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090 第九十回 師獅(しし)授受(じゅじゅ)して同(おな)じく一(いつ)に帰(き)し 道(どう)を盗(ぬす)み禅(ぜん)に纏(まと)われて九霊(きゅうれい)を静(しず)む

さて、孫大聖(そんたいせい)八戒(はっかい)・沙僧(さそう)と同(とも)に城頭(じょうとう=城壁の上)を出で、覿面(てきめん=面と向かい)て相(あい)迎(むか)うに、かの伙(むれ)の妖精(ようせい)の都些(いささ)かの雑毛獅子(ざつもうしし=混じり毛の獅子)なるを見る。黄獅精(こうしせい)前(まえ)に在りて引(いん)領(みちび)き、狻猊獅(さんげいし)・摶象獅(でんぞうし)左(ひだり)に在り、白沢獅(はくたくし)・伏狸獅(ふくりし)右(みぎ)に在り、猱獅(どうし)・雪獅(せっし)後(うしろ)に在り、中間(ちゅうかん)には却ってこれ一箇の九頭獅子(くとうしし)なり。かの青顔児怪(せいれんじかい)一面(ひとつ)の錦繍団花宝幢(きんしゅだんかほうどう=錦の団花の幢幡)を執(と)り、九頭獅子に緊(きっ)と挨(すりよ)り着き、刁鑽古怪児(ちょうさんこかいじ)・古怪刁鑽児(こかいちょうさんじ)両面(ふたつ)の紅旗(こうき)を打(ささ)げ、斉斉(せいせい=揃い)て都坎宮(かんきゅう)の地(ち)に布(し)かれたり。

八戒(はっかい)莽撞(もうとう=向こう見ず)に、近(ちか)づき前(まえ)に在りて罵(ののし)って言う、「宝貝(ほうばい)を偸(ぬす)みし賊怪(ぞくかい)め!汝、いずこへ往きてこの幾箇(いくつ)かの毛団(もうだん=毛むくじゃら)を伙(く)み来(きた)り、此(ここ)に在りていかんとする」と。

黄獅精(こうしせい)歯(は)を切(せ)りて罵(ののし)って言う、「潑狠(はつこん=暴虐)の禿厮(とくし=禿げ坊主)め!昨日(きのう)三人(みたり)我一人(ひとり)に敵(てき)し、我敗(やぶ)れて回(かえ)り去(さ)れば、汝をして人と為らしめ了(おわ)んぬるに、汝、いかにしてかこのごとき狠悪(こんあく=ひどく残忍)に、我が洞府(どうふ)を焼(や)き、我が山場(さんば=縄張り)を損(そこな)い、我が眷族(けんぞく=一族)を傷(そこな)うや!我と汝(なんじ)との冤仇(えんきゅう=恨み)は深(ふか)きこと大海(たいかい)の如(ごと)し!走(に)ぐること莫(なか)れ!汝が老爺(ろうや=おれ)が一鏟(ひとさん)を食(くら)え!」と。

好(よ)き八戒(はっかい)かな、釘鈀(ていは)を挙(あ)げてすなわち迎(むか)う。二人(ふたり)才(ようや)く手(て)を交(まじ)え、未(いま)だ高低(こうてい=優劣)を見(み)ざるに、かの猱獅精(どうしせい)一根(ひとふり)の鉄蒺藜(てっしつり=鉄の茨)を輪(ふ)り、雪獅精(せっしせい)一条(ひとつ)の三楞簡(さんりょうかん=三棱の簡)を使(つか)い、径(ただち)に来(きた)りて奔(つ)き打つ。八戒一声(ひとこえ)の喊(さけ)びを発(おこ)して言う、「来れること好し!」と。視よ、彼の横沖直抵(おうちゅうちょくてい=横に突き直かに当たる)に、一処(ひとところ)に闘(たたか)い合(あ)うを。

この壁廂(へきしょう=こちら側)に、沙和尚(さおしょう)急(いそ)ぎ降妖杖(ごうようじょう)を掣(ひっさ)げ、近(ちか)づき前(まえ)に在りて相(あい)助(たす)く。また那(か)の狻猊精(さんげいせい)・白沢精(はくたくせい)と摶象(でんぞう)・伏狸(ふくり)の二精(にせい)、一斉(いっせい)に擁(おしよ)せ上(のぼ)るを見る。ここに孫大聖(そんたいせい)金箍棒(きんこぼう)を使(つか)いて群精(ぐんせい)を架(か)ぎ住(とど)む。狻猊(さんげい)は悶棍(もんこん=太き棒)を使い、白沢(はくたく)は銅鎚(どうつい=銅の槌)を使い、摶象は鋼槍(こうそう=鋼の槍)を使い、伏狸は鉞斧(えつふ=まさかり)を使う。かの七箇(ななつ)の獅子精(ししせい)、この三人(みたり)の狠(こん=手強き)和尚(おしょう)、好(よ)き殺(たたか)いかな、
棍(こん)・鎚(つい)・槍(そう)・斧(ふ)・三楞簡(さんりょうかん)、
蒺藜(しつり)・骨朶(こつだ=棍棒)・四明鏟(しめいさん)。
七獅(しちし)七器(しちき)甚だ鋒芒(ほうぼう=切っ先)あり、囲(かこ)み戦(たたか)う三僧(さんそう)斉(ひと)しく吶喊(とっかん=鬨の声)す。
大聖(たいせい)が金箍(きんこ)の鉄棒(てつぼう)凶(きょう)にして、沙僧(さそう)が宝杖(ほうじょう)人間(にんげん)に罕(まれ)なり。
八戒(はっかい)風(かぜ)に顛(たお)れ勢(いきおい)を騎(は)せて雄(ゆう)に、釘鈀(ていは)幌亮(こうりょう=きらめき)て光華(こうか)惨(さん)たり。
前(まえ)を遮(さえぎ)り後(うしろ)を擋(ふせ)ぎて各功(こう)を施(ほどこ)し、左(ひだり)を架(かま)え右(みぎ)を迎(むか)えて都勇敢(ゆうかん)なり。
城頭(じょうとう)の王子(おうじ)威風(いふう)を助(たす)け、鼓(つづみ)を擂(う)ち鑼(どら)を篩(ふる)い斉(ひと)しく胆(きも)を壮(つよ)くす。
投(な)げ来(きた)り搶(うば)い去(ゆ)きて神通(じんずう)を弄(ろう)し、殺(たたか)いて昏濛(こんもう=くらくら)として天地(てんち)反(かえ)らしむ。
と。

かの一伙(ひとむれ)の妖精(ようせい)、斉(ひと)しく大聖(たいせい)三人(みたり)と与(とも)に、戦(たたか)うこと半日(はんじつ)を経(ふ)るに、覚(おぼ)えず天(てん)晩(く)る。八戒(はっかい)口(くち)に粘涎(ねんぜん=粘り気の涎)を吐(は)き、看る看る脚(あし)軟(よわ)く、一鈀(ひとは)を虚(くう)に幌(ひるが)えし、陣(じん)を敗(やぶ)って下(くだ)り往かんとするを、かの雪獅(せっし)・猱獅(どうし)の二精(にせい)に喝(かつ)せられて言う、「いずこへか走(に)ぐる。打つを看よ!」と。呆子(あほう)避(よ)くるに及(およ)ばず、彼が脊梁(せなか)の上を照(めが)けて一簡(ひとかん)打たれ、地(ち)の下(うえ)に睡(ふ)し、ただ叫(よばわ)る、「了(おわ)ったり!了ったり!」と。

二人(ふたり)の精(せい)、八戒(はっかい)の鬣(たてがみ)を采(つか)み尾(お)を拖(ひ)き、扛(か)つぎ将(も)ちてかの九頭獅子(くとうしし)の許(もと)に往き、報(しら)せて言う、「祖爺(そや)、我ら一箇(ひとり)を拿(とら)え来(きた)れり」と。説(い)い了(おわ)らざるに、沙僧(さそう)・行者(ぎょうじゃ)もまた都戦(たたか)い敗(やぶ)る。衆(しゅう)の妖精(ようせい)一斉(いっせい)に趕(お)い来るに、行者一把(ひとつかみ)の毫毛(ごうもう=産毛)を拔(ぬ)き、嚼(か)み砕(くだ)いて噴(ふ)き将ち去(ゆ)き、「変(へん)!」と叫(よばわ)れば、すなわち変じて百十箇(ひゃくじゅっこ)の小行者(しょうぎょうじゃ)と作(な)り、囲囲繞繞(いいじょうじょう=ぐるぐる取り巻き)て、かの白沢(はくたく)・狻猊(さんげい)・摶象(でんぞう)・伏狸(ふくり)并(なら)びに金毛獅怪(きんもうしい)を囲(かこ)み裹(つつ)む中(うち)に在(あ)らしむ。沙僧・行者は却ってまた上前(すす)み出でて集(あつま)り打つ。晩(くれ)に到り、狻猊・白沢を拿え住(とど)め、伏狸・摶象を走(に)がし了んぬ。

金毛(きんもう)老妖(ろうよう)に報(しら)せ知(し)らするに、老怪(ろうかい)二獅(にし)を失(うしな)いしを見(み)、吩咐(いいつけ)て言う、「猪八戒(ちょはっかい)を捆(くく)れ、彼が性命(いのち)を傷(そこな)うべからず。彼の我に二獅を還(かえ)すを待(ま)ちて、却って八戒(はっかい)を将(も)ちて彼に与(あた)えん。彼もし無知(むち=分別なく)にして我が二獅を壊(こぼ)たば、すなわち八戒を殺(ころ)して命(いのち)に抵(あて)よ!」と。当晩(そのばん)群妖(ぐんよう)城外(じょうがい)に安歇(あんけつ=休み泊まる)。これ語(かた)らず。

さて、孫大聖(そんたいせい)二人(ふたり)の獅子精(ししせい)を抬(かつ)ぎて城辺(じょうへん=城のほとり)に近(ちか)づくれば、老王(ろうおう)これを見(み)、すなわち令(れい)を伝(つた)えて門を開(ひら)かせ、二三十箇(にさんじゅっこ)の校尉(こうい=近衛兵)を差(さしむ)け、縄(なわ)を拿(と)りて門を出で、獅精(ししせい)を綁(くく)り、扛(か)つぎて城の裡(うち)に入(い)らしむ。孫大聖法毛(ほうもう=術の毛)を収(おさ)め、沙僧(さそう)と同(とも)に径(ただち)に城楼(じょうろう=物見櫓)の上に至(いた)り、唐僧(とうそう)に見(まみ)ゆ。唐僧言う、「この場(ひとしきり)の事(こと)は甚だこれ利(り)害(がい=難儀)なるかな!悟能(ごのう)が性命(いのち)、有るや無(な)きやを知(し)らず」と。

行者(ぎょうじゃ)言う、「事(こと)無(な)し!我らこの二人(ふたり)の妖精(ようせい)を拿(とら)えたれば、彼(か)の処(ところ)断(きっ)として敢えて傷(そこな)わざらん。且く二精(にせい)を牢(かた)く拴(つな)ぎ緊(きつ)く縛(しば)り、明早(みょうそう=明日の朝)八戒(はっかい)に抵(あて)て換(か)えんを待(ま)て」と。

三人(みたり)の小王子(しょうおうじ)行者(ぎょうじゃ)に対(むか)いて頭を叩(う)って言う、「師父(しふ)先(さき)に賭闘(ととう=勝負)ししとき、ただ一身(いっしん)を見(み)しに、後(のち)に及(およ)びて佯(いつわ)り輸(ま)けて回(かえ)りしが、却っていかにしてかすなわち百十位(ひゃくじゅうい)の師身(ししん=師の姿)ありしや。及びて妖精(ようせい)を拿(とら)え住(とど)め、城に近(ちか)づき来(きた)るに還(な)お一身なり。これは甚(いず)れの法力(ほうりき)なる」と。

行者(ぎょうじゃ)笑って言う、「我が身上(しんじょう)に八万四千(はちまんしせん)の毫毛(ごうもう)あり。一を以(も)って十と化(な)し、十を以て百と化し、百千万億(ひゃくせんまんおく)の変化(へんげ)、皆身外身(しんがいしん=身の外の身)の法(ほう)なり」と。かの王子(おうじ)箇箇(おのおの)頂礼(ちょうらい=礼拝)し、即時(すなわち)斎(とき)を擺(ととの)え上(あ)げ、すなわち城楼(じょうろう)の上に在りてこれを食(くら)う。各の垜口(だこう=城壁の狭間)の上に都灯籠(とうろう)旗幟(きし=旗)を要(よう)し、梆鈴(ほうれい=拍子木と鈴)鑼鼓(らこ=鑼と鼓)、更(こう=夜回り)を支(ささ)え箭(や=時刻札)を伝(つた)え、炮(ほう=大砲)を放(はな)ち吶喊(とっかん=鬨)す。

早くまた天明(てんめい)す。老怪(ろうかい)すなわち黄獅精(こうしせい)を喚(よ)びて計(けい)を定(さだ)めて言う、「汝(なんじ)ら今日(こんにち)心(こころ)を用(もち)いてかの行者(ぎょうじゃ)・沙僧(さそう)を拿(とら)えよ。我、暗(ひそ)かに自(みずか)ら空(くう)を飛(と)んで城に上(のぼ)り、彼がかの師父(しふ)并(なら)びにかの老王(ろうおう)父子(ふし)を拿え、先(ま)ず九曲盤桓洞(きゅうきょくばんかんどう)に転(てん)じ回(かえ)り、汝が勝(かち)を得(え)て報(しら)せ回るを待(ま)たん」と。黄獅(こうし)計を領(りょう=承)け、すなわち猱獅(どうし)・雪獅(せっし)・摶象(でんぞう)・伏狸(ふくり)を引(いん)き、各兵器(へいき)を執(と)りて城の処(ほとり)に到り、風(かぜ)を滚(ま)かし霧(きり)を醸(かも)して戦(たたかい)を索(もと)む。

ここに行者(ぎょうじゃ)と沙僧(さそう)城頭(じょうとう)より跳(と)び出で、声(こえ)を厲(はげ)しくして罵(ののし)って言う、「賊(ぞく)の潑怪(はつかい)め!疾(と)く我が師弟(してい)八戒(はっかい)を将(も)ちて我に送(おく)り還(かえ)し、汝が性命(いのち)を饒(ゆる)さん。然(しか)らずんば、都汝をして骨(ほね)を粉(こな)にし屍(しかばね)を砕(くだ)かしめん!」と。かの妖精(ようせい)那(なん)ぞ分説(ぶんせつ=言い訳)を容(い)れん、一斉(いっせい)に擁(おしよ)せ来(きた)る。この大聖(たいせい)弟兄(ていけい=兄弟)二人(ふたり)、各機謀(きぼう=策略)を運(めぐ)らし、五箇(いつつ)の獅子(しし)を擋(ふせ)ぎ住(とど)む。この殺(たたか)いは昨日(きのう)に比(くら)ぶればまた甚だ同(おな)じからず、
呼呼(ここ)として地(ち)を刮(けず)る狂風(きょうふう)悪(あ)しく、暗暗(あんあん)として天(てん)を遮(さえぎ)る黒霧(こくむ)濃(こま)やかなり。
石(いし)を走(はし)らせ沙(すな)を飛(と)ばして神鬼(しんき)怕(おそ)れ、林(はやし)を推(お)し樹(き)を倒(たお)して虎狼(ころう)驚(おどろ)く。
鋼槍(こうそう)狠狠(こんこん=苛烈)に鉞斧(えつふ)明(あき)らかに、棍(こん)・鏟(さん)・銅鎚(どうつい)太(はなは)だ毒情(どくじょう=酷き心)なり。
恨(うら)むらくは囫圇(こつりん=丸呑み)に行者(ぎょうじゃ)を呑(の)まざるを、活活潑潑(かつかつはつはつ=生き生きと)小沙僧(しょうさそう)を擒(とりこ)めん。
この大聖(たいせい)一条(ひとすじ)の如意棒(にょいぼう)、巻(ま)き舒(の)べ収(おさ)め放(はな)つ甚だ精霊(せいれい=霊妙)なり。
沙僧(さそう)が那(か)の柄(ひとふり)の降妖杖(ごうようじょう)、霊霄殿(れいしょうでん)の外(そと)に名声(めいせい)あり。
今番(こんぱん)神通(じんずう)の広(ひろ)きを干運(かんうん=めぐらし)し、西域(せいいき)に功(こう)を施(ほどこ)して精(せい=妖)を掃蕩(そうとう)す。
と。
この五箇(いつつ)の雑毛獅子精(ざつもうししせい)と行者(ぎょうじゃ)・沙僧(さそう)と、正(まさ)に自(みずか)ら殺(たたか)いて好(よ)き処(ところ)に到(いた)らんとするに、かの老怪(ろうかい)黒雲(こくうん)に駕(が)し、径直(ただち)に城楼(じょうろう)の上に騰(のぼ)り至(いた)り、頭(かしら)を一(ひと)ゆり揺(ゆ)る。唬(おど)されたるかなかの城上(じょうじょう)の文武(ぶんぶ)大小(だいしょう)の官員(かんいん)并(なら)びに城を守(まも)る人夫(にんぷ)等(ら)、都転(ころ)がりて城を下(くだ)り往き、彼に奔(はし)り入(い)られて楼中(ろうちゅう)に至り、口(くち)を張(は)り開(ひら)きて三蔵(さんぞう)と老王(ろうおう)父子(ふし)を一頓(ひとくわ)に噙(ふく)み出(いだ)され、坎宮(かんきゅう)の地(ち)の下(もと)に復(また)至り、八戒(はっかい)をもまた口を着(も)ちてこれを噙む。元来(もと)彼が九箇(ここのつ)の頭にはすなわち九張(ここのつ)の口ありて、一(ひとつ)の口には唐僧(とうそう)を噙み、一の口には八戒を噙み、一の口には老王を噙み、一の口には大王子(だいおうじ)を噙み、一の口には二王子(におうじ)を噙み、一の口には三王子(さんおうじ)を噙み、六(むっ)つの口に六人(ろくにん)を噙み、還(な)お三張(みつ)の口を空(むな)しうして、声(こえ)を発(はっ)し喊(さけ)んで叫(よばわ)る、「我、先(ま)ず去(ゆ)かん!」と。

この五箇(いつつ)の小獅精(しょうしせい)、彼が祖(そ)の勝(かち)を得(え)しを見(み)、箇箇(おのおの)愈(いよいよ)雄才(ゆうさい=雄々しき才)を展(の)ぶ。行者(ぎょうじゃ)城上(じょうじょう)の人の喊嚷(かんじょう=叫び喚ぶ)を聞(き)き得て、情(じょう)として彼が計(けい)に中(あた)りしを知(し)り、急(いそ)ぎ沙僧(さそう)を喚(よ)んで仔細(つまびらか=用心)せしむ。彼は却って臂膊(ひはく=腕)の上の毫毛(ごうもう)を把(と)り、尽く皆拔(ぬ)き下(おろ)し、口(くち)に入れて嚼(か)み爛(ただ)らして噴(ふ)き出(いだ)し、変じて千百(せんぴゃく)の小行者(しょうぎょうじゃ)と作(な)し、一斉(いっせい)に擁(おしよ)せ攻(せ)め上(のぼ)り、当時(そのとき)猱獅(どうし)を拖(ひ)き倒(たお)し、雪獅(せっし)を活(い)け捉(とら)え、摶象獅(でんぞうし)を拿(とら)え住(とど)め、伏狸獅(ふくりし)を扛(か)つぎ翻(ひっくり)返(かえ)し、黄獅(こうし)を将(も)ちて打(う)ち殺(ころ)し、烘烘(こうこう=わいわい)と州城(しゅうじょう)の下(もと)まで嚷(わめ)き到る。倒(かえ)って走(に)がし了(おわ)んぬるは青顔児(せいれんじ)と刁鑽古怪(ちょうさんこかい)・古怪刁鑽(こかいちょうさん)の二怪(にけ)なり。

かの城上(じょうじょう)の官(かん)これを見(み)、却ってまた門を開(ひら)き、縄(なわ)を将(も)ちて五箇(いつつ)の獅精(ししせい)をまた捆(くく)り、抬(かつ)ぎて城の裡(うち)に入る。未(いま)だ発落(ほつらく=処置)せざるに、ただかの王妃(おうひ)の哭哭啼啼(こくこくていてい=泣き叫び)して、行者(ぎょうじゃ)に対(むか)い礼拝(れいはい)して言う、「神師(しんし)よ、我が殿下(でんか)父子(ふし)并(なら)びに汝が師父(しふ)の、性命(いのち)休(おわ)んぬるか!この孤城(こじょう=孤りの城)をいかにしてか好(よ)からん」と。

大聖(たいせい)法毛(ほうもう)を収(おさ)め、王妃(おうひ)に対(むか)い礼(れい)を作(な)して言う、「賢后(けんこう=賢き后)愁(うれ)うること莫(なか)れ。ただ我が彼が七箇(ななつ)の獅精(ししせい)を拿(とら)えしに因り、かの老妖(ろうよう)摂法(せっぽう=かどわかす術)を弄(ろう)し、定(かなら)ず我が師父(しふ)と殿下(でんか)父子(ふし)を将(も)ちて摂(かどわ)かし去(さ)りしならん。料(おもんみ)るに必(かなら)ず傷(そこな)い無(な)からん。明日(みょうにち)絶早(ひどく早く)我が兄弟(きょうだい)二人(ふたり)かの山の中(うち)に往き、管情(かなら)ず老妖を捉(とら)え住(とど)め、汝に四箇(よたり)の王子(おうじ)を還(かえ)さんを待(ま)て」と。

かの王妃(おうひ)一簇(ひとむれ)の女眷(じょけん=女たち)この言(げん)を聞(き)き、都行者(ぎょうじゃ)に対(むか)い下拝(げはい)して言う、「願(ねが)わくは殿下(でんか)父子(ふし)の全(まっと)う生(い)き、皇図(こうと=皇室の図)の堅固(けんご)ならんことを求(もと)めん!」と。拝(はい)し畢(おわ)り、箇箇(おのおの)涙(なみだ)を含(ふく)みて宮(きゅう)に還(かえ)る。

行者(ぎょうじゃ)各の官(かん)に吩咐(いいつけ)て言う、「打(う)ち殺(ころ)ししあの黄獅精(こうしせい)を将(も)ちて皮(かわ)を剥(は)ぎ、六箇(むっつ)の活(い)ける獅精(ししせい)は、牢(かた)く牢く拴鎖(せんさ=繋ぎ鎖)せよ。些(いささ)かの斎飯(さいはん)を取(と)り来(きた)れ。我らこれを食(くら)いて睡(ねむ)らん。汝(なんじ)ら都放心(ほうしん=心安か)れ、汝に事(こと)無(な)きを保(ほ)せん」と。

次日(あくるひ)に至(いた)り、大聖(たいせい)沙僧(さそう)を領(ひき)いて祥雲(しょううん)を駕(が)し起(おこ)し、多(おお)からずして、竹節山(ちくせつざん)の頭(いただき)に到る。雲頭(うんとう)を按(おろ)して観看(みわた)せば、好(よ)き座(ひとつ)の高山(こうざん)かな!ただ見よ、
峰(みね)排(つらな)りて突兀(とっこつ=高くそびえ)、嶺(みね)峻(けわ)しくして崎嶇(きくう=でこぼこ)たり。
深澗(しんかん=深き谷)の下に潺湲(せんかん=さらさら)として水(みず)漱(すす)ぎ、陡崖(とうがい=険しき崖)の前(まえ)に錦繍(きんしゅう)花香(かこう=花の香)あり。
巒(みね)を回(めぐ)らし重(かさ)ね迭(かわ)り、古道(こどう)湾環(わんかん=うねうね)たり。
真(まこと)にこれ鶴(つる)来(きた)れば松(まつ)伴(とも)有り、果(はた)して云(くも)去(さ)れば石(いし)依(よ)る所(ところ)無(な)し。
玄猿(げんえん=黒き猿)は晴暉(せいき=日ざし)に向(むか)いて果(このみ)を覓(もと)め、麋鹿(びろく=大鹿)は日(ひ)の暖(あたたか)きに花(はな)を尋(たず)ねて歓(よろこ)ぶ。
青鸞(せいらん)の声(こえ)晰嚦(せきれき=さえずり)、黄鳥(こうちょう)の語(ことば)綿蛮(めんばん=さえずり)たり。
春(はる)来(きた)れば桃李(とうり)妍(うつく)しさを争(あらそ)い、夏(なつ)至(いた)れば柳槐(りゅうかい=柳と槐)競(きそ)いて茂(しげ)る。
秋(あき)到(いた)れば黄花(こうか=菊)錦(にしき)を布(し)き、冬(ふゆ)交(まじ)われば白雪(はくせつ)綿(わた)を飛(と)ばす。
四時八節(しいちはっせつ=一年じゅう)好(よ)き風光(ふうこう)にして、瀛洲(えいしゅう=仙境)の仙(せん)たる景象(けいしょう)に亜(おと)らず。
と。

彼二人(ふたり)正(まさ)に山頭(さんとう)の上に在りて景(けい)を看(み)おるに、忽かの青顔児(せいれんじ)の、手(て)に一条(ひとふり)の短棍(たんこん=短き棒)を拿(と)り、径(ただち)に崖谷(がいこく=崖の谷間)の間(あいだ)より跑(はし)り出(い)づるを見る。行者(ぎょうじゃ)喝(かつ)して言う、「いずこへか走(に)ぐる!老孫(ろうそん)来(きた)れるなり!」と。唬(おど)されたるかなかの小妖(しょうよう)、一(ひと)たび翻(ころ)がり一たび滚(まろ)びて崖谷(がいこく)を跑(か)け下(くだ)る。

彼二人(ふたり)一直(ひたすら)に追(お)い来(きた)るに、また蹤迹(しょうせき=跡)を見(み)ず。前(まえ)に向(むか)いてまた幾步(いくあゆみ)かを転(めぐ)れば、却ってこれ一座(ひとつ)の洞府(どうふ)にして、両扇(ふたおもて)の花斑石門(かはんせきもん=斑模様の石の門)の、緊(きっ)と緊と関閉(とざ)されたり。門楣(もんび=かもい)の上に横(よこた)えて一塊(ひとつ)の石版(せきばん)を嵌(は)め着(つ)け、楷(かい=楷書)に十箇(じゅっこ)の大字(だいじ)を鐫(ほ)り着けたるは、すなわちこれ「万霊竹節山(ばんれいちくせつざん)九曲盤桓洞(きゅうきょくばんかんどう)」なり。

かの小妖(しょうよう)元来(もと)洞(どう)の裡(うち)へ跑(はし)り入りしに、すなわち洞門(どうもん)を把(と)りて閉(とざ)し、中間(ちゅうかん)に到りて老妖(ろうよう)に対(むか)いて言う、「爺爺(じいさま)、外面(そと)にまた二人(ふたり)の和尚(おしょう)の来(きた)れるあり」と。老妖言う、「汝が大王(だいおう)并(なら)びに猱獅(どうし)・雪獅(せっし)・摶象(でんぞう)・伏狸(ふくり)は曾(かつ)て来りしや」と。小妖言う、「見(み)えず!見えず!ただ二人の和尚の、山峰(さんぽう)の高(たか)き処(ところ)に在りて眺望(ちょうぼう=見晴らす)せるあり。我、看るや頭(こうべ)を回(めぐ)らしてすなわち跑り、彼、趕(お)い将(も)ち来るに、我、却って門を閉して来れるなり」と。

老妖(ろうよう)これを聴き、頭(こうべ)を低(た)れて語(い)わず、半晌(しばらく)にして、忽涙(なみだ)を吊(た)れ下(くだ)し、声(こえ)を叫(あ)げて言う、「苦(くる)しきかな!我が黄獅孫(こうしそん)死(し)し了(おわ)んぬ!猱獅孫(どうしそん)等(ら)また尽く和尚(おしょう)に捉(とら)えられて城の裡(うち)へ入れられ往き了んぬ!この恨(うらみ)いかにしてか生(しょう)じて報(むく)いん!」と。

八戒(はっかい)旁(かたわら)に捆(くく)られ、王(おう)父子(ふし)・唐僧(とうそう)と倶(とも)に一処(ひとところ)に集(あつ)められ、恓恓惶惶(せいせいこうこう=おびえ悔しがり)て苦(くるしみ)を受(う)けおるに、老妖(ろうよう)の「衆孫(しゅうそん=孫たち)和尚(おしょう)に捉(とら)えられて城の裡(うち)へ入れられ往けり」と説(い)う声(こえ)を聴き、暗(ひそ)かに喜(よろこ)んで言う、「師父(しふ)怕(おそ)るること莫(なか)れ、殿下(でんか)愁(うれ)うること莫れ。我が師兄(しい)已に勝(かち)を得(え)、衆妖(しゅうよう)を捉え、此(こ)の間(ほとり)を尋(たず)ね到りて吾(われ)等(ら)を救(すく)い拔(ぬ)かんとす」と。説い罷(おわ)るに、また老妖の叫(よばわ)るを聴く、「小(こもの)ら、好(よ)く生(よく)此(ここ)に在りて看守(かんしゅ=見張)れ。我、出で往きてかの二人(ふたり)の和尚を拿(とら)え入り、一発(いっぺん)に懲治(ちょうじ=懲らしめ)せんを等(ま)て」と。

視よ、彼の身(み)に披掛(ひかけ=鎧)無(な)く、手(て)に兵(へい=武器)を拈(と)らず、大踏歩(だいとうほ=大また)に前辺(まえ)へ走(あゆ)み到り、ただ孫行者(そんぎょうじゃ)の吆喝(ようかつ=叫ぶ)を聞(き)くのみ。彼すなわち洞門(どうもん)を大いに開(ひら)き、話(ことば)に答(こた)えず、径(ただち)に行者(ぎょうじゃ)へ奔(はし)る。行者鉄棒(てつぼう)を使(つか)いて当頭(まっこう)より支(つ)き住(とど)むれば、沙僧(さそう)宝杖(ほうじょう)を輪(ふ)りてすなわち打つ。かの老妖(ろうよう)頭(かしら)を一(ひと)ゆり揺(ゆ)るや、左右(そうゆう)の八箇(やっつ)の頭、一斉(いっせい)に口(くち)を張(は)り開き、行者・沙僧を軽軽(かるがる)とまた洞内(どうない)に銜(ふく)み入れ、教(いいつけ)て言う、「縄索(じょうさく=縄)を取(と)り来(きた)れ!」と。

かの刁鑽古怪(ちょうさんこかい)・古怪刁鑽(こかいちょうさん)と青顔児(せいれんじ)とは昨夜(ゆうべ)生(いのち)を逃(のが)れて回(かえ)りし者なれば、すなわち両条(ふたすじ)の縄(なわ)を拿(と)り、彼二人(ふたり)を把(と)りて着実(しっか)と捆(くく)り了(おわ)んぬ。老妖(ろうよう)問うて言う、「汝(なんじ)この潑猴(はつこう=暴れ猿)め、我があの七箇(ななつ)の児孫(じそん=子や孫)を捉(とら)えたり。我、今汝が和尚(おしょう)四箇(よたり)、王子(おうじ)四箇を拿(とら)え住(とど)めたれば、また以(も)って我が児孫(じそん)の命(いのち)に抵(あ)つるに足(た)れり!小(こもの)ら、荊条(けいじょう=荊の鞭)柳棍(りゅうこん=柳の棒)を選(えら)み来(きた)れ。且くこの猴頭(こうとう=猿の頭)を一頓(ひとしきり)打(う)ち、我が黄獅孫(こうしそん)に替(かわ)りて冤仇(えんきゅう)を報(むく)い報いせん!」と。

かの三人(みたり)の小妖(しょうよう)、各柳棍(りゅうこん)を執(と)り、専(もっぱ)ら行者(ぎょうじゃ)を打つ。行者は本(もと)熬煉(ごうれん=鍛え練り)せられし身体(しんたい)なれば、それらの些些(ささ=わずか)なる柳棍児(りゅうこんじ)は、ただ好(よ)く彼に痒(かゆ)きを拂(はら)わしむるのみ。彼、いずくんぞ声(こえ)を做(な)さんや。彼をしていかに捶打(すいだ=殴打)せしむるにも、略(ほぼ)介意(かいい=気にかけ)せず。八戒(はっかい)・唐僧(とうそう)と王子(おうじ)これを見(み)、箇箇(おのおの)毛骨(もうこつ)悚然(しょうぜん=ぞっとす)る。少時(しばらく)して、柳棍を打折(うちお)り、直(じか)に天(てん)の晩(く)るるまで打つも、またその数(かず)を計(かぞ)えず。

沙僧(さそう)打(う)たるることの多(おお)きを見(み)、甚だ意(こころ)に過(あま)りて言う、「我、彼に替(かわ)りて百十下(ひゃくじゅうげ)を打たれん」と。老妖(ろうよう)言う、「汝且く忙(いそ)ぐこと莫(なか)れ。明日(みょうにち)すなわち汝に打ち到(いた)らん。箇箇(ひとりひとり)挨次(あいじ=順繰り)に打ち将(も)ち来(きた)るべし」と。八戒(はっかい)着(き)と忙(あわ)てて言う、「後日(みょうごにち)すなわち我が老豬(ろうちょ=おれ)に打ち到らんとするか!」と。

打つこと一会(ひととき)、漸漸(ようや)く天(てん)昏(く)るるに、老妖(ろうよう)叫(よばわ)る、「小(こもの)ら且く住(とど)まれ、灯火(とうか=灯)を点(とも)し起(おこ)せ。汝(なんじ)ら些(いささ)かの飲食(おんじき=食事)を食(くら)え。我をして錦雲窩(きんうんか=錦雲の床)に到りて略(いささ)か睡(ねむ)りに往かしめよ。汝ら三人(みたり)は都これ害(がい)を遭(あ)いし者なれば、却って心(こころ)を用(もち)いて看守(かんしゅ)し、明早(みょうそう)また打たんことを待(ま)て」と。三人の小妖(しょうよう)灯(ひ)を移(うつ)し来(きた)り、柳棍(りゅうこん)を拿(と)りてまた行者(ぎょうじゃ)が脳蓋(のうがい=頭のてっぺん)を打つ。すなわち梆子(ほうじ=拍子木)を敲(たた)くの一般(ごと)く、剔剔托(てきてきたく)、托托剔(たくたくてき)、緊(はや)きこと幾下(いくした)か、慢(おそ)きこと幾下か。夜(よる)将(まさ)に深(ふか)からんとして、却って都盹睡(とんすい=まどろみ)す。

行者(ぎょうじゃ)すなわち一箇の遁法(とんぽう=逃れの術)を使(つか)い、身(み)を一(ひと)たび小(ちいさ)くして、縄(なわ)を脱(ぬ)け出で、毫毛(ごうもう)を一抖(ふる)いし、衣服(いふく)を整(ととの)え束(つか)ね、耳朶(みみ)の内(うち)より棒(ぼう)を取(と)り出(いだ)し、一ゆり幌(ひるが)えせば、吊桶(つるべ)の粗細(あらさ)、二丈(にじょう)の長短(ながさ)あり。三人(みたり)の小妖(しょうよう)に向(むか)いて言う、「汝(なんじ)この孽畜(げっちく=畜生)め、汝が老爺(ろうや=おれ)を将(も)ちてすなわち許多(あまた)の棍子(こんす=棒)を打(う)たせしめたり!老爺(ろうや)還(な)おただ旧(もと)に照(したが)うのみ。老爺もまたこの棍子(こんす)を将ちて略(いささ)か汝を椏(おさ)えん、看よ道(いわ)く如何(いかん)」と。三人の小妖を軽軽(かるがる)と一たび椏うれば、すなわち椏えて三箇(みつ)の肉餅(にくへい=肉のひれ)と做(な)し、却ってまた灯(ひ)を剔(かき)立(た)てて亮(あきら)かにし、沙僧(さそう)を解放(ときはな)つ。

八戒(はっかい)捆(くく)られ急(きゅう)なるに、忍(しの)びえずして大声(たいせい)に叫(よばわ)る、「兄(あに)上!我が手(て)足(あし)都捆られて腫(は)れ了(おわ)んぬ。却って来(きた)りて先(ま)ず我を解放(ときはな)たざるか!」と。この呆子(あほう)一声(ひとこえ)喊(さけ)ぶや、却って早くも老妖(ろうよう)を驚動(きょうどう)す。老妖一轂轆(ひところがり=ころり)に爬(はい)き起(お)きて言う、「孰(たれ)か人を解放ちし」と。

かの行者(ぎょうじゃ)これを聴き、一口(ひとくち)に灯(ひ)を吹(ふ)き息(け)し、沙僧(さそう)等(ら)の衆(しゅう)を顧(かえり)みるに遑(いとま)あらず、鉄棒(てつぼう)を使(つか)い、幾重(いくえ)もの門を打(う)ち破(やぶ)りて走(に)げ了(おわ)んぬ。かの老妖(ろうよう)中堂(ちゅうどう=奥の間)に到りて叫(よばわ)る、「小(こもの)ら、いかにしてか灯光(とうこう=灯の光)無(な)きや。ただ人の走げしならずや」と。一声(ひとこえ)叫るに、人の答(こた)うる無し。また一声叫るに、また人の答うる無し。及(およ)びて灯火(とうか)を取(と)り来(きた)りて看る時(おり)、ただ地(ち)の下(うえ)に血(ち)淋淋(りんりん=血だらけ)たる三塊(みつ)の肉餅(にくへい)の見(み)ゆるのみ。老王(ろうおう)父子(ふし)及び唐僧(とうそう)・八戒(はっかい)は倶在(あ)れど、ただ行者・沙僧の見えざるのみ。

火(ひ)を点(とも)して、前後(ぜんご)を趕(お)い看るに、忽沙僧(さそう)の還(な)お背(せなか)を廊下(ろうか)に貼(は)り着(つ)けて站(た)ちおるを見(み)、彼一把(ひとつかみ)に拿(とら)え住(とど)めて捽(ねじ)倒(たお)し、旧(もと)に照(したが)いて捆(くく)り了(おわ)んぬ。また行者(ぎょうじゃ)を找尋(そうじん=捜し求)むるに、ただ幾層(いくえ)もの門の尽く皆破損(はそん=壊れ)たるを見るのみ。情(じょう)としてこれ行者の打(う)ち破(やぶ)りて走(に)げしを知(し)れど、また往きて追(お)い趕わず、破れたる門を将(も)ちて補(おぎな)うは補い、遮(おお)うは遮い、家業(かぎょう=家の構え)を固(かた)く守(まも)る。これ語(かた)らず。
さて、孫大聖(そんたいせい)かの九曲盤桓洞(きゅうきょくばんかんどう)を出で、祥雲(しょううん)に跨(またが)りて径(ただち)に玉華州(ぎょっかしゅう)に転(てん)じ回(かえ)るに、ただ見よ、かの城頭(じょうとう)の上に各の廂(しょう=方面)の土地神祇(とちしんぎ=土地の神)と城隍(じょうこう=城の神)の神(かみ)の、空(くう)に迎(むか)い拝(はい)し接(まみ)うるを。

行者(ぎょうじゃ)言う、「汝(なんじ)ら、いかにしてか今夜(こんや)才(ようや)く見(まみ)ゆる」と。城隍(じょうこう)言う、「小神(しょうしん)等(ら)大聖(たいせい)の玉華州(ぎょっかしゅう)に下降(げこう)し給(たも)うを知(し)れど、賢王(けんおう)の款留(かんりゅう=手厚き留め)あるに因りて、故(ゆえ)に敢えて見えず。今王(おう)等の怪(かい)に遇(あ)い、大聖魔(ま)を降(くだ)し給うを知り、特に来(きた)りて叩接(こうせつ=額づき迎え)す」と。

行者(ぎょうじゃ)正(まさ)に嗔怪(しんかい=立腹)の処(ところ)に在(あ)るに、また金頭掲諦(きんとうかいたい)・六甲六丁(ろっこうろくてい)の神将(しんしょう)の、一尊(ひとり)の土地(とち)を押(おさ)え着(つ)け、面(おもて)の前(まえ)に跪(ひざまず)きて言う、「大聖(たいせい)、吾(われ)等(ら)この箇(ひとり)の地里鬼(ちりき=土地の鬼)を捉(とら)え得(え)来(きた)れり」とを見る。

行者(ぎょうじゃ)喝(かつ)して言う、「汝(なんじ)ら竹節山(ちくせつざん)に在りて我が師父(しふ)を護(まも)らず、却っていかにしてか此(ここ)まで嚷(わめ)き到りし」と。

丁甲神(ていこうしん)言う、「大聖(たいせい)、かの妖精(ようせい)は汝(なんじ)の逃(に)げし時より、復(また)巻簾大将(けんれんだいしょう)を捉(とら)え住(とど)め、依然(もとのごと)く捆(くく)り了(おわ)んぬ。我等(ら)彼が法力(ほうりき)の甚だ大いなるを見(み)、却って竹節山(ちくせつざん)の土地(とち)を将(も)ちて押解(おうかい=護送)して此(ここ)に至(いた)れり。彼かの妖精の根由(こんゆ=素性)を知(し)れば、乞(こ)う、大聖彼に一問(ひとと)いを問(と)い、便(すなわ)ち好(よ)く処治(しょち=処置)し、以(も)って聖僧(せいそう)賢王(けんおう)の苦(くるしみ)を救(すく)わんことを」と。

行者(ぎょうじゃ)この言(げん)を聴きて甚だ喜(よろこ)ぶ。かの土地(とち)戦戦兢兢(おののき)として頭を叩(う)って言う、「かの老妖(ろうよう)前年(ぜんねん)竹節山(ちくせつざん)に下降(げこう)せり。かの九曲盤桓洞(きゅうきょくばんかんどう)は元これ六獅(ろくし=六頭の獅子)の窩(すみか)なりしが、かの六箇(むっつ)の獅子(しし)、老妖の此(ここ)に至(いた)りしを得(え)てより、すなわち都拝(はい)して祖翁(そおう=祖父)と為(な)せり」と。

祖翁(そおう)はすなわちこれ箇(ひとつ)の九頭獅子(くとうしし)にして、号(ごう)を九霊元聖(きゅうれいげんせい)と曰(い)う。もし彼をして滅(ほろ)びしめんと欲(ほっ)せば、須(かなら)ず東極妙巌宮(とうごくみょうがんぐう)に到り往き、彼が主人公(しゅじんこう=持主)を請(しょう)じ来(きた)りて、方めて収伏(しゅうふく=降し従え)すべし。他(た)の人の擒(とりこ)むるを想(おも)う莫(なか)れ」と。

行者(ぎょうじゃ)この言(げん)を聞(き)き、半晌(しばらく)思憶(しおく=思い巡ら)して言う、「東極妙巌宮(とうごくみょうがんぐう)は、これ太乙救苦天尊(たいいつくうてんそん)なるか。彼が坐下(ざげ=乗物)は正(まさ)にこれ箇(ひとつ)の九頭獅子(くとうしし)なり。この等(よう)に説(い)わば──」と。すなわち教(いいつけ)て言う、「掲諦(かいたい)・金甲(きんこう)よ、還(かえ)って土地(とち)と同(とも)に回(かえ)り往き、暗(あん)中(ちゅう)に師父(しふ)・師弟(してい)并(なら)びに州王(しゅうおう)父子(ふし)を護祐(ごゆう=加護)せよ。本処(ほんしょ=当地)の城隍(じょうこう)は城池(じょうち)を守護(しゅご)せよ。走り出で往き来(こ)よ」と。衆(しゅう)の神(かみ)各各遵(したが)い守(まも)りて去(さ)り訖(おわ)んぬ。

この大聖(たいせい)觔斗雲(きんとうん)を縦(ほしいまま)にし、夜(よる)を連(つら)ねて前(まえ)に行(ゆ)く。約(およ)そ寅(いん=明け方四時ごろ)の時分(じぶん)なるに、東天門(とうてもん)の外(そと)に到り、正(まさ)に広目天王(こうもくてんのう)と天丁(てんてい=天の兵)・力士(りきし)の一行(いっこう)の儀従(ぎじゅう=供揃い)に撞(でくわ)す。衆(しゅう)皆停(とど)まり住(とど)まり、手(て)を拱(こまね)きて迎(むか)えて言う、「大聖いずこへか往く」と。

行者(ぎょうじゃ)衆(しゅう)に対(むか)い礼(れい)し畢(おわ)り、言う、「前(さき)に妙巌宮(みょうがんぐう)へ往きて走(ある)かんとす」と。天王(てんのう)言う、「西天(せいてん)の路(みち)を走(ゆ)かずして、却ってまた東天(とうてん)へ来(きた)りて甚(なに)をか做(な)す」と。

行者(ぎょうじゃ)言う、「玉華州(ぎょっかしゅう)に到り、州王(しゅうおう)の相款(そうかん=手厚き持成し)を蒙(こうむ)り、三子(さんし)を遣(つか)わして我等(ら)弟兄(ていけい)を拝(はい)して師(し)と為(な)し、武芸(ぶげい)を習学(しゅうがく)せしむるに因り、期(き)せずや一伙(ひとむれ)の獅怪(しかい)に遇(あ)えり。今訪(たず)ね得(え)たるに、妙巌宮(みょうがんぐう)の太乙救苦天尊(たいいつくうてんそん)はすなわち怪(かい)が主人公(しゅじんこう)なり。彼を請(しょう)じて我が為(ため)に怪を降(くだ)し師を救(すく)わしめんと欲(ほっ)す」と。

天王(てんのう)言う、「彼(か)の廂(ほう=方)にては汝(なんじ)人の師(し)と為らんと欲(ほっ)するに因りて、ここをもてこの一窩(ひとすみか)の獅子(しし)を惹(ひ)き出(いだ)せるなり」と。行者(ぎょうじゃ)笑って言う、「正(まさ)に此(これ)が為(ため)なり!正に此が為なり!」と。

衆(しゅう)の天丁(てんてい)・力士(りきし)箇箇(おのおの)手を拱(こまね)き、道(みち)を譲(ゆず)りて行(ゆ)かしむ。大聖(たいせい)東天門(とうてもん)に入り、多(おお)からずして、妙巌宮(みょうがんぐう)の前(まえ)に到る。ただ見よ、
彩雲(さいうん)重(かさ)ね迭(かわ)り、紫気(しき)蘢葱(ろうそう=盛んに立ちこむ)。
瓦(かわら)は金波(きんぱ=金の波)の焰(ほのお)を漾(ただよわ)せ、門は玉獣(ぎょくじゅう=玉の獣)の崇(たか)きを排(つら)ぬ。
花(はな)は双闕(そうけつ=二つの門楼)に盈(み)ちて紅霞(こうか)繞(めぐ)り、日(ひ)は騫林(けんりん=高き林)に映(えい)じて翠霧(すいむ)籠(こ)む。
果(はた)してこれ万真(ばんしん=幾万の真人)環拱(かんきょう=囲み拝)し、千聖(せんせい=千の聖)興隆(こうりゅう)す。
殿閣(でんかく)層層(そうそう)として錦(にしき)の如(ごと)く、窗軒(そうけん=窓と軒)処処(しょしょ)として通(つう)ず。
蒼龍(そうりゅう)盤(めぐ)り護(まも)りて神光(しんこう)藹(あい=盛ん)に、黄道(こうどう)光輝(こうき)として瑞気(ずいき)濃(こま)やかなり。
これなるは青華長楽界(せいかちょうらくかい)、東極妙巌宮(とうごくみょうがんぐう)なり。
と。

かの宮門(きゅうもん)の裡(うち)に一箇の霓帔(げいひ=虹の肩掛)を穿(き)たる仙童(せんどう)の立(た)ちおるが、忽孫大聖(そんたいせい)を見(み)、すなわち宮(きゅう)に入りて報(しら)せて言う、「爺爺(じいさま)、外面(そと)にはこれ天宮(てんぐう)を鬧(さわ)がしし斉天大聖(せいてんたいせい)の来(きた)れるなり」と。

太乙救苦天尊(たいいつくうてんそん)これを聴き、すなわち侍衛(じえい=近侍)の衆仙(しゅうせん)を喚(よ)んで迎(むか)えしむ。迎えて宮中(きゅうちゅう)に至(いた)るに、ただ見よ、天尊(てんそん)九色蓮花座(きゅうしょくれんげざ)の上に高(たか)く坐(ざ)し、百億瑞光(ひゃくおくずいこう)の中(うち)に在り、行者(ぎょうじゃ)を見るや、座(ざ)を下(お)りて来(きた)りて相(あい)見(まみ)ゆ。行者上(かみ)に朝(むか)いて礼(れい)を施(ほどこ)せば、天尊礼に答(こた)えて言う、「大聖(たいせい)、この幾年(いくとせ)か見ざりしに、前(さき)に汝(なんじ)の道(どう)を棄(す)てて仏(ほとけ)に帰(き)し、唐僧(とうそう)を保(たも)ちて西天(せいてん)に経(きょう)を取(と)りに往くと聞(き)けり。想(おも)うに功行(こうぎょう=修行の功)已に完(まっと)うせしか」と。

行者(ぎょうじゃ)言う、「功行(こうぎょう)未(いま)だ完(まっと)うせざれど、却ってまた将(まさ)に近(ちか)からんとす。ただ如今唐僧(とうそう)を保(たも)ちて玉華州(ぎょっかしゅう)に到るに因り、王子(おうじ)の三子(さんし)を遣(つか)わして老孫(ろうそん)等(ら)を拝(はい)して師(し)と為(な)し、武芸(ぶげい)を習学(しゅうがく)せしむるを蒙(こうむ)り、我らが三件(みつ)の神兵(しんぺい=神なる兵器)を把(と)りて様(かた)に照(したが)いて打造(うちつく)らしむ。期(き)せずや夜間(やかん)に賊(ぞく)に被(かぶ)りて偸(ぬす)み去(さ)られたり。天明(てんめい)に及びて尋找(じんそう=捜し求)するに、元これ城の北(きた)の豹頭山(ひょうとうざん)虎口洞(ここうどう)の一箇の金毛獅子(きんもうしし)の精(せい)と成りて盗(ぬす)み去りしなり。老孫計(けい)を用(もち)いて取(と)り出(いだ)せしに、かの精すなわち若干(そこばく)の獅精(ししせい)を伙(く)みて老孫と大いに鬧(さわ)ぐ。内(うち)に一箇の九頭獅子(くとうしし)あり、神通(じんずう)広大(こうだい)にして、我が師父(しふ)と八戒(はっかい)并(なら)びに王(おう)父子(ふし)四人(よたり)を将(も)ちて都銜(ふく)み去り、一(ひとつ)の竹節山(ちくせつざん)九曲盤桓洞(きゅうきょくばんかんどう)に到れり。次日(あくるひ)、老孫と沙僧(さそう)跟(したが)い尋(たず)ぬるに、またまた銜み去られたり。老孫彼に捆(くく)られて打(う)たるること無数(むすう)なりしが、幸(さいわ)いにして法(ほう)を弄(ろう)して走(に)げ出でたり。彼らは正(まさ)に彼(か)の処(ところ)に在りて罪(つみ)を受(う)けおるなり。当坊(とうぼう=現地)の土地(とち)に問(と)い及(およ)ぶに、始(はじ)めて天尊(てんそん)のこれ彼が主人(あるじ)なるを知(し)れり。特に来(きた)りて奉請(ほうせい=請い奉り)、収降(しゅうこう=降し収め)して解救(かいきゅう=救い出し)せられんことを請(こ)う」と。

天尊(てんそん)この言(げん)を聞(き)き、すなわち仙将(せんしょう)に令(れい)じて獅子房(ししぼう=獅子の舎)に到り、獅奴(しぬ=獅子飼い)を喚(よ)び出(いだ)して問(と)わしむ。かの獅奴(しぬ)熟睡(じゅくすい)しおるを、衆将(しゅしょう)に推(お)され揺(ゆす)られて方めて醒(さ)め、中庁(ちゅうちょう=中央の間)に揪(ひきた)て来(きた)りて見(まみ)ゆ。天尊問うて言う、「獅獣(しじゅう=獅子)はいずこに在(あ)る」と。

かの奴児(ぬじ=下僕)涙(なみだ)を垂(た)れて頭を叩(う)ち、ただ教(よばわ)る、「命(いのち)を饒(ゆる)し給(たも)え!命を饒し給え!」と。天尊(てんそん)言う、「孫大聖(そんたいせい)此(ここ)に在(あ)れば、且く汝を打(う)たず。汝、疾(と)く説(い)え、何の為(ため)に謹(つつし)まざりて、九頭獅子(くとうしし)を走(に)がししや」と。

獅奴(しぬ)言う、「爺爺(じいさま)、我、前日(せんじつ)大千甘露殿(だいせんかんろでん)の中(うち)に一瓶(ひとびん)の酒(さけ)の在(あ)るを見(み)、知(し)らず偸(ぬす)み去(ゆ)きてこれを食(の)み、覚(おぼ)えず沈酔(ちんすい=深く酔い)して睡(ねむ)り、拴鎖(せんさ=繋ぎ鎖)を失(しっ)したり。ここをもて走(に)がし了(おわ)んぬ」と。

天尊(てんそん)言う、「あの酒(さけ)はこれ太上老君(たいじょうろうくん)の送(おく)りしものにして、名(な)を輪廻瓊液(りんねけいえき)と喚(よ)ぶ。汝(なんじ)これを食(の)みて該(まさ)に三日(みっか)醒(さ)めざるべし。かの獅獣(しじゅう)今走(に)がして幾日(いくにち)かなる」と。大聖(たいせい)言う、「土地(とち)の説(い)うに拠(よ)れば、彼前年(ぜんねん)下降(げこう)し、今に到るまで二三年(にさんねん)なり」と。

天尊(てんそん)笑って言う、「是(しか)り!是り!天宮(てんぐう)の裡(うち)の一日(いちじつ)は、凡世(ぼんせい=人の世)に在りてはすなわちこれ一年(いちねん)なり」と。獅奴(しぬ)を叫(よ)んで言う、「汝且く起(お)き上(あ)がれ。汝が死罪(しざい)を饒(ゆる)さん。我と大聖(たいせい)とに跟(したが)いて下方(げほう=下界)に往き、彼を収(おさ)め来(きた)らん。汝(なんじ)ら衆仙(しゅうせん)は都回(かえ)り去(さ)れ、跟い随(ともな)うを用(もち)いず」と。
天尊(てんそん)遂(つい)に大聖(たいせい)・獅奴(しぬ)と与(とも)に、雲(くも)を踏(ふ)みて径(ただち)に竹節山(ちくせつざん)に至(いた)る。ただ見よ、かの五方掲諦(ごほうかいたい)・六丁六甲(ろくていろっこう)・本山(ほんざん)の土地(とち)の、都来(きた)りて跪(ひざまず)き接(まみ)うるを。

行者(ぎょうじゃ)言う、「汝(なんじ)ら護祐(ごゆう=加護)せしが、曾(かつ)て我が師(し)を傷(そこな)われしか」と。衆(しゅう)の神(かみ)言う、「妖精(ようせい)悩(いらだ)ちに着(つ)かれて睡(ねむ)り了(おわ)るのみ。更に曾て甚(いず)れの刑罰(けいばつ)をか動(どう)さず」と。

天尊(てんそん)言う、「我があの元聖児(げんせいじ)もまたこれ一箇の久(ひさ)しく修(おさ)めて道(どう)を得(え)たる真霊(しんれい=真の霊)なり。彼、一声(ひとこえ)喊(さけ)べば、上(かみ)は三聖(さんせい)に通(つう)じ、下(しも)は九泉(きゅうせん=黄泉)に徹(とお)る。等閑(なみ)にもまた便(すなわ)ち生(いのち)を傷(そこな)わず。孫大聖(そんたいせい)、汝(なんじ)彼が門首(もんしゅ=門前)に往きて戦(たたかい)を索(もと)め、彼を引(ひ)き出(いだ)せ。我、好(よ)くこれを収(おさ)めん」と。

行者(ぎょうじゃ)この言(げん)を聴き、果(はた)して棒(ぼう)を掣(ひっさ)げて洞口(どうこう)に跳(と)び近(ちか)づき、高(たか)く罵(ののし)って言う、「潑妖精(はつようせい)め、我に人を還(かえ)せや!潑妖精め、我に人を還せや!」と。連(つづ)けて数声(すうせい)を叫(よばわ)るに、かの老妖(ろうよう)睡(ねむ)り了(おわ)りて、人の答(こた)うる無(な)し。

行者(ぎょうじゃ)性(せい)急(きゅう=気短か)に起(お)こり、鉄棒(てつぼう)を輪(ふ)りて、裡(うち)へ向(むか)いて打(う)ち進(すす)み、口(くち)の中(うち)に住(とど)まること無(な)く喊(さけ)び罵(ののし)る。かの老妖(ろうよう)方めて才(ようや)く驚(おどろ)き醒(さ)め、心中(しんちゅう)大いに怒(いか)り、爬(はい)き起きて、一声(ひとこえ)「戦(たたかい)を趕(お)え!」と喝(かつ)し、頭(かしら)を揺(ゆ)り揺りして、すなわち口を張(は)り開(ひら)きて来(きた)り銜(ふく)まんとす。行者頭(こうべ)を回(めぐ)らして跳(と)び出(い)づ。

妖精(ようせい)外辺(そと)まで趕(お)い到り、罵(ののし)って言う、「賊猴(ぞくこう=盗人猿)め!いずこへか走(に)ぐる」と。行者(ぎょうじゃ)高崖(こうがい=高き崖)の上に立(た)ちて笑って言う、「汝(なんじ)還(な)お敢えてこの等(よう)に大胆(だいたん)無礼(ぶれい)なるか!汝、死活(しかつ=生死)をもまた知(し)らざるなるに!これ汝が老爺(ろうや=ご主人)の主公(しゅこう)の此(ここ)に在(あ)るに非(あら)ずや」と。

かの妖精(ようせい)崖前(がいぜん)に趕(お)い到るや、早くも天尊(てんそん)一声(ひとこえ)の呪語(じゅご=呪文)を念(とな)え、喝(かつ)して言う、「元聖児(げんせいじ)!我、来(きた)れるなり!」と。かの妖(よう)これ主人(あるじ)なると認(みと)め、敢えて展掙(てんそう=あがき)せず、四隻(よつ)の脚(あし)を地(ち)に伏(ふ)し、ただ頭を磕(ぬかず)く。

旁(かたわら)より獅奴児(しぬじ)跑(はし)り過ぎ、一把(ひとつかみ)に項毛(こうもう=首の毛)を撾(つか)み住(とど)め、拳(こぶし)を用(もち)いて項(くび)の上を着(つ)けて百十(ひゃくじゅう)を彀(たっぷり)と打(う)ち、口(くち)の裡(うち)に罵(ののし)って言う、「汝(なんじ)この畜生(ちくしょう)め、如何(いか)にして偸(ぬす)み走(に)がし、我をして罪(つみ)を受(う)けしむるや!」と。かの獅獣(しじゅう)口を合(あ)わせて言うこと無(な)く、敢えて揺(ゆ)り動(うご)かず。獅奴児打ちて手(て)困(つか)れて、方めて住まり了(おわ)り、すなわち錦韂(きんせん=錦の鞍敷)を将(も)ちて彼が身上(しんじょう)に安(お)き着くれば、天尊(てんそん)これに騎(の)り、一声(ひとこえ)喝(かつ)して走(ゆ)かしむ。彼すなわち声(こえ)を縦(ほしいまま)にして彩雲(さいうん)を駕(が)し起(おこ)し、径(ただち)に妙巌宮(みょうがんぐう)へ転(てん)じ去(さ)りぬ。

大聖(たいせい)空(くう)を望(のぞ)みて称謝(しょうしゃ=礼を述べ)し了(おわ)り、却って洞中(どうちゅう)に入り、先(ま)ず玉華王(ぎょっかおう)を解(と)き、次(つぎ)に唐三蔵(とうさんぞう)を解き、次にまた八戒(はっかい)・沙僧(さそう)并(なら)びに三王子(さんおうじ)を解き、共(とも)に彼が洞(どう)の裡(うち)の物件(ぶっけん=品々)を捜(さぐ)り、逍逍停停(しょうしょうていてい=のんびり)と、衆(しゅう)を将(も)ちて門の外(そと)に領(みちび)き出(いだ)す。

八戒(はっかい)すなわち若干(そこばく)の枯柴(こさい=枯れ木)を取(と)り、前後(ぜんご)に堆(うずたか)く上(あ)げ、火(ひ)を放(はな)ち起(おこ)せば、一箇の九曲盤桓洞(きゅうきょくばんかんどう)を把(と)りて、焼(や)きて烏焦(うしょう=黒焦げ)の破瓦窯(はがよう=割れ瓦の窯)と做(な)し了(おわ)んぬ!

大聖(たいせい)また衆(しゅう)の神(かみ)を発放(ほっぱつ=解散)し、還(かえ)って土地(とち)をして此(ここ)に在りて鎮守(ちんしゅ=鎮まり守ら)しめ、却って八戒(はっかい)・沙僧(さそう)に令(れい)じて、各各法(ほう)を使(つか)い、王(おう)父子(ふし)を把(と)りて背(せ)に馱(お)い州(しゅう)に回(かえ)らしめ、彼は唐僧(とうそう)を攙(たす)け着く。多(おお)からずして、州城(しゅうじょう)に到る。天色(てんしょく=空模様)漸(ようや)く晩(く)るるに、当(まさ)に妃后(きこう=后妃)官員(かんいん)の、都来(きた)りて接見(せっけん=出迎え)するあり。

斎筵(さいえん=精進の宴)を擺(ととの)え上(あ)げ、共(とも)に坐(ざ)してこれを享(う)く。長老(ちょうろう)師徒(してい)は還(な)お暴紗亭(ぼうさてい)に在りて安歇(あんけつ=休み泊まり)、王子(おうじ)らは宮(きゅう)に入りて各寝(い)ぬ。一宵(ひとよ)話(ことば)無(な)し。
次日(あくるひ)、王(おう)また旨(むね)を伝(つた)え、大いに素宴(そえん=精進の宴)を開(ひら)き、合府(がっぷ=府中)の大小(だいしょう)の官員(かんいん)、一一(いちいち)に恩(おん)を謝(しゃ)す。行者(ぎょうじゃ)また屠子(とし=屠殺人)を叫(よ)び来(きた)らせ、かの六箇(むっつ)の活(い)ける獅子(しし)を把(と)りて殺(ころ)さしめ、かの黄獅子(こうしし)とも都皮(かわ)を剥(は)がせ、肉(にく)を将(も)ちて安排(あんばい=整え)し来らせて受用(じゅよう=頂戴)す。殿下(でんか)十分(じゅうぶん)に歓喜(かんき)し、すなわち命(めい)じて殺さしめ、一箇(ひとつ)を把りて本府(ほんぷ)の内外(ないがい)の人の用(よう)に留(とど)め、一箇を王府(おうふ)の長史(ちょうし=家老)等(ら)の官(かん)に与(あた)えて分(わか)ち用(もち)いしめ、五箇(いつつ)を把りて都剁(きざ)んで一二両(いちにりょう)重(おも)の塊子(かいし=塊)と做(な)し、校尉(こうい)を差(さしむ)けて州城(しゅうじょう)内外の軍民(ぐんみん)人等(ひとども)に散(ちら)し給(あた)え、各些須(さしゅ=少々)を食(くら)わしむ。一(ひとつ)には則(すなわ)ち滋味(じみ=味)を嘗(あじわ)い、二(ふたつ)には則ち驚恐(きょうきょう=恐怖)を押(おさ)え押えせん為(ため)なり。かの家家戸戸(いえいえこここ)、瞻仰(せんぎょう=仰ぎ見)せずといふこと莫(な)し。

またかの鉄匠(てっしょう)人等(ひとども)の三般(みつ)の兵器(へいき)を造(つく)り成(な)し、行者(ぎょうじゃ)に対(むか)い頭を磕(ぬかず)いて言う、「爺爺(おおじいさま)、小(こもの)らが工(こう)都完(おわ)り了(おわ)んぬ」とを見る。問うて言う、「各重(おも)さ多少(いくばく)の斤両(きんりょう=斤数)なる」と。鉄匠言う、「金箍棒(きんこぼう)は千斤(せんきん)あり、九歯鈀(きゅうしは)と降妖杖(ごうようじょう)は各八百斤(はっぴゃっきん)あり」と。行者言う、「也(また)罷(よ)し」と。

三位(みたり)の王子(おうじ)を請(しょう)じて出で来(きた)らせ、各人(おのおの)兵器(へいき)を執(と)らしむ。三子(さんし)老王(ろうおう)に対(むか)いて言う、「父王(ふおう)、今日(こんにち)兵器完(まっと)うせり」と。老王言う、「この兵器の為(ため)に、幾(ほと)んど我が父子(ふし)の命(いのち)を傷(そこな)わんとせしなり」と。

小王子(しょうおうじ)言う、「幸(さいわ)いに神師(しんし)の法(ほう)を施(ほどこ)し、我等(ら)を救(すく)い出(いだ)され、却ってまた妖邪(ようじゃ)を掃蕩(そうとう)し、後患(こうかん=後の患い)を除(のぞ)かるるを蒙(こうむ)る。誠(まこと)にいわゆる『海晏(かいあん=海静か)河清(かせい=川清し)』、太平(たいへい)の世界(せかい)なるかな!」と。当時(そのとき)老王(ろうおう)父子(ふし)匠作(しょうさく=職人)を賞労(しょうろう=労い賞し)、また暴紗亭(ぼうさてい)に至(いた)りて師恩(しおん=師の恩)を拝謝(はいしゃ)す。

三蔵(さんぞう)また大聖(たいせい)等(ら)に教(いいつ)けて疾(と)く武芸(ぶげい)を伝(つた)え、行程(こうてい=旅路)を誤(あやま)ること莫(なか)らしむ。彼三人(みたり)すなわち各兵器(へいき)を輪(ふ)り、王府(おうふ)の院中(いんちゅう)に在りて、一一(いちいち)に伝授(でんじゅ)す。数日(すうじつ)ならずして、かの三人の王子(おうじ)尽く皆操演(そうえん=稽古)して精熟(せいじゅく=熟達)し、その余(ほか)の攻退(こうたい=攻め退き)の方(ほう)、緊慢(きんまん=緩急)の法(ほう)、各七十二般(ななじゅうにはん)の解数(かいすう=技)有りて、これを知(し)らざる莫(な)し。

一(ひとつ)には則(すなわ)ちかの諸王子(しょおうじ)の心(こころ)堅(かた)きに、二(ふたつ)には則ち孫大聖(そんたいせい)の先(ま)ず神力(しんりき)を授(さず)けしに虧(よ)る。ここをもてあの千斤(せんきん)の棒(ぼう)、八百斤(はっぴゃっきん)の鈀杖(はじょう=鈀と杖)を、倶よく挙(あ)げ能(よ)く運(はこ)ぶは、初(はじ)めの時自家(じか=自分)が弄(ろう)しし武芸(ぶげい)に較(くら)ぶれば、真(まこと)に天淵(てんえん=天と淵)なり!詩(し)の証(あかし)と為(な)す有り。詩に曰(いわ)く、
善慶(ぜんけい=善き慶び)に縁因(えんいん=縁り因る)して神師(しんし)に遇(あ)い、武(ぶ)を習(なら)うに何ぞ期(き)せん怪獅(かいし=妖しき獅子)を動(うご)かさんとは。
群邪(ぐんじゃ)を掃蕩(そうとう)して社稷(しゃしょく=国家)を安(やす)んじ、一体(いったい)に皈依(きえ)して辺夷(へんい=辺境)を定(さだ)む。
九霊(きゅうれい)は数(かず)元陽(げんよう)の理(り)に合(がっ)し、四面(しめん)精(つまびらか)に道果(どうか)之(これ)に通(つう)ず。
授受(じゅじゅ)心明(しんめい=心明らか)にして万古(ばんこ)に遺(のこ)し、玉華(ぎょっか)永楽(えいらく)太平(たいへい)の時なり。
と。

かの王子(おうじ)また大いに筵宴(えんえん)を開(ひら)き、師(し)の教(おしえ)を謝(しゃ)し、また一大盤(ひとおおざら)の金銀(きんぎん)を取(と)り出(いだ)し、用(も)ちて微情(びじょう=僅かな志)に答(こた)えんとす。行者(ぎょうじゃ)笑って言う、「疾(と)く拿(と)りて入れよ!疾く拿りて入れよ!我ら出家人(しゅっけにん=僧侶)、彼を要(もと)めて何(なに)にか用(もち)いん」と。

八戒(はっかい)旁(かたわら)に在りて言う、「金銀(きんぎん)は実(げ)に敢えて受(う)けざれど、奈何(いかん)せん、我がこの件(ひとえ)の衣服(いふく)かの獅子精(ししせい)等(ら)に被(かぶ)りて扯拉(ひきさ)き破(やぶ)られたり。ただ我らと与(とも)に件の衣服を換(か)えしめば、足(た)れるを愛(あい)と為(な)さん」と。

かの王子(おうじ)随(したが)いて針工(しんこう=裁縫師)に命(めい)じ、色様(しきよう=色と柄)に照(したが)い依(よ)り、青錦(せいきん)・紅錦(こうきん)・茶褐錦(ちゃかつきん)の各数匹(すうひつ)を取(と)り、三位(みたり)の為(ため)に各一件(ひとえ)を做(つく)らしむ。三人(みたり)欣然(きんぜん=喜び)として領受(りょうじゅ)し、各錦布(きんぷ)の直裰(じきとつ=衣)を穿(き)、行装(こうそう=旅支度)を收拾(しゅうしゅう)して起(た)ち程(たびだ)つ。ただ見よ、かの城の裡(うち)城の外(そと)、若大若小(おおいなるもちいさきも)、一人(ひとり)として羅漢(らかん)の凡(ぼん)に臨(のぞ)み、活仏(かつぶつ)の界(かい)に下(くだ)れりと称(とな)えざるは莫(な)く、鼓楽(こがく=囃子)の声(こえ)、旌旗(せいき=旗)の色(いろ)、街(まち)に盈(み)ち道(みち)を塞(ふさ)ぐ。正(まさ)にこれ家家(いえいえ)戸外(こがい)に香火(こうか=線香)を焚(た)き、処処(しょしょ)門前(もんぜん)に彩灯(さいてい=彩りの灯)を献(ささ)ぐ。来(きた)りて許遠(かなり遠く)に至(いた)るまで才(ようや)く回(かえ)り、彼四衆(ししゅ=四人)方めて城を離(はな)れて西(にし)へ去(ゆ)くを得(え)たり。

この一去(ひとたびゆく)に頓(にわ)かに群思(ぐんし=さまざまな思い)を脱(だっ)し、心(こころ)を正果(しょうが=悟り)に潜(ひそ)ましむ。才(はじ)めてこれ、
慮(おもんぱか)り無(な)く憂(うれ)い無くして仏界(ぶっかい)に来(きた)り、誠心(せいしん)誠意(せいい)雷音(らいおん)に上(のぼ)る。
と。畢竟(ひっきょう)霊山(りょうざん)に到るまで還(な)お幾多(いくばく)の路程(ろてい)あり、何時(いつ)か行(ぎょう)満(み)つるを知(し)らず。また下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)かれよ。