却(かえ)って說(い)う、祭賽国(さいさいこく)の国王(こくおう)と大小(だいしょう)の公卿(こうけい)は、孫大聖(そんたいせい)と八戒(はっかい)の雲(くも)に駕(が)し霧(きり)に乗(の)り、二箇(ふたり)の小妖(しょうよう)を提(さ)げ、飄然(ひょうぜん=ひらりと)として去(ゆ)くを見(み)、一箇箇(めいめい)天(てん)に向(む)かって礼拝(らいはい)して道(い)う、
「話(はなし)虚(うそ)を伝(つた)えず! 今日(こんにち)方(はじ)めて此(こ)の輩(やから)の神仙(しんせん)・活仏(かつぶつ)有(あ)るを知(し)れり!」と。
又(また)他(かれ)の遠(とお)く去(ゆ)きて踪(あと)無(な)きを見(み)、却(かえ)って三蔵(さんぞう)、沙僧(さそう)に拝謝(はいしゃ)して道(い)う、
「寡人(かじん)肉眼凡胎(にくがんぼんたい=並(なみ)の眼(め)と身(み))、只(た)だ高徒(こうと)の力量(りきりょう)有(あ)りて、妖賊(ようぞく)を拿(とら)え住(とど)むるのみと知(し)りしに、豈(あ)に知(し)らんや、乃(すなわ)ち雲(くも)に騰(のぼ)り霧(きり)に駕(が)するの上仙(じょうせん)ならんとは」と。
三蔵道(い)う、
「貧僧(ひんそう)些(いささか)の法力(ほうりき)無(な)く、一路(いちろ)上(じょう)多(おお)くは這(こ)の三箇(みたり)の小徒(しょうと)に頼(よ)る」と。
沙僧道(い)う、
「陛下(へいか)に説(つ)げて瞞(あざむ)かず、我(われ)が大師兄(だいしけい)は乃(すなわ)ち斉天大聖(せいてんたいせい)の皈依(きえ)せしなり。
他(かれ)曾(かつ)て天宮(てんぐう)を大(おお)いに鬧(さわ)がし、一条(ひとすじ)の金箍棒(きんこぼう)を使(つか)いて、十万(じゅうまん)の天兵(てんぺい)も、一箇(ひとり)の対手(あいて)無(な)く、只(た)だ太上老君(たいじょうろうくん)をして害怕(おそ)れしめ、玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)をして心(こころ)驚(おどろ)かしめたり。
我(われ)が二師兄(にしけい)は乃(すなわ)ち天蓬元帥(てんぽうげんすい)の果正(かしょう=正果(しょうか)を得(え))せしなり。他(かれ)也(また)曾(かつ)て天河(てんが=天(あま)の川(かわ))の八万(はちまん)の水兵(すいへい)大衆(だいしゅう)を掌管(しょうかん=取(と)り仕切(しき))れり。
惟(ただ)我(われ)が弟子(でし)のみ法力(ほうりき)無(な)く、乃(すなわ)ち巻簾大将(けんれんたいしょう)の戒(かい)を受(う)けしなり。
愚(ぐ)なる弟兄(ていけい)若干(そこばく)の別事(べつじ=他(ほか)の事(こと))には無能(むのう)なれど、若(も)し妖(よう)を擒(とら)え怪(かい)を縛(しば)り、賊(ぞく)を拿(とら)え亡(ぼう=逃亡者(とうぼうしゃ))を捕(とら)え、虎(とら)を伏(ふく)し竜(りゅう)を降(くだ)し、天(てん)を踢(け)り井(いど)を弄(もてあそ)び、以(もっ)て海(うみ)を攪(か)き江(かわ)を翻(ひるがえ)すの類(たぐい)を說(い)わば、略(ほぼ)一二(いちに)を通(つう)ず。
這(こ)の雲(くも)に騰(のぼ)り霧(きり)に駕(が)し、雨(あめ)を喚(よ)び風(かぜ)を呼(よ)び、那(か)の斗(ます)を換(か)え星(ほし)を移(うつ)し、山(やま)を担(にな)い月(つき)を赶(お)うが与(ごと)きは、特(とく)に余事(よじ=おまけ)のみ、何(なん)ぞ道(い)うに足(た)らんや!」と。
国王(こくおう)說(い)うを聞(き)き、愈(いよい)よ十分(じゅうぶん)に敬(けい)を加(くわ)え、唐僧(とうそう)を請(しょう)じて上座(じょうざ)に坐(ざ)し、口(くち)に口(くち)に称(とな)えて老仏(ろうぶつ)と為(な)し、沙僧(さそう)等(ら)を将(も)って皆(みな)菩薩(ぼさつ)と称(とな)う。満朝(まんちょう)の文武(ぶんぶ)欣然(きんぜん)として、一国(いっこく)の黎民(れいみん=民(たみ))頂礼(ちょうらい)することは題(あげつら)わず。
却(かえ)って說(い)う、孫大聖(そんたいせい)と八戒(はっかい)は狂風(きょうふう)に駕(が)し、二箇(ふたり)の小妖(しょうよう)を把(と)って乱石山(らんせきざん)碧波潭(へきはたん)に摂(つれ)し到(いた)り、雲頭(うんとう)を住(とど)め定(さだ)め、金箍棒(きんこぼう)を将(も)って一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吹(ふ)き、叫(さけ)んで「変(へん)じよ!」と。
一把(ひとふり)の戒刀(かいとう=戒(かい)の刀(かたな))に変(へん)じ、一箇(ひとり)の黒魚怪(こくぎょかい)の耳(みみ)を割(き)り、鮎魚精(ねんぎょせい)の下唇(したくちびる)を割(き)り、水(みず)の裡(うち)に撇(す)て、喝(かつ)して道(い)う、
「快(はや)く早(はや)く那(か)の万聖龍王(ばんせいりゅうおう)の許(もと)に去(ゆ)きて報(ほう)じ知(し)らせよ、說(い)え、我(われ)斉天大聖(せいてんたいせい)孫爺爺(そんじいさま)此(ここ)に在(あ)りと。他(かれ)をして即(すなわ)ち祭賽国(さいさいこく)金光寺(きんこうじ)の塔(とう)の上前(うえ)の宝貝(ほうばい)を送(おく)り出(いだ)さしめ、他(かれ)が一家(いっか)の性命(いのち)を免(まぬか)れしめよ! 若(も)し迸(こぼ)すに半箇(はんこ)の不字(ふじ=否(いな)の字(じ))もあらば、我(われ)は這(こ)の潭(ふち)の水(みず)を将(も)って攪(か)き浄(きよ)め、他(かれ)が一門(いちもん)の老幼(ろうよう=老(お)いも若(わか)きも)をして誅(ちゅう=誅戮(ちゅうりく))に遭(あ)わしめん!」と。
那(か)の二箇(ふたり)の小妖(しょうよう)、命(いのち)を得(え)、痛(いたみ)を負(お)うて生(いき)を逃(のが)れ、鎖索(ささく=鎖(くさり)と縄(なわ))を拖(ひ)き、水(みず)の内(うち)に淬(ひ)たり入(い)る。
唬(おどろ)かし得(え)て那(か)の些(これら)の黿鼉(げんだ=大(おお)きな鼈(すっぽん)と鰐(わに))、亀鱉(きべつ=亀(かめ)と鼈(すっぽん))、蝦蟹(かかい=蝦(えび)と蟹(かに))、魚精(ぎょせい)をして、都(みな)来(きた)りて囲(かこ)み住(とど)めて問(と)うて道(い)わしむ、
「汝(なんじ)二箇(ふたり)何(なん)の為(ため)に縄(なわ)を拖(ひ)き索(くさり)を帯(お)びる」と。
一箇(ひとり)は耳(みみ)を掩(おお)い、頭(あたま)を揺(ゆ)り尾(お)を擺(ふ)り、一箇(ひとり)は嘴(くち)を捂(おお)い、脚(あし)を跌(ふ)み胸(むね)を捶(う)つ。都(みな)嚷嚷鬧鬧(じょうじょうどうどう=わいわいがやがや)と、径(ただ)ちに龍王(りゅうおう)の宮殿(きゅうでん)に上(のぼ)りて報(ほう)じて、
「大王(だいおう)、禍事(かじ=災(わざわい))なるかな!」と。
那(か)の万聖龍王(ばんせいりゅうおう)正(まさ)に九頭駙馬(きゅうとうふば)と飲酒(いんしゅ)し居(お)りしが、忽(たちま)ち他(かれ)二箇(ふたり)の来(きた)るを見(み)、即(すなわ)ち杯(さかずき)を停(とど)めて何(なん)の禍事(かじ)なるを問(と)う。
那(か)の二箇(ふたり)即(すなわ)ち告(もう)して道(い)う、
「昨夜(さくや)巡攔(じゅんらん)し居(お)りしに、唐僧(とうそう)・孫行者(そんぎょうじゃ)に塔(とう)を掃(は)かるるに捉獲(そくかく)され、鉄索(てっさく)を以(もっ)って拴(つな)ぎ鎖(さ)されたり。今朝(けさ)国王(こくおう)に見(まみ)えしに、又(また)那(か)の行者(ぎょうじゃ)と猪八戒(ちょはっかい)に我(われ)二箇(ふたり)を抓(つか)まれ、一箇(ひとり)は耳(みみ)を割(き)られ、一箇(ひとり)は唇(くちびる)を割(き)られ、水(みず)の中(うち)に抛(ほう)られ、我(われ)をして来(きた)りて報(ほう)ぜしめ、那(か)の塔頂(とうちょう)の宝貝(ほうばい)を索(もと)めんと要(よう)す」と。
遂(つい)に前後(ぜんご)の事(こと)を将(も)って、細(こま)かに一遍(ひととおり)說(い)う。
那(か)の老竜(ろうりゅう)は是(こ)れ孫行者(そんぎょうじゃ)斉天大聖(せいてんたいせい)と聽(き)き說(おわ)り、魂(たましい)の体(からだ)に附(つ)かず、魄(たましい)九霄(きゅうしょう=天(てん)の高(たか)き処(ところ))に散(さん)ずるまで唬(おどろ)き、戦兢兢(せんせんきょうきょう)として駙馬(ふば)に向(むか)って道(い)う、
「賢婿(けんせい=賢(かしこ)き婿(むこ))や、別箇(ほか)の者(もの)の来(きた)るならば還(ま)た好(よ)く計較(けいこう=工面(くめん))すれど、若(も)し果(はた)して是(こ)れ他(かれ)ならば、却(かえ)って善(よ)からざるなり!」と。
駙馬(ふば)笑(わら)って道(い)う、
「太岳(たいがく=妻(つま)の父(ちち))心(こころ)を放(はな)て。愚婿(ぐせい=拙(つたな)き婿(むこ))自(みずか)ら幼(おさな)きより些(いささか)の武芸(ぶげい)を学(まな)び、四海(しかい=天下(てんか))の内(うち)に、也(また)曾(かつ)て幾箇(いくたり)かの豪傑(ごうけつ)に会(あ)えり。他(かれ)を怕(おそ)れて甚(なん)をか做(な)さん! 我(われ)の出(い)で去(ゆ)きて他(かれ)と三合(さんごう)交戦(こうせん)するを等(ま)て、管(きっと)那(か)の厮(やつ)をして首(こうべ)を縮(ちぢ)めて帰降(きこう)し、敢(あ)えて仰(あお)ぎ視(み)ざらしめん」と。
好(よ)き妖怪(ようかい)、急(いそ)ぎ身(み)を縦(はな)ち披掛(ひかけ)し、一般(ひとふり)の兵器(へいき)を使(つか)う、月牙鏟(げつがさん=三日月(みかづき)形(がた)の鏟(さび))と喚(よ)ばる。歩(あゆ)みて宮(きゅう)を出(い)で、水道(すいどう=水(みず)の路(みち))を分(わ)け開(ひら)き、水(みず)の面(おもて)の上(うえ)に在(あ)りて叫(さけ)んで道(い)う、
「是(こ)れ甚(なん)の斉天大聖(せいてんたいせい)なる! 快(はや)く上(のぼ)り来(きた)りて命(いのち)を納(おさ)めよ!」と。
行者(ぎょうじゃ)と八戒(はっかい)岸辺(きしべ)に立(た)ちて、那(か)の妖精(ようせい)の怎(いか)に生(しょう)ずる打扮(だはん=身(み)なり)なるを観(み)る:
一頂(ひとつ)の爛銀盔(らんぎんかい=光(ひか)る銀(ぎん)の兜(かぶと))を戴(いただ)き、光(ひかり)白雪(はくせつ)を欺(あざむ)く、
一副(ひとそろ)いの兜鍪甲(とうむこう=兜(かぶと)と鎧(よろい))を貫(つらぬ)き、亮(ひかり)秋霜(しゅうそう)に敵(てき)す。
上(うえ)には錦征袍(きんせいほう=錦(にしき)の戦袍(せんぽう))を罩(おお)い、真(まこと)に箇(こ)れ是(こ)れ彩雲(さいうん)の玉(たま)を籠(こ)めるが如(ごと)く、
腰(こし)には犀紋帯(さいもんたい=犀(さい)の模様(もよう)の帯(おび))を束(たば)ね、果然(はた)して花蟒(かもう=花(はな)の蟒(うわばみ))の金(きん)を纏(まと)うに象(に)たり。
手(て)には月牙鏟(げつがさん)を執(と)り、霞(かすみ)飛(と)び電(いなずま)掣(ひ)き、
脚(あし)には猪皮靴(ちょひが=豚(ぶた)の皮(かわ)の靴(くつ))を穿(き)、水(みず)を利(するど)くし波(なみ)を分(わ)かつ。
遠(とお)く看(み)る時(とき)は一頭一面(いっとういちめん=一(ひと)つの頭(あたま)と一(ひと)つの顔(かお))、
近(ちか)く睹(み)る処(ところ)は四面(しめん)皆(みな)人(ひと)なり。
前(まえ)に眼(め)有(あ)り、後(うしろ)に眼(め)有(あ)り、八方(はっぽう)通(とお)じて見(み)ゆ、
左(ひだり)也(も)口(くち)、右(みぎ)也(も)口(くち)、九口(きゅうこう)言論(げんろん)す。
一声(ひとこえ)吆喝(ようかつ=叫(さけ)び)して長空(ちょうくう)振(ふる)い、
鶴(つる)の飛(と)び鳴(な)きて九宸(きゅうしん=九(ここの)つの天(てん))を貫(つらぬ)くに似(に)たり。
他(かれ)人(ひと)の対答(たいとう)する無(な)きを見(み)、又(また)一声(ひとこえ)叫(さけ)ぶ、
「那(いず)れか是(こ)れ斉天大聖(せいてんたいせい)なる」と。
行者(ぎょうじゃ)金箍(きんこ=金(きん)の箍(たが))を一按(ひとおさ)えし、鉄棒(てつぼう)を一理(ひとととの)えして道(い)う、
「老孫(ろうそん)便(すなわ)ち是(こ)れなり」と。
那(か)の怪道(い)う、
「汝(なんじ)家居(かきょ=家(いえ))何処(いずこ)に在(あ)り、身(み)何方(いずこ)より出(い)づ。怎(いか)して祭賽国(さいさいこく)に到(いた)り得(え)て、那(か)の国王(こくおう)と塔(とう)を守(まも)り、却(かえ)って大胆(だいたん)にも我(われ)が頭目(とうもく=手下(てした))を獲(え)、又(また)敢(あ)えて凶(きょう)を行(おこな)い、吾(わ)が宝山(ほうざん=貴(とうと)ぶべき山(やま))に上(のぼ)りて戦(たたかい)を索(もと)めるや」と。
行者(ぎょうじゃ)罵(ののし)って道(い)う、
「汝(なんじ)が這(こ)の賊怪(ぞくかい)、原来(もと)汝(なんじ)が孫爺爺(そんじいさま)を識(し)らざるなり! 汝(なんじ)上前(すす)み出(い)でよ、我(われ)が道(い)うを聽(き)け:
老孫(ろうそん)が祖(そ)は花果山(かかざん)に住(す)み、
大海(たいかい)の間(あいだ)水簾洞(すいれんどう)なり。
自(みずか)ら幼(おさな)きより修(おさ)めて不壊身(ふえしん=壊(やぶ)れざる身(み))と成(な)り、
玉皇(ぎょくこう)我(われ)を斉天聖(せいてんせい)に封(ほう)ず。
只(た)だ斗牛宮(とぎゅうきゅう=天宮(てんぐう))を大(おお)いに鬧(さわ)がししに因(よ)りて、
天上(てんじょう)の諸神(しょしん)勝(か)ちを取(と)り難(がた)し。
当(まさ)に如来(にょらい)を請(しょう)じて妙高(みょうこう=妙(たえ)なる高(たか)き法(ほう))を展(の)べしめ、
無辺(むへん)の智慧(ちえ)凡(およ)の用(よう)に非(あら)ず。
筋斗(きんと)を翻(ひるがえ)して神通(じんつう)を賭(と)いしが為(ため)に、
手(て)化(か)して山(やま)と為(な)りて我(われ)を圧(おさ)うること重(おも)し。
今(いま)に整(いた)るまで五百年(ごひゃくねん)、
観者(かんじゃ=観音(かんのん))の勧(すす)め解(と)くに方(はじ)めて命(いのち)を逃(のが)る。
大唐(だいとう)の三蔵(さんぞう)西天(せいてん)に上(のぼ)り、
遠(とお)く霊山(りょうざん)に拝(はい)して仏頌(ぶつじゅ=仏(ほとけ)の偈(げ))を求(もと)む。
吾(わ)が身(み)を解脱(げだつ)して他(かれ)を保護(ほご)し、
魔(ま)を煉(ね)り怪(かい)を浄(きよ)めて修行(しゅぎょう)に従(したが)う。
路(みち)西域(せいいき)祭賽城(さいさいじょう)に逢(あ)う。
僧人(そうにん)を屈害(くつがい=無実(むじつ)の害(がい))して三代(さんだい)の命(いのち)を失(うしな)う。
我等(われら)慈悲(じひ)旧情(きゅうじょう=古(ふる)き誼(よしみ))を問(と)い、
乃(すなわ)ち塔(とう)の上前(うえ)に光(ひかり)の映(うつ)る無(な)きに因(よ)る。
吾(わ)が師(し)塔(とう)を掃(は)いて分明(ぶんめい)を探(さぐ)り、
夜(よる)三更(さんこう)に至(いた)りて天籟(てんらい=自然(しぜん)の音(おと))静(しず)かなり。
魚精(ぎょせい)を捉(とら)えて実供(じっきょう=真実(しんじつ)の供述(きょうじゅつ))を取(と)り、
他(かれ)言(い)う、汝等(なんじら)宝珍(ほうちん=宝(たから))を偷(ぬす)めりと。
合盤(ごうばん)して盗(とう)と為(な)るに龍王(りゅうおう)有(あ)り、
公主(こうしゅ)連名(れんめい=名(な)を連(つら)ぬ)して万聖(ばんせい)と称(とな)う。
血雨(けつう)澆(そそ)ぎ淋(ふ)りて塔(とう)の上前(うえ)の光(ひかり)を、
他(かれ)が宝貝(ほうばい)を将(も)って偷(ぬす)み来(きた)りて用(もち)う。
殿前(でんぜん)の供状(きょうじょう)更(さら)に虚(うそ)無(な)く、
我(われ)君言(くんげん=王(おう)の言葉(ことば))を奉(ほう)じて此(こ)の境(さかい)に馳(は)せるなり。
此(こ)れを以(もっ)て相(あい)尋(たず)ねて戦争(せんそう=戦(たたか)い)を索(もと)め、
再(ふたた)び孫爺(そんや)の姓(せい)を問(と)うを須(ま)たず。
快(はや)く宝貝(ほうばい)を将(も)って他(かれ)に献(けん)じ還(かえ)し、
汝(なんじ)が老少(ろうしょう=老(お)いも少(わか)きも)全家(ぜんか)の命(いのち)を免(まぬか)れしめよ。
敢(あ)えて若(も)し無知(むち)にして勝(すぐ)れたる強(つよ)きを騁(は)せば、
汝(なんじ)をして水(みず)涸(か)れ山(やま)頽(くず)れて都(みな)蹭蹬(そうとう=行(ゆ)き詰(づま))らしめん!」と。
那(か)の駙馬(ふば)言(げん)を聞(き)き、微微(びび)と冷笑(れいしょう)して道(い)う、
「汝(なんじ)は原来(もと)是(こ)れ経(きょう)を取(と)るの和尚(おしょう)なるに、没要緊(なんのかかわり)に事(こと)を羅織(らしょく=引(ひ)き起(おこ))す。我(われ)は他(かれ)の宝貝(ほうばい)を偷(ぬす)み、汝(なんじ)は仏(ほとけ)の経文(きょうもん)を取(と)る、汝(なんじ)と何(なん)の干(かかわ)り有(あ)りて、却(かえ)って来(きた)りて厮闘(しとう=殺(ころ)し合(あ))うや」と。
行者道(い)う、
「這(こ)の賊怪(ぞくかい)甚(はなは)だ理(り)に達(たっ)せず! 我(われ)は国王(こくおう)の恩恵(おんけい)を受(う)けず、他(かれ)の水米(すいべい=水(みず)と米(こめ))を食(くら)わざれば、該(まさ)に他(かれ)と力(ちから)を出(いだ)すべからずと雖(いえど)も、但(た)だ是(こ)れ汝(なんじ)は他(かれ)の宝貝(ほうばい)を偷(ぬす)み、他(かれ)の宝塔(ほうとう)を汚(けが)し、年(とし)を屡(しばしば)重(かさ)ねて金光寺(きんこうじ)の僧人(そうにん)を屈苦(くっく)す。他(かれ)は是(こ)れ我(われ)が一門同気(いちもんどうき=同(おな)じ門(もん)の気(き)を同(おな)じうする者(もの))なり、我(われ)怎(なん)で他(かれ)と力(ちから)を出(いだ)さず、冤枉(えんおう=無実(むじつ))を辨(わきま)え明(あき)らかにせざるを得(え)んや」と。
駙馬道(い)う、
「汝(なんじ)既(すで)に此(か)くの如(ごと)しならば、想(おも)うに是(こ)れ賭賽(とさい=勝負(しょうぶ))を行(おこな)わんと要(よう)するならん。常言(じょうげん)に道(い)う、武(たたかい)は善(よ)く作(な)さずと。但(た)だ只(た)だ怕(おそ)るるは、手(て)を起(おこ)す処(ところ)に於(お)いて、情(なさけ)を留(とど)むるを得(え)ず、一時間(ひととき)に汝(なんじ)が性命(いのち)を傷(そこな)い、汝(なんじ)の去(ゆ)きて経(きょう)を取(と)るを誤(あやま)らんことを!」と。
行者大(おお)いに怒(いか)り、罵(ののし)って道(い)う、
「這(こ)の潑賊怪(はつぞくかい)、甚(なん)の強能(きょうのう)有(あ)りて、敢(あ)えて大口(おおぐち)を開(ひら)くや! 走(はし)り上(のぼ)り来(きた)れ、老爺(ろうや)が一棒(いっぽう)を喰(くら)え!」と。
那(か)の駙馬(ふば)更(さら)に心(こころ)慌(あわ)てず、月牙鏟(げつがさん)を把(と)って鉄棒(てつぼう)を架(か)し、就(すなわ)ち那(か)の乱石山(らんせきざん)の頭(いただき)に在(あ)りて、這(こ)の一場(いちじょう)真(まこと)に箇(こ)れ好殺(こうさつ):
妖魔(ようま)宝塔(ほうとう)の光(ひかり)無(な)きを盗(ぬす)み、
行者(ぎょうじゃ)妖(よう)を擒(とら)えて国王(こくおう)に報(ほう)ず。
小怪(しょうかい)生(いき)を逃(のが)れて水内(すいない)に回(かえ)り、
老竜(ろうりゅう)胆(きも)を破(やぶ)りて各(おのおの)商量(しょうりょう)す。
九頭駙馬(きゅうとうふば)威武(いぶ)を施(ほどこ)し、
披掛(ひかけ)して前(すす)み来(きた)りて素強(そきょう=日頃(ひごろ)の強(つよ)さ)を展(の)ぶ。
怒(いか)り発(はっ)する斉天(せいてん)の孫大聖(そんたいせい)、
金箍棒(きんこぼう)起(おこ)りて十分(じゅうぶん)に剛(つよ)し。
那(か)の怪物(かいぶつ)は、九箇(ここの)つの頭顱(とうろ=頭(あたま))に十八(じゅうはち)の眼(め)、
前前後後(ぜんぜんごご)毫光(ごうこう)を放(はな)ち、
這(こ)の行者(ぎょうじゃ)は、一双(ひとそろい)の鉄臂(てっぴ=鉄(てつ)の腕(うで))に千斤(せんきん)の力(ちから)、
藹藹紛紛(あいあいふんぷん=盛(さか)んに)として瑞祥(ずいしょう)を并(あわ)す。
鏟(さん)は一陽(いちよう)の初(はじ)めて月(つき)を現(あらわ)すに似(に)たり、
棒(ぼう)は万里(ばんり)に遍(あまね)く霜(しも)を飛(と)ばすが如(ごと)し。
他(かれ)說(い)う、「汝(なんじ)干(かかわ)る無(な)くして休(や)めて不平(ふへい)を報(ほう)ぜよ!」と、
我(われ)道(い)う、「汝(なんじ)意(こころ)有(あ)りて宝(たから)を偷(ぬす)むは真(まこと)に良(よ)からず!」と。
那(か)の潑賊(はつぞく)よ、少(すこ)しく軽狂(けいきょう=軽(かる)はずみ)なるを、
宝貝(ほうばい)を他(かれ)に還(かえ)して安康(あんこう=安(やす)らぎ)を得(え)よ!
棒(ぼう)迎(むか)え鏟(さん)架(か)して高下(こうげ)を争(あらそ)い、
輸贏(ゆえい)を見(み)ざるは練戦場(れんせんじょう=戦(たたか)いの場(ば))なり。
他(かれ)両箇(ふたり)往往来来(おうおうらいらい)と、三十余合(さんじゅうよごう)闘(たたか)い経(へ)て、勝負(しょうぶ)を分(わか)たず。
猪八戒(ちょはっかい)山前(さんぜん)に立(た)ちて、彼等(かれら)の戦(たたか)いの酣美(かんび=酣(たけなわ))なる処(ところ)に到(いた)るを見(み)、釘鈀(ていは)を挙(あ)げ、妖精(ようせい)の背後(はいご)より一築(ひとつつ)きす。
原来(もと)那(か)の怪(かい)の九箇(ここの)つの頭(あたま)は、転転(めぐりめぐ)りて都(みな)是(こ)れ眼(め)にして、看(み)ること明白(めいはく)なり。八戒(はっかい)の背後(はいご)より来(きた)るを見(み)、即(すなわ)ち鏟鐏(さんそん=鏟(さび)の柄(え)の先(さき))を将(も)って釘鈀(ていは)を架(か)し、鏟頭(さんとう=鏟(さび)の頭(あたま))を以(も)って鉄棒(てつぼう)を抵(ふせ)ぐ。
又(また)五七合(ごしちごう)耐(た)え戦(たたか)うも、前後(ぜんご)斉(ひと)しく輪(ふる)うに擋(ふせ)ぐを得(え)ず、他(かれ)却(かえ)って箇(ひとつ)の滚(ころ)びを打(う)ち、空(くう)に騰(のぼ)り跳(と)び起(お)き、本象(ほんぞう)を現(あらわ)す。乃(すなわ)ち是(こ)れ一箇(ひとつ)の九頭虫(きゅうとうちゅう=九(ここの)つの頭(あたま)の虫(むし))なり。
其(そ)の形象(けいしょう)を観(み)れば十分(じゅうぶん)に悪(あ)しく、
此(こ)の身模(しんぼ=姿(すがた))を見(み)れば人(ひと)を殺(ころ)さんばかりに怕(おそ)ろし!
他(かれ)生(う)まれ得(え)て:
毛羽(もうう=毛(け)と羽(はね))錦(にしき)を鋪(し)き、
団身(だんしん=丸(まる)き身(み))絮(わた)を結(むす)ぶ。
方円(ほうえん=縦横(たてよこ))丈二(じょうに)の規模(きぼ)有(あ)り、
長短(ちょうたん)は黿鼉(げんだ)の様致(ようち=姿(すがた))に似(に)たり。
両隻(ふたつ)の脚(あし)尖(とが)りて利(するど)きこと鉤(かぎ)の如(ごと)く、
九箇(ここの)つの頭(あたま)集(あつ)まり環(かん)きて一処(ひとところ)に在(あ)り。
翅(つばさ)を展(ひら)けば極(きわ)めて善(よ)く飛揚(ひよう=飛(と)び揚(あが))り、
縦(たと)い大鵬(たいほう=大(おお)きな鵬(おおとり))と雖(いえど)も他(かれ)が気力(きりょく)に及(およ)ばず、
声(こえ)を発(はっ)すれば遠(とお)く天涯(てんがい)を振(ふる)わせ、
仙鶴(せんかく)に比(くら)べても還(ま)た能(よ)く高(たか)く唳(な)く。
眼(め)多(おお)くして閃灼(せんしゃく=きらきら)と金光(きんこう)を幌(ひるがえ)し、
気(き)傲(おご)りて凡鳥(ぼんちょう=並(なみ)の鳥(とり))の類(たぐい)と同(おな)じからず。
猪八戒(ちょはっかい)看(み)て心(こころ)驚(おどろ)きて道(い)う、
「哥(あに)や! 我(われ)人(ひと)と為(な)りてより、也(また)曾(かつ)て這(かく)の等(ごと)き箇(ひとつ)の悪物(あくぶつ)を見(み)ず!
是(こ)れ甚(なん)の血気(けっき)か此(こ)の禽獣(きんじゅう)を生(しょう)ぜし」と。
行者道(い)う、
「真(まこと)に箇(こ)れ罕(まれ)に有(あ)るなり! 真(まこと)に箇(こ)れ罕(まれ)に有(あ)るなり! 我(われ)の赶(お)い上(あ)がりて打(う)ち去(ゆ)くを等(ま)て!」と。
好(よ)き大聖(たいせい)、急(いそ)ぎ祥雲(しょううん)を縦(はな)ち、空(くう)の中(うち)に跳(と)び在(あ)り、鉄棒(てつぼう)を将(も)って頭(あたま)を照(めが)けて便(すなわ)ち打(う)つ。
那(か)の怪物(かいぶつ)大(おお)いに身(み)を顕(あらわ)し、翅(つばさ)を展(ひら)き斜(ななめ)に飛(と)び、颯(さっ)と箇(ひとつ)の翻身(ほんしん=身(み)を翻(ひるがえ)し)を打(う)ち、山前(さんぜん)に掠(かす)め到(いた)り、半腰(はんよう=腰(こし)の半(なか)ば)の裡(うち)より又(また)一箇(ひとつ)の頭(あたま)を伸(の)ばし出(いだ)し、口(くち)を開(ひら)くこと血盆(けつぼん=血(ち)の盥(たらい))の相(あい)似(に)たるに、八戒(はっかい)を把(と)って一口(ひとくち)に鬃(たてがみ)を咬(か)み着(つ)け、半(なか)ば拖(ひ)き半(なか)ば扯(ひ)きて、碧波潭(へきはたん)の水内(すいない)に捉(とら)え下(おろ)して去(ゆ)く。
龍宮(りゅうぐう)の外(そと)に至(いた)り、還(ま)た前番(ぜんばん)の形(かたち)に変(へん)じ、八戒(はっかい)を将(も)って之(これ)を地(ち)に擲(なげう)ち、叫(さけ)んで、
「小(こ)の者達(ものたち)何処(いずこ)に在(あ)る」と。
那(か)の里面(うち)の鯖・鮊・鯉・鱖(せい・はく・り・けつ)の魚精(ぎょせい)、亀・鱉・黿・鼉(き・べつ・げん・だ)の介怪(かいかい=甲(こう)の怪(かい))、一斉(いっせい)に擁(おしよ)せ来(きた)り、声(こえ)に「有(はい)!」と道(い)う。
駙馬道(い)う、
「這(こ)の和尚(おしょう)を把(と)って、那(か)の処(ところ)に縛(しば)り在(あ)れ。我(われ)が巡攔(じゅんらん)の小卒(しょうそつ)の仇(あだ)を報(ほう)ぜんとす!」と。
衆精(しゅうせい)推推嚷嚷(すいすいじょうじょう=押(お)し合(あ)い)して、八戒(はっかい)を抬(かつ)ぎ進(い)れ去(ゆ)く時(とき)、那(か)の老竜王(ろうりゅうおう)歓喜(かんき)して迎(むか)え出(い)でて道(い)う、
「賢婿(けんせい)功(こう)有(あ)り、怎(いか)にして他(かれ)を捉(とら)え来(きた)れる」と。
那(か)の駙馬(ふば)上項(じょうこう=先(さき)の件(けん))の原故(げんこ=いきさつ)を把(と)って、一遍(ひととおり)說(い)う。老竜(ろうりゅう)即(すなわ)ち酒(さけ)を排(なら)べて功(こう)を賀(が)することは題(あげつら)わず。
却(かえ)って說(い)う、孫行者(そんぎょうじゃ)は妖精(ようせい)の八戒(はっかい)を擒(とら)えしを見(み)、心中(しんちゅう)懼(おそ)れて道(い)う、
「這(こ)の厮(やつ)恁般(かくも)利害(りがい=手強(てごわ))し!
我(われ)朝(ちょう)に回(かえ)りて師(し)に見(まみ)えんと待(ま)てば、那(か)の国王(こくおう)の我(われ)を笑(わら)わんことを恐(おそ)る。開(ひら)きて言(げん)を戦(たたかい)に罵(ののし)らんと要(よう)すれば、曾奈(さいわい)我(われ)又(また)単身(たんしん)にして、況(いわ)んや水面(すいめん)の事(こと)は慣(な)れず。
且(しばら)く我(われ)の変化(へんげ)して進(い)り去(ゆ)き、那(か)の怪(かい)の呆子(ほうし)を把(と)って怎(いか)に生(しょう)ずる擺布(はいふ=扱(あつか)い)するかを看(み)、若(も)し便(べん)を得(え)ば、且(しばら)く他(かれ)を偷(ぬす)み出(いだ)して事(こと)を幹(な)さん」と。
好(よ)き大聖(たいせい)、訣(けつ)を捻(ねん)じ、身(み)を揺(ゆ)るがして一変(いっぺん)じ、還(ま)た一箇(ひとつ)の螃蟹(かに)に変(へん)じ做(な)り、水(みず)の内(うち)に淬(ひた)り、径(ただ)ちに牌楼(ぱいろう=門(もん)の楼(ろう))の前(まえ)に至(いた)る。
原来(もと)此(こ)の路(みち)は是(こ)れ他(かれ)前番(ぜんばん)牛魔王(ぎゅうまおう)を襲(おそ)い金睛獣(きんせいじゅう)を盗(ぬす)みしに走(はし)り熟(な)れたるなり。
直(ただ)ちに那(か)の宮闕(きゅうけつ=宮殿(きゅうでん))の下(もと)に至(いた)り、横(よこ)に爬(は)い過(よ)ぎ去(ゆ)くに、又(また)那(か)の老竜王(ろうりゅうおう)と九頭虫(きゅうとうちゅう)の合家児(いっかこ=家族(かぞく)一同(いちどう))歓喜(かんき)して飲酒(いんしゅ)せるを見(み)る。
行者(ぎょうじゃ)敢(あ)えて相(あい)近(ちか)づかず、東廊(とうろう=東(ひがし)の廊下(ろうか))の下(した)を爬(は)い過(よ)ぎ、幾箇(いくたり)かの蝦精(かせい=蝦(えび)の精(せい))・蟹精(かいせい=蟹(かに)の精(せい))の、紛紛紜紜(ふんぷんうんうん=ぞろぞろと)耍子(あそ)び居(お)るを見(み)る。
行者(ぎょうじゃ)一会(ひとしき)り言談(げんだん=話(はなし))を聽(き)き、却(かえ)って就(すなわ)ち語(ご)を学(まな)び話(はなし)を学(まな)び、問(と)うて道(い)う、
「駙馬爺爺(ふばじいさま)の拿(とら)え来(きた)れる那(あ)の長嘴(ちょうし=長(なが)い嘴(くちばし))の和尚(おしょう)は、此(こ)の頃(ころ)死(し)に了(おわ)りしや未(いま)だか」と。
衆精(しゅうせい)道(い)う、
「未(いま)だ死(し)なず。那(か)の西廊(せいろう=西(にし)の廊下(ろうか))の下(した)に縛(しば)られ在(あ)りて哼(うな)り居(お)るは是(こ)れならずや」と。
行者(ぎょうじゃ)說(い)うを聽(き)き、又(また)軽軽(けいけい)と西廊(せいろう)を爬(は)い過(よ)ぐれば、真(まこと)に那(か)の呆子(ほうし)の柱(はしら)の上(うえ)に縛(しば)られ在(あ)りて哼(うな)り居(お)るなり。
行者(ぎょうじゃ)近(ちか)づきて道(い)う、
「八戒(はっかい)、我(われ)を認(みと)むるや」と。
八戒(はっかい)声音(こえ)を聽(き)き得(え)て、是(こ)れ行者(ぎょうじゃ)と知(し)り、道(い)う、
「哥哥(あに)、怎(いか)にせし! 反(かえ)って這(こ)の厮(やつ)に我(われ)を捉(とら)えられ居(お)るなり!」と。
行者(ぎょうじゃ)四顧(しこ=見回(みまわ))すに人(ひと)無(な)く、鉗(はさみ)を将(も)って索子(さくし=縄(なわ))を咬(か)み断(た)ち、走(はし)るを叫(さけ)ぶ。那(か)の呆子(ほうし)手(て)を脱(のが)れて道(い)う、
「哥哥(あに)、我(われ)が兵器(へいき)は、他(かれ)に収(おさ)められたり、又(また)奈何(いかん)」と。
行者道(い)う、
「汝(なんじ)収(おさ)めらるる処(ところ)の那(いずこ)なるを知(し)れるや」と。
八戒道(い)う、
「当(まさ)に那(か)の怪(かい)に拿(とら)えられて宮殿(きゅうでん)に上(のぼ)り去(ゆ)けり」と。
行者道(い)う、
「汝(なんじ)先(ま)ず牌楼(ぱいろう)の下(した)に去(ゆ)きて我(われ)を待(ま)て」と。
八戒(はっかい)生(いき)を逃(のが)れ、悄(ひっそ)りと溜(すべ)り出(い)づ。
行者(ぎょうじゃ)身(み)を復(かえ)して宮殿(きゅうでん)に爬(は)い上(のぼ)り、左首(ひだり)の下(した)に光彩(こうさい)森森(しんしん=きらきら)たる有(あ)るを観(み)れば、乃(すなわ)ち是(こ)れ八戒(はっかい)が釘鈀(ていは)の光(ひかり)を放(はな)てるなり。箇(ひとつ)の隠身法(おんしんぽう=姿(すがた)を隠(かく)す術(じゅつ))を施(ほどこ)し、鈀(は)を将(も)って偷(ぬす)み出(いだ)し、牌楼(ぱいろう)の下(した)に到(いた)り、声(こえ)を叫(さけ)んで、
「八戒(はっかい)! 兵器(へいき)を接(う)けよ!」と。
呆子(ほうし)鈀(は)を得(え)て、便(すなわ)ち道(い)う、
「哥哥(あに)、汝(なんじ)先(さき)に走(はし)れ、老猪(ろうちょ=拙者(せっしゃ))の打(う)ち進(い)りて宮殿(きゅうでん)ならんを等(ま)て。若(も)し勝(か)ちを得(え)ば、就(すなわ)ち他(かれ)が一家子(いっかこ)を捉(とら)え住(とど)めん。若(も)し勝(か)たずんば、敗(やぶ)れて出(い)で来(きた)らん、汝(なんじ)此(こ)の潭(ふち)の岸(きし)の上(うえ)に在(あ)りて救応(きゅうおう=救(すく)い応(おう))ぜよ」と。
行者(ぎょうじゃ)大(おお)いに喜(よろこ)び、只(た)だ仔細(つつし)むを教(おし)う。八戒道(い)う、
「他(かれ)を怕(おそ)れず! 水(みず)の裡(うち)の本事(ほんじ=腕前(うでまえ))、我(われ)略(ほぼ)些(いささ)か有(あ)り」と。
行者(ぎょうじゃ)他(かれ)を捨(す)て、水(みず)の面(おもて)を負(せお)うて出(い)づることは題(あげつら)わず。
這(こ)の八戒(はっかい)皂直裰(そうじきとつ=黒(くろ)い法衣(ほうえ))を束(たば)ね、双手(もろて)に鈀(は)を纏(まと)い、一声(ひとこえ)喊(さけ)び、打(う)ち将(も)って進(い)り入(い)る。
慌(あわ)て得(え)て那(か)の大小(だいしょう)の水族(すいぞく)、奔奔波波(ほんほんはは=ばたばた)と、宮殿(きゅうでん)に跑(はし)り上(のぼ)り、吆喝(ようかつ)して道(い)う、
「不好(たいへん)なれり! 長嘴(ちょうし)の和尚(おしょう)縄(なわ)を掙(も)ぎ断(た)ちて返(かえ)し打(う)ち進(い)り来(きた)れり!」と。
那(か)の老竜(ろうりゅう)と九頭虫(きゅうとうちゅう)並(なら)びに一家子(いっかこ)は俱(とも)に措手(そしゅ)及(およ)ばず、跳(と)び起(お)きて、隠(かく)れ隠(かく)れ逃(のが)れ逃(のが)れす。
這(こ)の呆子(ほうし)死活(しがつ=命(いのち)の有無(うむ))を顧(かえり)みず、宮殿(きゅうでん)に闖(つ)け上(のぼ)り、一路(ひとみち)の鈀(は)、門扇(もんせん)を築(つ)き破(やぶ)り、桌椅(たくい=卓(たく)と椅(いす))を打(う)ち破(やぶ)り、些(これら)の飲酒(いんしゅ)の家火(かか=道具(どうぐ))の類(たぐい)を把(と)って、尽(ことごと)く皆(みな)打(う)ち砕(くだ)く。
詩(し)有(あ)りて証(しょう)と為(な)す、詩(し)に曰(いわ)く、
木母(もくぼ)水怪(すいかい)に遭逢(そうほう)して擒(とら)えられ、
心猿(しんえん)捨(す)てずして苦(くるしみ)相(あい)尋(たず)ぬ。
暗(あん)に巧計(こうけい)を施(ほどこ)して鎖(くさり)を偷(ぬす)み開(ひら)き、
大(おお)いに神威(しんい)を顕(あらわ)して怒(いか)り恨(うら)むこと深(ふか)し。
駙馬(ふば)忙(いそ)ぎて公主(こうしゅ)を携(たずさ)えて隠(かく)れ、
龍王(りゅうおう)戦慄(せんりつ)して声音(こえ)を絶(た)つ。
水宮(すいきゅう)絳闕(こうけつ=水(みず)の宮殿(きゅうでん))門窗(もんそう=扉(とびら)と窓(まど))損(そこな)われ、
龍子(りゅうし)龍孫(りゅうそん)尽(ことごと)く魂(たましい)を没(ほろぼ)す。
這(こ)の一場(いちじょう)、八戒(はっかい)に玳瑁屏(たいまいへい=鼈甲(べっこう)の屏風(びょうぶ))を把(と)って打(う)ち得(え)て粉碎(ふんさい)と為(な)し、珊瑚樹(さんごじゅ)を掼(なげう)ち得(え)て凋零(ちょうれい=散(ち)り零(こぼ))れしむ。
那(か)の九頭虫(きゅうとうちゅう)公主(こうしゅ)を将(も)って内(うち)に安蔵(あんぞう)し、急(いそ)ぎ月牙鏟(げつがさん)を取(と)り、前宮(ぜんきゅう)に赶(お)い至(いた)りて喝(かつ)して道(い)う、
「潑夯豕彘(はつこうしし=この鈍(まぬけ)な豚(ぶた)め)! 怎(なん)じて敢(あ)えて心(こころ)を欺(あざむ)きて吾(わ)が眷族(けんぞく=一族(いちぞく))を驚(おどろ)かすや」と。
八戒(はっかい)罵(ののし)って道(い)う、
「這(こ)の賊怪(ぞくかい)、汝(なんじ)焉(いずく)んぞ敢(あ)えて我(われ)を将(も)って捉(とら)え来(きた)る! 這(こ)の場(ば)は我(われ)が事(こと)に干(かかわ)らず、是(こ)れ汝(なんじ)が我(われ)を請(しょう)じて家(いえ)に来(きた)りて打(う)たしむるなり! 快(はや)く宝貝(ほうばい)を拿(だ)して我(われ)に還(かえ)し、国王(こくおう)に回(かえ)り見(まみ)えて事(こと)を了(おわ)らん。然(しか)らずんば、決(けっ)して汝(なんじ)が一家(いっか)の命(いのち)を饒(ゆる)さじ也(なり)!」と。
那(か)の怪(かい)那(なん)ぞ肯(あ)えんで情(なさけ)を容(い)れん、歯(は)を咬(か)み定(さだ)め、八戒(はっかい)と鋒(ほこ)を交(まじ)う。
那(か)の老竜(ろうりゅう)才(わず)かに神思(しんし=気持(きも)ち)を定(さだ)め、龍子(りゅうし)・龍孫(りゅうそん)を領(ひき)い、各(おのおの)槍刀(そうとう)を執(と)り、斉(ひと)しく来(きた)りて攻(せ)め取(と)る。
八戒(はっかい)事体(じたい)の諧(ととのわ)ざるを見(み)、虚(うつろ)に一鈀(ひとは)を幌(ひるがえ)し、身(み)を撤(ひ)いて便(すなわ)ち走(はし)る。那(か)の老竜(ろうりゅう)衆(しゅう)を帥(ひき)いて追(お)い来(きた)る。
須臾(しばらく)にして、水(みず)の中(うち)より攛(と)び出(い)で、都(みな)潭(ふち)の面(おもて)の上(うえ)に到(いた)りて翻騰(ほんとう=飛(と)び跳(は)ね)す。
却(かえ)って說(い)う、孫行者(そんぎょうじゃ)は潭(ふち)の岸(きし)に立(た)ちて等候(ま)ち居(お)りしが、忽(たちま)ち彼等(かれら)の八戒(はっかい)を追(お)い赶(お)い、水(みず)の中(うち)を出(い)で離(はな)るるを見(み)、就(すなわ)ち半(なか)ば雲霧(うんむ)を踏(ふ)み、鉄棒(てつぼう)を掣(と)り、声(こえ)を喝(かつ)して「走(はし)るを休(や)めよ!」と。只(た)だ一下(ひとおろ)しに、箇(ひとつ)の老竜(ろうりゅう)の頭(あたま)を把(と)って打(う)ち得(え)て稀爛(きらん=ぐちゃぐちゃ)と為(な)す。
憐(あわ)れむべし、血(ち)潭中(たんちゅう)に濺(そそ)いで紅水(こうすい=赤(あか)い水(みず))泛(あふ)れ、
屍(しかばね)浪(なみ)の上(うえ)に飄(ただよ)いて敗鱗(はいりん=敗(やぶ)れた鱗(うろこ))浮(うか)ぶ!
唬(おどろ)かし得(え)て那(か)の龍子(りゅうし)・龍孫(りゅうそん)各各(めいめい)命(いのち)を逃(のが)れしめ、九頭駙馬(きゅうとうふば)は龍(りゅう)の屍(しかばね)を収(おさ)め、宮(きゅう)を転(うつ)って去(ゆ)く。
行者(ぎょうじゃ)と八戒(はっかい)且(しばら)く追襲(ついしゅう)せず、岸(きし)に回(かえ)り上(のぼ)り、前事(ぜんじ)を備(つぶさ)に言(い)う。
八戒道(い)う、
「這(こ)の厮(やつ)鋭気(えいき=鋭(するど)い気(き))挫(くじ)かれたり! 我(われ)が那(あ)の一路(ひとみち)の鈀(は)に打(う)ち進(い)りし時(とき)、打(う)ち得(え)て落花流水(らっかりゅうすい=散(ち)る花(はな)と流(なが)れる水(みず))、魂(たましい)散(さん)じ魄(たましい)飛(と)べり! 正(まさ)に那(か)の駙馬(ふば)と厮闘(しとう)せしに、却(かえ)って老竜王(ろうりゅうおう)に赶(お)われ居(お)りしが、却(かえ)って汝(なんじ)の打(う)ち殺(ころ)ししに頼(よ)れり。
那(か)の厮等(やつら)回(かえ)り去(ゆ)きて、一定(きっと)喪(も)を停(とど)め孝(こう=喪服(もふく))を挂(か)けん、決(けっ)して肯(あ)えんで出(い)で来(きた)らじ。今(いま)又(また)天色(てんしょく=空(そら)の色(いろ))晩(く)れたり、却(かえ)って怎(いか)に奈何(いかん)せん」と。
行者道(い)う、
「甚(なん)の天(てん)の晩(く)るるを管(かん)せん! 此(こ)の機会(きかい)に乗(じょう)じ、汝(なんじ)還(ま)た下(お)り去(ゆ)きて攻戦(こうせん)し、必(かなら)ず宝貝(ほうばい)を取(と)り出(いだ)して、方(はじ)めて朝(ちょう)に回(かえ)る可(べ)きなり」と。
那(か)の呆子(ほうし)意(い)懶(ものう)く情(じょう)疏(うと)く、徉徉(ようよう=のらりくらり)と推托(すいたく=言(い)い訳(わけ))す。行者(ぎょうじゃ)催(うなが)し逼(せま)って道(い)う、
「兄弟(きょうだい)多(おお)く疑(うたが)うを須(もち)いず、還(ま)た剛才(さっき)の如(ごと)く引(ひ)き出(いだ)し来(きた)り、我(われ)の他(かれ)を打(う)つを等(ま)て」と。
両人(ふたり)正(まさ)に自(みずか)ら商量(しょうりょう)し居(お)るに、只(た)だ狂風(きょうふう)滚滚(こんこん)と、惨霧(さんむ=ものすごい霧(きり))陰陰(いんいん)として、忽(たちま)ち東方(とうほう)より径(ただ)ちに南(みなみ)へ往(ゆ)くを聽(き)く。
行者(ぎょうじゃ)仔細(つまびらか)に観(み)るに、乃(すなわ)ち二郎顕聖(じろうけんせい)の、梅山(ばいざん)の六兄弟(ろくきょうだい)を領(ひき)い、鷹犬(ようけん=鷹(たか)と犬(いぬ))を架(か)し、狐兔(こと=狐(きつね)と兔(うさぎ))を挑(にな)い、獐鹿(しょうろく=獐(のろ)と鹿(しか))を抬(かつ)ぎ、一箇箇(めいめい)腰(こし)に弯弓(わんきゅう=曲(まが)った弓(ゆみ))を挎(か)け、手(て)に利刃(りじん)を把(と)り、風霧(ふうむ)を縦(はな)ちて踊躍(ゆうやく=躍(おど)り)し来(きた)るなり。
行者道(い)う、
「八戒(はっかい)、那(あ)れは是(こ)れ我(われ)が七聖(しちせい)の兄弟(きょうだい)なり。倒(かえ)って好(よ)く他等(かれら)を留(とど)め請(しょう)じて、我(われ)と戦(たたかい)を助(たす)けしめん。若(も)し功(こう)を成(な)すを得(え)ば、倒(かえ)って是(こ)れ一場(いちじょう)の大(おお)いなる機会(きかい)なり」と。
八戒道(い)う、
「既(すで)に是(こ)れ兄弟(きょうだい)ならば、極(きわ)めて該(まさ)に留(とど)め請(しょう)ずべし」と。
行者道(い)う、
「但(た)だ内(うち)に顕聖(けんせい)の大哥(だいか=長兄(ちょうけい))有(あ)り、我(われ)曾(かつ)て他(かれ)に降伏(こうふく)せられしを、好(よ)く他(かれ)に見(まみ)えず。汝(なんじ)去(ゆ)きて雲頭(うんとう)を攔(さえぎ)り住(とど)め、叫(さけ)んで道(い)え、真君(しんくん)、且(しばら)く略(しばら)く住(とど)まり給(たま)え、斉天大聖(せいてんたいせい)此(ここ)に在(あ)りて進(すす)みて拝(はい)せんと、と。他(かれ)若(も)し是(こ)れ我(われ)と聽(き)かば、断(たぶん)然(しか)じて住(とど)まらん。他(かれ)の安(やす)んじ下(おろ)すを待(ま)ちて、我(われ)却(かえ)って好(よ)く見(まみ)えん」と。
那(か)の呆子(ほうし)急(いそ)ぎ雲頭(うんとう)を縦(はな)ち、山(やま)に上(のぼ)りて攔(さえぎ)り住(とど)め、声(こえ)を厳(いか)しく高(たか)く叫(さけ)んで道(い)う、
「真君(しんくん)、且(しばら)く車駕(しゃが=車(くるま))を慢(おそ)うし給(たま)え、斉天大聖(せいてんたいせい)の請(こ)うて見(まみ)えんとす有(あ)り」と。
那(か)の爺爺(じいさま)說(い)うを聞(き)き、即(すなわ)ち令(れい)を伝(つた)えて就(すなわ)ち六兄弟(ろくきょうだい)を停(とど)め、八戒(はっかい)と相(あい)見(まみ)ゆること畢(おわ)り、問(と)う、
「斉天大聖(せいてんたいせい)何処(いずこ)に在(あ)る」と。
八戒道(い)う、
「現(げん)に山下(さんか)に在(あ)りて呼喚(こかん=召(め)し)を聽(き)く」と。
二郎道(い)う、
「兄弟達(きょうだいたち)、快(はや)く去(ゆ)きて請(しょう)じ来(きた)れ」と。
六兄弟(ろくきょうだい)は乃(すなわ)ち康(こう)、張(ちょう)、姚(よう)、李(り)、郭(かく)、直(ちょく)にして、各各(めいめい)営(えい)を出(い)でて叫(さけ)んで道(い)う、
「孫悟空(そんごくう)の哥哥(あに)、大哥(だいか)の請(しょう)有(あ)り」と。
行者(ぎょうじゃ)上前(すす)み、衆(しゅう)に向(むか)って礼(れい)を做(な)し、遂(つい)に同(とも)に山(やま)に上(のぼ)る。
二郎爺爺(じろうじいさま)迎(むか)えて見(まみ)え、手(て)を携(たずさ)え相(あい)攙(たす)け、一同(いちどう)に相見(そうけん)して道(い)う、
「大聖(たいせい)、汝(なんじ)大難(たいなん)を脱(のが)れ、戒(かい)を沙門(しゃもん=仏門(ぶつもん))に受(う)け、日(ひ)を刻(きざ)みて功(こう)完(まった)くし、高(たか)く蓮座(れんざ=蓮(はす)の座(ざ))に登(のぼ)らんとす。賀(が)す可(べ)し! 賀(が)す可(べ)し!」と。
行者道(い)う、
「敢(あ)えず。向(さき)に莫大(ばくだい)の恩(おん)を蒙(こうむ)りしも、未(いま)だ斯須(ししゅ=わずか)の報(ほう)をも展(の)べず。然(しか)りと雖(いえど)も難(なん)を脱(のが)れて西(にし)に行(ゆ)くも、功行(こうぎょう)の何如(いかん)を未(いま)だ知(し)らず。今(いま)路(みち)祭賽国(さいさいこく)に遇(あ)うに因(よ)り、僧(そう)の災(わざわい)を搭救(たっきゅう)し、此(ここ)に在(あ)りて妖(よう)を擒(とら)え宝(たから)を索(もと)む。偶(たまた)ま兄長(けいちょう)の車駕(しゃが)の降臨(こうりん)するを見(み)、大胆(だいたん)にも留(とど)めて一助(いちじょ)を請(こ)う。未(いま)だ審(つまびらか)にせず、兄長(けいちょう)自(みずか)ら何処(いずこ)より来(きた)れる、肯(あ)えんで愛(あい)を見(み)るや否(いな)やを」と。
二郎(じろう)笑(わら)って道(い)う、
「我(われ)閑暇(かんか=暇(ひま))にして事(こと)無(な)きに因(よ)り、衆兄弟(しゅうきょうだい)と同(とも)に采猟(さいりょう=狩猟(しゅりょう))して回(かえ)る所(ところ)なるが、幸(さいわい)に大聖(たいせい)の棄(す)てず留(とど)め会(え)するを蒙(こうむ)る、故旧(こきゅう=旧(ふる)き誼(よしみ))の情(じょう)に感(かん)ずるに足(た)る。若(も)し力(ちから)を挟(そ)えて妖(よう)を降(くだ)すを命(めい)ぜば、敢(あ)えて命(めい)の如(ごと)くならざらんや! 却(かえ)って此(こ)の地(ち)は是(こ)れ何(なん)の怪賊(かいぞく)なるを知(し)らず」と。
六聖(ろくせい)道(い)う、
「大哥(だいか)忘(わす)れたるか。此間(ここ)は是(こ)れ乱石山(らんせきざん)、山下(さんか)は乃(すなわ)ち碧波潭(へきはたん)、万聖(ばんせい)の龍宮(りゅうぐう)なり」と。
二郎(じろう)驚(おどろ)き呀(あ)って道(い)う、
「万聖老竜(ばんせいろうりゅう)は却(かえ)って事(こと)を生(しょう)ぜざるに、怎(いか)して敢(あ)えて塔(とう)の宝(たから)を偷(ぬす)まんや」と。
行者道(い)う、
「他(かれ)近日(ちかごろ)一箇(ひとり)の駙馬(ふば)を招(まね)けり、乃(すなわ)ち是(こ)れ九頭虫(きゅうとうちゅう)の精(せい)と成(な)れるなり。他(かれ)郎丈(ろうじょう=婿(むこ)と舅(しゅうと))二箇(ふたり)賊(ぞく)を做(な)し、祭賽国(さいさいこく)に将(も)って一場(ひとしき)りの血雨(けつう)を下(くだ)し、金光寺(きんこうじ)の塔頂(とうちょう)の舎利(しゃり)の仏宝(ぶっぽう)を偷(ぬす)み来(きた)れり。
那(か)の国王(こくおう)其(そ)の意(い)を解(かい)せず、苦(くるしみ)に僧人(そうにん)を拿(とら)えて拷打(ごうだ)す。是(こ)れ我(われ)が師父(しふ)の慈悲(じひ)にして、夜(よる)来(きた)りて塔(とう)を掃(は)き、当(まさ)に我(われ)の塔(とう)の上前(うえ)に在(あ)りて二箇(ふたり)の小妖(しょうよう)を拿(とら)え住(とど)めしは、是(こ)れ他(かれ)が差(つか)わして巡(めぐ)り探(さぐ)らしめし者(もの)なり。今朝(けさ)朝中(ちょうちゅう)に押(お)し赴(おもむ)かせ、実実(まことまこと)に供(きょう)し招(しょう)せり。
那(か)の国王(こくおう)就(すなわ)ち我(われ)が師(し)を請(しょう)じて収(おさ)め降(くだ)さしめ、師(し)我等(われら)をして此(ここ)に到(いた)らしむ。
先(ま)ず一場(いちじょう)戦(たたか)い、九頭虫(きゅうとうちゅう)の腰(こし)の裡(うち)より一箇(ひとつ)の頭(あたま)を伸(の)ばし出(いだ)され、八戒(はっかい)を把(と)って銜(くわ)え去(さ)られしが、我(われ)却(かえ)って変化(へんげ)して水(みず)に下(お)り、八戒(はっかい)を解(と)けり。
才(わず)かに然(しか)じて大(おお)いに一場(いちじょう)戦(たたか)いしに、是(こ)れ我(われ)が老竜(ろうりゅう)を把(と)って打(う)ち殺(ころ)し、那(か)の厮等(やつら)屍(しかばね)を収(おさ)め孝(こう)を挂(か)けて去(ゆ)けり。我(われ)二箇(ふたり)正(まさ)に戦(たたかい)を索(もと)めんと議(はか)り居(お)るに、却(かえ)って兄長(けいちょう)の儀仗(ぎじょう=行列(ぎょうれつ))の降臨(こうりん)するを見(み)る。故此(このゆえ)軽(かろ)く瀆(けが)すなり」と。
二郎道(い)う、
「既(すで)に老竜(ろうりゅう)を傷(そこな)いしならば、正(まさ)に好(よ)く他(かれ)と攻撃(こうげき)し、那(か)の厮(やつ)をして手(て)を措(お)く能(あた)わざらしめ、却(かえ)って窩巣(かそう=巣(す))までも連(つら)ねて尽(ことごと)く滅(ほろぼ)さざらんや」と。
八戒道(い)う、
「是(こ)れ此(か)くの如(ごと)しと雖(いえど)も、天(てん)の晩(く)るるを奈何(いかん)せん」と。
二郎道(い)う、
「兵家(へいか)に云(い)う、征(ゆ)くに時(とき)を待(ま)たず、何(なん)ぞ天(てん)の晩(く)るるを怕(おそ)れんや!」と。
康(こう)・姚(よう)・郭(かく)・直(ちょく)道(い)う、
「大哥(だいか)忙(いそ)ぐこと莫(なか)れ。那(か)の厮(やつ)の家眷(かけん=家族(かぞく))此(ここ)に在(あ)り、料(はか)るに去(ゆ)く処(ところ)無(な)し。孫二哥(そんにいあに)も也(また)是(こ)れ貴客(きかく)、猪剛鬣(ちょごうりょう)又(また)正果(しょうか)に帰(かえ)れり。我等(われら)が営内(えいない)に、随帯(ずいたい=持(も)ち合(あ)わせ)の酒肴(しゅこう=酒(さけ)と肴(さかな))有(あ)り。小(こ)の者達(ものたち)をして火(ひ)を取(と)らしめ、此(ここ)に就(つ)きて鋪設(ほせつ=席(せき)を設(もう))けしめん。一則(ひとつ)には二位(ふたり)と喜(よろこび)を賀(が)し、二来(ふたつ)には也(また)情(じょう)を叙(の)ぶるに当(あ)てん。且(しばら)く此(こ)の一夜(いちや)を歓会(かんかい)し、天明(てんめい)を待(ま)ちて戦(たたかい)を索(もと)むるに何(なん)ぞ遅(おそ)からん」と。
二郎(じろう)大(おお)いに喜(よろこ)んで道(い)う、
「賢弟(けんてい)の說(い)えるは極(きわ)めて当(あた)れり」と。
却(かえ)って小校(しょうこう=部下(ぶか))に命(めい)じて安排(あんばい)せしむ。
行者道(い)う、
「列位(れっい)の盛情(せいじょう=厚(あつ)い志(こころざし))、敢(あ)えて固(かた)く却(しりぞ)けず。但(た)だ和尚(おしょう)と做(な)りてより、都(みな)是(こ)れ斎戒(さいかい=精進(しょうじん))なれば、葷素(くんそ)の便(べん)ならざるを恐(おそ)る」と。
二郎道(い)う、
「素(そ)の果品(かひん=果物(くだもの))有(あ)り、酒(さけ)も也(また)是(こ)れ素(そ)なり」と。
衆兄弟(しゅうきょうだい)星月光前(せいげつこうぜん=星(ほし)と月(つき)の光(ひかり)の前(まえ))に在(あ)り、天(てん)を幕(まく)とし地(ち)を席(むしろ)とし、杯(さかずき)を挙(あ)げて旧(きゅう)を叙(の)ぶ。
正(まさ)に是(こ)れ、寂寞(じゃくまく=寂(さび)しさ)は更(こう=夜(よる)の刻(こく))長(なが)く、歓娯(かんご=喜(よろこ)び)は夜(よる)短(みじか)し。早(はや)くも覚(おぼ)えずして東方(とうほう)白(しろ)みを発(はっ)す。
那(か)の八戒(はっかい)幾鍾(いくさかずき)かの酒(さけ)を喰(の)んで興(きょう)抖抖(とうとう=湧(わ)き立(た)ち)として道(い)う、
「天(てん)将(まさ)に明(あ)けなんとす、老猪(ろうちょ)の水(みず)に下(お)り去(ゆ)きて戦(たたかい)を索(もと)むるを等(ま)て」と。
二郎道(い)う、
「元帥(げんすい)仔細(つつし)め、只(た)だ他(かれ)を引(ひ)き出(いだ)すを要(よう)す、我(われ)が兄弟達(きょうだいたち)の好(よ)く手(て)を下(くだ)さんことを」と。
八戒(はっかい)笑(わら)って道(い)う、
「我(われ)暁(さと)れり! 我(われ)暁(さと)れり!」と。
汝(なんじ)看(み)よ、他(かれ)の衣(ころも)を斂(おさ)め鈀(は)を纏(まと)い、分水法(ぶんすいほう=水(みず)を分(わ)く術(じゅつ))を施(ほどこ)し、跳(と)び将(も)って下(お)り去(ゆ)き、径(ただ)ちに那(か)の牌楼(ぱいろう)の下(した)に至(いた)り、声(こえ)を発(はっ)し喊(さけ)び、殿内(でんない)に打(う)ち入(い)る。
此(こ)の時(とき)那(か)の龍子(りゅうし)は麻(あさ=喪服(もふく))を披(き)て、龍(りゅう)の屍(しかばね)を看(み)て哭(な)き、龍孫(りゅうそん)と那(か)の駙馬(ふば)は、後面(こうめん)に在(あ)りて棺材(かんざい=棺(ひつぎ))を收拾(しゅうしゅう)し居(お)るなり。
這(こ)の八戒(はっかい)罵(ののし)り上前(すす)み、手(て)の起(おこ)る処(ところ)、鈀頭(はとう)重(おも)く着(つ)き、箇(ひとつ)の龍子(りゅうし)の脳(のう)を夾(はさ)みて頭(あたま)と連(つら)なり、一鈀(ひとは)に九箇(ここの)つの窟窿(くつろう=穴(あな))を築(つ)き、唬(おどろ)かし得(え)て那(か)の龍婆(りゅうば=竜(りゅう)の妻(つま))と衆(しゅう)をして裡(うち)へ向(むか)い乱(みだ)りに跑(はし)らしめ、哭(な)いて道(い)わしむ、
「長嘴(ちょうし)の和尚(おしょう)又(また)我(われ)が児(こ)を把(と)って打(う)ち殺(ころ)したり!」と。
那(か)の駙馬(ふば)言(げん)を聞(き)き、即(すなわ)ち月牙鏟(げつがさん)を将(も)ち、龍孫(りゅうそん)を帯(つ)れて外(そと)へ殺(せめ)ぎ出(い)で来(きた)る。
這(こ)の八戒(はっかい)鈀(は)を挙(あ)げて敵(てき)を迎(むか)え、且(か)つ戦(たたか)い且(か)つ退(しりぞ)き、水(みず)の中(うち)を跳(と)び出(い)づ。
這(こ)の岸(きし)の上(うえ)の斉天大聖(せいてんたいせい)と七兄弟(しちきょうだい)は一斉(いっせい)に上前(すす)み、槍刀(そうとう)を乱(みだ)りに扎(さ)し、箇(ひとつ)の龍孫(りゅうそん)を把(と)って幾段(いくきれ)かの肉餅(にくへい=肉(にく)の塊(かたまり))に剁(きざ)む。
那(か)の駙馬(ふば)停当(ていとう=収(おさ)まり)ならざるを見(み)、山前(さんぜん)に在(あ)りて箇(ひとつ)の滚(ころ)びを打(う)ち、又(また)本象(ほんぞう)を現(あらわ)し、翅(つばさ)を展(ひら)き、旋繞(せんにょう=旋回(せんかい))し飛騰(ひとう)す。
二郎(じろう)即(すなわ)ち金弓(きんきゅう=金(きん)の弓(ゆみ))を取(と)り、銀弾(ぎんだん=銀(ぎん)の弾(たま))を安(つ)け、弓(ゆみ)を扯(ひ)き満(み)たし、上(うえ)に向(むか)って就(すなわ)ち打(う)つ。
那(か)の怪(かい)急(いそ)ぎ翅(つばさ)を鎩(おと)し、辺前(へんぜん=際(きわ))に掠(かす)め到(いた)り、二郎(じろう)を咬(か)まんと要(よう)するに、半腰(はんよう)の裡(うち)より才(わず)かに一箇(ひとつ)の頭(あたま)を伸(の)ばし出(いだ)せしを、那(か)の頭(かしら)の細犬(さいけん=細(ほそ)き犬(いぬ))に、攛(と)び上(あ)がられ、汪(わん)たる一口(ひとくち)に、頭(あたま)を把(と)って血(ち)淋淋(りんりん)と咬(か)み将(も)って下(おろ)さる。
那(か)の怪物(かいぶつ)痛(いたみ)を負(お)うて生(いき)を逃(のが)れ、径(ただ)ちに北海(ほっかい)に投(とう)じて去(ゆ)く。
八戒(はっかい)便(すなわ)ち赶(お)い去(ゆ)かんと要(よう)するに、行者(ぎょうじゃ)止(とど)めて道(い)う、
「且(しばら)く他(かれ)を赶(お)うこと莫(なか)れ。正(まさ)に是(こ)れ窮寇(きゅうこう=追(お)い詰(つ)められた賊(ぞく))は追(お)う勿(なか)れ。他(かれ)細犬(さいけん)に頭(あたま)を咬(か)まれしゆえ、必(かなら)ず是(こ)れ死(し)多(おお)く生(せい)少(すくな)し。我(われ)の他(かれ)の形(かたち)に変(へん)じ做(な)るを等(ま)て、汝(なんじ)水路(すいろ)を分(わ)け開(ひら)き、我(われ)を赶(お)って進(い)り去(ゆ)かしめ、那(か)の宮主(こうしゅ)を尋(たず)ね、他(かれ)が宝貝(ほうばい)を詐(だま)し取(と)り来(きた)らん」と。
二郎(じろう)と六聖(ろくせい)道(い)う、
「他(かれ)を赶(お)わざるは、倒(かえ)って也(また)罷(よ)し。只(た)だ是(こ)れ此(こ)の種族(しゅぞく)を世(よ)に遺(のこ)せば、必(かなら)ず後人(こうじん)の害(がい)と為(な)らん」と。
今(いま)に至(いた)るまで箇(ひとつ)の九頭虫(きゅうとうちゅう)の滴血(てきけつ=滴(したた)る血(ち))有(あ)るは、是(こ)れ遺種(いしゅ=残(のこ)りし種(たね))なり。
那(か)の八戒(はっかい)言(げん)に依(よ)り、水路(すいろ)を分(わ)け開(ひら)き、行者(ぎょうじゃ)怪(かい)の象(かたち)に変(へん)じて前(まえ)に走(はし)り、八戒(はっかい)吆吆喝喝(ようようかつかつ=わあわあ)と後(うしろ)より追(お)う。
漸(ようや)く追(お)うて龍宮(りゅうぐう)に至(いた)るに、只(た)だ見(み)る、那(か)の万聖宮主(ばんせいこうしゅ)の道(い)う、
「駙馬(ふば)、怎(いか)して這(かく)の等(ごと)く慌張(こうちょう=あわただし)き」と。
行者道(い)う、
「那(か)の八戒(はっかい)勝(か)ちを得(え)、我(われ)を把(と)って赶(お)い将(も)って進(い)り来(きた)れり。道(おも)うに他(かれ)に敵(てき)すること能(あた)わずと。
汝(なんじ)快(はや)く宝貝(ほうばい)を把(と)って好(よ)く生(よく)蔵(かく)せよ!」と。
那(か)の宮主(こうしゅ)急(いそ)ぎて難(かた)く真假(しんか)を識(し)り、即(すなわ)ち後殿(こうでん)の裡(うち)より一箇(ひとつ)の渾金匣子(こんきんこうし=総金(そうきん)の箱(はこ))を取(と)り出(いだ)し来(きた)り、行者(ぎょうじゃ)に遞(わた)して道(い)う、
「這(こ)れは是(こ)れ仏宝(ぶっぽう)なり」と。
又(また)一箇(ひとつ)の白玉匣子(はくぎょくこうし=白(しろ)い玉(たま)の箱(はこ))を取(と)り出(いだ)し、也(また)行者(ぎょうじゃ)に遞(わた)して道(い)う、
「這(こ)れは是(こ)れ九葉霊芝(きゅうようれいし)なり。汝(なんじ)這(こ)の宝貝(ほうばい)を拿(と)って蔵(かく)し去(ゆ)け、我(われ)の猪八戒(ちょはっかい)と二三合(にさんごう)闘(たたか)い、他(かれ)を擋(ふせ)ぎ住(とど)むるを等(ま)て、汝(なんじ)宝貝(ほうばい)を収(おさ)め好(よ)く了(おわ)りて、再(ふたた)び出(い)で来(きた)りて他(かれ)と合戦(がっせん)せよ」と。
行者(ぎょうじゃ)二箇(ふたつ)の匣児(こうじ=箱(はこ))を将(も)って身辺(しんぺん)に収(おさ)め、臉(つら)を把(と)って一抹(ひとぬぐ)いし、本象(ほんぞう)を現(あらわ)して道(い)う、
「宮主(こうしゅ)、汝(なんじ)看(み)よ、我(われ)は是(こ)れ駙馬(ふば)なる可(べ)きや」と。
宮主(こうしゅ)慌(あわ)て、便(すなわ)ち匣子(こうし)を搶奪(そうだつ=奪(うば)い取(と))らんと要(よう)するに、八戒(はっかい)に跑(はし)り上(のぼ)られ、背(せ)に着(つ)けて一鈀(ひとは)、地(ち)に築(つ)き倒(たお)さる。
還(ま)た一箇(ひとり)の老龍婆(ろうりゅうば)の身(み)を撤(ひ)いて就(すなわ)ち走(はし)る有(あ)りしが、八戒(はっかい)に扯(ひっつか)まれ、鈀(は)を挙(あ)げて才(わず)かに築(つ)かんとするに、行者道(い)う、
「且(しばら)く住(とど)まれ! 他(かれ)を打(う)ち殺(ころ)すこと莫(なか)れ、活(い)けるを留(とど)め、好(よ)く国内(こくない)に去(ゆ)きて功(こう)を見(み)せん」と。
遂(つい)に龍婆(りゅうば)を将(も)って水(みず)の面(おもて)に提(ひ)き出(いだ)す。
行者(ぎょうじゃ)随(したが)って後(のち)より二箇(ふたつ)の匣子(こうじ)を捧(ささ)げて岸(きし)に上(のぼ)り、二郎(じろう)に向(むか)って道(い)う、
「兄長(けいちょう)の威力(いりょく)を感(かん)じ、宝貝(ほうばい)を得(え)、妖賊(ようぞく)を掃(は)い浄(きよ)めたり」と。
二郎道(い)う、
「一則(ひとつ)には是(こ)れ那(か)の国王(こくおう)の洪福(こうふく=大(おお)いなる福(ふく))の天(てん)に斉(ひと)しき、二則(ふたつ)には是(こ)れ賢昆玉(けんこんぎょく=貴公(きこう)たち)の神通(じんつう)無量(むりょう)、我(われ)何(なん)の功(こう)か之(これ)有(あ)らん!」と。
兄弟達(きょうだいたち)俱(とも)に道(い)う、
「孫二哥(そんにいあに)既(すで)に已(すで)に功(こう)成(な)れり、我等(われら)は此(ここ)に就(つ)きて告別(こくべつ)せん」と。
行者(ぎょうじゃ)感謝(かんしゃ)して尽(つ)きず、留(とど)めて同(とも)に国王(こくおう)に見(まみ)えんと欲(ほっ)す。諸公(しょこう)肯(うべな)わず、遂(つい)に衆(しゅう)を帥(ひき)いて灌口(かんこう)に回(かえ)る。
行者(ぎょうじゃ)匣子(こうじ)を捧(ささ)げ、八戒(はっかい)龍婆(りゅうば)を拖(ひ)き、半(なか)ば雲(くも)に半(なか)ば霧(きり)に、頃刻間(しばらく)にして国内(こくない)に到(いた)る。
原来(もと)那(か)の金光寺(きんこうじ)の解脱(げだつ)せられし和尚(おしょう)は、都(みな)城外(じょうがい)に在(あ)りて迎接(げいせつ)し居(お)りしが、忽(たちま)ち他(かれ)二箇(ふたり)の雲霧(うんむ)の定(さだ)まるを見(み)、近(ちか)づき前(すす)みて頭(あたま)を磕(ぬかず)き礼拝(らいはい)し、城(しろ)の中(うち)に接(むか)え入(い)る。
那(か)の国王(こくおう)と唐僧(とうそう)は正(まさ)に殿上(でんじょう)に在(あ)りて講論(こうろん=話(はな)し合(あ))い居(お)る処(ところ)、此(ここ)に先(さき)に走(はし)れる和尚(おしょう)の礼(れい)に仗(よ)りて胆(きも)を着(つ)け朝門(ちょうもん)に進(い)り奏(そう)して道(い)う、
「万歳(ばんぜい)、孫・猪(そん・ちょ)の二老爺(にろうや)賊(ぞく)を擒(とら)え宝(たから)を獲(え)て来(きた)れり也(なり)」と。
那(か)の国王(こくおう)說(い)うを聽(き)き、連(つる)れて殿(でん)を下(お)り、唐僧(とうそう)、沙僧(さそう)と共(とも)に、迎(むか)えて神功(しんこう)を称謝(しょうしゃ)すること尽(つ)きず、随(したが)って筵(うたげ)を排(なら)べて恩(おん)を謝(しゃ)せしむ。
三蔵道(い)う、
「且(しばら)く賜飲(しいん=酒(さけ)を賜(たま)わる)を須(もち)いず、小徒(しょうと)をして塔中(とうちゅう)の宝(たから)を帰(かえ)さしめ、方(はじ)めて飲宴(いんえん)す可(べ)し」と。
三蔵(さんぞう)又(また)行者(ぎょうじゃ)に問(と)うて道(い)う、
「汝等(なんじら)昨日(きのう)国(くに)を離(はな)れしに、怎(いか)して今日(こんにち)才(わず)かに来(きた)れる」と。
行者(ぎょうじゃ)那(か)の駙馬(ふば)と戦(たたか)い、龍王(りゅうおう)を打(う)ち、真君(しんくん)に逢(あ)い、妖怪(ようかい)を敗(やぶ)り、及(およ)び変化(へんげ)して宝貝(ほうばい)を詐(だま)し取(と)りし事(こと)を、細(こま)かに一遍(ひととおり)說(い)う。
三蔵(さんぞう)と国王(こくおう)、大小(だいしょう)の文武(ぶんぶ)は、俱(とも)に之(これ)を喜(よろこ)ぶに勝(た)えず。
国王(こくおう)又(また)問(と)う、
「龍婆(りゅうば)は人(ひと)の言語(げんご)を能(よ)くするや否(いな)や」と。
八戒道(い)う、
「乃(すなわ)ち是(こ)れ龍王(りゅうおう)の妻(つま)にして、許多(あまた)の龍子(りゅうし)・龍孫(りゅうそん)を生(う)めり、豈(あ)に人言(じんげん)を知(し)らざらんや」と。
国王道(い)う、
「既(すで)に人言(じんげん)を知(し)らば、快(はや)く早(はや)く前後(ぜんご)の賊(ぞく)を做(な)しし事(こと)を說(い)え」と。
龍婆道(い)う、
「仏宝(ぶっぽう)を偷(ぬす)みしは、我(われ)全(まった)く知(し)らず。都(みな)是(こ)れ我(われ)が那(あ)の夫君(ふくん=夫(おっと))の龍鬼(りゅうき)と那(か)の駙馬(ふば)の九頭虫(きゅうとうちゅう)の、汝(なんじ)が塔(とう)の上前(うえ)の光(ひかり)の乃(すなわ)ち是(こ)れ仏家(ぶっけ)の舎利子(しゃりし)なるを知(し)り、三年前(さんねんまえ)血雨(けつう)を下(くだ)し、機(き)に乗(じょう)じて盗(ぬす)み去(さ)れるなり」と。
又(また)問(と)う、
「霊芝草(れいしそう)は是(こ)れ怎(いか)にして偷(ぬす)みし」と。
龍婆道(い)う、
「只(た)だ是(こ)れ我(われ)が小女(しょうじょ)の万聖宮主(ばんせいこうしゅ)の、私(ひそか)に大羅天(だいらてん)の上(うえ)霊霄殿(れいしょうでん)の前(まえ)に入(い)り、王母娘娘(おうぼにゃんにゃん)の九葉霊芝草(きゅうようれいしそう)を偷(ぬす)めるなり。
那(か)の舎利子(しゃりし)は此(こ)の草(くさ)の仙気(せんき)を得(え)て温養(おんよう)せられ、千年(せんねん)壊(やぶ)れず、万載(ばんさい)光(ひかり)を生(しょう)じ、地下(ちか)に去(ゆ)き、或(あるい)は田(た)の中(うち)に在(あ)りて、掃(は)き掃(は)うこと一(ひと)すれば即(すなわ)ち万道(ばんどう)の霞光(かこう)、千条(せんじょう)の瑞気(ずいき)有(あ)り。
如今(いま)汝(なんじ)に奪(うば)い来(きた)られ、我(われ)をして夫(おっと)死(し)し子(こ)絶(た)え、婿(むこ)喪(うしな)われ女(むすめ)亡(ほろ)ぶるを得(え)しむ。千万(くれぐれも)我(われ)が命(いのち)を饒(ゆる)し給(たま)え!」と。
八戒道(い)う、
「正(まさ)に汝(なんじ)を饒(ゆる)さざらんとすなり!」と。
行者道(い)う、
「家(いえ)に全犯(ぜんぱん=全員(ぜんいん)が罪(つみ)を犯(おか)すこと)無(な)し。我(われ)便(すなわ)ち汝(なんじ)を饒(ゆる)さん、只(た)だ便(すなわ)ち汝(なんじ)が長遠(ちょうえん=末永(すえなが)く)我(われ)に替(かわ)りて塔(とう)を看(み)ることを要(よう)す」と。
龍婆道(い)う、
「好(よ)く死(し)するは悪(あ)しく活(い)くるに如(し)かず。但(た)だ我(われ)が命(いのち)を留(とど)めば、汝(なんじ)の教(おし)うるに任(まか)せて甚(なん)をか做(な)さん」と。
行者(ぎょうじゃ)鉄索(てっさく)を取(と)り来(きた)るを叫(さけ)ぶ。当駕官(とうがかん)即(すなわ)ち鉄索(てっさく)一条(ひとすじ)を取(と)り、龍婆(りゅうば)の琵琶骨(びわこつ=鎖骨(さこつ))を把(と)って穿(とお)す。
沙僧(さそう)に教(おし)えて、
「国王(こくおう)を請(しょう)じ来(きた)りて我等(われら)の塔(とう)を安(やすん)ずるを看(み)しめよ」と。
那(か)の国王(こくおう)即(すなわ)ち忙(いそ)ぎ駕(が=車駕(しゃが))を排(なら)べ、遂(つい)に三蔵(さんぞう)と手(て)を携(たずさ)えて朝(ちょう)を出(い)で、文武(ぶんぶ)の多官(たかん)を并(あわ)せ、随(したが)って金光寺(きんこうじ)に至(いた)り塔(とう)に上(のぼ)る。
舎利子(しゃりし)を将(も)って第十三層(だいじゅうさんそう)の塔頂(とうちょう)の宝瓶(ほうへい)の中間(ちゅうかん)に安(やすん)じ、龍婆(りゅうば)を把(と)って塔心(とうしん)の柱(はしら)の上(うえ)に鎖(さ)し、真言(しんごん)を念(ねん)じ動(うご)かし、本国(ほんごく)の土地(どち)・城隍(じょうこう=城(しろ)の神(かみ))と本寺(ほんじ)の伽藍(がらん)を喚(よ)び出(いだ)し、三日(みっか)毎(ごと)に飲食(おんじき)一餐(いっさん)を送(おく)り、這(こ)の龍婆(りゅうば)に与(あた)えて口(くち)を度(わた)らしめ、少(すこ)しも差訛(さか=過(あやま)ち)有(あ)らば、即(すなわ)ち行(ぎょう)じて斬(き)らしむ。衆神(しゅうしん)暗(あん)に領諾(りょうだく=承(うけたまわ))す。
行者(ぎょうじゃ)却(かえ)って芝草(しそう=霊芝(れいし)の草(くさ))を将(も)って十三層(じゅうさんそう)の塔(とう)を層層(そうそう)に掃(は)き過(す)ぎ、瓶(へい)の内(うち)に安(やすん)じ、舎利子(しゃりし)を温養(おんよう)す。
此(こ)れ才(はじ)めて是(こ)れ旧(きゅう)を整(ととの)えて新(あたら)しきが如(ごと)く、霞光(かこう)万道(ばんどう)、瑞気(ずいき)千条(せんじょう)、依然(いぜん)として八方(はっぽう)共(とも)に睹(み)、四国(しこく)同(とも)に瞻(み)る。
塔門(とうもん)を下(お)るに、国王(こくおう)就(すなわ)ち謝(しゃ)して道(い)う、
「老仏(ろうぶつ)と三位(さんみ)の菩薩(ぼさつ)の此(ここ)に到(いた)らざれば、怎(いか)でか此(こ)の事(こと)を明(あき)らかにするを得(え)んや!」と。
行者道(い)う、
「陛下(へいか)、金光(きんこう)の二字(にじ)は好(よ)からず、是(こ)れ久(ひさ)しく住(とど)まるべきの物(もの)に非(あら)ず。金(きん)は乃(すなわ)ち流動(りゅうどう)の物(もの)、光(ひかり)は乃(すなわ)ち熌灼(せんしゃく=ちらちらする)の気(き)なり。貧僧(ひんそう)汝(なんじ)の為(ため)に此(こ)の場(ば)を労碌(ろうろく=骨折(ほねお))せり。此(こ)の寺(てら)を将(も)って改(あらた)めて伏龍寺(ふくりゅうじ)と做(な)し、汝(なんじ)をして永遠(えいえん)に常存(じょうそん=長(なが)く存(そん))せしめん」と。
那(か)の国王(こくおう)即(すなわ)ち字号(じごう=文字(もじ))を換(か)うるを命(めい)じ、新(あたら)しき匾(へん=扁額(へんがく))を懸(か)けしむ。乃(すなわ)ち是(こ)れ「勅建護国伏龍寺(ちょくけんごこくふくりゅうじ)」なり。
一壁廂(いっぺきしょう=一方(いっぽう))には御宴(ぎょえん)を安排(あんばい)し、一壁廂(いっぺきしょう=他方(たほう))には丹青(たんせい=絵師(えし))を召(め)して四衆(ししゅう)の生形(せいけい=姿(すがた))を写(うつ)させ、五鳳楼(ごほうろう)に名号(みょうごう)を注(ちゅう)す。
国王(こくおう)鑾駕(らんが=天子(てんし)の車(くるま))を擺(なら)べ、唐僧(とうそう)の師徒(しと)を送(おく)り、金玉(きんぎょく)を賜(たま)いて酬答(しゅうとう=返礼(へんれい))せんとすれど、師徒達(しとたち)堅(かた)く辞(じ)して、一毫(いちごう)も受(う)けず。
這(こ)れ真(まこと)に箇(こ)れ是(こ)れ:
邪怪(じゃかい)剪除(せんじょ)されて万境(ばんきょう)静(しず)かに、
宝塔(ほうとう)光(ひかり)を回(めぐ)らして大地(だいち)明(あき)らかなり。
畢竟(つい)に此(こ)の去(ゆ)きて前路(ぜんろ)の如何(いかん)を知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聽(き)け。