話(はな)し表(しめ)す、陝西(せんせい)の大国(たいこく)長安城(ちょうあんじょう)は、乃(すなわ)ち歴代(れきだい)の帝王(ていおう)の都(みやこ)を建(た)てしの地(ち)なり。周(しゅう)・秦(しん)・漢(かん)以来(いらい)、三州(さんしゅう)は花(はな)の錦(にしき)に似(に)て、八水(はっすい=八つの川)は城(しろ)を繞(めぐ)りて流(なが)れ、真(まこと)に箇(ひとつ)の名勝(めいしょう)の邦(くに)と是(こ)れ謂(い)うべきところ。彼(か)の時(とき)是(こ)れ大唐(だいとう)の太宗皇帝(たいそうこうてい)の位(くらい)に登(のぼ)り、改元(かいげん)して貞観(じょうがん)とし、已(すで)に極(きょく)に登(のぼ)ること十三年(じゅうさんねん)、歳(とし)己巳(きし)に在(あ)り、天下(てんか)太平(たいへい)にして、八方(はっぽう)貢(みつぎ)を進(すす)め、四海(しかい)臣(しん)と称(とな)う。忽(たちま)ち一日(いちにち)、太宗(たいそう)位(くらい)に登(のぼ)り、文武(ぶんぶ)の衆官(しゅかん)を聚集(しゅうしゅう=集め)し、朝拝(ちょうはい)し礼(れい)し畢(おわ)るに、魏征丞相(ぎちょうじょうしょう)の班(はん=列)を出(い)でて奏(そう)して道(い)わく、「方今(ほうこん=今)天下(てんか)太平(たいへい)にして、八方(はっぽう)宁静(ねいせい=穏やか)なれば、応(まさ)に古法(こほう)に依(よ)り、選場(せんじょう=科挙の場)を開立(かいりつ)し、賢士(けんし)を招(まね)き取(と)り、人材(じんざい)を擢用(てきよう=抜擢し)い、以(もっ)て化理(かり=教化)を資(たす)くべし」と。太宗(たいそう)道(い)わく:
「賢卿(けんけい)の奏(そう)ずるところ理(ことわり)有(あ)り」と。就(すなわ)ち招賢(しょうけん=賢を招く)の文榜(ぶんぼう=掲示)を伝(つた)え、天下(てんか)に頒布(はんぷ=布告)す:各府州県(かくふしゅうけん)に、軍民(ぐんみん)の人等(ひとども)を拘(かかわ)らず、但(た)だ読書(どくしょ)の儒流(じゅりゅう=儒学者)の、文義(ぶんぎ)明暢(めいちょう=明らかに暢び)、三場(さんじょう=三度の試験)に精通(せいつう)せる者(もの)有(あ)らば、前(まえ)に赴(おもむ)きて長安(ちょうあん)に就(つ)きて応試(おうし=受験)せよ。
此(こ)の榜(ぼう=掲示)海州(かいしゅう)の地方(ちほう)に行(ゆ)き至(いた)るに、一人(ひとり)の姓(せい)は陳(ちん)、名(な)は萼(がく)、表字(ひょうじ=あざな)を光蕊(こうずい)と曰(い)う者有(ひと)り、此(こ)の榜(ぼう)を見(み)て、即時(そくじ)に家(いえ)に回(かえ)り、母(はは)の張氏(ちょうし)に対(たい)して道(い)わく、「朝廷(ちょうてい)黄榜(こうぼう=勅の掲示)を頒(わか)ち下(くだ)し、南省(なんしょう)を開(ひら)きて賢才(けんさい)を考取(こうしゅ=試験で取る)すると詔(みことの)れり、孩児(がいじ=この子)意(こころ)に前(まえ)に去(ゆ)きて応試(おうし)せんと欲(ほっ)す。倘(も)し一官半職(いっかんはんしょく=何がしかの官職)を得(う)れば、親(おや)を顕(あらわ)し名(な)を揚(あ)げ、妻(つま)を封(ほう)じ子(こ)を蔭(かげ)し、門閭(もんりょ=門前)を光耀(こうよう=輝か)すは、乃(すなわ)ち児(こ)の志(こころざし)なり。特(こと)に此(ここ)に母親(はは)に禀告(りんこく=申し上げ)して前(まえ)に去(ゆ)かん」と。張氏(ちょうし)道(い)わく、「我(わ)が児(こ)は読書人(どくしょじん)なるに、『幼(おさな)くして学(まな)び、壮(さか)んにして行(おこな)う』とは、正(まさ)に該(まさ)に此(か)くの如(ごと)くなるべし。但(た)だ去(ゆ)きて挙(きょ=科挙)に赴(おもむ)かば、路(みち)の上(ほとり)須(すべから)く小心(しょうじん=用心)を要(よう)し、官(かん)を得(え)なば、早(はや)く早(はや)く回(かえ)り来(きた)れ」と。光蕊(こうずい)便(すなわ)ち家僮(かどう=召使)に吩咐(ふんぷ)して行李(こうり=荷物)を收拾(しゅうしゅう=整え)させ、即(すなわ)ち母親(はは)に拜(おが)み辞(じ)し、程(みち)を趲(はや)めて前進(ぜんしん)す。長安(ちょうあん)に到(いた)れば、正(まさ)に大(おお)いに選場(せんじょう)を開(ひら)くに値(あ)い、光蕊(こうずい)就(すなわ)ち場(じょう)に進(すす)む。考(こう)し畢(おわ)り、中選(ちゅうせん)す。廷試(ていし=宮中試験)の三策(さんさく)に及(およ)び、唐王(とうおう)御筆(ぎょひつ=帝自らの筆)を以(もっ)て親(みずか)ら状元(じょうげん)を賜(たま)い、馬(うま)に跨(またが)りて街(まち)を游(ゆ)ぐこと三日(みっか)なり。
期(き)せずんば丞相(じょうしょう)殷開山(いんかいざん)が門首(もんしゅ=門前)に游(あそ)び到(いた)るに、丞相(じょうしょう)の生(う)める一女(ひとりのむすめ)有(あ)り、名(な)を喚(よ)んで温嬌(おんきょう)と曰(い)い、又(また)名(な)づけて満堂嬌(まんどうきょう)と曰(い)い、未(いま)だ曾(かつ)て婚配(こんぱい=嫁ぐ)せず、正(まさ)に高(たか)く彩楼(さいろう=飾り楼)を結(むす)び、繍球(しゅうきゅう=刺繍の球)を抛(な)げ打(う)たせて婿(むこ)を卜(ぼく=占う)。適(あたか)も陳光蕊(ちんこうずい)の楼(ろう)の下(した)を経過(けいか)するに値(あ)い、小姐(しょうじゃ=令嬢)一目(ひとめ)見(み)て光蕊(こうずい)の人材(じんざい=風格)の衆(ひと)に出(い)で、新科(しんか=新たな科)の状元(じょうげん)なるを知(し)り、心(こころ)の内(うち)十分(じゅうぶん)に歓喜(かんき)し、就(すなわ)ち繍球(しゅうきゅう)を将(も)ちて抛(な)げ下(おろ)せば、恰(あたか)も光蕊(こうずい)が烏紗帽(うしゃぼう=黒紗の冠)に打(う)ち着(つ)けり。猛(たけ)く一派(ひとむれ)の笙簫(しょうしょう=笙と簫)の細楽(さいがく=細やかな楽)を聴(き)き得(え)、十数箇(じゅうすうこの)婢妾(ひしょう=侍女)の楼(ろう)を下(くだ)り来(きた)り、光蕊(こうずい)が馬頭(ばとう)を把(と)って挽(ひ)き住(とど)め、状元(じょうげん)を迎(むか)えて相府(しょうふ=丞相邸)に入(い)れて婚(こん)を成(な)さしむ。那(か)の丞相(じょうしょう)と夫人(ふじん)、即時(そくじ)に堂(どう)に出(い)で、賓人(ひんじん=仲人)を喚(よ)んで礼(れい)を賛(たす)けしめ、小姐(しょうじゃ)を将(も)ちて光蕊(こうずい)に配(はい=娶合わせ)す。天地(てんち)を拜(おが)み、夫妻(ふさい)交(こもごも)拜(はい)し畢(おわ)り、又(また)岳丈(がくじょう=妻の父)・岳母(がくぼ=妻の母)を拜(おが)む。丞相(じょうしょう)吩咐(ふんぷ)して酒席(しゅせき)を安排(あんばい)し、一宵(ひとよ)歓(よろこ)んで飲(の)む。二人(ふたり)同(とも)に素手(しゅしゅ=白き手)を携(たずさ)え、共(とも)に蘭房(らんぼう=閨房)に入(い)る。
次日(よくじつ)五更(ごこう=明け方)の三点(さんてん)、太宗(たいそう)金鑾宝殿(きんらんほうでん)に駕坐(がざ=出御)し、文武(ぶんぶ)の衆臣(しゅうしん)朝(ちょう)に趋(すす)む。太宗(たいそう)同(ともに)道(い)わく、「新科(しんか)の状元(じょうげん)陳光蕊(ちんこうずい)は応(まさ)に何(なん)の官(かん)を授(さず)くべきや」と。魏征丞相(ぎちょうじょうしょう)奏(そう)して道(い)わく、「臣(しん)所属(しょぞく)の州郡(しゅうぐん)を査(しら)ぶるに、江州(こうしゅう)に官(かん)を欠(か)く有(あ)り。乞(こ)う、我(わ)が主(あるじ)他(かれ)に此(こ)の職(しょく)を授(さず)けられよ」と。太宗(たいそう)就(すなわ)ち命(めい)じて江州(こうしゅう)の州主(しゅうしゅ=長官)と為(な)し、即(すなわ)ち收拾(しゅうしゅう)して身(み)を起(おこ)し、限期(げんき=期限)を誤(あやま)ること勿(な)からしむ。光蕊(こうずい)恩(おん)を謝(しゃ)して朝(ちょう)を出(い)で、相府(しょうふ)に回(かえ)り到(いた)り、妻(つま)と商議(しょうぎ=相談)し、岳丈(がくじょう)岳母(がくぼ)に拜(おが)み辞(じ)し、妻(つま)と同(とも)に前(まえ)に江州(こうしゅう)の任(にん)に赴(おもむ)く。
長安(ちょうあん)を離(はな)れて途(みち)に登(のぼ)るに、正(まさ)に是(こ)れ暮春(ぼしゅん=晩春)の天気(てんき)、和風(わふう=穏やかな風)は柳(やなぎ)を吹(ふ)いて緑(みどり)にし、細雨(さいう=小雨)は花(はな)を点(そそ)いで紅(くれない)なり。光蕊(こうずい)便(すなわ)ち道(みち)より家(いえ)に回(かえ)り、妻(つま)と同(とも)に母親(はは)の張氏(ちょうし)に交拜(こうはい=挨拶)す。張氏(ちょうし)道(い)わく、「我(わ)が児(こ)を恭喜(きょうき=祝う)す、且(か)つ又(また)娶親(しゅしん=嫁を娶る)して回(かえ)り来(きた)れるを」と。光蕊(こうずい)道(い)わく、「孩児(がいじ)母親(はは)の福庇(ふくひ=福の蔭)を叨頼(とうらい=忝くも蒙)り、忝(かたじけな)くも状元(じょうげん)に中(あた)り、欽(きん=帝より)に游街(ゆうがい=街を巡る)を賜(たま)い、丞相(じょうしょう)殷(いん)が府門(ふもん)の前(まえ)を経過(けいか)するに、抛(な)げ打(う)つ繍球(しゅうきゅう)の適中(てきちゅう=的中)せるに遇(あ)い、丞相(じょうしょう)の即(すなわ)ち小姐(しょうじゃ)を将(も)ちて孩児(がいじ)を招(まね)いて婿(むこ)と為(な)せるを蒙(こうむ)れり。朝廷(ちょうてい)孩児(がいじ)を除(じょ=任命)して江州(こうしゅう)の州主(しゅうしゅ)と為(な)せり、今(いま)来(きた)りて母親(はは)を接(むか)え取(と)り、同(とも)に去(ゆ)きて任(にん)に赴(おもむ)かん」と。張氏(ちょうし)大(おお)いに喜(よろこ)び、行程(こうてい=旅支度)を收拾(しゅうしゅう)す。路(みち)に在(あ)ること数日(すうじつ)、前(まえ)に万花店(ばんかてん)の劉小二(りゅうしょうじ)が家(いえ)に至(いた)りて安(やすん)じ下(おろ)すに、張氏(ちょうし)の身体(しんたい)忽然(たちま)ち病(やまい)に染(し)み、光蕊(こうずい)と道(い)わく、「我(われ)身(み)の上(うえ)安(やす)からず、且(しばら)く店(たな)の中(うち)に在(あ)りて両日(ふつか)調養(ちょうよう=養生)して去(ゆ)かん」と。光蕊(こうずい)命(めい)に遵(したが)う。次日(よくじつ)の早朝(そうちょう)に至(いた)り、店(たな)の門前(もんぜん)に一人(ひとり)の箇(ひとつ)の金色鯉魚(こんじきりぎょ=黄金色の鯉)を提(さ)げて叫(よ)んで売(う)る有(あ)るを見(み)る、光蕊(こうずい)即(すなわ)ち一貫銭(いっかんせん)を将(も)ちて買(か)い、待(ま)って烹(に)て母親(はは)に与(あた)えて食(くら)わしめんと欲(ほっ)するに、只(た)だ鯉魚(りぎょ)の眼(め)を閃閃(せんせん=きらきら)と眨(またた)かせるを見(み)、光蕊(こうずい)驚異(きょうい=怪しみ)して道(い)わく、「聞(き)くならく魚蛇(ぎょだ=魚と蛇)の眼(め)を眨(またた)かせるは、必(かなら)ず是(こ)れ等閑(とうかん=並)の物(もの)に非(あら)ずと!」と。遂(つい)に漁人(ぎょじん=漁師)に問(と)うて道(い)わく、「此(こ)の魚(うお)は那(いずこ)より打(と)り来(きた)れるや」と。漁人(ぎょじん)道(い)わく、「府(ふ)を離(はな)るる十五里(じゅうごり)の洪江(こうこう)の内(うち)より打(と)り来(きた)れるなり」と。光蕊(こうずい)就(すなわ)ち魚(うお)を把(と)って洪江(こうこう)の裡(うち)に送(おく)り去(さ)りて生(いのち)を放(はな)ち了(おわ)る。店(たな)に回(かえ)りて母親(はは)に対(たい)して此(こ)の事(こと)を道(い)い知(し)らしむれば、張氏(ちょうし)道(い)わく、「放生(ほうじょう=生を放つ)は好(よ)き事(こと)なり、我(われ)が心(こころ)甚(はなは)だ喜(よろこ)ぶ」と。光蕊(こうずい)道(い)わく、「此(こ)の店(たな)に已(すで)に三日(みっか)住(じゅう)せり、欽限(きんげん=勅命の期限)緊急(きんきゅう)なり、孩児(がいじ)意(こころ)に明日(みょうにち)身(み)を起(おこ)さんと欲(ほっ)するも、母親(はは)の身体(しんたい)の好(よ)き与否(いな)やを知(し)らず」と。
張氏(ちょうし)道(い)わく、「我(われ)が身子(み=体)快(こころよ)からず、此(こ)の時(とき)路(みち)の上(ほとり)炎熱(えんねつ=暑い)なれば、恐(おそ)らくは病(やまい)を添(そ)えん。汝(なんじ)可(べ)く此(ここ)に間(ひとま)の房屋(ぼうおく=家)を賃(か)り、我(われ)と暫(しばら)く住(じゅう)せよ。些(いささか)の盤纏(ばんてん=路銀)を此(ここ)に付(ふ)し、汝(なんじ)両口(ふたり)先(ま)ず上(のぼ)りて任(にん)に去(ゆ)き、秋(あき)の涼(すず)しきを候(ま)ちて却(かえ)って来(きた)りて我(われ)を接(むか)えよ」と。光蕊(こうずい)妻(つま)と商議(しょうぎ)し、就(すなわ)ち屋宇(おくう=家)を租(か)り、盤纏(ばんてん)を母親(はは)に付(ふ)し与(あた)え、妻(つま)と同(とも)に拜(おが)み辞(じ)して前(まえ)に去(ゆ)く。
途路(とろ=道中)艱苦(かんく=苦しみ)、暁(あかつき)に行(ゆ)き夜(よる)に宿(やど)り、覚(おぼ)えず已(すで)に洪江(こうこう)の渡口(とこう=渡し場)に到(いた)る。只(た)だ稍水(しょうすい=船頭)の劉洪(りゅうこう)・李彪(りひょう)の二人(ふたり)の、船(ふね)を撑(さ)して岸(きし)に到(いた)りて迎接(げいせつ)するを見(み)る。也(ま)た是(こ)れ光蕊(こうずい)が前生(ぜんしょう=前世)に合当(ごうとう=まさに)に此(こ)の災難(さいなん)有(あ)るべきに、此(こ)の冤家(えんか=仇)に撞(ぶつ)かれるなり。光蕊(こうずい)家僮(かどう)に令(れい)じて行李(こうり)を将(も)ちて船(ふね)の上(うえ)に搬(はこ)ばしめ、夫妻(ふさい)正(まさ)に斉斉(せいせい=揃い)に船(ふね)に上(のぼ)るに、那(か)の劉洪(りゅうこう)眼(め)を睜(ひら)きて殷小姐(いんしょうじゃ)が面(おもて)の満月(まんげつ)の如(ごと)く、眼(め)の秋波(しゅうは=秋の波)に似(に)て、桜桃(おうとう=さくらんぼ)の小口(こぐち)、緑柳(りょくりゅう=青柳)の蛮腰(ばんよう=細腰)なる、真(まこと)に箇(ひとつ)の魚(うお)を沈(しず)め雁(かり)を落(おと)すの容(かたち)有(あ)り、月(つき)を閉(と)じ花(はな)を羞(はじ)らわすの貌(かたち)あるを見(み)、陡(にわか)に狼心(ろうしん=狼の心)を起(おこ)し、遂(つい)に李彪(りひょう)と計(けい)を設(もう)け、船(ふね)を将(も)ちて人烟(じんえん=人家)無(な)き処(ところ)に撑(さ)し至(いた)り、夜静(よるしずか)の三更(さんこう)を候(ま)ち、先(ま)ず家僮(かどう)を将(も)ちて殺(ころ)し、次(つい)に光蕊(こうずい)を将(も)ちて打(う)ち殺(ころ)し、尸首(ししゅ=死骸)を把(と)って都(みな)水(みず)の裡(うち)に推(お)し去(さ)り了(おわ)る。小姐(しょうじゃ)他(かれ)の夫(おっと)を打(う)ち殺(ころ)せるを見(み)て、也(ま)た便(すなわ)ち身(み)を将(も)ちて水(みず)に赴(おもむ)かんとするに、劉洪(りゅうこう)一把(ひとつかみ)に抱(いだ)き住(とど)めて道(い)わく、「汝(なんじ)若(も)し我(われ)に従(したが)わば、万事(ばんじ)皆(みな)休(や)まん!若(も)し従(したが)わざる時(とき)は、一刀(いっとう)両断(りょうだん)なり!」と。那(か)の小姐(しょうじゃ)計(はかりごと)を尋(たず)ぬるに無(な)く、只(た)だ権(かり)に時(とき)に順(したが)って応承(おうしょう=承知)し、劉洪(りゅうこう)に順(したが)えり。那(か)の賊(ぞく)船(ふね)を把(と)って南岸(なんがん)に渡(わた)し、船(ふね)を李彪(りひょう)に付(ふ)して自(みずか)ら管(つかさど)らしめ、他(かれ)は就(すなわ)ち光蕊(こうずい)が衣冠(いかん=衣と冠)を穿(き)し、官憑(かんぴょう=辞令)を帯(お)び、小姐(しょうじゃ)と同(とも)に江州(こうしゅう)に往(ゆ)きて任(にん)に上(のぼ)り去(さ)れり。
却(さ)て説(つ)ぐ、劉洪(りゅうこう)が殺(ころ)しし家僮(かどう)の尸首(ししゅ)は、水(みず)に順(したが)って流(なが)れ去(さ)り、惟(た)だ陳光蕊(ちんこうずい)の尸首(ししゅ)のみ、水底(すいてい)に沈(しず)みて動(うご)かず。洪江口(こうこうこう)の巡海夜叉(じゅんかいやしゃ=海を巡る夜叉)有(あ)りて之(これ)を見(み)、星(ほし)の如(ごと)く飛(と)びて龍宮(りゅうぐう)に報(ほう)じ入(い)るに、正(まさ)に龍王(りゅうおう)の殿(でん)に升(のぼ)るに値(あ)い、夜叉(やしゃ)報(ほう)じて道(い)わく、「今(いま)洪江口(こうこうこう)に何人(なんぴと)か一箇(ひとりの)読書(どくしょ)の士子(しし=学士)を打(う)ち殺(ころ)し、尸(しかばね)を将(も)ちて水底(すいてい)に撇(す)てたるを知(し)らず」と。龍王(りゅうおう)尸(しかばね)を将(も)ちて抬(かつ)ぎ来(きた)らしめ、面前(めんぜん)に放(お)き、仔細(しさい)に一(ひと)看(み)して道(い)わく、「此(こ)の人(ひと)正(まさ)に是(こ)れ我(われ)を救(すく)えるの恩人(おんじん)なるに、如何(いか)にして人(ひと)に謀(たばか)り殺(ころ)されしや?常言(じょうげん)に道(い)わく、恩(おん)を将(も)ちて恩(おん)に報(ほう)ずと。
我(われ)今日(こんにち)須(すべから)く他(かれ)が性命(せいめい)を救(すく)い、以(もっ)て日前(にちまえ=先日)の恩(おん)に報(ほう)ぜんと索(もと)む」と。即(すなわ)ち牒文(じょうぶん=公文)一道(ひとすじ)を写(うつ)し下(くだ)し、夜叉(やしゃ)を差(さしむ)けて径(ただ)ちに洪州(こうしゅう)の城隍(じょうこう)土地(とち)の処(ところ)に往(ゆ)きて投(とう)じ下(くだ)さしめ、秀才(しゅうさい)の魂魄(こんぱく)を取(と)り来(きた)らしめ、他(かれ)の性命(せいめい)を救(すく)わんと要(よう)す。
城隍(じょうこう)土地(とち)遂(つい)に小鬼(しょうき)を喚(よ)んで陳光蕊(ちんこうずい)の魂魄(こんぱく)を把(と)って夜叉(やしゃ)に交付(こうふ=渡)して去(さら)しめ、夜叉(やしゃ)魂魄(こんぱく)を帯(お)びて水晶宮(すいしょうきゅう)に到(いた)り、龍王(りゅうおう)に禀見(りんけん=申し見ゆ)す。龍王(りゅうおう)問(と)うて道(い)わく、「汝(なんじ)が此(こ)の秀才(しゅうさい)、姓(せい)は甚(なん)と名(な)は誰(たれ)なる?何方(いずこ)の人氏(じんし=出身)なる?何(なん)に因(よ)りて此(ここ)に到(いた)り、人(ひと)に打(う)ち殺(ころ)されしや」と。光蕊(こうずい)礼(れい)を施(ほどこ)して道(い)わく、「小生(しょうせい=私)は陳萼(ちんがく)、表字(ひょうじ)を光蕊(こうずい)、海州(かいしゅう)弘農県(こうのうけん)の人(ひと)に系(かか)わる。忝(かたじけな)くも新科(しんか)の状元(じょうげん)に中(あた)り、叨(かたじけな)くも江州(こうしゅう)の州主(しゅうしゅ)を授(さず)かり、妻(つま)と同(とも)に任(にん)に赴(おもむ)き、江(こう)の辺(ほとり)に行(ゆ)き至(いた)りて船(ふね)に上(のぼ)るに、料(はか)らずんば稍子(しょうす=船頭)の劉洪(りゅうこう)、我(われ)が妻(つま)を貪(むさぼ)り謀(たばか)り、我(われ)を将(も)ちて打(う)ち殺(ころ)して尸(しかばね)を抛(なげう)てり、乞(こ)う大王(だいおう)我(われ)を救(すく)いて一(ひと)救(すく)いせよ!」と。龍王(りゅうおう)言(げん)を聞(き)きて道(い)わく、「原(もと)来(もと)此(か)くの如(ごと)くなり、先生(せんせい)、汝(なんじ)が前者(さきに)放(はな)ちし所(ところ)の金色鯉魚(こんじきりぎょ)即(すなわ)ち我(われ)なり、汝(なんじ)は是(こ)れ我(われ)を救(すく)えるの恩人(おんじん)なるに、汝(なんじ)今(いま)難(なん)有(あ)るに、我(われ)豈(あ)に汝(なんじ)を救(すく)わざるの理(ことわり)有(あ)らんや?」と。就(すなわ)ち光蕊(こうずい)が尸身(ししん=死体)を把(と)って一壁(ひとかたわら)に安置(あんち)し、口(くち)の内(うち)に一顆(ひとつぶ)の定顔珠(ていがんじゅ=顔を保つ珠)を含(ふく)ませ、壊(そこな)い損(そこな)うことを休(や)めしめ、日後(にちご)好(よ)く魂(たましい)を還(かえ)して仇(あだ)を報(ほう)ぜしむ。又(また)道(い)わく、「汝(なんじ)今(いま)が真魂(しんこん=真の魂)は、権(かり)に且(しばら)く我(われ)が水府(すいふ=水の宮)の中(うち)に在(あ)りて箇(ひとつの)都領(とりょう=頭領)を做(な)せ」と。光蕊(こうずい)頭(こうべ)を叩(たた)いて拜(おが)み謝(しゃ)し、龍王(りゅうおう)宴(えん)を設(もう)けて相待(あいまつ=饗応)するは題(だい)せず。
却(さ)て説(つ)ぐ、殷小姐(いんしょうじゃ)劉賊(りゅうぞく)を痛(いた)く恨(うら)み、肉(にく)を食(くら)い皮(かわ)に寝(い)ねざるを恨(うら)むがごとくなるも、只(た)だ身(み)に孕(はらみ)を有(たも)つに因(よ)り、未(いま)だ男女(だんじょ)を知(し)らず、万(よろず)已(や)むことを得(え)ざるをもって、権(かり)に且(しばら)く勉強(べんきょう=無理に)して相(あい)従(したが)う。転(うたた)として盼(みまわ)す間(あいだ)、覚(おぼ)えず已(すで)に江州(こうしゅう)に到(いた)る。
吏書(りしょ=役所の書記)門皂(もんそう=門番)たち、俱(みな)来(きた)りて迎接(げいせつ)す。所属(しょぞく)の官員(かんいん)、公堂(こうどう=役所)に宴(えん)を設(もう)けて相叙(しょうじょ=語らう)。劉洪(りゅうこう)道(い)わく、「学生(がくせい=私)此(ここ)に到(いた)れるは、全(まった)く諸公(しょこう=皆様)の大力(だいりき=大きな力)の匡持(きょうじ=支え)に頼(よ)る」と。属官(ぞっかん)答(こた)えて道(い)わく、「堂尊(どうそん=奉行)の大魁(たいかい=首席)の高才(こうさい=優れた才)、自然(おのずか)ら民(たみ)を視(み)ること子(こ)の如(ごと)く、訟(うったえ)簡(かん=少な)く刑(けい)清(きよ)し。我(われ)等(ら)が合属(がっぞく=配下)頼(たの)む所(ところ)有(あ)り、何(なん)ぞ必(かなら)ずしも過(すぎ)て謙(けん)せんや」と。公宴(こうえん)已(すで)に罷(や)み、衆人(しゅうじん)各(おのおの)散(さん)ず。
光陰(こういん)迅速(じんそく)なり。一日(いちにち)、劉洪(りゅうこう)公事(くじ)にて遠(とお)く出(い)で、小姐(しょうじゃ)衙(が=役所)に在(あ)りて婆婆(ばば=姑)・夫(おっと)を思念(しねん=思い慕)い、花亭(かてい=花の亭)の上(うえ)に在(あ)りて感嘆(かんたん)せるに、忽然(たちま)ち身体(しんたい)困倦(こんけん=疲れだる)く、腹内(ふくない)疼痛(とうつう=痛み)し、地(ち)に暈悶(うんもん=気を失い)し、覚(おぼ)えず一子(ひとりのこ)を生(う)み下(おろ)す。耳(みみ)の辺(ほとり)に人(ひと)の嘱(いいつ)けて曰(いわ)く有(あ)り、「満堂嬌(まんどうきょう)、吾(われ)が叮囑(ていしょく=申し付け)を聴(き)け。吾(われ)は乃(すなわ)ち南極星君(なんきょくせいくん)、観音菩薩(かんのんぼさつ)の法旨(ほうし)を奉(ほう)じ、特(こと)に此(こ)の子(こ)を送(おく)りて汝(なんじ)に与(あた)う、異日(いじつ)声名(せいめい)遠大(えんだい)にして、等閑(とうかん=並)に比(くら)ぶるに非(あら)ず。劉賊(りゅうぞく)若(も)し回(かえ)らば、必(かなら)ず此(こ)の子(こ)を害(そこな)わん、汝(なんじ)可(べ)く心(こころ)を用(もち)いて保護(ほご)せよ。汝(なんじ)が夫(おっと)已(すで)に龍王(りゅうおう)の相救(あいすく)うを得(え)たり、日後(にちご)夫妻(ふさい)相会(あいかい)し、子母(しぼ=母と子)団円(だんえん)し、冤(えん)を雪(すす)ぎ仇(あだ)を報(ほう)ずること日(ひ)有(あ)らん。謹(つつし)んで吾(われ)が言(げん)を記(き)せ、快(すみや)かに醒(さ)めよ快(すみや)かに醒(さ)めよ!」と。言(げん)訖(おわ)りて去(さ)る。小姐(しょうじゃ)醒(さ)め来(きた)り、句句(くく=一言一句)記(き)し得(え)、子(こ)を将(も)ちて抱(いだ)き定(さだ)めるも、計(はかりごと)を施(ほどこ)すこと無(な)し。忽然(たちま)ち劉洪(りゅうこう)回(かえ)り来(きた)り、一目(ひとめ)此(こ)の子(こ)を見(み)て、便(すなわ)ち淹(おぼら)し殺(ころ)さんと要(よう)するに、小姐(しょうじゃ)道(い)わく、「今日(こんにち)天色(てんしょく=空模様)已(すで)に晩(く)れたり、容(ゆる)して明日(みょうにち)を待(ま)ちて江(こう)の中(なか)に抛(な)げ去(さら)ん」と。幸(さいわ)いに喜(よろこ)ぶべきは次早(よくあさ)劉洪(りゅうこう)忽(たちま)ち緊急(きんきゅう)の公事(くじ)有(あ)りて遠(とお)く出(いで)しに、小姐(しょうじゃ)暗(ひそ)かに思(おも)わく、「此(こ)の子(こ)若(も)し賊人(ぞくにん)の回(かえ)り来(きた)るを待(ま)たば、性命(せいめい)休(や)まん!如(し)かざるは早(はや)きに趁(つ)けて江(こう)の中(なか)に抛棄(ほうき)し、其(そ)の生死(しょうし)を聴(ゆる=任せ)んか。倘(も)し或(あるい)は皇天(こうてん=天)の憐(あわれ)みを見(み)て、人(ひと)の救(すく)い得(う)る有(あ)りて、此(こ)の子(こ)を収養(しゅうよう)せば、他日(たじつ)に還(ま)た相(あい)逢(あ)うを得(え)ん」と。但(た)だ識認(しきにん=見分け)し難(がた)からんことを恐(おそ)れ、即(すなわ)ち手指(てゆび)を咬(か)み破(やぶ)り、血書(けっしょ=血で書いた文)一紙(ひとひら)を写(うつ)し下(くだ)し、父母(ふぼ)の姓名(せいめい)・跟脚原由(こんきゃくげんゆ=身元と由来)を、備(つぶさ)に細(こま)かに開載(かいさい=書き載す);又(また)此(こ)の子(こ)が左脚(ひだりあし)の上(うえ)の一小指(ひとつのこゆび)を、口(くち)を用(もち)いて咬(か)み下(おろ)し、以(もっ)て記験(きけん=印)と為(な)す。貼身(てんしん=肌着)の汗衫(かんさん=下着)一件(ひとえ)を取(と)り、此(こ)の子(こ)を包裹(ほうか=包み)し、空(すき)に乗(じょう=乗じ)じて衙門(がもん=役所)を抱(いだ)き出(いだ)す。幸(さいわ)いに喜(よろこ)ぶべきは官衙(かんが=役所)の江(こう)を離(はな)るること遠(とお)からざるに、小姐(しょうじゃ)江辺(こうへん)に到(いた)り、大(おお)いに一場(ひとくさ)哭(な)く。正(まさ)に抛棄(ほうき)せんと欲(ほっ)するに、忽(たちま)ち江岸(こうがん)の岸側(がんそく=岸の傍)に一片(ひとひら)の木板(もくはん)の飄(ただよ)い起(おこ)るを見(み)、小姐(しょうじゃ)即(すなわ)ち天(てん)に朝(むか)いて拜祷(はいとう=拝み祈り)、此(こ)の子(こ)を安(やすん)じて板(いた)の上(うえ)に在(あ)らしめ、帯(おび)を用(もち)いて縛(くく)り住(とど)め、血書(けっしょ)を胸(むね)の前(まえ)に系(か)け、江(こう)の中(なか)に推(お)し放(はな)ち、其(そ)の之(ゆく)所(ところ)に聴(まか)す。小姐(しょうじゃ)涙(なみだ)を含(ふく)んで衙(が)に回(かえ)るは題(だい)せず。
却(さ)て説(つ)ぐ、此(こ)の子(こ)木板(もくはん)に乗(の)りて江(こう)を流(なが)れ、金山寺(きんざんじ)の前(まえ)に漂(ただよ)い着(つ)く。寺(てら)の法明(ほうみょう)長老(ちょうろう)、早(はや)く起(お)きて経(きょう)を誦(しょう=読誦)し居(お)りしに、忽(たちま)ち江岸(こうがん)の傍(ほとり)に一片(ひとひら)の木板(もくはん)の漂(ただよ)い来(きた)り、上(うえ)に嬰児(えいじ=赤子)の哭(な)き声(ごえ)有(あ)るを聞(き)く。長老(ちょうろう)急(いそ)ぎて小僧(こぞう)を喚(よ)び、板(いた)を撈(すく)い上(あ)げしめ、見(み)れば果(はた)して一(ひと)りの孩児(がいじ=赤ん坊)なり。長老(ちょうろう)大(おお)いに喜(よろこ)び、急(いそ)ぎて衣(ころも)を解(と)きて包裹(ほうか=包み)を開(ひら)き、血書(けっしょ=血で書いた文)一紙(ひとひら)と汗衫(かんさん=肌着)一件(ひとえ)を見(み)出(いだ)す。長老(ちょうろう)読(よ)み罷(おわ)り、此(こ)の子(こ)の来歴(らいれき=いきさつ)を知(し)り、嘆(たん)じて曰(いわ)く、「此(こ)は天(てん)の我(われ)に授(さず)くる所(ところ)なり」と。即(すなわ)ち乳(ち)を乞(こ)いて養(やしな)い、江流(こうりゅう)と名(な)づく。光陰(こういん)箭(や)の如(ごと)く、覚(おぼ)えず江流(こうりゅう)年(とし)十八(じゅうはち)に満(み)ち、長老(ちょうろう)彼(かれ)をして削髪(さくはつ=剃髪)して修行(しゅぎょう)せしめ、法名(ほうみょう)を玄奘(げんじょう)と取(と)る。玄奘(げんじょう)生来(せいらい)聡明(そうめい)、経典(きょうてん)を誦(しょう)し、仏法(ぶっぽう)に通(つう)ず。
一日(あるひ)、暮春(ぼしゅん=晩春)の天気(てんき)、衆人(しゅうじん)同(とも)に松陰(しょういん=松の木陰)の下(した)に在(あ)りて、経(きょう)を講(こう)じ禅(ぜん)に参(さん)じ、奥妙(おうみょう=深い妙)を談説(だんせつ=語り合う)。那(か)の酒肉和尚(しゅにくおしょう=酒肉を食う僧)、恰(あたか)も玄奘(げんじょう)に難(なんな)じ倒(たお)さる。和尚(おしょう)大(おお)いに怒(いか)り、罵(ののし)って道(い)わく、「汝(なんじ)此(こ)の業畜(ごうちく=畜生)、姓名(せいめい)も亦(ま)た知(し)らず、父母(ふぼ)も亦(ま)た識(し)らず、還(ま)た此(ここ)に在(あ)りて甚(なに)の鬼(おに)を搗(つ)きしむるか!」と。玄奘(げんじょう)彼(かれ)に此(か)くの如(ごと)き言語(げんご)を罵(ののし)り出(いだ)され、寺(てら)に入(い)りて師父(しふ=師)に跪(ひざまず)き告(つ)げ、眼涙(がんるい)双(ふた)つながら流(なが)して曰(いわ)く、「人(ひと)天地(てんち)の間(あいだ)に生(うま)れ、陰陽(いんよう)を稟(う)けて五行(ごぎょう)に資(と)る、尽(ことごと)く父(ちち)に生(うま)れ母(はは)に養(やしな)わるるに由(よ)る、豈(あ)に人(ひと)として世(よ)に在(あ)りて父母(ふぼ)無(な)き者(もの)有(あ)らんや?」と。再三(さいさん)哀告(あいこく=嘆願)し、父母(ふぼ)の姓名(せいめい)を問(と)い求(もと)む。長老(ちょうろう)道(い)わく、「汝(なんじ)真(まこと)に父母(ふぼ)を尋(たず)ねんと要(よう)せば、我(われ)に随(したが)いて方丈(ほうじょう)の裡(うち)に到(いた)る可(べ)し」と。玄奘(げんじょう)便(すなわ)ち随(したが)いて方丈(ほうじょう)に到(いた)る。長老(ちょうろう)重梁(じゅうりょう=二重の梁)の上(うえ)に到(いた)り、一(ひと)つの小匣児(こばこ)を取(と)り下(おろ)し、開(ひら)き来(きた)りて、血書(けっしょ)一紙(ひとひら)・汗衫(かんさん)一件(ひとえ)を取(と)り出(いだ)し、玄奘(げんじょう)に付与(ふよ=与える)。玄奘(げんじょう)血書(けっしょ)を将(も)ちて拆(ひら)き開(あ)けて之(これ)を読(よ)み、才(はじ)めて備(つぶさ)に細(こま)かに父母(ふぼ)の姓名(せいめい)並(なら)びに冤仇(えんきゅう=恨み)の事迹(じせき)を暁(さと)り得(う)。玄奘(げんじょう)読(よ)み罷(おわ)り、覚(おぼ)えず地(ち)に哭(な)き倒(たお)れて曰(いわ)く、「父母(ふぼ)の仇(あだ)、報復(ほうふく)する能(あた)わず、何(なん)を以(もっ)て人(ひと)と為(な)らんや?十八年(じゅうはちねん)の来(らい)、生身(せいしん=実の)の父母(ふぼ)を識(し)らず、今日(こんにち)に至(いた)りて方(まさ)に母(はは)有(あ)るを知(し)る。此(こ)の身(み)若(も)し師父(しふ)の撈救(ろうきゅう=救い上げ)・扶養(ふよう)に非(あら)ざれば、安(いずく)んぞ今日(こんにち)有(あ)らんや?容(ゆる)して弟子(でし)の去(ゆ)きて母(はは)を尋(たず)ね見(み)ん、然(しか)る後(のち)頭(かしら)に香盆(こうぼん=香の盆)を頂(いただ)き、殿宇(でんう=堂宇)を重建(ちょうけん=建て直し)、師父(しふ)の深恩(しんおん)を報答(ほうとう=恩返し)せん」と。師父(しふ)道(い)わく、「汝(なんじ)去(ゆ)きて母(はは)を尋(たず)ねんと要(よう)せば、此(こ)の血書(けっしょ)と汗衫(かんさん)を帯(たい)して前(まえ)に去(ゆ)く可(べ)し、只(た)だ化縁(けえん=托鉢)と為(な)し、径(ただ)ちに江州(こうしゅう)の私衙(しが=役所の奥)に往(ゆ)かば、才(はじ)めて汝(なんじ)が母(はは)の相見(しょうけん)を得(え)ん」と。
玄奘(げんじょう)師父(しふ)の言語(げんご)を領(う)け、便(すなわ)ち化縁(けえん)の和尚(おしょう)と為(な)り、径(ただ)ちに江州(こうしゅう)に至(いた)る。適値(たまたま)劉洪(りゅうこう)事(こと)有(あ)りて外(そと)に出(い)でしに、亦(ま)た是(こ)れ天(てん)の彼(かれ)をして母子(ぼし)相会(しょうかい)せしむるなり。玄奘(げんじょう)便(すなわ)ち直(ただ)ちに私衙(しが)の門口(もんこう)に至(いた)りて抄化(しょうけ=托鉢して唱える)。那(か)の殷小姐(いんしょうじゃ)、原来(もと)夜間(やかん)一夢(ひとゆめ)を得(え)て、月(つき)の欠(か)けて再(ふたた)び円(まる)きを夢(ゆめ)み、暗(ひそ)かに想(おも)わく、「我(わ)が婆婆(ばば=姑)音信(いんしん=便り)を知(し)らず、我(わ)が夫(おっと)は此(こ)の賊(ぞく)に謀殺(ぼうさつ)せられ、我(わ)が子(こ)は江(こう)の中(なか)に抛(な)げられしが、倘(も)し或(あるい)は人(ひと)の収養(しゅうよう)する有(あ)らば、算(かぞ)うるに已(すで)に十八歳(じゅうはっさい)有(あ)らん、或(あるい)は今日(こんにち)天(てん)の相会(しょうかい)せしむるも亦(ま)た未(いま)だ知(し)る可(べ)からず」と。正(まさ)に沉吟(ちんぎん=思案)の間(あいだ)、忽(たちま)ち私衙(しが)の前(まえ)に人(ひと)の経(きょう)を念(ねん)じ、連(つづ)けて「抄化(しょうけ)」と叫(よ)ぶを聞(き)く。小姐(しょうじゃ)又(また)便(ついで)に乗(じょう)じて出(い)で来(きた)りて問(と)うて道(い)わく、「汝(なんじ)は何(いず)れの処(ところ)より来(きた)れるか?」と。玄奘(げんじょう)答(こた)えて道(い)わく、「貧僧(ひんそう=拙僧)は乃(すなわ)ち金山寺(きんざんじ)法明(ほうみょう)長老(ちょうろう)の徒弟(とてい=弟子)なり」と。小姐(しょうじゃ)道(い)わく、「汝(なんじ)既(すで)に金山寺(きんざんじ)長老(ちょうろう)の徒弟(とてい)ならば——」と、衙(が)の裡(うち)に進(すす)み来(きた)らしめ、斎飯(さいはん=精進料理)を将(も)ちて玄奘(げんじょう)に与(あた)えて食(くら)わしむ。仔細(しさい=詳しく)に其(そ)の挙止(きょし=立ち居振る舞い)・言談(げんだん=話しぶり)を看(み)るに、好(あたか)しく夫(おっと)と一般(いっぱん=同じ)なり。小姐(しょうじゃ)従婢(じゅうひ=侍女)を将(も)ちて打(う)ち発(はな)し開(ひら)き去(さらし)め、問(と)うて道(い)わく、「汝(なんじ)此(こ)の小師父(しょうしふ)、還(ま)た是(こ)れ自幼(じよう=幼少より)出家(しゅっけ)せるか?還(ま)た是(こ)れ中年(ちゅうねん)出家(しゅっけ)せるか?姓(せい)は甚(なに)と名(な)づけ、誰(たれ)と称(しょう)す。父母(ふぼ)有(あ)るや否(いな)や?」と。玄奘(げんじょう)答(こた)えて道(い)わく、「我(われ)も亦(ま)た自幼(じよう)出家(しゅっけ)に非(あら)ず、我(われ)も亦(ま)た中年(ちゅうねん)出家(しゅっけ)に非(あら)ず、我(われ)説(と)き起(お)こさば、冤(えん)は天(てん)より来(きた)るが如(ごと)く大(だい)に、仇(あだ)は海(うみ)の様(よう)に深(ふか)し!我(わ)が父(ちち)は人(ひと)に謀(はか)り殺(ころ)され、我(わ)が母(はは)は賊人(ぞくにん)に占(せん=奪い取)られて妻(つま)と為(な)れり。我(わ)が師父(しふ)法明(ほうみょう)長老(ちょうろう)、我(われ)をして江州(こうしゅう)衙内(がない=役所の中)に在(あ)りて母(はは)を尋(たず)ね取(と)らしむ」と。小姐(しょうじゃ)問(と)うて道(い)わく、「汝(なんじ)が母(はは)姓(せい)は甚(なに)か?」と。玄奘(げんじょう)道(い)わく、「我(わ)が母(はは)は殷(いん)と姓(せい)とし、名(な)を温嬌(おんきょう)と喚(よ)び、我(わ)が父(ちち)は陳(ちん)と姓(せい)とし名(な)を光蕊(こうずい)と為(な)し、我(わ)が小名(しょうみょう=幼名)を江流(こうりゅう)と叫(よ)び、法名(ほうみょう)を取(と)りて玄奘(げんじょう)と為(な)す」と。小姐(しょうじゃ)道(い)わく、「温嬌(おんきょう)は就(すなわ)ち是(こ)れ我(われ)なり。但(た)だ汝(なんじ)今(いま)何(なん)の憑拠(ひょうきょ=証拠)有(あ)るか?」と。玄奘(げんじょう)是(こ)れ他(かれ)が母(はは)なるを聴(き)き、双膝(そうしつ=両膝)を跪(ひざまず)き下(おろ)し、哀哀(あいあい=痛ましく)と大(おお)いに哭(な)いて曰(いわ)く、「我(わ)が娘(はは)若(も)し信(しん)ぜざれば、血書(けっしょ)・汗衫(かんさん)の証(あかし)と為(な)る有(あ)り!」と。温嬌(おんきょう)取(と)り過(よ)ぎて一(ひと)たび看(み)るに、果然(かぜん=果たして)是(こ)れ真(しん)なり。母子(ぼし)相(あい)抱(いだ)きて哭(な)き、便(すなわ)ち叫(よ)んで曰(いわ)く、「我(わ)が児(こ)、快(すみや)かに去(い)ね!」と。玄奘(げんじょう)道(い)わく、「十八年(じゅうはちねん)生身(せいしん)の父母(ふぼ)を識(し)らざりしに、今朝(けさ)才(はじ)めて母(はは)に見(まみ)ゆ、孩児(がいじ=この子)をして如何(いか)んぞ割捨(かっしゃ=思い切り)せしめんや?」と。小姐(しょうじゃ)道(い)わく、「我(わ)が児(こ)、汝(なんじ)火速(かそく=大急ぎ)に身(み)を抽(ぬき)んで前(まえ)に去(い)ね!劉賊(りゅうぞく)若(も)し回(かえ)らば、彼(かれ)必(かなら)ず汝(なんじ)が性命(せいめい)を害(そこな)わん!我(われ)明日(みょうにち)仮(かり)に一病(ひとやまい)を装(よそお)い、只(た)だ先年(せんねん=以前)曾(かつ)て百双(ひゃくそう=百足)の僧鞋(そうあい=僧の靴)を舎(ほどこ)さんと許(ちか)いしと説(と)き、汝(なんじ)が寺(てら)に来(きた)りて願(がん)を還(かえ)さん。那(そ)の時節(じせつ)、我(われ)話(はなし)の汝(なんじ)と説(と)く有(あ)らん」と。玄奘(げんじょう)言(げん)に依(よ)りて拝別(はいべつ)す。
却(さ)て説(つ)ぐ、小姐(しょうじゃ)子(こ)を見(み)し後(のち)より、心内(しんない)一憂(ひとゆう)一喜(ひとよし)、忽(たちま)ち一日(あるひ)病(やまい)を推(お)し、茶飯(さはん=食事)も食(くら)わず、床(とこ)の上(うえ)に臥(ふ)す。劉洪(りゅうこう)衙(が)に帰(かえ)り、其(そ)の原故(げんこ=わけ)を問(と)う。小姐(しょうじゃ)道(い)わく、「我(われ)幼(おさな)き時(とき)曾(かつ)て一願(ひとがん)を許(ちか)い下(くだ)し、僧鞋(そうあい)一百双(ひゃくそう)を舎(ほどこ)さんと許(ちか)えり。昨(きのう)五日(いつか)の前(まえ)、箇(ひと)りの和尚(おしょう)の手(て)に利刃(りじん=鋭い刃)を執(と)り、僧鞋(そうあい)を索(もと)めんと要(よう)するを夢(ゆめ)み、便(すなわ)ち身(み)の快(こころよ)からざるを覚(おぼ)ゆ」と。劉洪(りゅうこう)道(い)わく、「此(こ)れ些(ささ)やかなる小事(しょうじ)、何(なん)ぞ早(はや)く説(い)わざる」と。随(したが)いて堂(どう)に升(のぼ)り、王左衙(おうさが=王左役)・李右衙(りゆうが=李右役)に吩咐(ふんふ=命じ)して曰(いわ)く、「江州(こうしゅう)城内(じょうない)の百姓(ひゃくせい)、毎家(ごけ=各家)僧鞋(そうあい)一双(ひとく)を弁(ととの)う可(べ)く、五日(いつか)の内(うち)に完納(かんのう)を限(かぎ)る」と。
百姓(ひゃくせい)俱(みな)派(はい=割当)に依(よ)りて完納(かんのう)し訖(おわ)る。小姐(しょうじゃ)劉洪(りゅうこう)に対(むか)いて道(い)わく、「僧鞋(そうあい)已(すで)に做(つく)り完(おわ)りぬ。此(ここ)に甚(なに)の寺院(じいん)有(あ)りて、好(よ)く願(がん)を還(かえ)しに去(ゆ)く可(べ)きか?」と。劉洪(りゅうこう)道(い)わく、「此(こ)の江州(こうしゅう)に箇(ひと)つの金山寺(きんざんじ)・焦山寺(しょうざんじ)有(あ)り、汝(なんじ)の那(いず)れの寺(てら)に去(ゆ)くを聴(ゆる)す」と。小姐(しょうじゃ)道(い)わく、「久(ひさ)しく金山寺(きんざんじ)の好(よ)き箇(ひと)の寺院(じいん)なるを聞(き)けり、我(われ)便(すなわ)ち金山寺(きんざんじ)に往(ゆ)かん」と。劉洪(りゅうこう)即(すなわ)ち王(おう)・李(り)の二衙(にが=二人の役人)を喚(よ)び、船(ふね)を弁(ととの)え下(おろ)さしむ。小姐(しょうじゃ)心腹(しんぷく=腹心)の人(ひと)を帯(たい)し、同(とも)に船(ふね)に上(のぼ)る。稍水(そうすい=船頭)船(ふね)を撐(さ)し開(ひら)き、便(すなわ)ち金山寺(きんざんじ)に投(とう)じて去(ゆ)く。
却(さ)て説(つ)ぐ、玄奘(げんじょう)寺(てら)に回(かえ)り、法明(ほうみょう)長老(ちょうろう)に見(まみ)え、前項(ぜんこう=先の件)を説(と)き了(おわ)る。長老(ちょうろう)甚(はなは)だ喜(よろこ)ぶ。次日(よくじつ)、只(た)だ一(ひと)りの丫鬟(あかん=侍女)の先(さき)に到(いた)り、夫人(ふじん)の寺(てら)に来(きた)りて願(がん)を還(かえ)すと説(い)うを見(み)る。衆僧(しゅうそう)都(みな)寺(てら)を出(い)でて迎接(げいせつ)す。小姐(しょうじゃ)径(ただ)ちに寺門(じもん)に進(すす)み、菩薩(ぼさつ)を参(さん)し、大(おお)いに斎襯(さいしん=供物)を設(もう)け、丫鬟(あかん)を喚(よ)びて僧鞋(そうあい)・暑袜(しょべつ=夏の足袋)を将(も)ち、盤(ばん)の内(うち)に托(たく=載せ)さしむ。法堂(ほうどう)に来(きた)り到(いた)り、小姐(しょうじゃ)復(また)心香(しんこう=心の香)を拈(ひね)りて礼拝(らいはい)し、便(すなわ)ち法明(ほうみょう)長老(ちょうろう)をして分俵(ぶんぴょう=配分)して衆僧(しゅうそう)に与(あた)え訖(おわ)らしむ。玄奘(げんじょう)衆僧(しゅうそう)の散(さん)じ、法堂(ほうどう)の上(うえ)に更(さら)に一人(ひとり)も無(な)きを見(み)、彼(かれ)却(かえっ)て近(ちか)く前(まえ)に跪(ひざまず)き下(おろ)る。小姐(しょうじゃ)彼(かれ)をして鞋袜(あいべつ=靴下)を脱(ぬ)がしめて看(み)しむるに、那(か)の左脚(ひだりあし)の上(うえ)に果然(かぜん)一(ひと)つの小指頭(こゆび)を少(か)きを看(み)る。当時(そのとき)両(ふた)り又(また)抱(いだ)き住(とど)めて哭(な)き、長老(ちょうろう)の養育(よういく)の恩(おん)を拝謝(はいしゃ)す。法明(ほうみょう)道(い)わく、「汝(なんじ)今(いま)母子(ぼし)相会(しょうかい)す、奸賊(かんぞく)の之(これ)を知(し)るを恐(おそ)る、速(すみや)かに速(すみや)かに身(み)を抽(ぬき)んで回(かえ)り去(さら)ば、庶(ねがわ)くば其(そ)の禍(わざわい)を免(まぬが)れん」と。小姐(しょうじゃ)道(い)わく、「我(わ)が児(こ)、我(われ)汝(なんじ)に一隻(ひとつ)の香環(こうかん=香りの環)を与(あた)う。汝(なんじ)径(ただ)ちに洪州(こうしゅう)西北(せいほく)の地方(ちほう)に到(いた)れ、約(およ)そ一千五百里(せんごひゃくり)の程(ほど)有(あ)り、那(かしこ)に箇(ひと)つの万花店(ばんかてん)有(あ)り、当時(そのかみ)婆婆(ばば)張氏(ちょうし)を那(かしこ)に留(とど)め置(お)けり、是(こ)れ汝(なんじ)が父(ちち)の生身(せいしん)の母(はは)なり。我(われ)又(また)一封(ひとふう)の書(ふみ)を写(うつ)して汝(なんじ)に与(あた)う、径(ただ)ちに唐王(とうおう)の皇城(こうじょう)の内(うち)、金殿(きんでん)の左辺(さへん=左側)に到(いた)れ、殷開山(いんかいざん)丞相(じょうしょう)の家(いえ)は、是(こ)れ汝(なんじ)が母(はは)の生身(せいしん)の父母(ふぼ)なり。汝(なんじ)我(わ)が書(ふみ)を将(も)ちて外公(がいこう=母方の祖父)に逓(わた)し、外公(がいこう)をして唐王(とうおう)に奏上(そうじょう)せしめ、人馬(じんば)を統領(とうりょう)し、此(こ)の賊(ぞく)を擒(とら)え殺(ころ)して、父(ちち)の為(ため)に仇(あだ)を報(ほう)ぜば、那(そ)の時(とき)才(はじ)めて老娘(ろうじょう=この母)の身(み)を救(すく)い出(いだ)すを得(え)ん。我(われ)今(いま)敢(あえ)て久(ひさ)しく停(とどま)らず、誠(まこと)に賊漢(ぞくかん=賊)の我(われ)が帰(かえ)るの遅(おそ)きを怪(あやし)まんことを恐(おそ)る」と。便(すなわ)ち寺(てら)を出(い)で舟(ふね)に登(のぼ)りて去(さ)る。
玄奘(げんじょう)哭(な)きて寺(てら)の中(なか)に回(かえ)り、師父(しふ)に告(つ)げ過(おわ)り、即時(そくじ)に拝別(はいべつ)し、径(ただ)ちに洪州(こうしゅう)に往(ゆ)く。万花店(ばんかてん)に来(きた)り到(いた)り、那(か)の店主(てんしゅ)劉小二(りゅうしょうじ)に問(と)うて道(い)わく、「昔年(せきねん=以前)江州(こうしゅう)の陳客官(ちんかっかん=陳の客)一(ひと)りの母(はは)の汝(なんじ)が店(みせ)の中(なか)に住(す)みし有(あ)り、如今(いま)好(よ)きか?」と。劉小二(りゅうしょうじ)道(い)わく、「他(かれ)原(もと)我(わ)が店(みせ)の中(なか)に在(あ)りき。後(のち)眼(め)を昏(くら)まし、三四年(さんよねん)並(なら)びに店租(てんそ=店賃)の我(われ)に還(かえ)す無(な)く、如今(いま)南門頭(なんもんとう=南門のあたり)の箇(ひと)つの破瓦窯(はがよう=壊れた瓦窯)の裡(うち)に在(あ)り、毎日(まいにち)街(まち)に上(のぼ)りて叫化(きょうけ=物乞い)して日(ひ)を度(わた)る。那(か)の客官(かっかん)一(ひと)たび去(さ)りてより許久(あまた)し、如今(いま)に到(いた)るまで杳(よう)として信息(しんそく=便り)無(な)く、何(なん)の為(ため)かを知(し)らず」と。玄奘(げんじょう)聴(き)き罷(おわ)り、即時(そくじ)に問(と)いて南門頭(なんもんとう)の破瓦窯(はがよう)に到(いた)り、婆婆(ばば)を尋(たず)ね着(あて)る。婆婆(ばば)道(い)わく、「汝(なんじ)が声(こえ)好(あたか)しく我(わ)が児(こ)陳光蕊(ちんこうずい)に似(に)たり」と。玄奘(げんじょう)道(い)わく、「我(われ)は陳光蕊(ちんこうずい)に非(あら)ず、我(われ)は陳光蕊(ちんこうずい)の子(こ)なり。温嬌(おんきょう)小姐(しょうじゃ)は是(こ)れ我(わ)が娘(はは)なり」と。婆婆(ばば)道(い)わく、「汝(なんじ)が爹娘(ふぼ=父母)如何(いかん)ぞ来(きた)らざる?」と。玄奘(げんじょう)道(い)わく、「我(わ)が爹爹(ちち)は強盗(ごうとう)に打(う)ち殺(ころ)され、我(わ)が娘(はは)は強盗(ごうとう)に霸占(はせん=奪い占め)られて妻(つま)と為(な)れり」と。婆婆(ばば)道(い)わく、「汝(なんじ)如何(いか)にして我(われ)を尋(たず)ね来(きた)るを暁(さと)れるか?」と。玄奘(げんじょう)道(い)わく、「是(こ)れ我(わ)が娘(はは)の我(われ)をして婆婆(ばば)を尋(たず)ね来(きた)らしむるなり。我(わ)が娘(はは)書(ふみ)の此(ここ)に在(あ)る有(あ)り、又(また)香環(こうかん)一隻(ひとつ)有(あ)り」と。那(か)の婆婆(ばば)書(ふみ)と香環(こうかん)を接(う)け取(と)り、声(こえ)を放(はな)って痛(いた)く哭(な)いて曰(いわ)く、「我(わ)が児(こ)功名(こうみょう)の為(ため)に此(ここ)に到(いた)り、我(われ)只(た)だ他(かれ)の義(ぎ)に背(そむ)き恩(おん)を忘(わす)れたりと道(おも)いしに、那(なん)ぞ知(し)らん他(かれ)人(ひと)に謀(はか)り殺(ころ)されんとは!且(しばら)く喜(よろこ)ぶべきは皇天(こうてん)の憐(あわれ)み念(おも)い、我(わ)が児(こ)の後(のち)を絶(た)たず、今日(こんにち)還(ま)た孫(まご)の我(われ)を尋(たず)ね来(きた)る有(あ)るを」と。玄奘(げんじょう)問(と)うて曰(いわ)く、「婆婆(ばば)の眼(め)、如何(いか)にして都(みな)昏(くら)みたるか?」と。婆婆(ばば)道(い)わく、「我(われ)汝(なんじ)が父(ちち)を思量(しりょう=思い)に因(よ)り、終日(ひねもす)懸望(けんぼう=待ちわび)、他(かれ)の来(きた)るを見(み)ず、此(こ)れに因(よ)って両眼(りょうがん)都(みな)哭(な)きて昏(くら)み了(おわ)る」と。玄奘(げんじょう)便(すなわ)ち倒(たお)れ跪(ひざまず)きて天(てん)に向(むか)いて祷告(とうこく)して曰(いわ)く、「玄奘(げんじょう)一十八歳(じゅうはっさい)、父母(ふぼ)の仇(あだ)報復(ほうふく)する能(あた)わず。今日(こんにち)母命(ぼめい=母の命)を領(う)けて婆婆(ばば)を尋(たず)ね来(きた)るを念(おも)え。天(てん)若(も)し弟子(でし)の誠意(せいい)を憐(あわれ)み鑑(かんが)みば、我(わ)が婆婆(ばば)の双眼(そうがん)の復明(ふくめい)を保(たも)て!」と。祝(いの)り罷(おわ)り、便(すなわ)ち舌先(したさき)を将(も)ちて婆婆(ばば)の眼(め)を舔(ねぶ)る。須臾(しばらく)の間(あいだ)に、双眼(そうがん)舔(ねぶ)り開(ひら)き、仍(な)お初(はじめ)の如(ごと)く復(かえ)る。婆婆(ばば)小和尚(こおしょう)を覷(み)て道(い)わく、「汝(なんじ)果(はた)して是(こ)れ我(わ)が孫(まご)なり!恰(あたか)も我(わ)が子(こ)光蕊(こうずい)の形容(けいよう=姿)と無二(むに=同じ)なり!」と。婆婆(ばば)又(また)喜(よろこ)び又(また)悲(かなし)む。玄奘(げんじょう)便(すなわ)ち婆婆(ばば)を領(ひき)いて窯門(ようもん)を出(い)で、還(ま)た劉小二(りゅうしょうじ)の店(みせ)の内(うち)に到(いた)り、些(いささ)かの房銭(ぼうせん=家賃)を将(も)ちて屋(いえ)一間(ひとま)を賃(か)りて婆婆(ばば)と栖身(せいしん=身を寄せる)す;又(また)盤纏(ばんてん=路銀)を将(も)ちて婆婆(ばば)に与(あた)えて道(い)わく、「我(われ)此(こ)れより去(ゆ)きて只(た)だ月余(げつよ=一月余)にして便(すなわ)ち回(かえ)らん」と。
随即(すなわ)ち婆婆(ばば)に辞(じ)し、径(ただ)ちに京城(けいじょう)に往(ゆ)く。皇城(こうじょう)東街(とうがい)の殷丞相(いんじょうしょう)府上(ふじょう=屋敷)を尋(たず)ね着(あて)、門上(もんじょう=門番)の人(ひと)と道(い)わく、「小僧(こそう)は是(こ)れ親戚(しんせき)なり、相公(そうこう=旦那)を探(たず)ね来(きた)る」と。門上(もんじょう)の人(ひと)丞相(じょうしょう)に稟(ひん=申し)げ知(し)らしむ。丞相(じょうしょう)道(い)わく、「我(われ)和尚(おしょう)と並(なみ)に親眷(しんけん=親族)無(な)し」と。夫人(ふじん)道(い)わく、「我(われ)昨夜(さくや)我(わ)が娘(むすめ)満堂嬌(まんどうきょう)の家(いえ)に来(きた)るを夢(ゆめ)みしは、莫(も)し是(こ)れ婿(むこ)の書信(しょしん=手紙)の回(かえ)り来(きた)る有(あ)るか」と。丞相(じょうしょう)便(すなわ)ち小和尚(こおしょう)を請(しょう)じて庁(ひろま)の上(うえ)に来(きた)らしむ。小和尚(こおしょう)丞相(じょうしょう)と夫人(ふじん)に見(まみ)え、地(ち)に哭(な)き拝(はい)し、便(すなわ)ち懐中(かいちゅう)より一封(ひとふう)の書(ふみ)を取(と)り出(いだ)し、丞相(じょうしょう)に逓(わた)す。丞相(じょうしょう)拆(ひら)き開(あ)け、頭(はじめ)より読(よ)み罷(おわ)り、声(こえ)を放(はな)って痛(いた)く哭(な)く。夫人(ふじん)問(と)うて道(い)わく、「相公(そうこう)、何(なん)の事故(じこ)有(あ)るか?」と。丞相(じょうしょう)道(い)わく、「此(こ)の和尚(おしょう)は是(こ)れ我(われ)と汝(なんじ)が外甥(がいせい=孫)なり。婿(むこ)の陳光蕊(ちんこうずい)は賊(ぞく)に謀(はか)り殺(ころ)され、満堂嬌(まんどうきょう)は賊(ぞく)に強(し)いて占(せん)められて妻(つま)と為(な)れり」と。夫人(ふじん)聴(き)き罷(おわ)り、亦(ま)た痛哭(つうこく)して止(や)まず。丞相(じょうしょう)道(い)わく、「夫人(ふじん)休(や)めて煩悩(はんのう=悩み)を得(う)るな、来朝(みょうちょう=明朝)主上(しゅじょう=帝)に奏(そう)じ知(し)らせ、親(みずか)ら兵(へい)を統(す)べ、定(かなら)ず女婿(じょせい=婿)と仇(あだ)を報(ほう)ぜんと要(よう)す」と。
次日(よくじつ)、丞相(じょうしょう)朝(ちょう)に入(い)り、唐王(とうおう)に啓奏(けいそう)して曰(いわ)く、「今(いま)臣(しん)が婿(むこ)状元(じょうげん)陳光蕊(ちんこうずい)有(あ)り、家小(かしょう=家族)を帯(たい)し江州(こうしゅう)に任(にん)に赴(おもむ)きしが、稍水(そうすい)劉洪(りゅうこう)に打(う)ち殺(ころ)され、女(むすめ)を占(せん)めて妻(つま)と為(な)し、臣(しん)が婿(むこ)に假冒(かもう=成り済まし)、官(かん)を為(な)すこと多年(たねん)、事(こと)異変(いへん)に属(ぞく)す。乞(こ)う、陛下(へいか)立(ただ)ちどころに人馬(じんば)を発(はっ)し、賊寇(ぞくこう=賊)を剿除(そうじょ=討伐)せられんことを」と。唐王(とうおう)奏(そう)を見(み)て大(おお)いに怒(いか)り、便(すなわ)ち御林軍(ごりんぐん)六万(ろくまん)を発(はっ)し、殷丞相(いんじょうしょう)をして兵(へい)を督(とく=統率)して前(まえ)に去(ゆ)かしむ。丞相(じょうしょう)旨(し)を領(う)けて朝(ちょう)を出(い)で、即(すなわ)ち教場(きょうじょう=練兵場)の内(うち)に往(ゆ)きて兵(へい)を点(てん=点呼)し、径(ただ)ちに江州(こうしゅう)に向(むか)って進発(しんぱつ)す。暁(あかつき)に行(ゆ)き夜(よる)宿(しゅく)し、星(ほし)落(お)ち鳥(とり)飛(と)ぶ。覚(おぼ)えず已(すで)に江州(こうしゅう)に到(いた)る。殷丞相(いんじょうしょう)の兵馬(へいば)、俱(みな)北岸(きたぎし)に在(あ)りて営寨(えいさい=陣営)を下(おろ)す。星夜(せいや=夜を徹し)金牌(きんぱい)下戸(かこ=使い)を令(れい)じて江州(こうしゅう)の同知(どうち=副知事)・州判(しゅうはん=判官)の二人(ふたり)を喚(よ)び到(いた)らしめ、丞相(じょうしょう)彼(かれ)らに対(むか)いて此(こ)の事(こと)を説(と)き知(し)らせ、彼(かれ)らをして兵(へい)を提(ひっさ)げて相(あい)助(たす)け、一同(いちどう)に江(こう)を過(わた)って去(ゆ)かしむ。天(てん)未(いま)だ明(あき)らかならざるに、便(すなわ)ち劉洪(りゅうこう)が衙門(がもん)を囲(かこ)み了(おわ)る。劉洪(りゅうこう)正(まさ)に夢(ゆめ)の中(なか)に在(あ)り、火炮(かほう=大砲)一響(いっきょう)・金鼓(きんこ=鉦と太鼓)斉(ひと)しく鳴(な)るを聴(き)き、衆兵(しゅうへい)私衙(しが)に殺(さっ)し入(い)るに、劉洪(りゅうこう)措手(そしゅ=手を施す)及(およ)ばず、早(はや)くも擒(とら)え住(とど)めらる。丞相(じょうしょう)軍令(ぐんれい)を伝(つた)え下(くだ)し、劉洪(りゅうこう)一干(いっかん=一味)の人犯(にんぱん=罪人)を法場(ほうじょう=処刑場)に縛(ばく)し赴(おもむ)かせ、衆軍(しゅうぐん)をして俱(みな)城外(じょうがい)に在(あ)りて営(えい)を安(やすん)ぜしめて去(さら)しむ。
丞相(じょうしょう)直(ただ)ちに衙内(がない)の正庁(せいちょう=正面の間)に入(い)りて坐(ざ)し、小姐(しょうじゃ)を請(しょう)じて出(い)で来(きた)りて相見(しょうけん)す。小姐(しょうじゃ)出(い)でんと欲(ほっ)するも、父(ちち)に見(まみ)ゆるを羞(は)じ、便(すなわ)ち自(みずか)ら縊(くび)れんとす。玄奘(げんじょう)之(これ)を聞(き)き知(し)り、急急(いそい)に母(はは)を将(も)ちて解(と)き救(すく)い、双膝(そうしつ)を跪(ひざまず)き下(おろ)し、母(はは)に対(むか)いて道(い)わく、「児(こ)と外公(がいこう)と、兵(へい)を統(す)べて此(ここ)に至(いた)り、父(ちち)の為(ため)に仇(あだ)を報(ほう)ず。今日(こんにち)賊(ぞく)已(すで)に擒捉(きんぞく=捕縛)せらるるに、母(はは)何(なん)の故(ゆえ)にか反(かえっ)て死(し)を尋(たず)ねんと要(よう)する?母(はは)若(も)し死(し)せば、孩児(がいじ)豈(あ)に能(よ)く存(そん)せんや?」と。丞相(じょうしょう)亦(ま)た衙(が)に進(すす)みて勧解(かんかい=なだめ)す。
小姐(しょうじゃ)道(い)わく、「吾(われ)聞(き)けり、婦人(ふじん)は一(ひと)に従(したが)いて終(おわ)ると。痛(いた)き哉(かな)、夫(おっと)已(すで)に賊人(ぞくにん)の殺(ころ)す所(ところ)と為(な)れるに、豈(あ)に靦顔(てんがん=厚かましい顔)して賊(ぞく)に従(したが)う可(べ)けんや?止(た)だ遺腹(いふく=遺腹の子)の身(み)に在(あ)るに因(よ)り、只(た)だ恥(はじ)を忍(しの)びて偷生(とうせい=苟くも生きる)を得(う)るのみ。今(いま)幸(さいわ)いに児(こ)已(すで)に長大(ちょうだい)し、又(また)老父(ろうふ)の兵(へい)を提(ひっさ)げて仇(あだ)を報(ほう)ずるを見(み)る、女(むすめ)と為(な)る者(もの)、何(なん)の面目(めんもく=顔)の相見(しょうけん)する有(あ)らん!惟(た)だ一死(いっし)有(あ)るのみ、以(もっ)て夫(おっと)に報(ほう)ぜん」と。
丞相(じょうしょう)道(い)わく、「此(こ)れ我(わ)が児(こ)の盛衰(せいすい)を以(もっ)て節(せつ)を改(あらた)むるに非(あら)ず、皆(みな)已(や)むことを得(え)ざるに出(い)づるに因(よ)る、何(なん)ぞ恥(はじ)と為(な)るを得(え)んや!」と。
父子(ふし)相(あい)抱(いだ)きて哭(な)き、玄奘(げんじょう)亦(ま)た哀哀(あいあい)として止(や)まず。丞相(じょうしょう)涙(なみだ)を拭(ぬぐ)いて道(い)わく、「汝(なんじ)二人(ふたり)且(しばら)く煩悩(はんのう)を休(や)めよ、我(われ)今(いま)已(すで)に仇賊(きゅうぞく)を擒捉(きんぞく)せり、且(しばら)く去(ゆ)きて発落(はつらく=処分)し来(きた)らん」と。即(すなわ)ち身(み)を起(おこ)して法場(ほうじょう)に到(いた)るに、恰好(あたか)も江州(こうしゅう)の同知(どうち)亦(ま)た哨兵(しょうへい)を差(さし)し向(む)けて水賊(すいぞく)李彪(りひょう)を拿獲(なかく=捕らえ)し解(つれ)し到(いた)る。丞相(じょうしょう)大(おお)いに喜(よろこ)び、便(すなわ)ち軍牢(ぐんろう=獄卒)をして劉洪(りゅうこう)・李彪(りひょう)を押(お)し過(よ)ぎらせ、每人(めいじん=各人)痛(いた)く一百(ひゃく)の大棍(だいこん=太い棒)を打(う)たしめ、供状(きょうじょう=自白書)を取(と)り、先年(せんねん)陳光蕊(ちんこうずい)を謀(はか)り殺(ころ)せし情由(じょうゆ=事情)を招(しょう=白状)さしむ。先(ま)ず李彪(りひょう)を木驢(もくろ=木の驢馬)の上(うえ)に釘(くぎ)付(づ)け、市曹(しそう=市場)に推(お)し去(ゆ)き、千刀(せんとう=千の刀)に剮(かい=切り刻み)し、首(くび)を梟(きょう=晒し首)し示衆(ししゅう=衆に見せしめ)し訖(おわ)る;劉洪(りゅうこう)を将(も)ちて洪江渡口(こうこうとこう)先年(せんねん)陳光蕊(ちんこうずい)を打(う)ち殺(ころ)せし処(ところ)に拿(つれ)て到(いた)り、丞相(じょうしょう)小姐(しょうじゃ)・玄奘(げんじょう)と、三人(みたり)親(みずか)ら江辺(こうへん)に到(いた)り、空(くう=天)を望(のぞ)んで祭奠(さいてん=供養)し、活(い)きながら劉洪(りゅうこう)の心肝(しんかん=心臓と肝)を剜(えぐ)り取(と)り、光蕊(こうずい)を祭(まつ)り、祭文(さいぶん)一道(ひとつ)を焼(や)く。
三人(みたり)江(こう)を望(のぞ)んで痛(いた)く哭(な)くに、早(はや)くも已(すで)に水府(すいふ=竜宮)を驚動(きょうどう)せり。巡海(じゅんかい)の夜叉(やしゃ)有(あ)り、祭文(さいぶん)を将(も)ちて龍王(りゅうおう)に呈(てい=差し出)す。龍王(りゅうおう)看(み)ること罷(おわ)り、便(すなわ)ち鱉元帥(べつげんすい=鼈の将軍)を差(さし)し向(む)けて光蕊(こうずい)を請(しょう)じ来(きた)らしめ、道(い)わく、「先生(せんせい)、恭喜(きょうき=おめでとう)!恭喜(きょうき)!今(いま)先生(せんせい)の夫人(ふじん)・公子(こうし=若君)・岳丈(がくじょう=義父)有(あ)り、俱(みな)江辺(こうへん)に在(あ)りて汝(なんじ)を祭(まつ)る、我(われ)今(いま)汝(なんじ)を送(おく)りて還魂(げんこん=生き返り)し去(ゆ)かんとす。再(また)如意珠(にょいじゅ)一顆(ひとつ)・走盤珠(そうばんじゅ=転がる珠)二顆(ふたつ)・鮫綃(こうしょう=鮫の絹)十端(じったん)・明珠玉帯(めいしゅぎょくたい)一条(ひとすじ)有(あ)り、奉送(ほうそう=贈呈)す。汝(なんじ)今日(こんにち)便(すなわ)ち夫妻(ふさい)・子母(しぼ)相会(しょうかい)する可(べ)し」と。光蕊(こうずい)再三(さいさん)拝謝(はいしゃ)す。龍王(りゅうおう)便(すなわ)ち夜叉(やしゃ)をして光蕊(こうずい)が身屍(しんし=死体)を将(も)ちて江口(こうこう)より送(おく)り出(いだ)して還魂(げんこん)せしめ、夜叉(やしゃ)命(めい)を領(う)けて去(ゆ)く。
却(さ)て説(つ)ぐ、殷小姐(いんしょうじゃ)夫(おっと)を哭(な)き奠(まつ)ること一場(ひとくさ)り、又(また)身(み)を将(も)ちて水(みず)に赴(おもむ)きて死(し)なんと欲(ほっ)す。慌(あわ)て得(て)玄奘(げんじょう)命(いのち)を拚(か)けて扯(ひ)き住(とど)む。正(まさ)に倉皇(そうこう=慌ただし)の際(さい)に、忽(たちま)ち水面上(すいめんじょう)に一(ひと)つの死屍(しし)の浮(う)かび来(きた)り、江岸(こうがん)の旁(ほとり)に近(ちか)づくを見(み)る。小姐(しょうじゃ)忙(いそ)ぎて前(まえ)に向(むか)いて認(みと)め看(み)るに、夫(おっと)の屍首(ししゅ=死体)なるを認(みと)め得(え)、一発(いっそう)嚎啕(ごうとう=声を上げ)して大哭(だいこく)して已(や)まず。衆人(しゅうじん)俱(みな)来(きた)りて観(み)る。只(た)だ光蕊(こうずい)の拳(こぶし)を舒(の)べ脚(あし)を伸(の)ばし、身子(しんし=体)漸漸(ぜんぜん)と展動(てんどう=動き)し、忽(たちま)ち地(ち)に爬(は)い起(お)き来(きた)りて坐(ざ)するを見(み)る。衆人(しゅうじん)驚駭(きょうがい=驚き)に勝(た)えず。光蕊(こうずい)眼(め)を睜(ひら)き、早(はや)くも殷小姐(いんしょうじゃ)と丈人(じょうじん=義父)殷丞相(いんじょうしょう)・小和尚(こおしょう)の同(とも)に身辺(しんぺん)に在(あ)りて啼哭(ていこく=泣く)するを見(み)る。光蕊(こうずい)道(い)わく、「汝(なんじ)ら為何(なにゆえ)に此(ここ)に在(あ)るか?」と。小姐(しょうじゃ)道(い)わく、「汝(なんじ)賊人(ぞくにん)に打(う)ち殺(ころ)されしに因(よ)り、後(のち)妾身(しょうしん=私)此(こ)の子(こ)を生(う)み下(おろ)し、幸(さいわ)いに金山寺(きんざんじ)の長老(ちょうろう)の扶養(ふよう)して長大(ちょうだい)せるに遇(あ)い、我(われ)を尋(たず)ねて相会(しょうかい)せしむ。我(われ)彼(かれ)をして外公(がいこう)を尋(たず)ねしめ、父親(ちち)之(これ)を知(し)り、朝廷(ちょうてい)に奏聞(そうもん)し、兵(へい)を統(す)べて此(ここ)に到(いた)り、賊人(ぞくにん)を拿(とら)え住(とど)む。先程(さっき)生(い)きながら心肝(しんかん)を取(と)り、空(くう)を望(のぞ)んで我(わ)が夫(おっと)を祭奠(さいてん)せしに、我(わ)が夫(おっと)の怎(いか)にして又(また)還魂(げんこん)を得(う)るを知(し)らず」と。光蕊(こうずい)道(い)わく、「皆(みな)我(われ)と汝(なんじ)が昔年(せきねん)万花店(ばんかてん)に在(あ)りし時、那(か)の金色(こんじき)の鯉(こい)一尾(ひとつ)を買(か)い放(はな)ちしに因(よ)る、誰(たれ)か知(し)らん那(か)の鯉(こい)は就(すなわ)ち是(こ)れ此(こ)の処(ところ)の龍王(りゅうおう)なり。後(のち)逆賊(ぎゃくぞく)我(われ)を水(みず)の中(なか)に推(お)し入(い)れしに、全(まった)く彼(かれ)の我(われ)を救(すく)うを得(え)しに虧(よ)り、方(まさ)に又(また)我(われ)に還魂(げんこん)を賜(たま)い、宝物(ほうもつ)を送(おく)り、俱(みな)身(み)の上(うえ)に在(あ)り。更(さら)に汝(なんじ)の此(こ)の子(こ)を生(う)みしを想(おも)わざりき、又(また)岳丈(がくじょう)の我(われ)が為(ため)に仇(あだ)を報(ほう)ずるを得(え)たり。真(まこと)に是(こ)れ苦(く)尽(つ)きて甘(かん)来(きた)る、莫大(ばくだい)の喜(よろこ)びなり!」と。
衆官(しゅうかん)之(これ)を聞(き)き知(し)り、都(みな)来(きた)りて賀(が)を喜(よろこ)ぶ。丞相(じょうしょう)便(すなわ)ち酒席(しゅせき)を安(あん)じ排(はい)して、所属(しょぞく)の官員(かんいん)に答謝(とうしゃ)せしめ、即日(そくじつ)軍馬(ぐんば)を回程(かいてい=帰途)せしむ。万花店(ばんかてん)に来(きた)り到(いた)るや、那(か)の丞相(じょうしょう)令(れい)を伝(つた)えて営(えい)を安(やすん)ず。光蕊(こうずい)便(すなわ)ち玄奘(げんじょう)と同(とも)に劉家(りゅうか)の店(みせ)に到(いた)りて婆婆(ばば)を尋(たず)ぬ。那(か)の婆婆(ばば)当夜(そのよ)一夢(ひとゆめ)を得(え)、枯木(こぼく=枯れ木)の花(はな)を開(ひら)き、屋後(おくや=家の裏)の喜鵲(かささぎ)の頻頻(ひんぴん=しきり)に喧噪(けんそう=騒ぐ)を夢(ゆめ)み、想(おも)わく、「莫(も)し是(こ)れ我(わ)が孫(まご)の来(きた)るか」と。説(い)うこと猶(な)お未(いま)だ了(おわ)らざるに、只(た)だ店門(てんもん)の外(そと)に、光蕊(こうずい)父子(ふし)の斉(ひと)しく到(いた)るを見(み)る。小和尚(こおしょう)指(ゆび)しして道(い)わく、「此(こ)れ是(こ)れ俺(われ)が婆婆(ばば)に非(あら)ずや?」と。光蕊(こうずい)老母(ろうぼ)を見(み)、連忙(れんぼう=大急ぎ)に拝(はい)し倒(たお)る。母子(ぼし)頭(かしら)を抱(いだ)いて痛(いた)く哭(な)くこと一場(ひとくさ)り、上項(じょうこう=先の件)の事(こと)を説(と)き了(おわ)る。小二(しょうじ)の店銭(てんせん=宿賃)を算(さん)し還(かえ)し、起程(きてい=出発)して京城(けいじょう)に回(かえ)る。相府(しょうふ=丞相府)に進(すす)み入(い)り、光蕊(こうずい)小姐(しょうじゃ)と婆婆(ばば)・玄奘(げんじょう)を同(とも)にし、都(みな)来(きた)りて夫人(ふじん)に見(まみ)ゆ。夫人(ふじん)之(これ)を勝(た)えざるほど喜(よろこ)び、家僮(かどう=召使)に吩咐(ふんふ)し、大(おお)いに筵宴(えんえん=宴)を排(はい)して慶賀(けいが)す。
丞相(じょうしょう)道(い)わく、「今日(こんにち)此(こ)の宴(えん)は取(と)りて団円会(だんえんかい)と名(な)づく可(べ)し」と。真正(まこと)に合家(がっか=一家)歓楽(かんらく)なり。
次日(よくじつ)早朝(そうちょう)、唐王(とうおう)殿(でん)に登(のぼ)る。殷丞相(いんじょうしょう)班(はん=列)を出(い)で、前後(ぜんご)の事情(じじょう)を備(つぶさ)に細(こま)かに啓奏(けいそう)し、並(なら)びに光蕊(こうずい)の才(さい)の大用(たいよう=大任)に可(べ)きを薦(すす)む。唐王(とうおう)奏(そう)を准(じゅん=許可)し、即(すなわ)ち陳萼(ちんがく)を升(しょう)じて学士(がくし)の職(しょく)と為(な)し、朝(ちょう)に随(したが)いて政(まつりごと)を理(おさ)めしむ。玄奘(げんじょう)意(こころ)を安禅(あんぜん=禅に安んじ)に立(た)て、洪福寺(こうふくじ)の内(うち)に送(おく)りて修行(しゅぎょう)せしむ。後(のち)に殷小姐(いんしょうじゃ)畢竟(ひっきょう=ついに)従容(しょうよう=静かに)自尽(じじん=自ら命を絶つ)し、玄奘(げんじょう)自(みずか)ら金山寺(きんざんじ)の中(なか)に到(いた)りて法明(ほうみょう)長老(ちょうろう)に報答(ほうとう)す。後來(ごらい)事体(じたい=ことは)の若何(いかん)を知(し)らず、且(しばら)く下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)け。