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078 第七十八回 比丘(びく)子(こ)を憐(あわ)れみて陰神(いんしん)を遣(つか)わし 金殿(きんでん)魔(ま)を識(し)りて道徳(どうとく)を談(だん)ず

一念(いちねん)才(はじ)めて動(うご)けば百魔(ひゃくま)を生(しょう)じ、修持(しゅじ)は最(もっと)も苦(くる)しく他(かれ)を奈何(いかん)ともすべき!但(た)だ洗滌(せんでき=洗い清むる)の塵垢(じんこう)無(な)きを憑(たの)み、也(ま)た収拴(しゅうせん=束ね収むる)の琢磨(たくま=磨き)有(あ)るを用(もち)う。万縁(ばんえん)を掃退(そうたい)して寂滅(じゃくめつ)に帰(き)し、千怪(せんかい)を蕩除(とうじょ=払いのけ)して蹉跎(さだ=くずおるる)こと莫(な)かれ。管(かなら)ず樊籠(はんろう=鳥籠)の套(わな)を跳(と)び出(い)でしめ、行(ぎょう)満(み)ちて飛昇(ひしょう)して大羅(だいら)に上(のぼ)らん。

話(はな)し説(つ)ぐ、孫大聖(そんたいせい)心機(しんき)を尽(つ)くし用(もち)い、如来(にょらい)を請(しょう)じて衆怪(しゅうかい)を収(おさ)め、三蔵(さんぞう)師徒(しと)の難(なん)を解脱(げだつ)せしめ、獅駝城(しだじょう)を離(はな)れて西(にし)へ行(ゆ)く。又(また)数月(すうげつ)を経(へ)て、早(は)や冬(ふゆ)に値(あ)う、但(た)だ見(み)る那(か)の嶺梅(れいばい=峰の梅)は将(まさ)に玉(ぎょく)を破(やぶ)らんとし、池水(ちすい)は漸(ようや)く冰(こおり)と成(な)る。紅葉(こうよう)は俱(とも)に飄落(ひょうらく)し、青松(せいしょう)は色(いろ)更(あらた)なり。淡雲(たんうん)飛(と)んで雪(ゆき)ならんと欲(ほっ)し、枯草(こそう)は山(やま)に伏(ふ)して平(たい)らかなり。満目(まんもく)の寒光(かんこう)迥(はる)かに、陰陰(いんいん)として骨(ほね)を誘(さそ)いて泠(すず)し。師徒(しと)たち寒(かん)を衝(つ)き冷(つめ)たきを冒(おか)し、雨(あめ)に宿(やど)り風(かぜ)を餐(くら)い、正(まさ)に行(ゆ)く間(あいだ)、又(また)一座(ひとつ)の城池(じょうち)を見(み)る。三蔵(さんぞう)問(と)うて曰(いわ)く:

「悟空(ごくう)よ、那(あ)の廂(ほとり)は又(また)是(こ)れ甚(なん)の所在(ところ)なる」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「跟前(まえ)に到(いた)れば自(おのずか)ら知(し)る、若(も)し是(こ)れ西邸(せいてい)の王位(おうい)なれば、須(すべから)く関文(かんぶん)を倒換(とうかん=付け替う)すべし;若(も)し府州県(ふしゅうけん)なれば、径(ただ)ちに過(す)ぎん」と。師徒(しと)言語(げんご)未(いま)だ畢(おわ)らざるに、早(は)や城門(じょうもん)の外(そと)に至(いた)る。三蔵(さんぞう)馬(うま)より下(お)り、一行(いっこう)四衆(ししゅ)月城(げつじょう=甕城)に進(すす)み入(い)り、一箇(ひとり)の老軍(ろうぐん=老兵)の、向陽(こうよう=日当たり)の墻(かき)の下(した)に在(あ)り、風(かぜ)に偎(よ)りて睡(ねむ)るを見(み)る。行者(ぎょうじゃ)近(ちか)づき前(まえ)に彼(かれ)を一(ひと)揺(ゆさぶ)りし、一声(ひとこえ)叫(よ)んで曰(いわ)く、「長官(ちょうかん)!」と。那(か)の老軍(ろうぐん)猛然(もうぜん)に驚覚(きょうかく=はっと覚め)、麻麻糊糊(ままここ=ぼんやり)として眼(め)を睜(ひら)き、行者(ぎょうじゃ)を見(み)るや、連忙(すぐさま)跪(ひざまず)き下(くだ)りて頭(こうべ)を磕(ぬか)ずき、叫(よ)んで曰(いわ)く、「爺爺(じいじい)!」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「汝(なんじ)胡(みだ)りに驚(おどろ)き怪(あやし)を作(な)すこと莫(な)かれ、我(われ)又(また)是(こ)れ甚(なん)の悪神(あくしん)にもあらず、汝(なんじ)爺爺(じいじい)と叫(よ)ぶは怎(なん)とせる」と。老軍(ろうぐん)頭(こうべ)を磕(ぬか)ずきて曰(いわ)く、「汝(なんじ)は是(こ)れ雷公(らいこう)爺爺(じいじい)なり!」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「胡説(こせつ=でたらめ)す!吾(われ)は乃(すなわ)ち東土(とうど)より西天(さいてん)に去(ゆ)きて経(きょう)を取(と)るの僧人(そうにん)なり。適才(さっき)此(ここ)に到(いた)り、地名(ちめい)を知(し)らざれば、汝(なんじ)に一声(ひとこえ)問(と)えるのみ」と。那(か)の老軍(ろうぐん)言(げん)を聞(き)きて、却(かえ)って才(ようや)く心(こころ)を正(ただ)し、一箇(ひとつ)の呵欠(あくび)を打(う)ち、爬(はい)き起(お)きて、腰(こし)を伸(の)ばし伸(の)ばし曰(いわ)く、「長老(ちょうろう)、長老(ちょうろう)、小人(しょうにん)の罪(つみ)を恕(ゆる)せ。此(こ)の処(ところ)の地方(ちほう)、原(もと)比丘国(びくこく)と喚(よ)び、今(いま)改(あらた)めて小子城(しょうしじょう)と作(な)す」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「国中(こくちゅう)に帝王(ていおう)有(あ)るや否(いな)や」と。老軍(ろうぐん)曰(いわ)く、「有(あ)り!有(あ)り!有(あ)り!」と。行者(ぎょうじゃ)却(かえ)って身(み)を転(てん)じて唐僧(とうそう)に対(たい)して曰(いわ)く、「師父(しふ)、此(こ)の処(ところ)は原(もと)是(こ)れ比丘国(びくこく)、今(いま)小子城(しょうしじょう)と改(あらた)む。但(た)だ改(あらた)むるの意(こころ)何故(なんゆえ)なるかを知(し)らざるなり」と。唐僧(とうそう)疑惑(ぎわく)して曰(いわ)く、「既(すで)に比丘(びく)と云(い)えば、又(また)何(なん)ぞ小子(しょうし)と云(い)う」と。八戒(はっかい)曰(いわ)く、「想(おも)うに是(こ)れ比丘王(びくおう)崩(ほう)じて、新(あらた)に王位(おうい)に立(た)ちし者(もの)は是(こ)れ一箇(ひとり)の小子(こども)なるをもって、故(ゆえ)に小子城(しょうしじょう)と名(な)づくるならん」と。唐僧(とうそう)曰(いわ)く:

「此(こ)の理(ことわり)無(な)し!此(こ)の理(ことわり)無(な)し!我(われ)等(ら)且(しばら)く進(すす)み入(い)り、街坊(がいぼう=町筋)に到(いた)って再(ふたた)び問(と)わん」と。沙僧(しゃそう)曰(いわ)く、「正(まさ)に是(こ)れ、那(か)の老軍(ろうぐん)は一(ひとつ)には知(し)らず、二(ふたつ)には大哥(だいか=兄貴)に唬(おど)されて胡説(こせつ)せるのみ、且(しばら)く城(しろ)に入(い)りて去(ゆ)きて詢問(じゅんもん=尋ね問え)」と。

又(また)三層(さんそう)の門(もん)の裡(うち)に入(い)り、通衢(つうく=大通り)の大市(だいし=大市場)に到(いた)りて観看(かんがん=見物)すれば、倒(かえ)って也(ま)た衣冠(いかん)済楚(さいそ=整い清らか)に、人物(じんぶつ)清秀(せいしゅう)たり。但(た)だ見(み)る那(か)の:酒楼(しゅろう)歌館(かかん)語声(ごせい)喧(かまびす)しく、彩鋪(さいほ=色あやなす店)茶房(さぼう)高(たか)く簾(すだれ)を挂(か)く。万戸千門(ばんこせんもん)生意(せいい=商い)好(よ)く、六街三市(ろくがいさんし)財源(ざいげん)広(ひろ)し。金(きん)を買(か)い錦(にしき)を販(う)る人(ひと)蟻(あり)の如(ごと)く、利(り)を奪(うば)い名(な)を争(あらそ)うは只(た)だ銭(ぜに)のため。礼貌(れいぼう)荘厳(そうごん)にして風景(ふうけい)盛(さか)ん、河清(かせい)く海晏(うみしず)かにして太平(たいへい)の年(とし)。師徒(しと)四衆(ししゅ)馬(うま)を牽(ひ)き、担(に)を挑(かつ)ぎ、街市(がいし)の裡(うち)を行(ゆ)くこと彀(た)る多時(たじ=久しく)、看(み)れど尽(つく)さず繁華(はんか)の気概(きがい)、但(た)だ只(た)だ見(み)る家々(いえいえ)の門口(もんこう)に一箇(ひとつ)の鵞籠(がろう=鵞鳥の籠)有(あ)るのみ。三蔵(さんぞう)曰(いわ)く、「徒弟(とてい)よ、此(こ)の処(ところ)の人家(じんか)、都(みな)鵞籠(がろう)を門首(もんしゅ=門の前)に放(お)くは、何(なん)の故(ゆえ)ぞ」と。八戒(はっかい)説(い)うを聞(き)きて、左右(さゆう)より之(これ)を観(み)れば、果(はた)して是(こ)れ鵞籠(がろう)、排列(はいれつ)して五彩(ごさい)の綵緞(さいたん=色織りの絹)に遮幔(しゃまん=覆い)せり。呆子(あほう)笑(わら)って曰(いわ)く、「師父(しふ)、今日(こんにち)は想(おも)うに是(こ)れ黄道(こうどう)の良辰(りょうしん=佳き日)、婚姻(こんいん)を結(むす)び友(とも)と会(かい)するに宜(よろ)しく、都(みな)礼(れい)を行(おこな)うならん」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「胡談(こだん=たわごと)す!

那(いず)くに就(すなわ)ち家家(いえいえ)都(みな)礼(れい)を行(おこな)わん!其(そ)の間(あいだ)必(かなら)ず縁故(えんこ=わけ)有(あ)らん、我(われ)をして上(のぼ)り前(まえ)に看(み)しめよ」と。三蔵(さんぞう)扯(ひ)き止(とど)めて曰(いわ)く、「汝(なんじ)去(ゆ)くこと莫(な)かれ、汝(なんじ)の嘴臉(しれん=顔つき)は醜陋(しゅうろう=醜くいや)しく、人(ひと)の汝(なんじ)を怪(あやし)むを怕(おそ)るるのみ」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「我(われ)変化(へんげ)して去(ゆ)き来(きた)らん」と。好(よ)きかな大聖(たいせい)、訣(けつ)を捻(ねん)じ、一声(ひとこえ)の咒語(じゅご)を念(ねん)じ、身(み)を揺(ゆす)って一変(ひとへん)じ、変(へん)じて一箇(ひとつ)の蜜蜂児(みつばち)と作(な)り、翅(つばさ)を展開(てんかい)し、辺前(ほとり)に飛(と)び近(ちか)づき、幔(とばり)の裡(うち)に鑽(もぐ)り入(い)りて観看(かんがん)すれば、原(もと)来(もと)裡(うち)に坐(ざ)せるは是(こ)れ一箇(ひとり)の小孩児(こども)なり。

再(ふたた)び第二(だいに)の家(いえ)の籠(かご)の裡(うち)に去(ゆ)きて看(み)れば、也(ま)た是(こ)れ一箇(ひとり)の小孩児(こども)なり。連(つら)ねて八九家(はちきゅうけん)を看(み)るに、都(みな)是(こ)れ一箇(ひとり)の小孩児(こども)、却(かえ)って是(こ)れ男身(だんしん)、更(さら)に女子(じょし)有(あ)らず。有(あ)るは籠(かご)の中(なか)に坐(ざ)して頑耍(がんしゃ=戯れ遊)び、有(あ)るは裡(うち)に坐(ざ)して啼哭(ていこく=泣き叫)び、有(あ)るは果子(かじ=果物)を食(くら)い、有(あ)るは或(あるい)は睡(ねむ)り或(あるい)は坐(ざ)す。行者(ぎょうじゃ)看(み)り了(おわ)り、原身(ほんぞう=元の姿)を現(あらわ)して唐僧(とうそう)に回報(かいほう)して曰(いわ)く:

「那(か)の籠(かご)の裡(うち)は是(こ)れ些(いささか)の小孩子(こども)ども、大(おお)いなる者(もの)も七歳(ななつ)に満(み)たず、小(ちい)さき者(もの)は只(た)だ五歳(いつつ)有(あ)るのみ、何(なん)の故(ゆえ)なるかを知(し)らず」と。三蔵(さんぞう)説(い)うを見(み)て、疑思(ぎし=思い惑い)定(さだ)まらず。忽(たちま)ち街(まち)を転(てん)じて一(ひとつ)の衙門(がもん=役所)を見(み)る、乃(すなわ)ち是(こ)れ金亭館駅(きんていかんえき)なり。長老(ちょうろう)喜(よろこ)んで曰(いわ)く、「徒弟(とてい)よ、我(われ)等(ら)且(しばら)く此(こ)の駅(えき)の裡(うち)に進(すす)み入(い)り、一(ひとつ)には他(かれ)に地方(ちほう)を問(と)い、二(ふたつ)には馬匹(ばひつ=馬)を撒(はな)ち喂(やしな)い、三(みっつ)には天(てん)晚(く)れて投宿(とうしゅく=宿をと)らん」と。沙僧(しゃそう)曰(いわ)く、「正(まさ)に是(こ)れ、正(まさ)に是(こ)れ、快(すみや)かに進(すす)み入(い)れ耶(よ)」と。四衆(ししゅ)欣然(きんぜん=喜びいさん)で入(い)る。只(た)だ見(み)る那(か)の在官人(ざいかんにん=役人)果(はた)して駅丞(えきじょう=駅舎の長)に報(しら)せ、門(もん)に接入(しょうにゅう)し、各各(おのおの)相見(あいまみ)ゆ。叙坐(じょざ=席次)定(さだ)まり、駅丞(えきじょう)問(と)う、「長老(ちょうろう)は何方(いずこ)より来(きた)れる」と。三蔵(さんぞう)言(い)う、「貧僧(ひんそう)は東土(とうど)大唐(だいとう)より西天(さいてん)に差(つか)わされ経(きょう)を取(と)らんとする者(もの)、今(いま)貴処(きしょ=当地)に到(いた)る、関文(かんぶん)有(あ)れば理(ことわり)に当(あた)りて照験(しょうけん=照合検証)さるべく、権(かり)に高衙(こうが=貴舎)を借(か)りて一歇(ひとやす)みせん」と。駅丞(えきじょう)即(すなわ)ち茶(ちゃ)を看(み=出だ)すを命(めい)じ、茶(ちゃ)畢(おわ)れば即(すなわ)ち支応(しおう=供応)を弁(べん)じ、当直(とうじき=当番)の者(もの)に命(めい)じて管待(かんたい=饗応)を安排(あんばい)せしむ。三蔵(さんぞう)称謝(しょうしゃ)し、又(また)問(と)う、「今日(こんにち)入朝(にゅうちょう)して駕(が=天子)に見(まみ)え、関文(かんぶん)を照験(しょうけん)すべきを得(う)るや」と。駅丞(えきじょう)曰(いわ)く、「今晚(こんばん)は能(あた)わず、須(すべから)く明日(みょうにち)の早朝(そうちょう)を待(ま)つべし。今晚(こんばん)は且(しばら)く敝衙門(へいがもん=拙い役所)に寛住(かんじゅう=ゆるりと泊)まりて一宵(ひとよ)を過(すご)せ」と。

少頃(しばらくして)、安排(あんばい)停当(ていとう=整い)し、駅丞(えきじょう)即(すなわ)ち四衆(ししゅ)を請(しょう)じ、同(とも)に斎供(さいく=精進の供物)を食(くら)い了(おわ)り、又(また)手下(しゅか)の者(もの)に教(おし)えて客房(かくぼう=客間)を掃(は)きて安歇(あんけつ=休ま)しむ。三蔵(さんぞう)感謝(かんしゃ)尽(つく)すこと能(あた)わず。既(すで)に坐(ざ)し下(くだ)れば、長老(ちょうろう)曰(いわ)く、「貧僧(ひんそう)一件(ひとつ)の明(あき)らかならざる事(こと)有(あ)りて教(おしえ)を請(こう)う、煩(わずら)わしきかな指示(しじ)せよ。貴処(きしょ)にて孩児(がいじ=子供)を養(やしな)うに、怎(いか)に生(しょう)じて看待(かんたい=扱う)するかを知(し)らず」と。駅丞(えきじょう)曰(いわ)く、「天(てん)に二日(ふつか)無(な)く、人(ひと)に二理(ふたつのことわり)無(な)し。孩童(がいどう=子供)を育(そだ)つるは、父(ちち)の精(せい)母(はは)の血(ち)、懐胎(かいたい)十月(じゅうがつ)、時(とき)を待(ま)ちて生(うまる)れ、生(うま)れ落(お)ちて乳哺(にゅうほ=乳を飲ませ育つる)三年(さんねん)、漸(ようや)く体相(たいそう=体格)を成(な)す、豈(あ)に之(これ)を知(し)らざるの理(ことわり)有(あ)らんや!」と。三蔵(さんぞう)曰(いわ)く:

「尊言(そんげん=貴殿の言)に拠(よ)れば敝邦(へいほう=我が国)と異(こと)なること無(な)し。但(た)だ貧僧(ひんそう)城(しろ)に入(い)りし時(とき)、街坊(がいぼう)の人家(じんか)に、各(おのおの)一(ひとつ)の鵞籠(がろう)を設(もう)け、都(みな)小児(しょうじ)を其(そ)の裡(うち)に蔵(かく)せるを見(み)たり。此(こ)の事(こと)明(あき)らかならず、故(ゆえ)に敢(あ)えて動(うご)きて問(と)う」と。駅丞(えきじょう)耳(みみ)に附(ふ)して低言(ていげん=ささや)いて曰(いわ)く:

「長老(ちょうろう)よ、他(かれ)を管(かん)すること莫(な)かれ、他(かれ)を問(と)うこと莫(な)かれ、也(ま)た他(かれ)を理(ことわり)し他(かれ)を説(い)うこと莫(な)かれ。請(こ)う、安(やす)んじ置(お)かれ、明早(あすのあした)に路(みち)を走(はし)れ」と。長老(ちょうろう)言(げん)を聞(き)きて、一把(ひとつかみ)に駅丞(えきじょう)を扯(ひ)き住(とど)め、定(かなら)ず箇(ひとつ)の明白(めいはく)を問(と)わんと欲(ほっ)す。駅丞(えきじょう)頭(こうべ)を揺(ゆす)り手(て)を揺(ゆす)りて只(た)だ叫(よ)んで曰(いわ)く:

「謹言(きんげん=慎んで申せ)!」と。三蔵(さんぞう)一発(いっそう)放(はな)さず、執死(しゅうし=かたくな)に定(かなら)ず詳細(しょうさい)を問(と)わんと欲(ほっ)す。駅丞(えきじょう)無奈(むない=どうにもならず)、只(た)だ一応(いちおう)の在官人(ざいかんにん)等(ら)を屏(しりぞ)け去(さ)り、独(ひと)り灯光(とうこう)の下(もと)に在(あ)りて、悄悄(しょうしょう=ひそやか)として言(い)いて曰(いわ)く、「適(さっき)問(と)える所(ところ)の鵞籠(がろう)の事(こと)は、乃(すなわ)ち是(こ)れ当今(とうきん=今の)国主(こくしゅ)の無道(むどう)の事(こと)なり。汝(なんじ)只(た)だ管(かん)して他(かれ)を問(と)うは怎(なん)とせる」と。三蔵(さんぞう)曰(いわ)く、「何(なん)をか無道(むどう)と為(な)す?必(かなら)ず明白(めいはく)に見教(けんきょう=お示し)あらば、我(われ)方(はじ)めて心(こころ)を放(はな)つを得(え)ん」と。駅丞(えきじょう)曰(いわ)く、「此(こ)の国(くに)は原(もと)是(こ)れ比丘国(びくこく)なるが、近(ちか)ごろ民謡(みんよう)有(あ)りて、小子城(しょうしじょう)と改(あらた)む。三年前(さんねんまえ)、一人(ひとり)の老人(ろうじん)有(あ)りて道人(どうにん=道士)の様(さま)に打扮(よそお)し、一(ひとり)の小女子(しょうじょし)を携(たずさ)え、年(とし)正(まさ)に一十六歳(じゅうろくさい)、其(そ)の女(むすめ)の形容(けいよう=姿かたち)嬌俊(きょうしゅん=愛らしく秀で)、貌(かたち)観音(かんのん)の若(ごと)く、進貢(しんこう=献上)して当今(とうきん)に与(あた)うれば、陛下(へいか)其(そ)の色(いろ)の美(うつく)しきを愛(め)で、寵幸(ちょうこう=寵愛)して宮(きゅう)に在(あ)り、号(ごう)して美后(びこう)と為(な)す。近(ちか)ごろ三宮(さんきゅう)の娘娘(にゃんにゃん)、六院(ろくいん)の妃子(ひし)を把(と)って、全(まった)く正眼(せいがん)を以(もっ)て相覷(あいみ=見る)ること無(な)く、昼(ひる)夜(よる)を分(わ)たず、貪歓(たんかん=歓びにふけ)ること已(や)まず。如今(いま)精神(せいしん)瘦倦(そうけん=やせ衰え)え、身体(しんたい)尪羸(おうるい=やせこけ)、飲食(いんしょく)少(すくな)く進(すす)み、命(いのち)須臾(しゅゆ=今わの際)に在(あ)るに至(いた)らしむ。太医院(たいいいん)良方(りょうほう)を検(えら)び尽(つく)せど、療治(りょうじ)すること能(あた)わず。那(か)の女子(じょし)を進(すす)めし道人(どうにん)は、我(わ)が主(あるじ)の誥封(こうふう=勅命の叙爵)を受(う)け、称(よば)れて国丈(こくじょう)と為(な)る。国丈(こくじょう)に海外(かいがい)の秘方(ひほう)有(あ)り、甚(はなは)だ能(よ)く寿(じゅ=命)を延(の)ばす、前者(さきに)十洲(じっしゅう)・三島(さんとう)に去(ゆ)き、薬(くすり)を采(と)り将(も)ち来(きた)り、俱(とも)に已(すで)に完備(かんび)せり。但(た)だ只(た)だ是(こ)れ薬引子(やくいんし=薬の効きを導くもの)の利害(りがい=ひどさ):単(ひとえ)に一千百十一箇(せんひゃくじゅういちにん)の小児(しょうじ)の心肝(しんかん=心と肝)を用(もち)い、湯(ゆ)を煎(せん)じて薬(くすり)を服(の)めば、服(の)みて後(のち)千年(せんねん)不老(ふろう)の功(こう)有(あ)らんと。此(こ)れらの鵞籠(がろう)の裡(うち)の小児(しょうじ)は、俱(とも)に是(こ)れ選(えら)び就(な)せる者(もの)、裡(うち)に養(やしな)いて在(あ)り。人家(じんか)の父母(ふぼ)は、王法(おうほう)を懼(おそ)れて、俱(とも)に敢(あ)えて啼哭(ていこく)せず、遂(つい)に謡言(ようげん=うわさ)を伝播(でんぱ)し、小児城(しょうじじょう)と叫做(なづ)く。此(こ)れ無道(むどう)に非(あら)ずして何(なん)ぞや?長老(ちょうろう)よ、明早(あすのあした)朝(ちょう)に到(いた)らば、只(た)だ去(ゆ)きて関文(かんぶん)を倒換(とうかん)し、此(こ)の事(こと)を言及(げんきゅう)するを得(え)ざれ」と。言(げん)畢(おわ)りて身(み)を抽(ぬ)いて退(しりぞ)く。唬(おど)ろかされて箇(ひとり)の長老(ちょうろう)は骨(ほね)軟(やわ)らぎ筋(すじ)麻(しび)れ、止(とど)むること能(あた)わず腮辺(さいたん=頬)に涙(なみだ)堕(お)ち、忽(たちま)ち声(こえ)を失(うしな)いて叫(よ)んで曰(いわ)く、「昏君(くんくん=愚かな君)よ、昏君(くんくん)よ!汝(なんじ)がために歓(かん)を貪(むさぼ)り美(び)を愛(あい)して、病(やまい)を弄(ろう)し出(いだ)し、怎(なん)で此(か)くの般(ごと)く多(おお)くの小児(しょうじ)の性命(せいめい)を屈(ま)げ傷(そこな)わんや!苦(くる)しき哉(かな)!苦(くる)しき哉(かな)!痛(いた)ましき哉(かな)我(われ)を殺(ころ)すや!」と。詩(し)有(あ)りて証(しょう)と為(な)す、詩(し)に曰(いわ)く:

邪主(じゃしゅ)無知(むち)にして正真(しょうしん)を失(うしな)い、貪歓(たんかん)省(さと)らずして暗(あん)に身(み)を傷(そこな)う。
永寿(えいじゅ)を求(もと)むるに因(よ)りて童命(どうめい)を戕(そこな)い、天災(てんさい)を解(と)かんとて小民(しょうみん)を殺(ころ)す。
僧(そう)慈悲(じひ)を発(おこ)して割捨(かっしゃ=捨てがた)く、官(かん)の言(げん)利害(りがい)にして聞(き)くに堪(た)えず。
灯前(とうぜん)に涙(なみだ)を洒(そそ)ぎて長(とこし)えに吁嘆(うたん=嘆息)し、参禅(ぜんじょう)の仏(ほとけ)に向(むか)う人(ひと)痛(いた)み倒(たお)る。

八戒(はっかい)近(ちか)づき前(まえ)に曰(いわ)く、「師父(しふ)、汝(なんじ)は怎(なん)として起(た)てるや?専(もっぱ)ら别人(べつじん)の棺材(かんざい=棺)を把(と)って自家(じか)の家(いえ)の裡(うち)に抬(かつ)ぎ入(い)れて哭(な)く!煩悩(ぼんのう)すること莫(な)かれ!常言(じょうげん)に道(い)う、君(きみ)臣(しん)に死(し)せと教(おし)うれば、臣(しん)死(し)せずんば不忠(ふちゅう);父(ちち)子(こ)に亡(ほろ)びよと教(おし)うれば、子(こ)亡(ほろ)びずんば不孝(ふこう)と。他(かれ)が傷(そこな)うは是(こ)れ他(かれ)が子民(しみん=民)なるに、汝(なんじ)と何(なん)の干(かかわり)有(あ)らん!且(しばら)く来(きた)りて衣服(いふく)を寛(ゆる)めて睡(ねむ)り、古(いにしえ)の人(ひと)のために憂(うれ)いを耽(ふけ)ること莫(な)かれ」と。三蔵(さんぞう)涙(なみだ)を滴(したた)らして曰(いわ)く、「徒弟(とてい)よ、汝(なんじ)は是(こ)れ一箇(ひとり)の慈憫(じびん=あわれみ)ならざる者(もの)なり!我(われ)出家人(しゅっけにん)は、功(こう)を積(つ)み行(ぎょう)を累(かさ)ね、第一(だいいち)に方便(ほうべん)を行(おこな)うを要(よう)す。

怎(なん)で此(こ)の昏君(くんくん)は一味(いちみ=ひたすら)に胡(みだ)りに行(おこな)うや!従(よ)り来(きた)るも人(ひと)の心肝(しんかん)を食(くら)いて、以(もっ)て寿(じゅ)を延(の)ばす可(べ)きを見(み)ず。此(こ)れ都(みな)是(こ)れ無道(むどう)の事(こと)なるに、我(われ)をして怎(なん)で傷悲(しょうひ=悲しみ)せざらしめんや!」と。沙僧(しゃそう)曰(いわ)く、「師父(しふ)、且(しばら)く傷悲(しょうひ)すること莫(な)かれ、明早(あすのあした)関文(かんぶん)を倒換(とうかん)し、覿面(てきめん=面と向かい)て国王(こくおう)と講(こう)じ過(すご)さんと待(ま)て。若(も)し従(したが)わずんば、他(かれ)が是(こ)れ怎(いか)なる模様(さま)の一箇(ひとり)の国丈(こくじょう)なるかを看(み)ん。或(あるい)は恐(おそ)らくは那(か)の国丈(こくじょう)は是(こ)れ一箇(ひとり)の妖精(ようせい)にして、人(ひと)の心肝(しんかん)を食(くら)わんと欲(ほっ)し、故(ゆえ)に此(こ)の法(ほう)を設(もう)くること有(あ)るも未(いま)だ知(し)る可(べ)からざるなり」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「悟浄(ごじょう)の説(い)えるは理(ことわり)有(あ)り。師父(しふ)、汝(なんじ)且(しばら)く睡(ねむ)れ、明日(みょうにち)老孫(ろうそん)をして汝(なんじ)と同(とも)に朝(ちょう)に入(い)り、国丈(こくじょう)の好歹(こうたい=善し悪し)を看(み)しめよ。若(も)し是(こ)れ人(ひと)ならば、只(た)だ恐(おそ)らくは他(かれ)旁門(ぼうもん=邪道)に走(はし)り、正道(しょうどう)を知(し)らず、徒(いたず)らに采薬(さいやく=薬を採る)を以(もっ)て真(しん)と為(な)すのみ、老孫(ろうそん)をして先天(せんてん)の要旨(ようし)を将(も)ちて、他(かれ)を化(け)して正(しょう)に皈(き)せしめん;若(も)し是(こ)れ妖邪(ようじゃ)ならば、我(われ)他(かれ)を把(と)らえ住(とど)め、此(こ)の国王(こくおう)に与(あた)えて看(み)しめ、他(かれ)をして欲(よく)を寛(ゆる)やかにし身(み)を養(やしな)わしめ、決(けっ)して他(かれ)をして那(か)の孩童(がいどう)たちの性命(せいめい)を傷(そこな)わしめず」と。三蔵(さんぞう)言(げん)を聞(き)きて、急(いそ)ぎ躬身(きゅうしん=身をかがめ)して行者(ぎょうじゃ)に対(たい)し施礼(せれい)して曰(いわ)く、「徒弟(とてい)よ、此(こ)の論(ろん)極(きわ)めて妙(みょう)なり!極(きわ)めて妙(みょう)なり!但(た)だ只(た)だ是(こ)れ昏君(くんくん)に見(まみ)えて、便(すなわ)ち此(こ)の事(こと)を問(と)う可(べ)からず、恐(おそ)らくは那(か)の昏君(くんくん)遠近(えんきん)を分(わ)かたず、併(あわ)せて謡言(ようげん)を作(な)して罪(つみ)を見(み=加え)ん、却(かえ)って怎(いか)に生(しょう)じて区処(くしょ=処理)せん」と。行者(ぎょうじゃ)笑(わら)って曰(いわ)く、「老孫(ろうそん)自(おのずか)ら法力(ほうりき)有(あ)り、如今(いま)先(ま)ず鵞籠(がろう)の小児(しょうじ)を将(も)ちて此(こ)の城(しろ)を摂(ひき)離(はな)れしめ、他(かれ)をして明日(みょうにち)物(もの)無(な)くして心(こころ)を取(と)ること能(あた)わざらしめん。地方官(ちほうかん)自(おのずか)ら奏表(そうひょう)すれば、那(か)の昏君(くんくん)必(かなら)ず旨意(しい=勅旨)有(あ)り、或(あるい)は国丈(こくじょう)と商量(しょうりょう=相談)し、或(あるい)は別(べつ)に選(えら)び報(ほう)じて行(おこな)わん。

其(そ)の時節(とき)、此(こ)れに借(か)りて挙奏(きょそう=申し上ぐ)らば、決(けっ)して罪(つみ)を我(われ)に坐(ざ)せしむるに至(いた)らざるなり」と。三蔵(さんぞう)甚(はなは)だ喜(よろこ)び、又(また)曰(いわ)く、「如今(いま)怎(いか)にして小児(しょうじ)を城(しろ)より離(はな)るるを得(え)ん?若(も)し果(はた)して脱(のが)るるを得(う)れば、真(まこと)に賢徒(けんと=賢き弟子)の天(てん)も大(おお)いなるの徳(とく)なり!速(すみや)かに之(これ)を為(な)す可(べ)し、略(いささ)か遅緩(ちかん=遅れ)ることは些(いささか)も、恐(おそ)らくは及(およ)ぶ無(な)からん」と。行者(ぎょうじゃ)神威(しんい)を抖擻(とそう=ふるい起こ)し、即(すなわ)ち身(み)を起(お)こして八戒(はっかい)沙僧(しゃそう)に吩咐(ふんぷ=言いつけ)て曰(いわ)く:

「師父(しふ)と同(とも)に坐(ざ)して我(われ)が施為(しい=働き)を待(ま)て、汝(なんじ)看(み)よ、但(た)だ陰風(いんぷう)の刮(ふ)き動(うご)く有(あ)れば、就(すなわ)ち是(こ)れ小児(しょうじ)の城(しろ)を出(い)でしなり」と。彼(かれ)三人(さんにん)一斉(いっせい)に俱(とも)に念(ねん)ず、「南無救生薬師仏(なむくじょうやくしぶつ)!南無救生薬師仏(なむくじょうやくしぶつ)!」と。

此(こ)の大聖(たいせい)門(もん)の外(そと)に出(い)で、一箇(ひとつ)の唿哨(こっしょう=口笛)を打(う)ち、半空(はんくう)に起(た)ち、訣(けつ)を捻(ねん)じ、真言(しんごん)を念動(ねんどう)し、一声(ひとこえ)「唵浄法界(おんじょうほっかい)」と叫(よ)べば、那(か)の城隍(じょうこう)・土地(とち)・社令(しゃれい)・真官(しんかん)、并(ならび)に五方(ごほう)の掲諦(かいてい)・四値(しち)の功曹(こうそう)・六丁六甲(りくていりっこう)と護教伽藍(ごきょうがらん)等(ら)の衆(しゅ)を拘(こう=呼び集)え得(え)て、都(みな)空中(くうちゅう)に到(いた)り、彼(かれ)に対(たい)し施礼(せれい)して曰(いわ)く、「大聖(たいせい)よ、夜(よる)に吾等(われら)を喚(よ)ぶは、何(なん)の急事(きゅうじ)有(あ)るや」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「今(いま)比丘国(びくこく)を路過(ろか)するに因(よ)り、那(か)の国王(こくおう)無道(むどう)にして、妖邪(ようじゃ)を信(しん)じ聴(き)き、小児(しょうじ)の心肝(しんかん)を取(と)りて薬引子(やくいんし)と作(な)し、長生(ちょうせい)を指(ゆびさ)し望(のぞ)むと。我(われ)が師父(しふ)十分(じゅうぶん)に忍(しの)ぶこと能(あた)わず、生(せい)を救(すく)い怪(かい)を滅(めっ)せんと欲(ほっ)す、故(ゆえ)に老孫(ろうそん)特(こと)に列位(れつい=皆様)を請(しょう)じ、各(おのおの)神通(じんつう)を使(つか)い、我(われ)と此(こ)の城(しろ)の各街坊(かくがいぼう)の人家(じんか)の鵞籠(がろう)の裡(うち)の小児(しょうじ)を、籠(かご)ごと都(みな)摂(ひき)て城外(じょうがい)の山凹(さんおう=山のくぼみ)の裡(うち)に出(いだ)し、或(あるい)は樹林(じゅりん)の深(ふか)き処(ところ)に収蔵(しゅうぞう)して一二日(いちににち)を過(すご)し、他(かれ)に些(いささか)の果子(かじ=果物)を与(あた)えて食用(しょくよう)せしめ、餓(う)え損(そこな)うことを得(え)ざらしめ;又(また)暗(あん)に護持(ごじ=守護)し、他(かれ)をして驚恐(きょうきょう=おびえる)し啼哭(ていこく)せしむることを得(え)ざらしめよ。我(われ)が邪(じゃ)を除(のぞ)き、国(くに)を治(おさ)め、君王(くんおう)を勧(すす)めて正(ただ)し、臨行(りんこう=出立の際)の時(とき)に送(おく)り来(きた)りて我(われ)に還(かえ)すを待(ま)て」と。衆神(しゅうしん)令(れい)を聴(き)きて、即(すなわ)ち便(すなわ)ち各(おのおの)神通(じんつう)を使(つか)い、雲頭(うんとう)を按(おさ)え下(くだ)れば、満城(まんじょう)の裡(うち)に陰風(いんぷう)滾滾(こんこん)と、惨霧(さんむ)漫漫(まんまん)たり:

陰風(いんぷう)刮(ふ)きて一天(いってん)の星(ほし)を暗(くら)くし、惨霧(さんむ)遮(さえぎ)りて千里(せんり)の月(つき)を昏(くら)くす。

起(お)こり初(はじ)めし時(とき)は、還(ま)た蕩蕩悠悠(とうとうゆうゆう=ゆらゆらと);次(つい)で後(のち)来(きた)れば、就(すなわ)ち轟轟烈烈(こうこうれつれつ=ごうごうと)たり。悠悠蕩蕩(ゆうゆうとうとう)として、各(おのおの)門戸(もんこ)を尋(たず)ねて孩童(がいどう)を救(すく)い;烈烈轟轟(れつれつこうこう)として、都(みな)鵞籠(がろう)を看(み)て骨血(こっけつ=血を分けた子)を援(たす)く。冷気(れいき)人(ひと)を侵(おか)して怎(いか)でか頭(こうべ)を出(いだ)さん、寒威(かんい)体(たい)に透(とお)りて衣(ころも)鉄(てつ)の如(ごと)し。父母(ふぼ)徒(いたず)らに張皇(ちょうこう=あわて)い、兄嫂(けいそう=兄と嫂)皆(みな)悲切(ひせつ=悲しむ)。満地(まんち)に陰風(いんぷう)を巻(ま)き、籠児(ろうじ=籠)は神(かみ)に摂(とら)えらる。此(こ)の夜(よる)は縦(よ)し孤恓(こせい=心細く淋し)くとも、天明(てんめい)には尽(ことごと)く歓悦(かんえつ=喜ぶ)。詩(し)有(あ)りて証(しょう)と為(な)す、詩(し)に曰(いわ)く:

釈門(しゃくもん)の慈憫(じびん)は古(いにしえ)より来(きた)りて多(おお)く、正善(しょうぜん)功(こう)を成(な)して摩訶(まか)を説(と)く。
万聖千真(ばんせいせんしん)皆(みな)徳(とく)を積(つ)み、三皈五戒(さんきごかい)は和(わ)に従(したが)うを要(よう)す。
比丘(びく)一国(いっこく)は君(きみ)の乱(みだ)るるに非(あら)ず、小子(しょうし)千名(せんめい)は是(こ)れ命(いのち)の訛(あやまち)。
行者(ぎょうじゃ)師(し)に因(よ)りて同(とも)に救護(きゅうご)し、此(こ)の場(ば)の陰騭(いんしつ=陰徳)は波羅(はら)に勝(まさ)る。

当夜(とうや)三更(さんこう)の時分(じぶん)に、衆神祇(しゅうしんぎ)鵞籠(がろう)を摂(とら)え去(さ)りて各処(かくしょ)に安(やす)んじ蔵(かく)せり。

行者(ぎょうじゃ)祥光(しょうこう)を按(おさ)え下(くだ)り、径(ただ)ちに駅庭(えきてい=駅舎の庭)の上(ほとり)に至(いた)れば、只(た)だ彼(かれ)三人(さんにん)の還(ま)た「南無救生薬師仏(なむくじょうやくしぶつ)」を念(ねん)ずるを聴(き)くのみ。彼(かれ)も也(ま)た心(こころ)の裡(うち)に暗(ひそ)かに喜(よろこ)び、近(ちか)づき前(まえ)に叫(よ)んで曰(いわ)く、「師父(しふ)、我(われ)来(きた)れり。陰風(いんぷう)の起(お)こること如何(いかん)」と。八戒(はっかい)曰(いわ)く、「好(よ)き陰風(いんぷう)なり!」と。三蔵(さんぞう)曰(いわ)く、「児(こ)を救(すく)うの事(こと)、却(かえ)って怎(いか)に説(い)うや」と。

行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「已(すで)に一一(いちいち)彼(かれ)を救(すく)い出(いだ)せり、我(われ)等(ら)が身(み)を起(おこ)す時(とき)を待(ま)ちて送(おく)り還(かえ)さん」と。長老(ちょうろう)謝(しゃ)して又(また)謝(しゃ)し、方(はじ)めて就寝(しゅうしん)す。

天(てん)の暁(あけ)に至(いた)り、三蔵(さんぞう)醒(さ)め来(きた)り、遂(つい)に結束(けっそく=身支度)斉備(せいび)して曰(いわ)く、「悟空(ごくう)よ、我(われ)早朝(そうちょう)に趁(つ)け、関文(かんぶん)を倒換(とうかん)しに去(ゆ)かんとす」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「師父(しふ)、汝(なんじ)自(みずか)ら去(ゆ)かば恐(おそ)らくは事(こと)済(な)らず、老孫(ろうそん)をして汝(なんじ)と同(とも)に去(ゆ)かしめ、那(か)の国丈(こくじょう)の邪正(じゃしょう)如何(いかん)を看(み)しめよ」と。三蔵(さんぞう)曰(いわ)く、「汝(なんじ)去(ゆ)かば却(かえ)って礼(れい)を行(おこな)うを肯(あ)えず、恐(おそ)らくは国王(こくおう)怪(とが)むるを見(み)ん」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「我(われ)身(み)を現(あらわ)さず、暗(あん)に汝(なんじ)に跟随(ずいすい=付き従)わば、就(すなわ)ち保護(ほご)に当(あた)らん」と。三蔵(さんぞう)甚(はなは)だ喜(よろこ)び、八戒(はっかい)沙僧(しゃそう)に行李(こうり=荷物)と馬匹(ばひつ)を看守(かんしゅ=見張)るを吩咐(ふんぷ)し、却(かえ)って才(ようや)く歩(ほ)を挙(あげ)んとするに、此(こ)の駅丞(えきじょう)又(また)来(きた)りて相見(あいまみ)ゆ。此(こ)の長老(ちょうろう)の打扮(よそお)い起(た)てるを看(み)れば、昨日(きのう)に比(くら)べて又(また)甚(はなは)だ不同(こと)なり、但(た)だ見(み)る他(かれ)は:

身上(しんじょう)に穿(き)るは一領(ひとえ)の錦襴(きんらん)異宝(いほう)の仏袈裟(ぶつけさ)、頭(こうべ)に戴(いただ)くは金頂(きんちょう)の毗盧帽(びるぼう)。
九環(きゅうかん)の錫杖(しゃくじょう)手(て)の中(うち)に拿(と)り、胸(むね)に一点(いってん)の神光(しんこう)の妙(みょう)を蔵(かく)す。
通関(つうかん)の文牒(ぶんじょう)身(み)に緊(きび)しく随(したが)い、包裹(ほうか=包み)袋中(たいちゅう)に錦套(きんとう=錦の覆い)を纏(まと)う。
行(ゆ)くこと阿羅(あら)の世(よ)に降(くだ)るに似(に)て、誠(まこと)に活仏(かつぶつ)の真(しん)の容貌(ようぼう)の如(ごと)し。

那(か)の駅丞(えきじょう)相見(あいまみ)え礼(れい)畢(おわ)り、耳(みみ)に附(ふ)して低言(ていげん)し、只(た)だ閑事(かんじ=よけいな事)を管(かん)すること莫(な)かれと教(おし)う、三蔵(さんぞう)点頭(てんどう=うなず)きて声(こえ)に応(こた)う。大聖(たいせい)門(もん)の旁(かたわら)に閃(ひらめ)き、一箇(ひとつ)の咒語(じゅご)を念(ねん)じ、身(み)を揺(ゆす)って一変(ひとへん)じ、変(へん)じて一箇(ひとつ)の蟭蟟虫児(しょうりょうちゅう=つくつくぼうしの幼虫)と作(な)り、嚶(えい)の一声(ひとこえ)、三蔵(さんぞう)の帽児(ぼうじ=帽子)の上(うえ)に飛(と)び、館駅(かんえき)を出(い)で、径(ただ)ちに朝中(ちょうちゅう)に奔(はし)る。朝門(ちょうもん)の外(そと)に到(いた)るに及(およ)び、黄門官(こうもんかん)有(あ)るを見(み)、即(すなわ)ち施礼(せれい)して曰(いわ)く、「貧僧(ひんそう)は乃(すなわ)ち東土(とうど)大唐(だいとう)より西天(さいてん)に差(つか)わされ経(きょう)を取(と)る者(もの)、今(いま)貴地(きち)に到(いた)る、理(ことわり)に当(あた)りて関文(かんぶん)を倒換(とうかん)すべし。意(こころ)は駕(が)に見(まみ)えんと欲(ほっ)す、伏(ふ)して転奏(てんそう=取次ぎ奏上)転奏(てんそう)を乞(こ)う」と。

那(か)の黄門官(こうもんかん)果(はた)して伝奏(でんそう)を為(な)せば、国王(こくおう)喜(よろこ)んで曰(いわ)く、「遠来(えんらい)の僧(そう)は、必(かなら)ず道行(どうぎょう)有(あ)らん」と。請(しょう)じて進(い)れと教(おし)う。黄門官(こうもんかん)復(ま)た旨(し)を奉(ほう)じ、長老(ちょうろう)を請(しょう)じて入(い)る。長老(ちょうろう)階下(かいか)に朝見(ちょうけん)し畢(おわ)り、復(ま)た上殿(じょうでん)して坐(ざ)を賜(たまわ)るを請(こ)う。長老(ちょうろう)又(また)恩(おん)を謝(しゃ)して坐(ざ)すれば、只(た)だ見(み)る那(か)の国王(こくおう)の相貌(そうぼう)尪羸(おうるい=やせこけ)、精神(せいしん)倦怠(けんだい=疲れだる)し:手(て)を挙(あ)ぐる処(ところ)、揖譲(ゆうじょう=礼儀)差池(しち=乱れ);言(げん)を開(ひら)く時(とき)、声音(せいおん)断続(だんぞく)す。長老(ちょうろう)文牒(ぶんじょう)を献(たてまつ)り上(のぼ)せば、那(か)の国王(こくおう)は眼目(がんもく)昏朦(こんもう=かすみ)、看(み)て又(また)看(み)て、方(はじ)めて宝印(ほういん)を取(と)り花押(かおう=署名)を用(もち)い、長老(ちょうろう)に逓(わた)せば、長老(ちょうろう)収(おさ)め訖(おわ)る。

那(か)の国王(こくおう)正(まさ)に経(きょう)を取(と)るの原因(げんいん)を問(と)わんとするに、只(た)だ当駕官(とうがかん)の奏(そう)して曰(いわ)く、「国丈(こくじょう)爺爺(じいじい)来(きた)れり」とを聴(き)く。那(か)の国王(こくおう)即(すなわ)ち近侍(きんじ)の小宦(しょうかん=宦官)を扶(たす)け、掙(あが)きて龍床(りゅうしょう=玉座)を下(くだ)り、躬身(きゅうしん=身をかがめ)て迎接(げいせつ)すれば、慌(あわ)てて那(か)の長老(ちょうろう)急(いそ)ぎ身(み)を起(おこ)し、側(かたわら)に立(た)ちて傍(そば)に在(あ)り。頭(こうべ)を回(めぐ)らして観看(かんがん)すれば、原(もと)来(もと)是(こ)れ一箇(ひとり)の老道者(ろうどうしゃ)、玉階(ぎょくかい)の前(まえ)より揺揺擺擺(ようようはいはい=ゆらゆら)として進(すす)み入(い)る。但(た)だ見(み)る他(かれ)は:

頭上(ずじょう)に戴(いただ)くは一頂(ひとつ)の淡鵞黄(たんがおう=淡き鵞鳥の黄)九錫(きゅうしゃく)雲錦紗巾(うんきんしゃきん)、身上(しんじょう)に穿(き)るは一領(ひとえ)の箸頂梅(ちょちょうばい)沈香綿糸鶴氅(じんこうめんしかくしょう)。
腰間(ようかん)に系(むす)ぶは一條(ひとすじ)の紉藍(じんらん)三股(さんこ)の撚絨帯(さんじゅうたい)、足下(そっか)に踏(ふ)むは一対(ひとくみ)の麻経葛緯(まけいかつい)雲頭履(うんとうり)。
手(て)の中(うち)に拄(つ)くは一根(ひとふり)の九節枯藤(きゅうせつことう)盤竜(ばんりゅう)の拐杖(かいじょう)、胸(むね)の前(まえ)に挂(か)くは一箇(ひとつ)の描竜刺鳳(びょうりゅうしほう)団花錦嚢(だんかきんのう)。
玉面(ぎょくめん)光潤(こうじゅん)多く、蒼髯(そうぜん=白い髯)頷下(がんか)に飄(ひるがえ)る。
金睛(きんせい)に火焰(かえん)を飛(と)ばし、長目(ちょうもく)眉(まゆ)の梢(こずえ)を過(す)ぐ。
行動(こうどう)すれば雲(くも)も歩(ほ)に随(したが)い、逍遥(しょうよう)として香霧(こうむ)饒(ゆた)かなり。
階下(かいか)の衆官(しゅうかん)都(みな)拱接(きょうせつ=拱手して迎え)、斉(ひとしく)国丈(こくじょう)の王朝(おうちょう)に進(すす)むを呼(よ)ぶ。

那(か)の国丈(こくじょう)宝殿(ほうでん)の前(まえ)に到(いた)り、更(さら)に礼(れい)を行(おこな)わず、昂昂烈烈(こうこうれつれつ=いかめしくも猛々し)く径(ただ)ちに殿上(でんじょう)に到(いた)る。国王(こくおう)身(み)を欠(か)いて曰(いわ)く、「国丈(こくじょう)の仙踪(せんしょう=仙の御足)、今(いま)喜(よろこ)ばしきかな早(つと)に降(くだ)る」と。就(すなわ)ち左手(ひだりて)の繍墩(しゅうとん=刺繍の腰掛)の上(うえ)に坐(ざ)せと請(こ)う。三蔵(さんぞう)一歩(いっぽ)を起(おこ)し、躬身(きゅうしん)て施礼(せれい)して曰(いわ)く、「国丈(こくじょう)大人(たいじん)、貧僧(ひんそう)問訊(もんじん=挨拶)し了(おわ)る」と。那(か)の国丈(こくじょう)端然(たんぜん=いかめしく)として高(たか)く坐(ざ)し、亦(ま)た礼(れい)を回(かえ)さず、面(おもて)を転(てん)じて国王(こくおう)に向(むか)いて曰(いわ)く、「僧家(そうか)は何(いずこ)より来(きた)れる」と。

国王(こくおう)曰(いわ)く、「東土(とうど)唐朝(とうちょう)より西天(さいてん)に上(のぼ)り経(きょう)を取(と)らんと差(つか)わされし者(もの)、今(いま)来(きた)りて関文(かんぶん)を倒験(とうけん)す」と。国丈(こくじょう)笑(わら)って曰(いわ)く、「西方(さいほう)の路(みち)は、黒漫漫(こくまんまん=真っ暗)として甚(なん)の好(よ)き処(ところ)有(あ)らんや!」と。三蔵(さんぞう)曰(いわ)く、「古(いにしえ)より西方(さいほう)は乃(すなわ)ち極楽(ごくらく)の勝境(しょうきょう=勝れた境地)なり、如何(いか)でか好(よ)からざらん」と。那(か)の国王(こくおう)問(と)うて曰(いわ)く、「朕(ちん)聞(き)く、上古(じょうこ)に云(い)える有(あ)り、僧(そう)は是(こ)れ仏家(ぶっけ)の弟子(でし)なりと、端(つまびらか)に知(し)らず僧(そう)と為(な)りて能(よ)く死(し)せざる可(べ)きや、仏(ほとけ)に向(むか)いて能(よ)く長生(ちょうせい)す可(べ)きや」と。三蔵(さんぞう)言(げん)を聞(き)きて、急(いそ)ぎ掌(てのひら)を合(がっ)して応(こた)えて曰(いわ)く:

「僧(そう)と為(な)る者(もの)は、万縁(ばんえん)都(みな)罷(や)む;性(しょう)を了(さと)る者(もの)は、諸法(しょほう)皆(みな)空(くう)なり。大智(だいち)は閑閑(かんかん=ゆったり)として、澹泊(たんぱく=淡々)として不生(ふしょう)の裡(うち)に在(あ)り;真機(しんき)は默默(もくもく=静か)として、寂滅(じゃくめつ)の中(うち)に逍遥(しょうよう)す。三界(さんがい)空(くう)にして百端(ひゃくたん)治(おさ)まり、六根(ろっこん)浄(きよ)くして千種(せんしゅ)窮(きわ)まる。若(も)し乃(すなわ)ち堅(かた)く誠(まこと)に覚(さと)り知(し)らば、須(すべから)く心(こころ)を識(し)るべし:心(こころ)浄(きよ)ければ則(すなわ)ち孤明(こめい)独(ひと)り照(てら)し、心(こころ)存(あ)れば則(すなわ)ち万境(ばんきょう)皆(みな)清(きよ)し。真容(しんよう)は欠(か)くる無(な)く亦(ま)た余(あまる)るも無(な)く、生前(せいぜん)に見(み)る可(べ)し;幻相(げんそう)は形(かたち)有(あ)りて終(つい)に壊(やぶ)るる有(あ)り、分外(ぶんがい=分を越え)て何(なん)をか求(もと)めん?行功(ぎょうこう)打坐(だざ)は、乃(すなわ)ち入定(にゅうじょう)の原(もと)と為(な)し;布恵(ふけい)施恩(せおん)は、誠(まこと)に是(こ)れ修行(しゅぎょう)の本(もと)なり。大巧(たいこう)は拙(せつ)なるが若(ごと)く、還(ま)た事事(じじ=ことごと)に無為(むい)なるを知(し)る;善計(ぜんけい)は籌(はかりごと)に非(あら)ず、必(かなら)ず頭頭(とうとう=一つ一つ)を放下(ほうげ=捨て)る。但(た)だ一心(いっしん)を行(おこな)わざらしめば、万行(ばんぎょう)自(おのずか)ら全(まった)し;若(も)し采陰補陽(さいいんほよう)を云(い)わば、誠(まこと)に謬語(びゅうご=誤った言)と為(な)し、餌(じ)を服(ふく)して長寿(ちょうじゅ)すとは、実(じつ)に乃(すなわ)ち虚詞(きょし=空言)なり。只(た)だ塵塵(じんじん)の縁(えん)を総(すべ)て棄(す)て、物物(ぶつぶつ)色(しき)を皆(みな)空(くう)ぜしむるを要(よう)す。素素純純(そそじゅんじゅん=淡々と純に)として愛欲(あいよく)寡(すくな)ければ、自然(おのずか)ら寿(じゅ)を享(う)くること永(とこしえ)に窮(きわ)まり無(な)からん」と。

那(か)の国丈(こくじょう)言(げん)を聞(き)きて、之(これ)を付(ふ)して一笑(いっしょう)し、手(て)を用(もち)いて唐僧(とうそう)を指(ゆびさ)し定(さだ)めて曰(いわ)く:

「呵(あ)!呵(あ)!呵(あ)!汝(なんじ)が此(こ)の和尚(おしょう)は口(くち)に満(み)ちて胡柴(こさい=たわごと)を説(と)く!寂滅門中(じゃくめつもんちゅう)には、須(すべから)く性(しょう)を認(みと)むるを云(い)うべし、汝(なんじ)は那(か)の性(しょう)の何(いずこ)よりか滅(めっ)するを知(し)らざるなり!枯坐(こざ=座り込んで)参禅(さんぜん)するは、尽(ことごと)く是(こ)れ些(いささか)の盲修瞎煉(もうしゅうかつれん=盲目的な修行)なり。俗語(ぞくご)に云(い)わく、坐(ざ)し、坐(ざ)し、坐(ざ)すれば、汝(なんじ)が屁股(けつ=尻)破(やぶ)る!火(ひ)熬煎(とうせん=煎じ詰め)すれば、反(かえ)って禍(わざわい)を成(な)す。更(さら)に我(われ)が此(こ)の修仙(しゅうせん)の者(もの)は、骨(ほね)の堅秀(けんしゅう=堅く秀で)、達道(たつどう)の者(もの)は、神(しん)の最(もっと)も霊(たま)なるを知(し)らざるなり。箪瓢(たんぴょう=竹の器とひさご)を携(たずさ)えて山(やま)に入(い)りて友(とも)を訪(たず)ね、百薬(ひゃくやく)を采(と)りて世(よ)に臨(のぞ)みて人(ひと)を済(すく)う。仙花(せんか)を摘(つん)で以(もっ)て笠(かさ)を砌(きず)き、香蕙(こうけい=香ばしいフジバカマ)を折(お)りて以(もっ)て裀(しとね)を鋪(し)く。之(これ)を歌(うた)いて掌(てのひら)を鼓(う)ち、舞(ま)い罷(や)んで雲(くも)に眠(ねむ)る。道法(どうほう)を闡(のべ)て、太上(たいじょう)の正教(しょうきょう)を揚(あ)げ;符水(ふすい=呪符を焼いた水)を施(ほどこ)して、人世(じんせい)の妖気(ようき)を除(のぞ)く。天地(てんち)の秀気(しゅうき)を奪(うば)い、日月(じつげつ)の華精(かせい=精華)を採(と)る。陰陽(いんよう)を運(めぐ)らして丹(たん)結(むす)び、水火(すいか)に按(あん)じて胎(たい)凝(ぎょう)す。二八(にはち)陰(いん)消(しょう)ずるや、恍(こう)として惚(こつ)たるが若(ごと)く;三九(さんきゅう)陽(よう)長(ちょう)ずるや、杳(よう)として冥(めい)たるが如(ごと)し。四時(しいじ)に応(おう)じて薬物(やくぶつ)を採取(さいしゅ)し、九転(きゅうてん)を養(やしな)いて丹(たん)を煉(ね)り成(な)す。青鸞(せいらん)に跨(またが)りて紫府(しふ)に昇(のぼ)り;白鶴(はっかく)に騎(の)って瑶京(ようけい)に上(のぼ)る。満天(まんてん)の華采(かさい=彩り)を参(まい)り、妙道(みょうどう)の殷勤(いんぎん=ねんごろ)を表(あらわ)す。汝(なんじ)が那(か)の静禅(じょうぜん)釈教(しゃっきょう)、寂滅(じゃくめつ)陰神(いんしん)、涅槃(ねはん)には臭(くさ)き殻(から)を遺(のこ)すのみ、又(ま)た凡塵(ぼんじん=俗世)を脱(だっ)せず!三教(さんきょう)の中(うち)無上品(むじょうひん)あらず、古来(こらい)惟(た)だ道(みち)のみ独(ひと)り称(とな)えて尊(とうと)しと!」と。

那(か)の国王(こくおう)説(い)うを聴(き)きて、十分(じゅうぶん)に喜(よろこ)び、満朝(まんちょう)の官(かん)都(みな)喝采(かっさい)して曰(いわ)く、「好(よ)き哉(かな)箇(ひとつ)の惟道独称尊(ゆいどうどくしょうそん)!惟道独称尊(ゆいどうどくしょうそん)!」と。長老(ちょうろう)人(ひと)の都(みな)他(かれ)を賛(ほ)むるを見(み)て、羞愧(しゅうき=恥じ入る)に勝(た)えず。国王(こくおう)又(また)光禄寺(こうろくじ)に叫(よ)んで素斎(そさい=精進料理)を安排(あんばい)し、那(か)の遠来(えんらい)の僧(そう)が出城(しゅつじょう)して西(にし)に去(ゆ)くを待(まつ)べしと教(おし)う。三蔵(さんぞう)恩(おん)を謝(しゃ)して退(しりぞ)き、才(ようや)く殿(でん)を下(くだ)り、外(そと)へ向(むか)いて正(まさ)に走(はし)らんとするに、行者(ぎょうじゃ)帽頂児(ぼうちょうじ=帽子の頂)より飛(と)び下(くだ)り、耳(みみ)の辺(ほとり)に来(きた)りて叫(よ)んで曰(いわ)く、「師父(しふ)、此(こ)の国丈(こくじょう)は是(こ)れ一箇(ひとり)の妖邪(ようじゃ)なり、国王(こくおう)は妖気(ようき)を受(う)けたり。汝(なんじ)先(ま)ず駅(えき)に去(ゆ)きて斎(とき=斎食)を待(ま)て、老孫(ろうそん)をして此(こ)の処(ところ)に在(あ)りて他(かれ)が消息(しょうそく)を聴(き)かしめよ」と。三蔵(さんぞう)知会(ちかい=合点)し、独(ひと)り朝門(ちょうもん)を出(い)でるは題(だい)せず。

看(み)よ那(か)の行者(ぎょうじゃ)、一翅(ひとつばさ)に金鑾殿(きんらんでん)の翡翠屏(ひすいびょう=翡翠の屏風)の中(なか)に飛(と)びて釘(とどま)り下(くだ)る。只(た)だ那(か)の班部(はんぶ=列座)の中(なか)より五城兵馬官(ごじょうへいばかん)の閃(ひらめ)き出(い)でて奏(そう)して曰(いわ)く、「我(わ)が主(あるじ)、今夜(こんや)一陣(ひとむれ)の冷風(れいふう)有(あ)りて、各坊(かくぼう)各家(かくか)の鵞籠(がろう)の裡(うち)の小児(しょうじ)を、籠(かご)ごと都(みな)刮(ふ)き去(さ)り、更(さら)に踪迹(しょうせき=跡)無(な)し」と。国王(こくおう)奏(そう)を聞(き)きて、又(また)驚(おどろ)き又(また)悩(いか)り、国丈(こくじょう)に対(たい)して曰(いわ)く、「此(こ)の事(こと)は乃(すなわ)ち天(てん)の朕(ちん)を滅(ほろぼ)すなり!月(つき)を連(つら)ねて病(やまい)重(おも)く、御医(ごい)効(ききめ)無(な)し。幸(さいわ)いに国丈(こくじょう)仙方(せんぽう)を賜(たま)い、専(もっぱ)ら今日(こんにち)の午時(うまのとき)に刀(かたな)を開(ひら)き、此(こ)の小児(しょうじ)の心肝(しんかん)を取(と)りて引(いん=薬引)と作(な)さんことを待(ま)ちしに、何(なん)の期(とき)ぞ冷風(れいふう)に刮(ふ)き去(さ)られんとは。天(てん)の朕(ちん)を滅(ほろぼ)さんと欲(ほっ)するに非(あら)ずして何(なん)ぞや」と。国丈(こくじょう)笑(わら)って曰(いわ)く、「陛下(へいか)、且(しばら)く悩(なや)むを休(や)めよ。此(こ)の児(こ)の刮(ふ)き去(さ)られしは、正(まさ)に是(こ)れ天(てん)の長生(ちょうせい)を陛下(へいか)に送(おく)るなり」と。国王(こくおう)曰(いわ)く、「見(み)るに籠(かご)の中(なか)の児(こ)を把(と)って刮(ふ)き去(さ)られしに、何(なん)を以(もっ)て返(かえ)って天(てん)の長生(ちょうせい)を送(おく)ると説(い)うや」と。国丈(こくじょう)曰(いわ)く、「我(われ)才(さい=ついさっき)朝(ちょう)に入(い)り来(きた)るに、一箇(ひとつ)の絶妙(ぜつみょう)の薬引(やくいん)を見(み)たり、那(か)の一千百十一箇(せんひゃくじゅういちにん)の小児(しょうじ)の心(こころ)に強(まさ)れり。那(か)の小児(しょうじ)の心(こころ)は、只(た)だ陛下(へいか)の千年(せんねん)の寿(じゅ)を延(の)ばし得(う)るのみ;此(こ)の引子(いんし)は、我(われ)が仙薬(せんやく)を食(くら)えば、就(すなわ)ち万万年(ばんばんねん)をも延(の)ばす可(べ)きなり」と。国王(こくおう)漠然(ばくぜん)として是(こ)れ何(なん)の薬引(やくいん)なるかを知(し)らず、再(ふたた)び三(みたび)請問(せいもん)すれば、国丈(こくじょう)才(ようや)く説(と)いて曰(いわ)く、「那(か)の東土(とうど)より経(きょう)を取(と)りに差(つか)わされし和尚(おしょう)は、我(われ)彼(かれ)が器宇(きう=風格)清浄(しょうじょう)、容顔(ようがん)斉整(せいせい=整える)なるを観(み)るに、乃(すなわ)ち是(こ)れ一箇(ひとつ)の十世(じっせ)の修行(しゅぎょう)の真体(しんたい)なり。幼(おさな)きより僧(そう)と為(な)り、元陽(げんよう=生まれつきの陽気)未(いま)だ泄(もら)さず、那(か)の小児(しょうじ)より万倍(まんばい)強(まさ)れり、若(も)し他(かれ)の心肝(しんかん)を得(え)て湯(ゆ)に煎(せん)じ、我(われ)が仙薬(せんやく)を服(ふく)すれば、万(よろず)年の寿(じゅ)を保(たも)つに足(た)れり」と。

那(か)の昏君(くんくん)言(げん)を聞(き)きて十分(じゅうぶん)に聴(き)き信(しん)じ、国丈(こくじょう)に対(たい)して曰(いわ)く、「何(なん)ぞ早(はや)く説(い)わざりし。若(も)し果(はた)して此(か)くの如(ごと)く効(ききめ)有(あ)らば、適才(さっき)留住(りゅうじゅう=引き留め)て、他(かれ)を放(はな)ち去(さら)しめざるものを」と。国丈(こくじょう)曰(いわ)く、「此(こ)れ何(なん)の難(なん)か有(あ)らん!適才(さっき)光禄寺(こうろくじ)に吩咐(ふんぷ)して斎(とき)を弁(べん)じて他(かれ)を待(ま)たしめたれば、他(かれ)必(かなら)ず斎(とき)を食(くら)いて、方(はじ)めて出城(しゅつじょう)せん。如今(いま)急(いそ)ぎ旨(し)を伝(つた)え、各門(かくもん)を将(も)ちて緊(きつ)く閉(と)じ、兵(へい)を点(てん)じて金亭館駅(きんていかんえき)を囲(かこ)ましめ、那(か)の和尚(おしょう)を拿(とら)え来(きた)り、必(かなら)ず礼(れい)を以(もっ)て其(そ)の心(こころ)を求(もと)めよ。若(も)し相(あい)従(したが)わば、即時(そくじ)に剖(さ)きて取(と)り出(いだ)し、遂(つい)に御葬(ぎょそう=手厚く葬る)して其(そ)の尸(しかばね)を葬(ほうむ)り、還(ま)た他(かれ)と廟(びょう)を立(た)てて祭(まつ)りを享(う)けしめよ;若(も)し従(したが)わずんば、就(すなわ)ち他(かれ)に箇(ひとつ)の武不善作(ぶふぜんさく=武力に訴える)を与(あた)え、即時(そくじ)に捆(くく)り住(とど)め、剖(さ)き開(ひら)きて之(これ)を取(と)れ。何(なん)の難事(なんじ)か有(あ)らん!」と。那(か)の昏君(くんくん)其(そ)の言(げん)の如(ごと)くし、即(すなわ)ち旨(し)を伝(つた)え、各門(かくもん)を把(と)って閉(と)ざさしむ。又(また)羽林衛(うりんえい=近衛軍)の大小(だいしょう)の官軍(かんぐん)を差(さしむ)け、館駅(かんえき)を囲(かこ)ましむ。行者(ぎょうじゃ)此(こ)の消息(しょうそく)を聴(き)き得(え)て、一翅(ひとつばさ)に館駅(かんえき)に飛(と)び奔(はし)り、本相(ほんぞう)を現(あらわ)し、唐僧(とうそう)に対(たい)して曰(いわ)く、「師父(しふ)、禍事(かじ=災い)なり!禍事(かじ)なり!」と。那(か)の三蔵(さんぞう)才(さい=たったいま)八戒(はっかい)・沙僧(しゃそう)と御斎(ぎょさい=勅命の斎食)を領(う)けしに、忽(たちま)ち此(こ)の言(げん)を聞(き)きて、唬(おど)ろかされて三尸神(さんししん=体内の三尸)散(ち)り、七竅(しちきょう)より烟(けむり)生(しょう)じ、塵埃(じんあい)に倒(たお)れ、渾身(こんしん=全身)是(こ)れ汗(あせ)、眼(め)は睛(ひとみ)を定(さだ)めず、口(くち)は言(い)うこと能(あた)わず。慌(あわ)てて沙僧(しゃそう)上前(すす)みて攙(たす)け住(とど)め、只(た)だ叫(よ)んで曰(いわ)く、「師父(しふ)、蘇生(よみがえ)れ!師父(しふ)、蘇生(よみがえ)れ!」と。八戒(はっかい)曰(いわ)く、「甚(なん)の禍事(かじ)有(あ)るや?甚(なん)の禍事(かじ)有(あ)るや?汝(なんじ)些(いささ)か慢(ゆる)やかに説(い)えば便(すなわ)ち罷(や)むに、却(かえ)って師父(しふ)を唬(おど)ろかして此(か)くの般(ごと)くならしむるは!」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「師父(しふ)が朝(ちょう)を出(い)でてより、老孫(ろうそん)回視(かいし=見返り)するに、那(か)の国丈(こくじょう)は是(こ)れ一箇(ひとり)の妖精(ようせい)なり。少頃(しばらくして)、五城兵馬(ごじょうへいば)有(あ)りて冷風(れいふう)の小児(しょうじ)を刮(ふ)き去(さ)りし事(こと)を来(きた)りて奏(そう)す。

国王(こくおう)方(まさ)に悩(いか)れるに、他(かれ)は却(かえ)って喜(よろこ)ぶを教(おし)え、此(こ)れ是(こ)れ天(てん)の長生(ちょうせい)を汝(なんじ)に送(おく)るなりと道(い)い、師父(しふ)の心肝(しんかん)を取(と)りて薬引(やくいん)と作(な)し、万年(ばんねん)の寿(じゅ)を延(の)ばす可(べ)しとす。那(か)の昏君(くんくん)誣言(ふげん=誣いる言)を聴(き)き信(しん)じ、故(ゆえ)に精兵(せいへい)を点(てん)じて館駅(かんえき)を囲(かこ)ませ、錦衣官(きんいかん)を差(さしむ)けて師父(しふ)の心(こころ)を請(こ)いに来(きた)らしむるなり」と。八戒(はっかい)笑(わら)って曰(いわ)く、「行(おこな)える慈憫(じびん)の好(よ)き哉(かな)!

救(すく)える小児(しょうじ)の好(よ)き哉(かな)!刮(ふ)かせし陰風(いんぷう)の好(よ)き哉(かな)、今番(こんばん)は却(かえ)って禍(わざわい)を撞(つ)き出(いだ)せり!」と。三蔵(さんぞう)戦戦兢兢(せんせんきょうきょう=おののき)として爬(はい)き起(お)き、行者(ぎょうじゃ)を扯(ひ)いて哀告(あいこく=嘆き訴え)して曰(いわ)く、「賢徒(けんと)よ!此(こ)の事(こと)如何(いか)にしてか好(よ)からん」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く:

「若(も)し好(よ)からんと欲(ほっ)せば、大(だい)を小(しょう)と做(な)せ」と。沙僧(しゃそう)曰(いわ)く、「怎(いか)にして大(だい)を小(しょう)と做(な)すと叫做(なづ)くるや」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「若(も)し命(いのち)を全(まっと)うせんと欲(ほっ)せば、師(し)を徒(と)と作(な)し、徒(と)を師(し)と作(な)さば、方(はじ)めて保(たも)ち全(まっと)うす可(べ)し」と。三蔵(さんぞう)曰(いわ)く、「汝(なんじ)若(も)し我(われ)が命(いのち)を救(すく)い得(う)れば、情願(ねが)って汝(なんじ)と徒子徒孫(としとそん=弟子のまた弟子)と作(な)らん」と。行者(ぎょうじゃ)曰(いわ)く、「既(すで)に此(か)くの如(ごと)くならば、遅疑(ちぎ=ためらう)することを必(かなら)ず要(よう)せず」と。教(おし)えて曰(いわ)く、「八戒(はっかい)、快(すみや)かに些(いささか)の泥(どろ)を和(こ)ねて来(きた)れ」と。那(か)の呆子(あほう)即(すなわ)ち釘鈀(ていは=鉞)を使(つか)い、些(いささか)の土(つち)を筑(つ)き、又(また)敢(あ)えて外(そと)に去(ゆ)きて水(みず)を取(と)らず、後(のち)に就(すなわ)ち衣服(いふく)を擄(まく)り上(あ)げて溺(にょう=小便)を撒(はな)ち、一団(ひとまとまり)の臊泥(そうでい=臭き泥)を和(こ)ね、行者(ぎょうじゃ)に逓(わた)す。行者(ぎょうじゃ)没奈何(しかたなく)、泥(どろ)を将(も)ちて一片(ひときれ)に撲(ぬ)り作(な)し、自家(じか)の臉(かお)の上(うえ)に往(ゆ)きて一(ひと)安(おしあ)て、箇(ひとつ)の猴(さる)の象(かたち)の臉子(しれん=面)を做(つく)り下(くだ)し、唐僧(とうそう)に叫(よ)んで站(た)ち起(お)きて動(うご)くこと休(や)め、再(ふたた)び言語(げんご)すること莫(な)かれとし、唐僧(とうそう)の臉(かお)の上(うえ)に貼(は)り、真言(しんごん)を念動(ねんどう)し、一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吹(ふ)き、「変(へん)じよ!」と叫(よ)べば、那(か)の長老(ちょうろう)即(すなわ)ち変(へん)じて箇(ひとつ)の行者(ぎょうじゃ)の模様(さま)と做(な)り、他(かれ)の衣服(いふく)を脱(ぬ)がせ、行者の衣服(いふく)を以(もっ)て穿(き)しむ。行者(ぎょうじゃ)却(かえ)って師父(しふ)の衣服(いふく)を将(も)ちて穿(き)し、訣(けつ)を捻(ねん)じ、一箇(ひとつ)の咒語(じゅご)を念(ねん)じ、身(み)を揺(ゆす)って変(へん)じて唐僧(とうそう)の嘴臉(しれん)と作(な)れば、八戒(はっかい)沙僧(しゃそう)も也(ま)た識(みわ)け認(したた)め難(がた)し。正(まさ)に合心(ごうしん=心を合わせ)に装扮(そうふん=身支度)の停当(ていとう)せるに、只(た)だ鑼鼓(らこ=鉦と太鼓)の斉(ひとしく)鳴(な)るを聴(き)き、又(また)那(か)の槍刀(そうとう=槍と刀)の簇擁(ぞくよう=取囲む)を見(み)る。原(もと)来(もと)是(こ)れ羽林衛(うりんえい)の官(かん)、三千(さんぜん)の兵(へい)を領(りょう)じて館駅(かんえき)を把(と)って囲(かこ)めり。又(また)一箇(ひとり)の錦衣官(きんいかん)の駅庭(えきてい)に走(はし)り入(い)りて問(と)うて曰(いわ)く、「東土(とうど)唐朝(とうちょう)の長老(ちょうろう)は那(いずこ)に在(あ)る」とを見(み)る。慌(あわ)てて那(か)の駅丞(えきじょう)戦戦兢兢(おののき)として跪(ひざまず)き下(くだ)り、指(ゆびさ)して曰(いわ)く、「下面(かめん)の客房(かくぼう)の裡(うち)に在(あ)り」と。

錦衣官(きんいかん)即(すなわ)ち客房(かくぼう)の裡(うち)に至(いた)りて曰(いわ)く、「唐長老(とうちょうろう)、我(わ)が王(おう)請(しょう)ずる有(あ)り」と。八戒(はっかい)沙僧(しゃそう)左右(さゆう)より仮(かり)の行者(ぎょうじゃ)を護持(ごじ=守)るに、只(た)だ仮(かり)の唐僧(とうそう)の門(もん)を出(い)でて施礼(せれい)して曰(いわ)く、「錦衣(きんい)の大人(たいじん)、陛下(へいか)貧僧(ひんそう)を召(め)すは、何(なん)の話(はなし)有(あ)るや」とを看(み)る。錦衣官(きんいかん)上前(すす)みて一把(ひとつかみ)に扯(ひ)き住(とど)めて曰(いわ)く、「我(われ)汝(なんじ)と朝(ちょう)に進(すす)み入(い)らん、想(おも)うに必(かなら)ず取用(しゅよう=お召し使い)有(あ)らん」と。咦(ああ)!此(こ)れ正(まさ)に是(こ)れ:

妖(よう)誣(ふ)して慈善(じぜん)に勝(まさ)り、慈善(じぜん)反(かえ)って凶(きょう)を招(まね)く。

畢竟(つい)に此(こ)の去(ゆ)く端(はし)の性命(せいめい)の如何(いかん)を知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。