善正(ぜんしょう)なれば万縁(ばんえん)収(おさ)まり、名誉(めいよ)伝(つた)わり揚(あ)がる四部洲(しぶしゅう)。
智慧(ちえ)光明(こうみょう)彼岸(ひがん)に登(のぼ)る、飕飕(しゅうしゅう=風(かぜ)の音(おと))、靉靉(あいあい=雲(くも)の湧(わ)き立(た)つさま)として雲(くも)天際(てんさい=空(そら)の果(は)て)の頭(ほとり)に生(しょう)ず。
諸仏(しょぶつ)共(とも)に相(あい)酬(むく)い、永(なが)く瑶台(ようだい)に住(す)むこと万万秋(ばんばんしゅう=幾万(いくまん)の秋(あき))。
人間(にんげん)の蝴蝶夢(こちょうむ=胡蝶(こちょう)の夢(ゆめ))を打(う)ち破(やぶ)り、休休(きゅうきゅう=やめよやめよ)、塵氛(じんぷん=俗世(ぞくせ)の穢(けが)れ)を滌(あら)い浄(きよ)めて愁(うれい)を惹(ひ)かず。
話(かく)かた三蔵(さんぞう)師徒(しと)、汚穢(おわい)の胡同(こうず)を洗(あら)い、逍遥(しょうよう)の道路(どうろ)に上(のぼ)る。光陰(こういん)迅速(じんそく)にして、又(また)炎天(えんてん=暑(あつ)き夏(なつ))に値(あた)る。正(まさ)に是(こ)れ、
海榴(かいりゅう=海(うみ)の石榴(ざくろ))は錦弾(きんだん=錦(にしき)の弾(たま))を舒(の)べ、荷葉(かよう=蓮(はす)の葉(は))は青盤(せいばん=青(あお)き皿(さら))を綻(はじ)く。
両路(りょうろ=両側(りょうがわ))の緑楊(りょくよう=緑(みどり)の柳(やなぎ))に乳燕(にゅうえん=雛(ひな)の燕(つばめ))を蔵(かく)し、行人(こうじん=旅人(たびびと))暑(しょ)を避(さ)けて扇(おうぎ)を揺(ゆ)らし綺(き=薄絹(うすぎぬ)の袴(はかま))を動(うご)かす。
前(まえ)へ進(すす)み行(ゆ)く処(ところ)、忽(たちま)ち一(ひと)つの城池(じょうち=城(しろ)と堀(ほり))の相近(あいちか)づけるを見(み)る。三蔵(さんぞう)馬(うま)を勒(たづな)めて叫(よ)ぶ、「徒弟(とてい)たちよ、汝等(なんだち)看(み)よ那(あ)れは是(こ)れ甚(なん)の去処(ところ)ぞ」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「師父(しふ)は元来(もと)字(じ)を識(し)らず、虧(あやま)って汝(なんじ)怎(いか)でか唐王(とうおう)の旨意(しい)を領(りょう)して朝(ちょう)を離(はな)れしや」と。三蔵(さんぞう)道(い)う、「我(われ)自幼(じゆう=幼(おさな)きより)僧(そう)と為(な)りて、千経万典(せんけいばんてん)皆(みな)通(つう)ず。怎(いか)でか我(われ)の字(じ)を識(し)らずと説(い)うや」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「既(すで)に字(じ)を識(し)らば、怎(いか)でか那(か)の城頭(じょうとう=城壁(じょうへき)の上(うえ))の杏黄旗(きょうこうき=杏(あんず)色(いろ)の旗(はた))に、明(あき)らかに三(みっ)つの箇(こ)の大字(だいじ)を書(か)けるを、就(すなわ)ち認(みと)め得(え)ずして、却(かえ)って是(こ)れ甚(なん)の去処(ところ)ぞと問(と)うは何(なん)ぞや」と。三蔵(さんぞう)喝(かつ)して道(い)う、「此(こ)の潑猴(はつこう=暴(あば)れ猿(さる))め胡説(こせつ=でたらめ)を言(い)う! 那(か)の旗(はた)は風(かぜ)に吹(ふ)かれて乱(みだ)りに擺(ゆ)るる、縦(たと)い字(じ)有(あ)るも也(また)看(み)て明白(めいはく)ならず」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「老孫(ろうそん)偏(ひとえ)に怎(いか)でか看(み)えしや」と。八戒(はっかい)沙僧(しゃそう)道(い)う、「師父(しふ)、師兄(しけい)の搗鬼(とうき=たわごと)を聴(き)くこと莫(なか)れ。此(か)くの般(ごと)く遥(はる)かに望(のぞ)むに、城池(じょうち)尚(なお)明白(めいはく)ならず、如何(いか)でか就(すなわ)ち是(こ)れ甚(なん)の字号(じごう=文字(もじ))なるを見(み)んや」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「却(かえ)って是(こ)れ朱紫国(ししこく)の三字(さんじ)ならずや」と。三蔵(さんぞう)道(い)う、「朱紫国(ししこく)は必(かなら)ず是(こ)れ西邦(せいほう=西(にし)の国(くに))の王位(おうい)なれば、却(かえ)って関文(かんぶん=通行証(つうこうしょう))を倒換(とうかん=書(か)き換(か))えんことを要(よう)す」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「講(こう=論(あげつら))ずるを消(け)さず」と。
多(あま)たの時(とき)ならずして、城門(じょうもん)に至(いた)りて馬(うま)を下(お)り橋(はし)を過(わた)り、進(すす)んで三層門(さんそうもん)の裡(うち)に入(い)れば、真(まこと)に箇(こ)好(よ)き箇(こ)の皇州(こうしゅう=帝都(ていと))なり!
但(た)だ見(み)る、門楼(もんろう)高(たか)く聳(そび)え、垜迭(だじゅう=胸壁(むなかべ))斉(ひとし)く排(なら)ぶ。
周囲(しゅうい)に活水(かっすい=流(なが)れる水(みず))通流(つうる)し、南北(なんぼく)に高山(こうざん)相対(あいたい)す。
六街三市(ろくがいさんし=大通(おおどお)りと市場(いちば))に貨資(かし=商品(しょうひん))多(おお)く、万戸千家(ばんこせんか=幾万(いくまん)の家(いえ))に生意(せいい=商(あきな)い)盛(さか)んなり。
果(はた)して是(こ)れ箇(こ)の帝王(ていおう)都会(とかい)の処(ところ)、天府(てんふ)大京城(だいけいじょう)なり。
絶域(ぜついき=遠(とお)き地(ち))より梯航(ていこう=山(やま)を越(こ)え海(うみ)を渡(わた))り至(いた)り、遐方(かほう=遠(とお)き国(くに))より玉帛(ぎょくはく=貢物(みつぎもの))盈(み)つ。
形勝(けいしょう=地形(ちけい)の勝(すぐ)れ)は山(やま)に連(つら)なりて遠(とお)く、宮垣(きゅうえん=宮(みや)の塀(へい))は漢(かん=天(あま)の川(がわ))に接(せっ)して清(きよ)し。
三関(さんかん)厳(きびし)く鎖鑰(さやく=錠前(じょうまえ)と鍵(かぎ))、万古(ばんこ)に升平(しょうへい=泰平(たいへい))を楽しむ。
師徒(しと)たち那(か)の大街市(だいがいし=大通(おおどお)り)の上(うえ)を在(あ)りて行(ゆ)く時(とき)、但(た)だ見(み)る、人物(じんぶつ)軒昂(けんこう=立派(りっぱ))に、衣冠(いかん)斉(ひとし)く整(ととの)い、言語(げんご)清朗(せいろう=爽(さわ)やか)にして、真(まこと)に大唐(だいとう)の世界(せかい)に亜(つ)がざるなり。那(か)の両辺(りょうへん)の買(か)いを做(な)し売(う)りを做(な)す者(もの)、忽(たちま)ち猪八戒(ちょはっかい)の相貌(そうぼう)の醜陋(しゅうろう)、沙和尚(しゃおしょう)の面(おもて)黒(くろ)く身(み)長(なが)き、孫行者(そんぎょうじゃ)の臉(かお)に毛(け)有(あ)り額(ひたい)廓(かく=張(は))りたるを見(み)、売買(ばいばい)を棄(す)てて、都(すべ)て来(きた)りて争(あらそ)いて看(み)る。三蔵(さんぞう)只(た)だ叫(よ)ぶ、「禍(わざわい)を撞(ひ)き起(おこ)すこと莫(なか)れ! 頭(あたま)を低(た)れて走(はし)れ」と。
八戒(はっかい)遵依(じゅんい=従(したが))い、箇(こ)の蓮蓬嘴(れんぽうし=蓮(はす)の実(み)の如(ごと)き嘴(くちばし))を把(と)って懐(ふところ)の裡(うち)に揣(いだ)き、沙僧(しゃそう)敢(あ)えて仰(あお)ぎ視(み)ず、惟(た)だ行者(ぎょうじゃ)のみ東(ひがし)を張(は)り西(にし)を望(のぞ)みて緊(きつ)と唐僧(とうそう)の左右(さゆう)に随(したが)う。那(か)の些(これら)の事(こと)を知(し)れる人(ひと)は、看(み)る児(しばらく)して就(すなわ)ち回(かえ)り去(ゆ)く。那(か)の游手好閑(ゆうしゅこうかん=ぶらぶらし立(た)ち)の有(あ)り、并(なら)びに那(か)の頑童(がんどう=いたずら小僧(こぞう))たちは、烘烘(こうこう=わいわい)と笑(わら)い笑(わら)い、都(すべ)て上前(じょうぜん)に瓦(かわら)を抛(な)げ磚(れんが)を投(な)げて、八戒(はっかい)と作戯(さくぎ=戯(たわむ))れす。唐僧(とうそう)一(ひと)つの把(つかみ)の汗(あせ)を捏(ひね)りて、只(た)だ教(おし)う、「事(こと)を生(しょう)ずること莫(なか)れ」と。那(か)の呆子(ほうず)敢(あ)えて頭(あたま)を挙(あ)げず。
多(あま)たの時(とき)ならずして、隅頭(ぐうとう=角(かど))を転(まわ)り過(す)ぎ、忽(たちま)ち一(ひと)つの座(ざ)の門牆(もんしょう=門(もん)と塀(へい))の、上(うえ)に会同館(かいどうかん)の三字(さんじ)有(あ)るを見(み)る。唐僧(とうそう)道(い)う、「徒弟(とてい)よ、我等(われら)此(こ)の衙門(がもん=役所(やくしょ))に進(すす)み去(ゆ)かん」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「進(すす)み去(ゆ)きて怎(なん)ぞや」と。唐僧(とうそう)道(い)う、「会同館(かいどうかん)は乃(すなわ)ち天下(てんか)の通会通同(つうかいつうどう=集(あつ)まり通(つう)じ合(あ))うの所(ところ)なれば、我等(われら)も也(また)打撹(だきょう=邪魔(じゃま))するを得(う)る。且(しばら)く裡(うち)の面(めん)に到(いた)りて歇(やす)み下(おろ)さん。
我(われ)の駕(が)に見(まみ)え、関文(かんぶん)を倒換(とうかん)し了(おお)えしを待(ま)ちて、再(ま)た趕(いそ)いで城(しろ)を出(い)でて路(みち)を走(はし)らん」と。八戒(はっかい)言(げん)を聞(き)き、嘴(くちばし)を掣(ひっさ)げ出(いだ)して、那(か)の些(これら)の随(したが)いて看(み)る人(ひと)を唬(おどろ)かし倒(たお)すこと数十個(すうじゅうこ)、彼(かれ)上前(じょうぜん)に道(い)う、「師父(しふ)の説(と)けるは是(ただ)し。我等(われら)且(しばら)く裡辺(うち)へ到(いた)りて蔵(かく)れ下(おろ)し、此(こ)の伙(くみ)の鳥人(ちょうじん=けだものめら)の吵嚷(そうじょう=騒(さわ)ぎ立(た))つるを免(まぬか)れん」と。遂(つい)に館(かん)に進(すす)み去(ゆ)けば、那(か)の些(これら)の人(ひと)方(はじ)めて漸漸(ぜんぜん)として而(しか)く退(しりぞ)く。
却(さ)て説(と)く、那(か)の館(かん)の中(うち)に二(ふた)りの館使(かんし=館(かん)の役人(やくにん))有(あ)り、乃(すなわ)ち是(こ)れ一(ひと)りの正(せい)と一(ひと)りの副(ふく)と、都(すべ)て庁(ちょう=広間(ひろま))の上(うえ)に在(あ)りて人夫(にんぷ)を査点(さてん=点検(てんけん))し、那(いずこ)へ往(ゆ)きて官(かん)を接(むか)えんとす。忽(たちま)ち唐僧(とうそう)の来(きた)り到(いた)るを見(み)、箇箇(かくかく=めいめい)心(こころ)驚(おどろ)き、斉(ひとし)く道(い)う、「是(こ)れ甚(なん)の人(ひと)ぞ、是(こ)れ甚(なん)の人(ひと)ぞ、那(いずこ)へか往(ゆ)きて走(はし)る」と。三蔵(さんぞう)掌(てのひら)を合(あわ)せて道(い)う、「貧僧(ひんそう)は乃(すなわ)ち東土(とうど)大唐(だいとう)の駕下(がか=御代(みよ))より、西天(せいてん)へ経(きょう)を取(と)りに差(つか)わされし者(もの)なり。今(いま)宝方(ほうほう=貴地(きち))に到(いた)り、敢(あ)えて私(ひそか)に過(す)ぎず、関文(かんぶん)の倒験(とうけん=調(しら)べ改(あらた))めて放行(ほうこう=通(とお))さんことを欲(ほっ)する有(あ)れば、権(かり)に高衙(こうが=貴(とうと)きお役所(やくしょ))を借(か)りて暫(しばら)く歇(やす)まん」と。那(か)の二(ふた)りの館使(かんし)言(げん)を聴(き)き、左右(さゆう)を屏(しりぞ)けしめ、一(ひと)り一(ひと)り冠(かんむり)を整(ととの)え帯(おび)を束(つか)ね、庁(ちょう)を下(お)りて迎(むか)え上(あ)がりて相見(しょうけん)し、即(すなわ)ち客房(きゃくぼう=客間(きゃくま))を掃(は)き除(のぞ)いて安歇(あんけつ=休(やす))ましむるを命(めい)じ、清素(せいそ=精進(しょうじん))の支応(しおう=供応(きょうおう))を弁(べん)ぜしむ。三蔵(さんぞう)謝(しゃ)す。二官(にかん=二人(ふたり)の役人(やくにん))人夫(にんぷ)を帯領(たいりょう)し、庁(ちょう)を出(い)でて去(ゆ)く。手下(しゅか)の人(ひと)老爺(ろうや)を請(しょう)じて客房(きゃくぼう)に安歇(あんけつ)せしむ。三蔵(さんぞう)便(すなわ)ち走(はし)らんとするに、行者(ぎょうじゃ)恨(うら)んで道(い)う、「此(こ)の奴(やつ)め憊懶(はいらん=不埒(ふらち))なり! 怎(いか)でか老孫(ろうそん)を正庁(せいちょう=表(おもて)の間(ま))に在(あ)らしめざるや」と。三蔵(さんぞう)道(い)う、「彼等(かれら)が此(ここ)は我(わ)が大唐(だいとう)の管属(かんぞく=管轄(かんかつ))に服(ふく)せず、又(また)我(わ)が国(くに)と相連(あいつら)ならず、況(いわん)や時(とき)を時(とき)ならず又(また)上司(じょうし)の過客(かかく=通(とお)りすがりの客(きゃく))の往来(おうらい)有(あ)れば、故(ゆえ)に以(もっ)て好(よ)く此(ここ)に留(とど)めて相待(あいま)つべからず」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「此(か)くの如(ごと)く説(と)かば、我(われ)偏(ひとえ)に彼(かれ)をして相待(あいま)たしめん」と。
正(まさ)に説(と)く処(ところ)、事(こと)を管(つかさど)る者(もの)の支応(しおう)を送(おく)り来(きた)る。乃(すなわ)ち是(こ)れ一(ひと)つの盤(ばん=皿(さら))の白米(はくまい)、一(ひと)つの盤(ばん)の白面(はくめん=小麦粉(こむぎこ))、兩把(りょうは=二(ふた)つかみ)の青菜(せいさい)、四(よっ)つの塊(かたまり)の豆腐(とうふ)、二(ふた)つの麺筋(めんきん)、一(ひと)つの盤(ばん)の乾筍(かんじゅん=干(ほ)し筍(たけのこ))、一(ひと)つの盤(ばん)の木耳(もくじ=きくらげ)なり。三蔵(さんぞう)徒弟(とてい)に収(おさ)めしめ、事(こと)を管(つかさど)る者(もの)に謝(しゃ)す。事(こと)を管(つかさど)る者(もの)道(い)う、「西房(せいぼう=西(にし)の部屋(へや))の裡(うち)に干浄(かんじょう=清潔(せいけつ))なる鍋竈(かまど)有(あ)り、柴火(さいか=薪(たきぎ))方便(ほうべん=手軽(てがる))なり。請(こ)い自(みずか)ら去(ゆ)きて飯(めし)を作(つく)れ」と。三蔵(さんぞう)道(い)う、「我(われ)汝(なんじ)に一声(ひとこえ)問(と)わん、国王(こくおう)は殿(でん)の上(うえ)に在(ましま)すか」と。
事(こと)を管(つかさど)る者(もの)道(い)う、「我(わ)が万歳爺爺(ばんぜいやや=わが君(きみ))は久(ひさ)しく朝(ちょう)に上(のぼ)らず、今日(こんにち)は乃(すなわち)是(こ)れ黄道(こうどう=吉日(きちじつ))良辰(りょうしん=良(よ)き日(ひ))にして、正(まさ)に文武(ぶんぶ)の多官(たかん)と黄榜(こうぼう=勅(みことのり)の榜(たてふだ))を議(ぎ)し出(いだ)さんとす。汝(なんじ)若(も)し関文(かんぶん)を倒換(とうかん)せんと欲(ほっ)せば、此(こ)の機(き)に趁(じゅん)じて急(いそ)ぎ去(ゆ)かば還(ま)た趕(お)い上(か)かん。明日(みょうにち)に到(いた)らば、就(すなわ)ち能(よ)く彀(た)らず、還(ま)た幾(いく)らの時(とき)の伺候(しこう=待(ま)たさ)るるかを知(し)らず」と。三蔵(さんぞう)道(い)う、「悟空(ごくう)、汝等(なんだち)此(ここ)に在(あ)りて斎飯(さいぱん=精進(しょうじん)の食事(しょくじ))を安排(あんばい=用意(ようい))せよ、我(われ)の急(いそ)ぎ急(いそ)ぎ去(ゆ)きて関文(かんぶん)を験(あらた)めて回(かえ)り来(きた)り、食(くら)いて路(みち)を走(はし)らんを待(ま)て」と。八戒(はっかい)急(いそ)ぎ袈裟(けさ)と関文(かんぶん)とを取(と)り出(いだ)す。三蔵(さんぞう)整(ととの)え束(つか)ねて朝(ちょう)に進(すす)み、只(た)だ是(こ)れ徒弟(とてい)たちに吩咐(ふんぷ=言(い)い含(ふく))めて、切(きっ)して外(そと)へ出(い)で去(ゆ)きて事(こと)を生(しょう)ずべからずとす。
時(とき)を時(とき)ならずして、已(すで)に五鳳楼(ごほうろう)の前(まえ)に到(いた)る。説(と)き尽(つく)すべからず那(か)の殿閣(でんかく)の崢嶸(そうこう=聳(そび))え、楼台(ろうだい)の壮麗(そうれい)なるを。直(ただ)ちに端門(たんもん)の外(そと)に至(いた)り、奏事官(そうじかん=取次(とりつ)ぎの官(かん))を煩(わずら)わして天廷(てんてい=天子(てんし)の御前(ごぜん))に転達(てんだつ)し、関文(かんぶん)を倒験(とうけん)せんと欲(ほっ)す。那(か)の黄門官(こうもんかん=門(もん)の官(かん))果(はた)して玉階(ぎょくかい=玉(たま)の階(きざはし))の前(まえ)に至(いた)りて啓奏(けいそう)して道(い)う、「朝門(ちょうもん)の外(そと)に東土(とうど)大唐(だいとう)欽差(きんさ=勅使(ちょくし))の一員(いちいん)の僧(そう)有(あ)り、西天(せいてん)雷音寺(らいおんじ)に前往(ゆ)きて仏(ほとけ)を拝(はい)し経(きょう)を求(もと)めんとし、通関文牒(つうかんぶんじょう=通行(つうこう)の文書(ぶんしょ))を倒換(とうかん)せんと欲(ほっ)し、宣(せん=召(め)し)を聴(き)く」と。国王(こくおう)言(げん)を聞(き)き喜(よろこ)んで道(い)う、「寡人(かじん=われ)久(ひさ)しく病(や)みて、曾(かつ)て登基(とき=位(くらい)に即(つ))かず。今(いま)殿(でん)に上(のぼ)りて榜(ぼう)を出(いだ)して医(い)を招(まね)かんとするに、就(すなわ)ち高僧(こうそう)の国(くに)に来(きた)る有(あ)り」と。即(すなわ)ち旨(むね)を伝(つた)えて階(きざはし)の下(もと)に宣(め)し至(いた)らしむ。三蔵(さんぞう)即(すなわ)ち礼拜(らいはい)して俯伏(ふふく=平伏(へいふく))す。国王(こくおう)又(また)金殿(きんでん)の上(うえ)に宣(め)し上(あ)げて坐(ざ)を賜(たま)い、光禄寺(こうろくじ)に命(めい)じて斎(とき=精進(しょうじん)料理(りょうり))を弁(べん)ぜしむ。三蔵(さんぞう)恩(おん)を謝(しゃ)し、関文(かんぶん)を将(もっ)て献(たてまつ)る。国王(こくおう)看(み)畢(おわ)り、十分(じゅうぶん)に歓喜(かんき)して道(い)う、「法師(ほうし)よ、汝(なんじ)が那(か)の大唐(だいとう)は、幾朝(いくちょう)の君(きみ)か正(ただし)く、幾輩(いくはい)の臣(しん)か賢(かしこ)き。唐王(とうおう)に至(いた)りては、何(なん)に因(よ)りて疾(やまい)を作(な)して回生(かいせい=生(い)き返(かえ))りし、汝(なんじ)をして遠(とお)く山川(さんせん)を渉(わた)らしめて経(きょう)を求(もと)めしむるや」と。
此(こ)の長老(ちょうろう)問(と)われるに因(よ)り、即(すなわ)ち身(み)を欠(か)けて掌(てのひら)を合(あわ)せて道(い)う、「貧僧(ひんそう)が那(か)の処(ところ)は、三皇(さんこう)世(よ)を治(おさ)め、五帝(ごてい)倫(みち)を分(わ)かつ。堯舜(ぎょうしゅん)位(くらい)を正(ただ)し、禹湯(うとう)民(たみ)を安(やす)んず。成周(せいしゅう)の子衆(ししゅう=子孫(しそん))は、各(おのおの)乾坤(けんこん)を立(た)つ。強(つよ)きに倚(よ)りて弱(よわ)きを欺(あざむ)き、国(くに)を分(わ)かちて君(きみ)と称(しょう)す。邦君(ほうくん)十八(じゅうはち)、分野(ぶんや)に辺塵(へんじん=辺境(へんきょう)の塵(ちり))有(あ)り。後(のち)十二(じゅうに)と成(な)り、宇宙(うちゅう)安淳(あんじゅん=安(やす)らかに淳(すなお))かなり。
車馬(しゃば)無(な)きに因(よ)りて、却(かえ)って又(また)相(あい)吞(の)む。七雄(しちゆう)勝(かち)を争(あらそ)い、六国(ろっこく)秦(しん)に帰(き)す。天(てん)は魯沛(ろはい)を生(しょう)じて、各(おのおの)不仁(ふじん)を懐(いだ)く。江山(こうざん)漢(かん)に属(ぞく)し、約法(やくほう)欽(つつし)み遵(したが)う。漢(かん)は司馬(しば)に帰(き)し、晋(しん)又(また)紛紜(ふんうん=乱(みだ)れ)る。南北(なんぼく)十二(じゅうに)、宋斉梁陳(そうせいりょうちん)。列祖(れっそ)相(あい)継(つ)ぎ、大隋(だいずい)真(しん)を紹(つ)ぐ。花(はな)を賞(しょう)して道(みち)無(な)く、塗炭(とたん=泥(どろ)と炭火(すみび))に民(たみ)多(おお)し。我(わ)が王(おう)は李氏(りし)、国号(こくごう)は唐君(とうくん)なり。高祖(こうそ)晏駕(あんが=崩御(ほうぎょ))し、当今(とうぎん=今(いま)の君(きみ))は世民(せいみん)なり。河(か)清(きよ)く海(うみ)晏(やす)く、大徳(だいとく)寛仁(かんじん)なり。茲(ここ)に因(よ)りて長安城(ちょうあんじょう)の北(きた)に、箇(ひと)の怪(あや)しき水竜神(すいりゅうしん)有(あ)りて、甘雨(かんう=恵(めぐ)みの雨(あめ))を刻減(こくげん=減(へ)ら)して、応(まさ)に身(み)を損(そこな)うべきなりしが、夜間(やかん)夢(ゆめ)に托(たく)して、王(おう)に告(つ)げて迍(しゅん=苦難(くなん))を救(すく)わんことを求(もと)む。王(おう)言(げん)赦(ゆる)すを准(ゆる)し、早(はや)く賢臣(けんしん)を召(め)して、款(ねんご)ろに殿内(でんない)に留(とど)め、慢(ゆる)るとして棋(ご)を把(と)って輪(めぐ)らす。時(とき)正(まさ)に日中(にっちゅう)に当(あた)り、那(か)の賢臣(けんしん)夢(ゆめ)に竜身(りゅうしん=竜(りゅう)の身(み))を斬(き)れり」と。
国王(こくおう)言(げん)を聞(き)き、忽(たちま)ち呻吟(しんぎん=うめき声(ごえ))の声(こえ)を作(な)して問(と)うて道(い)う、「法師(ほうし)よ、那(か)の賢臣(けんしん)は是(こ)れ那邦(いずこ)より来(きた)れる者(もの)ぞ」と。三蔵(さんぞう)道(い)う、「就(すなわ)ち是(こ)れ我(わ)が王(おう)の駕前(がぜん=御前(ごぜん))の丞相(じょうしょう)、姓(せい)は魏(ぎ)名(な)は徵(ちょう)と曰(い)う。彼(かれ)天文(てんもん)を識(し)り、地理(ちり)を知(し)り、陰陽(いんよう)を弁(わきま)え、乃(すなわ)ち邦(くに)を安(やす)んじ国(くに)を立(た)つるの大宰輔(だいさいほ=大(おお)いなる宰相(さいしょう))なり。彼(かれ)が夢(ゆめ)に涇河(けいが)の龍王(りゅうおう)を斬(き)りしに因(よ)り、那(か)の龍王(りゅうおう)陰司(いんし=冥府(めいふ))に告(うった)えて、我(わ)が王(おう)の救(すく)うを許(ゆる)しながら又(また)之(これ)を殺(ころ)せりと説(と)けば、故(ゆえ)に我(わ)が王(おう)遂(つい)に促病(そくびょう=急病(きゅうびょう))を得(え)、漸(ようや)く身(み)の危(あや)うきを覚(おぼ)えたり。魏徵(ぎちょう)又(また)書(ふみ)一封(いっぷう)を写(うつ)し、我(わ)が王(おう)に帯(たい)し至(いた)らしめて冥司(めいし)に寄(よ)せ、酆都城(ほうとじょう)の判官(はんがん)崔珏(さいかく)に与(あた)えしむ。少(しばらく)して、唐王(とうおう)身(み)死(し)し、三日(みっか)に至(いた)りて復(ま)た回生(かいせい)するを得(え)たり。魏徵(ぎちょう)に虧(よ)り、崔判官(さいはんがん)の感(かん)じて文書(ぶんしょ)を改(あらた)め、王(おう)に二十年(にじゅうねん)の寿(じゅ)を加(くわ)えしめたり。今(いま)水陸大会(すいりくたいえ)を做(な)さんとす、故(ゆえ)に貧僧(ひんそう)を遣(つか)わして遠(とお)く道途(どうと)を渉(わた)らせ、諸国(しょこく)を詢(はか)り求(もと)め、仏祖(ぶつそ)を拝(はい)し、大乗(だいじょう)の経(きょう)三蔵(さんぞう)を取(と)り、孽苦(ごうく=罪(つみ)の苦(くるしみ))を超度(ちょうど=救(すく)い渡(わた))して升天(しょうてん)せしめんとす」と。
那(か)の国王(こくおう)又(また)呻吟(しんぎん)し嘆(たん)じて道(い)う、「誠(まこと)に乃(すなわち)是(こ)れ天朝(てんちょう)大国(たいこく)にして、君(きみ)正(ただし)く臣(しん)賢(かしこ)し! 我(わ)が寡人(かじん)の如(ごと)きは久(ひさ)しく病(や)みて時(とき)多(おお)きも、並(なら)びに一臣(いっしん)の拯救(すくい)する有(あ)らず」と。長老(ちょうろう)説(と)くを聴(き)き、睛(ひとみ)を偸(ぬす)みて観(み)るに、那(か)の皇帝(こうてい)の面(おもて)黄(き)ばみ肌(はだ)痩(や)せ、形(かたち)脱(だっ=痩(や)せ細(ほそ))り神(しん)衰(おとろ)えたるを見(み)る。長老(ちょうろう)正(まさ)に啓問(けいもん=問(と)い申(もう)し上(あ))げんと欲(ほっ)するに、光禄寺(こうろくじ)の官(かん)の唐僧(とうそう)を請(しょう)じて斎(とき)を奉(たてまつ)らしむるの奏(そう)有(あ)り。王(おう)旨(むね)を伝(つた)えて教(おし)う、「披香殿(ひこうでん)に在(あ)りて、朕(ちん)の膳(ぜん)と連(つら)ねて擺(なら)べ下(おろ)し、法師(ほうし)と同(とも)に享(う)けよ」と。
三蔵(さんぞう)恩(おん)を謝(しゃ)し、王(おう)と同(とも)に膳(ぜん)に進(すす)み斎(とき)に進(すす)むことは題(かた)らず。
却(さ)て説(と)く、行者(ぎょうじゃ)は会同館(かいどうかん)の中(うち)に在(あ)りて、沙僧(しゃそう)をして茶飯(さはん=茶(ちゃ)と飯(めし))を安排(あんばい)し、并(なら)びに素菜(そさい=精進(しょうじん)の菜(さい))を整(ととの)え治(おさ)めしむ。沙僧(しゃそう)道(い)う、「茶飯(さはん)は煮(に)るに容易(ようい)なれど、蔬菜(そさい=野菜(やさい))は好(よ)く安排(あんばい)し難(がた)し」と。行者(ぎょうじゃ)問(と)うて道(い)う、「如何(いかん)」と。沙僧(しゃそう)道(い)う、「油塩醤醋(ゆえんしょうさく=油(あぶら)・塩(しお)・味噌(みそ)・酢(す))倶(とも)に無(な)きなり」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「我(わ)が此(ここ)に幾文(いくもん)かの襯銭(しんせん=喜捨(きしゃ)の銭(ぜに))有(あ)り、八戒(はっかい)をして街(まち)に上(のぼ)りて買(か)いに去(ゆ)かしめん」と。那(か)の呆子(ほうず)懶(らん=怠(なま)け)を隠(かく)して道(い)う、「我(われ)敢(あ)えて去(ゆ)かず。嘴顔(しれん=面相(めんそう))俊(しゅん=見目(みめ))しきに欠(か)き、恐(おそ)らくは禍(わざわい)を惹(ひ)き下(くだ)して、師父(しふ)の我(われ)を怪(あやし)まんことを」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「公平(こうへい)の交易(こうえき=取引(とりひき))にして、又(また)他(かれ)に化(か=施(ほどこ)しを請(こ))わず、又(また)他(かれ)を搶(うば=奪(うば))わず、何(なん)の禍(わざわい)か之(こ)れ有(あ)らん」と。八戒(はっかい)道(い)う、「汝(なんじ)才(さい=たった今(いま))曾(かつ)て獐智(しょうち=間の抜(ぬ)けた様(さま))を見(み)ざりしか。此(こ)の門(もん)の前(まえ)に在(あ)りて嘴(くちばし)を扯(ひ)き出(いだ)して、人(ひと)を唬(おどろ)かし倒(たお)すこと十来個(じゅうらいこ=十(じゅう)ばかり)。若(も)し鬧市(とうし=賑(にぎ)やかな市場(いちば))の叢中(そうちゅう=人(ひと)だかりの中(なか))に到(いた)らば、也(また)幾(いく)らの人(ひと)をか唬(おどろ)かし殺(ころ)すかを知(し)らず」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「汝(なんじ)只(た)だ鬧市(とうし)の叢中(そうちゅう)を知(し)るのみ、汝(なんじ)曾(かつ)て那(か)の市(いち)の上(うえ)に売(う)るは是(こ)れ甚(なん)の東西(もの)なるを見(み)しか」と。八戒(はっかい)道(い)う、「師父(しふ)只(た)だ我(われ)に頭(あたま)を低(た)れて、禍(わざわい)を撞(ひ)くこと莫(なか)れと教(おし)う、実(じつ)に是(こ)れ曾(かつ)て見(み)ず」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、
酒店(しゅてん)・米鋪(べいほ=米屋(こめや))・磨坊(まぼう=粉挽(こなひ)き所(どころ))、并(なら)びに綾羅(りょうら=絹織物(きぬおりもの))雑貨(ざっか)は説(と)くを消(け)さず、着然(じゃくぜん=実(じつ)に)又(また)好(よ)き茶房(さぼう=茶屋(ぢゃや))・麺店(めんてん=麺(めん)の店(みせ))・大焼餅(だいしょうへい=大(おお)きき焼(や)き餅(もち))・大饃饃(だいまんとう=大(おお)きき饅頭(まんじゅう))、飯店(はんてん)又(また)好(よ)き湯飯(とうはん=汁(しる)かけ飯(めし))・好(よ)き椒料(しょうりょう=香辛料(こうしんりょう))・好(よ)き蔬菜(そさい)有(あ)り、那(か)の異品(いひん=珍(めず)らしき品(しな))の糖糕(とうこう=砂糖(さとう)の菓子(かし))・蒸酥(じょうそ=蒸(む)し菓子(がし))・点心(てんしん)・巻子(けんし=巻(ま)き菓子(がし))・油食(ゆしょく=油(あぶら)で揚(あ)げし物(もの))・蜜食(みつしょく=蜜(みつ)の菓子(かし))と、無数(むすう)の好(よ)き東西(もの)有(あ)り。我(われ)去(ゆ)きて些(いささ)か買(か)いて汝(なんじ)を請(しょう)ぜんには如何(いかん)」と。
那(か)の呆子(ほうず)説(と)くを聞(き)き、口(くち)の内(うち)に涎(よだれ)を流(なが)し、喉(のど)の裡(うち)に啯啯(かくかく=ごくごく)として唾(つば)を咽(の)み、跳(と)び起(お)きて道(い)う、「哥哥(あに)よ! 此(こ)の遭(たび=度(たび))は我(われ)汝(なんじ)に擾(わずらわ)す、次(つぎ)の趲銭(さんせん=金(かね)を貯(たくわ))うるを待(ま)ちて、我(われ)也(また)汝(なんじ)を請(しょう)じて回席(かいせき=返礼(へんれい)の宴(うたげ))せん」と。行者(ぎょうじゃ)暗(あん)かに笑(わら)って道(い)う、「沙僧(しゃそう)よ、好(よ)く生(いき)て飯(めし)を煮(に)れ、我等(われら)の去(ゆ)きて調和(ちょうわ=調味料(ちょうみりょう))を買(か)い来(きた)るを待(ま)て」と。沙僧(しゃそう)也(また)是(こ)れ呆子(ほうず)を耍(もてあそ)ぶを知(し)り、只(た)だ得(え)ず口(くち)に順(したが)って応承(おうしょう=引(ひ)き受(う))けて道(い)う、「汝等(なんだち)去(ゆ)かば、須(すべから)く是(こ)れ多(おお)く買(か)いて、飽(あ)き食(くら)いて来(きた)れ」と。那(か)の呆子(ほうず)箇(ひと)の碗盞(わんさん=碗(わん)と杯(さかずき))を撈(ひろ)い拿(と)り、就(すなわ)ち行者(ぎょうじゃ)に跟(したが)いて門(もん)を出(い)づ。二(ふた)りの在官人(ざいかんじん=役所(やくしょ)に詰(つ)める者(もの))の問(と)うて道(い)う、「長老(ちょうろう)何処(いずこ)へか去(ゆ)く」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「調和(ちょうわ)を買(か)わん」と。那(か)の人(ひと)道(い)う、「此(こ)の条(すじ)の街(まち)を西(にし)へ去(ゆ)き、拐角(かいかく=角(かど))の鼓楼(ころう=太鼓(たいこ)の楼(ろう))を転(まわ)り過(す)ぎれば、那(か)の鄭家(ていか)の雑貨店(ざっかてん)に、憑(よ)りて汝(なんじ)の幾(いく)らを買(か)うも、油塩醤醋(ゆえんしょうさく)・姜椒(きょうしょう=生姜(しょうが)と胡椒(こしょう))・茶葉(ちゃよう=茶(ちゃ)の葉(は))倶(とも)に全(まった)し」と。
彼(かれ)二(ふた)りは手(て)を携(たずさ)え相(あい)攙(ささ)え、径(ただ)ちに街(まち)の西(にし)へ上(のぼ)りて去(ゆ)く。行者(ぎょうじゃ)幾処(いくところ)かの茶房(さぼう)を過(す)ぎ、幾家(いくけ)かの飯店(はんてん)を過(す)ぐるも、当(まさ)に買(か)うべきを買(か)わず、当(まさ)に食(くら)うべきを食(くら)わず。八戒(はっかい)叫(よ)んで道(い)う、「師兄(しけい)よ、此(ここ)に将就(しょうしゅう=間に合(まにあ))わせて些(いささ)か買(か)いて用(もち)いんには」と。那(か)の行者(ぎょうじゃ)は元来(もと)彼(かれ)を耍(もてあそ)ぶにして、那(いずく)んぞ肯(あえ)て買(か)わんや。道(い)う、「賢弟(けんてい)よ、汝(なんじ)好(よ)く不経紀(ふけいき=要領(ようりょう)が悪(わる))いかな! 再(ま)た走走(そうそう=少(すこ)し歩(ある))け、大(おお)いなるを揀(えら)んで買(か)い食(くら)わん」と。二(ふた)りの人(ひと)話(はなし)を説(と)き話(はなし)の児(こ=話(はな)し)しつつ、又(また)許多(あまた)の人(ひと)の跟隨(ずいずい=付(つ)き従(したが))いて争(あらそ)いて看(み)るを領(ひ)く。時(とき)ならずして、鼓楼(ころう)の辺(ほとり)に到(いた)れば、只(た)だ見(み)る、那(か)の楼(ろう)の下(した)に無数(むすう)の人(ひと)の喧嚷(けんじょう=喚(わめ))き、擠擠挨挨(せいせいあいあい=押(お)し合(あ)い)いて、街(まち)を填(うず)め路(みち)を塞(ふさ)ぐ。八戒(はっかい)見(み)て道(い)う、「哥哥(あに)よ、我(われ)去(ゆ)かず。那(そこ)は人(ひと)の嚷(さわ)ぐこと緊(きつ)し。只(た)だ怕(おそ)らくは是(こ)れ和尚(おしょう)を拿(とら)うるならん。又(また)況(いわん)や是(こ)れ面生(めんせい=見知(みし)らぬ)可疑(かぎ=怪(あや)し)きの人(ひと)なれば、拿(とら)え去(ゆ)かれて、怎(いか)なさん」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「胡談(こだん=でたらめ)を言(い)うな! 和尚(おしょう)又(また)法(ほう)を犯(おか)さず、我(われ)を拿(とら)えて怎(なん)ぞや。我等(われら)走(はし)り過(す)ぎて去(ゆ)き、鄭家(ていか)の店(みせ)に到(いた)りて些(いささ)かの調和(ちょうわ)を買(か)い来(きた)らん」と。八戒(はっかい)道(い)う、「罷罷罷(やれやれ)! 我(われ)禍(わざわい)を撞(ひ)かず。此(こ)の一(ひと)たび人(ひと)の叢(むら)の裡(うち)に擠(お)し入(い)れられ、耳朵(じた=耳(みみ))を両(ふた)つ躧(ふ)み躧(ふ)まれて、彼(かれ)を唬(おどろ)かして跌跌爬爬(てつてつはは=転(ころ)んだり這(は)ったり)させ、幾箇(いくつ)かを跌(ころ)び死(し)なせなば、我(われ)倒(かえっ)て命(いのち)を償(つぐな)うなり」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「既(すで)に此(か)くの如(ごと)くんば、汝(なんじ)此(こ)の壁根(へきこん=壁(かべ)の根元(ねもと))の下(した)に在(あ)りて站(た)ち定(さだ)まれ、我(われ)の過(す)ぎ去(ゆ)きて買(か)い回(かえ)り来(きた)り、汝(なんじ)と素麺(そめん)・焼餅(しょうへい)を買(か)いて食(くら)わしめん」と。那(か)の呆子(ほうず)碗盞(わんさん)を将(もっ)て行者(ぎょうじゃ)に逓(わた)し、嘴(くちばし)を把(と)って牆根(しょうこん=塀(へい)の根元(ねもと))に拄(つ)かせ、臉(かお)を背(そむ)けて、死(し)するも也(また)動(うご)かず。
此(こ)の行者(ぎょうじゃ)楼(ろう)の辺(ほとり)に走(はし)り至(いた)れば、果(はた)して擠塞(きょうそく=押(お)し合(あ))い、直(ただ)ちに人(ひと)の叢(むら)の裡(うち)に挨(お)し入(い)りて聴(き)くに、元来(もと)是(こ)れ那(か)の皇榜(こうぼう=勅(みことのり)の榜(たてふだ))の楼(ろう)の下(した)に張(は)り掛(か)けられ、故(ゆえ)に多人(たにん=多(おお)くの人(ひと))の争(あらそ)いて看(み)るなり。行者(ぎょうじゃ)擠(お)し到(いた)りて近(ちか)き処(ところ)に、火眼金睛(かがんきんせい=火(ひ)の眼(まなこ)金(きん)の瞳(ひとみ))を閃(ひら)き開(ひら)き、仔細(しさい)に看(み)るに、那(か)の榜(ぼう)の上(うえ)に却(かえ)って云(い)う、「朕(ちん)西牛賀洲(さいごがしゅう)朱紫国王(ししこくこくおう)、業(ぎょう)を立(た)てしより以来(いらい)、四方(しほう)平服(へいふく)し、百姓(ひゃくせい)清安(せいあん)なり。近(ちか)ごろ国事(こくじ)の不祥(ふしょう)に因(よ)り、沈痾(ちんあ=長(なが)き病(やまい))枕(まくら)に伏(ふ)し、淹延(えんえん=長引(ながび))きて日久(にちきゅう=日数(にっすう))しく痊(い)え難(がた)し。本国(ほんごく)の太医院(たいいいん)は、屡(しばしば)良方(りょうほう)を選(えら)ぶも、未(いま)だ調治(ちょうじ=治癒(ちゆ))する能(あた)わず。今(いま)此(こ)の榜文(ぼうぶん)を出(いだ)し、普(あまね)く天下(てんか)の賢士(けんし)を招(まね)く。北往東来(ほくおうとうらい=北(きた)へ往(ゆ)き東(ひがし)より来(きた)る)、中華(ちゅうか)外国(がいこく)を拘(こだわ)らず、若(も)し精(くわ)しく医薬(いやく)する者(もの)有(あ)らば、請(こ)う宝殿(ほうでん)に登(のぼ)り、朕躬(ちんきゅう=わが身(み))を療理(りょうり=治癒(ちゆ))せよ。稍(やや)病(やまい)の愈(い)ゆるを得(う)れば、願(ねが)わくは社稷(しゃしょく=国(くに))を将(もっ)て平分(へいぶん)し、決(けっ)して虚(むな)しく示(しめ)さず。此(こ)の為(ため)に出(いだ)し給(たま)いて張掛(ちょうかく)す、須(すべから)く榜(ぼう)に至(いた)るべき者(もの)なり」と。
覧(み)畢(おわ)り、満心(まんしん)歓喜(かんき)して道(い)う、「古人(こじん)に云(い)う、行動(こうどう)すれば三分(さんぶん)の財気(ざいき=富(とみ)の気(き))有(あ)りと。早(はや)く是(こ)れ館(かん)の中(うち)に在(あ)りて呆(ぼう)と坐(ざ)せざるなり。即(すなわ)ち此(ここ)に必(かなら)ずしも甚(なん)の調和(ちょうわ)を買(か)わず、且(しばら)く把(と)って経(きょう)を取(と)るの事(こと)を一日(いちにち)寧耐(ねいたい=待(ま))たしめ、老孫(ろうそん)の箇(ひと)の医生(いせい=医者(いしゃ))と做(な)りて耍(あそ)ばんを待(ま)て」と。
好(よ)き大聖(たいせい)かな、腰(こし)を弯(かが)めて碗盞(わんさん)を放(おろ)し、一(ひと)つの撮(つまみ)の土(つち)を拈(ひね)り、上(うえ)へ向(むか)って洒(ま)き去(ゆ)き、一声(ひとこえ)の呪語(じゅご)を念(ねん)じ、箇(ひと)の隠身法(おんしんぽう=姿(すがた)を隠(かく)す術(じゅつ))を使(つか)い、軽(かる)く軽(かる)く上前(じょうぜん)して榜(ぼう)を掲(かか)げ、又(また)巽地(そんち=巽(たつみ)の方角(ほうがく))に朝(むか)って一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吸(す)い来(きた)りて吹(ふ)けば、那(か)の陣(じん)の旋風(せんぷう=つむじ風(かぜ))の起(おこ)る処(ところ)、彼(かれ)却(かえ)って身(み)を回(めぐ)らし、径(ただ)ちに八戒(はっかい)の站(た)つ処(ところ)に到(いた)る。只(た)だ見(み)る、那(か)の呆子(ほうず)は嘴(くちばし)を牆根(しょうこん)に拄(つ)かせて、却(かえ)って是(こ)れ睡(ねむ)り了(おお)せるが一般(ごと)し。行者(ぎょうじゃ)更(さら)に彼(かれ)を驚(おどろ)かさず、榜文(ぼうぶん)を将(もっ)て折(お)り、軽(かる)く軽(かる)く彼(かれ)が懐(ふところ)の裡(うち)に揣(いだ)き入(い)れ、步(あゆみ)を引(ひ)き転(めぐ)らして先(さき)に会同館(かいどうかん)へ往(ゆ)き去(ゆ)きて了(おお)せることは題(かた)らず。
却(さ)て説(と)く、那(か)の楼(ろう)の下(した)の衆人(しゅうじん)は、風(かぜ)の起(おこ)る時(とき)に見(み)て、各各(おのおの)頭(あたま)を蒙(おお)い眼(まなこ)を閉(と)ず。覚(おぼ)えず風(かぜ)の過(す)ぐる時(とき)、皇榜(こうぼう)没了(な)くして、衆(しゅう)皆(みな)悚懼(しょうく=おそれおのの)く。那(か)の榜(ぼう)には元(もと)十二箇(じゅうにこ)の太監(たいかん=宦官(かんがん))、十二箇(じゅうにこ)の校尉(こうい)有(あ)りて、早朝(そうちょう=朝早(あさはや))く領(りょう)し出(いだ)し、才(はじ)めて掛(か)けて三箇時辰(さんこじしん=六時間(ろくじかん))に上(のぼ)らざるに、風(かぜ)に吹(ふ)かれて去(ゆ)かれ、戦兢兢(せんせんきょうきょう)として左右(さゆう)を追尋(ついじん=追(お)い尋(たず))ぬ。忽(たちま)ち猪八戒(ちょはっかい)が懐(ふところ)の中(うち)より箇(ひと)の紙(かみ)の辺児(へんじ=端(はし))の露(あらわ)れ出(い)づるを見(み)、衆人(しゅうじん)近(ちか)づき前(まえ)に道(い)う、「汝(なんじ)榜(ぼう)を掲(かか)げ来(きた)れるか」と。那(か)の呆子(ほうず)猛(たけ)く頭(あたま)を挙(あ)げ、嘴(くちばし)を把(と)って一(ひと)たび噘(つきだ)せば、唬(おどろ)かされて那(か)の幾箇(いくつ)かの校尉(こうい)は踉踉蹡蹡(ろうろうしょうしょう=よろよろ)と地(ち)に跌(たお)れ倒(たお)る。
彼(かれ)却(かえ)って身(み)を転(めぐ)らして走(はし)らんとすれど、又(また)面前(めんぜん)の幾箇(いくつ)かの胆(きも)の大(おお)いなる者(もの)に扯(ひ)き住(とど)められて道(い)う、「汝(なんじ)招医(しょうい=医者(いしゃ)を招(まね)く)の皇榜(こうぼう)を掲(かか)げながら、還(ま)た進朝(しんちょう=参内(さんだい))して我(わ)が万歳(ばんぜい)を医治(いじ)せずして、却(かえ)って何(いず)くにか待(ま)たんとす」と。那(か)の呆子(ほうず)慌慌張張(こうこうちょうちょう=慌(あわ)てふため)きて道(い)う、「汝(なんじ)が儿子(じし=倅(せがれ))こそ便(すなわ)ち皇榜(こうぼう)を掲(かか)げよ! 汝(なんじ)が孫子(まご)こそ便(すなわ)ち会(え)して医治(いじ)せん」と。校尉(こうい)道(い)う、「汝(なんじ)が懐(ふところ)の中(うち)に揣(いだ)けるは是(こ)れ甚(なん)ぞ」と。呆子(ほうず)却(かえ)って才(はじ)めて頭(あたま)を低(た)れて看(み)るに、真(まこと)に箇(こ)一(ひと)つの張(はり)の字紙(じし=紙(かみ))有(あ)り、展(ひら)き開(ひら)いて一(ひと)たび看(み)、牙(きば)を咬(か)みて罵(ののし)って道(い)う、「那(か)の猢猻(こん=猿(さる)め)我(われ)を害(そこな)い殺(ころ)すなり」と。一声(ひとこえ)恨(うら)んで便(すなわ)ち扯(ひ)き破(やぶ)らんとすれど、早(はや)くも衆人(しゅうじん)に架(か)き住(とど)められて道(い)う、「汝(なんじ)は是(こ)れ死(し)したるなり! 此(こ)れは乃(すなわ)ち当今(とうぎん)の国王(こくおう)の出(いだ)し給(たま)える榜文(ぼうぶん)なるに、誰(たれ)か敢(あ)えて扯(ひ)き壊(こわ)たんや。汝(なんじ)既(すで)に懐(ふところ)の中(うち)に掲(かか)げ在(あ)らば、必(かなら)ず医国(いこく=国(くに)を治(なお))すの手(て)有(あ)らん。快(すみや)か我(われ)と同(とも)に去(ゆ)け」と。八戒(はっかい)喝(かつ)して道(い)う、「汝等(なんだち)知(し)らず、此(こ)の榜(ぼう)は是(こ)れ我(われ)の掲(かか)げしに非(あら)ず、是(こ)れ我(わ)が師兄(しけい)孫悟空(そんごくう)の掲(かか)げしなり。彼(かれ)暗(あん)かに暗(あん)かに我(わ)が懐(ふところ)の中(うち)に揣(いだ)き入(い)れ、彼(かれ)却(かえ)って我(われ)を放(おろ)し去(ゆ)きて了(おお)せり。若(も)し此(こ)の事(こと)の明白(めいはく)なるを得(う)れば、我(われ)汝(なんじ)と彼(かれ)を尋(たず)ね去(ゆ)かん」と。衆人(しゅうじん)道(い)う、「甚(なん)の乱話(らんわ=たわごと)をか説(と)く、現鍾(げんしょう=目(め)の前(まえ)の鐘(かね))を打(う)たずして鋳鐘(ちゅうしょう=鋳(い)るべき鐘(かね))を打(う)つや。汝(なんじ)現(げん)に榜文(ぼうぶん)を掲(かか)げたり、我等(われら)をして誰(たれ)をか尋(たず)ねしめん。汝(なんじ)を管(かま)わず! 扯(ひ)きて去(ゆ)きて主上(しゅじょう)に見(まみ)えん」と。那(か)の伙(くみ)の人(ひと)清白(せいはく=明白(めいはく))を分(わか)たず、呆子(ほうず)を将(もっ)て推推扯扯(すいすいしゃしゃ=押(お)し引(ひ))く。此(こ)の呆子(ほうず)脚(あし)を立(た)て定(さだ)むれば、便(すなわ)ち根(ね)を生(しょう)じたるが一般(ごと)し、十来箇(じゅうらいこ)の人(ひと)も也(また)彼(かれ)を弄(もてあそ)び動(うご)かすこと能(あた)わず。八戒(はっかい)道(い)う、「汝等(なんだち)高低(こうてい=分別(ふんべつ))を知(し)らず! 再(ま)た一会(いっかい)扯(ひ)かば、扯(ひ)き得(え)て我(わ)が呆性子(ほうせいし=愚(おろ)か根性(こんじょう))の発(はっ)するも、汝(なんじ)却(かえ)って怪(あやし)むこと休(や)めよ」と。
多(あま)たの時(とき)ならずして、街(まち)の人(ひと)を鬧(さわ)がし動(うご)かし、彼(かれ)を将(もっ)て囲繞(いにょう=取(と)り囲(かこ))めり。内(うち)に二(ふた)りの年(とし)老(お)いたる太監(たいかん)有(あ)りて道(い)う、「汝(なんじ)が此(こ)の相貌(そうぼう)稀奇(きき=珍(めず)らし)く、声音(せいおん=声(こえ))対(たい=合(あ))わず、是(こ)れ那(いずこ)より来(きた)れるや、此(か)くの般(ごと)く村強(そんきょう=粗野(そや))なるは」と。八戒(はっかい)道(い)う、「我等(われら)は是(こ)れ東土(とうど)より西天(せいてん)へ経(きょう)を取(と)りに差(つか)わされし者(もの)にして、我(わ)が師父(しふ)は乃(すなわ)ち唐王(とうおう)の御弟(ぎょてい=義兄弟(ぎきょうだい))の法師(ほうし)なり。却(かえ)って才(さい=たった今(いま))朝(ちょう)に入(い)り、関文(かんぶん)を倒換(とうかん)しに去(ゆ)けり。我(われ)師兄(しけい)と此(ここ)に来(きた)りて調和(ちょうわ)を買弁(ばいべん=買(か)い求(もと))めるに、我(われ)楼(ろう)の下(した)に人(ひと)の多(おお)きを見(み)、未(いま)だ曾(かつ)て敢(あ)えて去(ゆ)かず、是(こ)れ我(わ)が師兄(しけい)の我(われ)をして此(ここ)に在(あ)りて等候(とうこう=待(ま))たしめたるなり。彼(かれ)は元来(もと)榜文(ぼうぶん)の有(あ)るを見(み)、陣(じん)の旋風(せんぷう)を弄(ろう)して掲(かか)げ、暗(あん)かに我(わ)が懐(ふところ)の内(うち)に揣(いだ)き、先(さき)に去(ゆ)きて了(おお)せり」と。那(か)の太監(たいかん)道(い)う、「我(われ)頭前(とうぜん=先程(さきほど))箇(ひと)の白面(はくめん=白(しろ)き顔(かお))の胖(ゆた=太(ふと))りし和尚(おしょう)の、径(ただ)ちに朝門(ちょうもん)へ奔(はし)り去(ゆ)くを見(み)たりしが、想(おも)うに就(すなわ)ち是(こ)れ汝(なんじ)が師父(しふ)ならんか」と。八戒(はっかい)道(い)う、「正(まさ)に是(こ)れ、正(まさ)に是(こ)れ」と。太監(たいかん)道(い)う、「汝(なんじ)が師兄(しけい)は那(いずこ)へか去(ゆ)きしや」と。八戒(はっかい)道(い)う、「我等(われら)は一行四衆(いっこうししゅう)にして、師父(しふ)は関文(かんぶん)を倒換(とうかん)しに去(ゆ)き、我(われ)三衆(さんしゅう)と行嚢(こうのう)馬匹(ばひつ)とは倶(とも)に会同館(かいどうかん)に歇(やす)めり。師兄(しけい)は我(われ)を弄(もてあそ)び、彼(かれ)先(さき)に館(かん)の中(うち)へ回(かえ)り去(ゆ)けり」と。太監(たいかん)道(い)う、「校尉(こうい)よ、彼(かれ)を扯(ひ)くこと莫(なか)れ、我等(われら)同(とも)に館(かん)の中(うち)へ到(いた)らば、便(すなわ)ち端(たん=事情(じじょう))の的(まと=詳(くわ)しい所(ところ))を知(し)らん」と。八戒(はっかい)道(い)う、「汝(なんじ)が此(こ)の二(ふた)りの奶奶(ないない=おばあさま)は事(こと)を知(し)れるなり」と。衆(しゅう)の校尉(こうい)道(い)う、「此(こ)の和尚(おしょう)委(まこと)にくらし貨(か=物(もの)を知(し))らず! 怎(いか)でか公公(こうこう=おじいさま)に趕(お)いついて奶奶(ないない)と叫(よ)び起(おこ)すや」と。八戒(はっかい)笑(わら)って道(い)う、「羞(はじ)を知(し)らず! 汝(なんじ)が此(こ)の陰陽(いんよう)を反(かえ)したる奴(やつ)め! 彼(かれ)二位(にい)の老(お)い媽媽児(まあまある=おばあさん)を、彼(かれ)を叫(よ)んで婆婆奶奶(ばばないない=おばあさん)と做(な)さずして、倒(かえ)って彼(かれ)を叫(よ)んで公公(こうこう)と做(な)すや」と。衆人(しゅうじん)道(い)う、「嘴(くち)を弄(ろう)すること莫(なか)れ! 快(すみや)か汝(なんじ)が師兄(しけい)を尋(たず)ね去(ゆ)け」と。
那(か)の街(まち)の上(うえ)の人(ひと)吵吵鬧鬧(そうそうどうどう=がやがや騒(さわ))ぐこと、何(なん)ぞ三五百(さんごひゃく)を止(とど)めんや。共(とも)に扛(かつ)ぎて館(かん)の門(もん)の首(ほとり)に到(いた)る。八戒(はっかい)道(い)う、「列位(れっい)住(とど)まれ。我(わ)が師兄(しけい)は却(かえ)って我(われ)の汝等(なんだち)の任(まま)に作戯(さくぎ=戯(たわむ))れと比(くら)ぶべきならず、彼(かれ)は却(かえ)って是(こ)れ箇(ひと)の猛烈(もうれつ)認真(にんしん=真面目(まじめ))の士(し)なり。汝等(なんだち)見(み)なば、須(すべから)く箇(ひと)の大礼(たいれい)を行(おこな)い、彼(かれ)を叫(よ)んで一声(ひとこえ)の孫老爺(そんろうや)とせよ、彼(かれ)就(すなわ)ち招架(しょうか=応(おう))じ給(たま)わん。然(しか)らずんば、彼(かれ)就(すなわ)ち嘴顔(しれん=顔(かお)つき)を変(へん)じて、此(こ)の事(こと)却(かえ)って弄(ろう)し成(な)さざるなり」と。衆(しゅう)の太監(たいかん)校尉(こうい)俱(とも)に道(い)う、「汝(なんじ)が師兄(しけい)果(はた)して手段(しゅだん)有(あ)りて国王(こくおう)を医(いや)し好(よ)くせば、彼(かれ)也(また)該(まさ)に一半(いっぱん=半分(はんぶん))の江山(こうざん)有(あ)るべし、我等(われら)合(あ)うて該(まさ)に下拝(げはい)すべきなり」と。
那(か)の些(これら)の閑雑人(かんざつじん=野次馬(やじうま))は都(すべ)て門(もん)の外(そと)に在(あ)りて喧嘩(けんか=騒(さわ))ぐ。八戒(はっかい)一(ひと)つの行(ぎょう=連(つら))の太監(たいかん)校尉(こうい)を領(ひ)き、径(ただ)ちに館(かん)の中(うち)に入(い)れば、只(た)だ聞(き)く、行者(ぎょうじゃ)と沙僧(しゃそう)と客房(きゃくぼう)の裡(うち)に在(あ)りて正(まさ)に那(か)の榜(ぼう)を掲(かか)ぐるの事(こと)を説(と)きて耍笑(しゃしょう=戯(たわむ)れ笑(わら))うを。八戒(はっかい)上前(じょうぜん)に扯(ひ)き住(とど)めて乱(みだ)りに嚷(わめ)いて道(い)う、「汝(なんじ)箇(ひと)の人(ひと)と成(な)る可(べ)きか! 我(われ)を哄(だま)して素麺(そめん)・焼餅(しょうへい)・饃饃(まんとう)を買(か)いに去(ゆ)かしめ、我(われ)に食(くら)わせんとせしが、元来(もと)都(すべ)て是(こ)れ空頭(くうとう=空(から)手形(てがた))なり! 又(また)旋風(せんぷう)を弄(ろう)して、甚(なん)の皇榜(こうぼう)を掲(かか)げ、暗(あん)かに暗(あん)かに我(わ)が懐(ふところ)の裡(うち)に揣(いだ)き、我(われ)を拿(と)って胖(ふと)りを装(よそお)わしむ。此(こ)れ箇(こ)の弟兄(ていけい=兄弟(きょうだい))と成(な)る可(べ)きか」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「汝(なんじ)が此(こ)の呆子(ほうず)、想(おも)うに是(こ)れ路(みち)を錯(あやま)りて、別(べつ)の処(ところ)へ向(むか)いて走(はし)り去(ゆ)きたるならん。我(われ)鼓楼(ころう)を過(す)ぎ、調和(ちょうわ)を買(か)い、急(いそ)ぎ回(かえ)り来(きた)りて汝(なんじ)を尋(たず)ぬるに見(み)えず、我(われ)先(さき)に来(きた)れるに、那(いずこ)に在(あ)りて甚(なん)の皇榜(こうぼう)をか掲(かか)げんや」と。八戒(はっかい)道(い)う、「現在(げんざい)榜(ぼう)を看(み)るの官員(かんいん)の此(ここ)に在(ましま)す」と。
説(い)い了(おわ)らざるに、只(た)だ見(み)る、那(か)の幾箇(いくつ)かの太監(たいかん)校尉(こうい)の朝(ちょう=上(うえ))に向(むか)って礼拜(らいはい)して道(い)う、「孫老爺(そんろうや)、今日(こんにち)我(わ)が王(おう)の縁(えにし)有(あ)るは、天(てん)の老爺(ろうや)を遣(つか)わして下降(げこう)せしめ給(たま)えるなり。是(こ)れ必(かなら)ずや大(おおい)に経綸(けいりん=治国(ちこく))の手(て)を展(の)べ、微(いささ)かに三折肱(さんせっこう=医(い)の道(みち))を施(ほどこ)し、我(わ)が王(おう)の病(やまい)の愈(い)ゆるを治(おさ)め得(え)ば、江山(こうざん)に分(ぶん)有(あ)り、社稷(しゃしょく)を平分(へいぶん)するなり」と。行者(ぎょうじゃ)言(げん)を聞(き)き、声色(せいしょく=声音(こわいろ)と顔色(がんしょく))を正(ただ)し、八戒(はっかい)の榜文(ぼうぶん)を接(う)け取(と)り、衆(しゅう)に対(たい)して道(い)う、「汝等(なんだち)想(おも)うに是(こ)れ榜(ぼう)を看(み)るの官(かん)ならんか」と。太監(たいかん)叩頭(こうとう)して道(い)う、「奴婢(ぬひ=われら)は乃(すなわ)ち司礼監(しれいかん)の内臣(ないしん=宦官(かんがん))、此(こ)の幾箇(いくつ)かは是(こ)れ錦衣校尉(きんいこうい)なり」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「此(こ)の招医(しょうい)の榜(ぼう)は、委(まこと)に是(こ)れ我(われ)の掲(かか)げし所(ところ)なれば、故(ゆえ)に我(わ)が師弟(してい)を遣(つか)わして引見(いんけん=引(ひ)き合(あ)わ)せたり。既(すで)に然(しか)く汝(なんじ)が主(あるじ)に病(やまい)有(あ)らば、常言(じょうげん)に道(い)う、薬(くすり)は売(う)るに跟(したが)わず、病(やまい)は医(い)を討(もと)めずと。汝(なんじ)去(ゆ)きて那(か)の国王(こくおう)の親(みずか)ら来(きた)りて我(われ)を請(しょう)ぜしめよ、我(われ)に手到(しゅとう=手(て)を下(くだ))せば病(やまい)除(のぞ)かるの功(こう)有(あ)り」と。太監(たいかん)言(げん)を聞(き)き、驚駭(きょうがい=おどろき)せざるは無(なし)。校尉(こうい)道(い)う、「口(くち)に大言(たいげん)を出(いだ)せば、必(かなら)ず度量(どりょう=器量(きりょう))有(あ)り。我等(われら)一半(いっぱん=半分(はんぶん))を着(つか)わして此(ここ)に在(あ)りて啞(あ=黙(だま)っ)て請(しょう)ぜしめ、一半(いっぽん)を着(つか)わして朝(ちょう)に入(い)りて啓奏(けいそう)せしめん」と。当(まさ)に四箇(よんこ)の太監(たいかん)、六箇(ろっこ)の校尉(こうい)を分(わか)ち、更(さら)に宣召(せんしょう=召(め)し)を待(ま)たず、径(ただ)ちに朝(ちょう)に入(い)りて当階(とうかい=階(きざはし)の前(まえ))に奏(そう)して道(い)う、「主公(しゅこう)万千(ばんせん)の喜(よろこび)有(あ)り」と。
那(か)の国王(こくおう)正(まさ)に三蔵(さんぞう)と膳(ぜん)を畢(おわ)りて清談(せいだん=清(きよ)き話(はなし))するに、忽(たちま)ち此(こ)の奏(そう)を聞(き)き、問(と)うて道(い)う、「喜(よろこび)は何(いずこ)よりか来(きた)る」と。太監(たいかん)奏(そう)して道(い)う、「奴婢(ぬひ)等(とう)早(はや)く招医(しょうい)の皇榜(こうぼう)を領(りょう)し出(いだ)し、鼓楼(ころう)の下(した)に張掛(ちょうかく)せしに、東土(とうど)大唐(だいとう)より遠(とお)く来(きた)りて経(きょう)を取(と)るの箇(ひと)の聖僧(しょうそう)孫長老(そんちょうろう)の掲(かか)げ、現在(げんざい)会同館(かいどうかん)の内(うち)に在(ましま)して、王(おう)の親(みずか)ら去(ゆ)きて彼(かれ)を請(しょう)ぜんことを要(よう)す。彼(かれ)に手到(しゅとう)すれば病(やまい)除(のぞ)かるの功(こう)有(あ)り、此(こ)の故(ゆえ)に特(こと)に来(きた)りて啓奏(けいそう)す」と。国王(こくおう)言(げん)を聞(き)き満心(まんしん)歓喜(かんき)し、就(すなわ)ち唐僧(とうそう)に問(と)うて道(い)う、「法師(ほうし)に幾位(いくくらい)の高徒(こうと)有(あ)るや」と。三蔵(さんぞう)掌(てのひら)を合(あわ)せて答(こた)えて曰(いわ)く、「貧僧(ひんそう)に三箇(みっつ)の頑徒(がんと=出来(でき)の悪(わる)き弟子(でし))有(あ)り」と。国王(こくおう)問(と)う、「那(いず)れの一位(いちい)の高徒(こうと)か医(い)を善(よ)くするや」と。三蔵(さんぞう)道(い)う、「実(じつ)に陛下(へいか)に瞞(あざむ)きて説(と)かず、我(わ)が那(か)の頑徒(がんと)は倶(とも)に是(こ)れ山野(さんや)の庸才(ようさい=凡才(ぼんさい))にして、只(た)だ会(え)して包(つつみ)を挑(にな)い馬(うま)に背(せお)い、澗(たに)を転(まわ)り波(なみ)を尋(たず)ね、貧僧(ひんそう)を帯領(たいりょう)して山(やま)に登(のぼ)り嶺(みね)を渉(わた)り、或(あるい)は峻険(しゅんけん=険(けわ)しき)の処(ところ)に到(いた)りて、伏魔(ふくま)擒怪(きんかい=妖怪(ようかい)を捕(とら))え、虎(とら)を捉(とら)え竜(りゅう)を降(くだ)す可(べ)きのみ、更(さら)に一箇(ひとり)の能(よ)く薬性(やくしょう=薬(くすり)の性質(せいしつ))を知(し)れる者(もの)無(な)し」と。国王(こくおう)道(い)う、「法師(ほうし)何(なん)ぞ必(かなら)ずしも太(はなは)だ謙(けん)遜(へりくだ)るや。朕(ちん)当(まさ)に今日(こんにち)殿(でん)に登(のぼ)り、幸(さいわい)に法師(ほうし)の朝(ちょう)に来(きた)るに遇(あ)う、誠(まこと)に天縁(てんえん)なり。高徒(こうと)既(すで)に医(い)を知(し)らずんば、彼(かれ)怎(いか)でか肯(あえ)て我(わ)が榜文(ぼうぶん)を掲(かか)げ、寡人(かじん)をして親(みずか)ら迎(むか)えしめんや。断然(だんぜん)として医国(いこく)の能(のう)有(あ)るなり」と。叫(よ)んで道(い)う、「文武(ぶんぶ)の衆卿(しゅうけい)よ、寡人(かじん)身(み)虚(きょ=弱(よわ))く力(ちから)怯(おく=弱(よわ))ければ、敢(あ)えて乗輦(じょうれん=輿(こし)に乗(の))らず。汝等(なんだち)寡人(かじん)に替(か)わりて、倶(とも)に朝(ちょう)の外(そと)へ到(いた)り、敦(ねんご)ろに孫長老(そんちょうろう)を請(しょう)じて朕(ちん)が病(やまい)を看(み)しめよ。汝等(なんだち)彼(かれ)に見(まみ)えなば、切(きっ)して軽慢(けいまん)すべからず、彼(かれ)を称(しょう)して神僧孫長老(しんそうそんちょうろう)と做(な)し、皆(みな)君臣(くんしん)の礼(れい)を以(もっ)て相見(しょうけん)せよ」と。
那(か)の衆臣(しゅうしん)旨(むね)を領(りょう)し、榜(ぼう)を看(み)るの太監(たいかん)・校尉(こうい)と径(ただ)ちに会同館(かいどうかん)に至(いた)り、班(はん=列(れつ))を排(なら)べて参拝(さんぱい)す。唬(おどろ)かされて那(か)の八戒(はっかい)は廂房(そうぼう=脇(わき)の部屋(へや))に隠(かく)れ、沙僧(しゃそう)は壁(かべ)の下(した)に閃(ひらめ=身(み)を寄(よ))せたり。那(か)の大聖(たいせい)は、汝(なんじ)看(み)よ彼(かれ)の当(まんな)かの中(うち)に坐(ざ)して端然(たんぜん=泰然(たいぜん))として動(うご)かざるを。八戒(はっかい)暗(あん)かの裡(うち)に怨悪(えんお=恨(うら)み憎(にく))んで道(い)う、「此(こ)の猢猻(こん=猿(さる)め)活(い)きながらにして折殺(せっさつ=罰(ばち))当(あた)るなり! 怎(いか)でか此(か)くの如(ごと)く許多(あまた)の官員(かんいん)の礼拜(らいはい)するに、更(さら)に礼(れい)を還(かえ)さず、也(また)站(た)ち将(も)ち起(お)きざるや」と。多(あま)たの時(とき)ならずして、礼拜(らいはい)し畢(おわ)り、班(はん)を分(わか)ちて啓奏(けいそう)して道(い)う、「上(かみ)に告(つ)ぐ神僧孫長老(しんそうそんちょうろう)、我等(われら)は倶(とも)に朱紫国王(ししこくこくおう)の臣(しん)なり。今(いま)王旨(おうし)を奉(ほう)じ、敬(うやま)んで潔礼(けつれい=清(きよ)き礼(れい))を以(もっ)て神僧(しんそう)を参請(さんせい)し、朝(ちょう)に入(い)りて病(やまい)を看(み)しめんとす」と。行者(ぎょうじゃ)方(はじ)めて才(はじ)めて身(み)を立(た)て起(おこ)して衆(しゅう)に対(たい)して道(い)う、「汝(なんじ)が王(おう)は如何(いかん)として来(きた)らざるや」と。衆臣(しゅうしん)道(い)う、「我(わ)が王(おう)は身(み)虚(きょ)しく力(ちから)怯(おく)く、敢(あ)えて乗輦(じょうれん)せず、特(こと)に臣等(しんとう)をして君(きみ)に代(かわ)るの礼(れい)を行(おこな)い、神僧(しんそう)を拝請(はいせい)せしむるなり」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「既(すで)に此(か)くの如(ごと)く説(と)かば、列位(れっい)請(こ)う前(まえ)に行(ゆ)け、我(われ)当(まさ)に随(したが)いて至(いた)らん」と。衆臣(しゅうしん)各(おのおの)品従(ひんじゅう=位階(いかい))に依(よ)り、隊(たい)を作(な)して而(しか)して走(はし)る。行者(ぎょうじゃ)衣(ころも)を整(ととの)えて而(しか)して起(た)つ。八戒(はっかい)道(い)う、「哥哥(あに)よ、切(きっ)して我等(われら)を攀(ひき)出(いだ)すこと莫(なか)れ」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「我(われ)汝(なんじ)を攀(ひ)き出(いだ)さず、只(た)だ汝(なんじ)二(ふた)りの我(われ)と薬(くすり)を収(おさ)むるを要(よう)す」と。沙僧(しゃそう)道(い)う、「甚(なん)の薬(くすり)をか収(おさ)むるや」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「凡(およ)そ人(ひと)の薬(くすり)を送(おく)り来(きた)りて我(われ)に与(あた)うれば、数(かず)に照(てら)して収(おさ)め下(おろ)し、我(われ)の回(かえ)り来(きた)りて取(と)り用(もち)うるを待(ま)て」と。二(ふた)り諾(だく=承知(しょうち))を領(りょう)することは題(かた)らず。
此(こ)の行者(ぎょうじゃ)即(すなわ)ち多官(たかん)と同(とも)に、頃間(けいかん=しばらく)して便(すなわ)ち到(いた)る。衆臣(しゅうしん)先(さき)に走(はし)り、奏(そう)して那(か)の国王(こくおう)に知(し)らしむ。珠簾(しゅれん=真珠(しんじゅ)の簾(すだれ))を高(たか)く巻(ま)き、竜睛鳳目(りゅうせいほうもく=竜(りゅう)の瞳(ひとみ)鳳(おおとり)の目(め))を閃(ひらめ)かせ、金口(きんこう=尊(とうと)き口(くち))御言(ぎょげん)を開(ひら)いて便(すなわ)ち問(と)う、「那(いず)れの一位(いちい)か是(こ)れ神僧孫長老(しんそうそんちょうろう)なる」と。
行者(ぎょうじゃ)前(まえ)に一歩(いっぽ)を進(すす)め、厳(おごそ)かに声(こえ)して道(い)う、「老孫(ろうそん)便(すなわ)ち是(こ)れなり」と。那(か)の国王(こくおう)声音(せいおん)の凶狠(きょうこう=荒々(あらあら)し)きを聴(き)き、又(また)相貌(そうぼう)の刁鑽(ちょうさん=ずる賢(がしこ)き)なるを見(み)、唬(おどろ)きて戦兢兢(せんせんきょうきょう)として、竜床(りゅうしょう=天子(てんし)の寝台(しんだい))の上(うえ)に跌(たお)る。慌(あわ)てる那(か)の女官(じょかん)内宦(ないかん=女官(じょかん)と宦官(かんがん))、急(いそ)ぎ扶(たす)けて宮中(きゅうちゅう)に入(い)れ、道(い)う、「寡人(かじん)を唬(おどろ)かし殺(ころ)すなり」と。衆官(しゅうかん)都(すべ)て行者(ぎょうじゃ)を嗔怨(しんえん=恨(うら)み怨(うら))んで道(い)う、「此(こ)の和尚(おしょう)怎(いか)でか此(か)くの如(ごと)く粗魯(そろ=粗野(そや))村疏(そんそ=無作法(ぶさほう))なるや! 怎(いか)でか敢(あ)えて就(すなわ)ち擅(ほしいまま)に榜(ぼう)を掲(かか)ぐるや」と。行者(ぎょうじゃ)言(げん)を聞(き)き笑(わら)って道(い)う、「列位(れっい)錯(あやま)って我(われ)を怪(あやし)めり。若(も)し此(か)くの如(ごと)く人(ひと)を慢(あなど)らば、汝(なんじ)が国王(こくおう)の病(やまい)は、就(すなわ)ち是(こ)れ一千年(いっせんねん)も也(また)好(よ)くなること得(え)じ」と。
衆臣(しゅうしん)道(い)う、「人生(じんせい)能(よ)く幾多(いくばく)の陽寿(ようじゅ=寿命(じゅみょう))有(あ)らんや、就(すなわ)ち一千年(いっせんねん)にも也(また)還(ま)た好(よ)からざるか」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「彼(かれ)は如今(いま)是(こ)れ箇(ひと)の病君(びょうくん=病(やまい)の君(きみ))にして、死(し)すれば是(こ)れ箇(ひと)の病鬼(びょうき=病(やまい)の鬼(おに))、再(ま)た転世(てんせい=生(う)まれ変(かわ))るも也(また)還(ま)た是(こ)れ箇(ひと)の病人(びょうにん)なるに、却(かえ)って是(こ)れ一千年(いっせんねん)にも也(また)還(ま)た好(よ)からざるならずや」と。衆臣(しゅうしん)怒(いか)って曰(いわ)く、「汝(なんじ)が此(こ)の和尚(おしょう)、甚(はなは)だ礼(れい)を知(し)らず! 怎(いか)でか敢(あ)えて此(か)くの如(ごと)く満口(まんこう)に胡柴(こさい=でたらめ)を言(い)うや」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「是(こ)れ胡柴(こさい)ならず、汝等(なんだち)都(すべ)て我(われ)が道(い)うを聴(き)け。
医門(いもん)の理法(りほう)は至(いた)って微玄(びげん=奥深(おくふか))く、大要(たいよう=肝要(かんよう))は心(こころ)の中(うち)に転旋(てんせん=巡(めぐ)らすこと)有(あ)り。
望聞問切(ぼうぶんもんせつ)の四般(しはん=四(よ)つの事(こと))、一(ひと)つを缺(か)くの時(とき)は備(そな)わらず全(まった)からず。
第一(だいいち)に他(かれ)が神気色(しんきしょく=気力(きりょく)と顔色(がんしょく))を望(み)て、潤枯(じゅんこ=潤(うるお)いと枯(か)れ)・肥瘦(ひそう=太(ふと)りと痩(や)せ)・起和眠(きわみん=起(お)き臥(ふ)し)を看(み)る。
第二(だいに)に声(こえ)の清(せい)と濁(だく)とを聞(き)き、他(かれ)が真語(しんご=まことの言葉(ことば))及(およ)び狂言(きょうげん)を聴(き)く。
三(みっ)つには病原(びょうげん)の幾日(いくにち)を経(へ)るかを問(と)い、如何(いか)に飲食(いんしょく)し怎(いか)に生(いき)て便(つごう)よきかを問(と)う。
四(よっ)つに才(はじ)めて脉(みゃく)を切(せっ)して経絡(けいらく)を明(あき)らかにし、浮沈(ふちん=浮(う)き沈(しず)み)表裏(ひょうり)の是(こ)れ何般(なんぱん=どのよう)なるかを知(し)る。
我(われ)望聞(ぼうぶん)并(なら)びに問切(もんせつ)をせずんば、今生(こんじょう=今(いま)の世(よ))安然(あんぜん)なるを得(う)ることを想(おも)うこと莫(なか)れ。
那(か)の両班(りょうはん=左右(さゆう)の列(れつ))の文武(ぶんぶ)の叢中(そうちゅう)に太医院(たいいいん)の官(かん)有(あ)り、一(ひと)たび此(こ)の言(げん)を聞(き)き、衆(しゅう)に対(たい)して称揚(しょうよう)して道(い)う、「此(こ)の和尚(おしょう)也(また)説(と)けること理(り)有(あ)り。就(すなわ)ち是(こ)れ神仙(しんせん)の病(やまい)を看(み)るも、也(また)須(すべから)く望聞問切(ぼうぶんもんせつ)すべく、謹(つつし)んで神聖功巧(しんせいこうこう)に合(がっ)するなり」と。衆官(しゅうかん)此(こ)の言(げん)に依(よ)り、近侍(きんじ=側近(そっきん))を着(つか)わして伝奏(でんそう)せしめて道(い)う、「長老(ちょうろう)望聞問切(ぼうぶんもんせつ)の理(り)を用(もち)いて、方(はじ)めて病(やまい)を認(みと)め薬(くすり)を用(もち)う可(べ)しと」と。
那(か)の国王(こくおう)竜床(りゅうしょう)の上(うえ)に睡(やす)みて、声(こえ)を声(こえ)として喚(よ)んで道(い)う、「彼(かれ)を去(ゆ)かしめよ! 寡人(かじん)は生人(せいじん=見知(みし)らぬ人(ひと))の面(おもて)を見(み)るを得(え)ざるなり」と。近侍(きんじ)の宮(きゅう)を出(い)で来(きた)りて道(い)う、「那(そ)の和尚(おしょう)、我(わ)が王(おう)の旨意(しい)には、汝(なんじ)を去(ゆ)かしむ、生人(せいじん)の面(おもて)を見(み)るを得(え)ざるなり」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「若(も)し生人(せいじん)の面(おもて)を見(み)るを得(え)ずんば、我(われ)会(え)して懸絲診脉(けんししんみゃく=糸(いと)を吊(つる)して脉(みゃく)を診(み))する有(あ)り」と。衆官(しゅうかん)暗(あん)かに喜(よろこ)んで道(い)う、「懸絲診脉(けんししんみゃく)は、我等(われら)耳(みみ)に聞(き)けども、曾(かつ)て眼(まなこ)に見(み)ず。再(ま)た奏(そう)し去(ゆ)き来(きた)れ」と。那(か)の近侍(きんじ)の又(また)宮(きゅう)に入(い)りて奏(そう)して道(い)う、「主公(しゅこう)、那(か)の孫長老(そんちょうろう)は主公(しゅこう)の面(おもて)を見(み)ざるも、彼(かれ)会(え)して懸絲診脉(けんししんみゃく)する有(あ)り」と。国王(こくおう)心(こころ)の中(うち)暗(あん)かに想(おも)うて道(い)う、「寡人(かじん)病(や)むこと三年(さんねん)、未(いま)だ曾(かつ)て此(これ)を試(こころ)みず、彼(かれ)を宣(め)して進(い)らしめよ」と。近侍(きんじ)の即(すなわ)ち忙(いそ)ぎ伝(つた)え出(いだ)して道(い)う、「主公(しゅこう)已(すで)に彼(かれ)が懸絲診脉(けんししんみゃく)するを許(ゆる)し給(たま)えり、快(すみや)か孫長老(そんちょうろう)を宣(め)して宮(きゅう)に入(い)りて診視(しんし=診(み)ること)せしめよ」と。行者(ぎょうじゃ)却(かえ)って就(すなわ)ち宝殿(ほうでん)に上(のぼ)る。唐僧(とうそう)迎(むか)えて罵(ののし)って道(い)う、「汝(なんじ)が此(こ)の潑猴(はつこう=暴(あば)れ猿(さる))、我(われ)を害(そこな)い了(おお)せるなり」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「好(よ)き師父(しふ)よ、我(われ)倒(かえっ)て汝(なんじ)と壮観(そうかん=見栄(みば)え)を為(な)すに、汝(なんじ)返(かえっ)て我(われ)の汝(なんじ)を害(そこな)うと説(い)うや」と。三蔵(さんぞう)喝(かつ)して道(い)う、「汝(なんじ)我(われ)に跟(したが)いて此(こ)の幾年(いくとせ)、那(いず)れの曾(かつ)て汝(なんじ)の誰(たれ)をか医(いや)し好(よ)くせしを見(み)しか! 汝(なんじ)薬性(やくしょう)をも知(し)らず、医書(いしょ)をも未(いま)だ読(よ)まざるに、怎(いか)でか大胆(だいたん)に此(こ)の箇(こ)の大禍(たいか)を撞(ひ)き起(おこ)すや」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「師父(しふ)よ、汝(なんじ)元来(もと)暁(さと)らざるなり。我(われ)に幾箇(いくつ)かの草頭方児(そうとうほうじ=民間(みんかん)の処方(しょほう))有(あ)り、能(よ)く大病(たいびょう)を治(ぢ)し、管情(かんじょう=きっと)も彼(かれ)を医(いや)し好(よ)くするを得(う)れば便(すなわ)ち是(こ)れなり。就(すなわ)ち是(こ)れ医(いや)し死(し)なせたるとも、也(また)只(た)だ箇(ひと)の庸医殺人(よういさつじん=藪医者(やぶいしゃ)の殺人(さつじん))の罪名(ざいみょう)を問(と)わるるのみにして、也(また)該(まさ)に死(し)すべからず、汝(なんじ)怕(おそ)るること怎(なん)ぞや! 打緊(たいしたこと)ならず、打緊(たいしたこと)ならず、汝(なんじ)且(しばら)く坐(ざ)して我(わ)が脉理(みゃくり=脉(みゃく)の理(り))の如何(いかん)を看(み)よ」と。
長老(ちょうろう)又(また)道(い)う、「汝(なんじ)那(いずく)んぞ曾(かつ)て『素問(そもん)』・『難経(なんきょう)』・『本草(ほんぞう)』・『脉訣(みゃくけつ)』の、是(こ)れ甚(なん)の般(ごと)きの章句(しょうく)か、怎(いか)でか生(いき)て注解(ちゅうかい)せるを見(み)しか、就(すなわ)ち此(か)くの如(ごと)く胡説散道(こせつさんどう=でたらめを言(い)い散(ちら))し、会(え)して甚(なん)の懸絲診脉(けんししんみゃく)をか為(な)すや」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「我(われ)に金線(きんせん=金(きん)の糸(いと))の身(み)に在(あ)る有(あ)るを、汝(なんじ)曾(かつ)て見(み)ざるなり」と。即(すなわ)ち手(て)を伸(の)べ下(おろ)し、尾(び=尻尾(しっぽ))の上(うえ)より三根(さんこん=三本(さんぼん))の毫毛(ごうもう=細(ほそ)き毛(け))を拔(ぬ)き、一把(ひとつかみ)に捻(ねん)じ、一声(ひとこえ)「変(へん)」と叫(よ)べば、即(すなわ)ち変(へん)じて三条(さんじょう=三本(さんぼん))の糸線(しせん=糸(いと))と作(な)る。每条(めいじょう=それぞれ)各(おのおの)長(なが)さ二丈四尺(にじょうししゃく)にして、二十四気(にじゅうしき=二十四(にじゅうよん)の節気(せっき))に按(あん)じ、手(て)の内(うち)に托(たく)して、唐僧(とうそう)に対(たい)して道(い)う、「此(こ)れ是(こ)れ我(わ)が金線(きんせん)ならずや」と。近侍(きんじ)の宦官(かんがん)旁(かたわら)に在(あ)りて道(い)う、「長老(ちょうろう)且(しばら)く口(くち)を講(こう=論(あげつら))うことを休(や)め、請(こ)う宮中(きゅうちゅう)に入(い)りて診視(しんし)に去(ゆ)き来(きた)れ」と。行者(ぎょうじゃ)唐僧(とうそう)に別(わか)れを告(つ)げ、近侍(きんじ)に随(したが)って宮(きゅう)に入(い)りて病(やまい)を看(み)る。正(まさ)に是(こ)れ那(か)の、
心(こころ)に秘方(ひほう)有(あ)って能(よ)く国(くに)を治(おさ)め、内(うち)に妙訣(みょうけつ)を蔵(ぞう)して長生(ちょうせい)を注(ちゅう=志(こころざ))す。
畢竟(ひっきょう)此(こ)の去(ゆ)きて何(なん)の病(やまい)をか看(み)い出(いだ)し、甚(なん)の薬品(やくひん)を用(もち)うるかを知(し)らず。端(たん=仔細(しさい))的(てき)を知(し)らんと欲(ほっ)せば、且(しばら)く下回(げかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。