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091 第九十一回 金平府(きんぺいふ)元夜(げんや)に灯を観(み) 玄英洞(げんえいどう)に唐僧(とうそう)供状(くじょう)す

禅(ぜん)を修(おさ)むるに何処(いずこ)にか工夫(くふう)を用(もち)いん。馬(うま)劣(おと)り猿(さる)顛(たお)るれば速(すみやか)に剪除(せんじょ=切り除)せよ。
牢(かた)く捉(とら)え牢く拴(つな)げば五彩(ごさい)を生(しょう)じ、暫(しばら)く停(とど)まり暫く住(じゅう)すれば三途(さんず)に堕(お)つ。
もし自在(じざい)をして神丹(しんたん)の漏(も)らしめば、才(はじ)めて従容(しょうよう=緩るませ)を放(はな)ちて玉性(ぎょくせい)枯(か)れん。
喜怒憂思(きどゆうし)は須(かなら)ず掃(は)き浄(きよ)め、玄(げん)を得(え)妙(みょう)を得(う)れば恰(あたか)も無(な)きが如(ごと)し。
と。

話(わ)は唐僧(とうそう)師徒(してい)四衆(ししゅ)の玉華城(ぎょっかじょう)を離(はな)れ、一路(いちろ)平穏(へいおん)にして、誠(まこと)にいわゆる極楽(ごくらく)の郷(さと)なるを表(あらわ)す。去(さ)ること五六日(ごろくにち)の程途(ていと=道のり)ありて、また一座(ひとつ)の城池(じょうち=城郭)を見る。唐僧行者(ぎょうじゃ)に問うて言う、「此はまた甚(いず)れの処所(ところ)なる」と。行者言う、「これ一座の城池(じょうち)なれど、城の上に杆(さお)有りて旗(はた)無(な)し。いずこの地方(ちほう)なるを知(し)らず。近(ちか)づき前(まえ)に至(いた)りて再(ふたた)び問(と)わんを俟(ま)て」と。

及(およ)びて関東廂(かんとうしょう=関の東の門前町)に至(いた)るに、あの両辺(りょうべん)の茶坊(さぼう=茶屋)酒肆(しゅし=酒場)の喧嘩(けんか=賑わい)、米市(べいいち=米市)油房(ゆぼう=油屋)の熱鬧(ねっとう=賑わい)を見る。街衢(がいく=街路)の中(うち)に幾箇(いくたり)かの事(こと)無(な)く閑遊(かんゆう=ぶらつく)の浪子(ろうし=ごろつき)あり、猪八戒(ちょはっかい)の嘴(くちばし)の長(なが)き、沙和尚(さおしょう)の顔(かお)の黒(くろ)き、孫行者(そんぎょうじゃ)の眼(まなこ)の紅(あか)きを見、都擁擁簇簇(ようようぞくぞく=群れ集い)て争(あらそ)い看るも、ただ近(ちか)づき前(まえ)に在りて問うを敢えず。唐僧(とうそう)一把(ひとつかみ)の汗(あせ)を捏(にぎ)り、惟(た)だ彼らの禍(わざわい)を惹(ひ)かんことを恐(おそ)る。

また幾条(いくすじ)かの巷口(こうこう=路地口)を過ぎ走(ゆ)くに、還(な)お城に到(いた)らず、忽一座(ひとつ)の山門(さんもん)の有るを見る。門の上に慈雲寺(じうんじ)の三字(さんじ)あり。唐僧(とうそう)言う、「此(こ)の処(ところ)に略(いささ)か入り往きて馬(うま)を歇(やす)め、一箇の斎(とき)を打(こ)わんことは如何(いかん)」と。行者(ぎょうじゃ)言う、「好(よ)し!好し!」と。

四衆(ししゅ)遂(つい)に一斉(いっせい)にして入る。ただ見よ、かの裡辺(うち)は、
珍楼(ちんろう=美しき楼)壮麗(そうれい)に、宝座(ほうざ)崢嶸(そうこう=そびえ)たり。
仏閣(ぶっかく=仏殿)は雲(くも)の外(そと)に高(たか)く、僧房(そうぼう)は月(つき)の中(うち)に静(しずか)なり。
丹霞(たんか=赤き霞)縹緲(ひょうびょう=たなびき)として浮屠(ふと=仏塔)挺(ぬき)んじ、碧樹(へきじゅ=緑の樹)陰森(いんしん)として輪蔵(りんぞう=回転書架)清(きよ)し。
真(まこと)の浄土(じょうど)、仮(かり)の龍宮(りゅうぐう)、大雄殿(だいおうでん)の上に紫雲(しうん)籠(こ)む。
両廊(りょうろう=両の廊)に閑人(かんじん=暇な人)の戯(たわむ)るる絶(た)えず、一塔(いっとう)常(つね)に開(ひら)けて客(きゃく)の登(のぼ)る有り。
炉中(ろちゅう)の香火(こうか)時時(じじ)に爇(た)き、台上(だいじょう)の灯花(とうか=灯心)夜夜(やや)に熒(かがや)く。
忽方丈(ほうじょう)の金鐘(きんしょう=金の鐘)の韻(いん)を聞(き)けば、応仏僧人(おうぶつそうにん=仏事の僧)朗々(ろうろう)と経(きょう)を誦(とな)う。
と。

四衆(ししゅ)正(まさ)に看(み)おる時(おり)、また廊下(ろうか)より一人の和尚の走出(いできた)り、唐僧(とうそう)に対(むか)い礼(れい)を作(な)して言う、「老師(ろうし)いずこよりか来(きた)る」とを見る。唐僧言う、「弟子(でし)は中華(ちゅうか)唐朝(とうちょう)より来れる者なり」と。

かの和尚身(み)を倒(さかしま)にして下拝(はい)するに、慌(あわ)てたるかな唐僧(とうそう)、攙(たす)け起(お)こして言う、「院主(いんしゅ=寺の主)何為(なんす)れぞこの大礼(たいれい)を行(おこな)うや」と。かの和尚掌(て)を合(あ)わせて言う、「我が此の向善(こうぜん=善に向かう)の人は、経(きょう)を看(み)仏を念(とな)え、都汝(なんじ)が中華(ちゅうか)の地(ち)に修(おさ)め到りて托生(たくしょう=生まれ変わる)ことを指望(しぼう=期す)るなり」と。

才(いま)しがた老師(ろうし)が豊采(ほうさい=風采)衣冠(いかん=身なり)を見るに、果(はた)してこれ前生(ぜんしょう)修(おさ)め到りたる者にして、方めてこの受用(じゅよう=果報)を得(う)るならん。故(ゆえ)に当(まさ)に下拝(げはい)す」と。

唐僧(とうそう)笑って言う、「惶恐(こうきょう=恐縮)!惶恐!我が弟子(でし)はすなわちこれ行脚僧(あんぎゃそう=修行僧)、何の受用(じゅよう)かあらん!もし院主(いんしゅ)の此に在りて閑(しずか)に養(やしな)われ自在(じざい)なるこそ、才(はじ)めて福(ふく)を享(う)くるなれ」と。

かの和尚唐僧(とうそう)を領(みちび)いて正殿(せいでん)に入り、仏像(ぶつぞう)を拝(おが)ましむ。唐僧方めて才(ようや)く招呼(しょうこ=呼びかけ)して言う、「徒弟(でし)来(こ)よ」と。

元来(もと)行者(ぎょうじゃ)三人(みたり)は、かの和尚の師父(しふ)と与(とも)に話(はなし)を講(い)うを自(みずか)ら見(み)しより、彼ら都顔(かお)を背(そむ)け、馬(うま)を牽(ひ)き、担(に)を守(まも)り、一処(ひとところ)に立(た)ちおるをもて、和尚曾(かつ)て心(こころ)に在(あ)らざりき。忽唐僧(とうそう)の徒弟(でし)と叫(よばわ)るを聞(き)くや、彼三人方めて才(ようや)く面(おもて)を転(めぐ)らす。かの和尚これを見、慌(あわ)てて叫る、「爺爺呀(おおじいさま)!汝が高徒(こうと=高弟)如何(いか)にしてか恁般(かく)まで醜様(しゅうよう=醜き姿)なる」と。

唐僧(とうそう)言う、「醜(みにく)きは則(すなわ)ち醜きといえど、倒(かえ)って頗(すこぶ)る些(いささ)かの法力(ほうりき)有り。我、一路(いちろ)甚だ彼らの保護(ほご)に虧(よ)る」と。正(まさ)に説(い)う処(ところ)に、裡面(うち)よりまた幾箇(いくたり)かの和尚の走出(いできた)り礼(れい)を作(な)す。先(さき)に見(み)しあの和尚、後(あと)の者に対(むか)いて説(と)いて言う、「この老師(ろうし)はこれ中華大唐(ちゅうかだいとう)より来(きた)れるの人物(じんぶつ)にして、あの三位(みたり)はこれ彼が高徒(こうと)なり」と。

衆僧(しゅうそう)且(か)つ喜(よろこ)び且つ懼(おそ)れて言う、「老師(ろうし)は中華(ちゅうか)大国(たいこく)なるに、此に到りて何(なに)をか為(な)す」と。唐僧(とうそう)言う、「我、唐王(とうおう)の聖旨(せいし=勅命)を奉(ほう)じ、霊山(りょうざん)に向(むか)いて仏を拝(おが)み経(きょう)を求(もと)めんとす。适(たまたま)宝方(ほうほう=貴地)を過ぎるにより、特に上刹(じょうさつ=貴寺)に奔(はし)り来(きた)る。一(ひとつ)には則(すなわ)ち地方(ちほう)を求問(きゅうもん=尋ね問)し、二(ふたつ)には則ち一頓(ひとくい)の斎食(さいしょく)を打(こ)いてすなわち行(ゆ)かんとす」と。

かの僧人(そうにん)箇箇(おのおの)歓喜(かんき)し、また方丈(ほうじょう)に邀(しょう)じ入る。方丈の裡(うち)にまた幾箇(いくたり)かの人家(じんか)の与(ため)に斎(とき)を做(つく)るの和尚あり。この先(さき)に入りし者また叫(よばわ)る、「汝(なんじ)ら都来(きた)りて中華(ちゅうか)の人物(じんぶつ)を看よ。元来(もと)中華には俊(しゅん=美しき)の有り、醜(しゅう=醜き)の有り。俊(しゅん)なるは真箇(まこと)に描(えが)き難(がた)く画(か)き難く、醜(しゅう)なるは却って十分(じゅうぶん)に古怪(こかい=風変わり)なり」と。

かの許多(あまた)の僧(そう)・斎主(さいしゅ=施主)同(とも)に来(きた)りて相(あい)見(まみ)ゆ。見(み)畢(おわ)り、各坐下(ざげ)す。茶(ちゃ)罷(おわ)りて、唐僧(とうそう)問うて言う、「貴処(きしょ=おんみやこ)はこれ何(いず)れの地名(ちめい)なる」と。

衆僧(しゅうそう)言う、「我が此はすなわちこれ天竺国(てんじくこく)の外郡(がいぐん=地方)、金平府(きんぺいふ)これなり」と。唐僧(とうそう)言う、「貴府(きふ)より霊山(りょうざん)に至(いた)るまで還(な)お許多(いくばく)の遠近(えんきん=距離)か有る」と。衆僧言う、「此間(ここ)より都下(とか)に到るまで二千里(にせんり)あり。これ我等(ら)の走(あゆ)みしところなり。西(にし)へ霊山に到るは、我等未(いま)だ走(ゆ)かず、還お多少(いくら)の路(みち)の有るを知(し)らず、敢えて妄(みだ)りに対(こた)えず」と。唐僧謝(しゃ)し了(おわ)んぬ。

少時(しばらく)して、斎(とき)を擺(ととの)え上(あ)ぐ。斎罷(おわ)りて、唐僧(とうそう)行(ゆ)かんと要(もと)むるに、却って衆僧(しゅうそう)并びに斎主(さいしゅ)に款留(かんりゅう=引留め)せられて言う、「老師(ろうし)寛(ゆる)りて一二日(いちににち)住(じゅう)し、元宵(げんしょう)を過ぎて、耍耍(あそびあそ)びて去(ゆ)くも妨(さしつか)えず」と。

唐僧(とうそう)驚(おどろ)きて問うて言う、「弟子(でし)路(みち)に在りて、ただ山の有るを知(し)り、水(みず)の有るを知り、怕(おそ)るるはこれ怪(かい)に逢(あ)い、魔(ま)に逢うことをのみ。光陰(こういん=月日)を把(と)りて都錯(あやま)り過ぎ、いずれの時かこれ元宵(げんしょう)の佳節(かせつ)なるを知らず」と。

衆僧(しゅうそう)笑って言う、「老師(ろうし)は仏を拝(おが)み禅心(ぜんしん)を悟(さと)るに重(おも)きを置(お)くをもて、故(ゆえ)にこれを以(も)って念(おもい)と為(な)さず。今日(こんにち)はすなわちこれ正月十三(しょうがつじゅうさん)、晩(くれ)に到(いた)ればすなわち灯を試(ため)し、後日(みょうごにち)十五(じゅうご)は上元(じょうげん)、十八九(じゅうはちく)に直(ただち)に至(いた)るまで、方めて才(ようや)く灯を謝(しゃ)す。我が此の人家(じんか)は事(こと)を好(この)み、本府(ほんぷ)の太守(たいしゅ)老爺(ろうや)は民(たみ)を愛(あい)し、各地方(かくちほう)倶灯火(とうか)を高(たか)く張(は)り、徹夜(てつや)笙簫(しょうしょう=笛と簫)なり。還(な)お一箇の金灯橋(きんとうきょう)有り、すなわちこれ上古(じょうこ)より伝(つた)え留(とど)め、今に至るまで丰盛(ほうせい=盛ん)なり。老爺ら寛(ゆる)りて数日(すうじつ)住(じゅう)し給(たも)え、我が荒山(こうざん=粗末な寺)頗(すこぶ)る管待(かんたい=持成し)えきるなり」と。

唐僧(とうそう)無奈(よんどころな)く、遂(つい)に倶住(じゅう)し下(お)る。当晩(そのばん)ただ仏殿(ぶつでん)の上に鐘鼓(しょうこ=鐘と鼓)の天(てん)に喧(かまびす)しきを聴く。すなわちこれ街坊(がいぼう=町内)の衆信人(しゅうしんじん=信徒)等(ら)の、灯を送(おく)り来(きた)りて仏に献(ささ)ぐるなり。唐僧等都方丈(ほうじょう)を出でて灯を看(み)、各寝(しん)に帰(かえ)る。
次日(あくるひ)、寺僧(じそう)また斎(とき)を献(ささ)ぐ。吃(くら)い罷(おわ)り、同(とも)に後園(こうえん)に步(あゆ)みて閑(しずか)かに耍(あそ)ぶ。果(はた)して好(よ)き箇(ひとつ)の去処(ところ)かな。正(まさ)にこれ、
時は維(こ)れ正月(しょうがつ)、歳(とし)は新春(しんしゅん)に届(いた)る。
園林(えんりん)幽雅(ゆうが)に、景物(けいぶつ)妍森(けんしん=美しく茂る)。
四時(しいじ)の花木(かぼく)奇(き)を争(あらそ)い、一派(いっぱ)の峰巒(ほうらん=峰々)翠(みどり)を迭(かさ)ぬ。
芳草(ほうそう=芳しき草)階前(かいぜん)に萌(きざ)し動(うご)き、老梅(ろうばい)枝上(しじょう)に馨(かおり)を生(しょう)ず。
紅(あか)は桃花(とうか)の嫩(わか)きに入り、青(あお)は柳色(りゅうしょく)の新(あたら)しきに帰(き)す。
金谷園(きんこくえん)の富麗(ふれい)は休(や)めて誇(ほこ)る莫(なか)れ、『輞川図(もうせんず)』の流風(りゅうふう)も慢(みだ)りに説(と)く莫れ。
水流(すいりゅう)一道(いちどう)、野鳧(やふ=野鴨)出没(しゅつぼつ)して常(つね)無(な)く、竹(たけ)は千竿(せんかん)を種(う)え、墨客(ぼっかく=文人)推敲(すいこう)して未(いま)だ定(さだ)まらず。
芍薬花(しゃくやくか)・牡丹花(ぼたんか)・紫薇花(しびか)・含笑花(がんしょうか)、天機(てんき=自然の働き)方めて醒(さ)め、
山茶花(さんさか)・紅梅花(こうばいか)・迎春花(げいしゅんか)・瑞香花(ずいこうか)、艶質(えんしつ=艶かしき姿)先(ま)ず開(ひら)く。
陰崖(いんがい=日陰の崖)の積雪(せきせつ)猶(な)お凍(こおり)を含(ふく)み、遠樹(えんじゅ)の浮烟(ふえん=たなびく霞)已に春(はる)を帯(お)ぶ。
また見よ、かの鹿(しか)の池辺(いへん)に向(むか)いて影(かげ)を照(てら)し、鶴(つる)の松下(しょうか)に来(きた)りて琴(こと)を聴くを。
東(ひがし)に幾厦(いくさ)か、西(にし)に幾亭(いくてい)か、客(きゃく)来(きた)りて留宿(りゅうしゅく)し、
南(みなみ)に幾堂(いくどう)か、北(きた)に幾塔(いくとう)か、僧(そう)静(しずか)に安禅(あんぜん)す。
花卉(かき=草花)の中(うち)に、一両座(ひとふたつ)の養性楼(ようせいろう=性を養う楼)の重檐(じゅうえん=二重の軒)高(たか)く拱(こまぬ)く有り、
山水(さんすい)の内(うち)に、三四処(みよところ)の煉魔室(れんましつ=魔を練る室)の静几(せいき=清き机)明窗(めいそう=明るき窓)有り。
真箇(まこと)にこれ天然(てんねん)に隠逸(いんいつ=隠れ住む)に堪(た)えたり、又何ぞ他処(たしょ)に蓬瀛(ほうえい=仙境)を覓(もと)めんことを須(もち)いん。
と。

師徒(してい)ら玩賞(がんしょう=眺め楽し)むこと一日(いちじつ)にして、殿上(でんじょう)に灯を看(み)、また都灯を看に往きて遊戯(ゆうげ=遊び)す。ただ見よ、あの
瑪瑙花城(めのうかじょう=瑪瑙の花の城)、琉璃仙洞(るりせんどう)、水晶(すいしょう)雲母(うんも)の諸宮(しょきゅう)、
重々(かさねがさね)の錦繍(きんしゅう)に似(に)て、迭迭(かさなり)として玲瓏(れいろう=透き通る)たり。
星橋(せいきょう)影(かげ)幌(ひるがえ)りて乾坤(けんこん=天地)動(うご)き、数株(すうしゅ)の火樹(かじゅ=灯火の木)の紅(あか)きを揺(ゆ)るを看よ。
六街(ろくがい)の簫鼓(しょうこ=笛と鼓)、千門(せんもん)の璧月(へきげつ=玉の月)、万戸(ばんこ)の香風(こうふう)。
幾処(いくところ)かの鰲峰(ごうほう=鰲の山)の高(たか)く聳(そび)え、魚龍(ぎょりゅう)の海(うみ)を出(い)づる有り、鸞鳳(らんぽう)の空(くう)に騰(のぼ)る有り。
羨(うらや)むべし灯光(とうこう)月色(げっしょく)、和気(わき)融融(ゆうゆう=和やか)なるを。
綺羅(きら=美服)の隊(くみ)の裡(うち)に、人人(ひとびと)喜(よろこ)んで笙歌(しょうか=音楽)を聴き、車馬(しゃば)轟轟(ごうごう=とどろく)。
看れども尽(つ)きず花容(かよう=花の顔)玉貌(ぎょくぼう=玉の貌)、風流(ふうりゅう)豪侠(ごうきょう)、佳景(かけい)窮(きわ)まり無(な)し。
と。

衆(しゅう)等(ら)既(すで)に本寺(ほんじ)の裡(うち)に在りて灯を看(み)、また東門廂(とうもんしょう=東門の門前町)の各の街(まち)に到りて遊戯(ゆうげ)す。二更(にこう=夜十時ごろ)の時に到りて、方めて才(ようや)く回(めぐ)り転(てん)じて安置(あんち=休む)す。

次日(あくるひ)、唐僧(とうそう)衆僧(しゅうそう)に対(むか)いて言う、「弟子(でし)元塔(とう)を掃(は)くの願(がん)有り。今日(こんにち)の上元(じょうげん)の佳節(かせつ)に趁(じゅん)じ、院主(いんしゅ)に請(こ)うて塔門(とうもん)を開(ひら)かしめ、弟子をしてこの願心(がんしん=願い)を了(おわ)らしめよ」と。

衆僧(しゅうそう)随(したが)いて門を開(ひら)く。沙僧(さそう)袈裟(けさ)を取(と)り、唐僧(とうそう)に随い従(したが)う。一層(ひとつ)に到りて、すなわち袈裟を披(き)、仏を拝(おが)み祷祝(とうしゅく=祈り)し畢(おわ)り、すなわち箒(ほうき)を将(も)ちて一層を掃(は)き、袈裟を卸(おろ)して沙僧に付(ふ)し、また二層(にそう)を掃く。一層一層(ひとつひとつ)直(ただち)に絶頂(ぜっちょう)に掃き上(のぼ)る。かの塔(とう)の上には、層層(そうそう)に仏有り、処処(しょしょ)に窗(まど)を開き、一層を掃けば、一層を賞玩(しょうがん)し讃美(さんび)す。

掃(は)き畢(おわ)りて下(くだ)り来(きた)るに、已に此に天(てん)晩(く)れ、また都灯火(とうか)を点(とも)し上(あ)ぐ。この夜(よる)正(まさ)にこれ十五(じゅうご)の元宵(げんしょう)なり。衆僧(しゅうそう)言う、「老師父(ろうしふ)、我等(ら)前晩(ぜんばん)ただ荒山(こうざん)と関廂(かんしょう=門前町)に在りて灯を看(み)しのみ。今晚(こんばん)は正節(せいせつ=本番)なれば、城の裡(うち)に入りて金灯(きんとう)を看るは如何(いかん)」と。唐僧(とうそう)欣然(きんぜん)としてこれに従(したが)う。

行者(ぎょうじゃ)三人(みたり)及(およ)び本寺(ほんじ)の多僧(たそう=多くの僧)と同(とも)に城に入りて灯を看る。正(まさ)にこれ、
三五(さんご=十五夜)の良宵(りょうしょう=良き宵)の節(せつ)、上元(じょうげん)春色(しゅんしょく)和(やわ)らぐ。
花灯(かとう=花の灯)鬧市(とうし=賑わう市)に懸(かか)り、斉(ひと)しく太平(たいへい)の歌(うた)を唱(うた)う。
と。

また見よ、あの六街三市(ろくがいさんしち=街じゅう)の灯の亮(あきら)かなる、半空(はんくう)に一鑑(いっかん=一つの鏡)の初(はじ)めて升(のぼ)る。
かの月(つき)は馮夷(ひょうい=水神)の爛銀盤(らんぎんばん=輝く銀の盤)を推(お)し上(あ)ぐるが如(ごと)く、この灯は仙女(せんにょ)の織(お)り成(な)して地(ち)に鋪(し)く錦(にしき)に似(に)たり。
灯月(つき)に映(えい)じて、一倍(いちばい)の光輝(こうき)を増(ま)し、月灯を照(てら)して、十分(じゅうぶん)の燦爛(さんらん)を添(そ)う。
観(み)れども尽(つ)きず鉄鎖(てっさ)の星橋(せいきょう)、看れども了(おわ)らず灯花(とうか)の火樹(かじゅ)。
雪花灯(せっかとう)・梅花灯(ばいかとう)、春冰(しゅんぴょう=春の氷)を剪(き)り砕(くだ)き、
繍屏灯(しゅうへいとう)・画屏灯(がへいとう)、五彩(ごさい)を集(あつ)め成る。
核桃灯(かくとうとう)・荷花灯(かかとう)、灯楼(とうろう)に高(たか)く掛(かか)り、
青獅灯(せいしとう)・白象灯(はくぞうとう)、灯架(とうか)に高(たか)く檠(ささ)ぐ。
蝦児灯(かじとう)・鱉児灯(べつじとう)、棚前(ほうぜん)に高(たか)く弄(ろう)し、
羊児灯(ようじとう)・兔児灯(とじとう)、檐下(えんか=軒下)に精神(せいしん)あり。
鷹児灯(ようじとう)・鳳児灯(ほうじとう)、相(あい)連(つらな)り相并び、
虎児灯(こじとう)・馬児灯(ばじとう)、同(とも)に走り同に行(ゆ)く。
仙鶴灯(せんかくとう)・白鹿灯(はくろくとう)、寿星(じゅせい)騎(の)り坐(ざ)し、
金魚灯(きんぎょとう)・長鯨灯(ちょうげいとう)、李白(りはく)高(たか)く乗(の)る。
鰲山灯(ごうざんとう)には神仙(しんせん)聚会(しゅうかい)し、走馬灯(そうまとう)には武将(ぶしょう)交鋒(こうほう=切り結ぶ)。
万千家(ばんせんか)の灯火(とうか)楼台(ろうだい)、十数里(じゅうすうり)の雲烟(うんえん)の世界(せかい)。
かの壁廂(へきしょう)には、索琅琅(さくろうろう=じゃらじゃら)と玉韂(ぎょくせん=玉の鞍敷)の飛(と)び来(きた)り、
この壁廂(へきしょう)には、轂轆轆(こくろくろく=ごろごろ)と香車(こうしゃ)の輦(くるま)の過(よ)ぐ。
看よ、あの紅妝楼(こうしょうろう=紅の化粧楼)の上に、欄(らん)に倚(よ)り、簾(すだれ)を隔(へだ)て、肩(かた)を并(なら)べ、手(て)を携(たずさ)え、双双(そうそう=二人連れ)の美女(びじょ)の歓(たのしみ)を貪(むさぼ)るを。
緑水橋(りょくすいきょう)の辺(ほとり)に、鬧吵吵(とうそうそう=わいわい)と、錦簇簇(きんぞくぞく=錦を簇がらせ)、酔醺醺(すいくんくん=酔いしれ)、笑呵呵(しょうかか=にこにこ)と、対対(ついがい)の遊人(ゆうじん)の彩(いろどり)を戯(たわむ)る。
満城(まんじょう)の中(うち)簫鼓(しょうこ)喧嘩(けんか=賑わい)、徹夜(てつや)裡(うち)笙歌(しょうか)絶(た)えず。
と。

詩(し)の証(あかし)と為(な)す有り。詩に曰(いわ)く、
錦繍場中(きんしゅうじょうちゅう)に彩蓮(さいれん)を唱(うた)い、太平境内(たいへいけいだい)に人烟(じんえん=人家)簇(あつ)まる。
灯明(あき)らかに月(つき)皎(きよ)き元宵(げんしょう)の夜(よる)、雨(あめ)順(したが)い風(かぜ)調(ととの)いて大有年(だいゆうねん=大豊作)。
と。

この時(おり)正(まさ)にこれ金吾不禁(きんごふきん=夜警が禁じぬ時)、乱烘烘(らんこうこう=どよめき)として無数(むすう)の人烟(じんえん)あり。あの跳舞(ちょうぶ=踊る)の有り、躧蹺(しきょう=高足踏む)の有り、鬼(おに)を装(よそお)うの有り、象(ぞう)に騎(の)るの有り、東(ひがし)に一群(ひとむれ)、西(にし)に一簇(ひとむら)、これを看るに尽(つ)きず。

却って才(ようや)く金灯橋(きんとうきょう)の上に到り、唐僧(とうそう)衆僧(しゅうそう)と近(ちか)づき前(まえ)に看る処(ところ)、元来(もと)これ三盞(みつ)の金灯(きんとう)なり。かの灯は缸(かめ)ほどの大いさ有りて、上に玲瓏剔透(れいろうてきとう=透き通る)の两層(にそう)の楼閣(ろうかく)を照(てら)し着(つ)け、都これ細(こま)き金糸児(きんしじ=金の糸)を以(も)て編(あ)み成(な)し、内(うち)に琉璃(るり)の薄片(はくへん)を托(ささ)え着く。その光(ひかり)月(つき)を幌(ひるが)えし、その油香(こう)を噴(ふ)く。

唐僧(とうそう)回(かえ)りて衆僧(しゅうそう)に問うて言う、「この灯はこれ甚(いず)れの油なる。いかにしてかこの等(よう)に異香(いこう=不思議な香)の鼻(はな)を撲(う)つ」と。

衆僧(しゅうそう)言う、「老師(ろうし)知(し)り給(たも)わず。我がこの府(ふ)の後(うしろ)に一県(ひとつ)の県(あがた)有り、名(な)を旻天県(びんてんけん)と喚(よ)ぶ。県(けん)に二百四十里(にひゃくしじゅうり)有り。毎年(まいとし)差徭(さよう=労役)を審(つまびらか)に造(つく)るに、共(あわ)せて二百四十家(にひゃくしじゅっか)の灯油(とうゆ)の大戸(たいこ=大口負担者)有り。府県(ふけん)の各項(かくこう)の差徭(さよう)は猶(なお)可(よ)しといえど、ただこの大戸(たいこ)のみ甚だこれ吃累(きつるい=負担)なり。毎家(いえごと)一年(いちねん)を当(あた)るに、二百多両(にひゃくたりょう)の銀子(ぎんす)を使(つか)わしむ。この油はこれ尋常(じんじょう)の油に非(あら)ず、すなわちこれ酥合香油(そごうこうゆ)なり」と。

この油は毎一両(まいちりょう)に価銀(あたいぎん)二両(にりょう)に値(あたい)し、毎一斤(まいいっきん)に三十二両(さんじゅうにりょう)の銀子(ぎんす)に値す。三盞(みつ)の灯、毎缸(かめごと)に五百斤(ごひゃっきん)有り、三缸(みつかめ)共(あわ)せて一千五百斤(いっせんごひゃっきん)、共せて該(まさ)に銀(ぎん)四万八千両(しばんはっせんりょう)なり。還(な)お雑項(ざっこう=雑費)の繳纏(きょうてん=入用)の使用(しよう)有りて、将(まさ)に五万余両(ごまんよりょう)ならんとす。ただ点(とも)すに三夜(さんや)を得(う)るのみ」と。

行者(ぎょうじゃ)言う、「この許多(あまた)の油を、三夜(みよ)にいかにしてかすなわち点(とも)し尽(つ)くすことを得(え)ん」と。

衆僧(しゅうそう)言う、「この缸(かめ)の内(うち)に毎缸(かめごと)に四十九箇(しじゅうきゅうこ)の大灯馬(だいとうま=大きな灯芯)有り、都これ灯草(とうそう=灯心草)を扎(たば)ねし把(たば)にして、糸綿(しめん=絹綿)を裹(つつ)み、鶏子(けいし=鶏卵)の粗細(あらさ)有り。ただ今夜(こんや)を点(とも)し過(よ)ぐれば、仏爺(ほとけ)の身(み)を現(あらわ)し給(たも)うを見(み)、明夜(みょうや)には油もまた無(な)く、灯すなわち昏(くら)くなるのみ」と。

八戒(はっかい)旁(かたわら)に在りて笑って言う、「想(おも)うに仏爺(ほとけ)の油をも都収(おさ)め去(さ)り給(たも)うならん」と。

衆僧(しゅうそう)言う、「正(まさ)にこの説(せつ)のごとし。満城(まんじょう)の人家(じんか)、古(いにしえ)より今に及(およ)ぶまで、皆これこの等(よう)に伝説(でんせつ)す。ただ油乾(かわ)けば、人倶説(い)えるは『仏祖(ぶっそ)灯を収(おさ)め給(たも)えり』と。自然(おのずか)に五穀(ごこく)丰登(ほうとう=豊かに実る)。もし一年(いちねん)乾かざること有(あ)らば、却ってすなわち年成(ねんせい=その年の作柄)荒旱(こうかん=不作)にして、風雨(ふうう)調(ととの)わず。ここをもて人家都この供献(ぐけん=供え物)を要(もと)むるなり」と。
正(まさ)に説(い)う処(ところ)に、ただ半空(はんくう)の中(うち)に呼呼(ここ)と風(かぜ)の響(ひび)くを聴く。唬(おど)されたるかな灯を看る人らの、尽く皆四散(しさん=散り散り)になる。かの和尚らもまた脚(あし)を立(た)て住(とど)むること能(あた)わずして言う、「老師父(ろうしふ)、回(かえ)り去(さ)り給(たも)え。風来(きた)れり。これ仏爺(ほとけ)の祥(しょう=吉兆)を降(くだ)し、此に到りて灯を看給うなり」と。

唐僧(とうそう)言う、「いかにしてかこれ仏の来(きた)りて灯を看(み)給(たも)うと見(み)えん」と。衆僧(しゅうそう)言う、「年年(としどし)この如(ごと)し。三更(さんこう)に上(のぼ)らざるにすなわち風(かぜ)の来る有り。これ諸仏(しょぶつ)の祥(しょう)を降(くだ)し給うと知(し)るをもて、ここに人皆回避(かいひ=避け退く)す」と。

唐僧(とうそう)言う、「我が弟子(でし)は元これ仏を思(おも)い仏を念(とな)え仏を拝(おが)むの人なり。今佳景(かけい)に逢(あ)い、果(はた)して諸仏(しょぶつ)の降臨(こうりん)あらば、此に就(つ)きて拝み拝まんに、多少(いくばく)かこれ好(よ)からずや」と。

衆僧(しゅうそう)連(つづ)けて請(こ)うれど回(かえ)らず。少時(しばらく)して、風(かぜ)の中(うち)に果(はた)して三位(みたり)の仏身(ぶっしん)を現(あらわ)し、灯に近(ちか)づき来(きた)る。慌(あわ)てたるかなかの唐僧(とうそう)、橋頂(きょうちょう=橋の頂)に跑(はし)り上(のぼ)り、身(み)を倒(さかしま)にして下拝(はい)す。行者(ぎょうじゃ)急(いそ)ぎ扯(ひき)起(おこ)して言う、「師父(しふ)、好(よ)き人に非(あら)ず。必(かなら)ずこれ妖邪(ようじゃ)なり」と。

説(い)い了(おわ)らざるに、灯光(とうこう)の昏暗(こんあん=暗く)なるを見(み)、呼(こ)と一声(ひとこえ)、唐僧(とうそう)を抱(いだ)き起(あ)げ、風(かぜ)に駕(が)して去(さ)りぬ。

噫(ああ)!いずれの山いずれの洞(どう)の真(まこと)の妖怪なるを知(し)らず、年(とし)を積(つ)んで仏に仮(か)りて金灯(きんとう)を看る。唬(おど)されたるかなかの八戒(はっかい)の両辺(りょうべん)を尋(たず)ね找(もと)め、沙僧(さそう)の左右(そうゆう)に招呼(しょうこ=呼ばわ)る。

行者(ぎょうじゃ)叫(よばわ)りて言う、「兄弟(きょうだい)よ!此に在りて叫り喚(さけ)ぶを須(もち)いず。師父(しふ)は楽(たのしみ)極(きわ)まって悲(かなしみ)を生(しょう)じ、已に妖精に摂(かどわ)かれ去(さ)られたり!」と。

かの幾箇(いくたり)かの和尚怕(おそ)れて言う、「爺爺(おおじいさま)、いかにしてか妖精の摂(かどわ)かし去(さ)りしと見(み)えん」と。

行者(ぎょうじゃ)笑って言う、「元来(もと)汝(なんじ)らこの伙(むれ)の凡人(ぼんじん)は、年(とし)を累(かさ)ねて識(し)らざるをもて、故(ゆえ)に妖邪(ようじゃ)に惑(まど)わされ、ただ真(まこと)の仏の祥(しょう)を降(くだ)し、この灯の供(く)を受(う)け給(たも)うと説(い)うのみ。才(いま)しがた風(かぜ)の到る処(ところ)に仏身(ぶっしん)を現(あらわ)しし者は、すなわちこれ三人(みたり)の妖精なり。我が師父(しふ)もまた識ること能(あた)わず、橋頂(きょうちょう)に上(のぼ)りてすなわち拝(おが)み、却って彼に灯光(とうこう)を侮(くら)まされ、器皿(きべい=器)を以(も)ちて油を盛(も)られ、我が師父までも都摂(かどわ)かれ去(さ)られたり。我、略(いささ)か走ること遅(おく)れたりしをもて、ここに彼三人風と化(け)して遁(のが)れしなり」と。

沙僧(さそう)言う、「師兄(しい)、この般(よう)なれば却ってこれを如何(いかん)せん」と。行者(ぎょうじゃ)言う、「遅疑(ちぎ=ためらい)するを須(もち)いず。汝(なんじ)ら二人(ふたり)衆(しゅう)と同(とも)に寺に回(かえ)り、馬匹(ばひつ=馬)行李(こうり=荷)を看守(かんしゅ)せよ。老孫(ろうそん)がこの風(かぜ)に趁(じゅん)じて追(お)い趕(お)い往かんを等(ま)て」と。

好(よ)き大聖(たいせい)かな、急(いそ)ぎ觔斗雲(きんとうん)を縦(ほしいまま)にし、半空(はんくう)に起(お)こり上(あ)がり、かの腥風(せいふう=生臭き風)の気(き)を聞(か)ぎ着(つ)け、東北(とうほく)の上(かた)へ径(ただち)に趕(お)う。天(てん)の暁(あ)くるに趕い至(いた)り、倐爾(しゅくじ=にわか)に風(かぜ)息(や)み、一座(ひとつ)の大山(だいざん)の、十分(じゅうぶん)に険峻(けんしゅん)にして、着実(じゃっじつ=まことに)嵯峨(さが=そびえ)たるを見る。好き山かな、
重重(じゅうじゅう)たる丘壑(きゅうがく=丘と谷)、曲曲(きょくきょく)たる源泉(げんせん)。
藤蘿(とうら=藤と蔦)削壁(さくへき=切り立つ壁)に懸(かか)り、松柏(しょうはく)虚岩(きょがん=虚しき岩)に挺(ぬき)んず。
と。

鶴(つる)は晨霧(しんむ=朝霧)の裡(うち)に鳴(な)き、雁(かり)は暁雲(ぎょううん=明けの雲)の間(あいだ)に唳(な)く。
峨峨矗矗(ががちょくちょく)として峰(みね)は戟(ほこ)を排(つら)ね、突突磷磷(とつとつりんりん)として石(いし)磐(いわ)を砌(みが)く。
頂巓(ちょうてん=頂上)高(たか)きこと万仞(ばんじん)、峻嶺(しゅんれい)千湾(せんわん)を迭(かさ)ぬ。
野花(やか)佳木(かぼく=良き木)は春(はる)を知(し)りて発(ひら)き、杜宇(とう=不如帰)黄鶯(こうおう=うぐいす)景(けい)に応(おう)じて妍(うつく)し。
能(よ)く巍奕(ぎえき=高く大き)に、実(げ)に巉岩(ざんがん=けわしき岩)、古怪(こかい)崎嶇(きくう)にして険(けわ)しくまた艱(かた)し。
停(とど)まり玩(もてあそ)ぶこと多時(しばらく)にして人語(い)わず、ただ虎豹(こひょう)の声(こえ)の鼾(いびき)するを聴くのみ。
香獐(こうしょう=麝香鹿)白鹿(はくろく)随(したが)い来往(らいおう)し、玉兔(ぎょくと=白き兔)青狼(せいろう)去(さ)りて復(また)還(かえ)る。
深澗(しんかん)水流(すいりゅう)すること千万里(せんまんり)、回湍(かいたん=渦巻く瀬)石(いし)を激(はげ)しくして響(ひび)き潺潺(せんせん=さらさら)たり。
と。

大聖(たいせい)山崖(さんがい)の上に在りて、正(まさ)に自(みずか)ら路徑(ろけい=道筋)を找尋(そうじん)しおるに、ただ四箇(よたり)の人の、三隻(みつ)の羊(ひつじ)を趕(お)い、西坡(せいは=西の坂)の下より、斉(ひと)しく「開泰(かいたい)」と吆喝(ようかつ=叫ぶ)するを見る。大聖火眼金睛(かがんきんせい=火の眼に金の瞳)を闪(ひるが)えし、仔細(つまびらか)に観看(みわた)せば、これ年(ねん)・月(げつ)・日(じつ)・時(じ)の四値功曹(しちこうそう)の使者(ししゃ)の、像(すがた)を隠(かく)し形(かたち)を化(け)して来(きた)れると認(みと)めたり。

大聖(たいせい)すなわち鉄棒(てつぼう)を掣(ひっさ)げ出(いだ)し、一(ひと)ゆり幌(ひるが)えせば、碗(わん)ほどの粗細(あらさ)、丈二(じょうに)の長短(ながさ)有り。崖(がけ)を跳(と)び下(お)り来(きた)り、喝(かつ)して言う、「汝(なんじ)ら都頭(かしら)を藏(かく)し頸(くび)を縮(ちぢ)めていずこへか走(に)ぐる!」と。

四値功曹(しちこうそう)彼が風息(ふうそく=風の止み)を説(い)い出(いだ)すを見(み)、慌(あわ)てて三羊(さんよう)を喝(かつ)し散(ちら)し、本相(ほんぞう=本来の姿)を現(あらわ)し、路(みち)の旁(かたわら)に闪(よ)け下(お)りて礼(れい)を施(ほどこ)して言う、「大聖(たいせい)、罪(つみ)を恕(ゆる)し給(たも)え!罪を恕し給え!」と。

行者(ぎょうじゃ)言う、「この一向(このところ)また曾(かつ)て汝(なんじ)らを用(もち)いざるに、汝ら老孫(ろうそん)の寛慢(かんまん=寛く緩るき)なるを見(み)、都箇箇(ひとりひとり)懈怠(けたい=怠け)を弄(ろう)して、見(まみ)ゆるにもまた来(きた)りて我に一見(ひとみ)を与(あた)えず!これいかに説(い)うや!汝ら暗中(あんちゅう)に在りて吾(わ)が師(し)を保祐(ごゆう)せず、都いずこへか往きし」と。

功曹(こうそう)言う、「汝が師父(しふ)禅性(ぜんしょう=禅の心)を寛(ゆる)くし、金平府(きんぺいふ)慈雲寺(じうんじ)に在りて歓(たのしみ)を貪(むさぼ)るに因り、ここをもて泰(たい)極(きわ)まって否(ひ)を生(しょう)じ、楽(たのしみ)盛(さか)んにして悲(かなしみ)を成(な)し、今妖邪(ようじゃ)に捕獲(ほかく)せられたり。彼が身辺(しんぺん)に護法伽藍(ごほうがらん=守護神)の保(たも)ち着くる有り。吾(われ)等(ら)大聖(たいせい)の夜(よる)を連(つら)ねて追尋(ついじん)し給(たも)うを知(し)り、大聖の山林(さんりん)を識(し)らざることを恐(おそ)れ、特に来(きた)りて伝報(でんぽう=知らせ)す」と。

行者(ぎょうじゃ)言う、「汝(なんじ)既(すで)に伝報(でんぽう)するならば、いかにしてか姓(せい)を隠(かく)し名(な)を埋(うず)め、三箇(みつ)の羊児(ひつじ)を趕(お)い、吆吆喝喝(ようようかつかつ=わいわい)して何(なに)をか作(な)す」と。

功曹(こうそう)言う、「この三羊(さんよう)を設(もう)くるは、以(も)って開泰(かいたい)の言(げん)に応(おう)ぜしめ、名(な)を三陽開泰(さんようかいたい)と喚(よ)び、汝が師(し)の否塞(ひそく=塞がり)を破解(はかい=開き解)かんなり」と。
行者(ぎょうじゃ)恨恨(こんこん=腹立たしげ)として打(う)たんと要(もと)むるに、此(こ)の意(こころ)の有るを見(み)、却ってすなわちこれを免(ゆる)し、棒(ぼう)を収(おさ)め、嗔(いかり)を回(めぐ)らして喜(よろこ)びと作(な)して言う、「この座(ひとつ)の山は、これ妖精の処(ところ)なるか」と。功曹(こうそう)言う、「正(まさ)に是(しか)り、正に是り。この山を名(な)づけて青龍山(せいりゅうざん)と曰(い)い、内(うち)に洞(どう)有りて名を玄英洞(げんえいどう)と曰う。洞中(どうちゅう)に三人(みたり)の妖精有り。大(だい)なる箇(ひとり)を名づけて辟寒大王(へきかんだいおう)と曰い、第二(だいに)の箇を号(ごう)して辟暑大王(へきしょだいおう)と曰い、第三(だいさん)の箇を号して辟塵大王(へきじんだいおう)と曰う。この妖精此に在ること千年(せんねん)有り。彼自(みずか)ら幼児(ようじ)の頃(ころ)より酥合香油(そごうこうゆ)を食(くら)うを愛(あい)す。当年(そのかみ)精(せい)と成りて、此に到りて仏像(ぶつぞう)を仮(か)り装(よそお)い、金平府(きんぺいふ)の官員(かんいん=役人)人等(ひとども)を哄(たぶらか)し、金灯(きんとう)を設立(せつりゅう)せしめ、灯油(とうゆ)に酥合香油を用(もち)いしむ。彼、年年(としどし)正月半(しょうがつなかば)に到れば、仏像に変(へん)じて油を収む。今年(ことし)汝が師父(しふ)を見るに、彼これ聖僧(せいそう)の身(み)なると認(みと)め、汝が師父までも都洞内(どうない)に摂(かどわ)かし入れ、日(ひ)ならずして汝が師(し)の肉(にく)を割(さ)き剮(ばら)き、酥合香油を以(も)ちて煎(あぶ)りて食わんとす。汝、疾(と)く工夫(くふう=手立て)を用い、救援(きゅうえん=救い助)けに往け」と。

行者(ぎょうじゃ)この言(げん)を聞(き)き、四功曹(しこうそう)を喝(かつ)し退(しりぞ)け、山崖(さんがい)を転(めぐ)り過ぎ、洞府(どうふ)を找尋(そうじん)す。行(ゆ)くこと未(いま)だ数里(すうり)ならざるに、ただかの澗(たに)の辺(ほとり)に一(ひとつ)の石崖(せきがい)の有るを見る。崖(がけ)の下はこれ一座(ひとつ)の石屋(せきおく=岩屋)にして、屋(いえ)に両扇(ふたおもて)の石門(せきもん)有り、半(なかば)開(ひら)き半掩(おお)えり。門の旁(かたわら)に石碣(せっけつ=石碑)の立(た)つ有り、上に六字(ろくじ)有るは、却ってこれ「青龍山(せいりゅうざん)玄英洞(げんえいどう)」なり。

行者(ぎょうじゃ)敢えて擅(ほしいまま)に入(い)らず、步(あゆみ)を立(た)て定(さだ)め、一声(ひとこえ)叫(よばわ)る、「妖怪よ!」と。

「疾(と)く我が師父(しふ)を送(おく)り出(いだ)せ!」と。

かの処(ところ)に唿喇(こつらつ=がらり)と一声(ひとこえ)、大いに門を開(ひら)き、一陣(ひとむれ)の牛頭精(ごずせい=牛の頭の化物)の跑(はし)り出(い)づるあり、鄧鄧呆呆(とうとうがいがい=ぼんやり)として問うて言う、「汝(なんじ)は孰(たれ)なる、敢えて此に在りて呼喚(よばわ)るか」と。

行者(ぎょうじゃ)言う、「我は本(もと)これ東土大唐(とうどだいとう)より経(きょう)を取(と)りに往く聖僧(せいそう)唐三蔵(とうさんぞう)が大徒弟(だいとてい)なり。路(みち)に金平府(きんぺいふ)を過ぎりて灯を観(み)るに、我が師(し)汝(なんじ)が家(いえ)の魔頭(まとう=妖魔の頭)に摂(かどわ)かれ来(きた)られたり。疾(と)く早(はや)う送(おく)り還(かえ)せ、汝等(ら)が性命(いのち)を免(まぬが)れしめん。如(も)し或(も)し然(しか)らずんば、汝が窩巣(そうそう=ねぐら)を掀(ひっくり)返(か)し翻(かえ)し、汝が群精(ぐんせい)をして都化(け)して膿血(のうけつ=膿と血)と為らしめん!」と。

かの小妖(しょうよう)らこの言(げん)を聴き、急(いそ)ぎ裡辺(うち)に入りて報(しら)せて言う、「大王(だいおう)!禍事(かじ=一大事)なり!禍事なり!」と。

三人(みたり)の老妖(ろうよう)正(まさ)に唐僧(とうそう)を把(と)りてかの洞中(どうちゅう)の深遠(しんえん=奥深き)の処(ところ)に拿(とら)えおき、いずくんぞ甚(いず)れの青紅皂白(せいこうそうびゃく=理非善悪)をか問(と)わん。小(こもの)らをして衣裳(いしょう)を選(えら)み剥(は)がせ、湍(はやせ)の中(うち)の清水(せいすい)を汲(く)ませて洗(あら)い浄(きよ)め、細(こま)かに切(き)り細かに鑢(やすり)を掛(か)け、酥合香油(そごうこうゆ)を着(つ)けて煎(あぶ)りて食(くら)わんと算計(さんけい=企て)しおるに、忽「禍事(かじ)」と報(しら)する声(こえ)を聞(き)き、老大(いた)く着(き)と驚(おどろ)き、これ何の故(ゆえ)なるを問う。

小妖(しょうよう)言う、「大門(だいもん)の前(まえ)に一箇の毛顔雷公嘴(もうれんらいこうし=毛だらけの顔に雷公の嘴)の和尚の、嚷(わめ)きて道(いわ)く、大王(だいおう)彼が師父(しふ)を摂(かどわ)かし来(きた)れり。疾(と)く送(おく)り出(いだ)せ、吾(われ)等(ら)が性命(いのち)を免(まぬが)れしめよ。然(しか)らずんば、すなわち窩巣(そうそう)を掀(ひっくり)返(か)し翻(かえ)し、我らをして都化(け)して膿血(のうけつ)と為らしめんとす」と。

かの老妖(ろうよう)これを聴き、箇箇(おのおの)心(こころ)に驚(おどろ)いて言う、「才(いま)しがたこの厮(やつ)を拿(とら)えしが、還(な)お曾(かつ)て彼に箇の姓名(せいめい)来歴(らいれき=素性)を問(と)わざりき。小(こもの)ら、且く衣服(いふく)を将(も)ちて彼に穿(き)せ、帯(つ)れ過ぎ来(きた)りて彼を審(ただ)し一(ひと)たび審せ。端(つまびらか)にこれいずれの人にして、いずこよりか自(みずか)ら来れるを」と。

衆妖(しゅうよう)一斉(いっせい)に擁(おしよ)せ上前(すす)み、唐僧(とうそう)の索(なわ)を解(と)き、衣服(いふく)を穿(き)せ、座前(ざぜん)に推(お)し至(いた)る。唬(おど)されたるかな唐僧、戦戦兢兢(おののき)として下(しも)に跪(ひざまず)き、ただ叫(よばわ)る、「大王(だいおう)命(いのち)を饒(ゆる)し給(たも)え、命を饒し給え!」と。

三人(みたり)の妖精異口同音(いくどうおん=声を揃え)にして言う、「汝(なんじ)はいずかたより来(きた)れる和尚なる。いかにしてか仏像(ぶつぞう)を見(み)て避(よ)けず、却って我が雲路(うんろ=雲の道)を衝撞(しょうどう=ぶつかり)するや」と。

唐僧(とうそう)頭を磕(ぬかず)いて言う、「貧僧(ひんそう)はこれ東土大唐(とうどだいとう)の駕下(かか=御代)より差(つか)わされ来(きた)れる者にして、天竺国(てんじくこく)大雷音寺(だいらいおんじ)に前(すす)み往きて仏祖(ぶっそ)を拝(おが)み経(きょう)を取(と)らんとす。金平府(きんぺいふ)慈雲寺(じうんじ)に到りて斎(とき)を打(こ)うに因り、かの寺僧(じそう)の留(とど)めて元宵(げんしょう)を過ぎ灯を看(み)しむるを蒙(こうむ)れり。正(まさ)に金灯橋(きんとうきょう)の上に在りて、大王(だいおう)の仏像(ぶつぞう)を現(あらわ)し給(たも)うを見るに、貧僧はすなわちこれ肉眼凡胎(にくがんぼんたい=凡庸な身)、仏を見ればすなわち拝む。この故(ゆえ)をもて大王が雲路(うんろ)を衝撞(しょうどう)せり」と。

かの妖精言う、「汝(なんじ)があの東土(とうど)より此に到るまで、路程(ろてい)甚だ遠(とお)し。一行(いっこう)共(あわ)せて幾衆(いくしゅ)かあり、都甚(なん)と名(な)を喚(よ)ぶか。疾(と)く実(まこと)を実と供(きょう=申し立て)せ。我汝が性命(いのち)を饒(ゆる)さん」と。

唐僧(とうそう)言う、「貧僧(ひんそう)俗名(ぞくみょう)を陳玄奘(ちんげんじょう)と曰(い)い、幼(おさな)きより金山寺(きんざんじ)に在りて僧(そう)と為(な)れり。後(のち)唐皇(とうおう)の長安(ちょうあん)洪福寺(こうふくじ)に在りて僧官(そうかん)と為るを敕賜(ちょくし=勅命で賜わる)せられしを蒙(こうむ)る」と。

また魏徴丞相(ぎちょうじょうしょう)が夢(ゆめ)に涇河(けいが)の老龍(ろうりゅう)を斬(き)りしに因り、唐王(とうおう)地府(じふ=冥府)に游(あそ)び、回(かえ)りて陽世(ようせい=この世)に生(い)き、水陸大会(すいりくだいえ)を開設(かいせつ)して陰魂(いんこん=冥界の魂)を超度(ちょうど=救済)し、唐王のまた貧僧(ひんそう)を選(えら)み賜(たま)いて壇主(だんしゅ)と為(な)し、大いに都綱(とこう=僧綱)を闡(ひら)かしむるを蒙(こうむ)る。幸(さいわ)いに観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の出現(しゅつげん)し、貧僧を指化(しか=導き化)し、西天(せいてん)大雷音寺(だいらいおんじ)に三蔵真経(さんぞうしんきょう)有りて、以(も)って亡者(もうじゃ)を超度(ちょうど)して天(てん)に升(のぼ)らしむべしと説(と)き、貧僧を差(つか)わして来(きた)り取(と)らしむ。因りて号(ごう)を三蔵(さんぞう)と賜い、すなわち唐(とう)に倚(よ)りて姓(せい)と為す。ここをもて人都我を呼(よ)んで唐三蔵(とうさんぞう)と曰(い)う。我に三人(みたり)の徒弟(でし)有り。大(だい)なる箇(ひとり)は姓を孫(そん)、名(な)を悟空(ごくう)行者(ぎょうじゃ)と曰い、すなわちこれ斉天大聖(せいてんたいせい)の正(しょう)に帰(き)せし者なり」と。

群妖(ぐんよう)この名(な)を聞(き)き、着(き)と一驚(ひとおどろき)して言う、「この斉天大聖(せいてんたいせい)は、これ五百年前(ごひゃくねんぜん)に天宮(てんぐう)を大いに鬧(さわ)がしし者なるか」と。唐僧(とうそう)言う、「正(まさ)に是(しか)り、正に是り。第二(だいに)の箇(ひとり)は姓(せい)を猪(ちょ)、名を悟能(ごのう)八戒(はっかい)と曰(い)い、すなわちこれ天蓬大元帥(てんぽうだいげんすい)の転世(てんせい=生まれ変わり)なり。第三(だいさん)の箇は姓を沙(さ)、名を悟浄(ごじょう)和尚と曰い、すなわちこれ巻簾大将(けんれんだいしょう)の臨凡(りんぼん=この世に下れる)なり」と。

三人(みたり)の妖王(ようおう)これを聴き、箇箇(おのおの)心(こころ)に驚(おどろ)いて言う、「早(はや)うに曾(かつ)て彼を食(くら)わざりしは幸(さいわ)いなり。小(こもの)ら、且く唐僧(とうそう)を将(も)ちて鉄鏈(てつれん=鉄の鎖)を以(も)て後面(うしろ)に鎖(つな)ぎ着(つ)けおけ。彼が三人の徒弟(でし)を拿(とら)え来(きた)りて凑(あわ)せて食わんことを待(ま)て」と。

遂(つい)に一群(ひとむれ)の山牛精(さんぎゅうせい)・水牛精(すいぎゅうせい)・黄牛精(こうぎゅうせい)を点(てん)し、各兵器(へいき)を持(た)ち、門を走り出で、号頭(ごうとう=ほら貝)を掌(と)り、旗(はた)を揺(ゆ)り鼓(つづみ)を擂(う)つ。

三人(みたり)の妖(よう)披掛(ひがいまとい=武装)を整齐(せいせい=整え)し、都門の外(そと)に到りて喝(かつ)して言う、「孰(たれ)か人の敢えて我が此に在りて吆喝(ようかつ=叫ぶ)する」と。

行者(ぎょうじゃ)石崖(せきがい)の上に闪(よ)け在り、仔細(つまびらか)に観看(みわた)せば、かの妖精の生(うま)れ得(え)たるは、
彩面(さいめん=彩りの顔)に睛(ひとみ)環(めぐ)り、二角(にかく=二つの角)崢嶸(そうこう=そびえ)たり。
尖尖(せんせん=とがりたる)四隻(よつ)の耳(みみ)、霊竅(れいきょう=霊き穴)光明(こうみょう)を闪(ひらめ)かす。
一体(いったい)の花紋(かもん)彩画(さいが=彩色画)の如(ごと)く、満身(まんしん)の錦繍(きんしゅう)蜚英(ひえい=飛ぶ花)の若(ごと)し。
第一(だいいち)の者は、頭(かしら)に狐裘(きゅうきゅう=狐の裘)の花帽(かぼう)の暖(あたたか)きを頂(いただ)き、一顔(ひとつら)の昂毛(こうもう=逆立つ毛)熱気(ねっき)騰(のぼ)る。
第二(だいに)の者は、身(み)に軽紗(けいしゃ=薄絹)を掛(か)けて烈焰(れつえん=激しき焔)を飛(と)ばし、四蹄(よつひづめ)花(はな)と瑩(かがや)きて玉(ぎょく)玲玲(れいれい=玲瓏)たり。
第三(だいさん)の者は、威雄(いゆう=威風)声(こえ)吼(ほ)えて雷(かみなり)の振(ふる)うが如(ごと)く、獠牙(りょうが=牙)尖利(せんり=鋭く)して銀針(ぎんしん=銀の針)に賽(まさ)る。
箇箇(おのおの)勇(ゆう)にして猛(たけ)く、手(て)に三様(みつ)の兵(へい)を持(た)つ。一箇(ひとり)は鉞斧(えつふ=まさかり)を使(つか)い、一箇は大刀(だいとう)能(よ)くす。ただ第三(だいさん)の者を看よ、肩(かた)の上に横(よこた)えて扢撻藤(こつたつとう=藤の棍)を担(にな)う。
また見よ、あの七長八短(しちちょうはったん=長短まちまち)・七肥八痩(しちひはっそう=肥痩さまざま)の大大小小(だいだいしょうしょう)の妖精は、都これ些(いささ)かの牛頭鬼怪(ごずきかい=牛頭の化物)にして、各槍棒(そうぼう=槍と棒)を執(と)る。
三面(みおもて)の大旗(たいき)有り、旗(はた)の上に明明(めいめい)と「辟寒大王(へきかんだいおう)」「辟暑大王(へきしょだいおう)」「辟塵大王(へきじんだいおう)」と書(か)き著(つ)けたり。
と。

孫行者(そんぎょうじゃ)一会(ひとしきり)看(み)て、忍耐(にんたい)するに得(え)ず、上前(すす)み出でて高(たか)く叫(よばわ)りて言う、「潑賊怪(はつぞくかい)め!老孫(ろうそん)を認(みと)むるか」と。
かの妖(よう)喝(かつ)して言う、「汝(なんじ)はあの天宮(てんぐう)を鬧(さわ)がしし孫悟空(そんごくう)なるか。真箇(まこと)にこれ名(な)を聞(き)きて曾(かつ)て面(おもて)を見(み)ざりしが、面を見れば天神(てんじん)も羞(は)じて殺(ころ)さんばかりなり!汝、元来(もと)これこの等(よう)な箇(ひとつ)の猢猻児(こそんじ=小猿)なるに、敢えて大話(たいわ=大言)を説(い)うか」と。

行者(ぎょうじゃ)大いに怒(いか)り、罵(ののし)って言う、「我この灯油(とうゆ)を偸(ぬす)む賊(ぞく)めを把(と)らえん!油嘴(ゆし=口上手)の妖怪、胡(みだ)りに談(だん)ずること莫(なか)れ!疾(と)く我が師父(しふ)を還(かえ)せ!」と。近(ちか)づき前(まえ)に趕(お)いつき、鉄棒(てつぼう)を輪(ふ)りてすなわち打つ。かの三人(みたり)の老妖(ろうよう)、三般(みつ)の兵器(へいき)を挙(あ)げ、急(いそ)ぎ架(かま)えて相(あい)迎(むか)う。この一場(ひとしきり)、山凹(やまくぼ)の中(うち)に在りて好(よ)き殺(たたか)いかな、
鉞斧(えつふ)・鋼刀(こうとう)・扢撻藤(こつたつとう)、
猴王(こうおう)一棒(いちぼう)敢えて来(きた)り迎(むか)う。
辟寒(へきかん)・辟暑(へきしょ)・辟塵(へきじん)の怪(かい)、
斉天大聖(せいてんたいせい)の名(な)を認(みと)めたり。
棒(ぼう)起(おこ)れば致(いた)して神鬼(しんき)を怕(おそ)れしめ、斧(ふ)来(きた)り刀(かたな)砍(き)って乱(みだ)りに飛(と)び騰(のぼ)る。
好(よ)き箇(ひとつ)の混元(こんげん=万物の根源)に法(ほう)有り真空(しんくう)の像(ぞう)、
三妖(さんよう)の仮(かり)の仏形(ぶつぎょう)を抵(ふせ)ぎ住(とど)む。
かの三人(みたり)の油を偸(ぬす)み鼻(はな)を潤(うるお)す者は今年(ことし)犯(おか)し来(きた)り、務(つと)めて欽差(きんさ=勅使)駕下(かか)の僧(そう)を捉(とら)えんとす。
この者は師(し)の為(ため)に山程(さんてい=山道)の遠(とお)きを懼(おそ)れず、かの者は嘴(くち)の為に年(とし)を経(へ)て献灯(けんとう=灯の供物)を設(もう)く。
乒乓(ひんぽう)とただ刀斧(とうふ)の響(ひび)くを聴き、劈朴(へきぼく)と惟(た)だ棒(ぼう)の声(こえ)の有るを聞(き)く。
と。

衝衝撞撞(しょうしょうどうどう=突き当たり)として三(みつ)は一(ひとつ)を囲(かこ)み、架架遮遮(かかしゃしゃ=受け流し)して各能(のう)を顕(あらわ)す。一朝(ひとあさ)闘(たたか)いて天(てん)将(まさ)に晩(く)れんとするに至(いた)るまで、いずれか虧(やぶ)れいずれか贏(か)つを知(し)らず。

孫行者(そんぎょうじゃ)一条(ひとすじ)の棒(ぼう)と、かの三人(みたり)の妖魔(ようま)と闘(たたか)うこと百五十合(ひゃくごじゅうごう)を経(ふ)るに、天色(てんしょく)将(まさ)に晩(く)れんとして、勝負(しょうぶ)未(いま)だ分(わか)れず。ただかの辟塵大王(へきじんだいおう)の扢撻藤(こつたつとう)を一(ひと)ゆり闪(ひるが)えし、陣前(じんぜん)を跳(と)び過ぎ、旗(はた)を将(も)ちて一ゆり揺(ゆ)るを見る。かの伙(むれ)の牛頭怪(ごずかい)簇擁(ぞくよう=押し寄せ)して上前(すす)み、行者(ぎょうじゃ)を把(と)りて垓心(がいしん=ど真ん中)に囲(かこ)み、各兵器(へいき)を輪(ふ)りて、乱(みだ)りに打(う)ち将ち来(きた)る。

行者(ぎょうじゃ)事(こと)の諧(ととの)わざるを見(み)、唿喇(こつらつ)と觔斗雲(きんとうん)を縦(ほしいまま)に起(おこ)し、陣(じん)を敗(やぶ)って走(に)ぐ。かの妖(よう)更に来(きた)りて趕(お)わず、群妖(ぐんよう)を招(まね)き回(かえ)し、些(いささ)かの晩食(ばんしょく)を安排(あんばい=整え)、衆(しゅう)各これを食(くら)う。また小妖(しょうよう)をして一碗(ひとわん)を唐僧(とうそう)に送(おく)らしむ。ただ孫行者(そんぎょうじゃ)等(ら)を拿(とら)え住(とど)むるを待(ま)ちて、才(はじ)めて整治(せいじ=料理)せんと要(もと)むるのみ。かの師父(しふ)は一(ひとつ)には則(すなわ)ち長斎(ちょうさい=常の精進)、二(ふたつ)には則ち愁苦(しゅうく=悲しみ苦しみ)をもて、哭啼啼(こくていてい=泣き叫び)として未(いま)だ敢えて唇(くちびる)を沾(うるお)さず。これ語(かた)らず。

さて、行者(ぎょうじゃ)雲(くも)に駕(が)して慈雲寺(じうんじ)の内(うち)に回(かえ)り至(いた)り、「師弟(してい)よ!」と一声(ひとこえ)叫(よばわ)る。かの八戒(はっかい)・沙僧(さそう)正(まさ)に自(みずか)ら盼望(ぼうぼう=待ちわび)商量(しょうりょう=相談)しおるに、叫るを聴く時(おり)、一斉(いっせい)に出で接(むか)えて言う、「兄(あに)上、いかにしてかこの一日(いちじつ)を去(ゆ)きて方めて回りし。端(つまびらか)に師父(しふ)の下落(げらく=行方)は如何(いかん)」と。

行者(ぎょうじゃ)笑って言う、「昨夜(ゆうべ)風(かぜ)を聞(き)きて而(すなわち)趕(お)い、天(てん)の暁(あ)くるに至(いた)りて一山(ひとやま)に到るも見(み)えず。幸(さいわ)いに四値功曹(しちこうそう)の信(しん)を伝(つた)えて道(いわ)く、かの山を青龍山(せいりゅうざん)と喚(よ)び、山中(さんちゅう)に一(ひとつ)の玄英洞(げんえいどう)有り、洞中(どうちゅう)に三人(みたり)の妖精有りて、辟寒大王(へきかんだいおう)・辟暑大王(へきしょだいおう)・辟塵大王(へきじんだいおう)と喚ぶ」と。

元来(もと)年(とし)を積(つ)んで此に在りて油を偸(ぬす)み、仏像(ぶつぞう)に仮(かり)に変(へん)じ、金平府(きんぺいふ)の官員(かんいん)人等(ひとども)を哄(たぶらか)せり。今年(ことし)我等(ら)に遇(あ)うに、彼好歹(よしあし)を知(し)らず、反(かえ)って師父(しふ)までも都摂(かどわ)かし去(さ)りたり。老孫(ろうそん)この情(じょう)を審(つまびらか)にし得(え)て、功曹(こうそう)等の衆(しゅう)に吩咐(いいつけ)て暗中(あんちゅう)に師父を保護(ほご)せしめ、我近(ちか)き門前(もんぜん)に尋(たず)ね到りて叫(よばわ)り罵(ののし)る。かの三怪(さんかい)斉(ひと)しく出で、都牛頭鬼形(ごずきぎょう=牛頭の鬼の姿)に象(に)たり。大(だい)なる箇(ひとり)は鉞斧(えつふ)を使(つか)い、第二(だいに)の者は大刀(だいとう)を使い、第三(だいさん)の者は藤棍(とうこん=藤の棒)を使い、後(うしろ)に一窩子(ひとすみか)の牛頭鬼怪(ごずきかい)を引(ひ)き、旗(はた)を揺(ゆ)り鼓(つづみ)を擂(う)ち、老孫と一日(いちじつ)闘(たたか)いて、手(て)の平(たいら=互角)に殺(たたか)い合(あ)えり。かの妖王(ようおう)旗を揺り動(うご)かせば、小妖(しょうよう)都来(きた)る。我、天(てん)の晩(く)るるを見(み)、勝(か)ちを取(と)ること能(あた)わざらんことを恐(おそ)れ、ここをもて觔斗(きんと)に駕(が)して回(かえ)り来れるなり」と。

八戒(はっかい)言う、「かの処(ところ)は想(おも)うにこれ酆都城(ほうとじょう=冥府)の鬼王(きおう)の弄喧(ろうけん=騒ぎ)ならん」と。沙僧(さそう)言う、「汝、いかにしてかすなわち酆都城(ほうとじょう)の鬼王の弄喧(ろうけん)ならんと猜(おしはか)りし」と。八戒笑って言う、「兄(あに)上牛頭鬼怪(ごずきかい)と説(い)えるをもて、故(ゆえ)にこれを知(し)るのみ」と。

行者(ぎょうじゃ)言う、「非(ひ)なり!非なり!もし老孫(ろうそん)がかの怪(かい)を看るを論(ろん)ぜば、これ三隻(みつ)の犀牛(さいぎゅう)の精(せい)と成りし者なり」と。八戒(はっかい)言う、「もし犀牛ならば、且く彼を拿(とら)え住(とど)め、角(つの)を鋸(のこ)ぎ下(おろ)さば、倒(かえ)って好幾両(そこばく)の銀子(ぎんす)に値(あたい)せん!」と。

正(まさ)に説(い)う処(ところ)に、衆僧(しゅうそう)言う、「孫老爺(そんろうや)晩斎(ばんさい)を食(くら)い給(たも)うべきか」と。行者(ぎょうじゃ)言う、「方便(ほうべん=都合)に些(いささ)か食わん、食わざるもまた罷(よ)し」と。衆僧言う、「老爺(ろうや)この一日(いちじつ)征戦(せいせん)し給えば、豈(あ)に饥(う)えざらんや」と。

行者(ぎょうじゃ)笑って言う、「この日把児(ひばかり=一日ほど)のいずくんぞすなわち饥(う)うるを得(え)ん!老孫(ろうそん)曾(かつ)て五百年(ごひゃくねん)飲食(おんじき)を食(くら)わざりき!」と。衆僧(しゅうそう)これ実(じつ)なるを知(し)らず、ただ以(も)って説笑(せっしょう=冗談)と為(な)すのみ。須臾(しばらく)して拿(と)り来(きた)るに、行者もまたこれを食いて言う、「且く收拾(しゅうしゅう=支度)して睡(ねむ)り、明日(みょうにち)我等(ら)都往きて相持(あいじ=組み合い)、妖王(ようおう)を拿(とら)え住(とど)め、庶(ねがわ)くは師父(しふ)を救(すく)うべきを待(ま)て」と。

沙僧(さそう)旁(かたわら)に在りて言う、「兄(あに)上何の話(はなし)をか説(い)う!常言(ことわざ)に道(いわ)く、『停留(とどま)れば智(ち)を長(ちょう)ず』と。かの妖精倘(も)し今晚(こんばん)睡(ねむ)らずして、師父(しふ)を害(そこな)い了(おわ)らば、却ってこれを如何(いかん)せん。如今すなわち往き、彼を嚷(わめ)きて措手(しゅ=手出し)及(およ)ばざらしむるに如(し)かず。方めて好(よ)く師父を救(すく)うべし。少(いささ)か遅(おく)るれば、失(しつ=手違い)の有(あ)らんことを恐(おそ)るるなり」と。

八戒(はっかい)この言(げん)を聞(き)き、神威(しんい=神々しき威)を抖擻(とうそう=奮い起こ)して言う、「沙兄弟(さきょうだい)の説(い)えるは是(ぜ)なり!我ら都この月光(げっこう)に趁(じゅん)じて魔(ま)を降(くだ)しに往かんじゃ!」と。

行者(ぎょうじゃ)言に依(よ)り、すなわち寺僧(じそう)に吩咐(いいつけ)て言う、「行李(こうり)馬匹(ばひつ)を看守(かんしゅ)せよ。我等(ら)が妖精を捉(とら)え来(きた)り、本府(ほんぷ)の刺史(しし=長官)に対(むか)いてその仮仏(けぶつ=偽りの仏)を証(あかし)し、灯油(とうゆ)を免(まぬが)れしめ、以(も)って概県(がいけん=県じゅう)の小民(しょうみん=庶民)の困(くるしみ)を蘇(よみがえ)らせしめんことを待(ま)て。却ってこれ好(よ)からずや」と。

衆僧(しゅうそう)諾(だく)を領(りょう)し、称謝(しょうしゃ)して已(や)まず。彼三人(みたり)遂(つい)に祥雲(しょううん)を縦(ほしいまま)に起(おこ)し、城を出でて去(ゆ)く。正(まさ)にこれ、
懶散(らんさん=怠け)にして拘(こう=束縛)無(な)ければ禅性(ぜんしょう)乱(みだ)れ、災危(さいき=災い)分(ぶん)有(あ)れば道心(どうしん)蒙(くら)し。
と。畢竟(ひっきょう)この去(ゆく)の勝敗(しょうぶ)の如何(いかん)は、また下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)かれよ。