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007 第七回 八卦炉中(はっけろちゅう)より大聖(たいせい)逃(に)げ 五行山下(ごぎょうさんか)に心猿(しんえん)定(さだ)まる

富貴功名(ふうきこうみょう)は、前縁(ぜんえん)の分定(ぶんじょう=定め分)めるところ、人(ひと)たるもの切(かなら)ず心(こころ)を欺(あざむ)くこと莫(な)かれ。
正大光明(せいだいこうみょう)にして、忠良(ちゅうりょう)の善果(ぜんか)は弥(いよいよ)深(ふか)し。
些些(ささ=些か)の狂妄(きょうもう=誇り妄る)には天(てん)譴(けん=咎め)を加(くわ)え、眼前(がんぜん)に遇(あ)わずとも時(とき)を待(ま)ちて臨(のぞ)む。
東君(とうくん=東の君)に問(と)う、何(なに)に因(よ)りてか、如今(いま)禍害(かがい)相(あい)侵(おか)すと。
只(た)だ心(こころ)高(たか)くして罔極(もうきょく=極まり無き)を図(はか)り、上下(じょうげ)を分(わ)かたず規箴(きしん=規範)を乱(みだ)すが為(ため)なり。

話(はな)し表(しめ)す、斉天大聖(せいてんたいせい)の衆天兵(しゅうてんぺい)に押(お)され去(さ)られて斬妖台(ざんようだい)の下(もと)に至(いた)り、降妖柱(こうようちゅう=妖を降す柱)に綁(くく)り着(つ)けられ、刀(かたな)に砍(き)られ斧(おの)に剁(きざ)まれ、槍(やり)に刺(さ)され剣(けん)に刳(えぐ)られど、想(おも)うに其(そ)の身(み)に傷(きず)を及(およ)ぼすこと莫(な)し。南斗星(なんとせい)火部(かぶ=火の部門)の衆神(しゅうしん)に令(れい)を奮(ふる)わせ、火(ひ)を放(はな)って煨焼(わいしょう=熾し焼)かしむるに、亦(ま)た焼(や)き着(つ)くこと能(あた)わず。又(また)雷部(らいぶ=雷の部門)の衆神(しゅうしん)を着(つ)けて、雷屑釘(らいせつてい=雷の欠片の釘)を以(もっ)て打(う)たしむるに、愈(いよいよ)発(はなはだ)しく一毫(いちごう=一分)も傷損(しょうそん)すること能(あた)わず。那(か)の大力鬼王(たいりききおう)衆(しゅう)と啓奏(けいそう)して曰(いわ)く、「万歳(ばんぜい)、此(こ)の大聖(たいせい)は何(いず)れの処(ところ)にて此(こ)の護身(ごしん)の法(ほう)を学(まな)び得(え)たるかを知(し)らず、臣等(しんら)刀(かたな)を以(もっ)て砍(き)り斧(おの)を以(もっ)て剁(きざ)み、雷(いかづち)に打(う)たれ火(ひ)に焼(や)かれど、一毫(いちごう)も傷損(しょうそん)すること能(あた)わず、却(かえ)って之(これ)を如何(いかん)」と。玉帝(ぎょくてい)言(げん)を聞(き)きて曰(いわ)く、「此(こ)の厮(やつ)が此(か)くの等(ごと)く此(か)くの等(ごと)くなるを、怎(いか)にしてか処治(しょじ=処置)せん」と。太上老君(たいじょうろうくん)即(すなわ)ち奏(そう)して曰(いわ)く、「那(か)の猴(さる)蟠桃(ばんとう)を食(くら)い、御酒(ぎょしゅ)を飲(の)み、又(また)仙丹(せんたん)を盗(ぬす)めり、——我(われ)が那(か)の五壷(ごこ=五つの壷)の丹(たん)は、生(なま)有(あ)り熟(じゅく)有(あ)るに、彼(かれ)に都(みな)肚(はら)の裡(うち)に吃(くら)われ了(おわ)れり。三昧火(さんまいか=三昧の火)を運用(うんよう)し、煅(た)きて一塊(ひとかたまり)と成(な)し、故(ゆえ)に以(もっ)て渾(すべ)て金鋼(こんごう)の躯(み=体)と做(な)り、急(にわか)には傷(そこな)うこと能(あた)わず。若(も)し老道(ろうどう=老いたる道者)に与(あた)えて領(う)け去(さら)しめ、『八卦炉(はっけろ)』の裡(うち)に放(お)き入(い)れ、文武火(ぶんぶか=文火と武火)を以(もっ)て煅煉(たんれん=鍛え練る)するに如(し)かず。我(われ)が丹(たん)を煉(ね)り出(いだ)さば、他(かれ)が身(み)自(おのずか)ら灰燼(かいじん=灰)と為(な)らん」と。玉帝(ぎょくてい)言(げん)を聞(き)きて、即(すなわ)ち六丁(りくてい)・六甲(りっこう)に教(おし)えて、他(かれ)を解(と)き下(くだ)させ、老君(ろうくん)に付(ふ)し与(あた)う。老君(ろうくん)旨(し)を領(う)けて去(さ)り訖(おわ)る。一壁廂(いっぺきしょう=片方にて)二郎顕聖(じろうけんせい)を宣(せん)し、金花(きんか=金の花)百朶(ひゃくだ)、御酒(ぎょしゅ)百瓶(ひゃっぺい)、還丹(げんたん)百粒(ひゃくりゅう)、異宝(いほう)明珠(めいじゅ=珠)、錦繍(きんしゅう)等(ら)の件(くだり)を賞賜(しょうし=与え賜う)し、義兄弟(ぎきょうだい)と分(わか)ち享(う)けしむ。真君(しんくん)恩(おん)を謝(しゃ)し、灌江口(かんこうこう)に回(かえ)るは題(だい)せず。

那(か)の老君(ろうくん)兜率宮(とそつぐう)に到(いた)り、大聖(たいせい)を将(も)ちて縄索(じょうさく)を解(と)き去(さ)り、琵琶骨(びわこつ)を穿(つらぬ)けるの器(うつわ)を放(はな)ち、八卦炉(はっけろ)の裡(うち)に推(お)し入(い)れ、炉(ろ)を看(みまも)る道人(どうにん)と、火(ひ)を架(かま)える童子(どうじ)に命(めい)じて、火(ひ)を将(も)ちて煽(あお)り起(おこ)して煅煉(たんれん)せしむ。原(もと)来(もと)那(か)の炉(ろ)は是(こ)れ乾(けん)・坎(かん)・艮(ごん)・震(しん)・巽(そん)・離(り)・坤(こん)・兌(だ)の八卦(はっけ)なり。他(かれ)は即(すなわ)ち身(み)を将(も)ちて「巽宮(そんぐう)」の位(くらい)の下(した)に鑽(もぐ)り在(あ)らしむ。巽(そん)は乃(すなわ)ち風(かぜ)なり、風(かぜ)有(あ)れば則(すなわ)ち火(ひ)無(な)し。只(た)だ是(こ)れ風(かぜ)の烟(けむり)を攪(かきまわ)し来(きた)るのみにて、一双(ふたつ)の眼(め)を把(と)って熏(くゆら)して紅(あか)くし、弄(な)して箇(ひとつ)の老害眼病(ろうがいがんびょう=慢性の眼病)を做(な)し、故(ゆえ)に喚(よ)んで「火眼金睛(かがんきんせい)」と作(な)す。

真(まこと)に箇(ひとつ)の光陰(こういん=月日)迅速(じんそく=速き)にして、覚(おぼ)えず七七四十九日(しちしちしじゅうくにち)、老君(ろうくん)が火候(かこう=火の加減)俱(とも)に全(まった)し。忽(たちま)ち一日(いちにち)、炉(ろ)を開(ひら)きて丹(たん)を取(と)る。那(か)の大聖(たいせい)双手(そうしゅ=両手)に眼(め)を侮(おお)い、正(まさ)に自(みずか)ら揉搓(じゅうさ=こすり)し流涕(りゅうてい=涙を流す)せるに、只(た)だ炉頭(ろとう=炉の口)の声(こえ)の響(ひび)くを聴(き)き得(え)、猛(たけ)く睛(ひとみ)を睜(ひら)きて光明(こうみょう)を見(み)るや、他(かれ)は就(すなわ)ち忍(しの)ぶこと能(あた)わず、身(み)を将(も)ちて一縦(ひとおどり)し、丹炉(たんろ=丹の炉)を跳(と)び出(いで)、唿喇(こつらつ)の一声(ひとこえ)、八卦炉(はっけろ)を蹬(ふみたお)し倒(たお)し、外(そと)に向(むか)いて就(すなわ)ち走(はし)る。慌(あわ)てて那(か)の火(ひ)を架(かま)える者(もの)・炉(ろ)を看(みまも)る者(もの)、丁甲(ていこう=六丁六甲)の一班(ひとくみ)の者(もの)と来(きた)りて扯(ひきとど)めんとするに、他(かれ)に一箇一箇(ひとりひとり)都(みな)放(たお)し倒(たお)され、好(よ)く似(に)たるは癲癇(てんかん=癲癇持ち)の白額虎(はくがくこ=白き額の虎)、風狂(ふうきょう=狂い立つ)の独角龍(どっかくりゅう=一角の龍)。老君(ろうくん)赶(お)いつきて一把(ひとつかみ)に抓(つか)まんとするに、他(かれ)に一(ひと)捽(つかみ)されて、捽(つか)まれて箇(ひとつ)の倒栽葱(とうさいそう=逆さまに転ぶ)と為(な)り、身(み)を脱(のが)れて走(に)げ了(おわ)れたり。即(すなわ)ち去(ゆ)きて耳(みみ)の中(うち)より如意棒(にょいぼう)を掣(ひっさ)げ出(いだ)し、風(かぜ)に迎(むか)いて一(ひと)幌(ひるがえ)し幌(ひるがえ)して、碗来(わんらい=茶碗ほど)の粗(あら)さ細(ほそ)さに、依然(いぜん)として手(て)の中(うち)に拿(と)り在(あ)り、好歹(こうたい=善し悪し)を分(わか)たず、却(かえ)って又(また)大(おお)いに天宮(てんぐう)を乱(みだ)し、打(う)ちて那(か)の九曜星(くようせい)をして門(もん)を閉(と)じ戸(と)を閉(と)ざさしめ、四天王(してんおう)をして影(かげ)無(な)く形(かたち)無(な)からしむ。好(よ)き猴精(こうせい)なるかな!詩(し)有(あ)りて証(しょう)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く:

混元(こんげん)に体(たい)正(ただし)くして先天(せんてん)に合(がっ)し、万劫千番(ばんごうせんばん=幾劫幾度)も只(た)だ自然(じねん)なり。
渺渺(びょうびょう=かすか)として無為(むい)なるは渾(すべて)太乙(たいいつ)、如如(にょにょ)として動(うご)かざるは号(なづ)けて初玄(しょげん)と曰(い)う。
炉中(ろちゅう)に久(ひさ)しく煉(ね)るは鉛汞(えんこう=鉛と水銀)に非(あら)ず、物外(ぶつがい=物の外)の長生(ちょうせい)は是(こ)れ本仙(ほんせん)なり。
変化(へんげ)窮(きわ)まり無(な)くして還(ま)た変化(へんげ)し、三皈五戒(さんきごかい)も総(すべ)て言(い)うを休(や)めよ。

又(また)詩(し)に曰(いわ)く:

一点(いってん)の霊光(れいこう)太虚(たいきょ=大空)に徹(とお)り、那(か)の條(ひとふり)の拄杖(しゅじょう=杖)も亦(ま)た之(これ)の如(ごと)し:
或(あるい)は長(なが)く或(あるい)は短(みじか)く人(ひと)の用(もち)うるに随(したが)い、横(よこ)に竪(たて)に横(よこ)に排(なら)びて巻(ま)き舒(の)ぶるに任(まか)す。

又(また)詩(し)に曰(いわ)く:

猿猴(えんこう)の道体(どうたい)人心(じんしん)を配(はい)し、心(こころ)は即(すなわ)ち猿猴(えんこう)にして意(い)の深(ふか)きを思(おも)う。
大聖(たいせい)の斉天(せいてん)なるは仮(かり)の論(ろん)に非(あら)ず、官(かん)に封(ほう)ぜられし「弼馬(ひつば)」は是(こ)れ知音(ちいん=心の友)なり。
馬猿(ばえん)合(がっ)して心(こころ)と意(い)を作(な)し、緊(かた)く縛(ばく)し牢(ろう=堅)く拴(つな)いで外(ほか)に尋(たず)ぬること莫(な)かれ。
万相(ばんそう)真(しん)に帰(き)して一理(いちり)に従(したが)い、如来(にょらい)契(けい=約)を同(おなじ)うして双林(そうりん)に住(じゅう)す。

此(こ)の一(ひと)番(たび)、猴王(こうおう)上下(じょうげ)を分(わ)かたず、鉄棒(てつぼう)を使(つか)いて東(ひがし)に打(う)ち西(にし)に敵(てき)し、更(さら)に一神(いっしん)の擋(ふせ)ぐ可(べ)き無(な)し。只(た)だ通明殿(つうめいでん)の裡(うち)に打(う)ち到(いた)り、霊霄殿(れいしょうでん)の外(そと)に至(いた)る。幸(さいわ)いに佑聖真君(ゆうせいしんくん)の佐使(さし=補佐)の王霊官(おうれいかん)の殿(でん)を執(と)れる有(あ)り。他(かれ)大聖(たいせい)の縦横(じゅうおう=奔放に暴れる)するを見(み)、金鞭(きんべん=金の鞭)を掣(ひっさ)げて近(ちか)づき前(まえ)に擋(ふせ)ぎ住(とど)めて曰(いわ)く、「潑猴(はつこう)め何処(いずこ)へ往(ゆ)く!吾(われ)此(ここ)に在(あ)る有(あ)り、切(かなら)ず猖狂(しょうきょう=暴れ狂う)すること莫(な)かれ!」と。此(こ)の大聖(たいせい)分説(ぶんせつ=弁明)を由(ゆる)さず、棒(ぼう)を挙(あ)げて就(すなわ)ち打(う)つ。那(か)の霊官(れいかん)鞭(べん)を起(おこ)して相(あい)迎(むか)う。両箇(ふたり)霊霄殿(れいしょうでん)の前(まえ)に在(あ)りて厮渾(しこん=入り乱れ)むこと一処(ひとところ)。好(よ)きかな殺(いくさ):

赤胆忠良(せきたんちゅうりょう=赤き胆の忠義)にして名誉(めいよ)大(おお)いなり、天(てん)を欺(あざむ)き上(かみ)を誑(たぶらか)して声名(せいめい)壊(やぶ)る。
一(ひとつ)は低(ひく)く一(ひとつ)は好(よ)く幸(さいわい)に相持(そうじ=睨み合い)し、豪傑(ごうけつ)英雄(えいゆう)同(とも)に賭(かけ)を賽(あらそ)う。
鉄棒(てつぼう)は凶(きょう)に、金鞭(きんべん)は快(かい=鋭)し、正直無私(しょうじきむし)に怎(いか)でか忍耐(にんたい)せん?
此(こ)の箇(ひとつ)は是(こ)れ太乙雷声応化尊(たいいつらいせいおうけそん)、那(か)の箇(ひとつ)は是(こ)れ斉天大聖(せいてんたいせい)の猿猴怪(えんこうかい)。
金鞭(きんべん)鉄棒(てつぼう)両家(りょうか=双方)能(よ)くし、都(みな)是(こ)れ神宮(しんぐう)仙器械(せんきかい=仙の武器)なり。
今日(こんにち)霊霄宝殿(れいしょうほうでん)に在(あ)りて威風(いふう)を弄(ろう=振る)い、各(おのおの)雄才(ゆうさい=雄々しき才)を展(の)べて真(まこと)に愛(あい)す可(べ)し。
一箇(ひとつ)は心(こころ)を欺(あざむ)きて斗牛宮(とぎゅうきゅう)を奪(うば)わんと要(よう)し、一箇(ひとつ)は力(ちから)を竭(つく)して玄聖界(げんせいかい=玄聖の境)を匡扶(きょうふ=助け支う)。
苦(くる)しみ争(あらそ)いて譲(ゆず)らず神通(じんつう)を顕(あらわ)し、鞭(べん)棒(ぼう)往来(おうらい)して勝敗(しょうはい)無(な)し。

他(かれ)両箇(ふたり)一処(ひとところ)に闘(たたか)い在(あ)りて、勝敗(しょうはい)未(いま)だ分(わ)かれざるに、早(は)や佑聖真君(ゆうせいしんくん)の、又(また)将佐(しょうさ=部将)を差(さしむ)けて文(ふみ)を雷府(らいふ=雷の府)に発(はな)たせ、三十六員(さんじゅうろくいん)の雷将(らいしょう)を調(ちょう)して斉(ひとしく)来(きた)らせ、大聖(たいせい)を把(と)って垓心(がいしん=囲みの中)に囲(かこ)み、各(おのおの)凶悪(きょうあく)を騁(のび=振う)て鏖戦(おうせん=激しく戦う)する有(あ)り。那(か)の大聖(たいせい)全(まった)く一毫(いちごう)の懼(おそ)れる色(いろ)無(な)く、一條(ひとふり)の如意棒(にょいぼう)を使(つか)い、左(ひだり)を遮(さえぎ)り右(みぎ)を擋(ふせ)ぎ、後(うしろ)に架(かま)え前(まえ)に迎(むか)う。一時(ひととき)、那(か)の衆雷将(しゅうらいしょう)の刀槍剣戟(とうそうけんげき=刀・槍・剣・戟)、鞭簡撾錘(べんかんたつい=鞭・簡・撾・槌)、鉞斧金瓜(えつふきんか=鉞・斧・金瓜)、旄鎌月鏟(ぼうれんげっさん=旄・鎌・月鏟)の、来(きた)ることの甚(はなは)だ緊(きつ)きを見(み)るや、他(かれ)即(すなわ)ち身(み)を揺(ゆす)って一変(ひとへん)じ、変(へん)じて三頭六臂(さんとうろっぴ)と做(な)り;如意棒(にょいぼう)を把(と)って一(ひと)幌(ひるがえ)し幌(ひるがえ)して、三條(みすじ)に変(へん)じ作(な)し;六隻(みっつ)の手(て)三條(みすじ)の棒(ぼう)を使(つか)い開(ひら)けば、好(よ)きかな便(すなわ)ち紡車児(ぼうしゃ=糸巻車)の一般(ごと)に、滴流流(てきりゅうりゅう=くるくる)と、那(か)の垓心(がいしん)の裡(うち)に在(あ)りて飛(と)び舞(ま)う。衆雷神(しゅうらいしん)近(ちか)づき相(あい)得(う)ること莫(な)し。真(まこと)に是(こ)れ箇(ひとつ)の:

円陀陀(えんだだ=丸々と)、光灼灼(こうしゃくしゃく=きらきら)と、亘古(こんこ=大昔)より常(つね)に存(そん)するも人(ひと)怎(いか)でか学(まな)ばん?
火(ひ)に入(い)れば焚(や)くことを能(あた)わず、水(みず)に入(い)れば何(いつ)か曾(かつ)て溺(おぼ)れん?
光明(こうみょう)一顆(ひとつぶ)の摩尼珠(まにじゅ=如意宝珠)、剣戟刀槍(けんげきとうそう)も傷(きず)つけ着(つ)かず。
也(ま)た能(よ)く善(ぜん)にし、也(ま)た能(よ)く悪(あく)にす、眼前(がんぜん)の善悪(ぜんあく)他(かれ)に憑(まか)して作(な)す。
善(ぜん)の時(とき)は仏(ほとけ)と成(な)り仙(せん)と成(な)るも、悪(あく)の処(ところ)には毛(け)を披(かぶ)り并(かつ)角(つの)を帯(お)ぶ。
変化(へんげ)窮(きわ)まり無(な)く天宮(てんぐう)を鬧(さわ)がし、雷将(らいしょう)神兵(しんぺい)も捉(とら)う可(べ)からず。

当時(そのとき)衆神(しゅうしん)大聖(たいせい)を把(と)って一処(ひとところ)に集(あつま)り在(あ)らしむれど、却(かえ)って身(み)に近(ちか)づくこと能(あた)わず、乱(みだ)りに嚷(わめ)き乱(みだ)りに闘(たたか)いて、早(は)や玉帝(ぎょくてい)を驚(おどろ)かし動(うご)かせり。遂(つい)に旨(し)を伝(つた)えて遊奕霊官(ゆうえきれいかん)と翊聖真君(よくせいしんくん)を着(つ)けて西方(さいほう)に上(のぼ)り、仏老(ぶつろう=仏の長老)を請(しょう)じて降伏(ごうぶく)せしむ。

那(か)の二聖(にせい)旨(し)を得(え)て、径(ただ)ちに霊山勝境(りょうざんしょうきょう=霊山の勝れた地)に到(いた)り、雷音宝刹(らいおんほうさつ=雷音寺)の前(まえ)に至(いた)り、四金剛(しこんごう)・八菩薩(はちぼさつ)に対(たい)して礼(れい)し畢(おわ)り、即(すなわ)ち煩(わずら)わしきかな転達(てんだつ=取り次ぎ)せよと請(こ)う。衆神(しゅうしん)随(したが)って宝蓮台(ほうれんだい)の下(もと)に至(いた)り啓知(けいち=申し上げ)すれば、如来(にょらい)召(め)して請(しょう)ず。二聖(にせい)仏(ほとけ)に礼(れい)すること三匝(さんそう=三度めぐり)、台下(だいか=台の下)に侍立(じりつ=かしこまり立つ)。如来(にょらい)問(と)う、「玉帝(ぎょくてい)に何事(なにごと)有(あ)りて、煩(わずら)わしきかな二聖(にせい)の下臨(かりん=降臨)せしや」と。二聖(にせい)即(すなわ)ち啓(もう)して曰(いわ)く、「向時(そのかみ)花果山(かかざん)に一猴(ひとつのさる)を産(う)み、那(か)の裡(うち)に在(あ)りて神通(じんつう)を弄(ろう)し、衆猴(しゅうこう)を聚(あつ)めて世界(せかい)を攪乱(かくらん)せり。玉帝(ぎょくてい)招安(しょうあん=招き安んずる)の旨(し)を降(くだ)し、『弼馬温(ひつばおん)』に封(ほう)ぜしに、他(かれ)官(かん)の小(ちい)さきを嫌(きら)いて反(そむ)き去(さ)れり。当(まさ)に李天王(りてんおう)・哪吒太子(なたたいし)を遣(つか)わして擒拿(きんど=擒え捕らう)せしめしが未(いま)だ獲(え)ず、復(ま)た他(かれ)を招安(しょうあん)して、『斉天大聖(せいてんたいせい)』に封(ほう)じ做(な)し、先(ま)ず官(かん)有(あ)りて禄(ろく)無(な)からしめたり。彼(かれ)をして蟠桃園(ばんとうえん)を代(かわ)りて管(つかさど)らしむるに、他(かれ)即(すなわ)ち桃(とう)を偸(ぬす)み;又(また)瑶池(ようち)に走(はし)り至(いた)り、肴(こう=料理)を偸(ぬす)み、酒(しゅ)を偸(ぬす)み、大会(だいえ)を攪乱(かくらん)し;酒(さけ)に仗(よ)りて又(また)暗(ひそ)かに兜率宮(とそつぐう)に入(い)り、老君(ろうくん)の仙丹(せんたん)を偸(ぬす)み、天宮(てんぐう)を反(そむ)き出(いで)たり。玉帝(ぎょくてい)復(ま)た十万(じゅうまん)の天兵(てんぺい)を遣(つか)わししも、亦(ま)た収伏(しゅうふく)すること能(あた)わず。後(のち)観世音(かんぜおん)の二郎真君(じろうしんくん)と他(かれ)が義兄弟(ぎきょうだい)を挙(あ)げて追殺(ついさつ=追い討つ)せしに、他(かれ)変化(へんげ)多端(たたん=様々)なりしが、老君(ろうくん)の金鋼琢(こんごうたく)を抛(なげう)ちて重(おも)く打(う)たしめしに虧(おう=負う)て、二郎(じろう)方(はじ)めて拿(とら)え住(とど)むるを得(え)たり。解(と)きて御前(ごぜん)に赴(おもむ)かせ、即(すなわ)ち命(めい)じて之(これ)を斬(き)らんとせしに、刀(かたな)に砍(き)られ斧(おの)に剁(きざ)まれ、火(ひ)に焼(や)かれ雷(いかづち)に打(う)たるるも、俱(とも)に傷(そこな)うこと能(あた)わざれば、老君(ろうくん)奏(そう)して准(ゆる)され領(う)け去(さ)り、火(ひ)を以(もっ)て煅煉(たんれん=鍛え練)せり。四十九日(しじゅうくにち)に鼎(かなえ=炉)を開(ひら)くに、他(かれ)は却又(また)八卦炉(はっけろ)を跳(と)び出(いで)、天丁(てんてい)を打(う)ち退(しりぞ)け、径(ただ)ちに通明殿(つうめいでん)の裡(うち)に入(い)り、霊霄殿(れいしょうでん)の外(そと)に至(いた)る;佑聖真君(ゆうせいしんくん)の佐使(さし)の王霊官(おうれいかん)に擋(ふせ)がれて苦戦(くせん)し、又(また)三十六員(さんじゅうろくいん)の雷将(らいしょう)を調(ちょう)せられて、他(かれ)を垓心(がいしん)に困(くるし)ましめられしも、終(つい)に近(ちか)づき相(あい)得(う)ること能(あた)わず。事(こと)緊急(きんきゅう)に在(あ)り、此(これ)に因(よ)りて、玉帝(ぎょくてい)特(こと)に如来(にょらい)を請(しょう)じて駕(が=帝)を救(すく)わんとす」と。如来(にょらい)詔(みことのり)を聞(き)きて、即(すなわ)ち衆菩薩(しゅうぼさつ)に対(たい)して曰(いわ)く、「汝(なんじ)等(ら)此(ここ)に在(あ)りて法堂(ほうどう=説法の堂)に穏(おだやか)かに坐(ざ)し、禅位(ぜんい=坐禅の座)を乱(みだ)ることを得(え)ず、我(われ)が魔(ま)を煉(ね)り駕(が)を救(すく)いに去(ゆ)き来(きた)るを待(ま)て」と。

如来(にょらい)即(すなわ)ち阿難(あなん)・迦葉(かしょう)の二尊者(にそんじゃ)を喚(よ)び相随(あいずい=伴)わせ、雷音(らいおん)を離(はな)れ、径(ただ)ちに霊霄門(れいしょうもん)の外(そと)に至(いた)る。忽(たちま)ち喊声(かんせい=喚き声)の耳(みみ)を震(ふる)わすを聴(き)く、乃(すなわ)ち是(こ)れ三十六員(さんじゅうろくいん)の雷将(らいしょう)の大聖(たいせい)を囲困(いこん=囲み込む)なるなり。仏祖(ぶっそ)法旨(ほうし=仏の命)を伝(つた)えて曰(いわ)く、「雷将(らいしょう)に教(おし)えて干戈(かんか=武器)を停息(ていそく=収め)しめ、営所(えいしょ=陣)を放(はな)ち開(ひら)かせ、那(か)の大聖(たいせい)を叫(よ)んで出(い)で来(きた)らしめ、我(われ)をして他(かれ)に何(なん)の法力(ほうりき)有(あ)るかを問(と)わしめよ」と。衆将(しゅうしょう)果(はた)して退(しりぞ)く。大聖(たいせい)も也(ま)た法像(ほうぞう=変化した姿)を収(おさ)め、原身(げんしん=元の姿)を現(あらわ)して近(ちか)づき前(まえ)に、怒気(どき=怒り)昂昂(こうこう=漲り)として、声(こえ)を厳(いか)しくし高(たか)く叫(よ)んで曰(いわ)く、「汝(なんじ)は是(こ)れ那(いず)れの方(かた)の善士(ぜんし=善き人)なる、敢(あ)えて来(きた)りて刀兵(とうへい=武器)を止(とど)め住(とど)めて我(われ)を問(と)うや」と。如来(にょらい)笑(わら)って曰(いわ)く、「我(われ)は是(こ)れ西方(さいほう)極楽世界(ごくらくせかい)の釈迦牟尼尊者(しゃかむにそんじゃ)、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)なり。今(いま)汝(なんじ)が猖狂(しょうきょう=暴れ)し村野(そんや=無礼)にして、屡(しばしば)天宮(てんぐう)に反(そむ)くと聞(き)く、何(いず)れの方(かた)の生長(せいちょう=生れ育ち)なるか、何年(なんねん)に道(みち)を得(え)たるか、何(なん)の為(ため)に此(か)くの等(ごとき)暴横(ぼうおう=横暴)なるを知(し)らず」と。大聖(たいせい)曰(いわ)く、「我(われ)本(もと):

天地(てんち)生成(せいせい)の霊混仙(れいこんせん)、花果山(かかざん)中(ちゅう)の一老猿(いちろうえん)。
水簾洞(すいれんどう)の裡(うち)に家業(かぎょう=住家)と為(な)し、友(とも)を拝(はい)し師(し)を尋(たず)ねて太玄(たいげん)を悟(さと)る。
長生(ちょうせい)を煉(ね)り就(な)して多少(たしょう)の法(ほう)、変化(へんげ)を学(まな)び来(きた)って広(ひろ)く無辺(むへん)なり。
凡間(ぼんげん=この世)の地(ち)の窄(せま)きを嫌(きら)うに因(よ)り、心(こころ)を立(た)て端(まさ)に瑶天(ようてん=美しき天)に住(じゅう)せんと要(よう)す。
霊霄宝殿(れいしょうほうでん)は他(かれ)が久(ひさ)しきに非(あら)ず、歴代(れきだい)の人王(じんおう)も分(ぶん=分け前)有(あ)りて伝(つた)う。
強者(きょうしゃ)を尊(とうと)しと為(な)し該(まさ)に我(われ)に譲(ゆず)るべく、英雄(えいゆう)只(た)だ此(ここ)に敢(あ)えて先(さき)を争(あらそ)う」と。

仏祖(ぶっそ)言(げん)を聴(き)きて、呵呵(かか)と冷笑(れいしょう=冷ややかに笑い)して曰(いわ)く、「汝(なんじ)が那(か)の厮(やつ)は乃(すなわ)ち是(こ)れ一箇(ひとつの)猴子(さる)の精(せい)と成(な)れるなるに、焉(いずくん)ぞ敢(あ)えて心(こころ)を欺(あざむ)き、玉皇上帝(ぎょくこうじょうてい)の尊位(そんい=尊き位)を奪(うば)わんと要(よう)するや?他(かれ)は幼(おさな)きより修持(しゅじ=修行)し、苦(くる)しみて一千七百五十劫(いっせんななひゃくごじゅうごう)を歴(へ)たり。毎劫(ごうごと)に該(まさ)に十二万九千六百年(じゅうにまんきゅうせんろっぴゃくねん)なり。汝(なんじ)算(かぞ)えよ、他(かれ)該(まさ)に多少(たしょう)の年数(ねんすう)を経(へ)て、方(はじ)めて能(よ)く此(こ)の無極(むきょく)の大道(だいどう)を享受(きょうじゅ=受け享)くるべきか?汝(なんじ)が那(か)の初世(しょせい=生れ初め)の人(ひと)と為(な)れる畜生(ちくしょう)の、如何(いか)でか此(こ)の大言(たいげん=大ぼら)を出(いだ)すや!不当人子(ふとうじんし=もってのほか)なり!不当人子(ふとうじんし)なり!汝(なんじ)が寿算(じゅさん=寿命)を折(おり)て了(おわ)れり!早(はや)きに趁(つ)けて皈依(きえ=帰依)せよ、切(かなら)ず胡説(こせつ=でたらめ)すること莫(な)かれ!但(た)だ恐(おそ)らくは毒手(どくしゅ=凶手)に遭(あ)いて、性命(せいめい)頃刻(けいこく=たちまち)にして休(や)まん、汝(なんじ)が本来(ほんらい)の面目(めんもく=本来の顔)を惜(おし)む可(べ)し!」と。大聖(たいせい)曰(いわ)く、「他(かれ)年(とし)久(ひさ)しく修(おさめ)長(たけ)ると雖(いえど)も、也(ま)た応(まさ)に久(ひさ)しく此(ここ)に占(し=占拠)むべきに非(あら)ず。常言(じょうげん=世の諺)に道(い)わく、『皇帝(こうてい)輪流(りんりゅう=順繰り)に做(な)し、明年(みょうねん)我(われ)が家(いえ)に到(いた)る』と。只(た)だ他(かれ)をして搬(はこ)び出(いだ)さしめ、天宮(てんぐう)を将(も)ちて我(われ)に譲(ゆず)らば、変(かわ)りて罷(や)まん。若(も)し還(ま)た譲(ゆず)らずんば、定(かなら)ず攪乱(かくらん)を要(よう)し、永(とこしえ)に清平(せいへい=太平)ならず!」と。仏祖(ぶっそ)曰(いわ)く、「汝(なんじ)生長(せいちょう)変化(へんげ)の法(ほう)を除(のぞ)きて、再(また)何(なん)の能(ちから)有(あ)るか、敢(あ)えて天宮(てんぐう)の勝境(しょうきょう)を占(し)めんとや」と。大聖(たいせい)曰(いわ)く、「我(われ)が手段(しゅだん)多(おお)し!我(われ)に七十二般(しちじゅうにはん)の変化(へんげ)有(あ)り、万劫(ばんごう)にも老(お)いず長生(ちょうせい)なり。筋斗雲(きんとうん)を駕(が)することを会(え)し、一縦(ひとおどり)十万八千里(じゅうまんはっせんり)。如何(いか)でか天位(てんい=天の位)に坐(ざ)するを得(え)ざらんや」と。仏祖(ぶっそ)曰(いわ)く、「我(われ)汝(なんじ)と箇(ひとつ)の賭賽(とさい=賭け)を打(う)たん;汝(なんじ)若(も)し本事(ほんじ=才)有(あ)りて、一筋斗(ひとおどり)に我(われ)が此(こ)の右手(みぎて)の掌中(しょうちゅう=掌の内)を打(う)ち出(いだ)さば、汝(なんじ)が贏(かち)と算(かぞ)えん、再(ふたた)び刀兵(とうへい)を動(うごか)して苦(くる)しみ戦(たたか)うを要(よう)せず、就(すなわ)ち玉帝(ぎょくてい)を請(しょう)じて西方(さいほう)に到(いた)りて居住(きょじゅう)せしめ、天宮(てんぐう)を把(と)って汝(なんじ)に譲(ゆず)らん;若(も)し手(て)の掌(たなごころ)を打(う)ち出(いだ)すことを得(え)ずんば、汝(なんじ)還(ま)た下界(げかい)に下(くだ)りて妖(よう)と為(な)り、再(ふたた)び幾劫(いくごう)かを修(おさ)め、却(かえ)って来(きた)りて争(あらそ)い吵(さわ)げ」と。

那(か)の大聖(たいせい)言(げん)を聞(き)きて、暗(ひそ)かに笑(わら)って曰(いわ)く、「此(こ)の如来(にょらい)は十分(じゅうぶん)に好(よ)く呆(あほう)ずる!我(われ)が老孫(ろうそん)の一筋斗(ひとおどり)は去(ゆ)くこと十万八千里(じゅうまんはっせんり)。彼(かれ)が那(か)の手(て)の掌(たなごころ)は、方円(ほうえん=縦横)一尺(いっしゃく)に満(み)たざるに、如何(いか)でか跳(と)び出(いで)ざるを得(え)んや」と。急(いそ)ぎ声(こえ)を発(はっ)して曰(いわ)く、「既(すで)に此(か)くの如(ごと)く説(い)わば、汝(なんじ)做(な)して主張(しゅちょう=取り決め)するを得(う)るか」と。仏祖(ぶっそ)曰(いわ)く、「做(な)し得(う)る!做(な)し得(う)る!」と。右手(みぎて)を伸(の)べ開(ひら)けば、却(かえ)って箇(ひとつ)の荷叶(かよう=蓮の葉)の大小(おおいさちいさき)に似(に)たり。那(か)の大聖(たいせい)如意棒(にょいぼう)を収(おさ)め、神威(しんい)を抖擻(とそう=ふるい起こ)し、身(み)を将(も)ちて一縦(ひとおどり)し、仏祖(ぶっそ)が手(て)の心裡(うち)に站(た)ち、却(かえ)って一声(ひとこえ)道(い)う、「我(われ)出(い)で去(ゆ)かん!」と。汝(なんじ)看(み)よ他(かれ)一路(ひとみち)の雲光(うんこう=雲の光)、影(かげ)無(な)く形(かたち)無(な)くして去(さ)れり。仏祖(ぶっそ)慧眼(けいがん=慧き眼)を以(もっ)て観看(かんがん)すれば、那(か)の猴王(こうおう)の風車子(ふうしゃ=風車)の一般(ごとき)に相似(あいに)て住(とど)まらず、只(た)だ管(ひたすら)前進(ぜんしん)するを見(み)る。大聖(たいせい)行(ゆ)く時(とき)、忽(たちま)ち五根(いつつ)の肉紅(にくこう=肉色の赤)の柱子(はしら)の、一股(ひとすじ)の青気(せいき=青き気)を撑(ささ)ぐる有(あ)るを見(み)る。他(かれ)曰(いわ)く、「此(こ)の間(あいだ)は乃(すなわ)ち尽頭路(じんとうろ=行き止まり)なり。此(こ)の番(たび)回(かえ)り去(さ)らんに、如来(にょらい)証(あかし)と作(な)り、霊霄殿(れいしょうでん)は定(かなら)ず是(こ)れ我(われ)が坐(ざ)する所(ところ)なり」と。又(また)思量(しりょう=思い巡ら)して説(い)わく、「且(しばら)く住(とど)まれ!我(われ)が些(いささか)の記号(きごう=印)を留(とど)むるを待(ま)て、方(はじ)めて好(よ)く如来(にょらい)と話(はなし)を説(い)わん」と。一根(ひとふり)の毫毛(ごうもう=細き毛)を拔(ぬ)き下(くだ)し、一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吹(ふ)き、「変(へん)じよ!」と叫(よ)べば、変(へん)じて一管(ひとふで)の濃墨双毫筆(のうぼくそうごうひつ=濃き墨の双毫筆)と作(な)り、那(か)の中間(ちゅうかん=真ん中)の柱子(はしら)の上(うえ)に一行(ひとくだり)の大字(だいじ)を写(うつ)して云(いわ)く、「斉天大聖(せいてんたいせい)、此(ここ)に到(いた)りて一游(ひとあそび=一度の遊び)」と。写(うつ)し畢(おわ)りて、毫毛(ごうもう)を収(おさ)む。又(また)荘尊(そうそん=慎み)ならず、却(かえ)って第一根(だいいちこん)の柱子(はしら)の根下(ねもと)に在(あ)りて一泡(ひとふくろ)の猴尿(こうにょう=猿の小便)を撒(ま)けり。筋斗雲(きんとうん)を翻(ひるがえ)し転(てん)じ、径(ただ)ちに本処(ほんしょ=元の地)に回(かえ)り、如来(にょらい)が掌(たなごころ)に站(た)ちて曰(いわ)く、「我(われ)已(すで)に去(ゆ)き、今(いま)来(きた)れり。汝(なんじ)玉帝(ぎょくてい)に教(おし)えて天宮(てんぐう)を我(われ)に譲(ゆず)らしめよ」と。

如来(にょらい)罵(ののし)って曰(いわ)く、「我(われ)汝(なんじ)が此(こ)の尿精(にょうせい=小便たれ)の猴子(さる)を把(と)らえん!汝(なんじ)正(まさ)に好(よ)く曾(かつ)て我(われ)が掌(たなごころ)を離(はな)れざるなり!」と。大聖(たいせい)曰(いわ)く、「汝(なんじ)は是(こ)れ知(し)らざるなり。我(われ)去(ゆ)きて天(てん)の尽頭(じんとう=果て)に到(いた)り、五根(いつつ)の肉紅柱(にくこうちゅう)の一股(ひとすじ)の青気(せいき)を撑(ささ)ぐるを見(み)、我(われ)箇(ひとつ)の記(しるし)を那(か)の裡(うち)に留(とど)めり、汝(なんじ)敢(あ)えて我(われ)と同(とも)に去(ゆ)きて看(み)るや」と。如来(にょらい)曰(いわ)く、「去(ゆ)くを消(よう=要さ)ず、汝(なんじ)只(た)だ自(みずか)ら頭(こうべ)を低(た)れて看(み)よ」と。那(か)の大聖(たいせい)火眼金睛(かがんきんせい)を睜(ひら)き円(まろ)くし、頭(こうべ)を低(た)れて看(み)る時(とき)、原(もと)来(もと)仏祖(ぶっそ)が右手(みぎて)の中指(なかゆび)に「斉天大聖(せいてんたいせい)、此(ここ)に到(いた)りて一游(ひとあそび)」と写(うつ)せる有(あ)り。大指(おおゆび=親指)の丫(また=股)の裡(うち)に、還(ま)た些(いささか)の猴尿(こうにょう)の臊気(そうき=臭気)有(あ)り。大聖(たいせい)大(おお)いに喫驚(びっくり)して曰(いわ)く、「此(か)くの等(ごとき)の事(こと)有(あ)らんとは!此(か)くの等(ごとき)の事(こと)有(あ)らんとは!我(われ)此(こ)の字(じ)を将(も)ちて撑天柱(ちょうてんちゅう=天を支える柱)の上(うえ)に写(うつ)せしに、如何(いか)でか却(かえ)って他(かれ)が手指(てゆび)の上(うえ)に在(あ)るや?莫非(もしくは)箇(ひとつ)の未卜先知(みぼくせんち=占わず先知る)の法術(ほうじゅつ)有(あ)るか?我(われ)決(けっ)して信(しん)ぜず!信(しん)ぜず!我(われ)が再(ふたた)び去(ゆ)き来(きた)るを待(ま)て!」と。

好(よ)きかな大聖(たいせい)、急(いそ)ぎ身(み)を縦(はな)ちて又(また)跳(と)び出(いで)んと要(よう)するに、仏祖(ぶっそ)掌(たなごころ)を翻(ひるがえ)して一(ひと)撲(うち)し、此(こ)の猴王(こうおう)を把(と)って西天門(さいてんもん)の外(そと)に推(お)し出(いだ)し、五指(ごし=五本の指)を将(も)ちて化(け)して金(こん)・木(もく)・水(すい)・火(か)・土(ど)の五座(いつつ)の聯山(れんざん=連なる山)と作(な)し、喚(よ)んで名(な)づけて「五行山(ごぎょうさん)」と曰(い)い、軽軽(かるがる)しく他(かれ)を把(と)って圧(おさ)え住(とど)む。衆雷神(しゅうらいしん)と阿難(あなん)・迦葉(かしょう)、一箇一箇(めいめい)掌(てのひら)を合(がっ)して称揚(しょうよう=称え讃え)して曰(いわ)く、「善哉(ぜんざい)!善哉(ぜんざい)!

当年(とうねん)卵(らん)より化(け)して人(ひと)と為(な)るを学(まな)び、志(こころざし)を立(た)てて修行(しゅぎょう)し果(はた)して道(みち)真(しん)なり。
万劫(ばんごう)にも移(うつ)ること無(な)く勝境(しょうきょう)に居(きょ)す、一朝(いっちょう)変(へん)有(あ)れば精神(せいしん)散(さん)ず。
天(てん)を欺(あざむ)き上(かみ)を罔(あざむ)きて高位(こうい)を思(おも)い、聖(せい)を凌(しの)ぎ丹(たん)を偸(ぬす)みて大倫(たいりん=大いなる道)を乱(みだ)る。
悪貫満盈(あくかんまんえい=悪の極まる)にして今(いま)報(むくい)有(あ)り、何日(いつのひ)か身(み)を翻(ひるがえ)すを得(う)るを知(し)らず」と。

如来仏祖(にょらいぶっそ)妖猴(ようこう)を殄滅(てんめつ=滅ぼ)し了(おわ)り、即(すなわ)ち阿難(あなん)・迦葉(かしょう)を喚(よ)んで同(とも)に西方極楽世界(さいほうごくらくせかい)に転(てん=帰)ぜんとするに、時(とき)に天蓬(てんぽう)・天佑(てんゆう)の急(いそ)ぎ霊霄宝殿(れいしょうほうでん)を出(い)でて道(い)う有(あ)り、「請(こ)う如来(にょらい)少(しばら)く待(た)て、我(われ)が主(あるじ)の大駕(たいが=御輿)来(きた)るなり」と。仏祖(ぶっそ)言(げん)を聞(き)きて、首(こうべ)を回(めぐ)らして瞻仰(せんごう=仰ぎ見る)。須臾(しばらく)にして、果(はた)して八景鸞輿(はっけいらんよ=八景の鸞の輿)、九光宝蓋(きゅうこうほうがい=九光の宝の傘)を見(み)る;声(こえ)には玄歌(げんか=玄妙の歌)妙楽(みょうがく)を奏(そう)し、咏哦(えいが=詠誦)して無量(むりょう)の神章(しんしょう=神の章)あり;宝花(ほうか)を散(ちら)し、真香(しんこう)を噴(ふ)き、直(ただ)ちに仏前(ぶつぜん)に至(いた)りて謝(しゃ)して曰(いわ)く、「多(おお)く大法(だいほう)を蒙(こうむ)りて妖邪(ようじゃ)を収殄(しゅうてん=滅ぼし収)めたり。望(のぞ)むらくは如来(にょらい)少(しばら)く一日(いちにち)を停(とど)まり、諸仙(しょせん)を請(しょう)じて一会(ひとくみ)の筵(えん)を做(な)して奉謝(ほうしゃ)せしめん」と。如来(にょらい)敢(あ)えて違悖(いはい=背く)せず、即(すなわ)ち掌(てのひら)を合(がっ)して謝(しゃ)して曰(いわ)く、「老僧(ろうそう)大天尊(だいてんそん)の宣命(せんめい=勅命)を承(うけたまわ)りて此(ここ)に来(きた)れるに、何(なん)の法力(ほうりき)か有(あ)らん?還(かえ)って是(こ)れ天尊(てんそん)と衆神(しゅうしん)の洪福(こうふく)なるに、敢(あ)えて労(ろう)を致(いた)して謝(しゃ)せられんや」と。玉帝(ぎょくてい)旨(し)を伝(つた)え、即(すなわ)ち雲部衆神(うんぶしゅうしん)を着(つ)けて、分(わか)ち頭(かしら=手分け)して三清(さんせい)・四御(しぎょ)・五老(ごろう)・六司(ろくし)・七元(しちげん)・八極(はっきょく)・九曜(くよう)・十都(じっと)・千真万聖(せんしんばんせい)を請(しょう)じ、此(ここ)に来(きた)りて会(えん)に赴(おもむ)かせ、同(とも)に仏恩(ぶっとん=仏の恩)を謝(しゃ)せしむ。又(また)四大天師(しだいてんし)・九天仙女(きゅうてんせんにょ)に命(めい)じて、大(おお)いに玉京金闕(ぎょくけいきんけつ)・太玄宝宮(たいげんほうきゅう)・洞陽玉館(どうようぎょくかん)を開(ひら)き、如来(にょらい)を請(しょう)じて七宝霊台(しっぽうれいだい)に高(たか)く坐(ざ)せしめ。各(かく)の班(はん=組)の座位(ざい=座)を調設(ちょうせつ=設け整え)し、龍肝鳳髄(りゅうかんほうずい=龍の肝・鳳凰の髄)、玉液(ぎょくえき=霊液)蟠桃(ばんとう)を安排(あんばい=整える)。

一時(ひととき)ならずして、那(か)の玉清元始天尊(ぎょくせいげんしてんそん)・上清霊宝天尊(じょうせいれいほうてんそん)・太清道徳天尊(たいせいどうとくてんそん)・五鬙真君(ごそうしんくん)・五斗星君(ごとせいくん)・三官四聖(さんかんしせい)・九曜真君(くようしんくん)・左輔(さほ)・右弼(ゆうひつ)・天王(てんおう)・哪吒(なた)・玄虚(げんきょ)の一応(いちおう=全て)の霊通(れいつう)、対対(ついつい)と旌旗(せいき)、双双(そうそう)と幡蓋(ばんがい)して、都(みな)明珠異宝(めいじゅいほう=珠と珍宝)、寿果奇花(じゅかきか=長寿の果と奇なる花)を捧(ささ)げ、仏前(ぶつぜん)に向(むか)いて拜献(はいけん=拝み献じ)して曰(いわ)く、「如来(にょらい)が無量(むりょう)の法力(ほうりき)を感(かん)じ奉(たてまつ)り、妖猴(ようこう)を収伏(しゅうふく)せられたり。大天尊(だいてんそん)の宴(えん)を設(もう)けらるるを蒙(こうむ)り、我(われ)等(ら)を呼喚(こかん=お呼び)して皆(みな)来(きた)りて陳謝(ちんしゃ=申し述べ謝)せしむ。請(こ)う如来(にょらい)此(こ)の会(えん)を将(も)ちて一名(いちめい)を立(た)てよ、如何(いかん)」と。如来(にょらい)衆神(しゅうしん)の託(たく=頼み)を領(う)けて曰(いわ)く、「今(いま)名(な)を立(た)てんと欲(ほっ)せば、可(べ)く箇(ひとつ)の『安天大会(あんてんだいえ)』を作(な)すべし」と。各仙老(かくせんろう=仙の長老たち)異口同音(いくどうおん=異口同音)に、俱(とも)に道(い)わく、「好(よ)き箇(ひとつ)の『安天大会(あんてんだいえ)』!好(よ)き箇(ひとつ)の『安天大会(あんてんだいえ)』!」と。言(げん)訖(おわ)り、各(おのおの)座位(ざい)に坐(ざ)し、斝(か=杯)を走(はし)らせ觴(さかずき)を伝(つた)え、花(はな)を簪(さ)し瑟(しつ=琴)を鼓(う)ち、果(はた)して好(よ)き会(えん)なるなり。詩(し)有(あ)りて証(しょう)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く:

宴(えん)は蟠桃(ばんとう)を設(もう)けて猴(さる)攪乱(かくらん)せしが、安天大会(あんてんだいえ)は蟠桃(ばんとう)に勝(まさ)る。
龍旗(りゅうき)鸞輅(らんろ=鸞の車)祥光(しょうこう)藹(あい=たなび)き、宝節(ほうせつ)幢幡(どうばん=旗)瑞気(ずいき)飄(ひるがえ)る。
仙楽(せんがく)玄歌(げんか)音韻(いんいん=音のひびき)美(うつく)しく、鳳簫(ほうしょう)玉管(ぎょくかん=玉の笛)響(ひびき)声(こえ)高(たか)し。
瓊香(けいこう=玉の香)繚繞(りょうじょう=たなびき)て群仙(ぐんせん)集(あつま)り、宇宙(うちゅう)清平(せいへい)にして聖朝(せいちょう)を賀(が)す。

衆(しゅう)皆(みな)暢然(ちょうぜん=のびのび)として喜(よろこ)び会(えん)するに、只(た)だ王母娘娘(おうぼにゃんにゃん)の一班(ひとくみ)の仙子(せんし)・仙娥(せんが=仙女)・美姫(びき=美女)・美女(びじょ)を引(ひ)きて、飄飄蕩蕩(ひょうひょうとうとう=ひらひらと)舞(ま)いて仏前(ぶつぜん)に向(むか)い、施礼(せれい)して曰(いわ)く、「前(さき)に妖猴(ようこう)に蟠桃(ばんとう)の一会(ひとくみ)を攪乱(かくらん)せられしに、今(いま)如来(にょらい)の大法(だいほう)を蒙(こうむ)りて頑猴(がんこう=手に負えぬ猿)を鏈鎖(れんさ=鎖にて縛)せられ、『安天大会(あんてんだいえ)』を慶喜(きょうき=喜び祝う)するも、物(もの)の謝(しゃ)す可(べ)き無(な)し、今(いま)是(こ)れ我(われ)浄手(じょうしゅ=手を清め)して親(みずか)ら大株(たいしゅ=大きな木)の蟠桃(ばんとう)数枚(すうまい)を摘(つ)みて奉献(ほうけん=捧げ奉る)」と。真(まこと)に是(こ)れ箇(ひとつ)の:

半紅半緑(はんこうはんりょく)甘香(かんこう=甘き香)を噴(ふ)き、艶麗(えんれい)の仙根(せんこん=仙の根)万載(ばんざい)も長(なが)し。
堪(た)えて笑(わら)う武陵源(ぶりょうげん=桃源)の種(たね)の上(ほとり)は、争(いか)でか天府(てんふ)の更(さら)に奇(き)にして強(つよ)きに如(し)かん!
紫紋(しもん=紫の模様)嬌嫩(きょうどん=柔らかに愛らし)く寰中(かんちゅう=世の中)に少(すくな)く、緗核(そうかく=薄き黄色の核)清甜(せいてん=清く甘し)きは世(よ)に双(そう=並ぶもの)無(な)し。
寿(じゅ)を延(の)べ年(とし)を延(の)べて能(よ)く体(たい)を易(か)え、縁(えん)有(あ)りて食(くら)う者(もの)は自(おのずか)ら常(つね)に非(あら)ず。

仏祖(ぶっそ)掌(てのひら)を合(がっ)して王母(おうぼ)に向(むか)いて謝(しゃ)し訖(おわ)る。王母(おうぼ)又(また)仙姫(せんき)・仙子(せんし)を着(つ)けて唱(うた)うは唱(うたい)、舞(ま)うは舞(ま)わしむ。満会(まんえ=会の皆)の群仙(ぐんせん)、又(また)皆(みな)賞賛(しょうさん=讃える)。正(まさ)に是(こ)れ:

縹緲(ひょうびょう=たなびく)として天香(てんこう)座(ざ)に満(み)ち、繽紛(ひんぷん=乱れ舞う)たる仙蕊(せんずい=仙の蕊)仙花(せんか)。
玉京金闕(ぎょくけいきんけつ)大(おお)いに栄華(えいが)にして、異品奇珍(いひんきちん)も価(あたい)無(な)し。
対対(ついつい)天(てん)と与(とも)に寿(じゅ)を斉(ひと)しくし、双双(そうそう)万劫(ばんごう)に増加(ぞうか)す。
桑田滄海(そうでんそうかい)更(こう=転)じ差(たが)うに任(まか)すも、他(かれ)自(おのずか)ら驚(おどろ)き無(な)く訝(いぶか)り無(な)し。

王母(おうぼ)正(まさ)に仙姫(せんき)仙子(せんし)をして歌舞(かぶ)せしめ、觥籌(こうちゅう=酒杯と箸)交(こもご)も錯(みだ)るるに、多(おお)からず時(とき)ならず、忽(たちま)ち又(また)聞(き)こゆるは:

一陣(ひとむれ)の異香(いこう=異なる香)鼻(はな)を嗅(か)いで来(きた)り、満堂(まんどう)の星(ほし)と宿(やど=星宿)を驚(おどろ)かし動(うご)かす。
天仙(てんせん)仏祖(ぶっそ)杯(さかずき)を把(と)って停(とど)め、各各(おのおの)頭(こうべ)を抬(あ)げて目(め)を迎(むか)え候(うかが)う。
霄漢(しょうかん=大空)の間(あいだ)に老人(ろうじん)現(あらわ)れ、手(て)に霊芝(れいし=霊芝草)を捧(ささ)げて藹繍(あいしゅう=美しき刺繍)を飛(と)ばす。
葫蘆(ころ=瓢箪)に万年丹(まんねんたん)を蔵蓄(ぞうちく=蔵め蓄え)、宝録(ほうろく=宝の帳)に千紀寿(せんきじゅ=千年の寿)を名(な)書(しる)す。
洞裡(どうり=洞の裡)の乾坤(けんこん)自由(じゆう)に任(まか)せ、壷中(こちゅう=瓢箪の中)の日月(じつげつ)成就(じょうじゅ)に随(したが)う。
四海(しかい)に遨遊(ごうゆう=遊び歩)きて清閑(せいかん=閑雅)を楽(たのし)み、十洲(じっしゅう)に散淡(さんたん=気ままに)として輳(あつま)りを容(い)る。
曾(かつ)て蟠桃(ばんとう)に赴(おもむ)きて幾遭(いくたび)か酔(よ)い、醒(さ)むる時(とき)明月(めいげつ)は還(ま)た旧(もと)の依(ごと)し。
長頭(ちょうとう)大耳(だいじ)短身躯(たんしんく)、南极(なんきょく)の方(かた)に老寿(ろうじゅ)と称(とな)う。

寿星(じゅせい)又(また)到(いた)る。玉帝(ぎょくてい)に見(まみ)えて礼(れい)し畢(おわ)り、又(また)如来(にょらい)に見(まみ)え、申謝(しんしゃ=申し述べ謝)して曰(いわ)く、「始(はじ)め那(か)の妖猴(ようこう)の老君(ろうくん)に引(ひ)かれて兜率宮(とそつぐう)に至(いた)り煅煉(たんれん)せらると聞(き)き、以(もっ)て必(かなら)ず平安(へいあん)を致(いた)さんと思(おも)いしに、期(き)せずんば他(かれ)又(また)反(そむ)き出(いで)たり。如来(にょらい)の善(よ)く此(こ)の怪(かい)を伏(ふく)するに干(あずか)り、宴(えん)を設(もう)けて奉謝(ほうしゃ)すると聞(き)き、故(ゆえ)に此(これ)に聞風(ふうをきき=噂を聞き)て来(きた)れり。更(さら)に他物(たぶつ)の献(けん)ず可(べ)き無(な)く、特(こと)に紫芝(しし=紫の霊芝)瑶草(ようそう=仙草)、碧藕(へきぐう=碧き蓮根)金丹(きんたん)を具(そな)えて奉上(ほうじょう=捧げ奉る)」と。詩(し)に曰(いわ)く:

碧藕(へきぐう)金丹(きんたん)釈迦(しゃか)に奉(たてまつ)れば、如来(にょらい)が万寿(ばんじゅ)恒沙(ごうじゃ=ガンジス河の砂)の若(ごと)し。
清平(せいへい)永楽(えいらく)三乗(さんじょう)の錦(にしき)、康泰(こうたい)長生(ちょうせい)九品(きゅうほん)の花(はな)。
無相門中(むそうもんちゅう)の真法王(しんほうおう)、色空天(しきくうてん)の上(ほとり)は是(こ)れ仙家(せんけ)なり。
乾坤(けんこん)大地(だいち)皆(みな)称(とな)えて祖(そ)とし、丈六金身(じょうろくこんじん=一丈六尺の金の身)福寿(ふくじゅ)賒(ゆたか)なり。

如来(にょらい)欣然(きんぜん=喜びいさん)で領(うけ)て謝(しゃ)す。寿星(じゅせい)座(ざ)を得(え)て、依然(いぜん)として斝(か=杯)を走(はし)らせ觴(さかずき)を伝(つた)う。只(た)だ赤脚大仙(せっきゃくだいせん)の又(また)至(いた)るを見(み)る。玉帝(ぎょくてい)の前(まえ)に向(むか)いて俯囟(ふしん=額を地に着け)して礼(れい)し畢(おわ)り、又(また)仏祖(ぶっそ)に対(たい)して謝(しゃ)して曰(いわ)く、「深(ふか)く法力(ほうりき)を感(かん)じ、妖猴(ようこう)を降伏(ごうぶく)せられたり。物(もの)の以(もっ)て敬(けい)を表(あらわ)す可(べ)き無(な)く、特(こと)に交梨(こうり=梨の一種)二顆(ふたつ)、火棗(かそう=火棗)数枚(すうまい)を具(そな)えて奉献(ほうけん)す」と。詩(し)に曰(いわ)く:

大仙(だいせん)赤脚(せっきゃく)にして棗梨(そうり)香(かん)じ、弥陀(みだ)を敬献(けいけん=謹んで捧ぐ)する寿算(じゅさん)長(なが)し。
七宝蓮台(しっぽうれんだい)山(やま)の様(さま)に穏(おだ)やかに、千金(せんきん)の花座(かざ)錦(にしき)の般(ごと)き妝(よそおい)。
寿(じゅ)天地(てんち)と同(おな)じとは言(げん)謬(あやま)りに非(あら)ず、福(ふく)洪波(こうは=大波)に比(ひ)するとは話(ことば)豈(あ)に狂(くる)たるや。
福寿(ふくじゅ)期(とき)の如(ごと)きは真(まこと)に箇(ひとつ)の是(こ)れ、清閑(せいかん)極楽(ごくらく)那(あ)の西方(さいほう)なり。

如来(にょらい)又(また)称(とな)えて謝(しゃ)し了(おわ)る。阿難(あなん)・迦葉(かしょう)を叫(よ)んで、各(おのおの)献(けん)ずる所(ところ)の物(もの)を、一一(いちいち)収(おさ)め起(おこ)させ、方(はじ)めて玉帝(ぎょくてい)の前(まえ)に向(むか)いて宴(えん)を謝(しゃ)す。衆(しゅう)各(おのおの)酩酊(めいてい=泥酔)するに、只(た)だ一箇(ひとり)の巡視霊官(じゅんしれいかん)の来(きた)りて報(ほう)じて曰(いわ)く、「那(か)の大聖(たいせい)頭(こうべ)を伸(の)ばし出(いだ)せり」とを見(み)る。仏祖(ぶっそ)曰(いわ)く、「妨(さまた)げず、妨(さまた)げず」と。袖(そで)の中(なか)より只(た)だ一枚(ひとひら)の帖(じょう=紙札)を取(と)り出(いだ)すに、上(うえ)に六箇(むっつ)の金字(きんじ)有(あ)りて曰(いわ)く、「唵(おん)・嘛(ま)・呢(に)・叭(ぱ)・咪(み)・吽(うん)」と。阿難(あなん)に逓(わた)して、那(か)の山頂上(さんちょうじょう)に貼(は)るを叫(よ)ばしむ。此(こ)の尊者(そんじゃ)即(すなわ)ち帖(じょう)を領(う)け、天門(てんもん)を拿(と)り出(いだ)し、那(か)の五行山(ごぎょうさん)の頂上(ちょうじょう)に到(いた)り、緊緊(きつきつ)と一塊(ひとかたまり)の四方石(しほうせき)の上(うえ)に貼(は)り着(つ)く。那(か)の座(ひとつ)の山(やま)は即(すなわ)ち根(ね)を生(しょう)じ縫(ぬいめ)を合(がっ)し、可(べ)く呼吸(こきゅう)の気(き)を運用(うんよう)して、手(て)を爬(は)い出(いだ)し、以(もっ)て揺掙揺掙(ようそうようそう=もがき動かす)す可(べ)きのみ。阿難(あなん)回(かえ)りて報(ほう)じて曰(いわ)く、「已(すで)に帖(じょう)を将(も)ちて貼(は)り了(おわ)れり」と。

如来(にょらい)即(すなわ)ち玉帝(ぎょくてい)衆神(しゅうしん)に辞(じ)し、二尊者(にそんじゃ)と天門(てんもん)の外(そと)に出(いで)、又(また)一箇(ひとつ)の慈悲心(じひしん)を発(おこ)し、真言咒語(しんごんじゅご)を念動(ねんどう)し、五行山(ごぎょうさん)に一尊(ひとりの)土地神祗(とちしんぎ)を召(め)し、五方掲諦(ごほうかいてい)に会(え)し同(とも)にして、此(こ)の山(やま)に居住(きょじゅう)して監押(かんおう=見張る)せしむ。但(た)だ他(かれ)が飢(う)うる時(とき)は、他(かれ)に鉄丸子(てつがんし=鉄の団子)を与(あた)えて食(くら)わし;渴(かわ)く時(とき)は、他(かれ)に溶化(ようか=溶かし)たる銅汁(どうじゅう=銅の汁)を与(あた)えて飲(の)ましむ。他(かれ)が災愆(さいけん=災いの期)の満(み)つる日(ひ)を待(ま)てば、自(おのずか)ら人(ひと)の他(かれ)を救(すく)う有(あ)らん。正(まさ)に是(こ)れ:

妖猴(ようこう)大胆(だいたん)に天宮(てんぐう)に反(そむ)けしも、却(かえ)って如来(にょらい)の伏手(ふくしゅ=手を伏せる)に降(くだ)さる。
渴(かわ)けば溶銅(ようどう=溶けた銅)を飲(の)みて歳月(さいげつ)を挨(しの)ぎ、飢(う)うれば鉄弾(てつだん=鉄の弾)を餐(くら)いて時光(じこう=時)を度(わた)る。
天災(てんさい)苦(くるし)く困(くるし)めて磨折(ませつ=苦しめ)に遭(あ)い、人事(じんじ)凄凉(せいりょう=もの寂し)くして命(いのち)の長(なが)きを喜(よろこ)ぶ。
若(も)し英雄(えいゆう)の重(ふたた)び展掙(てんそう=身を起こす)を得(う)るに至(いた)らば、他年(たねん=後の年)仏(ほとけ)に奉(ほう)じて西方(さいほう)に上(のぼ)らん。

又(また)詩(し)に曰(いわ)く:

豪強(ごうきょう)を逞(たくま)しうして大(おお)いに事(こと)を興(おこ)し、龍(りゅう)を降(くだ)し虎(とら)を伏(ふく)して乖能(かいのう=悪賢き才)を弄(ろう)す。
桃(とう)を偸(ぬす)み酒(しゅ)を偸(ぬす)みて天府(てんふ)に游(あそ)び、録(ろく=天録)を受(う)け恩(おん)を承(うけたまわ)って玉京(ぎょっけい)に在(あ)り。
悪(あく)貫(つらぬ)き満(み)ち盈(み)ちて身(み)受(う)けて困(くるし)めど、善根(ぜんこん)絶(た)えずして気(き)還(ま)た升(のぼ)る。
果(はた)して如来(にょらい)が手(て)を脱(のが)るるを得(う)るは、且(しばら)く唐朝(とうちょう)の聖僧(せいそう)の出(い)ずるを待(ま)て。

畢竟(つい)に何年(なんねん)何月(なんげつ)に、方(はじ)めて災殃(さいよう=災い)満(み)つるを知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。