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084 第八十四回 伽持(かじ)は滅(めっ)し難(がた)く大覚(だいかく)円(まど)かなり 法王(ほうおう)正体(しょうたい)を成(な)して天然(てんねん)なり

話(わ)に説(い)わく、唐三蔵(とうさんぞう)元陽(げんよう=男の陽気)を固(かた)く住(とど)め、烟花(えんか=遊里)の苦套(くとう=苦界)を出離(しゅつり=抜け出)でて、行者(ぎょうじゃ)に随(したが)いて西(にし)を投(さ)して前進(ぜんしん)す。覚(おぼ)えず夏(なつ)の時(とき)に至(いた)り、正(まさ)にかの熏風(くんぷう=薫る風)の初(はじ)めて動(うご)き、梅雨(つゆ)の糸々(しし=こまやか)たるに値(あ)う。好(よ)き光景(こうけい)かな、
冉冉(ぜんぜん=ゆらゆら)たる緑陰(りょくいん)密(みつ)にして、風(かぜ)軽(かる)く燕(つばめ)雛(ひな)を引(ひ)く。
新荷(しんか=新しい蓮)は沼面(しょうめん=池の面)に翻(ひるがえ)り、修竹(しゅうちく)は漸(ようや)く扶蘇(ふそ=茂る)たり。
芳草(ほうそう)天(てん)に連(つらな)りて碧(あお)く、山花(さんか)地(ち)に遍(あまね)く鋪(し)けり。
渓辺(けいへん)の蒲(がま)は剣(けん)を挿(さ)すが如(ごと)く、榴火(りゅうか=柘榴の花)は行図(こうず=旅の絵)を壮(さかん)にす。
と。師徒(してい)四衆(ししゅ)、炎(ほのお)に耽(ふけ)り熱(ねつ)を受(う)けて、正(まさ)に行(ゆ)く処(ところ)に、忽然(たちまち)かの路旁(ろぼう=道ばた)に両行(ふたすじ)の高柳(こうりゅう=高い柳)の有(あ)るを見(み)る。柳陰(りゅういん=柳の陰)の中(うち)より一人の老母(ろうぼ)の、右手(みぎて)の下(もと)に一箇(ひとり)の小児(こども)を攙(たす)け出(いだ)して、唐僧(とうそう)に対(たい)して声(こえ)を高(たか)うして叫(よばわ)る有(あ)り、
「和尚(おしょう)よ、走(はし)ること莫(な)かれ。疾(と)く早(はや)う馬(うま)を撥(めぐ)らして東(ひがし)に回(かえ)れ。西(にし)に進(すす)みて往(ゆ)くはみなこれ死路(しろ=死の道)なり」
と。唬(おど)ろかされたるかな三蔵(さんぞう)、馬(うま)より跳(と)び下(お)り、一箇(ひとつ)の問訊(もんじん=合掌の礼)を打(な)して言う、
「老菩薩(ろうぼさつ)、古人(こじん)云(いわ)く、『海(うみ)闊(ひろ)ければ魚(うお)の躍(おど)るに従(したが)い、天(てん)空(むな)しければ鳥(とり)の飛(と)ぶに任(まか)す』と。いかにしてか西(にし)に進(すす)めばすなわち路(みち)無(な)からんや」
と。かの老母(ろうぼ)、手(て)を用いて西(にし)を朝(さ)して指(さ)して言う、「あちらへ往(ゆ)けば、五、六里(ごろくり)の遠近(おちこち=ほど)有(あ)りて、すなわちこれ滅法国(めっぽうこく)なり。かの国王(こくおう)は前生(ぜんしょう=前の世)の那(いず)れの世(よ)にか冤仇(えんきゅう=恨みの敵)を結(むす)びしを、今世(こんせい)に在りて無端(むたん=わけもなく)に罪(つみ)を造(つく)れり。二年前(にねんぜん)に一箇(ひとつ)の羅天大願(らてんだいがん=大がかりな願)を許(か)して、一万(いちまん)の和尚(おしょう)を殺(ころ)さんと要(ほっ)す。ここ両年(りょうねん)陸陸続続(りくりくぞくぞく=ぼつぼつ)と、九千九百九十六箇(きゅうせんきゅうひゃくきゅうじゅうろっこ)の無名(むめい)の和尚(おしょう)を殺(ころ)し彀(つく)したり。ただ四箇(よたり)の名(な)の有(あ)る和尚(おしょう)を等(ま)ちて、一万的(いちまん)に凑(あつ)め成(な)して、好(よ)く円満(えんまん)を做(な)さんとするのみ。汝(なんじ)ら去(ゆ)かば、もし城中(じょうちゅう)に到(いた)らば、みなこれ命(いのち)を送(おく)る王菩薩(おうぼさつ=死の神)なるべし!」と。三蔵(さんぞう)言(げん)を聞(き)き、心中(しんちゅう)怕(おそ)れて、戦戦兢兢(おののき)として言う、「老菩薩(ろうぼさつ)、深(ふか)く盛情(せいじょう=厚き志)を感(かん)じ、感謝(かんしゃ)して尽(つ)きず!ただ請(こ)う問(と)わん、城(しろ)に入(い)らざる方便路児(ほうべんろじ=抜け道)の有(あ)りや否(いな)や。我(われ)が貧僧(ひんそう)は転(まわ)りて過去(よぎ)らん」と。かの老母(ろうぼ)笑って言う、
「転(まわ)り過(よ)ぐること能(あた)わず、転り過ぐること能わず。ただ飛(と)ぶことを会(え)する者のみを除(のぞ)きては、すなわち過(よ)ぎり往(ゆ)くべし」
と。八戒(はっかい)、旁(かたわら)に在りて嘴(くち)を売(う)って言う、「媽媽児(ままじ=おばさん)よ、黒話(こくわ=わけのわからぬ話)を説(い)う莫(な)かれ。我(われ)らはみな飛(と)ぶことを会(え)するぞ」と。行者(ぎょうじゃ)の火眼金睛(かがんきんせい=火の眼に金の瞳)は、実(げ)に好歹(よしあし)を認(みと)むるに能(よ)く、かの老母(ろうぼ)の児(こ)を攙(たす)けたるは、元来(もと)これ観音菩薩(かんのんぼさつ)と善財童子(ぜんざいどうじ)なるれば、慌(あわ)てて身(み)を倒(たお)して下拝(げはい=伏し拝み)し、叫(よばわ)って言う、「菩薩(ぼさつ)、弟子(でし)失迎(しつげい=お迎えを怠)れり!失迎れり!」と。かの菩薩(ぼさつ)、一朶(ひとひら)の祥雲(しょううん)に軽(かる)く駕(が)し起(おこ)せば、嚇(おどろ)かされたるかな唐長老(とうちょうろう)、身(み)を立(た)つるに地(ところ)無(な)く、ただ情(ひたすら)に跪(ひざまず)いて頭(こうべ)を磕(う)つ。八戒(はっかい)・沙僧(さそう)もまた慌(あわ)てて跪(ひざまず)き下(お)り、天(てん)に朝(むか)いて礼拝(らいはい)す。一時間(ひととき)にして、祥雲(しょううん)縹緲(ひょうびょう=かすか)として、径(ただち)に南海(なんかい)に回(かえ)りて去(さ)る。行者起(た)ちて、師父(しふ)を扶(たす)けて言う、「請(こ)う、起(た)ちたまえ。菩薩(ぼさつ)はすでに宝山(ほうざん=御山)に回(かえ)られたり」と。三蔵(さんぞう)起(た)ちて言う、「悟空(ごくう)、汝(なんじ)既(すで)にこれ菩薩(ぼさつ)なるを認(みと)めながら、いかにしてか早(はや)く説(い)わざりし」と。行者笑って言う、「汝(なんじ)はまた話(はなし)を問(と)うこと了(おわ)らざりしに、我(われ)すなわち下拝(げはい)せり。いかにしてかまた早(はや)からざらんや」と。八戒(はっかい)・沙僧(さそう)行者に対(たい)して言う、「感(かん)じて菩薩(ぼさつ)の指示(しじ=お教え)を蒙(こうむ)る。前辺(ぜんぺん=前方)は必(かなら)ずこれ滅法国(めっぽうこく)にして、和尚(おしょう)を殺(ころ)さんとす。我(われ)らはいかんか奈何(いかん)せん」と。行者言う、「呆子(あほう)怕(おそ)るるを休(や)めよ!我(われ)らかつてかの毒魔狠怪(どくまごうかい=毒の魔に手荒き妖)、虎穴龍潭(こけつりゅうたん=虎の穴に龍の淵)に遭(あ)いしが、更(さら)にかつて傷損(しょうそん=傷つき損なう)せず。ここはすなわちこれ一国(いっこく)の凡人(ぼんじん)なるに、何(なに)か懼(おそ)るること有(あ)らん。ただ奈(せんかたな)きはここが住処(じゅうしょ=留まるところ)に非(あら)ざるなり。天色(てんしょく=空模様)将(まさ)に晚(く)れんとす。かつ郷村(きょうそん)の人家(じんか)の、上城(じょうじょう=都へ上り)して売買(ばいばい)し回(かえ)り来(きた)る者有(あ)りて、我(われ)らの和尚(おしょう)なるを見(み)なば、名(な)を嚷(わめ)き出(いだ)されて、穏当(おんとう=無難)に当(あた)らず。且(しばら)く師父(しふ)を引(ひ)きて大路(たいろ)を下(おり)て、一箇(ひとつ)の僻静(へきせい=人目なき)の処(ところ)を尋(たず)ね、却(かえ)って好(よ)く商議(しょうぎ=相談)すべし」と。真(まこと)に三蔵(さんぞう)言(げん)に依(よ)り、一行(いっこう)みな路(みち)を閃(かわ)し下(お)り来(きた)り、一箇(ひとつ)の坑坎(こうかん=くぼみ)の下(もと)に到(いた)りて坐(ざ)し定(さだ)む。

行者(ぎょうじゃ)言う、「兄弟(きょうだい)よ、汝(なんじ)ら二人(ふたり)好(よ)く生(よく)師父(しふ)を保守(ほしゅ=守)せよ。老孫(ろうそん)が変化(へんげ)して、かの城中(じょうちゅう)に往(ゆ)きて看(み)、一條(ひとすじ)の僻路(へきろ=裏道)を尋(たず)ねて、夜(よる)に連(つらな)りて去(ゆ)かんを待(ま)て」と。三蔵(さんぞう)叮囑(ていしょく=念押し)して言う、「徒弟(でし)や、小可(しょうか=些細)に当(あて)る莫(な)かれ。王法(おうぼう=国の法)容(い)れず、汝(なんじ)須(かなら)ず仔細(つまびらか=つつしんで)せよ!」と。行者笑って言う、「放心(ほうしん)せよ!放心せよ!老孫(ろうそん)自(おのず)から道理(どうり=手立て)有(あ)り」と。

好(よ)き大聖(たいせい)かな、話(わた)し畢(おわ)るや身(み)を一縦(ひとおどり)し、唿哨(こっしょう=ひゅう)とて空(くう)の中(うち)に跳(と)び上(あ)がる。怪(あや)しき哉(かな)、
上(うえ)に縄(なわ)の扯(ひ)く無(な)く、下頭(しも)に棍(こん)の撑(ささ)うる没(な)し。
一般(おな)じく父母(ふぼ)を同(こと)にすれど、他(かれ)はすなわち骨頭(こつとう=骨)軽(かる)し。
と。佇立(ちょりつ=立ちどまり)て雲端(うんたん=雲のほとり)の裡(うち)に在りて、下(しも)を向(むか)いて観看(みおろ)せば、ただかの城中(じょうちゅう)の喜気(きき)の冲融(しょうゆう=満ちあふれ)、祥光(しょうこう)の蕩漾(とうよう=揺れ動)くを見(み)るのみ。行者言う、「好(よ)き一箇(ひとつ)の去処(ところ)なるかな、何(なん)の為(ため)にか法(ほう)を滅(めっ)する」と。一会(ひととき)を看(み)るに、漸(ようや)く天(てん)昏(くら)み、また見よ、
十字街(じゅうじがい)に灯光(とうこう)燦爛(さんらん)たり、九重殿(きゅうちょうでん)に香靄(こうあい)し鐘(かね)鳴(な)る。
七点(しちてん)の皎星(こうせい=明き星)は碧漢(へきかん=天の川)を照(てら)し、八方(はっぽう)の客旅(かくりょ=旅人)は行踪(こうそう=旅の歩み)を卸(おろ)す。
六軍営(ろくぐんえい)には、隐隐(いんいん)として画角(がかく=ほら貝)の才(いま)し吹(ふ)かれ、
五鼓楼(ごころう)には、点点(てんてん)として銅壺(どうこ=水時計)の初(はじ)めて滴(したた)る。
四辺(しへん)に宿霧(しゅくむ=夜の霧)昏昏(こんこん)たり、三市(さんし)に寒烟(かんえん)藹藹(あいあい)たり。
両々(ふたり)の夫妻(ふさい)は繍幕(しゅうまく=錦の帳)に帰(かえ)り、一輪(いちりん)の明月(めいげつ)は東方(とうほう)に上(のぼ)る。
と。彼(か)れ想(おも)えらく、「我(われ)下(くだ)り往(ゆ)きて、街坊(がいぼう=町筋)に到(いた)りて路徑(ろけい=道筋)を打看(うちみ)んとすれど、このごとき嘴顔(しれん=面つき)にて人(ひと)に撞(ぶつか)り見(み)えなば、必(かなら)ず和尚(おしょう)なりと説(い)わん。我(われ)の一一(ひとつ)変(へん)ぜんを待(ま)て」と。訣(けつ)を捻(ひね)り、真言(しんごん)を念(とな)え動(うご)かし、身(み)を揺(ゆす)って一変(ひとへん)じ、変(へん)じて一箇(ひとつ)の撲灯蛾児(ぼくとうがじ=灯火に飛ぶ蛾)と做(な)る、
形(かたち)細(ほそ)く翼(つばさ)磽(かた)くして軽巧(けいこう=軽やか)に、灯(ひ)を滅(け)し燭(しょく)を撲(う)ちて明(あかり)に投(とう)ず。
本来(ほんらい)の面目(めんもく=姿)は化成(かせい=姿を変)じて生(しょう)じ、腐草(ふそう=朽ちた草)の間(うち)に霊応(れいおう=霊験)あり。
毎(つね)に炎光(えんこう)の焰(ほのお)に触(ふ)るるを愛(あい)し、忙忙(そうそう)として飛(と)び繞(めぐ)りて停(とど)まること無(な)し。
紫衣(しえ=紫の衣)に香翅(こうし=香れる翅)、流蛍(りゅうけい=蛍)を趕(お)い、最(もっと)も夜(よる)深(ふか)くして風(かぜ)静(しず)かなるを喜(よろこ)ぶ。
と。ただ彼(か)れの翩翩翻翻(へんぺんほんほん=ひらひら)として、六街三市(ろくがいさんし=町の筋)へ飛び向(むか)うを見(み)る。房檐(ぼうえん=軒)に傍(そ)い、屋角(おくかく=家の隅)に近(ちか)づき、正(まさ)に行(ゆ)く時(とき)、忽然(たちまち)かの隅頭(ぐうとう=角)の拐角(かいかく=曲がり角)の上(ほとり)に一湾子(ひとくびれ)の人家(じんか)の、人家(じんか)が門首(もんしゅ=門前)に一箇(ひとつ)の灯籠児(とうろうじ=提灯)を掛(か)けたるを見(み)る。彼(か)れ言う、「この人家(じんか)は元宵(げんしょう=上元の節句)を過(す)ごすか。いかにしてか挨排児(あいはいじ=軒並み)にみな灯籠(とうろう)を点(とも)す」と。彼(か)れ翅(つばさ)を硬(かた)くして飛び前(すす)み来(きた)り、仔細(つまびらか)に観看(みわた)せば、正(まさ)に当中(まんなか)の一家子(ひとや)の方形(ほうけい)の灯籠(とうろう)の上(うえ)に、『安歇往来商賈(あんけつおうらいしょうこ=往来の商人を泊め安んず)』の六字(ろくじ)を写(うつ)しあり、下(した)にまた『王小二店(おうしょうじみせ)』の四字(よんじ)を写しあれば、行者(ぎょうじゃ)才(ようや)く飯店(はんてん=宿屋)を開(ひら)けるなるを知(し)る。また頭(こうべ)を伸(の)して一(ひと)と打看(うちみ)れば、八、九人(はちくにん)の者(もの)の、みな晚飯(ばんめし)を吃(くら)い了(おわ)り、衣服(いふく)を寛(ゆる)め、頭巾(ずきん)を卸(おろ)し、脚手(あして)を洗(あら)いて、各各(おのおの)床(とこ)に上(のぼ)りて睡(ね)むるを見(み)る。行者(ぎょうじゃ)暗(ひそ)かに喜(よろこ)んで言う、「師父(しふ)は過(よ)ぎり去(ゆ)くことを得(え)たり」と。汝(なんじ)彼(か)れのいかにしてすなわち過(よ)ぎ去(ゆ)くべきを知(し)れると道(い)わば、彼(か)れ一箇(ひとつ)の不良(ふりょう=よこしま)の心(こころ)を起(おこ)し、かの些(これ)らの人(ひと)の睡(ねむ)りたるを等(ま)ちて、其(そ)が衣服(いふく)頭巾(ずきん)を偸(ぬす)み、俗人(ぞくにん=俗世の人)に装(よそお)うて城内(じょうない)に入(い)らんと要(ほっ)するなり。

噫(ああ)、このごとき意(こころ)に遂(かな)わざる事(こと)の有(あ)らんとは!正に思忖(しそん=思案)する処(ところ)に、ただかの小二(しょうじ=若い主人)の前(まえ)に走(あゆ)み向(むか)いて吩咐(いいつけ)するを見(み)る、「列位(れっい=皆様)の官人(かんじん)よ、些(いささ)か仔細(つまびらか)にせよ。我(われ)がここには君子小人(くんししょうじん=善人と悪人)同じからず、各人(かくじん=めいめい)の衣物(いぶつ)行李(こうり)みな小心(しょうしん=用心)を要(よう)す」と。汝(なんじ)想(おも)え、かの外(そと)に在りて商売(しょうばい)を做(な)す人(ひと)の、いずれか仔細(つまびらか)ならざらんや。また店家(てんか=宿の主)の吩咐(いいつけ)を聴(き)けば、越発(いよいよ)謹慎(きんしん=用心深き)なり。彼(か)れらみな爬(はい)き起(お)きて言う、「主人家(しゅじんか=ご主人)の説(い)えるは理(ことわり)有(あ)り。我(われ)ら走路(ある)く人(ひと)は辛苦(しんく=骨折り)なれば、ただ睡(ねむ)りて、急忙(あわて)に醒(さ)めず、一時(ひととき)に失所(しっしょ=無くす)ことを怕(おそ)るるのみ、奈何(いかん)せん。汝(なんじ)この衣服(いふく)・頭巾(ずきん)・搭聯(とうれん=荷物入れ)を将(も)ちてみな収(おさ)め入(い)れよ、天の将(まさ)に明(あか)らんとするを待(ま)ちて、交付(わた)し与(あた)えて我(われ)らをして起(た)ち身(み)を起(お)こさしめよ」と。かの王小二(おうしょうじ)真(まこと)に些(いささ)かの衣物(いぶつ)の類(たぐい)を把(と)りて、尽(ことごと)く情(ことごと)くみな其(そ)が屋(いえ)の裡(うち)へ搬(はこ)び入(い)れて了(おわ)んぬ。行者(ぎょうじゃ)性急(せいきゅう=気短か)なれば、翅(つばさ)を展開(ひろげ)て、すなわち飛んで裡(うち)へ入(い)り、一箇(ひとつ)の頭巾架(ずきんか=頭巾掛け)の上(うえ)に丁(とま)る。また王小二(おうしょうじ)の門首(もんしゅ)に往(ゆ)きて灯籠(とうろう)を摘(と)り、吊搭(ちょうとう=吊り下げ)を放下(おろ)し、門窗(もんそう=戸と窓)を関(とざ)し、却(かえ)って才(ようや)く房(へや)に入(い)り、衣(ころも)を脱(ぬ)いで睡(ねむ)りに下(お)るを見(み)る。かの王小二(おうしょうじ)に一箇(ひとり)の婆婆(ばば=女房)有(あ)りて、二人の孩子(こども)を帯(たい=連)れ、哇哇聒噪(ああこうそう=ぎゃあぎゃあ)として、急忙(いそ)いでも睡(ねむ)らず。かの婆子(ばあ)また一件(ひとえ)の破衣(はい=継ぎの着物)を拿(と)りて、補補納納(ほほのうのう=繕い)して、また睡(ねむ)るを見ず。行者(ぎょうじゃ)暗(ひそ)かに想(おも)えらく、「もしこの婆子(ばあ)の睡(ねむ)り下(お)るるを等(ま)ちて手(て)を下(おろ)さば、却(かえ)って師父(しふ)を誤(あやま)たずや」と。また深更(しんこう=夜更け)にして城門(じょうもん)の閉(とざ)されんことを恐(おそ)るれば、彼(か)れすなわち忍(しの)びえず、飛び下(お)り往(ゆ)きて、灯(ひ)の上(うえ)を望(めが)けて一撲(ひとうち)す。真(まこと)にこれ身(み)を捨(す)てて火焰(かえん)に投(とう)じ、額(ひたい)を焦(こが)して残生(ざんしょう=命)を探(さぐ)るなり。かの一盞(ひとつ)の灯(ひ)は早(はや)くもすでに息(き)え了(おわ)んぬ。彼(か)れまた身(み)を揺(ゆす)って一変(ひとへん)じ、変じて一箇(ひとつ)の老鼠(ろうそ=鼠)と作(な)り、睳睳哇哇(けいけいああ=ちゅうちゅう)と両声(ふたこえ)叫(な)き、跳(と)び下り来(きた)り、衣服(いふく)頭巾(ずきん)を拿(と)りて、外(そと)へ向(むか)いてすなわち走(ゆ)く。かの婆子(ばあ)慌慌張張(あわてふため)きて言う、「老頭子(ろうとうじ=おい)よ!
不好了(たいへんだ)!夜耗子(よるのねずみ)が精(せい)と成(な)りたり!」
と。行者(ぎょうじゃ)言(げん)を聞(き)き、また手段(てだて)を弄(ろう=使)し、門(もん)を攔(さえぎ)って声(こえ)を厲(はげ)しくして高(たか)く叫(よばわ)って言う、「王小二(おうしょうじ)、汝(なんじ)が婆子(ばあ)の胡(みだ)りに説(い)うを聴(き)く莫(な)かれ。我(われ)はこれ夜耗子(ねずみ)の成(な)りて精(せい)と為(な)りしに非(あら)ず。明人(めいじん=正々堂々たる者)は暗事(あんじ=隠れた事)を做(な)さず。吾(われ)は乃(すなわ)ち斉天大聖(せいてんたいせい)の凡(よ)に臨(のぞ)みたるものにして、唐僧(とうそう)を保(たも)ちて西天(せいてん)に往(ゆ)きて経(きょう)を取(と)らしむ。汝(なんじ)がこの国王(こくおう)無道(むどう=道無き)なるをもて、特に来(きた)りて其(そ)が衣冠(いかん=衣と冠)を借(か)り、我(わ)が師父を装扮(しょうへん=装)わんとす。一時(ひととき)に城(しろ)を過(よ)ぎ去(さ)りなば、すなわち便宜(べんぎ=ついで)に送(おく)り還(かえ)さん」と。かの王小二(おうしょうじ)言(げん)を聴(き)き、一轂轆(ひところがり)に起(お)き上(あ)がるに、黒天摸地(こくてんもじ=真っ暗)なるにもて、またこれ着忙(ちゃくもう=慌て)たる人(ひと)なれば、褲子(こし=袴)を撈(つか)みて衫子(さんす=肌着)と当(あ)て、左(ひだり)にも穿(き)つることを得(え)ず、右(みぎ)にも套(かぶ)ることを得(え)ず。

かの大聖(たいせい)一箇(ひとつ)の摂法(せっぽう=物を操る術)を使(つか)い、早くもすでに雲(くも)に駕(が)して出(い)で往(ゆ)き、復(ま)た身を翻(ひるがえ)して、径(ただち)に路(みち)の下(した)の坑坎(こうかん)の辺前(ほとり)に至(いた)る。三蔵星光(せいこう=星明かり)の月(つき)皎(あきら)かなるを見、身を探(のば)して凝望(ぎょうぼう=じっと待ち望)むに、これ行者(ぎょうじゃ)の近(ちか)づき来(きた)るを見るや、すなわち口(くち)を開(ひら)いて叫(よばわ)って言う、「徒弟(でし)よ、滅法国(めっぽうこく)を過ぎり去(ゆ)くべきか」と。行者前(すす)み出でて衣物(いぶつ)を放下(おろ)して言う、「師父、滅法国(めっぽうこく)を過ぎらんと要(ほっ)せば、和尚は做(な)ることを得(え)じ」と。八戒(はっかい)言う、「哥(あに)よ、汝(なんじ)はいずれを勒掯(ろくこう=困らせ)たもうか。和尚を做(な)らざるもまた容(やす)し、ただ半年(はんとし)頭(あたま)を剃(そ)らざるを消(よう)するのみにて、すなわち毛(け)も長(の)び出(い)で来(きた)らん」と。行者言う、「いずこにか半年(はんとし)を等(ま)つことを得(え)ん!眼下(いま)にすなわちみな俗人(ぞくにん=俗体の人)と做(な)らんと要(ほっ)するなり!」と。かの呆子(あほう)慌(あわ)てて言う、「ただ汝(なんじ)が話(はなし)を説(い)うは、通(つう=全)く理(ことわり)を察(さっ)せず。我(われ)ら如今(いま)みなこれ和尚なるに、眼下(いま)に俗人(ぞくにん)と做(な)らんと要(ほっ)せば、却(かえ)っていかにしてか頭巾(ずきん)を戴(いただ)くを得(え)ん。すなわち辺児(へんじ=縁)の勒(から)げ住(とど)むるとしても、また頂(いただき)の縄(なわ)を収(おさ)むる処(ところ)無(な)し」と。三蔵喝(しか)って言う、「花(はな=戯れごと)を打(う)つこと莫かれ、且(しばら)く正事(しょうじ=本筋)を幹(おこな)え!端的(たしか)に如何(いかん)」と。

行者(ぎょうじゃ)言う、「師父、彼(か)れがこの城池(じょうち=城と堀)は我(われ)すでに看(み)了(おわ)りたり。国王(こくおう)無道(むどう)にして僧(そう)を殺(ころ)すと雖(いえど)も、却(かえ)ってこそこれ一箇(ひとり)の真天子(しんてんし=真の天子)なれば、城頭(じょうとう=城のほとり)の上(うえ)に祥光(しょうこう)喜気(きき)有(あ)り。城(しろ)の中(うち)の街道(がいどう=往来)も、我(われ)また認(みと)め得(え)たり。ここが郷談(ごうだん=土地の言葉)も、我(われ)また省得(さと)り得(え)て、説(い)うことを会(え)す。却(かえ)って才(さっき)飯店(はんてん)の内(うち)に在りてこの幾件(いくえん)かの衣服頭巾を借(か)りたり。我(われ)ら且(しばら)く俗人(ぞくにん)に扮(よそお)うて、城内(じょうない)に入(い)りて宿(やど)を借(か)り、四更(よつどき=丑三つ時)に至(いた)ればすなわち起(お)きて、店家(てんか)をして斎(とき)を安排(あんばい=用意)せしめて吃(くら)い、捱(じりじり)て五更(いつつどき=明け方)の時候(じこう=頃)に至(いた)り、城門(じょうもん)を挨(すりぬ)けて去(さ)り、大路(たいろ)を奔(はし)って西(にし)へ行(ゆ)かん。すなわち人(ひと)の撞(ぶつか)り見て扯(ひき)とむる者有(あ)るも、また好(よ)く折弁(せつべん=申し開き)して、ただ上邦(じょうほう=大国)の欽差(きんさ=勅使)なりと説(い)わんのみ。滅法王(めっぽうおう)敢(あ)えて阻滞(そしたい=差し止)めず、我(われ)らを放(はな)ちて来(きた)らしめたまえるなり」と。沙僧(さそう)言う、「師兄(しい)が処(お)れるは最(もっと)も当(あた)れり。且(しばら)く彼(か)れに依(よ)りて行(ゆ)かん」と。真(まこと)に長老(ちょうろう)無奈(いたしかたなく)、褊衫(へんさん=法衣)を脱(ぬ)ぎ、僧帽(そうぼう=僧のかぶりもの)を去(さ)り、俗人(ぞくにん)が衣服を穿(き)、頭巾を戴(いただ)く。沙僧(さそう)もまた換(か)えたり。八戒(はっかい)は頭(かしら)大(おお)きくして、巾児(ずきん)を戴(いただ)くことを得(え)ざれば、行者(ぎょうじゃ)些(いささ)かの針線(しんせん=針と糸)を取(と)り来(きた)りて、頭巾を扯(ひ)き開(ひら)き、両頂(ふたつ)を縫(ぬ)いて一頂(ひとつ)と做(な)して、彼(か)れに与(あた)えて頭(こうべ)の上(うえ)に搭(か)け、件(ひとえ)の寛大(かんだい=ゆったり)なる衣服を揀(えら)んで彼(か)れに穿(き)せしめ、然(しか)して後(のち)に自家(じか=自分)もまた一套(ひとそろい)を換(か)え上(あ)げて言う、「列位(みな)、この一去(ひとたびゆき)に把(も)ちて『師父徒弟(しふとてい)』の四箇(よつ)の字児(じ)を且(しばら)く収(おさ)め起(お)け」と。八戒言う、「この四字(よんじ)を除(のぞ)かば、いかにか称呼(しょうこ=呼び方)せん」と。行者言う、「みな弟兄(ていけい=兄弟)の称呼(しょうこ)を做(な)すべし。師父をば唐大官児(とうたいかんじ)と喚(よ)び、汝(なんじ)をば朱三官児(しゅさんかんじ)と喚(よ)び、沙僧をば沙四官児(さしかんじ)と喚(よ)び、我(われ)をば孫二官児(そんにかんじ)と喚(よ)べ。ただ店(みせ)の中(うち)に到(いた)らば、汝(なんじ)ら切(きっ)と言語(ものい)うを休(や)め、ただ我(われ)一人(ひとり)をして口(くち)を開(ひら)いて話(ことば)に答(こた)えしめよ。彼(か)れの何(なん)の売買(ばいばい=商い)をか問(と)わんを等(ま)ちて、ただ馬(うま)を販(ひさ)ぐ客人(かくじん=商人)なりと説(い)え。この白馬(はくば)を把(も)ちて一箇の様子(ためし=見本)と做(な)し、我(われ)らはこれ十弟兄(じゅっていけい=十人の兄弟)にして、我(われ)ら四人(よたり)先(ま)ず来(きた)りて店房(てんぼう=宿の部屋)を賃(か)りて馬(うま)を売(う)ると説わん。かの店家(てんか)必(かなら)ず我(われ)らを款待(かんたい=もてな)さん。我(われ)らこれを受用(じゅよう=頂戴)し了(おわ)り、臨行(いざゆかん)の時(とき)に、我(われ)が一塊(ひとかけ)の瓦査児(がさじ=瓦の欠片)を拾(ひろ)い、一塊(ひとつ)の銀子(ぎんす=銀)に変(へん)じて彼(か)れに謝(しゃ)せんを待(ま)て、却ってすなわち走路(たびだ)たん」と。長老(ちょうろう)無奈(いたしかたなく)、ただ得て曲従(きょくじゅう=不本意ながら従)う。

四衆(ししゅ)忙忙(いそいそ)として馬(うま)を牽(ひ)き担(に)を挑(にな)い、かの辺(あなた)へ跑(はし)り過ぐ。ここはこれ一箇の太平境界(たいへいきょうがい=太平の地)なれば、入更(にゅうこう=初更)の時分(じぶん=頃)にも、いまだ門(もん)を関(とざ)さざれば、径(ただち)に入(い)り往(ゆ)きて、行(ゆ)きて王小二店(おうしょうじみせ)が門首(もんしゅ)に至(いた)るに、ただ裡(うち)の叫(わめ)くを聴(き)くのみ。或(ある)いは説う、「我が頭巾を見ず!」と。或いは説う、「我が衣服を見ず!」と。行者(ぎょうじゃ)ただ知(し)らざるを推(お)して、彼(か)れらを引(ひ)きて、斜(なな)めの対門(たいもん=向かい)の一家(ひとや)に往(ゆ)きて安歇(あんけつ=泊まる)。かの家(いえ)いまだ灯籠(とうろう)を収(おさ)めざれば、すなわち門(もん)に近(ちか)づきて叫(よばわ)って言う、「店家(てんか)、閑房児(かんぼうじ=空き部屋)有(あ)りて我(われ)らを安歇(あんけつ)せしむるか」と。かの裡(うち)に一箇(ひとり)の婦人(ふじん)の答(こた)えて言う有(あ)り、「有(あ)り有り有り、請(こ)う、官人(かんじん)ら楼(ろう)に上(のぼ)られたまえ」と。説(いう)了(おわ)らざるに、すなわち一箇(ひとり)の漢子(おとこ)の来(きた)りて馬(うま)を牽(ひ)く。行者(ぎょうじゃ)馬児(うま)を把(と)って彼(か)れに遞(わた)して牽(ひ)き入(い)らしめ、彼(か)れ師父を引(ひ)きて、灯影児(とうえいじ=灯の影)の後面(うしろ)より、径(ただち)に楼門(ろうもん=階段の口)に上(のぼ)る。かの楼(ろう)の上(うえ)には方便(ほうべん=便利)なる桌椅(たくい=机と椅子)有(あ)り、窗格(そうかく=窓の格子)を推(お)し開(あ)けて、月(つき)の光(ひかり)を映(うつ)して斉(ひと)しく坐下(ざげ)す。

ただ人(ひと)の来(きた)りて灯(ひ)を点(とも)し上(あ)ぐるを見るに、行者(ぎょうじゃ)門(もん)を攔(さえぎ)り、一口(ひとくち)もて吹(ふ)き息(け)して言う、「このごとき月(つき)の明(あか)るきに灯(ひ)を用(もち)いず」と。かの人(ひと)才(ようや)く下り往(ゆ)くや、また一箇(ひとり)の丫環(あかん=召使の女)の四碗(よんわん)の清茶(せいちゃ)を拿(ささ)げ来(きた)る。行者これを接(う)け住(とど)むるに、楼下(ろうか=階下)よりまた一箇の婦人(ふじん)の走(あゆ)み上(あが)り来(きた)る有(あ)り、約(およ)そ五十七、八歳(ごじゅうしちはっさい)ばかりの姿(すがた)にて、一直(ひたすら)に楼(ろう)に上り、旁(かたわら)に站(た)ちて問(と)うて言う、「列位(みな)の客官(かっかん=お客様)、いずこより来(きた)りたまえる。何(なん)の宝貨(ほうか=珍しい品)か有(あ)る」と。行者言う、「我(われ)らはこれ北方(ほっぽう)より来(きた)れるもの、幾匹(いくひき)かの粗馬(そば=並の馬)の販(ひさ)ぐ有(あ)り」と。かの婦人(ふじん)言う、「馬(うま)を販(ひさ)ぐ客人(かくじん)は尚(なお)また小(ちいさ)きなり」と。

行者言う、「この一位(ひとり)はこれ唐大官(とうたいかん)、この一位はこれ朱三官(しゅさんかん)、この一位はこれ沙四官(さしかん)、我(われ)が学生(がくせい=わたくし)はこれ孫二官(そんにかん)なり」と。婦人(ふじん)笑って言う、「異姓(いせい=姓が異なる)なるかな」と。行者言う、「正にこれ異姓(いせい)の同居(どうきょ)なり。我ら共(とも)に十箇(とたり)の弟兄(ていけい)有(あ)りて、我ら四人(よたり)先(ま)ず来(きた)りて店房(てんぼう)を賃(か)りて火(ひ)を打(とも)し、なお六箇(むたり)の城外(じょうがい)に在りて宿(やど)を借(か)りて一群(ひとむれ)の馬(うま)を領(ひき)いおる者有(あ)りしが、天の晚(くら)きをもて好(よ)く城内(じょうない)に入(い)らざりしにより、我らの房(へや)を賃(か)るを待(ま)ちて、明朝(みょうちょう)みな入(い)り来(きた)り、ただ馬(うま)を売(う)り了(おわ)るを等(ま)ちて才(ようや)く回(かえ)らんとするなり」と。かの婦人(ふじん)言う、「一群(ひとむれ)に多少(いくら)の馬(うま)か有(あ)る」と。

行者言う、「大小(だいしょう)合わせて百十匹児(ひゃくじゅっぴき)有(あ)りて、みな我(わ)がこの馬が身子(み=体つき)に象(に)たれど、ただこれ毛片(もうへん=毛並み)の同一(ひとしから)ざるのみ」と。婦人(ふじん)笑って言う、「孫二官人(そんにかんじん)は誠然(まこと)にこれ一箇の客綱客紀(かくこうかくき=商売慣れした旅人)なり。早くも舍下(しゃか=わが家)に来(きた)り到(いた)りたるはよかりし、第二(にばんめ)の人家(じんか)には敢(あ)えて汝(なんじ)を留(とど)めじ。我(わ)が舍下(しゃか)は院落(いんらく=庭)寛闊(かんかつ=広々)として、槽札(そうさつ=馬槽)斉備(せいび=整い)、草料(そうりょう=飼葉)また有(あ)れば、汝が幾百匹(いくひゃくひき)の馬に凭(まか)するもみな養(やしな)い下(おろ)すべし。されど一件(ひとこと)有(あ)り。我(わ)が舍下(しゃか)ここに店(みせ)を開くこと多年(たねん)なれば、また一箇の賤名(せんめい=名)有(あ)り。先夫(せんぷ=亡き夫)は姓(せい)を趙(ちょう)と曰(い)いしが、不幸(ふこう)にして去世(せきせ=この世を去)ること久(ひさ)し。我は喚(よ)んで趙寡婦店(ちょうかふみせ)と做す。我が店(みせ)に三様児(さんようじ=三通り)の客(かく)を待(まつ)こと有(あ)り。如今(いま)先小人(さきに小人)にして後君子(のちに君子)たらんとす。すなわち先(ま)ず房銭(ぼうせん=部屋代)を把(も)ちて講(と)き定(さだ)めて後(のち)に好(よ)く帳(ちょう)を算(かぞ)えん」と。行者言う、「説えるは是(ぜ=尤)なり。汝が府上(ふじょう=お宅)の那(いず)れの三様(みつ)の待客(たいかく=客のもてなし)ぞ。常言(じょうげん=ことわざ)に道(いわ)く、『貨(たから)に高低(こうてい=上等下等)の三等(さんとう)の価(あたい)有(あ)り、客(かく)に遠近(えんきん)の一般(ひとしき)看(み)ること無し』と。汝いかにしてか三様(みつ)の待客(たいかく)有りと説う。汝試(こころ)みに説(と)き説(と)きて我に聴(き)かしめよ」と。趙寡婦(ちょうかふ)言う、「我がここにはこれ上・中・下(じょうちゅうげ)の三様(みつ)あり。上様(じょうさま)なる者(もの)は、五果五菜(ごかごさい=五種の果物と菜)の筵席(えんせき=宴の席)に、獅仙斗糖(しせんとうとう=精巧な菓子)の桌面(たくめん=卓の飾り)二位(ふたり)に一張(ひとつ)、小娘児(こむすめ=芸妓)を請(しょう)じ来(きた)らせて唱(うた)いに陪(ともな)い歇(やす)むに陪(ともな)わしめ、每位(ひとり)に銀(ぎん)五銭(ごせん)を該(あた)いすべく、房銭(ぼうせん)もまた内(うち)に在(あ)り」と。行者笑って言う、「廉(やす)き哉(かな)!我が彼処(あちら)にては五銭(ごせん)の銀子(ぎんす)すらなお小娘児(こむすめ)を請(しょう)ずるに彀(た)らざるに」と。寡婦(かふ)また言う、「中様(ちゅうさま)なる者(もの)は、合盤桌児(ごうばんたくじ=盛り合わせの膳)に、ただ水果(すいか=果物)と熱酒(ねっしゅ=燗酒)とのみ、篩(つ)ぎ来りて自家(おのれ)の猜枚行令(さいばいぎょうれい=拳遊び)に凭(まか)せ、小娘児(こむすめ)を用(もち)いず、每位(ひとり)にただ銀子(ぎんす)二銭(にせん)を該(あた)うるのみ」と。行者言う、「一発(いよいよ)廉(やす)し!下様児(げさまじ)はいかん」と。婦人(ふじん)言う、「敢(あ)えて尊客(そんかく=お客様)が面前(めんぜん)に在りて説わず」と。行者言う、「また説(と)き説(と)くも妨(さしつか)え無(な)し。我ら好(よ)く廉(やす)きを揀(えら)んで幹(おこな)わん」と。婦人言う、
「下様(げさま)なる者(もの)は、人(ひと)の伏侍(ぶじじ=給仕)する無(な)く、鍋(なべ)の裡(うち)に方便(ほうべん=簡単)なる飯(はん)有りて、彼(か)れのいかにか吃(くら)うに凭(まか)す。吃(くら)い飽(あ)きなば、一箇の草児(くさ=藁)を拿(と)りて、一箇の地鋪(ちほ=床の敷物)を打(う)ち、方便(ほうべん=好き)なる処(ところ)に就(つ)いて睡覚(すいかく=眠り)し、天光(てんこう=夜明け)の時(とき)に、几文(いくもん)の飯銭(はんせん=食事代)を賜(たまわ)るに凭(まか)せ、決(けっ)して争競(そうきょう=争う)すること莫からん」
と。八戒これを聴きて言う、「造化(ぞうか=幸運)!造化!老豬(ろうちょ=おれ)が売買(ばいばい=出番)の到(いた)れるなり。我をして鍋(なべ)を看(み)て飯(はん)を吃(くら)い飽(あ)かしめ、竈門(そうもん=かまどの前)に在りて其(そ)が娘(むすめ)を睡(ねむ)らしめよ!」と。行者言う、「兄弟(きょうだい)よ、何(なん)の話(はなし)をか説うや!汝と我とは江湖(こうこ=渡世)の上(うえ)に在りて、いずこにか幾兩(いくりょう)の銀子(ぎんす)を賺(もう)けざらん!上様(じょうさま)のを把(と)りて安排(あんばい)し将(も)ち来らしめよ」と。かの婦人満心(まんしん)に歓喜(かんき)し、すなわち叫って言う、「好(よ)き茶(ちゃ)を看て来(こ)よ、厨下(ちゅうか=台所)にて疾(と)く東西(もの=ご馳走)を整治(せいち=調え)せよ」と。遂(つい)に楼(ろう)を下りて往(ゆ)き、忙(いそ)ぎて叫る、
「鶏(にわとり)を宰(ほふ)り鵝(がちょう)を宰(ほふ)れ、腌(しおづけ)を煮(に)て飯(はん)を下(くだ)せ」
と。また叫んで言う、
「豬(ぶた)を殺(ころ)し羊(ひつじ)を殺せ、今日(こんにち)用(もち)い了らざるも、明日(みょうにち)もまた用(もち)うべし。好酒(こうしゅ)を看よ、白米(はくまい)を拿(と)りて飯(はん)を做(つく)り、白面(はくめん=小麦粉)を捍(の)して餅(もち)と做せ」
と。

三蔵、楼(ろう)の上に在りて聴きて言う、
「孫二官(そんにかん)や、いかんか好(よ)からん。彼(か)れ往(ゆ)きて鶏(にわとり)鵝(がちょう)を宰(ほふ)り、豬(ぶた)羊(ひつじ)を殺し、もし送(おく)り将(も)ち来らしめば、我らはみなこれ長斎(ちょうさい=常の精進)なるに、孰(たれ)か敢(あ)えて吃わんや」
と。行者言う、「我に主張(しゅちょう=考え)有り」と。かの楼門(ろうもん)の辺(ほとり)に往(ゆ)きて足(あし)を跌跌(ふみなら)して言う、
「趙媽媽(ちょうまま)、汝上り来(こ)よ」
と。かの媽媽(まま)上り来りて言う、「二官人(にかんじん)に何(なん)の吩咐(いいつけ)か有る」と。行者言う、「今日(こんにち)且く殺生(せっしょう=生き物を殺す)すること莫かれ。我ら今日(こんじつ)は斎戒(さいかい=精進)するなり」と。寡婦(かふ)驚訝(きょうが=驚き怪しみ)て言う、「官人(かんじん)らはこれ長斎(ちょうさい)なるか、これ月斎(げっさい=月ごとの精進)なるか」と。行者言う、「倶(みな)しからず。我ら喚(よ)んで庚申斎(こうしんさい)と做す。今朝(けさ)は乃(すなわ)ち庚申日(こうしんび)にして斎(とき)に当(あた)るが、ただ三更(みつどき=丑の刻)を過ぎりし後(のち)は、すなわちこれ辛酉(しんゆう)なれば、すなわち斎(さい)を開かん。汝明日(みょうにち)に殺生(せっしょう)せよ。如今(いま)且く往(ゆ)きて些(いささ)かの素(しょく=精進物)を安排(あんばい)し来らせよ。定(かなら)ず上様(じょうさま)の価銭(かせん=値段)に照(したが)いて奉(たてまつ)らん」と。かの婦人越発(いよいよ)歓喜(かんき)し、跑(はし)りて下り往(ゆ)きて教(いいつけ)て言う、
「宰(ほふ)る莫かれ!宰る莫かれ!些(いささ)かの木耳(もくじ=きくらげ)・閩筍(びんじゅん=笋)・豆腐(とうふ)・麺筋(めんきん=麩)を取(と)り、園(その)の裡(うち)より些(いささ)かの青菜(せいさい)を抜(ぬ)きて、粉湯(ふんとう=汁物)を做(つく)り、面(こ)を発(はっ)して巻子(けんす=蒸し饅頭)を蒸(ふか)し、また白米(はくまい)の飯(はん)を煮(に)、香茶(こうちゃ)を焼(わか)せよ」
と。咦(ああ)!かの些(これ)らの当厨(とうちゅう=料理番)の庖丁(ほうちょう=板前)は、みなこれ毎日家(ひごろ)に做し慣(な)れたる手段(てだて)なれば、霎時間(またたくま)にすなわち安排(あんばい)し停当(ていとう=整い)て、楼の上に擺(なら)べ置(お)く。また現成(げんじょう=出来合い)の獅仙糖果(しせんとうか=菓子)有りて、四衆(ししゅ)任情(にんじょう=思うまま)に受用(じゅよう=賞味)す。また問(と)いて言う、
「素酒(そしゅ=精進許しの酒)を吃(の)まるるか」
と。行者言う、「ただ唐大官(とうたいかん)のみ用(もち)いざるまでにて、我らもまた幾杯(いくはい)を吃(の)まん」と。寡婦(かふ)また一壺(ひとつぼ)の暖酒(だんしゅ=燗酒)を取(と)り来る。彼(か)れら三人(さんにん)方(はじ)めて斟(つ)ぎ上(あ)ぐるに、忽然(たちまち)乒乓(ひょうほう=ばたん)と板(いた)の響(ひび)くを聴く。行者言う、
「媽媽(まま)よ、底下(した)にて何の家火(かか=道具)をか倒(たお)し了りしぞ」
と。寡婦(かふ)言う、「非(しか)らず。これ我が小荘(しょうそう=小さな荘園)の幾箇(いくたり)かの客子(かくし=小作人)の租米(そまい=年貢米)を送(おく)り来ることの晚(おそ)かりしに、彼(か)れをして底下(した)に在りて睡(ねむ)らしめしなり。客官(かっかん)の到(いた)れるに因(よ)りて、人(ひと)の使用(しよう=使い)する無(な)きをもて、彼れらをして轎子(きょうす=駕籠)を抬(かつ)いで院中(いんちゅう=妓楼)に往きて小娘児(こむすめ)を請(しょう)じ来りて汝らに陪(ともな)わしめんとせしが、想(おも)うにこれ轎杠(きょうこう=駕籠の棒)の楼板(ろうばん=床板)に撞(ぶつ)かりて響(ひび)けるならん」と。

行者言う、「早く説うは説えり。疾(と)く請(しょう)じに往くことを要(もと)めず。一(ひとつ)には斎戒(さいかい)の日期(にちき=日)なるをもて、二(ふたつ)には兄弟(ていけい)ら未(いま)だ到(いた)らざるをもてなり。索性(いっそのこと)明日(みょうにち)入り来らしめて、一家(ひとり)に一箇の表子(ひょうす=遊女)を請(しょう)じ、府上(ふじょう)に在りて耍耍(じゃじゃ=戯れ)する時(とき)を待(ま)ち、馬を売(う)りて身を起(おこ)さんとす」と。寡婦(かふ)言う、「好き人なるかな!好き人なるかな!また和気(わき=穏やかさ)を失(うしな)わず、また精神(せいしん=気力)を養(やしな)う」と。教(いいつけ)て言う、
「轎子(きょうす)を抬(かつ)ぎ入れ来(こ)よ、請(しょう)じに往くことを要(もと)めず」
と。四衆(ししゅ)酒飯(しゅはん)を吃い、家火(かか)を収め、みな散(ち)り訖(おわ)んぬ。

三蔵、行者が耳根(じこん=耳のもと)の辺(ほとり)に悄悄(ひそひそ)として言う、「いずこにか睡(ねむ)らん」と。行者言う、「すなわち楼の上に在りて睡(ねむ)らん」と。三蔵言う、「穏便(おんびん=無難)ならず。我らみな辛苦辛苦(しんくしんく=骨折り疲れ)たり。もしか睡(ねむ)りたるに、この家(いえ)の者(もの)の、一時(ひととき)また人の来りて收拾(しゅうしゅう=片付け)する有りて、我らの或(ある)いは帽子(ぼうし)を滚(ころ)ばして光頭(つるつるあたま)を露(あらわ)し、和尚なるを認(みと)め、嚷(わめ)き将(も)ち起(おこ)らんには、却っていかんか好からん」と。行者言う、「是(さ)なり!」と。また楼の前(まえ)に往きて足(あし)を跌跌(ふみなら)す。寡婦(かふ)また上り来りて言う、「孫官人(そんかんじん)また何の吩咐(いいつけ)か有る」と。行者言う、「我らは何処(いずこ)に在りて睡(ねむ)らん」と。婦人言う、「楼の上は好く睡(ねむ)るべし。また蚊(か)無く、またこれ南風(なんぷう)にして、窓子(そうじ=窓)を大(おお)いに開きおけば、忒(はなは)だ好く睡覚(すいかく=眠る)ならん」と。行者言う、「睡(ねむ)ることを得ず。我がこの朱三官児(しゅさんかんじ)は些か寒湿気(かんしつき=冷えの病)有り、沙四官児(さしかんじ)は些か漏肩風(ろうけんぷう=肩の痛み)有り、唐大哥(とうたいか)はただ黒(くら)き処(ところ)に在りて睡(ねむ)らんことを要(もと)め、我もまた些か羞明(しゅうめい=明るさを厭うこと)有り。ここはこれ睡る処(ところ)に非(あら)ず」と。かの媽媽(まま)走(あゆ)みて下り往き、櫃欄(きらん=帳場の欄干)に倚(よ)りかかりて気(き)を嘆(たん)ず。彼れに一箇の女児(むすめ)有りて、一箇の孩子(こども)を抱(いだ)きて近(ちか)づき来りて言う、「母親(はは)よ、常言(じょうげん)に道(いわ)く、『十日(とおか)灘頭(たんとう=河原)に坐(ざ)して、一日(いちじつ)に九灘(きゅうたん)を行(ゆ)く』と。如今(いま)炎天(えんてん=暑盛り)にして、何の売買(ばいばい)も無きと雖(いえど)も、秋(あき)に交(な)る時(とき)に到らば、なすべき商売(あきない)は扱(あつか)い切(き)れぬほど有るに、汝何の嘆(たん)じたもうぞ」
と。婦人言う、「児(こ)や、商売(あきない)の無きを愁(うれ)うるに非(あら)ず。今日(こんにち)の晩(ゆうべ)、すでに将(まさ)に鋪子(みせ=店)を収めんとする入更(にゅうこう)の時分(じぶん)に、この四箇(よたり)の馬販子(ばはんす=馬商人)の来りて店房(てんぼう=宿部屋)を賃(か)り、彼れらは上様(じょうさま)の管待(かんたい=もてなし)を要(もと)めたり。実(げ)に指望(しぼう=当て)にして彼れより幾銭(いくせん)かの銀子(ぎんす)を賺(もう)けんとせしに、彼れらは却って斎(とき)を吃えば、また彼れが銭(あし)を賺(もう)くることを得ず。このをもて嘆(たん)ずるなり」と。かの女児(むすめ)言う、「彼れら既(すで)に飯(はん)を吃い了りなば、好く別(べつ)の人家(じんか)へ往くにも往かれじ。明日(みょうにち)はまた好く葷酒(くんしゅ=肉と酒)を安排(あんばい)すべし、いかにしてか其(そ)が銭(あし)を賺(もう)くることを得ざらん」と。婦人また言う、「彼れらみな病(やまい)有りて、風(かぜ)を怕(おそ)れ亮(ひかり)を羞(は)じ、みな黒(くら)き処に在りて睡らんことを要(もと)む。汝想(おも)え、家(いえ)の中はみなこれ些かの単浪瓦児(たんなみがわらじ=粗末な瓦屋根)の房子(へや)なるに、いずこへ往きてか黒暗(くらやみ)の処を尋(たず)ねん。しからずんば一頓(ひととき)の飯(はん)を舍(ほどこ)して彼れに吃わせ、彼れをして別(べつ)の家(いえ)へ往かしめて了らんに如(し)かず」と。女児(むすめ)言う、「母親(はは)よ、我が家(いえ)に一箇の黒(くら)き処有りて、また風(かぜ)の色(けはい=気配)無く、甚(はなは)だ好し、甚だ好し」と。婦人言う、「これいずこなる」と。女児(むすめ)言う、
「父親(ちち)の在(いま)しし日(ひ)にかつて一張(ひとつ)の大櫃(だいき=大きな長持)を做(つく)りたり。かの櫃(き)は四尺(よんしゃく)の寛(ひろ)さ、七尺(ななじゃく)の長(なが)さ、三尺(さんじゃく)の高下(たかさ)有りて、裡面(うち)に六、七人(ろくしちにん)の睡るべきほどなれば、彼れらをして櫃(き)の裡(うち)へ往きて睡らしめよ」
と。

婦人言う、「知(し)らず、好きや否(いな)や。我に一声(ひとこえ)を問(と)わしめよ。孫官人(そんかんじん)、舍下(しゃか)は蝸居(かきょ=狭き住まい)にして、更(さら)に黒(くら)き処無く、ただ一張(ひとつ)の大櫃(だいびつ=大きな長持)有るのみ。風(かぜ)を透(とお)さず、また亮(ひかり)を透さざれば、櫃(ひつ)の裡(うち)へ往きて睡るはいかん」と。行者言う、「好し!好し!好し!」と。すなわち幾箇(いくたり)かの客子(かくし)をして櫃(ひつ)を抬(かつ)ぎ出(いだ)さしめ、蓋児(ふた)を打(う)ち開(あ)け、請(こ)うて彼れらを楼より下らしむ。行者師父を引(ひ)き、沙僧担(に)を拿(と)り、灯影(とうえい=灯のかげ)の後(うしろ)に順(したが)いて径(ただち)に櫃(ひつ)の辺(ほとり)に到る。八戒好歹(よしあし)を管(かま)わず、すなわち先(ま)ず潜(もぐ)りて櫃(ひつ)の裡に入り往く。沙僧行李(こうり)を把(と)って遞(わた)し入れ、唐僧(とうそう)を攙(たす)けて入らしめ、沙僧もまた裡辺(うち)に到る。行者言う、「我が馬はいずこに在(あ)る」と。旁(かたわら)に伏侍(ぶじ=給仕)する者の言う有り、「馬は後屋(うしろや)に拴(つな)がれて草料(そうりょう)を吃(は)みおります」と。行者言う、「牽(ひ)き来れ。糟(そう=馬槽)を把って抬(かつ)ぎ来り、緊(きっ)と櫃児(ひつ)に挨(すりよ)せて拴(つな)ぎ住(とど)めよ」と。方(はじ)めて裡に入りて叫って言う、「趙媽媽(ちょうまま)、蓋児(ふた)を盖(おお)い、鎖釘(さてい=かんぬき)を插(さ)し込(こ)み、鎖子(じょう=錠前)を以(も)ちて鎖(とざ)し上(あ)げ、また我らに替(かわ)りて看て、いずこか透(す)き亮(ひか)る処あらば、些かの紙児(かみ)を使(つか)いて糊(ぬ)り糊(ぬ)りし、明日(みょうにち)些か早うに来りて開けよ」と。寡婦(かふ)言う、「忒(はなは)だ小(こまか)に心(こころ)し給(たま)う」と。ここをもて各各(おのおの)門(もん)を関(とざ)して睡りに往く。これ語(かた)らず。

さて、彼れら四人(よたり)櫃(ひつ)の裡に到りしが、憐(あわ)れむべきかな!一(ひとつ)には乍(いま)さらに一箇の頭巾を戴(いただ)き、二(ふたつ)には天気(てんき)炎熱(えんねつ=むし暑く)にして、また気(き)を悶(もん)じ住(とど)めて、少(すこ)しくも風(かぜ)を透(とお)さざれば、彼れらみな頭巾を摘(と)り、衣服を脱(ぬ)ぎ、また扇子(せんす=扇)を把る無く、ただ僧帽(そうぼう)を将(も)ちて撲撲(ぱたぱた)と扇(あお)ぐのみ。汝我に挨(よ)り、我汝に擠(お)しく、二更(ふたつどき=丑の刻)の時分(じぶん)に到るまでにして、却ってみな睡り了んぬ。ただ行者のみ禍(わざわい)を闖(おこ)さんとする心(こころ)有りて、偏(ひとえ)に彼れ睡ることを得ず、手(て)を伸(の)べ過ぎて八戒が腿(もも)の上を一捻(ひとつまみ)す。かの呆子(あほう)脚(あし)を縮(ちぢ)め、口(くち)の裡に哼哼(ふんふん)として言う、「睡り了れ!辛辛苦苦(しんくしんく)たるに、何の心腸(しんちょう=気)か有りて、なお手(て)を捻(ひね)り脚(あし)を捻りて耍子(たわむれ)するや」と。行者鬼(おに)を搗(つ)いて言う、「我らが元来(もと)の本身(ほんしん=元手)は五千兩(ごせんりょう)にして、先(さき)に馬を売(う)りしが三千兩(さんぜんりょう)、如今(いま)両搭聯(りょうとうれん=二つの荷物入れ)の裡に現(げん)に四千兩(よんせんりょう)有り。この一群(ひとむれ)の馬をまた彼れらに三千兩(さんぜんりょう)に売(う)らば、また一本一利(いっぽんいちり=元手と同額の利)有りて、彀(た)れり!彀れり!」と。八戒睡らんと要(ほっ)する人なれば、いずくんぞ答対(こたえあわ)せん。いずくんぞ知(し)らん、この店(みせ)の走堂(そうどう=給仕)・挑水(ちょうすい=水汲み)・焼火(しょうか=竈番)の者(もの)は、素(もと)より強盗(ごうとう)と一伙(ひとくみ)なるが、行者の許多(あまた)の銀子(ぎんす)有りと説うを聴き、すなわち幾箇(いくたり)かを着(つ)けて溜(ぬけ)出(いだ)し、二十余箇(にじゅうよか)の賊(ぞく)と伙(くみ)し、明火執杖(めいかしつじょう=松明と杖)もて馬販子(ばはんす)を打劫(うちかすめ)に来る。門(もん)を衝(つ)きて入り来れば、嚇(おどろ)かされたるかなかの趙寡婦(ちょうかふ)が娘女(むすめ)ら、戦戦兢兢(おののき)として房門(ぼうもん=部屋の戸)を関(とざ)し、尽(ことごと)く其(そ)れを外辺(そと)に收拾(しゅうしゅう=荒らす)に任(まか)せたり。元来(もと)かの賊(ぞく)は店中(てんちゅう)の家火(かか)を要(もと)めず、ただ客人(かくじん=泊まり客)を尋(たず)ぬるのみ。楼の上に到るに形迹(けいせき=人影)を見ず、火把(かは=松明)を打(とも)して、四下(あたり)を照(て)らし看れば、ただ天井(てんじょう=中庭)の中に一張(ひとつ)の大櫃(だいびつ)の、櫃脚(きっきゃく=長持の足)に一匹(ひとき)の白馬(はくば)を拴(つな)ぎ、櫃蓋(きがい=長持の蓋)の緊(きつ)と鎖(とざ)されて、掀(あお)り翻(ひるが)えすも動(うご)かざるを見る。衆(しゅう)の賊(ぞく)言う、「江湖(こうこ)を走(あゆ)む人はみな手眼(しゅがん=勘)有り。この櫃(ひつ)の勢(いきおい)の重(おも)きを看れば、必(かなら)ずこれ行嚢財帛(こうのうざいはく=荷物と金品)の裡に鎖(とざ)し在(あ)るならん。我ら馬を偸(ぬす)み、櫃を抬(かつ)いで城(しろ)を出(い)で、打(う)ち開(あ)けて分(わ)かち用(もち)いなば、却って好からずや」と。かの些(これ)らの賊(ぞく)果(はた)して縄扛(じょうこう=縄と棒)を找(さが)し起(おこ)し、櫃を把(も)ちて抬ぎてすなわち走(ゆ)くに、幌阿幌的(ふらふら)たり。八戒醒(さ)めて言う、「哥哥(あに)よ、睡れ、何(なに)をか揺(ゆす)る」と。行者言う、「言語(ものい)う莫かれ!人の揺(ゆす)る無し」と。三蔵と沙僧忽地(たちまち)また醒(さ)めて言う、「何なる人か我らを抬ぎおる」と。行者言う、「嚷(わめ)くな、嚷くな!彼れに抬がしめよ!西天(せいてん)に抬ぎ到らば、また走路(ある)くをも省(はぶ)かん」と。

かの賊手(て)を得て、西(にし)へ往かずして、却って城東(じょうとう=城の東)へ抬ぎ向(むか)い、門(もん)を守(まも)るの軍(いくさびと)を殺し、城門(じょうもん)を打(う)ち開(あ)けて出(い)で往く。当時(そのとき)すなわち六街三市(ろくがいさんし=町筋)と各鋪(かくほ=店々)の火甲人夫(かこうにんぷ=自警の者)を驚動(きょうどう)して、みな巡城総兵(じゅんじょうそうへい)と東城兵馬司(とうじょうへいばし)に報(しら)せたり。かの総兵(そうへい)・兵馬(へいば)は事(こと)己(おのれ)に当(あた)れるをもて、すなわち人馬(じんば)と弓兵(きゅうへい=弓の兵)を点(てん=召集)じ、城(しろ)を出(い)でて賊を趕(お)う。かの賊官軍(かんぐん)の勢(いきおい)の大(おお)ききを見、敢(あ)えて抵敵(ていてき=防ぎ戦)せず、大櫃(だいびつ)を放下(おろ)し、白馬(はくば)を捨(す)てて、各(おのおの)落草(らくそう=山賊となる)として逃(に)げ走(に)ぐ。衆(しゅう)の官軍(かんぐん)かつて半箇(はんこ)の強盗(ごうとう)をも拿(とら)え得ず、ただ櫃を奪(うば)い下(おろ)し、馬を捉(とら)え住(とど)めて、勝(かち)を得て回(かえ)る。総兵(そうへい)、灯光(とうこう=灯の光)の下(もと)にかの馬を見れば、好き馬なるかな、
鬃(たてがみ)は銀線(ぎんせん=銀の糸)を分(わ)かち、尾(お)は玉条(ぎょくじょう=玉の帯)を軃(た)る。
何(なに)をか八駿竜駒(はっしゅんりゅうく=名馬)を説わん、驌驦款段(しゅくそうかんだん=名馬)をも賽(まさ)り過(す)ぐ。
千金(せんきん)もて骨(ほね)を市(か)い、万里(ばんり)に風(かぜ)を追(お)う。
山(やま)に登(のぼ)るには毎(つね)に青雲(せいうん)と合(がっ)し、月(つき)に嘯(うそぶ)くには渾(ことごと)く白雪(はくせつ)の如(ごと)く匀(ひと)し。
真(まこと)にこれ蛟龍(こうりゅう=みずち)の海島(かいとう)を離(はな)るるにして、人間(にんげん)には喜(よろこ)ばしきこと玉麒麟(ぎょくきりん)の有るが如(ごと)し。
と。

総兵官(そうへいかん)、自家(じか)が馬児(うま)に騎(の)らずして、すなわちこの白馬(はくば)に騎(の)り、軍兵(ぐんぺい)を帥(ひき)いて城内(じょうない)に入り、櫃子(ひつ)を把(も)ちて総府(そうふ=総兵の役所)に抬ぎ入れ、兵馬(へいば)と同(とも)に一箇の封皮(ふうひ=封紙)を写(うつ)して封(ふう)じ、人をして巡守(じゅんしゅ=見張り)せしめ、天明(てんめい=夜明け)を待(ま)ちて啓奏(けいそう=申し上げ)し、旨(みことのり)を請(こ)いて定奪(ていだつ=裁決)を仰(あお)がんとす。官軍(かんぐん)散(ち)り訖(おわ)んぬ。これ語(かた)らず。

さて、唐長老(とうちょうろう)櫃の裡に在りて行者を埋怨(ばいえん=恨み言)して言う、
「汝この猴頭(こうとう=猿め)や、我を害(そこな)い殺すなり!
もし外辺(そと)に在りて、人に拿(とら)えられ、送(おく)られて滅法国王(めっぽうこくおう)に与(あた)えらるるも、また好く折弁(せつべん)すべし。如今(いま)は櫃の裡に鎖(とざ)されて、賊に劫(かす)められ、また官軍(かんぐん)に奪(うば)い来られ、明日(みょうにち)国王(こくおう)に見(まみ)えなば、現現成成(げんげんじょうじょう=出来合いに)刀(かたな)を開きて殺されんことを請(こ)わんのみ、却って彼れが一万(いちまん)の数(かず)を凑(あつ)め了らずや」
と。行者言う、「外面(そと)に人有り!櫃を打(う)ち開(あ)けて拿(とら)え出されなば、捆(くく)られたるに非(あら)ざるも、すなわちこれ吊(つ)られたるならん。且く些か忍耐(にんたい=こらえ)て、捆(くく)り吊(つ)るるを免(まぬが)れよ。明日(みょうにち)かの昏君(くんくん=愚かな君主)に見(まみ)えなば、老孫(ろうそん)自(おのず)から対答(こたえ)有り、汝が一毫児(いちごうじ=僅か)も傷(そこな)われざることを管(きっと)保(ほ)せん。且く放心(ほうしん)して睡り睡れ」と。

三更(みつどき)の時分(じぶん)に挨(もちこた)え到るや、行者一箇の手段(てだて)を弄(ろう)し、棒(ぼう)を順(だ)し出し、一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吹(ふ)きて「変(へん)!」と叫れば、すなわち変じて三尖頭(さんせんとう=三又の穂先)の錐(たがね=鑿)と做り、櫃脚(きっきゃく=長持の脚)に挨(すりよ)りて両三度(にさんど)錐(たがね)をもちて掘(ほ)れば、一箇の眼子(あな)を穿(うが)ち了んぬ。錐(たがね)を収め、身を揺(ゆす)って一変(ひとへん)じ、変じて一箇の螻蟻児(ろうぎじ=蟻)と做り、潜(くぐ)りて将(も)ち出(い)で往き、原身(げんしん=元の姿)を現(あらわ)し、雲頭(うんとう)を踏(ふ)み起(おこ)し、径(ただち)に皇宮門外(こうぐうもんがい)に入る。かの国王正に睡りの濃(こま)やかなる際(さい=時)なるに、彼れ大分身普会神法(だいぶんじんふえしんぽう=大きな分身の法)を使(つか)い、左臂(さひ=左腕)の上の毫毛(ごうもう=細き毛)を把りてみな抜(ぬ)き下(おろ)し、一口(ひとくち)の仙気(せんき)を吹(ふ)きて「変(へん)!」と叫れば、みな変じて小行者(しょうぎょうじゃ=小さな行者)と做る。右臂(ゆうひ=右腕)の上の毛(け)も、またみな抜き下(おろ)し、一口の仙気を吹きて「変!」と叫べば、みな変じて瞌睡虫(かつすいちゅう=眠りの虫)と做る。一声(ひとこえ)の「唵(おん)」の字(じ)の真言(しんごん)を念(とな)えて、当坊土地(とうぼうどち=その地の土地神)に教(おし)えて衆(しゅう)を領(ひき)いて皇宮内院(こうぐうないいん=奥御所)・五府六部(ごふりくぶ=諸官庁)・各衙門(かくがもん=役所)の大小(だいしょう)の官員(かんいん)が宅内(たくない=屋敷)に布散(ふさん=撒き散ら)し、ただ品職(ひんしょく=位階官職)を有する者(もの)には、みな彼れに一箇の瞌睡虫(かつすいちゅう)を与(あた)えしめて、人人穩(やすらか)に睡りて、身を翻(ひるがえ)すことを許(ゆる)さざらしむ。また金箍棒(きんこぼう)を将(と)りて手(て)の中に取(と)り、一(ひと)と掂(はか)り、一(ひと)と幌(ひるがえ)して、「宝貝(ほうばい)よ、変(へん)!」と一声叫(よばわ)れば、すなわち変じて千百口(せんぴゃくふり)の剃頭刀児(ていとうとうじ=髪剃り刀)と做る。彼れ一把(ひとふり)を拿(と)り、小行者(しょうぎょうじゃ)たちに吩咐(いいつけ)ておのおの一把(ひとふり)を拿(と)らしめ、みな皇宮内院(こうぐうないいん)・五府六部(ごふりくぶ)・各衙門(かくがもん)の裡へ往きて頭(あたま)を剃(そ)らしむ。咦(ああ)!これこそすなわち、
法王(ほうおう)法(ほう)を滅(めっ)するも法(ほう)窮(きわま)り無く、法(ほう)は乾坤(けんこん=天地)を貫(つらぬ)きて大道(だいどう)通(つう)ず。
万法(ばんぽう)の原因(げんいん)は一体(いったい)に帰(き)し、三乗(さんじょう=三つの乗り物)の妙相(みょうそう=妙なる姿)は本来(ほんらい)同(おな)じ。
玉櫃(ぎょくき=玉の長持)を穿(うが)ち開(あ)けて消息(しょうそく=様子)を明(あきら)かにし、金毫(きんごう=金の細毛)を布(し)き散(ち)らして蔽蒙(へいもう=覆い隠すこと)を破(やぶ)る。
管(かなら)ず法王(ほうおう)の正果(しょうか=悟り)を成(な)すを取(と)りて、不生不滅(ふしょうふめつ)にして去来(きょらい)空(むな)しからん。
と。この半夜(よなか)に剃削(ていさく=髪を剃る)し功(こう)を成(な)し、咒語(じゅご=まじない)を念(とな)え動(うご)かして土地神祇(どちしんぎ=土地の神々)を喝(しか)り退(しりぞ)け、身を一抖(ひとゆす)りして両臂(りょうひ=両腕)の上の毫毛(ごうもう)を帰(き)し伏(ふく)せ、剃頭刀(ていとうとう=剃刀)を把りて総(すべ)て捻(ひね)じて真(しん=元)と成(な)し、依然(もとのまま)として本性(ほんしょう=本来の姿)を認(みと)め、またこれ一条(ひとすじ)の金箍棒(きんこぼう)にして、収め来って些小(さしょう=極小)の形(かたち)と為(な)し、耳(みみ)の内(うち)に藏(かく)す。復(ま)た身を翻(ひるがえ)して還(かえ)りて螻蟻(ろうぎ=蟻)と做り、櫃内(ひつうち=長持の中)に潜(くぐ)り入り、本相(ほんぞう=本来の姿)を現(あらわ)して、唐僧(とうそう)と与(とも)に困(くるしみ)を守(まも)る。これ語(かた)らず。

さて、かの皇宮内院(こうぐうないいん)の宮娥彩女(きゅうがさいじょ=女官や侍女)は、天いまだ明(あき)らかならざるに起(お)きて梳洗(そせん=髪をとく)するに、箇箇(おのおの)みな頭髪(とうほつ=髪の毛)を亡(な)くせり。穿宮(せんきゅう=宮中を通る)の大小(だいしょう)の太監(たいかん=宦官)も、またみな頭髪(とうほつ)を亡くし、一擁(いちよう)して斉(ひと)しく来り、寝宮(しんきゅう=天子の寝室)の外(そと)に到り、楽(がく)を奏(かなで)て寝(しん=眠り)を驚(おどろ)かし、箇箇(めいめい)涙(なみだ)を噙(ふく)みて、敢(あ)えて言(ことば)を伝(つた)えず。少時(しばらく)して、かの三宮(さんきゅう)の皇后(こうごう)醒(さ)めて、また頭髪(とうほつ)無く、忙(いそ)ぎて灯(ひ)を龍床(りゅうしょう=天子の寝台)の下(もと)に移(うつ)して看る処、錦被窩(きんひか=錦の夜具)の中に、一箇の和尚の睡れる有り。皇后(こうごう)忍(しの)びえずして言(ことば)を出し、国王を驚(おどろ)かし醒(さ)ます。かの国王急(いそ)ぎ睛(ひとみ)を睜(みは)るに、皇后(こうごう)が頭(こうべ)の光(つるつる)なるを見、彼れ連(すなわ)ち爬(はい)き起(お)きて言う、「梓童(しどう=皇后の称)、汝いかにしてかこのごとき」と。皇后(こうごう)言う、「主公(しゅこう=君)もまたこのごとし」と。かの皇帝(こうてい)頭(あたま)を摸(さす)れば、嚇(おどろ)かされて三尸(さんし)呻咋(しんさく=嘆き叫び)、七魄(しちはく)飛んで空(くう)にあり、言う、「朕(ちん)当(まさ)にいかんとせるか!」と。正に慌忙(あわただ)しき処に、ただかの六院(ろくいん)の嬪妃(ひんひ=側室)、宮娥彩女(きゅうがさいじょ)、大小(だいしょう)の太監(たいかん)の、みな頭(こうべ)を光(つるつる)にして跪(ひざまず)き下りて言う、「主公(しゅこう)、我らは和尚と做りたり!」と。国王これを見、眼中(がんちゅう)に涙(なみだ)を流(なが)して言う、「想(おも)うにこれ寡人(かじん=わたし)の和尚を殺害(さつがい)せし故(ゆえ)ならん」と。すなわち旨(みことのり)を伝(つた)えて吩咐(いいつけ)て言う、「汝ら落髪(らくはつ=髪の落つる)の事(こと)を説い出すことを得ず。文武(ぶんぶ)の群臣(ぐんしん)の国家(こっか)の正(ただ)しからざるを褒貶(ほうへん=とやかく言う)せんことを恐(おそ)るればなり。且くみな殿(でん)に上りて朝(ちょう)を設(もう)けよ」と。

さて、かの五府六部(ごふりくぶ)・合衙門(がくがもん=あらゆる役所)の大小(だいしょう)の官員(かんいん)は、天いまだ明(あき)らかならざるにもてみな朝(ちょう)に王(おう)を拝(おが)み闕(けつ=宮門)を拝(おが)まんと要(ほっ)す。元来(もと)この半夜(よなか)に箇箇(おのおの)また頭髪(とうほつ)を亡(な)くし、各人(かくじん)みな表(ひょう=上奏文)を写(うつ)してこの事(こと)を啓奏(けいそう)す。ただそれを聴け、
静鞭(せいべん=静かの鞭)三響(さんきょう=三度鳴り)て皇帝(こうてい)に朝(ちょう)し、当今(とうぎん=今の君)に剃髪(ていはつ=髪を剃る)の因(より=訳)を奏(そう)す。
と。畢竟(ひっきょう)いまだかの総兵官(そうへいかん)の奪(うば)い下(おろ)したる櫃の裡の賊贓(ぞくぞう=盗品)の如何(いかん)なると、唐僧(とうそう)四衆(ししゅ)が性命(いのち)の如何(いかん)なるを知(し)らず。且く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴かれよ。