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081 第八十一回 鎮海寺(ちんかいじ)に心猿(しんえん)怪(かい)を知(し)り 黒松林(こくしょうりん)に三衆(さんしゅ)師(し)を尋(たず)ぬ

話(かたり)は表(おもて)す。三蔵(さんぞう)師徒(してい)鎮海禅林寺(ちんかいぜんりんじ)に到(いた)るや、衆僧(しゅそう=僧たち)相見(まみ)え、斎供(さいく=斎の供物)を安排(あんぱい)す。四衆(ししゅ)食(くら)い畢(おわ)り、かの女子(じょし)もまた些(いささ)かの食力(しょくりき=食物の効きめ)を得(え)たり。漸漸(ようやく)天(てん)昏(くら)れ、方丈(ほうじょう=寺の主の間)の裡(うち)に灯(ともしび)を点(とも)し起(おこ)せば、衆僧(しゅそう)は一(ひとつ)には唐僧(とうそう)の経(きょう)を取(と)るの由来(ゆらい=いわれ)を問(と)い、二(ふたつ)にはかの女子(じょし)を貪(むさぼ)り看(み)るをもて、都(みな)簇簇群々(ぞくぞくぐんぐん=群れ集い)として、灯下(とうか=灯の下)に排列(ならびつら)ぬ。

三蔵(さんぞう)かの初(はじ)めて見(まみ)えし喇嘛僧(らまそう=チベット僧)に向(むか)いて言う、
「院主(いんしゅ=寺の主)、明日(みょうにち)宝山(ほうざん=おん山)を離(はな)れなば、西(にし)へ去(ゆ)くの路途(ろと=道のり)は如何(いかん)」
と。かの僧(そう)双膝(そうしつ=両の膝)を跪(ひざまず)き下(お)るに、慌(あわ)てたるかな長老(ちょうろう)、一把(ひとつかみ)に扯(ひき)とめて言う、
「院主(いんしゅ)、請(こ)う起(お)きたまえ。我(われ)汝(なんじ)に一箇(ひとつ)の路程(ろてい)を問(と)うに、汝(なんじ)何(なん)ぞ礼(れい)を行(おこな)うや」
と。かの僧(そう)言う、
「老師父(ろうしふ)、明日(みょうにち)西(にし)へ行(ゆ)かば、路途(ろと)平正(へいせい=平らか)にして、心(こころ)を費(つい)やすを須(もち)いず。只(た)だ眼下(がんか=目の前)に一件(ひとくだり)の事児(こと)の尴魀(かんか=具合の悪しき)なる有(あ)り。一(ひと)たび門(もん)に入(い)るやいなやすなわち説(い)わんとせしが、洪威(こうい=大いなる威光)を冒犯(ぼうはん=犯す)せんことを恐(おそ)れ、却(かえ)って才(いま)しがた斎(とき)罷(や)みて、方(はじ)めて敢(あ)えて大胆(だいたん)に奉告(ほうこく=申し上げ)す。老師(ろうし)東(ひがし)より来(きた)り、路遥(みちとお)く辛苦(しんく=苦労)したまえば、都(みな)小和尚(こおしょう)の房中(ぼうちゅう=部屋の裡)に在りて安歇(あんけい=休み)たもうは甚(はなは)だ好(よ)し。只(た)だこの位(おわ)す女菩薩(にょぼさつ)は、方便(べんぎ=都合)ならず。知(し)らず、彼(かれ)を請(しょう)じて那裡(いずこ)に睡(ね)しめたもうか好(よ)からん」
と。三蔵(さんぞう)言う、
「院主(いんしゅ)、汝(なんじ)疑(うたが)いを生(しょう)じて、我(われ)ら師徒(してい)に甚(なん)の邪意(じゃい=邪しき心)か有(あ)りと説(い)う莫(な)かれ。早間(あさ)黒松林(こくしょうりん)を打(う)ち過(よ)ぎりしに、この女子(じょし)の樹(き)の上(うえ)に綁(くく)り著(つ)けらるるに撞見(であ)えり。小徒(しょうと)孫悟空(そんごくう)は肯(がえん)じて彼(かれ)を救(すく)わざりしが、是(こ)れ我(われ)菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)し、彼(かれ)を将(も)ちて救(すく)いて此(ここ)に到(いた)れり。院主(いんしゅ)に随(したが)いて彼(かれ)をかの処(ところ)に送(おく)り往(ゆ)きて睡(ね)しめたまえ」
と。かの僧(そう)謝(しゃ)して言う、
「既(すで)に老師(ろうし)の寛厚(かんこう=心広き)ならば、彼(かれ)を請(しょう)じて天王殿(てんのうでん)の裡(うち)に到(いた)り、すなわち天王爺爺(てんのうやや=天王さま)の身(み)の後(うしろ)に在りて、一箇(ひとつ)の草鋪(そうほ=藁の床)を安排(あんぱい)し、彼(かれ)をして睡(ね)しめん」
と。三蔵(さんぞう)言う、
「甚(はなは)だ好(よ)し、甚だ好し」
と。遂(つい)にこの時(とき)、衆(しゅ)の小和尚(こおしょう)かの女子(じょし)を引(ひ)きて殿後(でんご=殿の裏)に往(ゆ)きて睡(ね)しむ。長老(ちょうろう)すなわち方丈(ほうじょう)の中(うち)に在りて、衆(しゅ)の院主に請(こ)うて自在(じざい=気まま)ならしめ、遂(つい)に各(おのおの)散(さん)じ去(さ)る。三蔵(さんぞう)悟空(ごくう)に吩咐(いいつけ)て言う、
「辛苦(しんく)したり。早(はや)く睡(ね)て早(はや)く起(お)きよ!」
と。遂に一処(ひとところ)に都(みな)睡(ね)し、敢(あ)えて側(そば)を離(はな)れず、師父(しふ)を護(まも)る。漸(ようや)く夜(よる)の深(ふか)きに入(い)る。正(まさ)に是(こ)れ、
玉兎(ぎょくと=月の兎)高(たか)く升(のぼ)りて万籟(ばんらい=万物の音)寧(やす)く、天街(てんがい=天の街)寂静(じゃくじょう)として人(ひと)の行(ゆ)くを断(た)つ。
銀河(ぎんが)耿耿(こうこう=きらきら)として星光(せいこう)燦(さん)たり、鼓(つづみ)譙楼(しょうろう=望楼)に発(おこ)りて更(こう=夜回り)を趲(つ)ぎ換(か)う。
と。

一宵(ひとよ)の晩話(ばんわ)は題(だい)せず。天(てん)の明(あき)らかなるに及(およ)び、行者(ぎょうじゃ)起(お)き来(きた)り、八戒(はっかい)・沙僧(しゃそう)に教(おし)えて行嚢(こうのう=旅の荷)・馬匹(ばひつ=馬)を收拾(しゅうしゅう=ととのえ)せしめ、却(かえ)って師父(しふ)を請じて路(みち)を走(ゆ)かしめんとす。この時(とき)長老(ちょうろう)なお貪睡(どんすい=眠りを貪り)ていまだ醒(さ)めず。行者(ぎょうじゃ)近(ちか)づき前(まえ)に往(ゆ)きて一声(ひとこえ)「師父(しふ)」と叫(よ)ぶ。かの師父(しふ)頭(こうべ)を把(と)って一抬(ひとあげ)に抬(あ)げたれど、またかつて答(こた)え出(いだ)すことを得(え)ず。行者(ぎょうじゃ)問う、
「師父(しふ)、怎(いか)に説(い)うや」
と。長老(ちょうろう)呻吟(しんぎん=うめ)いて言う、
「我(われ)怎麼(いか)にしてこの般(ごと)く頭(かしら)懸(かか)り眼(まなこ)脹(は)れ、渾身(こんしん=全身)の皮骨(ひこつ)皆(みな)疼(いた)むぞ」
と。八戒(はっかい)説(いう)を聽(き)き、手(て)を伸(の)べて往(ゆ)きて摸摸(さす)り、身(み)の上(うえ)些(いささ)か熱(ねつ)を発(はっ)する有(あ)り。呆子(あほう)笑って言う、
「我(われ)暁(さと)れり。これは昨晚(さくばん)銭(ぜに)の無(な)き飯(めし)を見(み)て、幾碗(いくわん)かを多(おお)く食(くら)い、倒(さかしま)に頭(かしら)を沁(つ)けて睡し、傷食(しょうしょく=食あたり)したるなり」
と。行者(ぎょうじゃ)喝(しか)って言う、
「胡説(こせつ=でたらめ)するな!我(われ)の師父(しふ)に問(と)いて、端(つまびらか)に如何(いかん)なるかを待(ま)て」
と。三蔵(さんぞう)言う、
「我(われ)半夜(やなか)の間(あいだ)に、起(お)きて手(て)を解(と)きに往(ゆ)きしに、かつて帽子(ぼうし)を戴(いただ)き得(え)ざりしが、想(おも)うに是(こ)れ風(かぜ)に吹(ふ)かれたるならん」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「これ還(ま)た説(い)うべきは是(ぜ)なり。如今(いま)路(みち)を走(ゆ)くことを得(う)るや」
と。三蔵(さんぞう)言う、
「我(われ)如今(いま)起(お)き坐(ざ)することを得(え)ず、怎麼(いか)でか馬(うま)に上(のぼ)らん。但(た)だ只(た)だ路(みち)を誤(あやま)るのみ!」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「師父(しふ)、那裡(いずく)の話(こと)をか説(い)うや!常言(じょうげん=世の習わし)に道(い)う、『一日(いちじつ)師(し)と為(な)れば、終身(しゅうしん)父(ちち)と為(な)る』と。我(われ)ら汝(なんじ)と与(とも)に徒弟(でし)と做(な)るは、すなわち児子(こども)の一般(ごとし)なり。また説(い)う、『子(こ)を養(やしな)うに阿金溺銀(あきんできぎん=金銀)を用(もち)いず、只(た)だ景(けい=ありさま)に見(み)て情(じょう)を生(しょう)ずれば便(すなわ)ち好(よ)し』と。汝(なんじ)既(すで)に身子(しんし=からだ)快(こころよ)からずんば、甚(なん)の行程(こうてい)を誤(あやま)るとか説(い)わん。便(すなわ)ち寧耐(ねいたい=こらえ忍ぶ)すること幾日(いくにち)なるも、何(なん)の妨(さまた)げか有(あ)らん!」
と。兄弟(きょうだい=兄弟子たち)ら都(みな)師父(しふ)に伏侍(ぶくじ=かしずき)し、覚(おぼ)えずして早(あさ)尽(つ)き午(ひる)来(きた)りて昏(くら)き又(また)至(いた)り、良宵(りょうしょう=良き宵)才(ようや)く過(よ)ぎて又(また)侵晨(しんしん=明け方)なり。

光陰(こういん)迅速(じんそく)にして、早(はや)くも三日(みっか)を過(す)ぎたり。その一日(いちじつ)、師父(しふ)身(み)を欠(かが)めて起(お)き来(きた)りて叫(よばわ)る、
「悟空(ごくう)、この両日(ふつか)病体(びょうたい)沈痾(ちんあ=重き病)なれば、かつて汝(なんじ)に問(と)い得(え)ざりしが、あの脱命(だつめい=命を逃れし)の女菩薩(にょぼさつ)には、かつて人(ひと)の些(いささ)かの飯(めし)を送(おく)りて彼(かれ)に食(くら)わせしや否(いな)や」
と。行者(ぎょうじゃ)笑って言う、
「汝(なんじ)彼(かれ)を管(かま)うこと怎(いか)にせんや。且(しばら)く自家(じか=自分)の病(やまい)を顧(かえり)みよ」
と。三蔵(さんぞう)言う、
「正(まさ)に是(ぜ)なり、正に是なり。汝(なんじ)且(しばら)く我(われ)を扶(たす)け起(おこ)し、我(わ)が紙(かみ)・筆(ふで)・墨(すみ)を取出(とりだ)し、寺(てら)の裡(うち)に硯台(けんだい=硯)を借(か)り来(きた)りて使(つか)わしめよ」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「要(もと)むるは怎(いか)にせん」
と。長老(ちょうろう)言う、
「我(われ)一封(ひとふう)の書(ふみ)を修(したた)め、関文(かんぶん=通行の証)を并(あわ)せて一処(ひとところ)に封(ふう)じ、汝(なんじ)をして長安(ちょうあん)の駕下(かか=御代)に送(おく)り上(たてまつ)らしめ、太宗皇帝(たいそうこうてい)に見(まみ)えんとす」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「この容易(たやす)きことよ。我(わ)が老孫(ろうそん)別事(べつじ)に能(ちから)無(な)しと雖(いえど)も、若(も)し書(ふみ)を送(おく)ると説(い)わば、人間第一(にんげんだいいち)なり。汝(なんじ)書(ふみ)を把(と)って收拾(ととの)え停当(ていとう=整え)て我(われ)に与(あた)えよ。我(われ)一筋斗(ひとこぶし)に長安(ちょうあん)に送り到(いた)り、唐王(とうおう)に遞(わた)し、再(また)一筋斗(ひとこぶし)に転(めぐ)り将(かえ)り来(きた)るとも、汝(なんじ)が筆硯(ひっけん=筆と硯)なおいまだ乾(かわ)かざらん。但(た)だ只(た)だ汝(なんじ)書を寄(よ)せるは怎(いか)にするか。且(しばら)く書意(しょい=文の趣旨)を把(と)って我(われ)に念(よ)みて聽(き)かしめよ。念(よ)み了(おわ)りて再(また)写(うつ)すとも遅(おそ)からず」
と。長老涙(なみだ)を滴(したた)らせて言う、
「我(われ)写(うつ)さく、
臣僧(しんそう)稽首(けいしゅ=頭を地に着け拝す)三頓首(さんとんしゅ=三度額づき)、万歳(ばんぜい)山呼(さんこ=万歳の唱和)して聖君(せいくん)を拝(おが)む。
文武(ぶんぶ)両班(りょうはん=文官武官)同じく目(め)に入(い)り、公卿(こうけい)四百(しひゃく)共(とも)に知聞(ちぶん=聞き知る)せん。
当年(とうねん)旨(むね)を奉(ほう)じて東土(とうど)を離(はな)れ、霊山(りょうざん)に指望(しぼう)して世尊(せそん)に見(まみ)えんとせしに、
料(おもんみ)らず途中(とちゅう)に厄難(やくなん=災難)に遭(あ)い、何(なん)ぞ期(き)せん半路(はんろ=道半ば)に災迍(さいてん=災い)有(あ)らんとは。
僧(そう)病(やまい)沈痾(ちんあ)にして進步(しんぽ=進む)難(かた)く、仏門(ぶつもん)深遠(しんえん)にして天門(てんもん=天の門)に接(せつ)す。
経(きょう)有(あ)りて命(いのち)無(な)くんば空(むな)しく労碌(ろうろく=骨折り)せん、啓奏(けいそう=申し上げ)して当今(とうぎん=今の帝)に別(べつ)に人(ひと)を遣(つか)わされたい」
と。

行者(ぎょうじゃ)この言(こと)を聽(き)くや、忍(しの)びえずして呵呵(かか)と大(おおい)に笑って言う、
「師父(しふ)、汝(なんじ)忒(はなは)だ不済(ふせい=だらしな)し。略(いささ)か些(いささ)かの病児(やまい)有(あ)れば、すなわちこの意念(ねん=思い)を起(おこ)す。汝(なんじ)若(も)し病(やまい)重(おも)くして、死(し)なんとし活(い)きんとせば、只(た)だ我(われ)に問(と)え。我(わ)が老孫(ろうそん)自(おのずか)ら一箇(ひとつ)の本事(ほんざい=腕)有(あ)り。『那(いず)れの閻王(えんおう)か敢(あ)えて心(こころ)を起(おこ)さん、那(いず)れの判官(はんがん)か敢(あ)えて票(ひょう=召喚状)を出(いだ)さん、那(いず)れの鬼使(きし=鬼の使い)か来(きた)りて勾(か)き取(と)らん』と問わば、若(も)し我(われ)を惱(いか)らせば、我(われ)あの天宮(てんぐう)を大鬧(おおさわ)がしし性子(しょうし=気性)を拿(と)り出(いだ)し、また一路(ひととおり)の棍(こん)に、打(う)ちて幽冥(ゆうめい=冥府)に入(い)り、十代(じゅうだい)の閻王(えんおう)を捉(とら)え住(とど)め、一箇箇(ひとりひとり)彼(かれ)が筋(すじ)を抽(ぬ)き了(おわ)るとも、なお彼(かれ)を饒(ゆる)さざらん!」
と。三蔵(さんぞう)言う、
「徒弟(でし)や、我(われ)病(やまい)重(おも)し。切(きっ)にこの大話(たいわ=大言壮語)を説(い)う莫(な)かれ」
と。八戒(はっかい)上前(すす)み出でて言う、
「師兄(しい)、師父(しふ)は不好(よからず)と説(い)えるに、汝(なんじ)只管(ひたすら)好(よ)しと説(い)えば、十分(じゅうぶん)に尴魀(かんか=具合悪)し。我(われ)ら趁早(いそ)ぎ商量(はかりごと)し、先(ま)ず馬(うま)を売(う)り、行嚢(こうのう)を典(しち)に置(お)き、棺木(かんぼく=棺桶)を買(か)いて送終(そうしゅう=葬い)し、散火(さんか=解散)せん」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「呆子(あほう)また胡説(こせつ)せり!汝(なんじ)知(し)らず、師父(しふ)は是(こ)れ我(わ)が仏如来(ぶつにょらい)の第二(だいに)の徒弟(でし)にして、原(もと)金蟬長老(こんぜんちょうろう)と喚(よ)ばる。只(た)だ彼(かれ)仏法(ぶっぽう)を軽慢(けいまん=軽んじ)せしに因(よ)り、当(まさ)にこの場(ひとしきり)の大難(だいなん)有(あ)るべし」
と。八戒(はっかい)言う、
「哥(あにい)よ、師父(しふ)既(すで)に仏法(ぶっぽう)を軽慢(けいまん)して、東土(とうど)に貶(へん)し回(かえ)され、是非海(ぜひかい=是非の海)の内(うち)、口舌場(こうぜつば=口論の場)の中(うち)に在りて、人身(じんしん)に托化(たくけ=生まれ変わり)し、願(がん)を発して西天(せいてん)に往(ゆ)きて仏(ほとけ)を拝(おが)み経(きょう)を求(もと)めんとし、妖精(ようせい)に遇(あ)えばすなわち捆(くく)られ、魔頭(まとう)に逢(あ)えばすなわち吊(つる)され、諸(もろもろ)の苦悩(くのう)を受(う)くるもまた彀(たれ)り。怎麼(いか)にしてまた彼(かれ)をして病(やまい)を害(わずら)わしむるか」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「汝(なんじ)那裡(いずく)にか暁(さと)らんや。老師父(ろうしふ)かつて仏(ほとけ)の法(ほう)を講(こう)ずるを聽(き)かず、一箇(ひとつ)の盹(まどろみ)を打(う)ちしに、下(した)へ向(むか)いて一失(ひとあやまち)有(あ)り、左足(ひだりあし)の下(もと)に一粒(ひとつぶ)の米(こめ)を躧(ふ)みて下界(げかい=下の世)に落(おと)し来(きた)れり。当(まさ)にこの三日(みっか)の病有(あ)るべし」
と。八戒(はっかい)驚(おどろ)いて言う、
「老豬(ろうちょ=おれ)の如(ごと)く物(もの)を食(くら)うに潑潑撒撒(はつはつさつさつ=こぼし散らし)なるは、また知(し)らず多少(いくばく)の年代(ねんだい)の病をか害(わずら)うならん!」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「兄弟(けいてい)、仏(ほとけ)は汝(なんじ)ら衆生(しゅじょう)と与(とも)に念(ねん)と為(な)さず。汝(なんじ)また知(し)らず、人(ひと)云(いわ)く、『鋤禾日当午(じょかひのうまにあたる)、汗滴禾下土(あせはかのかつちにしたたる)。誰知盤中餐(たれかしるはんちゅうのさん)、粒粒皆辛苦(つぶつぶみなしんく)』と。師父(しふ)は只(た)だ今日(こんにち)一日(いちにち)のみ、明日(みょうにち)にはすなわち好(よ)からん」
と。三蔵(さんぞう)言う、
「我(われ)今日(こんにち)昨日(きのう)と同(おな)じからず、咽喉(いんこう=のど)の裡(うち)十分(じゅうぶん)に渇(かわ)きを作(な)す。汝(なんじ)かの処(ところ)に往(ゆ)きて、涼水(りょうすい=冷や水)有(あ)らば些(いささ)か尋(たず)ね来(きた)りて我(われ)に食(くら)わせよ」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「好(よ)し了(おわ)んぬ!師父(しふ)の水(みず)を食(くら)わんと要(もと)めたもうは、すなわち好(よ)きなり。我(われ)の水(みず)を取(と)りに往(ゆ)かんを等(ま)て」
と。

即時(すなわち)鉢盂(はつう=托鉢の器)を取(と)り、寺(てら)の後面(うしろ)の香積厨(こうしゃくちゅう=寺の台所)に往(ゆ)きて水(みず)を取る。忽(たちま)ちかの些(いささ)かの和尚(おしょう)の一箇箇(ひとりひとり)眼児(め)の通(とお)りて紅(あか)く、悲啼(ひてい=悲しみ泣き)哽咽(こうえつ=むせび)し、只(た)だ敢(あ)えて声(こえ)を放(はな)ちて大(おおい)に哭(な)かざるを見(み)る。行者(ぎょうじゃ)言う、
「汝(なんじ)らこの些(いささ)かの和尚(おしょう)、忒(はなは)だ小家子様(こかしよう=せこい)なり!我(われ)ら幾日(いくにち)か住(とど)まり、臨行(りんこう=出立の折)に汝(なんじ)に謝(しゃ)し、柴火銭(さいかせん=薪の代銭)も日(ひ)に照(したが)いて算(かぞ)え還(かえ)さん。怎麼(いか)にしてこの等(ごと)き膿包(のうほう=意気地なし)なるか!」
と。衆僧(しゅそう)慌(あわ)てて跪(ひざまず)き下(お)りて言う、
「不敢(かしこまりたり)!不敢!」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「怎麼(いか)にして敢えざるか。想(おも)うに是(こ)れ我(わ)があの長嘴和尚(ちょうしおしょう=長き嘴の僧)の、食腸(しょくちょう=食いぶち)大(おお)きく、汝(なんじ)が本児(ほんじ=元手)を食(くら)い傷(そこな)いたるならんか」
と。衆僧(しゅそう)言う、
「老爺(ろうや=だんな)、我(わ)がこの荒山(こうざん=寂しき山)、大大小小(だいだいしょうしょう=大小とりまぜ)にもまた百十衆(ひゃくじっしゅ=百十人)の和尚(おしょう)有(あ)り。每一人(ひとりびとり)老爺(ろうや)を養(やしな)うこと一日(いちにち)にも、また百十日(ひゃくじゅうにち)を養(やしな)い起(おこ)すことを得(う)べし。怎麼でか敢えて心(こころ)を欺(あざむ)き、甚(なん)の食用(しょくよう=食費)をか計較(けいかく=勘定)せんや!」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「既(すで)に計較(けいかく)せずんば、汝(なんじ)ら却(かえ)って何(なん)と為(な)すか啼哭(ていこく=泣き叫ぶ)や」
と。衆僧(しゅそう)言う、
「老爺(ろうや)、知(し)らず、是(こ)れ那(いず)れの山(やま)の裡(うち)より来(きた)れる妖邪(ようじゃ=妖怪)かこの寺(てら)の裡(うち)に在(あ)るを。我(われ)ら晩夜(やよ)の間(あいだ)に二箇(ふたり)の小和尚(こおしょう)を著(つかわ)して鐘(かね)を撞(つ)かせ鼓(つづみ)を打(う)たしむるに、只(た)だ鐘鼓(しょうこ=鐘と鼓)の響(ひび)き罷(や)みてより、再(また)人の回(かえ)り来(きた)るを見(み)ず。次日(つぎのひ)に至(いた)りて尋(たず)ね找(もと)むるに、只(た)だ僧帽(そうぼう=僧の帽)・僧鞋(そうぐつ=僧の靴)の後辺(うしろ)の園(その)の裡(うち)に捨(す)て置(お)かれ、骸骨(がいこつ)なお存(そん)するを見(み)るのみ、人(ひと)を将(も)ちて食(くら)われ了(おわ)んぬ。汝(なんじ)らの住(とど)まりし三日(みっか)の間に、我(わ)が寺(てら)の裡(うち)に六箇(ろっこ)の和尚(おしょう)を見(み)なくなれり。此(ここ)を以(もっ)て、我(われ)ら兄弟(けいてい=仲間)等(ら)由(よし)なくも怕(おそ)れ、由なくも傷(いた)まざるを得(え)ざるなり。汝(なんじ)が老師父(ろうしふ)の貴慈(きじ=尊き慈悲)なるを見(み)るに因(よ)り、敢えて伝(つた)え説(い)わず、忍(しの)びえずして涙珠(るいしゅ=涙の玉)を偷(ぬす)み垂(た)るるのみ」
と。行者(ぎょうじゃ)言(こと)を聞(き)き、又(また)驚(おどろ)き又(また)喜(よろこ)んで言う、
「説(と)くを消(もち)いず!必(かなら)ず是(こ)れ妖魔(ようま)此(ここ)に在りて人(ひと)を傷(そこな)うなる。我(われ)の汝(なんじ)と与(とも)に彼(かれ)を剿除(そうじょ=討ち滅ぼ)さんを等(ま)て」
と。衆僧(しゅそう)言う、
「老爺(ろうや)、妖精(ようせい)は精(せい=鋭き)ならざれば霊(たま)ならず、一定(かなら)ず会(よ)く雲(くも)に騰(のぼ)り霧(きり)を駕(が)し、一定(かなら)ず会(よ)く幽(かげ=冥界)より出(い)で冥(くらき)に入(い)る。古人(こじん)道(い)うこと好(よ)し、『直中(ちょくちゅう)の直(ちょく)を信(しん)ずる莫(な)かれ、須(かなら)ず仁(じん)の中(うち)の不仁(ふじん)を防(ふせ)げ』と。老爺(ろうや)、汝(なんじ)我らの説(い)うを怪(とが)めたもう莫(な)かれ。汝(なんじ)若(も)し彼(かれ)を拿(とら)え住(とど)むることを得(え)ば、便(すなわ)ち我(わ)が荒山(こうざん)と与(とも)にこの条(ひとすじ)の禍根(かこん=災いの根)を除(のぞ)かん。正(まさ)に是(こ)れ三生(さんしょう)の幸(さいわい)なり。若(も)し還(ま)た彼(かれ)を拿(とら)え住(とど)むること得(え)ざるにおいては、却(かえ)って好(よ)く些(いささ)かの不便(ふべん)の処(ところ)有(あ)らん」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「怎(いか)にして好(よ)く些(いささ)かの不便(ふべん)の処(ところ)と喚(よ)ぶや」
と。かの衆僧(しゅそう)言う、
「直(じき)に老爺(ろうや)に相瞞(あざむ)かずして説(い)わん。我(わ)がこの荒山(こうざん)には、百十衆(ひゃくじっしゅ)の和尚(おしょう)有(あ)りと雖(いえど)も、却(かえ)って都(みな)只(た)だ是(こ)れ自小児(おさなき)より出家(しゅっけ)せしもののみ。
髪(かみ)長(なが)ければ刀(かたな)を尋(たず)ねて削(そ)り、衣(ころも)単(ひとえ)なれば破衲(はのう=継ぎはぎ)を縫(ぬ)う。
早晨(あさ)起き来(きた)りて顔(かお)を洗(あら)い、手(て)を叉(く)み身(み)を躬(かが)め、大道(だいどう)に皈依(きえ=帰依)す。
夜(よる)来(きた)りて收拾(ととの)え香(こう)を焼(た)き、虔心(けんしん=つつしむ心)に歯(は)を叩(う)ちて、弥陀(みだ)を念(とな)う。
頭(こうべ)を挙(あ)げて仏を見(み)れば、蓮九品(れんくほん=九等の蓮)、三乗(さんじょう)を秇(う)え、慈航(じこう=慈悲の船)と法雲(ほううん)と共(とも)に、靉園(あいえん=雲の園)の釈世尊(しゃくせそん)に見(まみ)えんことを願(ねが)う。
頭(こうべ)を低(た)れて心(こころ)を見(み)れば、五戒(ごかい)を受(う)け、大千(だいせん=世界)を度(ど)し、生生(しょうじょう)万法(まんぽう)の中(うち)に、頑空(がんくう=頑ななる空)と色空(しきくう)とを悟(さと)らんことを願(ねが)う。
諸(もろもろ)の檀越(だんおつ=檀那)来(きた)る啊(や)、老(おい)たる、小(ちいさ)き、長(たか)き、矮(ひく)き、胖(ふと)れる、痩(や)せたるが、一箇箇(ひとりひとり)木魚(もくぎょ)を敲(たた)き、金磬(きんけい=金の鉦)を撃(う)ち、挨挨拶拶(あいあさつさつ=押し合い)、両巻(ふたまき)の『法華経(ほけきょう)』、一策(ひとさく=一巻)の『梁王懺(りょうおうさん)』。
諸の檀越(だんおつ)来(きた)らざる啊、新(あたら)しき、旧(ふ)るき、生(なま)の、熟(じゅく)せる、村(いなか)の、俏(みめよ)きが、一箇箇(ひとりひとり)掌(て)を合(あ)わせ、目(まなこ)を瞑(つぶ)り、悄悄冥冥(しょうしょうめいめい=ひっそりと)、蒲団(ふとん)の上(うえ)に入定(にゅうじょう)し、月(つき)の下(もと)の門(もん)を牢(かた)く関(とざ)す。
一任(ままよ)彼(かれ)が鶯(うぐいす)啼(な)き鳥(とり)語(かた)りて閑(しず)かに争闘(そうとう=競い合う)とも、我(わ)が方便慈悲(ほうべんじひ)の大法乗(だいほうじょう=大乗)には上(のぼ)らず。
此(ここ)を以(もっ)て、また会(よ)く虎(とら)を伏(ふく)せず、また会(よ)く龍(りゅう)を降(くだ)さず、また怪(かい)を識(し)ること無(な)く、また精(せい)を識(し)ること無(な)し。
汝(なんじ)老爺(ろうや)若し還(ま)たかの妖魔(ようま)を惹(ひ)き起(おこ)さば、我(わ)が百十箇(ひゃくじっこ)の和尚(おしょう)も只(た)だ彼(かれ)が一斎(いっさい=一食)に飽(あ)かしむるに彀(た)るのみ。一(ひとつ)には我が衆生(しゅじょう)の輪廻(りんね)を堕落(だらく)させ、二(ふたつ)にはこの禅林(ぜんりん=禅寺)の古迹(こせき)を滅抹(めつまつ=消し去り)、三(みっつ)には如来(にょらい)の会(え=法会)の上(うえ)に、全(まった)く半点(はんてん)の光輝(こうき)も無(な)からん。これ却(かえ)って是(こ)れ好(よ)く些(いささ)かの不便の処(ところ)なり」
と。

行者(ぎょうじゃ)衆(しゅ)の和尚(おしょう)のこの一端(ひとくだり)の話語(わご=言葉)を説い出(いだ)すを聞(き)くや、彼(かれ)すなわち怒(いかり)心(こころ)の上(うえ)より起(おこ)り、悪(あく)胆(きも)の辺(ほとり)より生じ、一声(ひとこえ)高(たか)く叫(よばわ)る、
「汝(なんじ)この衆(しゅ)の和尚、好(よ)く呆(あほう)なるかな!只(た)だかの妖精(ようせい)を暁(さと)りて、すなわち我が老孫(ろうそん)の行止(こうし=行動)を暁(さと)らざるか」
と。衆僧(しゅそう)軽軽(かろがろ)と答(こた)えて言う、
「実(げ)に暁(さと)りまつらず」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「我今日(こんにち)略節(りゃくせつ=あらまし)に説わん、汝(なんじ)ら聽(き)け、
我も亦(また)かつて花果山(かかざん)に在りて虎(とら)を伏(ふく)せ龍(りゅう)を降(くだ)し、我も亦(また)かつて天堂(てんどう=天)に上(のぼ)りて天宮(てんぐう)を大鬧(おおさわ)がしぬ。
飢(う)うる時(とき)に老君(ろうくん)の丹(たん)を把(と)って、略略(りゃくりゃく=ちょっと)三、二顆(みつふたつ)を咬(か)み、
渇(かわ)く時(とき)に玉帝(ぎょくてい)の酒(さけ)を把(と)って、軽軽(かろがろ)と六、七鐘(ろくしちしょう=六、七杯)を呼(の)めり。
一対(ひとくみ)の白(しろ)からず黒(くろ)からざる金睛眼(きんせいがん=金の瞳)を睜(みは)れば、天(てん)惨淡(さんたん)として月(つき)朦朧(もうろう)たり。
一条(ひとすじ)の短(みじか)からず長(なが)からざる金箍棒(きんこぼう)を拿(と)れば、来(きた)るに影(かげ)無(な)く、去(さ)るに踪(あと)無(な)し。
甚(なん)の大精小怪(だいせいしょうかい=大小の妖怪)をか説わん、那(いず)くんぞ彼(かれ)が怠(なま)け膿(うみ)のごときを怕(おそ)れんや!
一(ひと)たび趕(お)い上(あ)がり往(ゆ)けば、跑(はし)るもの跑(はし)り、顫(ふる)うもの顫(ふる)い、避(さ)くるもの避(さ)け、慌(あわ)つるもの慌(あわ)て、
一(ひと)たび捉(とら)え将(も)ち来(きた)らば、鑢(やすり)するは鑢(やす)り、焼(や)くは焼(や)き、磨(みが)くは磨(みが)き、舂(つ)くは舂(つ)かん。
正(まさ)に是(こ)れ八仙(はっせん)同(とも)に海(うみ)を過(わた)りて、独(ひと)り神通(じんずう)を顕(あらわ)すなり!
衆の和尚よ、我この妖精(ようせい)を拿(とら)え来(きた)りて汝に看(み)せば、汝才(はじ)めて我が老孫(ろうそん)を認(みと)めん!」
と。衆僧(しゅそう)聽(き)きおるに、暗(ひそ)かに頭(こうべ)を点(うなず)かせて言う、
「この賊禿(ぞくとく=坊主め)は大口(たいこう)を開(ひら)き、大話(たいわ)を話(かた)るは、想(おも)うに是(こ)れ些(いささ)かの来歴(らいれき=素性)有(あ)るならん」
と。都(みな)一箇箇諾諾(だくだく)と声(こえ)を連(つら)ぬ。只だかの喇嘛僧(らまそう)のみ言う、
「且(しばら)く住(とど)まれ!汝が老師父は貴恙(きしょう=ご病気)なるに、汝この妖精(ようせい)を拿(とら)うるは緊(きん)に至(いた)らず。俗語(ぞくご)に道(い)う、『公子(こうし)筵(えん)に登(のぼ)れば、酔(よ)わざれば便(すなわ)ち飽(あ)き、壮士(そうし)陣(じん)に臨(のぞ)めば、死(し)せざればすなわち傷(そこな)わらる』と。汝ら両下裡(ふたかた=双方)角闘(かくとう=戦い)の時(おり)、倘(も)し汝が師父(しふ)に貽累(いるい=累を及ぼ)さば、穏便(おんびん)に当(あた)らず」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「理(ことわり)有(あ)り!理有り!我且(しばら)く涼水(りょうすい=冷や水)を師父(しふ)に送りて食(くら)わせてより再(また)来らん」
と。

鉢盂(はつう)を掇(ひろ)い上(あ)げ、涼水(りょうすい)を著(み)たし、香積厨(こうしゃくちゅう)を転(めぐ)り出(い)で、すなわち方丈(ほうじょう)に到(いた)り、一声(ひとこえ)叫(よばわ)る、
「師父(しふ)、涼水(りょうすい)を食(くら)えたまえ」
と。三蔵(さんぞう)正(まさ)に煩渇(はんかつ=渇きに苦しむ)の時(おり)なれば、便ち頭(こうべ)を抬(あ)げ起(おこ)し、水(みず)を捧(ささ)げて、只だ是(こ)れ一吸(ひとすい)す。真箇(まこと)に渇く時(とき)の一滴(ひとしずく)は甘露(かんろ)の如(ごと)く、薬(くすり)の真方(しんぽう=的確なる処方)に到(いた)れば病すなわち除(のぞ)かれるなり。行者(ぎょうじゃ)長老の精神(せいしん)漸(ようや)く爽(さわ)やかに、眉目(びもく)舒(の)び開(ひら)くを見(み)、すなわち問うて言う、
「師父、些かの湯飯(とうはん=汁と飯)を食(くら)うべきか」
と。三蔵言う、
「この涼水はすなわち霊丹(れいたん=霊薬)の一般(ごとし)、この病児(やまい)一半(なかば)を減(へ)らしぬ。湯飯(とうはん)有らばまた些か食(くら)うことを得(え)ん」
と。行者(ぎょうじゃ)連声(れんせい)に高々(たかだか)と叫(よばわ)る、
「我が師父好(よ)くなりたもう、湯飯(とうはん)を食(くら)わんと要(もと)めたもうぞ」
と。かの些かの和尚に教(おし)えて忙忙(いそぎ)と安排(あんぱい=用意)せしむ。米(こめ)を淘(と)ぎ、飯(めし)を煮(に)、面(うどん)を捍(の)し、餅(もち)を烙(や)き、饃饃(まんじゅう)を蒸(ふか)し、粉湯(ふんとう=春雨の汁)を做(つく)り、四、五卓(しごたく=四、五卓)を抬(かつ)ぎ来れり。唐僧(とうそう)は只だ半碗(はんわん)の米湯(べいとう=米の汁)を食い得(え)たるのみ、行者(ぎょうじゃ)・沙僧(しゃそう)は一席(ひとむしろ)を用(もち)い了(おわ)り、その余(あまり)は都(みな)八戒(はっかい)が一肚(ひとつづみ=一腹)に餐(くら)い之(これ)を尽(つく)す。家火(かか=食器)収(おさ)め去(さ)られ、灯(ともしび)を点(とも)し起せば、衆僧各(おのおの)散(さん)ず。

三蔵言う、
「我ら今(いま)幾日住(とど)まれるか」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「三整日(みっか)なり。明朝(みょうちょう)の向晩(ゆうべ)には、便ちすなわち四箇(よっつ)の日頭(にっとう=日)と為らん」
と。三蔵言う、
「三日(みっか)は許多(あまた)の路程(ろてい)を誤りたり」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「師父、また路程に算(かぞ)うるに足(た)らず。明日(みょうにち)去(ゆ)かん」
と。三蔵言う、
「正に是なり。幾分(いくぶ)かの病児を帯(お)ぶるとも、また没奈何(なんともなら)ず」
と。行者(ぎょうじゃ)言う、
「既(すで)に明日去(ゆ)かんと要(もと)めたもうならば、且(しばら)く我をして今晚(こんばん)かの妖精(ようせい)を捉(とら)え了(おわ)らしめよ」
と。三蔵驚(おどろ)いて言う、
「又(また)甚(なん)の妖精(ようせい)をか捉(とら)うるや」
と。行者言う、
「一箇(ひとり)の妖精(ようせい)この寺の裡(うち)に在(あ)り。老孫(ろうそん)の彼(かれ)に替(かわ)りて捉え捉えするを等(ま)て」
と。唐僧(とうそう)言う、
「徒弟(でし)や、我が病身(びょうしん=病める身)いまだ可(ゆる)されず、汝怎麼にして又この念(ねん)を興(おこ)すや!倘(も)しあの怪(かい)に神通(じんずう)有りて、汝彼(かれ)を拿(とら)え住(とど)むること得ざらんには、却又(また)是(こ)れ我を害(そこな)うに非(あら)ざるか」
と。行者言う、
「汝好くも人の威風(いふう=威光)を滅(めっ)するかな!老孫(ろうそん)到(いた)る処(ところ)に妖(よう)を降(くだ)すに、汝我の誰(たれ)に弱(よわ)きを見(み)しか。只だ手(て)を動(うご)かさざるのみ、手(て)を動(うご)かさばすなわち赢(か)たんと要(もと)む」
と。三蔵扯(ひき)とめて言う、
「徒弟よ、常言(じょうげん)に説うこと好し、『方便(ほうべん=都合)に遇(あ)う時(とき)に方便を行(おこな)い、人を饒(ゆる)すべき処(ところ)に得て且く人を饒(ゆる)せ』と。心(こころ)を操(あやつ)るは怎(いか)でか心(こころ)を存(ぞん)ずるの好きに似(に)ん、気(き)を争(あらそ)うは何ぞ気(き)を忍ぶの高(たか)きに如(し)かん!」
と。孫大聖(そんたいせい)師父の苦苦(くく=切に)彼(かれ)を勧(すす)めて、妖(よう)を降(くだ)すを許(ゆる)さざるを見(み)、彼(かれ)老実(ろうじつ=正直)の話(こと)を説い出(いだ)して言う、
「師父、実(げ)に汝に瞞(あざむ)かずして説わん。かの妖此(ここ)に在りて人を食い了(おわ)んぬ」
と。唐僧大に驚(おどろ)いて言う、
「甚(なん)の人をか食いしや」
と。行者説いて言う、
「我らの住まりし三日に、已(すで)にこの寺の裡(うち)の六箇(ろっこ)の小和尚(こおしょう)を食い了んぬ」
と。長老言う、
「兎(うさぎ)死すれば狐(きつね)悲(かな)しみ、物(もの)其(そ)の類(たぐい)を傷(いた)む。彼(かれ)既(すで)に寺内(じない)の僧を食いしは、我も亦僧なり。我汝の去(ゆ)くを放(はな)たん、只だ但(た)だ心(こころ)を用(もち)いて仔細(つまびらか)にするを要(よう)せよ」
と。行者言う、
「説(と)くを消(もち)いず。老孫の手(て)到(いた)ればすなわち消(け)し除かん」

汝視(み)よ、彼(かれ)灯光(とうこう=灯の光)の前(まえ)に八戒(はっかい)・沙僧(しゃそう)に吩咐(いいつけ)て師父を看守(かんしゅ=見守ら)しめ、彼喜孜孜(きしし=喜び勇み)として方丈(ほうじょう)を跳(と)び出(い)で、径(ただち)に仏殿(ぶつでん)に来りて看(み)る時(おり)、天(てん)の上(うえ)に星(ほし)有れど、月(つき)はいまだ上(のぼ)らず、かの殿(でん)の裡(うち)暗暗(あんあん=真っ暗)たり。彼すなわち真火(しんか=真の火)を吹(ふ)き出(いだ)し、琉璃(るり)を点し起し、東辺(ひがし)に鼓を打(う)ち、西辺(にし)に鐘(かね)を撞(つ)く。響(ひび)き罷みて、身(み)を揺(ゆす)りて一変(ひとへん)し、変(へん)じて一箇(ひとり)の小和尚児(こおしょうじ=小坊主)と做(な)る。年紀(とし)只だ十二三歳(じゅうにさんさい)有るのみ。黄絹(こうけん=黄色き絹)の褊衫(へんさん=法衣)を披(はお)り、白布(はくふ=白き布)の直裰(じきとつ=衣)を著(き)、手(て)に木魚(もくぎょ)を敲(たた)き、口(くち)の裡(うち)に経(きょう)を念(とな)う。等(ま)つこと一更(いっこう=初更)の時分(じぶん=頃)に至(いた)るも、動静(どうじょう=物音)を見ず。二更(にこう)の時分、残月(ざんげつ=有明の月)才(ようや)く升(のぼ)るに、只だ呼呼(ここ)たる一陣(ひとむれ)の風(かぜ)の響(ひび)くを聽く。好き風(かぜ)かな、
黒霧(こくむ=黒き霧)天(てん)を遮(おお)いて暗(くら)く、愁雲(しゅううん=愁いの雲)地(ち)を照(てら)して昏(くら)し。
四方(しほう)墨(すみ)を潑(そそ)ぐが如(ごと)く、一派(ひとすじ)靛(でん=藍)の粧(よそおい)の渾(こん=濁り)たり。
先(ま)ず刮(ふ)く時(とき)は塵(ちり)を揚(あ)げ土(つち)を播(ま)き、次(つい)で後(のち)来りて樹(き)を倒(たお)し林(はやし)を摧(くだ)く。
塵(ちり)を揚(あ)げ土(つち)を播(ま)けば星光(せいこう=星の光)現(あらわ)れ、樹を倒(たお)し林(はやし)を摧(くだ)けば月色(げっしょく=月の色)昏し。
只だ刮(ふ)き得て嫦娥(じょうが=月の仙女)梭羅樹(さらじゅ=月の桂)を緊(きつ)と抱(いだ)き、玉兎(ぎょくと=月の兎)団団(だんだん=くるくる)と薬盆(やくぼん=薬の鉢)を找(もと)む。
九曜(くよう)の星官(せいかん)皆(みな)戸(と)を閉(とざ)し、四海(しかい)の龍王(りゅうおう)尽(ことごと)く門(もん)を掩(おお)う。
廟(びょう)の裡(うち)の城隍(じょうこう=土地神)小鬼(しょうき)を覓(もと)め、空中(くうちゅう)の仙子(せんし=仙女)怎でか雲(くも)に騰(のぼ)らんや。
地府(じふ=冥府)の閻羅(えんら=閻魔)馬面(ばめん)を尋(たず)ね、判官(はんがん)乱(みだ)りに跑りて頭巾(ずきん)を趕(お)う。
刮き動かす崑崙(こんろん)の頂上(ちょうじょう)の石(いし)、巻(ま)き得(う)る江湖(こうこ=川と湖)の波浪(はろう)の混(にご)れるを。
と。

かの風(かぜ)才く然(しか)として過(よ)ぎし処(ところ)、猛(にわか)に蘭麝(らんじゃ=蘭と麝香)の香(こう)の熏(くゆ)り、環珮(かんぱい=玉の飾り)の声の響(ひび)くを聞(き)く。すなわち身(み)を欠(かが)め頭(こうべ)を抬げて観看(みわた)せば、呀(ああ)!却(かえ)って是(こ)れ一箇(ひとり)の美貌(びぼう)の佳人(かじん=美人)の、径(ただち)に仏殿(ぶつでん)に上るなり。行者口(くち)の裡に嗚哩嗚喇(おりおり=ぶつぶつ)と、只管(ひたすら)経(きょう)を念(とな)う。かの女子(じょし)近(ちか)づき前(まえ)に往(ゆ)き、一把(ひとつかみ)に摟(いだ)き住めて言う、
「小長老(こちょうろう=小さき長老)、何の経をか念(とな)うるや」
と。行者言う、
「許(もう)し下(おろ)したるなり」
と。女子(じょし)言う、
「別人(ひとびと)は都(みな)自在(じざい=気まま)に睡ておるに、汝なお経を念(とな)うは怎にするか」
と。行者言う、
「許(もう)し下(おろ)したるに、如何(いか)でか念えざらんや」
と。女子(じょし)摟(いだ)き住め、彼と与(とも)に一箇(ひとつ)の嘴(くちづけ)を親(した)しんで言う、
「我汝と与(とも)に後面(うしろ)に到(いた)りて耍耍(あそび)に往(ゆ)かん」
と。行者故意(わざ)と頭を扭(ね)じ過ぎて言う、
「汝些か事(こと)を暁らざる有り!」
と。女子(じょし)言う、
「汝会く相面(そうめん=人相見)するか」
と。行者言う、
「また些か暁る」
と。女子言う、
「汝我を相(み)て怎なる様子(さま)なるか」
と。行者言う、
「我汝を相(み)るに、些か生(なま)を偸(ぬす)み熟(じゅく)を搲(か)き取り、公婆(こうば=舅姑)に趕(お)い出(いだ)されたる有り」
と。女子言う、
「相て著(あた)らず!相て著らず!我は是(こ)れ公婆(こうば)の趕逐(かんちく=追い出し)に非(あら)ず、熟を搲(か)き生を偸(ぬす)むに因らず。
奈(いか)ん、我が前生(ぜんしょう)命薄(めいはく=薄幸)にして、投(な)げ配(はい)しし男子(だんし)年(とし)若(わか)かりき。
洞房花燭(どうぼうかしょく=新婚の床)を会(え)せず、夫(おっと)を避け逃(に)げ走(ゆ)くの情(じょう)なり。
如今(いま)星光(せいこう)月皎(げっこう=月明るき)なるに趁(じゅん)ずるは、また是(こ)れ『縁(えにし)有れば千里(せんり)も来りて相会(あいかい)す』なり。我汝と与(とも)に後園(こうえん=裏庭)の中(うち)に到りて交歓(こうかん=契り)し、鸞儔(らんちゅう=夫婦)を配(はい)しに往(ゆ)かんとす」
と。行者言(こと)を聞き、暗(ひそ)かに頭を点(うなず)かせて言う、
「かの幾箇(いくたり)かの愚僧(ぐそう=愚かなる僧)は、都(みな)色欲(しきよく)に引誘(いんゆう=誘われ)れて、此(ここ)を以(もっ)て性命(いのち)を傷われしに、彼如今(いま)また来りて我を哄(たぶら)かすなり」
と。すなわち口(くち)に随(したが)いて応(こた)えて言う、
「娘子(じょうし=おまえ)、我出家人(しゅっけにん)は年紀(とし)なお幼(おさな)く、却(かえ)って甚の交歓(こうかん)の事(こと)かあるを知(し)らず」
と。女子言う、
「汝我に跟(したが)い往(ゆ)け、我汝に教(おし)えん」
と。行者暗(ひそ)かに笑って言う、
「也(ま)た罷(よ)し、我彼に跟(したが)き往きて、彼の怎に擺布(とりはから)うかを看(み)ん」
と。

彼ら両箇(ふたり)肩(かた)を摟き、手(て)を携(たずさ)え、仏殿を出で、径(ただち)に後辺(うしろ)の園(その)の裡に至る。かの怪(かい)行者に向(むか)いて一箇(ひとつ)の絆子腿(はんすたい=足技)を使(つか)い、地(ち)に跌(たお)れ倒(ふ)し、口(くち)の裡に「心肝哥哥(しんかんあにい=いとしの兄さん)」と乱(みだ)りに叫(よばわ)り、手(て)を将ちてすなわち往きて彼が臊根(そうこん=男根)を掐(つ)まんとす。行者言う、
「我が児(こ)よ、真箇(まこと)に老孫を食わんと要めるか!」
と。却(かえ)って行者彼が手(て)を接(う)け住め、一箇(ひとつ)の小坐跌法(しょうざてっぽう=座り込ませ倒す技)を使(つか)い、かの怪(かい)を把(と)って一轆轤(ひとまわり=ひと転がり)地(ち)の上(うえ)に掀(ひっくり)き翻(かえ)したり。かの怪口(くち)の裡になお叫(よばわ)って言う、
「心肝哥哥(しんかんあにい)、汝は倒(かえ)って会く汝が娘(おふくろ)を跌(たお)すかな!」
と。行者暗(ひそ)かに算(はから)って言う、
「この時に趁(じゅん)じて彼に手を下(くだ)さずんば、還(ま)たいずれの時に到らんや!正に是れ先(さき)に手を下(くだ)せば強(つよ)く、後(のち)に手を下(くだ)せば殃(わざわい)に遭(あ)うなり」
と。すなわち手を把(と)って一叉(ひとさし)し、腰(こし)を一躬(ひとかがめ)し、一跳(ひととび)に跳(と)び起き上(あ)がり、原身(げんしん=本来の姿)の法象(ほっぞう=威容)を現(あらわ)し、金箍鉄棒(きんこてつぼう)を輪(めぐ)らし起し、頭を劈(つんざ)いてすなわち打(う)つ。かの怪もまた一驚(ひとおどろき)を食い、彼心に想(おも)う、
「この小和尚は、この等(ごと)く利害(りがい=手強き)かな!」
と。眼(まなこ)を打(う)ち開(ひら)いて一看(ひとみ)すれば、元来(もと)是れかの唐長老(とうちょうろう)の徒弟の孫(そん)と姓(せい)する者(もの)なり。彼もまた彼を懼(おそ)れず。汝説え、この精怪(せいかい=妖怪)は是れ甚の精怪(せいかい)なるか、
金(きん)を以(もっ)て鼻(はな)と作(な)し、雪(ゆき)を鋪(し)きて毛(け)とす。
地道(ちどう=地中の道)を門屋(もんおく=住まい)と為し、身(み)を安(やす)んずる処処(ところどころ)牢(ろう=堅し)。
三百年前(さんびゃくねんぜん)の気を養い成(な)し、かつて霊山(りょうざん)に向いて幾遭(いくたび)か走(ゆ)けり。
一(ひと)たび香花(こうげ=香と花)と蝋燭(ろうそく)とに飽き、如来(にょらい)吩咐して天曹(てんそう=天の官府)より下(くだ)る。
托塔天王(たくとうてんおう)の恩愛(おんあい)の女(むすめ)、哪吒太子(なたたいし)の同胞(どうほう=きょうだい)と認(みと)むるなり。
また是れ海(うみ)を填(うず)むる鳥(とり)に非(あら)ず、また是れ山(やま)を戴(いただ)く鰲(ごう=大亀)に非(あら)ず。
また雷煥(らいかん)の剣(けん)を怕(おそ)れず、また呂虔(りょけん)の刀(かたな)を怕(おそ)れず。
往往来来(おうおうらいらい)に、一任(ままよ)彼が水の江漢(こうかん)に流(なが)れて闊(ひろ)きを、
上上下下(じょうじょうかか)に、那(いず)くんぞ彼が山(やま)の泰恒(たいこう)に聳(そび)えて高(たか)きを論(ろん)ぜんや。
汝視(み)よ、彼が月貌花容(げつぼうかよう=月と花の貌)の嬌滴滴(きょうてきてき=あでやか)なるを、誰(たれ)か識(し)らん、是れ一箇の鼠(ねずみ)の老(ふ)けて精(せい)と成(な)りて黠豪(かつごう=悪賢く強き)を逞(たくま)しくするなるを!
と。

彼自(みずか)ら恃(たの)むに神通(じんずう)の広大(こうだい)なるをもて、すなわち手に随(したが)いて双股剣(そうこけん=二筋の剣)を架(かま)え起し、玎玎璫璫(ていていとうとう=じゃらじゃら)と響(ひび)き、左(ひだり)を遮(さえぎ)り右(みぎ)を格(ふせ)ぎ、東(ひがし)に随い西に倒(たお)る。行者些か強(つよ)けれど、却ってまた彼を撈(とら)え倒すことを得ず。陰風(いんぷう=陰の風)四起(しき=四方より起こ)り、残月(ざんげつ)光(ひかり)無(な)し。汝視よ、彼ら両人(ふたり)の、後園(こうえん)の中の一場(ひとしきり)の好き殺(たたかい)を、
陰風(いんぷう)地より起り、残月(ざんげつ)微光(びこう=かすかな光)を蕩(うご)かす。
闃静(げきせい=ひっそり)たる梵王宇(ぼんおうう=仏殿)、闌珊(らんさん=さびれ)たる小鬼廊(しょうきろう)。
後園(こうえん)の裡は一片(ひとひら)の戦争場(せんそうば=戦場)なり。
孫大士(そんだいし)は天上(てんじょう)の聖(ひじり)、毛奼女(もうちゃじょ)は女中(じょちゅう)の王(おう)。
神通(じんずう)を賭賽(とさい=競い)していまだ肯(がえん)じて降らず。
一箇児(ひとり)は芳心(ほうしん=うるわしき心)を扭(ね)じ転(てん)じて黒禿(こくとく=坊主)を嗔(いか)り、
一箇児(ひとり)は慧眼(えがん=智慧の眼)を円(まろ)かに睜(みは)りて新粧(しんしょう=新しい化粧)を恨(うら)む。
両手(りょうしゅ)に剣(けん)飛(と)べば、那くんぞ女菩薩(にょぼさつ)を認(みと)めん、
一根(ひとすじ)の棍(こん)打(う)てば、狠(きつ)きこと一箇(ひとり)の活金剛(かつこんごう=生きた金剛)の似(ごと)し。
響く処金箍(きんこ)電(いなずま)を掣(ひ)くが如(ごと)く、霎時(またたくま)に鉄白(てっぱく=白き鉄)星芒(せいぼう=星の光)を耀(かがや)かす。
玉楼(ぎょくろう)に翡翠(ひすい)を抓(つか)み、金殿(きんでん)に鴛鴦(えんおう=おしどり)を砕(くだ)く。
猿(さる)啼(な)いて巴(は)の月小(ちいさ)く、雁(かり)叫(な)いて楚(そ)の天(てん)長し。
十八尊(じゅうはっそん)の羅漢(らかん)は、暗々(あんあん)に喝采(かっさい)し、
三十二(さんじゅうに)の諸天(しょてん)は、箇箇(おのおの)慌張(こうちょう=慌てる)。
と。

かの孫大聖(そんたいせい)精神(せいしん)抖擻(とうそう=奮い立ち)、棍児(こんじ=棒)に半点(はんてん)の差池(さち=狂い)も無し。妖精(ようせい)自(みずか)ら料(おもんみ)るに彼に敵(かな)い住むること能(あた)わず、猛可(にわか)に眉頭(まゆがしら)を一蹙(ひとひそめ)し、計(けい)心の上(うえ)に来り、身を抽(ひ)いてすなわち走(に)ぐ。行者喝(しか)って言う、
「潑貨(はつか=暴れもの)め!
那裡(いずこ)へか走(に)ぐる!疾(と)く疾(と)く来りて降れ!」
と。かの妖精(ようせい)は只だ理(かま)わず、直(ひたす)ら後(うしろ)へ退(しりぞ)く。行者の趕(お)いつくの緊急(きんきゅう=切迫)の時を等ちて、すなわち左脚(ひだりあし)の上の花鞋(かぐつ=刺繍の靴)を脱(ぬ)ぎ下(おろ)し来り、一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吹(ふ)き、一箇の呪語(じゅご=呪文)を念え、一声「変(へん)!」と叫るや、すなわち変(へん)じて本身(ほんしん=本来の姿)の姿(すがた)と做(な)り、両口(ふたふり)の剣を使いて舞(ま)い将(きた)らしめ、真身(しんしん=真の身)は一幌(ひとひらめき)に、一陣(ひとむれ)の清風(せいふう)と化(け)して去(さ)りぬ。これ却って是れ三蔵の災星(さいせい=災いの星)に非ざるか。彼すなわち径(ただち)に方丈の裡に撞け入り、唐三蔵(とうさんぞう)を把って雲頭(うんとう=雲の上)に摂(さら)い将(ゆ)き去(さ)り、杳杳冥冥(ようようめいめい=はるか遠く)として、霎霎眼(またたくま)にすなわち陷空山(かんくうざん)に到り、無底洞(むていどう)に入り、小(こもの)らに叫(い)いて素筵席(そえんせき=精進の宴)を安排し成親(せいしん=契りを結)ばんことを。これ語(かた)らず。

さて、行者闘(たたか)うに心焦(あせ)り性(せい)燥(いらだ)ち、一箇の空(すき)を闪(かわ)し、一棍(ひとぼう)にかの妖精を把って打(う)ち落(おと)し下せば、乃(すなわ)ち是れ一只(ひとつ)の花鞋(かぐつ=刺繍の靴)なり。行者彼が計(けい)に中(あた)れるを暁り、連忙(すぐさま)身を転(てん)じて師父を看(み)に来る。那くにか師父有らん。只だかの呆子(あほう)と沙僧(しゃそう)との口の裡に嗚哩嗚哪(おりおり)と甚とか説えるを見るのみ。行者怒気(どき=怒り)胸(むね)を填(みた)し、また好歹(よしあし)を管(かま)わず、棍を撈(ひっつか)み上(あ)げ来りて一片(ひとかたまり)に打(う)ち、連声(れんせい)に叫る、
「汝らを打(う)ち殺(ころ)さん!汝らを打ち殺さん!」
と。かの呆子(あほう)慌てて走ぐるにもまた路(みち)無し。沙僧(しゃそう)は却って是れ霊山の大将(たいしょう)なれば、事(こと)を見ること多(おお)く、すなわち軟款温柔(なんかんおんじゅう=柔らかに優しく)に、近づき前に跪(ひざまず)き下(お)りて言う、
「兄長(あにうえ)、我知り了んぬ。想うに汝我ら両箇(ふたり)を打(う)ち殺(ころ)さんと要めて、また師父を救(すく)いに往かず、径に自(みずか)ら家(いえ)に回り去らんとなり」
と。行者言う、
「我汝ら両箇(ふたり)を打(う)ち殺さば、我自(みずか)ら往きて彼を救(すく)わん!」
と。沙僧(しゃそう)笑って言う、
「兄長(あにうえ)、那裡の話をか説うや!我ら両箇(ふたり)無くんば、真(まこと)に是れ単糸(たんし=一本の糸)は線(いと)とならず、孤掌(こしょう=片方の手)は鳴(な)らず。兄(あに)や、この行嚢(こうのう=荷)・馬匹(ばひつ=馬)は、誰か与に看顧(かんこ=世話)せん。寧(むし)ろ管鮑分金(かんぽうぶんきん=管仲と鮑叔の金分け)を学(まな)びて、孫龐闘智(そんぽうとうち=孫臏と龐涓の知恵比べ)を仿(なら)うこと休(や)めよ。古道(こどう)に道う、『虎を打(う)つには還(ま)た親兄弟(しんけいてい=実の兄弟)を得、陣(じん)に上るには須(かなら)ず父子兵(ふしへい=父子の兵)を教えよ』と。望(のぞ)むらくは兄長且く打つを饒(ゆる)し、天の明(あき)らかなるを待(ま)ちて汝と与に同心戮力(どうしんりきりょく=心を一つにし力を合わせ)し、師を尋(たず)ね往かんことを」
と。行者神通広大(こうだい)なりと雖も、却ってまた理(ことわり)を明らめ時を識り、沙僧(しゃそう)の苦苦(くく=切に)哀告(あいこく=嘆願)するを見、すなわち回心(かいしん=思い直し)て言う、
「八戒(はっかい)、沙僧(しゃそう)、汝ら都起き上がれ。明日師父を尋(たず)ね找めんには、却って力(ちから)を用うるを要(よう)す」
と。かの呆子(あほう)饒されたるを聽くや、恨(うら)めしきかな天をもまた半辺(なかば)を許(ゆる)し下さんばかりにして、言う、
「哥(あにい)よ、この事(こと)は都老豬(ろうちょ=おれ)の身の上に在(あ)り」
と。兄弟(きょうだい)ら思思想想(ししそうそう=あれこれ思い)て、那くんぞ曾(かつ)て睡むることを得ん。恨むべし、頭を点かせて扶桑日(ふそうじつ=東の日)を喚(よ)び出し、一口(ひとくち)に満天(まんてん)の星(ほし)を吹き散(ち)らさんことを。

三衆(さんしゅ)只だ坐(ざ)して天の暁(あき)らかなるに到り、收拾(しゅうしゅう=支度)して行(ゆ)かんとす。早(はや)くも寺僧(じそう=寺の僧)の門(もん)を攔(さえぎ)りて来り問う有り、
「老爺、那裡(いずこ)へか去(ゆ)きたもうや」
と。行者笑って言う、
「好く説えず。昨日(きのう)衆に対(たい)して口を夸(ほこ)り、彼らと与に妖精を拿えんと説いしに、妖精いまだ拿え得ず、倒(かえ)って我が一箇(ひとり)の師父を見なくなれり。我ら師父を尋(たず)ねに往くなり」
と。衆僧怕れて言う、
「老爺、小可(しょうか=些細)の事なるに、倒って老師を帯累(たいるい=巻き添え)し、却って那裡(いずこ)へか往きて尋ねたもうや」
と。行者言う、
「彼を尋ぬる処有り」
と。衆僧また言う、
「既に去(ゆ)かば忙(いそ)ぐ莫かれ、且く些かの早斎(そうさい=朝飯)を食え」
と。連忙(いそぎ)と两三盆(にさんぼん=二、三の鉢)の湯飯(とうはん=汁と飯)を端(はこ)び来れり。八戒(はっかい)力(ちから)を尽(つ)くして食いて個(ひとつ)の干浄(かんじょう=きれい)にし、言う、
「好き和尚かな!我ら師父を尋ね著(あ)てしより、再汝がここに来りて耍子(あそ)ばん」
と。行者言う、
「還たここに到りて彼が飯を食わんや!汝天王殿(てんのうでん)の裡に往きてかの女子の在(あ)るや否(いな)やを看よ」
と。衆僧言う、
「老爺、不在(おら)ず、不在ず。
それ当晚(そのよ)一夜(ひとよ)を宿(やど)りしより、第二日(つぎのひ)にはすなわち見えずなりたり」
と。

行者喜喜歓歓(ききかんかん=大喜び)として衆僧に辞(じ)し、八戒(はっかい)・沙僧をして馬(うま)を牽(ひ)かせ担(に)を挑(にな)わせ、径に東(ひがし)へ回(めぐ)り走く。八戒(はっかい)言う、
「哥哥(あにい)差(たが)えり。怎麼にして又東へ行(ゆ)くや」
と。行者言う、
「汝豈(あ)に知らんや!前日(せんじつ)かの黒松林の裡に綁(くく)り著(つ)けられしあの女子を、老孫火眼金睛(かがんきんせい=火の眼と金の瞳)を以て、彼を把って認(みと)め透(とお)したるに、汝ら都認めて好人(こうにん)と做(な)せり。今日和尚を食いしも亦是(また)彼なり、師父を摂(さら)いしも亦是(また)彼なり!汝らの救いしは好き女菩薩なるかな!今(いま)既に師父を摂(さら)われぬれば、還た旧路(きゅうろ=来た道)の上より找尋(そうじん=探し求)め往かん」
と。二人(ふたり)嘆服(たんぷく=感嘆し服し)て言う、
「好好好(よしよしよし)!真(まこと)に是れ粗中(そちゅう=粗き中)に細(さい=細かき)有り!去かん去かん!」
と。三人(みたり)急急(いそぎ)と林内(りんない)に到る。只だ見よ、あの、
雲靄靄(うんあいあい=雲たなびき)、霧漫漫(むまんまん=霧こもれ)り。
石層層(せきそうそう=岩かさなり)、路盤盤(ろばんばん=道うねる)。
狐(きつね)の踪(あと)・兎(うさぎ)の迹(あと)交加(こうか=入り乱れ)に走(はし)り、虎豹豺狼(こひょうさいろう)往復(おうふく)して潜(くぐ)る。
林内(りんない)更(さら)に妖怪(ようかい)の影(かげ)無く、知らず三蔵の何(いず)れの端(ほとり)にか在(あ)るを。
と。行者心焦(あせ)り、棒(ぼう)を掣(ひっこぬ)き出す。身を揺(ゆす)りて一変(ひとへん)し、変じて天宮を大鬧がししの本相(ほんぞう=本来の姿)と作る。三頭六臂(さんとうろっぴ=三つの頭と六つの腕)、六隻(ろくせき=六つ)の手に、三根(みつ)の棒(ぼう)を理(ととの)え、林の裡に在りて辟哩撥喇(へきりはつらつ=ばりばり)と乱(みだ)りに打つ。八戒これを見て言う、
「沙僧、師兄(しい)は悩(なやみ)に著(とら)われ、師父を尋ね著(あ)て得ず、弄(いた)して一箇の気心風(きしんぷう=気違い風)と做り了んぬ」
と。

元来(もと)行者一路(ひととおり)打ちしに、打ちて両箇の老頭児(ろうとうじ=じいさん)を出し来れり。一箇は是れ山神(さんしん=山の神)、一箇は是れ土地(とち=地の神)なり。上前(すす)み出でて跪き下(お)りて言う、
「大聖(たいせい)、山神(さんしん)・土地(とち)来りて見えまつる」
と。八戒言う、
「好き霊根(れいこん=ご利益)なるかな!一路(ひととおり)打ちて、両箇の山神土地(さんしんとち)を打ち出せり。若し再一路打たば、太歳(たいさい)すらも都打ち出さん」
と。行者問うて言う、
「山神(さんしん)・土地(とち)、汝らこの般(ごと)く無礼(ぶれい)なり!此処(ここ)に在りて専一(ひたすら)強盗(ごうとう)と伙(くみ)を結(むす)び、強盗(ごうとう)の手を得るに、些かの猪羊(ちょよう=豚や羊)を買(か)いて汝を祭賽(さいさい=供え祭)る。又妖精と与に結擄(けつろ=組み)し、伙(くみ)を打ちて我が師父を把って摂(さら)い来れり!如今何(いず)れの処にか蔵(かく)しおく。快快(すみやか)に従実(じゅうじつ=ありのまま)に供(きょう=申し)し来れ、打たるるを免(まぬが)れよ!」
と。二神(にしん)慌てて言う、
「大聖(たいせい)我を錯(あやま)り怪(とが)めたもうかな。妖精は小神(しょうしん)が山(やま)の上に在らず、小神(しょうしん)が管轄(かんかつ=支配)に伏せず。但だ只だ夜間(やかん)の風の響く処は、小神略(いささ)か一二(いちに=一端)を知るのみ」
と。行者言う、
「既に知らば、一一(いちいち)説い来れ!」
と。土地(とち)言う、
「かの妖精汝が師父を摂いて去きしは、あの正南(しょうなん=真南)の下に在り、此を離るること千里(せんり)の遥(はるか)有り。かの廂(かた=方)に一座(ひとつ)の山(やま)有りて、喚んで陷空山(かんくうざん)と做し、山(やま)の中に一箇の洞(どう)有りて、無底洞(むていどう)と曰(い)う。是れかの山の裡の妖精の、此に到りて変化(へんげ)し摂い去りしなり」
と。行者言を聽き、暗かに自ら心を驚かし、山神・土地を喝り退(しりぞ)け、法身(ほっしん=法の身)を収(おさ)め、本相(ほんぞう)を現し、八戒・沙僧と与に言う、
「師父は去くこと遠(とお)うなり了んぬ」
と。八戒言う、
「遠(とお)ければすなわち雲(くも)に騰りて趕い往かん!」
と。好き呆子かな、一たび狂風(きょうふう=荒れ風)を縦(ほしいまま)にして先(ま)ず起こり、その後に是れ沙僧の雲に駕(が)し、かの白馬(はくば)は原(もと)是れ龍子(りゅうし=龍の子)の出身(しゅっしん)なれば、行李(こうり)を馱(お)いて、また風霧(ふうむ=風と霧)を踏(ふ)む。大聖すなわち筋斗(きんと)を起し、一直(ひたすら)に南(みなみ)へ来る。多(あま)た時ならずして、早くも一座(ひとつ)の大山(だいざん)の、雲脚(うんきゃく=雲の行方)を阻(はば)むを見る。三人(みたり)馬を采(と)り住め、都雲頭(うんとう)を按(おろ)し定(さだ)め、かの山を見れば、
頂(いただき)碧漢(へきかん=青き天)を摩(まさぐ)り、峰(みね)青霄(せいしょう=青空)に接(せつ)す。
周囲(しゅうい)の雑樹(ざつじゅ=種々の木)万万千(ばんばんせん)、来往(らいおう)の飛禽(ひきん=飛ぶ鳥)喳喳(さっさつ)と噪(さわ)ぐ。
虎豹(こひょう)陣を成して走(はし)り、獐鹿(しょうろく=のろと鹿)叢(むら)を打ちて行く。
向陽(こうよう=日当たり)の処には、琪花瑶草(きかようそう=美しき花と草)馨香(けいこう=香わ)しく、
背陰(はいおん=日陰)の方(かた)には、臘雪頑冰(ろうせつがんぴょう=冬の雪と氷)化(と)けず。
崎嶇(きくう)たる峻嶺(しゅんれい)、削壁(さくへき)・懸崖(けんがい)なり。
直立(ちょくりつ)の高峰(こうほう)、湾環(わんかん=うねる)の深澗(しんかん)なり。
松郁郁(しょういくいく=松茂り)、石磷磷(せきりんりん=岩ごつごつ)、行人(ぎょうじん)これを見て其(そ)の心を悚(おそ)る。
柴(たきぎ)を打つ樵子(しょうし=木こり)全(まった)く影無く、薬(くすり)を采(と)る仙童(せんどう)踪を見ず。
眼前(がんぜん)の虎豹(こひょう)能(よ)く霧(きり)を興(おこ)し、遍地(へんち=あたり一面)の狐狸(こり=狐と狸)乱りに風を弄(ろう)す。
と。八戒言う、
「哥よ、この山この如く険峻(けんしゅん)なれば、必(かなら)ず妖邪(ようじゃ)有らん」
と。行者言う、
「説くを消いず。山高ければ原怪有り、嶺(みね)峻(けわ)しければ豈(あ)に精無からんや!」
と。叫る、
「沙僧、我と汝と且く此に在りて、八戒を著(つかわ)して先(ま)ず山凹(やまくぼ)の裡に下りて打聴打聴(うちあてに探(さぐ)ら)しめ、かの条(すじ)の路の好く走かるるを看、端(つまびらか)に洞府(どうふ=ほら)有るべきか、また看よ是れ那裡に門を開くを、倶(とも)に細細(つまびらか)に打探(たんさぐ)らしめよ。我らの好く一斉(いっせい)に往きて師父を尋ね彼を救わんためなり」
と。八戒言う、
「老豬(ろうちょ)は晦気(わいき=不運)なり!先ず我を拿りて頂缸(ちょうこう=身代わり)にするか!」
と。行者言う、
「汝昨夜(ゆうべ)都汝の身の上に在りと説いしに、如何(いか)にか打仰(だぎょう=しりごみ)するや」
と。八戒言う、
「嚷(わめ)く莫かれ、我の往かんを等て」
と。呆子鈀(は=熊手)を放下(おろ)し、衣裳(いしょう=着物)を抖抖(はた)いで、手を空(から)にし、高山(こうざん)を跳び下り、路径(ろけい=道筋)を找尋(たずねもと)む。

この一去(ひとゆき)、畢竟(ひっきょう)にいかにしてか好歹(よしあし)なるやは、また下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聽かれよ。