話説(さて)、孫大聖(そんたいせい)唐僧(とうそう)を扶持(たす)け著(つ)き、八戒(はっかい)、沙僧(しゃそう)と大路(だいろ)に奔(はし)り上(のぼ)り、一直(ひたすら)に西(にし)へ来(きた)る。半晌(はんとき)ならずして、忽(たちまち)一処(ひとところ)の楼閣(ろうかく)重重(かさなり)、宮殿(きゅうでん)巍巍(そびえたつ)を見(み)る。唐僧(とうそう)馬(うま)を勒(ひか)えて道(い)う、「徒弟(とてい)よ、汝(なんじ)看(み)よ、那(か)れは是(こ)れ一箇(ひとつ)の甚(なん)の去処(ところ)ぞ」と。行者(ぎょうじゃ)頭(こうべ)を挙(あ)げて観看(みわた)すに、忽然(たちまち)見(み)る──
山(やま)は楼閣(ろうかく)を環(めぐ)り、
溪(たに)は亭台(ていだい)を繞(めぐ)る。
門前(もんぜん)の雑樹(ざつじゅ)は密(みっ)として森森(しんしん)、
宅外(たくがい)の野花(やか)は香(かおり)艶艶(えんえん)。
柳間(りゅうかん)に栖(す)む白鷺(しろさぎ)は、渾(まる)で煙(けむり)の裡(うち)の玉(ぎょく)の瑕(きず)無(な)きが如(ごと)く、
桃内(とうない)に囀(さえず)る黄鶯(うぐいす)は、却(かえ)って火(ひ)の中(なか)の金(こがね)の色(いろ)有(あ)るに似(に)たり。
双双(つがいつがい)の野鹿(やしか)は、情(じょう)を忘(わす)れて閑(しず)かに緑莎茵(りょくさしとね=緑の芝の褥)を踏(ふ)み、
対対(つれつれ)の山禽(さんきん)は、語(ことば)を飛(と)ばして高(たか)く紅樹(こうじゅ)の杪(こずえ)に鳴(な)く。
真(まこと)に劉阮(りゅうげん)の天台洞(てんだいどう)の如(ごと)く、
神仙(しんせん)の閬苑家(ろうえんか=仙人の園)に亜(つ)がざるなり。
行者(ぎょうじゃ)報(ほう)じて道(い)う、「師父(しふ)、那(か)の所(ところ)は也(また)是(こ)れ王侯(おうこう)の第宅(ていたく=邸宅)にも非(あら)ず、也(また)是(こ)れ豪富(ごうふ)の人家(じんか)にも非(あら)ず、却(かえ)って一箇(ひとつ)の庵観寺院(あんかんじいん=庵・道観・寺)に象(に)たり。那(か)の処(ところ)に到(いた)りて方(はじ)めて端(たん)的(てき=真相)を知(し)らん」と。三蔵(さんぞう)言(げん)を聞(き)くや、鞭(むち)を加(くわ)え馬(うま)を促(うなが)す。師徒(してい)たち来(きた)りて門前(もんぜん)に至(いた)りて観看(みる)に、門(もん)の上(うえ)に一塊(ひとつ)の石板(せきばん)を嵌(は)め著(つ)けて在(あ)り、上(うえ)に「黄花観(こうかかん)」の三字(さんじ)有(あ)り。三蔵(さんぞう)馬(うま)を下(お)る。八戒(はっかい)道(い)う、「黄花観(こうかかん)は乃(すなわ)ち道士(どうし)の家(いえ)なり。我等(われら)進(すす)み入(い)りて彼(かれ)と一(ひと)たび会(あ)うるも也(また)好(よ)し。彼(かれ)は我等(われら)と衣冠(いかん=衣裳と冠)は別(こと)なれど、修行(しゅぎょう)は一般(おなじ)なり」と。沙僧(しゃそう)道(い)う、「說(い)えるは是(せい)なり。一(ひとつ)には則(すなわ)ち進(すす)み入(い)りて景致(けいち=景色)を看看(み)んとし、二(ふたつ)には来(きた)れるは也(また)当(まさ)に頭口(とうこう=馬)を撒貨(さっか=放ち飼い)すべし。方便(ほうべん=都合)の処(ところ)を看(み)て、些(いささ)かの斎飯(さいはん)を安排(ととの)えて師父(しふ)に与(あた)えて喫(くら)わしめよ」と。
長老(ちょうろう)言(げん)に依(よ)り、四衆(ししゅう)共(とも)に入(い)る。但(た)だ見(み)る、二門(にもん)の上(うえ)に一対(ひとつがい)の春聯(しゅんれん)有(あ)り──
「黄芽白雪(こうがはくせつ)神仙(しんせん)の府(ふ)、
瑤草琪花(ようそうきか)羽士(うし=道士)の家(いえ)」と。
行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「此(こ)れは是(こ)れ茅(ぼう=仙薬)を焼(や)き薬(くすり)を煉(ね)り、炉火(ろか=炉の火)を弄(ろう)し、罐子(かんす=壷)を提(さ)ぐるの道士(どうし)」と。三蔵(さんぞう)彼(かれ)を一(ひと)たび捻(つね)って道(い)う、「謹言(きんげん=慎め)! 謹言(きんげん)! 我等(われら)彼(かれ)と相(あい)識(し)らず、又(また)親(みより)を認(みと)めず、左右(とにかく)暫時(しばらく)の一会(ひとたびの会)なれば、彼(かれ)を管(かま)うは怎(どう)したる」と。說(い)い了(おわ)らざるに、二門(にもん)を進(すす)み入(い)るに、只(た)だ見(み)る、那(か)の正殿(せいでん)は謹(かた)く閉(とざ)され、東廊(とうろう)の下(した)に一箇(ひとり)の道士(どうし)坐(ざ)して那(か)の処(ところ)に在(あ)りて薬(くすり)を丸(まる)むる。汝(なんじ)看(み)よ、彼(かれ)の怎(いか)に生(どう)か打扮(いでたち)せるを──
戴(いただ)くは一頂(ひとつ)の紅艶艶(こうえんえん=真っ赤)たる戧金冠(そうきんかん=金象眼の冠)、
穿(き)るは一領(ひとえ)の黒淄淄(こくしし=真っ黒)たる烏皁服(うそうふく=黒の袍)、
踏(ふ)むは一双(ひとそろい)の緑陣陣(りょくじんじん=深緑)たる雲頭履(うんとうり=雲形の靴)、
系(むす)ぶは一条(ひとすじ)の黄払払(こうふつふつ=黄色に靡く)たる呂公縧(りょこうとう=呂公の帯)。
面(おもて)は瓜鉄(かてつ=瓜と鉄)の如(ごと)く、
目(め)は朗星(ろうせい=明るき星)の若(ごと)し。
準頭(じゅんとう=鼻先)高大(こうだい)にして回回(ホイホイ=回族の人)の類(たぐい)、
唇口(しんこう=唇)翻張(ほんちょう=めくれ)て達達(タタタタ=韃靼の人)の如(ごと)し。
道心(どうしん)一片(いっぺん)轟雷(ごうらい)を隠(かく)し、
虎(とら)を伏(ふく)し龍(りゅう)を降(くだ)す真(しん)の羽士(うし)なり。
三蔵(さんぞう)見(み)るや、厲声(れいせい)に高(たか)く叫(よ)んで道(い)う、「老神仙(ろうしんせん)、貧僧(ひんそう)問訊(もんじん=挨拶)し了(おわ)る」と。那(か)の道士(どうし)猛(ふと)と頭(こうべ)を抬(あ)げ、一(ひと)たび見(み)るや心(こころ)に驚(おどろ)き、手(て)の中(なか)の薬(くすり)を投(な)げ捨(す)て、簪児(かんざし)を按(おさ)え、衣服(いふく)を整(ととの)え、階(きざはし)を降(お)りて迎(むか)え接(むか)えて道(い)う、「老師父(ろうしふ)、迎(むか)うるを失(うしな)えり。請(こ)う裡(うち)に坐(ざ)せ」と。
長老(ちょうろう)歓(よろこ)んで殿(でん)に上(のぼ)り、門(もん)を推(お)し開(ひら)き、三清(さんせい)の聖象(せいぞう=御像)の有(あ)るを見(み)る。供卓(くたく=供物の卓)に炉(ろ)有(あ)り香(こう)有(あ)り。即(すなわ)ち香(こう)を拈(つま)みて炉(ろ)に注(そそ)ぎ、礼拜(らいはい)すること三匝(さんそう=三巡)し、方(はじ)めて道士(どうし)と礼(れい)を行う。遂(つい)に客位(きゃくい=客席)の中(なか)に至(いた)り、徒弟(とてい)たちと同(とも)に坐(ざ)し下(おろ)す。急(いそ)ぎ仙童(せんどう)を喚(よ)びて茶(ちゃ)を看(もてな)さしむ。当(まさ)に二箇(ふたり)の小童(しょうどう)有(あ)り、即(すなわ)ち裡辺(うち)に入(い)り、茶盤(ちゃばん)を尋(たず)ね、茶盞(ちゃさん=茶碗)を洗(あら)い、茶匙(ちゃじ=茶さじ)を擦(みが)き、茶果(ちゃか=茶請け)を弁(ととの)う。忙忙(せわしげ)に乱(みだ)りに走(はし)るに、早(はや)くも那(か)の幾箇(いくたり)かの冤家(えんか=仇)を驚(おどろ)かし動(うご)かせり。
原来(もと)、那(か)の盤糸洞(ばんしどう)の七箇(ななつ)の女怪(じょかい)は此(こ)の道士(どうし)と同堂(どうどう=同じ道場)にして芸(げい)を学(まな)べり。旧衣(きゅうい)を穿(き)て、児子(こども)を喚(よ)び出(いだ)しし自(よ)り、径(ただ)ちに此(こ)の処(ところ)に来(きた)れり。正(まさ)に後面(うしろ)に在(あ)りて衣服(いふく)を裁(た)ち剪(き)るに、忽(たちま)ち那(か)の童子(どうじ)の茶(ちゃ)を看(もてな)すを見(み)るや、便(すなわ)ち問(と)うて道(い)う、「童児(こども)よ、甚(なん)の客(きゃく)の来(きた)れる有(あ)りて、此(か)くの般(ごと)く忙冗(ぼうじょう=忙しい)なる」と。仙童(せんどう)道(い)う、「適間(さっき)四箇(よたり)の和尚(おしょう)の進(はい)り来(きた)れる有(あ)り、師父(しふ)来(きた)りて茶(ちゃ)を看(もてな)せと教(おし)えられし」と。女怪(じょかい)道(い)う、「箇(ひとり)の白(しろ)く胖(ふと)りし和尚(おしょう)の有(あ)るや」と。道(い)う、「有(あ)り」と。又(また)問(と)う、「箇(ひとり)の長(なが)き嘴(くち)と大(おお)きなる耳朶(みみ)の有(あ)るや」と。道(い)う、「有(あ)り」と。女怪(じょかい)道(い)う、「汝(なんじ)快(すみや)かに去(ゆ)きて茶(ちゃ)を遞(わた)し了(おわ)り、汝(なんじ)が師父(しふ)に対(たい)して一箇(ひとつ)の眼色(がんしょく=目くばせ)を送(おく)り、彼(かれ)を入(はい)り来(きた)らしめよ。我(われ)に要緊(だいじ)の話(はなし)有(あ)りて說(い)わんとす」と。
果(はた)して那(か)の仙童(せんどう)五杯(いつはい)の茶(ちゃ)を将(もっ)て拿(と)りて出(い)で去(ゆ)く。道士(どうし)衣(ころも)を斂(おさ)め、双手(もろて)に一杯(いっぱい)を拿(と)りて三蔵(さんぞう)に遞(わた)し、然(しか)る後(のち)八戒(はっかい)、沙僧(しゃそう)、行者(ぎょうじゃ)に与(あた)う。茶(ちゃ)罷(おわ)りて鍾(しゅう=器)を収(おさ)むるに、小童(しょうどう)一箇(ひとつ)の眼色(がんしょく)を送(おく)れば、那(か)の道士(どうし)就(すなわ)ち身(み)を欠(かが)めて道(い)う、「列位(みなさま)請(こ)う坐(ざ)せ」と。教(おし)えて、「童児(こども)よ、茶盤(ちゃばん)を放(お)きて陪侍(ばいじ=付き添え)よ、我(われ)が去(ゆ)き去(ゆ)きて就(すなわ)ち来(きた)るを等(ま)て」と。此(こ)の時(とき)長老(ちょうろう)と徒弟(とてい)たち、并(ならび)に一箇(ひとり)の小童(しょうどう)は殿(でん)を出(い)でて上(あが)り観玩(みてあそ)ぶは不題(さておき)。
却説(さて)、道士(どうし)走(あゆ)みて方丈(ほうじょう=住職の間)の中(なか)に進(すす)み入(い)るに、只(た)だ見(み)る、七箇(ななたり)の女子(じょし)の斉斉(ひとしく)跪(ひざまず)き倒(たお)れ、叫(よ)んで「師兄(しけい)! 師兄(しけい)! 小妹子(いもうと)の一言(いちげん)を聴(き)け!」と。道士(どうし)手(て)を用(もち)いて攙(たす)け起(おこ)して道(い)う、「汝等(なんじら)早間(けさ)来(きた)りし時(とき)、我(われ)と甚(なん)の話(はなし)をか說(い)わんと要(よう)せしに、可可的(あいにく)今日(こんにち)薬(くすり)を丸(まる)め、此(こ)の枝(このくすり)は陰人(いんじん=女)の見(み)るを忌(い)む、所以(ゆえ)に曾(かつ)て汝(なんじ)に答(こた)えざりし。如今(いま)又(また)客(きゃく)の外面(そと)に在(あ)る有(あ)れば、話(はなし)有(あ)らば且(しばら)く慢慢(ゆっくり)說(い)え」と。
衆怪(しゅうかい)道(い)う、「告禀(もうしあ)ぐるは師兄(しけい)、此(こ)の樁(このこと)は、専(もっぱ)ら客(きゃく)の来(きた)れるが為(ため)に方(はじ)めて敢(あえ)て告(つ)げ訴(うった)う。若(も)し客(きゃく)去(さ)り了(おわ)らば、縦(たと)い說(い)うも也(また)用(やく)無(な)し」と。道士(どうし)笑(わら)って道(い)う、「汝(なんじ)看(み)よ、賢妹(けんまい)の說話(せつわ)。怎(なん)ぞや専(もっぱ)ら客(きゃく)の来(きた)れるが為(ため)に才(はじ)めて說(い)うとは。却(かえ)って瘋(きちがい)ならずや。且(しばら)く我(われ)の是(こ)れ一箇(ひとり)の清静(せいじょう)にして仙(せん)を修(おさ)むるの輩(ともがら)なるを說(い)わず、就(すなわ)ち是(こ)れ一箇(ひとつ)の俗人家(ぞくにんけ)にして、妻子(さいし)老小(ろうしょう=家族)の家務事(かむじ=家の用事)有(あ)るも、也(また)客(きゃく)の去(さ)るを等(ま)ちて再(また)た処(しょ)すべし。怎(なん)ぞや此(か)くの等(ごと)く不賢(ふけん)にして、我(われ)に替(かわ)りて幌子(ほうし=見え)を装(よそお)う哩(ぞ)! 且(しばら)く我(われ)を出(い)で去(ゆ)かしめよ」と。
衆怪(しゅうかい)又(また)一斉(いっせい)に扯(ひ)き住(とど)めて道(い)う、「師兄(しけい)怒(いかり)を息(いこ)え、我(われ)汝(なんじ)に問(と)う、前辺(まえ)の那(か)の客(きゃく)は、是(こ)れ那(いず)れの方(ほう)自(よ)り来(きた)れる」と。道士(どうし)は顔(かお)を膨(ふく)らせて唾(つばき)し、答(こた)えざりき。衆怪(しゅうかい)道(い)う、「方才(さっき)小童(しょうどう)進(はい)り来(きた)りて茶(ちゃ)を取(と)るに、我(われ)彼(かれ)が說(い)うを聞(き)き得(え)たり、是(こ)れ四箇(よたり)の和尚(おしょう)なりと」と。道士(どうし)怒(いかり)を作(な)して道(い)う、「和尚(おしょう)ならば便(すなわ)ち怎(どう)かしたる」と。衆怪(しゅうかい)道(い)う、「四箇(よたり)の和尚(おしょう)の内(うち)に一箇(ひとり)の白面(はくめん)の胖(ふと)れる有(あ)り、一箇(ひとり)の長(なが)き嘴(くち)と大(おお)きなる耳(みみ)の有(あ)り。師兄(しけい)曾(かつ)て彼(かれ)に是(こ)れ那裡(いずこ)より来(きた)れるかと問(と)えしか」と。道士(どうし)道(い)う、「内中(うち)に是(こ)れ此(こ)の二箇(ふたり)の有(あ)るは然(しか)り、汝(なんじ)怎(どう)して知(し)れる。想(おも)うに是(こ)れ那(いずこ)かに在(あ)りて彼(かれ)に見(まみ)えし来(きた)れるならん」と。
女子(じょし)道(い)う、「師兄(しけい)原(もと)此(こ)の箇(この)委曲(いきょく=事情)を知(し)らず。那(か)の和尚(おしょう)は乃(すなわ)ち唐朝(とうちょう)より差(つか)わされ西天(さいてん)に往(ゆ)きて経(きょう)を取(と)らんと去(ゆ)く者(もの)なり。今早(けさ)我(わ)が洞(ほら)の裡(うち)に到(いた)りて斎(とき)を化(こ)すや、委(たし)かに是(こ)れ妹子(いもうと)たち唐僧(とうそう)が名(な)を聞(き)き得(え)て、彼(かれ)を将(もっ)て拿(と)らえたるなり」と。道士(どうし)道(い)う、「汝(なんじ)彼(かれ)を拿(と)りて怎(どう)したる」と。女子(じょし)道(い)う、
「我等(われら)久(ひさ)しく人(ひと)の說(い)うを聞(き)く、唐僧(とうそう)は乃(すなわ)ち十世(じっせい)の修行(しゅぎょう)の真体(しんたい=真の体)にして、人(ひと)有(あ)りて彼(かれ)が一塊(ひとかけら)の肉(にく)を喫(くら)えば、寿(ことぶき)を延(の)べ長生(ちょうせい)すと。故此(このゆえ)に彼(かれ)を拿(と)らえたり。後(のち)那(か)の箇(ひとり)の長(なが)き嘴(くち)と大(おお)きなる耳朶(みみ)の和尚(おしょう)に被(あ)いて我等(われら)を濯垢泉(たくこうせん)の裡(うち)に攔(さえぎ)り住(とど)められ、先(ま)ず衣服(いふく)を搶(うば)われ、後(のち)本事(ほんじ=術)を弄(ろう)して、強(し)いて我等(われら)と同(とも)に澡(み)を洗(あら)わんと要(よう)し、也(また)彼(かれ)を止(とど)むるに住(とど)まらず。彼(かれ)就(すなわ)ち跳(と)びて水(みず)に下(お)り、一箇(ひとつ)の鮎魚(なまず)に変(へん)じ作(な)り、我等(われら)が腿襠(たいとう=股の間)の裡(うち)に在(あ)りて鑽(もぐ)り来(きた)り鑽(もぐ)り去(さ)り、奸(かん)し騙(あざむ)くの事(こと)を行(おこな)わんと欲(ほっ)せり。果(はた)して十分(じゅうぶん)の憊懶(はいらん=乱暴)有(あ)り! 彼(かれ)又(また)跳(と)びて水(みず)を出(い)で去(ゆ)き、本相(ほんそう)を現(あらわ)し、我等(われら)の肯(あえ)て相(あい)従(したが)わざるを見(み)るや、彼(かれ)就(すなわ)ち一柄(ひとふり)の九歯釘鈀(きゅうしていは)を使(つか)い、我等(われら)が性命(せいめい)を傷(そこな)わんと要(よう)せり。若(も)し是(こ)れ我等(われら)に些(いささ)かの見識(けんしき=分別)有(あ)るに非(あら)ずんば、幾(あわや)か彼(かれ)が毒手(どくしゅ)に遭(あ)わんとせし。故此(このゆえ)に戦兢兢(おののき)て生(いき)を逃(のが)れ、又(また)汝(なんじ)が愚(おろか)なる外甥(がいせい=甥)を着(さしむ)けて彼(かれ)と敵闘(てきとう)せしめたるも、存亡(そんぼう)の如何(いかん)を知(し)らず。我等(われら)特に来(きた)りて兄長(けいちょう)に投(とう)ず。望(ねがわ)くは兄長(けいちょう)昔日(せきじつ)の同窓(どうそう)の雅(みやび)を念(おも)い、我(われ)と今日(こんにち)一箇(ひとつ)の冤(うらみ)を報(ほう)ずるの人(ひと)を做(な)されよ!」と。
那(か)の道士(どうし)此(こ)の言(げん)を聞(き)くや、却(かえ)って就(すなわ)ち悩(なや)み恨(うら)み、遂(つい)に声色(せいしょく=声と顔色)を変(か)えて道(い)う、「此(こ)の和尚(おしょう)原来(もと)は此(か)くの等(ごと)く無礼(ぶれい)なり! 此(か)くの等(ごと)く憊懶(はいらん)なり! 汝等(なんじら)都(みな)心(こころ)を放(はな)て、我(われ)が彼(かれ)を擺布(あしら)わんを等(ま)て!」と。衆女子(しゅうじょし)謝(しゃ)して道(い)う、「師兄(しけい)如(も)し手(て)を動(うご)かさば、我等(われら)都(みな)来(きた)りて相(あい)幫(たす)けて彼(かれ)を打(う)たんを等(ま)て」と。道士(どうし)道(い)う、「打(う)つを用(もち)いず! 打(う)つを用(もち)いず! 常言(じょうげん)に道(い)う、一(ひと)たび打(う)てば三分(さんぶ)低(ひく)しと。汝等(なんじら)都(みな)我(われ)に跟(したが)い来(きた)れ」と。
衆女子(しゅうじょし)左右(さゆう)に相(あい)随(したが)う。彼(かれ)房内(ぼうない=部屋)に入(い)り、梯子(ていし=梯子)を取(と)り、床(しょう=寝台)の後(うしろ)を転(まわ)り過(す)ぎ、屋梁(やりょう=梁)に爬(よ)じ上(のぼ)り、一箇(ひとつ)の小(ちい)さき皮箱児(かわばこ)を拿(と)り下(おろ)せり。那(か)の箱児(はこ)に八寸(はっすん)の高下(たかさ)、一尺(いっしゃく)の長短(ながさ)、四寸(よんすん)の寛窄(ひろさ)有(あ)り、上(うえ)に一把(ひとつ)の小(ちい)さき銅鎖児(どうさ=銅の錠)有(あ)りて鎖(とざ)し住(とど)む。即(すなわ)ち袖中(しゅうちゅう)自(よ)り一方(ひとえ)の鵝黄綾(がこうりょう=淡黄の綾)の汗巾児(てぬぐい)を拿(と)り出(いだ)し来(きた)る。汗巾(てぬぐい)の須(ひも)の上(うえ)に一把(ひとつ)の小(ちい)さき鑰匙児(かぎ)を系(むす)び著(つ)けたり。鎖(じょう)を開(あ)け、一包(ひとつつみ)の薬(くすり)を取(と)り出(いだ)す。此(こ)の薬(くすり)は乃(すなわ)ち是(かく)の如(ごと)し──
山中(さんちゅう)百鳥(ひゃくちょう)の糞(ふん)、
掃(は)き積(つ)みて千(せん)斤(きん)に上(のぼ)る。
是(こ)れ銅鍋(どうか=銅の鍋)を用(もち)いて煮(に)、
煎(せん)じ熬(こうが)して火候(かこう=火加減)勻(ひと)し。
千斤(せんきん)熬(こうが)して一杓(いっしゃく)、
一杓(いっしゃく)煉(ね)って三分(さんぶ)。
三分(さんぶ)還(ま)た炒(い)るを要(よう)し、
再(ま)た鍛(たん)し再(ま)た重(かさ)ねて熏(くん)ず。
製(つく)り成(な)す此(こ)の毒薬(どくやく)、
貴(とうと)きこと宝(ほう)と珍(ちん)に似(に)たり。
如(も)し彼(かれ)が味(あじ)を嘗(な)めなば、
口(くち)に入(い)りて閻君(えんくん=閻魔)に見(まみ)ゆ!
道士(どうし)七箇(ななたり)の女子(じょし)に対(むか)いて道(い)う、「妹妹(いもうと)よ、我(わ)が此(こ)の宝貝(ほうばい)は、若(も)し凡人(ぼんじん)に与(あた)えて喫(くら)わしめなば、只(た)だ一厘(いちりん)を消(よう)するのみ、腹(はら)に入(い)りて就(すなわ)ち死(し)す。若(も)し神仙(しんせん)に与(あた)えて喫(くら)わしむるも、也(また)只(た)だ三厘(さんりん)を消(よう)して就(すなわ)ち絶(た)ゆ。此(こ)の些(これらの)和尚(おしょう)は、只(た)だ怕(おそ)らくは也(また)些(いささ)かの道行(どうぎょう=修行の力)有(あ)らん、須(かなら)ず三厘(さんりん)を得(う)べし。快(すみや)かに等子(とうし=天秤)を取(と)りて来(きた)れ」と。内(うち)の一箇(ひとり)の女子(じょし)急(いそ)ぎ一把(ひとつ)の等子(とうし)を拿(と)りて道(い)う、「称(はか)り出(いだ)す一分二厘(いちぶにりん)、分(わか)ちて四分(しぶん)と作(な)す」と。
却(かえ)って十二箇(じゅうに)の紅棗児(こうそう=赤き棗)を拿(と)り、棗(なつめ)を将(もっ)て些(すこ)しく掐(つま)み破(やぶ)り、上(うえ)に一厘(いちりん)を揌(つ)め、四箇(よつ)の茶鍾(ちゃしゅう=茶器)の内(うち)に分(わか)ち在(あ)らしむ。又(また)二箇(ふたつ)の黒棗児(こくそう=黒き棗)を将(もっ)て一箇(ひとつ)の茶鍾(ちゃしゅう)と做(な)し、一箇(ひとつ)の托盤(たくばん=盆)を着(さしむ)けて安(おさ)め了(おわ)り、衆女(しゅうじょ)に対(むか)いて說(い)う、「我(われ)が去(ゆ)きて彼(かれ)に問(と)わんを等(ま)て。唐朝(とうちょう)の者(もの)に非(あら)ざれば便(すなわ)ち罷(よ)し、若(も)し是(こ)れ唐朝(とうちょう)自(よ)り来(きた)れるならば、就(すなわ)ち茶(ちゃ)を換(か)えしめ、汝(なんじ)却(かえ)って此(こ)の茶(ちゃ)を童児(どうじ)に令(いいつ)けて拿(と)り出(いだ)させよ。但(た)だ喫(くら)えば、箇箇(めいめい)身(み)亡(ほろ)び、就(すなわ)ち汝(なんじ)と此(こ)の仇(あだ)を報(ほう)じ、煩悩(ぼんのう)を解(と)かん也(ぞ)」と。七女(しちじょ)感激(かんげき)して尽(つ)きず。
那(か)の道士(どうし)一件(ひとえ)の衣服(いふく)を換(か)え、虚礼(きょれい=へりくだり)謙恭(けんきょう=うやうやしく)として走(あゆ)み将(も)ちて出(い)で去(ゆ)き、唐僧(とうそう)等(たち)を請(しょう)じて又(また)客位(きゃくい)に至(いた)りて坐(ざ)し下(おろ)して道(い)う、「老師父(ろうしふ)怪(とが)めること莫(なか)れ。適間(さっき)後面(うしろ)に去(ゆ)きて小徒(しょうと)に吩咐(いいつ)け、彼等(かれら)をして些(いささ)かの青菜(せいさい)蘿蔔(らふく=大根)を挑(にな)わせ、一頓(ひととき)の素斎(そさい=精進料理)を安排(ととの)えて供養(くよう)せしめたり、所以(ゆえ)に陪(ばい)を失(うしな)えり」と。三蔵(さんぞう)道(い)う、「貧僧(ひんそう)素手(すで=手ぶら)にて進(すす)み拝(はい)す、怎(どう)して敢(あえ)て斎(とき)を賜(たま)わるを労(ろう)せん」と。道士(どうし)笑(わら)って云(いわ)く、「汝(なんじ)と我(われ)は都(みな)是(こ)れ出家人(しゅっけにん)。山門(さんもん)を見(み)れば就(すなわ)ち三升(さんしょう)の俸糧(ほうりょう=扶持米)有(あ)り、何(なん)ぞ素手(すで)と言(い)わん。敢(あ)えて問(と)う、老師父(ろうしふ)は是(こ)れ何(いず)れの宝山(ほうざん=お寺)ぞ。此(ここ)に到(いた)りて何(なん)の干(かかわり)ぞ」と。三蔵(さんぞう)道(い)う、「貧僧(ひんそう)は乃(すなわ)ち東土(とうど)大唐(だいとう)の駕下(かか=天子の御許)より差(つか)わされ西天(さいてん)大雷音寺(だいらいおんじ)に往(ゆ)きて経(きょう)を取(と)る者(もの)なり。却(かえ)って才(たまたま)仙宮(せんきゅう)を路(みち)に過(よぎ)り、誠(まこと)を竭(つく)して進(すす)み拝(はい)す」と。道士(どうし)言(げん)を聞(き)くや、満面(まんめん)に春(はる)を生(しょう)じて道(い)う、「老師(ろうし)は乃(すなわ)ち忠誠(ちゅうせい)大徳(だいとく)の仏(ほとけ)なるに、小道(しょうどう)知(し)らずして、遠(とお)くより候(うかが)うを失(うしな)えり。恕罪(じょざい)、恕罪(じょざい)!」と。叫(よ)んで、「童児(こども)よ、快(すみや)かに去(ゆ)きて茶(ちゃ)を換(か)え来(きた)れ、一廂(いっぽう)作速(すみやか)に斎(とき)を弁(ととの)えよ」と。
那(か)の小童(しょうどう)走(あゆ)み将(も)ちて進(すす)み入(い)るに、衆女子(しゅうじょし)彼(かれ)を招呼(まね)き来(きた)らせて道(い)う、「此(ここ)に現成(できあい)の好(よ)き茶(ちゃ)有(あ)り、拿(と)りて出(い)で去(ゆ)け」と。那(か)の童子(どうじ)果(はた)して五鍾(いつしゅう)の茶(ちゃ)を将(もっ)て拿(と)りて出(い)だす。道士(どうし)連忙(すかさず)双手(もろて)に一箇(ひとつ)の紅棗児(こうそう)の茶鍾(ちゃしゅう)を拿(と)りて唐僧(とうそう)に奉(たてまつ)る。彼(かれ)八戒(はっかい)の身躯(しんく=体躯)の大(おお)ききを見(み)て、就(すなわ)ち認(みと)めて大徒弟(だいとてい)と做(な)し、沙僧(しゃそう)を認(みと)めて二徒弟(にとてい)と做(な)し、行者(ぎょうじゃ)の身量(しんりょう=背丈)の小(ちい)さきを見(み)て、認(みと)めて三徒弟(さんとてい)と做(な)す。所以(ゆえ)に第四鍾(だいししゅう)に才(はじ)めて行者(ぎょうじゃ)に奉(たてまつ)る。行者(ぎょうじゃ)眼(め)乖(かしこ)く、茶鍾(ちゃしゅう)を接(う)くるや、早(はや)く已(すで)に盤子(ばんし=盆)の裡(うち)の那(か)の茶鍾(ちゃしゅう)の二箇(ふたつ)の黒棗児(こくそう)なるを見(み)る。彼(かれ)道(い)う、「先生(せんせい)、我(われ)汝(なんじ)と杯(はい)を穿換(とりかわ)さん」と。道士(どうし)笑(わら)って道(い)う、「長老(ちょうろう)に瞞(かく)さず說(い)わん、山野(さんや)の中(なか)の貧(まずし)き道士(どうし)なれば、茶果(ちゃか)一時(いっとき)に備(そな)わらず。才然(さっき)後面(うしろ)に在(あ)りて親(みずか)ら果子(このみ)を尋(たず)ぬるに、止(た)だ此(こ)の十二箇(じゅうに)の紅棗(こうそう)有(あ)るのみ、四鍾(よつ)の茶(ちゃ)と做(な)して奉敬(ほうけい=供す)。小道(しょうどう)又(また)空(むな)しく陪(ばい)すべからざれば、所以(ゆえ)に二箇(ふたつ)の下色(げしょく=下等)の棗児(なつめ)を将(もっ)て一杯(いっぱい)と作(な)し奉陪(ほうばい=お供)す。此(こ)れ乃(すなわ)ち貧道(ひんどう)の恭敬(きょうけい=うやうやしき)の意(こころ)也(なり)」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「那裡(いずこ)の話(はなし)を說(い)う。古人(こじん)云(いわ)く、家(いえ)に在(あ)れば是(こ)れ貧(まず)しきに非(あら)ず、路(みち)の上(うえ)にては貧(まず)しさ人(ひと)を殺(ころ)すと。汝(なんじ)は是(こ)れ住家児(じゅうかじ=住まい有る身)なるに、何(なん)を以(もっ)てか貧(まず)しと言(い)う! 我等(われら)が此(か)くの般(ごとき)行脚僧(あんぎゃそう=旅の僧)の如(ごと)きは、才(まさ)に是(こ)れ真(しん)の貧(まず)しき哩(ぞ)。我(われ)汝(なんじ)と換換(とりかわ)さん、我(われ)汝(なんじ)と換換(とりかわ)さん」と。三蔵(さんぞう)言(げん)を聞(き)いて道(い)う、「悟空(ごくう)、此(こ)の仙長(せんちょう)は実(じつ)に乃(すなわ)ち客(きゃく)を愛(あい)するの意(こころ)なり、汝(なんじ)喫(くら)いて罷(や)め、換(か)うるは怎(どう)したる」と。行者(ぎょうじゃ)奈何(いかん)とも無(な)く、左手(ひだりて)を将(もっ)て接(う)け了(おわ)り、右手(みぎて)にて蓋(おお)い住(とど)め、彼等(かれら)を看(み)る。
却説(さて)、那(か)の八戒(はっかい)は、一(ひとつ)には則(すなわ)ち飢(う)え、二(ふたつ)には則(すなわ)ち渇(かわ)き、原来(もと)是(こ)れ食腸(しょくちょう=食い意地)の大(おお)いなるに、那(か)の鍾子(しゅうし=器)の裡(うち)に三箇(みつ)の紅棗児(こうそう)の有(あ)るを見(み)るや、拿(と)り起(お)こして鍾(がぶ)と都(みな)咽(の)みて肚(はら)の裡(うち)に在(あ)らしむ。師父(しふ)も也(また)喫(くら)い、沙僧(しゃそう)も也(また)喫(くら)えり。一霎時(またたくま)に、只(た)だ見(み)る、八戒(はっかい)顔(かお)の上(うえ)に色(いろ)を変(か)え、沙僧(しゃそう)満眼(まんがん)に涙(なみだ)を流(なが)し、唐僧(とうそう)口(くち)の中(なか)に沫(あわ)を吐(は)く。彼等(かれら)都(みな)坐(ざ)し住(とど)まるを得(え)ず、暈(めまい)して地(ち)に倒(たお)る。此(こ)の大聖(たいせい)情(じょう)に是(こ)れ毒(どく)なるを知(し)り、茶鍾(ちゃしゅう)を将(もっ)て手(て)に挙(あ)げ起(おこ)し、道士(どうし)を望(めが)けて顔(かお)を劈(つんざ)きて一(ひと)たび掼(なげつ)く。道士(どうし)袍袖(ほうしゅう=袍の袖)を将(もっ)て隔(さえぎ)り起(おこ)せば、当(かち)との一声(ひとこえ)、一箇(ひとつ)の鍾子(しゅうし)を把(と)って跌(おと)し得(え)て粉砕(ふんさい)なり。道士(どうし)怒(いか)って道(い)う、「汝(なんじ)が此(こ)の和尚(おしょう)、十分(じゅうぶん)に村鹵(そんろ=粗野)なり! 怎(どう)して我(わ)が鍾子(しゅうし)を把(と)って碎(こわ)したる」と。行者(ぎょうじゃ)罵(ののし)って道(い)う、「汝(なんじ)が此(こ)の畜生(ちくしょう)め! 汝(なんじ)看(み)よ、我(わ)が那(か)の三箇(みたり)の人(ひと)の是(こ)れ怎(どう)說(いう)かを! 我(われ)は汝(なんじ)と甚(なん)の相干(かかわり)有(あ)るに、汝(なんじ)却(かえ)って毒薬(どくやく)の茶(ちゃ)を将(もっ)て我(わ)が人(ひと)を薬(やく)し倒(たお)す」と。道士(どうし)道(い)う、「汝(なんじ)が此(こ)の村畜生(そんちくしょう=粗野な畜生)、禍(わざわい)を闖(おこ)し下(くだ)したるを、汝(なんじ)豈(あ)に知(し)らざらんや」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「我等(われら)才(やっ)と汝(なんじ)が門(もん)に進(すす)み入(い)り、方(はじ)めて坐次(ざじ=席次)を叙(の)べ、郷貫(きょうかん=郷里)に道(い)い及(およ)べるのみ、又(また)曾(かつ)て一箇(ひとつ)の高言(こうげん=大きな言葉)有(あ)らず。那裡(いずこ)に甚(なん)の禍(わざわい)を闖(おこ)し下(くだ)せる」と。道士(どうし)道(い)う、「汝(なんじ)曾(かつ)て盤糸洞(ばんしどう)に在(あ)りて斎(とき)を化(こ)せしか。汝(なんじ)曾(かつ)て濯垢泉(たくこうせん)に在(あ)りて澡(み)を洗(あら)えしか」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「濯垢泉(たくこうせん)は乃(すなわ)ち七箇(ななつ)の女怪(じょかい)なり。汝(なんじ)既(すで)に此(こ)の話(はなし)を說(い)い出(いだ)さば、必定(かなら)ず彼(かれ)と苟合(こうごう=みだらに交わる)、必定(かなら)ず也(また)是(こ)れ妖精(ようせい)ならん! 走(に)ぐること莫(なか)れ! 我(わ)が一棒(いっぽう)を喫(くら)え!」と。
好(よ)き大聖(たいせい)、耳朶(みみ)の裡(うち)に去(ゆ)きて金箍棒(きんこぼう)を摸(さぐ)り出(いだ)し、幌(ふ)り一(ひと)たび幌(ふ)り、碗(わん)来(ほど)の粗細(ふとさ)として、道士(どうし)を望(めが)けて顔(かお)を劈(つんざ)きて打(う)ち来(きた)る。那(か)の道士(どうし)急(いそ)ぎ身(み)を転(てん)じて避(さ)け過(す)ぎ、一口(ひとふり)の宝剣(ほうけん)を取(と)りて来(きた)りて迎(むか)う。彼(か)の二箇(ふたり)厮(あい)罵(ののし)り厮(あい)打(う)つに、早(はや)くも那(か)の裡辺(うち)の女怪(じょかい)を驚(おどろ)かし動(うご)かせり。彼(か)の七箇(ななつ)一(ひと)たび擁(おしよ)せて出(い)で来(きた)り、叫(よ)んで道(い)う、「師兄(しけい)且(しばら)く心(こころ)を労(ろう)すること莫(なか)れ、小妹子(いもうと)の彼(かれ)を拿(と)らんを待(ま)て」と。行者(ぎょうじゃ)見(み)るや越(いよいよ)嗔怒(しんど=怒り)を生(しょう)じ、双手(もろて)に鉄棒(てつぼう)を輪(ふる)い、解数(わざ)を繰(く)り出(いだ)し、滚(ころ)び将(も)ちて進(すす)み入(い)りて乱(みだ)りに打(う)つ。只(た)だ見(み)る、那(か)の七箇(ななつ)懐(ふところ)を敞(ひら)き開(ひら)き、雪白(せっぱく)の肚(はら)を腆(つきだ)し、臍孔(さいこう=臍の穴)の中(なか)自(よ)り法(ほう)を作(な)し出(いだ)す。骨都都(こつとつ=わらわら)と糸縄(しじょう)乱(みだ)りに冒(ほとばし)り、一箇(ひとつ)の天篷(てんぽう=天の覆い)を搭(か)け起(おこ)し、行者(ぎょうじゃ)を把(と)って底(した)に蓋(おお)う。行者(ぎょうじゃ)事(こと)の諧(かな)わざるを見(み)るや、即(すなわ)ち身(み)を翻(ひるがえ)して一声(ひとこえ)の咒語(じゅご=呪文)を念(とな)え、一箇(ひとつ)の筋斗(きんと=宙返り)を打(う)ち、撲(ぽん)と天篷(てんぽう)を撞(つ)き破(やぶ)りて走(に)げ去(さ)り、性気(せいき=気)を忍(しの)び、淤淤(うつうつ=ふさぎこみ)として空(そら)の中(なか)に立(た)ちて看(み)る処(ところ)、那(か)の怪(かい)の糸縄(しじょう)の幌(きら)と亮(ひか)り、穿通道道(せんせんどうどう)として、却(かえ)って是(こ)れ穿梭(せんさ=行き交う)の経緯(けいい=縦糸横糸)なるを見(み)る。頃刻(またたく)の間(あいだ)に、黄花観(こうかかん)の楼台(ろうだい)殿閣(でんかく)を把(と)って都(みな)遮(おお)い得(え)て影(かげ)無(な)く形(かたち)無(な)し。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「利害(りがい=手強い)! 利害(りがい)! 早(さいわ)いは是(こ)れ曾(かつ)て彼(かれ)が手(て)に着(つ)かざりし! 怪(あや)しむるに道(いわ)く、猪八戒(ちょはっかい)の若干(あまた)跌(つまず)きしなり! 此(か)くの般(ごとき)は怎(いか)に生(どう)か是(こ)れ好(よ)からん! 我(わ)が師父(しふ)と師弟(してい)は却(かえ)って又(また)毒薬(どくやく)に中(あた)れり。此(こ)の伙(くみ)の怪(かい)は意(い)を合(あ)わせ心(こころ)を同(おなじ)うすれど、却(かえ)って是(こ)れ一箇(ひとつ)の甚(なん)の来歴(られき)なるかを知(し)らず、我(われ)が還(ま)た去(ゆ)きて那(か)の土地神(どちしん)に問(と)わんを待(ま)て」と。
好(よ)き大聖(たいせい)、雲頭(うんとう=雲の端)を按(おさ)え落(おと)し、訣(けつ)を捏(ひね)り、「唵(おん)」の字(じ)の真言(しんごん)を一声(ひとこえ)念(とな)えて、一箇(ひとり)の土地老児(どちろうじ)を把(と)って又(また)拘(まね)き来(きた)らしむ。戦兢兢(おののき)て路(みち)の旁(かたわら)に跪(ひざまず)き下(お)りて叩頭(こうべをたた)いて道(い)う、「大聖(たいせい)、汝(なんじ)は汝(なんじ)が師父(しふ)を救(すく)わんと去(ゆ)きたるに、何(なん)の為(ため)に又(また)転(めぐ)り来(きた)れる也(ぞ)」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「早間(けさ)師父(しふ)を救(すく)い、前(まえ)へ去(ゆ)くこと遠(とお)からずして、一座(ひとつ)の黄花観(こうかかん)に遇(あ)えり。我(われ)師父(しふ)等(たち)と進(すす)み入(い)りて看看(み)るに、那(か)の観主(かんしゅ)迎(むか)え接(むか)えたり。才(やっ)と話(はなし)を叙(の)ぶる間(あいだ)に、彼(かれ)に毒薬(どくやく)の茶(ちゃ)を把(と)って我(わ)が師父(しふ)等(たち)を薬(やく)し倒(たお)されたり。我(われ)幸(さいわい)に曾(かつ)て茶(ちゃ)を喫(くら)わざりしに、棒(ぼう)を使(つか)いて就(すなわ)ち打(う)てば、彼(かれ)却(かえ)って盤糸洞(ばんしどう)の斎(とき)を化(こ)し、濯垢泉(たくこうせん)の澡(み)を洗(あら)いし事(こと)を說(い)い出(いだ)せり。我(われ)就(すなわ)ち那(か)の厮(やつ)の是(こ)れ怪(かい)なるを知(し)れり。才(はじ)めて手(て)を挙(あ)げて相(あい)敵(てき)するに、只(た)だ見(み)る、那(か)の七箇(ななたり)の女子(じょし)の跑(はし)り出(い)で、糸縄(しじょう)を吐(は)き放(はな)てば、老孫(ろうそん)見識(けんしき=分別)有(あ)るに虧(よ)りて走(に)げ去(さ)れり。我(われ)想(おも)うに汝(なんじ)此(こ)の間(あいだ)に在(あ)りて神(かみ)と為(な)れば、定(かなら)ず彼(かれ)が来歴(られき)を知(し)らん。是(こ)れ一箇(ひとつ)の甚(なん)の妖精(ようせい)なるか、老実(ありのまま)に說(い)い来(きた)れ、打(う)たるるを免(まぬが)れん!」と。土地(どち)叩頭(こうべをたた)いて道(い)う、「那(か)の妖精(ようせい)此(ここ)に到(いた)りて、住(じゅう)すること十年(じゅうねん)に上(のぼ)らず。小神(しょうしん)三年前(さんねんぜん)検点(けんてん=巡視)の之後(のち)自(よ)り、方(はじ)めて彼(かれ)が本相(ほんぞう=正体)を見(み)るに、乃(すなわち)是(こ)れ七箇(ななつ)の蜘蛛精(くもせい)なり。彼(かれ)が吐(は)く那(か)の些(これらの)糸縄(しじょう)は、乃(すなわち)蛛糸(しゅし=蜘蛛の糸)」と。行者(ぎょうじゃ)言(げん)を聞(き)くや、十分(じゅうぶん)に歓(よろこ)びて道(い)う、「汝(なんじ)が說(いう)に拠(よ)れば、却(かえ)って是(こ)れ小可(ささい)なり。既(すで)に此(か)くの般(ごと)し、汝(なんじ)回(かえ)り去(さ)れ、我(われ)が法(ほう)を作(な)して彼(かれ)を降(くだ)さんを等(ま)て」と。那(か)の土地(どち)叩頭(こうべをたた)いて去(さ)る。
行者(ぎょうじゃ)却(かえ)って黄花観(こうかかん)の外(そと)に到(いた)り、尾巴(びば=尾)の上(うえ)の毛(け)を将(もっ)て捋(しご)き下(おろ)すこと七十根(ななじっこん)、一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吹(ふ)き、「変(へん)ぜよ」と叫(よ)ぶや、即(すなわち)七十箇(ななじゅうにん)の小(ちい)さき行者(ぎょうじゃ)に変(へん)じ做(な)る。又(また)金箍棒(きんこぼう)を将(もっ)て一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吹(ふ)き、「変(へん)ぜよ」と叫(よ)ぶや、即(すなわち)七十箇(ななじゅう)の双角叉児棒(そうかくさじぼう=二又の刺又棒)に変(へん)じ做(な)る。毎一箇(めいめい)の小(ちい)さき行者(ぎょうじゃ)に、彼(かれ)に一根(ひとすじ)を与(あた)う。彼(かれ)自家(みずか)ら一根(ひとすじ)を使(つか)い、外辺(そと)に站(た)ちて、叉児(さじ=刺又)を将(もっ)て那(か)の糸縄(しじょう)を攪(かきまわ)し、一斉(いっせい)に力(ちから)を著(つ)け、一箇(ひとつ)の号子(こうし=掛け声)を打(う)ち、那(か)の糸縄(しじょう)を把(と)って都(みな)攪(か)き断(た)ち、各(おのおの)攪(か)き得(え)ること十余斤(じゅうよきん)有(あ)り。裡(うち)自(よ)り七箇(ななつ)の蜘蛛(くも)を拖(ひ)き出(いだ)す。足(あた)かも巴斗(はと=大きな斗)の大(おお)いさの身軀(しんく=体)有(あ)り、一箇箇(めいめい)手(て)と脚(あし)を集(あつ)め、頭(かしら)を索(たぐ)り、只(た)だ叫(よ)ぶ、「命(いのち)を饒(ゆる)せ! 命(いのち)を饒(ゆる)せ!」と。此(こ)の時(とき)七十箇(ななじゅうにん)の小(ちい)さき行者(ぎょうじゃ)、七箇(ななつ)の蜘蛛(くも)を按(おさ)え住(とど)めて、那裡(いずく)でか肯(あえ)て放(はな)たん。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「且(しばら)く彼(かれ)を打(う)つこと要(い)らず、只(た)だ我(われ)に師父(しふ)と師弟(してい)を還(かえ)せ来(きた)ると教(い)え」と。那(か)の怪(かい)厲声(れいせい)に高(たか)く叫(よ)んで道(い)う、「師兄(しけい)、彼(かれ)に唐僧(とうそう)を還(かえ)し、我(わ)が命(いのち)を救(すく)え!」と。那(か)の道士(どうし)裡辺(うち)自(よ)り跑(はし)り出(い)でて道(い)う、「妹妹(いもうと)よ、我(われ)は唐僧(とうそう)を喫(くら)わんと要(よう)する哩(ぞ)、汝(なんじ)を救(すく)うを得(え)ず」と。行者(ぎょうじゃ)言(げん)を聞(き)くや、大(おお)いに怒(いか)って道(い)う、「汝(なんじ)既(すで)に我(われ)に師父(しふ)を還(かえ)さざらんならば、且(しばら)く汝(なんじ)が妹妹(いもうと)の様子(ありさま)を看(み)よ!」と。好(よ)き大聖(たいせい)、叉児棒(さじぼう)を把(と)って幌(ふ)り一(ひと)たび幌(ふ)り、一根(ひとすじ)の鉄棒(てつぼう)に復(かえ)し、双手(もろて)に挙(あ)げ起(おこ)し、七箇(ななつ)の蜘蛛精(くもせい)を把(と)って、情(こころ)を尽(つく)して打(う)ち爛(ただ)らし、却(かえ)って七箇(ななつ)の劖肉布袋児(ざんにくほたいじ=刻み肉の袋)に似(に)て、膿血(のうけつ=膿と血)淋淋(りんりん=したたり)たり。却(かえ)って又(また)尾巴(びば=尾)を将(もっ)て揺(ゆ)ること両揺(ふたゆ)り、毫毛(ごうもう)を収(おさ)め、単身(たんしん)に棒(ぼう)を輪(ふる)い、赶(お)いて裡辺(うち)に進(すす)み入(い)りて来(きた)りて道士(どうし)を打(う)つ。
那(か)の道士(どうし)彼(かれ)の師妹(しまい)を打(う)ち殺(ころ)せるを見(み)るや、心(こころ)甚(はなは)だ忍(しの)びず、即(すなわ)ち狠(こわ)みを発(はっ)して剣(けん)を挙(あ)げて来(きた)りて迎(むか)う。此(こ)の一場(ひとしきり)各(おのおの)忿怒(ふんぬ=怒り)を懐(いだ)き、一箇箇(めいめい)大(おお)いに神通(じんつう)を展(の)べ、此(こ)の一場(ひとしきり)の好(よ)き殺(あらそ)い──
妖精(ようせい)は宝剣(ほうけん)を輪(ふる)い、
大聖(たいせい)は金箍(きんこ)を挙(あ)ぐ。
都(みな)唐朝(とうちょう)の三蔵(さんぞう)が為(ため)に、
先(ま)ず七女(しちじょ)をして嗚呼(ああ=死な)しむ。
如今(いま)大(おお)いに経綸(けいりん=経世)の手(て)を展(の)べ、
威(い)を施(ほどこ)し法(ほう)を弄(ろう)して金吾(きんご=武威)を逞(たくま)しくす。
大聖(たいせい)の神光(しんこう)は壮(さか)んなり、
妖仙(ようせん)の胆気(たんき)は粗(あら)し。
渾身(こんしん)の解数(わざ)は花錦(かきん=花の錦)の如(ごと)く、
双手(もろて)の騰那(とうな=身のこなし)は轆轤(ろくろ)に似(に)たり。
兵兵(ぴんぽん)と剣(けん)と棒(ぼう)の響(ひび)き、
惨淡(さんたん=もの寂しく)として野雲(やうん)浮(うか)ぶ。
言語(げんご)を劖(ざん=切り刻み)、機謀(きぼう=策略)を使(つか)い、
一来一往(ゆきつもどりつ)画図(がと=絵)の如(ごと)し。
殺(あらそ)い得(え)て風(かぜ)響(ひび)き沙(すな)飛(と)びて狼虎(ろうこ)も怕(おそ)れ、
天(てん)昏(くら)く地(ち)暗(くら)くして斗星(とせい=星宿)無(な)し。
那(か)の道士(どうし)と大聖(たいせい)戦(たたか)うこと五六十合(ごろくじゅうがいごう)を経(へ)るに、漸(ようや)く手(て)の軟(よわ)きを覚(おぼ)え、一時間(ひととき)に筋節(きんせつ=関節)を緩(ゆる)め、便(すなわ)ち衣帯(いたい=帯)を解(と)き開(ひら)き、忽辣(さらり)と一声(ひとこえ)響(ひび)かせて、皁袍(そうほう=黒の袍)を脱(ぬ)げり。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「我(わ)が儿子(むすこ)よ! 人(ひと)に打(う)ち勝(まさ)らずして、就(すなわ)ち脱(ぬ)ぎ剥(は)いだるも也(また)是(こ)れ能(よ)く彀(た)るる所(ところ)に非(あら)ざる!」と。原来(なんと)、此(こ)の道士(どうし)衣裳(いしょう)を剥(は)ぎ了(おわ)り、手(て)を把(と)って一斉(いっせい)に抬(あ)げ上(あ)ぐれば、只(た)だ見(み)る、那(か)の両脇(りょうきょう=両脇腹)の下(した)に一千(いっせん)の眼(め)有(あ)り、眼(め)の中(なか)自(よ)り金光(きんこう)を迸(ほとばし)らせ放(はな)ち、十分(じゅうぶん)に利害(りがい=手強)し──
森森(しんしん=もやもや)たる黄霧(こうむ)、
艶艶(えんえん=きらきら)たる金光(きんこう)。
森森(しんしん)たる黄霧(こうむ)は、両辺(りょうへん)の脇下(きょうか)に雲(くも)を噴(ふ)くが似(ごと)く、
艶艶(えんえん)たる金光(きんこう)は、千(せん)只(つ)の眼(め)の中(なか)に火(ひ)を放(はな)つが如(ごと)し。
左右(さゆう)は却(かえ)って金桶(きんとう=金の桶)の如(ごと)く、
東西(とうざい)は猶(なお)銅鐘(どうしょう=銅の鐘)に似(に)たり。
此(こ)れ乃(すなわ)ち妖仙(ようせん)の法力(ほうりき)を施(ほどこ)し、
道士(どうし)の神通(じんつう)を顕(あらわ)す。
眼(め)を幌(くらま)し天(てん)を迷(まよ)わして日月(じつげつ)を遮(おお)い、
人(ひと)を罩(おお)いて爆燥(ばくそう=いらだち)気(き)朦朧(もうろう=おぼろ)たり。
一箇(ひとり)の斉天(せいてん)孫大聖(そんたいせい)を把(と)って、
金光(きんこう)黄霧(こうむ)の中(なか)に困(くるし)ましむ。
行者(ぎょうじゃ)手(て)と足(あし)を慌(あわ)て、只(た)だ那(か)の金光(きんこう)の影(かげ)の裡(うち)に在(あ)りて乱(みだ)りに転(めぐ)り、前(まえ)に向(むか)うも歩(あゆみ)を挙(あ)ぐること能(あた)わず、後(うしろ)に退(しりぞ)くも脚(あし)を動(うご)かすこと能(あた)わず、却(かえ)って便(ちょう)ど一箇(ひとつ)の桶(おけ)の裡(うち)に在(あ)りて転(めぐ)るが一般(ごと)し。奈何(いかん)とも又(また)爆燥(ばくそう)に過(す)ぐるもの無(な)く、彼(かれ)急(きゅう)して、上(うえ)へ向(むか)って着実(したたか)に一(ひと)たび跳(と)ぶや、却(かえ)って金光(きんこう)を撞(つ)き破(やぶ)り、撲(どさ)と一箇(ひとつ)の倒栽葱(とうさいそう=逆さま)を跌(つまず)けり。撞(つ)きたる頭(あたま)の疼(いた)きを覚(おぼ)え、急(いそ)ぎ頭(こうべ)を伸(の)べて摸摸(さぐり)みるに、頂梁皮(ちょうりょうひ=頭の皮)を把(と)って都(みな)撞(つ)き軟(やわ)らかくせり。自家(みずか)ら心(こころ)焦(こが)れて道(い)う、「晦気(ふきょう)! 晦気(ふきょう)! 此(こ)の顆(このこうべ)今日(こんにち)也(また)済(たすから)ざるかな! 常時(つね)刀(かたな)に砍(き)られ斧(おの)に剁(きざ)らるるも、能(よ)く傷(そこない)損(そこな)う莫(な)かりしに、却(かえ)って怎(どう)して此(こ)の金光(きんこう)に被(あ)いて皮肉(ひにく)を撞(つ)き軟(やわ)らかくせられし。久(ひさ)しくして以後(のち)定(かなら)ず膿(うみ)を貢(つ)ぐべく、縦然(たと)い好(よ)くなり了(おわ)るも、也(また)是(こ)れ一箇(ひとつ)の破傷風(はしょうふう)なり」と。一会家(しばらく)爆燥(ばくそう)禁(た)え難(がた)く、却(かえ)って又(また)自家(みずか)ら計較(けいかく=思案)して道(い)う、「前(まえ)に去(ゆ)くを得(え)ず、後(うしろ)に退(しりぞ)くを得(え)ず、左(ひだり)に行(ゆ)くを得(え)ず、右(みぎ)に行(ゆ)くを得(え)ず、上(うえ)へ向(むか)うも又(また)撞(つ)くを得(え)ず、却(かえ)って怎(どう)してか好(よ)からん。下(した)へ走(ゆ)かん也(ぞ)!」と。
好(よ)き大聖(たいせい)、箇(ひとつ)の咒語(じゅご)を念(とな)え、身(み)を揺(ゆ)りて一(ひと)たび変(へん)じ、一箇(ひとつ)の穿山甲(せんざんこう=センザンコウ)に変(へん)じ做(な)る。又(また)名(な)づけて鯪鯉鱗(りょうりりん)と。真箇(ほんとう)に是(かく)の如(ごと)し──
四只(よつ)の鉄爪(てっそう=鉄の爪)は、山(やま)に鑽(もぐ)り石(いし)を砕(くだ)くこと粉(こな)を撾(つ)くが如(ごと)く、
満身(まんしん)の鱗甲(りんこう=鱗)は、嶺(みね)を破(やぶ)り岩(いわ)を穿(うが)つこと葱(ねぎ)を切(き)るに似(に)たり。
両眼(りょうがん)光明(こうみょう)にして、好(よ)く便(ちょう)ど双星(そうせい=二つの星)の幌(きら)と亮(ひか)るが似(ごと)く、
一嘴(ひとくち)尖利(せんり=鋭き)にして、勝(まさ)りて強(つよ)きこと鋼鑽(こうさん=鋼の錐)金錐(きんすい=金の錐)の如(ごと)し。
薬(くすり)の中(なか)に穿山甲(せんざんこう)の性(しょう)有(あ)り、
俗語(ぞくご)に呼(よ)んで鯪鯉鱗(りょうりりん)と為(な)す。
汝(なんじ)看(み)よ、彼(かれ)頭(こうべ)を硬(かた)くして、地(ち)の下(した)へ向(むか)いて一(ひと)たび鑽(もぐ)るや、就(すなわ)ち鑽(もぐ)ること二十余里(にじゅうより)有(あ)り、方(はじ)めて頭(こうべ)を出(いだ)せり。原来(もと)、那(か)の金光(きんこう)は只(た)だ十余里(じゅうより)を罩(おお)い得(う)るのみ。出(い)で来(きた)りて本相(ほんそう)を現(あらわ)すに、力(ちから)軟(よわ)く筋(すじ)麻(しび)れ、渾身(こんしん)疼(いた)み痛(いた)み、眼(め)の中(なか)の涙(なみだ)を流(なが)るるを止(とど)むるを得(え)ず、忽(たちま)ち声(こえ)を失(うしな)って叫(よ)んで道(い)う、
「師父(しふ)よ!
当年(とうねん)教(おしえ)を秉(と)りて山(やま)の中(なか)を出(い)で、
共(とも)に西(にし)へ往(ゆ)きて苦(くる)しく工(つとめ)を用(もち)いき。
大海(たいかい)の洪波(こうは=大波)にも恐惧(おそれ)無(な)かりしに、
陽溝(ようこう=どぶ)の内(うち)に在(あ)りて却(かえ)って風(かぜ)に遭(あ)う!」
美猴王(びこうおう)正(まさ)に悲切(ひせつ=悲しみ)に当(あた)るに、忽(たちま)ち聴(き)く、山(やま)の背後(うしろ)に人(ひと)有(あ)りて啼(な)き哭(かな)しむを。即(すなわ)ち身(み)を欠(かが)めて眼涙(なみだ)を揩(ぬぐ)い、頭(こうべ)を回(めぐ)らして観看(みや)る。但(た)だ見(み)る、一箇(ひとり)の婦人(ふじん)の、身(み)に重孝(じゅうこう=厚き喪服)を穿(き)、左手(ひだりて)に一盞(ひとつ)の涼漿水飯(りょうしょうすいはん=水と飯の供物)を托(いただ)き、右手(みぎて)に幾張(いくまい)かの焼紙黄銭(しょうしこうせん=紙銭)を執(と)り、那(か)の廂(ほう)自(よ)り一步(ひとあし)一声(ひとこえ)哭(な)き著(つ)きて走(あゆ)み来(きた)る。行者(ぎょうじゃ)頭(こうべ)を点(うなず)かせて嗟嘆(さたん=嘆息)して道(い)う、「正(まさ)に是(こ)れ、涙(なみだ)を流(なが)す眼(め)に涙(なみだ)を流(なが)す眼(め)の逢(あ)い、腸(はらわた)を断(た)つ人(ひと)に腸(はらわた)を断(た)つ人(ひと)の遇(あ)えるなり! 此(こ)の一箇(ひとり)の婦人(ふじん)の、哭(な)く所(ところ)の何事(なにごと)なるかを知(し)らず、我(われ)が彼(かれ)に一(ひと)たび問(と)わんを待(ま)て」と。
那(か)の婦人(ふじん)不時(しばらく)ならずして路(みち)の上(うえ)に走(あゆ)み来(きた)り、行者(ぎょうじゃ)を迎(むか)う。行者(ぎょうじゃ)身(み)を躬(かが)めて問(と)うて道(い)う、「女菩薩(にょぼさつ)、汝(なんじ)が哭(な)くは是(こ)れ甚(なん)の人(ひと)ぞ」と。婦人(ふじん)涙(なみだ)を噙(ふく)んで道(い)う、「我(わ)が丈夫(おっと)は黄花観(こうかかん)の観主(かんしゅ)と竹竿(たけざお)を買(か)うに因(よ)りて争(あらそ)い講(いいあらそ)い、彼(かれ)に毒薬(どくやく)の茶(ちゃ)を将(もっ)て薬(やく)し殺(ころ)されたり。我(われ)此(こ)の陌(このかず)の紙銭(しせん)を将(もっ)て焼(や)き化(か)し、以(もっ)て夫婦(ふうふ)の情(じょう)を報(ほう)ぜんとす」と。行者(ぎょうじゃ)言(げん)を聴(き)くや、眼(め)の中(なか)に涙(なみだ)下(くだ)る。那(か)の婦女(ふじょ)見(み)るや怒(いかり)を作(な)して道(い)う、「汝(なんじ)甚(いか)に無知(むち)なる! 我(われ)丈夫(おっと)の為(ため)に煩悩(なやみ)し悲(かなしみ)を生(しょう)ずるに、汝(なんじ)怎(どう)して泪眼(るいがん=涙ぐむ目)愁眉(しゅうび=愁える眉)もて、心(こころ)を欺(あざむ)きて我(われ)を戯(たわむ)るる」と。
行者(ぎょうじゃ)身(み)を躬(かが)めて道(い)う、「女菩薩(にょぼさつ)怒(いかり)を息(いこ)え。我(われ)本(もと)是(こ)れ東土(とうど)大唐(だいとう)欽差(きんさ=勅使)御弟(ぎょてい)唐三蔵(とうさんぞう)の大徒弟(だいとてい)孫悟空行者(そんごくうぎょうじゃ)なり。西天(さいてん)に往(ゆ)くに因(よ)り、黄花観(こうかかん)を行(ゆ)き過(す)ぎて馬(うま)を歇(やす)めしに、那(か)の観中(かんちゅう)の道士(どうし)は、是(こ)れ一箇(ひとつ)の甚(なん)の妖精(ようせい)なるかを知(し)らず、彼(かれ)七箇(ななつ)の蜘蛛精(くもせい)と兄妹(けいまい)を結(むす)べり。蜘蛛精(くもせい)盤糸洞(ばんしどう)に在(あ)りて我(わ)が師父(しふ)を害(そこな)わんとせしを、是(こ)れ我(われ)と師弟(してい)八戒(はっかい)、沙僧(しゃそう)と救(すく)い解(と)きて脱(のが)るるを得(え)たり。那(か)の蜘蛛精(くもせい)彼(かれ)が此(ここ)に走(ゆ)き到(いた)り、是非(ぜひ=言いがかり)を背(お)い、我等(われら)に欺騙(ぎへん=たぶらかし)の意(こころ)有(あ)りと說(い)えり。道士(どうし)毒薬(どくやく)の茶(ちゃ)を将(もっ)て我(わ)が師父(しふ)師弟(してい)共(あわ)せて三箇(みたり)、馬(うま)を連(つら)ねて四口(よんく)を薬(やく)し倒(たお)し、彼(かれ)が観(かん)の裡(うち)に陷(おとしい)れり。惟(た)だ我(われ)は曾(かつ)て彼(かれ)が茶(ちゃ)を喫(くら)わず、茶鍾(ちゃしゅう)を将(もっ)て掼(なげつ)き碎(くだ)けば、彼(かれ)就(すなわ)ち我(われ)と相(あい)打(う)てり。正(まさ)に嚷(わめ)く時(とき)、那(か)の七箇(ななつ)の蜘蛛精(くもせい)跑(はし)り出(い)で来(きた)りて糸縄(しじょう)を吐(は)き放(はな)ち、我(われ)を将(もっ)て捆(くく)り住(とど)めしが、是(こ)れ我(われ)法力(ほうりき)を使(つか)い走(に)げ脱(のが)れしなり。土地(どち)に問(と)い及(およ)びて彼(かれ)が本相(ほんぞう)を說(と)かせ、我(われ)却(かえ)って又(また)分身法(ぶんしんぽう)を使(つか)い糸縄(しじょう)を攪(か)き絶(た)ち、妖(よう)を拖(ひ)き出(いだ)し、一頓(ひとおもい)に棒(ぼう)にて打(う)ち殺(ころ)せり。此(こ)の道士(どうし)即(すなわ)ち彼(かれ)と仇(あだ)を報(ほう)じ、宝剣(ほうけん)を挙(あ)げて我(われ)と相(あい)闘(たたか)う。闘(たたか)うこと六十回合(ろくじゅうがいごう)を経(へ)て、彼(かれ)陣(じん)に敗(やぶ)れ、随(したが)いて衣裳(いしょう)を脱(ぬ)ぎ、両脇(りょうきょう)の下(した)自(よ)り千(せん)只(つ)の眼(め)を放(はな)ち、万道(ばんどう)の金光(きんこう)有(あ)りて、我(われ)を把(と)って罩(おお)い定(さだ)めたり。所以(ゆえ)に進退(しんたい)両難(りょうなん)にして、才(はじ)めて一箇(ひとつ)の鯪鯉鱗(りょうりりん)に変(へん)じ做(な)り、地(ち)の下(した)自(よ)り鑽(もぐ)り出(い)で来(きた)れるなり。正(まさ)に自(みずか)ら悲切(ひせつ=悲しみ)に在(あ)りしに、忽(たちま)ち汝(なんじ)が哭(な)くを聴(き)けり、故此(このゆえ)に相(あい)問(と)う。汝(なんじ)の丈夫(おっと)の為(ため)に此(こ)の紙銭(しせん)有(あ)りて報答(ほうとう)するを見(み)るに因(よ)り、我(わ)が師父(しふ)は身(み)を喪(うしな)いて、更(さら)に一物(ひとつのもの)の相(あい)酬(むく)いる無(な)ければ、所以(ゆえ)に自(みずか)ら怨(うら)み悲(かなしみ)を生(しょう)ぜるのみ、豈(あ)に敢(あえ)て相(あい)戯(たわむ)れんや!」と。
那(か)の婦女(ふじょ)水飯(すいはん)と紙銭(しせん)を放(お)き下(おろ)し、行者(ぎょうじゃ)に対(むか)いて陪礼(ばいれい=詫びて)道(い)う、「怪(とが)むること莫(なか)れ、怪(とが)むること莫(なか)れ。我(われ)汝(なんじ)の是(こ)れ難(なん)に被(あ)える者(もの)なるを知(し)らざりき。才(いま)しがた汝(なんじ)が說(いう)に拠(よ)りて將(もち)い起(おこ)せば、汝(なんじ)は那(か)の道士(どうし)を認(みと)め得(え)ざるなり。彼(かれ)本(もと)是(こ)れ一箇(ひとり)の百眼魔君(ひゃくがんまくん)、又(また)喚(よ)んで多目怪(ためかい)と做(な)す。汝(なんじ)既(すで)に此(こ)の変化(へんげ)有(あ)り、金光(きんこう)を脱(のが)れ得(え)、許久(ながく)戦(たたか)い得(え)たれば、必定(かなら)ず大神通(だいじんつう)有(あ)るも、却(かえ)って只(た)だ是(こ)れ還(ま)た那(か)の厮(やつ)に近(ちか)づくを得(え)ざるのみ。我(われ)汝(なんじ)に一箇(ひとり)の聖賢(せいけん)を請(しょう)ぜしめん、彼(かれ)能(よ)く金光(きんこう)を破(やぶ)り、道士(どうし)を降(くだ)すを得(う)べし」と。行者(ぎょうじゃ)言(げん)を聞(き)くや、連忙(すかさず)唱喏(しょうじゃく=拝礼)して道(い)う、「女菩薩(にょぼさつ)此(こ)の来歴(られき)を知(し)れるならば、煩(わずら)わしくも指教(しきょう=教え)し指教(しきょう)せよ。果(はた)して是(こ)れ那(いず)れの聖賢(せいけん)なるか、我(われ)去(ゆ)きて請(こ)い求(もと)め、我(わ)が師父(しふ)の難(なん)を救(すく)い、就(すなわ)ち汝(なんじ)が丈夫(おっと)の仇(あだ)を報(ほう)ぜん」と。婦人(ふじん)道(い)う、「我(われ)就(すなわ)ち說(い)い出(いだ)さん、汝(なんじ)去(ゆ)きて彼(かれ)を請(しょう)じ、道士(どうし)を降(くだ)すも、只(た)だ仇(あだ)を報(ほう)ずるのみなるべく、恐(おそ)らくは汝(なんじ)が師父(しふ)を救(すく)うを得(え)じ」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「怎(どう)して救(すく)うを得(え)ざる」と。婦人(ふじん)道(い)う、「那(か)の厮(やつ)が毒薬(どくやく)は最(もっと)も狠(きつ)し。人(ひと)を薬(やく)し倒(たお)して、三日(みっか)の間(あいだ)に、骨髄(こつずい)俱(とも)に爛(ただ)る。汝(なんじ)が此(ここ)を往(ゆ)き回(かえ)るに恐(おそ)らくは遅(おそ)からん、故(ゆえ)に救(すく)うを得(え)ざるなり」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「我(われ)は路(みち)を走(はし)ることを会(え)す。彼(かれ)の多(いか)に遠(とお)きに凭(よ)らず、千里(せんり)も只(た)だ半日(はんじつ)を消(よう)するのみ」と。女子(じょし)道(い)う、「汝(なんじ)既(すで)に路(みち)を走(はし)るを会(え)するならば、我(われ)が說(いう)を聴(き)け。此(こ)の処(ところ)自(よ)り那(か)の処(ところ)に到(いた)るに千里(せんり)の遥(はるか)有(あ)り。那(か)の廂(ほう)に一座(ひとつ)の山(やま)有(あ)り、名(な)づけて紫雲山(しうんざん)と喚(よ)び、山(やま)の中(なか)に一箇(ひとつ)の千花洞(せんかどう)有(あ)り。洞(ほら)の裡(うち)に一位(ひとり)の聖賢(せいけん)在(ましま)して、喚(よ)んで毗藍婆(びらんば)と做(な)す。彼(かれ)能(よ)く此(こ)の怪(かい)を降(くだ)すを得(う)べし」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「那(か)の山(やま)は何(いず)れの方(ほう)に坐落(あり)て、却(かえ)って何(いず)れの方(ほう)自(よ)り去(ゆ)かん」と。女子(じょし)手(て)を用(もち)いて指(さ)し定(さだ)めて道(い)う、「那(か)の直南(ちょくなん=真南)の上(うえ)は便(すなわ)ち是(こ)れ」と。行者(ぎょうじゃ)頭(こうべ)を回(めぐ)らして看(み)る時(とき)、那(か)の女子(じょし)早(はや)く已(すで)に見(み)えず。行者(ぎょうじゃ)慌(あわ)てて礼拜(らいはい)して道(い)う、「是(こ)れ那(いず)れの菩薩(ぼさつ)ぞ。我(われ)が弟子(でし)鑽(もぐ)り昏(くら)みて、相(あい)識(し)るを得(え)ず。千(どうか)乞(こ)う名(な)を留(とど)めよ、好(よ)く謝(しゃ)せん!」と。只(た)だ見(み)る、那(か)の半空(はんくう)の中(なか)に叫(よ)んで道(い)う、「大聖(たいせい)、是(こ)れ我(われ)なり」と。行者(ぎょうじゃ)急(いそ)ぎ頭(こうべ)を抬(あ)げて看(み)る処(ところ)、原(もと)是(こ)れ黎山老姆(れいざんろうぼ)。空(そら)の中(なか)に赶(お)い至(いた)りて謝(しゃ)して道(い)う、「老姆(ろうぼ)何(いずこ)自(よ)り来(きた)りて我(われ)を指教(しきょう=教え)し給(たま)える」と。老姆(ろうぼ)道(い)う、「我(われ)才(いま)しがた龍華会(りゅうげえ)自(よ)り回(かえ)り来(きた)るに、汝(なんじ)が師父(しふ)の難(なん)有(あ)るを見(み)て、仮(かり)に孝婦(こうふ=喪に服す女)と做(な)り、夫喪(ふそう=夫の喪)の名(な)を借(か)りて、彼(かれ)をして一死(いっし)を免(まぬが)れしめたり。汝(なんじ)快(すみや)かに去(ゆ)きて彼(かれ)を請(しょう)ぜよ、但(た)だ我(われ)が指教(しきょう)せしとは說(い)い出(いだ)すべからず、那(か)の聖賢(せいけん)は些(いささ)か人(ひと)を怪(あやし)むこと多(おお)き故(ゆえ)に」と。
行者(ぎょうじゃ)謝(しゃ)して、辞別(じべつ=いとまごい)し、筋斗雲(きんとうん)を把(と)って一(ひと)たび縦(はな)つや、随(したが)いて紫雲山(しうんざん)の上(うえ)に到(いた)り、雲頭(うんとう)を按(おさ)え定(さだ)めて、就(すなわ)ち那(か)の千花洞(せんかどう)を見(み)る。那(か)の洞外(どうがい)──
青松(せいしょう)は勝境(しょうきょう=勝れた地)を遮(おお)い、
翠柏(すいはく)は仙居(せんきょ=仙人の住まい)を繞(めぐ)る。
緑柳(りょくりゅう)は山道(さんどう)に盈(み)ち、
奇花(きか)は澗渠(かんきょ=谷川)に満(み)つ。
香蘭(こうらん)は石屋(せきおく)を囲(かこ)み、
芳草(ほうそう)は岩嵎(がんぐ=岩の隅)に映(うつ)る。
流水(りゅうすい)は溪(たに)に連(つらな)りて碧(あお)く、
雲(くも)は古樹(こじゅ)を封(ふう)じて虚(むな)し。
野禽(やきん)の声(こえ)聒聒(かつかつ)として、
幽鹿(ゆうろく)の歩(あゆみ)徐徐(じょじょ)たり。
修竹(しゅうちく)は枝枝(えだえだ)秀(ひい)で、
紅梅(こうばい)は葉葉(はは)舒(の)ぶ。
寒鴉(かんあ)は古樹(こじゅ)に栖(す)み、
春鳥(しゅんちょう)は高樗(こうちょ=高き樗)に嗓(さえず)る。
夏麦(かばく)は田(た)に盈(み)ちて広(ひろ)く、
秋禾(しゅうか)は地(ち)に遍(あまね)くして余(あま)り有(あ)り。
四時(しいじ)に葉(は)の落(お)つる無(な)く、
八節(はっせつ)に花(はな)の如(ごと)き有(あ)り。
瑞靄(ずいあい=瑞雲)を生(しょう)じて毎(つね)に霄漢(しょうかん=天の川)に連(つらな)り、
祥雲(しょううん)を放(はな)ちて常(つね)に太虚(たいきょ=大空)に接(つらな)る。
此(こ)の大聖(たいせい)喜喜歡歡(よろこびよろこび)て走(あゆ)み将(も)ちて進(すす)み入(い)り、一程(ひとみち)一節(ひとふし)、天辺(てんぺん=空の果て)の景致(けいち)を看(み)れど尽(つ)きず。直(ただ)ちに裡(うち)に入(い)るに、更(さら)に箇(ひとり)の人児(ひと)も無(な)く、静静悄悄(しんとしずか)として、鷄犬(けいけん)の声(こえ)も也(また)無(な)し。心(こころ)の中(なか)に暗(ひそか)に道(い)う、「此(こ)の聖賢(せいけん)想(おも)うに是(こ)れ家(いえ)に在(おわ)さざるならん」と。又(また)数里(すうり)を進(すす)みて看(み)る時(とき)、一箇(ひとり)の女道姑(にょどうこ=女道士)の榻(とう=寝台)の上(うえ)に坐(ざ)せるを見(み)る。汝(なんじ)看(み)よ、彼(かれ)の怎(いか)に生(どう)か模様(なり)せるを──
頭(かしら)に戴(いただ)くは五花納錦帽(ごかなきんぼう=五色の錦の帽)、
身(み)に穿(き)るは一領(ひとえ)の織金袍(しょくきんぽう=金織りの袍)。
足(あし)に踏(ふ)むは雲尖鳳頭履(うんせんほうとうり=雲形に鳳の頭の靴)、
腰(こし)に系(むす)ぶは撚(よ)り糸(いと)の双穂縧(そうすいとう=二重の房の帯)。
面(おもて)は秋容(しゅうよう=秋の容)の霜(しも)の後(のち)に老(お)いたるに似(に)、
声(こえ)は春燕(しゅんえん)の社前(しゃぜん=春祭の前)に嬌(あで)やかなるが如(ごと)し。
腹中(ふくちゅう)に久(ひさ)しく三乗法(さんじょうほう)を諳(そらん)じ、
心上(しんじょう)に常(つね)に四諦(したい)の饒(ゆたか)なるを修(おさ)む。
空空(くうくう)の真正果(しんしょうか=真の悟り)を悟(さと)り出(いだ)し、
了了(りょうりょう=明らか)を煉(ね)り成(な)して自(おのず)から逍遥(しょうよう)す。
正(まさ)に是(こ)れ千花洞(せんかどう)の裡(うち)の仏(ほとけ)、
毗藍菩薩(びらんぼさつ)姓(せい)名(な)高(たか)し。
行者(ぎょうじゃ)脚(あし)を止(とど)むるを得(え)ず、近(ちか)づき前(すす)みて叫(よ)んで道(い)う、「毗藍婆菩薩(びらんばぼさつ)、問訊(もんじん=挨拶)し了(おわ)る」と。那(か)の菩薩(ぼさつ)即(すなわ)ち榻(とう)を下(お)り、掌(て)を合(あわ)せて礼(れい)を回(かえ)して道(い)う、「大聖(たいせい)、迎(むか)うるを失(うしな)えり、汝(なんじ)那裡(いずこ)自(よ)りか来(きた)れる」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「汝(なんじ)怎(どう)して就(すなわ)ち我(われ)の是(こ)れ大聖(たいせい)なるを認(みと)め得(え)たる」と。毗藍婆(びらんば)道(い)う、「汝(なんじ)当年(とうねん)天宮(てんきゅう)を大(おお)いに鬧(さわ)がしし時(とき)、普(あまね)く地(ち)の裡(うち)に汝(なんじ)が形象(かたち)を伝(つた)えたり、誰人(たれ)か知(し)らざらん、那(いず)れか識(し)らざらん」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「正(まさ)に是(こ)れ、好事(こうじ)は門(もん)を出(い)でず、悪事(あくじ)は千里(せんり)に伝(つた)わる、とやら。我(われ)の如今(いま)仏門(ぶつもん)に皈(き)し正(ただ)しきに象(か)たるは、汝(なんじ)が就(すなわ)ち暁(さと)らざる所(ところ)なる!」と。毗藍(びらん)道(い)う、「何時(いつ)皈正(きせい=帰依)せる。恭喜(おめでとう)、恭喜(おめでとう)!」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「近(ちか)ごろ能(よ)く命(いのち)を脱(のが)れ、師父(しふ)唐僧(とうそう)を保(ほ)して西天(さいてん)に上(のぼ)りて経(きょう)を取(と)らんとす。師父(しふ)黄花観(こうかかん)の道士(どうし)に遇(あ)い、毒薬(どくやく)の茶(ちゃ)を将(もっ)て薬(やく)し倒(たお)されたり。我(われ)那(か)の厮(やつ)と賭闘(かけあらそ)うに、彼(かれ)就(すなわ)ち金光(きんこう)を放(はな)ちて我(われ)を罩(おお)い住(とど)めしが、是(こ)れ我(われ)神通(じんつう)を使(つか)い走(に)げ脱(のが)れしなり。菩薩(ぼさつ)の能(よ)く彼(かれ)が金光(きんこう)を滅(ほろぼ)すと聞(き)き、特に来(きた)りて拝(おが)み請(こ)う」と。菩薩(ぼさつ)道(い)う、「是(こ)れ誰(たれ)が汝(なんじ)と說(い)える。我(われ)盂蘭会(うらんえ)に赴(おもむ)きし自(よ)り、今(いま)に到(いた)るまで三百余年(さんびゃくよねん)、曾(かつ)て門(もん)を出(い)でず。我(われ)姓(せい)を隠(かく)し名(な)を埋(うず)めて、更(さら)に一人(ひとり)も知(し)り得(う)る無(な)きに、汝(なんじ)却(かえ)って怎(どう)して知(し)り得(え)たる」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「我(われ)は是(こ)れ一箇(ひとつ)の地裡鬼(ちりき=土地の妖)、那裡(いずこ)をも管(かま)わず、自家(みずか)ら都(みな)会(よ)く訪(たず)ね着(あ)つるなり」と。毗藍(びらん)道(い)う、「也(また)罷(よ)し也(また)罷(よ)し。我(われ)本当(もと)は去(ゆ)かざるべきも、大聖(たいせい)の下臨(かりん=来臨)を蒙(こうむ)るに奈(いかん)ともせず、経(きょう)を求(もと)むるの善(ぜん)を滅(ほろぼ)すべからざれば、我(われ)汝(なんじ)と去(ゆ)き来(きた)らん」と。
行者(ぎょうじゃ)称(たた)えて謝(しゃ)して、道(い)う、「我(われ)忒(はなは)だ無知(むち)にして、擅(ほしいまま)に催促(さいそく)せり。但(た)だ曾(かつ)て甚(なん)の兵器(へいき)を帯(お)びたるかを知(し)らず」と。菩薩(ぼさつ)道(い)う、「我(われ)に一箇(ひとつ)の繍花針児(しゅうかしん=刺繍針)有(あ)り、能(よ)く那(か)の厮(やつ)を破(やぶ)る」と。行者(ぎょうじゃ)忍(しの)びずして道(い)う、「老姆(ろうぼ)我(われ)を誤(あやま)らせたり。早(はや)く是(こ)れ繍花針(しゅうかしん)なるを知(し)らば、汝(なんじ)を労(ろう)するを須(もち)いず、就(すなわ)ち老孫(ろうそん)に問(と)いて一担(ひとにな)を要(よう)するも也(また)有(あ)る所(ところ)なり」と。毗藍(びらん)道(い)う、「汝(なんじ)が那(そ)の繍花針(しゅうかしん)は、無非(とりもなおさず)是(こ)れ鋼鉄(こうてつ)の金針(きんしん)、用(もち)うるを得(え)ず。我(わ)が此(こ)の宝貝(ほうばい)は、鋼(はがね)に非(あら)ず、鉄(くろがね)に非(あら)ず、金(こがね)に非(あら)ず、乃(すなわ)ち我(わ)が小児(しょうじ=息子)が日眼(にちがん=日の眼)の裡(うち)にて煉(ね)り成(な)せるなり」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「令郎(れいろう=ご子息)は是(こ)れ誰(たれ)ぞ」と。毗藍(びらん)道(い)う、「小児(しょうじ)は乃(すなわ)ち昴日星官(ぼうじつせいかん)なり」と。行者(ぎょうじゃ)驚駭(きょうがい=驚き)して已(や)まず。早(はや)くも金光(きんこう)の艶艶(えんえん)たるを望(のぞ)み見(み)るや、即(すなわ)ち毗藍(びらん)に回(かえ)り向(むか)いて道(い)う、「金光(きんこう)の処(ところ)は便(すなわ)ち是(こ)れ黄花観(こうかかん)也(なり)」と。
毗藍(びらん)随(したが)いて衣領(いりょう=襟)の裡(うち)自(よ)り一箇(ひとつ)の繍花針(しゅうかしん)を取(と)り出(いだ)す。眉毛(びもう)の粗細(ふとさ)に似(に)て、五六分(ごろくぶ)の長短(ながさ)有(あ)り。手(て)に拈(つま)みて、空(そら)を望(めが)けて抛(な)げ去(ゆ)く。少時(しばらく)の間(あいだ)に、一声(ひとこえ)響(ひび)きて、金光(きんこう)を破(やぶ)れり。行者(ぎょうじゃ)喜(よろこ)んで道(い)う、「菩薩(ぼさつ)、妙(たえ)なる哉(かな)妙(たえ)なる哉(かな)! 針(はり)を尋(たず)ねよ針(はり)を尋(たず)ねよ!」と。毗藍(びらん)手(て)の掌(たなごころ)の内(うち)に托(いただ)いて道(い)う、「是(こ)れならずや」と。行者(ぎょうじゃ)却(かえ)って同(とも)に雲頭(うんとう)を按(おさ)え下(おろ)し、観(かん)の裡(うち)に走(あゆ)み入(い)るに、只(た)だ見(み)る、那(か)の道士(どうし)眼(め)を合(と)じて、歩(あゆみ)を挙(あ)ぐること能(あた)わず。行者(ぎょうじゃ)罵(ののし)って道(い)う、「汝(なんじ)が此(こ)の潑怪(はつかい)め、瞎子(めくら)を装(よそお)う哩(ぞ)!」と。耳朶(みみ)の裡(うち)自(よ)り棒(ぼう)を取(と)り出(いだ)して就(すなわ)ち打(う)たんとす。毗藍(びらん)扯(ひ)き住(とど)めて道(い)う、「大聖(たいせい)打(う)つこと莫(なか)れ、且(しばら)く汝(なんじ)が師父(しふ)を看(み)に去(ゆ)け」と。
行者(ぎょうじゃ)径(ただ)ちに後面(うしろ)の客位(きゃくい)の裡(うち)に至(いた)りて看(み)る時(とき)、彼(かれ)三人(みたり)都(みな)地(ち)の上(うえ)に睡(ふ)して痰(たん)を吐(は)き沫(あわ)を吐(は)く哩(なり)。行者(ぎょうじゃ)涙(なみだ)を垂(た)れて道(い)う、「却(かえ)って怎(どう)してか好(よ)からん! 却(かえ)って怎(どう)してか好(よ)からん!」と。毗藍(びらん)道(い)う、「大聖(たいせい)悲(かなし)むこと休(や)めよ。也(また)是(こ)れ我(われ)が今日(こんにち)門(もん)を出(い)でし一場(ひとしきり)なれば、索性(いっそ)陰徳(いんとく=人知れぬ善)を積(つ)まん。我(われ)が此(ここ)に解毒丹(げどくたん)有(あ)り、汝(なんじ)に三丸(みつ)を送(おく)らん」と。行者(ぎょうじゃ)身(み)を転(てん)じて拝(おが)み求(もと)む。那(か)の菩薩(ぼさつ)袖中(しゅうちゅう)自(よ)り一箇(ひとつ)の破(やぶ)れたる紙包児(かみづつみ)を取(と)り出(いだ)し、内(うち)に三粒(みつ)の紅(あか)き丸子(がんし)を将(もっ)て行者(ぎょうじゃ)に遞(わた)し、口(くち)の裡(うち)に入(い)れ置(お)くべしと教(おし)う。行者(ぎょうじゃ)薬(くすり)を把(と)って彼等(かれら)の牙関(がかん=歯)を扳(こじ)り開(ひら)き、毎人(めいめい)に一丸(ひとつ)を揌(つ)め込(こ)む。須臾(しばらく)にして、薬(くすり)の味(あじ)腹(はら)に入(い)り、便(すなわ)ち就(そこ)で一斉(いっせい)に呕噦(おうえつ=むかつき)し、遂(つい)に毒(どく)の味(あじ)を吐(は)き出(いだ)し、性命(せいめい)を得(え)たり。
那(か)の八戒(はっかい)先(ま)ず爬(は)い起(お)きて道(い)う、「悶(くるし)みて我(われ)を殺(ころ)せる也(よ)!」と。三蔵(さんぞう)沙僧(しゃそう)俱(とも)に醒(さ)めて道(い)う、「好(いか)に暈(くら)める也(よ)!」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「汝等(なんじら)那(か)の茶(ちゃ)の裡(うち)に毒(どく)に中(あた)りたるなり。此(こ)の毗藍菩薩(びらんぼさつ)に搭救(たすけ)られしに虧(よ)れり、快(すみや)かに都(みな)来(きた)りて拝(おが)み謝(しゃ)せよ」と。三蔵(さんぞう)身(み)を欠(かが)め衣(ころも)を整(ととの)えて謝(しゃ)す。八戒(はっかい)道(い)う、「師兄(しけい)、那(か)の道士(どうし)は那裡(いずこ)に在(あ)る。我(われ)が彼(かれ)に一(ひと)たび問(と)わんを等(ま)て、何(なん)の為(ため)に此(か)くの般(ごと)く我(われ)を害(そこな)える」と。行者(ぎょうじゃ)蜘蛛精(くもせい)の上項(さきほど)の事(こと)を把(と)って說(と)くこと一遍(ひととおり)す。八戒(はっかい)狠(こわ)みを発(はっ)して道(い)う、「此(こ)の厮(やつ)既(すで)に蜘蛛(くも)と姉妹(しまい)と為(な)らば、定(さだ)めて是(こ)れ妖精(ようせい)なる!」と。行者(ぎょうじゃ)指(さ)して道(い)う、「彼(かれ)は那(か)の殿外(でんがい)に在(あ)りて立(た)ち定(さだ)まり、瞎子(めくら)を装(よそお)う哩(ぞ)」と。八戒(はっかい)鈀(ていは)を拿(と)って就(すなわ)ち打(う)ち込(こ)まんとするも、又(また)毗藍(びらん)に止(とど)め住(とど)められて道(い)う、「天蓬(てんぽう)怒(いかり)を息(いこ)え。大聖(たいせい)我(わ)が洞(ほら)の裡(うち)に人(ひと)無(な)きを知(し)れるなれば、我(われ)をして彼(かれ)を収(おさ)め往(ゆ)きて門戸(もんこ=門)を看守(みはら)しめよ」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「大徳(だいとく)を感(かん)じ蒙(こうむ)れるに、豈(あ)に奉承(ほうしょう=従わ)ざらんや! 但(た)だ只(た)だ是(こ)れ彼(かれ)をして本象(ほんぞう=正体)を現(あらわ)さしめ、我等(われら)に看看(み)しめよ」と。毗藍(びらん)道(い)う、「容易(たやすい)」と。即(すなわ)ち上前(すす)みて手(て)を用(もち)いて一(ひと)たび指(さ)せば、那(か)の道士(どうし)撲(どさ)と塵埃(じんあい=地面)に倒(たお)れ、原身(げんしん=元の姿)を現(あらわ)す。乃(すなわ)ち是(こ)れ一条(ひとすじ)の七尺(しちしゃく)の長短(ながさ)の大(おお)いなる蜈蚣精(ごこうせい=百足の精)なり。毗藍(びらん)小指頭(こゆびさき)を使(つか)いて挑(ほじく)り起(おこ)し、祥雲(しょううん)に駕(が)して径(ただ)ちに千花洞(せんかどう)に転(めぐ)り去(ゆ)く。八戒(はっかい)打仰(おどろ)いて道(い)う、「此(こ)の媽媽児(ばばあ)却(かえ)って也(また)利害(りがい=手強)し、怎(どう)して就(すなわ)ち此(か)くの般(ごとき)の悪物(あくぶつ)を降(くだ)し得(え)たる」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「我(われ)彼(かれ)に甚(なん)の兵器(へいき)有(あ)りて彼(かれ)が金光(きんこう)を破(やぶ)ると問(と)えば、彼(かれ)道(い)う、一箇(ひとつ)の繍花針児(しゅうかしん)有(あ)り、是(こ)れ彼(かれ)が儿子(むすこ)の日眼(にちがん=日の眼)の裡(うち)に在(あ)りて煉(ね)りしなりと。彼(かれ)が令郎(れいろう)は誰(たれ)ぞと問(と)い及(およ)ぶに、彼(かれ)道(い)う、是(こ)れ昴日星官(ぼうじつせいかん)なりと。我(われ)想(おも)うに昴日星(ぼうじつせい)は是(こ)れ一(ひと)羽(わ)の公鶏(おんどり)なれば、此(こ)の老媽媽子(ろうば)必定(かなら)ず是(こ)れ一(ひと)羽(わ)の母鶏(めんどり)ならん。鶏(にわとり)は最(もっと)も能(よ)く蜈蚣(むかで)を降(くだ)す、所以(ゆえ)に能(よ)く収(おさ)め伏(ふく)する也(なり)」と。
三蔵(さんぞう)言(げん)を聞(き)くや頂礼(ちょうらい=礼拝)すること尽(つ)きず、教(おし)えて、「徒弟(とてい)たち、收拾(したく)して去(ゆ)かん」と。那(か)の沙僧(しゃそう)即(すなわ)ち裡(うち)に在(あ)りて些(いささ)かの米糧(べいりょう=食料)を尋(たず)ね、些(いささ)かの斎(とき)を安排(ととの)え、俱(とも)に飽(あ)き餐(くら)うこと一頓(ひととき)。馬(うま)を牽(ひ)き担(に)を挑(にな)い、師父(しふ)を請(しょう)じて門(もん)を出(い)づ。行者(ぎょうじゃ)彼(かれ)が厨中(ちゅうちゅう=台所)自(よ)り一把(ひとつかみ)の火(ひ)を放(はな)ち、一座(ひとつ)の観(かん)を霎時(またたくま)に焼(や)き得(え)て煨燼(いじん=灰燼)とし、却(かえ)って歩(あゆみ)を曳(ひ)きて長(なが)く行(ゆ)く。正(まさ)に是(かく)の如(ごと)し──
唐僧(とうそう)命(いのち)を得(え)て毗藍(びらん)を感(かん)じ、
性(しょう)を了(お)えて多目怪(ためかい)を消除(しょうじょ)す。
畢竟(つまるところ)、前(まえ)へ向(むか)いて去(ゆ)くに還(ま)た甚(なん)の事体(ことがら)有(あ)るかは、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい=説き明かし)を聴(き)け。