)を扇(あお)ぎ息(き)えて我(われ)に還(かえ)すと說(い)えり。

今(いま)此(こ)の一場(いちじょう)、誠(まこと)に之(これ)を悔(く)いること晩(おそ)し。只(た)だ不倜儻(ふてきとう=思(おも)い切(き)りが悪(わる))きに因(よ)りて、労師動衆(ろうしどうしゅう=大勢(おおぜい)を煩(わずら)わす)を致(いた)せり。我等(われら)も亦(また)人道(じんどう=人(ひと)の道(みち))に修(しゅ)し成(な)れり、只(た)だ未(いま)だ正果(しょうか)に帰(かえ)らざるのみ。見今(いま)真身(しんしん)現象(げんしょう)して西(にし)に帰(かえ)り、我(われ)再(ふたた)び敢(あ)えて妄(みだ)りに作(な)さじ。

願(ねが)わくは本扇(ほんせん)を賜(たま)わり、従(したが)って自(みずか)ら新(あらた)に立(た)ち、身(み)を修(おさ)め命(いのち)を養(やしな)いて去(ゆ)かんことを」と。
土地道(い)う、
「大聖(たいせい)! 此(こ)の女(おんな)の深(ふか)く火(ひ)を息(き)える法(ほう)を知(し)るに趁(じゅん)じ、火根(かこん=火(ひ)の根源(こんげん))を断(た)ち絶(た)ち、他(かれ)に扇子(せんす)を還(かえ)し給(たま)え。小神(しょうしん)此(ここ)に居(きょ)して苟(かりそめ)にも安(やす)んじ、這(こ)の方(ほう)の生民(せいみん=民(たみ))を拯救(すく)い、些(いささ)かの血食(けっしょく=供物(くもつ))を求(もと)めんことは、誠(まこと)に恩便(おんべん=恩恵(おんけい))と為(な)さん」と。
行者道(い)う、
「我(われ)当時(そのとき)郷人(きょうじん=土地(とち)の者(もの))に問(と)えるに、這(こ)の山(やま)は火(ひ)を扇(あお)ぎ息(き)えて、只(た)だ一年(いちねん)の五穀(ごこく)を収(おさ)むるを得(う)るのみ、便(すなわ)ち又(また)火(ひ)発(はっ)すと! 如何(いか)にして治(おさ)めて根(ね)を除(のぞ)くを得(え)ん」と。
羅刹道(い)う、
「若(も)し是(こ)れ火根(かこん)を断(た)ち絶(た)たんと要(ほっ)せば、只(た)だ連(つづ)けて四十九扇(しじゅうきゅうせん)扇(あお)ぐを消(しょう=要(よう))するのみ、永遠(えいえん)に再(ふたた)び発(はっ)せず」と。
行者(ぎょうじゃ)言(げん)を聞(き)き、扇子(せんす)を執(と)り、筋力(きんりょく=力(ちから))を使(つ)い尽(つ)くす。山(やま)の頭(いただき)を望(のぞ)んで連(つづ)けて四十九扇(しじゅうきゅうせん)扇(あお)げば、那(か)の山(やま)の上(うえ)大雨(たいう)淙淙(そうそう=ざあざあ)たり。果然(はた)して是(こ)れ宝貝(ほうばい)なり:火(ひ)の有(あ)る処(ところ)には雨(あめ)降(ふ)り、火(ひ)の無(な)き処(ところ)は天(てん)晴(は)る。
他(かれ)が師徒(しと)達(たち)は這(こ)の火(ひ)の無(な)き処(ところ)に立(た)ち在(あ)りて、雨(あめ)に湿(しめ)るに遭(あ)わず。一夜(いちや)坐(ざ)し、次(つぎ)の早(あさ)に才(わず)かに馬匹(ばひつ=馬(うま))・行李(こうり=荷物(にもつ))を收拾(しゅうしゅう=取(と)り纏(まと))め、扇子(せんす)を把(と)って羅刹(らせつ)に還(かえ)し、又(また)道(い)う、
「老孫(ろうそん)若(も)し汝(なんじ)に与(あた)えずんば、人(ひと)の我(われ)を言(げん)にして信(しん)無(な)しと說(い)わんことを恐(おそ)る。汝(なんじ)扇子(せんす)を将(も)って山(やま)に回(かえ)り、再(ふたた)び事(こと)を生(しょう)ずること休(や)めよ。汝(なんじ)の人身(じんしん)を得(え)たるを看(み)て、汝(なんじ)を饒(ゆる)して去(ゆ)かしむるなり!」と。
那(か)の羅刹(らせつ)扇子(せんす)を接(う)け、箇(ひとつ)の咒語(じゅご)を念(ねん)じ、捏(ひね)りて箇(ひとつ)の杏葉児(きょうようじ=杏(あんず)の葉(は))と做(な)し、口(くち)の裡(うち)に噙(ふく)み、衆聖(しゅうせい)に拝謝(はいしゃ)し、姓(せい)を隠(かく)して修行(しゅぎょう)し、後来(のち)也(また)正果(しょうか)を得(え)、経蔵(きょうぞう)の裡(うち)に万古(ばんこ)に名(な)を流(なが)す。
羅刹(らせつ)、土地(どち)俱(とも)に感激(かんげき)して恩(おん)を謝(しゃ)し、随(したが)って後(うしろ)より相送(あいおく)る。
行者(ぎょうじゃ)、八戒(はっかい)、沙僧(さそう)は、三蔵(さんぞう)を保(たも)って遂(つい)に此(ここ)に前進(ぜんしん)す。真(まこと)に箇(こ)れ是(こ)れ身体(しんたい)清涼(せいりょう)にして、足下(そっか)滋潤(じじゅん=潤(うるお))えり。
誠(まこと)に所謂(いわゆる)、

坎離既済(かんりきせい)して真元(しんげん)合(がっ)し、
水火均平(すいかきんぺい)にして大道(だいどう)成(な)る。

畢竟(つい)に幾年(いくとせ)にして才(わず)かに東土(とうど)に回(かえ)るかは、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聽(き)け。