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077 第七十七回 群魔(ぐんま)本性(ほんしょう)を欺(あざむ)き 一体(いったい)真如(しんにょ)を拝(はい)す

且(しばら)く唐長老(とうちょうろう)の困苦(くんく=苦しみ)を言(い)わず、却(さ)て説(つ)ぐ、那(か)の三箇(みっつ)の魔頭(まとう)の心(こころ)を斉(ととの)え力(ちから)を竭(つく)し、大聖(たいせい)兄弟(きょうだい)三人(さんにん)と、城東(じょうとう)の半山(はんざん=山の中腹)の裡(うち)に在(あ)りて努(つと)めて争持(そうじ=睨み合い)す。此(こ)の一場(ひといくさ)、正(まさ)に是(こ)れ那(か)の「鉄刷帚(てっさつそう=鉄のたわし)の銅鍋(どうか)を刷(みが)く」にして、家家(おのおの)挺硬(ていこう=剛直)たり。好(よ)き殺(たたかい):

六般(ろくはん)の体相(たいそう=姿)に六般(ろくはん)の兵(へい)、
六様(ろくよう)の形骸(けいがい=からだ)に六様(ろくよう)の情(じょう=こころ)。
六悪(ろくあく)六根(ろっこん)は六欲(ろくよく)に縁(よ)り、
六門(ろくもん)六道(ろくどう)は輸贏(ゆえい=勝ち負け)を賭(か)く。
三十六宮(さんじゅうろっきゅう)春(はる)自在(じざい)、
六六(ろくろく)の形色(けいしょく)恨(うら)みて名(な)有(あ)り。
此(こ)の一箇(ひとつ)の金箍棒(きんこぼう)は、千般(せんばん=幾通りも)の解数(げすう=技)、
那(か)の一箇(ひとつ)の方天戟(ほうてんげき)は、百様(ひゃくよう)の崢嶸(そうこう=そびえ立つ)。
八戒(はっかい)の釘鈀(ていは)は凶(きょう=荒々しく)にして更(さら)に猛(たけ)く、
二怪(にかい)の長槍(ちょうそう)は俊(しゅん=すぐれて)又(また)能(よ)くす。
小沙僧(しょうさそう)の宝杖(ほうじょう)は凡(ただ)ならず、打(う)ち殺(ころ)さんの心(こころ)有(あ)り。
老魔頭(ろうまとう)の鋼刀(こうとう)は快利(かいり=鋭く)、手(て)を挙(あ)ぐるに情(なさけ)無(な)し。
此(こ)の三箇(みっつ)は是(こ)れ真僧(しんそう)を護衛(えいえい)する無敵(むてき)の将(しょう)、
那(か)の三箇(みっつ)は是(こ)れ法(ほう)を乱(みだ)し君(きみ)を欺(あざむ)く潑野精(はつやせい=荒くれの妖怪)。
起初(しょ)は猶(な)お可(よ)きも、向後(のち)は弥(いよいよ)凶(きょう)なり。
六枚(ろくまい)都(みな)升空(しょうくう=空に昇る)の法(ほう)を使(つか)い、
雲端(うんたん)の裡(うち)に各(おのおの)翻騰(ほんとう=飛び回る)。
一時間(ひととき)には霧(きり)を吐(は)き雲(くも)を噴(ふ)きて天地(てんち)暗(くら)く、
哮哮吼吼(こうこうくく=うなりほえる)として只(た)だ声(こえ)を聞(き)くのみ。

他(かれ)等(ら)六箇(ろくにん)闘(たたか)うこと多時(しばらく)、漸漸(だんだん)と天(てん)晩(く)る。却(しか)し又(また)是(こ)れ風霧(ふうむ=風と霧)漫漫(まんまん)として、霎時間(またたくま)に、就(すなわ)ち黒暗(こくあん=暗黒)とならんとす。原来(げんらい)八戒(はっかい)は耳(みみ)大(おお)きく、眼皮(がんぴ=まぶた)を蓋(おお)えば、愈(いよいよ)昏蒙(こんもう=くらみ)、手脚(しゅきゃく=手足)遅(おそ)く、又(また)遮架(しゃか=受け止め)すること住(とど)まらず、鈀(は)を拖(ひ)きて、陣(じん)に敗(やぶ)れて就(すなわ)ち走(に)ぐ。老魔(ろうま)に刀(かたな)を挙(あ)げて砍(き)られ、幾乎(あやう)く命(いのち)を傷(そこな)うところ、幸(さいわ)いに頭脳(とうのう=頭)を避(よ)けしも、口刀(こうとう=刀の刃)の幾(いく)筋(すじ)かの鬃毛(そうもう=たてがみ)を削(けず)り断(た)たれ、追(お)い上(つ)かれて口(くち)を張(ひら)き領頭(えりくび)を咬(か)まれ、拿(とら)えられて城中(じょうちゅう)に入(い)れられ、小妖(しょうよう)に抛(な)げ与(あた)えられ、金鑾殿(きんらんでん)に縛(しば)らる。老妖(ろうよう)又(また)雲(くも)に駕(が)して、半空(はんくう)の裡(うち)に起(た)ちて力(ちから)を助(たす)く。

沙和尚(さおしょう)事(こと)の諧(ととの)わざるを見(み)、宝杖(ほうじょう)を虚(くう)に幌(ゆ)り、本身(ほんしん=わが身)を顧(かえり)みて頭(こうべ)を回(めぐ)らし便(すなわ)ち走(に)ぐるに、二怪(にかい)に鼻子(はな)を捽(ふ)り開(ひら)かれ、一声(ひとこえ)響(ひび)きて、手(て)を連(つら)ねて捲(ま)き住(とど)められ、城(しろ)の裡(うち)に拿(とら)え至(いた)られ、也(また)小妖(しょうよう)に殿下(でんか=殿の下)に縛(しば)らるるを叫(よ)ばれ、却(しか)し又(また)空(くも)に騰(のぼ)り去(ゆ)きて行者(ぎょうじゃ)を拿(とら)うるを叫(よ)ばしむ。行者(ぎょうじゃ)両箇(ふたり)の兄弟(きょうだい)の擒(とりこ)に遭(あ)うを見(み)て、他(かれ)自家(おのれ)独力(どくりょく)にして撐(ささ)え難(がた)し。正(まさ)に是(こ)れ「好手(こうしゅ=手だれ)も双拳(そうけん=両の拳)に敵(てき)せず、双拳(そうけん)も四手(よんしゅ)に敵(てき)し難(がた)し」なり。他(かれ)一声(ひとこえ)喊(さけ)び、棍子(こんす=棒)を把(と)って三箇(みっつ)の妖魔(ようま)の兵器(へいき)を隔(へだ)て開(ひら)き、筋斗(きんと)を縦(はな)ちて雲(くも)に駕(が)して走(に)げ去(さ)る。

三怪(さんかい)行者(ぎょうじゃ)の筋斗(きんと)に駕(が)するを見(み)て、即(すなわ)ち身(み)を抖抖(ふる)い、本象(ほんぞう=本来の姿)を現(あらわ)し、両翅(りょうし=両の翼)を扇(あお)ぎ開(ひら)き、大聖(たいせい)を追(お)い上(つ)く。汝(なんじ)道(い)わん、他(かれ)怎(いか)にして能(よ)く追(お)い上(つ)くるかと。当時(そのかみ)行者(ぎょうじゃ)の天宮(てんぐう)を闹(さわ)がしし如(ごと)きに、十万(じゅうまん)の天兵(てんぺい)も也(また)他(かれ)を拿(とら)え住(とど)むること能(あた)わざりしは、他(かれ)の筋斗雲(きんとうん)に駕(が)することを会(え)し、一(ひと)たび去(ゆ)けば十万八千里(じゅうまんはっせんり)の路(みち)有(あ)るを以(もっ)てなり、所以(ゆえ)に諸神(しょしん)も追(お)い上(つ)くること能(あた)わざりしなり。此(こ)の妖精(ようせい)は一(ひと)たび翅(つばさ)を搧(あお)げば就(すなわ)ち九万里(きゅうばんり)有(あ)り、両(ふた)たび搧(あお)げば就(すなわ)ち追(お)い過(す)ぐるゆえ、所以(ゆえ)に他(かれ)に一把(ひとつかみ)に撾(つか)まれ、手(て)の中(なか)に拿(とら)えられ、左右(さゆう)に掙挫(あが)くことを得(え)ず。走(に)げんと欲(ほっ)すれど、逃(のが)るること能(あた)わず。即(すなわ)ち変化(へんげ)の法(ほう)遁法(とんぽう=逃げる術)を使(つか)うも、又(また)往来(おうらい)に行(ゆ)き難(がた)し。大(おお)きく変(へん)ずれば、他(かれ)就(すなわ)ち放松(ゆる)めて撾(つか)み住(とど)め;小(ちいさ)く変(へん)ずれば、他(かれ)又(また)揝(つか)み緊(し)めて撾(つか)み住(とど)む。復(ま)た拿(とら)えて径(ただ)ちに城内(じょうない)に回(かえ)り、手(て)を放(はな)ち、埃(ちり)の上(うえ)に捽(おと)し下(おろ)し、群妖(ぐんよう)に吩咐(いいつ)け、也(また)八戒(はっかい)、沙僧(さそう)に照(なら)いて一処(ひとところ)に縛(しば)らしむ。那(か)の老魔(ろうま)、二魔(にま)倶(とも)に下(お)り来(きた)りて迎接(げいせつ=迎える)。三箇(みっつ)の魔頭(まとう)、同(とも)に宝殿(ほうでん)に上(のぼ)る。噫(ああ)!此(こ)の一番(ひとくさ)りは倒(かえ)って是(こ)れ行者(ぎょうじゃ)を縛(しば)り住(とど)めたるに非(あら)ず、分明(ぶんめい=はっきり)と是(こ)れ他(かれ)に送行(そうこう=見送り)するなり。

此(こ)の時(とき)二更(にこう=夜の十時)の時候(じこう)有(あ)り、衆怪(しゅうかい)一斉(いっせい)に相見(そうけん=顔を合わせ)し了(おわ)り、唐僧(とうそう)を把(と)って殿(でん)より推(お)し下(おろ)す。那(か)の長老(ちょうろう)灯光(とうこう=灯の光)の前(まえ)に、忽(たちま)ち三箇(みっつ)の徒弟(とてい)の都(みな)地(ち)の上(うえ)に縛(しば)らるるを見(み)、老師父(ろうしふ)行者(ぎょうじゃ)の身辺(みほとり)に伏(ふ)して、哭(な)いて道(い)う、

「徒弟(とてい)よ!常時(つね)は難(なん)に逢(あ)うに、汝(なんじ)却(かえ)って外(そと)に在(あ)りて神通(じんつう)を運用(うんよう)し、那(いず)れの処(ところ)にか去(ゆ)きて救(すくい)を取(と)り魔(ま)を降(くだ)しき。今番(こんばん)汝(なんじ)も亦(また)擒(とりこ)に遭(あ)えば、我(われ)が貧僧(ひんそう)怎(いか)にしてか命(いのち)を得(え)ん!」と。

八戒(はっかい)、沙僧(さそう)師父(しふ)の此(か)くの般(ごと)き苦楚(くそ=苦しみ)を聞(き)きて、便(すなわ)ち也(また)一斉(いっせい)に声(こえ)を放(はな)ちて痛哭(つうこく)す。行者(ぎょうじゃ)微微(びび=かすか)に笑(わら)って道(い)う、「師父(しふ)心(こころ)を放(はな)て、兄弟(きょうだい)哭(な)くなかれ!他(かれ)の怎(いか)なるに凭(まか)すも、決然(けつぜん)として傷(きず)無(な)からん。那(か)の老魔(ろうま)の安静(あんせい)するを等(ま)ち、我(われ)等(ら)路(みち)を走(ゆ)かん」と。

八戒(はっかい)道(い)う、「哥(あにき)よ、又(また)来(きた)りて鬼(おに)を搗(つ)く!麻縄(あさなわ)に縛(しば)られ、些(いささ)か鬆(ゆる)むるにも還(ま)た水(みず)を噴(ふ)きかけらる。想(おも)うに汝(なんじ)が此(こ)の痩(やせ)たる人(ひと)は覚(おぼ)えざらんも、我(われ)が此(こ)の胖(ふと)れるは瘟(えやみ=疫病)に遭(あ)うなり!信(しん)ぜずんば、汝(なんじ)看(み)よ、両膊(りょうひじ=両の腕)の上(うえ)、肉(にく)に入(い)ること已(すで)に二寸(にすん)有(あ)り、如何(いか)にして身(み)を脱(のが)れんや」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「麻縄(あさなわ)の縛(しば)れるを説(い)う莫(な)かれ、就(すなわ)ち是(こ)れ碗(わん)の粗(あら)さの棕纜(そうらん=棕櫚の綱)も、只(た)だ也(また)秋風(しゅうふう)の耳(みみ)を過(す)ぐると当(な)すのみ、何(なん)の罕(めずら)しきに足(た)らんや!」と。

師徒(しと=師と弟子)たち正(まさ)に説(い)う処(ところ)、只(た)だ聞(き)く、那(か)の老魔(ろうま)の道(い)う、「三賢弟(さんけんてい)は力量(りきりょう)有(あ)り、智謀(ちぼう=知恵)有(あ)り、果(はた)して妙計(みょうけい)を成(な)し、唐僧(とうそう)を拿(とら)え将(も)ち来(きた)れり!」と。叫(よ)んで曰(いわ)く、

「小(ちいさ)き者(もの)たち、五箇(ごにん)をして水(みず)を打(く)ましめ、七箇(しちにん)をして鍋(なべ)を刷(あら)わしめ、十箇(じゅうにん)をして火(ひ)を焼(た)かしめ、二十箇(にじゅうにん)をして鉄籠(てつろう=鉄の蒸し器)を抬(か)き出(いだ)さしめ、那(か)の四箇(よにん)の和尚(おしょう)を把(と)って蒸(ふか)し熟(に)し、我(われ)兄弟(きょうだい)ら受用(じゅよう=味わい)し、各(おのおの)一塊児(ひとかけら)を小(ちいさ)き者(もの)たちに散(わか)ちて喫(くら)わしめ、也(また)他(かれ)らをして箇箇(おのおの)長生(ちょうせい)ならしめん」と。

八戒(はっかい)聞(き)きて、戦兢兢(せんせんきょうきょう=おののき)として道(い)う、「哥哥(あにき)、汝(なんじ)聴(き)け、那(か)の妖精(ようせい)計較(けいこう=相談)して我(われ)等(ら)を蒸(ふか)して喫(くら)わんとす!」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「怕(おそ)るることなかれ、我(われ)の他(かれ)の是(こ)れ雛児(すうじ=雛)の妖精(ようせい)なるか、是(こ)れ把勢(はせい=手だれ)の妖精(ようせい)なるかを看(み)んを等(ま)て」と。沙和尚(さおしょう)哭(な)いて道(い)う、「哥(あにき)よ!且(しばら)く寛(くつろ)ぐ話(はなし)を説(い)うなかれ、如今(いま)已(すで)に閻王(えんおう)と隔壁(かくへき=隣)なり。且(しばら)く甚(なん)の雛児(すうじ)把勢(はせい)を講(い)わん!」と。

説(い)い了(おわ)らざるに、又(また)二怪(にかい)の説(い)うを聴(き)き得(え)たり、「猪八戒(ちょはっかい)は蒸(ふか)すに好(よ)からず」と。八戒(はっかい)歓喜(かんき)して道(い)う、「阿弥陀仏(あみだぶつ)、是(こ)れ那(た)れか陰騭(いんしつ=陰徳)を積(つ)める者(もの)の、我(われ)の蒸(ふか)すに好(よ)からずと説(い)う」と。三怪(さんかい)道(い)う、「蒸(ふか)すに好(よ)からずんば、皮(かわ)を剥(は)いで蒸(ふか)さん」と。八戒(はっかい)慌(あわ)てて、厲声(れいせい)に喊(さけ)んで道(い)う、「皮(かわ)を剥(は)ぐな!粗(あら)きは粗(あら)き自(みずか)ら、湯(ゆ)の響(ひび)けば就(すなわ)ち爛(くず)れん!」と。老怪(ろうかい)道(い)う、「蒸(ふか)すに好(よ)からざるは、底(そこ)の下一格(いっかく=一段)に安(お)け」と。

行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「八戒(はっかい)怕(おそ)るるなかれ、是(こ)れ雛児(すうじ)にして、把勢(はせい)に非(あら)ず」と。沙僧(さそう)道(い)う、「怎(いか)にして認(みと)め得(う)る」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「大凡(およそ)物(もの)を蒸(ふか)すには、都(みな)上辺(うえ)より起(おこ)る。蒸(ふか)すに好(よ)からざるを上頭(うえ)の一格(いっかく)に安(お)き、多(おお)くに火(ひ)を焼(た)き足(た)し、気(き)を円(めぐ)らせば、就(すなわ)ち好(よ)くならん;若(も)し底(そこ)に安(お)かば、一(ひと)たび気(き)の住(とど)まれば、半年(はんとし)焼(や)くも也(また)是(こ)れ気(き)の上(のぼ)ることを得(え)ざるなり。他(かれ)八戒(はっかい)の蒸(ふか)すに好(よ)からずと説(い)いて底(そこ)に安(お)くは、雛児(すうじ)に非(あら)ずして是(こ)れ甚(なん)ぞや!」と。八戒(はっかい)道(い)う、「哥(あにき)よ、汝(なんじ)が説(い)うに依(よ)れば、就(すなわ)ち活活(いきながら)に人(ひと)を弄(もてあそ)び殺(ころ)すなり!他(かれ)打緊(肝心)に気(き)の上(のぼ)らざるを見(み)て、抬(か)き開(ひら)き、我(われ)を把(と)って翻(ひるがえ)し転(ころ)がし、再(ふたた)び火(ひ)を起(おこ)して焼(や)かば、我(われ)をして両辺(りょうべん)倶(とも)に熟(に)え、中(なか)の夹生(きょうせい=生煮え)ならざらしめんず」と。

正(まさ)に講(はな)す時(とき)、又(また)小妖(しょうよう)の来(きた)りて報(しら)するを見(み)る、「湯(ゆ)滚(わ)きたり」と。老怪(ろうかい)令(れい)を伝(つた)えて抬(か)かしむ。衆妖(しゅうよう)一斉(いっせい)に手(て)を上(あ)げ、八戒(はっかい)を将(も)って底(そこ)の下一格(いっかく)に抬(か)き、沙僧(さそう)を二格(にかく)に抬(か)く。行者(ぎょうじゃ)他(かれ)を抬(か)き来(きた)らんと估(おしはか)るを見(み)て、他(かれ)就(すなわ)ち身(み)を脱(のが)れて道(い)う、「此(こ)の灯光(とうこう)の前(まえ)は手脚(しゅきゃく=細工)を作(な)すに好(よ)し!」と。一根(ひとすじ)の毫毛(ごうもう)を抜(ぬ)き下(おろ)し、口(くち)に仙気(せんき)を吹(ふ)き、一声(ひとこえ)「変(へん)!」と叫(よ)べば、即(すなわ)ち一箇(ひとり)の行者(ぎょうじゃ)に変(へん)じ、麻縄(あさなわ)に縛(しば)られ、真身(しんしん)を将(も)って神(しん)を出(いだ)し、半空(はんくう)の裡(うち)に跳(と)び上(あ)がり、頭(こうべ)を低(た)れて看(み)る。那(か)の群妖(ぐんよう)那(いずく)んぞ真假(しんか)を知(し)らんや、人(ひと)を見(み)て就(すなわ)ち抬(か)き、箇(ひとつ)の「假行者(かぎょうじゃ)」を把(と)って上(うえ)の三格(さんかく)に抬(か)き、才(はじ)めて唐僧(とうそう)を将(も)って揪(つか)み翻(ひるがえ)し倒(たお)して縛(しば)り住(とど)め、第四格(だいよんかく)に抬(か)き上(あ)ぐ。乾柴(かんさい=乾いた薪)架(か)き起(おこ)され、烈火(れっか)気焰(きえん)騰騰(とうとう)たり。

大聖(たいせい)雲端(うんたん)の裡(うち)に在(あ)りて嗟嘆(さたん=嘆息)して道(い)う、「我(われ)が那(か)の八戒(はっかい)沙僧(さそう)は、還(ま)た両滚(ふたたび)を捱(こら)うるを得(え)んも、我(われ)が那(か)の師父(しふ)は、只(た)だ一滚(ひとたび)を消(よう)じて就(すなわ)ち爛(くず)れん。若(も)し法(ほう)を用(もち)いて他(かれ)を救(すく)わずんば、頃刻(しばらく)にして喪(うしなわ)れん!」と。

好(よ)きかな行者(ぎょうじゃ)、空(くも)の中(なか)に在(あ)りて訣(けつ=印)を捻(ねん)じ、「唵藍浄法界(おんらんじょうほっかい)、乾元亨利貞(けんげんこうりてい)」の咒語(じゅご=真言)を一声(ひとこえ)念(ねん)じ、拘(まね)き喚(よ)んで北海龍王(ほっかいりゅうおう)をして早(はや)く至(いた)らしむ。只(た)だ見(み)る、那(か)の雲端(うんたん)の裡(うち)に一朶(ひとひら)の烏雲(ううん=黒雲)有(あ)り、声(こえ)に応(こた)えて高(たか)く叫(よ)んで道(い)う、「北海(ほっかい)の小龍(しょうりゅう)敖順(ごうじゅん)、頭(こうべ)を叩(たた)く」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「起(た)て!起(た)て!事(こと)無(な)きに敢(あ)えて相煩(わずら)わさず。今(いま)唐師父(とうしふ)と与(とも)に此(ここ)に到(いた)り、毒魔(どくま)に拿(とら)え住(とど)められ、鉄籠(てつろう)に上(のぼ)せられて蒸(ふか)さるるなり。汝(なんじ)去(ゆ)きて我(われ)に与(とも)に護持(ごじ=守り)せよ、蒸(ふか)し壊(こわ)さるるを教(おし)うること莫(な)かれ」と。

龍王(りゅうおう)随(したが)って即(すなわ)ち身(み)を将(も)って一陣(ひとむれ)の冷風(れいふう)に変(へん)じ、鍋(なべ)の下(した)に吹(ふ)き入(い)り、盤旋(めぐ)りて囲(かこ)み護(まも)り、更(さら)に火気(かき)の鍋(なべ)を焼(や)くこと無(な)し。他(かれ)三人(さんにん)方(はじ)めて命(いのち)を損(そこな)わず。

三更(さんこう)の盡(つ)きんとする時(とき)に将(まさ)に至(いた)らんとして、只(た)だ聞(き)く、老魔(ろうま)の發放(ほうほう=申し渡す)して道(い)う、「手下(しゅか)の者(もの)よ、我(われ)等(ら)計(けい)を用(もち)いて形(かたち)を労(つか)れ、唐僧(とうそう)四衆(ししゅう)を拿(とら)え、又(また)相送(おくる)の辛苦(しんく)に因(よ)り、四昼夜(よんちゅうや)曾(かつ)て睡(ねむ)ることを得(え)ず。今(いま)已(すで)に籠(ろう)の裡(うち)に縛(しば)りて、料(はか)るに應(まさ)に脱(のが)れ難(がた)かるべし。汝(なんじ)等(ら)心(こころ)を用(もち)いて看守(かんしゅ)し、十箇(じゅうにん)の小妖(しょうよう)をして輪(りん)じて火(ひ)を焼(た)かしめ、我(われ)等(ら)をして宮(きゅう)に退(しりぞ)き、略略(しばらく)安寝(あんしん=やすむ)せしめよ。五更(ごこう=明け方)の天色(てんしょく)将(まさ)に明(あき)らかならんとするに到(いた)らば、必(かなら)ず爛(くず)れん、蒜泥(にんにくつぶし)塩醋(しおず)を安排(あんばい=用意)し下(おろ)し、我(われ)等(ら)を請(しょう)じて起(お)きしめ、空心(くうしん=空腹)に受用(じゅよう=味わ)せんことを」と。

衆妖(しゅうよう)各各(おのおの)命(めい)を遵(したが)い、三箇(みっつ)の魔頭(まとう)却(しか)し各(おのおの)寝宮(しんきゅう)に転(かえ)りて去(さ)る。行者(ぎょうじゃ)雲端(うんたん)の裡(うち)に在(あ)りて、明明(はっきり)と此(か)くの等(ごと)き吩咐(いいつけ)を聴(き)き得(え)たるに、却(しか)し雲頭(うんとう)を低(ひく)くし下(おろ)せば、籠(ろう)の裡(うち)の人声(ひとごえ)を聴(き)き得(え)ず。他(かれ)想(おも)う、「火気(かき)上(のぼ)り騰(のぼ)れば、必(かなら)ず也(また)熱(あつ)からんに、他(かれ)ら怎(いか)にして怕(おそ)れず、又(また)言語(ことば)無(な)きや。哼噴(ふむ)!敢(あ)えては是(こ)れ蒸(ふか)し死(ころ)したるか。我(われ)の近(ちか)づき前(すす)みて再(ふたた)び聴(き)かんを等(ま)て」と。

好(よ)きかな大聖(たいせい)、雲(くも)を踏(ふ)み、身(み)を揺(ゆ)りて一変(ひとへん)じ、一箇(ひとつ)の黒(くろ)き蒼蠅児(はえ)に変(へん)じ、鉄籠(てつろう)の格(こう=仕切り)の外(そと)に釘(とど)まりて聴(き)く時(とき)、只(た)だ聞(き)く、八戒(はっかい)の裡(うち)に在(あ)りて道(い)う、「晦気(わざわい)なるかな、晦気(わざわい)なるかな!是(こ)れ悶気蒸(もんきじょう=蒸気を閉じ込める蒸し)なるを知(し)らず、又(また)是(こ)れ出気蒸(しゅっきじょう=蒸気を出す蒸し)なるを知(し)らず」と。沙僧(さそう)道(い)う、「二哥(にこう=次兄)、怎(いか)なるを悶気(もんき)、出気(しゅっき)と叫做(なづ)くる」と。八戒(はっかい)道(い)う、「悶気蒸(もんきじょう)は是(こ)れ籠頭(ろうとう=蒸し器の蓋)を蓋(おお)えるなり、出気蒸(しゅっきじょう)は蓋(おお)わず」と。三蔵(さんぞう)浮(う)き上(あ)がりたる一層(いっそう)より声(こえ)に応(こた)えて道(い)う、「徒弟(とてい)、曾(かつ)て蓋(おお)わず」と。八戒(はっかい)道(い)う、「造化(こううん=幸運)!今夜(こんや)は還(ま)た死(し)するを得(え)ず!是(こ)れ出気蒸(しゅっきじょう)なり!」と。

行者(ぎょうじゃ)他(かれ)三人(さんにん)の都(みな)話(ことば)を説(い)い、曾(かつ)て命(いのち)を傷(そこな)わざるを聴(き)き得(え)て、便(すなわ)ち就(すなわ)ち飛(と)び去(さ)り、箇(ひとつ)の鉄籠(てつろう)の蓋(ふた)を把(と)って、軽軽児(そっと)と蓋(おお)い上(あ)ぐ。三蔵(さんぞう)慌(あわ)てて道(い)う、「徒弟(とてい)!盖(おお)い上(あ)げられたり!」と。八戒(はっかい)道(い)う、「罷(や)めよ!是(こ)れ是(こ)れ悶気蒸(もんきじょう)、今夜(こんや)必(かなら)ず是(こ)れ死(し)せん!」と。沙僧(さそう)と長老(ちょうろう)嚶嚶(おいおい)として啼哭(ていこく=泣く)。八戒(はっかい)道(い)う、

「且(しばら)く哭(な)くなかれ、此(こ)の一会(ひとしきり)に焼火(しょうか=火を焚く)の班(ばん=交代)を換(か)えたり」と。沙僧(さそう)道(い)う、「汝(なんじ)怎(いか)にして知(し)る」と。

八戒(はっかい)道(い)う、「早先(さきほど)抬(か)き上(あ)げられ来(きた)りし時(とき)、正(まさ)に我(われ)が意(こころ)に合(かな)えり。我(われ)些(いささ)か寒湿(かんしつ=冷え)の気(き)の病(やまい)有(あ)りて、他(かれ)に騰騰(とうとう=むんむん)とせられんことを要(い)りしに、此(こ)の会(とき)に到(いた)りて反(かえ)って冷気(れいき)上(のぼ)り来(きた)れり。咦(おや)!焼火(しょうか)の長官(ちょうかん)、些(いささ)か柴(たきぎ)を添(そ)うるも便(すなわ)ち怎(どう)か、汝(なんじ)のを要(と)りたるか!」と。

行者(ぎょうじゃ)聞(き)きて、忍(しの)ぶこと能(あた)わず暗(ひそか)に笑(わら)って道(い)う、「此(こ)の箇(ひとつ)の夯貨(ぼんや)!冷(つめ)たきは還(ま)た捱(こら)うるに好(よ)く、若(も)し熱(あつ)ければ就(すなわ)ち命(いのち)を傷(そこな)わんとす。再(ふたた)び両遭(ふたいい)いえば、一定(きっと)風(ふう=情報)を走(はし)らせ了(おわ)らん、早(はや)くに他(かれ)を救(すく)わん」と。

且(しばら)く住(とど)まれ!他(かれ)を救(すく)わんと要(ほっ)すれば須(すべから)く是(こ)れ本相(ほんぞう)を現(あらわ)すべし。假如(も)し現(あらわ)さば、此(こ)の十箇(じゅうにん)の焼火(しょうか)の見(み)て、一斉(いっせい)に乱(みだ)りに喊(さけ)び、老怪(ろうかい)を驚(おどろ)かし動(うご)かさば、却(かえ)って又(また)事(こと)を費(ついや)さずや。我(われ)の先(ま)ず他(かれ)に箇(ひとつ)の法児(ほうじ=術)を送(おく)らんを等(ま)て」と。

忽(たちま)ち想起(おもいおこ)す、「我(われ)当初(そのかみ)大聖(たいせい)と作(な)りし時(とき)、曾(かつ)て北天門(ほくてんもん)に在(あ)りて護國天王(ごこくてんのう)と猜枚(さいばい=当てっこ)して耍子(あそ)び、他(かれ)が瞌睡虫児(かっすいちゅうじ=眠り虫)を贏(か)ち得(え)たるに、還(ま)た幾箇(いくつ)か有(あ)り、他(かれ)に送(おく)りて罷(や)めん」と。即(すなわ)ち腰間(ようかん)の順帯(じゅんたい=帯の内)に往(ゆ)きて摸(さぐ)り摸(さぐ)りせば、還(ま)た十二(じゅうに)有(あ)り。「十箇(じゅっこ)を送(おく)り、還(ま)た二箇(にこ)を留(とど)めて種(たね)と作(な)さん」と。即(すなわ)ち虫児(むし)を将(も)って抛(な)げ去(ゆ)き、十箇(じゅうにん)の小妖(しょうよう)の臉(かお)の上(うえ)に散(ちら)し、鼻孔(びこう)に鑽(もぐ)り入(い)り、漸漸(だんだん)と打盹(いねむ)りして、都(みな)睡(ねむ)り倒(たお)る。只(た)だ一箇(ひとり)の火叉(ひさし)を拿(と)れる者(もの)有(あ)り、睡(ねむ)り穏(おだ)やかならず、頭(こうべ)を揉(も)み臉(かお)を搓(こす)り、鼻子(はな)を左(ひだり)に捏(つま)み右(みぎ)に捏(つま)みし、住(とど)まらずに噴嚏(くしゃみ)を打(う)つ。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「此(こ)の厮(やつ)勾当(こうとう=たくらみ)を暁(さと)れり、我(われ)再(ま)た他(かれ)に箇(ひとつ)の双掭灯(そうてんとう=両側の灯心)を与(あた)えん」と。又(また)一箇(ひとつ)の虫児(むし)を将(も)って他(かれ)が臉(かお)の上(うえ)に抛(な)ぐ。「二箇(ふたつ)の虫児(むし)は、左(ひだり)より入(い)り右(みぎ)より出(い)で、右(みぎ)より出(い)で左(ひだり)より入(い)る、諒(おもんばか)るに一箇(ひとつ)は安(やす)んじ住(とど)まらん」と。那(か)の小妖(しょうよう)両三箇(にさん)の大(おお)きなる呵欠(あくび)して、腰(こし)を把(と)って一伸(ひと)ばし伸(の)ばし、火叉(ひさし)を抛(な)げ、也(また)撲(ぱた)と睡(ねむ)り倒(たお)れ、再(ふたた)び身(み)を翻(ひるがえ)さず。

行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「此(こ)の法児(ほうじ)は真(まこと)に是(こ)れ妙(みょう)にして且(か)つ霊(たま)なり!」と。

即(すなわ)ち原身(げんしん)を現(あらわ)し、近(ちか)づき前(すす)みて一声(ひとこえ)「師父(しふ)」と叫(よ)ぶ。唐僧(とうそう)聞(き)きて道(い)う、「悟空(ごくう)、我(われ)を救(すく)え!」と。沙僧(さそう)道(い)う、「哥哥(あにき)、汝(なんじ)外(そと)に在(あ)りて叫(よ)ぶか」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「我(われ)外(そと)に在(あ)らず、好(よ)くも汝(なんじ)等(ら)と裡(うち)に在(あ)りて罪(つみ)を受(う)けんや」と。八戒(はっかい)道(い)う、「哥(あにき)よ、溜撒(すばしこ)きは溜(に)げ去(さ)り、我(われ)等(ら)は都(みな)是(こ)れ頂缸(みがわり=身代わり)にして、此(ここ)に在(あ)りて悶気(もんき=蒸気)を受(う)くるなり!」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「呆子(あほう)嚷(わめ)くなかれ、我(われ)来(きた)りて汝(なんじ)を救(すく)わん」と。八戒(はっかい)道(い)う、「哥(あにき)よ、救(すく)わんとせば便(すなわ)ち根(ね)より脱(のが)るる救(すくい)を要(い)る、又(また)蒸籠(せいろ)に復(もど)さるるを要(い)らず」と。

行者(ぎょうじゃ)却(しか)し籠頭(ろうとう)を掲(あ)け開(ひら)き、師父(しふ)を解(と)き、将(も)って假(にせ)に変(へん)じたる毫毛(ごうもう)を、一抖(ひとふる)い抖(ふる)い、収(おさ)めて身(み)に上(のぼ)せ、又(また)一層(いっそう)ずつ沙僧(さそう)を放(はな)ち、八戒(はっかい)を放(はな)つ。那(か)の呆子(あほう)才(はじ)めて解(と)かれて、巴(あたふた)として就(すなわ)ち跑(はし)らんとす。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「忙(いそ)ぐなかれ!忙(いそ)ぐなかれ!」と。却又(また)一声(ひとこえ)の咒語(じゅご)を念(ねん)じ、龍神(りゅうじん)を發放(ほうほう=帰らせ)して了(おわ)り、才(はじ)めて八戒(はっかい)に対(たい)して道(い)う、「我(われ)等(ら)此(ここ)より西天(さいてん)に去(ゆ)くに、還(ま)た高山(こうざん)峻嶺(しゅんれい=険しい峰)有(あ)り、師父(しふ)に脚力(きゃくりき=足)無(な)くんば行(ゆ)き難(がた)し。我(われ)の還(ま)た馬(うま)を将(も)ち来(きた)らんを等(ま)て!」と。

汝(なんじ)看(み)よ、他(かれ)手(て)を軽(かる)くし脚(あし)を軽(かる)くして、金鑾殿(きんらんでん)の下(した)に走(はし)り到(いた)り、那(か)の大小(だいしょう)の群妖(ぐんよう)の倶(とも)に睡(ねむ)り熟(う)れたるを見(み)て、却(しか)し韁繩(きょうじょう=手綱)を解(と)き、更(さら)に驚(おどろ)かし動(うご)かさず。那(か)の馬(うま)は原(もと)是(こ)れ龍馬(りゅうば)にして、若(も)し生人(なれぬひと)なれば両脚(りょうきゃく)を飛(と)ばして踢(け)り、便(すなわ)ち幾声(いくこえ)か嘶(いなな)かんに、行者(ぎょうじゃ)曾(かつ)て馬(うま)を養(やしな)い、弼馬温(ひつばおん)の官(かん)を授(さず)かり、又(また)是(こ)れ自家(おのれ)の一味(いちみ=仲間)なれば、所以(ゆえ)に跳(と)ばず叫(な)かず。悄悄(しのびやか)に牽(ひ)き来(きた)り、肚帯(たい=腹帯)を束(つか)ね緊(し)め、鞍(くら)を扣(か)え備(そな)え停当(ととの)え、師父(しふ)に請(しょう)じて馬(うま)に上(のぼ)らしむ。長老(ちょうろう)戦戦兢兢(おののき)として騎(の)り上(あ)がり、也(また)就(すなわ)ち走(に)げんとす。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「也(また)且(しばら)く忙(いそ)ぐなかれ。我(われ)等(ら)西(にし)へ去(ゆ)くに還(ま)た国王(こくおう)有(あ)り、須(すべから)く關文(かんぶん=通行の証)を要(い)り、方(はじ)めて去(ゆ)くことを得(え)ん。然(しか)らずんば、甚(なん)を将(も)ってか執照(しっしょう=証拠)とせん。我(われ)の還(ま)た去(ゆ)きて行李(こうり)を尋(たず)ね来(きた)らんを等(ま)て」と。唐僧(とうそう)道(い)う、「我(われ)記(おぼ)う、門(もん)に入(い)りし時(とき)、衆怪(しゅうかい)行李(こうり)を将(も)って金殿(きんでん)の左手下(ひだりて)に放(お)き、担児(たんじ=荷担ぎ)も也(また)那(あ)の一辺(かたわら)に在(あ)り」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「我(われ)暁(さと)れり」と。

即(すなわ)ち身(み)を抽(ぬ)いて宝殿(ほうでん)に跳(と)び上(あ)がり尋(たず)ぬる時(とき)、忽(たちま)ち光彩(こうさい=光り)の飄颻(ひょうよう=ゆらめく)を見(み)る。行者(ぎょうじゃ)是(こ)れ行李(こうり)なるを知(し)る、怎(いか)にして就(すなわ)ち知(し)るか。唐僧(とうそう)の錦襴袈裟(きんらんけさ)の上(うえ)に夜明珠(やめいしゅ=夜光の珠)有(あ)るを以(もっ)てなり、故此(ゆえ)に光(ひかり)を放(はな)つ。急(いそ)ぎ前(まえ)に到(いた)り、担児(たんじ)の原封(げんぷう)未(いま)だ動(うご)かざるを見(み)、連忙(すぐさま)拿(と)り下(おろ)し去(ゆ)き、沙僧(さそう)に付(あた)えて挑(かつ)がしむ。八戒(はっかい)馬(うま)を牽(ひ)き、他(かれ)路(みち)を引(ひ)き、径(ただ)ちに正陽門(せいようもん)に奔(はし)る。只(た)だ梆鈴(ほうれい=拍子木と鈴)の乱(みだ)りに響(ひび)くを聞(き)くのみ、門(もん)の上(うえ)に鎖(じょう)有(あ)り、鎖(じょう)の上(うえ)には封皮(ふうひ=封印の紙)を貼(は)れり。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「此(か)くの等(ごと)き防守(ぼうしゅ=見張り)、如何(いか)にして去(ゆ)くことを得(え)ん」と。八戒(はっかい)道(い)う、「後門(うらもん)の裡(うち)より去(ゆ)かん」と。行者(ぎょうじゃ)路(みち)を引(ひ)きて径(ただ)ちに後門(うらもん)に奔(はし)る。

「後宰門(こうさいもん)の外(そと)にも、也(また)梆鈴(ほうれい)の声(こえ)有(あ)り、門(もん)の上(うえ)にも也(また)封鎖(ふうさ)有(あ)り、却(かえ)って怎(いか)にしてか是(こ)れ好(よ)からん。我(われ)が此(こ)の一番(ひとくさ)り、若(も)し唐僧(とうそう)の是(こ)れ凡体(ぼんたい=凡夫の身)なるを為(な)さずんば、我(われ)三人(さんにん)は怎(いか)なるにも管(かま)わず、也(また)雲(くも)に駕(が)し風(かぜ)を弄(ろう)して走(に)げ去(さ)らん。只(た)だ唐僧(とうそう)の未(いま)だ三界(さんがい)の外(ほか)を超(こ)えず、現(げん)に五行(ごぎょう)の中(なか)に在(あ)り、一身(いっしん)都(みな)是(こ)れ父母(ふぼ)の濁骨(だくこつ=穢れた骨)なるを為(な)すのみ、所以(ゆえ)に升駕(しょうが=天に昇る)することを得(え)ず、逃(のが)るること難(かた)し」と。八戒(はっかい)道(い)う、「哥哥(あにき)、商量(そうりょう=相談)を消(よう)せず、我(われ)等(ら)那(か)の梆鈴(ほうれい)無(な)く防衛(ぼうえい)せざる処(ところ)に到(いた)り、師父(しふ)を撮(かつ)ぎて牆(かき=塀)を爬(のぼ)り過(よ)ぎ去(ゆ)かん」と。

行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「是(こ)れ好(よ)からず。此(こ)の時(とき)無奈(よんどころ)なく、他(かれ)を撮(かつ)ぎて過(よ)ぎ去(ゆ)かんに、経(きょう)を取(と)りて回(かえ)り来(きた)るに到(いた)らば、汝(なんじ)が此(こ)の呆子(あほう)口(くち)軽(かる)く、至(いた)る処(ところ)に延(ひろ)がりて就(すなわ)ち人(ひと)に対(たい)して『我(われ)等(ら)は是(こ)れ牆頭(かきがしら=塀の上)を爬(のぼ)る和尚(おしょう)なり』と説(い)わん」と。八戒(はっかい)道(い)う、「此(こ)の時(とき)也(また)行檢(こうけん=行い)を顧(かえり)みるに暇(いとま)有(あ)らず、且(しばら)く命(いのち)を逃(のが)れて去(ゆ)かん」と。行者(ぎょうじゃ)也(また)没奈何(よんどころ)なく、只(た)だ他(かれ)に依(よ)りて、那(か)の淨牆(じょうしょう=きれいな塀)の辺(ほとり)に到(いた)り、爬(のぼ)り出(い)づるを算計(さんけい=工夫)す。

噫(ああ)!此(か)くの般(ごと)き事(こと)有(あ)るかな!也(また)是(こ)れ三蔵(さんぞう)の災星(さいせい=災いの星)未(いま)だ脱(のが)れざるなり。那(か)の三箇(みっつ)の魔頭(まとう)、宮(きゅう)の中(なか)に在(あ)りて正(まさ)に睡(ねむ)れるに、忽然(たちまち)驚覺(きょうかく=はっと目覚む)。唐僧(とうそう)の走(に)げたりと説(い)いて、一箇一箇(おのおの)衣(きぬ)を披(はお)りて忙(いそ)ぎ起(お)き、急(いそ)ぎ宝殿(ほうでん)に登(のぼ)り、問(と)うて曰(いわ)く、「唐僧(とうそう)は幾滚(いくたび)蒸(ふか)したる」と。那(か)の焼火(しょうか=火を焚く)の小妖(しょうよう)は已(すで)に睡魔虫(すいまちゅう=眠り虫)有(あ)りて、都(みな)睡(ねむ)り了(おわ)り、就(すなわ)ち打(う)つも也(また)一箇(ひとり)を打(う)ち醒(さ)ますことを得(え)じと想(おも)う。其(そ)の余(よ)の執事(しっじ=係)無(な)き者(もの)、幾箇(いくにん)か驚(おどろ)き醒(さ)め、冒冒失失(あわてふためき)として答(こた)えて道(い)う、「七(しち)……七(しち)……七(しち)……七滚(しちたび)!」と。急(いそ)ぎ鍋(なべ)の辺(ほとり)に跑(はし)り近(ちか)づき、只(た)だ籠格子(ろうかくし=蒸し器の枠)の乱(みだ)りに地(ち)の上(うえ)に抛(な)げ散(ち)らされ、焼火(しょうか)の還(ま)た都(みな)睡(ねむ)れるを見(み)、慌(あわ)てて又(また)来(きた)りて報(しら)せて曰(いわ)く、

「大王(だいおう)、走(に)げ……走(に)げ……走(に)げ……走(に)げたり!」と。

三箇(みっつ)の魔頭(まとう)都(みな)殿(でん)を下(お)り、鍋(なべ)の前(まえ)に近(ちか)づきて仔細(つまびらか)に看(み)る時(とき)、果(はた)して那(か)の籠格子(ろうかくし)の乱(みだ)りに地(ち)の上(うえ)に抛(な)げ散(ち)らされ、湯鍋(ゆなべ)尽(ことごと)く冷(さ)め、火脚(かきゃく=火の元)倶(とも)に無(な)く、那(か)の焼火(しょうか)の倶(とも)に呼呼(ここ=ぐうぐう)と鼾睡(ねむ)ること泥(どろ)の如(ごと)きを見(み)る。慌(あわ)てて衆怪(しゅうかい)一斉(いっせい)に吶喊(とっさ)し、都(みな)叫(よ)んで曰(いわ)く、「快(はや)く唐僧(とうそう)を拿(とら)えよ!快(はや)く唐僧(とうそう)を拿(とら)えよ!」と。此(こ)の一片(ひとひら)の喊声(かんせい)振(ふる)い起(おこ)り、些(いささか)の前前後後(ぜんぜんごご)、大大小小(だいだいしょうしょう)の妖精(ようせい)を把(と)って、都(みな)驚(おどろ)き起(おこ)さしむ。刀槍(とうそう)を取(と)り巻(ま)きて、正陽門(せいようもん)の下(した)に至(いた)り、那(か)の封鎖(ふうさ)の動(うご)かず、梆鈴(ほうれい)の絶(た)えざるを見(み)、外辺(そと)の巡夜(じゅんや=夜回り)の者(もの)に問(と)うて道(い)う、「唐僧(とうそう)は那(いず)れより走(に)げ去(さ)りたる」と。倶(とも)に道(い)う、「曾(かつ)て人(ひと)の走出(にげい)でたるは有(あ)らず」と。急(いそ)ぎ後宰門(こうさいもん)に赶(お)い至(いた)れば、封鎖(ふうさ)梆鈴(ほうれい)、一(ひと)つに前門(ぜんもん)の如(ごと)し。復(ま)た乱(みだ)りに搶搶(あわただしく)として、灯籠(とうろう)火把(かば=松明)、天(てん)を焙(あぶ)りて通(とお)し紅(あか)く、就(すなわ)ち白日(はくじつ)の如(ごと)し。却(しか)し明明(はっきり)と他(かれ)が四衆(ししゅう)の牆(かき)を爬(のぼ)るを照(て)らし出(いだ)す!

老魔(ろうま)赶(お)い近(ちか)づき、一声(ひとこえ)喝(かつ)して曰(いわ)く、「那(いず)れへ走(に)ぐるか!」と。那(か)の長老(ちょうろう)唬(おどろ)かされて脚(あし)軟(よわ)く筋(すじ)麻(しび)れ、牆(かき)より跌(たお)れ下(お)り、老魔(ろうま)に拿(とら)え住(とど)めらる。二魔(にま)沙僧(さそう)を捉(とら)え、三魔(さんま)八戒(はっかい)を擒(とりこ)に倒(たお)し、衆妖(しゅうよう)行李(こうり)白馬(はくば)を搶(うば)い、只(た)だ行者(ぎょうじゃ)の走(に)げ去(さ)りしのみ。那(か)の八戒(はっかい)口(くち)の裡(うち)に哝哝(ぶつぶつ)として行者(ぎょうじゃ)を報怨(うら)みて道(い)う、「天(てん)の殺(ころ)すべき!我(われ)救(すく)わんとせば便(すなわ)ち根(ね)より脱(のが)るる救(すくい)を要(い)ると説(い)いしに、如今(いま)却(かえ)って又(また)蒸籠(せいろ)に復(もど)されたり!」と。

衆魔(しゅうま)唐僧(とうそう)を把(と)って擒(とら)えて殿(でん)の上(うえ)に至(いた)らしむるも、却(しか)し蒸(ふか)さず。二怪(にかい)吩咐(いいつ)けて八戒(はっかい)を殿前(でんぜん)の檐柱(のきばしら)に绑(しば)り付(つ)け、三怪(さんかい)吩咐(いいつ)けて沙僧(さそう)を殿後(でんご)の檐柱(のきばしら)に绑(しば)り付(つ)く。惟(ただ)老魔(ろうま)のみ唐僧(とうそう)を抱(いだ)き住(とど)めて放(はな)たず。三怪(さんかい)道(い)う、

「大哥(たいか)よ、汝(なんじ)他(かれ)を抱(いだ)き住(とど)めて怎(どう)するか。終(つい)に然(しか)らずんば就(すなわ)ち活(いき)のまま喫(くら)わんとするか、却(かえ)って也(また)些(いささか)の趣味(しゅみ)も無(な)からん。此(こ)の物(もの)は那(か)の愚夫俗子(ぐふぞくし=凡庸な者)の、拿(とら)えて飯(めし)に当(あ)つべきと比(くら)ぶべからず。是(こ)れ是(こ)れ上邦(じょうほう=大国)の稀奇(きき=珍奇)の物(もの)なり。必(かなら)ず天陰(てんいん=曇り)閑暇(かんか=暇)の時(とき)を待(ま)ち、他(かれ)を拿(と)り出(いだ)し、整(ととの)え制(つく)りて精潔(せいけつ=清らか)にし、猜枚(さいばい=当てっこ)行令(ぎょうれい=酒令)し、細(こま)かに吹(ふ)き細(こま)かに打(う)ちて喫(くら)うてこそ可(よ)きなり」と。

老魔(ろうま)笑(わら)って道(い)う、「賢弟(けんてい)の言(げん)は当(まさ)なれど、但(ただ)孫行者(そんぎょうじゃ)又(また)来(きた)りて偷(ぬす)まんとす」と。三魔(さんま)道(い)う、

「我(われ)が此(こ)の皇宮(こうきゅう)の裡(うち)に一座(ひとつ)の錦香亭子(きんこうていじ=錦の香りの亭)有(あ)り、亭子(ていじ)の裡(うち)に一箇(ひとつ)の鐵櫃(てっき=鉄の櫃)有(あ)り。我(われ)に依(よ)らば、唐僧(とうそう)を把(と)って櫃(ひつ)の裡(うち)に蔵(かく)し、亭子(ていじ)を關(とざ)し、却(しか)し謠言(ようげん=流言)を伝(つた)え出(いだ)して、唐僧(とうそう)は已(すで)に我(われ)等(ら)に夹生(きょうせい=生煮え)に喫(くら)われたりと説(い)わしめよ。小妖(しょうよう)に令(れい)じて満城(まんじょう=城じゅう)に講(い)い説(と)かしめば、那(か)の行者(ぎょうじゃ)必(かなら)ず来(きた)りて消息(しょうそく)を探(さぐ)り聴(き)かん。若(も)し此(こ)の話(はなし)を聞(き)かば、他(かれ)必(かなら)ず心(こころ)を死(し)し地(ち)に塌(おち)いて去(さ)らん。三五日(さんごにち)の来(きた)りて攪擾(かくじょう=邪魔)せざるを待(ま)ち、却(しか)し拿(と)り出(いだ)し、慢慢(ゆっくり)と受用(じゅよう=味わ)せんこと如何(いかん)」と。

老怪(ろうかい)二怪(にかい)倶(とも)に大(おお)いに喜(よろこ)んで道(い)う、「是(ぜ)!是(ぜ)!是(ぜ)!兄弟(きょうだい)の説(い)えること理(り)有(あ)り!」と。憐(あわ)れむべきかな、箇(ひとつ)の唐僧(とうそう)を把(と)って連夜(れんや)拿(とら)え将(も)ち入(い)り、櫃(ひつ)の中(なか)に蔵(かく)し、亭子(ていじ)を閉(とざ)す。謠言(ようげん)を伝(つた)え出(いだ)し、満城(まんじょう)の裡(うち)都(みな)乱(みだ)りに講(こう)ずることは題(だい)とせず。

却(さ)て説(つ)ぐ、行者(ぎょうじゃ)夜半(よなか)より唐僧(とうそう)を顧(かえり)みるに暇(いとま)なく、雲(くも)に駕(が)して走(に)げ脱(のが)れ、径(ただ)ちに獅駝洞(しだどう)の裡(うち)に至(いた)り、一路(ひとみち)に棍(こん)をふるいて、那(か)の万数(まんすう)の小妖(しょうよう)を把(と)って、悉(ことごと)く剿絶(そうぜつ=討ち尽く)す。急(いそ)ぎ回(かえ)り来(きた)れば、東方(とうほう)日(ひ)出(い)づ。城辺(じょうへん)に到(いた)りて、敢(あ)えて戦(たたかい)を叫(よ)ばず、正(まさ)に是(こ)れ「単絲(たんし)は線(いと)とならず、孤掌(こしょう)は鳴(な)り難(がた)し」なり。他(かれ)雲頭(うんとう)を落(おと)し、身(み)を揺(ゆ)りて一変(ひとへん)じ、小妖児(しょうようじ)に変(へん)じ、門(もん)の裡(うち)に演(しのび)入(い)り、大街小巷(たいがいしょうこう=大通りと路地)にて消息(しょうそく)を緝訪(しゅうほう=探し訪ね)す。満城(まんじょう)の裡(うち)倶(とも)に道(い)う、

「唐僧(とうそう)は大王(だいおう)に夹生児(きょうせいじ=生煮え)にて連夜(れんや)喫(くら)われたり」と。

前前後後(ぜんぜんごご)、都(みな)是(こ)れ此(か)くの等(ごと)く説(い)う。行者(ぎょうじゃ)着実(じゃつじつ=ほんとう)に心焦(しんしょう=気をも)む。行(ゆ)きて金鑾殿(きんらんでん)の前(まえ)に至(いた)り観看(みわた)せば、那(か)の裡(うち)に許多(あまた)の精霊(せいれい)有(あ)り、都(みな)皮金帽子(ひきんぼうし=金箔の帽子)を戴(いただ)き、黄布(こうふ=黄色の布)の直身(じきしん=服)を穿(き)り、手(て)に紅漆棍(こうしつこん=赤漆の棒)を拿(と)り、腰(こし)に象牙牌(ぞうげはい)を掛(か)け、一(ひと)たび往(ゆ)き一(ひと)たび来(きた)り、住(とど)まらずに乱(みだ)りに走(はし)る。行者(ぎょうじゃ)暗(あん)に想(おも)うて道(い)う、「是(こ)れ必(かなら)ず是(こ)れ宮(きゅう)を穿(つらぬ)く妖怪(ようかい)ならん。就(すなわ)ち此(こ)の模様(なり)に変(へん)じ做(な)り、入(い)り去(ゆ)きて打聴打聴(うちあてに探(さぐ))らん」と。

好(よ)きかな大聖(たいせい)、果(はた)して変(へん)じて一般(ひとしい)にして無二(ふたつな)く、金門(きんもん)に混(まぎ)れ入(い)る。正(まさ)に走(はし)る処(ところ)、只(た)だ八戒(はっかい)の殿前(でんぜん)の柱(はしら)に绑(しば)られて哼(うな)るを見(み)る。行者(ぎょうじゃ)近(ちか)づき前(すす)みて一声(ひとこえ)「悟能(ごのう)」と叫(よ)ぶ。那(か)の呆子(あほう)声音(こえ)を認(みと)めて道(い)う、「師兄(しけい)、汝(なんじ)来(きた)れるか?我(われ)を一救(ひとすく)い救(すく)え!」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、

「我(われ)汝(なんじ)を救(すく)わん、汝(なんじ)師父(しふ)の那(いず)れに在(あ)るを知(し)るか」と。八戒(はっかい)道(い)う、「師父(しふ)は無(な)くなれり、昨夜(さくや)妖精(ようせい)に夹生児(きょうせいじ)に喫(くら)われたり」と。行者(ぎょうじゃ)言(げん)を聞(き)きて、忽(たちま)ち声(こえ)を失(うしな)いて涙(なみだ)泉(いずみ)の涌(わ)くが似(ごと)し。八戒(はっかい)道(い)う、「哥哥(あにき)哭(な)くなかれ、我(われ)也(また)是(こ)れ小妖(しょうよう)の乱(みだ)りに講(こう)ずるを聴(き)き得(え)たるのみ、曾(かつ)て眼(まなこ)に見(み)ず。汝(なんじ)誤(あやま)ることなかれ、再(ふたた)び去(ゆ)きて尋(たず)ね問(と)い尋(たず)ね問(と)え」と。

此(こ)の行者(ぎょうじゃ)却(しか)し才(はじ)めて涙(なみだ)を収(おさ)め、又(また)裡(うち)へ向(むか)いて找尋(さがしもと)む。忽(たちま)ち沙僧(さそう)の後檐柱(こうえんちゅう=裏の軒柱)に绑(しば)らるるを見(み)、即(すなわ)ち近(ちか)づき前(すす)みて他(かれ)が胸脯子(むなもと=胸)を摸(さぐ)りて叫(よ)んで道(い)う、「悟浄(ごじょう)」と。沙僧(さそう)也(また)声音(こえ)を識(し)りて道(い)う、

「師兄(しけい)、汝(なんじ)変化(へんげ)して入(い)り来(きた)れるか?我(われ)を救(すく)え!我(われ)を救(すく)え!」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「汝(なんじ)を救(すく)うは容易(たやす)し、汝(なんじ)師父(しふ)の那(いず)れに在(あ)るを知(し)るか」と。沙僧(さそう)涙(なみだ)を滴(したた)らして道(い)う、「哥(あにき)よ!師父(しふ)は妖精(ようせい)に蒸(ふか)すに待(ま)ち得(え)ずして、就(すなわ)ち夹生児(きょうせいじ)に喫(くら)われたり!」と。

大聖(たいせい)両箇(ふたり)の言語(ことば)の相同(あいおなじ)きを聴(き)き得(え)て、心(こころ)刀(かたな)に攪(かきまわ)さるるが如(ごと)く、涙(なみだ)水(みず)の流(なが)るるが似(ごと)し。急(いそ)ぎ身(み)を縦(はな)ちて空(くも)に望(むか)いて跳(と)び起(お)き、且(しばら)く八戒(はっかい)沙僧(さそう)を救(すく)わず、城東(じょうとう)の山上(さんじょう)に回(かえ)り至(いた)り、雲頭(うんとう)を按(おさ)えて落(おと)し、声(こえ)を放(はな)ちて大哭(たいこく)し、叫(よ)んで道(い)う、

「師父(しふ)よ!

我(われ)の天(てん)を欺(あざむ)きて網羅(もうら=網)に困(くるし)むを恨(うら)みしに、
師(し)は来(きた)りて我(われ)を救(すく)いて沈痾(ちんあ=重い病)を脱(のが)れしむ。
心(こころ)を潜(ひそ)め志(こころざし)を篤(あつ)くして同(とも)に仏(ほとけ)を参(さん)じ、
力(ちから)を努(つと)め身(み)を修(おさ)めて共(とも)に魔(ま)を煉(ね)る。
豈(あ)に料(はか)らんや今朝(けさ)蜇害(てきがい=毒虫の害)に遭(あ)い、
汝(なんじ)を保(まも)りて婆娑(ばしゃ=西方の浄土)に上(のぼ)ることを得(え)ざるとは。
西方(さいほう)の勝境(しょうきょう=勝れた境地)に縁(えん)無(な)くして到(いた)り難(がた)く、
気(き)散(ち)り魂(たましい)消(き)えて怎(いか)にせんや!」と。

行者(ぎょうじゃ)凄凄惨惨(せいせいさんさん=いたましげ)として、自(みずか)ら思(おも)い自(みずか)ら忖(はか)り、心(こころ)を以(もっ)て心(こころ)に問(と)うて道(い)う、

「是(こ)れ都(みな)是(こ)れ我(われ)が仏(ほとけ)如来(にょらい)の那(か)の極楽(ごくらく)の境(さかい)に坐(ざ)して、事(こと)を幹(おこな)うを得(え)ず、那(か)の三蔵(さんぞう)の経(きょう)を弄(ろう)したるなり!若(も)し果(はた)して心(こころ)有(あ)りて善(ぜん)を勧(すす)めんとせば、理(り)当(まさ)に東土(とうど)に送(おく)り上(のぼ)すべし、却(かえ)って是(こ)れ箇(ひとつ)の万古(ばんこ)に流伝(るでん=伝わる)ならずや。只(た)だ是(こ)れ送(おく)り去(ゆ)くを捨(す)て得(え)ず、却(かえ)って我(われ)等(ら)をして来(きた)りて取(と)らしむ。怎(いか)で知(し)らん、苦(くるし)みて千山(せんざん)を歴(へ)て、今朝(けさ)此(ここ)に到(いた)りて命(いのち)を喪(うしな)わんとは!罷(や)めよ!罷(や)めよ!罷(や)めよ!老孫(ろうそん)且(しばら)く箇(ひとつ)の筋斗雲(きんとうん)を駕(が)し、去(ゆ)きて如来(にょらい)に見(まみ)え、前事(ぜんじ=これまでの事)を備(つぶさ)に言(い)わん。若(も)し肯(あ)えて経(きょう)を把(と)って我(われ)に与(あた)えて東土(とうど)に送(おく)り上(のぼ)せば、一(ひとつ)には善果(ぜんか)を伝揚(でんよう)し、二(ふたつ)には我(われ)等(ら)が心願(しんがん)を了(おわ)らん;若(も)し我(われ)に与(あた)えずんば、他(かれ)をして松箍児咒(しょうこじゅ=箍を緩める呪)を念(ねん)じ念(ねん)じ、此(こ)の箍子(こし=輪)を退(ぬ)ぎ下(おろ)し、交(かわ)して他(かれ)に還(かえ)さしめ、老孫(ろうそん)還(かえ)りて本洞(ほんどう=元の洞窟)に帰(き)し、王(おう)と称(とな)え寡(か=孤)を道(い)い、耍子児(あそび)に去(ゆ)かんとす」と。

好(よ)きかな大聖(たいせい)、急(いそ)ぎ身(み)を翻(ひるがえ)して筋斗雲(きんとうん)を駕(が)し起(おこ)し、径(ただ)ちに天竺(てんじく)に投(とう)ず。那(あ)の処(ところ)に一箇(ひとつ)の時辰(じしん=二時間)を消(よう)して、早(はや)くも霊山(りょうざん)の遠(とお)からざるを望見(ぼうけん)す。須臾(しばらく)の間(あいだ)に、雲頭(うんとう)を按(おさ)えて落(おと)し、直(ただ)ちに鷲峰(じゅほう)の下(した)に至(いた)り、忽(たちま)ち頭(こうべ)を挙(あ)げて、四大金剛(しだいこんごう)の擋(さえぎ)りて道(い)うを見(み)る、「那(いず)れへ走(に)ぐるか」と。行者(ぎょうじゃ)礼(れい)を施(ほどこ)して道(い)う、「事(こと)有(あ)りて如来(にょらい)に見(まみ)えんと要(ほっ)す」と。

当頭(とうとう=真っ先)に又(また)昆侖山(こんろんざん)金霞嶺(きんかれい)不壊尊王(ふえそんのう)永住金剛(えいじゅうこんごう)有(あ)りて喝(かつ)して道(い)う、「此(こ)の潑猴(はっこう=猿め)は甚(はなは)だ是(こ)れ粗狂(そきょう=粗野)なり!前者(さきごろ)大(おお)いに牛魔(ぎゅうま)を困(くるし)めしに、我(われ)等(ら)汝(なんじ)が為(ため)に力(ちから)を努(つと)めたり。今日(こんにち)面(めん)を見(み)えて、全(まった)く礼(れい)を為(な)さず!事(こと)有(あ)らば且(しばら)く先(ま)ず奏(そう)するを待(ま)ち、召(めし)を奉(ほう)じて方(はじ)めて行(ゆ)くべし。此(こ)の処(ところ)は南天門(なんてんもん)と比(くら)ぶるに同(おな)じからず、汝(なんじ)をして入(い)り出(い)でしめ、両辺(りょうべん)を乱(みだ)りに走(はし)らしめんや!咄(こら)!還(ま)た靠(よ)き開(ひら)かずや!」と。

那(か)の大聖(たいせい)正(まさ)に是(こ)れ煩悩(ぼんのう=悩み)の処(ところ)に、又(また)此(こ)の嘲(あざけ)りに遭(あ)い、気(いき)哮吼(こうく=うなり)すること雷(かみなり)の如(ごと)く、忍(しの)ぶこと能(あた)わず大(おお)きに呼(よ)び小(ちい)さく叫(さけ)べば、早(はや)くも如来(にょらい)を驚(おどろ)かし動(うご)かす。如来仏祖(にょらいぶっそ)正(まさ)に九品(きゅうほん)の宝蓮台(ほうれんだい)の上(うえ)に端坐(たんざ=きちんと座)し、十八尊(じゅうはっそん)の輪世(りんせ=世に現れる)の阿羅漢(あらかん)と与(とも)に経(きょう)を講(こう)じたりしが、即(すなわ)ち口(くち)を開(ひら)いて道(い)う、「孫悟空(そんごくう)来(きた)れり、汝(なんじ)等(ら)出(い)で去(ゆ)きて接待(せったい)せよ」と。大衆阿羅(だいしゅうあら)仏旨(ぶっし)を遵(したが)い、両路(りょうろ)に幢幡(どうばん=旗)宝蓋(ほうがい=天蓋)を立(た)て、即(すなわ)ち山門(さんもん)を出(い)でて声(こえ)に応(こた)えて道(い)う、「孫大聖(そんたいせい)、如来(にょらい)旨(むね)有(あ)りて相喚(よ)ぶなり」と。那(か)の山門(さんもん)の口(ぐち)の四大金剛(しだいこんごう)却(しか)し才(はじ)めて路(みち)を閃(ひら)き開(ひら)き、行者(ぎょうじゃ)をして前(すす)ましむ。衆阿羅(しゅうあら)宝蓮台(ほうれんだい)の下(した)に引(ひ)き至(いた)れば、如来(にょらい)を見(み)て身(み)を倒(たお)して下(した)に拝(はい)し、両(ふた)つの涙(なみだ)悲(かなし)み啼(な)く。如来(にょらい)道(い)う、「悟空(ごくう)、何(なん)の事(こと)有(あ)りて此(か)くの等(ごと)く悲啼(ひてい=悲しみ泣く)する」と。

行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「弟子(でし)屡(しばしば)教訓(きょうくん)の恩(おん)を蒙(こうむ)り、仏爺爺(ほとけじいじい)の門下(もんか)に托庇(たくひ=寄りかかり)し、自(みずか)ら正果(しょうか)に帰(き)してより、唐僧(とうそう)を保護(ほご)し、拝(はい)して師範(しはん=師)と為(な)し、一路(ひとみち)の苦(くるしみ)言(い)う可(べ)からず!今(いま)獅駝山(しださん)獅駝洞(しだどう)獅駝城(しだじょう)に至(いた)り、三箇(みっつ)の毒魔(どくま)有(あ)り、乃(すなわ)ち獅王(しおう)、象王(ぞうおう)、大鵬(たいほう)にして、我(われ)が師父(しふ)を捉(とら)え将(も)ち去(さ)り、弟子(でし)を連(つら)ねて一概(いちがい)に遭迍(そうちゅん=災いに遭い)、都(みな)蒸籠(せいろ)の裡(うち)に縛(しば)られ、湯火(とうか=湯と火)の災(わざわい)を受(う)けたり。幸(さいわ)いに弟子(でし)脱(のが)れ逃(に)げ、龍王(りゅうおう)を喚(よ)んで救(すく)い免(まぬが)れしむ。是(こ)の夜(よる)師(し)等(ら)を偷(ぬす)み出(いだ)せしも、料(はか)らずや災星(さいせい)脱(のが)れ難(がた)く、復(ま)た又(また)擒(とら)え回(かえ)さる。天明(てんめい)に及(いた)りて、城(しろ)に入(い)りて打聴(うちあて=消息を探)ぐるに、叵耐(いかんせん)那(か)の魔(ま)十分(じゅうぶん)に狠毒(こんどく=凶悪)にして、万様(ばんよう)に驍勇(ぎょうゆう=勇猛)なり、師父(しふ)を把(と)って連夜(れんや)夹生(きょうせい)に喫(くら)い、如今(いま)骨肉(こつにく)存(そん)する無し。又(また)況(いわ)んや師弟(してい)悟能(ごのう)悟浄(ごじょう)の那(あ)の廂(かた)に绑(しば)られ、久(ひさ)しからずして、性命(いのち)も亦(また)皆(みな)傾(くつがえ)らんとす。弟子(でし)没及奈何(よんどころ)なく、特(こと)に此(ここ)に到(いた)りて参拝(さんぱい)す。大慈悲(だいじひ)を望(のぞ)み、松箍咒児(しょうこじゅ)を将(も)って念(ねん)じ念(ねん)じ、我(われ)が此(こ)の頭(こうべ)の上(うえ)の箍児(こじ)を退(ぬ)ぎ下(おろ)し、如来(にょらい)に交(かわ)し還(かえ)し、我(われ)が弟子(でし)をして花果山(かかざん)に回(かえ)りて寛閑(かんかん=のんびり)と耍子(あそ)びに去(ゆ)かしめよ!」と。

説(い)い了(おわ)らざるに、涙(なみだ)泉(いずみ)の涌(わ)くが如(ごと)く、悲声(ひせい)絶(た)えず。如来(にょらい)笑(わら)って道(い)う、

「悟空(ごくう)少(すこ)しく煩悩(ぼんのう)を得(え)よ。那(か)の妖精(ようせい)は神通(じんつう)広大(こうだい)にして、汝(なんじ)他(かれ)に勝(か)つことを得(え)ず、所以(ゆえ)に此(か)くの等(ごと)く心痛(しんつう)するなり」と。

行者(ぎょうじゃ)下(した)に跪(ひざまず)き、胸膛(むなもと=胸)を捶(う)って道(い)う、「如来(にょらい)に瞞(かく)して説(い)わず、弟子(でし)当年(とうねん)天宮(てんぐう)を闹(さわ)がし、大聖(たいせい)と称(とな)え、自(みずか)ら人(ひと)と為(な)りてより以来(このかた)、曾(かつ)て虧(そこない=損)を喫(きっ)せざりしに、今番(こんばん)却(かえ)って此(こ)の毒魔(どくま)の手(て)に遭(あ)う!」と。如来(にょらい)言(げん)を聞(き)きて道(い)う、「汝(なんじ)且(しばら)く恨(うら)むことを休(や)めよ、那(か)の妖精(ようせい)は我(われ)他(かれ)を認(みと)む」と。行者(ぎょうじゃ)猛然(みょうぜん=はっと)として声(こえ)を失(うしな)いて道(い)う、

「如来(にょらい)!我(われ)人(ひと)の講(こう)じ説(と)くを聞(き)き得(え)たり、那(か)の妖精(ようせい)は汝(なんじ)と与(とも)に親(したしみ)有(あ)りと」と。如来(にょらい)道(い)う、「此(こ)の箇(ひとつ)の刁猢猻(ちょうこそん=悪賢き猿)!怎(いか)なる箇(ひとつ)の妖精(ようせい)か我(われ)と与(とも)に親(したしみ)有(あ)らん」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って道(い)う、「汝(なんじ)と与(とも)に親(したしみ)有(あ)らずんば、如何(いか)にして認(みと)め得(う)る」と。如来(にょらい)道(い)う、「我(われ)慧眼(けいがん)を以(もっ)て之(これ)を観(み)る、故此(ゆえ)に認(みと)め得(う)るなり。那(か)の老怪(ろうかい)と二怪(にかい)には主(あるじ)有(あ)り」と。阿儺(あだ)迦葉(かしょう)を叫(よ)んで来(きた)らせて曰(いわ)く、「汝(なんじ)両箇(ふたり)頭(こうべ)を分(わか)ちて雲(くも)に駕(が)し、去(ゆ)きて五台山(ごだいさん)、峨眉山(がびさん)に文殊(もんじゅ)、普賢(ふげん)を宣(せん)して来(きた)りて見(まみ)えしめよ」と。二尊者(にそんじゃ)即(すなわ)ち旨(むね)を奉(ほう)じて去(さ)る。

如来(にょらい)道(い)う、「是(こ)れ老魔(ろうま)、二怪(にかい)の主(あるじ)なり。但(ただ)那(か)の三怪(さんかい)は、説(と)き将(も)ち起(おこ)せば、也(また)是(こ)れ我(われ)と与(とも)に些(いささか)の親(したしみ)の処(ところ)有(あ)り」と。行者(ぎょうじゃ)道(い)う、「親(したしみ)は是(こ)れ父党(ふとう=父方)か、母党(ぼとう=母方)か」と。如来(にょらい)道(い)う、

「自(おのずか)ら那(か)の混沌(こんとん)の分(わか)るる時(とき)、天(てん)は子(し)に開(ひら)き、地(ち)は丑(ちゅう)に闢(ひら)き、人(ひと)は寅(いん)に生(しょう)ず。天地(てんち)再(ふたた)び交合(こうごう)して、万物(ばんぶつ)尽(ことごと)く皆(みな)生(しょう)ず。万物(ばんぶつ)に走獣(そうじゅう)飛禽(ひきん)有(あ)り、走獣(そうじゅう)は麒麟(きりん)を以(もっ)て之(これ)が長(おさ)と為(な)し、飛禽(ひきん)は鳳凰(ほうおう)を以(もっ)て之(これ)が長(おさ)と為(な)す。那(か)の鳳凰(ほうおう)又(また)交合(こうごう)の気(き)を得(え)て、孔雀(くじゃく)、大鵬(たいほう)を育(はぐく)み生(しょう)ず。孔雀(くじゃく)の世(よ)に出(い)づるの時(とき)最(もっと)も悪(あく)にして、能(よ)く人(ひと)を喫(くら)い、四十五里(しじゅうごり)の路(みち)を人(ひと)を一口(ひとくち)に之(これ)を吸(す)う。我(われ)雪山頂(せっさんちょう)の上(うえ)に在(あ)りて、丈六金身(じょうろくこんしん)を修(おさ)め成(な)ししに、早(はや)くも也(また)他(かれ)に我(われ)を吸(す)い下(くだ)して肚(はら)に入(い)られたり。我(われ)彼(かれ)が便門(べんもん=尻の穴)より出(い)でんと欲(ほっ)せしも、真身(しんしん)を汚(けが)さんことを恐(おそ)る。是(こ)れ我(われ)彼(かれ)が脊背(せきはい=背中)を剖(さ)き開(ひら)き、霊山(りょうざん)に跨(また)がり上(のぼ)る。彼(かれ)が命(いのち)を傷(そこな)わんと欲(ほっ)せしに、当(まさ)に諸仏(しょぶつ)に勧(すす)め解(と)かれ、孔雀(くじゃく)を傷(そこな)うは我(われ)が母(はは)を傷(そこな)うが如(ごと)しと、故此(ゆえ)に彼(かれ)を霊山會(りょうざんえ)の上(うえ)に留(とど)め、彼(かれ)を封(ほう)じて仏母孔雀大明王菩薩(ぶつもくじゃくだいみょうおうぼさつ)と做(な)せり。大鵬(たいほう)は彼(かれ)と与(とも)に是(こ)れ一母(いちぼ)の生(う)むところ、故此(ゆえ)に些(いささか)の親(したしみ)の処(ところ)有(あ)るなり」と。

行者(ぎょうじゃ)言(げん)を聞(き)きて笑(わら)って道(い)う、「如来(にょらい)、若(も)し此(か)くの般(ごと)く比(ひ)し論(ろん)ぜば、汝(なんじ)還(ま)た是(こ)れ妖精(ようせい)の外甥(がいせい=甥)なり」と。如来(にょらい)道(い)う、「那(か)の怪(かい)須(すべから)く是(こ)れ我(われ)の去(ゆ)きてこそ、方(はじ)めて収(おさ)むることを得(う)べし」と。行者(ぎょうじゃ)頭(こうべ)を叩(たた)き、如来(にょらい)に啓(もう)し上(のぼ)せて曰(いわ)く、「千万(せんばん)玉趾(ぎょくし=貴人の足)の一下降(いっこう)を望(のぞ)む!」と。

如来(にょらい)即(すなわ)ち蓮台(れんだい)を下(お)り、諸仏衆(しょぶっしゅう)と同(とも)に、径(ただ)ちに山門(さんもん)を出(い)づるに、又(また)阿儺(あだ)、迦葉(かしょう)の文殊(もんじゅ)、普賢(ふげん)を引(ひ)きて来(きた)りて見(まみ)ゆるを見(み)る。二菩薩(にぼさつ)仏(ほとけ)に対(たい)して礼拝(らいはい)すれば、如来(にょらい)道(い)う、「菩薩(ぼさつ)が獣(けもの)、山(やま)を下(お)りて多少(いくばく)の時(とき)と為(な)れる」と。文殊(もんじゅ)道(い)う、「七日(なのか)なり」と。如来(にょらい)道(い)う、「山中方(やまなかわずか)に七日(なのか)、世上(よのなか)幾千年(いくせんねん)。那(いず)れの廂(かた)に在(あ)りて多少(いくばく)の生靈(せいれい)を傷(そこな)えるを知(し)らず、快(はや)く我(われ)に随(したが)い去(ゆ)きて他(かれ)を収(おさ)めん」と。

二菩薩(にぼさつ)左右(さゆう)に相随(あいしたが)い、衆(しゅう)と与(とも)に空(くも)を飛(と)ぶ。只(た)だ見(み)る、那(か)の:

満天(まんてん)縹緲(ひょうびょう=かすか)として瑞雲(ずいうん)分(わか)れ、
我(わ)が仏(ほとけ)慈悲(じひ)を法門(ほうもん)に降(くだ)す。
開天(かいてん)生物(せいぶつ)の理(り)を明示(めいじ)し、
辟地(へきち)化身(けしん)の文(ぶん)を細言(さいげん)す。
面前(めんぜん)五百(ごひゃく)の阿羅漢(あらかん)、
脳後(のうご)三千(さんぜん)の揭諦神(かいたいしん)。
迦葉(かしょう)阿儺(あだ)左右(さゆう)に随(したが)い、
普文菩薩(ふもんぼさつ)妖氛(ようふん=妖気)を殄(ほろぼ)す。

大聖(たいせい)此(こ)の人情(にんじょう=顔)有(あ)りて、仏祖(ぶっそ)と衆(しゅう)を請(しょう)じて前(まえ)に来(きた)らしめ、多(おお)からざる時(とき)に、早(はや)くも城池(じょうち)を望見(ぼうけん)す。行者(ぎょうじゃ)報(しら)せて道(い)う、「如来(にょらい)、那(か)の黒気(こくき)を放(はな)てるは乃(すなわ)ち是(こ)れ獅駝国(しだこく)なり」と。如来(にょらい)道(い)う、「汝(なんじ)先(ま)ず下(お)り去(ゆ)き、那(か)の城(しろ)の中(なか)に到(いた)りて妖精(ようせい)と戦(たたか)い交(まじ)え、敗(やぶ)るるを許(ゆる)して勝(か)つを許(ゆる)さず。敗(やぶ)れて上(のぼ)り来(きた)らば、我(われ)自(みずか)ら他(かれ)を収(おさ)めん」と。

大聖(たいせい)即(すなわ)ち雲頭(うんとう)を按(おさ)え、径(ただ)ちに城(しろ)の上(うえ)に至(いた)り、脚(あし)垛児(だじ=城壁の凸部)を踏(ふ)みて罵(ののし)って道(い)う、「潑孽畜(はつごうしき=けだものめ)!快(はや)く出(い)で来(きた)りて老孫(ろうそん)と戦(たたか)いを交(まじ)えよ!」と。慌(あわ)てて那(か)の城楼(じょうろう=城の楼)の小妖(しょうよう)急(いそ)ぎ城中(じょうちゅう)に跳(と)び下(お)りて報(しら)せて曰(いわ)く、「大王(だいおう)、孫行者(そんぎょうじゃ)城(しろ)の上(うえ)に在(あ)りて戦(たたかい)を叫(よ)ぶなり」と。老妖(ろうよう)道(い)う、「此(こ)の猴児(こうじ)両三日(りょうさんにち)来(きた)らざりしに、今朝(けさ)却(かえ)って又(また)戦(たたかい)を叫(よ)ぶは、莫(も)し是(こ)れ些(いささか)の救兵(きゅうへい)を請(しょう)じ来(きた)れるか」と。三怪(さんかい)道(い)う、「他(かれ)を怕(おそ)るるに怎(なん)の!我(われ)等(ら)都(みな)去(ゆ)きて看(み)ん」と。

三箇(みっつ)の魔頭(まとう)各(おのおの)兵器(へいき)を執(と)りて城(しろ)に赶(お)い上(のぼ)り来(きた)り、行者(ぎょうじゃ)を見(み)て更(さら)に話(ことば)を打(い)わず、兵器(へいき)を挙(あ)げて一斉(いっせい)に乱(みだ)りに刺(さ)す。行者(ぎょうじゃ)鉄棒(てつぼう)を輪(めぐ)らして手(て)を掣(ひ)いて相迎(むか)う。闘(たたか)うこと七八回合(しちはちえごう)を経(ふ)るに、行者(ぎょうじゃ)佯(いつわ)りて輸(ま)けて走(に)ぐ。那(か)の妖王(ようおう)喊声(かんせい)大(おお)いに振(ふる)い、叫(よ)んで道(い)う、「那(いず)れへ走(に)ぐるか!」と。大聖(たいせい)筋斗(きんと)一縦(ひととび)に、半空(はんくう)に跳(と)び上(あ)がれば、三箇(みっつ)の精(せい)即(すなわ)ち雲(くも)に駕(が)して来(きた)りて赶(お)う。行者(ぎょうじゃ)身(み)を将(も)って一閃(ひとひら)りし、仏爺爺(ほとけじいじい)の金光(きんこう)の影(かげ)の裡(うち)に蔵(かく)れば、全(まった)く見(み)えず。只(た)だ那(か)の過去(かこ)、未来(みらい)、見在(げんざい)の三尊(さんぞん)の仏像(ぶつぞう)と五百(ごひゃく)の阿羅漢(あらかん)、三千(さんぜん)の揭諦神(かいたいしん)の、左右(さゆう)に布(し)き散(ちら)りて、那(か)の三箇(みっつ)の妖王(ようおう)を把(と)って囲(かこ)み住(とど)め、水(みず)も泄(も)らさざるを見(み)る。老魔(ろうま)手脚(しゅきゃく)を慌(あわ)てて、叫(よ)んで道(い)う、「兄弟(きょうだい)、不好(わる)い了(な)ったり!那(か)の猴子(さる)真(まこと)に是(こ)れ箇(ひとつ)の地裡鬼(ちりき=土地の化物)なり!那(いず)れか箇(ひとつ)の主人公(あるじ)を請(しょう)じ得(え)て来(きた)れるや!」と。

三魔(さんま)道(い)う、「大哥(たいか)悚懼(おそれ)るることを得(え)るなかれ、我(われ)等(ら)一斉(いっせい)に上(すす)み前(まえ)に、槍刀(そうとう=槍と刀)を使(つか)いて如来(にょらい)を搠(つ)き倒(たお)し、彼(かれ)が那(か)の雷音宝刹(らいおんほうさつ)を奪(うば)わん!」と。此(こ)の魔頭(まとう)起倒(きとう=分別)を識(し)らず、真(まこと)に刀(かたな)を挙(あ)げて上(すす)み前(まえ)に乱(みだ)りに砍(き)る。却(しか)し文殊(もんじゅ)、普賢(ふげん)に、真言(しんごん)を念(ねん)じ動(うご)かされて喝(かつ)して道(い)う、「此(こ)の孽畜(ごうしき=けだもの)還(ま)た皈正(きせい=仏道に帰る)せずして、更(さら)に怎(いか)なるを待(ま)たんとす!」と。唬(おど)ろかされて老怪(ろうかい)、二怪(にかい)は、撐持(ささ)えるを敢(あ)えず、兵器(へいき)を抛(な)げ、箇(ひとつ)の滚(ころが)りを打(う)ち、本相(ほんぞう)を現(あらわ)す。二菩薩(にぼさつ)蓮華台(れんげだい)を将(も)って那(か)の怪(かい)の脊背(せきはい)の上(うえ)に抛(な)げ、身(み)を飛(と)ばして跨(また)がり坐(ざ)すれば、二怪(にかい)遂(つい)に耳(みみ)を泯(た)れて皈依(きえ)す。

二菩薩(にぼさつ)既(すで)に青獅(せいし)、白象(はくぞう)を収(おさ)めたるも、只(た)だ那(か)の第三(だいさん)の妖魔(ようま)の伏(ふく)せざる有(あ)り。翅(つばさ)を騰(あ)げ開(ひら)き、方天戟(ほうてんげき)を抛(な)げ、扶搖(ふよう=旋風)に直上(ちょくじょう)し、利爪(りそう=鋭い爪)を輪(めぐ)らして猴王(こうおう)を刁捉(つまみとら)えんとす。原来(げんらい)大聖(たいせい)は光(ひかり)の中(なか)に蔵(かく)るれば、他(かれ)怎(いか)で敢(あ)えて近(ちか)づかんや。如来(にょらい)此(こ)の意(こころ)を情(さと)り知(し)り、即(すなわ)ち金光(きんこう)を閃(ひらめ)かし、那(か)の鵲巣貫頂(じゃくそうかんちょう=鵲の巣の如き頂)の頭(こうべ)を把(と)って、風(かぜ)に迎(むか)って一幌(ひとゆ)りし、鮮紅(せんこう=真っ赤)なる一塊(ひとかたまり)の血肉(けつにく)に変(へん)ず。妖精(ようせい)利爪(りそう)を輪(めぐ)らして他(かれ)を一下(ひとつ)刁(つま)むに、仏爺(ほとけじい)に手(て)を把(と)って上(うえ)へ一指(ひとゆび)さるれば、那(か)の妖(よう)の翅膊(つばさ)の上(うえ)筋(すじ)を鞦(しめ)らる。飛(と)び去(ゆ)くことを得(え)ず、只(た)だ仏頂(ぶっちょう)の上(うえ)に在(あ)りて、遠(とお)く遁(のが)るること能(あた)わず、本相(ほんぞう)を現(あらわ)せば、乃(すなわ)ち是(こ)れ一箇(ひとつ)の大鵬金翅鵰(たいほうきんしちょう)なり。即(すなわ)ち口(くち)を開(ひら)いて仏(ほとけ)に対(たい)し声(こえ)に応(こた)えて叫(よ)んで道(い)う、「如来(にょらい)、汝(なんじ)怎(いか)にして大法力(だいほうりき)を使(つか)いて我(われ)を困(くるし)むるや」と。如来(にょらい)道(い)う、「汝(なんじ)此(こ)の処(ところ)に在(あ)りて多く孽障(しょうしょう=悪業)を生(しょう)ず。我(われ)に跟(したが)き去(ゆ)かば、進益(しんえき=進歩)の功(こう)有(あ)らん」と。妖精(ようせい)道(い)う、「汝(なんじ)が那(あ)の処(ところ)は齋(とき=精進)を持(たも)ち素(そ=菜食)を把(と)り、極(きわ)めて貧(まず)しく極(きわ)めて苦(くる)し。我(われ)が此(こ)の処(ところ)は人(ひと)の肉(にく)を喫(くら)いて、受用(じゅよう)窮(きわ)まり無(な)し。若(も)し我(われ)を餓(う)え壊(こわ)さば、汝(なんじ)罪愆(ざいけん=罪)有(あ)らん」と。如来(にょらい)道(い)う、「我(われ)四大部洲(しだいぶしゅう)を管(つかさど)り、無数(むすう)の衆生(しゅじょう)瞻仰(せんごう=仰ぎ見る)す。凡(およ)そ好事(こうじ)を做(な)すに、我(われ)他(かれ)をして先(ま)ず汝(なんじ)が口(くち)に祭(まつ)らしめん」と。

那(か)の大鵬(たいほう)脱(のが)れんと欲(ほっ)するも脱(のが)るること能(あた)わず、走(に)げんと要(ほっ)するも怎(いか)で走(に)げん。是(ここ)を以(もっ)て没奈何(よんどころ)なく、只(た)だ皈依(きえ)するを得(う)。行者(ぎょうじゃ)方(はじ)めて転(てん)じ出(い)で、如来(にょらい)に向(むか)って頭(こうべ)を叩(たた)いて道(い)う、「仏爺(ほとけじい)、汝(なんじ)今(いま)妖精(ようせい)を収(おさ)め、大害(たいがい)を除(のぞ)きたるも、只(た)だ我(われ)が師父(しふ)を無(な)くしたり」と。大鵬(たいほう)歯(は)を咬(か)みて恨(うら)んで道(い)う、「潑猴頭(はっこうとう=猿め)!此(か)くの等(ごと)き狠人(こんじん=手厳しき人)を尋(たず)ね来(きた)りて我(われ)を困(くるし)む!汝(なんじ)が那(か)の老和尚(ろうおしょう)は幾(いつ)か曾(かつ)て他(かれ)を喫(くら)えるや。如今(いま)那(か)の錦香亭(きんこうてい)の鐵櫃(てっき)の裡(うち)に在(あ)るに非(あら)ずや」と。行者(ぎょうじゃ)言(げん)を聞(き)きて、忙(いそ)ぎ頭(こうべ)を叩(たた)きて仏祖(ぶっそ)に謝(しゃ)す。仏祖(ぶっそ)大鵬(たいほう)を松(ゆる)め放(はな)つを敢(あ)えず、也(また)只(た)だ他(かれ)をして光焰(こうえん)の上(うえ)に在(あ)りて箇(ひとつ)の護法(ごほう=仏法を守る者)と做(な)らしめ、衆(しゅう)を引(ひ)きて雲(くも)に回(かえ)り、径(ただ)ちに寶刹(ほうさつ=寺)に帰(き)す。

行者(ぎょうじゃ)却(しか)し雲頭(うんとう)を按(おさ)えて落(おと)し、直(ただ)ちに城(しろ)の裡(うち)に入(い)る。那(か)の城(しろ)の裡(うち)には一箇(ひとり)の小妖児(しょうようじ)も也(また)無(な)かりき。正(まさ)に是(こ)れ「蛇(へび)頭(かしら)無(な)くして行(ゆ)かず、鳥(とり)翅(つばさ)無(な)くして飛(と)ばず」なり。他(かれ)ら仏祖(ぶっそ)の妖王(ようおう)を収(おさ)めたるを見(み)て、各(おのおの)生(いき)を逃(のが)れて去(さ)れるなり。行者(ぎょうじゃ)才(はじ)めて八戒(はっかい)、沙僧(さそう)を解(と)き救(すく)い、行李(こうり)馬匹(ばひつ)を尋(たず)ね当(あ)て、他(かれ)二箇(ふたり)に与(とも)に説(い)う、「師父(しふ)は曾(かつ)て喫(くら)われず、都(みな)我(われ)に跟(したが)き来(きた)れ」と。他(かれ)両箇(ふたり)を引(ひ)いて径(ただ)ちに内院(ないいん=奥庭)に入(い)り、錦香亭(きんこうてい)を找(さが)し当(あ)て、門(もん)を打(う)ち開(ひら)いて看(み)れば、裡(うち)に一箇(ひとつ)の鐵櫃(てっき)有(あ)り、只(た)だ三蔵(さんぞう)の啼哭(ていこく=泣く)の声(こえ)有(あ)るを聞(き)く。沙僧(さそう)降妖杖(ごうようじょう)を使(つか)いて鐵鎖(てっさ)を打(う)ち開(ひら)き、櫃(ひつ)の蓋(ふた)を掲(あ)け開(ひら)き、一声(ひとこえ)「師父(しふ)!」と叫(よ)ぶ。三蔵(さんぞう)見(み)て、声(こえ)を放(はな)ちて大哭(たいこく)して道(い)う、「徒弟(とてい)よ!怎(いか)にして妖魔(ようま)を降(くだ)し得(え)しや?如何(いか)にして此(ここ)に到(いた)りて我(われ)を尋(たず)ね当(あ)てたるや」と。行者(ぎょうじゃ)上項(じょうこう=以上)の事(こと)を把(と)って、頭(かしら)より尾(お)に至(いた)るまで、細(こま)かに一遍(ひとわたり)陳(の)ぶ。三蔵(さんぞう)感謝(かんしゃ)尽(つ)くること無(な)し。師徒(しと)たち那(か)の宮殿(きゅうでん)の裡(うち)に在(あ)りて些(いささか)の米糧(べいりょう=食糧)を尋(たず)ね、些(いささか)の茶飯(さはん)を安排(あんばい)し、飽(あ)きて一餐(ひとくい)を喫(くら)い、收拾(しゅうしゅう)して城(しろ)を出(い)で、大路(たいろ)を找(さが)して西(にし)に投(とう)じて去(ゆ)く。正(まさ)に是(こ)れ:

真経(しんきょう)は必(かなら)ず真人(しんじん)の取(と)るところ、
意嚷(いじょう=心騒ぎ)心労(しんろう=心労す)は総(すべ)て是(こ)れ虚(きょ=むな)し。

畢竟(ひっきょう)此(こ)の一(ひと)たび去(ゆ)くに、幾時(いつ)か如来(にょらい)に面(まみ)ゆることを得(う)るを知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい=語り)を聴(き)け。