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087 第八十七回 鳳仙郡(ほうせんぐん)天(てん)を冒(おか)して雨(あめ)を止(とど)められ 孫大聖(そんたいせい)善(ぜん)を勧(すす)めて霖(りん)を施(ほどこ)す

大道(だいどう)は幽深(ゆうしん=奥深く)、
如何(いか)にか消息(しょうそく=消息)をば、
説(い)い破(やぶ)れば鬼神(きしん)も驚駭(きょうがい=驚き恐る)。
宇宙(うちゅう)を挟(わきばさ)み蔵(ぞう)し、
玄光(げんこう)を剖判(ぼうはん=分かち判じ)、
真楽(しんらく)世間(せけん)に賽(くら)ぶる無(な)し。
霊鷲峰(りょうじゅほう)の前(まえ)、宝珠(ほうじゅ)の拈(ひね)り出(いだ)さるる、
明(あき)らかに五般(ごはん=五種)の光彩(こうさい)を映(うつ)す。
乾坤(けんこん)上下(じょうげ)の群生(ぐんしょう)を照(てら)し、
知(し)る者(もの)は寿(じゅ)を山海(さんかい)に同(おな)じくす。

さて三蔵(さんぞう)の師徒(してい)四衆(ししゅ)、樵子(しょうし)に別(わか)れて隠霧山(いんむざん)を下(くだ)り、大路(たいろ)の上(うえ)に奔(はし)り上(あ)がるを説(と)く。行(ゆ)き経(ふ)ること数日(すうじつ)にして、忽(たちま)ち一座(ひとつ)の城池(じょうち=城郭)の相近(ちか)づくを見(み)、三蔵(さんぞう)言う、「悟空(ごくう)、汝(なんじ)あの前面(ぜんめん)の城池(じょうち)を看(み)よ、これ天竺国(てんじくこく)ならんか」と。行者(ぎょうじゃ)手(て)を揺(ゆ)りて言う、「非(し)かず!非かず!如来(にょらい)の処(ところ)は極楽(ごくらく)と称(とな)うといえど、却(かえ)って城池(じょうち)有(あ)ること無(な)く、すなわちこれ一座(ひとつ)の大山(だいざん)にして、山中(さんちゅう)に楼台殿閣(ろうだいでんかく)有(あ)り、霊山大雷音寺(りょうざんだいらいおんじ)と喚(よ)ぶ。たとえ天竺国(てんじくこく)に到(いた)るとも、また如来(にょらい)の住処(じゅうしょ)に非(あら)ず、天竺国(てんじくこく)はなお霊山(りょうざん)を離(はな)るること幾許(いくばく)の路(みち)か有(あ)るを知(し)らざるなり。あの城(しろ)は想(おも)うに天竺(てんじく)の外郡(がいぐん=地方の郡)ならん、前辺(さき)に到(いた)りて方(はじ)めて明白(めいはく)を知(し)らん」と。

一時(いっとき)ならずして城外(じょうがい)に至(いた)り、三蔵(さんぞう)馬(うま)を下(お)り、三層(さんそう)の門(もん)の裡(うち)に入(い)り到(いた)れば、かの民事(みんじ=町のようす)の荒涼(こうりょう=寂れ)、街衢(がいく=街路)の冷落(れいらく=ひっそり)なるを見る。また市口(しこう=市場の入口)の間(あいだ)に到(いた)れば、許多(あまた)の青衣(せいい=青き衣)を穿(き)たる者(もの)の左右(そうゆう)に擺列(はいれつ=並び立つ)し、幾箇(いくにん)かの冠帯(かんたい=冠と帯)の者(もの)の房檐(ぼうえん=軒)の下(した)に立(た)つを見(み)る。彼(かれ)が四衆(ししゅ)街(まち)に順(したが)いて行走(ある)けば、かの些(いくにん)かの人(ひと)さらに遜避(そんぴ=譲り避く)せず。猪八戒(ちょはっかい)は村愚(そんぐ=野暮)にして、長嘴(ちょうし=長き嘴)を把(と)って一掬(ひとすく)いし、叫(よばわ)って言う、「路(みち)を譲(ゆず)れ!路を譲れ!」と。かの些(いくにん)かの人(ひと)猛(にわ)かに頭(こうべ)を抬(あ)げ、模様(かたち)を見(み)るや、箇箇(おのおの)骨(ほね)軟(やわ)らぎ筋(すじ)麻(しび)れ、跌跌蹡蹡(てってきしょうしょう=よろめき)として、みな言う、「妖精(ようせい)来(きた)れり!妖精来れり!」と。唬(おどろ)かされたるかなかの檐下(えんか=軒下)の冠帯(かんたい)の者(もの)、戦戦兢兢(おののき)として身(み)を躬(かが)めて問うて言う、「いずかたより来(きた)れる者(もの)か」と。三蔵(さんぞう)彼(かれ)らの禍(わざわい)を闯(つ)け出(いだ)さんことを恐(おそ)れ、一力(いちりき)に当(あ)たりて先(さき)に衆(しゅう)に向(むか)いて言う、「貧僧(ひんそう)はすなわちこれ東土大唐(とうどだいとう)の駕下(かか=御代)より天竺国(てんじくこく)大雷音寺(だいらいおんじ)の仏祖(ぶっそ)を拝(おが)みて経(きょう)を求(もと)めんとし来(きた)れる者(もの)なり。宝方(ほうほう=貴地)を路過(ろか)すれど、一(ひとつ)には地名(ちめい)を知(し)らず、二(ふたつ)には未(いま)だ人家(じんか)に落(らく=宿)らず、才(ようや)く城(しろ)に進(い)りて、甚(はなは)だ回避(かいひ=遠慮)を失(しっ)せり。望(のぞ)むらくは列公(れっこう=皆さま)の罪(つみ)を恕(ゆる)されたんことを」と。かの官人(かんじん)却(かえ)って才(ようや)く礼(れい)を施(ほどこ)して言う、「此処(ここ)はすなわちこれ天竺(てんじく)の外郡(がいぐん)にして、地名(ちめい)を鳳仙郡(ほうせんぐん)と曰(い)う。連年(れんねん)乾旱(かんかん=日照り)して、郡侯(ぐんこう=郡の領主)我(われ)らをここに差(つかわ)して榜(ほう=触れ書き)を出(いだ)さしめ、法師(ほっし)を招(まね)き求(もと)めて雨(あめ)を祈(いの)り民(たみ)を救(すく)わしむるなり」と。行者(ぎょうじゃ)これを聞(き)きて言う、「汝(なんじ)らが榜文(ぼうぶん=触れ書き)はいずこに在(あ)る」と。衆官(しゅうかん)言う、「榜文(ぼうぶん)はここに在(あ)り、适間(さきほど)才(ようや)く廊檐(ろうけん=廊下の軒)を掃除(そうじ)せしが、未(いま)だ張(は)り掛(か)けず」と。行者言う、「拿(と)り来(きた)りて我(われ)に看看(みさ)せよ」と。衆官(しゅうかん)すなわち榜文(ぼうぶん)を将(も)ちて展開(てんかい)し、檐下(えんか)に掛(か)く。行者(ぎょうじゃ)の四衆(ししゅ)上前(すす)み出でて同(とも)に看(み)る。榜(ほう)の上(うえ)に写(うつ)して曰(いわ)く、
「大天竺国(だいてんじくこく)鳳仙郡(ほうせんぐん)郡侯(ぐんこう)上官(じょうかん)。
明師(めいし)を榜聘(ほうへい=招き聘)し、大法(たいほう)の事(こと)を招(まね)き求(もと)むるが為(ため)にす。
慈(いつく)しむに郡土(ぐんど)の寛弘(かんこう=広き)なる、軍民(ぐんみん)殷実(いんじつ=豊か)なるに因(よ)り、
連年(れんねん)亢旱(こうかん=大日照り)、累歳(るいさい)乾荒(かんこう=干魃)し、
民田(みんでん)菑(かれ)て軍地(ぐんち)薄(うす)く、河道(かどう)浅(あさ)くして溝澮(こうかい=用水路)空(むな)し。
井中(せいちゅう)に水(みず)無(な)く、泉底(せんてい)に津(しん=潤い)無し。
富室(ふしつ=富める家)は聊(いささ)か以(も)って全生(ぜんせい=命を全う)し、
窮民(きゅうみん=貧しき民)は以(も)って活命(かつめい)し難(がた)し。
斗粟(とぞく=一斗の粟)百金(ひゃくきん)の価(あたい)、束薪(そくしん=一束の薪)五両(ごりょう)の資(し)なり。
十歳(じっさい)の女(むすめ)米(こめ)三升(さんしょう)に易(か)え、
五歳(ごさい)の男(おのこ)人(ひと)に随(したが)いて帯(つ)れ去(さ)らる。
城中(じょうちゅう)は法(ほう)を懼(おそ)れて、衣(い)を典(いれ)し物(もの)を当(しち)にして以(も)って身(み)を存(そん)し、
郷下(ごうか=田舎)は公(こう)を欺(あざむ)き、打(う)ち劫(おど)し人(ひと)を食(くら)いて而(しか)して命(いのち)を顧(かえり)みる。
此(これ)の為(ため)に榜文(ぼうぶん)を出(いだ)し給(たま)い、仰望(ぎょうぼう=仰ぎ望む)らくは十方(じっぽう)の賢哲(けんてつ)、
祷雨(とうう=雨を祈り)して民(たみ)を救(すく)わんことを。恩(おん)は当(まさ)に重(おも)く報(むく)いん。
願(ねが)わくは千金(せんきん)を以(も)って奉謝(ほうしゃ)せんことを、決(けっ)して虚言(きょげん=嘘)ならず。
須(かなら)ず榜(ほう)に至(いた)る者なり」
と。

行者(ぎょうじゃ)看(み)了(おわ)り、衆官(しゅうかん)に向(むか)いて言う、「郡侯(ぐんこう)上官(じょうかん)とは何(なん)ぞや」と。衆官(しゅうかん)言う、「上官(じょうかん)はすなわちこれ姓(せい)なり、これ我(われ)が郡侯(ぐんこう)の姓(せい)なり」と。行者笑って言う、「この姓(せい)は却(かえ)って少(すくな)し」と。八戒言う、「兄(あに)は未(いま)だかつて書(しょ)を読(よ)まず、百家姓(ひゃっかせい)の後(のち)に一句(いっく)の『上官欧陽(じょうかんおうよう)』有(あ)り」と。三蔵(さんぞう)言う、「徒弟(でし)ら、且(しばら)く閑講(かんこう=無駄話)するを休(や)めよ。孰(たれ)か雨(あめ)を求(もと)むることを会(え)して、彼(かれ)と一場(ひとしきり)の甘雨(かんう=恵みの雨)を求(もと)め、以(も)って民瘼(みんぼく=民の苦しみ)を済(すく)わば、これすなわち万善(ばんぜん)の事(こと)なり。もし会(え)ずんばすなわち行(ゆ)け、路(みち)を走(あゆ)むを誤(あやま)る莫(な)かれ」と。行者言う、「雨(あめ)を祈(いの)るに何(なん)の難(かた)き事(こと)か有(あ)らん!我(われ)が老孫(ろうそん)は江(こう)を翻(ひるがえ)し海(うみ)を攪(かきまわ)し、斗(と=北斗)を換(か)え星(ほし)を移(うつ)し、天(てん)を踢(け)り井(いど)を弄(もてあそ)び、霧(きり)を吐(は)き雲(くも)を噴(ふ)き、山(やま)を担(にな)い月(つき)を趕(お)い、雨(あめ)を喚(よ)び風(かぜ)を呼(よ)ぶ、那一件児(いずれ)かこれ幼年(ようねん)の耍子(あそび)の勾当(こうとう=しわざ)に非(あら)ざるは有(あ)らん!何(なん)をか稀罕(きかん=珍奇)と為(な)さん!」と。

衆官(しゅうかん)説(いう)を聴(き)き、両箇(ふたり)を着(つかわ)して急(いそ)ぎ郡中(ぐんちゅう)に往(ゆ)きて報(しら)せしめて言う、「老爺(ろうや=御前)、万千(ばんせん)の喜(よろこび)の至(いた)れるなり!」と。かの郡侯(ぐんこう)正(まさ)に香(こう)を焚(た)きて黙祝(もくしゅく=黙祷)しおるに、報声(ほうせい)の喜(よろこび)の至(いた)れるを聴(き)き、すなわち問うて言う、「何(なん)の喜(よろこび)か」と。かの官(かん)言う、「今日(こんにち)榜(ほう)を領(う)け、方(はじ)めて市口(しこう)に至(いた)りて張(は)り掛(か)けんとせしに、すなわち四箇(よたり)の和尚(おしょう)有り、東土大唐(とうどだいとう)より天竺国(てんじくこく)大雷音(だいらいおん)に差(つかわ)され仏(ほとけ)を拝(おが)みて経(きょう)を求(もと)むる者と称(とな)え、榜(ほう)を見(み)るやすなわち甘雨(かんう)を祈(いの)るを能(よ)くすと道(い)えり。特に来(きた)りて報(しら)せ知(し)らせんとす」と。かの郡侯(ぐんこう)すなわち衣(い)を整(ととの)えて步行(ほこう)し、轎馬(きょうば=駕籠と馬)の多人(たにん)を用(もち)いず、径(ただち)に市口(しこう)に至(いた)り、礼(れい)を以(も)って敦(あつ)く請(しょう)ず。忽(たちま)ち人(ひと)の報(しら)せて言う有り、「郡侯(ぐんこう)の老爺(ろうや)来(きた)れり」と。衆人(しゅうじん)闪(かわ)し過(よ)ぐれば、かの郡侯一(ひと)たび唐僧(とうそう)を見(み)るや、彼(か)が徒弟(でし)の醜悪(しゅうあく=醜き)なるを怕(おそ)れず、街心(がいしん=街のまん中)に当(あた)りて身(み)を倒(さかしま)にし下(お)りて拝(はい)して言う、「下官(かかん=私)はすなわちこれ鳳仙郡(ほうせんぐん)郡侯上官氏(じょうかんし)なり、熏沐(くんもく=身を清め)して老師(ろうし)を拝請(はいせい)し、雨(あめ)を祈(いの)りて民(たみ)を救(すく)わんことを。望(のぞ)むらくは師(し)の大(だい)慈悲(じひ)を捨(す)て垂(た)れ、神功(しんこう)を運(めぐ)らして抜済(ばっさい=救い助け)したまわんことを!」と。三蔵(さんぞう)礼(れい)に答(こた)えて言う、「此間(ここ)はこれ話(はなし)を講(こう)ずる処(ところ)に非(あら)ず、貧僧(ひんそう)のあの寺観(じかん=寺社)に到(いた)るを待(ま)ちて、却(かえ)って好(よ)く事(こと)を行(おこな)わん」と。郡侯言う、「老師(ろうし)同(とも)に小衙(しょうが=私の役所)に到(いた)られよ、自(おのずか)ら清浄(しょうじょう)の処(ところ)有り」と。師徒(してい)ら遂(つい)に馬(うま)を牽(ひ)き担(に)を挑(にな)い、径(ただち)に府中(ふちゅう)に至り、一一(いちいち)相見(しょうけん=面会)す。郡侯すなわち茶(ちゃ)を看(み)せ斎(とき)を擺(なら)べしむ。少頃(しばらく)にして斎(とき)至るや、かの八戒(はっかい)量(りょう)を放(はな)ちて吞餐(どんさん=がつがつ食う)すること、餓虎(がこ=飢えた虎)の如(ごと)く、唬(おどろ)かされたるかなかの盤(ばん)を捧(ささ)ぐる者ら、心(こころ)驚(おどろ)き胆(きも)戦(おのの)き、一往一来(いちおういちらい)に湯(ゆ)を添(そ)え飯(めし)を添(そ)え、すなわち走馬灯児(そうまとうじ=回り灯籠)の一般(ごと)く、剛剛(ちょうど)供(そな)え上(あ)ぐるが如(ごと)くにして、直(ただち)に飽満(ほうまん)を食(くら)いて方(はじ)めて休(や)む。斎(とき)畢(おわ)り、唐僧(とうそう)斎(とき)を謝(しゃ)し、却(かえ)って問うて言う、「郡侯大人(たいじん)、貴処(きしょ=お国元)の乾旱(かんかん)は幾時(いくとき)よりか」と。郡侯言う、
「敝地(へいち=私の地)は大邦(たいほう)天竺国(てんじくこく)、
鳳仙(ほうせん)の外郡(がいぐん)は吾(わ)が司牧(しぼく=治むるところ)。
一連(いちれん)三載(さんさい)乾荒(かんこう=干魃)に遇(あ)い、
草子(そうし=草の実)生(しょう)ぜず五穀(ごこく)絶(た)ゆ。
大小(だいしょう)の人家(じんか)売買(ばいばい)難(かた)く、
十門九戸(じゅうもんきゅうこ)俱(みな)啼哭(ていこく=泣き叫ぶ)。
三停(さんてい=三割)は餓(う)え死(し)して二停(にてい)の人(ひと)、
一停(いってい)はなお風中(ふうちゅう)の燭(ともしび)に似(に)たり。
下官(かかん)榜(ほう)を出(いだ)して遍(あまね)く賢(けん)を求めしに、
幸(さいわ)いに真僧(しんそう)の我(わ)が国(くに)に来るに遇(あ)えり。
もし寸雨(すんう=わずかの雨)を施(ほどこ)して黎民(れいみん=民)を済(すく)わば、
願(ねが)わくは千金(せんきん)を奉(たてまつ)りて厚徳(こうとく)を酬(むく)いん!」
と。行者(ぎょうじゃ)これを聞(き)き、満面(まんめん)に喜(よろこび)を生(しょう)じ、呵呵(かか)として笑って言う、
「説(い)う莫(な)かれ!説う莫かれ!もし千金(せんきん)を以って謝(しゃ)すると説(い)わば、半点(はんてん)の甘雨(かんう)も全(まった)く無(な)からん。ただ積功累徳(せきこうるいとく=徳を積む)を論(ろん)ぜば、老孫(ろうそん)汝(なんじ)に一場(ひとしきり)の大雨(たいう)を送(おく)らん」と。
かの郡侯は元来(もと)十分(じゅうぶん)に清正(せいせい=清廉)にして賢良(けんりょう)、民(たみ)を愛(あい)するの心(こころ)重(おも)ければ、すなわち行者(ぎょうじゃ)を請(しょう)じて上坐(じょうざ)せしめ、頭(こうべ)を低(た)れて下拝(げはい)して言う、「老師(ろうし)果たして慈悲(じひ)を捨(す)て垂(た)れたまわば、下官(かかん=私)必(かなら)ず敢(あ)えて徳(とく)に悖(もと)らず」と。

行者言う、「且(しばら)く話(はなし)を講(こう)ずる莫(な)かれ、請(こ)う起(た)て。ただ煩(わずら)わしくも汝(なんじ)好(よ)く生(よく)我(われ)が師父(しふ)を看(みまも)りたまえ、老孫(ろうそん)の事(こと)を行(おこな)わんを等(ま)て」と。沙僧(さそう)言う、「兄(あに)よ、いかんが事(こと)を行(おこな)うか」と。行者言う、「汝(なんじ)と八戒(はっかい)過(わた)り来(こ)よ、すなわち彼(か)がこの堂下(どうか)に在りて我(われ)に随(したが)いて一箇の羽翼(うよく=翼)と做(な)り、老孫(ろうそん)の龍(りゅう)を喚(よ)び来りて雨を行(おこな)わんを等(ま)て」と。八戒・沙僧(さそう)謹(つつし)んで使令(しれい=命)に依(よ)り、三人(さんにん)みな堂下(どうか)に在(あ)り、郡侯香(こう)を焚(た)きて礼拝(らいはい)し、三蔵坐(ざ)して経(きょう)を念(ねん)ず。

行者真言(しんごん)を念(ねん)じ動(どう)じ、呪語(じゅご)を誦(ず)し動(どう)ずれば、即時(そくじ)に正東(せいとう=真東)の上(うえ)に、一朶(ひとひら)の烏雲(ううん=黒雲)の、漸漸(ぜんぜん)と堂前(どうぜん)に落(お)ち至るを見(み)る。すなわちこれ東海(とうかい)の老龍王(ろうりゅうおう)敖広(ごうこう)なり。かの敖広(ごうこう)雲脚(うんきゃく=雲の足)を収(おさ)め、人形(ひとがた)に化(け)し、走(すす)み前(まえ)に向(むか)い、行者に向(むか)いて身(み)を躬(かが)め礼(れい)を施(ほどこ)して言う、「大聖(たいせい)の小龍(しょうりゅう)を喚(よ)びたもう、いずかたに使用(しよう)あらんか」と。行者言う、「請(こ)う起(た)て、汝(なんじ)の遠(とお)く来るを累(わずらわ)せり。別(べつ)に何(なん)の事も無し。此間(ここ)はすなわちこれ鳳仙郡(ほうせんぐん)、連年(れんねん)乾旱(かんかん=日照り)なれば、汝に問う、いかんしてか来りて雨を下(くだ)さざる」と。老龍(ろうりゅう)言う、「啓(もう)し上(あ)ぐ、大聖(たいせい)に知(し)らしめん。我能(よ)く雨を行(おこな)うといえど、すなわち上天(じょうてん)の遣(つかわ)し用(もち)うるの輩(やから)なり。上天(じょうてん)差(つかわ)さずんば、豈(あ)に敢(あ)えて擅(ほしいまま)にこの処(ところ)に来りて雨を行(おこな)わんや」と。行者言う、「我この方(ほう)を路過(ろか)するに因(よ)り、久(ひさ)しき旱(ひでり)に民(たみ)の苦(くるし)むを見、特に汝をしてこの処(ところ)に来りて雨を施(ほどこ)し済(すく)わしむるに、いかんしてか推托(すいかく=言い逃れ)するか」と。龍王(りゅうおう)言う、「豈(あ)に推托(すいかく)を敢(あ)えせんや。ただ大聖(たいせい)の真言(しんごん)を念(ねん)じて呼喚(こかん)したもうに、敢(あ)えて来らざること無(な)し。一(ひとつ)には未(いま)だ上天(じょうてん)の御旨(ぎょし)を奉(ほう)ぜず、二(ふたつ)には未(いま)だかつて雨を行うの神将(しんしょう)を帯(お)び来らず、いかんしてか雨部(うぶ=雨の部署)を動(うご)かし得(え)ん。大聖(たいせい)既(すで)に抜済(ばっさい=救済)の心(こころ)有らば、小龍(しょうりゅう)の海(うみ)に回(かえ)りて兵(へい)を点(てん=召集)するを容(ゆる)し、煩(わずら)わしくも大聖(たいせい)の天宮(てんぐう)に到りて奏(そう)して准(ゆる)され、一道(ひとすじ)の降雨(こうう)の聖旨(せいじ=勅旨)を請(こ)い、水官(すいかん)をして龍(りゅう)を放(はな)たしめたまわば、我却(かえ)って好(よ)く旨意(しい)の数目(すうぼく=数量)に照(て)らして雨を下(くだ)さん」と。行者彼(かれ)の理(ことわり)を説(い)い出(いだ)すを見、ただ老龍(ろうりゅう)を発放(はっぽう=帰し)して海(うみ)に回(かえ)さしむるを得(う)。彼(かれ)すなわち罡斗(こうと=星の座)を跳(と)び出(い)で、唐僧(とうそう)に向(むか)いて龍王(りゅうおう)の事を備(つぶさ)に言(い)う。唐僧(とうそう)言う、「既(すで)に此(かく)の如(ごと)くならば、汝往(ゆ)きてこれを為(な)せ、切(きっ)と誑語(おうご=嘘)を打(う)つ莫(な)かれ」と。行者すなわち八戒(はっかい)・沙僧(さそう)に吩咐(いいつけ)て言う、「師父(しふ)を保(たも)ち護(まも)れ、我天宮(てんぐう)に上(のぼ)り往(ゆ)かん」と。好(よ)き大聖(たいせい)かな、去(ゆ)くと一声(ひとこえ)説(い)うや、寂然(せきぜん)として見えず。かの郡侯胆(きも)戦(おのの)き心(こころ)驚(おどろ)きて言う、「孫老爺(そんろうや)はいずこへか往(ゆ)きし」と。八戒笑って言う、「雲(くも)に駕(が)して天(てん)に上(のぼ)り往(ゆ)きしなり」と。郡侯十分(じゅうぶん)に恭敬(きょうけい)し、飛報(ひほう=早馬)を伝(つた)え出し、満城(まんじょう)の大街(だいがい)小巷(しょうこう)を教(おし)えて、公卿(こうけい)士庶(ししょ)・軍民(ぐんみん)の人等(ひとびと)を拘(かかわ)らず、家家(いえいえ)に龍王(りゅうおう)の牌位(はい=位牌)を供養(くよう)し、門(もん)に清水(せいすい)の缸(かめ)を設(もう)け、缸(かめ)に楊柳枝(ようりゅうし)を插(さ)し、香火(こうか=線香)を侍奉(じほう)し、天(てん)を拝(おが)ます。これを題(だい)せず。

さて行者一路(いちろ)の觔斗雲(きんとうん)、径(ただち)に西天門(せいてんもん)の外(そと)に到れば、早(はや)くも護国天王(ごこくてんのう)の天丁(てんてい)・力士(りきし)を引(ひ)きて上前(すす)み出でて迎接(げいせつ)して言う、「大聖、経(きょう)を取(と)るの事は完(おわ)れるか」と。行者言う、「また差(ちが)うこと遠(とお)からず。今(いま)天竺国界(さかい)に行(ゆ)き至るに、一箇の外郡(がいぐん)有り、名(な)を鳳仙郡(ほうせんぐん)と曰(い)う。彼処(かのところ)三年(さんねん)雨降(ふ)らず、民(たみ)甚(はなは)だ艱苦(かんく=苦しむ)す。老孫(ろうそん)雨を祈(いの)りて拯救(きゅうじょう=救い)せんと欲(ほっ)し、龍王(りゅうおう)を呼(よ)び得(え)て彼(かれ)に到らしむるに、彼旨(むね)無(な)しと道(い)いて、敢(あ)えて私(わたくし)にこれを為(な)さず、特に来りて玉帝(ぎょくてい)に朝見(ちょうけん)し旨(むね)を請(こ)わんとす」と。天王(てんのう)言う、「かの壁廂(へきしょう=あちら)は敢(あ)えて雨の下(くだ)るべきに非(あら)ざるならん。我向(さき)に聞(き)き得(え)て説(い)えるは、かの郡侯撒潑(さっぱつ=暴れ)して天地(てんち)を冒犯(ぼうはん=犯し)し、上帝(じょうてい)罪(つみ)を見(あらわ)し、米山(べいざん=米の山)・麺山(めんざん=麦粉の山)・黄金大鎖(おうごんだいさ=金の大錠)を立(た)て、直(ただ)ちにこの三事(さんじ)の倒断(とうだん=決着)を等(ま)ちて、才(はじ)めて雨の下(くだ)るべきなりと」と。行者この意(こころ)の何(なん)たるを知らず、玉帝(ぎょくてい)に見(まみ)えんと要(もと)む。天王(てんのう)敢えて攔阻(らんそ=引き留め)せず、彼をして進(い)らしめ、径(ただち)に通明殿(つうめいでん)の外(そと)に至れば、また四大天師(しだいてんし)の迎(むか)えて言う、「大聖この処(ところ)に到るは何の干(かかわり)か有る」と。行者言う、「唐僧(とうそう)を保(たも)つに因(よ)り、路(みち)天竺国界(さかい)に至るに、鳳仙郡に雨無く、郡侯師(し)を召(め)して雨を祈(いの)らしむ。老孫(ろうそん)龍王(りゅうおう)を呼(よ)び得(え)て、意(こころ)に雨を降(くだ)らしめんと命(めい)ぜしに、彼未(いま)だ玉帝(ぎょくてい)の旨意(しい)を奉(ほう)ぜず、敢えて擅(ほしいまま)に行(おこ)なわずと説えり。特に来りて旨(むね)を求め、以って民の困(くるしみ)を蘇(よみがえ)らさんとす」と。四大天師(しだいてんし)言う、「あの方(ほう)は雨の下(くだ)るべきに非(あら)ず」と。行者笑って言う、「該(あた)ると該(あた)らざると、煩(わずら)わしくも引奏(いんそう=取次ぎ)し引奏(いんそう)して、老孫が人情(にんじょう=顔)のいかんを看(み)られよ」と。葛仙翁(かつせんおう)言う、「俗語(ぞくご)に云(いわ)く、『蠅(はえ)の網児(あみ)を包(つつ)む、好(よ)き大(だい)の面皮(めんぴ=面の皮)かな!』と」と。許旌陽(きょせいよう)言う、「乱談(らんだん=でたらめ)する莫(な)かれ、且(しばら)くただ彼を帯(つ)れて進(い)れ」と。邱洪済(きゅうこうさい)・張道陵(ちょうどうりょう)と葛(かつ)・許(きょ)の四真人(ししんじん)、霊霄殿(りょうしょうでん)の下(もと)に引(みちび)き至り、啓奏(けいそう)して言う、「万歳(ばんぜい)、孫悟空(そんごくう)の路(みち)天竺国鳳仙郡に至り、雨を求めんと欲(ほっ)し、特に来りて旨(むね)を請(こ)う有り」と。玉帝(ぎょくてい)言う、「かの厮(やつ)め、三年前(さんねんぜん)の十二月二十五日(じゅうにがつにじゅうごにち)、朕(ちん)出(い)でて行(み)ゆき万天(ばんてん=諸天)を監観(かんかん=見回り)、三界(さんがい)に浮游(ふゆう=巡り)し、駕(が)を彼(か)の方(ほう)に至らしめしに、かの上官正(じょうかんせい)の不仁(ふじん=無慈悲)にして、斎天(さいてん=天に供うる)の素供(そぐ=精進の供物)を将(も)ちて推(お)し倒(たお)し狗(いぬ)に喂(く)わせ、口(くち)に穢言(わいげん=汚い言葉)を出し、冒犯(ぼうはん)の罪(つみ)を造(な)せるを見たり。朕(ちん)すなわち三事(さんじ)を立(た)てて、披香殿(ひこうでん)の内(うち)に在(あ)らしむ。汝ら孫悟空(そんごくう)を引(みちび)きて往(ゆ)きて看(み)よ、もし三事(さんじ)倒断(とうだん)せば、すなわち旨(むね)を降(くだ)して彼に与(あた)えん。もし倒断(とうだん)せずんば、且(しばら)く閑事(かんじ=余計な事)を管(かん)するを休(や)めよ」と。

四天師(してんし)すなわち行者を引(みちび)きて披香殿(ひこうでん)の裡(うち)に至りて看る時(おり)、一座(ひとつ)の米山(べいざん=米の山)の、約(およ)そ十丈(じゅうじょう)の高下(たかさ)有るを見、一座(ひとつ)の麺山(めんざん=麦粉の山)の、約(およ)そ二十丈(にじゅうじょう)の高下(たかさ)有るを見る。米山(べいざん)の辺(ほとり)に一隻(ひとわ)の拳大(けんだい=拳ほど)の鶏(にわとり)有り、かの処に在りて一嘴(ひとくち)を緊(きつ)くし一嘴(ひとくち)を慢(ゆる)くして、かの米(こめ)を嗛(ついば)みて食(くら)う。麺山(めんざん)の辺(ほとり)に一隻(ひとわ)の金毛(きんもう)の哈巴狗児(はっぱくじ=狆)有り、かの処に在りて一舌(ひとね)を長(なが)くし一舌(ひとね)を短(みじか)くして、かの麺(こな)を餂(な)めて食(くら)う。左辺(さへん)に一箇の鉄架子(てつかし=鉄の枠)を懸(か)け、架(か)の上(うえ)に一把(ひとつ)の金鎖(きんさ=金の錠)を掛(か)け、約(およ)そ一尺三四寸(いっしゃくさんよんすん)の長短(ながさ)有り、鎖梃(さてい=錠の棒)は指頭(ゆび)の粗細(ふとさ)有り、下面(した)に一盞(ひとつ)の明灯(めいとう)有り、灯焔児(とうえんじ=炎)のかの鎖梃(さてい)を燎(あぶ)りおる。行者その意(こころ)を知らず、首(こうべ)を回(めぐ)らして天師(てんし)に問うて曰(いわ)く、「これ何の意(こころ)ぞや」と。天師(てんし)言う、「かの厮(やつ)め上天(じょうてん)を触犯(しょくはん=犯し)せしに、玉帝(ぎょくてい)この三事(さんじ)を立(た)て、直(ただ)ちに鶏(にわとり)の米(こめ)を嗛(ついば)み尽(つく)し、狗(いぬ)の麺(こな)を餂(な)め尽(つく)し、灯焔(とうえん)の鎖梃(さてい)を燎(あぶ)り断(た)たんを等(ま)ちて、かの時(とき)に方(はじ)めて雨の下るべきなり」と。

行者これを聞(き)き、大(おお)いに驚(おどろ)きて色(いろ)を失(うしな)い、再(ふたた)び敢えて啓奏(けいそう)せず、殿(でん)を走(い)で出(い)で、満面(まんめん)に羞(はじ)を含(ふく)む。四大天師(しだいてんし)笑って言う、「大聖必(かなら)ずしも煩悩(はんのう=悩む)するを要(よう)せず、この事はただ善(ぜん)を作(な)すべきに宜(よろ)しくして解(と)くべし。もし一念(いちねん)の善慈(ぜんじ=慈悲)有らば、上天(じょうてん)を驚動(きょうどう)し、かの米山(べいざん)・麺山(めんざん)即時(そくじ)に就(すなわ)ち倒(たお)れ、鎖梃(さてい)即時に就(すなわ)ち断(た)たん。汝往きて彼を勧(すす)めて善(ぜん)に帰(き)せしめよ、福(ふく)は自(おのずか)ら来らん」と。行者言(げん)に依(よ)り、霊霄(りょうしょう)に上(のぼ)りて玉帝(ぎょくてい)に辞(じ)せず、径(ただち)に来って下界(げかい)に復(かえ)り凡夫(ぼんぷ)と為(な)る。須臾(しばらく)にして西天門(せいてんもん)に到れば、また護国天王(ごこくてんのう)に見(まみ)ゆ。天王(てんのう)言う、「旨(むね)を請(こ)うはいかん」と。行者米山(べいざん)・麺山(めんざん)・金鎖(きんさ)の事を把(と)って一一(いちいち)説(と)き了(おわ)り、言う、「果たして汝が言(げん)に依(よ)り、旨を伝(つた)うるを肯(がえん)ぜず。适間(さきほど)天師(てんし)我を送(おく)りて、かの厮(やつ)を勧(すす)めて善(ぜん)に帰(き)せしめよと教(おし)えたり、すなわちこれ福(ふく)の原(もと)なり」と。遂(つい)に相別(あいわか)れ、雲(くも)を降(おろ)して下界(げかい)に下る。
かの郡侯三蔵・八戒(はっかい)・沙僧(さそう)・大小(だいしょう)の官員(かんいん)人等(じんとう)と同(とも)に接(むか)え、みな簇簇(ぞくぞく=むらがり)として集(つど)い来りて問(と)う。行者郡侯を把(と)って一声(ひとこえ)喝(しか)って言う、「ただ汝この厮(やつ)めが三年前(さんねんぜん)十二月二十五日(じゅうにがつにじゅうごにち)に天地(てんち)を冒犯(ぼうはん)せしに因(よ)り、致(いた)して黎民(れいみん)に難(なん)有らしめ、如今(いま)雨を降(くだ)すことを肯(がえん)ぜざるなり!」と。郡侯慌(あわ)てて地(ち)に跪(ひざまず)き伏(ふ)して言う、「老師(ろうし)いかんしてか三年前(さんねんぜん)の事を知りたもう」と。行者言う、「汝かの斎天(さいてん=天に供うる)の素供(そぐ)を把(と)って、いかんして推(お)し倒(たお)して狗(いぬ)に喂(く)わせしか。可(べ)し実実(ありのまま)に説(と)き来れ!」と。かの郡侯敢えて隠(かく)し瞞(あざむ)かず、曰(いわ)く、
「三年前(さんねんぜん)の十二月二十五日(じゅうにがつにじゅうごにち)、供(く)を献(けん)じて天(てん)を斎(いわ)いしに、本衙(ほんが=私の役所)の内(うち)に在(あ)りしが、妻(つま)の不賢(ふけん=愚か)なるに因(よ)り、悪言(あくげん)を以って相闘(あいたたか)い、一時(いっとき)に怒(いかり)を発(はっ)して無知(むち)なりしにより、供卓(くたく=供え台)を推(お)し倒(たお)し、素饌(そせん=精進料理)を潑(こぼ)し、果たして狗(いぬ)を喚(よ)び来りて食(くら)わせたり。この両年(りょうねん)憶念(おくねん=思い)して心(こころ)に在(あ)り、神思(しんし=心)恍惚(こうこつ=ぼんやり)として、以って釈(と)き解(と)くべき処無く、上天(じょうてん)の罪(つみ)を見(あらわ)して黎民(れいみん)に遺害(いはい=害を残す)せるを知らざりき。今(いま)老師(ろうし)の降臨(こうりん)するに遇(あ)う、万(よろず)望(のぞ)むらくは明(あきら)かに示(しめ)したまえ、上界(じょうかい)はいかんが様(さま)に計較(けいこう=処置)するかを」
と。行者言う、「かの一日(いちじつ)は正(まさ)にこれ玉皇(ぎょくこう)の下界(げかい)の日(ひ)なりしに、汝が斎供(さいく)を将(も)ちて狗(いぬ)に喂(く)わせ、また口(くち)に穢言(わいげん=汚言)を出すを見て、玉帝すなわち三事(さんじ)を立(た)てて汝を記(き)したもう」と。八戒(はっかい)問うて言う、「兄(あに)よ、これいずれの三事(さんじ)ぞ」と。行者言う、「披香殿(ひこうでん)に一座(ひとつ)の米山(べいざん)を立(た)て、約(およ)そ十丈(じゅうじょう)の高下(たかさ)有り。一座(ひとつ)の麺山(めんざん=麦粉の山)を立て、約(およ)そ二十丈(にじゅうじょう)の高下(たかさ)有り。米山(べいざん)の辺(ほとり)に拳大(けんだい)の一一隻(ひとわ)の小鶏(しょうけい=ひよこ)有り、かの処に在りて一嘴(ひとくち)を緊(きつ)くし一嘴(ひとくち)を慢(ゆる)くして、かの米(こめ)を嗛(ついば)みて食(くら)う。麺山(めんざん)の辺(ほとり)に一箇(ひとつ)の金毛(きんもう)哈巴狗児(はっぱくじ=狆)有り、かの処に在りて一舌(ひとね)を長(なが)くし一舌(ひとね)を短(みじか)くして、かの麺(こな)を餂(な)めて食う。左辺(さへん)にまた一座の鉄架子(てつかし=鉄の枠)有り、架(か)の上(うえ)に一把(ひとつ)の黄金(おうごん)の大鎖(だいさ=大錠)を掛(か)け、鎖梃児(さていじ=錠の棒)は指頭(ゆび)の粗細(ふとさ)有り、下面(した)に一盞(ひとつ)の明灯(めいとう)有り、灯焔児(とうえんじ=炎)のかの鎖梃(さてい)を燎(あぶ)りおる。直(ただ)ちにかの鶏(にわとり)の米(こめ)を嗛(ついば)み尽(つく)し、狗(いぬ)の麺(こな)を餂(な)め尽(つく)し、灯(ひ)の鎖梃(さてい)を燎(あぶ)り断(た)たんを等(ま)ちて、彼(か)がここに方(はじ)めて雨の下るべきなり」と。

八戒(はっかい)笑って言う、「打緊(だいじ)ならず!打緊ならず!兄(あに)の我を帯(つ)れて往き給(たま)うを肯(がえん)ぜば、法身(ほっしん=化身)を変(へん)じ出し、一頓(ひとしきり)に彼(か)が米(こめ)と麺(こな)を把(と)ってみな食い尽(つく)し、鎖梃(さてい)を弄(もてあそ)びて断(た)たば、管(かなら)ず雨の下るを取(と)らん」と。行者言う、「呆子(あほう)よ胡(みだ)りに説う莫(な)かれ!これすなわち上天の設(もう)けたる計(けい)なり、汝いかんでか見るを得(え)ん」と。三蔵言う、「この等(ごと)く説わば、いかんが生(しょう)ずる是好(よ)からん」と。行者言う、「難(かた)からず!難からず!我臨行(りんこう=出立)の時(おり)、四天師(してんし)かつて我に向(むか)いて言(い)えり、ただただ善(ぜん)を作(な)すべくして解(と)くべしと」と。かの郡侯地(ち)に拝(はい)し伏(ふ)し、哀(あい)しく告(もう)して言う、「ただ老師(ろうし)の指教(しきょう=お教え)に凭(よ)らん、下官(かかん=私)一一(いちいち)皈依(きえ)せん」と。行者言う、「汝もし心(こころ)を回(めぐ)らして善(ぜん)に向わば、早(はや)きに趁(じゅん)じて仏(ほとけ)を念(ねん)じ経(きょう)を看よ、我また替(かわ)りて汝の為(ため)に作為(さい=働き)せん。汝もしなお前(さき)の如(ごと)く改(あらた)めずんば、我また釈(と)き解(と)くを得(え)ず、久(ひさ)しからずして天(てん)すなわちこれを誅(ちゅう=罰し)し、性命(いのち)保(たも)つを得ざらん」と。かの郡侯頭(こうべ)を磕(う)ち礼拝(らいはい)し、誓(ちか)いて皈依(きえ)を願(ねが)う。当時(そのとき)本処(ほんしょ)の僧道(そうどう=僧と道士)を召(め)し請(しょう)じ、道場(どうじょう)を啓建(けいこん=開き)し、各各(おのおの)文書(ぶんしょ)を写(うつ)し発(はっ)し、三天(さんてん)に申奏(しんそう=奉る)。郡侯衆(しゅう)を領(ひき)いて香(こう)を拈(ひね)り瞻拝(せんぱい=仰ぎ拝)し、天に答(こた)え地(ち)を謝(しゃ)し、罪(つみ)を引(ひ)きて自(みずか)ら責(せ)む。三蔵もまた彼と経(きょう)を念(ねん)ず。一壁廂(いっぺきしょう=一方)にまた飛報(ひほう=触れ)を出し、城裡(じょうり)城外(じょうがい)の大家(たいか)小戸(しょうこ)を教(おし)え、男女(だんじょ)の人等(ひとびと)を論(ろん)ぜず、みな香(こう)を焼(た)き仏(ほとけ)を念(ねん)ずべきことを要(よう)す。この時(とき)自(よ)り、一片(ひとひら)の善声(ぜんせい=善の声)の耳(みみ)に盈(み)つ。行者却って才(ようや)く歓喜(かんぎ)し、八戒・沙僧(さそう)に向いて言う、「汝ら二人(ふたり)好(よ)く生(よく)師父(しふ)を護持(ごじ=守り)せよ、老孫のまた彼と去(ゆ)き去(ゆ)きて来らんを等(ま)て」と。八戒言う、「兄(あに)よ、またいずこへか往く」と。行者言う、「この郡侯老孫が言(げん)を聴(き)き信(しん)じて、果たして教(おしえ)を受(う)け、恭敬(きょうけい)善慈(ぜんじ)にして、誠心(せいしん)に仏(ほとけ)を念ず。我この去(ゆ)きてまた玉帝に奏(そう)し、些(いささ)かの雨を求め来らん」と。沙僧(さそう)言う、「兄(あに)既(すで)に往かんと要(もと)むれば、必(かなら)ずしも遅疑(ちぎ=ためらう)するを要(よう)せず、且(しばら)く我らの行路(こうろ=道行き)を耽擱(たんかく=遅延)するも、必(かなら)ず一壇(ひとそなえ)の雨を求め、庶(こいねが)わくは我らの正果(しょうか=悟り)を成(な)さん」と。

好き大聖かな、また雲頭(うんとう)を縦(はな)ち、直(ただち)に天門(てんもん)の外(そと)に至れば、また護国天王(ごこくてんのう)に遇(あ)う。天王(てんのう)言う、「汝今(いま)また来りて何をか做(な)す」と。行者言う、「かの郡侯已(すで)に善に帰(き)せり」と。天王(てんのう)また喜(よろこ)ぶ。

正(まさ)に説う処に、早(はや)くも直符使者(ちょくふししゃ)の、道家(どうか)の文書(ぶんしょ)・僧家(そうか)の関牒(かんちょう=証文)を捧(ささ)げ定(さだ)め、天門(てんもん)の外(そと)に到りて伝遞(でんてい=伝達)するを見る。かの符使(ふし)行者を見、礼(れい)を施(ほどこ)して言う、「この意(こころ)はすなわちこれ大聖の善を勧(すす)むるの功(こう)なり」と。行者言う、「汝この文牒(ぶんちょう)を将(も)ちていずこへか送(おく)り往く」と。符使(ふし)言う、「直(ただち)に通明殿(つうめいでん)の上(うえ)に送(おく)り至り、天師(てんし)に与(あた)えて玉皇大天尊(ぎょくこうだいてんそん)の前(まえ)に伝(つた)え遞(わた)さん」と。行者言う、「此(かく)の如(ごと)くならば、汝先(ま)ず行(ゆ)け、我当(まさ)に随(したが)いて而(しか)して後(のち)に去(ゆ)かん」と。かの符使(ふし)天門(てんもん)に入(い)りて往き了(おわ)んぬ。護国天王(ごこくてんのう)言う、「大聖、玉帝に見(まみ)ゆるを消(よう)せず。汝ただ九天応元府(きゅうてんおうげんぷ)の下(もと)に往き、些(いささ)かの雷神(らいじん)を借(か)り、径(ただち)に自(みずか)ら雷(かみなり)を声(こわだか)にし電(いなずま)を掣(ひ)かば、還(かえ)ってすなわち雨の下る有らん」と。真箇(まこと)に行者言(げん)に依(よ)り、天門(てんもん)の裡(うち)に入(い)り、霊霄殿(りょうしょうでん)に上(のぼ)りて旨意(しい)を求め請わず、雲步(うんぽ=雲の歩み)を転(てん)じ、径に九天応元府(きゅうてんおうげんぷ)に往く。かの雷門使者(らいもんししゃ)・糾録典者(きゅうろくてんじゃ)・廉訪典者(れんぼうてんじゃ)のみな来り迎(むか)え、礼(れい)を施して言う、「大聖いずこよりか来る」と。行者言う、「事有りて天尊(てんそん)に見(まみ)えんと要(もと)む」と。三使者(さんししゃ)すなわち為(ため)に伝奏(でんそう)す。天尊(てんそん)随(したが)って九鳳丹霞(きゅうほうたんか)の扆(い=屏風)を下(お)り、衣(い)を整(ととの)えて出(い)でて迎(むか)う。相見(しょうけん)して礼畢(おわ)り、行者言う、「一事(いちじ)有り、特に来りて奉求(ほうきゅう=お願い)す」と。天尊(てんそん)言う、「何の事ぞ」と。行者言う、「我唐僧(とうそう)を保(たも)つに因(よ)り、鳳仙郡に至るに、かの乾旱(かんかん=日照り)の甚(はなは)だしきを見、已(すで)に彼に雨を求めんことを許(ゆる)せり。特に来りて貴部(きぶ=おん部署)の官将(かんしょう)を告(もう)し借(か)りて彼に到りて雷(かみなり)を声(こわだか)にせんとす」と。天尊(てんそん)言う、「我かの郡侯の上天を冒犯(ぼうはん)し、三事の立てられたるを知れり、いまだ雨の下るべきかを知らず」と。行者笑って言う、「我昨日(きのう)已(すで)に玉帝に見(まみ)えて旨を請えり。玉帝天師(てんし)をして我を引(みちび)きて披香殿(ひこうでん)に往きてかの三事を看しめたもう。すなわちこれ米山(べいざん)・麺山(めんざん)・金鎖(きんさ)にして、ただ三事の倒断(とうだん=決着)を要(よう)して、方(はじ)めて雨の下るべきなり。我倒断(とうだん)の得難(がた)きを愁(うれ)うるに、天師(てんし)我に教(おし)えて郡侯等衆(とうしゅ=皆)を勧化(かんけ=教化)して善を作(な)さしめ、以って人に善念(ぜんねん)有れば天必(かなら)ずこれに従(したが)うと為(な)し、庶(こいねが)わくは以って天心(てんしん)を回(めぐ)らし、災難(さいなん)を解(と)くべしとせり。今(いま)已(すで)に善念(ぜんねん)頓(にわか)に生(しょう)じ、善声(ぜんせい)耳(みみ)に盈(み)つ。适間(さきほど)直符使者(ちょくふししゃ)已(すで)に改行従善(かいぎょうじゅうぜん=行いを改め善に従う)の文牒(ぶんちょう)を将(も)ちて玉帝に奏(そう)し上(あ)げ往けり。老孫因って特に尊府(そんぷ=おん館)に造(おとずれ)、雷部(らいぶ)の官将(かんしょう)の相助(あいたす)けんことを告(もう)し借(か)らんとす」と。天尊(てんそん)言う、「既(すで)に此(かく)の如(ごと)くならば、鄧(とう)・辛(しん)・張(ちょう)・陶(とう)を差(つかわ)して閃電娘子(せんでんじょうし=稲妻の女神)を帥(ひき)い領(い)れしめ、すなわち大聖に随(したが)いて鳳仙郡に下降(げこう)して雷(かみなり)を声(こわだか)にせしめよ」と。
かの四将(よんしょう)大聖と同(とも)に、多(おお)からぬ時(とき)に鳳仙郡の境界(きょうがい)に至り、すなわち半空(はんくう)の中(うち)に在りて法(ほう)を作(な)し起(おこ)す。ただ聴く、唿魯魯(こつろろ=ごろごろ)たる雷(かみなり)の声(こえ)、また見よ、淅瀝瀝(せきれきれき=ざあざあ)たる閃電(せんでん=稲妻)を。真箇(まこと)にこれ、
電(いなずま)は紫金蛇(しきんじゃ=紫金の蛇)を掣(ひ)き、
雷(かみなり)は群蟄(ぐんちつ=冬ごもりの虫)を轟(とどろ)かし哄(わ)ぐ。
熒煌(けいこう=きらきら)として火光(かこう)飛(と)び、
霹靂(へきれき)山洞(さんどう)を崩(くず)す。
列缺(れっけつ=電光)天に満(み)ちて明(あきら)かに、
震驚(しんけい=雷)地(ち)に連(つらな)りて縦(はな)つ。
紅銷(こうしょう=紅の光)一閃(ひとひらめ)きて萌芽(ほうが)を発(はっ)し、
万里(ばんり)の江山(こうざん)もみな撼(ゆる)ぐ。
と。

かの鳳仙郡、城裡(じょうり)城外(じょうがい)の大小(だいしょう)の官員(かんいん)、軍民(ぐんみん)の人等(ひとびと)、整(まった)く三年(さんねん)かつて雷電(らいでん)を聴(き)かざりしが、今日(こんにち)雷声(らいせい)と霍閃(かくせん=稲妻)の有るを見、一斉(いっせい)に跪(ひざまず)き下(お)り、頭(こうべ)に香炉(こうろ)を頂(いただ)き、有る者は手(て)に柳枝(りゅうし)を拈(ひね)り、みな念ず、
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)!南無阿弥陀仏!」
と。この一声(ひとこえ)の善念(ぜんねん)、果たして上天を驚動(きょうどう)す。正(まさ)にこれかの古詩(こし)に云(いわ)く、
「人心(じんしん)に一念(いちねん)を生(しょう)ぜば、天地(てんち)悉(ことごと)く皆(みな)知る。
善悪(ぜんあく)もし報(むくい)無からんには、乾坤(けんこん)必(かなら)ず私(わたくし)有らん」
と。

且(しばら)く孫大聖(そんたいせい)の雷将(らいしょう)を指揮(しき)し、鳳仙郡に掣電(せいでん)し轟雷(ごうらい)して、人人(ひとびと)の善に帰(き)するを説(と)かず。

さて、かの上界(じょうかい)の直符使者(ちょくふししゃ)、僧道(そうどう)両家(りょうけ)の文牒(ぶんちょう)を将(も)ちて通明殿(つうめいでん)に送(おく)り至れば、四天師(してんし)霊霄殿(りょうしょうでん)に伝奏(でんそう)す。玉帝これを見て言う、「かの厮(やつ)ら既(すで)に善念(ぜんねん)有らば、三事のいかんを看よ」と。正(まさ)に説う処に、忽(たちま)ち披香殿(ひこうでん)を看管(かんかん=管理)するの将官(しょうかん)有り、報(しら)せて言う、「立てられし米山・麺山(めんざん)俱(みな)倒(たお)れ、霎時間(またたくま)に米も麺(こな)も皆(みな)無く、鎖梃もまた断(た)てり」と。奏(そう)未だ畢(おわ)らざるに、また当駕(とうが=当直)の天官(てんかん)有り、鳳仙郡の土地(とち)・城隍(じょうこう)・社令(しゃれい)等の神(かみ)を引(ひ)きて斉(ひと)しく来り拝奏(はいそう)して言う、「本郡(ほんぐん)の郡主(ぐんしゅ)并(なら)びに満城(まんじょう)の大小(だいしょう)の黎庶(れいしょ=民)の家(いえ)、一家(いっか)一人(ひとり)として善果(ぜんか)に皈依(きえ)し、仏(ほとけ)を礼し天を敬(うやま)わざるは無し。今(いま)垂慈(すいじ=慈悲)を啓(もう)し、甘雨(かんう)を普(あまね)く降(くだ)し、黎民(れいみん)を救済(きゅうさい)したまわんことを」と。玉帝これを聞(き)き大(おお)いに喜(よろこ)び、すなわち旨を伝(つた)えて言う、「風部(ふうぶ)・雲部(うんぶ)・雨部(うぶ)をして、各(おのおの)号令(ごうれい)に遵(したが)い、下方(かほう)に去(ゆ)き、鳳仙郡の界(さかい)に按(あん)じ、すなわち今日(こんにち)今時(こんじ)に当(あた)りて、雷(かみなり)を声(こわだか)にし雲(くも)を布(し)き、雨を三尺零四十二点(さんじゃくれいよんじゅうにてん)降(くだ)せ」と。時に四大天師(しだいてんし)旨を奉(ほう)じ、各部(かくぶ)に伝(つた)えて時(じ)に随(したが)い下界(げかい)に下らしめ、各(おのおの)神威(しんい)を逞(たくま)しくし、一斉(いっせい)に振作(しんさく=奮い立つ)。

行者正(まさ)に鄧(とう)・辛(しん)・張(ちょう)・陶(とう)と閃電娘子(せんでんじょうし)に令(れい)して空(くう)の中(うち)に在りて調弄(ちょうろう=操り)しおるに、ただ衆神(しゅうしん)のことごとく到り、一天(いってん)に合会(ごうえ=集う)するを見る。その間(かん)風雲(ふううん)際会(さいかい=出会い)、甘雨(かんう)滂沱(ぼうだ=ざんざん)たり。好き雨かな、
漠漠(ばくばく)たる濃雲(のううん)、
蒙蒙(もうもう)たる黒霧(こくむ)。
雷車(らいしゃ)轟轟(ごうごう)として、
閃電(せんでん)灼灼(しゃくしゃく)たり。
滚滚(こんこん)たる狂風(きょうふう)、
淙淙(そうそう)たる驟雨(しゅうう)。
所謂(いわゆる)一念(いちねん)天を回(めぐ)らし、
万民(ばんみん)満望(まんぼう=大いに望む)。
全(まった)く大聖の元運(げんうん=玄妙の働き)を施すに虧(か)りて、
万里(ばんり)の江山(こうざん)処処(しょしょ)に陰(くも)る。
好雨(こうう)は河(かわ)を傾(かたむ)け海(うみ)を倒(たお)し、
野(の)を蔽(おお)い空(くう)を迷(まよ)わす。
檐前(えんぜん)に瀑布(ばくふ=滝)を垂(た)れ、
窗外(そうがい)に玲瓏(れいろう=玉の音)響(ひび)く。
万戸千門(ばんこせんもん)人仏(ほとけ)を念じ、
六街三市(ろくがいさんし)水(みず)洪(ひろ)く流(なが)る。
東西(とうざい)の河道(かどう)条条(じょうじょう)に満(み)ち、
南北(なんぼく)の渓湾(けいわん)処処(しょしょ)に通(つう)ず。
槁苗(こうびょう=枯れた苗)潤(うるお)いを得、
枯木(こぼく)生(いき)に回(かえ)る。
田疇(でんちゅう=田畑)に麻麦(まばく)盛(さか)んに、
村堡(そんほ=村)に豆粮(とうりょう=穀物)升(のぼ)る。
客旅(かくりょ=旅人)販売(はんばい)の通(つう)ずるを喜(よろこ)び、
農夫(のうふ)爾(なんじ)が耘耕(うんこう=耕作)を愛(め)づ。
今(いま)より黍稷(しょしょく=穀物)多(おお)く条暢(じょうちょう=伸び)て、
自然(おのずか)ら稼穡(かしょく=農事)の豊登(ほうとう=豊作)を得(う)。
風(かぜ)調(ととの)い雨順(したが)いて民安楽(あんらく)し、
海晏(かいあん=海静か)河清(かせい=川清し)にして太平(たいへい)を享(う)く。
と。

一日(いちじつ)に雨の下りて三尺零四十二点(さんじゃくれいよんじゅうにてん)に足(た)り、衆神祇(しゅうしんぎ)漸漸(ぜんぜん)と収(おさ)め回(かえ)る。孫大聖(そんたいせい)声(こえ)を厲(はげ)しくして高(たか)く叫(よばわ)って言う、「かの四部(よんぶ)の衆神(しゅうしん)、且く雲従(うんじゅう=雲の供)を停(とど)めよ、老孫の往きて郡侯をして列位(れっい=皆さま)を拝謝(はいしゃ)せしめんを等て。列位(れっい)雲霧(うんむ)を撥(か)き開(ひら)き、各(おのおの)真身(しんしん)を現(あらわ)し、この凡夫(ぼんぷ)と親(した)しく眼(まなこ)に看しめよ、彼才(はじ)めて心に信(しん)じて供奉(ぐぶ=供養)せん」と。衆神(しゅうしん)説(いう)を聴(き)き、ただみな空(くう)の中(うち)に停(とど)まるを得(う)。この行者雲頭(うんとう)を按(おろ)し下(おろ)し、径に郡裡(ぐんり)に至れば、早(はや)くも三蔵・八戒・沙僧のみな来りて迎接(げいせつ)し、かの郡侯一步一拝(いっぽいっぱい)として来りて謝(しゃ)す。行者言う、「且く我を謝(しゃ)することを慢(ゆる)くせよ。我已(すで)に四部(よんぶ)の神祇(しんぎ)を留(とど)め置(お)けり。汝多(おお)くの人を伝(つた)え召(め)してここと同(とも)に拝謝(はいしゃ)せしむべし。彼らをして向後(のち)好く来りて雨を降(くだ)さしめよ」と。郡侯随って飛報(ひほう=触れ)を伝え、衆(しゅう)を召(め)して同(とも)に酬(むく)いしめ、みな箇箇(おのおの)香(こう)を拈(ひね)りて朝拝(ちょうはい)す。ただ見よ、かの四部(よんぶ)の神祇(しんぎ)、雲霧(うんむ)を開(ひら)き明(あきら)かにし、各(おのおの)真身(しんしん)を現(あらわ)す。四部(よんぶ)とは、すなわちこれ雨部(うぶ)・雷部(らいぶ)・雲部(うんぶ)・風部(ふうぶ)なり。ただ見よ、かの
龍王(りゅうおう)象(すがた)を顕(あらわ)し、雷将(らいしょう)身(み)を舒(の)べ、
雲童(うんどう)出現(しゅつげん)し、風伯(ふうはく)真(しん)を垂(た)る。
龍王の象(すがた)を顕(あらわ)すは、銀鬚(ぎんしゅ=銀の髭)蒼貌(そうぼう=老いた貌)世(よ)に双(ならぶ)無く、
雷将(らいしょう)の身(み)を舒(の)ぶるは、鉤嘴(こうし=鉤の嘴)威顔(いがん=威厳)誠(まこと)に比(くら)ぶべからず。
雲童(うんどう)の出現(しゅつげん)するは、誰(たれ)か玉面金冠(ぎょくめんきんかん=玉の顔に金の冠)に如(し)かん、
風伯(ふうはく)の真(しん)を垂(た)るるは、曽(かつ)て燥眉環眼(そうびかんがん=乾いた眉に丸き眼)に似(に)たり。
斉斉(せいせい)として青霄(せいしょう=青空)の上に顕露(けんろ=現れ)し、
各各(おのおの)挨排(あいはい=並び)て聖儀(せいぎ=聖なる姿)を観(み)る。
と。
鳳仙郡界(ほうせんぐんかい)の人才(はじ)めて信(しん)じ、
頂礼(ちょうらい)香(こう)を拈(ひね)りて悪性(あくしょう=悪しき心)回(めぐ)る。
今日(こんにち)天上(てんじょう)の将(しょう)を仰(あお)ぎ朝(ちょう)し、
心を洗(あら)い善に向いて尽(ことごと)く皈依(きえ)す。
と。

衆神祇(しゅうしんぎ)寧(やすらか)に一箇時辰(いっとき)を待(ま)てど、人民(じんみん)拝(はい)すること已(や)まず。孫行者(そんぎょうじゃ)また雲端(うんたん)に起(た)ち、衆(しゅう)に向いて礼を作(な)して言う、「労(ろう)有り!労有り!請う、列位(れっい)各(おのおの)本部(ほんぶ)に帰(かえ)られよ。老孫また郡界(ぐんかい)の中(うち)の人家(じんか)をして高真(こうしん=神々)を供養(くよう)し、時節(じせつ)に遇(あ)いて醮謝(しょうしゃ=供養)せしめん。列位(れっい)この後(のち)より、五日(いつか)に一風(ひとかぜ)、十日(とおか)に一雨(ひとあめ)にして、また来りて拯救(きゅうじょう=救い)し拯救(きゅうじょう)したまえ」と。衆神(しゅうしん)言(げん)に依(よ)り、各各(おのおの)部(ぶ)に転(てん)ず。これを題(だい)せず。

さて大聖雲頭(うんとう)を墜(お)とし下(おろ)して三蔵と道(いわ)く、「事畢(おわ)り民安(やす)ず、收拾(しゅうしゅう)して走路(たびだ)つべし」と。かの郡侯これを聞(き)き、急忙(いそぎ)として礼を行いて言う、「孫老爺(そんろうや)はいずこの話(はなし)をか説うや!この今の一場(ひとしきり)は、すなわちこれ無量無辺(むりょうむへん)の恩徳(おんとく)なり。下官(かかん=私)ここに人を差(つかわ)して小宴(しょうえん)を弁備(べんび=用意)し、厚恩(こうおん)に奉答(ほうとう)せんとす。なお民間(みんかん)の田地(でんち)を買(か)い治(おさ)め、老爺(ろうや)の為に寺院(じいん)を起建(きこん)し、老爺(ろうや)が生祠(せいし=生き祠)を立て、碑(ひ)を勒(きざ)み名(な)を刻(きざ)み、四時(しいじ=年中)に享祀(きょうし=祭り)せん。骨(こつ)に刻(きざ)み心を鏤(ちりば)むとも、万一(まんいち)を報(むく)い難(がた)し、いかんがすなわち走路(たびだ)つの話(はなし)を説うや!」と。三蔵言う、「大人(たいじん)の言(げん)は当(とう)を得たりといえど、ただ我らはすなわちこれ西方(せいほう)に掛搭(かかとう=仮の宿)する行脚(あんぎゃ)の僧(そう)なれば、敢えて久(ひさ)しく住(じゅう)せず。一二日(いちにじつ)の間(あいだ)に、定(かなら)ず走(た)つに疑(うたがい)無し」と。かの郡侯いずくにか肯(がえん)じて放(はな)たん、連夜(れんや)に多(おお)くの人を差(つかわ)して酒席(しゅせき)を治(おさ)め弁(べん)じ、祠宇(しう=ほこら)を起(おこ)し蓋(おお)わしむ。

次日(よくじつ)、大(おお)いに佳宴(かえん)を開(ひら)き、唐僧を請(しょう)じて高坐(こうざ)せしめ、孫大聖(そんたいせい)と八戒・沙僧列坐(れっざ)し、郡侯本郡(ほんぐん)の大小(だいしょう)の官員(かんいん)部臣(ぶしん)と同に杯(さかずき)を把(と)り饌(せん=供物)を献(けん)じ、細吹細打(さいすいさいだ=静かな囃子)にして、款待(かんたい=もてなし)すること一日(いちじつ)なり。この場(ひととき)果たしてこれ欣然(きんぜん=喜ばし)く、詩(し)有りて証(しょう)と為(な)す、
田疇(でんちゅう)久旱(きゅうかん=長き日照り)に甘雨(かんう)に逢(あ)い、
河道(かどう)経商(けいしょう=商い)処処(しょしょ)に通(つう)ず。
深(ふか)く神僧(しんそう)の郡界(ぐんかい)に来るを感(かん)じ、
多(おお)く大聖の天宮(てんぐう)に上(のぼ)るを蒙(こうむ)る。
三事の従前(じゅうぜん=以前)の悪(あく)を解除(げじょ)し、
一念(いちねん)皈依(きえ)して善果(ぜんか)弘(ひろ)し。
此(この)後(のち)願(ねが)わくは尭舜(ぎょうしゅん)の世(よ)の如く、
五風十雨(ごふうじゅうう)万年(ばんねん)に豊(ゆたか)ならんことを。
と。

一日(いちじつ)は筵(えん)、二日(ふつか)は宴(うたげ)、今日(こんにち)は酬(むく)い、明日(みょうにち)は謝(しゃ)して、扳留(はんりゅう=引き留め)すること将(まさ)に半月(はんげつ)ならんとす。ただ寺院(じいん)と生祠(せいし)の完備(かんび)するを等つ。一日(あるひ)、郡侯四衆(ししゅ)を請(しょう)じて往きて観(み)しむ。唐僧驚訝(けいが=驚き)して言う、「エ程(こうてい)浩大(こうだい)なり、何ぞこれを成(な)すことかくの如く速(すみ)やかなるや」と。郡侯言う、「下官(かかん)人工(じんこう)を催趲(さいさん=急がせ)、昼夜(ちゅうや)息(いこ)わず、急急(きゅうきゅう)として命(めい)じて完(まっとう)せしめ、特に列位(れっい)の老爺(ろうや)を請(しょう)じて看看(みら)れんとす」と。行者笑って言う、「果たしてこれ賢才(けんさい)能幹(のうかん=有能)の好き賢侯(けんこう)なり!」と。即時(そくじ)にみな新寺(しんじ)に到るに、かの殿閣(でんかく)の巍峨(ぎが=高き)、山門(さんもん)の壮麗(そうれい)なるを見、俱(みな)称賛(しょうさん)すること已(や)まず。行者師父(しふ)を請じて一(ひとつ)の寺名(じみょう)を留(とど)めしむ。三蔵言う、「有り、名(な)を留(とど)めば当(まさ)に甘霖普済寺(かんりんふさいじ)と喚(よ)ぶべし」と。郡侯称(ほ)めて言う、「甚(はなは)だ好し!甚だ好し!」と。金貼(きんてん=金の札)を用(もち)いて広(ひろ)く僧衆(そうしゅう)を招(まね)き、香火(こうか)を侍奉(じほう)せしむ。殿(でん)の左辺(さへん)に四衆(ししゅ)の生祠(せいし)を立て起(おこ)し、每年(まいねん)四時(しいじ)に祭祀(さいし)し、また雷神(らいじん)・龍神(りゅうじん)等の廟(びょう)を起(おこ)し蓋(おお)いて、以って神功(しんこう)に答(こた)う。看了(おわ)り、すなわち趲行(さんこう=急ぎ立つ)を命(めい)ず。かの一郡(いちぐん)の人民(じんみん)、久(ひさ)しく留(とど)むるを得ざるを知り、各(おのおの)贐儀(しんぎ=餞別)を備(そな)うれど、分文(ぶんもん=一銭)も受(う)けず。此(これ)に因りて、合郡(ごうぐん)の官員(かんいん)人等(ひとびと)、盛(さかん)に鼓楽(こがく)を張(は)り、大(おお)いに旌幢(せいとう=旗)を展(の)べ、送(おく)ること三十里(さんじゅっり)の遠近(きんきょ)有りて、なお忍(しの)びて別(わか)るる能(あた)わず、遂(つい)に涙(なみだ)を掩(おお)いて目送(もくそう)し、直(ただち)に望(のぞ)み見えざるに至りて方めて回(かえ)る。正にこれ、
碩徳(せきとく=大いなる徳)の神僧(しんそう)普済(ふさい)を留(とど)め、
斉天大聖(せいてんたいせい)広(ひろ)く恩(おん)を施す。
と。畢竟(ひっきょう)この去きてなお幾日(いくにち)有りて方めて如来(にょらい)に見(まみ)ゆるを知らず、且く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)かれよ。