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093 第九十三回 給孤園(きゅうこえん)に古(いにしえ)を問(と)い因(よるところ)を談(かた)る 天竺国(てんじくこく)に王(おう)に朝(ちょう)し偶(ぐう=配偶)に遇(あ)う

起念(きねん=念を起こす)断然(だんぜん)として愛(あい)有(あ)り、
留情(りゅうじょう=情を留む)必定(ひつじょう)として災(わざわい)を生(しょう)ず。
霊明(れいめい=霊妙の心)何事(なにごと)か三台(さんだい=三つの星台)を辨(わきま)えん、行(ぎょう)満(み)てば自(おの)ずから元海(げんかい=根源の海)に帰(かえ)る。
仙(せん)を成(な)すと仏(ほとけ)を成(な)すとを論(ろん)ぜず、須(かなら)ず箇中(こちゅう=この中)より安排(あんばい=整え)せよ。
清清浄浄(せいせいじょうじょう)として塵埃(じんあい=塵)を絶(た)てば、果(か)正(ただ)しくして飛昇(ひしょう)して上界(じょうかい)に上(のぼ)らん。
と。

さて、寺僧(じそう)らは天明(てんめい=夜明け)に三蔵(さんぞう)師徒(してい)の見(み)えざるに、みな言う、
「曾(かつ)て留(とど)め得(え)ず、曾て別(わか)れ得ず、曾て求告(きゅうこく=頼み請い)を得(え)ず、清清(せいせい=あっさり)と一箇(ひとり)の活菩薩(かつぼさつ=生き仏)を放(はな)ちて走(に)げしめたり!」
と。正(まさ)に説(かた)る処(ところ)に、ただ南関廂(なんかんしょう=南の城外)より幾箇(いくたり)かの大戸(たいこ=金持)の来(きた)り請(しょう)ずるを見(み)る。衆僧(しゅうそう)掌(てのひら)を撲(う)ちて言う、「昨晚(さくばん)曾(かつ)て防御(ぼうぎょ=用心)せざりしに、今夜(こんや)みな雲(くも)に駕(が)して去(ゆ)けり」と。衆人(しゅうじん)斉(ひと)しく空(そら)を望(のぞ)んで拝謝(はいしゃ)す。この言(げん)一(ひと)たび講(こう=語)らるれば、満城(まんじょう=城じゅう)の官員(かんいん)人等(じんとう)尽(ことごと)く皆(みな)これを知(し)り、この大戸(たいこ)の人家(じんか)を叫(よ)びて、俱(みな)五牲(ごせい=五種の供物)・花果(かか=花と果物)を治弁(ちべん=調え)させ、生祠(せいし)に往(ゆ)きて祭献(さいけん=供え祭り)恩(おん)に酬(むく)いるは題(だい)とせず。

さて、唐僧(とうそう)四衆(ししゅ)は風(かぜ)を餐(くら)い水(みず)に宿(やど)り、一路(いちろ)平寧(へいねい=穏やか)にして、行(ゆ)くこと半箇月余(はんこげつよ)有(あ)り。忽(たちま)ち一日(いちじつ)、一座(ひとつ)の高山(こうざん)を見(み)るに、唐僧また悚懼(しょうく=おそれ)て言う、「徒弟(でし)よ、かの前面(ぜんめん)の山嶺(さんれい)峻峭(しゅんしょう=けわしい)、是(こ)れ必(かなら)ず小心(しょうしん=用心)せよ!」と。行者笑って言う、
「この辺(へん)の路(みち)上(じょう)は将(まさ)に仏地(ぶっち)に近(ちか)からんとす、断(きっ)じて甚(なん)の妖邪(ようじゃ)か有(あ)らん。師父(しふ)懐(こころ)を放(はな)ちて慮(おもんばか)ること勿(な)かれ」
と。唐僧言う、
「徒弟(でし)よ、仏地(ぶっち)の遠(とお)からざるは然(しか)りと雖(いえど)も、但(た)だ前日(ぜんじつ)かの寺僧(じそう)の『天竺国(てんじくこく)の都下(とか)に到(いた)るまで二千里(にせんり)有(あ)り』と説(い)えりしが、なおまた多少(たしょう)の路(みち)か有(あ)るを知(し)らざるなり」
と。行者言う、「師父(しふ)、汝(なんじ)は好(よ)くまた烏巣禅師(うそうぜんじ)の『心経(しんぎょう)』を忘(わす)れたもうたるか」と。三蔵(さんぞう)言う、
「『般若心経(はんにゃしんぎょう)』はこれ我が随身(ずいしん)の衣鉢(えはつ=袈裟と鉢)なり。かの烏巣禅師(うそうぜんじ)の教(おし)えし後(のち)、那(いず)れの一日(いちじつ)か念(とな)えざる、那(いず)れの時(とき)か忘(わす)るることを得(え)ん。顛倒(てんどう=逆さま)にもまた念(とな)え来(きた)るを得(う)るに、怎(いか)でか忘(わす)るることを得(え)ん!」
と。行者言う、「師父(しふ)はただ念(とな)うるを得(う)るのみ、曾(かつ)てかの師父(しふ)に解(げ=解釈)することを求(もと)められず」と。三蔵説(い)いて言う、「猴頭(くとう=猿め)!怎(いか)でかまた我の曾て解(げ)せざると説(い)う。汝(なんじ)解(げ)するを得(う)るか」と。行者言う、「我(われ)解(げ)す、我解(げ)す」と。これより三蔵(さんぞう)・行者(ぎょうじゃ)また作声(させい=声を発す)せず。

旁(かたわら)に一箇(ひとり)の八戒(はっかい)を笑(わら)い倒(たお)し、一箇(ひとり)の沙僧(さそう)を喜(よろこ)び壊(こわ)し、説(い)いて言う、
「嘴臉(しれん=この面)!我と一般(おなじ)く妖精(ようせい)の出産(しゅっさん=生れ)なるに、また那裡(いずく)の禅和子(ぜんおじ=禅僧)として講経(こうきょう)を聴(き)きたるか、那裡(いずく)の応仏僧(おうぶつそう=法事の僧)として、また曾(かつ)て説法(せっぽう)を見(み)たるか。虚頭(きょとう=虚勢)を弄(ろう)し、架子(かし=構え)を找(つくろ)いて、甚(なん)の暁(さと)る、解(げ)するとか説(い)う!怎(いか)でかすなわち作声(させい)せざる。講(こう)を聴(き)け!請(こ)う解(げ)せよ!」
と。沙僧説(い)いて言う、
「二哥(にいさん)、汝(なんじ)もまたかれを信(しん)ずるか。大哥(あにき)は長話(ながばなし)を扯(ひ)きて、師父(しふ)を哄(たぶらか)して路(みち)を走(あゆ)ましむ。かれは棒(ぼう)を弄(ろう)することを暁(さと)るのみ、かれが那裡(いずく)にか講経(こうきょう)を暁(さと)ることを得(え)ん!」
と。三蔵(さんぞう)言う、「悟能(ごのう)・悟浄(ごじょう)、乱説(らんせつ=でたらめ)を要(よう)するを休(や)めよ。悟空(ごくう)が解(げ)するはこれ言語文字(ごんごもんじ)無(な)きもの、すなわちこれ真解(しんげ=真の解)なり」と。

かの師徒(してい)ら正(まさ)に説話(せつわ=話し合い)する間(あいだ)に、却(かえ)ってまた許多(あまた)の路程(ろてい)を走(ゆ)き過(す)ぎ、幾箇(いくつ)かの山岡(さんこう=丘)を離(はな)れ、路旁(ろぼう=道端)に早(はや)くも一座(ひとつ)の大寺(だいじ)を見(み)る。三蔵(さんぞう)言う、
「悟空(ごくう)、前面(ぜんめん)はこれ一座(ひとつ)の寺(てら)なるかな。汝(なんじ)かの寺(てら)を看(み)よ、倒(かえ)ってもまた小(ちいさ)からず大(おお)からず、却(かえ)ってまたこれ琉璃碧瓦(るりへきが=瑠璃色の瓦);半新半旧(はんしんはんきゅう)、却ってまたこれ八字紅墻(はちじこうしょう=八字形の赤い塀)。隐隐(いんいん)として蒼松(そうしょう)の偃蓋(えんがい=覆いかぶさる)を見(み)るも、また幾千百年間(いくせんびゃくねんかん)の故物(こぶつ=古きもの)の今(いま)に到(いた)れるを知(し)らず;潺潺(せんせん)として流水(りゅうすい)の弦(げん)を鳴(な)らすを聴(き)くも、また那(いず)れの朝代(ちょうだい)の時分(じぶん)に開山(かいざん=寺を開き)し留(とど)めて在(あ)るを道(い)わず。山門(さんもん)の上(うえ)に、大(おお)いに『布金禅寺(ふきんぜんじ)』と書(か)き著(つ)け、懸扁(けんぺん=掲げた扁額)の上(うえ)に、『上古遺跡(じょうこいせき)』と留題(るだい=書き留め)有(あ)り」
と。

行者看(み)てこれ布金禅寺(ふきんぜんじ)なりとし、八戒(はっかい)もまた布金禅寺(ふきんぜんじ)なりと道(い)う。三蔵(さんぞう)馬上(ばじょう)に在りて沈思(ちんし=思い沈み)して言う、「布金(ふきん)、布金、これは莫(も)しや舎衛国(しゃえこく)の界(さかい)ならずや」と。八戒言う、「師父(しふ)、奇(あや)しきかな!我、師父に跟(したが)うて幾年(いくとせ)、再(ふたた)び曾(かつ)て路(みち)を識(し)ることを得(え)ざりしに、今日(こんにち)もまた路(みち)を識(し)ることを得(え)たり」と。三蔵説(い)いて言う、
「非(しか)らず、我常(つね)に経(きょう)を看(み)典(てん)を誦(とな)うるに、説(い)えるは『仏(ほとけ)は舎衛城(しゃえいじょう)の祇樹給孤園(ぎじゅきゅうこえん)に在(ましま)す』と。この園(その)は説(い)えるは、給孤独長者(きゅうこどくちょうじゃ)の太子(たいし)に問(と)いて買(か)い得(え)て、仏(ほとけ)を請(しょう)じて講経(こうきょう)せしめたりと。太子(たいし)説(い)えるは『我がこの園(その)は売(う)らず。かれもし我がものを買(か)わんと要(もと)めば、黄金(おうごん)の園地(えんち)に満(み)ち布(し)くに非(あら)ざれば(売らじ)』と。給孤独長者(きゅうこどくちょうじゃ)説(い)うを聴(き)き、随(したが)いて黄金(おうごん)を以て磚(せん=煉瓦)と為(な)し、園地(えんち)に布(し)き満(み)たして、才(はじ)めて太子(たいし)の祇園(ぎえん)を買(か)い得(え)、才(はじ)めて世尊(せそん)を請(しょう)じて説法(せっぽう)せしめ得(え)たり。我想(おも)うにこの布金寺(ふきんじ)は莫(も)しやすなわちこの故事(こじ)ならずや」
と。八戒笑って言う、「造化(ぞうか=幸運)!若(も)しすなわちこの故事(こじ)ならば、我らもまた往(ゆ)きてかの塊把(ひとかけら)の磚児(せんじ=煉瓦)を摸(さが)し出(いだ)して人(ひと)に送(おく)らん」と。大家(みんな)また一笑(ひとわらい)して、三蔵(さんぞう)才(はじ)めて馬(うま)を下(お)り得(え)たり。

山門(さんもん)を進(い)り得(え)れば、ただ見(み)よ、山門(さんもん)の下(もと)に担(に)を挑(かつ)ぐ者、包(つつみ)を背負(せお)う者、車(くるま)を推(お)す者、整車(せいしゃ=荷車)に坐(ざ)し下(お)りる;また睡(ねむ)るは去(ゆ)きて睡(ねむ)り、講(はな)すは去(ゆ)きて講(はな)す。忽然(たちまち)かの師徒(してい)四衆(ししゅ)を見(み)るに、俊(しゅん=美)なるはまた俊(しゅん)に、醜(しゅう=醜)なるはまた醜(しゅう)に、大家(みんな)些(いささ)か懼(おそ)れ有(あ)りて、却(かえ)ってすなわち些(いささ)かの路(みち)を譲(ゆず)り開(あ)けたり。三蔵(さんぞう)事(こと)を惹(ひ)き起(お)こさんことを生(いた)く怕(おそ)れ、口(くち)の中(うち)に住(とど)まらずただ「斯文(しぶん=お上品に)!斯文!」と叫(よ)ぶ。この時節(おり)に、却(かえ)ってまた大家(みんな)収斂(しゅうれん=慎み)せり。

金剛殿(こんごうでん)の後(うしろ)を転(めぐ)り過(す)ぐれば、早(はや)くも一位(ひとり)の禅僧(ぜんそう)の走出(いできた)る有(あ)り、却(かえ)ってまた威儀(いぎ)俗(ぞく)ならず。真(まこと)にこれ、
面(おもて)は満月(まんげつ)の光(ひかり)の如(ごと)く、身(み)は菩提樹(ぼだいじゅ)に似(に)たり。
錫(しゃく=錫杖)を擁(いだ)き袖(そで)は風(かぜ)に飄(ひるがえ)り、芒鞋(ぼうがい=藁沓)は石頭路(せきとうろ=石の道)。
と。

三蔵(さんぞう)見(み)えて問訊(もんじん=合掌の挨拶)す。かの僧(そう)すなわち忙(いそ)ぎ礼(れい)を還(かえ)して言う、「師(し)はいずこより来(きた)れる」と。三蔵言う、
「弟子(でし)陳玄奘(ちんげんじょう)は、東土大唐(とうどだいとう)の皇帝(こうてい)の旨(むね)を奉(ほう)じ、西天(せいてん)に差(つかわ)され仏(ほとけ)を拝(おが)み経(きょう)を求(もと)む。路(みち)に宝方(ほうほう=貴地)を過(よ)ぎり、造次(ぞうじ=ぶしつけ)ながら奉謁(ほうえつ=お目通り)し、すなわち一宿(いっしゅく)を借(か)らんことを求(もと)め、明日(みょうにち)すなわち行(ゆ)かん」
と。かの僧(そう)言う、「荒山(こうざん=わが山)は十方常住(じっぽうじょうじゅう=誰にも開かれた寺)、みな随喜(ずいき=参詣)すべし。況(いわ)んや長老(ちょうろう)は東土(とうど)の神僧(しんそう)、但(た)だ供養(くよう)を得(う)れば幸甚(こうじん=この上なし)」と。三蔵(さんぞう)謝(しゃ)し、随(したが)いてすなわちかの三人(みたり)を喚(よ)んで同(とも)に行(ゆ)き、回廊(かいろう=渡り廊下)・香積(こうしゃく=庫裡)を過(よ)ぎ、径(ただち)に方丈(ほうじょう)に入(い)る。相見(しょうけん)し礼(れい)を畢(おわ)り、賓主(ひんしゅ=客と主人)を分(わ)ちて坐(ざ)し定(さだ)まり、行者(ぎょうじゃ)三人(みたり)もまた手(て)を垂(た)れて坐(ざ)せり。

話(わ)はこの時(おり)寺中(じちゅう)に東土大唐(とうどだいとう)の取経(しゅきょう=経を求むる)の僧人(そうにん)の到(いた)れるを聴(き)きつけ、寺中(じちゅう)の大(だい)なると小(しょう)なると、長住(じょうじゅう=常住の僧)・掛榻(かとう=滞在の僧)・長老(ちょうろう)・行童(あんじゃ=稚児)を問(と)わず、一一(いちいち)みな来(きた)りて参見(さんけん=挨拶)するを表(あらわ)す。茶(ちゃ)罷(や)みて、斎供(さいく=供え物)を擺(なら)べ上(あ)ぐ。この時(おり)長老(ちょうろう)はなお正(まさ)に開斎(かいさい=食前の読経)し偈(げ)を念(とな)えおるに、八戒(はっかい)は早(はや)くもこれ緊(きん=急ぐ)とし、饅頭(まんじゅう)・素食(そしょく=精進料理)・粉湯(ふんとう=汁もの)を一攪(ひとかきまわし)して直下(ひたすら)に下(おろ)せり。この時(おり)方丈(ほうじょう)は却(かえ)ってまた人(ひと)多(おお)く、知識(ちしき=心得ある者)有(あ)るは三蔵(さんぞう)の威儀(いぎ)を讃(ほ)め説(と)き、耍子(たわむれ)を好(この)むはみな八戒(はっかい)の飯(めし)を食(くら)うを看(み)る。

さて、沙僧(さそう)は眼(め)の溜(するど)きが、頭底(とうてい=行儀のほど)を看(み)て、暗(ひそか)に八戒(はっかい)を把(と)って一捏(ひとつね)りし、説(い)いて言う、「斯文(しぶん=お上品に)!」と。八戒(はっかい)着忙(あわて)り、急(いそ)ぎて叫(よ)び将(も)ち起(おこ)り、説(い)いて言う、「斯文(しぶん)斯文!肚裡(とり=腹の裡)空空(くうくう=からっぽ)!」と。沙僧笑って言う、
「二哥(にいさん)、汝(なんじ)暁(さと)らずや、天下(てんが)の多少(いくら)の斯文(しぶん=上品ぶる者)も、もし肚裡(とり=腹の裡)を論(ろん)じ起(おこ)せば、正(まさ)に你我(われら)と一般(おなじ)なるなり」
と。八戒(はっかい)方(はじ)めて肯(あえ)て住(とど)まる。三蔵(さんぞう)結斎(けっさい=食後の読経)を念(とな)い了(おわ)り、左右(そうゆう=側の者)席面(せきめん=膳)を徹(さ)ぐれば、三蔵(さんぞう)称謝(しょうしゃ=感謝)す。

寺僧(じそう)東土(とうど)の来因(らいん=来たるいわれ)を問(と)い起(おこ)し、三蔵(さんぞう)古跡(こせき)に説(かた)り到(いた)り、才(はじ)めて布金寺(ふきんじ)の名(な)の由(よし)を問(と)う。かの僧(そう)答(こた)えて曰(いわ)く、
「この寺(てら)は元来(もと)これ舎衛国(しゃえこく)の給孤独園寺(きゅうこどくえんじ)にして、また祇園(ぎえん)と名(な)づく。給孤独長者(きゅうこどくちょうじゃ)の仏(ほとけ)を請(しょう)じて講経(こうきょう)せしめ、金磚(きんせん=金の煉瓦)を地(ち)に布(し)けるに因(よ)り、また今(いま)の名(な)に易(か)えたり。我がこの寺(てら)の一望(いちぼう=見渡す)の前(まえ)は、すなわちこれ舎衛国(しゃえこく)、その時(おり)給孤独長者(きゅうこどくちょうじゃ)正(まさ)に舎衛国(しゃえこく)に在(あ)りて居住(きょじゅう)せり。我が荒山(こうざん=わが山)は元来(もと)これ長者(ちょうじゃ)の祇園(ぎえん)なるに、此(ここ)に因(よ)りて遂(つい)に給孤布金寺(きゅうこふきんじ)と名(な)づけ、寺(てら)の後辺(うしろ)にまた祇園(ぎえん)の基址(きし=基礎の跡)有(あ)り。近(ちか)ごろ年(ねん)の間(あいだ)、もし時雨(じう=おりからの雨)の滂沱(ぼうだ=どしゃ降り)に遇(あ)えば、また金銀珠児(きんぎんしゅじ=金銀の玉)を淋(あらわ)し出(いだ)し、造化(ぞうか=幸運)有(あ)る者(もの)は、毎毎(つね)に拾(ひろ)い著(あつ)るなり」
と。

三蔵(さんぞう)言う、「話(はなし)は虚(むな)しく伝(つた)わらず、果(は)たして真(しん)なり!」と。また問(と)いて言う、「才(いま)しがた宝山(ほうざん=貴寺)に進(い)りしに、門下(もんか)両廊(りょうろう=両側の廊下)に許多(あまた)の騾馬車担(らばしゃたん=驢馬や車や荷)の行商(ぎょうしょう=旅商人)の在(あ)るを見(み)たり、何為(なんす)れぞこの処(ところ)に歇宿(けっしゅく=宿を借り)する」と。衆僧(しゅうそう)言う、
「我がこの山(やま)は喚(よ)んで百脚山(ひゃっきゃくざん)と做(な)す。先年(せんねん=以前)は且(ま)ずこれ太平(たいへい)なりしが、近(ちか)ごろ天気(てんき)の循環(じゅんかん=巡り)に因(よ)り、怎(いか)なるにか幾箇(いくたり)かの蜈蚣精(ごこうせい=百足の精)を生(しょう)じ、常(つね)に路下(ろか=道の下)に在りて人(ひと)を傷(そこな)う。命(いのち)を傷(そこな)うに至(いた)らずと雖(いえど)も、実(げ)に人(ひと)敢(あ)えて走(ゆ)かず。山(やま)の下(もと)に一座(ひとつ)の関(せき)有(あ)り、喚(よ)んで鶏鳴関(けいめいかん)と做(な)す、但(た)だ鶏鳴(けいめい=鶏の鳴く)の時(とき)に到(いた)るに、才(はじ)めて敢(あ)えて過(よ)ぎ去(ゆ)く。かの些(それら)の客人(きゃくにん)は晩(おそ)く到(いた)れるに因(よ)り、惟(た)だ便(べん)ならざるを恐(おそ)れ、権(かり)に荒山(こうざん=わが山)に一宿(いっしゅく)を借(か)り、鶏鳴(けいめい)の後(のち)を等(ま)ちてすなわち行(ゆ)く」
と。三蔵言う、「我らもまた鶏鳴(けいめい)の後(のち)を等(ま)ちて去(ゆ)かん」と。師徒(してい)ら正(まさ)に説(かた)る処(ところ)に、また斎(とき)を拿(も)ち上(あ)ぐるを見(み)、却(かえ)って唐僧(とうそう)等(ら)と吃(くら)い畢(おわ)る。

この時(とき)上弦(じょうげん=上弦の月)月(つき)皎(あきら)かなり、三蔵(さんぞう)と行者(ぎょうじゃ)月(つき)を步(あゆ)みて閑行(かんこう=ぶらつき)おるに、また一箇(ひとり)の道人(どうにん=寺男)の来(きた)りて報(ほう)じて言う、「我らが老師爺(ろうしようや=老師)が中華(ちゅうか)の人物(じんぶつ)を見(み)んと要(もと)めたもう」と。三蔵(さんぞう)急(いそ)ぎ身(み)を転(めぐ)らすに、一箇(ひとり)の老和尚(ろうおしょう=老僧)の手(て)に竹杖(ちくじょう=竹の杖)を持(た)ち、前(まえ)に向(すす)みて作礼(されい=礼をなし)て言う、「この位(おかた)がすなわち中華(ちゅうか)より来(きた)れる師父(しふ)なるか」と見(み)る。三蔵礼(れい)を答(こた)えて言う、「敢(あえ)て(もったいなし)」と。老僧(ろうそう)称讃(しょうさん=褒め称え)して已(や)まず。因(よ)りて問(と)う、「老師(ろうし)の高寿(こうじゅ=ご年齢)は」と。三蔵言う、「虚(むな)しく四十五年(よんじゅうごねん)を度(わた)れり。敢(あ)えて老院主(ろういんじゅ=寺の長老)の尊寿(そんじゅ=お年)を問(と)わん」と。老僧笑って言う、「老師(ろうし)に比(くら)ぶれば痴(おろか)にも一花甲(いっかこう=六十歳)長(た)けたり」と。行者言う、
「今年(ことし)はこれ百零五歳(ひゃくれいごさい)なるが、汝(なんじ)看(み)よ、我(われ)に多少(いくら)の年紀(ねんき=年齢)か有(あ)るを」
と。老僧(ろうそう)言う、「師家(しかし=お師さま)は貌(かたち)古(ふる)く神(しん)清(きよ)く、況(いわ)んや月夜(つきよ)に眼(め)の花(かす)むをや、急(にわか)には看(み)出(い)だすこと得(え)ず」と。

一会(ひととき)叙(じょ=語り合い)して、また後廊(こうろう=裏の廊下)へ向(むか)いて看看(みみ=見て回)る。三蔵(さんぞう)言う、「才(さっ)きに説(い)える給孤園(きゅうこえん)の基址(きし=跡)、果(は)たしていずこに在(あ)る」と。老僧(ろうそう)言う、「後門(こうもん)の外(そと)がすなわちこれなり」と。速(すみや)かに門(もん)を開(ひら)かしむるに、ただ見(み)よこれ一塊(ひとかたまり)の空地(くうち=空き地)にして、また些(いささ)かの碎石(さいせき=砕石)の迭(つ)みたる墻脚(しょうきゃく=塀の土台)有(あ)り。三蔵(さんぞう)合掌(がっしょう)して嘆(たん)じて曰(いわ)く、
「憶(おも)う昔(むかし)檀那(だんな=施主)須達多(しゅだった=給孤独長者)、
曾(かつ)て金宝(きんぽう=黄金の宝)を将(も)ちて貧疴(ひんあ=貧しき病める者)を済(すく)えり。
祇園(ぎえん)は千古(せんこ)に名(な)を留(とど)めて在(あ)れど、
長者(ちょうじゃ)は何方(いずかた)にか覚羅(かくら=仏)に伴(ともな)える」
と。

かれらみな月(つき)を玩(もてあそ)び、緩緩(ゆるゆる)として行(ゆ)き、後門(こうもん)の外(そと)に行(ゆ)き近(ちか)づき、台(うてな)の上(うえ)に至(いた)りてまた一坐(ひとすわり)せり。忽然(たちまち)啼哭(ていこく=泣き声)の声(こえ)有(あ)るを聞(き)き得(え)たり。三蔵(さんぞう)心(こころ)を静(しず)めて誠(まこと)に聴(き)けば、哭(な)くるはこれ爺娘(やじょう=父母)の苦痛(くつう)を知(し)らざるの言(ことば)なり。かれすなわち感触(かんしょく=心に触れ)して心(こころ)酸(す)く、覚(おぼ)えず涙(なみだ)を堕(おと)し、回(かえ)りて衆僧(しゅうそう)に問(と)いて言う、「これ甚(なん)の人(ひと)のいずこに在(あ)りて悲切(ひせつ=悲嘆)するか」と。

老僧(ろうそう)問(と)うを見(み)、すなわち衆僧(しゅうそう)に命(めい)じて先(ま)ず回(かえ)り去(ゆ)きて茶(ちゃ)を煎(せん=煎じ)しめ、人(ひと)の無(な)きを見(み)て方(はじ)めて唐僧(とうそう)・行者(ぎょうじゃ)に対(むか)いて下拝(かはい=伏し拝み)す。三蔵(さんぞう)攙(たす)け起(おこ)して言う、「老院主(ろういんじゅ)、何為(なんす)れぞこの礼(れい)を行(おこな)う」と。老僧(ろうそう)言う、
「弟子(でし)年歳(ねんさい)百余(ひゃくよ)、略(ほぼ)人事(じんじ=人の事)に通(つう)ず。毎(つね)に禅静(ぜんせい=坐禅の静けさ)の間(あいだ)に於(お)いて、また曾(かつ)て幾番(いくたび)かの景象(けいしょう=光景)を見(み)たり。老爺(ろうや=旦那)師徒(してい)の如(ごと)きは、弟子(でし)聊(いささ)か一二(いちに)を知(し)るところ、他(た)の人(ひと)と同じからず。もし悲切(ひせつ)の事(こと)を言(い)わば、この位(おかた)の師家(しけ=お師さま)に非(あら)ずんば、明辨(めいべん=はっきり見分け)すること得(え)ず」
と。行者言う、「汝(なんじ)且(しばら)く説(い)え、これ甚(なん)の事(こと)なるか」と。老僧(ろうそう)言う、
「旧年(きゅうねん=去年)の今日(こんにち)、弟子(でし)正(まさ)に性月(しょうげつ=心の月)を明(あきら)むるの時(おり)、忽(たちまち)一陣(ひとむれ)の風(かぜ)の響(ひび)くを聞(き)き、すなわち悲怨(ひえん=悲しみ怨む)の声(こえ)有(あ)り。弟子(でし)榻(とう=寝台)を下(お)り、祇園(ぎえん)の基址(きし=跡)に到(いた)りて看(み)る処(ところ)、すなわちこれ一箇(ひとり)の美貌端正(びぼうたんせい)の女(おんな)なり。我かれに問(と)う、『汝(なんじ)はいずれの家(いえ)の女子(じょし)なるか。何為(なんす)れぞこの地(ち)に到(いた)れる』と。かの女子(じょし)言う、『我はこれ天竺国(てんじくこく)の国王(こくおう)の公主(こうしゅ=王女)なり。月下(げっか=月明かりの下)に花(はな)を観(み)るに因(よ)り、風(かぜ)に刮(さら)われ来(きた)れるなり』と。我かれを一間(ひとま)の敝空房(へいくうぼう=あばら家の空き部屋)の裡(うち)に鎖(とざ)し込(こ)め、かの房(へや)を砌(きず)いて一箇の監房(かんぼう=牢屋)の形(かたち)と作(な)し、門(もん)の上(うえ)にただ一小孔(いっしょうこう=小さな穴)を留(とど)めて、僅(わず)かに碗(わん)を遞(わた)すを得(う)るのみ。当(その)日(ひ)衆僧(しゅうそう)に伝(つた)えて道(い)えるは、これ一箇の妖邪(ようじゃ=妖怪)なり、我に捆(くく)られたりと。但(た)だ我が僧家(そうけ=僧の身)はすなわちこれ慈悲(じひ)の人(ひと)なれば、かれが性命(せいめい)を傷(そこな)うを肯(あえ)んぜず。毎日(まいにち)かれに両頓(ふたくい)の粗茶粗飯(そちゃそはん=粗末な食事)を与(あた)え、吃(くら)いて命(いのち)を度(わた)らしむ。かの女子(じょし)もまた聡明(そうめい)にして、すなわち吾(わ)が意(こころ)を解(げ)し、衆僧(しゅうそう)の点汚(てんお=けがし辱める)を恐(おそ)れ、すなわち風(ふう=気違い)を装(よそお)い怪(あやしきこと)を作(な)し、尿(ゆばり)の裡(うち)に眠(ねむ)り、屎(くそ)の裡(うち)に臥(ふ)す。白日家(ひるま)は胡話(こわ=たわごと)を説(い)い、呆呆鄧鄧(たいたいとうとう=ぼんやり)たり;夜静(よるしずか)の処(ところ)に到(いた)れば、却(かえ)って父母(ふぼ)を思量(しりょう=思い)て啼哭(ていこく=泣き叫び)す。我幾番家(いくたび)も城(しろ)に進(い)りて乞化(こっけ=托鉢)し公主(こうしゅ)の事(こと)を打探(たんさ=探)れど、全(まった)く然(さ)る損(そん=手掛かり)無し。此(ここ)を以て堅(かた)く収(おさ)め緊(きつ)く鎖(とざ)し、更(さら)に放(はな)ち出(いだ)さず。今幸(さいわ)いに老師(ろうし)の国(くに)に来(きた)れる、万(まん)が一にも国中(こくちゅう)に到(いた)りて、広(ひろ)く法力(ほうりき)を施(ほどこ)し、辨明辨明(べんめいべんめい=見分け給え)されんことを望(のぞ)む。一(ひとつ)には良善(りょうぜん=善き人)を救抜(きゅうばつ=救い出し)、二(ふたつ)には神通(じんつう)を昭顕(しょうけん=明らかに顕わ)すなり」
と。

三蔵(さんぞう)と行者(ぎょうじゃ)聴(き)き罷(や)み、切切(せつせつ=深く)として心(こころ)に在(あ)り。正(まさ)に説(かた)る処(ところ)に、ただ両箇(ふたり)の小和尚(こおしょう)の茶(ちゃ)を吃(くら)し安置(あんち=休み)せんことを請(こ)うを見(み)、遂(つい)に而(しか)して回(かえ)り去(ゆ)く。

八戒(はっかい)と沙僧(さそう)方丈(ほうじょう)の中(うち)に在りて、突突噥噥(とつとつのうのう=ぶつぶつ)と道(い)う、「明日(みょうにち)鶏鳴(けいめい)に路(みち)を走(あゆ)まんと要(もと)むるに、この時(とき)になお来(きた)りて睡(ねむ)らず!」と。行者言う、「呆子(あほう)また甚(なん)をか説(い)う」と。八戒言う、「睡(ね)んか、これほど夜(よ)の深(ふか)きに、なお甚(なん)の景致(けいち=景色)か看(み)ること有(あ)らん」と。此(ここ)に因(よ)りて、老僧(ろうそう)散(さん=散会)じ去(ゆ)き、唐僧(とうそう)すなわち寝(い)に就(つ)く。正(まさ)にこれかの、
人(ひと)静(しず)かにして月(つき)沈(しず)み、花夢(かむ=花の夢)悄(しず)けし。
暖風(だんぷう)微(かす)かに透(とお)る壁窩紗(へきかしゃ=壁の窪みの紗)。
銅壺(どうこ=水時計)点点(てんてん)として三汲(さんきゅう=三たび汲む)を看(み)、
銀漢(ぎんかん=天の川)明明(めいめい)として九華(きゅうか=九つの華)を照(て)らす。
と。

当夜(そのよ)睡(ねむ)ることいまだ久(ひさ)しからざるに、すなわち鶏鳴(けいめい=鶏の鳴く)を聴(き)く。かの前辺(まえ)の行商(ぎょうしょう)烘烘(こうこう=わいわい)と皆(みな)起(お)き、灯(ともしび)を引(ひ)きて飯(めし)を造(つく)る。この長老(ちょうろう)もまた八戒(はっかい)・沙僧(さそう)を喚(よ)び醒(さま)し、馬(うま)を扣(たた)き收拾(しゅうしゅう=支度)し、行者(ぎょうじゃ)灯(ともしび)を点(とも)し来(きた)らしむ。かの寺僧(じそう)すでに先(さき)に起(お)きて、茶湯(さとう=茶)・点心(てんしん=軽食)を安排(あんばい=整え)し、後(うしろ)に在りて候敬(こうけい=お供え)す。八戒(はっかい)歓喜(かんぎ)し、一盤(ひとさら)の饃饃(まんじゅう)を吃(くら)い、行李(こうり=荷)と馬匹(ばひつ=馬)を把(も)ちて牽(ひ)き出(いだ)す。三蔵(さんぞう)・行者(ぎょうじゃ)衆(しゅう)に対(むか)いて辞謝(じしゃ=別れの挨拶)す。老僧(ろうそう)また行者(ぎょうじゃ)に向(むか)いて言う、
「悲切(ひせつ=悲嘆)の事(こと)、心(こころ)に在(あ)れ心に在れ!」
と。行者笑って言う、「謹(つつし)みて領(りょう=承知)す、謹みて領す!我(われ)城中(じょうちゅう)に到(いた)らば、自(おの)ずから能(よ)く音(おと)を聆(き)いて理(ことわり)を察(さっ)し、貌(かたち)を見(み)て色(いろ)を辨(わきま)えん」と。かの夥(くみ)の行商(ぎょうしょう)も、哄哄嚷嚷(こうこうじょうじょう=わいわいがやがや)と、また一同(いちどう)に大路(たいろ)に上(のぼ)る。将(まさ)に寅時(いんのとき)有(あ)らんとして、鶏鳴関(けいめいかん)を過(よ)ぎ、巳時(みのとき)に至(いた)りて、方(はじ)めて城垣(じょうえん=城壁)を見(み)る。真(まこと)にこれ鉄甕金城(てつおうきんじょう=鉄の甕と金の城)、神洲天府(しんしゅうてんふ=神の洲の天の府)なり。かの城(しろ)、
虎踞(こきょ=虎のうずくまり)龍蟠(りゅうばん=龍のとぐろ)として形勢(けいせい)高(たか)く、
鳳楼麟閣(ほうろうりんかく=鳳凰と麒麟の楼閣)彩光(さいこう)を揺(ゆ)る。
御溝(おこう=御所の堀)の流水(りゅうすい)環帯(かんたい=輪の帯)の如(ごと)く、
福地(ふくち)山(やま)に依(よ)りて錦標(きんぴょう=錦の旗)を插(さ)す。
暁日(ぎょうじつ=朝日)旌旗(せいき=旗)輦路(れんろ=天子の道)に明(あきら)かに、
春風(しゅんぷう)簫鼓(しょうこ=笛と鼓)溪橋(けいきょう=谷の橋)に遍(あまね)し。
国王(こくおう)道(みち)有(あ)れば衣冠(いかん=服装)勝(すぐ)れ、
五穀豊登(ごこくほうとう=五穀の豊作)俊豪(しゅんごう=英傑)を顕(あらわ)す。
と。

当(その)日(ひ)東市街(とうしがい)に入(い)り、衆商(しゅうしょう)各(おのおの)旅店(りょてん=宿)に投(とう=泊)ず。かの師徒(してい)ら城(しろ)に進(い)り、正(まさ)に走(ゆ)く処(ところ)に、一箇(ひとつ)の会同館駅(かいどうかんえき=迎賓館)有(あ)り、三蔵(さんぞう)等(ら)径(ただち)に駅(えき)の内(うち)に入(い)る。かの駅(えき)の内(うち)の管事(かんじ=取締り)の者(もの)、すなわち駅丞(えきじょう=駅の長)に報(ほう)じて言う、「外辺(そと)に四箇(よたり)の異様(いよう=風変わり)の和尚(おしょう)の、一匹(ひとむら)の白馬(はくば)を牽(ひ)きて進(い)り来(きた)れる有(あ)り」と。駅丞(えきじょう)馬(うま)有(あ)りと説(い)うを聴(き)き、すなわちこれ官差(かんさ=官の使い)なるを知(し)り、庁(ちょう)を出(い)でて迎迓(げいが=迎え)す。三蔵(さんぞう)礼(れい)を施(ほどこ)して言う、
「貧僧(ひんそう)はこれ東土唐朝(とうどとうちょう)の欽差(きんさ=勅使)として、霊山(りょうざん)大雷音(だいらいおん)に仏(ほとけ)に見(まみ)え経(きょう)を求(もと)むる者(もの)なり。随身(ずいしん)に関文(かんぶん=通行証)有(あ)り、朝(ちょう)に入(い)りて照験(しょうけん=照合)を受(う)けんとす。大人(たいじん)の高衙(こうが=立派な役所)を借(か)りて一歇(ひとやすみ)し、事(こと)畢(おわ)らばすなわち行(ゆ)かん」
と。駅丞(えきじょう)礼(れい)を答(こた)えて言う、「この衙門(がもん=役所)は元来(もと)使客(しかく=使者)を待(ま)つるの処(ところ)に設(もう)けたり、理(ことわり)として当(まさ)に款迓(かんが=丁重に迎え)すべし。請(こ)う進(い)れ、請う進れ」と。三蔵(さんぞう)喜悦(きえつ)し、徒弟(でし)らをしてみな来(きた)りて相見(しょうけん=顔を合わ)せしむ。かの駅丞(えきじょう)嘴臉(しれん=面構え)の醜陋(しゅうろう=醜い)なるを看(み)て、暗(ひそか)に自(みずか)ら心(こころ)を驚(おどろ)かし、人(ひと)なるか鬼(おに)なるかを知(し)らず、戦戦兢兢(おののき)として、ただ茶(ちゃ)を看(だ)し斎(とき)を擺(なら)ぶを得(え)たり。三蔵(さんぞう)かれの驚(おどろ)き怕(おそ)るるを見(み)、言う、
「大人(たいじん)驚(おどろ)くこと勿(な)かれ。我等(われら)が三箇(みたり)の徒弟(でし)は、相貌(そうぼう=顔かたち)醜(みにく)しと雖(いえど)も、心地(しんち=心)俱(みな)良(よ)し。俗(ぞく)に謂(い)う『山(やま)悪(あ)しくして人(ひと)善(よ)し』と。何(なん)を以てか懼(おそ)れを為(な)さん!」
と。駅丞(えきじょう)言(げん)を聞き、方(はじ)めて心性(しんしょう=心)を定(さだ)めて問(と)いて言う、「国師(こくし)、唐朝(とうちょう)はいずこに在(あ)るか」と。三蔵言う、「南贍部洲(なんせんぶしゅう)中華(ちゅうか)の地(ち)に在(あ)り」と。また問(と)う、「幾時(いつ)家(いえ)を離(はな)れし」と。三蔵言う、
「貞観(じょうがん)十三年(じゅうさんねん)、今すでに十四載(じゅうよんさい)を歴(へ)過(す)ぎ、苦(くるし)く些(いくばく)かの万水千山(ばんすいせんざん=幾万の山川)を経(ふ)りて、方(はじ)めてこの処(ところ)に到(いた)れり」
と。駅丞言う、「神僧(しんそう)!神僧!」と。三蔵問(と)いて言う、「上国(じょうこく=貴国)の天年(てんねん=御代)は幾何(いくばく)か」と。駅丞言う、
「我が敝処(へいしょ=拙地)はすなわちこれ大天竺国(だいてんじくこく)、太祖太宗(たいそたいそう)より今(いま)に伝(つた)えて、すでに五百余年(ごひゃくよねん)。現(いま)位(くらい)に在(ましま)す爺爺(やや=主君)は、山水花卉(さんすいかき=山水と草花)を愛(あい)し、号(ごう)を怡宗皇帝(いそうこうてい)と做(な)し、改元(かいげん=元号を改め)して靖宴(せいえん)と曰(い)い、今すでに二十八年(にじゅうはちねん)なり」
と。三蔵言う、「今日(こんにち)貧僧(ひんそう)は往(ゆ)きて駕(が=天子)に見(まみ)え関文(かんぶん)を倒換(とうかん=引替え)せんと要(もと)むるが、朝(ちょう)に遇(あ)うことを得(え)べきかを知(し)らず」と。駅丞言う、
「好(よ)し!好し!正(まさ)に好し!近(ちか)ごろ国王(こくおう)の公主娘娘(こうしゅにゃんにゃん)の、年(とし)二十(はたち)の青春(せいしゅん)に登(のぼ)り、正(まさ)に十字街頭(じゅうじがいとう)に在りて、高(たか)く彩楼(さいろう=飾り楼)を結(むす)び、繍毬(しゅうきゅう=刺繍の毬)を抛打(ほうだ=投げ打ち)し、撞天婚(どうてんこん=天任せの婚姻)して駙馬(ふば=婿)を招(まね)くに因(よ)る。今日(こんにち)正(まさ)に熱鬧(ねっとう=賑わい)の際(おり)に当(あ)たり、想(おも)うに我が国王爺爺(こくおうやや)はいまだ期(き=退朝)を退(しりぞ)けざるならん。もし関文(かんぶん)を倒換(とうかん)せんと欲(ほっ)せば、この時(とき)に趁(じゅん)じて好(よ)く去(ゆ)かれ」
と。三蔵(さんぞう)欣然(きんぜん)として走(ゆ)かんとせしに、ただ斎(とき)を擺(なら)べ上(あ)ぐるを見(み)、遂(つい)に駅丞(えきじょう)・行者(ぎょうじゃ)等(ら)と吃(くら)えり。

時(とき)すでに午(うま)を過(す)ぎ、三蔵言う、「我(われ)好(よ)く去(ゆ)かん」と。行者言う、「我(われ)師父(しふ)を保(ほ)して去(ゆ)かん」と。八戒言う、「我(われ)往(ゆ)かん」と。沙僧言う、
「二哥(にいさん)罷(よ)せや、汝(なんじ)が嘴臉(しれん=面構え)は怎(どう)とも見(み)えず、朝門(ちょうもん)の外(そと)に到(いた)りて胖(ふと)りを装(よそお)うこと莫(な)かれ、還(かえ)って大哥(あにき)を去(ゆ)かしめよ」
と。三蔵言う、「悟浄(ごじょう)の説(い)うところ好(よ)し、呆子(あほう)は粗夯(そこつ)にして、悟空(ごくう)はまた些(いささ)か細膩(さいに=こまやか)なる有(あ)り」と。かの呆子(あほう)嘴(くち)を掬(すく=とがら)めて言う、「師父(しふ)を除(のぞ)かば、我ら三箇(みたり)の嘴臉(しれん)もまた差(たが)うこと多(おお)からず」と。三蔵(さんぞう)却(かえ)って袈裟(けさ)を穿(き)、行者(ぎょうじゃ)引磬(いんけい=鉦)を拿(と)りて同(とも)に去(ゆ)く。

ただ街坊(がいぼう=町筋)の上(うえ)に、士農工商(しのうこうしょう)・文人墨客(ぶんじんぼくかく)・愚夫俗子(ぐふぞくし=凡夫)の、斉(ひと)しく咳咳(がいがい=どよめき)てみな道(い)う、「繍毬(しゅうきゅう)を抛(な)ぐるを看(み)に往(ゆ)かん!」と見(み)る。三蔵(さんぞう)道旁(どうぼう=道端)に立(た)ちて行者に対(むか)いて言う、
「かれがこの処(ところ)の人物(じんぶつ)・衣冠(いかん=衣服と冠)・宮室(きゅうしつ)・器用(きよう=道具)・言語(ごんご)・談吐(だんと=話しぶり)は、また我が大唐(だいとう)と一般(おなじ)なり。我想(おも)うに我が俗家(ぞくか=在家)の先母(せんぼ=亡き母)もまた繍毬(しゅうきゅう)を抛打(ほうだ)し旧姻縁(きゅういんえん=前世の縁)に遇(あ)いて、夫婦(ふうふ)を結(むす)びたり。この処(ところ)にもまたこの等(ごとき)の風俗(ふうぞく)有(あ)り」
と。行者言う、「我らもまた往(ゆ)きて看看(みみ=見て)んは如何(いかん)」と。三蔵言う、「不可(いけ)ず!不可!你我(われら)は服色(ふくしょく=服装)便(べん)ならず、嫌疑(けんぎ=勘繰り)有(あ)らんことを恐(おそ)る」と。行者言う、
「師父(しふ)、汝(なんじ)はかの給孤布金寺(きゅうこふきんじ)の老僧(ろうそう)の言(げん)を忘(わす)れたもうたるか。一(ひとつ)には彩楼(さいろう)を看(み)に往(ゆ)き、二(ふたつ)には真假(しんが=真偽)を辨(わきま)えんと。この般(ごと)く忙忙(そうそう=あわただし)きに、かの皇帝(こうてい)は必(かなら)ず公主(こうしゅ)の喜報(きほう=吉報)を聴(き)かん、那裡(いずく)にか朝(ちょう)を視(み)て事(こと)を理(おさ)めん。且(しばら)く去(ゆ)きて去(ゆ)き来(きた)れ!」
と。三蔵(さんぞう)説(い)うを聴(き)き、真(まこと)に行者(ぎょうじゃ)と相随(あいしたが)い、各項(おのおの)の人等(じんとう)の俱(みな)かの処(ところ)に在りて繍毬(しゅうきゅう)を打(う)つを看(み)るを見(み)る。呀(ああ)!那(なん)ぞ知(し)らん、この去(ゆき)は、却(かえ)ってこれ漁翁(ぎょおう=漁夫)の鈎(はり)和(と)線(いと)を抛(な)げ下(おろ)し、今(いま)より是非(ぜひ=面倒)を釣(つ)り出(いだ)さんとは。

話(わ)はかの天竺国王(てんじくこくおう)が、山水花卉(さんすいかき)を愛(あい)するに因(よ)り、前年(ぜんねん=一昨年)后妃(こうひ=后や妃)・公主(こうしゅ)を帯(ともな)いて御花園(ごかえん)の月夜(つきよ)に賞玩(しょうがん=鑑賞)し、一箇(ひとり)の妖邪(ようじゃ)を惹(ひ)き動(うご)かし、真(しん)の公主(こうしゅ)を摂(かどわ)かし去(さ)らせ、かれは却(かえ)って変じて一箇の仮(にせ)の公主(こうしゅ)と作(な)りたり。唐僧(とうそう)が今年(ことし)今月(こんげつ)今日(こんにち)今時(いま)この地(ち)に到(いた)るを知(し)り得(え)て、かれは国家(こっか)の富(とみ)を仮借(かしゃく=借り)て、彩楼(さいろう)を搭(つ)ぎ起(おこ)し、唐僧(とうそう)を招(まね)いて偶(ぐう=配偶)と為(な)し、元陽真気(げんようしんき=男性の精気)を採取(さいしゅ=採り取)り、以(も)って太乙上仙(たいおつじょうせん=太乙の上仙)を成(な)さんと欲(ほっ)す。

正(まさ)に午時三刻(ごじさんこく)に当(あた)り、三蔵(さんぞう)と行者(ぎょうじゃ)人叢(ひとむら)に雑(まじ)り入(い)り、楼(ろう)の下(もと)に行(ゆ)き近(ちか)づくに、かの公主(こうしゅ)才(いま)しがた香(こう)を拈(つま)み焚(た)き起(おこ)し、天地(てんち)に祝告(しゅくこく=祈り告ぐ)す。左右(そうゆう)に五七十(ごしちじゅう)の臙脂繍女(えんししゅうじょ=紅をさした侍女)有(あ)り、近侍(きんじ=側仕え)の者(もの)繍毬(しゅうきゅう)を捧(ささ)げおる。かの楼(ろう)八窓(はっそう)玲瓏(れいろう=透き通る)たり。公主(こうしゅ)睛(ひとみ)を転(めぐ)らして観看(みわた)し、唐僧(とうそう)の至(いた)く近(ちか)くに来(きた)れるを見(み)、繍毬(しゅうきゅう)を将(も)ち取(と)り過(よ)せて、手(て)ずから唐僧(とうそう)の頭(あたま)の上(うえ)に抛(な)ぐ。唐僧(とうそう)一驚(ひとおどろ)きを著(う)け、一箇の毗盧帽子(びるぼうし=毗盧仏の冠)を把(も)ちて打(う)ち歪(ゆが)め、両手(そうしゅ)忙(いそ)ぎてかの毬(たま)を扶(ささ)えおるに、かの毬(たま)轂轆(こくろく=ころころ)とかにが衣袖(いしゅう=袖)の内(うち)に滚(ころ)がり入(い)れり。かの楼(ろう)の上(うえ)斉(ひと)しく声(こえ)を発(はっ)して喊(わめ)いて言う、「一箇(ひとり)の和尚(おしょう)に打(う)ち著(あ)てたり!一箇の和尚に打ち著てたり!」と。

噫(ああ)!十字街頭(じゅうじがいとう)に、かの些(それら)の客商(かくしょう=商人)人等(じんとう)の、済済哄哄(せいせいこうこう=ぞろぞろとどよめき)て、みな来(きた)りて繍毬(しゅうきゅう)を奔(はし)り搶(うば)わんとせしが、行者(ぎょうじゃ)一声(ひとこえ)喝(かつ=怒鳴)り、牙(きば)を傞(す)りて一傞(ひとすり)し、腰(こし)を躬(かが)めて一躬(ひとかが)めし、長(たけ)三丈(さんじょう)有(あ)るほどに長(た)け、一箇の神威(しんい=神の威)を使(つか)い、醜(みにく)き臉(かお)を弄(あらわ)し出(いだ)せば、唬(おど)ろかされてかの些(それら)の人(ひと)跌跌爬爬(てっていはいは=転び這い)して、敢(あ)えて相(あい)近(ちか)づかず。霎時(ひととき)に人(ひと)散(さん)じ、行者(ぎょうじゃ)還(ま)た本象(ほんしょう=本来の姿)を現(あらわ)せり。かの楼(ろう)の上(うえ)の繍女(しゅうじょ)・宮娥(きゅうが=宮女)并(ならび)に大小(だいしょう)の太監(たいかん=宦官)、みな来(きた)りて唐僧(とうそう)に対(むか)いて下拝(かはい)して言う、「貴人(きじん)!貴人!請(こ)う朝堂(ちょうどう)に入(い)りて賀(よろこび)を賀(よろこ)べ」と。

三蔵(さんぞう)急(いそ)ぎ礼(れい)を還(かえ)し、衆人(しゅうじん)を扶(たす)け起(おこ)し、頭(こうべ)を回(めぐ)らして行者(ぎょうじゃ)を埋怨(ばいえん=うらみ)て言う、「汝(なんじ)がこの猴頭(くとう=猿め)、またこれ我(われ)を撮弄(さつろう=からかい)するなり!」と。行者笑って言う、「繍毬(しゅうきゅう)は汝(なんじ)が頭(あたま)の上(うえ)に打(う)ち著(あ)てられ、汝が袖(そで)の裡(うち)に滚(ころ)がり入(い)りたり、我(われ)に干(かかわ)る何(なん)の事(こと)かあらん。埋怨(うらみ)するは怎(いか)なることぞ」と。三蔵言う、「此(かく)の似(ごと)く怎(いか)でか区処(くしょ=始末)せん」と。行者言う、
「師父(しふ)、汝(なんじ)且(しばら)く心(こころ)を放(はな)て。すなわち朝(ちょう)に入(い)りて駕(が=天子)に見(まみ)えよ、我(われ)は駅(えき)に回(かえ)りて八戒(はっかい)・沙僧(さそう)に報(ほう)じて等候(ま)たしめん。もし公主(こうしゅ)が汝(なんじ)を招(まね)かざればすなわち罷(や)み、関文(かんぶん)を倒換(とうかん)してすなわち行(ゆ)かん;もし必(かなら)ず汝を招(まね)かんと欲(ほっ)せば、汝(なんじ)国王(こくおう)に対(むか)いて説(い)え、『我が徒弟(でし)を召(め)され、我(われ)かれに一声(ひとこえ)吩咐(いいつけ)んと要(もと)む』と。その時(おり)我ら三箇(みたり)を召(め)して朝(ちょう)に入(い)らしめば、我その間(かん)に自(おの)ずから能(よ)く真假(しんが=真偽)を辨别(べんべつ)せん。これはこれ婚(こん=婚姻)に倚(よ)りて怪(かい)を降(くだ)すの計(けい)なり」
と。唐僧(とうそう)従(したが)うに已(や)むこと無(な)く言に従(したが)い、行者(ぎょうじゃ)身(み)を転(めぐ)らして駅(えき)に回(かえ)る。

かの長老(ちょうろう)衆宮娥(しゅうきゅうが=宮女ら)等(ら)に簇擁(ぞくよう=取囲まれ)れて楼前(ろうぜん)に至(いた)らしめらる。公主(こうしゅ)楼(ろう)を下(お)り、玉手(ぎょくしゅ=美しき手)相(あい)攙(たす)け、同(とも)に宝輦(ほうれん=天子の車)に登(のぼ)り、儀従(ぎじゅう=供奉の列)を擺(ひら)き開(ひら)き、朝門(ちょうもん)に回(めぐ)り転(てん)ず。早(はや)くも黄門官(こうもんかん=門官)の先(さき)に奏(もう)して言う、「万歳(ばんぜい)、公主娘娘(こうしゅにゃんにゃん)一箇(ひとり)の和尚(おしょう)を攙(たす)けおるは、想(おも)うに繍毬(しゅうきゅう)の打(う)ち著(あ)てたるならん、現(いま)午門(ごもん)の外(そと)に在りて旨(むね)を候(ま)てり」と。かの国王(こくおう)説(もう)すを見(み)て、心(こころ)甚(はなは)だ喜(よろこ)ばず、意(こころ)赶(お)い退(しりぞ)けんと欲(ほっ)せしが、また公主(こうしゅ)の意(こころ)の如何(いかん)を知(し)らず、ただ情(じょう)を含(ふく)んで宣(せん)し入(い)るるを得(え)たり。公主(こうしゅ)と唐僧(とうそう)遂(つい)に金鑾殿(きんらんでん)の下(もと)に至(いた)る。正(まさ)にこれ、
一対(いっつい)の夫妻(ふさい)万歳(ばんざい)を呼(よ)び、両門(りょうもん=二派)の邪正(じゃしょう)千秋(せんしゅう)を拝(おが)む。
と。礼(れい)畢(おわ)り、また殿上(でんじょう)に宣(せん)し至(いた)らしめ、言(ことば)を開(ひら)いて問(と)いて言う、「僧人(そうにん)いずこより来(きた)り、朕(ちん)が女(むすめ)の球(たま)を抛(な)ぐるに遇(あ)いて中(あた)るを得(え)たりしか」と。

唐僧(とうそう)俯伏(ふふく=平伏)して奏(もう)して言う、
「貧僧(ひんそう)はすなわちこれ南贍部洲(なんせんぶしゅう)大唐(だいとう)の皇帝(こうてい)の西天(せいてん)大雷音寺(だいらいおんじ)に差(つかわ)され仏(ほとけ)を拝(おが)み経(きょう)を求(もと)むる者(もの)なり。長路(ちょうろ=長き旅)の関文(かんぶん)有(あ)るに因(よ)り、特に来(きた)りて王(おう)に朝(ちょう)し倒換(とうかん)せんとす。路(みち)に十字街(じゅうじがい)彩楼(さいろう)の下(もと)を過(よ)ぎりしに、期(おも)わざりき公主娘娘(こうしゅにゃんにゃん)の繍毬(しゅうきゅう)を抛(な)げて、貧僧(ひんそう)の頭(あたま)の上(うえ)に打(う)ち著(あ)てられたり。貧僧(ひんそう)はこれ出家(しゅっけ)異教(いきょう)の人(ひと)、怎(いか)でか敢(あ)えて玉葉金枝(ぎょくようきんし=王家の姫)と偶(ぐう=夫婦)を為(な)さん!万(まん)が一にも貧僧(ひんそう)の死罪(しざい)を赦(ゆる)し、関文(かんぶん)を倒換(とうかん)し、打発(ほう=送り出)して早(はや)く霊山(りょうざん)に赴(おもむ)かせ、仏(ほとけ)に見(まみ)え経(きょう)を求(もと)め、我が国土(こくど)に回(かえ)らしめられんことを望(のぞ)む、永(とこしえ)に陛下(へいか)の天恩(てんおん)を注(そそ)がん!」
と。国王(こくおう)言う、
「汝(なんじ)はすなわちこれ東土(とうど)の聖僧(せいそう)、正(まさ)にこれ『千里(せんり)の姻縁(いんえん)も線(いと)を使(つか)いて牽(ひ)く』なり。寡人(かじん=われ)の公主(こうしゅ)は、今(いま)二十歳(はたち)に登(のぼ)りて未(いま)だ婚(よめ)らず、今日(こんにち)の年月日時(ねんげっぴどき)俱(みな)利(よ)しを択(えら)ぶに因(よ)り、彩楼(さいろう)を結(むす)び繍毬(しゅうきゅう)を抛(な)げて、以(も)って佳偶(かぐう=良き配偶)を求(もと)むる所以(ゆえん)なり。可可(ちょうど)汝(なんじ)の来(きた)りて抛(な)げ著(あ)てられたり、朕(ちん)喜(よろこ)ばずと雖(いえど)も、却(かえ)って公主(こうしゅ)の意(こころ)の如何(いかん)を知(し)らず」
と。かの公主(こうしゅ)叩頭(こうとう=額ずき)して言う、
「父王(ふおう)、常(つね)に言(い)う『鶏(とり)に嫁(か)すれば鶏に逐(したが)い、犬(いぬ)に嫁すれば犬に逐う』と。女(むすめ)誓願(せいがん)の先(さき)に在(あ)り、この毬(たま)を結(むす)び、天地神明(てんちしんめい)に告奏(こくそう=申し上げ)し、撞天婚(どうてんこん=天任せの婚姻)して抛打(ほうだ=投げ打ち)せり。今日(こんにち)聖僧(せいそう)に打(う)ち著(あ)てたるは、すなわちこれ前世(ぜんせ)の縁(えにし)、遂(つい)に今生(こんじょう)の遇(あい)を得(え)たり、豈(あに)敢(あ)えて更(あらた)めて移(うつ)さんや!願(ねが)わくはかれを招(まね)いて駙馬(ふば=婿)と為(な)さんことを」
と。

国王(こくおう)方(はじ)めて喜(よろこ)び、すなわち欽天監(きんてんかん=天文台)の正台官(せいだいかん)を宣(せん)して日期(にっき=吉日)を選択(せんたく=選ば)しめ、一壁廂(いっぺき=一方)には妝奩(しょうれん=嫁入り道具)を收拾(しゅうしゅう=整え)させ、また旨(むね)を出(いだ)して天下(てんが)に暁諭(ぎょうゆ=触れ)せしむ。三蔵(さんぞう)言(げん)を聞き、更(さら)に恩(おん)を謝(しゃ)せず、ただ「放赦(ほうしゃ=お許し)!放赦!」と教(よばわ)るのみ。国王言う、
「この和尚(おしょう)甚(はなは)だ理(ことわり)に通(つう)ぜず。朕(ちん)一国(いっこく)の富(とみ)を以て、汝(なんじ)を招(まね)いて駙馬(ふば)と做(な)さしむるに、何為(なんす)れぞこの処(ところ)に在りて停(とどま)り用(もち)いられず、念念(ねんねん=ただ)経(きょう)を取(と)らんと要(もと)むるのみなる。再(ふたた)び若(も)し推辞(すいじ=辞退)せば、錦衣官校(きんいかんこう=近衛の役人)をして推(お)し出(いだ)して斬(き)らしめん!」
と。長老(ちょうろう)唬(おど)ろかされて魂(たましい)体(からだ)に附(つ)かず、ただ戦戦兢兢(おののき)として叩頭(こうとう)し啓奏(けいそう)して言う、
「陛下(へいか)の天恩(てんおん)を感蒙(かんもう=忝く蒙)れり。但(た)だ貧僧(ひんそう)一行(いっこう)四衆(ししゅ)の内(うち)、なお三箇(みたり)の徒弟(でし)の外(そと)に在(あ)る有(あ)り。今当(まさ)に領納(りょうのう=承り)すべけれど、ただ曾(かつ)て一言(ひとこと)を吩咐(いいつけ)るを得(え)ざりき。万(まん)が一にもかれをこの処(ところ)に召(め)さるるを望(のぞ)み、関文(かんぶん)を倒換(とうかん)して、かれをして早(はや)く去(ゆ)かしめ、西(にし)より来(きた)れるの意(こころ)を誤(あやま)らざらしめんことを」
と。国王遂(つい)に奏(もうし)を准(ゆる)して言う、「汝(なんじ)が徒弟(でし)はいずこに在(あ)る」と。三蔵言う、「みな会同館駅(かいどうかんえき)に在(あ)り」と。随(したが)いてすなわち官(かん)を差(つかわ)して聖僧(せいそう)の徒弟(でし)を召(め)して関文(かんぶん)を領(う)けて西(にし)へ去(ゆ)かしめ、聖僧(せいそう)をこの処(ところ)に留(とど)めて駙馬(ふば)と為(な)さしむ。長老(ちょうろう)ただ身(み)を起(おこ)して侍立(じりつ=かしこまり立ち)するを得(え)たり。

詩(し)有(あ)りて証(あかし)と為(な)す、
大丹(たいたん=内丹)漏(も)らざらんには三全(さんぜん=三つの完備)を要(よう)し、
苦行(くぎょう)成(な)り難(がた)く悪縁(あくえん)を恨(うら)む。
道(どう)は聖(せい)の伝(つた)うるに在(あ)り修(しゅ)は己(おのれ)に在(あ)り、
善(ぜん)は人(ひと)の積(つ)むに由(よ)り福(ふく)は天(てん)に由(よ)る。
六根(ろっこん)の多(おお)くの貪欲(とんよく)を逞(たくま)しくするを休(や)めよ、
頓(とみ)に一性(いっしょう=一つの本性)の本来(ほんらい)の原(もと)を開(ひら)かん。
愛(あい)無(な)く思(おも)い無(な)ければ自(おの)ずから清浄(しょうじょう)、
管(きっと)も解脱(げだつ)して超然(ちょうぜん)を得(う)るを教(おし)えん。
と。

当時(そのとき)差官(さかん=遣わされた役人)会同館駅(かいどうかんえき)に至(いた)りて、唐僧(とうそう)の徒弟(でし)を宣召(せんしょう=召し出だ)すは題(だい)とせず。

さて、行者(ぎょうじゃ)彩楼(さいろう)の下(もと)より唐僧(とうそう)に別(わか)れ、両歩(ふたあし)走(あゆ)みては両声(ふたこえ)笑(わら)い、喜喜歡歡(ききかんかん=大喜び)して駅(えき)に回(かえ)る。八戒(はっかい)・沙僧(さそう)迎(むか)えて言う、「哥哥(あにき)、汝(なんじ)いかでかあの般(ごと)く喜(よろこ)び笑(わら)う。師父(しふ)はいかでか見(み)えざる」と。行者言う、「師父(しふ)喜(よろこ)べり」と。八戒言う、「いまだ地頭(ちとう=目的地)に到(いた)らず、また曾(かつ)て仏(ほとけ)に見(まみ)え経(きょう)を取(と)り得(え)て回(かえ)らざるに、これ何(なん)の来(きた)れる喜(よろこび)か」と。行者笑って言う、
「我(われ)と師父(しふ)ただ十字街(じゅうじがい)彩楼(さいろう)の下(もと)に走(ゆ)き至(いた)りしのみなるに、可可(ちょうど)当朝(とうちょう=今の朝廷)の公主(こうしゅ)の繍毬(しゅうきゅう)を抛(な)げて師父(しふ)に打(う)ち中(あた)らしめられ、師父(しふ)は些(いくたり)かの宮娥(きゅうが)・彩女(さいじょ)・太監(たいかん)に推擁(すいよう=押し囲まれ)れて楼前(ろうぜん)に至(いた)らしめられ、公主(こうしゅ)と同(とも)に輦(くるま)に坐(ざ)して朝(ちょう)に入(い)り、招(まね)かれて駙馬(ふば)と為(な)れり、これ喜(よろこび)に非(あら)ずして何(なん)ぞや」
と。

八戒(はっかい)説(い)うを聴(き)き、脚(あし)を跌(ふみなら)し胸(むね)を捶(う)ちて言う、
「早(はや)く知(し)らば我(われ)の去(ゆ)きて好(よ)かりしものを!みなこれかの沙僧(さそう)の憊懶(はいらん=不精者)なるが故(ゆえ)なり!汝(なんじ)が我(われ)を阻(さえぎ)らざれば、我(われ)径(ただち)に彩楼(さいろう)の下(もと)に奔(はし)り、一箇の繍毬(しゅうきゅう)の我が老豬(ろうちょ=おれ)に打(う)ち著(あ)て、かの公主(こうしゅ)の我(われ)を招(まね)かば、却(かえ)って美(び)ならずや、妙(みょう)ならずや!俊刮(しゅんかつ=美しい)・標致(ひょうち=器量よし)・停当(ていとう=申し分なし)、大家(みんな)造化(ぞうか=幸運)に耍子児(あそび=遊び)を為(な)す、何等(なんと)の有趣(おもしろみ)ならずや!」
と。沙僧(さそう)上前(すす)み出(い)で、かれが臉(かお)の上(うえ)を一抹(ひとぬぐ)いて言う、
「羞(はじ)ならずや!羞ならずや!好(よ)き箇(ひとつ)の嘴巴骨子(しはいこっし=厚かましき口)なるかな!三銭(さんせん)の銀子(ぎんす=銀)にて老驢(ろうろ=老いた驢馬)を買(か)いて、自(みずか)ら騎(の)るを得(う)ると誇(ほこ)る!もし一箇の繍毬(しゅうきゅう)の汝(なんじ)に打(う)ち著(あ)てなば、すなわち夜(よる)を連(つら)ねて退送紙(たいそうし=厄払いの紙銭)を焼(や)くといえどもまた遅(おそ)しと道(い)わん、敢(あ)えて汝がこの晦気(わいき=不運)を惹(ひ)きて門(もん)に進(い)らしめんや!」
と。八戒言う、
「汝(なんじ)がこの黒子(こくし=黒んぼ)は趣(おもむき)を知(し)らず!醜(みにく)きは醜きながら、また些(いささ)かの風味(ふうみ=趣)有(あ)り。古(いにしえ)より道(い)う、『皮肉(ひにく)粗糙(そそう=粗い)なれど、骨格(こっかく)堅強(けんきょう)、各(おのおの)一得(いっとく)の取(と)るべき有(あ)り』と」
と。行者言う、「呆子(あほう)胡談(こだん=たわごと)を莫(な)かれ!且(しばら)く行李(こうり=荷)を收拾(しゅうしゅう)せよ。但(た)だ師父(しふ)の急(きゅう)を著(う)けて、来(きた)りて我らを叫(よ)ばんことを恐(おそ)るれば、却(かえ)って好(よ)く朝(ちょう)に進(い)りてかれを保護(ほご)せん」と。八戒言う、
「哥哥(あにき)また説(い)うこと差(たが)えり。師父(しふ)は駙馬(ふば)と做(な)り、宮中(きゅうちゅう)に到(いた)りて皇帝(こうてい)の女(むすめ)と交歓(こうかん=睦み)するに、またこれ山(やま)に爬(よじのぼ)り路(みち)を蹱(ふ)むにも非(あら)ず、怪(かい)に遇(あ)い魔(ま)に逢(あ)うにも非(あら)ざるに、汝(なんじ)の保護(ほご)を要(よう)して怎(いか)にせん!かれがあの様(よう)な一把子(ひとくくり)の年紀(ねんき=年齢)にて、豈(あに)被窩(ひか=寝床)の裡(うち)の事(こと)を知(し)らざらんや、汝(なんじ)の去(ゆ)きて扶揝(ふさん=助け)するを要(よう)せんや」
と。行者一把(ひとつかみ)に耳朶(じた=耳)を揪(つか)まえ、拳(こぶし)を輪(めぐ)らして罵(ののし)って言う、「汝(なんじ)がこの淫心(いんしん=みだら心)の断(た)えざる夯貨(こうか=間抜け)!かの甚(なん)の胡話(こわ=たわごと)をか説(い)う!」と。

正(まさ)に吵闹(そうどう=騒ぎ)の間(あいだ)に、ただ駅丞(えきじょう)の来(きた)りて報(ほう)じて言う、「聖上(せいじょう=天子)に旨(むね)有(あ)り、差官(さかん)を遣(つかわ)して三位(みたり)の神僧(しんそう)を請(しょう)ぜらる」と見(み)る。八戒言う、「端的(つまるところ)我らを請(しょう)ずるは何為(なんす)れぞ」と。駅丞(えきじょう)言う、「老神僧(ろうしんそう)幸(さいわ)いに公主娘娘(こうしゅにゃんにゃん)に遇(あ)い、繍毬(しゅうきゅう)を打(う)ち中(あて)られ、招(まね)かれて駙馬(ふば)と為(な)られたるに、此(ここ)を以て差官(さかん)を遣(つかわ)して請(しょう)ぜらる」と。行者言う、「差官(さかん)はいずこに在(あ)る。かれをして進(い)り来(きた)らしめよ」と。

かの官(かん)行者(ぎょうじゃ)を見(み)て施礼(せれい=礼をな)す。礼(れい)畢(おわ)るも、敢(あ)えて仰視(ぎょうし=仰ぎ見)ず、只管(ひたすら)暗(ひそか)に念誦(ねんじゅ=唱え)えて言う、「これ鬼(おに)か、怪(あやし)か。雷公(らいこう)か、夜叉(やしゃ)か」と。行者言う、「かの官児(かんじ=役人)、話(ことば)有(あ)りて説(い)わず、何為(なんす)れぞ沈吟(ちんぎん=ためらう)」と。かの官児(かんじ)慌(あわ)てて戦戦兢兢(おののき)として、双手(そうしゅ)に聖旨(せいし=勅書)を挙(あ)げ、口(くち)の裡(うち)に乱(みだ)りに道(い)う、「我が公主(こうしゅ)会親(かいしん=親族の対面)の請(しょう)有(あ)り、我が主公(しゅこう=主君)会親(かいしん)の請(しょう)有(あ)り!」と。八戒言う、「我がこの処(ところ)に刑具(けいぐ)無(な)し、汝(なんじ)を打(う)たず、汝(なんじ)慢慢(ゆっくり)と説(い)え、怕(おそ)るるを要(よう)せず」と。行者言う、「莫成(まさか)汝(なんじ)の打(う)つを怕(おそ)るると道(い)うか。汝が那(あ)の臉(かお)を怕(おそ)るるなり!疾(と)く收拾(しゅうしゅう)し、担(に)を挑(かつ)ぎ馬(うま)を牽(ひ)きて朝(ちょう)に進(い)り、師父(しふ)に見(まみ)えて事(こと)を議(ぎ)しに去(ゆ)かん!」と。

正(まさ)にこれ、
路(みち)に狭道(きょうどう=狭き道)に逢(あ)えば回避(かいひ=避け)ること難(かた)く、
定(かなら)ず恩愛(おんあい)をして反(かえ)って仇(あだ)と為(な)らしめんことを教(おし)えん。
と。畢竟(ひっきょう)国王(こくおう)に見(まみ)えて何(なん)の話説(はなすこと)か有(あ)るを知(し)らず、また下回(かかい)の分解(ぶんかい)を聴(き)かれよ。