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008 第八回 我(わ)が仏(ほとけ)経(きょう)を造(つく)りて極楽(ごくらく)に伝(つた)へ 観音(かんのん)旨(し)を奉(ほう)じて長安(ちょうあん)に上(のぼ)る

試(こころ)みに禅関(ぜんかん=禅の関)に問(と)ふ、参求(さんぐ=参じ求む)すること無数(むすう)、往往(おうおう=とかく)にして到頭(とうとう=ついに)虚(むな)しく老(お)ゆ。
磨磚(ません=磚を磨)して鏡(かがみ)を作(つく)り、雪(ゆき)を積(つ)んで粮(かて=糧)と為(な)し、幾多(いくばく)の年少(ねんしょう=若き者)を迷(まよ)わし了(おわ)れるか?
毛(け)も大海(たいかい)を呑(の)み、芥(け=芥子粒)も須弥(しゅみ=須弥山)を納(い)るとは、金色頭陀(こんじきずだ=金色の頭陀)の微笑(びしょう)なり。
悟(さと)る時(とき)十地三乗(じっちさんじょう)を超(こ)ゆれど、四生六道(ししょうろくどう)を凝滞(ぎょうたい=滞ら)し了(おわ)る。
誰(たれ)か絶想崖前(ぜっそうがいぜん=想いを絶つ崖)の、無陰樹(むいんじゅ=陰無き樹)の下(もと)に、杜宇(とう=ほととぎす)一声(ひとこえ)の春暁(しゅんぎょう=春のあけぼの)を聴(き)き得(う)るや?
曹渓(そうけい)の路(みち)険(けわ)しく、鷲嶺(じゅれい=霊鷲山)の雲(くも)深(ふか)く、此(こ)の処(ところ)故人(こじん)の音(おと)杳(よう=遠し)。
千丈(せんじょう)の冰崖(ひょうがい=氷の崖)、五葉(ごよう)の蓮(はす)開(ひら)き、古殿(こでん)の簾(すだれ)垂(た)れて香(こう)嫋(たなび)く。
那(か)の時節(とき)、源流(げんりゅう)を識(し)り破(やぶ)らば、便(すなわ)ち龍王(りゅうおう)の三宝(さんぽう)を見(み)ん。

此(こ)の一篇(いっぺん)の詞(し)は、名(な)づけて『蘇武慢(そぶまん)』と曰(い)う。話(はな)し表(しめ)す、我(わ)が仏(ほとけ)如来(にょらい)は、玉帝(ぎょくてい)に辞別(じべつ)し、回(かえ)りて雷音宝刹(らいおんほうさつ)に至(いた)るに、但(た)だ見(み)る那(か)の三千諸仏(さんぜんしょぶつ)・五百阿羅(ごひゃくあら)・八大金剛(はちだいこんごう)・無辺(むへん)の菩薩(ぼさつ)の、一箇一箇(めいめい)都(みな)幢幡(どうばん=旗)宝蓋(ほうがい=傘)を執(と)り、異宝(いほう)仙花(せんか)を擺(なら)べ列(つら)ねて霊山仙境(りょうざんせんきょう)に在(あ)り、娑羅双林(しゃらそうりん=沙羅双樹)の下(もと)に接迎(せつげい=迎える)するを。如来(にょらい)祥雲(しょううん)を駕(が)し住(とど)め、衆(しゅう)に対(たい)して曰(いわ)く、「我(われ)甚深(じんじん)の般若(はんにゃ)を以(もっ)て、遍(あまね)く三界(さんがい)を観(み)る。根本(こんぽん)性原(しょうげん=性の源)は、畢竟(ひっきょう)寂滅(じゃくめつ)なり。虚空(こくう)の相(すがた)と同(おな)じく、一(ひとつ)も所有(しょゆう)する無(な)し。乖猴(かいこう=逆らう猿)を殄伏(てんぷく=滅ぼし伏)せるも、是(こ)の事(こと)識(し)る莫(な)し、名(な)づけて生死(しょうじ)の始(はじめ)とし、法相(ほっそう)是(か)くの如(ごと)し」と。説(と)き罷(や)みて、舎利(しゃり)の光(ひかり)を放(はな)てば、満空(まんくう)に白虹(はくこう=白き虹)四十二道(しじゅうにどう)有(あ)りて、南北(なんぼく)通(つう)じ連(つら)なる。大衆(だいしゅ)見(み)て、身(み)を皈(き=帰)し礼拜(れいはい)す。少頃(しばらく)の間(あいだ)に、慶雲彩霧(けいうんさいむ=瑞雲と彩りの霧)を聚(あつ)め、上品蓮台(じょうぼんれんだい)に登(のぼ)り、端然(たんぜん=いかめしく)として坐(ざ)し下(くだ)る。那(か)の三千諸仏(さんぜんしょぶつ)・五百羅漢(ごひゃくらかん)・八金剛(はちこんごう)・四菩薩(しぼさつ)、掌(てのひら)を合(がっ)して近(ちか)づき前(まえ)に礼(れい)し畢(おわ)り、問(と)うて曰(いわ)く、「天宮(てんぐう)を鬧(さわ)がし蟠桃(ばんとう)を攪乱(かくらん)せし者(もの)は、何(なん)なるや」と。如来(にょらい)曰(いわ)く、「那(か)の厮(やつ)は乃(すなわ)ち花果山(かかざん)の産(う)みし一(ひとつの)妖猴(ようこう)にして、罪悪(ざいあく)天(てん)に滔(みなぎ)り、名状(めいじょう=言い表す)す可(べ)からず、概(おおむ)ね天神将(てんしんしょう)も、俱(とも)に能(よ)く降伏(ごうぶく)する莫(な)く、二郎(じろう)の捉獲(そくかく=擒える)と、老君(ろうくん)の火(ひ)を用(もち)いて煅煉(たんれん)すると雖(いえど)も、亦(ま)た能(よ)く傷損(しょうそん)する莫(な)し。我(われ)去(ゆ)きし時(とき)、正(まさ)に雷将(らいしょう)の中間(ちゅうかん)に在(あ)りて、威(い)を揚(あ)げ武(ぶ)を耀(かがや)かし、精神(せいしん)を売弄(ろう=ひけらか)せるを、我(われ)兵戈(へいか=武器)を止(とど)め住(とど)めて、他(かれ)が来歴(らいれき)を問(と)えば、他(かれ)神通(じんつう)有(あ)り、変化(へんげ)を会(え)し、又(また)筋斗雲(きんとうん)を駕(が)して、一去(ひとたびゆけば)十万八千里(じゅうまんはっせんり)と言(い)えり。我(われ)他(かれ)と箇(ひとつ)の賭賽(とさい=賭け)を打(う)ちしに、他(かれ)我(われ)が手(て)を出(い)づることを得(え)ず、却(かえ)って他(かれ)を一把(ひとつかみ)に抓(つか)み住(とど)め、指(ゆび)を指(さ)して五行山(ごぎょうさん)に化(け)し、封圧(ふうあつ=封じ圧し)して他(かれ)を那(か)の裡(うち)に在(あ)らしめたり。玉帝(ぎょくてい)大(おお)いに金闕瑶宮(きんけつようきゅう=金の宮と瑶の館)を開(ひら)き、我(われ)を請(しょう)じて首席(しゅせき)に坐(ざ)せしめ、『安天大会(あんてんだいえ)』を立(た)てて我(われ)を謝(しゃ)せしが、却(かえ)って方(はじ)めて駕(が)に辞(じ)して回(かえ)れり」と。大衆(だいしゅ)言(げん)を聴(き)きて喜悦(きえつ=喜び楽し)み、極口(きょくこう=口を極め)して称揚(しょうよう=称え讃う)。謝(しゃ)し罷(や)みて、各(おのおの)班(はん=組)に分(わ)かれて退(しりぞ)き、各(おのおの)乃(すなわ)ち事(こと)を執(と)り、共(とも)に天真(てんしん=天の真)を楽(たのし)む。果(はた)して是(こ)れ:

瑞靄(ずいあい=瑞けき靄)天竺(てんじく)に漫(み)ち、虹光(こうこう)世尊(せそん)を擁(よう=囲む)。
西方(さいほう)第一(だいいち)と称(とな)え、無相(むそう)法王(ほうおう)の門(もん)なり!
常(つね)に見(み)る玄猿(げんえん=黒猿)の果(くだもの)を献(けん)じ、麋鹿(びろく=大鹿)の花(はな)を銜(ふく)むを;
青鸞(せいらん)舞(ま)い、彩鳳(さいほう)鳴(な)き;霊亀(れいき)寿(じゅ)を捧(ささ)げ、仙鶴(せんかく)芝(しば=霊芝)を擒(とら)う。
浄土袛園(じょうどしおん=浄土の祇園)を安享(あんきょう=安らかに享け)、龍宮法界(りゅうぐうほっかい)を受用(じゅよう=享け用う)。
日日(ひび)花(はな)開(ひら)き、時時(じじ=いつも)果(くだもの)熟(じゅく)し、静(しず)けきに習(なら)い真(しん)に帰(き)し、禅(ぜん)に参(さん)じて果(か)正(ただ)し。
不滅不生(ふめつふしょう)にして、不増不減(ふぞうふげん)なり。
烟霞(えんか)縹緲(ひょうびょう)として来往(らいおう)に随(したが)い、寒暑(かんしょ)侵(おか)すこと無(な)くして年(とし)を記(き)せず。

詩(し)に曰(いわ)く:

去(さ)り来(きた)ること自在(じざい)にして優游(ゆうゆう=ゆったり)なるに任(まか)せ、也(ま)た恐怖(きょうふ)無(な)く也(ま)た愁(うれ)い無(な)し。
極楽場中(ごくらくじょうちゅう)俱(とも)に坦蕩(たんとう=広々と)たり、大千(だいせん)の処(ところ)に春秋(しゅんじゅう=年月)没(な)し。

仏祖(ぶっそ)一月(ひとつき)の間(あいだ)霊山(りょうざん)大雷音宝刹(だいらいおんほうさつ)に居(きょ)す。一日(いちにち)、諸仏(しょぶつ)・阿羅(あら)・掲諦(かいてい)・菩薩(ぼさつ)・金剛(こんごう)・比丘僧(びくそう)・尼(に)等(ら)の衆(しゅ)を喚(よ)び聚(あつ)め、曰(いわ)く、「乖猿(かいえん=逆らう猿)を伏(ふく)し、天(てん)を安(やすん)じし後(のち)、我(われ)が処(ところ)年月(ねんげつ)を知(し)らざるも、料(はか)るに凡間(ぼんげん)に半千年(はんせんねん=五百年)有(あ)るならん、今(いま)孟秋(もうしゅう=初秋)の望日(ぼうじつ=十五日)に値(あ)う。我(われ)に一(ひとつ)の宝盆(ほうぼん=宝の鉢)有(あ)り、百様(ひゃくよう)の花(はな)、千般(せんぱん)の異果(いか=珍しき果)等(ら)の物(もの)を具(そな)え設(もう)けて、汝(なんじ)等(ら)と此(こ)の『盂蘭盆会(うらぼんえ)』を享(う)けんとするは如何(いかん)」と。慨衆(がいしゅう=大衆)一箇一箇(めいめい)掌(てのひら)を合(がっ)し、仏(ほとけ)に礼(れい)すること三匝(さんそう=三巡)して、領会(りょうえ=承知)す。如来(にょらい)却(かえ)って宝盆(ほうぼん)の中(うち)の花果(かか=花と果)の品物(ひんぶつ)を将(も)ちて、阿難(あなん)に着(つ)けて捧(ささ)げ走(はし)らしめ、迦葉(かしょう)に着(つ)けて布散(ふさん=配り)せしむ。大衆(だいしゅ)感激(かんげき)し、各(おのおの)詩(し)を献(けん)じて伸謝(しんしゃ=述べ謝す)。

福(ふく)の詩(し)に曰(いわ)く:

福聖(ふくしょう)光(ひかり)耀(かがや)きて性尊前(しょうそんぜん)にあり、福(ふく)弥遠(びえん)を納(い)れて深(ふか)くして更(さら)に綿(めん=長)し。
福徳(ふくとく)無疆(むきょう=限り無く)地久(ちきゅう=地の久しき)と同(おな)じく、福縁(ふくえん)慶(よろこび)有(あ)りて天(てん)と連(つら)なる。
福田(ふくでん)広(ひろ)く種(う)えて年年(ねんねん)に盛(さか)んに、福海(ふくかい)洪(こう=大)く深(ふか)くして歳歳(さいさい)に堅(かた)し。
福(ふく)乾坤(けんこん)に満(み)ちて福蔭(ふくいん=福の蔭)多(おお)く、福(ふく)無量(むりょう)に増(ま)して永(とこしえ)に周全(しゅうぜん=満ち足る)。

禄(ろく)の詩(し)に曰(いわ)く:

禄(ろく)重(おも)きこと山(やま)の如(ごと)くにして彩鳳(さいほう)鳴(な)き、禄(ろく)時(とき)の泰(やす)きに随(したが)いて長庚(ちょうこう=金星)を視(み)る。
禄(ろく)万斛(ばんこく)を添(そ)えて身(み)康健(こうけん)に、禄(ろく)千鐘(せんしょう)を享(う)けて也(ま)た太平(たいへい)なり。
禄俸(ろくほう)天(てん)と斉(ひと)しくして還(ま)た永(とこしえ)に固(かた)く、禄名(ろくめい)海(うみ)に似(に)て更(さら)に澄清(ちょうせい=澄み清)し。
禄思(ろくし)遠(とお)く継(つ)がれて瞻仰(せんごう=仰ぎ見る)多(おお)く、禄爵(ろくしゃく)無辺(むへん)にして万国(ばんこく)栄(さか)う。

寿(じゅ)の詩(し)に曰(いわ)く:

寿星(じゅせい)彩(いろどり)を献(けん)じて如来(にょらい)に対(たい)し、寿域(じゅいき=寿の境)の光華(こうか)此(これ)より開(ひら)く。
寿果(じゅか)盤(ばん)に満(み)ちて瑞靄(ずいあい)を生(しょう)じ、寿花(じゅか)新(あらた)に采(と)りて蓮台(れんだい)に插(さ)す。
寿詩(じゅし)清雅(せいが)にして奇妙(きみょう)多(おお)く、寿曲(じゅきょく)音(おん)を調(ととの)えて美才(びさい=美しき才)に按(あん)ず。
寿命(じゅみょう)延長(えんちょう)して日月(じつげつ)と同(おな)じく、寿(じゅ)山海(さんかい)の如(ごと)くにして更(さら)に悠(ゆう=遥か)なる哉(かな)。

衆菩薩(しゅうぼさつ)献(けん)じ畢(おわ)り、因(よ)って如来(にょらい)に請(こ)うて根本(こんぽん)を明示(めいじ)し、源流(げんりゅう)を指解(しげ=指し説)かんことを。那(か)の如来(にょらい)微(かす)かに善口(ぜんく=善き口)を開(ひら)き、大法(だいほう)を敷演(ふえん=説き広め)、正果(しょうか)を宣揚(せんよう=宣べ揚ぐ)、講(こう)ずる所(ところ)は是(こ)れ三乗(さんじょう)の妙典(みょうてん)、五蘊(ごうん)の得厳(とくごん=厳かなるを得る)。但(た)だ見(み)る那(か)の天龍(てんりゅう)同(とも)に繞(めぐ)り、花雨(かう=花の雨)繽紛(ひんぷん=乱れ降る)を。正(まさ)に是(こ)れ:

「禅心(ぜんしん)朗(あき)らかにして千江(せんこう=幾千の川)の月(つき)を照(てら)し、真性(しんしょう)情(じょう)を涵(ひた)して万里(ばんり)の天(てん)なり。」

如来(にょらい)講(こう)じ罷(や)み、衆(しゅう)に対(たい)して言(げん)を回(めぐ)らして曰(いわ)く、「我(われ)四大部洲(しだいぶしゅう)を現(あらわ)すに、衆生(しゅじょう)の善悪(ぜんあく)、各(おのおの)方(ほう)一(ひとつ)ならず:東勝神洲(とうしょうしんしゅう)なる者(もの)は、天(てん)を敬(うやま)い地(ち)を礼(れい)し、心(こころ)爽(さわ)やかにして気(き)平(たい)らかなり;北巨蘆洲(ほっきょろしゅう)なる者(もの)は、親(した)しく生(い)くるを好(この)むと雖(いえど)も、只(た)だ糊口(ここう=口を糊する)に因(よ)り、性(しょう)拙(つたな)く情(じょう)流(なが)れ、作践(さくせん=踏みにじる)多(おお)からず;我(わ)が西牛賀洲(さいごがしゅう)なる者(もの)は、貪(むさぼ)らず殺(ころ)さず、気(き)を養(やしな)い霊(たま)を潜(ひそ)め、上真(じょうしん=真の仙)無(な)しと雖(いえど)も、人人(ひとびと)寿(じゅ)を固(かた)くす;但(た)だ那(か)の南贍部洲(なんせんぶしゅう)なる者(もの)は、淫(いん)を貪(むさぼ)り禍(わざわい)を楽(たのし)み、殺(ころ)すこと多(おお)く争(あらそ)うこと多(おお)く、正(まさ)に所謂(いわゆる)口舌(こうぜつ=言い争い)の凶場(きょうじょう=凶の場)、是非(ぜひ)の悪海(あくかい)なり。我(われ)今(いま)三蔵(さんぞう)の真経(しんきょう)有(あ)り、以(もっ)て人(ひと)をして善(ぜん)を為(な)さしむ可(べ)し」と。

諸菩薩(しょぼさつ)言(げん)を聞(き)きて、掌(てのひら)を合(がっ)して皈依(きえ=帰依)し、仏前(ぶつぜん)に向(むか)いて問(と)うて曰(いわ)く、「如来(にょらい)に哪(いず)れの三蔵(さんぞう)の真経(しんきょう)有(あ)るか」と。如来(にょらい)回(こた)えて曰(いわ)く、「我(われ)に法(ほう)一蔵(いちぞう)有(あ)り、天(てん)を談(だん)じ;論(ろん)一蔵(いちぞう)有(あ)り、地(ち)を説(と)き;経(きょう)一蔵(いちぞう)有(あ)り、鬼(おに)を度(ど=済度)す;三蔵(さんぞう)共計(きょうけい=合わせ)三十五部(さんじゅうごぶ)、該(まさ)に一万五千一百四十四巻(いちまんごせんひゃくしじゅうよんかん)なり、乃(すなわ)ち是(こ)れ修真(しゅうしん)の径(みち)、正善(しょうぜん)の門(もん)なり。我(われ)待(ま)たんと要(よう)するは之(これ)を東土(とうど)に送(おく)り上(のぼ)さんとするに、叵耐(はなはだしいかな)那(か)の方(かた)の衆生(しゅじょう)は愚蠢(ぐどん=愚か)にして、真言(しんごん)を毀謗(きぼう=謗る)し、我(われ)が法門(ほうもん)の要旨(ようし)を識(し)らず、瑜迦(ゆか=瑜伽)の正宗(せいしゅう)を怠慢(たいまん=疎かに)す。怎(いか)にして一箇(ひとりの)法力(ほうりき)有(あ)る者(もの)を得(え)て、東土(とうど)に去(ゆ)きて一箇(ひとりの)善信(ぜんしん=信心ある者)を尋(たず)ね、他(かれ)をして苦(くる)しみて千山(せんざん)を歴(へ)、遠(とお)く万水(ばんすい)を経(へ)て、我(われ)が処(ところ)に到(いた)りて真経(しんきょう)を求(もと)め取(と)らしめ、永(とこしえ)に東土(とうど)に伝(つた)え、他(かれ)が衆生(しゅじょう)を勧(すす)めば、却(かえ)って乃(すなわ)ち是(こ)れ箇(ひとつ)の山(やま)の大(おお)いなるの福縁(ふくえん)、海(うみ)の深(ふか)きの善慶(ぜんけい=善き慶び)なるに、誰(たれ)か肯(あ)えて去(ゆ)きて一遭(ひとたび)を走(はし)り来(きた)らんや」と。当(まさ)に観音菩薩(かんのんぼさつ)有(あ)り、行(ゆ)きて蓮台(れんだい)に近(ちか)づき、仏(ほとけ)に礼(れい)すること三匝(さんそう)し、道(い)わく、「弟子(でし)不才(ふさい=未熟)なれど、願(ねが)わくは東土(とうど)に上(のぼ)りて一箇(ひとりの)取経(しゅきょう=経を取りに)の者(もの)を尋(たず)ね来(きた)らん」と。諸衆(しょしゅう)頭(こうべ)を抬(あ)げて観看(かんがん)すれば、那(か)の菩薩(ぼさつ)は:

理(り)四徳(しとく)を円(まどか)にし、智(ち)金身(こんしん=金の身)に満(み)つ。
纓珞(えいらく=珠の飾り)珠翠(しゅすい=珠と翡翠)を垂(た)れ、香環(こうかん=香る環)宝(ほう)を結(むす)んで明(あき)らかなり。
烏雲(ううん=黒き雲)巧(たくみ)に迭(かさ)ねて盤龍髻(ばんりゅうけい=龍のとぐろの髪)、繍帯(しゅうたい=刺繍の帯)軽(かる)く飄(ひるがえ)りて彩鳳(さいほう)の翎(はね)のごとし。
碧玉(へきぎょく)の紐(ひも)、素羅袍(そらほう=白き薄絹の袍)、祥光(しょうこう)籠(こも)り罩(おお)う;錦絨裙(きんじゅくん=錦の毛衣の裳)、金落索(きんらくさく=金の鎖)、瑞気(ずいき)遮(さえぎ)り迎(むか)う。
眉(まゆ)は小月(しょうげつ=三日月)の如(ごと)く、眼(め)は双星(そうせい=二つの星)に似(に)たり。
玉面(ぎょくめん=玉の顔)天生(てんせい=生れつき)の喜(よろこび)、朱唇(しゅしん=赤き唇)一点(いってん)の紅(くれない)。
浄瓶(じょうへい=清き瓶)の甘露(かんろ)年年(ねんねん)に盛(さか)んに、斜(なな)めに插(さ)す垂楊(すいよう=柳)歳歳(さいさい)に青(あお)し。
八難(はちなん=八つの難)を解(と)き、群生(ぐんしょう=衆生)を度(ど=済度)し、大(おお)いなる慈憫(じびん=憐れみ)あり。
故(ゆえ)に太山(たいざん)を鎮(しず)め、南海(なんかい)に居(きょ)し、苦(くるしみ)を救(すく)い声(こえ)を尋(たず)ね、万(よろず)称(とな)うれば万(よろず)応(こた)え、千(ち)聖(ひじり)にして千(ち)霊(たま)なり。
蘭心(らんしん=蘭の心)紫竹(しちく)を欣(よろこ)び、蕙性(けいせい=フジバカマの性)香藤(こうとう=香る藤)を愛(あい)す。
他(かれ)は是(こ)れ落伽山(らくかさん)上の慈悲主(じひしゅ)、潮音洞(ちょうおんどう)裡(うち)の活観音(かつかんのん)なり。

如来(にょらい)見(み)て、心(こころ)の中(うち)に大(おお)いに喜(よろこ)び、道(い)わく、「別(べつ)の箇(ひとり)は是(こ)れ也(ま)た去(ゆ)くことを得(え)ず、須(すべから)く是(こ)れ観音尊者(かんのんそんじゃ)の、神通広大(じんつうこうだい)なるにして、方(はじ)めて去(ゆ)く可(べ)し」と。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「弟子(でし)此(ここ)より東土(とうど)に去(ゆ)くに、甚(なん)の言語(ことば)の吩咐(ふんぷ=言付け)有(あ)るや」と。如来(にょらい)道(い)わく、「此(こ)の一去(ひとたびゆき)に、要(よう)す路道(ろどう=道筋)を踏(ふ)み看(み)るべし、霄漢(しょうかん=大空)の中(うち)に行(ゆ)くを許(ゆる)さず、須(すべから)く是(こ)れ半雲半霧(はんうんはんむ=雲と霧の半ば)なるべし;山水(さんすい)を目(め)に過(よぎ)らせ、謹(つつし)んで程途(ていと=道程)の遠近(えんきん)の数(かず)を記(き)し、那(か)の取経(しゅきょう)の人(ひと)に叮嚀(ていねい=念押し)せよ。但(た)だ恐(おそ)らくは善信(ぜんしん)の行(ゆ)くこと難(がた)からん、我(われ)汝(なんじ)に五件(いつつ)の宝貝(ほうばい=宝)を与(あた)えん」と。即(すなわ)ち阿難(あなん)・迦葉(かしょう)に命(めい)じて、「錦襴袈裟(きんらんけさ=錦の袈裟)」一領(ひとえ)、「九環錫杖(きゅうかんしゃくじょう=九つの環の錫杖)」一根(ひとふり)を取(と)り出(いだ)さしめ、菩薩(ぼさつ)に対(たい)して言(げん)を回(めぐ)らして曰(いわ)く、「此(こ)の袈裟(けさ)・錫杖(しゃくじょう)は、可(べ)く那(か)の取経(しゅきょう)の人(ひと)の親(みずか)ら用(もち)うるに与(あた)うべきなり。若(も)し肯(あ)えて堅心(けんしん=固き心)にて此(ここ)に来(きた)らば、我(われ)が袈裟(けさ)を穿(き)れば輪廻(りんね)に堕(お)つるを免(まぬが)れ;我(われ)が錫杖(しゃくじょう)を持(と)れば毒害(どくがい)に遭(あ)わず」と。

此(こ)の菩薩(ぼさつ)皈依(きえ)して拜(おが)み領(う)くるに、如来(にょらい)又(また)三箇(みっつ)の箍児(こじ=輪)を取(と)り、菩薩(ぼさつ)に逓(わた)して道(いわ)く、「此(こ)の宝(ほう)は喚(よ)んで『緊箍児(きんこじ=締め輪)』と做(な)す、一様(ひとよう)に三箇(みっつ)なると雖(いえど)も、但(た)だ只(た)だ是(こ)れ用(もち)うる各(おのおの)同(おな)じからず。我(われ)に『金緊禁(こんきんきん)』の咒語(じゅご)三篇(さんぺん)有(あ)り。仮(かり)に若(も)し路(みち)の上(ほとり)にて神通広大(じんつうこうだい)の妖魔(ようま)に撞見(であ)わば、汝(なんじ)須(すべから)く是(こ)れ他(かれ)を勧(すす)めて学(まな)び好(よ)くならしめ、那(か)の取経(しゅきょう)の人(ひと)に跟(したが)いて箇(ひとつの)徒弟(とてい)と做(な)らしめよ。他(かれ)若(も)し使喚(しかん=使い)に伏(ふく)せずんば、可(べ)く此(こ)の箍児(こじ)を将(も)ちて他(かれ)に与(あた)えて頭(こうべ)の上(うえ)に帯(お)かしむれば、自然(おのずか)ら肉(にく)を見(み)て根(ね)を生(しょう)ず。各(おのおの)用(もち)うる所(ところ)の咒語(じゅご)に依(よ)りて一(ひと)念(とな)え念(とな)えば、眼(め)脹(は)れ頭(こうべ)痛(いた)み、脳門(のうもん=脳天)皆(みな)裂(さ)け、管(きっと)て他(かれ)をして我(われ)が門(もん)に入(い)らしめん」と。

那(か)の菩薩(ぼさつ)言(げん)を聞(き)きて、躍踊(やくしょう=跳ね喜び)して礼(れい)を作(な)して退(しりぞ)き、即(すなわ)ち恵岸行者(えがんぎょうじゃ)を喚(よ)んで随(したが)いて行(ゆ)かしむ。那(か)の恵岸(えがん)は一條(ひとふり)の渾鉄棍(こんてっこん=総鉄の棒)を使(つか)うに、重(おも)さ千斤(せんきん)有(あ)り、只(た)だ菩薩(ぼさつ)の左右(さゆう)に在(あ)りて箇(ひとつ)の降魔(ごうま)の大力士(だいりきし)と作(な)る。菩薩(ぼさつ)遂(つい)に錦襴袈裟(きんらんけさ)を将(も)ちて一箇(ひとつの)包裹(ほうか=包み)を作(な)し、他(かれ)に令(れい)じて背(せお)わしむ。菩薩(ぼさつ)金箍(きんこ)を将(も)ちて蔵(かく)し、錫杖(しゃくじょう)を執(と)り、径(ただ)ちに霊山(りょうざん)を下(くだ)る。此(こ)の一去(ひとたびゆき)に、分教(ぶんきょう=次第)有(あ)り:

仏子(ぶっし)還(ま)た来(きた)りて願(がん)を帰(き=果た)し、金蝉長老(きんせんちょうろう)栴檀(せんだん)を裹(つつ)む。

那(か)の菩薩(ぼさつ)山(やま)の脚(ふもと)下(した)に到(いた)るに、玉真観(ぎょくしんかん)の金頂大仙(きんちょうだいせん)の、観門(かんもん=観の門)の首(ほとり)に在(あ)りて接(むか)え住(とど)め、菩薩(ぼさつ)を請(しょう)じて茶(ちゃ)を献(けん)ぜしむ有(あ)り。菩薩(ぼさつ)敢(あ)えて久(ひさ)しく停(とど)まらず、大仙(だいせん)に対(たい)して曰(いわ)く、「今(いま)如来(にょらい)の法旨(ほうし)を領(う)け、東土(とうど)に上(のぼ)りて取経(しゅきょう)の人(ひと)を尋(たず)ねに去(ゆ)かん」と。大仙(だいせん)道(い)わく、「取経(しゅきょう)の人(ひと)は幾時(いつ)方(はじ)めて到(いた)るや」と。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「未(いま)だ定(さだ)まらず、約莫(おおよそ)二三年(にさんねん)の間(あいだ)に、或(あるい)は此(ここ)に至(いた)る可(べ)し」と。遂(つい)に大仙(だいせん)に辞(じ)し、半雲半霧(はんうんはんむ)して、約(おおよ)く程途(ていと)を記(き)す。詩(し)有(あ)りて証(しょう)と為(な)す。詩(し)に曰(いわ)く:

万里(ばんり)相(あい)尋(たず)ぬるも自(みずか)ら言(い)わず、却(かえ)って云(い)わく誰(たれ)か意(い)の全(まっと)うし難(がた)きを得(え)んと?
人(ひと)を求(もと)むること忽(たちま)ち若(も)し渾(すべて)此(か)くの如(ごと)くならば、是(こ)れ我(われ)が平生(へいぜい)豈(あ)に偶然(ぐうぜん)ならんや?
道(みち)を伝(つた)うるに方(ほう)有(あ)りて成(な)るは是(こ)れ語(ことば)、説(と)き明(あき)らかにして信(しん)無(な)き也(ま)た虚伝(きょでん=虚しい伝え)なり。
願(ねが)わくは肝胆(かんたん=心の底)を傾(かたむ)けて相識(そうしき=知己)を尋(たず)ね、料(おもんばか)るに前頭(まえ=先)必(かなら)ず縁(えん)有(あ)らん。

師徒(しと)二人(ふたり)正(まさ)に走(はし)る間(あいだ)、忽然(たちま)ち弱水(じゃくすい=渡り難き水)三千(さんぜん)を見(み)る、乃(すなわ)ち是(こ)れ流沙河(るさが)の界(さかい)なり。菩薩(ぼさつ)道(い)わく:

「徒弟(とてい)よ、此(こ)の処(ところ)は却(かえ)って是(こ)れ行(ゆ)くこと難(がた)し。取経(しゅきょう)の人(ひと)は濁骨凡胎(だくこつぼんたい=穢れた骨の凡なる身)なるに、如何(いか)でか渡(わた)るを得(え)ん」と。恵岸(えがん)道(い)わく、「師父(しふ)、汝(なんじ)看(み)よ河(かわ)の多(いか)ほど遠(とお)きかを」と。那(か)の菩薩(ぼさつ)雲(くも)を停(とど)め歩(ほ)を住(とど)めて看(み)る時(とき)、只(た)だ見(み)る:

東(ひがし)は沙磧(しゃせき=砂漠)に連(つら)なり、西(にし)は諸番(しょばん=諸の蛮地)に抵(いた)り;南(みなみ)は烏戈(うか=西域の国)に達(たっ)し、北(きた)は韃靼(だったん=タタール)に通(つう)ず。
径過(けいか=通り過ぐる)に八百里(はっぴゃくり)の遥(はるか)有(あ)り、上下(じょうげ)に千万里(せんまんり)の遠(とお)き有(あ)り。
水(みず)の流(なが)るるは一(ひと)に地(ち)の身(み)を翻(ひるがえ)すに似(に)て、浪(なみ)の滚(まく)るるは却(かえ)って山(やま)の背(せ)を聳(そび)やかすが如(ごと)し。
洋洋浩浩(ようようこうこう=広々と)として、漠漠茫茫(ばくばくぼうぼう=果てしなく)、十里(じゅうり)遥(はるか)に万丈(ばんじょう)の洪(おおみず)を聞(き)く。
仙槎(せんさ=仙人の筏)も此(ここ)に到(いた)ること難(がた)く、蓮葉(れんよう=蓮の葉)も能(よ)く浮(うか)ぶこと莫(な)し。
衰草(すいそう=枯れ草)斜陽(しゃよう=夕日)曲浦(きょくほ=曲がりくねる入江)に流(なが)れ、黄雲(こううん)日(ひ)を影(かげ)して長堤(ちょうてい=長き堤)を暗(くら)くす。
那(いず)くに客商(かくしょう=旅の商人)の来往(らいおう)を得(う)んや?何(いつ)か曾(かつ)て漁叟(ぎょそう=漁師)の依栖(いせい=寄り住む)有(あ)らんや?
平沙(へいさ=平らかな砂)に雁(かり)の落(お)つる無(な)く、遠岸(えんがん=遠き岸)に猿(さる)の啼(な)く有(あ)り。
只(た)だ是(こ)れ紅蓼花(こうりょうか=紅き蓼の花)の蘩(しげ)くして景色(けいしき)を知(し)り、白蘋香(はくひんこう=白き浮草の香)の細(こまか)にして依依(いい=揺らぐ)に任(まか)す。

菩薩(ぼさつ)正(まさ)に然(しか)く点看(てんかん=眺め見)せるに、只(た)だ那(か)の河(かわ)の中(なか)に、潑剌(はつらつ=ぴちゃり)と一声(ひとこえ)響(ひびき)亮(たか)く、水波(すいは)の裡(うち)より一箇(ひとりの)妖魔(ようま)の跳(おど)り出(い)で来(きた)るを見(み)る、十分(じゅうぶん)に醜悪(しゅうあく=醜く悪し)なり。他(かれ)が生(うま)れ得(え)るは:

青(あお)からず、黒(くろ)からず、晦気色(かいきしょく=どんよりとした色)の臉(かお);
長(なが)からず、短(みじか)からず、赤脚(せっきゃく=裸足)の筋躯(きんく=筋張る体)。
眼光(がんこう=眼の光)閃鑠(せんしゃく=きらめく)こと、好(よ)く灶底(そうてい=竈の底)の双灯(そうとう=二つの灯)に似(に)たり;
口角(こうかく=口元)丫叉(あさ=割れる)して、就(すなわ)ち屠家(とか=屠殺屋)の火鉢(ひばち)の如(ごと)し。
獠牙(りょうが=むき出の牙)は剣刃(けんじん=剣の刃)を撑(ささ)え、紅発(こうはつ=赤き髪)乱(みだ)れて蓬松(ほうしょう=蓬のごとく)たり。
一声(ひとこえ)の叱咤(しった=叱り声)は雷吼(らいこう=雷の咆え)の如(ごと)く、両脚(りょうきゃく=両足)の奔波(ほんぱ=駆ける)は滚風(こんぷう=巻く風)に似(に)たり。

那(か)の怪物(かいぶつ)手(て)に一根(ひとふり)の宝杖(ほうじょう=宝の杖)を執(と)り、岸(きし)に上(のぼ)りて就(すなわ)ち菩薩(ぼさつ)を捉(とら)えんとするに、却(かえ)って恵岸(えがん)の渾鉄棒(こんてっこん)を掣(ひっさ)げて擋(ふせ)ぎ住(とど)められ、一声(ひとこえ)喝(かつ)して曰(いわ)く、「休(や)め!」と。那(か)の怪物(かいぶつ)就(すなわ)ち宝杖(ほうじょう)を持(も)ち定(さだ)めて来(きた)りて迎(むか)う。両箇(ふたり)流沙河(るさが)の辺(ほとり)に在(あ)りて、此(こ)の一場(ひとくさ)の悪(あ)しき殺(いくさ)、真(まこと)に箇(ひとつ)の驚(おどろ)かすべき人(ひと)なり:

木吒(ぼくた)の渾鉄棒(こんてっこん)、護法(ごほう=法を護る)に神通(じんつう)を顕(あらわ)し;怪物(かいぶつ)の降妖杖(ごうようじょう)、力(ちから)を努(つと)めて英雄(えいゆう)を逞(たくま)しうす。
双条(ふたすじ)の銀蟒(ぎんもう=銀の大蛇)河辺(かへん)に舞(ま)い、一対(ひとくみ)の神譜(しんぷ=神の譜)岸上(がんじょう)に冲(つきあが)る。
那(か)の箇(ひとつ)は威(い)流沙(るさ)を鎮(しず)めて本事(ほんじ)を施(ほどこ)し、此(こ)の箇(ひとつ)は力(ちから)観音(かんのん)を保(まも)りて大功(たいこう)を建(た)つ。
那(か)の箇(ひとつ)は波(なみ)を翻(ひるがえ)し浪(なみ)を躍(おど)らせ、此(こ)の箇(ひとつ)は霧(きり)を吐(は)き雲(くも)を噴(ふ)く。
波(なみ)を翻(ひるがえ)し浪(なみ)を躍(おど)らせて乾坤(けんこん)暗(くら)く、霧(きり)を吐(は)き雲(くも)を噴(ふ)きて日月(じつげつ)昏(くら)し。
那(か)の降妖杖(ごうようじょう)は、好(よ)く便(すなわ)ち出山(しゅつざん=山を出づる)の白虎(びゃっこ)に似(に)たり;此(こ)の渾鉄棒(こんてっこん)は、却(かえ)って就(すなわ)ち臥道(がどう=道に臥す)の黄龍(こうりゅう)の如(ごと)し。
那(か)の使(つか)い将(も)ち来(きた)るは、蛇(へび)を尋(たず)ね草(くさ)を撥(かきわ)け;此(こ)の投(な)げ開(ひら)き去(さ)るは、鷂(はしたか)を撲(おそ)い松(まつ)を分(わ)く。
只(た)だ殺(たたか)いて昏漠漠(こんばくばく=薄暗く)、星辰(せいしん)燦爛(さんらん=燦め)き;霧騰騰(むとうとう=霧もうもう)として、天地(てんち)朦朧(もうろう=かすむ)。
那(か)の箇(ひとつ)は久(ひさ)しく弱水(じゃくすい)に住(じゅう)して惟(た)だ他(かれ)のみ狠(おそろ)しく、此(こ)の箇(ひとつ)は初(はじ)めて霊山(りょうざん)を出(い)でし第一(だいいち)の功(こう)なり。

他(かれ)両箇(ふたり)来来往往(らいらいおうおう)、戦(たたか)うこと数十合(すうじゅうごう)に上(のぼ)るも、勝負(しょうぶ)を分(わ)かたず。那(か)の怪物(かいぶつ)鉄棒(てつぼう)を架(かま)え住(とど)めて道(い)わく、「汝(なんじ)は那(いず)れの裡(うち)の和尚(おしょう)なる、敢(あ)えて来(きた)りて我(われ)と抵敵(ていてき=敵対)するや」と。木吒(ぼくた)道(い)わく、「我(われ)は是(こ)れ托塔天王(たくとうてんおう)の二太子(にたいし)木吒(ぼくた)にして恵岸行者(えがんぎょうじゃ)、今(いま)我(われ)が師父(しふ)を保(まも)りて東土(とうど)に往(ゆ)きて取経(しゅきょう)の人(ひと)を尋(たず)ねに去(ゆ)く。汝(なんじ)は是(こ)れ何(なん)の怪(かい)なる、敢(あ)えて大胆(だいたん)にも路(みち)を阻(ふさ)ぐや」と。那(か)の怪(かい)方(はじ)めて醒悟(せいご=目覚め)して道(い)わく、「我(われ)記(き=覚え)す、汝(なんじ)南海観音(なんかいかんのん)に踉(したが)いて紫竹林(しちくりん)の中(うち)に在(あ)りて修行(しゅぎょう)せしを、汝(なんじ)何(なん)の為(ため)に此(ここ)に来(きた)れるや」と。木吒(ぼくた)道(いわ)く、「那(あ)の岸(きし)の上(うえ)に在(あ)るは是(こ)れ我(われ)が師父(しふ)ならずや」と。

怪物(かいぶつ)言(げん)を聞(き)きて、声(こえ)を連(つら)ねて喏喏(だくだく=へいへい)とし;宝杖(ほうじょう)を収(おさ)め、木吒(ぼくた)をして揪(つか)み去(さら)しめ、観音(かんのん)を見(み)て頭(こうべ)を納(さ)げ下(くだ)して拜(はい)す。告(もう)して道(い)わく、「菩薩(ぼさつ)、我(われ)が罪(つみ)を恕(ゆる)せ、我(われ)をして訴告(そこく=申し訴え)せしめよ。我(われ)は是(こ)れ妖邪(ようじゃ)に非(あら)ず、我(われ)は是(こ)れ霊霄殿(れいしょうでん)の下(もと)にて鑾輿(らんよ=天子の輿)を侍(さぶら)うの巻簾大将(かんれんたいしょう)なり。只(た)だ蟠桃会(ばんとうえ)の上(ほとり)に在(あ)りて、手(て)を失(しっ)して玻璃盞(はりさん=ガラスの杯)を打(う)ち砕(くだ)けしに因(よ)り、玉帝(ぎょくてい)我(われ)を把(と)って八百(はっぴゃく)打(う)ち、下界(げかい)に貶(へん=落と)し来(きた)り、此(か)くの般(ごとき)模様(さま)に変(へん)ぜり。又(また)七日(なのか)に一次(ひとたび)、飛剣(ひけん=飛ぶ剣)を将(も)ちて来(きた)りて我(われ)が胸脅(きょうきょう=胸と脇腹)を穿(つらぬ)くこと百余下(ひゃくよか)して方(はじ)めて回(かえ)ると教(おし)う、故(ゆえ)に此(こ)れ此(か)くの般(ごと)く苦悩(くのう)す。没奈何(どうにもならず)、飢寒(きかん=飢えと寒さ)忍(しの)び難(がた)く、三二日(さんににち)の間(あいだ)に、波濤(はとう=波)を出(いで)て一箇(ひとりの)行人(こうじん=旅人)を尋(たず)ねて食用(しょくよう)す。期(き)せずんば今日(こんにち)無知(むち)にして、大慈菩薩(だいじぼさつ)に衝撞(しょうどう=ぶつかり)せり」と。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「汝(なんじ)天(てん)に在(あ)りて罪(つみ)有(あ)り、既(すで)に貶(おと)し下(くだ)されしに、今(いま)又(また)此(か)くの等(ごと)く生(いのち)を傷(そこな)うは、正(まさ)に所謂(いわゆる)罪上(ざいじょう)に罪(つみ)を加(くわ)うるなり。我(われ)今(いま)仏旨(ぶっし)を領(う)け、東土(とうど)に上(のぼ)りて取経(しゅきょう)の人(ひと)を尋(たず)ぬ。汝(なんじ)何(なん)ぞ我(われ)が門(もん)に入(い)り来(きた)り、善果(ぜんか)に皈依(きえ)し、那(か)の取経(しゅきょう)の人(ひと)に跟(したが)いて箇(ひとつの)徒弟(とてい)と做(な)り、西天(さいてん)に上(のぼ)りて仏(ほとけ)を拜(おが)み経(きょう)を求(もと)めざるや?我(われ)飛剣(ひけん)をして来(きた)りて汝(なんじ)を穿(つらぬ)かざらしめん。那(か)の時節(とき)功(こう)成(な)りて罪(つみ)を免(まぬが)れ、汝(なんじ)が本職(ほんしょく=元の職)に復(ふく)せん、心(こころ)の裡(うち)如何(いかん)」と。那(か)の怪(かい)道(い)わく、「我(われ)願(ねが)わくは正果(しょうか)に皈(き)せん」と。又(また)前(まえ)に向(むか)いて道(い)わく、「菩薩(ぼさつ)、我(われ)此(こ)の間(あいだ)に在(あ)りて人(ひと)を食(くら)うこと無数(むすう)、向(さき)より幾次(いくたび)か取経(しゅきょう)の人(ひと)の来(きた)れる有(あ)りしが、都(みな)我(われ)に食(くら)われ了(おわ)れり。凡(およ)そ食(くら)う所(ところ)の人頭(じんとう=人の首)は、流沙(るさ)に抛(なげう)ち落(おと)せば、竟(つい)に水底(すいてい)に沈(しず)む。此(こ)の水(みず)は、鵞毛(がもう=鵞鳥の羽)も也(ま)た浮(うか)ぶこと能(あた)わず。惟(た)だ九箇(ここのつ)の取経(しゅきょう)の人(ひと)の骷髏(ころう=髑髏)のみ、水(みず)の面(おもて)に浮(うか)びて、再(ふたた)び沈(しず)むこと能(あた)わず。我(われ)以(おも)うに異物(いぶつ=珍しき物)なれば、索児(さくじ=紐)を将(も)ちて穿(つらぬ)きて一処(ひとところ)に在(あ)らしめ、閑(ひま)なる時(とき)拿(と)り来(きた)りて頑耍(がんしゃ=戯れ遊ぶ)す。此(こ)の去(ゆき)に、但(た)だ恐(おそ)らくは取経(しゅきょう)の人(ひと)の此(ここ)に到(いた)るを得(え)ざらん、却(かえ)って是(こ)れ反(かえ)って我(われ)が前程(ぜんてい=将来)を誤(あやま)れるに非(あら)ざるか」と。菩薩(ぼさつ)曰(いわ)く、「豈(あ)に到(いた)らざるの理(ことわり)有(あ)らんや?汝(なんじ)可(べ)く骷髏児(ころうじ=髑髏)を将(も)ちて頭項(とうこう=首)の下(した)に挂(か)け、取経(しゅきょう)の人(ひと)を等候(とうこう=待)て、自(おのずか)ら用(もち)うる処(ところ)有(あ)らん」と。怪物(かいぶつ)道(い)わく、「既(すで)に此(か)くの如(ごと)くならば、願(ねが)わくは教誨(きょうかい=教え)を領(う)けん」と。菩薩(ぼさつ)方(はじ)めて他(かれ)と摩頂受戒(まちょうじゅかい=頭を摩で戒を受く)し、沙(さ=砂)を指(さ)して姓(せい)と為(な)し、就(すなわ)ち沙(さ)を姓(せい)とし了(おわ)り、法名(ほうみょう)を起(おこ)して、叫做(なづ)けて箇(ひとつの)沙悟浄(しゃごじょう)とす。当時(そのとき)沙門(しゃもん)に入(い)り、菩薩(ぼさつ)を送(おく)りて河(かわ)を過(わた)らしめ、他(かれ)心(こころ)を洗(あら)い慮(おもい)を滌(すす)ぎ、再(ふたた)び生(いのち)を傷(そこな)わず、専(もっぱ)ら取経(しゅきょう)の人(ひと)を等(ま)つ。

菩薩(ぼさつ)他(かれ)と別(わか)れ、木吒(ぼくた)と同(とも)に径(ただ)ちに東土(とうど)に奔(はし)る。行(ゆ)くこと多時(たじ=久しく)なるに、又(また)一座(ひとつ)の高山(こうざん)を見(み)るに、山(やま)の上(うえ)に悪気(あくき)の遮(さえぎ)り漫(み)つる有(あ)りて、歩(ほ)を上(のぼ)らしめず。正(まさ)に雲(くも)を駕(が)して山(やま)を過(す)がんと欲(ほっ)するに、覚(おぼ)えず狂風(きょうふう)の起(おこ)る処(ところ)に、又(また)一箇(ひとりの)妖魔(ようま)の閃(ひらめ)き上(のぼ)る有(あ)り。他(かれ)が生(うま)れ得(え)るは又(また)甚(はなは)だ凶険(きょうけん=凶悪)なり:

巻(ま)き上(あ)がる蓮蓬(れんぽう=蓮の実のさや)の吊搭嘴(ちょうとうし=垂れ下がる口)、耳(みみ)は蒲扇(ほせん=蒲の扇)の如(ごと)くにして金睛(きんせい=金の瞳)を顕(あらわ)す。
獠牙(りょうが)鋒利(ほうり=鋭き)にして鋼挫(こうざ=鋼のやすり)の如(ごと)く、長嘴(ちょうし=長き口)張(は)り開(ひら)けば火盆(かぼん=火の鉢)に似(に)たり。
金盔(きんかい=金の兜)緊(きつ)く腮辺(さいへん=頬の辺り)の帯(おび)を系(むす)び、勒甲(ろっこう=鎧を締む)の糸縧(しとう=絹の組紐)は蟒(うわばみ)の鱗(うろこ)を退(ぬ)くがごとし。
手(て)に執(と)るは釘鈀(ていは=鉞)、龍(りゅう)の爪(つめ)を探(さぐ)らせ、腰(こし)に挎(か)くるは彎弓(わんきゅう=曲がり弓)に月(つき)の十輪(じゅうりん)の如(ごと)し。
糾糾(きゅうきゅう=猛々しき)たる威風(いふう)は太歳(たいさい=歳星)を欺(あざむ)き、昂昂(こうこう=おごそか)たる志気(しき)は天神(てんしん)を圧(おさ)う。
他(かれ)撞(つ)き上(のぼ)り来(きた)りて、好歹(こうたい=善し悪し)を分(わ)かたず、菩薩(ぼさつ)を望(のぞ)みて、釘鈀(ていは)を挙(あ)げて就(すなわ)ち筑(つつ)くに、木吒行者(ぼくたぎょうじゃ)に擋(ふせ)ぎ住(とど)められ、一声(ひとこえ)大(おお)いに喝(かつ)して道(い)わく、「那(か)の潑怪(はつかい)め、無礼(ぶれい)なるを得(う)ん!棒(ぼう)を看(み)よ!」と。妖魔(ようま)道(い)わく、「此(こ)の和尚(おしょう)死活(しかつ)を知(し)らず!鈀(ていは)を看(み)よ!」と。両箇(ふたり)山(やま)の底(そこ)の下(した)に在(あ)りて、一(ひと)冲(つき)し一(ひと)撞(ぶつか)り、輸贏(ゆえい=勝ち負け)を賭(か)け闘(たたか)う。真(まこと)に箇(ひとつ)の好(よ)きかな殺(いくさ):

妖魔(ようま)は凶猛(きょうもう)に、恵岸(えがん)は威能(いのう=威の力)あり。
鉄棒(てつぼう)は心(しん=胸)を分(わ)かちて搗(つ)き、釘鈀(ていは)は面(おもて)を劈(つんざ)いて迎(むか)う。
土(つち)を播(ま)き塵(ちり)を揚(あ)げて天地(てんち)暗(くら)く、砂(すな)を飛(と)ばし石(いし)を走(はし)らせて鬼神(きしん)驚(おどろ)く。
九歯(きゅうし)の鈀(ていは)、光耀耀(こうようよう=きらきら)として、双環(そうかん=二つの環)響(ひび)き亮(たか)し;一條(ひとふり)の棒(ぼう)、黒悠悠(こくゆうゆう=黒々)として、両手(りょうて)飛(と)び騰(あが)る。
此(こ)の箇(ひとつ)は是(こ)れ天王(てんおう)の太子(たいし)、那(か)の箇(ひとつ)は是(こ)れ元帥(げんすい)の精霊(せいれい)なり。
一箇(ひとつ)は普陀(ふだ)に在(あ)りて護法(ごほう)と為(な)り、一箇(ひとつ)は山洞(さんどう)に在(あ)りて妖精(ようせい)と作(な)る。
此(こ)の場(ば)の相遇(そうぐう)に高下(こうげ=優劣)を争(あらそ)うも、那(いず)れの箇(ひとつ)か虧輸(きしゅ=敗け)し那(いず)れの箇(ひとつ)か贏(か)つを知(し)らず。

他(かれ)両箇(ふたり)正(まさ)に好(よ)き処(ところ)に殺(たたか)い到(いた)るに、観世音(かんぜおん)半空(はんくう)の中(うち)に在(あ)りて、蓮花(れんか=蓮の花)を抛(なげ)下(おろ)して、鈀杖(はじょう=鈀と杖)を隔(へだ)て開(ひら)く。怪物(かいぶつ)見(み)て心(こころ)驚(おどろ)き、便(すなわ)ち問(と)う、「汝(なんじ)は那(いず)れの裡(うち)の和尚(おしょう)なる、敢(あ)えて甚(なん)の『眼前花(がんぜんか=目の前の花)』を弄(ろう)して我(われ)を哄(たぶらか)すや」と。木吒(ぼくた)道(い)わく、「我(われ)汝(なんじ)が箇(ひとつの)肉眼凡胎(にくがんぼんたい=凡人の眼と身)の潑物(はつぶつ=暴れ者)を把(と)らえん!我(われ)は是(こ)れ南海菩薩(なんかいぼさつ)の徒弟(とてい)なり。此(こ)れは是(こ)れ我(われ)が師父(しふ)の抛(なげ)し来(きた)れる蓮花(れんか)なるに、汝(なんじ)也(ま)た認(みと)め得(え)ざるか!」と。那(か)の怪(かい)道(い)わく、「南海菩薩(なんかいぼさつ)とは、是(こ)れ三災(さんさい)を掃(はら)い八難(はちなん)を救(すく)うの観世音(かんぜおん)なるか」と。木吒(ぼくた)道(い)わく、「他(かれ)に非(あら)ずんば誰(たれ)か是(こ)れならん」と。怪物(かいぶつ)釘鈀(ていは)を撇(す)て、頭(こうべ)を納(さ)げ下(くだ)して礼(れい)して道(い)わく、「老兄(ろうけい)よ、菩薩(ぼさつ)は那(いずこ)に在(あ)るか?煩(わずら)わしきかな汝(なんじ)引見(いんけん=引き合わせ)し引見(いんけん)せよ」と。木吒(ぼくた)面(おもて)を仰(あお)ぎて指(さ)して道(い)わく、「那(あ)れは是(こ)れならずや」と。怪物(かいぶつ)上(かみ)に向(むか)いて磕頭(こうとう=額づき)、声(こえ)を厳(いか)しくし高(たか)く叫(よ)んで道(い)わく、「菩薩(ぼさつ)よ、罪(つみ)を恕(ゆる)せ!罪(つみ)を恕(ゆる)せ!」と。

観音(かんのん)雲頭(うんとう)を按(おさ)え下(くだ)し、前(まえ)に来(きた)りて問(と)うて道(い)わく、「汝(なんじ)は那(いず)れの裡(うち)に在(あ)りて成(な)れるの野豕(やし=野生の豚)なる、何方(いずこ)に在(あ)りて作(な)せるの老彘(ろうてい=老いた豚)なる、敢(あ)えて此(こ)の間(あいだ)に在(あ)りて我(われ)を擋(ふせ)ぐや」と。那(か)の怪(かい)道(い)わく、「我(われ)は是(こ)れ野豕(やし)に非(あら)ず、亦(ま)た是(こ)れ老彘(ろうてい)に非(あら)ず、我(われ)本(もと)是(こ)れ天河(てんが)の裡(うち)の天蓬元帥(てんぽうげんすい)なり。只(た)だ酒(さけ)を帯(お)びて嫦娥(じょうが=月の仙女)を戯弄(ぎろう=からかい)せしに因(よ)り、玉帝(ぎょくてい)我(われ)を把(と)って二千錘(にせんすい)打(う)ち、塵凡(じんぼん=俗世)に貶(おと)し下(くだ)せり。一霊(いちれい=一つの霊)の真性(しんしょう)、竟(つい)に来(きた)りて舎(しゃ=宿)を奪(うば)いて投胎(とうたい=生れ変る)せんとせしが、期(き)せずんば道路(どうろ)を錯(あやま)り、箇(ひとつの)母猪(ぼちょ=雌豚)の胎(はら)の裡(うち)に投(とう)じ、此(か)くの般(ごとき)模様(さま)に変(へん)ぜり。是(こ)れ我(われ)母猪(ぼちょ)を咬(か)み殺(ころ)し、群彘(ぐんてい=豚の群れ)を打(う)ち死(ころ)し、此(こ)の処(ところ)に在(あ)りて山場(さんじょう=山の縄張り)を占(し)め、人(ひと)を食(くら)いて日(ひ)を度(わた)れり。期(き)せずんば菩薩(ぼさつ)に撞(ぶつ)かれり、万(よろず)望(のぞ)むらくは拔救(ばっきゅう=救い上げ)せよ、拔救(ばっきゅう)せよ」と。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「此(こ)の山(やま)は叫做(なづ)けて甚(なん)の山(やま)と云(い)うや」と。怪物(かいぶつ)道(いわ)く、「叫做(なづ)けて福陵山(ふくりょうざん)と云(い)う。山(やま)の中(なか)に一(ひとつ)の洞(ほら)有(あ)り、叫做(なづ)けて雲桟洞(うんさんどう)と云(い)う。洞(ほら)の裡(うち)に原(もと)箇(ひとりの)卵二姐(らんにしゃ)有(あ)り。他(かれ)我(われ)に些(いささか)の武芸(ぶげい=武術)有(あ)るを見(み)、我(われ)を招(まね)いて家長(かちょう=亭主)と做(な)らしめ、又(また)喚(よ)んで『倒蹅門(とうさもん=婿入り)』と做(な)す。一年(いちねん)に上(のぼ)らざるに、他(かれ)死(し)し、一洞(ひとつ)の家当(かとう=家財)を将(も)ちて、尽(ことごと)く我(われ)が受用(じゅよう=享け用う)に帰(き)せり。此(ここ)に在(あ)ること日久(ひひさ)しく年深(としふか)く、箇(ひとつ)の身(み)を贍(やしな)うの勾当(こうとう=仕事)無(な)く、只(た)だ是(こ)れ本等(ほんとう=本来の分)に依(よ)りて人(ひと)を食(くら)いて日(ひ)を度(わた)る。万(よろず)望(のぞ)むらくは菩薩(ぼさつ)罪(つみ)を恕(ゆる)せ」と。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「古人(こじん)云(い)わく、『若(も)し前程(ぜんてい=立身)有(あ)らんと要(よう)せば、前程(ぜんてい)無(な)きを做(な)すこと莫(な)かれ』と。汝(なんじ)既(すで)に上界(じょうかい)にて法(ほう)に違(たが)い、今(いま)又(また)凶心(きょうしん=凶悪の心)を改(あらた)めず、生(いのち)を傷(そこな)い孽(ごう=罪)を造(つく)るは、却(かえ)って是(こ)れ二罪(にざい)俱(とも)に罰(ばっ)せられざるか」と。那(か)の怪(かい)道(い)わく、「前程(ぜんてい)!前程(ぜんてい)!若(も)し汝(なんじ)に依(よ)らば、我(われ)をして風(かぜ)を嗑(す)わしめん!常言(じょうげん)に道(い)わく、『官法(かんぽう=法)に依(よ)れば打(う)ち殺(ころ)され、仏法(ぶっぽう)に依(よ)れば餓(う)え殺(ころ)さる』と。去(ゆ)かん!去(ゆ)かん!還(かえ)って一箇(ひとりの)行人(こうじん)を捉(とら)え、肥膩膩(ひじじ=脂ぎりぎり)に他(かれ)が家(いえ)の娘(むすめ)を食(くら)うに如(し)かざるなり!管(かま)うもんか何(なん)の二罪(にざい)、三罪(さんざい)、千罪(せんざい)、万罪(ばんざい)を!」と。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「『人(ひと)に善願(ぜんがん=善き願い)有(あ)れば、天(てん)必(かなら)ず之(これ)に従(したが)う』と。汝(なんじ)若(も)し肯(あ)えて正果(しょうか)に帰依(きえ)せば、自(おのずか)ら身(み)を養(やしな)うの処(ところ)有(あ)らん。世(よ)に五穀(ごこく)有(あ)り、尽(ことごと)く能(よ)く飢(うえ)を済(すく)うに、何(なん)の為(ため)に人(ひと)を食(くら)いて日(ひ)を度(わた)るや」と。

怪物(かいぶつ)言(げん)を聞(き)きて、夢(ゆめ)より方(はじ)めて覚(さ)むるが如(ごと)し。菩薩(ぼさつ)に向(むか)いて施礼(せれい)して道(い)わく、「我(われ)正(しょう)に従(したが)わんと欲(ほっ)すれど、奈何(いかん)とも『天(てん)に罪(つみ)を得(う)れば、祷(いの)る所(ところ)無(な)し』」と。菩薩(ぼさつ)道(いわ)く、「我(われ)仏旨(ぶっし)を領(う)け、東土(とうど)に上(のぼ)りて取経(しゅきょう)の人(ひと)を尋(たず)ぬ。汝(なんじ)可(べ)く他(かれ)に跟(したが)いて箇(ひとつの)徒弟(とてい)と做(な)り、西天(さいてん)に往(ゆ)きて一遭(ひとたび)を走(はし)り来(きた)り、功(こう)を将(も)ちて罪(つみ)を折(せっ=償)かば、管(きっと)て汝(なんじ)をして災瘴(さいしょう=災いの瘴気)を脱離(だつり=逃れ)せしめん」と。那(か)の怪(かい)口(くち)に満(み)ちて道(い)わく、「願(ねが)わくは随(したが)わん!願(ねが)わくは随(したが)わん!」と。菩薩(ぼさつ)才(はじ)めて他(かれ)と摩頂受戒(まちょうじゅかい)し、身(み)を指(さ)して姓(せい)と為(な)し、就(すなわ)ち猪(ちょ)を姓(せい)とし、他(かれ)に替(かわ)りて箇(ひとつ)の法名(ほうみょう)を起(おこ)して、就(すなわ)ち叫做(なづ)けて猪悟能(ちょごのう)とす。遂(つい)に此(ここ)に命(めい)を領(う)けて真(しん)に帰(き)し、斎(とき=精進食)を持(たも)ち素(そ=菜食)を把(と)り、五葷三厭(ごくんさんえん=五種の葷菜と三種の忌物)を断絶(だんぜつ)し、専(もっぱ)ら那(か)の取経(しゅきょう)の人(ひと)を候(ま)つ。

菩薩(ぼさつ)却(かえ)って木吒(ぼくた)と、悟能(ごのう)に辞(じ)し、半(なかば)興(おこ)し雲霧(うんむ)して前(まえ)に来(きた)る。正(まさ)に走(はし)る処(ところ)、只(た)だ空中(くうちゅう)に一條(ひとすじ)の玉龍(ぎょくりゅう)の叫喚(きょうかん=叫び喚ぶ)有(あ)るを見(み)る。菩薩(ぼさつ)近(ちか)づき前(まえ)に問(と)うて道(い)わく、「汝(なんじ)は是(こ)れ何(なん)の龍(りゅう)なる、此(ここ)に在(あ)りて罪(つみ)を受(う)くるや」と。那(か)の龍(りゅう)道(い)わく、「我(われ)は是(こ)れ西海龍王(さいかいりゅうおう)敖閏(ごうじゅん)の子(こ)なり。殿上(でんじょう)の明珠(めいじゅ)を焼(や)きしを縦(ほしいまま)にせしに因(よ)り、我(われ)が父王(ふおう)天庭(てんてい)に表奏(ひょうそう=上奏)し、忤逆(ぎょぎゃく=親に逆らう)を告(つ)げたり。五帝(ごてい)我(われ)を把(と)って空中(くうちゅう)に吊(つる)し、三百(さんびゃく)打(う)ちて、日(ひ)ならずして誅(ちゅう=殺さ)れんとす。望(のぞ)むらくは菩薩(ぼさつ)搭救(とうきゅう=救い)せよ搭救(とうきゅう)せよ」と。

観音(かんのん)言(げん)を聞(き)きて、即(すなわ)ち木吒(ぼくた)と南天門(なんてんもん)の裡(うち)に撞(つ)き上(のぼ)る。早(は)や邱(きゅう)・張(ちょう)の二天師(にてんし)の接(むか)えて、問(と)うて道(い)わく、「何(いずこ)へ往(ゆ)くや」と有(あ)る。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「貧僧(ひんそう)玉帝(ぎょくてい)に一面(ひとおもて)見(まみ)えんことを要(よう)す」と。二天師(にてんし)即(すなわ)ち忙(いそ)ぎて上奏(じょうそう)すれば、玉帝(ぎょくてい)遂(つい)に殿(でん)を下(くだ)りて迎接(げいせつ)す。菩薩(ぼさつ)上前(すす)みて礼(れい)し畢(おわ)りて道(い)わく、「貧僧(ひんそう)仏旨(ぶっし)を領(う)けて東土(とうど)に上(のぼ)り取経(しゅきょう)の人(ひと)を尋(たず)ぬるに、路(みち)に孽龍(げつりゅう=罪ある龍)の懸(つる)し吊(つる)されしに遇(あ)えり、特(こと)に来(きた)りて啓奏(けいそう)し、他(かれ)が性命(せいめい)を饒(ゆる)して、貧僧(ひんそう)に賜(たま)い、他(かれ)をして取経(しゅきょう)の人(ひと)と箇(ひとつの)脚力(きゃくりょく=乗物)を做(な)らしめられんことを」と。玉帝(ぎょくてい)言(げん)を聞(き)きて、即(すなわ)ち旨(し)を伝(つた)えて赦宥(しゃゆう=許す)し、天将(てんしょう)を差(さしむ)けて解放(かいほう=解き放ち)、菩薩(ぼさつ)に送(おく)り与(あた)う。菩薩(ぼさつ)恩(おん)を謝(しゃ)して出(い)づ。此(こ)の小龍(しょうりゅう)頭(こうべ)を叩(たた)いて活命(かつめい=命を救わる)の恩(おん)を謝(しゃ)し、菩薩(ぼさつ)が使喚(しかん=使い)に聴従(ちょうじゅう)す。菩薩(ぼさつ)他(かれ)を把(と)って深澗(しんかん=深き谷)の中(なか)に送(おく)り入(い)れ、只(た)だ取経(しゅきょう)の人(ひと)の来(きた)るを等(ま)ち、変(へん)じて白馬(はくば)と做(な)り、西方(さいほう)に上(のぼ)りて功(こう)を立(た)てんとす。小龍(しょうりゅう)命(めい)を領(う)けて身(み)を潜(ひそ)むるは題(だい)せず。

菩薩(ぼさつ)木吒行者(ぼくたぎょうじゃ)を帯(たい=伴)い引(ひ)きて此(こ)の山(やま)を過(す)ぎ、又(また)東土(とうど)に奔(はし)る。行(ゆ)くこと多(おお)からず時(とき)ならず、忽(たちま)ち金光(きんこう)万道(ばんどう)、瑞気(ずいき)千条(せんじょう)を見(み)る。木吒(ぼくた)道(い)わく、「師父(しふ)、那(あ)の光(ひかり)を放(はな)つ処(ところ)は、乃(すなわ)ち是(こ)れ五行山(ごぎょうさん)にして、如来(にょらい)の『圧帖(あつじょう=押さえの札)』の那(か)の裡(うち)に有(あ)るを見(み)る」と。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「此(こ)れ却(かえ)って是(こ)れ那(か)の蟠桃会(ばんとうえ)を攪乱(かくらん)し天宮(てんぐう)を大(おお)いに鬧(さわ)がせし斉天大聖(せいてんたいせい)の、今(いま)乃(すなわ)ち此(ここ)に圧(おさ)えらるるなり」と。木吒(ぼくた)道(い)わく、「正(まさ)に是(こ)れ、正(まさ)に是(こ)れ」と。師徒(しと)俱(とも)に山(やま)に上(のぼ)り来(きた)り、帖子(じょう=札)を観看(かんがん)すれば、乃(すなわ)ち是(こ)れ「唵(おん)・嘛(ま)・呢(に)・叭(ぱ)・咪(み)・吽(うん)」の六字(ろくじ)の真言(しんごん)なり。菩薩(ぼさつ)看(み)り罷(や)みて、嘆惜(たんせき=嘆き惜し)むこと已(や)まず、一首(ひとつ)の詩(し)を作(な)す、詩(し)に曰(いわ)く:

堪(た)えて嘆(なげ)く妖猴(ようこう)の公(こう)を奉(ほう)ぜざるを、当年(とうねん)狂妄(きょうもう)にして英雄(えいゆう)を逞(たくま)しうす。
心(こころ)を欺(あざむ)きて蟠桃会(ばんとうえ)を攪乱(かくらん)し、大胆(だいたん)に兜率宮(とそつぐう)を私行(しこう=勝手に歩む)。
十万(じゅうまん)の軍中(ぐんちゅう)に敵手(てきしゅ)無(な)く、九重(きゅうちょう)の天上(てんじょう)に威風(いふう)有(あ)り。
自(みずか)ら我(わ)が仏(ほとけ)如来(にょらい)の困(くるし)めに遭(あ)いしより、何日(いつのひ)か舒伸(じょしん=伸び伸びと)して再(ふたた)び功(こう)を顕(あらわ)さん!

師徒(しと)たち正(まさ)に話(はな)し説(い)う処(ところ)、早(は)や那(か)の大聖(たいせい)を驚(おどろ)かし動(うご)かせり。大聖(たいせい)山(やま)の根下(ねした=麓)に在(あ)りて、高(たか)く叫(よ)んで道(い)わく:

「是(こ)れ那(いず)れの箇(ひとり)か山(やま)の上(うえ)に在(あ)りて詩(し)を吟(ぎん)じ、我(われ)が短(たん=欠点)を揭(あば)ける」と。菩薩(ぼさつ)言(げん)を聞(き)きて、径(ただ)ちに山(やま)を下(くだ)り来(きた)りて尋(たず)ね着(つ)く。只(た)だ見(み)る那(か)の石崖(せきがい=岩壁)の下(した)に、土地(とち)・山神(さんしん)・大聖(たいせい)を監押(かんおう)するの天将(てんしょう)有(あ)りて、都(みな)来(きた)りて菩薩(ぼさつ)に拜(おが)み接(むか)え、那(か)の大聖(たいせい)の面前(めんぜん)に引(ひ)き至(いた)る。看(み)る時(とき)、他(かれ)は原(もと)来(もと)石匣(せきこう=石の箱)の中(なか)に圧(おさ)えられ、口(くち)は能(よ)く言(い)うも、身(み)は動(うご)くこと能(あた)わず。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「姓孫(せいそん=孫姓)の者(もの)よ、汝(なんじ)我(われ)を認(みと)め得(う)るか」と。大聖(たいせい)火眼金睛(かがんきんせい)を睜(ひら)き、頭(こうべ)を点(うなず)かせて高(たか)く叫(よ)んで道(い)わく、「我(われ)怎(なん)で認(みと)め得(え)ざらんや。汝(なんじ)の好(よ)きは是(こ)れ那(か)の南海普陀落伽山(なんかいふだらくかさん)救苦救難(くくぐなん)大慈大悲(だいじだいひ)南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)なり。看顧(かんこ=見舞い)を承(うけたまわ)る!看顧(かんこ)を承(うけたまわ)る!我(われ)此(ここ)に在(あ)りて日(ひ)を度(わた)ること年(とし)の如(ごと)く、更(さら)に一箇(ひとりの)相知(そうち=心の通う者)の来(きた)りて我(われ)を一(ひと)看(みま)う有(あ)ること無(な)し。汝(なんじ)那(いずこ)より来(きた)れるや」と。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「我(われ)仏旨(ぶっし)を奉(ほう)じ、東土(とうど)に上(のぼ)りて取経(しゅきょう)の人(ひと)を尋(たず)ねに去(ゆ)くに、此(ここ)を経過(けいか)せるをもって、特(こと)に残歩(ざんぽ=足を留め)して汝(なんじ)を看(み)る」と。大聖(たいせい)道(い)わく、「如来(にょらい)我(われ)を哄(たぶらか)し、我(われ)を把(と)って此(こ)の山(やま)に圧(おさ)え、五百余年(ごひゃくよねん)なり、展掙(てんそう=身を起こす)すること能(あた)わず、万(よろず)望(のぞ)むらくは菩薩(ぼさつ)方便(ほうべん=計らい)一二(ひとつふたつ)し、我(われ)が老孫(ろうそん)を救(すく)いし一救(ひとすくい)せよ!」と。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「汝(なんじ)が此(こ)の厮(やつ)は罪業(ざいごう)弥(いよいよ)深(ふか)し、汝(なんじ)を救(すく)い出(いだ)さば、恐(おそ)らくは汝(なんじ)又(また)禍害(かがい)を生(しょう)ぜん。反(かえ)って美(び)と為(な)らず」と。大聖(たいせい)道(い)わく、「我(われ)已(すで)に悔(く)いることを知(し)れり、但(た)だ願(ねが)わくは大慈悲(だいじひ)の箇(ひとつ)の門路(もんろ=道)を指(さ)し、情願(ねが)って修行(しゅぎょう)せん」と。此(こ)れ才(はじ)めて是(こ)れ:

人心(じんしん)に一念(いちねん)を生(しょう)ずれば、天地(てんち)尽(ことごと)く皆(みな)知(し)る。善悪(ぜんあく)若(も)し報(むくい)無(な)からんには、乾坤(けんこん)必(かなら)ず私(わたくし)有(あ)らん。

那(か)の菩薩(ぼさつ)此(こ)の言(げん)を聞(き)き得(え)て、心(こころ)に満(み)ちて喜(よろこ)び、大聖(たいせい)に対(たい)して道(い)わく、「聖経(せいきょう=聖なる経)に云(い)わく、『其(そ)の言(げん)の善(ぜん)を出(いだ)せば、則(すなわ)ち千里(せんり)の外(そと)も之(これ)に応(こた)う;其(そ)の言(げん)の不善(ふぜん)を出(いだ)せば、則(すなわ)ち千里(せんり)の外(そと)も之(これ)に適(さから)う』と。汝(なんじ)既(すで)に此(こ)の心(こころ)有(あ)らば、我(われ)が東土(とうど)大唐国(だいとうこく)に到(いた)りて一箇(ひとりの)取経(しゅきょう)の人(ひと)を尋(たず)ね来(きた)り、他(かれ)をして汝(なんじ)を救(すく)わしむるを待(ま)て。汝(なんじ)可(べ)く他(かれ)に跟(したが)いて箇(ひとつの)徒弟(とてい)と做(な)り、教(きょう)を秉(と)り伽持(かじ=加持)し、我(わ)が仏門(ぶつもん)に入(い)り、再(ふたた)び正果(しょうか)を修(おさめ)んことは、如何(いかん)」と。大聖(たいせい)声(こえ)を連(つら)ねて道(い)わく、「願(ねが)わくは去(ゆ)かん!願(ねが)わくは去(ゆ)かん!」と。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「既(すで)に善果(ぜんか)有(あ)らば、我(われ)汝(なんじ)と箇(ひとつ)の法名(ほうみょう)を起(おこ)さん」と。大聖(たいせい)道(い)わく、「我(われ)已(すで)に名(な)有(あ)り、叫做(なづ)けて孫悟空(そんごくう)と曰(い)う」と。菩薩(ぼさつ)又(また)喜(よろこ)んで道(い)わく、「我(われ)前(まえ)にも也(ま)た二人(ふたり)の帰降(きこう=降参)せる有(あ)りしが、正(まさ)に是(こ)れ『悟(ご)』の字(じ)の排行(はいこう=輩行)なり。汝(なんじ)今(いま)也(ま)た是(こ)れ『悟(ご)』の字(じ)なれば、却(かえ)って他(かれ)と相(あい)合(がっ)す、甚(はなは)だ好(よ)し、甚(はなは)だ好(よ)し。此(か)くの等(ごと)くんば也(ま)た叮囑(ていしょく=念押し)を消(よう=要さ)ず、我(われ)去(ゆ)かん」と。那(か)の大聖(たいせい)の性(しょう)を見(み)て心(こころ)を明(あき)らかにして仏教(ぶっきょう)に帰(き)し、此(こ)の菩薩(ぼさつ)の情(こころ)を留(とど)め意(い)に在(あ)りて神譜(しんぷ=神の譜)を訪(たず)ぬ。

他(かれ)木吒(ぼくた)と此(こ)の処(ところ)を離(はな)れ、一直(ひたすら)東(ひがし)へ来(きた)り、一日(いちにち)ならずして就(すなわ)ち長安(ちょうあん)大唐国(だいとうこく)に到(いた)る。霧(きり)を斂(おさ)め雲(くも)を収(おさ)め、師徒(しと)たち変(へん)じて二箇(ふたりの)疥癩(かいらい=瘡癩)の游僧(ゆそう=巡礼僧)と作(な)り、長安城裡(ちょうあんじょうり)に入(い)るに、竟(つい)に天(てん)の晩(く)るるを覚(おぼ)えず。大市街(だいしがい=大通り)の旁(かたわら)に行(ゆ)き至(いた)るに、一座(ひとつ)の土地廟祠(とじょうびょうし=土地神の祠)を見(み)る、二人(ふたり)径(ただ)ちに進(すす)むに、唬(おど)ろかされて那(か)の土地(とち)は心(こころ)慌(あわ)て、鬼兵(きへい)は胆(きも)戦(おのの)く。是(こ)れ菩薩(ぼさつ)なるを知(し)り、頭(こうべ)を叩(たた)いて接(むか)え入(い)る。那(か)の土地(とち)又(また)急(いそ)ぎ走(はし)りて城隍(じょうこう)社令(しゃれい)及(および)長安城(ちょうあんじょう)の各廟(かくびょう)の神祇(しんぎ)に報(ほう)じ、都(みな)来(きた)りて参見(さんけん)し、告(もう)して道(い)わく、「菩薩(ぼさつ)、衆神(しゅうしん)が接(むか)えしことの遅(おそ)きの罪(つみ)を恕(ゆる)せ」と。菩薩(ぼさつ)道(い)わく、「汝(なんじ)等(ら)消息(しょうそく)を走(はし)らせ漏(も)らす可(べ)からず。我(われ)仏旨(ぶっし)を奉(ほう)じ、特(こと)に此(こ)の処(ところ)に来(きた)りて取経(しゅきょう)の人(ひと)を尋訪(じんぽう=尋ね訪)ぬ。汝(なんじ)が廟宇(びょうう)を借(か)り、権(かり)に幾日(いくにち)か住(じゅう)し、真僧(しんそう)を訪(たず)ね着(つ)くを待(ま)ちて即(すなわ)ち回(かえ)らん」と。衆神(しゅうしん)各(おのおの)本処(ほんしょ=元の所)に帰(かえ)り、箇(ひとつの)土地(とち)を把(と)って城隍廟(じょうこうびょう)の裡(うち)に赶(お)い去(さ)りて暫(しばら)く住(じゅう)せしめ、他(かれ)が師徒(しと)たちは真形(しんけい=本来の姿)を隠遁(いんとん=隠す)。

畢竟(つい)に那(いず)れの箇(ひとつの)取経(しゅきょう)の者(もの)を尋(たず)ね出(いだ)すかを知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。